密 教 文 化
Vimalamitra造
「聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 」
に見 られ る 「
大 日経 」
大八木 隆 祥
は じ め に 最 もポ ピュ ラ ー な大 乗 経 典 で あ る 『般 若 心 経 』(以 下、 『心 経 」)は、 伝 播 した殆 ど の地 域 で 註 釈 書 が 著 され、 そ の数 は膨 大 で あ る。 しか し、 『心 経 」 発 祥 の地 で あ る イ ン ドにお いて 著 され た註 釈 書1)と な る と、 現 在 披 見 し得 る もの は限 られ て くる。 漢 訳 と して 卍 続 蔵 経 に提 婆 に よ る註 と伝 え られ る も の が 収 録 さ れ て お り、2)チベ ッ ト大 蔵 経 に は以 下 の-本3)が 収 録 さ れ て い る。 1)た だ し、下 に挙 げ た チベ ッ ト大 蔵 経 所 収 の 註 釈 書類 の す べ て が 地 理 上 の イ ン ド に お いて 述 作 され た わ けで は な い。 イ ン ド人 学 僧 によ って 著 され た とい うべ きか。 しか し、 ど こで 書 か れ た に せ よ、 彼 らの 教 学 が イ ン ドの地 の 僧 院 で な され た と言 う意 味 もこ め、 あえ て イ ン ド撰 述 と位 置 付 けた。 2)「 註 般 若 波 羅 蜜 心 経」(卍 続 蔵 経 新 纂 第26巻、-20a∼-23a)で、 タ イ トル の 次 に 「中 天 竺 國 沙 門 釈 提 婆 註 並序」 とあ る。 これ が あ の 中 観 派 のArya-devaだ と した ら4c半 と い う 「心 経 」の 成 立 年 代(cf. 渡 辺 章悟 「般 若 心 経 成 立 史 論 」、「仏 教 学 」31/1991)と の 関 係 上 矛 盾 が 生 じる。 また 脚 注 に も 「中 等 十 二 字 恐 後 人 所 加 」 と い う(-20a脚 注)。 この こ とか ら同 書 は中 国 で成 立 した もの と も考 え られ るが、 一 方 で、 提 婆 の 作 で はな くと も イ ン ド人 の 手 に よ る もの、 との 見 解 もあ る (cf. 金 岡 秀 友 「般 若 心 経」 講 談 社 文 庫/1973、 p.171)。 筆 者 は 同 書 に対 す る 考 察 を まだ 十 分 に行 って い な い の で、 今 は一 応 イ ン ド撰 述 の註 釈 書 と して 挙 げ て お く こ と にす る。 3)た だ し、デ ル ゲ版 に は 【カマ ラ シ ー ラ註 】 が 収 録 さ れ て い な い ので6本 で あ る。 な お、 これ ら-本 の 註 釈書 各 々 に対 す る先 行研 究 に つ い て は、 拙 稿 を 参 照 さ れ た い。 cf. 【大 八 木2001】 「Vimalamitra造praj漁paramita-hrdaya-tika和 訳 研 究(1)」、 「豊 山教 学 大会 紀 要」29 ち なみ に ス タ イ ンに よ る敦 煙 出 土 の チ ベ ッ ト語 文 献 の 中 の)No.122-126が 「心 経 』 の 註 釈 書 で、 この 内 のNα122,124,125が プ ラ シ ャー ス トラセ-ナ 註 に、Nα123, 126が ジ ュニ ャ ーナ ミ トラ註 に そ れ ぞ れ 比定 され て い る。 cf東 洋 文 庫 チ ベ ッ ト研 究委 員 会 編 『ス タイ ン蒐集 チ ベ ッ ト語 文 献 解 題 目録 』 voll 2、 東 洋 文 庫(1978)、 pp.47-511. 【ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ 註 】Vimalamitra: tikes
北 京 版: Nα521-、vo1.94,デ ル ゲ 版: No. 3818、197秩4) 2. 【ジ ュ ニ ャ ー ナ ミ ト ラ 註 】Jnanamitra:
ya-vニ ソakhya
北 京 版: No. 5218、 vol.94,デ ル ゲ 版: No. 3819、197秩 3. 【 ヴ ァ ジ ュ ラ パ ー 二 註 】Vajrapani:
hrday a-tikes a rthap radip a-na mes
北 京 版: No.5219、 vol.94,デ ル ゲ 版: No. 3820、197秩
4. 【フ。ラ シ ャ ー ス ト ラ セ ー ナ 註 】Prasastrasena: Aryapr. ta-hrday a-tikes 北 京 版: Na5220、vol. 94,デ ル ゲ版: No.3821、197鉄 5. 【カ マ ラ シ ー ラ 註 】Kamalasila: tika 北 京 版: No. 5221、 vol. 94,デ ル ゲ 版: 欠 6. 【ア テ ィ ー シ ャ 註 】Dipamkarasrijnana: 〔1)rajna-hrdaya-vyakhya〕 北 京 版: No. 5222、 vol.94,デ ル ゲ 版: No. 3823、197鉄
7.【 シ ュ リ ー ・マ ハ ー ジ ャ ナ 註 】iSri Mahajana: hrdayarthapari/nana
北 京 版: No. 5223、 vol.94,デ ル ゲ 版: No.3822、197鉄
*1∼-に っ い て の 総 合 的 研 究 と し て はD. S. Lopez, Jr氏 の2っ の 著 4) デ ル ゲ版 に は、 高 野 山 大 学 所 蔵 デ ル ゲ版 か ら これ ら註 釈 書 の み を 謄 写 版 と して 出版 した、 榛 葉 元 水 「西蔵 文 般 若 心 経 註 釈 全 集 」 相 模 書 房(1938) が あ る。 同書 は現 在 入 手 困 難 で あ るが、 同 じ高 野 山大 学 所 蔵 デ ル ゲ版 のCD-RO Mや、 台北 版 で手 軽 に見 る こ とが 可 能 で あ る。 『デ ル ゲ版 西 蔵 大 蔵 経 cD-RoM』 小 林 写 真 工 業(1999)、 論 疏 部Disk M3 『台 北 版 西 蔵 大 蔵 経 』vol. 34、 Na3823-Na3828 ﹃ im a Na s i母 9 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
密 教 文 化 作 が あ る。5) 本 稿 は、 こ の 内 の 【ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ註 】 を と り あ げ、 そ こ に 見 られ る 引 用 文 献 を 考 察 す る も の で あ る。 ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ 註 に つ い て 著 者 のVimalamitra6)は、 生 没 年 は 不 詳 で あ る が、8世 紀 中 頃 か ら9 世 紀 初 頭 の 人 物 で あ り、 イ ン ド喩 伽 部 密 教 三 大 学 匠 の1人 と さ れ る Buddhaguhyaの 弟 子7)と い わ れ、 Khri srong lde brtsan王 に よ っ て チ ベ ッ
トに 招 聰 さ れ、 王 の 死(A. D. -9-)の 前 後 頃 に 入 蔵 した。
5) [Lopez1988]D.S.Lopez, Jr., The Heart Sutra Explained
Indian and Tibetan Commentaries, State University of New York Press
【Lopez1996】D.S.lopez,Jr., Elaborations on Emx)tiness Uses of The Heart Sutra, State University Press
6) ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ の 伝 記 に っ い て は 以 下 の 資 料 ・先 行 研 究 に よ っ た。 【青 冊(英)】George N. Roerich;THE BLUE ANNALS, Partll1949, Part2. 1953 平 松 敏 雄 「西 蔵 仏 教 宗 義 研 究 第3巻 ニ ン マ 派 の 章 』 東 洋 文 庫(1982) 【Lopez1988】pp. 8-9 (Lopezl996]pp. 8-9 三 枝 充 恵 編 『イ ン ド仏 教 人 名 辞 典 』 法 蔵 館(1987) 頼 富 本 宏 「チ ベ ッ トの 密 教 」、岩 波 講 座 東 洋 思 想 第11巻 噛「チ ベ ッ ト仏 教 』 岩 波 書 店(1989) ち な み に 「テ フ. テ ル グ ン ポ 』 で はVimalamitra 2人 説 を 採 り、 本 書 を 「先 の Vimalamitra」 の 著 作 と して い る(cf.【 青 冊(英)】Part 1, p.192)。 た だ し、
こ のVimalamitra 2人 説 はFlemming Faberに よ っ て 否 定 さ れ て い る(cf.Fl emming Faber;Vimalamitra-One or Two?;Studies in Central and East Asian Religions 2/1989, pp. 19-20。 た だ し、 本 稿 執 筆 時 点 で 発 表 者 は 同 論 文 未 見 で あ り、 【:Lopez1996】p.9,脚 注-に よ っ た)。
7) 三 枝 充 恵、 前 掲 書 の ブ ッ ダ グ フ ヤ の 項 に よ れ ば、 ブ ッ ダ グ フ ヤ を ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ の 弟 子 と す る 説 も あ る と い う。p220
と こ ろ が、 サ ム イ ェ の 宗 論 に お い て 漸 門 派 のKamalasilaが 頓 門 派 の 摩 詞 術 和 尚 を 下 し て か ら、 チ ベ ッ トで は イ ン ド中 観 漸 門 派 が 正 義 と な り、 頓 門 派 に 思 想 傾 向 が 近 いVimalamitra8)は 異 端 視 さ れ、 最 後 は 中 国 へ 向 か っ た と 言 わ れ る。 こ の 間、 在 蔵13年 で あ る。 時 代 が 下 る と、Vimalamitraは チ ベ ッ ト仏 教 ニ ン マ 派 の 祖 の 一人 に 数 え られ、 ニ ン マ 派 の 主 要 教 義 ゾ ク チ ェ ン(rdzogs chen/大 究 寛)、 特 に ニ ン テ ィ ク(snying thig/心 滴)の 伝 承 に お い て 重 要 な 位 置 を し め て い る。 ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ註9)はcolophonlo)か ら チ ベ ッ ト に お い て 著 さ れ た も の と考 え ら れ、11)Vimalamitraの 在 蔵 中、 す な わ ちA.D.797頃-810頃 に 成 立 し た と 考 え られ る。 ラ ン ダ ル マ 王 の 破 仏 以 前 の チ ベ ッ トに お け る 仏 典 翻 訳 状 況 を よ くっ た え、 成 立 年 代 が 本 書 成 立 と 極 め て 近 い 『デ ン カ ル マ 目 録 」12)に本 書 の タ イ ト ル 8) ヴ ィ マ ラ ミ トラ に は 頓 門 派 の 立 場 か ら漸 門 派 の 修 習 説 を 総 合 し た と さ れ る著 作、 「頓 入 無 分 別 修 習 義(Sahrtpravesika-nirvihal、pa-bhaUana-pada)」(大 谷No.53 06、 東 北No.3910)が あ る。 9) 先 行 研 究 と し て は、 【Lopez1988】、 【Lopezl996】 が あ り、 ま た、 望 月 海 慧 「「般 若 灯 論 」第14章 試 訳 」、「棲 神 」63(1991) が あ る。 こ の 論 文 は 『般 若 灯 論 』 の 和 訳 研 究 で あ る が、 「付 論2」 と し て ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ 註 に っ い て の 論 文 が 付 さ れ て い る。 越 智 淳 na」、 『伊 原 照 蓮 博 士 古 稀 記 念 論 文 集 』 伊 原 照 蓮 博 士 古 稀 記 念 会(1991) で は、 ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ 註 の 「心 」 と 「真 言 」 に 関 す る 記 述 に っ い て 言 及 さ れ て お り、 他 の 注 釈 書 の 説 も紹 介 さ れ て い る。
10) colophonに、 「Tshangs pa'i'byung gnas寺 に 住 す る 諸 比 丘 衆 の維 那 の 為 に、 Prajnaparamita-hrdayaの 註 釈 を ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ が 施 し た も の で あ る 」 と あ
る。
【ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ 註 】 北 京 版302a,1. -、 デ ル ゲ 版280b(台 北 版560),1. 5 11) [Lopez1988]p. 9,11. 32-39
12) 芳 村 修 基 氏 ・山 口 瑞 鳳 氏 等 のA. D. 824年 成 立 説 に よ る。
cf. (Yoshimura1950]SITYUKI YOSHIMURA:THE DENKAR-MA, RYUKOKU UNIVERSITY, pp. 9-v14 山 口 瑞 鳳 「「デ ン カ ル マ 」八 二 四 年 成 立 説 」、「成 田 山 仏 教 研 究 所 紀 要 』9(1985) v is a N a s it r a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
密 教 文 化 炉 見 られ る13)こ と か ら、 本 書 は 伝 承 ど お りVimalamitraの 真 撰 と 見 て よ いだ ろ う。 本 書 は北 京 版 西 蔵 大 蔵 経 で 全35面 と い う規 模 で、 チ ベ ッ ト大 蔵 経 所 収 の 註 釈-本 中 最 も大 部 な もの で あ る。 また、 本 文 中 の 引 用 文 献 の 数 は15を 数 え、 引 用 個所 は30以 上 に及 ぶ。 この 引 用 文 の 多 さ も他 書 に見 られ な い 大 き な特 徴 で あ る。 い ま、 引 用文 の 出典 を一 覧 と して 挙 げ れ ば以 下 の通 りで あ る。 1、 般 若 系 i) 般 若 経 典 『八 千 頗 般 若 経 」III 『二 万 五 千 頗 般 若 経 」 ×2 『仏 母 宝 徳 蔵 般 若 波 羅 蜜 経 」1-18 五)弥 勒 『現 観 荘 厳 論 」IV-6・7、 Iv-52、 V-38・39 2、 中 観 系 i) 龍 樹 『宝 行 王 正 論 」55・60 ii) 龍 樹 『六 十 頒 如 理 論 」1・12・19 3、 唯 識 系 『解 深 密 経 」VIII 4、 密 教 系 『大 日経 』 「住 心 品 」 「秘 密 曼 茶 羅 品 」 「説 如 来 品 」 5、 そ の 他 (1)経典 『月 灯 三 昧 経 」XV-2、IX-4-、XII-4、XXXI-15 『聖 方 広 大 荘 厳 経 』 『大 方 広 総 持 宝 光 明 経 』 13)北 京 版 西 蔵 大 蔵 経36-a,1.4。 [Yoshimura1950]P.50(No.529)
-86-『入 諸 仏 境 界 智 光 明 荘 厳 経 』 『無 尽 意 経 」 『十 地 経 」 ×2 『大 宝 積 経」 密 金 剛 力 士 会 (2)論書 法 称 『Pramanoaarttka」 こ の 他、 引 用 で は な い が、 外 境 の 認 識 に つ い て、 ミー マ ー ンサ ー 学 派 や、 説 一 切 有 部、 経 量 部 の 認 識 論 が 比 較 さ れ る 部 分 も あ り、 著 者Vimalami-traの 外 ・顕・ 密 に わ た る広 い 教 養、 深 い 学 識 が 伺 え る。 「大 日 経 」 か ら の 引 用 文 に つ い て 本 書 に は、 「大 日経 」 の 三 っ の チ ャ プ タ ー よ り4っ の 引 用 文 が 見 ら れ、 本 書 中 の 引 用 文 献 の 中 で は 「月 灯 三 昧 経 」 と と も に 最 多 の 引 用 回 数 と な っ て い る。 ま たVimalamitraは 前 述 し た よ う にBuddhaguhyaの 弟 子 と さ れ、 こ のBuddhaguhyaが 「大 日経 広 釈 」 「大 日 経 略 釈 」 の 著 者 で あ り、 Vimala-mitra自 身 有 力 な 密 教 者 で あ る こ と を あ わ せ て 考 え る と、 Vimalamitra に と っ て の 『大 日経 」 と い う意 味 が 重 要 に な っ て く る。 そ こ で、 こ こ で は 『犬 日経 』14)から の4っ の 引 用 文 を 考 察 す る こ と に す 14)「 大 日経 』 の テ キ ス トと して、 漢 訳 は 【MvA(chi.)】 大 正 蔵18, Na.848を、 チ ベ ッ ト訳 は 【MVA(Tib.)】P.vol.5, Na.126/D.tha候 , Na.494(Tai. Na.492, vo 1.17)を 用 い た。
ま た、 校 訂 本 と して 【服 部ec.】 服 部 融 泰 校 合 『蔵 文 大 日経 」 西 蔵 訳 経 典 出 版 所(1931)、 【越 智ed.】 越 智 淳 仁 「新校 訂 チ ベ ッ ト文 「大 日経 」」、「高 野 山 大 学 論 叢 』2-(1992)、 そ して、 【宮 坂ed.】 宮 坂 宥 勝 「蔵 文 大 日 経 覚 密 釈 第 一 章 」、 『イ ン ド古 典 研 究 』VI,成 田山 新 勝 寺(1995)を 参 照 した。
「大 日経 広 釈 』 は北 京版 のvrttiを 用 い た。 【広 釈(v)】P.vol. 77, Na3490。 た だ し、「広 釈 』 の住 心 品 の 部分 に っ い て は 【宮 坂ed.】 も適 宜 参 照 した。 v is a h9 s it r a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
-85-密 教 文 化 る。 (1)「説 如 来 品」 か らの 引 用文(1) 【ヴ ィマ ラ ミ トラ註 】 で は、 『心 経 』 の 「聖 観 自在 菩 薩 摩 詞 薩 」 を 釈 す 段 にお い て 「菩 薩 」 を解 釈 す る中、 「菩 提 」 を定 義 す る た め に、 次 の よ う に 「説 如 来 品15)」か ら一 文 が 引 か れ る。
de skad du rnam par snang mdzad mngon par rdzogs par byang chub pa las kyan/ byang chub nam mkha'i mtshan nyid de"// rtog pa thams cad spangs pa yin") zhes gsungs so/P"
訳)同 様 に、vazrOCaa-abkisambodkご に も 「菩 提 は 虚 空 の(よ う な) 特 性 で あ り、 あ ら ゆ る 分 別 を 離 れ た も の で あ る 」 と、 説 か れ た の で あ
る。
こ の 文 を 『大 日 経 』 本 文 で 見 て み る と、 次 の 通 りで あ る。
【MVA(Tib.)】
byang chub nam mkha'i mtshan nyid de/ kun to rtog pa thams cad spangs/19)
訳)菩 提 は虚 空 の(よ うな)特 性 で あ り、 あ らゆ る分 別 を離 れ て い る。 【MVA(Chi.)】
菩 提 虚 空 相 離 ・一切 分 別20)
15) Chi. chap. 26/Tib. chap. 28 16) D. nyid pa
17) D. adds chig shad.
18) P. 288b, 11.7-8/D. 269b, 1.7 (Tai. 538)
以 下、 【ヴ ィ マ ラ ミ ト ラ 註 】 の 文 は 北 京 版 を 底 本 と し、 デ ル ゲ 版 に て 対 校 す る。 19) P.191b, 1.6/D. 226b, 1.7-22a, 1.1(Tai.454-456)
【服 部ed.】p.409, 1.10-p.410, 1.1 20) 大 正18, 42c, 1.16
『大 日経 」 本 文 で も、 この個 所 は 「菩 薩 」 の語 義 を解 釈 す る段 で あ り、 菩 提 を 釈 した この 後 に 「誰 で あ れ それ を証 悟 す る こ と を望 む もの彼 は、 菩 薩 と名 づ け られ るべ きで あ る」 と続 く。 こ こで は 「菩 提 」 と 「虚 空 」 を 同 質 の もの と して 結 びっ け る こ とが 説 か れ るが、 『大 日経 」 第1章 の 「住 心 品 」 で は、 さ ら に 「虚 空 」 と 「心 」 と 「菩 提 」 の そ れ ぞ れ の 自性 を 同質 の もの と して説 い て い る。 【MVA(Tib.)】
de ci' i phyir zhe na/ sems de ni nam mkha' i mtshan nyid de/ de' i phyir rtog pa dang/ rnam par rtog pa thams cad dang bral ba' o // de ci' i phyir zhe na/ nam mkha' i rang bzhin gang yin pa de ni sems kyi rang bzhin no// sems kyi rang bzhin gang yin pa de ni byang chub kyi rang bzhin te/ gsang ba pa' i bdag po// de ltar na sems dang/ nam mkha'i dbyings dang/ byang chub 'di ni gnyis su med de gnyis su byar med do// 21'
訳)そ れ は何 故 か とい え ば、 そ の心 は虚 空 の(よ う な)特 性 で あ り、 そ の た め、 あ らゆ る分 別 と妄 分 別 か ら離 れ て い るの で あ る。 そ れ は何 故 か とい え ば、虚 空 の 自性 で あ るそ れ は、心 の 自性 だ か らで あ る。 心 の 自性 で あ るそ れ は菩 提 の 自性 だか らで あ る。す な わ ち、 秘 密 主 よ、 以 上 の よ うに、心 と虚 空 界 と この菩 提 とは2っ で はな いか ら、2っ とす べ きで は な い。 【MVA(Chi.)】 何 以 故。 虚 空 相 心。離 諸 分 別 無 分 別。 所 以 者 何。 性 同 虚 空 即 同 於 心。 性 同 於 心 即 同 菩 提。 如 是 秘 密 主。心 虚 空界 菩 提三 種 無 二。22) 21) P.118a, 11.2-4/D.153b, 11.6-7 (Tai.308)
【服 部ed.】p.11, 1.10-p.12, 1.5、 【越 智ed.】p.10, 11.9-13、 【宮 坂ed.】p.10 0, 11.1-12 22) 大 正18, 1c, 11.16-19 v is a Na s it r a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
-83-密 教 文 化 この部 分 は 『大 日経 』の空 思 想 が最 も端 的 に現 れ て い る部 分 とい え る。 Vimalamitraが この部 分 を用 いず に上 記 の 「説 如 来 品」か らの 引用 文 を 用 い た理 由 と して は、釈 文 と して 同 じ 「菩 薩 」の解 釈 で あ っ た こ と が 挙 げ られ る だ ろ うが、そ れ な らば 何 故 全 文 を 用 い な か った の か とい う疑 問 も残 る。他 の可 能 性 と して は、あ え て 「虚 空」 と 「菩 提 」を ダ イ レ ク トに結 び っ け る簡 潔 な表 現 を と った た あ と も考 え られ る。 (2)「入 真 言 門住 心 品」か らの引 用 文 「得 る こ と も無 く、得 な い こ と もな い」 とい う句 の解 釈 の段 で、『月 灯 三 昧経 』 か らの 引 用文23)と共 に、「入 真 言 門住 心 品24)」か ら次 の 引 用 文 が 挙 げ られ て い る。
rnam par snang mdzad mngon par rdzogs par byang chub pa las kyan/ gsang ba pa' i bdag po de ni25' shin to phra ba' i chos kyang yod pa ma yin zhing dmigs su med de/ des2w na bla na med pa yang dag par rdzogs pa'i byang chub ces bya'o zhes gsungs so// 27'
訳)VdirOCana-abkisanzbodkiに も 「秘 密 主 よ、 そ こで は 極 微 の 法 も存 在 せ ず、不 可 得 で あ り、故 に無 上 正 等 覚 とい うの で あ る」 と、 説 か れ たの で あ る。
『大 日経 』本 文 の該 当個 所 を見 て み れ ば、次 の 通 りで あ る。
23)「 月 灯 三 昧 経 』 第13章、 第4偶
cf.P.L.Vaidya, ed.;SAMADHIRAJASUTRA; Buddhist Sanskrit Tewt No.2, The Mithilainstitute (1961), p.79, 11.19-20
24) Chi. chap.1/Tib. chap.1 25) D.na訳 で はD.を と っ た。 26) D.de訳 で はP.を と っ た。
【MVA(Tib.)】
de yang bla na med pa yang dag par rdzogs pa' i byang chub po // gsang ba pa'i bdag po/ de la ni chos rdul tsam yang med cing mi dmigs so// 28' 訳)そ れ は ま た無 上 正 等 覚 で あ る。秘 密 主 よ、そ こで は 塵 ほ ど の 法 も無 く、不 可 得 で あ る。 (MVA(Chi.)] 秘 密 主 是 阿褥 多 羅 三 貌 三 菩 提。 乃 至 彼 法。 少 分 無 有 可 得。29) こ こ で は、『大 日経 』本 文 が、「如 実 知 自心 」 こそ が 無 上 正 等 覚 で あ る と 定 義 した後 に、そ の無 上 正 等 覚 と い う境 界 にお いて は塵 ほ ど の法 も存 在 せ ず認 識 し得 な い と説 くの に対 し、Vimalamitraの 引 用 文 で は、極 微 の 法 も 存 在 せ ず 認 識 し得 な いか ら、そ の こ と に よ って 無 上 正 等 覚 で あ る と い う文 脈 に な って い る。無 上 正 等 覚 の境 界 に約 して み れ ば 内 容 は大 して 違 わ な い の で あ るが、 テ キ ス トと して両 者 は相 違 す る と言 わ ざ るを 得 な い。 Buddhaguhyaの 註 釈 はvrtti・Bkasyaと も今 見 た 『大 日経 」 本 文 と 同 じ文 脈 で あ るか ら、 も し相 違 す る テ キ ス トだ とす れ ば、我 々 に と っ て 未 知 の テ キ ス トが存 在 した と言 う こ と にな る。 当 該 個 所 にっ い て、『大 疏 』で は 「少 分」 に っ い て一 般 的(ア ビダ ル マ的) 説 明 を な し、「彼 法 」を 無 相 菩 提 心 と定 義 す るに止 め て い る。一 方、 『広 釈 』 で は 「そ の 菩 提 にお いて、(五)緬 と(十 八)界 と(十 二)処 と、所 執 と能 執 の 法 の 自性 は習 気 ほ ど も無 い か ら、そ の菩 提 は能 執 の 自性 と して は無 く、 不 可 得 で あ る、 とい うの は所 縁 の 対 象 が 無 い か ら所 執 の 自性 も無 い の で あ る30)」と釈 し、菩 提 が 無 自性 で あ る こ と を説 い て い る。Buddhaguhyaの 思 28) P.117b, 1.1/D.153a, 11.5-6(Tai.307)
【服 部ed.】p.9, 1.-8、 【越 智ed.】p.9, 11.2-3、 【宮 坂ed.】p.88, 11.3-29) 大 正18, 1c, 11.2-3 30)【 広 釈(v)】P.1-a, 11.6-/【 宮 坂ed.】p.93 v is g a m tr a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
密 教 文 化 想 背 景 に唯 識 思 想 が あ る こと は従 来 指 摘 され る と こ ろで あ るが、 こ こで も 境 識 倶 混 の思 想 が 伺 え る。 Vimalamitra註 にお け る引 用 文 の 前 後 か らは このBuddhaguhyaの 解 釈 の影 響 は見 出 せ な い。 と もか く、内容 的 に は無 上 正 等 覚 の境 界 に お け る無 自性 ・空 性 が 説 か れ て い る もので あ る。 (3)「説 如 来 品 」か らの 引 用 文(2) 『心 経 」の 「三 世 諸 仏 」を釈 す段 の 中、「仏 」 の解 釈 と して 「説 如 来 品31)」 か らの2っ 目の 引用 文 が あ る。
rnam par snang mdzad mngon par rdzogs par byang chub pa las j i skad du//
sa bcu dag ni rang bsgrubs nas/ / dbang gi rnam pa thob pa yin//
stong pa sgyu ma lta bu'i chos/ /gang gis 'dir ni kun mkhyen cing//
sems can kun gyi rnam mkhyen pa/ /sanga rgyas zhes ni brjod pa yin 32)
zhes gsungs so// 33>
訳)vdirocam-abkisambodkiに 「十 地 を 自 ら成 就 して 自 在 の 相 を 得 た も の で あ り 空 に し て 幻 の 如 き(諸)法 こ こ に 一 切 を 知 り 全 て の 有 情 の 種 類 を 知 る 者(こ れ が)仏 と い う も の で あ る」 と 説 か れ た の で あ る。 賜 31) Chi.chap.26/Tib.chap.28 32) D.adds chig shad.
『大 日経 」本 文 の該 当 個 所 を見 て み れ ば、次 の 通 りで あ る。
【MVA(Tib.)】
gang gyis sa bcu bsgrubs nas ni/ /dbang bcu legs rtogs khong du chud/
stong pa sgyu ma 'dra ba'i chos/ /rnam pa thams cad mkhyen cing ' dir/
'jig rten kun gyi tshul mkhyen pa/ /sangs rgyas zhes ni bya ba yin/ 34) 訳)十 地 を成 就 して 十 力 に よ く通 達 し了解 す るのか。 空 で あ り幻 に等 しい法 で あ る と 一 切 の種 類 を知 って、 こ こ に 全 て の 世 間 の趣 を知 る者 が 仏 と呼 ば れ るの で あ る。 (MVA(Chi.)] 成 就 十 地 等 自在 善 通 達 諸 法 空 如 幻 知 此 一 切 同 解 諸 世 間趣 故 名 為正 覚35) 両 者 は 文 脈 上 の 相 違 は 無 い が、 い く っ か 語 句 の 相 違 や 出 入 が 認 め ら れ、 た ん な る 訳 出 上 の 相 違 と は 思 わ れ な い 部 分 も あ る こ と か ら、 テ キ ス ト 間 の 相 違 が あ っ た と も考 え ら れ る。 た と え ば 【MVA(Tib.)】 で は 「dbang bcu(十 力)」 と あ り、 【MVA(Chi.)】 で は 「自 在 」 で あ る が、Vimala-mitra註 の 引 用 文 で は 「dbang(力 ・自 在)」 と あ っ て、 【MVA(Chi.)】 に 近 い。 元 の テ キ ス ト は 「dbang(力 ・自 在)」 で あ っ た 可 能 性 が 高 い と 考 え
ら れ る。
こ こ で も、 あ ら ゆ る存 在 が 幻 の 如 く空 で あ る こ と を 知 る も の が 仏 で あ る、
34)P.191b, 11.6-/D.22-a, 11.1-2(Tai.456), 【服 部ed.】p.410, 11.2-5 35) 大 正18.42c, 11.18-20 v Ns a Za s it r a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
密 教 文 化 と い う 「空 」 と 「仏 」 と を 結 び っ け る 文 が 引 か れ て い る。36) (4)「秘 密 漫 茶 羅 品 」 か ら の 引 用 文 「mantra」 に つ い て の 解 釈 の 段 に 「秘 密 漫 茶 羅 品37)」の 文 が 引 か れ て い る。
rnam par snang mdzad mngon par rdzogs par byang chub pa las ji skad du/
dus gsum dag las shin to 'das/ /rten nas 'byung ba38' srid pa yin//
mthong dang39' ma mthong 'bras bu ste/ /yid dang ngag dang lus la srid//
'bras bu bskal pa gcig gi grangs / /'jig rten rnams kyis yin par bshad//
gsang sngags 'bras bu bskal pa las/ /'das par rdzogs sangs yas kyis bshad//
sangs rgyas drang song"' chen po dang/ /rgyal sras rnams kyi ting nge 'dzin//
mtshan ma rnams spangs dag pa yin/ /'jig rten rnams kyi shan mar bcas//
rnam smin pa 'ang 'dir smin pa/ /las rnams kyi ni 'bras bu
36)た だ し、 『広 釈 』 で は、 菩 薩 もあ らゆ る存 在 が 幻 の如 く空 で あ る こ とを 知 っ て い るが、 不 順 境 の 法 が 障 碍 とな って い るの で 仏 と は いえ な い と し、特 に十 地 を成 就 し、十 力 を得 て 不退 転 に 悟 入 した もの と しな けれ ば 仏 で は な い と す る。 【広 釈 (v)】P.224b, 11.5-7 37) Chi.chap.11/Tib.chap.13 38) D.'byung ba'i
39) D.adds nas instead of dang. 40) D.srong
'thob//
gang gi tshe na grub pa thob/ /de yi chen4l) las rnams bzlog// sems ni rang dngos med phyir dang//'bras bu rgyun42) rnams spangs phyir ro//
las kyi skye ba rnams las thar43)/ /skye ba nam mkha' lta bu Yin 44)
zhes gsungs so// 45)
訳)Vairocana-abkisambodkiに 「三 世 を よ く超 え 因縁 生 起 の存 在 で あ り 見 え る もの と見 え な い もの の果 で あ り 意 と語 と身 か ら生 じた もの で あ る。 果 は一 劫 の量 で あ る と諸 世 間(の 真 言) は説 か れ 真 言 の果 は劫 を、 超 え る と等 覚 者(の 真 言) は説 か れ た。 大 仙 人 で あ る仏 と 諸 々 の 仏 子 の 三 摩 地 は、 諸 相 を離 れ て清 浄 で あ る(が) 諸 世 間 の(三 摩 地)は 相 を 具 す。 こ の異 熟 と して熟 した(な らば) 諸 業 に よ って 果 を 得、 何 時 で も成 就 を得 る そ の 時 に 諸 業 を 退 転 す る。 心 は無 自性 で あ り 諸 の果 と因 を 離 れ た もの で あ る か ら 諸 の業 の生 ず る もの か ら 自由 にな れ ば 生 ず る もの は虚 空 の 如 くで
41) D.adds tshe na instead of chen. 42) D.adds rgyu instead of'rgyun. 43) D.adds kyang instead of thar. 44) D.adds chig shad.
45) P.300a, 11.3-7/D.278b, l.7-279a, l.3 (Tai.556-557)
v is a ha s it r a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
-77-密 教 文 化 あ る」 と説 か れ た の で あ る。 『大 日経 」本 文 の該 当個 所 を見 て み れ ば、次 の通 りで あ る。 【MVA(Tibd)】
dus gsum las ni shin to'das/ /rten" cing 'brel pa las byung ba// mthong dang ma mthong 'bras bu can/ /ngag yid lus las byung ba'o//
'jig rten pa yi'bras bu' i tshad//bskal pa gcig to bshad pa yin//
yang dag rdzogs pa' i sangs rgyas kyi / / gsang sngags'bras bu bskal pa'das//
sangs rgyas drang srong chen po dang/ /rgyal sras rnams kyi tin 'd
zin ni//
mtshan ma med cing dag pa'o/ /'jig rten pa yi mtshan mar
bcas//
rnam par smin pa'di nyid la/ /las kyi'bras bu smin'gyur ba// nan zhig dngos grub thob pa na / /de tshe las kyang ldog par 'gyur//
sems ni ngo bo nyid med phyir/ /rgyu dang'bras bu rnams sp-angs shing//
las dang tshe las rnam grol ba / / nam mkha' lta bur'gyur ba yin/ 46)
訳)三 世 を よ く超 え 因 縁 生 起 した もの で あ り
見 え る もの と見 え な い もの の 果 を 持 ち 語 と意 と身 か ら生 じた もの で あ る。
46) P.173b, L8-174a, 1.4/D. 209a, ll.4-7(Tai.419) 【服 部ed. 】p. 309,1.1-p.310, 1.1
世 間 の果 の量 は 一 劫 と説 か れ 正 等 覚 者 の 真 言 の果 は劫 を超 えて い る。 大 仙 人 で あ る仏 と 諸 々 の仏 子 の三 摩 地 は 相 無 く清 浄 で あ る(が) 世 間 の(三 摩 地)は 相 を伴 う。 この異 熟 自体 に 業 の果 が 成 熟 し 悉 地 を 得 た 時 そ の時 に業 も退 転 す る。 心 は無 自性 だ か ら 諸 々 の因 果 を離 れ 業 や寿 命 か ら自由 に なれ ば 虚 空 の よ うにな るので あ る」 【MVA(Chi.)】 超越於三時 衆縁所生起 可見非見果 従意 語身生 世間之所伝 果数経一劫 大仙正等覚 仏子衆三昧 清浄離於想 有想為世 間 従業而獲果 有成熟熟時 若得成悉地 自在転諸業 心無 自性故 遠離於 因果 解脱於業生 生 等同虚空47) こ こで は真 言 の 果 と三 摩 地 の相 にっ いて 世 間 ・出世 間 の対 比 が 行 わ れ て お り、最 後 の四 句 で 「空 」 と 「菩 提 」 との 関係 が説 か れ て い る。 『広 釈 』 に こ の 四句 を釈 して 次 の よ うに言 う。 悉 地 の最 後 に仏 とな る こ と を説 い たの で あ る。す な わ ち、 成 就 者 は清 浄 な菩 提 心 を修 習 した こ とで 心 の 無 自性 を 悟 って、 法 の因 と果 は不 可 得 で あ る か ら、 因 で あ る業 と果 で あ る寿 命、(す な わ ち)業 と寿 命 か ら も自 由 に な る。そ う して、そ の よ う に業 と寿 命 か ら自 由 に な っ た な らば、虚 空 の よ うに所 執 と能 執 を離 れ、清 浄 の 特 性 と な る、 と い う こ とで あ る。48) この 解釈 に よれ ば、「心 は無 自性 」で あ る と い う こ とを 根 拠 と し、「業 や 47)大 正18,33c,ll. 1-∼26 48)【 広 釈(v)】P.1-3a, 11.4-6 v is a a s Nt r a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
密 教 文 化 寿 命 か ら自 由 に」な って 「虚 空 の よ うに な る」 こ と は、 す な わ ち 「仏 と な る こ と」で あ る。 この 引用 文 は先 の3っ の 引用 文 の よ うに明 確 な 「空 」 と 「菩 提 」 と の結 びっ きが説 か れ て い る わ け で は な い が、上 記 の よ うに、後 半 に は 空 性 の理 解 に よ って 妄 分 別 を離 れ菩 提 を得 る とい う思 想 が 見 て 取 れ、 空 を 基 調 と し た文 を選 択 した意 図 が 伺 え る。真言 の 果 や功 徳 を示 す だ け な らば 前 半 で 十 分 で あ ろ う。 引 用 文 と本 文 の問 に認 め られ る語 順 の前 後 や 語 句 の 出 入 は前 の3っ と同 様 で 大 きな 相 違 は無 い もの の、現 行 本 と異 な る系 統 の テ キ ス トが あ っ た可 能 性 は拭 い きれ な い。 な お、 この 引用 文 に 関 して も、前 後 の 文 脈 等 か らみ て、Buddhaguhyaの 『大 日経 』解 釈 か らの 影 響 は認 め られ な い。 ま と め 以 上、Vimalamitraが 『心 経」 を註 釈 す る際 に 引用 した 『大 日経 』 を 考 察 して きた。 密 教 経 典 で あ る 『大 日経 』を 引 きな が ら も、そ れ らの 密 教 的 色 彩 は き わ め て薄 い。 む しろ大 乗 的 な空 思 想 を全 面 に押 し出 した 形 の 引 用 で あ る が、 般 若 経 典 で あ る 『心 経 」の註 釈 書 と して は当然 な 引用 態 度 とい うべ きか。 上 記 の各 引 用文 の考 察 の段 に お い て、Vimalamitraの 引用 文 と 『大 日経1 本 文 の該 当個 所 との比 較 か ら両 者 の差 異 を認 め、 テ キ ス ト問 の相 違 を も仮 定 した が、 も う1っ の可 能 性 も考 え られ る。 そ れ はVimalamitra個 人 に 起 因 す る もの で あ る。 Vimalamitra註 の成 立 背 景 か ら、同 書 は講 義 録 の よ う な 性 質 を 持 っ た もの と考 え られ る。49)だとす れ ば講 義 の場 に この書 で 引用 さ れ た 数 々 の 文 献 を持 ち込 み、一 々 参 照 しな が ら示 す と言 う こ とな ど を す る は ず も無 く、 49) cf. 拙 稿 【大 八 木2001】p.355
Vimalarnitraが 暗 記 して い た文 を 口頭 で述 べ た と考 え る の が 常 識 的 で あ る。そ の 際 に多 少 の語 句 の相 違 や 出入 が あ っ た と して も別 に不 思 議 で は な い し、実 際 珍 しい こ とで はな い。両 者 の相 違 が、 テ キ ス ト問 の 相 違 な のか、 'それ と もVi malamitra個 人 に起 因 す る もの な の か にっ い て は さ らに 詳 細 な、 そ して慎 重 な研 究 を要 す る。 次 に個 々 の 引 用 文 につ いて ま と め る。 最 初 の 「説 如 来 品 」か らの1っ 目の 引 用 文 に は、「虚 空 の特 性 」 と 「菩 提 」 と が 同質 の もの で あ る こ とが 説 か れ て い た。 2番 目、「住 心 品」か らの引 用 文 で は文 脈 に 『大 日経 」本 文 との差 異 が 認 め られ た。 しか しなが ら、空性 を知 る こ とが 菩 提 ・無 上 正 等 覚 へ と結 び っ く こと を表 し、『心 経 」の 説 く 「空 」 あ る い は 「空 性 」の 重 要 性 を 聴 衆 に 認 識 させ る た め に はVimalamitraが 引用 した 文 脈 の 方 が 有 用 で あ る と言 え る。そ う考 え る と、 これ は テ キ ス トの相 違 で は な く、引 用 者Vimalamitra に よ る意 図 的 な改 変 で あ った可 能 性 も出 て くる。 3番 目、「説 如 来 品 」か らの2っ 目 の 引用 文 の 内 容 も 「空 を 知 る もの が 仏 で あ る」 とい う もの で あ り、 こ こで も大 乗 仏 教 徒 の 目標 と も い うべ き成 仏 と空 との 関 係 が 明 らか に見 て 取 れ る。 最 後 の 「秘 密 漫 茶 羅 品」か らの引 用 は、真 言 につ い て 説 か れ た もの で あ る が、 そ こ に は 「清 浄 」「心 は無 自性 」「虚 空 」 と い っ た 空 思 想 を 表 す タ ー ム が み られ、空 思 想 を基 調 と して い る こ と は明 らか で あ る。前 三 者 ほ ど 明 確 で は な い が、 そ こに は 「空 」 と 「菩 提 」 との 結 びっ きが 見 て 取 れ る。 以 上 の よ うに、空 性 を知 る智 慧、 般 若 波 羅 蜜 に よ って無 上 正 等 覚 を 得 る と説 く 『心 経 」を理 解 す る助 け と して 引 か れ た 『大 日経 』の4つ の文 章 は、 み な、「空 ・虚 空 の性 質 」 と 「菩 提・ 無 上 正 等 覚 」 とを 結 び っ け る内 容 を 持 っ もので あ った。特 に こ れ らは空 性 の理 論 的 証 明 に供 され た もので はな く、 「自 己(心)の 空 性 な る こ と を知 る こ とに よ って 菩 提 を 得 る」 とい う極 め て 実 践 的 な 内 容 で あ った こ とが 印象 深 い。 結 論 と して は、本 書 中 に引 用 され た 『大 日経 」 は、一一々 の語 句 を 『心 経 』 v is a a s N tr a 造 ﹃ 聖 般 若 波 羅 蜜 多 心 広 疏 ﹄ に 見 ら れ る ﹃ 大 日 経 ﹄
密 教 文 化 の テ ー マ で あ る空 思 想 に そ っ て 註 釈 す る 為 に 援 用 さ れ た の で あ っ て、 『大 日経 』 に よ つ て 密 教 的 色 彩 で 彩 り 『心 経 』 を 密 教 化 す る と い う わ け で は な く、 ま た、 例 え ば 空 海 の 『般 若 心 経 秘 鍵 」 に 見 られ る よ う な 『心 経 」 を 独 自 の 密 教 思 想 に 取 り込 む 独 創 的 解 釈 が そ こ に 見 出 さ れ る わ け で は な い。 しか し な が ら、Vimalamitraの 『大 日 経 』 引 用 の 意 図 は 「自 己(心)の 空 性 な る こ と を 知 る こ と に よ っ て 菩 提 を 得 る 」 と い う テ ー マ に よ っ て 貫 か れ て お り、 と も す れ ば 認 識 論 的 な 空 の 考 察 に 終 始 し が ち な こ の 経 の解 釈 を、 『大 日経 」 に よ っ て 実 践 的 に 解 釈 して い る 点 が 特 徴 的 と い え る だ ろ う。 Vimalamitraの 著 作 と い う こ と に な れ ば、 当 然Vimalamitraの イ ン ド 時 代 の 師 で あ り、 『大 日 経 』 の 註 釈 者 で あ るBuddhaguhyaと の 関 連 も 考 え ら れ る が、 上 記 の 考 察 の 通 り、 今 回 検 証 し た 範 囲 で はBuddhaguhyaの 『大 日経 』 解 釈 と の 具 体 的 な 共 通 性 は 見 出 しえ な か っ た。 と こ ろ で、 全 体 的 に 大 乗 的 理 解 に よ っ て 成 立 し て い るVimalamitra註 に お い て、 あ え て 『大 日 経 』 を も ち い た の は、 こ の 経 典 の い く つ か の 記 述 が 『心 経 』 の 理 解 に 適 当 だ っ た か ら と い う 理 由 だ け で あ ろ う か? 具 体 的 影 響 は 見 られ な い と は い え、 そ こ に 『大 日経 」 の 註 釈 者 で あ る 師Buddha-guhyaに 対 す る 敬 意 と、 Vimalamitra自 身 の 密 教 者 と し て の 自覚 と が 現 れ て い る と み る の は 考 え す ぎ だ ろ う か。
<キ ー ワー ド> Vimalamitra、 prajnaparamita-hrdaya、 prajnaparamita-hrdaya-tika、 『般 若 心 経 」、「大 日経 』