﹁同性愛者の隣人﹂との関係性 ― 桐野夏生﹃天使に見捨てられた夜﹄ ― R el atio nsh ip w ith a “ G ay N eig hb or”: Ki rino N ats uo ’s Th e N igh t A band on ed by A nge ls
黒 岩 裕 市
要 旨 現 代 の 小 説 に ゲ イ 男 性 が 登 場 す る 際︑ 女 性 に と っ て の 良 き 相 談 相 手 に な る と い う パ タ ー ン が し ば し ば 見 ら れ る︒ だ が︑ そ う し た 関 係 性 は つ ね に 安 定 し た も の で は な い︒ そ の 一 つ の 例 と し て︑ 本 稿 は 桐 野 夏 生 の﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄︵ 一 九 九 四 年 ︶ における村野ミロと ﹁同性愛者の隣人﹂ である友部秋彦との関係性を分析するものである︒まずは九〇年代初頭の ﹁ゲイ・ブー ム ﹂ の 時 期 の ゲ イ 表 象 と の 共 通 点 と ズ レ の 双 方 が 読 み 取 れ る こ と を 指 摘 し︑ 洗 練 さ れ︑ ス タ イ リ ッ シ ュ な 人 物 と し て 表 象 さ れ る 友 部 か ら 脱 性 化 と い う 問 題 を 考 察 す る︒ 探 偵 業 で 不 安 に 苛 ま れ た ミ ロ を 癒 す 友 部 は︑ そ の 点 で は ス テ レ オ タ イ プ 的 な 役 割 を 果 た す こ と に な る︒ そ の 一 方 で︑ ミ ロ と 友 部 の 関 係 性 は︑ 同 性 愛 表 象 に 伴 う﹁ ジ ェ ン ダ ー 移 行 性 ﹂ と﹁ ジ ェ ン ダ ー 分 離 主 義 ﹂ の 矛 盾︵ セ ジ ウ ィ ッ ク ︶ を 通 し て︑ 近 さ と 遠 さ の 間 で た え ず 揺 れ 動 い て お り︑ 本 稿 で は そ こ に ス テ レ オ タ イ プ か ら は み 出 て い く動きを見出す︒
キーワード 桐野夏生︑ ﹃天使に見捨てられた夜﹄ ︑女性︑ゲイ男性︑脱性化
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は じ め に
現 代 の 小 説 に ゲ イ 男 性 が 登 場 す る こ と は 珍 し く は な い が︑ そ の 際 に ︵ 主 人 公 的 な ︶ 女 性 に と っ て の 良 き 相 談 相 手
の役割を果たし︑ 仕事や恋愛で悩んだ女性にアドバイスをしたり︑ 疲れた女性を癒したりすることがしばしばある︒
ステレオタイプ的なパターンといってもいいだろう
︶1
︵
︒だがもちろん︑そうした関係性はつねに安定したものとして
描かれるわけではない︒その一つの例として︑本稿では桐野夏生が一九九四年に発表した小説﹃天使に見捨てられ
た夜﹄における女性とゲイ男性との関係性を分析する︒
まずは︑当時の桐野夏生と﹃天使に見捨てられた夜﹄について概観することから始めよう︒それ以前も別の筆名
でジュニア小説やロマンス小説を書いていたが︑一九九三年に第三九回江戸川乱歩賞を受賞した﹃顔に降りかかる
雨﹄が﹁桐野夏生﹂のデビュー作となる︒同作は友人であるノンフィクションライターの宇佐川耀子の失踪事件に
巻き込まれた︑三二歳の村野ミロが一人称の語り手となり︑耀子の恋人である成瀬時男とともに耀子の行方を追う
ミステリーである︒ミロは広告代理店に勤めていたが︑夫であった博夫の自殺 ― その背景にはミロと会社の上司
の 男 性 と の 関 係 も あ っ た ― を 契 機 に 退 職 し︑ か つ て 探 偵 ︵ 調 査 屋 ︶ を 行 な っ て い た 父 親 の 善 三 が 住 ん で い た 新 宿
二丁目のマンションの一室で生活をしている︒ミロは結果的に探偵のような振る舞いをするが︑この作品ではまだ
探偵という職業についているわけではない︒
本稿で着目したいのは︑作品に散見される非規範的とみなされるジェンダーやセクシュアリティである︒耀子の
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著 作 は S M を 題 材 と し た﹃ 従 う 肉 体 ﹄ や﹁ や は り フ ェ テ ィ ッ シ ュ な 人 々 を 取 材 し た﹃ 両
アンドロギュヌス性 具 有 ﹄
︶2
︵
﹂ で あ り︑ ﹁ 暗 黒
夜 会 ﹂ と い う ス ト リ ッ プ テ ィ ー ズ や ピ ア シ ン グ の シ ョ ー が 繰 り 広 げ ら れ る 催 し が 事 件 の 関 係 者 を 結 ぶ こ と に な る︒
さ ら に︑ ﹁ ト ラ ン ス ヴ ェ ス タ イ ト
︶3
︵
﹂ が 事 件 の 謎 解 き の 鍵 と な る︒ 一 方︑ ゲ イ タ ウ ン と し て 知 ら れ る 新 宿 二 丁 目 が ミ
ロの居住空間になっているわけだが︑この作品ではその点はそれほど強調されていない︒作品の終盤︑事件がひと
まずの解決を迎え︑ミロが日常へと戻る際に﹁ここ︑新宿二丁目も相変わらずだった︒金があって暇な連中は店に
行って酒を飲み︑路上では︑金がないけど時間だけはある連中が一晩中騒ぎまくる︒オカマ見たさの若い女に︑そ
の女目当ての若い男︒それを横目で見て軽蔑しているホモの男たち︒一夜明ければ︑生ごみをめぐってハシブトガ
ラスと猫が喧嘩し︑日が高くなれば︑酒屋の軽トラックが走り回る
︶4
︵
﹂と描写される程度であり︑ミロがゲイ男性と
特定の関係を持つこともない︒マンションのなかでも︑歌舞伎町で働いている隣室のフィリピン出身の四人の女性
たちと交流し︑助けられる︒
﹃ 顔 に 降 り か か る 雨 ﹄ に 続 く 桐 野 の 長 編 第 二 作 目 が﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ で あ り︑ こ の 作 品 も ミ ロ を 一 人 称
の語り手とする︒桐野自身が﹁前回の応募作が駄目でも︑もう一作と思い︑選考にかけられている段階から自分で
取材を始めた作品です
︶5
︵
﹂と語るもので︑職業として探偵を始めたミロに﹁フェミニズム系の小さな出版社を経営し
て い る ﹂ ︵ 一 三 頁
︶6︵
︶ 渡 辺 房 江 が︑ ﹃ ウ ル ト ラ レ イ プ・ こ れ で あ た し も 自 己 否 定 ﹄ と い う ア ダ ル ト ビ デ オ に 出 演 し て い
る 一 色 リ ナ と い う 女 性 を 捜 索 す る 仕 事 を 依 頼 す る こ と が 発 端 と な る︒ 渡 辺 は﹁ ア ダ ル ト ビ デ オ の 人 権 を 考 え る 会 ﹂
の代表をつとめており︑リナがビデオの撮影時に実際にレイプされたのではないかと考え︑そのことをリナに訴え
させようとしている︒ミロはビデオ制作会社クリエイト映像の社長である矢代亘とも渡り合いながら︑リナの足取 「同性愛者の隣人」との関係性
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りをたどるのだが︑その過程で渡辺が何者かに殺されてしまう︒ミロが依頼を受けてからリナを見つけ出すまでの
一二月の三週間が綴られる︒
ミ ス テ リ ー や ハ ー ド ボ イ ル ド と カ テ ゴ ラ イ ズ さ れ る 作 品 で は あ る が︑ 本 稿 で は 友 部 秋 彦 ︵ ト モ さ ん ︶ と い う キ ャ
ラ ク タ ー と ミ ロ と の 関 係 性 に 注 目 し た い︒ 友 部 は フ ィ リ ピ ン 人 女 性 た ち が 帰 国 し た 後︑ ミ ロ の 隣 室 に 越 し て き て︑
﹁ 隣 人 と な っ て ま だ 日 も 浅 い ﹂ ︵ 二 三 頁 ︶ 人 物 で あ り︑ ゲ イ 男 性 と い う 設 定 で あ る︒ 桐 野 は 本 作 を 振 り 返 り つ つ︑ 友
部というキャラクターについて︑次のように語っている︒
村野ミロシリーズの第二弾ですので︑話は続いているのですが︑トモさんという新たな登場人物を作ったこと
で︑小説的展開としては楽になりました︒ミロを複雑な気持ちにさせる同性愛者の隣人トモさんは︑ミロを助
けたり︑突き放したり︑友人でも恋人でもなく︑思うようになりません︒その辺の人間関係のねじれが私好み
だったのでしょう︒余談ですが︑トモさんは女性読者を獲得したみたいで︑ファンレターをいただくと﹁トモ
さんとミロの会話が好き﹂という内容のものが多かったです
︶7
︵
︒
﹁同性愛者の隣人トモさん﹂とミロとの﹁友人でも恋人でもな﹂い︑ ﹁ねじれ﹂た関係が作者の桐野の好みであると
同時に︑ ﹁女性読者﹂にも好評であったことが強調されている︒
な お︑ 厳 密 に い え ば︑ ﹁ 村 野 ミ ロ シ リ ー ズ ﹂ に 友 部 が 登 場 す る の は︑ ﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ が 最 初 で は な い︒
江戸川乱歩賞受賞後の第一作として﹃小説現代﹄一九九三年一〇月号に発表された短編﹁天使のような私の娘﹂に
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﹁隣の部屋のトモさん﹂が登場し︑ ﹁四十がらみなのに少年のような凛々しさと厳しさを漂わせて﹂いる﹁二丁目の
住人﹂として紹介される
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︵
︒
1. ﹁青年でも中年でもなく︑男や女とも違う︑脆いような強いような不安な魅力﹂
桐 野 は ミ ロ と 友 部 の 関 係 性 が 女 性 読 者 の 共 感 を 得 た こ と に 触 れ て い る が︑ こ こ で 女 性 と ゲ イ と の 親 密 性 に つ い
て︑九〇年代初頭︑日本の雑誌やテレビ番組でゲイが注目されるようになった現象︑いわゆる﹁ゲイ・ブーム﹂の
時 期 の ゲ イ の 持 ち 出 さ れ 方 を た ど っ て み た い︒ ﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ を 読 む 際 に も 手 が か り に な る と 思 わ れ る
ためである︒
本稿では﹁ゲイ・ブーム﹂の詳しい分析に踏み込むことはできないが︑しばしばその火付け役とみなされ︑言及
されることの多い雑誌 ﹃クレア﹄ 一九九一年二月号の ﹁特集 ゲイ・ルネッサンス
‘₉₁
﹂ では︑特集に先立って︑ ﹁ゲ
イって言われる人って︑/アートに強くて︑繊細で︑ちょっと意地悪︒/彼らと話すと︑とっても気持ちがなごむ
の は ナ ゼ? / ス ト レ ー ト の 退 屈 な 男 と で は 味 わ え な い フ リ ー な 感 覚︒ / フ ァ ジ ー な 性 か ら 本 気 で も っ と 学 び た い︒
/〝女を超えた男たち〟からの過激なメッセージはけっこう深い﹂と綴られている
︶9
︵
︒こうした文章からも︑ゲイが
どのような存在として期待されたのかは伝わってくる︒
ほ か の 雑 誌 の 特 集 で も ― 想 定 さ れ た 読 者 層 に 応 じ て 表 現 の 仕 方 は 異 な っ て い る が ― ︑﹁ シ リ ー ズ〝 奇 妙 な 隣
人 〟 ホ モ っ て カ ッ コ い い
⁉
ゲ イ の 聖 地・ 新 宿 2 丁 目 ヌ ー ベ ル・ バ ー グ を 体 験 ル ポ ﹂ ︵﹃ S P A! ﹄ 一 九 九 一 年 四 月
「同性愛者の隣人」との関係性
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二四日
︶₁0︵
︶ ︑﹁文学から酒場まで︑ 近ごろなぜか知的OLが群がる ﹁ヘンな流行﹂ 現象を追う 仕事ができる女は ﹃ゲイ﹄
が好き!﹂ ︵﹃DIME﹄ 一九九一年五月一六日
︶₁₁︵
︶ ︑﹁ゲイに恋する女たち ﹁男らしさ・女らしさ﹂ 超えた関係を探す﹂ ︵﹃朝
日ジャーナル﹄一九九一年七月一二日
︶₁₂︵
︶ といった見出しでゲイが取り上げられている︒女性とゲイとの関係性に焦点が
合わせられるのと同時に︑ゲイ自体は ﹁奇妙﹂ であるからこそ好奇心をそそる他者として提示されている︒ただし︑
特集に収録された記事でゲイは語られる対象であるだけではない︒そこにはゲイ当事者の声や匿名の座談会なども
含まれている︒
このような ﹁ゲイ・ブーム﹂ の時期の雑誌記事を分析した石田仁は︑ゲイの表象のされ方の二つの特徴を挙げる︒
一つ目は︿新しい男性﹀という役割である︒ ﹃クレア﹄の﹁ストレートの退屈な男とでは味わえないフリーな感覚﹂
という表現が示しているが︑男性中心主義的な社会のなかで旧態依然とした価値観を持ったままの異性愛男性に対
して︑ゲイは女性たちの﹁相棒にふさわしい︿新しい男性﹀ ﹂として称揚されたのである︒もう一つの特徴は︑ ﹁彼
ら と 話 す と︑ と っ て も 気 持 ち が な ご む ﹂ と い う 一 節 か ら も 読 み 取 れ る よ う に︑ ︵ 男 性 と の ︶ 恋 愛 の 相 談 が で き る﹁ 敵
愾心なき︿身を委ねられる女性=ゲイ﹀ ﹂というものであった︒要するに︑ゲイは﹁男の生理と女の心を持つ︑ ︿新
し い 男 性 ﹀ で あ り︿ 身 を 委 ね ら れ る 女 性 ﹀﹂ で あ り︑ そ れ ゆ え に﹁ 女 性 に と っ て 全 能 的 存 在 で あ っ た し︑ 互 酬 的 関
係も強調されていた﹂というのである
︶₁₃︵
︒
﹃天使に見捨てられた夜﹄の友部も︑レベッカ・コープランドが指摘するように︑ ﹁きちんとしており︑身なりを
整え︑感受性豊かで︑世話好きで魅力的で﹂ ︑﹁ゲイ・ブーム﹂の時期のゲイの表象に通じる
︶₁₄︵
︒友部が最初に登場す
る場面では︑ミロは次のように友部について語る︒
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部屋の外に出ると︑隣人の友部秋彦にばったり会った︒彼は端整︑かつ寂しい顔をした男で︑年の頃は四十歳
前後︒ ﹁ナイトフライ﹂というホモバーを経営する新宿二丁目の住人だ︒ ﹁ナイトフライ﹂というネーミングか
ら︑ドナルド・フェイゲンのファンなのだろうということ以外は知りようがなかったが︑マンションではさま
ざまな噂が飛び交っていた︒その中のひとつは︑若い恋人に死なれ︑傷心のままここに越してきたというもの
だった︒もちろん︑真偽のほどはわからない︒ ︵二二頁︶
﹁ 端 整︑ か つ 寂 し い 顔 ﹂ を し た﹁ 隣 人 ﹂ の 友 部 は こ の 時 点 で は 謎 め い た 存 在 と し て ミ ロ の 目 に 映 っ て い る が︑ 外 見
的な特徴以外にも﹁ゲイ・ブーム﹂の時期のゲイ表象と共通点と興味深いズレを見せている︒
桐野は﹃天使に見捨てられた夜﹄で﹁セクシュアリティーに関する問題を取り上げてみたい﹂と述べているのだ
が
︶₁₅︵
︑同作ではリナが出演したようなレイプを描くアダルトビデオがなぜ﹁人気抜群﹂ ︵二七頁︶ なのか︑ ︵異性愛︶ 男
性はそこに何を見るのかといった問いが提起される︒ミロが情報を求めて訪ねた先のレンタルビデオ店の青田とい
う異性愛男性は︑アダルトビデオとは﹁他人の不幸﹂ ︵二八頁︶ を見るものであり︑視聴者が女優や男優よりも優位
性を感じ︑それが興奮を喚起するという解釈を述べる︒ミロは友部にも﹁同性愛者のあなたから見て︑ああいうビ
デオに出ている男の振る舞いってどう思いますか﹂という問いを出す︒友部は﹁こういうビデオっていうのは︑女
の子の可哀想な姿を見てサディスティックに満足するというよりは︑オスとしての男が荒ぶっている様を︑同性と
し て 納 得 し て い る っ て 感 じ が す る ん で す よ︒ だ か ら︑ 人 気 が あ る ん じ ゃ な い か な あ ﹂ と 青 田 と は 別 の 解 釈 を 告 げ
る ︵四〇頁︶ ︒換言すれば︑友部がそこに見るのは︑アダルトビデオのなかの女優を媒介にして︑ ﹁荒ぶっている様﹂
「同性愛者の隣人」との関係性
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の男優と同一化するという異性愛男性のホモソーシャルな構図である︒
友部自身は﹁僕個人としては耐えられないけど﹂ ︵四〇頁︶ と男性同士のこのようなホモソーシャリティを拒絶す
る︒ ﹁ プ レ ッ シ ャ ー に 耐 え る の が 男 な の じ ゃ な い で す か ﹂ と も 言 う 友 部 は 男 性 性 を 理 想 化 す る の だ が︑ ミ ロ は 友 部
が重視する ﹁﹁男﹂ の持つ抽象的美点﹂ を男性に内在するものではなく︑ ﹁女が持っていたって︑子供が持っていたっ
て い い ﹂ と 解 釈 し な お し︑ 友 部 の 考 え 方 に 共 感 す る ︵ 四 一 頁 ︶ ︒ こ こ で は 男 性 性 が 美 化 さ れ︑ 突 き 詰 め ら れ て お り︑
﹁ ゲ イ・ ブ ー ム ﹂ の 記 事 に あ る﹁ ﹁ 男 ら し さ・ 女 ら し さ ﹂ 超 え た 関 係 ﹂ と は 相 容 れ な い 方 向 に 向 か う︒ だ が︑ ﹁﹁ 男 ﹂
の持つ抽象的美点﹂を生物学的な男性から切り離すことで︑結果的に女性であるミロも持つことができる価値とな
り︑そうした意味合いにおいて︑ミロにとって﹁同性愛者の﹂友部は︑ホモソーシャリティに支えられた異性愛男
性とは異なる︑ ﹁相棒にふさわしい︿新しい男性﹀ ﹂になるともいえよう︒
一方で︑探偵として危険に直面したミロをなごませ︑癒し︑回復させる ﹁隣人﹂ という役目も友部は担っている︒
たとえば︑ 深夜に脅迫電話を受けたミロは友部の部屋を訪ね︑ 友部が大きなワイングラスに注いだ赤ワインを飲み︑
語 ら う︒ ﹁ ワ イ ン は 渋 く て 酸 味 が あ っ て ず し り と 重 い 味 が し た ﹂ の だ が︑ ﹁ 反 対 に︑ 心 は 少 し ず つ 軽 く な っ て い く ﹂
︵八二頁︶ と友部と時間・空間を共有することでミロが癒されていく様子が綴られる︒また︑リナを捜索する過程で
赴 い た 仙 台 で 悪 夢 に う な さ れ た ミ ロ は 友 部 に 電 話 を し︑ 友 部 の﹁ 落 ち 着 い た 声 ﹂ と そ の 背 後 の﹁ ク ー ル な ジ ャ ズ ﹂
に よ っ て﹁ 鎮 め ﹂ ら れ る ︵ 三 七 一 頁 ︶ ︒ 後 述 す る よ う に︑ ワ イ ン や ジ ャ ズ に 彩 ら れ た 友 部 の 生 活 は 非 常 に 洗 練 さ れ た
も の と し て 持 ち 出 さ れ て い る の だ が︑ そ れ だ け で は な く︑ ﹁ 暇 な 主 婦 同 士 の よ う に︑ 二 人 で 昼 の ワ イ ド シ ョ ー を 見
な が ら ﹂︑ 友 部 が 作 っ た﹁ 鶏 雑 炊 ﹂ を ミ ロ の 部 屋 で 食 べ る 場 面 も あ り ︵ 九 一 頁 ︶ ︑ ミ ロ に と っ て 友 部 は﹁ 敵 愾 心 な き
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︿身を委ねられる女性=ゲイ﹀ ﹂という役割も担っているといえるだろう︒ただし︑友部の表象においては﹁傷心の
まま﹂ や ﹁傷ついた魂﹂ ︵一〇一頁︶ といった表現が繰り返され︑ミロは傷ついた友部を癒したいとも思っている ︵一
五〇頁︶ ︒友部に対しては︑癒し/癒されるという対等な関係性が求められるのである︒
さ ら に こ こ で︑ ﹁ 男 の 生 理 と 女 の 心 を 持 つ ﹂ 存 在 と し て の ゲ イ と い う 表 象 の パ タ ー ン は 九 〇 年 代 中 盤 以 降 に は 引
き継がれないという指摘にも注意したい︒石田は九五年以降の ﹁性同一性障害﹂ をめぐる報道を通して︑ ﹁﹁女の心﹂
を持つ ︵生理的︶ 男は ﹁ゲイではない﹂ と定義されていき︑ゲイは ﹁男が好きな男の心を持った者﹂ のことを︑もっ
ぱ ら 指 す よ う に な っ て い く ﹂ と い う 変 化 に つ い て 言 及 し て い る
︶₁₆︵
︒ そ れ は﹁ 性 的 指 向 と 性 自 認 は 別 個 の も の で あ る ﹂
ということであり︑杉浦郁子が論じるように︑そうした﹁認識枠組は︑1990年代半ばには一般社会に向けて発
せられるようになり︑
90
年代後半に入ると︑学術的にも﹁性的欲望をめぐる現象﹂と﹁性別をめぐる現象﹂とを独 立の問題として考察する必要性を説く議論が紹介されるようになった﹂のである
︶₁₇︵
︒
﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ は﹁ 性 同 一 性 障 害 ﹂ に 関 す る 報 道 が 増 加 す る 前 に 出 さ れ た も の で は あ る が︑ こ の 作 品
で も ゲ イ 男 性 と ト ラ ン ス ジ ェ ン ダ ー ︵ M t F ︶ は 異 な る 存 在 で あ る こ と が 前 提 と な っ て い る︒ 友 部 が 最 初 に 登 場 す
る場面には︑友部のそばにマスコミにもよく登場する﹁美貌のニューハーフ﹂ ︵二三頁︶ である礼矢がおり︑礼矢が
抱えているトラブルを探偵であるミロに相談することをきっかけに︑ミロと友部の交流は始まる︒そこでは友部と
礼 矢 の 差 異 が 強 調 さ れ る こ と に な る︒ ﹁ 友 部 こ と ト モ さ ん は︑ 男 と し て の 美 意 識 が 激 し く 強 く︑ 女 は も ち ろ ん の こ
と︑女になる男も嫌っている﹂ ため︑ ﹁彼の店 ﹁ナイトフライ﹂ には︑男の服装をした ﹁ホモ﹂ しか来ない﹂ ︵二四頁︶
という一節もあり︑ ﹁女になる男﹂ と ﹁男の服装をした ﹁ホモ﹂ ﹂ は明確に区分されることになる︒ミロ自身も︑ ﹁私
「同性愛者の隣人」との関係性
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は﹁ホモ﹂の人間は苦手だった︒いわゆるオカマと言われている﹁ゲイ﹂の彼らとはよく話すが︑男の美意識が強
い﹁ホモ﹂の人たちは女を嫌い︑遠ざける傾向にあると思いこんでいた﹂ ︵三六頁︶ と語る︒だが︑ここでも﹁思い
こ ん で い た ﹂ と 述 べ ら れ る よ う に︑ ま た︑ 先 ほ ど の﹁ ﹁ 男 ﹂ の 持 つ 抽 象 的 美 点 ﹂ に 関 す る く だ り が 示 す よ う に︑ ミ
ロのこうした見方は友部との交流を通して変化することになる
︶₁₈︵
︒
確かに﹃天使に見捨てられた夜﹄ではゲイ男性とMtFが区分される︒ ﹁﹁男﹂の持つ抽象的美点﹂に同一化する
友部の言動から性自認の揺らぎが読み取れることもない︒だが︑そうであるにもかかわらず︑興味深いことに︑ミ
ロは友部を性別という括りを脱した存在であるかのようにも感じている︒失踪したリナの足取りをつかもうとする
過程で︑ミロは友部のことを次のように描写する︒
私は彼を見つめた︒色白の膚に髭の剃りあとが青いかげりを落とし︑ハンチングの下の暗い目が光ると︑不思
議な魅力が漂った︒青年でも中年でもなく︑男や女とも違う︑脆いような強いような不安な魅力だ︒彼は︑剝
き出しになった一個の傷ついた魂のようなものだった︒ ︵一〇一頁︶
ミロにとって友部は﹁青年でも中年でもなく︑男や女とも違う︑脆いような強いような﹂と既存のカテゴリーから
はみ出し︑相反するとされる要素が混じり合った﹁不思議﹂で﹁不安﹂な存在であり︑だからこそ﹁魅力﹂的な人
物になるのである︒この一節では ﹁男や女とも違う﹂ と述べられているが︑ミロは友部に ﹁中性的な笑い﹂ ︵八六頁︶
を見たり︑ ﹁中性的なトモさん﹂ ︵一六一頁︶ と形容したりする場面もある︒ゲイ男性とトランスジェンダー ︵MtF︶
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は異なる存在であるという差異を前提としつつも︑ゲイ男性である友部の表象には性差を越える要素が付与される
のである︒
2. ﹁誰とも︑一生︑寝ない﹂
先ほども触れた深夜に友部の部屋でミロが赤ワインを飲む場面では︑二人がこれまでどのような生活を送ってき
た の か に つ い て も 語 り 合 う こ と に な る︒ 友 部 は 六 年 前 ま で は 証 券 会 社 に 勤 め て お り︑ ﹁ 年 収 は 二 千 万 近 か っ た ﹂ ︵ 八
三頁︶ というのだが︑続けて次のようにミロに話す︒
﹁ 二 丁 目 に は 足 を 踏 み い れ た こ と が な か っ た︒ 俺 は 結 婚 し て た し︑ 子 供 も 一 人 い て︑ 本 当 に 普 通 の サ ラ リ ー マ
ンの男してた︒このまま行けば︑普通の男でいられたかもしれない︒だが︑これは本当の自分ではないと感じ
続けて苦しんでいた︒なぜなら︑俺は女よりも男に欲望を感じていたからだ︒だが︑自分は同性愛かもしれな
いと考えると︑恐ろしかった︒外れている気がしたんだ︒だけど︑いつも︑自分は自分の本当の人生を生きて
な い と 思 っ て た し︑ 罪 悪 感 を 抱 え て い る ほ う が 辛 か っ た︒ そ れ で あ る 日︑ 思 い 切 っ て 二 丁 目 に 足 を 踏 み 入 れ
た︒そして︑あいつと出会ってしまった︒まだ学生で︑いつも他人と角突き合わせているようなピリピリした
奴だった︒でも︑ああついに出会ったと思ったんだ︒俺はたちまち恋をして︑もう女房や自分を騙す生活はや
めにしたいと思った︒で︑とうとう意を決して︑俺は同性愛者だと女房に打ち明けた﹇⁝﹈そうじゃないかと
「同性愛者の隣人」との関係性
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思ってましたって言われて︑一気に離婚話になったよ︒会社じゃすごいスキャンダルになったけど︑俺は会社
もやめてすごい解放感を味わった︒忘れられない味だった︒最初は恵比寿にバーを出した︒あいつも手伝って
くれて︑ 生まれて初めて自由な気持ちを感じたよ︒ だけど︑ いいことは続かない︒ 俺はそれを学んだ﹂ ︵八四頁︶
﹁ 普 通 の サ ラ リ ー マ ン の 男 し て た ﹂ ― ﹁ 普 通 の サ ラ リ ー マ ン ﹂ と い う よ り は エ リ ー ト・ サ ラ リ ー マ ン と い っ た ほ
うがいいが ― という生活のなかで﹁これは本当の自分ではない﹂という違和感を覚え︑一方で﹁同性愛かもしれ
ない﹂ことへの恐怖 ︵=ホモフォビア︶ を内面化しながら︑しかし結局は﹁自分の本当の人生﹂を生きるためにゲイ
タウンとして知られる二丁目に足を踏み入れたというライフヒストリーが語られる︒こうした展開はステレオタイ
プ的なものかもしれないが︑そこからすぐに離婚や退社へと向かい︑友部が生活を一転させたという点は注目に値
す る︒ そ れ は ミ ロ の 夫 で あ っ た 博 夫 の 死 後 に そ の 家 族 ― こ の 作 品 で も 博 夫 の 姉 は﹁ 健 全 か つ 保 守 的 な 家 庭 ﹂ ︵ 一
一 二 頁 ︶ を 維 持 し て い る と 述 べ ら れ て い る ― か ら 排 除 さ れ︑ 会 社 も 退 職 し た ミ ロ と 重 な る も の で あ る︒ い い か え
れ ば︑ ﹁ 普 通 ﹂ と み な さ れ る よ う な﹁ 家 庭 ﹂ の 外 部 で 生 き て い る と い う 点 で ミ ロ と 友 部 は 共 通 す る の で あ る ︵ そ れ
に 対 し て︑ ﹁ 女 房 と 子 供 は 藤 沢 に い る ﹂︵ 二 四 七 頁 ︶ と 言 い︑ ク リ ス マ ス に は そ こ に 帰 る 矢 代 は﹁ 家 庭 ﹂ の 内 部 で 家 父 長 を し て い
る︶ ︒ミロも自身の過去の出来事を友部に打ち明け︑二人は﹁友愛﹂ ︵八六頁︶ を誓い合うことになる︒
同性愛者としての自己を受容することで︑友部は ﹁自分の本当の人生﹂ を手に入れ︑ ﹁すごい解放感を味わった﹂ ︑
﹁生まれて初めて自由な気持ちを感じた﹂とミロに告げている︒ ﹃天使に見捨てられた夜﹄を論じた中川智寛は︑友
部 の ゲ イ 男 性 と し て の 自 己 受 容 を﹁ 従 来 の 性 の 規 定 枠 か ら の 解 放 を 体 現 し て い る ﹂ と と ら え︑ ﹁ 今 の 自 己 に 満 足 で
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きない人間︑言わば自己実現の未了に苛まれる人々の懊悩といったものが︑桐野作品には度々見出される﹂と述べ
る
︶₁9︵
︒確かに ﹁従来の性の規定枠﹂ が異性愛主義を基盤としている以上︑友部のゲイネスの受容はそこからの ﹁解放﹂
とみなせるものであるし︑友部自身も﹁解放感﹂という言葉を使っている︒だが︑友部は単に異性愛主義的な﹁従
来の性の規定枠からの解放を体現している﹂だけではないようである︒
この作品で友部との関係のあり方を模索し続けるミロは︑自身の友部への欲望についても無視はしない︒ミロが
友部に﹁もう女の人とは寝ないの?﹂と尋ねる場面もある︒それがミロの友部への欲望に関連することだと気づい
た友部は﹁寝ない﹂と即答するのだが︑続いて次のようなやり取りがなされる︒
﹁じゃ︑男の人と寝るの?﹂ / ﹁誰とも︑一生︑寝ない﹂ /トモさんはこう言うと︑伝票をつかんで立ち上がっ
た︒ ︵一一〇頁︶
こ こ か ら う か が え る の は︑ 友 部 は﹁ 従 来 の 性 の 規 定 枠 ﹂ と い う よ り も︑ ﹁ 性 ﹂ そ の も の と 距 離 を 置 い て い る と い う
こ と で あ る︒ こ の や り 取 り に お い て は︑ ミ ロ の 欲 望 を 牽 制 す る 意 図 も 推 察 さ れ る が︑ ﹁ 誰 と も︑ 一 生︑ 寝 な い ﹂ と
言い放つ友部は﹁禁欲的﹂ ︵二四四頁︶ で︑いうなれば脱性化されたキャラクターとして提示されることになる︒
このように脱性化される友部は過剰なまでに肉体的で性的なキャラクターである矢代と対比的な位置を占めるこ
と に な る︒ ミ ロ は 性 愛 を 利 用 し て﹁ カ リ ス マ 的 に 人 格 支 配 を す る ﹂ ︵ 一 四 六 頁 ︶ 矢 代 の や り 方 を 嫌 悪 し つ つ も︑ 魅 力
を 感 じ ― も っ と も ミ ロ を 支 配 し よ う と す る 矢 代 の や り 方 に 挑 む よ う に︑ ﹁ そ の 逆 は で き な い も の だ ろ う か ﹂ ︵ 二 三
「同性愛者の隣人」との関係性
― ₁₃ ―
〇頁︶ ともミロは考えるのだが ― ︑﹁何よりも︑矢代に惹かれそうな自分自身が恐ろしかった﹂ ︵一五〇頁︶ とさえ
思う︒ミロは矢代に惹かれてしまうことに葛藤し︑そこで矢代と対照的な存在としての友部との﹁性﹂とは一線を
画 し た 関 係 性 が 持 ち 出 さ れ る の で あ る︒ し た が っ て︑ ﹁ 矢 代 の 過 剰 な 肉 体 ﹂ と﹁ ト モ さ ん の 心 ﹂ ︵ 一 五 〇 頁 ︶ が 対 置
さ れ︑ 矢 代 と 友 部 は 肉 体 と 精 神 の 二 項 対 立 の も と で 語 ら れ る よ う に な り︑ ﹁ 私 と 矢 代 に だ け し か 分 か ら な い 信 頼 が
生まれてしまったのかもしれない︒それが性愛と結びついているのだとしたら︑トモさんとはどうなのだろう︒私
が 矢 代 と 関 係 し た の は︑ ト モ さ ん に 報 わ れ な い も の を 求 め た の だ ろ う か ﹂ ︵ 二 六 六 頁 ︶ と い っ た 自 問 も な さ れ る︒ 文
庫 版 の 解 説 で 松 浦 理 英 子 が 指 摘 す る よ う に︑ ﹁ 前 作 の 成 瀬︑ 本 作 の 矢 代 と ト モ さ ん と い う よ う な 男 性 た ち と の 交 流
を通じて︑ミロが自分の恋愛及び性愛の指向性を少しずつ発見して行く﹂過程であるともいえよう
︶₂0︵
︒矢代と友部に
関 し て い え ば︑ ミ ロ は 矢 代 へ の 疑 念 を 拭 い 去 れ ず︑ ﹁ 好 き な の は 友 部 だ︒ 矢 代 に は ひ か れ た が︑ そ れ は 彼 が ト モ さ
んの持たない肉体を私に差し出したからだ﹂ ︵三一六頁︶ というところに落ち着くことになる︒
ここまでたどってきた友部の脱性化という論点は︑レズビアンやゲイ男性の表象のパターンに合致するものでも
あ る︒ 竹 村 和 子 に よ れ ば︑ ﹁ 個 人 消 費 を 推 奨 す る 後 期 資 本 主 義 社 会 に お い て は︑ 産 業 資 本 主 義 を 生 産 面 か ら 支 え て
いた核家族の神話は解体せざるをえなくなり﹂ ︑﹁ジェンダー配置に結びつかない商品が︑家庭を離れた個人を対象
に生産・消費され︑商品のユニセックス化︑セックスレス化が進﹂み︑そこで﹁イメージとしてのゲイ﹂が貢献す
る と い う︒ ﹁ ジ ェ ン ダ ー を 横 断 す る レ ズ ビ ア ン や ゲ イ 男 性 は︑ ゲ イ と し て の セ ク シ ュ ア リ テ ィ を 声 高 に 主 張 で き る
ようになりはじめた九〇年代に︑皮肉なことに彼女たちのエロスを無化するかたちで︑後期資本主義社会のイコン
となっていくおそれが出てきているのである
︶₂₁︵
﹂︒ ﹁男や女とも違う﹂ ︑﹁中性的﹂な存在として提示され︑脱性化され
― ₁₄ ―
て語られる友部も︑九〇年代の﹁後期資本主義社会のイコン﹂としてのレズビアンやゲイ男性の用いられ方に重な るものであり︑格好の﹁商品﹂として消費されかねないものになる
︶₂₂︵
︒
竹村は九〇年代の後期資本主義社会におけるゲイの商品化を俎上にのせているが︑清水晶子は同じ一九九〇年代
に︑ 商 業 主 義 の 要 請 に 応 じ た﹁ ク ィ ア ﹂ の 表 象 の さ れ 方 と し て︑ ﹃ セ ッ ク ス・ ア ン ド・ ザ・ シ テ ィ ﹄ に 登 場 す る よ
うな ︵女性にとっての︶ ﹁ゲイの親友﹂ やメイクオーバー番組である ﹃クィア・アイ﹄ に登場する ﹁ファブ・ファイブ﹂
を 例 に︑ ﹁ そ の ︵ 異 性 愛 者 に と っ て の ︶ 真 価 は︑ フ ァ ッ シ ョ ン や イ ン テ リ ア︑ 娯 楽 な ど を い か に ス タ イ リ ッ シ ュ に 消
費 し︑ 消 費 を 通 じ て ス タ イ リ ッ シ ュ に な る の か︑ そ の お 手 本 を 見 せ る 時 に こ そ 発 揮 さ れ る ﹂ と 指 摘 し︑ ﹁ 合 衆 国 の
主流ポップ・カルチャーにおける﹁クィア﹂は︑何よりもまず︑消費文化をもっとも良く体現し︑それをもっとも
たくみに享受する存在なのだ﹂と論じる
︶₂₃︵
︒つまり︑ ﹁商品﹂として消費されるだけではなく︑ ﹁商品﹂の模範的な消
費者という役割をも担うというのである︒
竹 村 や 清 水 の 議 論 は 主 に ア メ リ カ 合 衆 国 の 状 況 に つ い て の も の で あ る が︑ ﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ の 友 部 も
ファッションやインテリアのスタイリッシュな消費者として語られている︒友部との交流が始まって間もない段階
で︑隣室に入ったミロは︑シンシアたちフィリピン人女性がかつて生活していた部屋からの変化について次のよう
に述べる︒
トモさんは黒いコートを丁寧にハンガーにかけると︑シンプルな木のロッカーに入れた︒きちんとアイロンの
かかった真っ白なシャツを着て︑パンツにも折り目が入っていた︒私の家にはない代物で︑彼は身支度を整え
「同性愛者の隣人」との関係性
― ₁₅ ―
ているのだ︒私は自分が恥ずかしくなった︒壊れたスチームアイロンを去年捨ててしまって以来︑買う気もな
かった︒/部屋はシンシアたちがいた時と大幅に変わっていた︒シンシアたちが二段ベッドを二組み入れてい
た寝室は︑壁を取って衝立を置き︑紺のベッドカバーの掛かったセミダブルベッドの裾のほうが見えた︒少し
広くなったリビングには︑アルフレックスの茶のソファと大きな一枚板のテーブルがあるだけで︑壁面を本と
LPとCDが埋めている︒ ︵七九
―八〇頁︶
﹁ き ち ん と ア イ ロ ン の か か っ た 真 っ 白 な シ ャ ツ を 着 て︑ パ ン ツ に も 折 り 目 が 入 っ て い た ﹂ と い う 友 部 の 装 い は ミ ロ
を恥じ入らせるもので︑その部屋からは﹁シンプルな木のロッカー﹂ ︑﹁アルフレックスの茶のソファと大きな一枚
板のテーブル﹂などインテリアへのこだわりもうかがえる︒このように洗練され︑スタイリッシュに整えられた空
間で︑ワインを飲み︑友部が用意した料理を食べつつ︑友部と語らうことでミロの不安は和らぐことになるのであ
る︒ただし︑ミロは﹁恥ずかしくなった﹂といっても︑友部から消費の仕方を学ぼうとはしておらず︑友部はミロ
の﹁お手本﹂にはなっていない︒
なお︑一九九五年に発表された短編﹁漂う魂﹂でもミロは﹁隣人﹂である友部と交流するが︑そこでは﹁美味し
い 食 べ 物 や 贅 沢 な 家 具︑ 厳 選 さ れ た 小 物︒ ト モ さ ん の 部 屋 は 成 熟 し た 優 し さ の よ う な も の が あ っ た ﹂ と 描 写 さ れ︑
友部がミロに見せる﹁成熟した優しさ﹂がその部屋に具現化されたものとして語られることになる︒さらに﹁同じ
構造の部屋ながら︑私のところは実に簡素だった﹂とミロ自身の部屋と対照的なものであることも記されている
︶₂₄︵
︒
― ₁₆ ―
3. ﹁トモさんとても︑私を見捨てる夜はある﹂
洗練され︑おしゃれでスタイリッシュな﹁同性愛者の隣人﹂である友部との交流を通して︑ミロは癒され︑回復
する︒この点では女性とゲイ男性のステレオタイプ的な表象のパターンをなぞっている︒だが︑ミロは友部に癒さ
れるだけではなく︑ 友部を癒すという相互的な関係性を求めており︑ 友部からの癒しに関しても︑ 赤ワインを飲み︑
語らうことで不安が軽減された場面のすぐ後には新たな困難がミロを待ち受ける展開となる︒
本 稿 の 冒 頭 で も 触 れ た よ う に︑ ﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ で は ミ ロ と 友 部 の 関 係 性 は 決 し て 安 定 し た も の と し て
提 示 さ れ て い な い︒ 本 稿 で は そ こ に 目 を 向 け た い︒ 二 人 の 関 係 性 は 作 中 で﹁ 友 愛 ﹂ ︵ 八 六 頁 ︶ ︑﹁ 友 情 ﹂ ︵ 一 一 六 頁 ︶ な
どと呼ばれるが︑呼び方が変わること自体︑二人の関係のあり方が探られるべきものとしてとらえられていること
に 他 な ら な い︒ 特 に ミ ロ と 矢 代 の 関 係 性 と 連 動 し て︑ ミ ロ と 友 部 の 関 係 性 は 不 安 定 化 し︑ ﹁ 私 と ト モ さ ん は 不 思 議
な関係だ︒時々︑恋愛をしているような錯覚に陥る︒が︑そのつもりでいるといつもかわされ︑それで結構︑傷つ
く ﹂ と 述 べ ら れ る︒ し か も﹁ 恋 愛 を し て い る よ う な 錯 覚 に 陥 る ﹂ の は ミ ロ だ け で は な く︑ ﹁ 今 は 逆 だ っ た ﹂ と い う
一言が付け加えられることが示すように︑友部もそうだという ︵二四〇頁︶ ︒
そ も そ も ミ ロ は︑ ﹁ 所 詮︑ 二 丁 目 は 男 の 世 界︒ 私 な ど は じ め か ら 員 数 外 だ ろ う ﹂ ︵ 二 五 頁 ︶ と い う 認 識 を 抱 い て お
り︑ ﹁ 友 愛 ﹂ や﹁ 友 情 ﹂ と い う 親 密 性 と 同 時 に︑ ﹁ 新 宿 二 丁 目 の 住 人 ﹂ で あ る 友 部 と の 距 離 を 感 じ て い る
︶₂₅︵
︒ こ こ で
は︑矢代に惹かれ︑自己嫌悪に陥ったミロが友部に助けを求めようとする場面に注目しよう︒ミロは友部が経営す 「同性愛者の隣人」との関係性
― ₁₇ ―
る﹁ナイトフライ﹂を訪れるのだが︑次のような一節が続く︒
﹁ N I G H T F L Y ﹂ と 小 さ な 白 い ロ ゴ が 入 っ た 黒 い ド ア が 開 い て い て︑ 中 が 見 え た︒ そ こ か ら 覗 く と︑ カ ウ
ンターに男が一人座っており︑トモさんは︑そのカウンターに片方の肘を突いて話しているところだった︒カ
ウンターの男はまだ若く︑十代の終わりにしか見えない︒刈り上げて頭頂部にだけ短い髪を残している流行の
髪形をしている︒よく二丁目の路上で見かける売りセンの少年のようだった︒トモさんは微笑を浮かべて︑今
まで見たことのない柔らかな笑い声をあげていた︒/﹁トモさん﹂/入り口から中を覗いて声をかけると︑彼
らの顔色が異様な物を見たというように︑はっきり変わったのを見た︒/﹁どうしたの﹂/トモさんが︑驚い
た よ う に カ ウ ン タ ー を 跳 ね 上 げ て 出 て き た︒ カ ウ ン タ ー の 男 は︑ そ っ ぽ を 向 い て い る︒ /﹁ 入 っ て も い い? ﹂
/と問うと︑トモさんは小さく首を振った︒/﹁聖域って訳ね︒失礼しました﹂/私はそう言うと︑くるりと
踵を返した︒今日のところは︑やはり孤独に耐えるしかなさそうだった︒ ︵一五〇
―一五一頁︶
﹁ ナ イ ト フ ラ イ ﹂ と い う 空 間 ― ゲ イ 男 性 だ け の﹁ 聖 域 ﹂ ― で は 女 性 で あ る ミ ロ は﹁ 異 様 な 物 ﹂ と な り︑ そ の 内
部には入ることができない︒ ﹁トモさんは小さく首を振った﹂というように︑友部の拒絶も記されてはいるのだが︑
この一節で友部の﹁今まで見たことのない柔らかな笑い声﹂についてあえて触れられていることが示すように︑ミ
ロ自身がゲイ男性の空間から排除されているということを強く感じている点も見逃せない︒コープランドが述べる
ように︑男性同性愛者の場所はこの作品では異性愛女性にとっての ﹁安息の地﹂ として理想化されてはおらず︑ ﹁女
― ₁₈ ―
性たちは異性愛の領域におけるのと同じくらいそこでも周縁化されている
︶₂₆︵
﹂のである︒友部はつねにミロを癒すと
いうわけではないのだ︒
そのため︑ミロと友部の関係性は近さと遠さの間で揺れ動くことになる︒たとえば︑一二月二四日︑ ﹁雨の化石﹂
の 謎 を 追 い か け る ミ ロ は︑ ﹁ 隣 か ら は︑ ケ ー キ を 焼 く 匂 い が し て き て い た︒ ト モ さ ん の 店 で は ク リ ス マ ス パ ー テ ィ
を す る の だ ろ う︒ 私 は 絶 対 に 入 れ て も ら え な い パ ー テ ィ が︑ 二 丁 目 の あ ち こ ち で 繰 り 広 げ ら れ る の だ ﹂ ︵ 三 二 四 頁 ︶
と隣室にいる友部との物理的な近さ ― ﹁ケーキを焼く匂い﹂をも共有している ― と︑それとは裏腹な隔たりを
意 識 す る︒ そ し て︑ ﹁ 私 の 年 頃 の 女 な ら︑ 今 宵 を ど う 過 ご し て い る の だ ろ う か ﹂ ︵ 三 三 三 頁 ︶ と 思 い を め ぐ ら せ る の
だが︑二五日の朝にはミロはドアの前に友部からのプレゼントを発見することになる︒その場面は次のように語ら
れる︒
カ ー ド が 添 え て あ る︒ 見 る と︑ ﹁ 良 き 隣 人 へ ﹂ と 書 い て あ っ た︒ ト モ さ ん が く れ た ら し い︒ 嬉 し く な っ て 部 屋
に 戻 り︑ 急 い で 包 み を 開 け た︒ 中 か ら エ ス プ レ ッ ソ マ シ ー ン が 出 て き た︒ / 昨 夜 考 え た﹁ 私 の 年 頃 の 女 な ら ﹂
のパターンにもうひとつ付け加えねばなるまい︒同性愛者の隣人にクリスマスプレゼントを貰って喜ぶ異性愛
の女︑だ︒ ︵三三四頁︶
こ こ で﹁ 隣 人 ﹂ と い う 関 係 / 距 離 感 が 改 め て 強 調 さ れ る の だ が︑ 次 の 日 の 深 夜︑ 仙 台 か ら の 電 話 で︑ ﹁ 異 性 愛 っ て
難 し い と 思 わ な い? ﹂ ︵ ミ ロ ︶ ︑﹁ 同 性 愛 も 難 し い よ ﹂ ︵ 友 部 ︶ と い う や り 取 り に 続 い て︑ ﹁ じ ゃ︑ あ た し た ち は 何 な
「同性愛者の隣人」との関係性
― ₁₉ ―
の? ﹂ と ミ ロ が 問 い か け た 際 に も 友 部 は﹁ 隣 人 愛 だ ﹂ と 答 え︑ ﹁ 世 の 中 で 一 番 崇 高 な 愛 だ ﹂ と 付 け 加 え て い る ︵ 三
七二
―三七三頁︶ ︒ 新宿に戻ったミロは ﹁トモさんの部屋でも訪問しようかと思ったが︑ 今はこのくらいの距離がちょ
うどいい﹂ ︵三八二頁︶ と友部との間に一定の距離を取る︒
こ の よ う な ミ ロ と 友 部 の 揺 れ 動 く 距 離 感 の 背 景 に は︑ イ ヴ・ コ ゾ フ ス キ ー・ セ ジ ウ ィ ッ ク が 指 摘 す る︑ 同 性 愛
表 象 に お け る﹁ ジ ェ ン ダ ー 移 行 性 ﹂ と﹁ ジ ェ ン ダ ー 分 離 主 義 ﹂ を 見 て 取 る こ と が で き る︒ セ ジ ウ ィ ッ ク に よ れ ば︑
同 性 愛 表 象 に は﹁ ゲ イ の 人 々 を ジ ェ ン ダ ー 間 の 境 界 ︵ 生 物 学 的 で あ ろ う と 文 化 的 で あ ろ う と ︶ に 置 く ﹂﹁ 倒 錯 モ デ ル ﹂
︵ =﹁ ジ ェ ン ダ ー 移 行 性 ﹂︶ と︑ ﹁ 女 性 を 愛 す る 女 性 と 男 性 を 愛 す る 男 性 と を︑ そ れ ぞ れ 自 分 た ち の ジ ェ ン ダ ー の﹁ 自 然
な﹂定義上の中心に置く﹂ ﹁ジェンダー分離主義モデル﹂との矛盾がつきまとい︑ ﹁少なくとも﹇一九世紀から二〇
世 紀 の ﹈ 世 紀 の 転 換 期 か ら ず っ と︑ 同 性 間 の 欲 望 を 理 解 す る 上 で は ﹂ 支 配 的 な も の で あ っ た と い う
︶₂₇︵
︒﹁ 男 や 女 と も
違う﹂ ︑﹁中性的﹂な存在としての友部は明らかに﹁ジェンダー移行性﹂に基づくものであるが︑その一方で︑女性
を排除する﹁男の世界﹂に属する存在としての友部は﹁ジェンダー分離主義﹂に基づいているといえよう︒もっと
も︑ ﹁ 男 の 世 界 ﹂ と は い え︑ 男 性 異 性 愛 者 と 男 性 同 性 愛 者 と の 連 続 性 は﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ か ら は う か が わ
れず︑ ﹁﹁男﹂の持つ抽象的美点﹂を理想化する友部にとってはほとんどすべての異性愛男性はつながり得る対象と
はなっていない︒
これまでもたどってきたように︑ミロと友部の関係性は揺れ動いているわけだが︑本稿では︑ミロが矢代と性行
為を行なったことを﹁俺にはわからないな﹂と言う友部に︑ミロが﹁あたしにもわからないわ﹂と応じる場面にも
目を向けたい︒ ﹁女は都合が悪いとすぐにわからない︑と言うんだ︒ ﹇⁝﹈俺は︑そういう女たちから自由になるた
― ₂₀ ―
めに︑神様が同性愛にしてくれたんじゃないかと思うことがある﹂と友部は偽悪的に女性嫌悪的な発言をし︑ミロ
が﹁女が嫌いなのね﹂と返すといったやり取りが続くのだが︑そうなると今度は友部のほうがミロに﹁きみは好き
だよ﹂と述べる ︵三一七頁︶ ︒こうした駆け引きを踏まえてミロは次のように語る︒
しかし︑トモさんとても︑私を見捨てる夜はある︒トモさんが同性愛者であって︑矢代とは違う自由な考えを
持つ男だとしても︑女を見捨てる夜はある︒この世には女だけにしかわからないことがあるのだ︑と私は思っ
た︒/ ﹁ありがとう︑ と礼を言うべきでしょうね︒⁝⁝いいわ︑ 一人で調べてみる﹂ /﹁それがいい﹂ ︵三一七頁︶
﹁ ト モ さ ん と て も︑ 私 を 見 捨 て る 夜 は あ る ﹂ と︑ ミ ロ が 本 作 の タ イ ト ル﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ を 想 起 さ せ る 言
葉 を 用 い て い る 点 が 興 味 深 い︒ ﹁ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹂ と は こ の 作 品 の な か で は︑ 殺 害 さ れ た 富 永 洋 平 と い う ブ
ルースバンドのボーカリストの代表曲を指し︑最初は無関係に見えた富永の殺害とリナの失踪が実は密接に関連す
ることが作品の後半では明らかにされる︒その過程では富永以外にも﹁天使に見捨てられた﹂とみなし得る人物は
何人か登場する︒だが︑ミロが誰かに﹁見捨てられ﹂ることがあるとすれば︑引用した箇所からそれは友部だとい
う こ と に な る ︵ と は い え︑ こ の や り 取 り の 後 に は 先 ほ ど 引 用 し た﹁ 隣 人 愛 ﹂ の く だ り も あ り︑ ミ ロ が 友 部 に﹁ 見 捨 て ら れ ﹂ る
と い う 展 開 に は な ら な い の だ が ︶ ︒ こ の よ う に し て︑ リ ナ の 失 踪 を め ぐ る こ の 作 品 の 表 向 き の 主 題 の 背 後 か ら︑ ミ ロ と
友部の関係性の探求というもう一つの主題が浮かび上がってくるのである
︶₂₈︵
︒
「同性愛者の隣人」との関係性
― ₂₁ ―
お わ り に
中川智寛は﹃天使に見捨てられた夜﹄における﹁従来の性の規定枠﹂からの﹁解放﹂とミステリーというジャン
ル の 問 題 を 関 連 づ け︑ ﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ を﹁ 前 作 よ り も 更 に︑ こ の 新 宿 二 丁 目 と い う 地 点 を 強 力 な 磁 場 と
しつつ︑性規範・ミステリー小説規範からの逸脱・解放という強力なエネルギーを放散するシステム﹂を備えたも
のとして評価する
︶₂9︵
︒中川が言及しているように︑桐野もこの作品について﹁一つのお約束事を外している﹂とジャ
ンルの規範からの﹁逸脱﹂を語っている
︶₃0︵
︒そうした﹁逸脱﹂はミロと友部の関係性にも当てはまるように考えられ
る︒ミロが友部に感じる近さと遠さ︑ ミロと友部の揺れ動く関係性とその基盤にある ﹁ジェンダー移行性﹂ と ﹁ジェ
ン ダ ー 分 離 主 義 ﹂ の 矛 盾 と い っ た 不 安 定 な 要 素 を 通 し て︑ ﹁ ゲ イ・ ブ ー ム ﹂ の 時 期 の ゲ イ 表 象 の 特 徴 や ゲ イ の 脱 性
化︑ さ ら に は 女 性 の 癒 し や 回 復 を 助 け る 役 割 を 担 う ゲ イ 男 性 と い っ た ス テ レ オ タ イ プ 的 な 関 係 性 に 重 な り な が ら
も︑そこからたえずはみ出ていく動きが﹃天使に見捨てられた夜﹄には見出せるのである︒
ミロと友部のこうした関係性はその後の作品 ― ﹁独りにしないで﹂ ︵一九九四年︶ ︑﹁漂う魂﹂ ︵一九九五年︶ といっ
た短編 ― にも引き継がれ︑友部は時にはミロの探偵業のアシスタントとして︑また時にはミロと親密で︑しかし
緊 張 感 の あ る 関 係 を 結 ぶ﹁ 隣 人 ﹂ と し て 登 場 す る こ と に な る︒ し か し な が ら︑ 二 〇 〇 二 年 に 刊 行 さ れ た﹃ ダ ー ク ﹄
で は 二 人 の 関 係 性 は そ れ ま で と は 大 き く 異 な っ た も の に な る︒ ﹃ ダ ー ク ﹄ の 物 語 の 出 発 点 は﹃ 顔 に 降 り か か る 雨 ﹄
の六年後に設定されており︑内容でもむしろこの作品と直結する事柄が多いのだが︑ミロや善三といったこれまで
― ₂₂ ―
のシリーズに登場してきた人物は﹁変質
︶₃₁︵
﹂することになる︒友部も例外ではない︒
本 稿 の 論 点 を 再 確 認 す る 意 味 で︑ ﹃ ダ ー ク ﹄ に つ い て 簡 単 に 触 れ て 本 稿 を 締 め く く り た い︒ ﹃ ダ ー ク ﹄ の 冒 頭 で︑
友部はすでに新宿二丁目から引っ越しており︑ミロの﹁隣人﹂という関係も解消されているのだが︑そのことは次
のように語られる︒
私はトモさんこと︑友部秋彦を思い浮かべた︒友部は去年︑青山に引っ越していた︒壁一枚を隔てて隣同士で
暮 ら し て い た 頃 は︑ 壁 さ え も 邪 魔 な く ら い 緻 密 で 危 う い ほ ど の 友 情 を 保 て た の に︑ 現 在 は た だ の 友 人 に 近 い︒
友部は年下の作家と店で知り合い︑作家の妻をも含めた三角関係の只中にいるのだ︒引っ越したのも︑作家の
住まいの側だからという理由だった︒私には経験のない複雑な愛憎の世界に埋没している友部は︑もはや私の
ことなど眼中になく︑疎遠にならない方が不思議だった
︶₃₂︵
︒
か つ て の﹁ 壁 さ え も 邪 魔 な く ら い 緻 密 で 危 う い ほ ど の 友 情 ﹂ や︑ ﹁ 友 情 ﹂ と い う 言 葉 か ら も は み 出 し て い く よ う な
﹁ 同 性 愛 者 の 隣 人 ﹂ と の 関 係 性 は も は や 過 去 の も の と な り︑ ﹁ 現 在 は た だ の 友 人 に 近 い ﹂ と い う の だ が︑ ﹃ ダ ー ク ﹄
では︑本稿で取り上げた﹃天使に見捨てられた夜﹄で友部を規定していたいくつかの特徴がことごとく反転してい
る点も見逃せない︒
﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ で は 友 部 は﹁ 禁 欲 的 ﹂ で︑ 脱 性 化 さ れ た キ ャ ラ ク タ ー で あ っ た︒ だ が︑ 引 用 し た 一 節
に示されているように︑ ﹃ダーク﹄では﹁年下の作家と店で知り合い︑作家の妻をも含めた三角関係の只中にいる﹂
「同性愛者の隣人」との関係性
― ₂₃ ―
と恋愛/性愛のなかに友部は入り込み︑作中には男性への性的欲望を露骨に語る場面もある︒それは脱性化された
﹁商品﹂としての位置づけを脱することとも解釈できるのだが︑それと同時に︑ ﹃ダーク﹄ではスタイリッシュな消
費者としての友部もすでにいない︒確かに友部のインテリアやファッションへのこだわりはこの作品でもうかがえ
る︒だがそれは ﹁借金をしてまで見栄を張る生活
︶₃₃︵
﹂ の一因となっており︑三〇万円をミロに貸したこときっかけに︑
友部は逃亡するミロを追いかけることになるのである︒桐野は﹃天使に見捨てられた夜﹄のミロとその﹁同性愛者
の隣人﹂としての友部との関係性について﹁その辺の人間関係のねじれが私好みだったのでしょう﹂と語っていた
わけだが︑ ﹃ダーク﹄ではそこにさらなる﹁ねじれ﹂が加えられることになるのである
︶₃₄︵
︒
注 ︵
︵ 用されることになる︒このようなパターンをステレオタイプと位置づけたうえで︑本稿の分析を進める︒ 多様な生き方を女性に伝えるというよりは︑結果的に女性を性規範に適合させる傾向が大きく︑そのためにゲイ男性が活 性の良き相談相手としてゲイ男性が登場するという共通点が見られた︒そこでゲイ男性によって提示されるアドバイスは 以降の村上春樹︑川上弘美︑よしもとばななの作品におけるゲイ男性の表象のされ方を考察したが︑それらの作品では女
1︶ 黒岩裕市﹃ゲイの可視化を読む
―現代文学に描かれる︿性の多様性﹀ ?﹄ ︵晃洋書房︑二〇一六年︶では︑二〇〇〇年代
︵
2︶ 桐野夏生﹃顔に降りかかる雨﹄講談社文庫︑一九九六年︑九七頁︒
︵
3︶ 桐野﹃顔に降りかかる雨﹄三七四頁︒
︵
4︶ 桐野﹃顔に降りかかる雨﹄三六一頁︒
︵
5︶ 桐野夏生﹁桐野夏生自身による著作解題﹂ ﹃文藝﹄ ︵第四七巻第一号︑二〇〇八年︶七九頁︒
6
︶ ﹃天使に見捨てられた夜﹄ からの引用は多いため︑ 本文中にページ数を記す︒引用は講談社文庫版 ︵一九九七年︶ による︒
― ₂₄ ―
引用中の﹁/﹂は改行を示す︒ ︵
︵ 妙な心の繋がりが秀逸﹂と評価するものがある︵ ﹃マルコポーロ﹄第四巻第八号︑一九九四年︑八七頁︶ ︒
7︶ 桐野﹁桐野夏生自身による著作解題﹂七九頁︒男性誌に掲載された書評にもミロと友部の﹁愛とも友情ともつかない微
︵ デン﹄ ︵二〇〇〇年︶に収録された際には︑改稿され︑友部はすでに馴染みのキャラクターになっている︒ てられた夜﹄ に引き継がれている︒なお︑ ﹁天使のような私の娘﹂ が ﹁愛のトンネル﹂ というタイトルで短編集 ﹃ローズガー
8︶ 桐野夏生﹁天使のような私の娘﹂ ﹃小説現代﹄ ︵第三一巻第一二号︑一九九三年︶一七二頁︒友部の設定は﹃天使に見捨
︵
9︶ ﹃クレア﹄ ︵第三巻第二号︑一九九一年︶六三頁︒
︵
10︶ ﹃SPA!﹄ ︵第四〇巻第一六号︑一九九一年︶二〇頁︒
︵
11︶ ﹃DIME﹄ ︵第六巻第一〇号︑一九九一年︶一三頁︒
︵
12︶ ﹃朝日ジャーナル﹄ ︵第三三巻第二九号︑一九九一年︶二二頁︒
︵
13︶ 石田仁﹁ゲイに共感する女性たち﹂ ﹃ユリイカ﹄ ︵第三九巻第七号︑二〇〇七年︶五〇︑五三頁︒
︵
Vol.16, No.2, 2004, p.263. 14Rebecca Copeland, “Woman Uncovered: Pornography and Power in the Detective Fiction of Kirino Natsuo”, Japan Forum,︶
︵ 頁︒
15︶ 桐野夏生﹁ ﹃天使に見捨てられた夜﹄ 著者に会いたい 桐野夏生﹂ ﹃平成義塾﹄ ︵第六巻第一二号︑一九九四年︶一六三
︵
16︶ 石田︑前掲書︑五三頁︒
︵ 状﹂ ︵好井裕明編︶ ﹃セクシュアリティの多様性と排除﹄明石書店︑二〇一〇年︑七八頁︒
17︶ 杉浦郁子﹁レズビアンの欲望/主体/排除を不可視にする社会について
―現代日本におけるレズビアン差別の特徴と現
︵ の時期のゲイ男性とMtFが混在した表象に関しては﹁ゲイ﹂という表記を用いる︒ この使い分けに従うが︑本稿では ﹃天使に見捨てられた夜﹄ の ﹁ホモ﹂ については ﹁ゲイ男性﹂ と表記し︑ ﹁ゲイ・ブーム﹂
18︶ ﹃天使に見捨てられた夜﹄ではゲイ男性︵友部︶が﹁ホモ﹂ ︑MtF︵礼矢︶が﹁ゲイ﹂と記されている︒本文の引用は
︵
19︶ 中川智寛﹁桐野夏生﹁天使に見捨てられた夜﹂論﹂ ﹃名古屋大学人文科学研究﹄ ︵第三四号︑二〇〇五年︶五頁︒
20
︶ 松浦理英子 ﹁解説 村野ミロの自尊心︑ 桐野夏生の勇気﹂ ︵桐野夏生 ﹃天使に見捨てられた夜﹄ 講談社文庫︑ 一九九七年︶
「同性愛者の隣人」との関係性
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四一九
―四二〇頁︒ ︵
︵
21︶ 竹村和子﹃愛について
―アイデンティティと欲望の政治学﹄岩波書店︑二〇〇二年︑八二
―八四頁︒
︵ イが﹁性﹂と切り離されたものとして語られている︵ ﹃クレア﹄第三巻第二号︑一九九一年︑八四頁︶ ︒ 活 ﹂ と い う ニ ュ ー ヨ ー ク の ゲ イ シ ー ン を 伝 え る 記 事 も あ り︑ ﹁ リ ッ チ︑ フ ェ イ マ ス︑ イ ン テ リ ジ ェ ン ト ﹂ で﹁ 優 雅 ﹂ な ゲ
22︶ ﹁ゲイ・ブーム﹂の時期のゲイ表象がすべて脱性化されていたとはいえないが︑ ﹁エグゼ・ゲイの優雅にして禁欲的な生
︵ と﹁自由﹂
―理論︑リベラリズム︑クィア﹄彩流社︑二〇一三年︑三二一頁︒
23︶ 清 水 晶 子﹁ ﹁ ち ゃ ん と 正 し い 方 向 に む か っ て る ﹂
―ク ィ ア・ ポ リ テ ィ ク ス の 現 在 ﹂︵ 三 浦 玲 一・ 早 坂 静 編 ︶﹃ ジ ェ ン ダ ー
︵
24︶ 桐野夏生﹁漂う魂﹂ ︵﹃ローズガーデン﹄講談社文庫︑二〇〇三年︶一一四頁︒
︵ の近田はそこで知り合った女性と交流する︵ ﹃ファイアボール・ブルース2﹄文春文庫︑二〇〇一年︑二一三頁︶ ︒ さ れ た﹁ グ ッ ド バ イ ﹂︵ 一 九 九 六 年 ︶ に は﹁ 二 丁 目 の 女 性 し か 入 れ な い バ ー ﹂ が 登 場 し︑ 主 人 公 で あ る 女 子 プ ロ レ ス ラ ー ズ ガ ー デ ン ﹄ 講 談 社 文 庫︑ 一 六 八 頁 ︶︒ ま た︑ ﹁ 村 野 ミ ロ シ リ ー ズ ﹂ で は な い が︑ ﹃ フ ァ イ ア ボ ー ル・ ブ ル ー ス 2 ﹄ に 収 録 いうわけではない︒ ﹁独りにしないで﹂ では︑ 友部は新宿二丁目のレズビアンバーの知り合いとも連絡をとっている ︵﹃ロー
25︶ ﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た 夜 ﹄ の 新 宿 二 丁 目 は 確 か に﹁ 男 の 世 界 ﹂ と 位 置 づ け ら れ て い る が︑ 桐 野 作 品 で は つ ね に そ う だ と
︵
p.266ることのできるオルタナティブなシステムはない﹂と指摘する︵ ︶︒ う え で︑ 友 部 が 異 性 愛 家 族 の オ ル タ ナ テ ィ ブ と し て の﹁ 聖 域 ﹂ を 有 す る の に 対 し︑ ﹁ ト モ と は 違 い︑ 彼 女 に は そ の 中 へ 入
26Rebecca Copeland, op.cit., p.265.︶ コ ー プ ラ ン ド は ミ ロ と 友 部 が と も に 家 族 の シ ス テ ム の 外 部 に 位 置 す る こ と を 踏 ま え た
︵ 一九九九年︑一二二
―一二四頁︒
27︶ イ ヴ・ コ ゾ フ ス キ ー・ セ ジ ウ ィ ッ ク﹃ ク ロ ー ゼ ッ ト の 認 識 論
―セ ク シ ュ ア リ テ ィ の 二 〇 世 紀 ﹄︵ 外 岡 尚 美 訳 ︶ 青 土 社︑
も 言 及 し て お り︑ 女 性 と ゲ イ の 関 係 性 を 理 想 化 す る だ け で は な い︵ 田 嶋 陽 子﹁ 父 と 娘 禁 忌 の デ ジ ャ ビ ュ 体 験 に ド キ ッ ﹂ 識﹂や﹁ゲイの世界がもっている排他性︑疎外感︑コンプレックスに裏うちされた選民意識︑傲慢さと卑屈さ﹂について の片鱗を覗かせてくれるかもしれない存在﹂とみなす田嶋陽子の記事がある︒一方︑田嶋はゲイの﹁女性に対する差別意 き た て る エ ン ジ ェ ル ﹂ と 呼 び︑ ﹁ よ り 自 由 で 楽 し い 対 等 な 男 女 関 係 へ の 模 索 の 途 中 に あ っ て︑ 女 た ち の 探 し て い る モ デ ル
28︶ 本 稿 で 引 用 し た 一 節 で は 友 部 が﹁ 天 使 ﹂ に 重 な る こ と に な る の だ が︑ ﹁ ゲ イ・ ブ ー ム ﹂ の 時 期 に も ゲ イ を﹁ 女 の 夢 を か
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﹃朝日ジャーナル﹄第三三巻第二九号︑一九九一年︑二八頁︶ ︒ ︵
︵
29︶ 中川︑前掲書︑九頁︒
︵
30︶ 桐野夏生﹁女たちの孤独な戦い﹂ ﹃ユリイカ﹄ ︵第三一巻第一三号︑一九九九年︶六九頁︒
︵
31︶ 桐野夏生﹃ダーク﹄上︑講談社文庫︑二〇〇六年︑一八頁︒
︵
32︶ 桐野﹃ダーク﹄上︑一九頁︒
︵
33︶ 桐野﹃ダーク﹄上︑一一八頁︒
︵﹃ダーク﹄下︑講談社文庫︑三三六頁︶ ︒ 愛者として苦しんでいた時期を知っている﹂と友部の﹁美意識﹂も不自由なものとして再解釈されることになるのである 夜﹄でミロは友部が理想化した﹁ ﹁男﹂の持つ抽象的美点﹂に共感していたわけだが︑ ﹃ダーク﹄では﹁美意識の強い同性 と 思 っ て ん だ よ ﹂ と 告 げ︑ ミ ロ は そ う し た 友 部 に﹁ こ れ ま で に な い 享 楽 ﹂ と﹁ 変 貌 ﹂ を 感 じ 取 る︒ ﹃ 天 使 に 見 捨 て ら れ た の 最 後 で 友 部 は 新 宿 に 戻 り︑ ﹁ 俺 は 二 丁 目 で オ カ マ ち ゃ ん た ち と う ま く や っ て る ん だ か ら さ︒ 俺︑ シ ョ ー パ ブ も 始 め よ う
34︶ ﹃ ダ ー ク ﹄ の 友 部 の 表 象 の さ れ 方 に つ い て は 稿 を 改 め て 検 討 す る 必 要 が あ る が︑ も う 一 点 だ け 付 け 加 え る と︑ ﹃ ダ ー ク ﹄
「同性愛者の隣人」との関係性
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