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妖怪と人とのインターフェイス ミュトス神話から のアプローチ

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(1)

妖怪と人とのインターフェイス ミュトス神話から のアプローチ

著者 石塚 正英

著者別名 ishizuka masahide

雑誌名 井上円了センタ一年報 

号 24

ページ 3‑21

発行年 2016‑03‑18

URL http://id.nii.ac.jp/1060/00008097/

(2)

はじ めに

︱問 題提 起 鴨長 明は 綴っ た︒

﹁行 く川 のな がれ は絶 えず して

︑し かも 本の 水に あら ず︒ よど みに 浮ぶ うた かた は︑ かつ 消え かつ 結び て久 しく とゞ まる こと なし

﹂︵ 方丈 記︶

︒ 太陽 系は 銀河 系と いう さら に大 きな 領域 のな かに 位置 する

︒さ て︑ 太陽 系は 時速 七万 キロ の速 度で 銀河 系の 中 を移 動し てい る︒ よっ て︑ 地球 は太 陽の 周り を回 って いる だけ でな く︑ 太陽 の動 きに 合わ せて 宇宙 のな かを 移動 して いる のだ

︒つ まり

︑地 球は

︑平 面図 的に は太 陽の 周り を回 るの であ るが

︑側 面図 的に は太 陽の あと を追 いか ける よう にし てそ の周 りを 螺旋 的に 回っ てい るわ けだ

︒太 陽系 が銀 河系 内の 軌道 を一 周す るに は約 二億 二千 五百 万年 かか るの だか ら︑ 鴨長 明の 言う こと は︑ 森羅 万象 に通 じて いる ので あろ う︒ 科学 的な パラ ダイ ムで は︑ 科学 的現 象は 反復 され る︒ 反復 検証 され る︒ しか し︑ 天体 は﹁ 行く 天の 川の なが れ は絶 えず して

︑し かも 本の 場所 にあ らず

﹂で ある

︒天 文学 では 科学 は成 立し なか ろう

︒き のう 地球 がい た場 所に

︿特 別寄 稿﹀

妖 怪 と 人 と の イ ン タ ー フ ェ イ ス

ミュ トス 神話 から のア プロ ーチ

石 塚 正 英

ishizukamasahide

(3)

きょ うの 地球 はい ない

︒き のう 太陽 がい た場 所に

︑き ょう の太 陽は いな い︒ 天は 動い てい るの だ︒ これ を称 して 天動 説と いう ので はな かっ ただ ろう か︒ 人び とは 現在 のと ころ 科学 知の 視座 から 地動 説を 認め つつ も︑ 実際 には 経験 知の 視座 から 天動 説に した がっ て 生活 して いる

︒頭 脳は 地動 説を 承認 する もの の︑ 身体 は天 動説 を心 地よ く受 け入 れる

︒地 動説 すな わち 科学 知か らは とう てい 承認 しが たい もの の︑ 現代 人は

︑日 常生 活で はお のず と天 動説 すな わち 経験 知に 依拠 して 生活 して いる ので ある

︒ その 際︑ 経験 知や 感性 知の 立場 を前 近代 的と 見な して 拒否 する ので なく

︑こ れを 知の 体系 の一 方の 極に 据え

︑ 他方 の極 に科 学知 や理 性知 をお き︑ 双方 を交 互的 な運 動や 相互 的な 往還 とい った 動的 なサ イク ルに 位置 付け しな おし

︑連 合し てい くこ とは 意味 をも つだ ろう

︒そ の先 に見 えて くる 新し い知 を︑ 私は

﹁歴 史知

﹂と 命名 して いる

(

)

地は 動く が︑ 天も 永遠 に動 くの だ︒ その 観念 を認 める 立場 を︑ 私は 歴史 知︵ ヒス トリ オソ フィ ー︶

︑あ るい は百 学 連関

︵エ ンサ イク ロペ ディ ア︶ とし てい る︒ 井上 円了 の思 想圏 は︑ この 百学 連関 の域 にあ ると いえ よう

︒井 上は 妖怪

︵学

︶に つい て深 く追 究し たが

︑そ のテ ーマ は︑ 私の 研究 領分 では フェ ティ シズ ム︵ もの がみ 崇拝

︶と 関係 して くる

︒ 一八 世紀 フラ ンス の思 想家 シャ ルル

・ド

・ブ ロス

︶は

︑当 時の アフ リカ 大陸 やア

CharlesdeBrosses,1709〜77

メリ カ大 陸に 残存 する 原初 的信 仰を

﹁フ ェテ ィシ スム

︵f ét ic hi sm e︶

﹂と 命名 し︑ 次の よう に特 徴づ けた

︒こ れは 本 来の 宗教 以前 のも ので ある

︒例 えば 前者 にお いて は崇 拝者 が自 らの 手で 可視 の神 体す なわ ちフ ェテ ィシ ュを 自然 物の なか から 選び とる が︑ 後者 にお いて は神 は不 可視 のも のと して 聖像 の背 後に 潜む

︒つ まり 前者 では フェ ティ シュ それ 自体 が端 的に 神で ある のに 対し

︑後 者に おい て聖 像は いわ ば神 の代 理か 偶像 かで ある

︒そ の背 後か 天上

(4)

には なに かい っそ う高 級な 神霊 が存 在す る︒ また

︑フ ェテ ィシ ズム にお いて フェ ティ シュ は︑ 信徒 の要 求に 応え られ なけ れば 虐待 され るか 打ち 棄て られ るか する が︑ 本来 の宗 教に おい て神 霊は 信徒 に対 し絶 対者 なの であ る(

)

日本 の伝 統社 会で は︑ フェ ティ シュ は妖 怪の かた ちで も畏 怖の 念を もっ て拝 まれ てき た︒ 妖怪 は︑ 普段 は

神々 の世 界つ まり

﹁神 界﹂ から 見て ヒン ター ラン ドに あた る妖 怪の 世界 つま り﹁ 妖界

﹂に いて

︑と きに 人間 たち と接 点を 持つ 場所

︱︱ 峠道 や池 の端

︑藪 の中 など

︱︱ では

︑い わば

﹁悪 神︑ 敬し て避 ける

﹂の 待遇 を受 ける ので ある

(

)

例え ば︑ 疱瘡 神な どは 嫌わ れる が避 ける こと もで きな い︒ それ と同 じよ うな 位置 に︑ 実際 の生 き物

︱︱

イタ チや キツ ネ︱

︱︑ 架空 の生 き物

︱︱ 河童 や座 敷童

︱︱ がい るの であ る︒ 以下 の本 論で

︑歴 史知 とフ ェテ ィシ ズム をキ ー概 念に して

︑人 と妖 怪と のイ ンタ ーフ ェイ スを 論じ てみ たい

︒ 一

神々 との イン ター フェ イス 前近 代︑ とい うよ りも 先史 古代 の人 類は

︑彼 らを とり まく 外界

=モ ノ世 界に 霊的 な意 味を 付与 して いた

︒﹁ モノ ノケ

﹂と いう 表現 がそ のこ とを よく 示し てい る︒ 民間 信仰 にお いて 主役 を演 じる 神々 の多 くは

︑何 らか のご 利益 的機 能を もっ たモ ノノ ケ神 さま であ る︒ した がっ て︑ 先史 古代 世界 に存 在し た人 と事 物・ 事象 との イン ター フェ イス には

︑た いが い霊 とか 神々 とか が介 在し た︒ そう した 霊や 神々 のな かに は︑ とき に障 害を もつ もの がい る︒ 月刊

﹃人 権と 教育

﹄第 三〇 一号 のコ ラム

﹁み ち のく 通信

耳あ けの 豆﹂

(

)

加藤 民子 はそ の一 例を 記し てい る︒

﹁大 黒様 はな ぜか 耳の 聞こ えな い神 とし て登 場

しま す﹂

︒そ の大 黒様 にこ う唱 えて 願掛 けす るの であ る︒

﹁お 大黒 様︑ お大 黒様

︑耳 をあ けて あげ 申す から

︑今 年 より 来年

︑え え耳 きか せて くだ さい

﹂︒ また

︑だ れも が知 って いる 障害 神に ダル マが いる

︒も と達 磨大 師と いう 修

(5)

行僧 だっ たら しい この 神は

︑信 徒た ちに まえ もっ てい じめ られ る︒ 片目 しか 開け ても らえ ない ので ある

︒そ うし てお いて

︑も し願 い事 をか なえ てく れた なら もう 一つ の目 も開 けて あげ よう

︑と いう 仕儀 であ る︒ 人間 たち の大 願を 成就 させ なけ れば 片目 のま まど ころ か︑ 下手 をす ると どこ ぞに 打捨 てら れる

︒そ れに 対し て︑ まず 願い 事を し︑ もし それ をか なえ てく れな いと わか って から いじ めに あう 神に

︑て るて る坊 主が いる

︒こ のお 方は

︑翌 日の お天 気し だい では 無残 にも くび をぶ った 切ら れる ので ある

︒童 謡唱 歌に こう ある

︒﹁ てる てる 坊主 てる 坊主

︑あ した 天気 にし てお くれ

︒そ れで も曇 って 泣い たな ら︑ そな たの 首を チョ ンと きる ぞ﹂

︒ 人間 の残 酷さ はい まに 始ま った こと でな い︒ 民間 信仰 にお ける 神々 との イン ター フェ イス にお いて

︑人 びと は 昔か ら神 様に も体 罰を 加え

︑と きに 障害 者に して しま うの だっ た︒ また

︑民 間信 仰に おけ る神 様に は︑ 悟り の境 地に 達し てい ると は到 底思 えな いよ うな レベ ルの もの がい る︒ えば りん 坊や 寂し がり や︑ はて は罪 を犯 す神 々ま でい る︒ 古今 東西 の民 間説 話や 神話 には

︑人 間世 界と 同じ よう に様 々な 価値 観や 性向 をも った 神が みが たく さん いる

︒そ れも その はず

︑神 話の 世界 はそ れを 創り 出し た人 びと の社 会を 反映 して いる から であ る︒ 庶衆 はそ うし た人 間味 あふ れる 神々 をし たた かに 利用 して きた

︒よ うす るに

︑自 分た ちに 味方 して くれ れば 崇拝 して やろ う︑ とい うの であ る︒ また

︑神 々の 方も 生き 延び たい から

︑人 間た ちの エゴ につ き従 うの であ る︒ 神と 人間 との その よう なイ ンタ ーフ ェイ スは

︑先 史古 代に 根を もつ 庶民 的民 間信 仰で はじ つに ノー マル であ る︒ けれ ども 文明 期に 確立 した 支配 シス テム とし ての 大宗 教で は︑ その よう な神 をい じめ ると かけ なす とか いう 行為 はけ っし てノ ーマ ルで はあ りえ ない

︒こ ちら では

︑神 は全 知全 能︑ 人間 は罪 深い 存在 なの であ り︑ その 関係 こそ がノ ーマ ルと いわ れる ので ある

︒し かし

︑や はり こち らの 関係 はイ ンタ ーフ ェイ スが 成立 しな い︑ アブ ノー マル な関 係で ある

︒民 間信 仰に おい て愛 され る神

︑い じめ られ る分 だけ 慕わ れる 神︑ 障害 をも つゆ えに 人と 共生 する

(6)

神︑ そう した 庶民 神こ そが

︑外 的事 物・ 現象 と人 間と のイ ンタ ーフ ェイ スに ふさ わし いの であ る︒ もし 天国 が存 在す ると して

︑そ こで は心 身に 個性 あふ れる 人び とが みな 違っ たこ とを やっ て生 活を 楽し んで いる こと だろ う︒ この 地上 では せめ て︑ 大宗 教の 絶対 神か ら民 間信 仰の 等身 大神 へと

︑神 々の ノー マラ イゼ ーシ ョン をす すめ

︑神 と人 の共 生を はか る必 要が ある とい える

︒ 二

妖怪 との イン ター フェ イス 前近 代の 人々 は︑ 神々 ばか りか

︑妖 怪ま でを もイ ンタ ーフ ェイ スの 相手 とし てき た︒ いわ ば︑ 妖怪 と人 のノ ー マラ イゼ ーシ ョン であ る︒ 月刊

﹃人 権と 教育

﹄第 三〇 二号 のコ ラム

﹁虫 めが ね﹂ で串 田孫 一は なつ かし い言 葉を 記し てい る︒

﹁鎌 鼬︵ かま いた ち︶

﹂で ある

(

)

串田 が昔 を回 想し つつ 記し たこ のエ ッセ ーを 読む と︑ 私も 子ど もの 頃に 越後 の田 舎で 見聞

きし た実 話を 思い 出す

︒串 田は

﹃気 象﹄ 第一 四巻 第八

︑九 号︵ 日本 気象 協会

︑一 九七

〇年

︶で 高橋 喜彦

︑田 村竹 男ら とと もに

﹁か まい たち

﹂の 発生 原因 を考 察し

︑そ れは よく 言わ れる よう な体 外の 気象 学的 現象

︵真 空に 肌が 触れ る︶ でな く体 内の 生理 学的 現象

︵急 な筋 肉的

・生 理的 変化

︶だ ろう とい う内 容の こと を述 べて いる

︒ 昔は

︑日 常生 活上 で説 明の つか ない 現象 が起 きる と︑ とき とし てそ れを 妖怪 の仕 業に する こと があ った

︒い わ ば︑ 水木 しげ るの 世界 に住 んで いた ので ある

︒妖 怪の 仕業 とい う決 着の 仕方 は︑ 実は けっ こう 合理 的だ った

︒街 風︵ つむ じか ぜ︶ か疾 風︵ はや て︶ のよ うな もの にの って きて 一気 に人 の肌 を切 り裂 く妖 怪か まい たち

︑こ れに 遭遇 した 者は もう ただ 不運 だと 思え

︑あ きら めが 肝心 だ︒ その 妖怪 は太 刀を もっ て構 えて いる ので

﹁か まい たち

﹂ と言 い︑ ある いは カマ のよ うな 鋭い 爪や 牙を 剥き 出し たイ タチ 姿で 出没 する ので

︑そ のよ うに 呼ん だら しい

︒は っ

(7)

きり した 謂わ れは 分か って いな い︒ とに かく

︑わ けの ワカ ラナ イ事 態に 遭遇 する や人 はさ まざ まな 口実

︑辻 褄あ わせ をや って のけ るの であ る︒ それ でい て︑ だれ も迷 惑を 被る わけ では ない

︒お みご と! 合理 主義 とは 何も 近代 ヨー ロッ パの もの だけ を指 すの では ない

︒﹁ かま いた ち﹂ 伝承 のよ うな 生活 上の 処世 術・ 処世 訓も

︑実 に合 理的 な知 恵の 一つ なの だ︒ 迷信 的空 想を 日常 生活 に合 理的 に適 用し てい るの であ る︒

︹方 法と して の合 理主 義︺ とで もい えよ うか

︒け れど も︑ 科学 技術 至上 主義

︵テ クノ セン トリ ズム

︶の 礼賛 者た ちは

︹認 識と して の合 理主 義︺ を堅 持せ んが ため

︑困 った とき の神 だの み式 の方 法を 排除 する むき があ る︒ なん とも 気の 毒な こと だ︒ 機械 が故 障し た時 に﹁ 南無 八幡

!﹂ とか 心中 で叫 ぶと 動く こと があ る︒ ギリ シア では レゴ メノ ンと いい

︑一 度と 言わ ず試 して みる 価値 はあ る︒ 成功 しな い場 合は 気合 いが 足り ない のだ

︑き っと

︒弥 陀の 名号 を声 に出 して 念仏 を唱 える 親鸞 のよ うに 発声 する なら ば︑ 言葉 は神 的威 力を 発揮 する はず であ る(

)

なに しろ

︑記 紀

万葉 の時 代に は︑ 非情 のも の= 無生 物・ 自然 物は 有情 のも の= 人間

・生 物と ずい ぶん 近し かっ たの であ る︒ 言葉 を交 わし てい たほ どで ある

︒ 私は この とこ ろ︑ 科学 技術 を自 然︵ 生態 系︶ に調 和さ せる 学問 であ るテ コエ コロ ジー

︵t ec ho ec ol og ie

︶に 関心 を もっ てい る︒ その 際︑ 自然

=環 境は 妖怪 とま では 言わ ない が︑ 記紀 万葉 の時 代に なら って 魂= 心を もっ てい ると 考え るの であ る︒ 最新 の環 境倫 理学 的発 想で 表現 する と︑ 自然

=環 境は 生存 権を もっ てい るの だ︒ その よう な︑ 霊と か魂 とか を備 えた 自然 物と 人間 との 相互 愛を 描い た物 語に

﹁ピ ノキ オ﹂ があ る︒ それ は︑ つぎ のよ うな スト ー リー をも つ(

)

ある 日棒 っき れを 見つ けた 老大 工の アン トー ニオ 親方 は︑ これ をテ ーブ ルの 脚に しよ うと 思い

︑手 斧を もっ て 皮を 削ろ うと した

︒そ のと き︑

﹁あ んま りひ どく ぶた ない で﹂ とか

﹁痛 いッ

!︑ ひど いよ

︑ひ どい よ!

﹂﹁ やめ て

(8)

よ!

﹂と かの 声が した

︒ア ント ーニ オは 声を だす その 棒き れを 削る のを やめ て︑ 操り 人形 を作 りた がっ てい る友 人の ジェ ッペ ット じい さん にあ げた

︒子 ども のよ うに 泣い たり 笑っ たり する その 棒き れを 使っ て操 り人 形を 作 り︑ ピノ キオ と名 づけ た︒ その 後ピ ノキ オは 数々 のい たず らを やっ ての ける

︒で もジ ェッ ペッ トは

︑ピ ノキ オが 暖房 用の 火鉢 に両 足を のせ て眠 った ため 火傷 をす ると

︑親 身に なっ てな おし てや った りし た︒ ある とき ピノ キオ は荒 海で サメ に呑 み込 まれ るが

︑そ のサ メは

︑大 荒れ の海 で小 舟に 乗っ てい たジ ェッ ペッ トを も呑 み込 んで いた

︒ ピノ キオ はジ ェッ ペッ トを 背負 って サメ の口 から 脱出 し︑

﹁お とう さん

﹂を 危機 から 救っ た︒ 衰弱 して 病に 伏す ジェ ッペ ット を一 所懸 命介 抱す る﹁ 木の ピノ キオ

﹂を

︑﹁ 仙女

﹂は

﹁本 当の 人間 の子 供﹂ にし てあ げた

︒ ここ に描 かれ たピ ノキ オと ジェ ッペ ット じい さん との 愛の 物語 は︑ たか が棒 きれ

︵些 細な 自然 の断 片︶ にも 魂 があ り︑ 自然 と人 間と は生 かし 生か され る関 係に ある のだ

︑と いう こと を寓 意的 に示 して いる

︒ こう した 寓話 は特 定の 人間 が創 作し たも ので はな い︒ なる ほど 原作 はカ ルロ

・コ ッロ ーデ ィ﹃ ピノ ッキ オの 冒 険﹄

︵一 八八 三年

︶で ある が︑ 往々

︑寓 話の 原作 には それ に先 立つ 原話 群が 存在 する

︒あ るい はそ の後 の再 話や 翻 訳で 脚色 を受 けて いる

︒寓 話と いう もの は︑ それ を語 り継 ぐ人 びと の生 活観 念や 時代 精神 を反 映す るも ので ある

︒ スト ーリ ーは しば しば 現実 離れ し︑ 空想 的に 変化 する

︒そ れが 寓話 であ る︒ 同じ 指摘 は世 界各 地の 神話 にも 妥当 する

︒寓 話や 神話 に登 場す るキ ャス トは

︑天 空で あれ ば真 善美 を代 表し

︑地 上で あれ ば偽 悪醜 その もの とな って 描か れる が︑ 相互 に依 存的 であ ると ころ に寓 話・ 神話 の特 徴が 存す る︒ その 点に つき

︑キ リス ト教 の聖 典を 事例 に考 察し てみ たい

(9)

三 シュ トラ ウス の神 話的 解釈 一九 世紀 前半 ドイ ツの 神話 学者 ダー フィ ト・ シュ トラ ウス

︵D av id Fr ie dr ic hS tr au ß, 18 07 -1 87 4︶ は︑ 大著

﹃イ エ スの 生涯

﹄︵ 一八 三五

~三 六年

︶の なか で︑ 新約 聖書 につ いて

︑従 来は 物語 の核 心を 神そ のも のの 精神 とし てき た が︑ 核心 は民 衆の 精神

︑民 衆の 共同 体の 精神

︑そ の物 語の 舞台 とな って いる 場所 や時 代を 生き た民 衆の 精神 であ る︑ とし た︒ シュ トラ ウス によ ると

︑従 来︑ 神は 無限 とさ れて きた が︑ 神は 自然 およ び人 間精 神と いう 有限 を引 きず って い る︒ 神︵ 無限

︶は 人間

︵有 限︶ を自 己の 外化 とし て定 立し てい る︒ その 二者 のあ いだ には

︑神 から 人間 への コー スで 啓示 が︑ また 人間 から 神へ のコ ース で信 仰が

︑相 互交 渉的 に存 在し てい る︒ その 際︑ 神と 人間 とを 結び つけ る神 人キ リス トは

︑個 人で なく

︑類 であ る︒ シュ トラ ウス は︑

﹃イ エス の生 涯﹄ にお いて

︑ま ずは 聖書 の超 自然 的解 釈法 を次 のよ うに 批判 する

︒こ の立 場は 聖書 に記 され てい る叙 述を その まま 肯定 的に 受け 入れ る︒ 旧約

・新 約に 綴ら れた 奇跡 は︑ すべ てそ のま ま超 自然 的に 生じ た︒ 神の 意志 とし て︑ 文字 通り のあ り様 で生 じた ので ある

︒次 に︑ 聖書 の合 理主 義的 解釈 法を こう 説明 する

︒聖 書に 記さ れて いる 字句 は︑ その まま 書か れた とお りに 解釈 して はな らな い︒ 例え ば︑ モー セの 為し た奇 跡は それ が記 述さ れた 頃の 政治 的支 配者 や僧 侶が 自分 に都 合の よい よう にわ ざと 仕組 んだ 手品

︑ペ テン だと 主張 する ライ マー ルス を聖 書の 自然 主義 的解 釈者 とす れば

︑ア イヒ ホル ンや パウ ルス に代 表さ れる 合理 主義 的解 釈者 は︑ 聖書 を覆 って いる 超自 然的 な装 いは 欺瞞 にあ らず して

︑旧 約も 新約 も︑ そこ に記 され た内 容は 出来 事の 目撃 者に よっ て正 確に 記録 され た証 言だ とい う︒ ただ

︑目 撃者 が未 熟で 幼稚 な段 階の 人類 だっ たた め︑ 例え ばイ エス の湖 上歩 行は 神に 由来 する 疑い えな い事 実と して 記録 され たの であ る︒ けれ ども

︑ア イヒ ホル ンら から みれ ば︑

(10)

イエ スが 実行 した 奇跡 はす べて 合理 的に 説明 がつ くの であ る︒ 以上 の諸 解釈 に対 して

︑シ ュト ラウ スは

︑た とえ ばホ ルス トに 代表 され る神 話的 解釈 を弁 護す る︒ ホル スト に よれ ば︑ キリ スト 教は 人び との 内的 信仰 であ って

︑そ れは 各々 の心 中に 触れ るも ので はあ って も外 的に 表出 する もの では ない

︒と はい えキ リス トに 従う 人び とは

︑そ の信 仰を 外的 に表 出し

︑他 者や 子孫 に伝 達し なけ れば なら ない

︒そ のと き︑ 内的 核心 を外 的事 物・ 現象 によ って 表現 する 契機 が存 在し

︑内 的核 心は

︑民 衆か ら民 衆へ と︑ 外的 事物 をと おし て︑ 口踊 によ って 語り 継が れる こと にな る︑ これ が物 語で あり

︑そ の形 式は 神話 的と なる

︒従 来の

︑こ のよ うな 神話 的聖 書解 釈に 対し て︑ シュ トラ ウス は︑ 少な くと も以 下の 三点 の変 更を なす

︒① 従来 の神 話的 解釈 法は

︑イ エス の幼 少期 等物 語の 一部 分に つい ての み妥 当と され てき たの だが

︑そ れは 物語 全体 に妥 当す る︒

②従 来は 物語 の核 心を 神そ のも のの 精神 とし てき たが

︑核 心は 民衆 の精 神︑ 民衆 の共 同体 の精 神︑ その 物語 の舞 台と なっ てい る場 所や 次代 を生 きた 民衆 の精 神で ある

︒③ 従来

︑神 は無 限と され てき たが

︑神 は︑ 自然 およ び人 間精 神と いう 有限 なも のを 引き ずっ てい る︒ 神︵ 無限

︶は 人間

︵有 限︶ を自 己の 外化 とし て定 立し てい る︒ その よう に︑ 一方 では 従来 の聖 書解 釈法 への 批判 を通 じて

︑他 方で はい っと き直 接師 から 教え を受 ける こと の でき たヘ ーゲ ル宗 教哲 学へ の批 判を 通じ て︑ シュ トラ ウス は独 自の 聖書 解釈 法と キリ スト 論を 提起 した ので ある

︒ その 際シ ュト ラウ スが 聖書 解釈 法に おい て究 極の 批判 対象 とし たの は︑ オリ ゲネ ス︵ 一八 五年 頃~ 二五 四年 頃︶ であ る︒ シュ トラ ウス はい う︒

﹁総 じて

︑オ リゲ ネス は自 分の 人間 学的 三分 法に 従っ て︑ 聖書 に三 重の 意味 を与 えて いた

︒肉 体的 意味 に対 応す る字 句通 りの 意味

︑魂 的意 味に 対応 する 道徳 的意 味︑ 霊的 意味 に対 応す る神 秘的 意味 がそ れで ある

︒し かも 通常 彼は 三つ の意 味の すべ てを 並列 させ るが

︑そ れで も個 々の 場合 につ いて 言え ば︑ 字句 通り での 把握 はい かな る意

(11)

味を も与 える もの では なく

︑あ るい は逆 の意 味し か与 えな いと され

︑こ うし て読 者は ます ます 決定 的に 神秘 的な 内実 を発 見す るよ う仕 向け られ るこ とに なる

︒︵ 中略

︶彼 に従 えば

︑多 くの こと が字 句通 りに 把握 され ると

︑そ れ はキ リス ト教 の崩 壊に 役立 ちか ねな いこ とに なる

︒そ れを 主張 する ため に︑ 彼は

︑文 字は 殺す が精 神は 生か すと いう 箴言 を︑ 字句 通り の聖 書解 釈と 寓意 的な 聖書 解釈 との 区別 に関 連づ ける ので ある

(

)

シュ トラ ウス は︑ 一方 では ホル スト を部 分的 に支 持す るか たち で︑ 聖書 の比 喩的 解釈 法を 継承 して いる が︑ 他 方で は︑ 上述 引用 文の よう にオ リゲ ネス を批 判す るか たち で︑ 聖書 の比 喩的 解釈 法を 批判 して いる

︑こ の︑ 一見 する と矛 盾の よう に思 われ るシ ュト ラウ スの 構え を分 析す れば

︑シ ュト ラウ スの 言う

︹神 話の 積極 性︺ は見 えて くる と ︒ ころ で︑ 神話 とは 民衆 の口 踊に よっ て語 り継 がれ る物 語で ある

︒し たが って

︑文 字に 記録 され る以 前︑ 神話 は︑ これ を語 り継 ぐ人 びと の時 代精 神に 大き く影 響を 受け

︑こ こか しこ に変 更や 添加 が施 され た︒ 舞台 をオ リエ ント の多 神教 世界 や先 ギリ シア

︑古 ゲル マン の世 界に 移せ ば︑ ある 時代 ある 地域 の民 族は

︑飛 ぶ鳥 を神 とみ なし

︑ その 鳥は 人の 言葉 を話 した

︒そ の際

︑オ リゲ ネス 的比 喩的 解釈 では

︑こ うな る︒ 高等 な人 間が 下等 の動 物を 神と 崇拝 する わけ がな い︒ これ には きっ と隠 され た訳 があ る︒ 鳥の 背後 に人 間よ りい っそ う高 等な 存在 や本 質が 潜ん でい るの だ︒ 鳥は それ を包 み込 む依 代か 象徴

︑な いし 偶像 かで ある

︒こ れに 対し シュ トラ ウス 的神 話的 解釈 では

︑ こう なる

︒動 物を 神と 崇拝 する 人び とは

︑そ の神 獣・ 神鳥 およ びそ れら の生 活に 自ら の生 活や 共同 意識 を投 影さ せ︑ 自ら が生 み成 す歴 史を

︑あ たか もそ の神 獣の 世界 で繰 り広 げら れる 物語 とし て語 り継 ぐ︒ よっ て︑ とき には 動物 や植 物が

︑あ るい は岩 や山 まで もが 人間 的存 在者 とさ れる ので ある

︒神 々と 人と のイ ンタ ーフ ェイ ス︑ 妖怪 と人 との イン ター フェ イス のバ ック グラ ウン ドは ここ に垣 間見 られ るの であ る︒

(12)

四 ミュ トス 神話 とロ ゴス 神話 私の 研究 にお いて

︑あ るが まま の現 象を 語る 神話 は﹁ ミュ トス 神話

﹂に 括ら れる

︒例 えば

︑ハ トを 見た らハ ト と意 識し その よう に語 り記 す︒ ミュ トス の世 界で は︑ ハト を神 とす る人 はハ トそ れ自 体が 端的 に神 であ る︒ それ に対 して

︑あ るが まま の現 象に 対し てそ の意 味や 概念 を語 る神 話は

﹁ロ ゴス 神話

﹂に 括ら れる

︒例 えば

︑ハ トを 見た ら平 和を 意識 しそ のよ うに 語り 記す

︒ロ ゴス の世 界で は︑ ハト を神 とす る人 はそ の動 物の 背後 か深 部に 真善 美︑ 正義 や平 和の 本質 を見 抜く

︒ハ トは そう した 本質 の眷 属︵ 使い

・代 理︶ であ る︒ ロゴ スは 明ら かに 反ミ ュト スな ので ある

︒ 神話 学者 の松 村武 雄は

︑古 代ギ リシ アに おけ る﹁ 神話

﹂と いう 語に つい て︑ 著作

﹃神 話学 原論

﹄︵ 一九 四〇 年︶ で次 のよ うに 説明 して いる

﹁古 代ギ リシ ア人 は︑

﹃ミ ュト ス﹄ とい う語 辞を 最も 本源 的に は﹃ ロゴ ス︵ lo go s︶

﹄の 意味 に用 いた

︒︵ 中略

︶ホ メロ スの ごと きも

︑ミ ュト スを この 意味

︱︱ すな わち

﹃言 葉﹄ とか

︑﹃ 話さ れる ある もの

﹄と か︑

﹃口 によ って 発 せら れる ある もの

﹄と かい うほ どの 義に 用い てい る︒ mu th os とい う語 辞は

︑英 語の mo ut h︑ 高古 ドイ ツ語 の Mu ck e︑ ギリ シア 語の mu zo ,m ui a, mu o, mu st es など にお ける と同 じよ うに

︑m u,

︵l at ., mu

︶か ら抽 出さ れた もの であ り︑ こう して mu もし くは mu oは

︑﹃ 唇を 開く こと

︑も しく は閉 じる こと によ って 聴き 得べ き音 を立 てる こ と﹄ を意 味し た︒ 然る に︑ より 後代 にな ると

︑そ の意 味が 特定 化せ られ て︑ たん に﹃ 話さ れる ある もの

﹄で はな くて

︑﹃ 神性 的存 在態 につ いて 話さ れる ある もの

﹄を 詮表 する こと にな った

︒紀 元前 六世 紀~ 五世 紀の 詩人 ピン ダ ロス の時 代に は︑ ミュ トス は明 らか にこ の意 味を 獲得 して いる

(

)

それ から また

︑ギ リシ ア神 話の 研究 者グ リマ ルは 次の よう に述 べる

︒﹁ ミュ トス はロ ゴス に対 立す る︒ それ は

(13)

空想 と理 性︑ 物語 る言 葉と 論証 する 言葉 との 対立 であ る﹂

(

) 10

確立 した ギリ シア 神話 の世 界で は︑ ミュ トス は存 在し ない か︑ 極度 に衰 退し てい る︒ 代わ って ロゴ スが 前面 に 出て いる

︒例 えば

︑の ちに プラ トン がイ デア に関 連づ ける こと にな る普 遍の 本質 は︑ なん ら具 象性 をも たず 神的

・ 不可 視的 なも のと なっ てい る︒ 一方 に︑ 時間 の静 止す る点 とし ての 世界

︵永 遠の 存在

︶= アイ オン

︵永 遠︶ とカ オス

︵混 沌︶ を想 定し

︑他 方に

︑時 間が 経過 して でき る線 とし ての

︑森 羅万 象生 成の 世界

︵生 成の 系譜

︶= クロ ノス

︵時 間︶ とガ イア

︵空 間︶ とを 想定 する なら ば︑ ギリ シア 神話 の成 立す る現 場は

︑ア イオ ンと クロ ノス が交 差し てい る︒ 過ぎ 去っ てい くよ うで いて いつ しか 元に 戻り

︑円 環を 描く

︒一 つの 円環 にお いて は時 系列 が存 在す るも のの

︑神 話に 登場 する 物語 はア

・ト ポス

︵時 空を 超え て偏 在す るこ と︶ を特 徴と する

︒似 たよ うな 物語 は別 の場 所や 別の 時代 に再 演さ れて 系譜

︵ゲ ネア ロギ ー︶ をつ くっ てい る︒ ウラ ノス のゲ ノス

↓ク ロノ スの ゲノ ス↓ ゼウ スの ゲノ ス︑ と進 む間 に︑ 神話 には 真善 美︑ 正義 や平 和と いっ た意 味= 本質 が付 与さ れ︑ 一見 する と具 象的 な展 開の なか に意 味= 本質 が語 り継 がれ るよ うに なっ た︒ こう して

︑か つて 先史 野生 のペ ラス ゴイ 人の もと では 具象 のま まの 展開 であ った ミュ トス は︑ 有史 文明 のギ リシ ア人 のも とで は抽 象の 展開 する ロゴ スに 変貌 して いっ たと 言え る︒ ミュ トス から ロゴ スへ の転 化の 過渡 期を 生き たヘ シオ ドス の﹃ 神統 記﹄ に関 連さ せて

︑研 究者 パウ ラ・ フィ リッ プソ ンは 次の よう に明 言し てい る︒

﹁そ の詩 人に とっ ては 夜の 感覚 され うる 諸現 象が とり もな おさ ず夜 の意 味で あり

︑夜 の作 用で あり

︑ま たそ れに 内在 する 規範 でも ある ので ある

︒内 と外 は︱

︱ゲ ーテ の表 現を 用い てよ いな ら︱

︱分 離し てい るの では なく

︑夜 の神 的本 質と して のも ろも ろの 現象 の総 体と なっ てあ らわ れて いる ので ある

︒ なぜ なら

︑現 象の 背後 や上 に神 の存 在が ある ので はな く︑ 現象 がす なわ ち神 的存 在︑ 神の 本質 なの だか らで あ

(14)

る﹂

(

) 11

また

︑ギ リシ アの 東方 に存 在し たメ ソポ タミ ヤ地 方の 先史 神話

﹁ギ ルガ メシ ュ﹂ に関 連さ せて

︑研 究者 リヴ ガー

・ シェ ルフ

・ク ルー ガー は︑ 次の よう に述 べて いる

︒﹁ 原始 的心 性に とっ て︑ 事物 はま った く異 なっ た意 味を もつ

︒ われ われ が精 神的 ある いは 物質 的と よぶ もの は︑ 彼ら にと って は区 別さ れて いな い︒

︵中 略︶ 身体 が魂 であ り︑ 魂 が身 体で ある

︒身 体に 関わ るこ とが きわ めて 精神 的で あり

︑心 に関 わる こと がき わめ て物 質的 なこ とが ある

(

) 12

ギリ シア の神 話世 界は オリ エン トの 神話 世界 と重 なっ てい る︒ 例え ばゼ ウス の妹 デー メー テー ルは

︑最 初エ ジ プト か黒 海の かな たか で崇 拝さ れて いた 頃は

︑な によ りも まず 穀物 の神 であ った だろ う︒ 接頭 語の

﹁デ ー﹂ は︑ ガイ アの 語源

﹁ゲ ー﹂ と同 じで あり

︑大 地を 意味 する

︒﹁ デー

﹂は また

︑大 地か ら芽 吹く

﹁穂

﹂を も意 味す る︒

﹁メ ー テー ル﹂ は﹁ 母︵ ma te r︶

﹂な いし

﹁物 質︵ ma te ri a︶

﹂を 意味 する

︒デ ーメ ーテ ール とは

︑よ うす るに 大地 母神

︑穀 物の 母神 なの であ る︒ ここ まで がミ ュト スで ある

︒そ れ以 外の こと

︑た とえ ば誰 それ の子 だと か誰 それ の妻 だと かは

︑ロ ゴス

=狡 知の 介入 をみ た結 果を さら け出 して いる

︒ケ レー ニイ は︑ 無意 識な がら

︑デ ーメ ーテ ール をク ロノ ス・ ゼウ スと 結び つけ るの でな く︑ ペル セポ ネー

︵コ ーレ ー︶ と結 びつ ける こと によ って

︑デ ーメ ーテ ール のな かに ミュ トス を読 みと って いる

(

) 13

二 ミュ トス から ロゴ スへ

、あ るい は神 話の 非神 話へ の転 用 先ほ ど記 した メソ ポタ ミヤ 最古 の叙 事詩 ギル ガメ シュ 神話 には

︑﹁ エン キド ゥ﹂ とい う始 原の 人間 が登 場す る︒ 彼は

︑主 人公 でウ ルク の王 ギル ガメ シュ があ まり の暴 君で あっ たた め天 の神 アヌ が創 造神 アル ルに 命じ てラ イバ ルと して 粘土 から 造ら せた 野生 人で ある

︒エ ンキ ドゥ は︑ 文明 を謳 歌す るギ ルガ メシ ュの 後に 登場 する もの の︑

(15)

位置 づけ とし ては 文明 を知 らな い先 史人 を意 味す るで あろ う︒ 本稿 で問 題に して いる 神話 の世 界は

︑ギ ルガ メ シュ でな く︑ エン キド ゥに 相応 しい と言 える

︒あ ると きエ ンキ ドゥ はギ ルガ メシ ュの ため に斧 にな り︑ ギル ガメ シュ はそ の斧 でレ バノ ン杉 の森 に遠 征し これ を護 る番 人フ ンバ ッハ を殺 した

︒こ のレ バノ ン杉 は︑ 先史 の母 神な いし 母権 を意 味し てい た(

)

こう して エン キド ゥは 本来 は自 分自 身と 同一 であ った 自然 を征 服す る勢 力= 文明

14

人に 変質 して いく が︑ それ は同 時に 自己 の破 滅と もな って

︑死 を迎 える こと とな った

︒す なわ ち︑ 叙事 詩ギ ルガ メシ ュは エン キド ゥの 死を もっ て︑ 物語 がミ ュト スか らロ ゴス へと 転じ てい くの であ った

︒ レバ ノン は東 地中 海沿 岸の シリ ア地 方に あり

︑古 くか らフ ェニ キア 人が 商業 活動 の拠 点に して いた

︒彼 らは レ バノ ン杉 で船 をつ くり

︑地 中海 貿易 を独 占し た︒ その 全盛 期は

︑エ ーゲ 文明 が滅 ぶ前 一二 世紀 から アッ シリ ア帝 国の 台頭 する 前八 世紀 にか けて であ る︒ その 末期 には ギリ シア にホ メロ スが あら われ たが

︑そ の頃 まで に地 中海 海域 では

︑デ ーメ ーテ ール 信仰 に代 表さ れる 母権 制的 社会 が衰 退し

︑代 わっ てア ポロ ンや ゼウ ス信 仰に 象徴 され る父 権制 的社 会が 出現 した

︒そ の段 階で は︑ 神々 の姿 は不 可視 とな り︑ 代わ って さま ざま な偶 像が 考案 され るに 至っ てい る︒ 先史 野生 ペラ スゴ イ人 が信 仰す る神 々は 山や 石︑ 樹木

︑あ るい は牛 や山 羊だ った りし た︒ これ らは ミュ トス に相 応し い神 体= 具象 神だ った

︒偶 像は 考え られ ず︑ した がっ て存 在し てい ない

︒と ころ が︑ 民族 移動 の後 に出 現し た有 史文 明ギ リシ ア人 が信 仰す る神 々は 真善 美や 正義

・平 和で あり 不可 視で あっ たも のの

︑そ れを 包込 む偶 像は かよ うな 抽象 神を 体現 する 形姿 をし てお り︑ その 究極 の形 姿は ミロ 島の ヴィ ーナ スに 窺わ れる の だっ た(

) 15

こう して 始ま った

︹神 話の 文明 化︺

=︹ 神話 の非 神話 化︺ は︑ やが て宗 教的 な領 域を 中心 に︑ 社会 のさ まざ ま な分 野に 適用 され てい くこ とと なる

︒そ の一 つに 中世 から 近世 にか けて 流行 した 魔女 狩り があ る︒ これ は︑ 古く

(16)

はモ ーセ の十 戒に 記さ れた 異教 信仰 の禁 止に 前例 をみ るが

︑そ の後 キリ スト 教に 支配 され たケ ルト

・ゲ ルマ ン社 会で の異 教信 仰の 禁止 に直 接的 な起 源を 有す る(

) 16

とこ ろで

︑魔 女に 関連 する 研究 とし て︑ 上山 安敏 は安 田喜 憲編

﹃魔 女の 文明 史﹄ 所収 論文

﹁魔 女裁 判﹂ のな か で次 のよ うに 類型 化し てい る︒

﹁﹃ 魔女 と魔 女裁 判﹄ とい うテ ーマ はヨ ーロ ッパ で盛 んに なっ たが

︑そ れに は魔 女 の生 態を 民族 学的 な方 向か らみ てい く考 え方 と︑ 現代 社会 の我 々に も身 近な 魔女 狩り を政 治学 的な 方向 から みる とい うふ たつ の考 え方 があ る︒

⁝⁝ それ らを どの よう にし てひ とつ のな かに 統合 して いく かが

︑本 章の ひと つの テー マに なる

(

) 17

さて

︑魔 女と いう 自然 界に は存 在し ない もの の﹁ 生態

﹂と は︑ いっ たい どの よう に解 釈し たら いい もの であ ろ うか

︒よ うす るに

︑魔 女は 生き 物と して 実体 的に 存在 した ので はな く︑ 表象 とし て社 会的

・文 化的 に存 在し てき たの であ る︒ した がっ て︑

﹁魔 女と 魔女 裁判

﹂と いう テー マは 表象 とし ての 魔女 をめ ぐっ て取 り扱 われ てき たと 言 える

︒魔 女の 出没 する とこ ろ︑ 必ず やそ の出 現を 促す 社会 的な いし 文化 的要 因が 潜在 して いる と言 える ので ある

︒ 魔女 狩り は︑ そう した 要因 を前 提に して 成立 した ネガ ティ ヴな 神話 なの であ る︒ そう であ るか ら︑ 魔女 狩り の神 話は 現代 社会 にも 適用 しう る︒ 環境 考古 学者 の安 田喜 憲は 前掲 編著 の﹁ 序論

︱︱ アニ ミズ ム・ ルネ サン ス﹂ と﹁ あと がき

﹂で

︑ア メリ カ軍 の イラ ク攻 撃を 前近 代の

﹁魔 女﹂ ない し﹁ 魔女 狩り

﹂に 関連 させ てい るが

︑そ こで はア メリ カ軍 ない しキ リス ト教 徒が 迫害 者に 括ら れて いる

︒一 九七

〇年 代以 降ア メリ カで はよ くそ うし た現 象が 生じ る︒ その 際︑ ここ でい う﹁ 魔 女狩 り﹂ は比 喩的 なレ トリ ック

︑一 種の 表象 であ る︒ イラ クに 実際 に魔 女が いて 指導 して いる わけ では ない

︒ま た安 田喜 憲﹁ 魔女 を殺 し自 然を 破壊 する 文明 の闇 から の離 脱﹂ には こう 記さ れて いる

︒﹁ 今こ そ必 要な のは

︑ア ニ

(17)

ミズ ムの 神々 を殺 し︑ 森を 悪と して 破壊 し︑ 魔女 を生 み出 し︑ 闘い を止 める こと ので きな い﹃ 力と 闘争 の文 明﹄ の闇 から の離 脱な ので ある

(

)

この

︑文 明を 一方 的に 退け よう とす る態 度は 短絡 的な 発想 であ る︒ この 種の 研

18

究の 難点 は︑ 歴史 的コ ンテ キス トを 背景 にま で退 けて いる こと であ る︒ ある いは また

︑﹁ 魔女

﹂と いう 表象 を﹁ 悪﹂ とい うレ ッテ ルに 使用 する とい った イデ オロ ギー に傾 きが ちで ある

︒だ がそ れだ けに

︑魔 女狩 りが 現代 でも 神話 とし て意 味を もち 通用 する ので ある

︒そ れは

︑神 話の なか で攻 撃に さら され た人 びと をし て︑ 公然 非公 然を 問わ ずい っそ う結 束さ せ︑ とき には カウ ンタ ー・ ミュ トス を産 むと いう 点で も︑ 効果 があ ると 言え る︒ まと

私 め は︑

﹁は じめ に﹂ でこ う記 した

︒﹁ 日本 の伝 統社 会で は︑ フェ ティ シュ は妖 怪の かた ちで も畏 怖の 念を もっ て拝 まれ てき た﹂

︒そ の一 典 型は 井上 円了 も注 目し た﹁ 天狗

﹂に 観察 され る︒ 調査 研究 の行 程で

︑平 成一 四年 八月

︑私 は伊 東市 の佛 現寺 を訪 問し た︒ 当日 は︑ はじ めて にも かか わら ず︑ ご住 職に はま こと にご 丁寧 な おも てな しを 頂戴 した

︒そ の折 りに

﹁天 狗の 詫び 状﹂ とい う古 文書

︑ およ び﹁ 天狗 のヒ ゲ﹂ とい う遺 物を 拝観 した

︒ご 住職 はこ の二 つを

︑ むろ ん本 物と 思っ て寺 宝に して いた

︒つ いて は︑ 私に 真偽 の程 を調 査 して もら えれ ば︑ とい うこ とに なっ た︒ 拝観 の恩 義を 感じ た私 は︑ 少々 調べ てこ のよ うに ご返 事申 し上 げた

飯綱権現像(しなの鉄道牟礼駅ホーム)

(18)

﹁︿ 天狗 のわ び状

﹀の 件で ござ いま すが

︑日 本の 古代 文字 の一 つか と思 い︑ 文献 に当 たっ てみ まし た︒ 同封 させ てい ただ きま した コピ ーは

︑そ の史 料の 一部 であ りま す︒ にわ かに は書 体や 文字 の出 自を 確定 でき ませ んが

︑二 次的 な複 写︵ 模写

︶の 可能 性も あり ます

︒時 間を かけ て調 査し てい きた く存 じま す︒ まず は︑ 当座 のご 報告 まで と思 い︑ ご返 報致 しま す︒

︿天 狗の ヒゲ

﹀に つき まし ては

︑旧 駒沢 村の 伝 承を も調 査し

︑関 連を 探っ てみ たく 思い ます

︒い ずれ も興 味と ロマ ンの 尽き ぬ研 究対 象で ござ いま す﹂

︒ 現実 的な 事柄 を認 識す る場 合︑ 五感

・感 性で 認識 可能 な フィ ジカ ルな 現実 を﹁ アク チュ アル

・リ アリ ティ

︵a ct ua l re al it y︶

﹂と し︑ 概念

・観 念で 認識 可能 なメ タフ ィジ カル な レベ ルの 現実 を﹁ ヴー チャ ル・ リア リテ ィ︵ vi rt ua lr ea li ty

︶﹂ とし てみ よう

︒前 者は

﹁現 勢的 現実

﹂と 訳し

︑後 者は

﹁潜 在的 現実

﹂と 訳す

︒古 くは アリ スト テレ ス︵Aristoteles,

︶の

﹁エ ンテ レケ イア

︵e nt el ek he ia

︑完 成

384BC〜322BC

態︶

﹂な いし

﹁エ ネル ゲイ ア︵ en er ge ia

︑現 実態

︶﹂ と﹁ デュ ナミ ス︵ dy na mi s︑ 可能 態︶

﹂に 由来 する 腑分 けで ある

(

) 19

「天狗の筆跡」:『井上円了選集』第 17 巻、686 頁

(19)

佛現 寺に 伝わ る﹁ 天狗 の詫 び状

﹂は 潜在 的現 実で ある

︒こ こに 引用 した

﹁天 狗﹂

︑こ れは リア ルな 存在 であ る︒ 天 狗を 含む

﹁妖 怪﹂ もま た︑ それ を﹁ 悪神

︑敬 して 避け る﹂ よう にし て崇 拝す る人 びと の間 では

︑リ アル な存 在な ので ある

【註

︼ (1 ) 石塚 正英 著作 選︻ 社会 思想 史の 窓︼

︵全 6巻

︶第 2巻

﹃歴 史知 と多 様化 史観

︱関 係論 的﹄ 社会 評論 社︑ 二〇 一四 年︑ 参照

︒ (2 ) 石塚 正英 著作 選︻ 社会 思想 史の 窓︼

︵全 6巻

︶第 1巻

﹃フ ェテ ィシ ズム

︱通 奏低 音﹄ 社会 評論 社︑ 二〇 一四 年︑ 参照

︒ (3 ) 石塚 正英

・や すい ゆた か﹃ フェ ティ シズ ム論 のブ ティ ック

﹄論 創社

︑一 九九 八年

︑三 四〇 頁以 下︑ 参照

︒ (4 ) 加藤 民子

﹁耳 あけ の豆

﹂︑ 障害 者の 教育 権を 実現 する 会・ 編集

・発 行﹃ 人権 と教 育﹄ 第三

〇一 号︑ 一九 九九 年一 月︑ 一二 頁︒ (5 ) 串田 孫一

﹁鎌 鼬︵ かま いた ち︶

﹂︑

﹃人 権と 教育

﹄第 三〇 二号

︑一 九九 九年 二月

︑六 頁︒ (6 ) 声の 宗教 者と して の親 鸞思 想に つい ては

︑以 下の 文献 を参 照︒ 石塚 正英

﹃フ ェテ ィシ ズム の信 仰圏

﹄世 界書 院︑ 一九 九三 年︒ その 第五 章﹁ 親鸞 の弥 陀と 越後 の鬼 神﹂

︒ (7 ) カル ロ・ コッ ロー ティ

︑大 岡玲 訳﹃ ピノ ッキ オの 冒険

﹄角 川書 店︑ 二〇

〇三 年︑ 参照

︒ (8 ) D・ シュ トラ ウス 研究 会訳

﹁初 版﹃ イエ スの 生涯

﹄﹂

①︑

﹃社 会思 想史 の窓

﹄第 八四 号︑ 一一

~一 二頁

︒︵ 生方 卓・ 柴 田隆 行・ 石塚 正英

・石 川三 義訳

﹃イ エス の生 涯・ 緒論

﹄世 界書 院︑ 一九 九四 年︑ 一一 頁︒

︶ (9 ) 村松 武雄

﹃神 話学 原論

﹄培 風館

︑一 九四 一年

︵初 版一 九四

〇年

︶四

~五 頁︒ 引用 にあ たっ て︑ 旧字 旧仮 名遣 いを 新字 新仮 名遣 いに 改め た︒ ( ) ピエ ール

・グ リマ ル︑ 高津 春繁 訳﹃ ギリ シア 神話

﹄白 水社

︑一 九九 二年

︑七 頁︒ (10 ) パウ ラ・ フィ リッ プソ ン︑ 廣川 洋一

・川 村宣 元訳

﹃ギ リシ ア神 話の 時間 論﹄ 東海 大学 出版 会︑ 一九 七九 年︑ 三四 頁︒ (11 ) リヴ ガー

・シ ェル フ・ クル ーガ ー︑ 氏原 寛監 訳﹃ ギル ガメ シュ の探 求﹄ 人文 書院

︑一 九九 三年

︑三 九頁

︒ 12

(20)

( ) カー ル・ ケレ ーニ イ︑ 高橋 英夫 訳﹃ 神話 と古 代宗 教﹄ 新潮 社︑ 一九 九二 年︵ 初版 一九 七二 年︶

︑一 四三 頁︑ 参照

︒ (13 ) リヴ ガー

・シ ェル フ・ クル ーガ ー︑ 前掲 書︑ 八〇 頁前 後︑ 参照

︒ (14 ) 先史 と文 明と の過 渡期 にお ける 神観 念の 変化

︑神 像の 形態 変化 につ いて は︑ 以下 の文 献を 参照

︒石 塚正 英﹃ フェ ティ 15 シズ ムの 信仰 圏﹄ 世界 書院

︑一 九九 三年

︒ ( ) 古代

~中 世に おけ るキ リス ト教 によ る異 教神 の悪 霊視 につ いて は︑ 以下 の文 献を 参照

︒石 塚正 英﹃

﹁白 雪姫

﹂と フェ 16 ティ シュ 信仰

﹄理 想社

︑一 九九 五年

︑と りわ け第 五章

﹁天 上の 神が サタ ンを 殺戮 して いる 頃﹂

︒石 塚正 英著 作選

︻社 会思 想史 の窓

︼︵ 全6 巻︶ 第1 巻︑ 所収

︒ ( ) 安田 喜憲 編﹃ 魔女 の文 明史

﹄八 坂書 房︑ 二〇

〇四 年︑ 九一 頁︒ (17 ) 同上

︑四 六四 頁︒ ( 18 ) アリ スト テレ スの

﹁エ ンテ レケ イア

︵e nt el ek he ia

︑完 成態

︶﹂ ない し﹁ エネ ルゲ イア

︵e ne rg ei a︑ 現実 態︶

﹂﹁ デュ ナミ 19 ス︵ dy na mi s︑ 可能 態︶

﹂に 由来 する 腑分 けに つい ては

︑以 下の 文献 を参 照︒ 牛田 徳子

﹃ア リス トテ レス 哲学 の研 究

︱︱ その 基礎 概念 をめ ぐっ て﹄ 創文 社︑ 一九 九一 年︒ 今道 友信

﹃ア リス トテ レス

﹄講 談社

︑二

〇〇 四年

【編 者註 石 ︼ 塚正 英氏

︵東 京電 機大 学理 工学 部教 授・ NP O法 人頸 城野 郷土 資料 室理 事長

︶に よる 本寄 稿論 文は

︑二

〇一 五年 三月 二一 日︑ 東洋 大学 12 5周 年記 念ホ ール にて 開催 され た東 洋大 学井 上円 了研 究セ ンタ ー・ 新設 記念 シン ポジ ウ ム﹁ 井上 円了 の妖 怪学 と現 代﹂ にお いて

︑﹁ 妖怪 と人 との イン ター フェ イス

﹂と 題す る記 念講 演を して いた だい たこ とに 基づ くも ので ある

︒ なお

︑当 日は

︑国 際井 上円 了学 会会 長三 浦節 夫﹁ 井上 円了 の妖 怪学 入門

﹂な らび に本 セン ター 長柴 田隆 行﹁ 哲学 か らみ た妖 怪学

﹂と 題す る講 演の ほか

︑﹁ 井上 円了 の妖 怪学 と現 代﹂ と題 する シン ポジ ウム を︑ 新潟 妖怪 研究 所長 高橋 郁丸 氏︑ 本学 文学 部非 常勤 講師 島田 茂樹 氏︑ そし て石 塚氏 をパ ネリ スト に加 えて 行っ た︒ 妖怪 ブー ムも 多少 影響 し て︑ 一般 市民 も含 め約 一〇

〇名 の参 加者 があ り︑ 懇親 会も 含め 多様 な意 見が 交わ され た︒

参照

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