イギリスにおける「ドイツ製品」騒動 : 19世紀末 期英独貿易戦の一齣
その他のタイトル Ernest Williams' Made in Germany (1896) and Angro‑German Trade Rivalry
著者 荒井 政治
雑誌名 關西大學經済論集
巻 14
号 4
ページ 67‑81
発行年 1964‑11‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/15392
殻物法の撤廃(‑八四六年︶から﹁大不況﹂期のはじまる一
八七三年までは︑しばしば﹁ヴィクトリア朝の繁栄﹂と呼ば
れ︑イギリス資本主義の黄金時代であった︒イギリスの率先的
な重商主義の放棄が五0年代と六0年代におけるヨーロッパ諸
国の関税引き下げの序曲となり︑コプデン派の予言は的中し︑
大陸の市場はイギリス工業製品に門戸を開いた︒
ア朝の繁栄﹂がこうした自由貿易政策の採用と時期を同じくし
﹁ヴ
ィク
トリ
ていたためか︑当時の人々は自由貿易政策に強い信念を抱いて
いた︒だが︑じっさいには卓越した工業力のほか︑海外の鉄道
建設プーム︑スエズ運河の開通とそれに伴う蒸気船の建造と海
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶
は し が き
運の発達︑カリフォルニア︵一八四八年︶とオーストラリア︵
一八五一年︶における金鉱の発見︑戦争︵クリミア戦争︑南北
戦争︶といったような内外の諸要因が共にこの繁栄を築き上げ
﹁ヴィクトリア朝の繁栄﹂につづく一八七0年代はカニンガ
ムのいう﹁大分水嶺﹂であって︑それを境としてイギリス経済
は下降期に向った︒すなわち﹁世界の工場﹂として或は﹁世界
の海運業者﹂として世界経済をリードしてきたイギリスの地位
は外国の挑戦をうけて大きく動揺し︑それから一八九六年に至
るまで﹁大不況﹂期と呼ばれる長期の慢性的不況の時代がつづ
き︑生産性の向上は鈍化し︑投資は停滞し︑輸出の不振がつづ
( 1 )
いた︒シュローテによれば︑一八四0ー一八六0年には輸出は
六七
ていたと考えるべきであろう︒
九 世 紀 末 期 英 独 貿 易 戦 の
荒
井
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動
鮪l
政
治
に直面した現実の厳しさとその対策を説いて国民の自覚と奮起 こ ︒ナ 動も実はこのような﹁大不況﹂がもたらした︱つの産物であっ 開西大學﹃舘済論集﹄第一四巻第四号
年平均五・三形、つづく一八六0|_八七0年には四•四%伸
びたのに︑一八七0ー一八九0年にはわずかニ・一彩︑一八九
( 2 )
0ー一九00年には更に低下してO•七%に落ちた︒かくて自
由貿易に対する不信の声が高まり︑一八八一年には公正貿易同
委員会が任命されて不況の原因を究明した︒
一八
九六
年︑
ウィリアムスのエッセイ﹃ドイツ製品﹄
ne st d E wi n W il li am s, M ad e i n G er ma ny ,L on do n, 1896)
が口火となって言論界が沸き立ったが︑この﹁ドイツ製品﹂騒
﹁大不況﹂の試練に直面しながらヴィクトリア全盛期の夢
から醒めない大衆に向って︑ウィリアムスはドイツ工業の攻勢
を促がしたのである︒^
'M ad e i n G er ma ny
"
の警鐘は直ちに多
大の反響をよびジャーナリズムはこぞってこの問題をとりあげ
た︒このことが経済政策をめぐる時論や後の政策にどれほどの
影響を及ぽしたかは測り難いが︑それはともかく︑栄光にみち
たヴィクトリア経済に袂別を告げようとしている転換期の様相
(E r
ー の採用を訴えて︑関税改革運動が拾頭し︑一八八五年には勅命 盟
(F ai r Tr ad e L ea gu e)
が結成されて帝国特恵制や報復関税
(1
)
H is t . , 1 95 9 , p p 1 . 99
ー2 2
8 .
をみよ0 第八章においてイギリスのとるべき対策を提案している︒ ついて︑それぞれの実状をイギリスと対比しつつ紹介し︑第七 て︑現在及び将来におけるイギリス経済の厳しさを直視せよと を
知る
上に
ょ^
Ma de in G er ma ny
"
は恰好の手懸りとなる︒ここ
本書は一八九六年の秋に刊行されたのであるが︑その内容の
大部分︑すなわち八章のうち六章はすでにその年の一月から六
月まで
Ne w Re vi ew
誌に連載されたものである︒まず総論にあ
たる第一章ではドイツの商工業が国家援助の下に退しい発展を
遂げ︑ドイツ工業製品が世界市場へ進出してきた事実を概観し
訴える︒つづく第二章から第六章まではドイツの各産業部門に
章ではドイツ産業を成功に都いた諸要因を明らかにし︑最後の
﹁大不況﹂については
A. E. Mu ss on , "
Th e G re at
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e
1
pr es si on i n B r i ta i n , 18 73
ー1
89
6 : a
Re ap pr ai sa l"
J•EC.
(2
)
W. Sc h l ot e , B ri ti sh O v e rs e a s T ra de fr om 7 1 00 to th e 19 30 s, 1 9 5 2, p .4 2 .
に紹介する所以である︒
六八
なっ
た︒
﹁イギリスが全世界に門戸を開いている間にイギリス
六九
Em pi re )
を築き上げていた︒﹁小工業段階から最初に脱け出
したのはイギリスであった︒イギリスは前世紀の中頃に産業革
イギ
リス
の陶
器︑
命を始めて今世紀中葉までには殆んど完成し︑数多くの工場や
鉱山や倉庫を開設し︑国内の戦争によって攪乱されることもな
く︑海外の戦争によって利益をえた︒大陸諸国の精力を消耗し
た大きな紛争はイギリスの産業覇権を不動にし︑世界市場の絶
対的支配者たらしめた︒その結果イギリスは世界の萬屋になっ
た
︒ イ ギ リ ス の 機 械
︑ イ ギ リ ス の 金 物
︑ 銃
んだ︒イギリスは陸地を鉄道網で覆い︑海上は自国の商品を輸
送する自国船で賑わった。•………••イギリス工業の支配力は巨
大かつ無類で人類史上未曽有のものであった︒﹂
しかし︑このようなイギリスの工業覇権と世界市場支配も新
しい工業国の出現によって栄光ある地位を脅やかされるように
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶ の姉妹国は対英防禦の障壁を築き︑その背後にあって︑しばしば国家の補助金の援けをかりて︑今世紀の半ば以降にそれぞれ
﹁ 二 0年前までドイツは農業国であっ
た︒工業製品は極めて少なく重要でなかった︒工業資本は小さ
く輸出貿易も政府統計家の注意を引かない程小さいもので'︑大
ドイツの商品は世界のあらゆる市場に進出してイギリス商工
業を脅かし始めたが︑遂にイギリス国内市場にさえ涸々と侵入
し︑今やイギリス人の身辺には﹁ドイツ製品﹂
る ︒
が氾濫してい
﹁読者諸君︑諸君の身辺を見廻してごらんなさい﹂諸君や
至るまでドイツからの輸入品であることに気付くであろう︒こ
剌繍細工︑皮手袋︑毛織物︑玩具︑書籍︑紙︑楽器︑陶器に閾
する税関の報告書が物語っている︒一八八三年のドイツからの
輸入総額は一六六三万ポンドであったのが︑一八九三年には二 れが誇張でないことはドイツから輸入された麻織物︑綿織物︑ り︑家庭の排水管に楽器︑細かいものでは鉛筆や子供の玩具に る種類の工業製品が︑地球上のあらゆる処に物質文明を運び込諸君のご夫人方の衣服の何着かはドイツで織られたものであ 器︑刃物︑イギリスのレールおよび橋梁︑その他殆んどあらゆ リスの覇権を葬るべく全力をあげて闘っているのである︒﹂ 量に輸入する﹂という状態であった︒そのドイツが今や﹁イギ イギリスはいち早く比類なき﹁工業帝国﹂
(I nd us tr ia l
べきはドイツである︒ 独自の産業を発達させた︒﹂そういった国々の中で最も注目す
̲̲̲̲ ̲ j . 一---—--- ‑
隅西大學﹃繹済論集﹄第一四巻第四号
一六三万ポンドと約三0彩の増加を示している︒ここで特に注
・ グ ア ノ
目すべきは増加の内容である﹂︒これらの商品は蜜柑や糞化石と
は異る点に注意すべきである︒これらの商品は輸入に待たねば
ならないとか︑欠乏しているとかいった製品ではなく︑すべて
イギリス工業製品の部類に属するものばかりである︒更に重大
なことは︑それらの商品はその供給においてイギリスの方に一
日の長があるということである︒﹂
これがどのような結果を招くかは明らかである︒イギリスは
巨額の海外投資益のおかげでなお債権国の地位にあるが︑商品
貿易では年々巨額の輸入超過が続いている︒他の工業国︵殊に
ドイツ︶が商品貿易によって年々新たな富を付け加えていると
き︑これは決して健全な徴候とはいえない︒海外投資益に依存
して﹁われわれは所得のすべてを外国の商店で使ってよいだろ
の部分をわが国の資本に付け加えるべきではないか?﹂更に憂
慮すべきは輸出の不振である︒一八七二年にイギリス生産物の
輸出高は約二億五六00万ボンドであったが︑九五年には二億
二六
00万ポンドに減少した︒他方イギリスの人口はこの間に
三一八三万から三九一三万に増加している︒したがってヨーロ うか?最も富裕な国民としての地位を維持するためにその多く 能力が増大しているにもかかわらず︑イギリスの人ロ一人当りの国産品総出高は一八七二年の八ポンドーシリングから一八九四年には五ポンドー一シリング三ペンスに低下した︒この数字は何を意味するか︒ーつは国際競争が激化したということと︑もう︱つは﹁失業という工業国の痛ましい家庭の秘密﹂が現われることである︒
第一章でウィリアムスが言いたいことは要するにこういうこ
とであろう︒﹁イギリスの工業覇権は長い間きまり文句になっ
ていた﹂しかし新しい工業国ーことにドイツーの国をあげての
挑戦によって︑﹁イギリス工業の栄光は去りつつある︒イギリ
スはそれを知らない︒⁝⁝今こそ現実を直視すべき時ではある
アラーミスト・まいか︒﹂杞憂家としての熱情から彼はイギリス国民に向っ
て︑このような覚醒のラッパを吹き鳴らしたのである︒
次いで︑鉄鋼︑造船︑金物︑機械︑繊維︑化学その他の小エ
業を個別に取上げてドイツ工業の躍進とイギリスの相対的な後
退の過程を示す︒プラック・リストの筆頭にあげられるのが鉄 ッパ工業品に対する世界の需要が伸び︑技術革新によって供給
七〇
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶ 減少となっている︒イギリスにとってまことに恐るべき敵手で してみると︑表のように絶対量ではなおイギリスの方がやや多ド
ィた︒いま九0年代前期五カ年間における英独鉄鋼輸出高を比較 ーヌ︑ルクセンブルグの低級で安価な含燐鉄鉱︵従来ベッセマー銑の生産に利用されていなかった︶を利用できるようになり︑ビルバオその他の高価な鉄鉱石の依存から救われた﹂こナである︒かくて一八九四年には鉄鋼製品の対英輸出高は二四四0万マルクに及び︑前年の輸出高を三七0万マルクも上廻っ
いが︑ドイツはこの間に五0形伸び︑イギリスは逆に三五形の ﹁ほぽこの頃に脱燐法が導入されてドイツ人はモーゼル︑ロレ びにもかかわらず︑イギリス製鉄業の比重は急激に低下して
﹁世界の製鉄業者﹂としての地位から退いていった︒他方︑こ
れとは対眠的に隣邦ドイツの鉄鋼業は一八七九年いらい飛躍的
発展期に入った︒それには二つの理由がある︒︱つは一八七九
年ビスマルクが保護関税を課したこと︑もう︱つの推進力は は最高潮に達した︒ところが︑それ以後︑世界の鉄鋼消費の伸 の革新によって︑﹁世界の製鉄業者﹂と謳われ︑一八八二年に われた部門である︒石炭製鉄の祖国イギリスは相つぐ製鉄技術 鋼である︒鉄鋼は後退した産業の中でも︑それの最も明瞭に現
ツ イ ギ リ
ス
(千トン) (千トン)
輸 入 輸 出
輸 入 輸 出
1890
, 1891
1892 1893 1894
491 331 278 286 270
957 1,160 1,133 1,213 1,439
1890 1891 1892 1893 1894
315 306 294 276 287
2,706 2,289 1,865 1,897 1,735
七
功し︑イギリスが失敗 ではなぜドイツが成 れねばならない︒ きた教訓として活かさ 業の指導者によって生 に曝されている他の産 験は︑同じように競争 鉄鋼業界のこの苦い経 に時機を失していた︒ ベルギーに調査団を派 認め︑続いてドイツ︑ 書はイギリスの敗北を ある︒そこで一八九四は委員会を設けて競争た︒翌年の委員会報告遣したが後の祭ですで 相手の調査に乗り出し Tr
ad e A ss oc ia ti on )
年︑業界
( Br i t is h I ro n
用したのだからイギリスを大陸製鋼業の養成所のように画いて なっている︒鉄道運賃は複雑で比較に適当な数字はないが﹁大 しないこと︑鉄道運賃の低廉なこと︑もまた低コストの原因と である︒﹂このほか新しい脱燐法を採用したこと︑原料を浪費 トンまたは鏡鉄で一00│︱二0トンというのが当り前のこと 鉄で多い方であったが︑今日では最高級銑鉄で一五0ー一七0 関西大学﹃網済論集﹄第一四巻第四号
したのか︒この問題は後に第七章のところで全般的に分析され
るのであるが︑鉄鋼のみに限っていえば︑ドイツの勝利の原因
は低コストという点にある︒低コストといえば︑イギリス人は
すぐ﹁ドイツの低賃銀労働﹂というミゼラプルな弁解をする
が︑これは当らない︒より正しい説明はドイツ製鉄所の高度生産
性に求めるべきである︒
St ah l un d E is en
誌によると﹁一0年
かーニ年前では日産六OI七0トンの銑鉄または五0トンの鏡
陸ではイギリスの鉄道運賃の半分も支払っていない︑といって
も誇張の謗りをうけることはない︒﹂
思つにドイツ製鉄業を飛躍させた技術的基礎︵新しい脱燐法︶
はトマス製鋼法とか塩基性転炉法といわれ︑もともとイギリ
スで開発されたものである︒﹁われわれのライバルー特にドイ
ツーはわれわれの発見とわれわれの実験による利益を十分に利 に対して免税の特典を付与する法律が制定され︑またシュテッ も決して空想的ではない︒﹂今や後進は成長して︑その攻勢の前に育ての親が苦境に立たされているわけで︑全く皮肉というるが特に前二者が大きい︒イギリス造船業の世界的優位はイギリスの制海権に照応すると信ぜられてきたが︑造船業の首位は必ずしも安泰ではなかった︒一八八三年のイギリスの建造総トン数は八九万トンであったが︑九三年にはわずか五八万トンに低下し︑九四年にはもち直したが︑それでも六七万トンに止まった︒ドイツはどうか︒造船業はドイツ人がチャンスに恵まれなかった殆んど唯一の工業であると長らく考えられてきたのであるが︑それにも拘わらず最近国家の支援の下に実力を試めすペく立ち上った︒八五年には外航船の建造︑修理︑艤装の材料ティンのヴルカン造船所のごときイギリスでも見当らないかと思っほどの大工場が生まれている︒金物や刃物でもイギリスの
輸出は全く振わない︒八二年には輸出額は四0万ポンドを超え
たが︑九五年には五五形も減少し︑わずか一八0万ボンドに過 である︒何れもドイツの競争によって打撃をうけているのであ 鉄鋼に続いてリストに載るのは造船︑金物︑機械のグループ ほ
かな
い︒
七
過剰生産に悩むマンチェスターマンの表情は暗い︒綿織物の輸 グループで最も重視すべきはいうまでもなく綿工業であるが︑ る ︒ ッキをしたワイヤーのごときは九四年の輸出高二0万トンのう
ち四分の一以上︵五九︑000トン︶がイギリス向けで︑ドイ
ツ製ワイヤーにとってイギリスは日本に次ぐ市場となってい
次の繊維グループではドイツが唯一のライバルではない︒綿
では東洋が︑麻やレースではベルギーが︑絹ではフランスが︑
いずれも敵手である︒だがここではドイツに考察を限る︒繊維
出額についてみると八一年には約三七
00
万ボンドであった
が︑九五年には約二七
00
万ボンドに落ちた︒これはインド︑
ベルギー︑シナ︑日本等の競争が激化したからで︑﹁ランカシ
ャーは負担の限界点に急速に近づきつつある﹂したがってこの
上にドイツの競争が加わることはランカシャーにとっては致命
的となるであろう︒﹁現在のところドイツの成功と精力はすべ
て国内市場に集中しているようで︑ドイツは外国品に高率関税
を課して注意深く国内市場を育成している︒﹂ちょうど二0年
前にとるに足りなかったドイツ鉄鋼業が︑今日イギリスの製鉄
ギリスイにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶ ぎなくなった︒これに反してドイツの輸出は続伸しており︑メ
七
B m m 1
日
M o
n d
a n d
C o .
その他の競争によって業績は次第に ﹁一国繁栄のバロメーター﹂といわれるーではどうか9化学製
品グループで中心になるのはアルカリである︒アルカリはイギ
リスの特徴的工業であって︑一八七三年には三
00
万ボンド近
くも輸出していた︒その後︑アルカリ製品に対する﹁新しい用
いるにも拘らず世界最大のアルカリ業者の昨年の輸出額は七〇
年代初めの二分の一をわずかに出る程度であった︒﹂このよう
ずっていたが︑一八九0年これに終止符をうつべく最後の望み
を託して
U n i t
e d
Al ka li C o '
が生まれた︒これは四0数社を
統合し八
00
万の資本をもつ大企業であった︒しかしこれすら
不振に向い︑九六年には早くも一部を閉鎖するに至った︒これ
に加えてスエーデン︑スイス︑ドイツの競争がある︒ドイツで
は七七年のソーダ年産は四二︑
00
0トンであったが︑最近で 年ほど前までアルカリ工業には多数の企業があって互に鏑をけ なアルカリ工業の衰退は国内の過当競争にも一因があった︒五 途や︵海外の工業発展に伴う︶新しい市場が絶えず見出されて 以上は旧産業についてであるが︑新産業の化学工業1
それ
は
い︒厳戒を要する︒ 業者を驚嘆させたように︑綿工業もやがて成長するに違いな
_____·-~---· 一•---今----····
一 ‑ ‑ ‑‑ ‑
ルからアニリン染料モーヴを抽出することに成功しているので製玩具がイギリス製に比べて安価であるばかりでなく︑ずっと のである︒四0年前の一八五六年︑
w .
︒ハーキンがコールターギリスはドイツ玩具の第一の市場となっている︒それはドイツ 壇場である︒アニリン染料はもともとイギリス人の発見したも 笑に付する人々は︑たいていドイツ製玩具を例にあげるのであ ループの中でイギリスの徹底的な敗北の記録が見られるのは合器︑紙︑ガラス︑陶器であるが︑これらの分野においてもまた 最後の小工業のグループに属するものは玩具︑皮革製品︑楽 はこんなところにあった︒ 発され︑生産者の連合体︵カルテル︶が全市場を掌中に収めつ を組織し︑推定一0万トン位の年産をあげているようである︒ これらの工業は洋々たる前途が約束されているにもかかわら 化学製品の他の重要部門は合成肥料︵硫安とカリ︶である︒ ン
に増
加し
た︒
はなぜであろうか︒特別な原因はイギリスの業者が﹁けち﹂で ず︑イギリスで育たず︑移植されたドイツにおいて開花したの
は一
九五
︑
000トンを上廻っており︑八五年と九五年の十年ある︒ 開西大學﹃繹済論集﹄第一四巻第四号
間にソーダ灰の輸出高は︱二︑000
トン
から
三三
︑
000ト
ず︑イギリスではコークス炉から硫安を製造することを殆んど
無視してきた︒ところがドイツではコークス製造業者が連合体
またカリ肥料の生産ではフランクフルト附近で岩塩の豊庫が開
つある︒このことは経済上のみならず軍事上の見地︵爆薬原料
の確保︶からしても見逃してはなるまい︒ところで化学製品グ
成染料︵アニリン︑アリザリン等︶の歴史であろう︒今日︑世
界の合成染料の十分の九をドイツが供給し︑残りをフランス︑
スイスおよびイギリスが分担している状態で︑全くドイツの独 ﹁愚鈍﹂で研究費を出ししぶったからである︒
E lb e
r fe l
d の 一
工場では六0人を下らない優秀な科学者を抱え︑彼らに十分な
研究施設と給与を与えている︒イギリスでは六人以上の化学者
を雇用している工業家は稀で純粋の研究員を麗っている者など
一人もない︒イギリスの工業家はそのような研究費を﹁気まぐ
れなばかげた金銭の浪費と考えており︑そんな金があれば︑鹿
狩用の森を借りるか︑田舎に別荘をもつだろう︒﹂完敗の一因
ドイツの競争力は悔りがたい︒今日の﹁ドイツ製品﹂問題を一
るが決して軽視すべきでない︒九五年の玩具の輸入総額は約一
00万ボンドに上り︑その中四六万ポンドはドイツからで︑イ アリザリンもまたイギリスで生まれた︒にもかかわら
七四
‑‑‑‑‑・ 一・̲̲̲J,̲ ‑‑一‑
成功した原因を綜合的に追求する︒その内容を紹介する前に著 約 一
00万ポンドの楽器を輸入したが︑その中五六万ポンドは
ドイツからで︑ドイツ製ビアノは低廉で︑イギリスに多くの代
理店をもち精力的に売り込んでいる︒しかも無税で入ってい
る︒
九0年におけるビアノ消費は約二0万台で︑その三分の一
を超
える
七二
︑
00
0台がドイツ製品だという︒もしこの数字
が正しいとすれば︑今日ではもっと大きな進出をしているに違
いな
い︒
以上が第二章から第六章にわたって述べられたウィリアムス
のいう﹁イギリス産業の恥曝し﹂の大要である︒
ドイツ工業の飛躍的進出とその脅威を商品別にとりあげたの
ち︑著者は第七章においてドイツ工業がイギリス工業の打倒に
者が指摘する項目を列挙しておくのが便利であろう︒①賃銀と
労働時間︑⑱ストライキ︑⑱低廉でいかがわしい商品︑鉛商品
表示法︑同国家の援助ー保護︑補助金︑輸送︑商事担当領事︑
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶ が均整︒デザインともに優れている︒またイギリスは九五年に 精巧にできているからである︒陶器でも下級品ではドイツの方
七五
それはごく一部である︒安価の真の原因は後に明らかとなるで 一時顧客を失い︑その隙にドイツの侵入を許すことになり︑母労 ことは︑イギリスの労働者に低賃銀で長時間働くよう訴えつづ 教育︑⑲自助ー売り込み︑適応性︑全般的に︒
大部分のイギリス人はドイツ工業の侵入を阻止できないのは
ドイツが低賃銀労働を武器としているからだと信じ込んでい
る︒いま両国の労働条件を正確に比較する適当な資料はない
が︑たとい差があるとしてもそれは僅少である︒﹁筆者が読者
に特にお願いしておきたいことは︑その点︹賃銀差︺を重視し
すぎてはならないということである︒その影響を過小評価する
者はあるまいが︑それを過大評価して他の原因を無視する危険
は多分にある︒このさい他の原因についてじっくり考えてみる
けるよりも︑より豊かな稔りをもたらすであろう︒﹂ストライ
キについてもそうで︑イギリスが労働者のストライキによって
使ともに致命的損失を蒙ることはある︒したがってこれもドイ
ツを成功に導く一因とはなるが︑このことを重視しすぎてはな
らない︒次にドイツ商品がイギリス商品より安価であるという
点だが︑これは衆目の認めるところである︒しかし︑だからと
いってドイツ製品が全般的に粗悪であるというのは当らない︒
日︑多くの国々とこれを締結して成果をあげている︒独露関税 ツはまた互恵通商条約という更に弾力的な政策を採用し︑今いないイギリスの鉄道会社では建設費・維持費ともにドイツよ 争に曝されることになり︑二重の損失を蒙ることになる︒ドイ上を配当している会社は稀である︒政府から何の援助も受けて るばかりでなく︑国内市場を含む他の市場においても死活の闘 側からみれば︑保護関税によって︑ドイツ市場から締め出され ーでもって新市場の獲得に乗り出している︒これをイギリスの 潤に依存して外国に進出し︑低価格ー必要とあらばコスト以下 ドイツ工業家はそれによって国内市場を確保し︑そこで得た利 ドイツにとって保護関税は十分な刺戟となっている︒すなわち 給されるようになった︒しかしドイツ製品の安価の秘密を解く な商行為の荷担者となって︑ドイツ製品の侵入を助けている︒係者はこれに刺戟されて多くの技術改良を行ったので実績は政 だが残念なことは︑イギリス商人自身が︑しばしばかかる不法が︑それが砂糖となって輸出されると戻税の恩典に浴する︒関 製のスタンプを押して売られるごときーは商業道徳に反する︒ 付して売り出す行為—サクソニー製のナイフがシェフィールド あ
ろう
︒
開西大學﹃網済論集﹄第一四巻第四号
第四の
M
c 9
ha nd is e M ar ks Ac t
(1
88
7)
は商業道徳に関す
る問題で︑ドイツ製品をイギリス商品であるかのような表示を
しかしドイツ工業の進出を成功に迎いた最も重要な要因は国
家の稲々の援助
(S ta te He lp
)と工業家自身の努力
( Se l f He lp )
とにある︒工業主義に熱狂し︑それに向って驀進しつつある 協定の成功はその著例である︒こうした条約によってドイツは年
間約
四︑
000マルクの歳入を失うことになるが輸出の増加
を考慮すれば大した犠牲ではないという︒このほか︑甜菜糖の
助成策にその例をみるような輸出奨励金ないし補助金の制度も
ビートある︒甜菜がドイツの工場に入るさい一定の従量税が課される
府の予測を上廻った︒九二年にこの方式は直接補助金制に切り
換えられ︑甜菜糖の輸出額に応じて一定金額の国庫補助金が支
もう︱つの重要な要因がある︒低運賃の強みである︒イギリス
の鉄道運賃はドイツに比べて逝かに高い︒鉄道・運河交通法や
商工業者のいかに強い要望があっても︑現今の鉄道制度が続く
限り低くなることはなかろう︒ドイツと違ってイギリスの鉄道
は純然たる民間資本の経営であるから︑ある程度収益をあげて
配当することは当然である︒今日︑鉄道会社の普通株で七分以
りずっと高くついているoこれに反しドイツの鉄道は政府の事
七六
ドイツ政府の教育ー特に科学技術教育ーに対する熱意は世界の
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶ ここであえて国家援助の範疇に入れたいものに教育がある︒
七七
イツ人の﹁適応性﹂がそれと結びついたからで︑ドイツ商社は はこれである︒この
Pu sh
をして真に効果的たらしめたのはド ない/
( S h i
p p i
品
R i
品︶を結成し︑イギリスの荷主に対しては大陸
の荷主よりも不利な差別待遇をしているが︑同盟は政府から低
金利融資をうけており︵一種の補助航路︶︑カルテルと国家援
助の力によってイギリスに対する競争力を強化している︒
ることは当然の義務とされており︑商社の代理行為をすること
は軽蔑されない︒政府はこの種のサーヴィスのために世界の重
要地点にコマーシャル・アタッシェを配置してドイツ経済を援
シェを置いているのは全ョーロッパを通じてわずか三カ所︵パ
リ︑セント・︒ヘテルスプルク︑コンスタンチノープル︶に過ぎ 育と比較すれば︑まるで﹁電灯とローソクほど﹂の差がある︒ドイツの技術教育は極めて実際的で︑少数の高級技師よりも第
しかし︑ドイツ工業を成功させた諸原因のリストからドイツ
商業の稔りはえられないであろう︒﹂この点ドイツ人は退しかっ
た︒彼らはあらゆる障害を排して懸命に売り込んだ
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s h) ︒
資本が無ければ倹約し︑技術や知識がなければ進んで学び︑市
であれば巧妙な模造品で対抗する、といったように。•'Push"
1ー'言葉は至極簡単だがドイツの成功に最大の役割を果したの 場が外国品で閉ざされておれば安売りし︑相手とコストが同じ るわけではないが︑蓬かに後れており︑コマーシャル・アタッ 助している︒イギリス政府もこの種のサーヴィスを拒否してい 欠けておれば︑国家による農耕がいかに慎重を期したところで 耕やしても徒労である﹂ように.﹁もし商人自身が精力と知性に のサーヴィスがある︒ドイツでは在外政府機関が商業に奉仕す成功するものではない︒﹁農夫の蒔く種が腐っておれば土地を このほかドイツ工業を側面から援助しているものに在外公館家の手厚い保護や援助があっても国民の努力がなければ決して 人自身の﹁自助﹂を落しては公正を欠くことになる︒いかに国 一級の職工やエンジニアの養成を主眼としている︒ べきはドイツの海運助成である︒ドイツの海運業者は海運同盟 国の鉄道運賃が大きく開く所以である︒運賃に関連して一言すなっている︑この素晴らしい技術教育制度をイギリスの技術教 業であるから採算は度外視してただ国民に奉仕すればよい︒両常識になっている︒﹁ドイッ工業の成功に不可欠の一要因﹂と
‑‑‑‑‑・‑ ‑ ‑
イギリス人はいわば遺伝的に自由貿易の本能をもっている︒
だけに莫大な国庫負担となり︑納税者の承認をえることは容易 いる国家援助に対しては︑イギリスでも同様の連賃補助金を支 関して具体的に提案している︒それぞれについて紹介しよう︒ 貿易︑切輸送補助金︑⑱商務領事︑囮技術教育︑四企業家︑に
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と
四
閥西大學﹃親済論集﹄第一四巻第四号
外国の言語︑貨幣︑
度量
衡︑
商慣習を尊重して自らこれに馴
れ︑小口注文と雖も軽視しなかった︒ところがイギリス人は島
国根性を出し︑自国の制度を押しつけがちであり︑小口注文の
あとに大口注文がくることを忘れて小口取引を軽蔑し︑結局ド
イツに市場をとられている︒このほか一般的なことでは︑ドイ
ツの商社は広告宣伝が巧みなこと︑イギリス人の保守性に対し
ドイツ人の機敏な進歩性もまた成功の一要因としてあげておく
べき
であ
ろう
︒
ドイツの進出によって内外市場を侵食されたイギリスにはい
かなる救済の道が残されていたか︒終章ではこの問題を取扱
う︒著者はここで︑﹁イギリス国家ないしイギリス人の精神と
習慣の革命﹂が救済の唯一の道であるとの前提の下に︑①公正
したがって外国品が国内に氾濫している今日でも︑自由貿易を
批判すれば反撃にあうことは必定で︑筆者の論文は1本来の意 図に反してJすでに﹁保護貿易論者のアジテーション﹂だとい
われている︒しかし病める工業国の実態を科学的に診察した結
果︑病源の一っは明らかに自由貿易体制にあると診断した︒そ
してその治療法として自由貿易と保護貿易の中間の道︵公正貿
場からわが国の商品を締め出したと同程度に︑わが国市場にお
`いてもその国の商品には罰則的課税をなすべきである﹂
関税ないし相殺関税の苺入︶ということ︑もう︱つは海軍力の
保護の下に一大工業帝国を築き︑植民地では外国鹿品よりも本
国商品を優遇し︑同様に本国では植民地産品を優遇するような
税の
導入
︶︒
﹁一︑二年前ならこんな提案はユートビアンの夢
物語とされたであろうし︑公正貿易論者は通常笑い飛ばされ
た︒だが今日では︑商業連合
いう形の公正貿易は具体的な政治問題となっている︒﹂
第二にドイツの輸出品が特別低い割引運賃という形でうけて
給するという方法がある︒しかし両国の鉄道賃率の差が大きい 関税政策をとるべきであるということだ︵いわゆる帝国特恵関
︵報 復
易︶を歩むよう進言したい︒具体的にいうと︑
﹁外
国が
その
市
七八
︱つの方法として考えられることは︑
助金相当の罰則的課税をする﹂ことである︒
第三は領事館のサーヴィス向上である︒ドイツ領事館の行き
届いた商業サーヴィスにならって︑イギリスでもコマーシャル
第四に技術教育の充実︒ここでもドイツを範として改善すべ
きで︑一八八九年の﹁技術教育法﹂は地方自治体に技術教育を
は当然のことである︒また同法では多くの工業に役立つ理論と
実際を教えることになっているが︑これはそれぞれの人が従事
最後に︑企業家自身に改善を望むことがらとして︑い顧客の
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶ する現実の工業に役立つ実践的教育に改めることが望ましい︒ るドイツ工業力に負けまいとすれば︑教育装備の向上を図るの リス海軍も軍備の増強を図らねばならないのと同様に︑発展す ない︒ちょうど外国の軍備が増強されれば︑それに応じてイギ 授ける権能を与え財政援助をしているが︑援助額は余りにも少 の蒐集に当らせる︒ 訓練された有能な外交官を世界の主要工業都市に配置し︑情報 •アタッシェを増員するとともに、領事館の機構を再検討し、 運賃でもって運送された輸出品に対しては︑イギリスの港で補 ﹁ドイツ国鉄の特別割引 でない︒そこでドイツのさような運賃補助制度をチェックする
七九 に進んだ︒生産力の飛躍的発展は交通手段の発達と相まって国 以上ウィリアムスの
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の内容を紹介したの
五
好みを調べる︑拗外国語に堪能な旅行者を送り出す︑⑱小口注
文を軽蔑しない︑鉛包装に細心の注意を払う︑固設備の近代化
をはかる︑⑲メートル法を採用する︑m貿易相手国の貨幣・度
量衡制度を尊重する︑⑧もっと芸術的になる︑⑨模倣技術に習
熟する︑叫もっと大胆に宣伝する︑⑪労働争議を避ける︑⑫も
っと進歩的になる︑以上に指摘した︱二点について︑彼らの奢
起を期待する︒
であるが︑本書が﹁ドイツ製品騒動﹂を惹き起こすほど有名か
つセンセイショナルな書物になったのはなぜだろうか︒このよ
うな疑問に答をるためにも︑またそれによって起った騒動を知
るためにも︑もう少し本書の背景を明らかにしておきたい︒
先進国イギリスと競争しつつ工業化をやり遂げねばならなか
ったドイツその他の後進国は︑程度の差はあれ経済的保護主義
によってそれを推し進めてきたのであるが︑大不況期とよばれ
ている一八七三年ー九六年には︑これらの国々の工業化は急速
隔西大學﹃舗済論集﹄第一四巻第四号
際競争の激化を招いたが︑中でも英独の角逐は最も激しいもの
大きく変えた︒すなわち︑ヨーロッパ︵ロシア︑ドイツ︑オラ
ンダ︑フランス︑南欧︶向けの輸出は金額においても比率にお
いても減小し︑エジプト︑アメリカ︑南米市場でも同じ傾向が
起った︒他方︑オーストラリア︑ニュージーランド︑インドが
大きく増加し︑一八八五ー八九年には植民地は全輸出の三五形
( 1 )
を吸収した︒輸出が不振に陥っている同時期に︑工業製品に対
言うまでもないが︑特殊的には農業不況による農業関係者の賜
買力の減退︑輸出の不振︑仲継貿易の後退がその原因にあげら
プデニストとの間に激しい政策論争を展開することになる︒
一八八一年︑イギリスの精糖業者がドイツの甜菜糖輸出補助
金制度によって致命的打撃をうけたことが︱つの契機となって
公正貿易同盟が結成された︒さらに一八八六年に不況調査委員
会報告書が出て︑ドイツ工業の発展と輸出貿易の拡大がイギリ
イツに対する認識はまだ一部の団体や個人に限られており︑ド ス工業の覇権を脅かしていることを明らかにした︒それでもド
トであり︑マーカンティリストの提案であると冷笑し︑もっぱ 他方︑コプデン主義の人々は本書を保護主義者の︒ハンフレッ れる︒これらが保護主義の復活に機会を与えることになり︑コ する国内需要もまた減退した︒それが不況の反映であることは ョッキングなものであった︒ であった︒このような国際競争はイギリ文の輸出市場の分布を イツに対する対抗意識が国民的広がりをもつのは九0年代に入
ってのことであった︒ウィリアムスが警鐘を打ち鳴らした一八
九六年は︑ドイツとも関連のある南アフリカのトランスバール
でジェームソン侵入事件が起っていた︒この点﹃ドイツ製品﹄
﹁一八九六年夏の新聞は﹃ドイツ製品﹄で満ちていた︒同書
は広く論評され︑それがきっかけとなって無数の新聞社説︑専
門論文︑読者の投書が現われた︒﹂一例をあげると︑ウェスト
ミンスター︒レビューに出た^^
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it"という論説では、筆者(G•d
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イツの成功を経済的保護主義にあることを指摘したのち︑そ
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" といったような協会を設立し︑
国民に国産品の愛用を呼びかけるとともに︑工業の改善をはか
るために︑技術教育の向上︑国産品に対する鉄道運賃の割引︑
( 3 )
労使協調を提言した︒ の刊行はまことにタイムリーで国民の眼を集注させるに十分シ
八〇
イギリスにおける﹁ドイツ製品﹂騒動︵荒井︶ あり︑また彼らの政見は種々の産業に対する国家援助をめぐって見苦しい対立を続けている﹂と述べている︒多くのイギリス人の見解はこれに代弁されているように思われる︒イギリス人の間では︑保誰関税や補助金や奨励金︑カルテル︑輸出割引運賃等に依存することは︑それ自体商業道徳に反する非健全な経済行為であり︑したがってそのような経済が永続的に発展することはありえない︑という楽観的な見方がなお支配的であった︒じっさい︑騒動に続いて景気が回復するにつれて︑九六年夏に盛り上った危機感もいつしか消え︑再び楽観的ムードに移 業の数字が膨張しているにも拘らず︑依然として我しい国民で で︑いな損失までして営まれている︒したがってドイツ人は商
業不
況﹂
八
(経済論集・一三巻•四•五・六合併号)参照
(5 )
高橋哲夫﹁大不況下のイギリス関税改革運動﹂
究・ニニ号︶︑拙稲﹁一九世紀末期イギリスにおける農
︵商
学論
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の取引は市場から競争者を排除しようとの意図から最低の薄利 諸政策︑によって不健全に活気づけられている︒その上︑多く 者を搾取することによって外国人に安い商品を提供するような く︑国庫補助金︑輸出に対する低率運賃︑その他ドイツの納税﹁イギリス人の遺伝的な自由貿易本能﹂の現われであるかもしれない︒がしかし︑より正確な説明はこの時代の農業をも含めた
( 5 )
全産業構造の中に求めるべきであろう︒
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活況について︑﹁その多くは決して真の実力によるものではな自由主義に対する根強い信奉︑ウィリアムスの表現をかれば 評し︑同じくリベラルな﹃スペクテーター﹄紙はドイツ経済の崩さなかったのである︒このような傾向はイギリス人の経済的 ら警告を打消すことにつとめた︒またリベラルな新聞﹃デイリー・ニューズ﹄はドイツ製品騒動を﹁関税改革論者の悪夢﹂と っていった︒つまり輸出の不振やドイツ製品の侵入に驚きつつも︑なお公正貿易に踏み切らず︑依然として自由貿易の基調を