藤村の「初恋」と伊勢物語
著者 松原 秀江
雑誌名 大手前大学論集
巻 12
ページ 109‑128
発行年 2012‑03‑31
URL http://id.nii.ac.jp/1160/00000033/
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大手前大学論集第12号(2011)㎜1囲頁
藤 村 の ﹁ 初 恋 ﹂ と 伊 勢 物 語
松原秀江
要旨
﹁初恋﹂の詩の中の言葉を手がかりに︑この詩は﹃伊勢物語﹄を下敷にしていること︑そしてまたそのことから︑その初恋の相手は︑
訓染の大脇ゆうではなく︑明治女学校での教え子・佐藤輔子であることを述べた︒
キーワード"伊勢物語幼馴染の恋・二条の后・伊勢の斎宮︑大脇ゆう︑佐藤輔子︑ラブの翻訳語としての恋愛︑キリスト教︑林檎 幼
(109)
大手前大学論集第12号(2011)
一
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
ヘヘヘヘヘヘへやさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
ヘへ薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
(110)
ヘヘヘへ
わがこ・うなきためいきの
その髪の毛にか・るとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の木の下に
おのつからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
ヘへ問ひたまふこそこひしけれ
︑︑︑︑(1)云わずと知れた島崎藤村の﹁初恋﹂である︒この恋の相手は︑藤村と同い年の幼友だち︑ゆふ(勇)だと云われている︒ゆふは島崎家の
隣家︑酒造りと金融業を家業にする大黒屋・大脇信常の長女︒そしてその大黒屋は︑代々宿役人を勤め︑藩侯御目見や苗字帯刀も許されて︑
最盛期を迎えた十代目の信興(信常の父︑勇の祖父)には︑﹁大黒屋日記﹂で有名な自筆の﹁年内諸用日記﹂があり︑﹁馬籠古駅﹂の様子を
眼前に見るように伝えるこの日記が︑﹃夜明け前﹄執筆の藤村に多大な自信を与え︑父・正樹を主人公にするこの小説で︑信興も信常も伏
ヘヘヘヘへ見屋金兵衛・伊之助として登場することはよく知られている︒そして当時︑﹁近憐屈指の地位を確立﹂していた大脇家は︑中山道馬籠宿の
ヘへ本陣・問屋・庄屋を兼ねる名家だった島崎家とは︑﹁極く懇意で﹂︑﹁風呂でも立つと﹂﹁互に提灯つけて通ふほどの間柄﹂だった(﹃生ひ立
ちの記‑或る婦人に興ふる手紙1﹄)という︒趙
従って︑手習の為に正樹のもとに通ってもいたゆふと藤村(春樹)は仲がよく︑谷川で﹁腕まくり﹂に﹁裾からげ﹂で鰍すくいなどし︑q
ヘへ﹁女といふものに初めて子供らしい情熱を感じ﹂た(傍点筆者︒以下同じ)春樹が︑ふとゆふを﹁堅く抱締めたこと﹂もあったらしい︒だが︑
へつまこおくや﹁この子供らしさは︑近所の他の娘にも起り﹂(同上)︑妻籠奥谷に嫁に行ったおゆふは︑藤村の死後︑
ヘヘへ春さんが︑林檎が欲しいというので︑ちぎってやったが︑あんなことを考えていたとは︑ほんとにまあ早熟な⁝⁝
(2)と︑﹁七十二歳の穏やかな顔で笑ってみせた﹂と︑﹁木曾馬籠﹄には記されている︒ゆふの甥になる文平(大脇家十三代目)も︑
﹃初恋﹄の思い出といふものは︑お聞きになってますか
と聞かれ︑
当人には︑⁝⁝べ︑べつにどうということも︑なか︑なかったようです
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへと︑﹁幼児のように可愛﹂い笑顔で︑﹁ニッと笑った﹂と伝えられている︒ゆふその人も会ってみると︑﹁藤村と通じる何かが感じられ﹂る
﹁きわめて控え目な話しぶりで﹂︑
藤村の﹁初恋﹂と伊勢物語
大手前大学論集第12号(2011)
ヘヘヘヘへ礼儀正しい応接の態度は︑最後まで少しもくずれなかった︒
という︒
﹁初恋﹂のモデル(ヒロイン)と考えられてきたゆふは︑藤村記念堂建築など︑何の報酬も期待せずに成し遂げた﹁ふるさと友の会﹂の
ヘへもの人達に︑﹁おゆふさま﹂と呼ばれ︑元は島崎家のものだったにもかかわらず︑島崎家没落の過程で大黒屋︑即ち大脇文平の所有になってい
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘへた隠居所(藤村の祖母が住んだ︒彼女は﹁相応に名のある家から嫁いで﹂来ていた)に︑時々妻籠から来て住むこともあったようだが︑﹁隣りの
ヘヘヘヘへあた石垣の上﹂の︑﹁高い壁が月に映って見える﹂家に育ったゆふとの幼い恋を︑藤村は﹃生い立ちの記﹄の中で︑次のようにも記している︒
ヘヘヘヘヘヘヘヘへ何時の間にか私はこの隣の家の娘と二人ぎり隠れるやうな場所を探すやうに成りました︒私達は桑畠の間にある林檎の樹の下を歩き又
は玄関から細長い廟風の小座敷を通り抜けて︑上段の間の横手に坪庭の梨の見えるところへ行きました︒すると極りで︑若い艘が私達
を探しに来ました︒
と︒
ヘヘへこの部分が︑現実よりも文学に価値をおく︑藤村の手になる﹃生い立ちの記﹄のこの部分が︑事実にかなり忠実に書かれたとしても︑事
ヘヘヘヘへ実そのものであるかどうか︑それはわからない︒だが傍線部分に注目するなら︑これまで云われてこなかったことが︑見えてくるのではな
かろうか︒
︑︑︑︑︑よいきかへ︑︑(3)というのも︑﹁元禄の大家が明治の代に復活﹂り(﹃春﹄四)︑紅葉や露伴が﹁西鶴張りの文体で小説を書き人気を博した﹂頃︑即ち明治
二十年代︑﹃桜の実の熟する時﹄の足立(モデルは︑﹃文学界﹄同人︑馬場孤蝶と云われる)の蔵書の中に︑﹃一代女﹄があったように︑藤村も
(4)西鶴を読み︑﹃一代女﹄だけでなく︑﹃五人女﹄にも注目していたと思われる︒たとえば﹃若菜集﹄の﹁六人の処女﹂﹁おきく﹂の中で︑
ヘへお七はこひの
(112)
ために焼け
高尾はこひの
ために果つ
などと歌うように︒勿論︑東京に出て来た春樹(藤村)が︑身を寄せた同郷の恩人・吉村忠道らと共に︑しばく芝居を見ていたとしても︒
そのお七の恋物語は︑﹃五人女﹄巻四に﹁恋草からげし八百屋物語﹂として記されている︒そしてこの巻全五章はすべて︑﹃伊勢物語﹄初
(5)段から第五段まで﹁順序を変えずにとり合わせて構想化した﹂作品であると︑既に指摘されている︒
ヘへがここでは先ず︑﹃生い立ちの記﹄の傍線部分の特に﹁艘﹂の語に注意して︑﹃五人女﹄巻一﹁姿姫路清十郎物語﹂の︑お夏と手代・清十
郎の恋を監視する﹁兄嫁﹂が︑次のように描かれている(一の二)ことに注目しておこう︒
ものだねヘヘヘへ ヘヘヘへやうく聲を聞あひけるを楽しみに︑命は物種︑此懸草のいつぞはなびきあへる事もと︑心の通ひぢに︑兄嫁の關を据へ︑毎夜の事を
油噺なく︑中戸をさし︑火用心めしあはせの車の音︑聯鳴よりは恐ろし︑麟
と︒この所の傍点部分は︑二条の后と業平の恋を描く﹃伊勢物語﹄第五段と無関係ではないだろう︒全文あげてみよう︒q
むかし︑男ありけり︒東の五条わたりに︑いと忍びていきけり︒みそかなる所なれば︑かどよりもえ入らでわらはべの踏みあけた
つつ つヘヘヘヘヘヘへるついちの崩れより通ひけり︒人しげくもあらねど︑たび重なりければ︑あるじ聞きつけて︑その通ひ路に夜ごとに人をすゑて守らせ
ければ︑いけどもえあはでかへりけり︒さてよめる︒
人しれぬわが通ひ路の関守はよひよひごとにうちも寝ななむ
とよめりければ︑いといたう心やみけり︒あるじ許してけり︒二条の后に忍びて参りけるを︑世の聞えありければ︑兄たちの守らせた
まひけるとそ︒
いささか長くなるのも厭わず︑全文記したのは︑﹁初恋﹂について︑
ヘヘヘへ の の 第四連は現時点からの回想であるが︑その想像は﹁伊勢物語﹂の︿築地の崩れより通﹀った男の一段の連想であろう︒第三連を除けば︑
ヘヘヘヘヘヘへ初恋といふ題にふさわしい雅醇な恋愛詩である︒
藤村の﹁初恋﹂と伊勢物語
大手前大学論集第12号(2011)
(6)といった指摘があるからである︒﹁初恋﹂第四連三行目の傍に○印をつけた﹁踏み﹂も︑﹃伊勢物語﹄第五段の﹁踏み﹂からの連想だろう
か︒
更に右の文の︑
ヘヘヘヘヘヘへ初恋といふ題にふさわしい雅醇な恋愛詩である︒
ヘヘヘヘへの傍点部分に注目するなら︑誰しも﹃伊勢物語﹄第二十三段︑筒井筒の幼馴染の恋を思わずにはいないだろう︒そして﹁初恋﹂第一連冒頭
部分の︑
ヘヘへまだあげ初めし前髪の
は︑﹃伊勢物語﹄のこの段の︑
ヘヘへくらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
の歌に重なっていると思うに違いない︒そもそもこの段は︑樋口一葉の名作﹃たけくらべ﹄の題そのものの拠り所でもあった︒少女の右の凶
歌を導き出した幼馴染の少年の歌︑q
筒井つの井筒にかけしまうがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
の○点を傍に付けた部分に︑少女の返歌の同じ部分を足せば︑一葉の名作の題名になる︒一葉は平田禿木に借りて︑上巻に﹃五人女﹄の載
る帝国文庫第二十四編・二十五編の﹃諏西鶴全集﹄上下巻(明治二十七年五月・六月博文館尾崎紅葉・渡部乙羽校訂)を読み︑鴎外が﹃三人
冗語﹄で︑
ヘヘヘヘヘヘへお七が吉三のとげをぬきてやる前人の藍本もあるべく
(7)と評した﹃たけくらべ﹄を書いている︒その禿木らと﹃文学界﹄を創刊した藤村は︑﹃文学界﹄に発表される﹃たけくらべ﹄(明28・1〜
29・1)に﹁早くから注目し﹂︑﹃文学界﹄の編集・経営にもあたった星野天知に︑三月四日付書簡で︑
ヘヘヘヘヘヘヘヘへ今月の﹁文学界﹂兄が枕頭にありと存候︒(中略)一葉子の筆力ますく新らしく︑實におそるべき秀才と存候
と書き送っていた︒同い年の一葉の作家としての存在が︑透谷亡き後の藤村を刺激し︑一気に﹁詩への関心﹂と﹁意義﹂を高めた藤村は︑