ルネサンスの一側面︵河瀬︶
ルネサンスの一側面
|マキアヴェルリの場合|
河
瀬
明
雄
︵聞︶
此の小論はニツづロ・マキアヴエルリZ貯ooε﹈≦鋤︒げ冨く︒一=
︵一四六九i一五二七︶の思考形態−主として政治に関しての一
1を考察することに依って︑ルネサンス的性格の一面を明らかにせ
んと欲したものである︒
プロシア王フレデリックニ世がヴオルテールの指導の下に反マキ
アヴエルリ論を著わして徹底的に君主論ロ勺N冒︒首︒にみられる
零話主義的権力思想を反駁しているが①︑同時.代人ルソーは民約論
U二〇〇昌霞鋤けω09巴に於て︑ピ①勺同冒︒①山︒﹈≦鋤Oぼ9︿巴①の什冨
幽くHoへ︒ω則傷b至尊一〇9コの②と讃美していることと考え合せてまこ
とに興味深いものがある③︒同同人の思想に関して︑か︑る極端に
異った解釈がなされるについては耳翼因由が存するが︑政治思想更
上︑マキアヴエルリ程殿碁褒箆の著しい者も少いと言われる理由の
一つには︑彼の思想にみられる大きな矛盾に依るものということが
考えられるであろう︒而して︑その矛盾の解明について今Hまで屡
汝論じられてぎたが︑当時のイタリアの悲歌とマキアヴエルリの懐
いた理想像との喰い違いから生じた自然な結⁝呆がそれであるという 点では︑凡そ一致しているものと考えて支障なかろう︒そうした立
場から考察すると︑この矛盾はマキアヴエルリのいう富国勺9窪冨・
ρ二〇の富嶺︒<冒︒冨に対する絶対的な愛︑乃至は献身という一点
液蕉点を合せら鴨るやたおまちにして氷解し︑中世キリスト敏鮒世 界の崩壌←近代国家社会の成立という方式の中にマキアヴエルリも 彼の思想も共に︑なしくずしに包含されてゆくのをみるのである︒ 而して︑其処からしてマキアヴエルリの︵或は更に拡げて川ネサ
γスの︶近代的性格を︑或は幾らか治極的に︑その限界を導ぎ出す
ことによって︑彼の思想に関する研究は一応の帰結に到達したかの
観がある︒ 今︑マキアヴエルリに間する︑か︑る解釈から直ちにルネサγス
の性格に触れることの正否は暫く鍮外に置.くとして︑此処では︑や
︑別の面からマキアヴエルリの所謂矛盾の実体について︑ひいては 其処から彼及びその時代iルネサγスーの特質の究明へと論を
進めてみたい︒即ち︑﹁共和主義の友入に︑プロレンスのオルチ聴
オリチェラリ︵O同素Oユ︒①嵩9ユ︶の園でリヴイウスの数十巻を醗
訳した④﹂﹁熱烈な共和主義たる彼⑤﹂が﹁同時にメヂチ家に仕ふ
る機会を求め︑﹁磐主論﹂を書いたと言う事実⑥﹂の矛盾は︑レオ
ナルド・グ・ヴイγチにみられる矛盾や︑更にフィレγツエの支配
者コシモ・デ・メヂチの矛盾に充ちた政治生活などとは全く無関係
に論じ去ってよいものであろうかとい.う疑聞が残るのである︒否む
しろ︑この時代を同じくする人達に共通した︑矛盾を矛盾と感じな
い恥活態度︵乃至は思老の在り方︶に於ける無意識な在り方︑換言
すると一見相反するようにみえるものを何の支障もなく一個体の中
に融和させて︑その個体の思考や行動の主導的な索引力となってい
40 一
一
るもの1而もそれは︑一個体に止らす︑理る同一時︑室に於ける
集団社會に共通したもの一に注意すべきではなかろうか︒
︵二︶
然らば︑先に述べた共和主義者たるマキアヴエルリが專制主義的
思想に満ちた君主論を書いたかという︑今日の湖南に観られる矛盾
は如何に理解されるであろうか︒彼の矛盾を︑﹈≦o言①o犀ρ岡●の言
う如く︑マキアヴエルリの個人的11利己主義的利害と彼の従来から
の共和主義的な自.由の理想や都市国家の理想との闇に生じた分裂と み︑この分裂を︑そのとぎから内面に耐えしのんで解消せしめようと
努力したのだと理解する⑦と︑矛盾に関する現在的解釈をマキアヴ
ェルリにそのま︑持込んで︑彼の心的態度に置換えてしまうことに
なり︑無理があるよう考えられる︒むしろ︑これはこの場合逆に︑
マキアヴエルリの立場からして︑ローマ典論U一ωoo﹃ω一で共和制の
濡れたことを述べた彼が︑ ω四⇒け︑︾昌脅①鋤に蟄居して︑それと相
前後して書ぎ始められ.た君主論⑨ で豊国救濟のための君主の主権
獲得の手段を展開させるのに︑何の矛盾も感じなかったのは如何な
る理由に依るのであろうかということになるのではなかろうか︒こ
の場合更に焦点を絞って︑マキアヴエルリの政治思想を最もよく顕
わしているく冒導⑨を手がかりとして︑この事熊をみると︑彼の く岸さ−良き政治指導者としての能力1に於てみられる倫理的
宗致的規範乃至訓戒といったものとの完全なる絶縁という事は柄如
何にして相成ったかということが問題として上ってくるQ而して︑
このく跨淳の内容としては三歳考えられるが︑要約して次ぎに述
べるが如きものとすることは門限に容認せられるであろう︒即ち︑
それは先にもふれた倫理的規範といった固定した︑不変的な性格
は至くなく︑動的な︑菊一洋①さO・の言を借るならば︑非常に仲縮自
在なもの︑ダγテの言えるサタンもこれを所有する柔軟な虎の如ぎ
ルネサンスの一側面︵河瀬︶ 力⑩そのものであるといえよう︒かのO討①Noの∪⑦O由︒出のH.ド︒︒ からの類推とみられる獅子と狐の警えを引いて︑用心深い支配者は 一<マ窪を備えた 事態の推移に注目し︑獅子の勇だけでなく︑ 狐の智を兼ね備えなければならぬと設いた君主論第十八の条は︑同 第十五−第十九に掲げられたローマの歴皮とイタリアの現実の中か ら得た適例と共に︑これを判然と物語っている︒即ち要約して論ず れば︑ ㈲条約︵契約︶をあくまで守ることによって反って自己の 安全を図れそうでなくなった場合︑働︑条約︵契約︶を結んだ理由 が最早やその意義を失った際には︑進んでこの条約︵契約︶の破平 すべきことを君主に論いているのである︒この㈲向にみられる事 態の推移ということは︑取りも直さすマキアヴエルリが好んで用い た2①oΦωω詳蝉であるが︑めまぐるしい社会の変化の申にあって︑ 独り移ろわぬものとして止ることなく︑一気に閏︒答¢昌9を璽倒し 路るもの︑それが≦窪露なのであるQそれは中世キリスト藪社会 に読かれた固定した倫理的徳目とは凡そ縁遠いものであった︒而し て︑マキアヴエルリは人智を如何に把握していたのであるか︒勿論︑ 当時のイタリア諸国家にみられる政治的混乱︑難澁︑イタリア社会 の腐敗による道徳的感覚の麻痺といった現実的基盤を度外視しては 言えられぬが︑ともかく人閥に対する罷る種の不信︑人前の本性に 内在する悪の力を扉︑成強く感じ取っていたかにみえる︒此処から所 謂マキアヴエルリにみられる団Φω巴露δB的傾向を強調せんとする .論が出るのである⑪︒ そこで引合いによく出される句は︑君主論第十八の胃頭のロ①ωけ ω鋤嵩ωαoq富#①ω一〇¢蝉び一〇bO億N自⇒bユ昌︒①創.蝉No琉賦9①飾 ω①の①昌ぴq餌ひqo﹈日︒づ叶碧§巴ωbm崔B一〇Φ自粛血Φ昌︒寓①叶ΩBbω Ω自︑op曳くqのh巴お創oρ同9昌島Φωoげ︒ω①9自①嵩①ω什b①口ρ鼠ωo ωo言叶豆ρ自傍島①oo洋①語α似一一融9ρ巳のΦω○δ口什眺9津仁昌
41 一
【
ルネサンスの一側面︵河瀬︶
ωo村自b巳︒自①茸︒ヨbη憎︒⑦二×Ω鼠︒﹃o嘱巴︒づ叶⑦コ一①自﹃b①村9Ω⑫
︵下線筆者︶及び 匂①昌.餌¢N鉱ωひq偉︒吋傷︒山①飢︒β昌Φ層二口け9
づ層似O一bけρω一町Oqの一〇のげOヨbρ①の⑦叶9陣Φ昌けびO昌ω旧8餌一ωOO§日①
一一 フωO感応 骨Oqωヨ甑︒げ9昌け9①け叶oqUO信Nωb民Φ叶ω帥ヨ鋤昌ρ二Φ﹃節
一Φ鐸ωb餌同︒竃⁝⑱へ℃.ドQQ×下線筆者︶や上国≦属淳ΦNωo昌眉︒亭
菖oooげP<Φづ︒凶昌けΦ山oq計自Ω昌聞けげ憎oqσqげ−ooけげδけOH賓けげΦ民O
鋤NO℃一〇旨け団○胤①区署日b一〇の≦げざぴ一昌魁一〇9叶Pけぽ鋤一酌昌OO昌のぼ叶q?
陣昌αq病目延一①αq凶ω一門甑嵩ひq剛O憎鋤OOヨ日O⇒窯①9犀犀津bp自ω叶昌O①山の
び⑦け9犀①旨hONσq村嚢Ω旨けΦ五時げ9叶鋤=ヨΦ嵩鋤憎①毒一〇犀①島白目自什げ鋤叶
けゲO団≦二一鋤一興9団のαq臨くΦ︿Φづけ叶O什げΦH口9一一ぴq昌博蒔けげ餌け一の一昌
叶び①層⑦ヨ①昌αの≦げΦ昌︒もbo再偉力詳︽o津⑦Nω●⑭︵∪●図・cQ・ご︵下線
筆者︶などであろう︒︑
この人聞の善よりは悪に趨る傾向に注意していることからして直
ちに︑マキアヴエルリがキリスト教的原罪の意識を有していたとす
る見解には賛成し難い︒彼の︑か\る人間理解の在り方は人間の本
性を℃ωく︒げ︒δσq凶︒毘に把握していることから結果しているものと
老えられ︑従って︑か︑る立場をとりつ︑も彼は︑人聞本性の改造は
不︒司能であるというが如き結論を導ぎ出 したりして︑全き国︒のω学
§δヨに陥ってしまうようなことは決してなかった︒即ち︑.彼は
入間的自然を肯定した上で︑これに解剖のメスを加えたのである︒
かくして一渡解剖した人馬の向・性を考慮して︑これらの人問を治
めてゆくべき支配者を此の歪なき優れた入間鋸080ω冒σqo冨﹃oi
I彼にあっては特に政治的︐天才tに仕立て上げようと欲.したので ある︒先述の君主論やローマ史論にみられるように︑彼がか〜る完
壁無欠のものを指向したということは取りも直さすルネサγスの特
色ある傾向の一つとみられるのであって︑彼の所謂勺︒◎︒ω一目一の§﹁的
態度はキリスト教的原罪思想とは一応何ら関係のないものである︒ しかし︑其処から更に論を進めて︑マキアヴエルリがキリスト致的な もの一よくいわれるような言・卜暮げ霞的なもの一を全く欠如 し︑ヨー招ツ.ハの中世的なものの何ものの洗礼も受けていないとす ると問題は行詰ってしまうのである︒即ち︑宗藪との絶縁から更に 飛躍して︑中世キリスト教社会の影響を無視して全くの異敏徒に彼 を仕立てるが如き誤謬を犯すと︑ド.匂.芝巴犀︒円が雨量︒ぼ鋤く9一一 毒餌ω昌O叶O目一団島①①娼一団一§ぴ自O亀≦挙げけげ①の一ほけO臨b9αq鋤昌δヨ℃ びq什叶げδb鋤σq鋤昌δ影像⑦什①村目一昌①ωけげΦ鋤什誘導q亀⑦げ①①島Ob叶ω 9一一犀OけobO一一菖09け︒ぞ鋤﹃9昌山叶O 村①一一σqδ嶺℃鋤口創淳・巴のO 鋤庸ΦOけ①像げ凶の冒Φ同ωOロ鋤一一席ρOhけずδけ崔Φ民OO①昌び①口O血O口び什 上げ僧けωO⑦<①N● ︼W仁汁 席O昌O 鋤ω犀oo ≦げO叶げ①N ①昌昌 叶O ≦げ9け ︒メけ①ロ叶けげδb9σq9昌δヨ︒簿二の︒侮窪ヨけσひq一く①二塞げず①村︒嵩ひqδ旨︑ 一づξげ器げげO二八山ぴΦ①昌び村O自αqげけ二葉 けげ①ρqOの鉱Opδ昌O什 ①鋤の団89昌の≦05⑮と述べている如く︑それ以上一歩も出られな
くなり︑問題の解決は図られす︑諺昌畠9昌団財O八けげO民Oδ①︿置O昌O①
什げ9けゲOびO嵩①︿⑦創一昌 φO匹鴇餌昌山嚢ρ一ωOけ犀9けげδ似①簿けげ−び①αぽΦ
N①o巴く①傷心げ①一餌ωけの曽︒婦曽ヨ①づ什oo鋤翻弄けゲ9けb二〇〇〇け村︒目凶一嵩①無
毒搾ずぽ厳8什ぴΦ冨6︒け⑯と推論せぎるを得なくなるのであ.る︒
故に︑<貯宴に於ける政治と宗敏との絶縁という点は宗藪の方にア
クセγトを置くと問題は解決不能に止ってしまうのであるQ
先にも論じた如く︑この問題はマキアヴエルリの人聞理解の在り 方が如何にあったかということも必要であるが︑それよりもむしろ
この場合︑彼のか︑る在り方をしてあらしめた心的態度の方に解決
の鍵があるように考えられる︒即ち︑マキアヴエルリが生ける人間
−特に政治的場に於けるi−の行動を通して把摩した態度及び︑
その聞に行った操作は︑彼自身は明.確に意識してはいなかったかも
知れぬが︑キリスト教社会にあって︑信仰という問題とは別個に︑
卯 一
一
事物に即して観察し︑その観察を基盤として再び自然に働きかけ︑
手を加えて利用することから更に一段と高い要求を満たすために合
理的にものを考え始めていた︑幼稚とは申せ︼応技術を主体として
日汝励んでいた職人︾村ぼのきたちと同じ態度︑操作をもつて政治
を取扱つたものと言えよう︒而も目指すところが完壁なもの︑無欠
のものであったところよりして︑逆に一般の人聞の不完全さが亘大
視されて眼に朕じたものと考えられる◎而もこの完壁なものこそ く甘さを備えた君主の統治する国家なのである︒故に︑この最終
目的達成のための手段が正当化されたわけであり︑従ってく冒淳
のもつ内容も自つと︑倫理的︑宗藪的なものを超えて許容せられる
に至ったのであるQ而して︑これは誰にでも︑何時でも許されると
いえる性質のものでは毛頭ないということは申すまでもない︒
か〜るマキアヴエルリの願いが︑﹁目的は手段を正当化する﹂・と
いう形であらわれているものと︑多分に非難の意をこめて受取られ
たために︑後世に多くの問題を提起レたのである︒が︑しかしこれ
も︑マキアヴエルリは︑或る行動をとれば︑常に結果はかく一.し
かじかのものとなるということを指摘したまで︑あり︑宛も物体の
蓮動の法則を因と果の閣係に於て捉えんとするやり方にも似た︑人
聞の行動を一つの図式に求めんとしたにすぎぬのである︒而も彼が
か︑る一つの方式的なものを求めるに止ったのみでなく︑かくして 出した方式に則って実践行動してこそ始めて︑君主はその目的t
即ちマキアヴエルリの最終の.願いでもある一−を達成し得ることを
藪示しているのである︒故に︑その目的成就こそ価値あるものであ
り︑失敗は︑彼にあっては全く馬肥すべきことであったQこの失敗
を忌み︑金き成功を賞讃したことは︑君主論︑ローマ史論に於て引
用している諸訳からして明瞭に読みとることが出来るのである︒而
して︑マキアヴエルリの大願たる君主の長局の目的とは︑組国統一
ルネサンスの一側面︵河瀬︶ tすぐれて強力な国家の建設1にあったことば論ずるまでもな
いが︑將に︑この点︵国家の分析という純輝客観的態度と理想を心
に描いて︑その実現を図ったという主観的態度−現実そのものか ら総てを学んだ中世的︾層鉱の鋤昌的な面に立脚しつ︑其処から飛躍
して新しいものを秩序づけ︑建設せんとする意志の働く面→1の
相反するが如き在り方を一個体の中で思考したところ︶から彼の
くマ窪にみられる特有の概念が誕生したのである︒ 園導け︒属のい
う勺︒嵩鉱ωoげ︒聞餌ぼひq渥鉱詠歌①ヨ昌9叶¢﹃げ凶津①<①同ぴ一⇒島ニコひq<o昌
≦︑韓①昌ωω感N貯①⊆昌像国冨σqげ⑦騨⑰がこれである︒
︵三︶
マキアヴエルリにみられる︑か︑る態度は︑かのレオナルド︒グ
・ヴイγチいoo口①巳︒良簿く貯︒一︵一四五二一一五一九︶にも窺
うことが出来るように思う︒
ルネサン.スの揺藍の地フィレンツェ最高の愛国者たるマキアヴエ
ルリに比するに︑ペ二二ーの言を借れば︑﹁誰も彼以上に政治的無
関心主義を徹底せしめたものはなかったQ﹂i迷えるブイレγツ
エ人ーレオナルドを以てすることは余りにその差の甚しすぎると
いう諺は溜れないかも知れない︒
現実の政治の場に於て︑或は政治思想という立場からすれば︑両
者は︑共に語る何の手がかりも与えて呉れぬことは論を侯たないが
略汝同じ時代に︑その育まれた地を同じくし︑その上互に友情を交わ
した両人の思考の在り方という点よりすると大いなる類似がみられ
るように思う◎即ち︑﹁マキアヴエルリより嚴格な道徳家であった
レオナルドは決してチエザレ・ボルヂアを称揚したりしなかった︒
彼は治国策流には考へす︑たゴ一人の支配者の下にある伊太利︵マ
キアヴエルリの理想︶などということは︑全くその視野の中になか
ったQロドヴイーコへ途つた書簡︵イル・モー揖への自己推薦歌︶
43 一
一
ルネサンスの一側面︵河瀬︶
に於ても︑はた又チェザレ・ボルヂアに傭ふるにしても︑彼ぱ先ず
第一に︑自分の発明品の或物を試験し︑自己の能力を全く実際的な
方法で試みる機会を求めようとしたのである︒﹂⑱ という論は︑
レオナルドに関してば容易に肯定しうるところであるが︑こ・の彼の
態度は取りも直さす︑マキアヴエルリのそれと全く相通するものな
のである︒
の餌旨の︒×b仙鼠①昌oρ一一.昌.oのけbo言什自oo①嘆けばqαρ 0Φ昌︑oω什
冨ヨ毘ω一.o×b仙ユΦづooρ自一昌︒自ω霞oR6ρ匿巴ω昌σ爲⑦砧口ひq?
ヨΦ昌けなどと言えるようにレオナルドは経験の何にも勝って大切 なことを悟り︑また彼の多彩な全生涯を︑その原理︽縁ωo甘︒冨
自︒自9ωboほ①昌No︾を忠実に守って邊つたのであるQ而して彼が
数学︑殊に⁝幾何学を非常に愛したことはその手記のあちこちにみら
れるが︑それもあくまでも︑数学が経験を証明する最も適格な手段
であると考えたからに外ならない⑲︒
か︑る実証主義的精神の故に︑彼は近代科学の先駆者とみなされ
るのであるが︑レオナルドが数学︵といっても当時に於ては︑数理
的科学一般を指す場合が多いが︶を重視し︑且愛したことは前にも
記したが︑科学者ω鼠︒昌江ωけの能力として︑直観︒実験︒分析の三
つの面を挙げうるならば︑彼ば数学的解析力は前二者に比して劣っ
ていたといわれるのである⑳︒これはその人の個性︑能力の優劣に
よるものであろうが一面︑レオナルドが数学上の発見・.蓮用よりも
実験の証明の手段として数学を尊んだという事実にも目を注がなけ
ればならぬ︒
而して彼の数学的実証性は芸術の理論や実際にも包み出ているの である︒数学界にその当時流行していたプラトン的傾向一℃冨8亭
δヨ︒目口昏①ヨ鋤鉱ρ¢①1が既に絡画の世界にも相当影響していた
が︑︵例えば勺冨No二巴冨司鎚昌ooωoP勺鋤90qoooコ9ピ・︼We 諺旨ON鉱更にばじげO洋OOO一一一などは︑この﹁プラトニズムによってい たものと考えられる︶レオナルドは︑其処にみられる数の神秘性と いうが如ぎものには全然興味を惹かれることなく︑また︑彼の数学 の師であり且つ共同研究者Hqo鋤蜀990類がプラ下γ的な∪ぞ冒蝉 頃Nobo同鉱︒昌︒を認めていたのに対して︑レオナルドは︑その影響 を受けておらす︑彼の態度は︑ヴアレリの言える如く︑O.①ω叶bo雲村
一巳⑦ごく︒ほ獄遣昌ぎω需=ヨ①昌計qロヨ︒網①昌αoooごQ︒#鐸︒鉱oP
ロ昌︒言9昆Φ居①血ΦωΦ富マ①Φo⊆︽o同侮Φω①のbNob﹃①のb①昌の仙①の・
であり︑而して︑宛も解剖学が美術の習作上の骨組・構成であるのと
同様︑数学は現実の事物の骨格ともいうべぎものであったのであ
る︒否︑この後者の如ぎ考え方が︑美術の世界に於ても支配し︑前
者の如くあらしめたものと考えられる︒
而して︑彼は凡そありとあらゆる事物・現象を問題の対象とした
のである︒U9昌ω一簿嵩鋤叶9村ρbO冒け自①睦Oけのω鋤昌の︒鋤qの①旧OO﹈B−
b居①昌山ω冨︒堅調ωρoけけ離昌.鋤q同9のρqoh巴騰︒住①一︑o×b似ほ①昌︒①● ⑳この態度そのものから三〇〇に余る彼の発明が生れたのであって
注目すべぎは︑それらの表面聖帝発明・発見ではなくして︑事物・
現象を刻明に観察した在り方にあるのである︒
而して︑科学皮に於けるレオナルドの位置について︑∪=ひq鋤9菊・
は︑↓①ごけO憎像①の津二⑦居目仙O昌9村像山9昌ω一︑げδけ︒貯Φ自①一働旨似︒甲
昌5二ρo.ΦωけけoqけQ.9ぴ︒層魁昌ωρ賃oN山①目⊆菖一①居目口①bo嵩の甑①
二三く①憎ωO=OO爵8暮①︒︒け一欲︾8q齢OOコのbぐO⁝⑫とし︑更に
ω蝉再︒昌はピ①鉱臥く色ob①日①昌け魁①一鋤日①oび蝉巳ρ賃︒餌qN巴け
飢O昌O簿仙一〇ヨゆ目Φ巴ピ仙Oロ動層山鼠℃①<9︒律b鋤ω①鉱の識●とさえ
述べているが︑その上意は︑解剖学などに於ける彼の眞価が永い間
無観せられていた事実からしても分る如く︑一般に言われる︽﹈≦O−
昏OユO伍Oい仙O昌餌a︾なるものが︑果七て全面的に承認されうる
猛 [
一
やということにあるものとみてよかろうひ一五世紀末の疲術は純粋
に科学的なものではなかったのである⑳︒しかし︑此処での問題は
更にそれを越えて︑レオナルドはアルベルテイが数学こそ真理の扉
を開く鍵であるとしたのを発展させ︑真理を一拝深く把握せんとし
て︑その鍵を用いている中に︑不知不識︑経験の世界に思込んでし
まったところにあるのである︒即ち︑Z甘︒冨ω〇二の9P9のが真理の
絶対的無限性を確立せんとして︑一つの体系化を試みた如くには体
系化することの不可能の経験の世界の底無し沼に落込んだのであ
る︒其処に︑レオナルドがのq五一獄−彼にとっては︑自然の創り出
せる美であり此の世の飾りである一の領域に沈潜した因がみられる
のである︒経験の世界に入って︑その中で事物︑現象のすべてを︑
而も一つ一つ分析することの中に︑いつしか手段が目的と化してし
まう心的態度一矛盾 から無意識の中に彼は芸術の世界へと逃
れていたのである⑳︒而して︑か︑る有檬こそは︑︾﹃口の9ロから
﹀﹃臨ω叶へ︑或はω90ロ江の叶へと分れて進む過渡期の人間を判撚と
現わしていると言えないであろうか◎
︵四︶
マキアヴエルリが︑混沌たる素材に統一的形式を与えんとして創
り出した方式とは︑結局のところ︑人間社会の分析から出された人
闇の本性の比較的不変的性格と︑その変らざるもの︑世界を押し進
めてゆく時勢O⊆巴津仙畠⑦↓Φ目b①︵蓮命的なもの︶に対処すべき
君主の在り方というものであったことは先にみてきたとこ︑ろでも明
らかであるが︑此処でいうか〜るマキアヴエルリの技術的な方法は
切︒村犀︒昌9詳聞・が君主論について述べている際に考えた技術的⑳
とは勿論区別されなければならぬ︒
マキアヴエルリがローマ史論に於て︑出①ロoO淳δω巴像叶げ9け
げ詳pσqo村9昌山b民︒<①暮団欝9犀︒﹈Bo薄塗山房ω9δ離9鋤昌鳥けげ彗
ルネサンスの一側面︵河瀬︶ 鼠甫︒︒白9犀①臣Φヨひqoo9へU●ド¢︒︒c︒●︶⑳と述べているのを読む と︑其処には一見︑法律の意義を非常に重視しているかにとれるが︑ 続け℃︑円げ20一の昌︒口ΦΦαa一①ひqδ一9鉱︒昌ωo一〇コぴq餌の号冒ひqω
≦O層犀薯①一一主導ずO暮貫⁝⁝⑳と論じていることからして︑彼が
法を政治の根本命題として理解していたのではなく︑あくまで目的
蓬成のための一手段︑甘葛とみなしていたものと考えられる︒故に
彼が法というものを把握しながらも︑進んで︑近代的な法理論を展
開するまでには至らす︑逆に法を風俗習慣の方に還元してしまうの
である⑳︒そうしたマキアヴエルリの︑態度は現実社会を経験を通し
て︑而も宛も解剖学的な方法で分析し︑其処から一つの体系を引き出 し得なかった1従って或る人達に言わすれば目旨つげ団巴90ひqoω
似ぴq9鼠αm昌の冨︒︒ωO冨昌OΦのの09巴Φのであるという 有様は先
にみたシオナルドの場合と︑た.sその個人的才能により対象が異っ
ただけで︑その心的態度は非常に似かよったものと考えられるので
ある︒而も爾︑マキアヴエルリが実際の経験を重視しつ︑も︑古代
の皮家︑特に臼騨qのH凶く言ωを祀述したことは︑レオナルドが多
くの古代の自然科学者に学びつ〜も︑別して︑天才的数学者であり
且︑広範囲の発明︑発見者であった︾層打目︒αoωに依拠したことが
甚だ多いことも︑マキアヴエルリ︑レオナルド両人の心的態度の共
通性に何らかの解明を与えるものではなかろうか︒ともかく︑伝統
に計われす︑自由奔放に思考し︑行動した彼らの背後に︑中世の永
い問に亘って︑徐汝にしか変ることなく続いてきた心的態度の集積 一︾N寓の帥昌的なものtが強く働いていたとみることが出来よ
う︒ ︵五︶
哲学が科学的研究の在り方に大ぎな力を占めていた時代から︑逆
に科学的なものが哲学をも導いてゆくという近代に移る︑その室白
45 【
一
ルネサンスの一側面︵河瀬︶
歌態に︑即ち︑思想に於ける一つの大ぎな危機の時期に︑これを救
ったのは中世の中にともかく育まれてきた駈人的︑技術主義的思考
態度であったとすることが出来るならば︑か︑る態度こそ︑ルネサ
γス的なものとみなし得ないであろうか︒だからこそ︑ヨーロツ︒ハ
に.於ける︑この大いなる危機は﹈≦O蜜Oさ男●毛・も読く如く⑳︑ル
ネサγスを越えて︑十七世紀に於て初めて意識せられ︑その具現を
ライプニッツにみるのであるQ .
この不完全な小論に於て︑上述の如きことを大胆に主張する意は 毛頭ないが︑而も樹︑今日までのマキアヴエルリの︑更にはルネサ
ンスのすぐれた数汝の研究に支えられて︑これがいまだ解決をみな
い分野の幾ばくかの聞隙を埋めうるものとなるならば︑願いこれに
勝るものはないと言わなければならぬ︒
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国︒離のωo黛︒q︶にあるマキァヴエルリに関する次の註は載っていない︒ 嵐碧ぽ碧︒冨8騨琶ぎ旨ヨ︒⑦け琶9昌g8巻昆旨9ρ9︒け欝︒冨ひ
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8霞留幻︒日︒①のひく窪︒日︒暮価oho昌含の8一一謹Φ二Φ冨03冨
暮蕊︒︑婁〇二碧.=幽君︒甘二︒心置︒蕊器昼碁・ ③拙稿︑啓蒙主義時代に於けるマキアヴエルリ論︵末発表︶ ④⑤⑥ アナンデル・デル・レー・マキアヴエリのルネサンス政治思想に 及ぼせる影響に就いての考察︑更訂雑誌 第三九編 第九号四一頁 ⑦司・竃Φ置Φo犀Pdδ冠8αΦけω蜜器霞器︒旨ぎ山︒憎昌︒⊆o厭︒昌︐ O¢ωoぼ︒窪①・¢潰・の●ミーい◎◎. ⑧↓δ=び昌αΦU宏8婦珍ωo遣吐9三唱三日帥Uoo帥三日津?=<ざ と三唱ぼ昌︒なΦとの関係については既に明らかにされているので︑た 貸両書申にみられるもののみを掲げるQ 匂︒器冨邑︒冨一つ9︒の一実9の目9ロび嵩ρ器ω⁝一.窪§︒一霞9︒津ひ軸日・ 宮︒旨Φ暮自ミミ黛︵℃●嗣︶︻冒Φ℃ぼ昌800口oo寓︒昌自︒ω9器ω置午 OωO帥厭巳︒厭●︵以下君主論の引用は総てこれによる〆︶勺●℃・﹈U一ωoo機段 を指す︒ . 同珍︒巳画boぎけ︒暮冒⇔ぼω8置目oo菖︒ロげ︒名臣︒国︒日9葛び? 旧く&80三二窪σqh︒幡9αqロ質︒<置8ρ冨α同ロgωbo冨βoh 津9=魯σq夢ミミ黛ミミ詠§㌣㍉ミ愚ミミ塁.h自同冨く︒爵窪︒ 象ω︒易ωa爵︒ρ器畳︒ロ囲三望︵u≒ま︶月け巴︶一ω8珪ωΦωoh 乞ぽ90嵐鋤︒ぼ9ぐ9嵩鍵9︒昌の・び嘱e●匂●妻三二O畦●︵以下ローマ史論の 引用は総てこれによる︒︶ ℃・まO・﹈男慧昌︒甘︒を指す︒ ⁝⁝り昌︒婦宏9夢巽爵Φ08990口︒触爵︒画Φω冒①け︒ωげ︒負騨 o︿Φ二8浅畠噛器き§ミミ言ミき象ω窪ω忽づσqけぼω8且︒冨ω びoo口ωゲ︒≦昌曽e一Φ昌αq夢●︵U・類μPD︶国︶鵠昌国昌ロ9恩︒昌を指す︒ ⑨大類伸︑マキャヴェリの君主論について史学雑誌第四十編第十 二号三六頁く胃暮の語はマキヤヴエリが好んで用ひた語で︑﹁君主 論﹂一編は蓋しく罵録の讃辞に外ならないと云って宜しい︒ ⑩O・空暮︒がU冨U鋤旨︒巳︒零話客90馨.H逡︒︒・ω●曹●日置︒瞑げ9坤¢ 囚雷鉾零δ段︒︵5碧げU餌暮︒︶9琴び儀︒旨ω掌︒富昌︒色け雲・ ⑭口白雲80F﹈≦9︒oぼ9︿①導一口話︒留聴昌U畦Φωの●︵出覆8彗$ωΦ讐・ ド鵠U・即ド6︶ ⑫ピゆ想晶琴ρOげ9︒宮貯︒掴く目摺帽・警吻
辱