近 世 文 書 論 序 説 (中 )
‑ 近 世 文 書 の 特 質 と そ の 歴 史 的 背 景 に つ い て の 素 描 1
大 藤
目 次
一 大 畳 作 成
日 村 ・ 町 を 媒 介 に し た 文 書 に よ る 統 治
臼 官 僚 制 的 な 統 治 機 構 の 整 備 と 執 務 の 文 台 主 義
臼 商 品 貨 幣 経 済 の 発 展 に よ る 文 畜 主 義 の 社 会 へ の 浸 透
二 種 類 の 多 様 化
三 形 態 の 多 様 化 ‑ 書 付 型 文 香 の 略 式 化 と 多 様 な 冊 子 型 文 書 の 大 量 出 現 I
H 切 紙 文 書 と 継 紙 文 書 の 多 用
臼 冊 子 型 文 書 の 大 量 出 現 と 多 様 化 (以 上 ' 前 号 )
四 料 紙 に お け る 実 用 主 義 の 進 展 と 将 軍 発 給 文 書 の 権 威 化 (本 号 )
H 文 書 料 紙 の 種 煩
臼 文 書 主 義 の 進 展 と 料 紙 の 実 用 化 ・ 簡 便 化
臼 徳 川 将 軍 発 給 文 書 の 料 紙 と 権 威 化 ‑ 足 利 将 軍 ・ 豊 臣 秀 書 発 給 文 番 と の 関 係 で ‑
近 世 文 台 論 序 説 (中 )
(大藩)修
史 料 館 研 究 紀 要 第 二 三 号
ゆ 老 中 発 給 文 書 の 料 紙 と 略 式 化
㈲ 職 制 上 の 上 下 関 係 と 発 給 文 書 料 続 の 格 差 ‑ 老 中 発 給 文 書 と 大 目 付 発 給 文 書 を 例 に ‑
内 組 織 体 と 文 書 用 紅
玉 花 押 の 形 式 化 と 印 判 使 用 の 普 及 (以 下 ' 次 号 )
H 花 押 の 形 式 化 と 武 士 層 の 印 判 使 用
日 庶 民 へ の 印 判 使 用 の 普 及
臼 血 判 ・ 爪 印 ・ 栂 印 の 使 用 例
六 書 風 ・ 書 体 ・ 文 体 ・ 用 字 ・ 用 語 の 実 用 化 ・ 標 準 化 と 男 女 差
H 書 風 ・ 書 体 ・ 文 体 の 実 用 化 ・ 標 準 化 一 三 〇
臼 漢 字 主 体 文 の 普 及 と 女 性 の 平 仮 名 主 体 文
臼 書 き 言 葉 の 標 準 化 と 話 し 言 葉 の 地 域 差
七 幕 府 ・ 辞 の 役 所 ' 村 ・ 町 ' 家 ' 講 ' 寺 院 ' 神 社 等 に 蓄 積 ・ 保 管 ‑ 文 書 の 管 理 ・ 伝 存 形 態 の 特 徴 1
四 料 紀 に お け る 実 用 主 義 の 進 展 と 将 軍 発 給 文 書 の 権 威 化
H
文 書 料 紀 の 種 類
我 が 国 の 近 世 以 前 の 文 書 の 料 簡 に は 和 枕 が 用 い ら れ て い る が ' 和 紙 に も 原 料 ' 抄 紙 法 ' 大 き さ ' 色 ' 用 途 ' 産 地 な (40 ) ど に よ っ て 多 種 多 様 な も の が 存 す る 。 文 書 の 料 紙 の 主 な も の を 次 に 列 記 し て お こ う 。
●I.J
o麻布や麻皮を原料とした紙1麻紙
こくしこ,ぞ・iii,んし(
4
)ひ4急十〇コウゾまたはカジノキの皮を原料とした紙‑穀紙(措紙)'檀紙(大高・中高・小高)'引合'奉書紙'杉原紙'美濃紙'高野紙'修善寺紙︹もともと樺を原料としたがtのちには鳥子羊t雁皮'三位などを用いる︺'青はどむらがみ野紙'西の内統'程村紙、石州半紙'清帳耗等々ひし
0ガン'iJの皮を主原料とした紙1斐紙(雁皮紋)︹樺を混ぜて漉いたものが多い︺'鳥ノ子枕︹江戸時代には'三I‑J<い.&入極等を混ぜたもの'あるいは三極紙で鳥ノ子紙風に仕上げたものも現れる︺'聞似合紙(間合紙・聞達紙)
O,・、ツマタの皮を主原料とした紙‑三極紙'鳥ノ子紙︹江戸時代中期以降'鳥ノ子紙と称するものには三縫紋系
のものも含まれるようになる︺'駿河半紙しゆくし(42)o反古紙を漉き返して作った紙‑宿紙(薄墨紙・水雲紙・還魂紙・反魂紙)
右のうち上品な味わいを備えているのは麻紙と壁紙で、貴族的な紙であった。麻紙は奈良時代から平安時代前期に
かけて多Y作られ'写経用の料紙の他に詔書、勅書'宣命'位記などに用いられていた。しかし'紙質がやや硬く、
紙の表面がざらざらして古きづらかったことと'原料が処理しにくく'しかも入手難となったこともあって'平安時し■くいん代の後期には朝廷の御用製紙工場である統監院でも製造されなくなっている。斐紙は美しく光沢があって奈良時代よ
り最高級の紙とされ'立派な写経や歌書、あるいは膜文'戒牒などに用いられていた。ただ文台に斐紙を使用するこ
とが多くなるのは室町時代中期以降で'上流階級の各種の文苔や軍用機密の文書に広ぐ用いられるようになる。江戸
時代の武術その他の印可状の料紙も大概は斐紙の頬である。
穀紙(椿紙)は美しさでは麻紙'斐紙に劣るものの'強さの点で優れ'実用的で'原料の調達も容易であったため'
奈良時代より通常の文書にはこれが用いられていたようである。和紙のほとんどは樺を主原料としたものであり'抄
近 世 文 容 論 序 説 (中 ) (大 藩 ) 二 二 1
史 料 館 研 究 紀 要 第 二 三 号 1三 二
航法'用途
'
産地などにより様々な名称のものが中世・近世を通じて生まれ'多用されている。
なお'三位が和枕の原料として利用されるようになるのは江戸時代に入ってからで、主として駿河や甲斐で用いられていた。そして、明
治期より印刷局製造の紙幣用として各地にその栽培が広まっている。
臼
文書主義の進展と料紙の実用化・簡便化ところで'文書は古くは聖なるものとみなされていたので'料紙にも威厳と品格を備えたものが用いられた。しか
し'文書主義が社会へ普及してい‑に伴い'質的には劣っても安価で実用的な紙が大量に求められるようになる。中
世・近世においても格式の高い重要文書には檀紙や奉書紙などの高級紙が用いられたが'その1万で'枕の需要の高ま(伯)りに応じて全国各地で1般向けの和銭の大量生産がなされるよ‑になり'文書料紙の実用化'簡便化が進んでいった。
そうした傾向を中世において象徴するのが杉原紋と美濃枕である。
杉原枕は播磨国多可郡移原(現'兵庫県多可郡加美町)を原産地とする中厚の椿枕で'武家社会への文書の普及に
伴い武家の常用紙となり'また公家や僧侶にも用いられ'中世に最も多く流通した。室町時代には越後、加賀'出雲'
石見'備中'周防、豊前などでも模造され'さらに近世になるとその産地は二〇カ国にも及び'庶民の間でも広く用
いられるようになった。判型には大・中・小があり'小杉原は鼻紙であるが'大・中は消息その他の文書の料枕とし
て使用されている。
杉原枕に次いで中世に流通したのは美濃紙である。美濃は古代に最も多く原料の樺を朝廷に貢納した所で'紙屋院
の支所が置かれ'優れた製紙技術を培っていた。中世には市場向けに大量生産されるようになり[特に中層階級に用(小)いられたが、近世には庶民の常用紙の一つとして普及した。美濃産の枕は種煩が多く大小厚薄様々であるが'概して
比較的厚‑強靭な紙で'虫喰いにも強く'実用性に富んでいた。
室町時代には杉原紙や美濃紙の他にも産地名を冠した紙の名が多‑現れている。そして'近世に入ると紙の需要は
飛躍的に増大したため'枕の産地は全国的に広まり'重要な商品として大量に流通した(とりわけ西日本での生産量(45)が高かった)。紙の大きさについてみると'徳川将軍発給文書に用いられた檀紙は権威誇示のため室町時代のものよ
り大型化しているが'通常使用される紙の方は小型化が進んでいる。その方が実用的かつ安価であったためである。
そうした求めに応じて近世には半紙'半切紙'中折紙など半分に切ったサイズの紙が大量に生産され'文書にも多く
用いられている。(S)半紙は杉原紙の寸延判を竪に半分に切ったサイズの紙で'通常の半紙は縦二四センチメI‑ル位'横三三センチメ
ートル位が標準である。近世は半紙全盛の時代で'庶民の作成になる文書には最も多くみられる。需要が大きかった
ため全国のほとんどの紙郷で漉かれており'紙漉きの経験の伐い農民も生産に従事したので'統質は一般的に粗悪でt
かつ薄い。ただ'石見国の津和野藩'浜田藩で産した、いわゆる石州半紙は'ねはり強く耐久性があり'名産の誉れ
を得ていた。
中折紙は檀紙あるいは奉書紙を竪半分に切った大きさに製した措紙で、普通はいわゆる大半紙(縦二七センチメー
トル位'横四1センチノーール位)に煩するものである。近世初期には美濃中折紙が著名であったが'やがて石見が
主産地となり'筑後'豊後'土佐'紀伊などでも作られた。中等の厚さで'番付'帳辞'障子などに用いられている。
半切紙は竪紙を横半分に切ったもので'杉原紙の横半切が標準であったが'近世には様々な続を横半切して用いて
おり'寸法はまちまちである。先に近世文書の形態上の特徴として半切紙の多用を指摘しておいたが、需要の高まり
に応じて予め横半切した大きさに製造することも盛んになった。半切紙を貼り継いで横に長くして巻いたのが巻紙で'
近 世 文 書 論 序 説 (中 ) (大 藩 ) 1 三 三
史料館研究紀要第二三号
書状にはこれを適当な長さに切って用いるのが一般的であった。
庶民は日常的には半紙や半切紙を多く用いたのであるが'領主に差し出す願書'訴状などには良質の竪紙を使うの
が習わしであり'これには半紙よりも大きくて厚い美濃紙などを用いた。美濃産の紙は種類が多いが'本来の美濃紙な火し.&1
は直紙と称するもので、大直紙'中直紙(上美濃)'小直紙の区分があった。大直航は縦三
〇 〜
三二センチメ1‑ル位'横四四センチメートル位'中直枕は縦二九センチメ1‑ル位'横四二センチメ1‑ル位
'
小直紙は縦二七センチ.‑トル位,構四一センチメートル位である。いずれにしても通常の半紙より大判である。
村・町の役人の職務用'あるいは農家や商家の経営用の帳簿も'通常は半紙を使うことが多かったが、重要度の高
い帳簿には杉原紙'美濃耗'常陸の西の内紙'紀伊・大和・和泉産の森下紙(原産地は美濃国武儀郡中洞村森下)I
伊予・備後産の仙過(泉貸)紙'備中・土佐・阿波産の厚紙'美濃・紀伊産の大帳枕'清帳紙等々'半続よりも厚‑
て強い'保存に適した紙を用いた。「大福帳」と記されたものは商家経営にとって最も大切な帳簿であり、長い紐を
付け'火災の際には井戸につるして経営記録の保全をはかっていた。そのため「大福帳」には水に浸しても破れない(47)紙が求められ'紀伊産の大帳紙はそれに最も適した枕とされていた。帳簿の料紙は重要度や機能に応じて様々な紙質'
大きさの紋が使い分けられているので'料紙の面から、それぞれの帳簿が各組織体において与えられていた位置や役
割を確認することも可能である。
臼
徳川将軍発給文書の料紀と権威化‑足利将軍・豊臣秀舌発給文書との関係で‑文書主義のいっそうの進展をみた近世には'実用的'経済的見地から小型で薄い紙が多用されるようになったので
あるが'その対極で'徳川将軍発給文書の料紙の方は権威誇示のため大型化Lt厚くなった。
上島.有氏は'中世後期には檀紙が「紙の王者」となり'「公文書の最高の料紙」としての地位を占めるに至って
いたことを指摘されている。すなわち'檀紙は鎌倉時代の末頃から院宣などの最高の公家文書の料紙として用いられ
るようになり'その傾向は公家政権の形骸化とともに武家政権に引き継がれ'室町幕府の足利将軍も重要文書には檀蒜E紙を使っていた。足利将軍の正統な継承者たることを自任した徳川将軍もまた'自らの発給文苔に檀紙を用いた。し
かしながら'足利将軍発給文書の料紙と徳川将軍のそれとでは'相異点も認められる。足利将軍は文苔の重要度、格
式によって檀紙と奉書紙を使い分けたのに対して'徳川将軍はすべての文書に檀紙を用いており'しかも足利将軍発
給文書の檀紙よりも大型化Ltかつ厚くなっているのである。(伯)主代義満以降'足利将軍も自らの発給文書に檀紙を使うことが多‑なったがtLかしそれは次の文番に限定されて
いた。一つは'所領の安堵や寄進'課役免除'訴訟の裁許などを下達した公験となる文書(永続的な効力を有する証こうじ▲う拠書類)で'・袖判あるいは奥署判の御判御教書。いま1つは官寺禅宗寺院の住持任命の辞令たる公帖である(日下
署判の御判御教書の容式をとる)。これら以外の中間的'手続き的'すなわち時限的効力しか有しない事柄を伝達し(∽)た日下花押(署判)の御判御教容には'檀紙より紙質が劣り'しかも小さくて薄い下等の奉酋続を用いていた。また
足利将軍は御判御教書の他にも書状すなわち私信の形をとる御内香を発給していたが'将軍自筆御内容の料紙は良質(51)の奉書紙、右筆書き御内書の料紙は下等の奉書紙であった。
これに対し'徳川将軍発給文書の料紙の方は'領知判物・朱印状'公帖'御内雫将軍の名で発布した重要法令等'
すべて大型の檀紙(大高檀紙)を用いている。例として'陸奥国弘前城主の津軽氏宛に発給された領知判物・朱印状
および御内書の料紙の大きさと厚さを'(表
2
)と(表3
)にそれぞれ示しておこう。江戸時代の領知判物・朱印状は、下文様文書に属する室町時代の袖判あるいは奥署判の御判御教書の系譜を引いて