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『徒然草』研究―第一三五段について―

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全文

(1)

一、はじめに

『徒 然 草』が ど の よ う な 趣 旨 で ま と め ら れ た か と い う 問 題 の 解 答は非常に難しい。これはあらゆる文学作品についての、共通す るテーマであろうが、 『徒然草』 は、 古典であるがゆえに、 さらに、 独創的なともいえる、様々な内容を含有する、いわゆる随筆文学 で あ る と 言 う 点 が、そ の 難 解 さ を は な は だ し い も の と し て い る。 それを乗り越えるには、様々なアプローチが考えられるだろうが、 全体の構成をふまえて追求していくのは一つの方法として有効だ と 考 え ら れ る。周 知 の こ と だ が、 『徒 然 草』は、上 下 二 巻 か ら 成 立している。そして、序段を含む総計244段の配列は、多少の 異同はあるものの、諸本によって大きく異なることはない。ほぼ 序段から最終段の「第二四三段」まで順番に書きつがれていった というのが通説である。 さて、 上巻の冒頭段 (序段) と最終段 (第 一 三 六 段) 、さ ら に 下 巻 の 冒 頭 段(第 一 三 七 段)と 最 終 段(第 二 四 三 段)は、最 初 と 最 後 に お か れ る べ き 何 ら か の 意 味(趣 旨) を持つと考えられ る

。序段と、第一三七段、さらに第一三六段に ついては、すでに本学「紀要」に、自己の見解を発表し た

。本稿 で は、そ の 流 れ を 受 け て、上 巻 の 最 終 段、 「第 一 三 六 段」の 直 前 に 存 在 す る「第 一 三 五 段」を 取 り 上 げ、そ の 存 在 価 値 を、第 一三六段との関係を中心に追求してみたい。 「紀要」では、第一三六段について、次のようにまとめた。 「さ て、本 段 の 存 在 価 値 は、前 段(第 一 三 五 段)と の セ ッ ト で

論 文

土 屋 博 映

(2)

『徒然草』研究 ―第一三五段について―

考えるべきだという、小松の見 解

はただしい。兼好は第一三五段 と第一三六段のセットで上巻のまとめとした、その意図は、人間 は本来何も知らないもので、知ったふうに振舞うとろくなことは ない、という意味ととらえたい。これは下巻最後の、父との「仏 問答 」

とも関連する。本段は、些細な出来事をたまたま上巻末に 置いたのではなく、まさに兼好の主張したいものとしてこの位置 に置かれたと考えることができる。 」 これを受けて、本稿は展開することになる。第一三六段は、第 一三五段に対し、どのような価値をもつのか、第一三五段は、第 一三六段に対し、どのような価値をもつのか、を追及するという ことである。

二、本文について

資 季 の 大 納 言 入 道 と か や 聞 え け る 人、具 氏 宰 相 中 将 に 逢 ひ て、 「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へ申さざらんや」 と言はれければ、具氏、 「いかが侍らん」と申されけるを、 「さら ば あ ら が ひ 給 へ」と 言 は れ て、 「は か ば か し き 事 は、片 端 も 学 び 知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそぞろごとの中に、 お ぼ つ か な き 事 を こ そ 問 ひ 奉 ら め」と 申 さ れ け り。 「ま し て、こ こもとの浅き事は何事なりともあきらめ申さん」と言はれければ、 近 習 の 人 々、女 房 な ど も、 「興 あ る あ ら が ひ な り。お な じ く は、 御前にてあらそはるべし。負けたらん人は、供御をまうけらるべ し」と 定 め て、御 前 に て 召 し あ は せ ら れ た り け る に、具 氏、 「幼 くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。むまのきつり やうきつにのをかなかくぼれいりくれんとう、と申すことは、如 何なる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、は た と 詰 り て、 「是 は そ ぞ ろ ご と な れ ば、言 ふ に も 足 ら ず」と 言 は れ け る を、 「本 よ り 深 き 道 は 知 り 侍 ら ず。そ ぞ ろ ご と を 尋 ね 奉 ら んと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負になりて、所 課いかめしくせられたりけるとぞ。

以上本文である。以下、本段の学説をいくつかあげておく。

「単 純 で 自 信 満 々 の 資 季 が、二 十 五 も 若 い 具 氏 に、ま ん ま と 負 かされてしまう。資季が、自らを知らない尊大さによって、衆目 の 前 で 失 敗 す る と こ ろ を、著 者 は 冷 静 に と ら え て 笑 殺 し て い る。 資季に対する具氏という、対照的な性格の設定もみごとであるが、 一段としては、前段の思想の一つの展開とみることができよう。 」

本 説 で は、 「対 照 的 な 性 格 の 設 定」 「前 段 の 思 想 の 一 つ の 展 開」

(3)

とあるところにポイントがある。

「こ の 段 は、前 の 段 に、 『無 智 に し て 大 才 に 交 り』 『雪 の 頭 を い ただきて盛りなる人に並び』などとあったのを受けて、老人の資 季が二十五歳も若い具氏に問答を強いて失敗した事実を叙したも のである。発端( 『御前にて召し合はせられたりけるに』まで) ・ 展開( 『大納言入道、負になりて』まで) ・終結と三段に展開して いるが、主要部は発端・発展の二つにあり、それも、劇のごとく 談話中心に運ばれている。宮中、あるいは院中における、交際場 裡の一喜劇的挿話であって、次の段と同じく、教訓的傾向は認め がたいが、前の段を書いた連想の展開として、かかる笑話を記す に至ったのであろう。 この段を劇的といったが、いかにも気負った、自信たっぷりで 尊大な老人たる資季と、一応謙譲で、礼儀正しく、しかも冷徹な 知性の人たる具氏との性格的対立が、二人の談話の上によく現れ ているのが認められる。そして、その話しぶりのうえにこそ、こ の段を書いた兼好の作家的手腕を認めるべきであろう。 」

本説は、 「前の段」を「受けて」とあること、 「発端・展開・終 結 と 三 段 に 展 開 し て い る」と い う こ と、 「主 要 部 は 発 端・発 展 の 二 つ」と あ る こ と、 「次 の 段 と 同 じ く、教 訓 的 傾 向 は、認 め が た いが、前の段を書いた連想の展開」とあることに、ポイントがあ る。

「兼 好 が 聞 い た ま ま の 話 は、お そ ら く こ の よ う な 会 話 体 で は な かったであろうが、それを会話体にして、このように生き生きと 筆録した構想は誠に見事なものである。 (中略) 問答の中に、資季と具氏の性格が浮き彫りにされており、その 場 の 雰 囲 気 や 顔 の 表 情 ま で も が 写 さ れ て い る よ う な 感 じ が す る。 ところで、兼好はどういう意図でこの話を記したのだろうか。資 季に対して非難めいた語を加えていないところを見ると、教訓的 意図はなく、資季という人間に興味を感じて、その人間の面白さ を語っているのではないかと思われる。 」 本 説 は、 「生 き 生 き と 筆 録 し た 構 想 は 誠 に 見 事」と あ る こ と、 「教 訓 的 意 図 は な く、資 季 と い う 人 間 に 興 味 を 感 じ て、そ の 人 間 の面白さを語っている」とあることに、ポイントがある。

本段は前段「第一三四段」を受けて成立していること、資季と 具氏の対象の妙、特に教訓的な意図はない、などというのが通説 になっているようである。

(4)

『徒然草』研究 ―第一三五段について―

三、第一三五段の内容の検討

ここでは、本段の内容について、いくつかの点から、検討を加 えたい。

1、資季大納言入道 藤 原 資 季。権 大 納 言。歌 人。勅 撰 集 に

(1289)没。

31

首 入 集。正 応 二 年

83

歳。具氏より

源具氏。宰相兼近衛中将。歌人。勅撰集に 2、具氏宰相中将

25

歳年上。

(1275)没。

16

首入集。健治元年

44

歳。資季より

とりとめもない、くだらないこと。 6、そぞろごと 以上、 れっきとしたこと。まじめな、重要なこと。 5、はかばかしき 盛大に。立派に。

15

賭け物をして問い争うこと。 、いかめしく 4、あらがひ 負わざとして課せられた供御のこと。

14

同輩または目下のものに対していう。 、所課 3、わぬし 謎々の一種。古来、諸説があるが、確定していない。

2513

歳年下。 、むまのきつ ご馳走。饗膳。

12

、供御 天皇または上皇の御前。

11

、御前 側近に仕える人人。

10

、近習 明らかにする意。 9、あきらめ 高遠なことでない卑近なことの意。 8、ここもと はっきりしない、確かにわからない。 7、おぼつかなき

1の資季と2の具氏が主たる登場人物。最終的には二人の地位 討する。

11

のキーワードについて取り上げたが、以下それぞれ検

(5)

は同じくらいだが、この話題の時点では、資季のほうが身分が上 である。藤原氏と源氏との家柄の違いもポイントかもしれない。 3 の「わ ぬ し」は、敬 意 は 薄 い。 「あ ん た」く ら い に 訳 す。こ の語で資季が具氏を見下げている可能性が高い。 4 の「あ ら が ひ」は、 「勝 負 し よ う」く ら い で あ ろ う。こ の 時 点では賭け物については明確ではない。 5の「はかばかしき」は、 「ちゃんとしたこと」 「しっかりした こと」である。本来の反義語は「はかなし」にあたるが、ここで は 後 の 6 の「そ ぞ ろ ご と」の 反 義 語 で あ り、 「そ ぞ ろ ご と」は 7 の「おぼつかなき事」との関連語となっている。 8の「ここもと(の浅き事) 」は、 「卑近なこと」の意で、前の 「そぞろごと(の中に、おぼつかなき事) 」に対応している。 9 の「あ き ら め」は、 「明 ら か に す る」意 で、前 の 会 話 の「問 ひ(奉らめ) 」に対応している。

区別する語。どちらも

10

の「近 習」は「側 近」 。同 じ く 女 性 の 側 近 で あ る「女 房」と

11

の「御前」に仕える。

が存在し、本段との関連をうかがわせる。

12

の 「供御」 は 「ご馳走」 の意。 次段の第一三六段にも 「供御」

なっていたと思われる。

13

の「むまのきつ」以下は、謎々だが、当時すでに解答不能に して課せられたものだから「所課」と表現した。

14

の「所課」はここでは「供御」と同じものだが、負けた罰と

る。軽く見過ごしてはならないだろう。 しく」がこの場面の資季と具氏の勝敗の結果の雰囲気を表してい

15

の「い か め し く」は、 「盛 大 に」な ど と 訳 す。こ の「い か め

本段は会話のやりとりが中心である。 地の文のほとんどが、 「言 ふ」 「申す」 であり、 会話を読み解くことが、 本段の本質をつかむ、 兼好の趣旨を理解するのに必要なことと思われる。以下、会話を 列挙し、検討する。必要に応じ、地の文も記す。 1、資季大納言入道 とかや聞えける 人、具氏宰相中将に逢ひて、 (地の文) 2、 「 わ ぬ し の 問 は れ ん ほ ど の こ と、何 事 な り と も 答 へ 申 さ ざ らんや」 (資季) 3、 「 いかが侍らん 」(具氏) 4、 「さらば あらがひ 給へ」 (資季) 5、 「 は か ば か し き 事 は、片 端 も 学 び 知 り 侍 ら ね ば 、尋 ね 申 す までもなし。何となき そぞろごと の中に、おぼつかなき事 をこそ問ひ奉らめ」 (具氏) 6、 「 ま し て 、 こ こ も と の 浅 き 事 は、何 事 な り と も あ き ら め 申 さん」 (資季) 7、と言はれければ、 近習の人々、女房など も、 8、 「 興 あ る あ ら が ひ な り。お な じ く は、御 前 に て あ ら そ は る

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『徒然草』研究 ―第一三五段について―

べ し。負 け た ら ん 人 は、 供 御 を ま う け ら る べ し」 (近 習、 女房) 9、と定めて、 御前にて召しあわせられ たりけるに、 (地の文)

と申す事は、如何なる心にか侍らん。承らん」 (具氏) ま の き つ り や う き つ に の を か な か く ぼ れ い り く れ ん と う 、

10

、「幼 く よ り 聞 き な ら ひ 侍 れ ど、そ の 心 知 ら ぬ こ と 侍 り。 む

11

、大納言入道、 はたと詰りて 、(地の文)

12

、「 是はそぞろごとなれば、言ふにも足らず 」(資季)

定め申しつ 」(具氏)

13

、「本 よ り 深 き 道 は 知 り 侍 ら ず 。 そ ぞ ろ ご と を 尋 ね 奉 ら ん と とぞ。 (地の文)

14

、 大納言入道、負になりて、所課いかめしくせられたりける

以上掲げた例について、検討する。傍線部はとくに注目の必要 があると考えられる部分。 1は、地の文だが、冒頭であるので、検討の必要あり。主語に あたるのが、 資季で、 目的語にあたるのが、 具氏である。 したがっ て、単純に考えれば本段の主人公は、資季ということになる。ま た資季には「とかや聞えける人」とついているが、具氏にはそれ はない。どちらも兼好の生年(1283年頃)前後に没している ので、兼好は、この二人と面識はない。だから段全体が、伝聞過 去の「けり」が使われているのだ。兼好は本段の内容を伝え聞い た上で、 兼好なりの再構成をしているわけだ。 この 「聞えける人」 の部分は、実は段末の

14

と呼応していると考える。それは

この会話はあまりにも唐突である。資季は具氏よりも き っ た も の。か ね て か ら 具 氏 に は 一 言 言 い た か っ た の で あ ろ う。 2 は、資 季 が 具 氏 を 認 め る と( 「逢 ひ て」と あ る)す ぐ に 口 を 出会ったものと考える。 なかったのであろう。 「逢ひて」は宮中の、 「御前」に近い場所で た述べるが、主役資季の脇役である具氏にはそれをつける必要が

14

でま

は『徒然草』全体でこの段に2例あり、あと1例しか用いられて 4は、資季が「さらばあらがひ給へ」と挑戦した。 「あらがひ」 資季にまったく臆していないことを意味している。 さあ、どうでしょうか、くらいである。短いが、和歌の実力者の 3は、それに対し、具氏は、短く「いかが侍らん」とこたえた。 んや」は、和歌について何でも教えてやろうということだ。 和 歌 に つ い て の 問 い な の で あ ろ う。 「何 事 な り と も 答 へ 申 さ ざ ら え て は ど う か。し た が っ て、こ こ の「問 は れ ん ほ ど の こ と」は、 は具氏の倍を数える。新進の具氏にその実力を示したかったと考 人が歌人であることに注目したい。勅撰集入集の数で言えば資季 (「れ」 )も あ る が、謙 譲( 「申 さ」 )が 使 わ れ て い る。こ こ で、二 には「言はれ」と尊敬のみが、具氏の会話には「申され」と尊敬 りげなく示している。後は敬語がその役割をはたす。資季の会話 のであるが、それは読者にはわからない。それを「わぬし」でさ

25

歳年上な

(7)

いない。 「あらそひ」と似ているが、 「あらがひ」は、正否・善悪 を決定する意味合いが強い。そこで「賭けをする」などといった 意味でも使われる。白黒決着をつけようじゃないか、といった意 味合いだろう。具氏の「いかが侍らん」に対し、資季はむっとし、 思わず口をついて出てしまったようだ。 5は、具氏の待っていましたという気持ちが会話の長さにあら われていると見たい。 「はかばかしき事」 は、 つまり 「和歌のこと」 で あ っ た の だ ろ う。 「学 び(知 り 侍 ら ね ば) 」は、 「和 歌 の 学 び」 を意味していよう。そこで「そぞろごと」が出てくる。この言葉 が後に活きてくる。ここで、資季は、まだ和歌に関わる「そぞろ ごと」として捕らえていたのかもしれない 6 は、 「ま し て」と あ る。つ ま り、本 格 的 な 和 歌 の 質 問 で も 答 えられる、 「まして」 些細な質問など、 簡単だ、 ということだ。 「こ こ も と」が や や わ か り に く い。辞 書 な ど に は、 「こ こ」を 強 調 し た表現だと記されているが、どうだろうか。また「あきらめ」に 注目である。 この語も本段1例のみである。 「あらがひ」 とか 「あ き ら め」と か 本 書 と し て は 個 性 的 な 単 語 が 存 在 す る の は 面 白 い。 2で「答へ申さざらんや」と言ったのが、ここでは「あきらめ申 さ ん」と あ る の に も 目 を む け よ う。わ か り や す く 教 え て や ろ う、 という意味ととりたい。さらに具氏を見下げていることになる。 7は、近習と女房が、会話に加わる。二人のやりとりは、彼等 (近 習・女 房)の 眼 前 で 行 わ れ て い た こ と が わ か る。資 季 は、簡 単に引き下がらない具氏に、面子をつぶすわけにはいかないのだ。 8 は、 「興 あ る」で 始 ま っ て い る。二 人 の 問 答 を 周 囲 が 興 味 を 持って見ていたということになる。ならば二人のやりとりは、口 角泡を飛ばすような激しいものではなく、お互いに表面的には冷 静さを保っていたことになる。 「あらそふ」 とあるが、 ここは 「あ らがふ」 に近似した用法である。 「あらがふ」 は内面性が強く、 「あ らそふ」 は外面性が強い、 ととらえておく。 「供御」 がここで出現。 「供 御」は 本 書 中、全 部 で 5 例、そ の う ち 3 例 が 本 段 と 第 一 三 六 段に存在する。本段との関連の強さは、この言葉でも判断できる。 9 は、御 前 で の「あ ら が ひ(あ ら そ ひ) 」と な っ た。私 的 な 勝 負が、公的な御前試合になったことを意味している。こうなって はどちらも後にひけない。

た こ と に な る。も ち ろ ん こ の う。 3の 「いかが侍らん」 は、 本段の構成において重要な会話だっ れは3も同様。名前が明示されるのは、おそらく強調表現であろ

10

は、具氏の会話だが、わざわざ「具氏」と明示している。こ

へんは具氏の仕返しの雰囲気がする。 下の謎々は、2の唐突な資季の発言と同様、唐突である。ここら

10

も 同 様 で あ る。 「む ま の き つ」以

11

は、 「大納言入道」 と名前が明示される。 これも3 ・

持ちだったからだと解釈しておく。 表現される。周囲の者の描写がないのは、おそらく資季同様の気 強 調 表 現 で あ る。 「は た と 詰 り て」で 返 答 の し よ う が な い 様 子 が

10

と同様、

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『徒然草』研究 ―第一三五段について―

でおさめようとしても、具氏はやめない。 見 事 に 具 氏 の 作 戦 に の っ て し ま っ た よ う だ。 「言 ふ に も 足 ら ず」 「そ ぞ ろ ご と」と 言 わ ざ る を え な か っ た の は、や む を え な い が、

12

は、困りきった資季の、やっとの思いの返答である。しかし、

くすると、この の会話がこの会話の伏線になったいたわけである。5の会話を短

13

は、 「深 き 道」が、和 歌 の 道 を さ す の で あ る と 考 え た い。5

13

の会話になることが確認できる。

氏でなく、資季であることが確認できる。 る 人、 」に 呼 応 し て い る の で あ る。こ こ で、本 段 の 主 人 公 は、具 ように思われる。最後の「けるとぞ」が、冒頭の「とかや聞えけ 「いさぎよく盛大に」 、負けを認めたことへの、兼好の評価がある ということになろう。 「いかめしく」 にも注目したい。 負は負だが、 く、作戦に負けたわけで、極論すれば具氏の「屁理屈」に負けた 「負 に な り て」と あ る こ と に 注 目 し た い。完 璧 に 負 け た の で は な 言 葉 も 本 書 中、こ こ と、他 に 1 例 し か な い。 「負 て」で は な く て、

14

は、まず、 「大納言入道、負になりて」とある。 「負」という

和歌の名手資季が、若手の具氏の鼻をへしおろうかと考えたが、 和歌ではなく、とんでもない謎々で、逆襲をくらったという話で ある。しかし、具氏の作戦が常識外であったこともあり、資季の 歌 人 と し て の 面 目 は い さ さ か も 失 っ て い な い と こ ろ に 注 目 す る。 屁理屈に負けても痛くもかゆくもないわけで、そこであっさり負 を認めて盛大にご馳走したということは、負けた資季の株をあげ た 可 能 性 も あ る と 考 え た い。な お、藤 原(資 季)氏 と 源(具 氏) 氏の勝負、ということも関わるのかもしれないが、本稿ではふれ ない。

四、おわりに

本段第一三五段は、続く段、第一三六段と類似している。しか し、その内容は相当異なる。どちらも主人公が上から目線で「何 でも答えてやろう」と言っているのであるが、本段がどこかしら 「め で た し め で た し」の 印 象 が 感 じ ら れ る の に 対 し、後 段 は 手 厳 しくとっちめられたというふうに感じられる。それは最後の表現 によるのである。本段は「いかめしく」が、華やかさを引き出し ているが、後段は「まかり出でにけり」である。主人公がその場 をもりたてる本段と、主人公が消えてしまう後段ではおのずと主 人公の人間的価値が異なるのである。 本段は、和歌の名手資季と和歌の新進気鋭具氏との問答である が、その和歌に関わることなく、それとまったく無関係と言って いい謎々で勝負がついたところにユーモアが感じられるのである。 ところが後段は医師が政治家に、医学(薬学)の教養的知識を問 うたのに、基本的なことも答えられなかった。専門家として、大 恥をかいたのである。本段は笑い話ですむが、後段は専門家とし

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て立ち上がれないほどの打撃をうけたといっても過言ではない。 まとめれば、本段により、後段が導かれたと考えてよい。本段 は、後段の引き立て役であって、兼好が主張したかったのは、後 段であるということだ。 これについては、 小松英雄が同様の指摘をしてい る

((

。 彼は、 「本 段は、ただの法螺なら、笑ってすまされるということを示し、後 段は、専門的な事柄について法螺をふいたら命取りになりかねな い、ということを示しており、この二つの順序を入れ替えて逆に すると、 「しまりがなくなって」しまうと述べている。 なお、本稿ではふれられなかったが、いくつかの学説に、本段 は、前段の第一三四段と関連する旨述べられていたので、次には、 第一三四段と、本段、後段との関連を研究してみたいと考えてい る。

『徒然草抜書』(小松英雄・講談社学術文庫)による。

45号」「第

46号」「第

 『徒然草講座第二巻』(吉沢貞人・有精堂)による。  『徒然草全注釈上巻』(安良岡康作・角川書店) 『徒然草』(日本古典文学全集・小学館)の頭注による。 『徒然草』(日本古典文学全集・小学館)の本文による。 『徒然草』の第二四三段で、最終段にあたる。 『徒然草抜書』(小松英雄・講談社学術文庫)による。 48号」所収。

9)『徒然草』(日本古典文学全集・小学館)の頭注による。

10)『徒然草抜書』(小松英雄・講談社学術文庫)による。

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