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葬儀と家族をめぐる現代的課題

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葬儀と家族をめぐる現代的課題

1.はじめに 

 葬儀は、伝統と習俗によって形成され、維 持されているというイメージがあるが、実は 社会変動とともにそのメカニズムをダイナ ミックに変化させている。この葬儀のメカニ ズムを分析する際、筆者は葬儀を社会的交換 とみなし、ハルミ・ベフによる「互酬性の規 範」の4レベルを分析枠組みとして用いてき た。そして、地域共同体における「義理」と いう互酬性の規範に基づいた「伝統的な葬 儀」、社縁関係を重視し葬儀社への依存を強 めた「近代的葬儀」、家族の私事化と葬儀サー ビスの多様化が顕著に見られる「現代的葬儀」

といった三つの葬儀モデルを提示し、葬儀メ カニズムの変化を分析してきた。そして、葬

Contemporary Problem about Funeral and Family in Japan 渡  邊  千 恵 子 *

Chieko Watanabe

 これまでの葬儀の変化に関する議論は家族を前提としていたが、家族の個人化の進行 は家族関係を持たない個人を生み出している。そこで、本稿では、家族関係自体の選択 や解消といった視点を論じている山田昌弘の「家族の個人化」の分析から家族の変化の 方向性をとらえなおし、その帰結として葬儀にどのような変化がみられるかを整理する。

そして、葬儀と家族をめぐる現代的課題を検討する。まず、山田による「家族の個人化」

の二つのレベル①「家族の枠内での個人化」、②「家族の本質的個人化」について検討し、

「私事化」、「個別化」、「無縁化」、「階層化」という家族の変化が、葬儀に与えている影 響を考察した。行き過ぎた個人化の帰結として、親の遺体を遺棄する家族もあらわれて きている。現代社会において失われつつある「死後の安心保障体制」を回復するために は、「死者を家族に委ねる構造」と「葬儀の消費財化」が変化していく必要がある。

キーワード 家族の本質的個人化 無縁化 階層化 隣人祭り 死後の安心保障体制

2011 年9月2日受理   * 尚絅学院大学 准教授

儀の変化は家族と社会との関係性の変化の投 影であるととらえ、死やそれに伴う葬儀につ いて家族の関わりの中で論じてきた1)  しかし、今日、人の死が家族の問題から個 人の問題として表出し始めてきている。平成 22 年1月、NHK で「無縁社会」と題した番 組が放送された。番組では、身元不明や行き 倒れの死者で遺体の引き取り手が存在しない

「行旅死亡人」が増えてきていることに着目 し、その原因を丹念にたどっていくなかで、

「地縁」「血縁」といった地域、家族・親族と いった絆だけでなく「社縁」までも失い、無 縁となった個人の人生を描き出した。

 これまでの葬儀の変化に関する議論は、家 族を前提としたうえでの行動の選択可能性の 増大に伴う諸問題としてとらえることができ

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たが、無縁死、孤独死といった問題は、家族 関係を前提としない、あるいは家族の機能遂 行が困難であるという問題としてとらえる必 要がある。そこで、本稿では、家族関係自体 を選択したり、解消したりするといった視点 を含んでいる山田昌弘の「家族の個人化」2)

の分析から家族の変化の方向性をとらえなお し、その帰結として葬儀にどのような変化が みられるかを整理し、葬儀と家族をめぐる現 代的課題を検討する。

2. 「家族の個人化」〜ふたつのレベル〜

1)「家族の枠内での個人化」

 山田昌弘は、家族の個人化は理念的にふた つのレベルがあると指摘している3)。ひとつ は、「家族の枠内での個人化」であり、家族 関係自体の選択不可能性、解消困難性を保持 したまま、家族形態や規範、行動等の選択可 能性が増大するというプロセスである。この レベルの個人化は、さらに「私事化」と「個 別化」に分類される。

 「私事化」は、個人が所属する公的な単位(企 業や地域社会)よりも私的な単位(家族)を 重視する傾向であり、家族以外のシステムか らの家族の自由化ととらえられる4)。このタ イプの個人化は、地域社会、近隣、親族など からの規範の拘束性の低下によってもたらさ れるが、地域社会、近隣、親族との関係がな くなることではない。例えば、「お盆には帰 省し、親族一同が集まるという習慣だったも のが、家族そろって海外旅行に出かける」と いうことを考えてみると、お盆には帰省して 親族一同で集まるか、家族そろっての海外旅 行かという選択肢を得ることが、家族の個人 化のひとつの形となる。

 「個別化」は、個人や集団の欲求充足を図 る活動の単位がより小さくなる傾向であり、

家族内部での行動の自由の増大ととらえられ る。これは、家族が他の家族成員に持つ「期

待」の拘束性が低下することによる選択肢の 増大であると、山田は指摘している5)。先の 例でいえば、「夫婦は帰省し、親族の集まり に参加するが、大学生の子供たちはアルバイ トや仲間と遊ぶ予定を立てている」ケースで は、家族そろって行動しなくてもいい、家族 が個別の行動をとってもいいという選択肢を 得ることが、家族の個人化のもうひとつの形 である。

 家族の存続が前提とされている「家族の枠 内での個人化」について、山田の知見をベー スに概観してきたが、そこには「私事化」と

「個別化」というふたつの概念が区別されて いた。長津6)によると、「私的世界の重視は 家族における非個別化につながるかもしれな いし、家族におけるさらなる個別化につなが るかもしれない。一方、家族における行動の 個別化は私事化を促進する方向に働く」と指 摘している。

 磯田は、この「私事化が個別化を伴う」あ るいは「個別化の結果、私事化する」といっ た両者の共変性が、ふたつの概念を混同させ てしまうと指摘し、私事化の概念整理を行っ 7)。私事化と個別化の相違を、①私事化は 領域、意味の変化、個別化は単位降下(サイ ズの問題)、②「家族の私性」の自明性、③ 個別化は小さい方向へ向かう一方向性である のに対し、私事化が多局面で起こり、多方向 性であることを挙げている。そのうえで、① 規範非拘束性、②情緒志向、③公的世界への 関心の撤退、④短期的、直接的利益追求、⑤ 適応といった、私事化の指標を5つ挙げてい 8)。このように家族とは独立した指標を作 成することで、個別化と混同することなく、

私事化の多方向性を分析することを目的とし ている。

2)「家族の本質的個人化」

 もうひとつの家族の個人化は、「家族関係 自体を選択したり、解消したりする可能性が

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増大するプロセス」であり、これを山田は「家 族の本質的個人化」9)と呼んでいる。さらに、

この「本質的個人化」は、「家族であること」

を選択する自由、「家族であること」を解消 する自由を含んだ個人化であるため、家族の 枠内での個人化と呼んだ「私事化」や「個別 化」とはまったく質的に異なると述べてい 10)。これは、具体的に考えると、結婚を しない、離婚をするという選択肢があるとい うこと、親子関係を解消するといった選択肢 が用意されていることをあらわし、その選択 肢が個人の意志にゆだねられることを意味し ている。

 近年、日本にみられる未婚化、離婚率の増 加は、夫婦関係における選択可能性と解消可 能性の拡大とみることができる。2005 年の 総務省「国勢調査」によると11)、25 〜 39 歳の 未婚率は男女ともに引き続き上昇し、男性で は、25 〜 29 歳で 71.4%、30 〜 34 歳で 47.1%、

35 〜 39 歳で 30.0%、女 性では、25 〜 29 歳で 59.0 %、30 〜 34 歳 で 32.0 %、35 〜 39 歳 で 18.4%となっている。さらに、生涯未婚率を 30 年前と比較すると、男性は 2.1%(1975 年)

から 16.0%(2005 年)、女性は 4.3%(1975 年)

から 7.3%(2005 年)へ上昇している。離婚 率に関しても、1963 年以降毎年増加してお り、2002 年をピークに減少を続けているも のの、1975 年から 2010 年の 35 年間で倍増し ている。

 このように未婚や離婚は一般化してきてお り、選択可能性や解消可能性が拡大してきて いることは自明であるが、親子関係について はどうだろうか。山田は、親子関係でも、近 年、じゃまな子どもをネグレクトするという 形での虐待や、子どもの存在が損であると思 えば、子どもを捨てるという選択をする親が 出てくるのは当然だとしている。逆に子ども の立場から、親からの虐待を理由に児童養護 施設に自ら駆け込む中高生が出てきていると 述べている。さらに、成人後の親子関係にお

いても、親に経済力があれば家族とみなし、

経済力がなければ家族とみなさない傾向が観 察されると指摘している12)

 では、このような家族の個人化状況は、ど うして生じるのだろうか。家族の枠内にとど まっている、すなわち、選択不可能、解消困 難という関係性は、個人の行動様式を硬直化 させる抑圧のメカニズムとして働く一方で、

個人が家族に所属する限り家族の一員として 守られる存在でいられることを内包してい る。すなわち、個人は家族から経済的安定や 精神的安定を得る代わりに、個人の欲求充足 よりも家族を維持するために期待される役割 を果たすことが求められている。家族の本質 的個人化は、この制度的な家族関係の在り方 に疑問を持ち、生活の中心を自分らしく生き たいという個人的価値の実現におくため、家 族を形成するのか、しないのか、解消するの か、しないのかという選択肢を持つことを可 能にしたのである。

 しかし、選択肢を持つ一方で、家族関係を 望んでも得られるとは限らず、常に解消可能 性と隣り合わせであるという不安定性を保持 することにもなる。これを山田は「家族のリ スク化」13)と呼んでいる。また、家族の本 質的個人化における選択可能性や解消可能性 といった選択肢の実現可能性は、家族内部の 力関係だけでなく、社会全体の中での個人の

「力」関係に依存すると指摘している。すな わち、より多く資源を持ち、他者の影響を受 けずに自分の選択を実現できる層と、資源を 持つことができないために、自分の選択を実 現するどころか、結婚ができないといった家 族自体を形成できないリスクや、家族から関 係を解消されるリスクなどを常に背負ってい る層が出現する。これを、山田は「家族の階 層化」14)と呼んでいる。このほかにも家族 の本質的個人化が進行することによって、ナ ルシズムが広がり、家族が道具化する、幻想 の中に家族が追いやられるといった現象が生

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じると危惧している。

 以上、近年の家族の在り方を議論する際の 重要な分析視点である「家族の個人化」につ いて、山田昌弘の見解を中心に概観し、家族 の個人化が家族に与える影響をみてきた。次 には、家族に生じているこのような変化の方 向性が、これまで家族を前提として行われて いた葬儀にどのような変化をもたらしてきて いるのかについて考察を進める。

3.家族の個人化と葬儀の変化

(1)「家族の枠内での個人化」の場合  まず、「私事化」が葬儀にどのような変化 をもたらしてきたのか、先に磯田らが提示し た私事化の指標に当てはめて概観してみよ う。

 ① 規範の非拘束性

 地域社会、近隣、親族などからの規範の拘 束性の低下は、葬儀における慣習的規則の変 化をもたらした。葬儀の運営主体は、相互扶 助組織から家族が依頼する葬儀社へと移行 し、その結果、葬儀が「社会的交換」から「経 済的交換」へと変わり、葬儀社への依存を高 めることになった。

 ② 情緒化

 会葬者よりも家族を重視する傾向は、家族 規模の縮小や長寿化と相まって、葬儀の社会 的性格を弱くし、家族や個人の情緒を重視す る儀礼へと変化させてきている。近年、良く 耳にする「家族葬」は、故人と家族のお別れ を最優先した葬儀を意味しており、葬儀の情 緒化ととらえることができる。また、通夜や 葬儀の際の演出として定着してきている「故 人の追悼 DVD」は葬儀の私事化に伴う情緒 化の典型例である。

 ③ 公的世界への関心の撤退

 社会的儀礼から家族的儀礼への変化、そし て個人の長寿化に伴って、葬儀に関する情報 の新聞掲載率が低下してきていることが、筆

者らの調査で分かっている15)。死亡とそれ に伴う葬儀を公示するといった慣習的規則が 弱まってきているのである。

 ④ 短期的・直接的な利益追求

 伝統的な葬儀は共同体や檀那寺との長期的 な社会関係の上に成り立っており、世代を超 えて相互扶助が行われていた。一方、私事化 に伴い社会的交換の側面が弱くなった葬儀に おいては、ほとんどが即時的な経済的交換と なり、寺院との関係性も失った家族において は、戒名までもが消費財になっている場合も 少なくない。

 ⑤ 適応

 伝統的な地域共同体の規範から解放される 一方で、家庭外の専門機関である葬儀社に大 きく依存している現状は、新たな慣習的規則 に縛られている様相を呈している。しかし、

葬儀を遂行する資源を持ちえない現代社会の 家族にとっては、その提供される葬祭サービ スにたとえ満足していなくとも適応していく しかないのが現状である。

 このように私事化は、葬儀に社会的儀礼か ら家族的儀礼への変化と社会的交換から経済 的交換への変化をもたらし、結果として葬儀 社への依存を高める状況を作り出している。

 次に、「個別化」についてみていこう。「個 別化」がもたらす葬儀の変化には、二つの段 階がある。第一段階としては、近代的葬儀に みられた「葬儀の大型化」が挙げられる。家 族成員個々がそれぞれに生活領域を持ち社会 関係を広げるようになると、家族全体の社会 関係の総数が膨れ上がり、会葬者が拡大する

「葬儀の大型化」がもたらされた。しかし、

この「葬儀の大型化」は結果として会葬者中 心の形式的な葬儀を作り出し、私事化に反す るものとなり、急速に変化していった。第二 段階では、私事化が進行した現代的葬儀にお いて、自分らしい葬儀というより個人的価値 の実現を重視した「家族葬」「無宗教葬」「音

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楽葬」「生前葬」などの自由な発想の葬儀や 火葬の際にお経をあげるだけの「直葬」が選 択肢として登場するようになっている。「個 別化」は、このように葬儀に対する個人の欲 求の多様性をもたらしたが、個人は欲求を持 ち得ても、葬儀を執り行うことはできない。

葬儀を行うのは遺族であり、これらの変化は 家族を前提としたものとして捉えることがで きる。

(2)「家族の本質的個人化」の場合

 ここでは、これまで家族を前提としていた 葬儀が、家族の選択可能性や解消可能性か拡 大した状況において、どのような課題を抱え ているかについて考察する

 未婚化、離婚の一般化、子どもをもたない 選択、親子関係の希薄化・絶縁化、これらに 共通するのは、「死後の安心保障体制」が期 待できないことである。この「死後の安心保 障体制」16)とは、自分の死後には葬儀が執 り行われ、必要な社会的手続きと祭祀が家族 や親族によって確実に行われることが保障さ れていることを指す。しかし、近年、祭祀に 関する規範の拘束力の低下は著しく、子ども がいたとしても「期待できない」と考える者 は少なくはない。まして、配偶者や子供がい ない者が親族に葬儀を執り行うことを期待す るのは現代では難しい。

 そこで、家族に代わって葬儀を執り行う LiSS システム(リビング・サポート・サー ビス・システム)が 1993 年に誕生した17) LiSS システムは、「葬儀等に関する生前契約」

の引き受けから始まったが、現在ではそのサ ポートの幅は広がり、日々のくらしを支える サポート(生前事務委任契約)、病気などで 自己主張できなくなった時のサポート(任意 後見契約公正証書)、亡くなった後のサポー ト(死後事務委任契約)など多岐にわたって いる。まさに、「家族になる」契約である。

 これまで家族が果たしていた死や葬儀に関

わる機能を任せる家族がいない場合、このよ うな「生前契約」という手段で葬儀やそれに 伴う社会的手続きを遂行することは可能であ る。しかし、これは「生前契約」をすること かできる「力」を持った個人に限られている。

ここで言う「力」とは、認識力、情報力、行 動力、意思決定力、経済力など、自分の最期 をイメージし問題解決を図るための資源とと らえる。

 それでは、そのような「力」、すなわち「資 源」を持ちえない個人はどうなるのだろうか。

子供がいる場合には子供が、子どもがいない 場合には親族がその責務を負うことになる。

具体的には、葬儀における喪主、施主となり、

諸手続きを行い、住居の片づけを担うことと なる。これらの役割には、経済的負担や時間 がかかるだけでなく、煩雑な作業が伴う。故 人との関係性の希薄化や役割を担う者の資源 不足などから、一般的な葬儀を執り行わず、

火葬の際にお経を挙げるだけの「直葬」が選 択されるケースもみられ、東京都では、2、

3割が直葬ともいわれている18)。なかには 施設に入所している親が亡くなった際に、「葬 儀は施設で行ってください」と言い、親の葬 儀を行うという社会的義務を放棄する者もい る。

 本質的個人化の進行は、人間の最期の通過 儀礼である葬儀において確実に階層化をたら している。死者を家族にゆだねる構造が変化 していない現在、家族との関係性を選択的に 持たないあるいは持てなかった個人は、資源 の有無によって葬儀の在り方が異なってく る。また、家族との関係性は保持しながらも、

頼るべき共同体を失い、個人の資源も不足し ている家族において、葬儀を遂行する家族機 能を十分に果たせないばかりか、死者を葬る 社会的手続きができない状況も現れてきてい る。具体的には、死亡した家族の遺体を自宅 に放置するという事件が起きている。次では、

この痛ましい事件の概要を見ていくことにし

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よう。

(3) 葬儀を行う機能を果たせない家族  死亡した家族の遺体を自宅に放置するとい うケースは、家族の問題にとどまらず、死体 遺棄罪や死亡届け義務違反に問われる深刻な 問題である。このような事件の発生数や全容 を把握することは困難であるが、ここでは、

朝日新聞の記事データベース「聞蔵Ⅱ」を用 い、対象となる事件を検索した。2000 年1 月〜 2010 年3月までに、54 件のケースが掲 載されていた。

 その内容を分析すると、遺棄の対象となっ ているのは「母親」が 61%を占めており、

28%が「父親」であった。遺棄を行った当事 者については、「息子」が 82%と大半を占め ている。また、被害者と加害者の年齢分布を みると、被害者が 70 代をピークに 60 代以降 に集中しており、加害者は 50 代をピークに 30 代、40 代でほとんどを占めている。記事 内容をみると、「葬儀代がない」「生活に困っ て年金詐取」「どうしたらいいのかわからな い」「介護に疲れた」「ふたり暮らし」「孤立」

などのキーワードが抽出できる。それぞれの ケースには様々な個別の事情があるが、「親 の年金を詐取する」意図がある場合と、「葬 儀費用がない、どうしたらいいのかわからな い」という場合に分けられる。多くの場合、

病気等で亡くなった親の遺体を自宅に放置 し、後に発見されている。

 このようなケースからわかることは、頼る べき共同体からの相互扶助が得られず、残さ れた家族が「力」を保持していない場合、家 族が死者を葬る機能を遂行することができな いということである。

4.葬儀と家族をめぐる現代的課題

 ここまでは、家族の個人化が葬儀にどのよ うな変化をもたらすのかを考察してきた。こ

こでは、そのような状況から、葬儀と家族を めぐる現代的課題について検討しよう。

 現代社会における葬儀にはふたつの特徴が ある。ひとつは「消費財」であるということ、

すなわち、葬儀を執り行うためには経済力が 必要となる。もうひとつは「葬儀は家族によっ て執り行われる」という規範が強いことであ る。

 この葬儀に関する現代日本社会の枠組みの 中で、家族の本質的個人化が進行していくと、

①無縁化(葬儀の担い手としての家族がいな い層の増加)、②階層化(頼るべき共同体を 失うとともに家族成員の資源が不足している ため、葬儀を執り行う家族機能を果たせない 家族の出現)というふたつの問題に私たちは 直面する。そして、この無縁化と階層化は、

葬儀自体の存続とその性質に大きな影響を与 えることになる。

 かつて個人は、共同体や家族に所属し、地 位と役割を持った社会的存在として位置づけ られていた。ゆえに、その死は社会的性格を 持ち、集団のメンバーとして弔われてきた。

しかし、家族を持たない選択あるいは家族関 係を解消した場合、死もまた個人化し、他者 に弔われることのない死が増えてしまうこと が危惧される。近年では、火葬時にお経をあ げるだけの直葬が増えてきているという。こ のような葬儀の簡略化が、社会全体の中で死 者の隔離を生み出し、アリエスが指摘した「死 のタブー」19)が再び顕著になり、死者への 冷淡な雰囲気が拡大する可能性がある。

 また、孤立した貧困層の増大は、葬儀の大 きな転換点になるだろう。これまでは文化や 社会制度の問題であった葬儀を、社会保障の 問題として捉えなおす必要が生じるからであ る。頼るべき共同体を失い、孤立化し、葬儀 を執り行う知識や情報、資金を持たない家族 や個人に対しては、セーフティーネットの構 築が必要になってくる。

 さて、本稿では、家族の変化を「家族の個

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人化」の視点から考察してきたが、葬儀が抱 える問題を解決するためには、共同化という 視点も必要になってくる。個人化と共同化は トレードオフの関係のように捉えられがちで あるが、決して一元的なものではない。家族 を持たない選択をした者、家族関係を解消し た者、家族関係が疎遠になった者、これらの 個人がすべて孤立し、葬儀の遂行が困難にな るわけではない。彼らはかつての共同体や家 族に代わる新たな関係を見出し、自らの人生 に「共同性」や「連帯性」を作り出すネット ワークを創造することができる。葬送に関す るネットワークとしては、「NPO りすシステ ム」や「NPO エンディングセンター」、「も やいの会」などが代表的な組織である。

 葬儀は人生の最期の通過儀礼であるが、そ こに至るには生活があり、人生がある。日々 の生活、人生においてどのように人と関わっ てきたかということが、人生の最期にあらわ れる。近年、ヨーロッパを中心に「隣人祭り」

というイベントが活発に行われている。パリ のアパートで独居の女性が孤独死し、ひと月 後に発見されたことを契機に、住民同士の触 れ合いを目的とした中庭でのパーティーが始 まりである。日本には 2008 年に上陸し、全 国各地でこの「隣人祭り」は行われている。「隣 人祭り」とは、簡単に言うと「ご近所さんが 集まってお茶や食事をすること」である。こ れはかつての共同体で日常的に行われていた 風景であり、今では死語になっている「向こ う三軒両隣」の付き合い、親密で援助的な関 係性の復活を目指している。この「隣人祭り」

が活発化した背景には、個人の選択可能性の 行き過ぎた拡大に危機感を持っている人が少 なくないことがあるだろう。家族の本質的個 人化が進行し、たとえ最期の時を家族と呼べ る人といなくとも、「隣人祭り」によって友人・

知人が増え、ネットワークを構築することが できれば、親しみのある関係に包まれて旅立 つことができるだろう。

 現代社会において、個人は多様な選択肢を 持つことができるようなった。それは「選択 不可能」や「解消困難」を前提とした不自由 ではあるが安定的な関係が、社会の中で失わ れていくことを意味している。葬儀において も、「家族の個人化」は「無縁化」や「階層化」

を生み出し、「死後の安心保障体制」を脅か している。このような社会問題を「個人化」

の帰結として捉え、選択に伴う結果を受け入 れるべきであるという考え方もある。しかし、

積極的な選択ばかりではない現実を踏まえる と、これまでとは異なる形ではあっても「死 後の安心保障体制」を回復することが必要で あると考える。

 現代社会において、「死後の安心保障体制」

を回復するためには、第一に、「死者を家族 に委ねる構造」が変わっていく必要がある。

葬儀を執り行う機能を保持していない家族が あらわれてきている一方で、「葬儀は家族に よって執り行われる」という規範的拘束力が 強い。この実態と規範の乖離が、死や葬儀の タブー視を招き、死者への冷淡な雰囲気と死 後の不安を生じさせるのである。その不安を 取り除くために、家族以外の者や組織でも葬 儀を執り行うことができるという選択肢が定 着し、その実現可能性を高めることが必要に なるだろう。もちろん、その場合には、家族 とは異なる他者との親密で援助的な関係が築 かれていることが前提となる。

 このような家族以外の選択肢の実現可能性 を高めるには、あるいは家族が葬儀を遂行し やすくするためには、「消費財」としての葬 儀を見直す必要がある。長寿化、個人化によ る「香典」の減少とスタンダード・パッケー ジ化による葬儀費用の高騰が、葬儀を行う者 の負担を大きくしている。葬儀にかかる費用 の軽減が、「死後の安心保障体制」を回復す るための第二の課題である。葬儀が経済的交 換から社会的交換にシフトし、経済的負担が 軽減していくには、かつての共同体とは異な

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る自立した個人の共同性と連帯性が鍵になる だろう。

 以上、「家族の個人化」から葬儀の変化に ついて考察を進めてきた。現代社会において 失われつつある「死後の安心保障体制」を回 復するためには、「死者を家族に委ねる構造」

と「葬儀の消費財化」が変化していくことが 必要であり、これが葬儀と家族をめぐる現代 的課題であるといえるだろう。

引用文献

1)渡邊千恵子(2001)「社会的交換の観点からみた 日本の葬儀のメカニズム− 21 世紀に向けての課 題と消費者教育の役割−」『消費者教育第 21 冊』

日本消費者教育学会

2)山田昌弘(2004)「家族の個人化」『社会学評論』

54 巻4号 pp341-354  3)山田、同上論文 p.344  4)山田、同上論文 p.345 5)山田、同上論文 p.345

6)長津美代子(2004)「家族の個人化と夫婦関係」

袖井孝子編『少子化社会の家族と福祉』 p.18 7)礒田朋子・香月保彦(2008)「個人化」「個別化」

と「私事化」概念−概念の整理と指標化に向け て−『社会情報学研究』(広島文化学園大学) 

Vol.14 pp 69-74  8)礒田、同上論文、p.71 9)山田、同上論文 p.346 10)山田、同上論文 p.346

11)総務省統計局 HP 「平成 17 年国勢調査 結果の概 要」より引用

12)山田、前掲論文、p.350 13)山田、前掲論文、p.349 14)山田、前掲論文、p.350

15)渡邊千恵子(2006)「家族の私事化と葬儀の変化」

『尚絅学院大学紀要』第 52 集 p.133

16)碑文谷創(2006)「葬送の変化は現在進行形」

『SOGI』(表現文化社)HP

17)渡邊千恵子(1997)「葬儀生前契約の意義」、『尚 絅女学院短期大学研究報告』、第 44 集、pp.251-258 18)小谷みどり(2010)「葬儀を考える」『ライフデ

ザインレポート 2010.1』 p.46

19)渡邊千恵子(1992)「死のタブー」に関する考察

『 尚 絅 女 学 院 短 期 大 学 研 究 報 告 』、 第 39 集  pp379-386

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