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マルクーゼにおける芸術把握

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マルクーゼにおける芸術把握

一美的なものの再定義のためにW一 Kunstbegriff bei Herbert Marcuse

一一一一yur Wiederbestimmung des Asthetlschen買一

中 尾 健 二

Kenji NAKAO

1

 今夏,マルクーゼの死が報ぜられた。N−一ロッパでの死であった。八十歳を祝う雑誌の記念 号一たとえば,》Akzente<1978.6,,Es ist gut, daB es Sie giもt 一を見て,一年たらず のことであった。ナチに追われて亡命していらい,アメリカに居をかまえていたことからすれ ば,客死というべきだろうが,かれの思想を育んだのは,ドイツ観念論とりわけヘーゲル,マ ルクス,フPtイトくわうるにハイデガー,マックス・ヴ=・−7〈一といったドイツ語文化圏に属 する人々であったとすれば,その死は住みなれた家での死と呼ぶにふさわしいものである。思 うに,ドイツ観念論から首El−一一貫して取り出される帰結を現代において体現してしまった,そ れもきわめてナイーブに体現してしまった思想家は,かれをおいてほかにはないのである。

(講壇哲学者には,このことは真剣に受けとめて竜らいたいものである。)かれに近いアドル ノからして,どう見てもナイーブとはいいかねるからである。アドルノの繊細な感受性は,晦 渋な文体によって重武装され,読者の三段論法的理解への姿勢は,きれぎれに重なり,ラセソ 的にうねっていくアフォリスティシュな語法によって遮断される。公理的命題から紡ぎだされ

る演繹的論理,このデカルトの文体の破壊にかんして,アドルノは・一一一・一一・つの典型をなしている。

それにくらべて,あのマルクー一ゼの無味乾燥といって竜いいほどの文体のナイーブさはどうで あろうか。アングP・サクソン的な経験的社会研究の摂取にマルクーゼ以上に熱心であったア ドルノが,自らの思考はドイツ語によってしか展開しえないとして,亡命先のアメリカからド イツへ帰ったのにたいし,マルクーゼが英語で書きつづけたということは,おそらく思想の質 にかかわる。アドルノの思想的出発点には,シェーソベルクを中心とした現代音楽の理論化の なかで深く経験された芸術の問題化,伝統との切断がある。とりわけ,その切断は,表現の形 式一一調性をもった音楽から無調音楽への転換一において,するどく意識化されたものであ

る。それは,思想内容のレベルにおいても,たとえばヘーゲルの継承にさいしても,アドルノ にきわめて屈折した姿勢をとらしめているのである。ところが,こうした思想的原体験をマル

クーゼにもとめることはできない。かれは,現代においてもっともアクチュアルとかれが考え る契機を,伝統のなかから取り出し,改釈し,提示するが,その手さばきはあくまで屈折して おちず,直線的であって,伝統の積極面へ連続する志向が支配的である。こうして提示された 理論は綱領的であって,このスタイルの綱領性が,一時かれを教祖的存在とするにあずかった

一一 W5一

(2)

ものであったろう。そして綱領的なスタイルは,自然言語の竜っている微妙な襲を必要としな い。ドイッ語に執着することもなくなるわけである。・=アソスの喪失という代償を払って,

それはグrr 一一バルな,あらゆる人々にむかってなされる,行動への鼓舞のごときものになった のである。同じシ轟一レに属するとはいえ,つまり一定の認識を共有しているにもかかわらず,

アyルノの文体が人々を内省に誘いこむように思われるのに反し,Vルクーゼの文体は外を指 示しつづけている。

 では,マルクーゼの綱領にはなにが記されていたのか。要言してしまえば,それは,市民社 会のなかで中断され,抑圧された解放の現代における,つまり高度産業社会という条件下での 再措定であった。市民社会の成立とともに,市民階級は解放の役割を放棄し,=スタブリッシ ュメソトとなって,解放の抑圧へとその役をかえた。第三階級の権力掌握のファソファーレは,

第四階級の登場のそれでもあった。さらにソ連型マルクス主義は,高度に発達した資本主義社 会に生きる人々の要求に答えるものたりえない。能率的でスマートな中央集権的管理社会は,

ホワイト・ハウスの夢であると同時にクレムリソの夢でもあるだろう1》。マルクスの革命理論 の人間学的基盤をさく b2>,さらにそれをフPイトの衝動理論という生物学的基盤に結びつ け3},ヴ=一バーの合理化論を継承することによっで}, トータルな管理社会,<一次元的社 会〉のなかで蚕食されつつある人間の主体性の危機を凝視することのできたマルクーゼは,高 度産業社会という条件のもとで妥当する解放のプログラムを人々に提示しようとしたのであっ たe

 r三つのMJの一つにまつりあげられるにいたった成行きは,「名声とは誤解の総計にすぎ ない」(リルケ)といった事情竜たしかに介在したであろうが,あの60年代後半の学生反乱の

うちに躍動していたいくつかのモチーフは,マルクーゼの思想的モチーフでもあったことは否 定しようがないのである。その学生反乱のなかでもっとも有名となったスT・・一ガソ>1 ima・

gination au pouvoir<(権力に想像力を!一マルクービ自身『解放論の試み』のなかで引 用しているが一)は,マルクーゼの思想をささえる三本柱であるマルクス,フTtイト,ヴェ

ーバーを越えて,遠くドイツ観念論の美学的考察と反響しあうものである。とうに息の根をと められたはずの魂(美しき魂?)が,マルクーゼという肉体をえてよみがえり,学生反乱の季 飾のなかで政治的パワーさえ持つにいたったということは,奇妙なめぐりあわせだったのだろ うか。いや,そうした奇妙さの印象を生みだす大半の責任は,骨董品ばかり相手にしているわ が国の美学者や芸術学者が,事の核心をとらえそこない,さらに哲学者や社会科学者がこうし た動機をとらえる視野をもたなかったことにあるのである。マルクー一一Eの思想の中心には,一 つの芸術理論があり,・それが思考を展開するモーターなのである。マルクーゼについては,わ が国では哲学者や社会科学者が多く発言しており,かれの芸術把握については落丁の感をまぬ がれえない。(『解放論の試み』の訳者である小野二郎が,この著書を芸術論ないし芸衛運動論

として読むことを示唆しているのは,注目にあたいする。)したがって,本論ではこの点,す なわちマルクーゼの芸術把握に議論をしぼりたいと思う。かれの死PX−一一つの機縁でもある本論 であるが,およそ思想家にたいする竜っとも礼儀深い対処のしかたは,かれの思想の批判一 拙論ではその準備作業の域をでないけれども一にあるのであってみれば,時機にもかなうも

のであろう。

1) マルクーゼは,ソ連型社会と資本綱桂会の単純な同型化論の立場には立っていない。ソ連社会の内  在的批判を貫徹した『ソビエト・マルクス主義』(Sovjet Marxism 1958,邦訳:片岡啓治サイマ

(3)

  ル鐵版会干lj)参照。

2)直接マルクスをあつかったものとしては,さしあたり『初期マルクス研究』(良知力訳編未来社   刊)を参照。

3)大ぎな著作としては,>Eros and Civ三lizatioA<1955(邦訳:南博ilエ nス的文明』紀伊国屋書店   刊)参照。簡潔な解説としては,片岡啓治「性器的体欄とユートピア」(マルクーゼ『生と死の衝   動』合同出版刊所収)あたりがよくまとまっている。

4) マルクーゼのヴ= 一一 A  pt ge釈をめぐっては,最近,山之内靖「個体的所有範蟷の再審」 (『経済評   論』濤本評論社刊 1978.11から断続的に連載中)のなかで,かなりくわしく取り上げられている。

1

 マルクー一・ Eの理論内容に立ち入るまえに,マルクスの解放志向的社会批判の精神を受け継こ うとする美学が,一・一・・一・般にどのような困難性一もちろん,この困難性は,換言すれば優越性で あって,困難性を切り捨てて成立している左右の美学的思潮への批判を暗に含むものである一 一をかかえているかを,まず一一twしておきたい。そして,マルクーゼがこの困難性にたいして,

いかなる展望を切り拓いているかを次節で明らかにすることによって,ありうべき美学への試 みのなかで,マルクーゼの理論が占めるべき位置価を探っていぎたいと思う。

 では,言うところの困難性とは,どのような事態から生1じてくるのだろうか。それは,美学 というものは,その対象を,一方で歴史一社会的媒介において,つまり通俗的には,社会の 観念的上部構造の一部として説明し,他方でそれにもかかわらず,その同じ対象を経験的な社 会状態へと還元することのできない批判的一解放的潜勢力として理解し,評価しなければな

らないという事態からなのである。ここで「還元することのできない」という意味は,われわ れの理解によれば,美的な現象というものは,社会的実践によるその実現を通じて疎外なき社 会が成立する時にはじめて,社会的存在のなかへと揚棄されるということであり,そこにいた るまでは,美はその超越的契機を失わないということである。こうした弁証法的構想のもとで はじめて,芸術至上主義的な,すなわち美的価値をそれ以外の世界から自立化してとらえる方 法一具体的手続きとしては,作品内在的インタープレタツィオーソとか形式分析としてあら われる一一と様々な還元主義的方法との批判的媒介が可能になるであろう。還元主義釣方法の 名において,われわれは以下のごときものを考える。すなわち,作品の真理内容を作者の心的 過程に実証主義的に,あるいは精神分析的に還元するもの,それを党派的一ll皆tw的利甕関心に 還元してしまう通俗Vルクス主義的方法(もっとも,その古典的レベルからして,レー=ソの 党のための文学の提唱からエソゲルスのリアリズムの勝利論まで,けっして一様な完結したも

のではないが),さらには美の真理内容を理解可能なものとして哲学的概念へと揚棄してしま うへ一ゲルのく芸術の終焉〉というテーゼ,くだってはガダマーの美的なものの解釈学的還元 などである。ガダマーは,芸術作晶と生活世界を結びつける意味の連続性(Sinnkontinuitat)

の設定のもとで,伝統の連続性に対抗する芸術の批判的一論争的機能を見すごしがちである。

独自の形式を通じた,ある局面では秘教的色彩すらおびる芸術の自立化:美の結晶作用一具 体例をあげるとすれば,『夜の賛歌』から『オルフ21・イスにささげるソネヅト』に.いたるドイ ツ野情詩やフラソス象徴iin義一一一一,さらにとりわけ現代芸術に顕著な,理解されることを拒否 する振舞や伝統の意味作用を宙吊りにすることをねらった作品一絵画におけるデnシャソや

ルネ・マグリットの仕事,音楽における様々な形式上の留険,無調音楽は調性になれた耳には

・− W7一

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スキャソダルでしかない一これらの真のモチーフを適確にとらえる視点を,総じて還元主義 的立場はもちえないのである。〈自由な文化〉(マルクーゼ)のなかで,人間達の実際の振舞 や経験のうちに実現される美こそがはじめて,解釈学的に理解可能でもないし,ヘーゲル的な 概念のうちに包摂されもしない,形式という謎をはらんで封印された美を揚棄するであろう。

 こうしたことから帰結する姜学の学問的性格は,その対象が歴史一社会的媒介のうちにある 作品ないし美的経験である以上,自律的な哲学理論ではありえないし,美の経験的諸関係を超 越する意味を確保する以上,経験的社会科学や解釈学的精神科学に還元屯されえないことにな るだろう。さらに美学を,イデオ戸ギー批判へと吸収してしまうことも困難であろう。なぜな ら,美学は,なるほど美的な仮象>Schein<をイデS− peギー的仮象一般の一一一・99としても主題化 するのであるが,一方でこの仮象rをユートピァの出現>der utopische Vorschein<(E.ブPtッ ホ)として,現存社会への対抗的モメソトとしてとらえ,ここからイデ」1− Ptギー批判の基準そ のものを取り出そうとするからである。

 上でいささか性急に定式化した議論を,やや別の視角から,すなわちドイツ観念論のなかで の美学的考察(以下古典美学と呼ぶ)を,現代の意識がどのようにとらえているかという視角

からパラフtz・一.ズしてみよう。

 古典美学を,われわれはバウムガルテソにはじまリシェリソグにきわまる一連の思想傾向と 理解する。その端緒をなすバウムガルテンは,論理的認識とならんで,それを補完するものと して,感性的一美的認識をおぎ,それに真理のオルガノソという地位を,はじめて体系的なか たちで付与したのであった。これが,シェリングにいたると,芸術は「哲学の唯一真なる永遠 のオルガノンj i)という地位に昇格し,哲学史上最高の位置にすえられることになる。芸衛こ そが,絶対的な主客の同一,人間と自然の和解をもたらすとされるのである。このシ=リソグ の構想は,はやくもへ一ゲルのく芸術の終罵〉というテーゼによって反駁されることになる。

ヘーゲルによれぽ,芸術は「今日のわれわれの生活のなかで,もはや真理の現存の最高のあり 方ではない」2}とされるのである。このテーゼは,たんにへ一ゲルの絶紺精神の哲学からの思 弁的推論つまり概念の優位という体系的要請による芸術の疑価とだけ片付けることのできな い問題をふくんでいる。ハイネが1828年に語ったrゲーテの揺りかごではじまり,ゲーテの棺 で止むであろう芸術時代の終焉」を重ねあわせて考えるならば,ヘーゲルのテーゼは,一つの 歴史的経験に根ざすものであったことを否定できないのである。ようやく高度化しつつある市 民的産業社会は,一個の,多かれ少なかれ欄約された芸術家的個性の容器を,その社会のもつ 膨大な内容ゆえに破砕してしまうだろう3),というへ一ゲルの認識は,後ろ向きというよりは 前向きのものであったといえる。天才と天才美学は,その維持が困難となる。かれらの活躍し た古典主義と瞬マン主義の蒔代は終り,新しい時代をむかえようとしていた。〈芸術の終焉〉

は,時代の,とりわけ青年ドイツ派の共通のスPt・一ガソとなる。いやそれどころか,ヘーゲル 本人の意図にかかわりなく,つまり19世紀芸術の予測という性格をこえて,かれのテーゼは現 代へとつながるスP一ガンにさえなるのである。ヘーゲルは芸術時代の幕引き人たる資格十分 の大物であるが,かれの世界精神は世界精神でまた,青年へ一ゲル派の論駁にさらされ,やが てマルクスによって命脈をたたれることになる。三月革命の激動のなかでは,世界精神の威光 も,ミューズの歌声もかき消されようというものである。芸術は全体の真理のオルガノソであ ることをやめて,部分的なものになり,美学もまた命運をともにする4)。美学にかわる芸術

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学の隆盛と現代芸術の動向は,それを裏書きするものといえるだろう。「ユートピアの(すな わちユニヴァーサルな芸術作品の)断念」5)が,反省度の極端なたかまり,形式上の冒険など が,現代芸術に特徴的な性格となる。カフカのロマーン,展示された便器,音のきこえない音

      の   e   り   む    

楽作品は,「美しい」という形容詞を拒否する。これら美しくない芸術作品の存在は,芸術の 延命をこそ語ちうが,美学の雑持を語るとは思えないのである。こうした意識,古典美学への 否定的診断は,W・エールミュラー6), H・R・ヤウス7)などの立論にうかがうことができるe  一方,芸術の真理内容への問いは,H・G・ガダマーによって,現在ふたたび哲学的考察の 前面へ押し出されている。かれの主著である『真理と方法』は,自然科学の真理性に対抗して 人文科学の真理性を,前老を包括するより根源的なものとして大規模に措定する試みであるが,

美学の洞察もこの墓本的方向にそって農開される8〕。ガダマーによれば,〈体験〉から構成さ れた美学というものは,芸術の真理内容への問いをおおい隠してしまう,とされるのである。

天才のうちに美学の根拠をもとめるカソ5の理論は,その後の美学の主観主義化に通じており,

この主観主義化を,ガダマーは,自然科学的世界経験の暗黙の優位から解明している。そうし た美学は,徴界経験の反論の余地のないパラダイムとして,自然科学的世界経験を絶対的に前 提しており,美学の中心的諸概念は,それの引き立て役であるという点でのみ意義を有してい るというわけである。模倣,仮象,幻想,夢などといった概念は,美的存在とは区別される本 来の存在への関係を前提としており,美的真理はそこから二次的に構成されるという体葡をガ ダマーは批判するのである。美的知覚が,もっぱら天才の体験という点的性格(Punktualittit)

のうちに主観主義的に定礎されるならば,その結果,受け手の生活実践全般との関連といった 問題は視野から消失してしまうというのである。

  「葵的経験もまた,自己理解の一つのあり方である。しかし,すべての自己理解は,そこで理解され  る他なるものにそって遂行されるのであり,この他なるものと一つであり,同じであるということをふ  くんでいる。われわれが,世界のなかで芸術作品に,そして個々の芸術作品のなかで一つの世界に出会  うかぎり2この芸術作品は,われわれが一時的にそこへと魔法で導きいれられる疎遠な宇宙であるにと  どまらないのである。むしろ,われわれはそのなかで自分たちを理解することを学ぶのであり,体験の

非連続性と点的性格を,われわれの生存の連続性のなかで揚棄するのである。……直接性とか,瞬間に おける天才性とか,〈体験〉の重要性とかを引き合いに出しても,それは自己了解の連続性と統一への 人間存在の要求のまえでは持ちこたえることができないものである。jg,

 ガダマーが芸術作品を経験することのなかで開示される生活実践上の意味(真理性)を解明 することをもって,美学の課題とした点は首肯しうるものであろう。しかし,「芸術を正しく 評価するためには,美学は己れ自身を越え出て,美的なもののく純粋性〉を放棄せざるをえな い19>」とされるとき,ある種の作品は,それにおもたい沈黙をもって答えるのではないだろう か。純粋性とは,形式を通じた作贔の自立(自律)化のことであり,ガダマー的観点のもとで,

この形式のはらむ謎がどの程度解明されるか疑問なしとしないのである。こんどは美的なもの の特殊性が,おおい隠されはしまいかという危惧が生じざるをえない。技法上の労苦のもとに えがかれた風景画が,観光旅行によって追い越されてしまっては困るのである。(観光旅行も また,風景画の意味のわれわれの生存への一つの揚棄ではあるのだが……)現存の社会で流通 している意味へと解釈学的に還元しえない美的経験の残余こそ,その不可解な魅力ゆえに,そ の不可解なプpaテストゆえに,未到のユートピァを指示しているといえないだろうか。

1)Schelling, Werke hrsg. v. M. Schrもter, Bd』,S.627 2) 〕KegeL Asthetik, ed・F・Bassange, Ber玉in 1955, S・139

一89一

(6)

  z1tlert nach JauB. Vg】. Anm.5)

3) VgL lbid. S.958f.

4) VgL D. He皿rich, Kunst und Kunstph三10sophie der Gegenwart,(ヨn)Immanente Asthetik.

  Asthetische Reま1exion, MUnchen 1966, S.15

5) H・R.JauS, Das Ende deτKunstperiQde−・Aspekte der Literarischen Revoluti◎n be三He魚e,

  Hugo und Stendhal,(in)Literaturgeschヨchte als PrQvokati◎n, edit玉on suhrkamp 418, S.1三4

  (邦訳;轡田収r挑発としての文学史』岩波書店刊145ページ)

6)Vgl. W、 Oelm曲er, Hegels Satz vo艶Ende der Kunst und das Ploblem der Phil◎§。phie deτ   Kunst nach Hegel,(in)Phil◎sephisches Jahrhuch 73,ユ965

7)上掲書参照

8)Vgl. H. G. Gadamer, Wahrheit und Methode,2. Aufl. Tttbingen 1965, besonders I,2Sub・

  jektivierung der Asthet三k duヱch Kant und I,3Wiedergewinnung der Frage箆ach der   Wahrheit der Ku耐.

9) Ib圭d. S.92 ヱ0) 工b三d.S.88

 マルクーゼのけっきょくは最後となった,1977年に公刊された著書の題名が,,,Die Per・

manenz der Kunst (『永遠なる芸術』とでも訳すべきだろうか)であったことに,かれの読 者はある感概をi禁じえないのでなかろうか。なぜなら,かれこそ,現代におけるもっともラデ

ィカルなく芸術の終焉〉論者と目されていたからであり,そのトーソの変化は,幻滅と批判と 賛同をともないつつ,今後とも賛否両論をまきおこしていくにちがいないからであるエ》。われ われは,ここに『永遠なる芸劒にいたるマルクーゼの芸術理論の軌跡をたどることによって,

今後のかれをめぐる議論のための橋頭保をきずいておきたいと考える。

 (1)美的経験の性格描写

 マルクーゼは,もっぱら芸術のなかに開示される美的なもの(das Asthetische)を対象とす るバウムガルソからヘーゲルまでの古典美学の伝統一自然美の意義について本論では立ち入 らない2》一におおくを拠りつつも,最終的には,それと挟を分かって,抑圧なき文化の新し

       の   の       つ   り   む   り   こ   り   ゆ   e   コ   じ    

い定義をめざす唯物論的文化理論の粋組のなかで美学を展開する。ここで興味深いのは,マル クーゼがヘーゲルによって宣言されたく感性論→芸術の哲学〉をもって美学とするテ・一一 ifを転 倒して,〈芸術の哲学→感性論〉というテーゼの回復を試みているとみられる点である。すな わち,マルクーゼにとっては,芸術論そのものの展開が問題なのではなく,美的経験(die asthetische Erfahrung)のもつ社会批判的働きの規定こそ問題だからである。その際,美的経       ロ   む

験は,なるほど芸術のなかで典型的なかたちで分節されるわけであるが,芸術作品にしばりつ けられているものではないのである。美的経験は,芸術との交渉のなかで構成されるのである が,しかし,この芸術は美的なものの,そのときどきの具体的な歴史的段階をなしているにす ぎないのである。芸術のなかで実現される,この美的経験を本質的に,したがってすくなくと       の    も高度文化以降の歴史を貫通して規定するものは,経験的存在を超越する働きである。美的経 験は,生活の物質的生産・再生産の彼岸に自律的な領域として溝成される。それは喀体のE 常的ないし科学的な経験とはまったく別の」3) .ものであり,芸術は,経験的に存立しているも のの達続性の彼岸に,一つの存在を現前させるのである。

(7)

  「詩的言語は,その力と真理の一切を,その他在性(Anderssein),その超越性から引き戯すように

 みえる」4}

       の   の  芸術における美的経験は,経験的存在者を超越することによって,社会のうちで社会に対抗

ほ       り   の

する位置につくことになる。この超越は,社会的に通用している知覚ならびに経験の尺度によ ってはもはや包括されない別の原理を構成する。そのかぎりで,美的超越の存在は,ある社会 が,日常的,実証科学的経験とは励の経験に,どの程度その余地をあたえる歴史的可能性をも っているかのインディケーターになるのである。だから,美的超越というものは,考えること と感じることに関して,画一的に自己完結してしまっている世界ではなく,その核心に闘争的 領域をはらんだ,ラディカルな変革への社会的エネルギーをつねに生み出す社会を前提してい る。したがって,規在のように高度産業社会の合理性の圧倒的支配一それは全体としては,

ますます非合理的なものになりつつあるのだが一一が,すみずみまでゆきわたりつつある社会 にあっては,

  「芸術は己れ自身を揚棄するところでのみ,生きのびる。芸衛は伝統的形式を拒否し,和解を断念す  ることによって,自己の客体を救い,生きのびることがでぎる。つまり,ここでは芸術は超現実的とな  り,無調になるのだ」5,

ということになる。現代芸術は,美的経験の超越的機能が極端なところへと追いやられている ことの証左とみなすことができる。なぜなら,

  「芸術がそれ独自の言葉を語りうるのは,既成の秩序を拒否し,論駁するイメージが生きているかぎ  りにおいてである」6}

のだから,現在の産業社会による芸術の商品化,すなわち様々な芸術作晶の大衆的受容がく超 越〉を均してしまう情況に直面した現代芸術は,否定の力をもっぱらラディカリジィーレンす ることによって,受容されることすら拒否しているようにみえるからである。モーツァルトの 短調がもっていたくショック〉,つまり当時の社会にたいする超越作用も,いまや映画音楽と なっては失せようというものである。受容を拒否する作晶,カフカは自分の書いたものの焼却 を命じたし,パウル・ツmランは自分の詩をさしあたって受け手のいない空きビン通信になぞ らえていた。そこでインディケーター一の針は,振り切ってしまったようにみえる。

 しかしながら,一話を基本的なところへもどして一一ee的経験の超越を可能にするものは,

そもそも何であるのか。それは形式である。美的形式化は,通常とはことなった仕方で客体を 現前させることによって,日常世界と科学のうちで物象化された,知覚と経験の尺度をつき破 るのである。

  「芸術があたえられた現実を超越し,既成の現実のなかで既成の現実に抗して仕事をするのは,宏さ にこの形式によってなのである。……芸術は,言葉音,像のなかで,その対象を再構成することによ  って,経験を変えるのである。」7}

 この美的形式が,内容(素材)を作品という一つの意味の全体性へとまとめあげるのである。

このことによって,個々の内容がもっていた個々の意昧は超越され,芸術という美的形成物は,

われわれの通常の経験からきわだつのである。これは,祭式行為(聖)が一定の手順を厳守す ることによって,鼠常生活(俗)から戴然と区別されることと類比的である。しかしながら,

       ゆ       り

こうした芸術の自立化は,そこに両義性をはらむことになる。すなわち,一方で芸術は和解な き社会に和解のイメージを対置し,その充実した作品の意味全体性を意味不在の現実世界に対 置することによって,既存の挫会を挑判するのであるが,他方,まさにこの形式によって,そ の批判は無力化され,偽りのものとされるのである。というのは,芸術は現実とは区慰される 世界,仮象の世界であって,そこで提示される現実は,美的尺度に従属させられ」その脅威を

一・ X1−一

(8)

奪われるからである。現実に出会ったら,恐怖の出来事であっても,芸術のなかでは,喜びや 楽しみの対象となるということは,芸術の本質と分かちがたいものである8)。芸術における和 解は,したがって,ヂ幻想的で,偽りのもの,虚構なのである。それは芸術の次元のうちに とどまりつづける。t・・…現実においては,恐怖と断念がなんら減ずることなく存在しつづけ るのである。」9)この芸術のもつ両義性を,マルクーゼはアリストテレスの理論と関係させてい

る。

  「芸衛のもつhタルシス作用についてのアリストテレスのテーゼは,芸徳の二重機能を要約している。

すなわち,対立させると同時に聯解させ,告発すると同時に許し,抑圧されたものを呼びもどすと同時  にそれをふたたび一純化しで一一抑圧するのである。jle)

 芸術作品は,経験的現実を超越することによって,その和解のイメージのうちに,より良き 可能性の意識を目覚めさせるのであるが,岡蒔にこのイメージは不幸な社会を補完するたんな る非現実的な慰安でもあるのだ。芸術は,既成の現実と和解するために,まずそれと分裂する,

ということになる。こうした意識は,イデオ撰ギー的上部構造へのマルクス主義的批判を経由 して,現代において,ますます尖鋭化してきている。それは,サルトルの「飢えた子の前で文 学は可能か」とか,アドルノの「アウシュヴィツ以降詩を書くことは,野蛮になった」といっ た名文句によって一般化したと言っていいであろう。右からの文化産業による芸術の蔓延(芸 術の体勧による体制への統合,民衆のアヘソとしての芸術)とそれに対立する現代芸術の問題 化によって,芸術を社会のく症候〉として,マルクス主義的な社会科学の分析対象とする方法 は,その有効性をましている。文化産業と国家権力による芸術の体欄化と現代芸術の反省の高 度化による伝統との断絶といった情況は,危機的なものであるが,それだけに,新しい社会へ の展望を背後にもつこの方法にアクチュアリティーをあたえているといえるだろう。しかし,

そうした方法の視座定位や批判をささえるパトスもまた,還元主義的方法によっては還元され えない残余としての美的経験の超越(不自由な社会にあって,その不自由の否定によって,自 由を幻視する芸術作品の経験)に,なにほどか拠っているにちがいないのである。薪しい社会 の具体的イメージ,そこでの感じ方や振舞にいたっては,なおさらそうだろう。それはブラッ ク・ボックスにしておくという態度も,たしかにありうるだろう。しかし,マルクーゼの選択 した道は,そうではなかったのである。かれは,市民社会のなかで,文化財として隔離され,

      の   の   の      の   ゆ

無力化された芸術・美的なものを,新しい社会のなかで,社会的生産力とすることを,つまり,

の   の   サ   ゆ       ゆ   の   の   の   ■

実践の構成的モメソトにすることを農望するのである。マルクーゼにおけるく芸術の終焉〉の 構想は,自由な社会のなかへ美的なものを,(へ一ゲル的意味で)揚棄することなのである。

換言すれば,美的なものが,社会的にどの程度支配的なモメソトとして実現されているかが,

その社会の自由をはかる尺度になるのである。

 (2)高度産業社会における美的なものの揚棄

 1955年の『=Pスと文明』において,マルクービは,美学とユートピァの関係をもっぱら芸 術の内部で規定していた。なぜなら,ここでかれは,美的に定式化されるユートピアの内実を,

想像力による先取りとしてのみ現実と関係させていたからである。その著書の「美的次元」と いう章は,歴史的文脈を飛びこえて,直接的にカントの『判断力批判』とシラーの『人間の美 的教育について』の解釈から展開されている。(こうした手続きは,古典的理論の歴史的解釈と いう場面では,間題をふくむだろうが,文化の駈しい定義のために美的次元を問題にしていく マルクーゼの志向の議論にあたっては,さしあたり障害とはならないだろう。)ここでマルクー ゼは,理性と感性の相克を乗り越える,シラー・一のく遊戯〉概念を,解放された社会のなかで克

(9)

腺されるであろう労働の労苦にかわる選択肢として提起する1t)。シラーにおいて,〈遊戯〉は 美的段階として理性と感性を媒介する中間項のごとき位置にあったのであるが,マルクーゼは,

それを社会的に対象化された合理性に対立する経験ならびに知覚のあり方と改釈するのである。

r人間は美的文化を達成するために,その感じ方全体にわたるトータルな革命を必要とする」12⊃

というシラーのテーゼから,マルクーゼは一つの政治的帰結を引き出している。すなわち,そ うした革命は,文明が知的にも物的にも最高の成熟に達した時にのみ可能である13},とされる のである。シラーのテキストにおけるく革禽〉を,こうしてマルクス主義的に改釈することは,

人間社会の美的文化への観念的発展を,産業社会の生産力の発展とシソクpaナイズさせるので ある。マルクーゼのドイッ観念論美学への批判は,この美学が美的次元を社会から隔離された 治外法権としてのみ展開し,この美的文化の物質的前提を解明していない点にむけられる。既 存の文化を,ブルジョア社会のあやまてる物質的原理への理念的補完物として,イデオロギー 批判的に遡求して問いうる批判のみが,かえって観念論葵学の遺産を十全なかたちで継承する ことができるのではないだろうか。こらして文化批判をイデオpaギー批判として遂行する際,

さらにマルクーゼはフPtイトの文化批判を改釈的に援用している。そのフPイトの文化批判の 中心をなすテーEは,これまでの一切の文化は,個人的・集団的な衝動の抑圧にもとついてお

り,文化は原理的に抑圧的なものでしかありえないというものであった。これにたいし,マル クーゼは社会理論を土台とした文化概念の新しい唯物論的講成をもって批判を提起する。これ ほ,二つの噺しいカテゴリーの導入によって行われる。すなわち,まずく過剰抑圧〉,これは 文明の存続に必要な「基本的抑圧」一現実原則(Realitatsprinzip)に対応する一一一e=たいして,

社会的支配1ことっての必要から課される抑圧である。つぎにく業績原理〉(Leistungsprinzip),

これは利潤動機と競争が支配し,疎外されたかたちでしか労働が行われない特殊資本主義的な

       の    の    ■    の         の   の    る

社会の現実原則である。この二つ,「過剰抑圧」と「業績原理」は歴史的に廃棄することがで きるということが,フPイトのペシミズムを乗り越えようとするマルク・一・ tiのユートピア構想 の眼目である。徳永胸は,『エPスと文明』のユニークさを,次の三点にまとめている。すな

       の   り   や       り

わち,r(1)後期フロイトについての体系的解釈ないし修正と,(2)それに基づいて画き出された 積極的なユートピァの擬示と,③それへの移行過程の曖昧さ」14)である。③の移行過程の曖昧 さは,先に述べたように,この著書がユートピアを芸術にそって画き出している点にあると思 われる。マルクーゼがここで提示しているのは,政治理論や実践ではなく,芸術理論と美学な のである。だから,かれの実際の理論的作業は,文化に内在している幸福と満足への潜勢力を,

社会から隔離された存在形態から救出し,生存全体へと統合する方向を探ることなのである。

もちろん,このことは社会的変革をともなわずには不可能である。そして,自由な社会が実現 されるならぽ,癸的なもののく場〉が変ることになる。美的次元は,物質的生産自体のなかへ,

必然性の王国のなかへ埋めこまれるであろう。その前提は,稀少性の状態が克服され,物質的 生産がく遊戯〉になるような社会である。そうすれぽ,人間と自然の関係だけでなく,人間の 行動様式や知覚様式竜新しい基盤のうえにおかれることになるだろう。おおよそ,こういった ところが,rエロスと文明』で構想されていたものであるが,この「移行過程の曖昧」なユー

トピア構甥は,十五年近くたった学生反乱の時期に,ラディカルな帰結を招来したのであった。

つまり,たぶんに文学的な構想が,一挙に政治的に活性化されたのであった。

 1969年の『解放論の試み』の「新しい感受性」という章のなかで,マルクーtiは新左翼の若 者たちの振舞と感性を取り上げている。        .

r今日の反逆者たちは,新しいものを新しいしかたで見,聴き,感じようとしている。かれらは解放

一一 X3一

(10)

と,秩序づけられたヨ常的な知覚のあり方の解体とを結びつける。……革命は,洞時に知覚の革命で なければならない。それは社会の物質的精神的建て叛おしをともない,新しい環境を生み出すのであ

 る。」15,

  「自由な挺会で可能となりうる形式としての美的なものが現われてくるのは,稀少姓の克服のための 知的物的資源が存在し,以前は進行的抑圧であったものが退行的なものに転化し,美的価値(と美的真 理)が狸占され,現実から隔離されているような高級文化が崩壊して.脱昇華されたく低級な〉破壊的 形態へと解体してしまい,若者の憎悪が爆発して笑いと歌になり,バリケードとダンスフPtア.愛の戯 れとヒPtイズムが混瀟しあうような発展段階においてである。」i6}

 ここには,「解放のカタストローフ」という章で終る『一次元的人間護 (1964年)における ペシミスティックな色彩の濃い社会批判のいわば反動として,現実への過剰なアソガージュマ

ソがみられる。『一一・ 次元的人間』において,出口なきトータルな管理社会にたいする批判は,

主観主義的にr偉大なる拒否」へと尖鋭化していったのであるが,その後の世界的反乱とそれ がもつ質が,マルクーゼに積極的な道を指示したとしてもなんら不思議ではないのである。60 年代後半の反乱が,安定化した高度産業挫会における最初の大規模な反乱であり,近代の合理 主義にたいする携判をかかげていたという一点をとってみても,この反乱が『エPスと文明』

の構想と通底する電のをもっていたことを否定できないのである。この時期,マルクーゼは,

『反革命と反看L』,『純粋寛容批判』,『ユートピアの終焉』といった多くの時務的論文を,堰を 切ったように書いているが,思想家としてのマルクーゼ殖とって,この反乱がいかに大きな意 味をもっていたかの傍証であろう。「移行過程の暖昧」なユートピア構想は,それを実現する 方向をもった政治的運動という対応物をついに見出したのであった。「ワルノリ」はrワルノ

リ」なりに,十分な理由をもっていたと需うべきであろう。もちろん,当時の若者文化や前衛 的な芸術運動を,a体欄破壊勢力へと媒介されるべきモメソトとしてとらえることには,それも

またファッショソ,つまり体制内的大衆文化にすぎなかっfeという批判が対置されようm。反 乱は鎮圧され,挫折していった。しかし,だからといって,従来の正統的マルクス主義のクソ マジメな理論体系が,ふたたびその権威を回復したということはないのである。その正当性は 減価してしまっている。時はある転回点を通りすぎたのだ。マルクーゼのテキろトは,その転 回点をあまりにも律義に体現してしまったというだけのことなのである。

 (3)稀少性の克服

 自由な社会における美的なものの揚棄の基本的前提は,マルクーゼによって,稀少性(Man・

gel, scarcity)の克服であるとされた。われわれは,この稀少性の克服が,マルクーゼ解釈の 一つの大ぎな争点であると考える。なぜなら,労働における技術的合理性のカテゴリーと想像 力における美的カテゴリーとの媒介の問題は,ここにかかっており,さらにマルクーゼ自身が,

その処方箋に関して,二つのモデルの間で動揺しているからである。°

 一.一 方のモデルは,マルクスの『資本論』第三巻のなかで述べられている講想にもとつくもの である。ここでは,必然性の王国(労働,技術的合理性)と自由の王国(自己目的としての 生)との媒介の問題は,必然性の王国の土台のうえに解決されるe

  「自由の王国は,実際のところ,困窮と外的E的によって規定されている労働が止むところで,はじ めて始まるeしたがって,それは事の本質からして,厳密には物質的生産の領域の彼岸にあるのである。

未開人が,自らの欲求を満足させ,生活を維持し,再生産するために,自然と格闘しなければならない  ように,文明人も問じようにそれを行わねばならない。しかも,あらゆる社会形態においても.また可 能なあら@る生産様式のもとであっても,それを行わざるをえないのである。文明人の発展とともに,

欲求の拡大ゆえに,この自然必然性の王国は拡大するのであるが,しかし同時に、この欲求を満足させ

(11)

 る生産力も拡大していくのである。この領域における自由 1)本質は,社会化された人問,連合した生産  者たちが,自然とのこの自らの物質代謝を,その盲唱的な力によって支配されるかわりに,合理的に規

制し,共同態的糊御のもとにもたらし,これをもっともわずかなカの支出でもって,また人間の本性に  もっともふさわしい最適な条件下で遂行することのなかに存するのである。しかし,このことは,なお  依然として必然性の王国にとどまる。この国の彼岸で,自己飼的とされる人間の力の発展,つまり真の  自由の王飼が始まるのである。しかし,この国は,その土台をなすあの必然性の王国のうえにのみ開花  することができるのである。労働日の短縮が,その根本条件である。」18⊃

 ここでのマルクスのパッセー−nyジは,必然性の王国は,人類の存続のために残らざるをえない が,それをミニマムにすることによって,自由の領域を拡大しなけれぽならない,と要約する

      の   の   の    サ   の   り   の    り    の   の    の    の

ことができるであろう。労働は遊戯にはなりえないのである。たしかに,自由時間の文化的背 景は,労働にたいする人間の関係を質的に変えるだろうし,物質的生産に新しい目的をあたえ ることによって,労働を変えていくだろう。しかし,労働自体の質的変革一一たとえばフーリ

エにみられるような一は,マルクーゼ(の『一次元的人問』)によれば,Vルクスを追認し つつイデオPtギー的なものでしかないと明雷されている19》。美的なものの揚棄のこうしたr現 実主義的」構想は,物質的生産の既成の秩序と,それに対抗する自由な社会における解放的イ

       の       ■   る

メージを,とりわけ新しい霞的設定をとおして区別しようとするのである。物質的生産自体が 新しい質をおびるのではなく,それが行われる社会的枠組を,質的に変革していこうとするの

      な   む   の  のである。自由時間における知的・感性的活動によらて,疎外された労働の規模が制限されれぽ,

労働の苦痛は和らぐことになるだろう,ということなのである。

 他方,もう一つのモデルというのは,もはや必然性の王国のもとに包括されない物質的生産 の理念である。

  r自由な社会と不自由な社会の質的な差異をなす薪しい可能性の一つは,まさに自由の王国を,必然  性の王国のなかに,ただたんに労働の彼岸にのみならず,労働のなかに見出すことのなかにあるのであ

 る。」20}

 将来の社会主義は,したがって,生産力の量的高度化によってでなく,r芸術と技術の収 敏」21》に向う質的差異によって規定されることになる。今日の技術水準は,疎外された労働の 大部分を廃棄し,オートメーショソによって代行させることを可能にしており,これを通じて

f必然性の王国自体が変わり,マルクスとエンゲルスがまだ労働の彼岸の国に帰せざるをえな かった質,つまり自由な人間存在が,労働の国そのもののなかに展開されるのを.われわれは おそらく眺めることができるだろう。」鋤とマルクーゼは書いている。

  「自由という形式は,ただたんに自己決定や自己実現のことではなく,それ以上に地上における生命  を高め.守り,平和なものとする諸還的の決定であり,実現であるのだ。そして,この自律は,たんに  生産様式と生産関係のうちだけでなく,人間たち同士の関係,かれらの言葉,かれらの沈黙かれらの  振舞とまなざし,かれらの感受性,かれらの愛と憎しみのうちに表現されるだろう。美しいもの(das  Sch6ne)は,かれらの自由の本質的な質となるだろう。」漁

 美的次元は,物質的生産のなかへ,それの本質を構成する契機として入っていく。想像力,

幻想遊戯として,それは技術的合理性を構成する要素となる6これをマルクーゼは,<解放 の技術〉と名づける。そこでは,   e.    、

  「技術は芸術となることをめざし,芸術は現実を形づくることをめざすのである6……新しい現実原  則があらわれ,そのもとで薪しい感牽性と脱昇華された科学的知性とは結びついて,一つの美的工一ト  スとなるであろう。」鋤

 以上のことから,マルクーゼは互いに背反するような仮説を提示していることになるだろう。

一95一

(12)

これを書かれた年代(反乱前とその渦中)に帰してこと足れりとするのは,悪しき実証主義で ある。この仮説のもつ問題性と射程の長さを見すごすべきではない。もう一度定式化しなおす と,一方は,美的なものを構成している想像力のエネルギーを,労働時間が減少されうるよう な徒会的=ソテクストの一要素とすることであり,この=ンテクストのなかでは美的なものの       の   の

超越性は失われないままである。もう一方は,労働自体が美的カテゴリー(遊戯)のもとに再 構成されうるというものであった。美的なものは,一一物質的生産そのものに埋めこまれるか,

あるいは,その=ンテクスト(労働をささえるフレームワーク)へ埋めこまれるか一一どちら

        の   む   ゆ   の   の   の       の   む   の       の   む   の   の   ロ   の

にしても伝統的な芸術作品への結びつきから解放されることになる。現代において,伝統的な 芸術は,文化産業と現代芸術の展開動向を通じて,死滅しつつあるのだから,それのもってい

         ワ   な   の   ゆ   り   の   の   り       の   サ   の       の   ゆ   e   り

た真理内容は,ただそれの実現によってのみ救出されうるということは,どちらの仮説にも共 通している。そうすることによってのみ,フロイトのく文化の進歩というものは,ますます増 大していく破壊的xネルギーの解放である〉というテーゼが妥当する既存の文化を打破しうる 新しい文化の構想が可能となるだろう。

 (4)暫定的小括

 資源ならびに巨大科学技術が,一つの臨界点に逢着した今日的清況のもとで,第二のヂ非現 実的」モデルは,ハーパマスなどの批判にもかかわらず25},われわれを魅了してやまない。ど ちらのモデルにしても,マルクーゼにとって,稀少性の克服,生産力の増大は前提であるが,

われわれには,第二のモデルは労働日の短縮を,したがって技術的構成の高度化を絶対的用件 とはしないように慰われるのである。労働時間ではなく,労働の質が問題だからである。技術 的構成の高度化は,ワソマソバスから巨大工揚の流れ作業にいたるまで,疎外された労働をむ

しろ強化してはいまいか。それを資本の利害関心に完全に還元することができると考えること は,安易な技術楽観主義であり,技術へのラディカルな問い自体を遮断してしまうことになる だろう。既存の技徽が解放の技術に転化するためには,技術の歴史的生成とその内的論理自体 の解明が先決問題である。そして,そ竜そも稀少性という概念自体を再検討する必要があるだ ろう26)。それぽ,ブルジョア経済学が案出した概念神話ではなかったろうか。近代の人間が,

それ以前の時代を見下して考え出したのではなかろうか。そういう気がしてしかたないのであ る。稀少性の克服という前提を破棄する方向で洗いなおすとするならば,マルクービの議論は,

別の新しい局面へ展開せざるをえないだろう。稀少性の克服という概念自体が,近代の科学技 術的思考に媒介されているがゆえに,この近代の科学技術的思考の歴史的生成と体制化にいた る論理を主題化しなければならない。そうした作業ぬきの技術と芸術の総合は,たんなる外か らの掛け声に終始するだろう。たしかに,反乱の高揚期にそうしたヴィジ9ンが,一瞬のあい だ幻視されるかもしれない。解放区のなかで,しばらくは維持されるかもしれない。しかし,

それは長生きしないのである。マルクーゼにおいて,前提というかたちで内在的批判の網の目 をのがれていたものこそ,その発生の根源に遡って解体する必要があるだろう。技術と芸術の,

したがって労働と遊戯の一致は,そうした歴史遡行的作業の指導理念にふさわしいものである。

もし,そうした道ee−一歩をすすめないとするならば,批判的意識が,「現実が変革されうるも のとして感性的に経験され,受苦され,夢見られる」27》超越的領域であるあの芸術へと帰って いくのは,もう必然的なのである。最後の著書で,マルクーゼはそこに帰っている。

 r今日,芸術の終焉についての言説は,反革命の可能性とそのイデオロギー的兵器庫に属しているの である。反革命は,制御を科学によって全体化することを通じて.善と悪,戦争と平和,美と醜の区別 を人間に忘れさせることに成功するかもしれない。芸術の終焉は,そうすると芸術家と芸術の受け手の

(13)

終焉となるだろうeそれは欲求と満足,娯楽と攻撃のますます効率的になっていく管理の成果なのであ

 る。」28}

 これは,美的なものの自律の臨からの声であるeそこに生きているユートピアの像を,その 実現にいたるまで守りとおすことに,マルクーゼは生涯の最後を賭けたと言うべきだろう。芸 衛の終焉を性急に語ることは,かえってその批判的潜勢力を無にしてしまう。逆ユー〉ピアは 現在的だが,真の=t− Nトピアは無限に遠いがゆえに,芸術は永続しなければならないのであ る。しかし,われわれは,ふたたびかれを乗り越えて繊発せざるをえないだろう。その時の格 律は,かれの言うとおり次のようなものであるとしても。

 Die echte Ut◎pie hat ihreR BQden in der Erinnerung.

一一・一一一一c三ePermanenz der Kunst, S.77一

1)z・ B. L.K・f!er, Haut de登Lukゑcs, Rea玉圭smus麟δS bjektまvismus:Marcuses it ・sthetische Ge・

  genrevo1ution, Aehenbach 1977.

2) この点については,拙稿『死滅する風景一美的なものの再定義のためにH−』(静大教養部研究報   告第13号)参照。

3) H.Marcuse, Triebstruktuτund Gese11$chaft(=・Eros and Civ三li$ation., B◎ston 1955.), Bib!iothek

  Suhrkamp 158, S.177(以下TGと略記)

4) H.Marcuse, Versuch ttber d…e Befreiung(=An Essay◎n Liberation, Bost◎n 1969), editi◎n   suhrkamp 329, S.57(以下VBと略認)

5)TGl45

6)H.Marcuse, Del eindimensionale Me箪sch( =One−dimensiona! Man, Bosten 1964), Sammlung   Luchterhand 4, S.82(以下EMと略記)

7)VB 65f・

8) VgL TG 143 9)VB 70 10) TG 144

11)筆者のシラー解釈については,拙稿rシラーにおけるユートピアの構成一美的なものの再定義のた   めに懸一爵(静大教養部研究…報告第14号)参照。

12)Vgl. F. Sc藁i孤er, Uber die asthetishe Erziehung des Menschen,27。 Brieま 13) TG 187

×4)徳永掬r現代批判の哲学』東京大学出版会刊277ページ。

15)VB 61 16)V1346

17)Vgl.0. K. Werckmeister2 Das gelbe Untexseeb◎ot und der eindimensi◎nale Mensch,(in)

        む

  Ende der Asthetik, Fra蕊kf臆a. M.197i. S.86 ff.

18) KMarx, Das Kapita,13. Bd., Berlin 1973. S.828 19) EM 251

20) H.Marcuse, Ende der Utopie, Berlin l967, S。12 zitiert mach H. Paetzo】d:Neomarxistische   Asthetik II,Dttsseldorf l974.(以下EUと略記)

21)EU 19 22)EU』24

23) VB 72f.

24)VB 44

25)Vgl. J. Habermas, Technik und Wissenschaft als ldeol◎gie, editlon suhrkamp 287・

一97−一

(14)

26)そのための素材としてさしあたり,山内麗ilts少性・穣互性・相剋性』←),⇔『思想』(岩波書店   刊) 657, 658号参照。

27) Gespr琶che mit Herbert Marcuse, edit董en suhrkamp 938, S.40 28) H.Marcuse, Die Permanenz der Kuftst, Reihe Hanser 2◎6, S.37

参照

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