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[書評] マーク・パールマン著「アメリカにおける 労働組合理論」

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[書評] マーク・パールマン著「アメリカにおける 労働組合理論」

その他のタイトル [Book Review] Mark Perlman; Labor Union Theories in America : Background and Development. 1958

著者 小林 英夫

雑誌名 關西大學商學論集

4

3

ページ 261‑275

発行年 1959‑08‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021764

(2)

261 

マーク・パールマン著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶ れて分析されるに足るほどに熟しきったところの・アメリカの 著者︒^ールマンのいうようにこの書物は︑﹁充分以前に書か

M a r k   P e l r m a n ; L   a b o r   U n i o n   T h e o r i e s   i n   A m e r i c a

B a c k g r o u n d a n d   D e v e l o p m e n t .   E v a n s t o n ,  

I l l . ,  

R o w , e   P t e r s o n   a n d   C o . ,  

1 9 5 8 .  

x v ,  

313 

p p .  

この書物を読んで︑わたくしは少しばかり愉快になった︒と

いうのも︑アメリカのユニオニズムについての多種多様な文献

の示すさまざまな解釈を系統的な分類の形で理解することは︑

とくにまったく異なった言語圏に属するものにとっては︑かな

りの努力を必要とするに違いない︒ところがこの書物は︑こう

した努力を大いに省いてくれる︒わたくしが愉快になったのも

9 ,  

八五 (

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とは︑ふつう﹁基本的解釈﹂

( ^ ^ b a s i c i n t e r p r e t a ,   t i o n

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とでもいうべきものであって︑単なる﹁解釈﹂

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)

という用語は︑その理論すなわち基本的解釈の内

部におけるさまざまな差異を示すものとして用いられている︒

著者は︑ほぼ1一十人の主要な著述家たちの著作を検討したの

ち︑ユニオニズムについてのかれらの見解は︑五つの異なった理

論に分類することができると考える︒すなわちユニオニズムを

H

道徳的制度

M ( a o r a l   I n s t i t u t i o n )

としてみるもの︑口革命 理論上の分類に整理﹂しようとしている︒ここにいう﹁理論﹂ ユニオニズムについての主要な説明を検討し︑それらを自然な ン著

﹁アメリカにおける労働組合理論﹂

(3)

コンシン大学のジョン・ロジャース・コモンズ

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働市場はふつうの生産物市場とは異なっており︑消粍するサー ホプキンス大学の指導者たちであった︒第五の理論は︑ウィスまずリチャード・イリーは︑つぎのようにいう︒すなわち労 ローチ﹂であり︑クッカーをのぞ

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さてその第一は︑ユニオニズムを道徳的制度としてみる理論 てのアプローチ﹂であり︑第四の理論は︑ジェーコプ・ホラソ ャム・クッカー

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とリチャード・イ

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による﹁意識的モラリティーをつうじ

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とジョージ・アーネスト・バーネット

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による﹁行政的および構造的アプである︒著者はここで︑イリーとその影響をうけたジョン・ラ ると︑用心深く断っている︒ 大学を中心として発展したものである︒第一の理論は︑ウィリ価ではなくて︑逆にそのアイディアの限界を示唆することであ 以上からわかるように︑この五理論のうち四つは︑もっぱらとするのであるが︑その意図は︑各理論内部のアイディアの評 担い手であり︑第二の理論は︑マルクス主義社会運動と結びついている︒また第三の理論は環境心理学と︑第四の理論は新古典派経済学と︑第五の理論は法史学と︑それぞれ結びついている︒かくして著作は︑その分類した五理論をそれぞれ分析しよう ソト・キリスト教社会主義者およびカソリック社会運動がその てみるものの五理論である︒しかも第一の理論は︑プロテスク 的制度

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としてみるもの︑日

心理的反動

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国厚生制度

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としてみるもの︑国民

主々義過程の一部

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論は︑ロバート・フラソクリン・ホクシー

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)の﹁心理学的アプローチ﹂に属している︒だがユニオ

ニズムにたいするこのようなアプローチが生まれるにいたった

のは︑もっぱら前世紀の八十年代以降のことであって︑それ以

前のユニオニズムにたいする関心は︑単に統計的事実を明らか

にしようとの努力にすぎなかった︒ マーク・パールマン著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶八六

(4)

イリーにたいしカソリック大学道徳神学教授ライアソ神父の

ライアソは︑のちにその考えをさらに発展させ︑労働組合の 的な解決策としている︒両立を考えている︒

やはりトレード・ユニオニズムこそ労働問題へのもっとも直接

しえないという労働者階級の伝統的常識に反して︑その両者の ビスを売る労働者は︑もし積極的な市場統制がなければ︑賃金制度に完全に支配されるにいたる︒これを妨止するには︑立法と労働組織の二方法が考えられるが︑後者の方が容易にしてかつ実際的である︒また組合には明確な経済的型

( Pa t

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)

があ

り︑アメリカの組合にほ︑寵用総時間数の維持よりは失業時の 賃金率の維持を︑また繁栄時の賃上げ要求よりは仕事の保障を

教育︑禁酒運動︑国際的平和と平和主義のためにも運動する︒

ところのキリスト教会外における最強の勢力である﹂と︒

育経験上の価値を強調する︒そして生産者協同組合をもあわせ

て論ずるが︑しかし協同組合を労働問題の万能薬とは考えない︒

見解は︑ずっと急進的である︒かれによれば︑労働組合は﹁正 義の法﹂にかなった要求をしてのみ倫理的に正当化される︒そ

して労働組合にたいする道徳的判断は︑その規約︑目的︑達成

されたる成果︑およびそれに用いられたる手段の如何による︒

この場合問題とされるモラリティーとは︑目的と手段との同時

的考察を意味する︒かかる見地からしてたとえば組合の共済活

動は︑﹁保険的性格のモラリティー﹂を有する︒そして﹁組合

だがユニオニズムは万能薬ではないとして︑ライアソは

ユニオニズムの恩恵に浴しえない低所得層の保護にたいする国

家責仕を唱える︒ここにかれは︑団体交渉と立法活動とは両立

マーク・パールマン著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶

しも無条件に成功しなかったことを認めながらも︑その人間教

る ﹂

とつと考え︑アメリカの分配協同組合については︑それが必ず保険および教育のごときより穏かな行為のために棄て去られ イリーは︑さらに協同組合を近代社会悪の可能な解決策のひ

ョップのごとき組合の極端なる方法のほとんどは︑団体交渉︑ り︑そこでは﹁ストライキ︑ボイコットおよびクローズド・シ る ﹂

また真のキリスト教社会でも労働組合は存在の余地があ も︑それは全体として道徳的にほ︑その好影響の方が大であ ﹁政治学の学校﹂として活動したりするほか︑さらに公立学校の悪影響は膜ミであり︑またときには非常に重大となるけれど

求める傾向がある︒また労働組合は︑仕事の専問化に抗したり

(5)

げ ︑ トラウトマン

( W i l l i a m

D•Haywood) およびウィリャム・フォスク

( W i l l i a m

Z•Foster) の四人、また右派としてユージン・デ

( E u g e n e D e b s )

とマックス・ヘイス

( M a x H a y e s )

をあ

右派への同情者としてノーマン・ウエア

( N o r m a n  

J .  

( W i l l i a m .     E T r a u t m a n n )

︑ウィリャム・ヘイ してダニエル・デ・レオン

( D a n i e l D e   L e o

n )

︑ウィリャム・ れるこの理論家たちを︑著者は左右両派に分つ︒そして左派と

雇主の脅迫によるか︑それとも労働者を分裂させるためのもの 究局のゴールを企業管理への参加にあるとするにいたる︒

( S a l v a t i o n )

の過程の第一歩は︑労働者の経営参加の慣行の

かれは︑その回状の趣旨にしたがって経営参加を全産業にまで

及ぽさんとしたのである︒著者によれば︑このライアンの思想

の流れに一貫していたものは︑ますます道徳的なる社会の発展

のための手段としてのトレード・ユニオニズムの自治的性格に

第二の理論は︑ユニオニズムを私的資本主義制度の廃絶のた 革命の裏切りであるとする︒そしてグラッカス兄弟の例をもっ

て中途半端な改革や妥協を批判し︑革命行動の十原則をかかげ

る︒また組合の革命的戦略のための戦術としてユニオニズムの

定のごときは雇主との間には存在しえず︑世の労資間の協定は

にすぎない︒それゆえ︑戦闘準備が不足しているか︑それとも して出発する︒かれによれば︑労働者にとって神聖不可侵の協 トラウトマンは︑極端なサボクージュおよび産業暴力論者と 持﹂のための政治活動をとなえる︒ いわゆる﹁直接的要求﹂を排し︑生産機構の﹁奪取および保 めの革命的制度とみるものである︒通常マルクス主義者といわ 民官の誘惑になぞらえ︑それをもっとも愚かなるプロレクリア たいするかれの確信であった︒指導者たちの支配階級との接触をばローマの貴族たちによる護 革命的労働指導者にたいして根本的な不信をいだき︑

AFL

﹁ 救

W a r e )

さて左派の四人は︑いずれも

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的過激論者である︒デ・

レオンは︑革命的行動をともなった階級意識的インダストリア

ル・ユニオニズムをとなえる︒そしてはじめは組合を楯とし労

働者政党を剣として考えるが︑のちには組合にも剣の役を負わ

しめる︒姑息な一時的緩和手段︑間にあわせの改革︑または非 マーク・パールマソ著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶八八

(6)

マーク・バールマン著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶

の工場︑職種または産業の全労働者を友愛的に結合せしめ︑そゆえクラフト間の対立をなくし︑かつ階級意識を助長し革命的 政治活動よりはむしろユニオニズムを強調する︒組合は﹁一定

る︒また旧型のユニオニズムは時代後れで反動的である︒それ 義をとなえる︒だがかれは︑労働運動の基本的方法としてほ︑

すなわち社会主義はユニオニズムよりは普遍的

(c at ho li c)

ときに﹁内部からの切りくずし﹂をとなえ︑ときに二重組合主種の労働者を対象とするにたいし︑党は全労働者的であって︑ い︒かれは﹁相互に相反せる政策を試せるレコード﹂である︒

組合と党とは調和していなければならない︒また組合が特定職

これにたいしてフォスクーの考えは︑かならずしも一貫しな 当然自己の戦略目標に立ちむかうべきだとされる︒ 勝利への機会がいたれば︑インダストリアル・ユニオニストは 市場条件が不利な場合には︑かかる労資間の協定に調印しても︑

一方ヘイウッドは︑西部のアメリカ・サソヂカリズムのスポ ークスマソである︒かれはいう︑社会主義をめざして社会党と

ち職場闘争

(s ho p f ig h t )

より出発すべきである︒この点が理

政府を樹立することであり︑職場に民主々義が確立されてこそ︑

れからその集団的要求窒犀主に提出する﹂︒かくしてユニオニ ズムの目的はラディカルではないが︑これはたんに戦術上の見 せかけであり︑﹁今日までその達成したところは:・⁝やがて来

もちろん組合の戦術は︑革

命的指導者の戦術にしたがわしめられる︒

さて右派の代表者の一人デブスは︑伝統的なユニオニストと して出発し︑社会主義を信奉するにいたるのは︑かなり後年の ことである︒かれの思想は︑つぎのように要約できる︒第一は︑

その反

AFL

的二重組合主義である︒だがこれは︑けっして

A

ダストリアル・ユニオンたらしめんとするだけである︒つぎに 労働運動には経済的側面と政治的側面とがあり︑前者は労働組 合が︑後者は社会党がそれぞれ担当する︒このさい組合に忠実 なるユニオニストは︑同時に政党にも忠実でなければならない︒

労働者階級は解放されることができると︒ 有化はけっして社会主義をもたらさない︒必要なのは︑職場に 解されなければ︑社会主義は真に理解されないだろう︒また国

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を敵とするものではなくて︑ただそれを階級意識的なイン

労働者を現在奴隷化せしめている生産の拠点での闘争︑すなわ 面となる︒この組合と党との資本家階級にたいする共同闘争ほ︑ 労働組合とは密接一体となり︑社会党は労働運動の単なる一局

(7)

266 

の諸欲望に政治的表現を与えることが絶対的に必要である﹂と

響をつうじてであるとする︒この意味でウェアは︑右糞修正社 なかれ暴力的に形成されるのは︑経済諸関係にたいするその影

AFL

の目標目的と社会党の網領とはほとんど同一であって︑

形成上での個人とイデオロギーの役割を認め︑歴史が多かれ少 は一線に立ちならぶべきであると説く︒そして自己の経験から︑

る﹂とする︒またかれは︑俗流の経済決定論者ではなくて歴史 は︑労働者の抵抗のみによるのであって︑労働組合と社会党と

学以上のなにかをもたぬ労働組合運動は不毛となる傾向にあ

表である︒かれは︑ユニオニズムの緩慢さに耐えられぬ性急なを是認する労働哲学のいずれの一方にも偏することを排し︑更 理想を促すところのイソダストリアル・ユニオニズムが目標と

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的サソヂカリズムは︑もちろんこれを排する︒

また労働者の知識人一般にたいする不信にもかかわらず︑やは り労働運動にとって知識人の活動する余地はある︒かくて著者 によれば︑デブスは︑マルクス主義用語で空想的社会主義と労

働者の友愛とを唱えていたのである︒

著者がプラグマティストと評するところのマックス・ヘイス は︑社会党内での既成のトレード・ユニオニズムのすぐれた代 党内左派にたいし︑わずかながらも譲歩のかちとられてきたの

両者の利害は調和しうるとも説く︒そしてユニオニズムの直接 的要求が絶対的であるとのサミュエル・ゴム︒ハースの論に同調 しながらも︑ユニオニズムの限界を認め︑ここに﹁労働者階級 最後に右翼社会主義的解釈の同情的解釈者としてノーマソ・

ウェア教授があげられる︒かれによれば︑ユニオニズムに影響 をおよぼした要素は三種あり︑すなわちさまざまな経済的考慮︑

イデオロギーとイデオロギー的刺戟︑および指導者たちの人格 がそれであるとされる︒かれは︑このうち最初の一一種の要素が 究局的にはもっとも重要であることを認めながらも︑それらは むしろ重要性を帯びたのは第三の要素たるリーダーシップであ

るとする︒そして賃金

1 1

利潤システムを斥ける労働哲学とそれ

に﹁労働者の追随しない社会主義者は無力であり︑また賃金哲

会主義者と一致する︒

1一の理論は︑ユニオニズムを産業化の社会への影響に

AFL

の組織構造や政策にほとんど影響をおよぽすことなく︑

マーク・パールマソ著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶

(8)

マーク・パールマン著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶ だがこの一派の最大のものはホクシーであろう︒かれは︑そ 理学者に求められるべきであり︑また経済的貧困の軽減は︑労

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分論とを展開したかのソースクイソ・ヴェプレン

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ある﹂と説く︒すなわち労働者は︑工場労働者となるまでの幼

少年期にその﹁行動への先天的傾向﹂︵かれのいう十六の本能︶

を自由にのばすことができるが︑工場に入るやその本能が抑圧

形成のそれである:

 

働市湯のよりよき組織化と産業の﹁非偶然化﹂("

d e c a

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たかれは︑ヴェプレンが経済的環境の力を強調するのあまり人 間を法や慣習に反抗的ならしめる︒この心理的不満の治療は心 粋に経済的根源︵おもに貧困︶があり︑経済的環境の悪化は人

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市場状態のもとで組合のとる現実の形態は︑その関係する個人

の個人的および人種的性格の如何による︒その感情や態度に共

通性がみられれば︑そこに労働者の統一的行動が成立する︒ま

間をその産物として考えすぎるとして︑人間の環境への反作用

をとく︒そして人間に影響をおよぽすのは全社会的環境であっ もちろん労働者の不満の原因には純戟と個人的︵心理的︶刺戟の相互作用の結果であって︑一定の この個人的不調整の除去であって︑かくして﹁労働問題は人格ところでホクツーによれば︑労働運動は外部的︵市湯的︶刺 されて不満と個人的フラストレーツョソが生ずる︒大切なのはある︒ ﹁真の労働問題は⁝⁝個人心理学のそれで造的に分類する︒だがかれの重視したのはむしろ組合の機能別

たいするプロテストとみる。ロバート •F

・ホクシー、カール

トソ•H.

。^ーカー、フラソク・クンネンバウム

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1一人がこれに属する︒この三人に共通してい

るところは︑人間の本能的心理論と社会価値体系のいわゆるニ

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の出発点においてヴェブレソをうけいれ︑個人的気質と環境の

諸力との交互作用に関心を示す︒そしてユニオニストを指導

者︑満足せる組合員大衆︑不満なる組合員大衆の三範疇にわか

ち︑また労働組合を職能別組合(a

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(9)

おけるその最大の理論家は、ジョージ

•E ・バーネットである。

この考えは︑のちにアメリカの現実によって根底から揺すぶら 第四のユニオニズムを厚生制度とみる理論は︑もちろん英国労働者が一般の政治生活に参加するすべを知るのにすぐれた機

組合はまったくの反革命組織であるとするにいたるのである︒ だし後になってかれは︑この結論の最後の部分を否定し︑労働 ユニオーーズムの社会的結果が︑ときに革命的ともなりうる︒た水準は維持改善され︑労働者は恣意的な不当な取扱いより保護 求は雇主の権利の否定であり︑それゆえこの保守的機能をもっる傾向にある︒そして﹁かかる協約によってのみ労働者の生活 どころかむしろギルド的伝統につらなる︒だが自己決定権の要 もっとも能率的な運用

1 1

所得再分配の手段とされるのである︒ て︑なかでも教育的なものの力の強いことを指摘する︒ここには︑明らかにヴェブレソからの逸脱がみられる︒

これにたいしクンネンバウムの考え方は︑特徴的である︒そ

の核心をなしているのは︑人間はより具体的な経済的報酬を求

めるとき︑みずから決定を下す権利を求めているというかれの

信念である︒ユニオニズムは︑労働者のみずから決定を下す権

利または地位をば︑それを破壊するところの技術の進歩の変化

より保護するために生じたものである︒それは︑過去の労働者

の遺産を維持するための防衛的組識であって︑ラディカリズム

の厚生経済学者たちの手法にならったものである︒アメリカに かれはウェッブ夫妻の影響をうけ︑その運動としての社会学的効果のゆえではなくてその経済的有効性のゆえに︑ユニオーーズムを望ましいと考える︒すなわちユニオニズムは︑産業社会の

かれによれば︑産業社会の能率的運用を高めるものは︑団体

交渉による労資の合同協約である︒それは︑基本的行政活動と

して分析されるべき経済的︵生産的分配的︶現象である︒協約は︑

全産業に一方的に適用されるときに︑その経済的利益は極大と

なる︒また地方的レベルよりも全国的レペルにおける協約の方

が︑経済的安定度はより高い︒したがって合同協約は全国化す

され︑産業平和も効果的に維持されうる﹂のであり︑これこそ

﹁労働問題の唯一の満足すべき解決策である﹂と︒

同時にバーネットは︑合同協約の労働者個人にたいする教育

的効果とその産業能率への貢献とを強調し︑また労働組合は︑

会であるとも説く︒だがバーネットのユニオニズムにたいする マーク・パールマソ著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶

(10)

かれによれば︑法律の進化により以前の法的慣習的束縛から解 アダムスは︑この仕事財産観のオリジナルな表現者である︒

︵職人︶のプロテストとして生ずる︒しかもその主要目的の一っ する︒フロテストとして︑すなわち商業資本家にたいする生産者 は本来的には副次的なものにすぎないと︒ る︒団体交渉過程より得られる物質的利益は望ましいが︑それてのアメリカ・ユニオニズムは︑イソダストリアリズムの発生

( j o b

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に財産的意義を与えんと努力する歴史的制度であスコンシソ時代である︒かれによれば︑すくなくとも現象とし に︑もっとも容易に達成される︒労働運動は︑この仕事の権利 基本的意義が仕事にたいする権利を含むように拡大されるとき 位を決定するアメリカ社会では︑社会的地位の改善は︑財産のこのアダムスのヴィジョンを史料的に裏づけたのほコモンズ を目ざすところの社会的交渉組織である︒財産所有が人間の地 第五の理論は︑ユニオニズムを民主々義過程の一部とみるものであって︑前者の理論とは対照的に︑独逸歴史学派の伝統にしたがう一二人の理論家たちによって代表される︒すなわちヘンリー・アダムス

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︑ジョソ・コモソズ︑セーリ

グ・バールマン

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の三人である︒かれらの理論

はこうである︒労働組合は歴史的民主々義過程の決定的要素で

あり︑また基本的には労働者の社会的地位︑とくに経済的自由るとするならば︑まず財産概念がそのように修正せられるべき 業科学または産業行政上になんらかの進歩がなされるべきであ する支配を得ずしては︑みずからの主人となりえない︒もし産 れるにいたるのである︒放された資本家階級の誕生が産業武装の第一歩であったにたいし︑その第二歩は労働者の組織化︑すなわち大産業の発生によって危胎に瀕した人々の側の対抗運動

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である︒だがその第二歩には︑旧財産観念に労働者の仕事の権

利を含ましめなければならない︒財産が自由にとって基本的で

あるのは︑ひとは財産を獲得し財産をつうじて自己の活動する

条件を支配しうるからである︒ゆえにひとは労働の機会にたい

である︒ユニオニズムについてのかれの関心は四段階を経て発

展しているが︑その組合論の確立されたのは第一一一段階たるウィ

をかならずしも前提としない︒それは商業資本主義制度にたい

マーク・パールマン著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶

(11)

っとも安全なる方法は、••…・事業の所有者または危険負担者と 稀少意識がある︒﹁この職業機会にたいする支配を確保するも

第二に組合政策を支配するものはなにか?それは︑道徳理論 よる精神的貧困である︒ 概念である︒その根底には︑制限されたる職業機会についてのの純損益の合理的比較であり︑道徳理論によれば経済的貧困に 集中せしめるが︑その仕事の機会はまったき意味において財産成長である︒また経済厚生理論によれば︑それはユニオニズム そして労働組合は︑なによりもその注意を仕事

( j o b )

の問題に倒であり︑社会制度理論︵民主主義過程理論︶によれば市場の きには集団的目標を有するところの観察可能なる単位とする︒環境論にあっては︑それは技術の変化および価値と諸関係の転 る大衆﹂とは考えず︑逆にそれを集団的個性︑集団的歴史︑と第一に組合のオリジナルな原因はなにか?・革命理論と心理的 れた︒かれは︑労働者を﹁抽象的な力に支配されたる抽象的な問をつうじてそれらを相互に比較しようとする︒ コモソズの理論は︑その弟子︒ハールマンによって真に展開ささて以上のように五理論を説明したのち︑著者は︑四つの設 雑多な人種や国民の混在などであると︒

競争市場︑特異な政治制度と容易なる人民自治︑雑多な言語︑ 特徴を生ぜしめたものは︑広大な自由地︑それにともなう広大なら欠いていることを知っているからであると︒ るための利益集団である︒そしてかかる労働運動のアメリカ的

マーク・゜ハールマソ著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶

は︑安価な労働の競争にたいする保護であり︑その保護される

べきものは︑階級的利益よりはむしろ労働者個人の仕事の権利

である︒競争の脅威は︑国内市場の安価な労働︵内的脅威︶の

みならず安価な外国商品︵外的脅威︶からも生ずる︒労働者の

窮乏は︑親方の搾取によるよりはむしろこの競争の圧力による

ものである︒ユニオニズムは︑かかる脅威から組合員を擁護す しての経営者にとって代ることなく︑仕事の事実上の所有者または管理者となることであり﹂それが不可能の場合は︑経営者との団体交渉をつうじてさまざまな労働規則を労働協約に規定することによって︑個人および集団全体にたいして職業の権利を確立することである︒労働者が組合に加入するのは︑一っは

経済的機会一般の稀少の意識のためであり︑いま︱つは︑危険

を冒してまでその機会を利用しようとの企業家的能力をみずか

(12)

心理的環境論にあっては︑労働者の組合加入はその貧しき生活 では政策から期待される倫理的諸結果であり︑革命理論ではその反資本主義的諸結果であり︑経済厚生理論では政策のもたらす純損益の比較である︒また社会制度理論にあっては︑組合に

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が組合政策を決定し︑心

理的環境論にあっては︑文化的ずれ︑経済的不安定︑および人

1

よれば︑組合の未来は不確定だが政治への直接参加が労働者に

とって最良となるだろう︒社会制度理論にあっては︑民主的社

う︒道徳理論および革命理論にあっては︑産業での組合の役割

産業上の決定をなすに至るとされる︒

命理論にあっては︑それは組合が搾取に対抗するからであり︑ 徳的地位の強化が︑また経済厚生理論によればその経済的地位の極大化が︑それぞれ組合により達成されることがその理由と

との可能性を検討したのち︑それはほとんど不可能であると説

(p os tu la te )

提されており︑しかもその公準の間には調和しがたい相違があ

ウムが︑その解釈上の若干の相違にもかかわらず心理的環境理

その基礎となる公準がそれぞれ相容れないのだから︑その綜合

唯一の公分母ほ︑各理論が組合を論じたということだけである︒

そこで著者は︑とくにニュー・ディール以後のアメリカの現 制度理論によれば︑その理由は労働者の稀少意識に存する︒革は﹁完くではないにせよ︑ほとんど不可能である︒﹂

第四にユニオニズムはなぜ労働者にアッピールするか?社会 論のうちに統一されるごとくである︒だが五理論については︑ はますます大となり︑遂には労働者が工場を運営し︑あらゆる 会では組合は啓蒙的利益集団として依然果すぺき仕事があろが︑それらは同一の公準より出発しているかぎり︑綜合される る︒各理論の内部にもそれぞれ異なった解釈が併存してはいる るなら︑組合の未来はありえないことになる︒経済厚生理論に っては︑もし心理学者の診断治療によって労働不満が除去され つぎに著者は︑この五理論を綜合して一般理論を樹立するこ

状態のためであるとされる︒また道徳理論によれば労働者の道

(13)

く説明する︒事実その損益計算よりして組合は︑ときに団体交

第四に経済厚生理論は︑ は︑あくまで﹁雇主の理論﹂でしかない︒

する術を明らかにし︑また経営者が組合に寛容となる理由を説 動きのなかによく示されるが︑それは︑労働者をコントロール

能率的なる手段として認識されたことに甚づいている︒

第三に心理的環境理論は︑とくに不況ののち顕著となったと ないようである︒

の憲法上の権利の一部とされている︒以上の事実は︑この理論 制への動きもあり︑また仕事の権利は生命︑自由︑および財産 が行われたりしている︒団体交渉の範囲も拡大され︑産業民主

さりとてマルクス主義のいう経済的貧困の増大や階級意識の増

後は組合保障条項や苦情処理手続が強調されるにいたったし︑

熟練労働者の産業別組合への組識化︑さらには若干の国有企業

マーク・パールマソ著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶

実に照して各理論の妥当性を吟味する︒まず道徳改善理論は︑

部分的にはニラの7

⑱に純粋な形で表現されてはいるが︑その 主要題目たる生産者協同組合その他はまったく拒否されてい る︒やはりこの理論は失敗だったというほかはない︒

第一一に社会革命理論は︑たとえば一時的な労農政治同盟や不

︵たとえば復興金融公社︶などに生きているようではあるが︑

大の事実もなく︑また組合の直接的政治活動への接近の度も一 九︱︱一年ほどですらない︒かくしてこの理論にも支配的な力は ころの︑労働者を自己表現を求める人格として認めようとする

明しても︑ユニオニズムの社会目的を明らかにはしない︒それ

一九三二年以後の労働組合運動を多

渉︵たとえば年金要求の場合︶にうったえ︑ときに立法︵たと えば社会保障法や最低賃金法︶にうったえ︑もって国民生産物 にたいする組織労働者の分前を増加せんとしている︒だがこの 理論は︑ユニオニズムの打算的側面を強調しすぎる︒アメリカ の労働者は︑必ずしもこのようには行動していない︒

第五に社会制度理論についてはどうか?ニュー・ディール以 また経済的利益を犠牲としてまで組合保障のためにストライキ によってうまく説明されるようであるが︑一九一

1

合ラッシュは︑やはり主として組合が労働条件改善のもっとも 以上のように考えてくると︑結局のところ近代ユニオニズム は︑一つの理論をもってしては到底説明することができないこ

(14)

マーク・パールマン著﹁アメリカにおける労働組合理論﹂︵小林︶ 1一理論についても︑もしその各

ていることに示される︒またウィスコンツソ理論にたいして用 策樹立者の求めるところがなにであるかによる︒ て特定の状態のもとで特定の時期にアメリカの労働組合が経済厚生理論または社会制度理論のいずれを反映するかは︑その政

ユニオニズム﹂にたいする後知恵

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) であるが︑それは︑ノーマン・ウェアを﹁革命的制度としての というものはこれを極端におしすすめると常に危険を伴うもの そし認めた上でつぎのように欠陥を指摘している︒たとえば︑分類

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・プルークス氏は、本書の五分類の価値を全なる産業的市民権の獲得という歴史的使命を忘れ、物質的豊なかでジョージ 一九五八年五月の﹁マソスリー・レイバー・レヴィュー﹂の六年以来のますます増大する現象である︒組合員の多くは︑完 一オニズムのかかる意義は軽規されるであろう︒これは一九四 あるだけに︑本書の主要な長所の一っになっている︒だが批判くを要求しても失業のおそれがないと考えられるときには︑ユ

論 ︶

他方実質賃金の引きあげが容易であったり︑またより多 経済厚生理論と社会制度理論をもっとも価値ありとする知的ニ重主義

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をとるにいたる︒かれによ

れば︑アメリカの遺産は社会的機会と物質的向上の可能性との

二つであり︑ここに社会的自己実理と追加的財産およびサービ

スの容易なる獲得という二目標が設定される︒そのいずれの目

標をとるかは︑時の考慮とその当時の出来事の衝撃とによる︒

収縮する市場では︑とくに解雇に面したとき︑仕事の権利の

保証人としてのユニオニズムの意義は明白である︒︵社会制度理例がないだけに︑アメリカのユニオニズズムの研究にとって大

変便利である︒また労働組合理論の五分類は︑著者の主眼目で 諏図を見いだすであろう︒こうした書物は︑いままであまり類 Jこにわれわれは︑アメリカ労働組合理論についての恰好の鳥 著者マーク・パールマソの所説は︑ほぼ以上で尽きている︒

な条件の変化は︑近くおこりそうにもないと︒ かくして著者は︑アメリカ・ユニオニズムを洞察する上で︑理論の妥当するような条件が発生するならば︑そのときにはそれらも意味をもつに至るであろうと考えている︒だがそのよう

(15)

酷にすぎる︒またフォスクーについての一部の記述は︑たしか

妥当しないことにたいする著者の説明は︑マルクス主義にたい なお革命理論︑とくにマルクス主義理論がアメリカの現実に もとよりノーマソ・ウェアの理論を後知恵というは︑いささか本書の価値を大きく傷つけるものでは決してないと思われる︒ いられた﹁民主々義過程の一部としてのユニオーーズム﹂というレッテルは︑中心問題を予断裁決するものであって︑ウィスコソシン学派以外の論者たちから︑自分たちの理論こそウィスコンシン理論よりも深く民主々義理論に基づいているのだと論じ

また氏によれば︑左翼の社会主義者および共産主義者の取り

扱いが妥当でなく︑とくにウィリャム・フォスクーの背景の記

も書かれることがないほどの不正確な記述だそうである︒その

としているが︑たとえ︒^ーカーその他が存在しなかったとして

ュー・ディール以後の現実に照して検証せんとする最後の章

は︑もっとも不満足なる章であると︒

このプルークス氏の批判ほ︑かなり痛いところを衝いている︒

に不正確と評されても仕方がないようである︒だが︒^ーカーに 著者の目的は充分に果されているといってよく︑以上の欠点も ついては︑氏は﹁先駆者﹂という言葉を著者とは対照的に窮屈に考えすぎる︒またウィスコンツン理論のレッテルについての批判も一応もっともではあるが︑しかし著者は︑社会制度理論以外の理論が民主々義理論に基づいていないとは少しも述べて著者は各理論の展開された時代とは無関係に一九一

1 ‑ 0

年代以後

二刀流は︑理論を生命とする研究者にとっては自殺行為にひと

しい︒だが著者の主眼点が諸理論の整理分類にあったかぎり︑ であろう︒また五理論を分析比較してその綜合を試み︑かつる現象を説明するのにそれに適した方の理論を以てするという も︑人間関係を強調する現在の人事管理運動に変りはなかった経済厚生理論と社会制度理論という相容れぬ二理論を用い︑あ めているように︑その﹁知的二重主義﹂も大きな弱点である︒ 上著者は︑カールトン・︒^ーカーを﹁人事管理運動の先駆者﹂つ歴史的限界を無視しすぎた感がある︒また著者自身の暗に認 の現実をひき出してきている︒これなどは︑社会科学理論のも 述の一部︵一九一九年の鉄鋼ストライキについて︶は︑これから ークス氏のいうとおりである︒たとえば五理論を検証するのに︑ しかし最後の章がもっとも不出来であることは︑まさにブル

(16)

かる批判については︑アメリカの一部のマルクス主義者自身の反批判もあり︑またなによりもマルクス主義者をふくめての日本の読者一般のはがゆく感ずるところかも知れない︒だが著者は︑マルクス主義がほとんど勢力をもたぬ国の研究者である︒マルクス主義者でない著者が︑かかる国の学問的伝統に忠実であったとしても︑おそらくそれほ致し方があるまい︒ するアメリカの研究者の通常の批判を一歩も脱していない︒か

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