今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現
山 口
康
子 一
今昔物語集の説話の主人公たちは︑震旦・天竺・本朝の︑王や天
皇・皇后から一般庶民︑仏や神から動物にいたるまでのあらゆる階
層を網羅している︒これら多彩な顔ぶれに対する待遇関係が︑文章 表現上︑どのようにあらわれているかに関しては︑桜井光昭氏にす エ でに論があるが︑説話表題における待遇表現についての言及はない︒ 今昔物語集の説話表題︑および︑それを巻頭に一括提示した﹁目 ハ 録﹂については︑末だ解明され得ていない点が多く︑﹁目録﹂成立
の年代や成立事情︑又は﹁目録﹂作成者などを知るためにも︑ ﹁目
録﹂ ︵説話表題︶自身の言語事象の分析が必要である︒本文が︑い
わゆる片仮名宣命体で記述されているのと異なり︑今昔物語集の目 録︵説話表題︶は︑ 変体漢文と目される漢字のみの表記法で書か
れ︑訓みくだしはかなり困難であるとはいえ︑やはりそれは文章表
現であって︑然るべき訓みを予定して記述されたものであろうし︑
そうでなくても︑後代の我々が訓むにあたってはできるだけ正確に
訓むべきであろう︒
二
今昔物語集においては︑各巻の巻頭の目録の他に︑各説話本文の
すぐ前にも説話表題が記されている︒この両者には︑若干のずれが
みられるものがあり︑そのことを問題にしなければならない場合も
今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現︵山口︶ あるので︑本稿では︑前者を﹁目録表題﹂︑後者を﹁本文表題﹂と よんで︑両者を区別し︑両者を総括して述べる場合は﹁説話表題﹂ 注3︶ という名称を用いたいと思う︒ 稿を進めるにあたっては︑まず︑説話表題が一括してまとめられ ている各巻巻頭の﹁目録表題﹂を検討し︑ それとの差異について
﹁本文表題﹂を参看してゆくという方法をとる︒特に断わらない限
り︑﹁目録表題﹂と﹁本文表題﹂は一致しているわけである︒勿
論︑ ﹁目録表題﹂と﹁本文表題﹂との関係はあきらかでないが︑す
べては両者の差異が明瞳になった時点で論じられるべきであろう︒
三
まず︑今昔物語集﹁目録表題﹂において︑文字面に明示されてい
る待遇表現︑特に︑補助動詞や接頭語などによって敬意を表現して
いる事例について検討する︒それらの補助動詞や接頭語は︑目録全
体の中で︑具体的には﹁給タマ.﹂﹁被ル﹂﹁奉をアマソル﹂﹁御オンゴミ﹂
の四種につきる︒この四種について︑順次︑その使用対象︑分布状
態︑使用頻度︑語序などを調査してみよう︒
D・ 合 ぐへ ゆボ 今昔物語集の全一〇五九話の﹁目録表題﹂の中で︑ ﹁給﹂が使用
されている対象別に用例をあげると次の第一表のとおりである︒漢
数字は巻数︑算用数字は説話番号を示す︒すなわち︑劇中︑ ﹁一1
11﹂という用例表示は︑巻一第十一話の﹁目録表題﹂に﹁給﹂が用
一三
長崎大三教育学部人文科学研究報告 第一二号
いられていることを示す︒以下︑用例はすべてこれに従って示す︒
﹁ 紬
三 詞
助
る 補
れ
わ ら あ
題 に
話 表
測 説
儲 一
使用対塾 ﹁給﹂を有する説話表題
仏
一一11︑.
一一18︑
ニー4︑ 三129︑ 一t12︑ 一一15︑ 一一19︑ 一120︑ ニー5︑三一15︑
三i50︑三151︑ 一114︑ ニー2︑ 三一20︑
三一55︑ 一117︑ ニー5︑ 三128︑ 小計
幻
釈迦如童 一一1︑一一2︑
丁
仏御父
摩耶夫人
菩 薩 二一1︑
丁
三135︑
T
三一2︑︵文殊︶︑
十六t辺︑ ︵観音︶
十七154︑ ︵弥勒︶
十七156︑ ︵文殊︶ 十六一8︑ ︵観音︶︑ ︑ 十山バー猛︑ ︵観天日︶ ︑ ︑十七135︑ ︵弥勒︶︑ ︑十七157︑ ︵行基︶︑
法華墨 十二一29︑十二一30
8 2
天神二四一28︑
丁
天 皇 女 御
院 二四126︑ 二四142︑
二四141︑二七一2︑
1 1 2
総計 55
5
40
︵注︶⁝一をつけたものは︑その表題内に二例の﹁給﹂
を有する事例︒
をつけたものは︑目録表題にのみ﹁給﹂があ り︑本文表題には﹁給﹂がない事例︒
一−一をつけたものは︑目録表題には﹁給﹂がなく
本文表題のみに﹁給﹂がある事例︒
第=表に基いて︑次の諸点があきらかになる︒
a︑ ﹁給﹂の使用対象 ﹁仏﹂に対して巻一 二︑ みであるが三十六︑ 十七︑ 七︑と︑補助動詞﹁給﹂は︑ われている︒これは︑勿論︑ しもそれだけとはいえない︒ 中で ω 文殊生給人界語第二 三二
説話表題において︑補助動詞﹁給﹂は︑ ﹁仏﹂に集中して用いら
れていることが分る︒﹁仏﹂自身に対して使用されている事例がも
っとも多いが︑それ以外にも︑仏教関係のものは︑ ﹁仏御父﹂に一
例︑母なる﹁摩耶夫人﹂に一例︑ ﹁法花経﹂に二例があり︑本文表
題のみに﹁給﹂が用いられている事例七例を含めて︑全説話表題の
中に計四〇例用いられている補助動詞﹁給﹂のうち︑ 三五例まで
が︑仏教関係の対象に用いられていることが分る︒仏教関係以外の
対象に用いられているのは︑ ﹁天神﹂に一例︑ ﹁天皇﹂に一例︑
﹁女御﹂に一例︑ ﹁院﹂に二例のわずか計五例がみられるだけであ
るから︑説話表題における補助動詞﹁給﹂の使用対象は︑かなり明
確に﹁仏自身および仏教関係﹂に集中しているといえる︒
b︑ ﹁給﹂の巻序による分布状態 ︑
﹁給﹂が使用されているのは︑
︵三一2︶
巻三においては﹁菩薩﹂が素材になっている説話は︑この第二話
一例であるが︑この説話の内容は︑ ﹁文殊ハ釈迦佛ニハ九代.師︒在ス︒
錐然モ佛世二審給ヘリ︒世︒二佛並ブ語論酵.菩薩ト現.給ア元数.衆生.教化シ
給.也︒﹂ ︵三一2︶ ︵岩波書店︑日本古典文学大系︑今昔物語集一︑二
〇五ページ一五行︒以下﹁大系﹂と略称する︒︶と示されているように︑
﹁文殊﹂が﹁仏﹂の﹁九代の師﹂であるという記述を持っている︒
又︑ 巻一には︑ ﹁釈迦如来﹂を主語として全く同形式の目録表題
が︑次のとおりみられる︒ 三︑ ﹁菩薩たち﹂に対して本文表題の
﹁皇室関係﹂に対して巻二十四︑二十
その対象に応じて集中︑局限してあら
主として素材の問題であるが︑必らず
例えば︑ ﹁菩薩﹂に対して目録表題の
次の事例が一例のみである︒
ω 釈迦如来人界需給語第二︵一i2︶
又︑巻三に限らず︑目録表題全般について︑ ﹁仏﹂自身が主語と
して目録表題の中にあらわれてくる場合には︑一例の例外もなくす
べて﹁給﹂を用いて待遇表現を行なっている︒
以上の点から考えると︑総理において﹁文殊菩薩﹂に対して一例
だけ﹁給﹂が用いられているのは︑単なる偶然的な例外な表記とい
うよりは︑その説話内容や位置からくる必然性をもった待遇表現と
して理解すべきであろう︒
又︑巻一第三︑四︑五話の計三話の説話の目録表題は︑ ﹁悉達太
子しを主語として︑釈迦の太子時代︑すなわち成仏以前の説話が並
べられている︒この部分は︑巻一第一︑二話の釈迦如来の説話にひ きつづき︑釈迦の降誕︑仏教創始の説話の一部であるにもかかわら
ず︑ ﹁悉達太子﹂を主語とする計三話の目録表題には﹁給﹂を用い
ていないという事実も又︑ ﹁仏﹂を対象としての﹁給﹂の意識的使
用と考えてよいと思われる︒
すなわち︑記号による﹁給﹂の分布状態の偏りは︑単純な素材の
問題以上に︑ ﹁仏﹂自身に対する﹁給﹂使用の原理がかかわってい
ると考えられる︒
c︑ ﹁給﹂の語序 目録表題において﹁給﹂を伴なう用言が︑助詞﹁ヲ﹂を伴なう連
用修飾語をとる場合には︑原則として︑その語句を︑用言をあらわ
している文字と﹁給﹂の問にはさんで示している︒すなわち︑
㈹ 佛拝卒宿馬言語第四︵二一4︶ のような形であらわれてくる︒
ω 佛報病比丘恩給語第三︵二︐3︶
右のωの例︑ 皇恩第三話の例は︑ 大系本の今昔物詩集において
は︑ ﹁仏ヤメルビクノオンニムクイタマヘルコト第三﹂ ︵﹁大系﹂
今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現︵山口︶ 今昔物語集一︑一二七ページ︶と訓んでおられるが︑本文においては︑ 二回にわたって﹁恩ヲ報ン給︒ゾ︒﹂ ︵大系一︑一二八ページ八行︶︑﹁恩ヲ 報ズル也︒し︵同ページ一五行︶と明確に﹁恩ヲ報ズ﹂と記述されていて︑
﹁恩に報ふ﹂という表現はないことから考えて︑目録表題において
も︑当然︑ ﹁佛︑病める比丘の恩を報じ給へること﹂と畏むのが正
しいと思われ︑前記︑原則的な語序に従うものとする︒
今︑この原則的な語序に従わないものを探すと︑次の二例に限ら
れることが分る︒
㈲ 天神御製誤読示人夢詩語第二十八︵一一四〜28︶
㈲ 川原院融左大臣霊宇多院見独語第二︵二七i2︶
この二例についていえば︑ ①両者とも︑ その助詞﹁ヲ﹂を伴な
う連用修飾語が比較的長いこと︑②﹁御製詩﹂とか﹁川原院﹂とか
の︑今昔物語集の説話表題においては︑大よその傾向として︑説話 はヰ 表題の冒頭にあらわれる語句を含んでいること︑による例外的な語
序と考えられる︒
﹁一こ又は﹁デ﹂を伴なう連用修飾語については︑ ﹁給﹂との関
係からみて︑その語序は一定していない︒
ω 釈迦如来人界生給語第二︵一一2︶
ω 文殊生給人界語第二︵三一2︶
ω 佛為摩耶夫人昇切霜天給語第二︵二一2︶ 右の事例で分るとおり︑助詞﹁一こを伴なう連用修飾語は︑ωのよ うに用言をあらわす文字の上に置かれている場合もあり︑ωのよう
に﹁給﹂の下に置かれている場合もあり︑①のように︑ ﹁ヲ﹂を伴
なう連用修飾語の場合と同じように︑用言をあらわす文字と﹁給﹂
の中間に置かれている場合もあって︑不統一である︒
但し︑ ﹁給﹂とそれを伴なっている用言をあらわす文字との関係
をみると︑必らず︑用言をあらわす文字が上に︑ ﹁給﹂が下に置か
三三
長崎大三教育学部人文科学研究報告 第一二号
れていて︑逆の例︑すなわち︑反読を要する事例は︑全四〇例中に
一例もない︒ a︑本文表題における﹁給﹂
本文表題においては︑目録表題にみられぬ七例の補助動詞﹁給﹂
が用いられている︒ それらの使用対象は︑ 目録表題では一般に ら ﹁給﹂を用いていない﹁菩薩たち﹂である︒
次に用例を示す︒
⑱ 殖槻寺観音助貧女給語第八︵十六一8︶
㈲.観音為遁火難去堂給語典十二︵十六一12︶
⑩ 観音為人被盗後睾現運筆第十三︵十六一13︶
GD @弥勒菩薩弾唄上給語第計四︵十七一34︶
⑫ 弥勒為盗人被壊叫給語第光五︵十七一55︶
03 @文殊生行基見女人悪給語第計六︵十七一36︶
圓 行基菩薩教女人悪子給語第淵七︵十七一37︶
これら七例の本文表題にみられる補助動詞﹁給﹂は︑目録表題に
はみられない︒このことについては︑目録表題と本文表題のずれを
総合的に検討した上でなければ結論的なことはいえないので︑詳し
くは別稿にゆずるが︑本文表題は目録表題に比して本文の記述との
かかわりが深いと思われる︒この場合も︑三十六︑巻十七において
は︑菩薩たちは︑その主要な主人公であり︑本文の記述の中でも︑
統一的に表現されているわけではないとはいえ︑一応︑ ﹁給﹂など
を用いて待遇表現が行なわれている︒このことも︑本文表題におい
て︑目録表題にない﹁給﹂が用いられていることとかかわりがある
と考えられる︒ の被 ︵ 今昔物語集の目録表題には﹁被﹂字が七十五例みられる︒本文表 三四
題のみに﹁被﹂が用いられている一例を加えると︑計七十六例の事
例がみられるわけである︒
専敬をあらわす﹁被﹂字は︑平安時代の貴族の日記・記録類の中
に多く用いられていることが︑すでに築島裕氏によって報告されて
は
いる︒氏は︑純粋の漢文訓読では︑ ﹁る﹂ ﹁らる﹂は受身の用法だ
けで︑ ﹁被﹂字の尊敬の用法があらわれるのは︑変体漢文であると
説かれる︒それに従えば︑今昔物語集の説話表題も︑ 一応︑変体漢
文と目されるものであるから︑﹁被﹂字に尊敬の用法があってもよ
いと思われるが︑その実態をみると︑尊敬の﹁被﹂字と思われるも
のは︑わずかに一例︵五14︶︑本文表題のみに一例みえた﹁被﹂ 字︵十二一4︶も尊敬の用法であるから︑これを加えても︑わずか
に二例のみである︒他の計七十四例は︑すべて受身の用法である︒
この受身用法についも︑ 一つの特徴がみられるがここでは触れな
い︒ ところで︑このわずか二例の︑尊敬用法と考えられる﹁被﹂字の
例は次のとおりである︒
⑯ 一角仙人被負女人従山来王城語第四︵五14︶
⑯ 於大極殿被行御澄会語第四︵十二一4︶ ︵本文表題のみ︶
まず⑮の例について考えてみよう︒この例においては︑ コ角仙 ハ フ 人女人を負はれ︑山より王城に来たれること﹂︑あるいは︑ ﹁一角 ︵注8︶ 仙人女人を負ひて山より王城に来らるること﹂というように︑﹁る﹂
を用いて︑ ﹁一角仙人﹂に対し敬意を表現している︑と一応︑考え
なければならない︒けれども︑そのように訓むことが果して正しい
であろうか︒これは︑形の上からは︑ ﹁一角仙人女人に負はれ﹂と
受身形に訓むのが順当かと思われるところである︒説話表題におけ
る計七十六例の﹁被﹂字は︑すべて動詞をあらわす文字にすぐ上接
しておかれ︑︵すなわち︑﹁被﹂字はつねに反読を伴い︶助詞﹁ヲ﹂
又は﹁二﹂を伴う連用修飾語がある場合は︑それを︑動詞をあらわ
す文字のすぐ下におくという形式を一貫して守っている︒㈲の用例
も︑ 働 庚抱被敏華氏報怨語︵九135︶
⑱ 愛宕護山聖人被ル謀野猪二語︵二十一13︶
⑲ 在原業平中将配電美浦二語︵二七f7︶
などと同様に︑ ﹁女に負はれ﹂と訓む方が素直であると思われる︒
しかし︑本文を読むと︑女を負うたのは明らかに一角仙人であり︑
しかもそこに説話のおもしろさのポイントが置かれているので︑題
名を説話内容に一致させて訓もうとすれば︑どうしても受身形に訓 もろもろ むことはできない︒この仙人は︑諸の龍王を小さな水瓶に閉じこめ
て十二年間も雨を降らさなかったというきわめて力ある仙人ではあ ヲ るが︑ 女を背負ったこと自体については︑ こっけいなこと︑ ﹁鳴
コ
呼ナル﹂こと ︵﹁大系﹂一︑三五ニページ五行︶と書かれている︒ それ
を︑ わざわざ︑ 尊敬の﹁被﹂字を用いて待遇したと考えるのは︑
この尊敬の﹁被﹂が︑目録表題中の孤例であることと考え合わせる
と︑いかがであろうか︒
本文申で﹁女を背負う﹂ことの表現が五ケ所ある︒それは︑一角 オヒ 仙人を主体として︑ ﹁我︒ヲ︵女のこと︶負.﹂ ︵﹁大系﹂一︑三五一ペ オヒ ージ一四行︶︑ ﹁ケカラ女ヲ負﹂ ︵﹁大系﹂一︑三五二ページ一行︶のニ
ケ所︑女を主体として︑ ﹁負ハ.給へ﹂ ︵﹁大系﹂一︑三五一ページ一四
ナガ イリ 行︶︑ ﹁負跡レ﹂ ︵﹁大系﹂一︑三五一ページ一五行︶︑ ﹁負ハレ乍一フ入ヌ﹂
︵﹁大系﹂一︑三五一ページ一六行︶の三ケ所である︒一角仙人を主体
とした二例にはいずれも尊敬表現はなく︑助動詞﹁レ﹂が用いられ
ている三ケ所は︑女を主体とした︑あきらかな受身の用法の例であ
る︒このように︑女を負うたことに関しては︑一角仙人に対して︑
本文においでも待遇表現はない︒
今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現︵山口︶ 又︑目録表題において︑仏教関係や神や皇室関係以外の対象に待 遇表現を用いるのは︑きわめて異例といえる︒この一角仙人に対す る㈲の例の他には︑天竺の国王と︑本朝の左大臣に対してそれぞれ
一例がみられるが︑いずれも﹁御行︵みゆき︶﹂ ︵五112︶︑ ﹁御
読経所︵みどくきょうしょ︶﹂ ︵二八一17︶という接頭語﹁御﹂の
例である︒ いずれも︑ やや慣用的な用法と思われ︑この⑮の例の
場合とはかなり性格が異なる︒この三例を除けば︑目録表題におけ
る待遇表現の対象は︑ ﹁仏神﹂ならびに本朝の﹁皇室﹂に限定され
る︒ ﹁一角仙人﹂の素性はあきらかではないが︑天竺の仙人で︑
ヒタヒ ツノ オヒ ﹁額︒角一.生艸︒﹂ ︵﹁大系﹂︸︑三四八ぺ二二行︶と書かれる異形の ツモリ ものであり︑﹁深キ山︒行.一.嚢底ク積﹂ ︵﹁大系﹂一︑三四八ぺ一五行︶︑
﹁雲二乗一ア空ヲ飛ピ︑高キ山ヲ動セァ禽獣ヲ随フ︒﹂ ︵﹁大系﹂ 一︑三四八ぺ一
五行︶ほどであり︑ ﹁極ア貴キ威力﹂ ︵﹁大系﹂︻︑三四九ぺ五行︶を持 っていると書かれている︒一角仙人の法力は︑きわめて強かったに
はちがいないが︑そうすると︑同程度の法力を持つ仙人たちに対し
て︑目録表題においても本文表題においても全く待遇表現を用いて
いない理由が説明できない︒
﹁仙人﹂もしくは﹁仙﹂ ︵仙人と同義︶が説話表題の中にあらわ
れるのは︑⑮の当該例の他には︑ ﹁五130﹂︑ ﹁十三13﹂︑ ﹁十 三14﹂の三例しかなく︑いずれも︑特に待遇表現は与えられてい シヤウニン ない︒又一角仙人は︑本文中では﹁聖人し ︵﹁大系﹂一︑三四九ぺ五 行︶ともよばれているが︑この﹁聖人﹂が説話表題の中にあらわれ ︵注10︶ てくる九例は︑ いずれも徒遇表現はみられない︒ このように﹁仙
人﹂もしくは﹁聖人﹂は︑一角仙人以外に十二例も説話表題中にあ らわれてくるにもかかわらず︑一角仙人のみが﹁被﹂字で待遇され
ているのである︒
翻今昔物語集の本文においては︑ ﹁被﹂ ︵る︶の敬老は︑あまり高
三五
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二一号
︵注11︶ い方ではないことが桜井光照氏によって報告されているから︑一般
に︑ ﹁仏﹂に集中的に用いた﹁給﹂でなく︑ や〜敬度の低い﹁る
︵被︶﹂をもって一角仙人を待遇しているのだという解釈も︑その
限りにおいては不可能ではないだろう︒
しかし︑本話の典拠は︑ ﹁法苑珠林﹂曝書八十八︑欲益篇第八十 ね お 一之一︑五欲部第四︑詞欲 であり︑原拠は︑大智度論述第十七で
ある︒これら出典に︑直接今昔物語集が拠ったか否かは勿論明確で
はないが︑もし﹁法三珠林﹂そのものでないにせよ︑おそらくは︑
漢文体もしくは変体漢文体の出典が存在したものと思われる︒巻五 は 第四話の説話表題にみられる﹁被﹂字は︑説話本文の内容を誤解し
たために生じた表現の誤りであると解し︑説話表題としては︑やは
り受身形に訓むのが正しいのではないだろうか︒
このように説話表題と本文内容の一致しない説話は︑他にも例が
みられる︒例えば︑
⑳ 林中亡目象為母致孝駈星影廿山ハ ︵五一%︸︶
において︑説話表題では︑ ﹁盲象﹂が母に孝養をつくしたことにな
っているが︑本文では︑盲︵めしい︶になったのは︑母象の方で︑
盲の母象に釈迦仏の化身である子の象が孝養をつくした説話なので
ある︒この巻五第二十六話の出典は︑大唐西域記第九・摩掲三国下
であるが︑やはり内容の誤解による誤りと思われる︒但しこの場合
には︑本文中で︑子の象を﹁香象﹂とよんでいるので︑それからの
類推もしくは誤解︑又は︑単に説話表題における誤字であるかもし
れないという疑問は残るわけである︒
次に㈲の例について考えてみよう︒
巻二の第三話から第十話までは︑次のように︑統一された形式の
目録表題が並んでいる︒
鋤
㈱ 働
㈲ ⑫の
㈱
㈱ 伽
於山階寺野飼町会語聾三
於大極殿行御斎会語第四
於薬師寺行最勝会語第五
於山階寺行浬葉会語第六
於東大寺行花厳会動静七
置薬師寺行萬燈会語第八
無比叡山行舎利会語第九
一石清水行放生会語第十 ︵十二一3︶ ︵十二一4︶ ︵十ニー5︶ ︵十ニー6︶ ︵十ニー7︶ ︵十二一8︶ ︵十二一9︶
︵十二一10︶ 三六
この一連の目録表題を︑本文表題と比較してみると︑第四話だけ が︑本文表題だけに﹁被﹂字があらわれ︑用例⑯のような形をとっ
ているのである︒これは︑ ﹁給﹂の項において推察した︑本文表題
の性質のあらわれとして︑本文記述の影響を強く受けているものと
思われる︒すなわち︑この場合︑本文の中に︑次の記述がある︒
﹁其︐御時︒︵筆者︑注・高野姫天皇の時のこと︶大極殿℃御斎会.ハ被
始行タル也ヶリ︒﹂ ︵十二i4︶ ︵﹁大系﹂三︑一三五ぺ八行︶
以上を考えてみると︑今昔物語集の説話表題の表現においては︑
﹁被﹂字を尊敬に用いるということはなかったものと考えるのが妥
当なごとくである︒ ﹁被﹂字は︑今昔物語集の説話表題の表現にお
いては︑受身専用とみてよいと思われる︒ 翰奉 ︵ ﹁奉﹂は用例が少なく︑目録表題に四例︑本文表題のみに二例の
計六例しかみられないので︑次に全用例をあげて示す︒
⑫ 9
圃
㊤①62
尼所被盗持佛自然奉値語第十七︵十二!17︶
奉入法花経筥自然延語第廿六︵十二一26︶
吉祥天女白樺奉嬉々罰語第二五︵十七145︶
東山科藤尾寺尼奉遷八幡新宮語第一︵一一二一1︶
㈱ 提婆一一一層割目第十︵一一10︶ ︵本文表題のみ︶
㈱ 鳩摩羅焔奉盗寸寸震旦語第五︵六一5︶ ︵本文表題のみ︶
用例が少ないので断言することはできないが︑この範囲で考えれ
ば︑次のようなことが分る︒
a︑ ﹁奉﹂の使用対象
まず︑使用対象が仏教関係に偏していることが分る︒
b︑ ﹁奉﹂を伴う動詞の性質
﹁奉﹂を伴っている動詞は︑ ﹁値..﹂ ﹁犯オカス﹂ ﹁入.ル﹂ ﹁遷ウ
︒ス﹂﹁課ア一.ソ.﹂﹁盗.ス.﹂である︒ これからみると︑ ﹁犯﹂﹁謬﹂
﹁盗﹂などのよくない意味内容を持つ動詞を︑仏教関係︑仏とか吉
祥二女とかを対象として使用する場合に︑ ﹁奉﹂を併用してその語
感のどぎつさをやわらげているのではないかと思われる︒
意味内容としては無色であると思われるコ遷ウッス﹂の場合にも︑
働の用例の説話本文をみると︑尼が︑細越にも遷してしまいよくな
い結果を招いたという非難の気持がこめられているのである︒
c︑ ﹁奉﹂の語序 ﹁奉﹂の語序は︑六例とも︑用言をあらわす文字のすぐ上に置か
れている︒すなわち︑﹁奉﹂の場合︑﹁被﹂字の場合と同様に︑必
らず反読をともなっている︒これは﹁給﹂の場合とは全く反対の現
象を示している︒ w 御 ︵ 次に︑ 説話表題にあらわれる﹁御﹂の全用例を使用対象別に示
す︒用例の表示は第一表に従う︒なお︑﹁御﹂の場合は︑目録表題
と本文表題の間に出入りはなかった︒今︑ ︵︶内に﹁御﹂を伴な
っている語も示す︒
第二表に基いて︑次の諸点があきらかになる︒
今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現︵山口︶
﹁ 勧
る れ
わ ら あ
題 に
表
話
説
劃 儲 二
使用対象7 ﹁御一を有する説話表題と用例 亙総計
観 音 三i54︵御身︶︑四135︵御弟子︶ 仏 ニー1︵御父︶︑三一5︵三音︶︑
4
十山バーU ︵御頭︶︑ 十山ハi30 ︵御帳︶ 一2
天 神 二四一28︵御製︶
了
天 皇
院 十一i50 十九一17 二七一10 ︵御子︶︑ ︵御子︶︑ ︵御燈油︶ 十五156︵御孫︶︑ 二四一31︵御屏風︶︑ ︑二八141︵御門︶
二十一10
二四一54
二八一57 ︵御代︶︑ ︵御子︶︑
︵御門︶ 二四一40︵御葬送︶︑ 二八i5︵御子日︶︑
5 6
天竺国玉 五112︵御行︶
丁
左大七 二八一四︵御読経所︶
T
20
a︑ ﹁御﹂の使用対象 ﹁御﹂の使用対象は︑仏教関係︑神︑皇室関係︑その他︑と多岐
にわたっているが︑ 集申の度合いからいえば︑ ﹁御﹂は︑皇室関
係︑すなわち帝と院に対して集中して用いられている︒この点にお
いて﹁給﹂と対照的な現象を示しているといえよう︒
b︑ ﹁御﹂を伴なう語の性格
﹁御﹂が接している語彙をみると︑ ﹁御代﹂ ﹁御門﹂ ﹁御行﹂
﹁御読経所﹂﹁御製﹂などのように︑一種慣用語化して﹁御﹂がつ
けられているものが多い︒従ってこれらの﹁御﹂は︑直接には︑そ
の使用対象に対しての敬意というよりは︑慣用語化された丁寧語に
近い性質のものと考えられ︑ ﹁御﹂の事例のうち︑直接的に対象に
対する敬意の表現と考えられるものは比較的少ない︒これは︑今昔
三七
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第一二号
物語集の説話表題における特性というよりも︑
の性質に基くものと考えるべきであろう︒
四
むしろ︑ ﹁御﹂自身
三︑において検討した︑四種の待遇表現をまとめて表示すると︑
次頁の第三表のようになる︒
この表をみると︒今昔物語集の説話表題における待遇表現はきわ
めて局限されていることが分る︒
先に︑桜井光昭氏は︑ ﹁今昔物語集の語法の研究﹂の第一編﹁敬
語論考﹂において︑各敬語の一度をはかるために︑次のような枠組
みを作って︑それに応じて各敬語の同一を計量された︒
第工群 天皇︑皇族︑摂関︑大臣︒
念写群 大納言︑中納言︑大将︑中将など︑および︑僧侶︒
第皿群 浅羽群に続くもので︑大体国司以下︒
第W群 その他︒仏神︑ 通行中旅先などでの関係︑特別な利害関
係︑肉親︑男女関係など︒
︵桜井光昭﹁今昔物語集の語法の研究﹂六ぺより︶
この枠組自身についても︑説話表題における待遇表現の状態から
考えると︑問題があるかに思われる︒すなわち︑説話表題において
は︑その待遇表現について﹁仏﹂と﹁帝・院﹂とが一種特別の位置
を与えられていることが分る︒特に﹁仏﹂は︑それが説話表題の中
で主語としてあらわれる場合は︑必らず待遇表現を伴う︒その点︑
﹁帝・院﹂の方には︑ それほどの一貫性はなく︑ ﹁天皇﹂自身が
主格に立つ説話表題においても︑待遇表現が皆無の事例が九例みら
︵注15︶
れる︒この点からみても今昔物語集においては︑ ﹁仏﹂に対する待
遇表現は︑ある程度︑きわだっているといえよう︒そして︑このこ
とは︑桜井氏も︑今昔物語集の本文について調査︑報告しておられ 三八
︵注16︶ るところなのであるから︑枠組自身も︑ ﹁仏神﹂特に﹁仏﹂を︑第
W群として︑ ﹁通行中・旅先などでの関係﹂などと同一範疇に入れ
られることはいかがであろうか︒ ﹁仏﹂に対しては︑別途の扱いを
考えるべきかと思われる︒
このように枠組自身にも問題があると思われるが︑今︑本文にお
ける待遇法との比較という観点から︑この枠組を用いて桜井氏の調
査と︑説話表題における待遇法を対応させてみよう︒
まず︑桜井氏は︑﹁今昔物語集の尊敬語の使用状態は︑不統一で
あるが︑その中で︑仏に対してだけは一通り尊敬語を用いている︒
そしてその尊敬語は︑もっぱら中程度の敬度を持っている﹁給﹂が ︹注17︶ 用いられている︒﹂ ︵筆者要約︶といわれる︒この点に関しては︑
説話表題における待遇表現についても︑そのままあてはまるといえ
る︒前述したように︑説話表題の中で﹁仏﹂自身が主格に立つ場合
には︑例外なく待遇表現を伴い︑その場合主として﹁給﹂が用いら
れている︒
又︑ 桜井氏は﹁敬語の使用対象のうち︑ 仏以外のものについて ︵注18︶ は︑その下限が原則として︑地の文では第互群までである︒﹂ ︵筆
者要約︶といわれる︒この点に関しては︑説話表題においては︑更
に単純な形︑すなわち︑ ﹁天皇・院﹂に集中︑局限して用いられる
という形がみられた︒ すなわち︑説話表題における待遇表現について︑次の二点がはっ
きりしている︒
①使用対象は︑ 第工群と第W群のそれぞれ最高位︑ ﹁帝・院﹂と
﹁仏﹂に局限され.ていること︒
②﹁仏﹂に対しでは﹁給﹂︑﹁帝・院﹂に対しては﹁御﹂が集中的
に用いられていること︒
二 二 遇
二
二 掴
上 に
表 話
説
集
語
物 二 二
二 備 三
給
A
仏
教
関 係
隅
一111︑一一12︑一115
一一14︑一一︑一118 ニー2︑二一5︑二一4 二一5︑三一B︑三一20
三i28︑三一29︑三一50 三一51︑三一53
二一1︵仏御父︶
三一55︵摩耶夫人︶
如 来
迦
一12 一一1 釈
画 あ
菩
三一2︵文珠︶
経 花 法
十二!29
十ニー30 神
神 天
二四一28 皇 室 関 係 皇 天
二四126
二四一42︵女御︶ 院
二四一41 二七i2 その他
三 被
品
旦
一119︑一i20
=
C
十六一8︑ 十六112
十六一15︵以上観音︶ 十七一54︑十七一55 ︵以上弥勒︶
十七156︵文殊︶
十七一57︵行基︶
A﹇ ︵五一4︶
」 ︵一角仙人︶
c一
=
{( m丁︶
A
十二一17 十七t45︵吉祥天女︶ 三一11︵八幡新宮︶ £了u︑山→5
A
二一1︑三一5
三154︑四一55 十六一11︑十六150 ︵以上観音︶ 十二i26
τ山羊 十一一50︑十五一56 十九117︑二四151
二七一10︑二八!41 二十一10︑二四一40 二四154︑二八一5
二八157 五一12 ︵天竺国王︶ 二八117 ︵左大臣︶
︵注︶ Al目録表題︑本文表題ともに有るもの Bl目録表題のみに有り︑本文表題にはないもの Cl目録表題にはなく本文表題のみに有るもの
今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現︵山口︶ 三九
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第一二号
五
文章表現上︑補助動詞や接頭語を用いて敬意を表現するという事
例は︑以上のとおりである︒しかし︑日本語の場合︑用言自身によ って待遇表現をなし得るのであるから︑そういう事例を次に検討し
てみる︒ 用言自身の中に待遇意識が含まれているものの範囲を定めること
は︑ かなり困難であるが︑ 全一〇五九話の目録表題の用言を検討
し︑待遇意識が含まれているものとして︑﹁詣﹂ ﹁遺﹂ ﹁給﹂﹁参﹂
﹁敬﹂の五動詞を拾い出した︒こういう動詞が用いられていれば︑
﹁給﹂や﹁御﹂によって敬意表現を付加していなくても︑一応その
対象に対して待遇表現を行なっているといえよう︒用例は次のとお
りである︒
現
野 菰
よ る 待
に
言 用
劃 馬 四
詣
参 仏 教 関 係 仏
一〜25︑ 一一24︑
一127︑二一18︑
三〜25 菩薩など
十六一闘 ︵観音︶
二九122︵寺︶
十六−銘 ︵観音︶
十九141︵観音︶ 神
稲 荷 二八11 皇室関係 天皇院
二十一4 二七t9 三三盛
敬 下七去︵畿と 二八t5
給 渓論︑︵翻音︶
この表によると︑用言︵動詞︶自身によって待遇表現がなされて
いる場合にも︑仏教関係︵仏自身と菩薩たち︶に︑敬意を含んだ用
言が集中的に用いられていることが分る︒
六
四〇
以上︑説話表題において︑補助動詞や接頭語を用いて待遇表現を
行なっている事例︑および︑用言自身に待遇意識の含まれている事
例をみた︒すなわち︑文章表現上︑敬意が文字面に表記されている
事例については検討を終えた︒次に︑これらの敬意表現の対象とな っていた︑仏教関係や本朝皇室関係の︑同じ対象に対して︑待遇表
現が文字面には全くあらわれていない事例の有無について検討して
みよう︒ 結果をいえば︑第三表・第四表にかかげた待遇表現の全対象︑す
なわち︑敬意が文字面に表記されていたあらゆる対象について︑そ
れぞれ︑その同じ対象に対して敬意が文字面には明示されていない
事例が存在する︒今︑これをかりに﹁待遇表現不顕例﹂とよび︑次
に表示する︒ ﹁その他﹂の欄は設けない︒ ﹁その他﹂は待遇表現が
ないのが一般で︑第三表にあげた三例が例外なのである︒
前掲第三表・第四表および︑この第五表を対照させれば︑今昔物
語集の説話表題においては︑ ﹁仏﹂以下のどの対象であっても︑完
全に一貫統一した基準をもって漏れなく待遇表現を与えられている
対象はないことが判明した︒但し︑第五表をよく検討すると︑やは
り対象によって︑幾分かその扱われ方に違いがあること分る︒次に
掲げよう︒
①﹁仏﹂自身を主語として説話表題が記述されている事例において
は︑必らず︑待遇表現が文字化されている︒ ﹁仏﹂を対象とする事
例のうち﹁主語として﹂あらわれるという欄に︵︶をつけて示し
た参考例は︑いずれも﹁仏﹂自身ではなく︑ ﹁絵像﹂や﹁仏像﹂が
主語となっている事例なのである︒ ﹁仏﹂自身が説話表題の主語で
ありながら︑待遇表現が文字面に表記されていない事例は一例もな
例 顕
現 不
遇 表
待
掲 減
題 に
話 表
葡 説
僅 五
て
し と
語 主 て
し と
語
台 目
と 格て 補し
仏
教
関 係
仏
︵四一16︶ ︵絵佛︶
︵十二一B︶ ︵阿弥陀絵像︶
︵十二一19︶ ︵薬師佛︶
一116︑25C
一151︑35︑54︑
十五152︑55 蕊︒︸罐吐
一⁝56 ︸i57︑58B︵﹁称﹂と併出︶ 三152︵﹁浬架﹂と併出︶ 釈迦如玉 菩薩 た ち 法 花 経
一18 四一25︑26︑27 十一i2
十六一18︑59︑如 十七13︑6
四i59 十一ーワ
十七一1︑5︑ワ︑ 15︑17︑18︑
22︑25︑25︑
29︑50︑51︑ 9︑ 19︑ 26︑
52︑ 12︑14︑ 20︑21︑ 27︑28︑
58
十七18︑56 四一40 七i16︑17︑18︑ 20︑21︑22︑ 24︑25︑31︑
神
二一27 ︵天竺神︶ 二六18
︵猿神︶
二七i42
四・ス迷神︶
25︑ 52
十二一27 二四一15
︵地神︶ 皇 室 関 係 天
皇
院
十一一15︑15︑16︑17︑ 8︑9︑2︑9︑0 ヨ ユ エリ 眠薬ーワ ニ四一2
二八一15
体とて 準言し 下%
︵注︶・表中のB︑Cの記号は︑第三表に従う︒ ︵︶内の用例は参考例︒
い︒又︑目的語として﹁仏﹂があらわれている場合には︑ ﹁供養﹂
とか﹁活動﹂ということばと併出する事例が多くみられるが︑そこ
に待遇意識が全くなかったかどうかは明確になし得ぬことであり︑
このような場合に﹁タマフ﹂を補読する可能性もそこに生じてくる
■のである︒ ②﹁仏﹂という語ではないが︑ ﹁釈迦如来﹂を主語としての事例に
は︑待遇表現が文字面にあらわれていない事例が一例ある︒
㈲ 釈迦為五入比丘説法語第八︵一18︶ この例は︑語としては﹁仏﹂でないが︑﹁仏自身﹂を主語として
いる説語表題と考えるべきであるから︑この事例について検討して
今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現 みる︒ 巻一の前半は︑仏の生誕・布教を説いている部分であり︑その第
一話から第十四話までの構成は︑その説話表題の主語を目安に考え
みると次のとおりである︒
︵主語︶ ︵待遇表現の有無︶ 聯壽釈迦如琴﹁給﹂夏
諜糞太﹂
四一
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第一二号
第六話
第七話 第八話
第九車 留十話 天魔 一 ﹁給﹂無し︒
この部分において︑前半計二話︑後半計四話の﹁仏﹂自身を主語
とする説話表題には︑ ﹁給﹂が用いられているのであるから︑その
中間にある﹁仏以外﹂を主語とする説話群の中にまぎれて︑第八話
の﹁釈迦﹂に対しても﹁給﹂が用いられていないのであろう︒一般
に︑今昔物語集の説話表題の与え方には︑このように部分的に統一 ︵注B︶ されている傾向がつよい︒この部分的統一は︑待遇表現についてい
えば︑今昔物語集の説話表現における待遇表現が意図的に与えられ
ているものではないことを物語っていよう︒
③﹁菩薩たち﹂を対象とする事例の︑待遇表現不顕例はきわめて多
い︒ 説話表題において菩薩たちが待遇表現の対象になるのは︑ む
しろ例外的であって︑待遇表現を与えないのが一般であろう︒巻十
六︑巻十七の本文表題のみにみられる﹁給﹂の存在は︑本文との関
係密なるによって生じた例外的なものであると考えられる︒
④﹁法花経﹂を主語とした待遇表現不顕の説話表題はない︒ ﹁給﹂
を用いて待遇表現がなされていた巻十二の第二十九話︑第三十話の
説話表題においては︑ 文章表現上は主格としてあらわれてはいる
が︑いずれも﹁誰々の持たる所の法花経﹂という形をとっており︑
法花経自身が主格に立つという形をやわらげている︒今昔物語集の 鉱 四二 説話表現の基本形は︑ ﹁誰々が︵いつどこで何を︶どうした︒﹂と いう形式︑いわば︑ 人間中心︑ 人物中心の形式であるかに思われ
︵注20︶る︒ ⑤﹁天皇﹂に対して文字面に待遇表現が表記されていない事例は︑
﹁天皇﹂が主格に立つ事例のみである︒天皇や天皇に付属する何も
のかを目的語などにする場合には﹁御﹂などをつけて待遇すること
が一般通念化していたため︑かえって漏れなく表記されたものであ
ろう︒主格の場合の不顕例も︑前述のとおり︑﹁タマフ﹂などを補
読する可能性は強いわけで︑現に︑岩波書店刊の﹁日本古典文学大
系﹂所収の﹁今昔物語集﹂では︑すべて︑この事例については﹁タ
マフ﹂を補読している︒
七
以上︑ 今昔物語集の説話表題における待遇表現を通覧すると︑
﹁仏﹂と﹁天皇・院﹂に対しては︑かなり集中的に待遇表現がなさ
れていることが分る︒ けれども︑いずれの場合にも︑ かなり多く
の︑文字面には待遇表現が表記されていない事例もみられた︒これ
らの事例において︑待遇表現を補慨すべきではないというきめ手は
なく︑むしろ︑ ﹁仏﹂や﹁天皇・院﹂に対する事例には︑待遇表現
が文字化されていない場合でも﹁タマフ﹂などを補署するべきでは ないか︑というのが︑用例の実態の指し示す方向であろう︒今昔物
語集の説話表題においては︑待遇表現を文字化するという点では厳
密さを持たず︑﹁目録﹂は単に︑一応の目安として︑便宜的に表記
・記述されたものと考えられる︒
けれども︑説話表題の記述者も︑当時の社会に生きた人間であっ
てみれば︑待遇表現を文字化して記述するという点について︑ き わだった自覚はなくとも︑おのずから自己の脳裏にある待遇表現の
尺度に従った表記を不統一ながらも行なうのは当然であろう︒そし
て︑彼︑もしくは彼らの脳裏に無自覚的に存在したのは︑仏と天皇 に対する︑いいかえれば︑あの世とこの世の最高の権威に対する待
遇意識であり︑そのために︑仏と天皇とに限っては︑かなりの集中
度を示して待遇表現が文字面にもあらわれるという結果を生んだも
のであろう︒
以上で︑今昔物語集の説話表題における待遇表現についての考察
を終えるが︑つけ加えるならば︑今昔物語集の説話表題におけるこ
の傾向︑すなわち︑待遇表現の表記を意図的に厳密には行なわない
という傾向は︑大よそ︑説話集の表題全般を通じていえることでは ︵注21V ないかと考えられる︒
︵注︶
ω 桜井光昭﹁今昔物語集の語法の研究﹂第一編﹁敬語論考﹂
㈲ 現在のところ︑ ﹁目録﹂そのもの︑もしくは︑説話表題そのものを対象
と︐して扱っている論考を筆者は知らない︒但し︑現在の段階では︑いろ
いろな現象を総合的に判断すると︑今昔物語集の目録︵又は説話表題︶は
本文執筆に先だって︑編著者自身が︑編著の目安として作成したものと
考えるのが妥当かと思われる︒馬渕和夫﹁今昔物語集における欠文の研
究﹂ ︵研究資料叢書︵有精堂︶二七八ぺ下第二︶ ﹁平安朝文学史﹂ ︵明
治書院︶ ︵第二編五八三ぺ〜五九一ぺ︶など参照︒
㈲ 私は︑前稿﹁今昔物語集﹁目録﹂考iその表題形式についてIL ︵﹁語
文研究﹂三一︑三二合併号︑所載︶においては︑本文の中の説話表題を
﹁内題﹂と仮称して論Uた︒しかし︑この名称は︑普通︑書誌学︑文献
学などにおいて︑書物の上表紙でなく︑扉に書かれている題名をよぶ術
語として通用しているものであるから︑その混乱をさけて︑ここに﹁目
録表題﹂ ﹁本文表題﹂という名称を提唱したいと思う︒
ω 拙稿﹁今昔物語集﹁目録﹂考一その表題形式についてL ︵﹁語文研究﹂
三一︑三二合併号︑所載︶参照︒
今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現︵山口︶
㈲
㈲ の
㈲
㈲
⑳ q①
㈲ 吻
㈱ 囲
㎝ ㈲
働 ⑬
⑳ 伽
目録表題における﹁菩薩﹂を対象とした﹁給﹂は︑例文①に示した巻甲
乙二話の事例が一例だけである︒
築島裕﹁平安時代語新論﹂五〇五︑五〇六学参照︒
岩波書店刊﹁日本古典文学大系﹂今昔物語集における訓み︒
昭和四十六年度西日本国語国文学会において発表の席上︑福岡大学穴山
孝道教授よりご示唆をいただいた︒
︒天帝釈夫人金脂音聞仙人語第三十︵五一50︶︑ ︒陽勝︑修苦行成仙人
語第三︵十三一5︶︑︒下野国僧住古仙洞語第四︵十三一4︶の計三話︒
十二一1︑十三一20︑十三一25︑十三一24︑十三125︑二六t18︑二八 124︑二九一9︑三一t2の計九例︒
桜井光昭﹁今昔物語集の語法の研究﹂ 一五二ぺ参照︒
岩波書店﹁日本古典文学大系﹂今昔物語集の頭注によると︑ ︵﹁大系﹂
一、
O四八ぺ︶出典は﹁法苑珠林巻第七十一︑阿欲部第四﹂とある︒筆
者は︑四部叢刊に収められている﹁動静珠林﹂により︑巻数︑篇目︑部
目を示した︒
﹁大系﹂本の出典表示に従う︒筆者は確認していない︒
ちなみに︑ ﹁法言装置﹂には︑ 勿論︑ 各説話の題名はなく︑本文には
﹁負﹂に相当する表現はない︒ ﹁言言頂上當携汝﹂ ︵四部叢刊︑法苑珠
林二八︑二十オ︑七行︶とあるだけである︒
十一−局︑十一116︑十一117︑十一!18︑十一一19︑十一122︑十一
i50︑二十ーワ︑二四12の計九例︒第五表参照︒
桜井光昭﹁今昔物語集の語法の研究﹂第一編︑第六章﹁仏と尊敬語﹂
︵一七〇〜一八三ぺ︶参照︒
前掲書第一篇︒第六章︒ ︵一七〇〜一七六ぺ︶参照︒
前掲書︑第一篇︒第三章︒ ︵七八ぺ︶参照︒
注ω拙稿参照︒
注ω拙稿参照︒
この問題は︑おそらく︑ ﹁説話表題︵目録︶﹂というものの性質に基く
ものでもあろうし︑又︑当時の人々の言語表記の問題でもあろう︒今︑
四三
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第一二号 四四
おおよその傾向をみるため︑今昔物語集前後の諸説話集の説話表題にお
ける待遇表現のあらわれ方を一部︑表示してみる︒ 一体に︑説話表題の
中では︑文字化された待遇表現がきわめて少ないことが分る︒
豹
遇 表
け る 待
に お
題
表
話
説
の
集
説 話
儲
給
被 奉
御
説話総数 尊敬語件数
比 率 霊異記 今昔物語集 打聞集 古本説話集宇治拾遺物語
0
40
1
4
5 0
0 5
m
3
ワ●
2
︵2二−
6
0
59 20
10
27 0
68
1
5
6
ワ・
5
2
0 0
6
70 4
97 5
1 10
16
ワ●