梁
武
雜
己
一
言 卩安
藤
圓
秀
梁 武 帝 に つ い て 思 ひ つ い た こ と 二 三 を 願 序 も な く 書 き と め て 責 を 塞 ぎ 度 い と 思 ふ 9 研 究 と 名 の つ く も の で な い こ と は 申 す ま で も な い 。 讀 者 の 諒 恕 を 乞 ふ o喃
天 子 に な
る
ま で 武 帝 姓 は 齏、
諒
は 衍、
字 は 叔 達.
宋 の 孝 武 帝 太 明 八 年 に 生 る 。 父 は 順 之 と い ひ 齊 の 高 帝 の 族 弟 で あ り、
母 は 張 氏 、其
母 即 ち 組 母 は 齊 の 文 帝 の 從 姑 で あ る 。 だ か ら 彼 の 父 母 兩 系 と も 齊 室 に 緑 故 が あ る 。 青 年 時 代 か ら 頭 角 を あ ら は し て ゐ た と 見 え、
衞 將 軍 の 王 儉 は 彼 を一
見 し て 深 く 其 の 器 を 愛 し、
「,
此 蕭 郎 三 十 内 當 y 作”
”
侍 中岡
禺 y 此 則 貴 不 y 可レ
言。
」 と 詳 し て 居 る 。 竟 陵、
王 子 良 が 西 邸 を 開 い て 所 謂 八 友 を 結 ぶ に 及 び、
彼 も 亦 其 の 有 力 な一
員 と な つ て ゐ る 。 八 友 は い つ れ も 當 時 の 優 秀 な 學 者 文 人 で 沈 約、
謝 眺、
王 融 な ど も其
の 仲 間 で あ る が、
王 融 は 殊 に 人 物 に 鍔 す る 識 鑒 に す ぐ れ て ゐ る と 推賞
さ れ て ゐ た 、 其 の 王 融 が 彼 を 評 し て、
一,
宰呂
制 天 下一
必 在昌
此 人 ご と い つ て 奪 信 し た と傳
へ ら れ て ゐ る 。 當 時 齊 の 朝 廷 には 名 君 な く
、
色 々 内 訌 が あ つ て 鰌 亂 の 兆 が 隨 所 に 見 え て ゐ た の で、
彼 の 心 中 に は 滿 々 た る 磆 氣 が 藏 さ れ て ゐ た の であ
ら う 。 そ れ は 彼 と 任 肪 と の 物 語 の 中 に も 微 か に 露 れ て ゐ る。
(
籘 魄 側 )齊
朝 の 由 來 を 眺 め る と、
始 め 蕭 渣 成 が 即 位 し て 高 帝 と な り、
在 位 僅 か に 五 年.
太 子 傾 が 後 を 承 け て 武帝
と な り 、非
常
に 内治
に 意 を 用 ひ た が、
在位
十一
年、
其
の 政 牛 ぱ に し て 崩 じ て し ま っ た 。 そ れ 以 後 齊 に は 政 權 爭 奪 の 渦 が 巻 い た.
、
卸 ち 武帝
( 齊 ) の 孫 昭 業 が 武 帝 を っ い で 即 位 し た が 其 の 狂 縱 ぶ り が 餘 り に 甚 し か つ た の で、
荷 脅 令 の 蕭 鸞 ( 高 帝 の 兄 の 子 ) が 之 を 弑 し、
昭 業 の 弟 の 新 安 王 昭 文 を 擁 立 し た、
ー
こ れ が 廢 帝 海 陵 王 で あ る 。 と こ ろ が 蔚 鸞 は、
も とく
野 心 が あ る の で 其 の 後 自 己 の 撥 勢 を 張 る こ と に 専 念 し 、 逾 に 昭 文 を 廢 し て 白 立 し た 。 こ れ が 明帝
で あ る 。 昭 帝 は即
位 す る と、
後 患 を 除 く た め に 、 高 帝 、 武 帝 の 子 孫 を 殺 滅 し て 共 の 遺 類 な か ら し め た 。 明 帝 が 崩 す る と、
太 子 竇 卷 が 立 っ た が、
所 謂 山 ハ 貴 八 要 等 が 政 を 紊 し 、 廢 立 の 陰 謀 を劃
策 す る も の、
叛 亂 の 兵 を 擧 げ る も の 、 國 内 は 甚 だ 騒 擾 を 極 め た。
然 る に 賓 卷 は 少 し も 政治
に 意 を 用 ひ す 昏 淫 狂 恣 に 耽 つ て ゐ た,
。 例 へ ば、
金 で 蓮 花 を 作 り、
之 を 地 上 に 帖 し、
深 く寵
愛 し て ゐ た 潘 妃 に、
そ の 上 を 歩 か せ て 、 「 此 歩 々 生嵩
蓮 花 こ な ど と 挽 樂 し て ゐ た。
か う い ふ 情 態 で あ つ た の で、
民 心 は 登 く齊
室 か ら 離 れ て し ま っ た。
こ の 周 園 の 情 勢 は.
秀 拔 な 彼 を し て 、 梁 を 建 國 し 、 帝 位 に 帥 か し む る に 最 も 有 利 で あ つ た 。 こ と に 彼 が 齊 室 の 縁 故 者 で あ る こ と 、、
齊 に 仕 へ て 幾 多 の 功 業 を 建 て 丶 ゐ た こ と は 、 天 下 の 儒 望 を 得 る に 好゜
梁 武 雜 記 =冖
流智 山 學 報 = 天
都
合 で あ つ た 。 彼 が 武 將 と し て も 非常
に 優 れ た 人 物 で あ つ た こ と は 、 建 武 二 年 ( 衍 三 + 二 歳 ) に 、 北 魏 が 齊 の 内 訌 に 乘 じ て 司 州 に 攻 め 込 ん だ 時.
彼 は 冠 軍 將 軍 と し て 之 を鑿
破 し た が、
其 の 時.
魏 の 將 王 肅 等 が 拜 持 し て ゐ た 魏帝
の 勅 を 獲 得 し た 。 其 の中
に 「 聞 蕭 衍 善 用γ
兵。
勿 ‘ 與 爭 7 鋒。
待崩
主 口 至叫
若 能 禽=
此 人曹
則 江 東 吾 有 也 」 ( 鞴 皺 ) と あ つ 忙 。 こ れ に よ つ て も 彼 の 啓 望 が 想 像 出 來 る。
又 こ ん な 話 も あ る 。 齊 の 武 帝 の 舊 臣 崔 慧 景 と い ふ 者 が 豫 州 に 在 っ て、
密 に勢
力 を 畜 へ、
明帝
に對
し て 先 帝 の 復 仇 を 志 し て ゐ た の で 明帝
は 之 を 憂 ひ、
彼 に 命 じ 、 表 面 は 魏 に 備 へ る や う に 裝 ひ、
實 は 崔 氏 鎮 壓 の た め に 壽 陽 に 鎭 た ら し め た 。 其 の 時、
崔
氏 は 罪 を 懼 れ 臼 服 し て 彼 を 迎 へ た。
彼 は 直 ち に 慰 撫 し て 之 を 宥 し た 。部
下 の 將 軍 たち
は 切 に 崔 慧景
を 殺 し て 後 難 を 絶 つ こ と を 慫 慂 し た が、
彼 は 從 は す 、 笑 つ て 曰 く、
「 興 如器
掌 中 嬰 兒舶
殺レ
之 不レ
武。
」 と 、 斯 う し た 彼 の 態 度 は 人 心 を 收 攬 す る に 容 易 な ら し め た の で あ る 。 彼 は 帝 位 に 即 い て か ら は、
し き り に 自 己 の 立ち
揚 を 辯 解 し て ゐ る が . 齊 末 蝸 亂 に 際 し て、
竊 に 帝 位 に 目 を つ け て ゐ た こ と は覆
ふ こ と は 出 來 な い。
彼 の 聾 望 が 高 ま る に つ れ て 、 彼 は 猜 忌 深 い 明 帝 か ら 嫉 ま れ る こ と を怖
れ、
且 つ は 時 入 の 苟 め の 流 言 を 憚 つ て、
部
曲 を 解 き 、 常 に 「 折 梵 小 牛 車 」 に 乘 つ て 明帝
へ の 忠 勤 を 擢 ん で 〜 ゐ た こ と も、
彼 の 内 心 の 何 物 か を 想 像 さ せ る も の が あ る 。 こ と に 梁 書 の 張 弘 策 の傳
を 見 る と.
幼 時 か ら 親 狎 し て 來 た 張 弘 策 と一
夜 酒 を 置 い て 時 事 を 談 じ た 記 事 が あ る 。 弘 策 日、
英 雄 今 何在。
爲鵠
已富
貴「
爲γ
在
吊
草 茅一
高 租(
衍)
笑 日、
光 武 有レ
云。
安 知 レ 非 v 僕。
弘 策 起 臼.
今 夜 之 言
.
是 天 意 也 。 請 定昌
君 臣 之 分→
其 の 後、
魏 の 軍 が 攻 め 込 み 、 彼 が 將 と し て 之 に 當 ら ん と し た 時、
張 弘 策 は 之 を 好 機 愈 と 考 へ た の か、
「 夜 中 之 言、
獨當
y 驗矣
」 と 言 つ た と こ ろ、
彼 は 笑 つ て 「 且 勿邑
多 言一
矣 」 と 答 へ た 。 こ れ に よ つ て も 彼 が 内 心 の 淌 息 を 知 る こ と が 出 來 る。
然 し 彼 は 飽 く ま で 簒 奪 の 汚 名 を 被 る こ と を 避 け、
愼重
に 愼 重 を 蜘 へ て 行 動 し た 。 竟 陵 太 守 曹 景 宗 が 張 弘 策 を 逋 じ て、
王 號 を 稱 す る こ と を勸
め た 時 も 若 前 途 大 事 不レ
捷。
故 自蘭
艾 同 焚。
若 功 業 克 建.
威警
」
四 海「
號齟
[
令 天 下「
誰 敢 不レ
從。
豈 是 碌 々 受=
入 處 分→
と 言 つ て 拒 否 し て ゐ る、
彼 が 齊 室 群 臣 の 亂 を 鎮 定 し、
勳 業 赫 々 と し て 建 郡 に 入 る や、
大 勢 は 既 に 決 し、
所 謂 天 人 允 に 屬 す と い ふ 情 勢 で あ つ た が 、 そ れ で も 彼 は 自 ら 進 ん で 帝 位 を 要 求 す る こ と を し な か つ た . 沈 約 が共
の一
端 を 扣 い て み た が 、 彼 は 默 し て 答 へ な か つ た 。其
の 後、
沈 約 は 更 に 禪 位 の こ と を熱
心 に慫
慂 し て 今 與 レ 古 異.
不レ
可 丁 以昌
淳 風一
期 .萬
物切
士 大 夫攀
龍 附 鳳 者.
皆 望 7 有昌
尺 寸 之 功「
以 保.
其 輻 祿増
今 童 児 牧 豎 悉 知昌
齊 祚 已 終 h莫
レ
不レ
言‘
明 公 其 人”
也 。 天 文 人 事 表晶
革
邏 之 徴→
永 元 以 來 尤 爲レ
彰 者.
・
:・
天 心 不 γ 可γ
逹.
人 情 不レ
可 y 失。
苟 是 暦 數 所 “ 至.
雖レ
欲γ
謙γ
光.
亦 不 ソ 可レ
得 巳 。 云 々 〈 梁 書、
沈 約 停 ) と 云 ふ に 及 ん で 、 始 め て 彼 は 「 吾 方 思 セ 之 」 と 答 へ て ゐ る 。 梁 武 雜 寵一
二 七智 山 學 報 =
一
八 か く て 中 興 二 年 四 月、
齊 の 和 帝 か ら 讓 ら れ て 帝 位 に 即 き、
國 號 を 梁 と 改 め、
天 監 と 改 元 し 忙。
彼 が 三 十九
歳 の 時 で あ る 。 こ れ か ら 太 清 三 年 八 十 六 歳 の 高 齡 を 以 て 崩 す る ま で の 六 十 年 近 い 彼 の 生 涯 は、
王 者 と し て、
學 者 と し て、
詩 人 と し て 、 又 佛 轂 の 絶 大 な 保 護 者 並 び に 信 者 と し て.
色 々 な 親 野 か ら 觀 察 し て . そ れぐ
大 に 見 る べ き も の が あ る.
ど の觀
點 か ら 眺 め て も、
支 那 歴 朝 の 帝 王 の 中 に あ つ て 、 異 色 あ る 有 數 の帝
王 た る こ と は 爭 は れ ぬ.
.
二配 偶 及 諸 子 武 帝 の 配 偶 諸 子 に つ い て は
、
詳 細 を 知 る こ と と が 出 來 な い が 、 梁書
・
南
史 等 に つ い て 其 の 大 樣 を 綜 合 し て み る と 大 體 次 の や う に 思 は れ る . 彼 の 最 初 の 夫 人 は 、 郡 氏 . 諱 は 徽 と い ふ。
父 は 宋 の 燐 太 子 舍 人 で あ つ 九 が 早 世 し 、 母 の 尋 陽 公 圭(
蘇 のの 奴 V の 手 で育
て ら れ た 人 で、
隷 書 を善
く し 更傅
を 好 ん だ と あ る 。 梁 書 に は、
齊 の 建 元 の 末 と だ け 記 し て 其 の 結 婚 年 次 を 明 記 し て 居 ら ぬ、
然 し 建 元 は 四 年 で 改 元 し て ゐ る か ら、
假 に 四 年 に 結 婚 し た と す れ ば 、 武 帝 は 十 九 歳、
夫 人 は 十 五 歳 で あ る 。 こ の 夫 人 と の 間 に 三 女 を擧
げ た が 、 夫 人 は 齊 の 永 元 元 年 に 三 十 二 歳 で 歿 し た、
彼 は 即 位 の 後、
追崇
し て 徳皇
后 と 稱 し た 。 徳 皇 后 の 死 の 前 年、
彼 は 丁 貴 嬪 を 納 れ て ゐ る 。諱
は 令 光.
誰 國 の 人 で あ る、
性 極 め て 仁 恕、
華 飾 を好 ま す 、 親 戚 の た め に 私 謁 せ す
、
武帝
が 佛 教 を奉
信 す る や う に な つ て か ら は.
自 分 も 深 く 信 奉 し 、 滋 腴 を 絶 ち 蔬 菓 を 食 し、
最 も 淨 名 經 に精
し く 、 受 く と こ ろ の 供 賜 は 悉 く 法 事 慈 善 に 費 し た と い ふ こ と で あ る 。 こ の 人 の腹
か ら 昭 明 太 子 、簡
文帝、
廬 陵 威 王績
の 三 子 が 生 ま れ て ゐ る . 昭 明、
簡 文 の 仁 恕 温 柔 の 性 格 は、
こ の 母 に負
ふ と こ ろ が 多 い や う で あ る 。 彼 六 十 三 歳 の時、
四 十 二 歳 で 薨 じ た 。 こ の 外、
彼 は 天 監 元 年 頃 か ら、
幾
多 の 婦 人 を 納 れ て ゐ る が、
其 の 像 の 明 か な も の は 殆 ん ど な い 。 た 冒 阮 令 贏 と い ふ 婦 人 だ け は、
孝 元 帝 を 生 ん で ゐ る の で 極 め て 簡 略 な 小傳
が あ る、
こ れ に よ る と こ の 姙 人 は、
初 め 齊 の 始 安 王 遙 光 の 室 と な り 、 邁 光 の 歿 後、
廢 帝 東 昏煥
の 宮 に 入 り 、 更 に 彼 に 入 れ ら れ て 綵 女 と な っ た と い ふ經
歴 の 人 で あ る 。 こ の他
に 分 つ て ゐ る の は 豫 章 王 綜 の 生 母 呉 俶 媛、
南 康 簡 王 績 の 生 母 董 淑 儀。
郡 陵攜
王綸
の 生 母 丁 克 華、
武 陵 王 紀 の 生 母 葛 修 容 だ け で あ る。
簗 書 の 范 雲傳
を 見 る と . 齊 の東
昏侯
の 後 宮 に 收 む る と こ ろ の美
女頗
る 多 く、
就中
余 妃 は 傾 國 の 尤 物 で あ つ た。
彼 は 深 く 心 を 寄 せ、
あ だ か も 徳 皇 后 を 失 つ て 問 も な い こ と で あ つ た の で、
之 を 納 れ て 寵 愛 冂 に 滋 げ か つ た 。 そ の た め 累 を 生 ぜ ん こ と を 恐 れ た 范雲
が 切 諌 し て 之 を 放 た し め た こ と を 載 せ て ゐ る と こ ろ を 見 る と、
共 の 他 に 幾 多 の 婦 人關
係 もあ
つ た で あ ら う.
、
然
し 彼 の 閨 門 は 概 し て齊
整 し、
忌 は し い 紛 亂 は 少 な か つ た や う で あ る 。 た y一
っ こ ん な こ と が 傅 は つ て ゐ る 。 萠 に 擧 げ た 諸 子 の 中 、 豫 章 王 綜 の 生 母 昊 淑 媛 は 、 初 め 東 昏 侯 に 愛 せ ら れ、
後 彼 に幸
せ ら れ、
七 ケ 月 目 に 綜 を 生 ん だ 。 だ か ら 當 時 宮中
で は 彼 の 子 で な い と疑
ふ も 梁 武 雜 記一
二 九智 山 學 報 = 二 〇 の も あ つ た
。
其 の 後、
彼 の 寵 愛 が 袤 へ る に 及 ん で、
彼 を 怨 ん だ 臭 淑 媛 は、
綜 に 對 し て、
彼 の 實 子 で な い こ と を 告 げ た の で、
綜 も 亦 武 帝 を 怨 み 、 逾 に 彼 に 叛 旗 を 飜 へ し、
魏 人 の 九 め に 殺 さ る Σ に 至 つ た。
簗 書 の 綜 の 傳 に は 聞 俗 説 以等
生 者 血h
瀝‘
死 者 骨「
滲 即 爲畠
父 子司
綜 乃 私 發=
齊 東 昏 墓嚇
出レ
骨 瀝昌
臂 血一
試 F 之.
# 殺 二 男「
取二
其 骨一
試γ
之.
皆
有 レ 驗。
白 y 此 常 懍 梦 異 心明
と あ る 、 人 間 の 深 刻 な 晴 さ が 漂 つ て ゐ る 。 樹、
明 の 胡 應 麟 の 詩 藪 に は 梁 武 帝 臨 安 公 圭 集 三 卷 不レ
傳.
帝 女 有ゾ
集 古 今 惟 臨 安 公 圭一
人.
世 但 知甬
梁 武 諸 子「
不ド
知‘
更 有‘
此 女一
也 。 と あ る が、
梁 書、
南
史 い つ れ も 臨 安 公 主 に っ い て 記 す る と こ ろ は な い 、 三 武 帝 の 行 獣 史 傳 に賞
め 讃 へ て ゐ る帝
王 の 行 歌 と い ふ も の は。
其 の ま 丶 信 用 し 得 な い も の が多
い が、
彼 に 關 し て は 、其
の 詩 文 や、
其
の 政 治 に 關 す る 記 録 な ど を 逋 し て、
ほ 〜 想 像 す る こ と が 出 來 る。
彼 が 梁 の 王 位 に帥
い て か ら の一
生 は、
佛 徒 と し て 愈 敬 に 價 す る と こ ろ が 甚 だ 多 い 。 前 に も 記 し た や う に、
彼 は 齊 の 王 位 を 簒 奪 し た と 見 ら る 丶 こ と を非
常 に 恐 れ た 。 當 時 の 情 勢 か ら い へ ば、
彼 が 王 位 に帥
く こ と は 寧 ろ 當然 で あ つ て 、 江
南
の 形 勢 は 歸 す ぺ き と こ ろ に購
し た と 言 つ て 差 支 は な い 。 齊 の 最 後 の 和 帝 も 自 立 し て 帝 號 を 稱 し た も の で.
齊 は事
實 上 賓 卷 ( 鯨 昏 V の 淫覆
恣 に よ つ て 滅 ん だ の で あ る 。 だ か ら 支響
來 の 革 命 易 姓 の 思 想 か ら す れ ば、
そ ん な に氣
条 ね を し な く て も 良 い こ と で あ る 。 然 る に 彼 は 後 々 ま で も そ れ を 氣 に し て 居 た 。 彼 の 淨 業 賦 の 序 に 少 愛昌
山 水「
有ソ
懐
二
丘 叡 蕊 身 覊二
俗 羅「
不 γ 獲γ
邃 ゾ 志.
舛噐
獨 往 之 行「
乖昌
任 縱 之 心噂
と書
き 出 し て、
長 々 と 威 懐 を 邇 べ 世 論 者 以レ
股 方=
之 湯 武司
然 胎 不レ
得昌
以 比二
湯 武囎
湯 武 亦 不“
得ユ
以 比 7 股。
湯 武 是 塁 人.
膜 是 凡 人。
此 不γ
得 ユ 以 比二
湯 武叫
但 湯 武 君 臣 義 未レ
絶.
而 有二
南 集 白 旗 之 事 輔 険 君 臣 義 已 絶、
然 後 掃詰
定 獨 夫「
爲゜
「
天 下曽
除 レ 患。
以 ゾ 是 二 途。
故 不γ
得‘
相 比 → 云 々 。 と 言 っ て ゐ る 。 彼 に は い つ で も 殿 肅 な 自 己 反 省 の 目 が 光 つ て 居 た も の と 見 え る、
、
一
面 か ら 見 る と 、一
代 に し て 王位
を 獲 得 し ぷ英
雄 に し て は 、 應 は し く な い 弱 々 し さ を 持 つ て ゐ た、
.
張 烈 な意
力 の 反 面 に、
全 く 之 と 矛 盾 す る 威 情 の 錫 さ が 潜 ん で ゐ た 。 こ れ が 彼 の一
生 に、
色 々 な 波 絞 を 起 し て ゐ る 。 そ し て 彼 の 晩 年 を し て 悲 劇 的 な 最 後 を 持 忙 し め た の であ
る 。 武 帝 が 佛 教 を 信 歩 る よ う に な つ た の は、
何 時 頃 か よ く わ か ら な い が 、 佛 教 に 蹄 依 す る こ と を 宣 言 し(
注 ) た の は 帝 位 に 即 い て か ら で あ る 。 即 ち 天 監 三 年 四 月 に 發 表 し た 「 捨γ
道 歸γ
佛 交 」 が そ れ で あ る一
、
之 に 梁 武 雜 記 =一
=裡 山 學 報 = 二 二 よ る と 、 佛 徒 に な る 以
前
の 彼 の 思 想 を 支 配 し た も の は 道 教 で あ る 。 「 捨レ
道 」 と い ふ 言 葉 そ れ 自 身 が 已 に 證 明 し て ゐ る が 、 文中
耽詣
事 老 子 n 歴葉
相 受。
染昌
此 邪 法輔
習 因 善 發.
棄レ
迷 知γ
返 。 今 捨二
奮 醫一
歸昌
憑 正 畳叫
曇 々 と あ る に よ つ゜
て一
層 明 か で あ る、
然 し 天 監 三 年 に な つ て 急 に 信 者 に な っ た と い ふ 譯 で は な い と 思 は れ る 。 こ れ を 發 表 す る に は 何 か 別 の 理 由 が 存 し た か も 知 れ な い 。 同 じ く 天 監 三 年 四 月 に、
「 捨 道 事 佛あ
勅 を 出 し て ゐ る 。 天 監 三 年 以 前 に 於 て 既 に 彼 と 佛 教 と の 間 に は 深 い 關 係 があ
る 。 前 年 の 天 監 二 年 に は、
楊都
へ 家 た 曼陀
羅 仙 に 勅 し て 譯經
さ せ て ゐ る 。 ( 開 元 釋 纏 録 六)
其 の 叉 前 年 の 元 年 に は、
伽婆
羅 に 勅 し て、
楊榔
の 壽 光 殿 で 譯 經 さ せ て ゐ る一
、
(
酷 融 曝 經)
同 じ く 元 年 に、
檀 像 國 に 入 る と い ふ夢
を 見 て、
詔 を 發 し て 人 を 募 り 西 竺 ま で 求 め に や つ た こ と も あ る 。 ( 鰈 鰰 酬 嘔 賓 V だ か ら 武 帝 入 信 の 過 程 は一
朝一
夕 の こ と で は な か つ た で あ ら う 。歸
佛 を 宣 し て か ら の 彼 の 生 活 は、
戒 行 を 保 つ こ と が 、 可 な り 嚴 肅 で あ つ た や う で あ る 。 南 史 の 武 帝 紀 に は身
衣轟
布 衣「
木 綿 皇〕
輳.
一
冠 三 載一
被
二 年。
自‘
五 十一
外.
便 断 3 房 室噛
中 略 不レ
飲 y 酒.
不 ゾ 聽昌
晋 聾「
非
‘
宗
廟 祭 祀 大 會饗
宴 及 諸 法 事「
未 昌 嘗 作 7 樂 と あ り 、 梁 書 に も其
の 食 物 に つ い て日 止
二
食嚇
膳 無二
鮮 腴叩
惟 豆 羹 糲 食 面 巳.
と あ る 。賀
環 を 責 め る 勅 の 中 に も.
彼 自 ら 険 絶馳
゜
房 室闇
三 十 餘 年、
無レ
有昌
淫 佚叩
険 頗 自 計.
不 7 與昌
女 人一
同レ
屋 而 寢 n 亦 三 十 餘 年。
至二
於 居 腱「
不γ
過 二牀
之 地「
雕飾
之 物、
不 γ 入昌
於 宮 帰 此 亦 人 所旦
共 知状
中 略 ) 日 常一
食。
若 豐 若 夜、
無 γ 有二
定 時噂
疾苦
之 日.
或 亦 再 食 云 々 と 言 つ て ゐ る一
、
支 那 歴 代 帝 王 の中
、
珍 ら し い 存 在 で あ る 。 皇宮
に 在 つ て 沙 門 の や う な 日幇
を 過 ご し て ゐ た 彼 は、
當
時 の 僭 侶 が 酒 を 飮 み 肉 を 食 ふ こ と が 、 餘 程 不 偸 快 で あ つ た と 見 え て、
幾 度 か 僧 侶 に 向 つ て 酒 肉 を 斷 つ べ き こ と を 痛 論 戒 告 し て ゐ る , そ の 斷 酒 肉 交 四 篇 は、
廣 弘 明 集 二 十 六 に 收 め て あ る 。 彼 の こ の 潔 癖 は 、 終 に は 極 端 に走
っ て.
宗 廟 の犧
牲 を ま で 禁 じ、
蔬 菓を
以 て 之 に 代 へ た り、
吏
に甚
し ぐ な つ て 、 所 謂 生 類 を愍
む と・
い ふ 圭 旨 か ら、
太醫
に 勅 し て 生 類 を 以 て 醫 藥 の 材 料 と す る こ と を 禁 じ、
錦 や其
の 他 の 織 物 に、
人 や 烏 獸 の 紋 樣 を つ け る こ と を 禁 じ た 。 人 や 鳥 獸 の 形 の あ る も の を 剪 裁 す る の は 無 慈 悲 だ か ら と い ふ 理 由 で あ る。
後 世 儒 家 が、
彼 を 佛 教 に 淫 し て 國 を 亡 ぼ し た 者 だ 誹 る の も 偶 然 で は な い。
然 し こ 丶 ま で 來 な け れ ば 落 ち っ け な か つ た 彼 の 眞摯
な 姿 が 、 こ の 莫 迦 々 々 し い や う な 導 實 に よ つ て 物 語 ら れ て 居 る の で は あ る ま い か 。 ( 注)
佛 祺 統 記 に は 「 天 監 二 年 捨”
F
道 歸 佛 於 重 雲 殿 こ と あ る が、
百 三 名 家 集 の 武 帝 集 の 夊 に は、
「 維 天 監 三 年 四 月 八 日 」 と あ る 。 釋 霰 梁 武 雜 記一
三 三智 山 學 報 = 二 四 八
、
釋 駕 八 に 載 す る 所 も 三 年 と あ る p 三 年 が 正 し い と 思 ふ o こ れ は 大 し て 必 要 な こ と で は な い が、
他 の 問 題 と 聯 關 し て 來 る と、
こ の冖
年 の 差 が 重 要 性 を 持 つ こ と に な る か ら 記 し て 麗 く 。 四政 訟 ’口 武 帝 の 爲 し た 政
治
を 批 判 す る 考 へ は、
今 毛 頭 な い の で あ る が 、 彼 の 政 治 政 策 の 中 に 、 彼 の 人 柄 を 反 映 す る と こ ろ が多
い か ら、
た 〜其
の一
端 に だ け 觸 れ て 見 た い 。 大 同 七 年 十 月 赦 を 行 ふ 時 に 發 し た 詔 に 民 之 多 幸.
國 之 不 幸。
恩 澤屡
加.
彌 長昌
姦 盜叫
険 亦 知二
此 之 爲 7 病矣。
如 不昌
優 赦「
非
鵡
仁 人 之 心→
と い ふ の が あ る 。 こ れ は 彼 自 ら 彼 の 政 治 を 語 つ て ゐ る も の で あ る、
.
彼 の 政 治 は 徹 頭 徹 尾 慈 悲 怨 辱 の 政治
で あ つ た 。 そ し て 結 果 の 惡 い こ と は 分 つ て 居 な が ら 、 自 分 の 情 威 に 殉 じ な け れ ば 已 み 難 い 性 絡 の 所 有 者 で あ つ た の で あ る 。在
位 四 十 六 年 の 間 に 、 大 赦 及 び 赦 を 行 つ た こ と が 約 四 十一
回 あ る 。 ち よ つ と で も 理 由 づ け 得 る こ と が あ る と、
直 ぐ 之 に 托 し て 赦 を 行 つ て ゐ る 。 例 へ ば一
地 方 民 が 地 を 掘 つ て た まく
象
牙 の 佛 像 を 得 た と 言 つ て献
上 す る と、
宜 し く 佛 力 を 承 け て 弘 く 寛 大 を 爲 す べ し と 勅 し て 大 赦 を す る 。 阿 育 王 塔 下 か ら 出 た と傳
ふ る 佛 含 利 を 拜 す る と、
希 有 の事
に 逢 ひ 、 遭 ひ難
き の 想 を起
す と 嘆 じ て 大 赦 を す る と い ふ や う な 情 態 で あ る。
然 し 下 民を
愍 む 心 は 、 實 に 烱 到 で あ つ て 、 今 の 所 謂 肚 會 事 業的 な 美
擧
は、
彼 の 政 治 の 中 に 頗 る 多 く 見 る こ と が 出 來 る 。 殊 に 下 履 の 賤 民 や 、 流 離 放 浪 の 眠 民 に 對 し て は 常 に 温 い 手 を さ し の べ て 居 た 。 流 民 に勤
す る 處 置 と し て は 、 族 費 を給
し て 其 の 故 郷 へ 歸 ら せ た り 、 故 郷 へ 蹄 る こ と を 望 ま ぬ 者 に は、
土 籍 に 録 し て 土 地 を 與 へ、
一
定 の 産 業 に 就 か せ る と い ふ 風 に、
其 の 救 濟 に 常 に カ を 用 ひ て ゐ た 。 鰥 寡 孤 獨 に 對 す る 保 護 救 濟 も 始 終 施 さ れ て ゐ た 。 京 師 に は 孤 獨 園 を 設 け て、
自 存 の 出 來 な い 者 を 收 容 し て ゐ た こ と な ど も其
の一
つ て あ る 。 漢 以 來 段 々 墸 加 し て 來 た 奴 婢 に も 、 深 い 關 心 を 置 い た と 見 え て、
天 監 十 七 年 に は、
奴 隷 が 男 は 六 十 歳 、 女 は 五 十 歳 に 達 す る と、
奴 隷 の 境 遇 か ら 開 放 し て 不 民 に 還 ら せ よ と い ふ 勅 令 を 發 し て ゐ る.
.
叉.
邊 撹 に 事 あ る 毎 に 、 戰 歿 し た 將 卒 の 枯骨
が、
風 雨 に 曝 さ れ て ゐ は し な い か と 氣 に 掛 け て 幾 度 か 埋骨
詔 や 、 掩 骼 令 な ど を 發 し て其
の 供養
冥 輻 を 所 つ て ゐ る.
、
其 の 諮 の一
端
を 示 す と 各 巡二
境 界「
君 委 骸 不ゾ
葬.
或 際 衣 莫レ
改.
即 就 牧 歛.
量 給二
棺 具 h 庶 夜 哭 之 魂 斯 慰.
靄
霜 之 骨 有「
歸。
云 々 な ど 、 あ る 。 叉、
豪農
が 土 地 を 兼併
し 、 貧農
者 の 生 す る の を 防 止 す る た め に は、
清 公 田 詔 な ど を 發 し て 、 之 を 警 戒 し、
萬 民 を し て 生 活 の 安 定 を 得 さ せ る こ と に カ を 鑑 し た。
清 公 田 認 に 向 今 公 田、
悉 不γ
得昌
椴一
與豪
家 → 已 假 者.
特 聽 不 ソ 追。
其 若 幽 勗 室.
給昌
貧 民 種 糧「
共 營 作 者 二 不レ
在晶
禁 梁 武 雜 記 = 二 五智 山 學 報
一
三 六 例叩
と あ る を 見 れ ば 其 の 大 要 を 窺 ふ に 足 る であ
ら う 。 天 監六
年 に 渙 發 し た 詔 を 見 る と 、 そ の 中 に 夫 有鵠
天 下一
者.
義
非 レ 爲 y 己。
凶 荒 疾 癘…
兵 革 水 火.
有昌
一
於 此憎
責 蹄二
元 首叩
今 祀 史 請 檮.
繊
昌
諸 不 善→
む つ む む つ む む むむ 以
昌
険身
一
當
レ
之.
永 使二
災 害.
不 v 及昌
萬
姓「
俾瓢
茲 下 民 稍 蒙二
寧 息司
不 y 得 ’爲
レ
股 所 y 顧 以 増嵩
其 過噸
云 々 と い ふ の が あ る 。 王 者 の 心 と し て 、 こ れ 程尊
い も の は な い 。 こ の 崇 高 な 王 者 と し て の 理 念 と 深 い 信 仰 と を 持 ち な が ら、
結 局 は 其 の 晩 年 に 至 つ て諸
政 弛 緩 を 極 め.
一
た び 侯 景 が 起 つ て 國 構 を 恣 に す る に 至 つ て は 其 の 抑 爆 下 に ひ し が れ.
病 氣 に な つ て も 供養
意 の 如 く な ら す 、 皇 太 子(
輔 文 ) が 朝 に 入 っ て 安 否 を 問 う て も.
た ゴ 涕 泗 し て 面 を 交 ゆ る の み と い ふ 歌 態 で、
段 々 病 氣 が 永 び い て、
口 中 が 苦 く な つ た の で 蜜 を 瀕 り に 欲 し た が 、 そ れ さ へ 得 る こ と が 出 來 な く て、
絡 に、
「荷
々 」 の 聲 を 遺 し て 世 を 去 ら ね ば な ら か つ た 彼 の 臨 終 を 思 ふ と 、 宿 業 と は い ひ な が ら ま こ と に 暗 然 た る も の が あ る 。 五譯
經 及 佛魯
編纂
彼 が 佛 敏 を 保護
奬
勵 し た こ と は.
あ
ら ゆ る 方 面 に 亙 つ て ゐ る が 、其
の 中 の一
部
分 で あ る 譯 經 及 び 佛 書 の 編 纂 に 關 し 、 各 書 に 散 見 す る も の を 整 理 し て み よ う。
何 か參
考 に な る こ と が あ る か も 知 れ ぬ 。譯
經
に 對 す る 彼 の熱
心 さ は 非常
な も の で あ る。
前 朝 以 奈 名 園 と 稱 せ ら れ て ゐ た 華 林 園 を 開 放 し て.
此 處 を 譯 經 の 本部
と し、
常 に 自 ら 臨 幸 し て 其 の事
業を
督 勵 し、
譯 出 の 筆 始 め を 自 ら 爲 し た こ と も 屡 々 あ る 、 ら び で あ る , 今、
譯 出 さ れ た も の 及 び 譯者
を 左 に 列 記 す る。
阿育
王 經 + 卷 課 者 伽 婆 羅 大 唐 内 典 録 に は「
天 監 +一
年 六 月 二 十 日 於二
楊 都 壽 光 殿一
課 」 と あ りG 古 今 課 経 間 記 に は 、 自=
天 監 元 年一
至二
普 通 元 年 こ と あ り 。 孔 雀 王 陀 羅 尼 經 + 卷 伽 婆 羅 丈 珠 師 利 問 經二 卷
同
度
→
切 諸 佛 境界
知 嚴經
二 卷同
菩
薩
藏 經一
卷 同 秡鸚
般
若 波 羅蜜
經一
卷同 舍 利 弗
陀
羅 尼 経二 卷
同 八 吉 鮮 経
一
卷 同 十 法 經一
卷同 以 上 は 天 監 元 年 か ら 害 通 元 年 に 亜 る 問 に な さ れ た も の 丈 殊 般 若 等 經
三 部
曼 陀 羅 仙 及 信
婆
羅 梁 武 雜 記 = 二 七智 山 凝 報 ニ ニ 八 年 代 不 明 頂 王 經
一
部 月 婆 首 那 大 同 年 中 賓 雲 縄 七 卷曼
陀
羅 仙 年 代 不 明 法 界 體 性 無 分 別 經二 巻
同 年 代 不 明 秡
蠣
般 若 波 羅蜜
經同 年 代 不 明 こ の 外
、
佛 狙 統 紀 に は 波 羅 末 陀(
眞 諦 ) が、
大 清 年 問 に 金 光 明 經 等 + 部 を 譯 し た と あ る が、
之 は 疑 は し い。
課 出 し た も の に 術 阿 育 王 傳 五 卷 伽 婆 羅解
脱 道 論+ 三 卷
同
,
が あ る 。 彼 が 勅 し て 撰 集 輯 錬 さ せ た 佛 書 は、
必 す 多 歟 に 上 つ た で あ ら う が、
今 知 り 得 ろ も の は 血 《 經 面 翼 抄一
部 目 録 八 十 八 卷 愚 順 鼻{
等 天 監 七 年 +一
月、
.
但 し 歴 代 三 費 記 に は 天 監 七 年 十一
月 よ り 始 め 八 年 四 月 に 了 る と あ る 。衆 經 目 録 四 卷 經 律 異 相
瀦
録 名 僭傳
拝 序 目三 +
冖
卷 衆 維 飯 供 聖 信 法 五 卷 衆 經 護 國 高 紳 名 録 三 卷 以 上 天 監 + 五 年 衆 經 諸 佛 名 三 卷 天 監 + 六 年 衆 經 懺 悔 減 罪 方 (一
本 作 法)
三 巻 年 代 不 明 出 要 穣 儀二 + 卷 年 代 不 明 。 但 し 此 の 書 は
、
歴 代 三 賓 記 に は 載 せ て 居 な い 。 華 林 佛 殿 衆 經 目 録 四 巻 天 監 + 四 年 般 若 抄 + 二 卷 天 監 + 六 年 梁 武 難 記 賓 唱 等 同 同 同 同 同 同 同 働 紹馨
(舞
)一
三 九智 山 學 報
{
四 〇 差 脳 林 八 十 卷’
知 藏 等 骨 八 人 大 通 年 聞 法 集 百 四 + 卷賓
唱 年 代 不 明 續 法輸
論
七 + 蜍 眷 同 年 代 不 明 大 般 湟 槃 經 講 疏 百一
卷 不 明 年 代 不 明 大 築經
講 疏 + 六 卷 同 年 代 不 明 績 高 信 簿 の 賓 唱 の 博 を 見 る と.
慧 令・
賓 唱 に 令 し て 綛 撰 集 媒 し て 百 卷 近 い も の を 作 ら し た こ と が 見 え て ゐ る が、
書 名 は な い 9 以 上 は 、 開 元釋
經 録 、 古 今 譯 經 圓 記、
大 唐 内 典 録 、 佛 組 統 記.
歴代
三賓
記 、 高 信傳、
績
高 借慱、
廣 弘 明 集 、 出 三 藏集
記 等 を 基 と し て 集 め て 見 た の で あ る が 、 徇 見 落 し が あ る か も 知 れ な い 。 彼 自 ら 著 し た も の も相
當
澤 山 あ つ た で あ ら う こ と が 想 像 出 來 る 。 そ れ は 佛 教 關 係 以 外 の 著 述 を、
梁 書 、 南 史、
隋 書 經 籍 志 、 舊 唐 書 、 藝 文 志.
唐 書 藝 交 志、
全 上 古 三 代 秦漢
三 國 六 朝 文、
玉 函 山 房 輯 佚 書 等 に よ っ て 調 べ て み る と、
合 計 五 十 種 、 凡 そ一
千 有 餘 卷 あ る 。 こ の 數 か ら 推 す と、
佛 教 關 係 の 著 書 も亦 多 數 あ る べ き 筈 で あ る
.
、
然
る に 小 生 の 知 り 得 た と こ ろ は 、 僅 に 摩 訶般
若 波 羅 蜜 子 注 經 五 十 卷(
或冖
百 本 ) だ け で 、 佛 租 統 記 に は 帝 親 製昌
涅 槃・
大 品・
淨 名・
三 慧 諸 教 義 記層
と あ る が 、 他 の 書 に は 載 せ て ゐ な い。
著 書 と は 言 へ な い が、
佛 敏 に 關 す る 文 章 詩 賦 は固
よ り 澤 山 あ る 。 圭 な る も の を 器 ぐ れ ば 淨血
粟 賦 # 序 。 與並
周 捨一
込 醐γ
斷 7 肉 勅 五 首 。 立 祕 明 成 佛 義 記、
一
淀 解 大 品 縄 序 賓亮
法 師 涅 槃 義 疏序
捨 道 歸 佛 交麼 訶
般
若 懺 交 金 剛 般 辞 懺 文 斷二
酒 肉一
交 四 首 勅 答葺
臣 下憩
滅論
一
な ど で あ る。
こ れ は 餘 事 で あ る が 、 支 那 歴 代 帝 王 の 中 で .武
帝
く ら ひ 著 述 の 多 い 者 は な い で あ ら う。
前 に も 述 べ た 樣 に 五 十 種一
千 卷 に 及 ん で ゐ る 。 し か も共
の 多 面 に 亙 つ て ゐ る こ と は 驚 く べ き で あ る。
彼 の 迹 三 教 梁 武 雜 記一
円一
智 山 學 報
一
四 二 詩 に も 少 時 學ユ
周 孔『
弱 冠 窮帥
工 ハ 經叩
( 中 略)
中 復 觀“
道 書噌
( 中 略)
晩 年 開「
凵
釋 卷司
獪ユ
月 映月
衆 星司
云 々 と 、 自 ら 言 う て ゐ る 通 り、
ま こ と に 儒・
佛・
道 の 三 歉 に 亙 つ て、
其
の 造 詣 の頗
る 深 い も の が あ る , 著 逋 に 關 す る こ と の つ い で に試
に 其 の 大 要 を 記 る し て 見 る と 周 易 に 關 す る も の 爾 書 に 關 す る も の 孝 經 に 關 す る も の 禮 に 關 す る も の 歴 史 に關
す る も の 老 子 に 關 す る も の 園碁
に 關 す る も の_
L−
→
一
“
亠 ノ N_
ハ
_
_
.
−
ノ x 種 種 種 種 種 種 種 毛詩
に 關 す る も の 禮 記 に 關 す る も の 春 秋 に 關 す る も の 看 樂 に 關 す る も の 論 語 に 關 す る も の 兵書
に 關 す る も の 三一
ニー
四 三 種 種 種 種 種 種 と い遊 戯 の 末 技 に ま で 及 ん で ゐ る 。 高 齡 を 保 ち 得 た こ と も 其 の
著
述 を 多 か ら し め た一
つ の 理 由 に あ る か も 知 れ な い が 、非
凡 な 才 能 と 共 の 抜 群 な 好 學 心 と に 曲 る こ と は い ふ ま で も な い 。 六詩
詩 人 と い ふ
角
度 か ら 眺 め て も 、 武 帝 は 當 時 の 支 人 の 聞 に 伍 し て、
決 し て一
流 た る を 下 ら な い 。 宋 齊 以 來 爛 熟 し 來 つ た 江 南 の 交 學 は 、 梁 に 入 つ て 盆 々其
の 絢 爛 朶華
を 加 へ、
其 の 節 調 は 繊 翡 で は あ る が、
一
簡
の 中 昔 韻 誰 く 殊 り 爾 句 の内
輕 重 悉 く 異 る と い ふ 風 に 其 の 諧 調 の 美 を 極 む る に 至 つ た .當
時 の 詩 入 文 士 は一
々 舉 げ る に 遑 は な い が 、 そ の 三 四 を 記 す と、
四 聾 譜 を 作 つ た 沈 約を
始 め と し.
江 淹、
任 肪、
丘 遲、
炭 肩 吾、
何 遜、
鍾 蠑、
劉 脇 な ど ま こ と に多
士 済 々 で あ る 。 然 る に 彼 が 是 等 の 交 士 詩 人 と 比 肩 し 寧 ろ一
頭 地 を 拔 い て ゐ た 觀 の あ る の は 亦 偉 と す る に 足 る も の で あ る 。 彼 の 作 品 と し て徳
は る 詩 賦 は、
賦 に 於 て 淨 業 賦.
孝 思 賦 、 圍 棋 賦、
賦 體 の 四篇
が あ り、
詩 に 在 っ て は、
樂 府 廿 二 篇 五 十 四 首、
古 詩 三 十 二 篇 三 十 七 首 が あ る、
、
勿
論 樂 府 古 詩 と も 、 こ の中
に は 作 者 に つ い て 異論
の あ る も の が 若 干 あ る が 、 そ れ は 今 觸 れ な い こ と に す る。
是 等 の 作 品 を 見 る と、
彼 が 如 何 に 詩 人 と し て の 豊 か な 天 分 を 持 つ て ゐ た か を 窺 ふ こ と が 出 來 る 。 彼 が一
面 に 於 て 怨 苦 清 淨 の 生 活 の 行 者 で あ る と 同 時 に 他 面 に 於 て 戀 愛 情 痴 の 豊 艶 な 詩 歌 を も の す る こ と を 思 ふ と、
聊 か 微 笑 を 禁 じ 難 い も の もあ
る が、
恐 ら く は 、 さ う し た 詩 歌 は 青 壯 年 期 の 作 品 で あ ら う 。 子 夜 歌 の 将レ
愛 如レ
欲 y 進 。 含 レ 羞界
F
肯 前一
の 媚 態 の 如 き、
冬 歌 の 費レ
眼 拂二
長 袖「
含γ
笑 苗箭
上客
一
の痴
態 の 如 き、
遊 女 曲 の 氛魚
蘭
膊 體 芳 滑,
容 色 玉 耀 胸 如レ
月。
の 脂 粉 の 香 の 濃 厚 な る、
河 中 之 水 歌 の 入 生 富 貴 何 所。
恨 不轟
早 嫁ユ
東 家 王一
の 情 炎 に 活 き ん と す る 女 の 祕 奧 を 抉 れ る.
酒 肉閨
房 を 斷 っ て 佛 道 に 精 進 せ る 出 家 な ら ざ る 出 家 と 對 比 し て、
ほ 、 ゑ ま し い 人 間一
生 の 姿 を 思 は ざ る を 梁 武 雜 記一
四 三智 山 畢 報
一
四 四 得 な い 。 然 し 右 に擧
げ た も の は、
皆 樂 府 で あ つ て 、 漢 以 後 樂 府 の 圭 題 と す る と こ ろ は 概 ね 定 型 的 で あ り 、 男 女 の情
を 歌 っ た も の が 多 い か ら 、 彼 の 作 晶 も 亦共
の 跡 を 辿 る も の で 、 特 に 彼 が 情 痴 の 世 界 を 好 ん で 題 材 と し た も の で 無 い こ と は 勿 論 で あ る 。 古 詩 の 方 を 見 る と 、 さ す が に 彼 ら し い も の が 多 い 。 逸 民 の巖
々 幽 高 。 湛 々 水 深、
.
事 迹 易γ
見 。 理 相 難 ソ 等 の 如 き一
讀
し て一
種 哲 學 的 瞑 想 を 誘 ふ も の が あ る 。 籍 田 の 詩 の 典 重 肅 穆 な る、
古 意 二 首 の 奇 し き 人 生 の 遭 逢、
無 常 流 轉 の 儚 さ を 微 か に 托 し て 歌 ひ 北 る 、 織 婦 の 弱 者 に 對 す る 憐 愍 の 情 の 横 逸 せ る、
い つ れ も皆
一
讃 襟 を 正 さ し む る も の が あ る 。 十 喩 五 首 は 、 其 の 題 目 の、
幻 。 如 炎 。 靈 空 。 乾 閣 婆 。 と い ふ の を 見 て も わ か る 逋 り 佛 教 の 想 念 を 、 豊 か な 詩 情 に 托 し て 詠 じ 忙 も の で あ る.
、
幻 に 著γ
幻 是 幻 者 . 知「
幻非
詈
幻 人一
「 如 炎 」 に 熱 縁 熱 惚 逼 。 潟 愛 潟 心 生 。 「 夢 」 に 大 畳 和冊
大 夢→
な ど 、 あ る を 見 れ ば、
こ の 詩 の内
容 を 想察
す る こ と が 出 來 る で あ ら う 。 彼 の 詩 賦 を 詳 細 に論
す れ ば 優 に一
篇 の 稿 を 威 す ほ ど の 材 料 が あ り 、 ま た 六 朝 の 交 學 を論
す る に は 必 す 逸 し て は な ら な い の で あ る が、
今 當 面 の 問 題 は 、 彼 が詩
人 文 士 と し て だ け で も一
家 を 爲 す に 足 る 人 物 で あ つ た こ と を 語 れ ば 足 る の で あ る。
明 の 胡 應 麟 は、
其
の 詩 藪 に 於 て曹
氏 父 子 而 下、
六代
人 圭.
世 有轟
文 辭「
者.
簗 武 ・ 昭 明・
簡
文.
差 足 γ 繼レ
軌 。 七 言 歌 行 、 梁 武 尤 勝。
河
中
之 水.
束 飛 伯 勞.
皆 寓p
「
古 調 于 繊 詞”
晋 後 無凸
能 及 者一
云 々 と 言 ひ 、 張 蔭 嘉 の 「 論 古 詩 四 + 首 」 の 中 に は 、 梁 武 の 詩 を 評 し て 詩 人 梁代
産 寧 希 。 琢 句 爭γ
工 古 意 微。
武帝
清 才 具 首 出。
高 歌 幾 嗣 白 雲 飛。
と 言 つ て ゐ る 。 更 に 張 蔭嘉
は 、 武 帝 の 西 洲 曲 、 東 飛 伯 勞 歌 、 河 中 之 水 歌 を賞
讃 し て 以 上 三章、
雖嘉
稍 遜昌
漢 魏 樂 府 之 古 奥「
而 昔 節 鰹 鏘.
風 紳 駘 宕.
在‘
爾時
一
眞 逸 響 也、
( 錨 醗 ) と い っ て ゐ る 。 是 等 の 古 人 の 評 言 に よ つ て、
其
の一
斑 を 窺 ふ こ と が 出 來 る で あ ら う 。 當 時 の詩
人 文 士 の 用 語 の 中 に、
佛 教 語 の 多 い こ と は 誰 も 氣 つ く こ と で あb
、
叉 當 時 の 思 想 界 に 於 て 最 も 高 潮 を 呈 し て ゐ た の が 佛 教 で あ る か ら、
時 代 の 言 葉 に 佛 教 語 の 多 い の は 営 然 で あ る が 、 彼 の 詩 の中
に 用 ひ た 佛 教 語 は、
隨 分 多 い口
、
散 丈 の中
に 於 て は 更 に一
穏 甚 だ し い 。 試 に 彼 の 詩 の 五 六 の 中 か ら 拾 ひ 出 し て . 其 の一
端 を擧
げ て 見 る と 二 北 口 。 三 毒 G 三 界 。一
二 宥 C 三 途 。 四 坐 C 四 岳 。 五 果 。 五 愛 C 五 衆、
亠 ハ 臨踊
G 亠 ハ 趣 C 亠 ハ 道。
七 識 。 七賓
。 七 淨 。 八禪.
、
八 珍 。 八 難 。 十 相 。 十 力 。 火 宅 。 輪 廻 。 煩 惱 。苦
海 。 心 塵、
客 麗。
愛 果 。 法 靈 。 淨 業 。 出 家 。 大 覺 。 懺悔
。 刹 那 。 勝 緑 。梵
住 。 菩 提 。 幅 田 。精
進 。 な ど、
他 は 推 し て知
る べ き で あ る 。 こ れ は 餘 事 で あ る が 、 從 來 支 那 文 學 を 論 す る 者 が、
六 朝 以 後 の 丈學
に 於 て、
佛 数 文 學 の 目 を 立 て な 梁 武 難 記一
四 五智
山 學
帳
一
四亠
ハ い の は、
甚
だ 遺 槭 で あ る 、 漢 譯 さ れ た 大 量 の 佛 敏 經 典 や、
佛 教 思 想 を 甚 訓 と し て 作 ら れ た 無 數 の 詩 歌 の 中 に は.
實
に 立 涙 な 文 學 が あ る 。 こ れ を 見 落 し て ゐ る な ら ば、
六
朝 以 後 の 支 那 文 學 を 完 蠢 に 理 解 す る 者 と は 言 へ な い 。 由 來 我 が 國 の 漢 學 者 は、
儒 教 を 圭 と し て、
老莊
に も 及 ぶ 者 少 く、
殊 に 佛 轂 に 關 し て は 知 る 者 至 つ て 少 な い . こ れ は 支 那 交 學 に 闘 す る ば か り で な く、
後 漢 以 後 の 支 那 思 想 を 眞 に 理 解 す る こ と が 不 可 能 で な い か と 思 ふ 、 之 と 同 時 に 支 那 佛 教 を 專 攻 す る 者 も 亦 佛 教 に ば か り 即 し て . 先 秦 以 來 の 支 那 思 想 を 忠實
に 理 解 す る こ と を 怠 つ て ゐ る 人 が 多 い や う に 見 受 け る。
少 く と も 今 後 は 、 爾 方 面 に 通 じ て 各 々 其 の 具相
を 究 明 す る こ と が 必 要 で あ る と 思 ふ 。 徇 彼 の 詩 の 中 に つ い て、
今一
つ 蓮 べ て 見 た い こ と が あ る 、 こ れ 亦實
に 無 用 の 閑 談 に 屬 す る か も 知 れ な い が、
小 生 に と つ て は 別 の意
味 に 於 て 意 義 あ る 問 題 で あ る 。 そ れ は 樂 府 の 歡 聞 歌中
の 二 句 に っ い て 〜 あ る 。歡
聞 歌 は、
彼 の 作 に非
す と す る 者 も あ る が 、 古 詩 紀 に は 明 か に 彼 の 作 と し て 畢 げ て ゐ る か ら 今 假 に 之 に 從 つ て 置 く。
こ の 詩 の 末 句 に 持 底 報昌
郎 恩一。
倶 期 γ 遊二
梵 天 司 の 二 句 が あ る 。 不 用 意 に看
過 す れ ば 、 何 で も な い こ と の や う で あ る が 、 決 し て さ う で は な い と 恁 ふ、
作 者 は 固 よ り 深 い關
心 の 下 に 作 つ 北 も の で は あ る ま い 。 然 し こ の 倶 期 遊 梵 天 と い ふ 觀 念 が 問 題 に な る の で あ る 。 後 漢 に 蕉 仲 卿 夫 妻 の 夫 婦 心 申 を 歌 つ た一
大 長 篇 の 詩 が あ る.
、
之 は 姑 に 虐 め 出 さ れ た 若 い 嫁と
、
其
の 嫁 と 離 れ 難 い 心 の 夫 と が、
周 園 の 逼 迫 し た 事情
の た め に 、 嫁 は 池 へ身
を 投 げ.
夫 は 庭 樹 に 縊 り て 、 場 所 はち
が つ て も、
ほ ∫ 時 を 同 じ く し て 死 ん だ と い ふ の が其
の 筋 で あ る 。 し か し其
の 問 、 死 後 の 世界
に 關 す る こ と は 少 し も 歌 は れ て ゐ な い 。 後 漢 か ら す つ と 遡 つ て 左 傳 を 見 る と 隱 公 元年
に、
鄭 の 莊 公 が、
弟 の 叛逆
の こ と か ら其
の 母 武 姜 に 怒 つ て、
母 を遠
ざ け.
黄 泉 に 至 ら す ん ば 相 見 え す と 誓 つ た と い ふ 記 事 が あ る 。 こ の 記 事 は、
黄
泉 即 ち 死 後相
見 ゆ る と い ふ 風 に も解
さ れ る 。 叉 呉 越 の 爭 ひ の 際 、 昊 王 の 夫 差 が 死 後 子 胥 に 合 は す る 顏 が 無 い と 言 つ て 幎 帽 を被
つ て 死 ん だ と い ふ 事 が 史 記 に も 載 つ て ゐ る 。 こ れ 亦 死 後 の 世界
に、
人 間 の 五官
が は た ら く こ と を 豫 想 し て ゐ る 。 か う い ふ 風 に 死 後 の 人 間 に 就 い て の こ と は、
こ の他
色 々 な 材 料 も あ る が 、・
男女
の 問 題 に 關 し て、
歡 聞 詩 以 前 の も の に 、 死 後 の 世 界 に 係 け た も の は、
小 生 の寡
見、
ま だ 見 出 す こ と を 得 な い 。 こ の 句 を 見 る と、
現 世 に 於 て 受 け た 郎 貔 の 恩 寵 を . 更 に 死 後 の 生 活 に 持 績 し た い と い ふ 念 願 が ほ の 見 え て ゐ る 。 こ の 思 念 が、
や が て 唐 以 後 に 現 は れ て 來 る . 現 未 二 世 に 亙 つ て情
痴 の 世 界 を 展 開 す る 第一
歩 で あ る と 考 へ る こ と が 出 來 る 。 來 世 思 想 と其
の 展 開 を 討 ね る こ と は 人 間 學 的 に 見 た 宗 教 に と つ て は 忽 せ に な ら ぬ 問 題 で あ る。
我 國 に 於 け る 心 中 の 多 き 、 こ と に 昨 今 ロ と し て 心 中 沙 汰 の な い 腿 と て は 殆 ん ど な い 。 こ の 時 に 當 っ て . 千 五 面年
に 近 い 過 去 の 偉 大 な、
し か も 佛 教 の 篤 信 者 で あ つ た 帝 王 の一
詩 句 の 中 に、
こ の 種 の も の を 見 出 す こ と は 、 何 も の を か 示唆
す る と こ ろ は 無 い で あ ら う か 。 梁 武 難 記尸
四 七智 山 學 報 七