追 悼 の 辞
故森清教授は︑昭和六〇年一一月一三日︑忽然と亡くなられた︒六〇年春から体調がすぐれず︑四月に東京医
科大学病院に入院されたが︑六月には一旦退院され︑大学にも足を運ばれたと聞き︑一安心していた︒だが︑九
月には再入院されたと聞いて︑不吉な予感がしないでもなかった︒経済学部の同僚は︑容体が好転することを只
管祈っていた︒あの頑健な森教授のことだから︑必ずや恢復して︑あのにこやかな︑照れたような顔をして大学
に出てこられるにちがいないと信じていた︒しかし︑遂に不帰の人になってしまった︒日頃頑健であっただけ
に︑われわれの目からみれば︑忽然と去っていかれたという感を拭えない︒享年五九歳であった︒まだまだ経済
学部のために働いてもらいたいと思っていただけに︑痛恨の極みといわなければならない︒
森教授が成城大学経済学部に着任されたのは︑昭和三九年一〇月のことであった︒管理会計論︑原価計算論の
担当助教授としてお迎えすることになったのである︒大学教育を受けられたのは九州大学であったが︑その後一
橋大学の大学院修士課程に進学され︑松本雅男教授の指導を受けられ︑管理会計論の研究に専念された︒わが経
済学部に着任されたのは︑四〇歳にならんとする働き盛りであった︒その後︑昭和四九年には︑教授に昇任さ
れ︑亡くなられる前年には二〇年勤続表彰を受けられた︒思えば︑森教授は人生のもっとも充実した時期を︑わ
れわれと共に過されたことになる︒あの飄飄とした︑また春風駘蕩とした森教授の人となりは︑おそらくわれわ
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れの脳裡から離れることはないだろうと思われる︒日が経ち︑年が過ぎるにつれて︑森教授への追憶の念が強ま
るといってもいい過ぎではなかろう︒森教授御自身も︑少なくとも内心は成城大学にこよなき愛着を抱いていた
のではないかと思われる︒それだけに病に倒れられた時には︑残念至極であったと推測される︒年老いた両親よ
り先に︑先立たれたととも慙愧の極みではなかったかと思われる︒
いまとなっては心安らかに眠られることを祈るのみである︒衷心より哀悼の意を表したい︒
昭和六一年七月三〇日
成城大学経済学部長 岡 田 清
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