現住に生官る千摘の鍛り
はじめに 1練りとは何か
2千現地区の信仰の概寓 3撤満大井神社
3. 1神社の由来
3.2神社構内及び社殿の配置 3.3神社の管理
3.4神 職 4氏子組織
4. 1氏子
4.2氏子総代
4.3世話人及び神社係 5千頭における鍛り
5. 1鯨りの搬戒の瞭イヒー昭和50年聞から珊悲 5.2鍛り(神事)の慨斑
5.2. 1麟りの糟備・灘行 5.ι2 2月 祈 年 蝦
5.2.3 10月 新齢期(秋鍛り)
5.2.4 r七十五臓Jの献じ品 5.3秋の大鍛
5.3. 1運営組織
5.3.2各区:&び各当番組の準備 5.3.3仮装行列・花火・演芸
6考察 おわりに 番齢者文献
はじめに
現代に生ぎる千閣の斜り
佐 野 真 也
川根本町千問地阪内にある敬満大井神社において行われる鍛りについて取り 然りは、神社内で行われる神事が中心になっている。 4
く、 なかた
現代に~~き り
りがどのよう
れ、 いるのか
る り栓取り し、
ろうか。そ H
よってどのよ とである。
1無りとはなにか
一般的な意味での掛りとは、
る儀式や、それにともなうに
をなぐさめ、また、祈
@(商j占街などで)容をふやすためのもよおし。 J である(~二三省堂国語辞典揺ら版~ )。本来は神と深く関わる、深く関わる行事であるが、昨今では 祭りというと@に繋がることが多いだろう。
『古事記』の崇神天皇の段には、「宇陀の墨坂の神に、赤き色の楯矛を集りまた大坂の神 に、黒き色の楯矛を祭り、また坂の御尾の神または河の瀬の神に、ことごと金主るること なく、幣吊を~りたまひき j とあり、楯や矛を神に奉ることを「祭る J と表している。つまり 祭りとは神々に対する供え物を奉る、献上するという意味を表して、そこに「銭Jの宇を当 てたといえる(真弓 198配72ヴ3)。つまりここ
る。
日本民俗学の始祖たる柳間同開は、
りの意味は、神に「まつるJということであ
点
Jことで る、
礼へJという
化するようになってくると、
になってくるむこうした動古の中で誤りの中に である。これは「鎖りJから「祭礼」 への変避といえる。
興味深い点は、柳問が「祭り」と「祭礼」を本質的には異なるものと考えていないという点 であろう。つまり、「祭礼」化した都市型の祭りが一般化しても、その中には本来の祭りの 姿が残拝していると推測している点である。柳田は長い歴史の中で形成されてきた祭りの 構成要素を一つ一つ読み解くことで結果的に祭りの核の部分に到達しようと試みたのであ している の であり、ここから柳田の「掛りから部
し、人口 りを眺める よ Vつ
られるjの│剥係が生じていったの
った(俵木2009:25・27)。
2千踊地区の信仰の槻聾 の借仰の閲する
ということである。 つ
同地区に していない
問、神社が刊であった。
はなくなり、
現代に生きる千頭の摂り
ょん していった。
いう。
『川組本町史 通史編:3 J説明代』に神光者の詳細が記載古れているので、ここではそ の概略を述べるα神光寺は、ノゴ治光年(1658年)に千昭村(当時)の殿何回郎兵衛が観天寺の取次 布として建立されたが、明治期に入ると槽家が減少した。明治3年(1850年)に神光寺住職康 全から静岡郡役所宛に提出された『千頭村神光寺・閏月号15 明細控帳~( ~ )11 植本町史資料編 3~) には、「奇領地合わせておよそ一反四畝,槙家無しJと記載されている。 1反はおよそ 990 平方メートルで、1畝はおよそ 100平方メートルなので、「一反四畝」というと、およそ 1400 平方メートル弱である。乙れほどの面積で檀家がないとなると寺の経営が成り立たない。
そして明治 19年(1886年)3月2日付けで、観天寺住職大村龍泉宛に神葬祭への改式届けを 提出し、明1治向 2加0年(什18儲8H年) している。なお、神光寺、同月寺共に明治 3年(1870年) のH時寺点で より千田村のほとんどは神葬祭へと移行して いたようでで あるα
つまり、
にある、祖盟社(神道のき誌の祖霊を叩つである)を共同で杷るための組織である。
には、豊川稲荷別院、草分観音菩雌、既申塔、大日
どが、住民の倍仰の対象として存在している。また、秋葉信仰の建造物である千顕秋葉常 夜灯は、平成17(2005)年に町の有形文化財(建造物指定)になっている。
庇巾塔は、中国から伝来した庚申信仰の基づく塔で、神道においては「申Jの宇からその 祭神は「積田彦命jとされる。本報告書において報告する敬満大井神社の祭りでは、この犠 凹彦命(天物)が道行きにおいてわ二列を先導する役割を果たしている。同地区において行われ る祭りが、地区内の信仰と結びついている例といえよう。
また、毎年八月七日には七夕搭りが、観天寺の和尚を時んで、行われる。大井川沿いにあ る川栂路安全地蔵、守馬匹の交通安全地蔵、大日如来像、聞広の桶荷神社を飾りつけて、
3触満大件神社 札1神社の由蝋
ものである。
る下聞の娯り
る
よもに境内村:として合相支持斎した。昭和二十一年六月十五日宗教法人令によ
し、昭和二十八年六月二十五日京教法人法による神社を殻立畳間した。 平成七年十月 日』とある。また、摂神は由緒帯にあるとおり、伊弊再尊、天児盤機命、日本武尊、瀬織 津姫命である。
日本武尊を祭神とする神社は大井川流域に多く分布している。古事記によれば、白木武 尊の東征のとき、現在の焼津市の地方官が謀って日本武尊のいる野原に火を放ち陥れよう としたが、日本武尊は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で周聞の草を薙ぎ、迎え火を放って 難を逃れたと伝える。その様相が烈火のように見え、あるいはその火で、撃が焼け燃え盛っ たという{足元長から、「焼津Jと命名されたといわれる。このように大井川流域と日本武轄と のゆかりは深く、敬満大井神社においても
*た、部神の中で水の神として糊織津姫命(セオリツヒメノミコト)が杷られているのは、
しいことらしく、 ズハメノカ られている
る。しかし、
していることから、
ものであった可能性は十分にある られる。
満社Jから
大井神社の由来は他と
3.2神社境内法び社殿の配置
敬満大井神社には鳥肘が2つあり、本殿に近い力の鳥崩(第2の鳥居)は比較的新しいもので、
平成元(1989)年4月に松岡嘉兵衛氏によって建立されたと鳥居に記されている。これは、神 社境内を横断する道路と関係があるようだ。神社において鳥居は、人間の住む俗界と神が 住む神界との境界であり、神界への入り口と考えられている。したがってその聞に道路が あり、その道路を越えて本殿へ向かうということは第 1の鳥居合くぐった後(神界への進入) に再び俗界に麗ってしまうことを意味していて、そのためもう一度神界へと入るための人
たと者向えられる白鳥崩の形式は双方とも明神鳥間である。
川リ
7 くられたも
現代に牛きる千頭の祭り
殿とその後ろに本殿がある(写真1)。建築様式としては全国的に分布している流造りである。
神社の境内には、拝殿に向かつて右側に八幡社と祖霊社があり、左側には土や畑を司る 神で、生蕨の栄を守る神である楠山比売命(ハニヤマヒメノミコト)を把る洞と納札所がある(図 l参照)。通常時には拝殿に餐銭箱はないが、祭りの際には養銭箱が拝殿の前に置かれる。普 段餐銭箱は拝殿の巾に納められていて、これは10数年前に餐銭泥棒の被害に何度もあった からだという。
写真1敬満大井神社拝殿
3.3神社の管理
神社の管理は、慕本的には千頭の住民全員によって担われている。主な管理を行うのは 氏子総代であり、拝殿及び本殿の鍵の管理、費銭箱の管理、神社の備品の管理を担当して いる。神社は寺馬医に属しているが、清掃は大体各区の班のlr寸の二J涯が組になって行われ、
月に一度程度順番で回っていく。
3.4神 職
現在千頭には、敬満メ;井神社専属の神主は存在しない。小長井地区の芹沢徳治氏が宵司 を務め、千頭の森達雄氏がその補佐をするというかたちをとっている。両氏ともいくつか の神社を掛け持ちしており、森氏は敬満大井神社の神事の際には禰宜の役割を巣たしてい るが、他神社では宮司を務めている。
納~~:PJf
I 口
埴山比売命〈ハニヤ マピメノミヨト〉喜市Eる詞
拝 殿
円 和 的 島 趨
関 1倣満大井神社繍内及び枇殿配蹴悶
現代に中ざる千顕の掛り
J.I.帽 社
口
祖 霊 社
苦学期間
4氏子組織 4. 1氏子
とは、
るい 、'Y‑‑ とし、
府つ し、 み
は
現代に生きる下踊の斜り
よ称するのである(佐野1994:355‑356)。純粋な単位(血縁)に某づいて「氏神Jを奉り、「ウ ヂ(氏旋)Jが社会組織の単位であった氏族制度の時代には、神意こそが論聞であり、神意を 受ける者は氏神のi直系の子孫(i氏上Jうじのかみ)と考えられていた。氏上は一般の「氏人J(う
じびと)から絶対的な信頼を得ていて尊敬の対象であったのこの「氏人」が中世以降になると、
社会組織が巾h縁から地縁へと推移する中で、神社の祭示包囲を構成する人々、すなわち現在 の「氏子」という呼び名へと変遷していったのである。
敬満大井神社における氏子組織は、千顕地区の住民を東区(jニ・下)、商区、寺馬区、沢問 区の 5つに分けたそれぞれによって構成されている。点区はイ也の区に比べて戸数が多いた め、区の中の班によっててつ られている(上:1班から6班、下:7班から 13班)。
│芯に
4.2氏子総代
る(井上 1994:358)。
中からi盟出されることになっている。
神社 るた
現在千聞には 15名の氏子総代がいる。氏子総代の中には、責任総代(代表役員)が名、
任役員が 4名含まれている。責任総代は、敬満大井神社の宮市である小長井の芹沢徳治氏 が就任している。そのため責任総代は主に神事においてその役割を発揮し、責任役人及び 他の氏子総代は、その補佐並びに神社の実際の維持・管理に携わる。
定期的に総代会を聞くということはなく、何か問題が持ちf‑.がった場合や祭りの 3ヶ月 前くらいに聞かれるのが通例なようである。
4.3世話人及び神社係
に1名か2名いる られる。世話人は神 り、斜り
られ、そこから られる、
いう になってい 酔開)
神社世話人(1~r""' 2名)
圃
神社係 (1名)
医国
現代に生営る千立闘の怨り
間2 敬満大井神社における決定事璃の情報の流れ方
5千踊地区における続り
5. 1鍛りの輔式の斑イヒー昭和50年明から珊枝
とし り 秋怒り
り 2 50 3凹
しかし、
たという。かつては 11月の り、「七十五蹄jの献じ品 していた。しかし、秋掛りと新輯掛が一緒に行われるようになってからは卜月
れるようになった。
あたるもので、毎年盛大に行われていたようである。昭和初年頃 は、千閣営林署の署員 800人ほどが千盟地区内の寮などに住んで、いたという。そのため彼 らの協}lもあり、当時の秋祭りは盛大なものであったという声が、多くの住民たち聞かれ た。
昭和60年頃から秋の大祭は硯在のように4年に]度行われるようになった。千頭地区に おいては現在、 2月の祈年祭、 10月の秋祭り(新嘗祭)、そして4年に1度大祭として秋祭り が実施されている。
5.2鍛り(神噂)の概要
よい
における然り ほ り(新瞥然)の│慌には I
りの概邸につい
じ品が各正予から
5.2. 1頼りの準備・進行
らから
10月2潟、 23R
した。
現代に生ぎる千臓の麟1)
品祭りの準備や当日の進行などは主に岱当番組、氏子総代によって行われる。実寄りに携 わる主な役割としては、以下のものが挙げられる。世話人、副世話人、神{摸品係、会計係(審 銭耕煙、諸費収納収支担当)、連絡係(神職)、神楽係、進行係、準備係、整理係(主として話器具の出
し入れ、清掃)、先導(狼悶彦係)、花火係、のぼり旗係などである。
当番組が祭りの前日(前夜祭)までに準備しておかなければならない主な事項は、①祭典助 勤者一名・伶人3名・舞子(神楽を舞う人)の依頼、@宮司の依頼、@合図用の花火五発を購入 (花火の打ち上げは、早朝司神社に集合した時.j亙?子宮が香取殿を出発した時・祭出開始・娯典終了の計五 回f子われる)、伺の準備並びに花火打ち上げの申捕、、海水(Iはまみれ、後に詳lli)の 準 備 、 榊
センチ'"120センチくらいのもの桂5"'‑'6本)であるω
っιいるじま
とで
が、当話会組はとの儀式で必要な柾付古の竹、組連綱、榊位、 3本)、献僻品(自主任lrv2合・塩・
酒)、湖水(新しい竹筒に入れる)を準備しておかなければならない。
前夜祭は、例年は午後日時頃から会館で行われる。平成22年度の前夜惑は午後記時ごろ から東区の会館で行われたο 床の間に祭壊を作り、宮司や氏子総代のほか世話人や当番組 の各班長らも参加する。まず常司がお被いをし、神鱗(ひもろぎ)に神を迎え、祝詞を奏上し、
参列者もお被いをしてもらう。そして宮司、参列者で御神酒をいただき、前夜祭は終了す る。その後、宮司よ役員で直会を行う。前疲祭で献納される神僕は以下のものである(例年ほ ぽ変わりはない)。白米(2合)、酒、海菜、野菜、塩、水である(配憧については図2事照)。
本祭主当日は、まず午前 6時に花火が打ち上げられる。花火を打ち上げるのは、打ち上げ の資格を有しているもので、千踊地│メに数人帯視する。なお、資格栓取るためには講背を
ければならない。
摺灯)、神職へ
現代に生きる千頭の祭り
わせをしたり、当日の確認などをしたりして過ごす。
午前8時頃に花火が上がり、会館から神朴.までの道行きが始まる。行列は猿問彦、伶人(太 鼓、笛)、辛植、宮司、役員のJI債で進む。その際先顕の猿田彦は、「オォー」という声を上げな がら歩いていく。服装は、猿田12は天狗の仮而と衣装をまとい、伶人は羽織袴を着る。役 員もかつては羽織袴を着ていたが現在はスーツを着る場合が多い。
かつては当屋(現在は会館)から神社まで歩いていっていたが、最近では当番組の区の端まで 歩いたら、そとから神社までは車で移動する。車は当番組が手配する。 鳥居の前まで車で 移動し、そこからは階段を登り、拝殿まで歩いていく(写真到。拝殿まで辿り着くと積田彦 は拝殿に持っていた杖(御幣付白木杖)を置き、 2干し2拍をしてその役割を終える。そして拝殿 に宮司、役員、伶人が集まり、花火が上がり神事が始まる
写真 2 強固彦を先頭に行列が拝殿への階段を上っていく
現代に生きる下期の揺り
│主二割 司同 ~ │野菜│
お盆 お 命
1 0 0 l
直 会 用 何2つ) 闘 面亘間3前慌鏑の描鹿(掛区命館)内帥りつけの配置
りである
るの
Hi る。
@献僻
@ 祝 詞 奏 上 官 吋 が 祝 刺
@祈願詞秦上 氏子総代が祈願を奏上する。
⑦神楽奉納 千頭神楽会によって幣の舞が舞われる。
③玉串奉黛宮司、氏子総代代表、神社林管理人、神社世話人代表、神楽会代表、各区長、
当番組代表、参拝者代表が五申を奉翼する。
@撤鱗 神鶴(幣吊)が本殿から下げられる(神館の詳細は後述)。
。 閉 騨 宮司が拝殿の扉を閉める。その際禰宜は開騨のときと同様声を出す。
官町が押殿に向かいー礼。
その後桔火が上がり、神事は終了するα そし
ている区の会館) こともある
よ
り れるご:ともめるが、
ホ)小判型餅 6
υ w
4麗(大 1・中 1・小2)
へ)魚 鱗師、)11魚(l尾以上)、 め、またはしら ト)鳥(卵で代用可)
チ)海、離(おさっきは、へつもは) 板昆布・海苔・寒天
リ、)野菜(あまなからな) 人参・ごぼう・みるな・しょうが・わさび ヌ)果物
ル)水 3合
り
なお「はまみずjは、 40cmほどの竹を2本麻で、縛ったものの中に杉の葉を挿した容器にい れられている。この容器は揺りごとにつくられ、当番組がこの作成にあたる。容器の中に 入れられ、神事においては被いの水としての機能を持つ「はまみずJという名は、かつては ていたからである。つまり、 あゥT亡。
もらい受けて済ましてしまうこと ょうである。
現代に生きる千頭の斜り
縁部~ C.?::"> 椴 畑 り イヤf (:,‑‑)‑"
i 本 殿 l
i 〆 糾 !
し…同町一0一 一 一 一 一 一‑‑‑‑.1‑‑‑‑‑‑0一 一 一j ハ謀ザ〉幣 j f九要量的:時
算出 1 1 ;競
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壁 代 ¥ i 〆縄 l i 壁 代
│ 白幽山島県出叫-,…一一一一一件一千~ι--需品士再構
l ぶ a . y . " '
:神船所 1‑‑‑‑‑‑1 I f"‑"': γ一一 1‑‑晶一 r一一「
i四 四 円 併 何 一 冊i ! ! i l iJ 立!I臼 1i戸R [ I;丘;: iij ! 朱,00",; j1 背n i1 !
部 代 〆 間 1 1 j i.1 E;i j 荏~ I i 1 I
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品 司 , tJ‑‑‑‑.‑..Jし̲̲1 事 榊 剣 勾五
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1
由全討tに曜せどる、
時 桟 湖 町 山 間 に 笹 竹 忠 立 て 戸前益百をす長る
鰻り当日における拝殿の飾りつけ(綿遣雄氏から頂いた質料より) 図3
現代に生きる千闘の掛り
5.2.2 2月 例 年 鍛
しりあるいはrし 'ttJ
1J bv '
併
りで¥ はく恥神 様への捧げも
日本高山文武夫;県麟露日
このことから、 8世紀以前から 吊を各社へ分ける班幣(はん
たことはわかるが、その起源についてははっきりとしない[真弓 1985:85‑88lo明 治 の 改 暦 前 は 旧 暦2月4日に行われていたが、太陽謄への改暦後は持年2月17日に全国の神社 で行われている。
しかし、この日にちに関しては特に統一されているわけではなく、下頭地院においても 氏子や当番組の都合などによって若干日にちをずらして行われることもある。特に敬満大 井神社は専属の神職がいないため、神職と上手く日程を合わせる必要があるようである。
千頭地区の祈年祭は、以上のように日程は特に決まってはいないが、大体17日の前後に
5.2.3 10月 新帯損(秋蝦り)
いる り したよう
なら
として い
とができる ーハナヒなど 紀』神代紀に
如何の日を以って、お粧を内九百時症に賜うJとあるのが初見である。
千頭地区で行われている秋祭りの進行は祈年祭のものとほぼ同一であり、異なるのは氏 神への献じ品として七十五膳を献じる点と、宮司によって奏上される祝詞の内容である。
5.2.4 r七十五膳」の献じ晶
「七十五膳Jとは、千頭地区における各氏子が秋祭りの際に敬満大井神社に献納する品々 である。この「七十五膳」には、 1年に同地区内で収植された品々を献納することで…年の豊 穣を感謝するという意味があるロ
「七十五膳Jの献じ品を献納するという神事を行うのは、川│椴本町地区においてはこの敬 には岡山県岡山市の吉備津神社における
l
り から したとい られる。
現代に生官る平副の斜り
ある る
は、問神社のセ1:格を上げよう 闘地院の有力者らが様々なかたちで寄付高三行っていたという。「七十五鵬Jの献じ品も、時 代は定かではないがこのような神社を~る部J きの巾で神事として行われるようになった可 能性もあると考えられる。
上述した通り、「七卜丘膳Jには 1年間に同地区内で収穫された品々を献納することが某 本ではあるが、同地区では畑での作物栽培はほとんど行われておらず、各家の庭などで、小 規模に栽培しているところがみられる程度である。そのため、通常献じ品は岡地区で収穫 されたものでなくても構わないということになっているが、ほとんどの氏子は出来る限り 自分たちで収穫したものを献納するように心がけているようだ(1七十五膳」の献じ品の詳細は、
1在容照)。
るためであるω しか いる。
おお った。
榊は『占事記』神代巻の中で天岩屋に隠れた天照大神に対して行われた鋲りの中にも、
「 滞 具 山 の 抽 出 版 を 根 こ じ に こ じ て jという記述がある通り、神事だけでなく各 家の神棚や祭壇に供えられるなど、神道の神事には欠かせない植物である。そして氏子連 によって持殿に運ばれた品々は、そこから拝殿内の宮司、役員によって手渡しで本殿へと 献じられる。なお、先にも触れたが、ここで用いられる榊の葉は当番組によって事前に準 備される。
現代lこ生古る千四の斜り
現 1 七十現鵬の献じ品リスト(平成 9 進学肱脚本‘況融大学文部構郁『本川槻町平服の風俗~p.124 より作成。平成 13部腕版は轍綱大仲神祉の神職であめ腕蝿雄氏から班いたr微細大井神枇秋俄
り 七十五鵬構航海Jより作成。)
みかんX 6 みかんX6
x 5 3
チンゲンサイX 2 大 根X3
里 芋X7 盟 苧X14
大 根X2 柿X3
柿X12 ゆずX6
しいたけx 3 茶x3
野菜X2 サツマイモX7
八つ頭(苧の一種)x5 大 和 芋x2
J冬瓜 x 2 果物x 5
ゆずx3 清 酒 6
馬鈴薯
くるみ キウイ
小豆 ヤマメ
パナナ すだち
キウイ 新 高 梨
ビール ラーメン
清涼飲料水 しいたけ
澗 八 つ 瑚
平成。 献じ品 平成13f和風「七十班鵬J
現代に生きる千聞の娯り
5.3秋の大鍛
し、
5.3. 1駕営組織
秋の大棋では、神事のほかに仮装行列をはじめとする余興が行われる。これ
するのが集りの約3ヶ月に組織される実行委員会である。実行委員会には、地区金(4区の区 長)、女性の会、尚工会、氏子青年回、消防団、地元企業、氏子総代などが合まれる。地元 企業は、中部電力、大井川鍛道、森林管理所(千頭営林署)森林局、郵便局、シーテックなどで ある。
これらの組織を構成するメンバーは 2つ以上の団体に所属するなど、特に闘定されたも のではない。氏子青年目│などは、千頭地肢の高齢化の進行によって青年の数が年々減少し ているため、「青年金OBJというかたちで40代 間代あたりの男性によって構成される例 もある。これらの組織は各区によって名称は若干異なるが、おおむね以上のような性格の
される。
イ反鵠行列中における兜澗料 輔の樺鱗への申舗など)も、被日
5.3.2各区及び各当番組の準備
なった区は、祭典の準備と平行し も行う。
列の準備のもしなければいけないので、大鎮の際に当番組に った区の負担はかなり大 きくなる。しかし、どの区もお互いにその大変さを盟解しているので相互に援助しあいな がら準備が進められていく。
仮装行列は名地区の区長を中心に祭りの 2""'3ヶ月前くらいから各会館等で準備される。
仮装行列では車輸のついた握り子の大きな人形が作られる。毎回区ごとにあるテーマを設 定し、テーマに沿った山車と衣装を作成する。どの灰も「子どもに分かりやすく、楽しんで
もらえるもの」というものが基本にあるようだ。
このような火祭における準備は、時間もかかり手間もかかるもの危ので伶民間十:が立い に協力し合わなければ進行していかない。そのため、住民たちは仰とか時間をやりくりし ら出来るだけ準備に捗加するようにしている。また、構備には古くから綴りに捗加し ていや現在は副齢の住民の協力が欠かせないこともあり、銀り
しているといえる。
現代に生きるニF剛脳の繰り
5.3.3似続行列・花火・瀦搭 り、
2)。平成m
は、:院選や道1隔の狭い道も多くあるが、
あわせて行列を瀧めていくのである。なお、図 4のなかのφから@の場所では各組による 輪踊りが披露され、多くの見物客を集めていた。見物客に詔を聞くと、見物客の多くは現 布千頭には住んでいないが、かつて住んで、いた人や住民の家族や親戚、あるいは近隣地区 に住んでいる人たちなどであった。
行列がよ設終到着点である千頭駅前を通過するのは、午後 4 時をたっぷり回ってからであ る。球中に休憩が人るにしても 5時間弱もの問参加者逮は山車を引き、踊り、酒を飲みな がら4年に 1度の仮装行列を楽しんで、いた。
仮装行列が終わり Hの沈んだ午後6時明、川原では花火が打ちあがり
ステージでは住民も捗加して捕芸が行われ、協芸と空立に打ち上げられる花火
選法2平成22年度秋の大離の俄誼持列における各組の出し物と出艶順停
出発1)国序 番加間体 出し物 事加人数(人)
氏子青年 先導車
西臨 ドラゴンボール 70
2 東 ト2・3.4・ サザエさん 100 東5・6 AKB56メイドカフェ 45
4 沢馬区 狐の嫁入り 20
寺馬区 ワンピース 50
車7・8 千頭よさこい(狐の蝶入りパージョン〉 30
農の良 ゲゲゲの鬼太郎 50
8 明前太蹴 太鼓患台 40
9 からくり 100
495
:1M代に中古る千賄の揺り
〆、スii配中'j'fr1i"!il
岡4平成22年鹿仮臨刊列の瑚順
6場蝦
して におい
ては、 しておく。
りざたされるようになって久しいが、
している地域である。これは、同地区でわニわれる部りか らすれば、その担い干の減少を堂味している。つまり、青年の不足である。また、少ない 人数で費用と長期の準備を有する祭りは、住民連にとっては賞担の大きいことである。し かし実際は、住民連はお金を出し合い、時間を見つけては祭りの準備に参加している。千 頭の住民にとって祭りには、通俗的な意味合いとしての合理的主義的な考え方では理解で きないものがあるようである。これは何なのであろうか。
先に記した千頭地区において行われる祭りの内容は、実は時代の推移と共に次第に略式 化されてきている。例えば、綾田勝命を先頭にした当屋から神社までの道行きにおいて、
神社の下まで車で移動Lたり、かつて伶人は、神社までの逆行きの前には風呂に入って身 り己こいうことをしていたが、 くなったりしていることなど
られる。これには、 でぎているととや、
いことなど
現代に生営る千四の掛り
の
い し している らした出し物や仮装 し、揺り り い る。これらの活動は諮りを活気付けることで、町全体を活性化させているといえよう。さ らにいえば、先にも触れたが大誤において行われる仮装行列の出し物を「子どもに分かりや すく、楽しんでもらえるもの」を考慮しているという点も、積極的に子どもたちが参加しや すいようにすることで、子どもたちに祭りの楽しさを伝えるという機能を有しているとい える。
このように千頭地区では直面している問題に対して、それを乗り越えようとする工夫が 自発的、あるいは自然発生的に行われているα 報告者には、これから千頭地区の祭りがど のよう どっていくのか ことはできない。しかし、こ
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る れていくのではな うか。
おわりに
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ることが困難な状況にあることも事実であった。しかしだからこそ、諮りは地区 内の住民全員で作り上げていくものであるという意識があるようで、大祭の準備には高齢 者の方も毎晩のように準備に書加してくれることもあるという。以上のようなフィールド ワークで得た情報から本章は、視点を過去に向けるのではなく、現在千頭で行われている 祭りを住民たちがどのように、あるいはどのような願いを込めて祭りを実践しているのか を記したものである。
謝辞
らの突然の情話や訪問にも丁寧に
加わVた
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目?V 部 同 体
﹂
感 設 ら い か で 心 し
明﹂ フィールドワーク
ありがとうございま
て
省幹縄文献
1994 日
1994 日
神社新報政教研究輩(編集)
1986 ~増補改訂近代神社神道史』 神社新報社 神 社 本)r教学研究所(監修)
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現代lごろJ:::ざる千調の殺り
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り くJ
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