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察 : レプリカ製作を通して

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(1)

察 : レプリカ製作を通して

著者 平井 美江

雑誌名 東京家政大学博物館紀要

巻 14

ページ 151‑166

発行年 2009

出版者 東京家政大学博物館

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010303/

(2)

1.はじめに

 現在のいわゆる着物は、広幅の衿を内側二つ折りにし、胸を覆うように重ね合わせて着装する。

長襦袢の衿に芯を入れ固くし、きちんと重ねる。この着装法は明治期よりのものとされるが、近世 初期の絵画を見ると現在とは小袖の構造や着装法が少し異なっていることがわかる。

 井伊家伝来の風俗図、通称「彦根屏風」の左 2 隻中央には、柔らかそうな内衣(下に着装してい る小袖)の衿で口元を隠して双六を観戦している女性が描かれている(図 1)。「賀茂競馬・遊楽図 屏風」には、内衣の衿で首をすっかり覆い、まるでマフラーのように着装している女性が見られ、

中には衿の裏地が見え隠れして着装している女性もいる(図 2 - 1、2 - 2)。このような特徴的な 衿は、「阿国歌舞伎草子」や「本多平八郎姿絵」、「遊楽図屏風(相応寺屏風)」の中などにも見られ る(図 3 ~ 5)。

 現代のように映像を残す技術のない時代を対象とする研究においては、絵画は当時の人々の生活 や服飾の実態を映し出す貴重な資料である。上記のように、絵画に数多く残された描写から、この ような小袖の着装法が、当時の女性において珍しくなかったことが推測される。

 しかし、小袖の文様のモチーフや構成、染織技術については多く論ぜられているのに対し、小袖 の形態や着装、さらには衿にまで言及している研究は管見では極めて少ない。

 本研究では、近世初期の絵画に描かれた小袖の衿に焦点を当て、当時の裁断法を考慮した小袖の レプリカを製作し、実験的に着装し、「特徴的な衿」の絵画表現の意味する所を考察する。

2.17 世紀前半の小袖の衿部分の着装法

 室町時代後期から江戸時代初頭の衿の着装法については、上杉謙信所用の現存する小袖の衿の汚 れ方から、広衿仕立ての衿を現在のように二つに折るか、または巻き込んで着用したようだと、堀 越すみ氏は指摘している。

1)

この着装法は、同時代の「織田信長像」や「浅井長政夫人像」などの

Mie H

IRAI

後援会

(3)

図 1 彦根屏風 部分

(彦根城美術館 . よみがえった国宝・彦根屏風 . 2005)より引用

図 2 - 1 賀茂競馬・遊楽図屏風 部分 金剛寺

(徳川美術館 . かぶく美の世界

-絵は語る異端と享楽の浮き世 . 1997)より引用

図2-2 賀茂競馬・遊楽図屏風 部分 金剛寺  (徳川美術館 . かぶく美の世界

-絵は語る異端と享楽の浮き世 . 1997)より引用

衿を見ると納得でき(図 6、7)、室町末期から桃山時代には、小袖の衿を二つ折りする習慣がすで

にあり、江戸時代には一般的に定着していたと考えられる。

2)

しかし、近世初期の絵画中には、内

衣の衿を二つ折りして着装しているとは思えない特徴的な衿の描写が、はっきりと見られる。さら

(4)

図3 阿国歌舞伎草子 断簡 茶屋遊び (部分)大和文華館

「かぶく美の世界-絵は語る異端と享楽の浮き世」

(徳川美術館 , 1997)より引用

図4 伝本田平八郎姿絵 左隻 部分 徳川美術館

「寛永寛文の肉筆画 江戸の美人画」

(小林忠編 , 学習研究社 , 1982)より引用

図5 遊楽図屏風(相応寺屏風)部分 徳川黎明会

「かぶく美の世界-絵は語る異端と享楽の浮き世」

(徳川美術館 , 1997)より引用

には表に着装している小袖の衿にも、「彦根屏風」 や「遊楽図」などに見られるように、折られて いないと推測される衿の状態が明らかに表現されているのである。

 この「特徴的な衿」の描かれている「彦根屏風」は遊女歌舞伎が禁止された頃の六条柳町(三筋 町)の遊里の情景であると言われている。「六条柳町(または三筋町)」とは、都市政策の一環とし て営まれた公許の遊里である。大坂の新町も江戸の吉原もそれを倣ったものであり、京の六条柳町 を根源とした三都の遊里は栄えた。遊里は著しく発達し、公家や武将、僧侶などの上層階級の貴顕 も盛んに出入りし、当代の風潮に影響を与えた。しかし、幕府の支配体制が強化された寛永期に、

統制の手は遊里にも及んだ。寛永 6 年(1629)遊女が主役であった女歌舞伎は禁止され、同 18 年

(1641)には六条柳町にあった京の遊里が、洛外に移転させられた。その移転の有様から、後に「島

(5)

図6 織田信長像 愛知 長興寺 「日本の美をめぐる 織田信長と南蛮屏風」

(鳥本脩二 , 小学館 , 2002)より引用

図7 浅井長政夫人像 和歌山 持明院

「花洛のモード-きものの時代-」

(京都国立博物館編 , 1999)より引用

原」と呼ばれるようになった。遊里が貴族主義を誇り、教養の機関であり得たのは、享保期(1716

~ 1736)の頃までであったが、島原へ移転されるまでの約 40 年の間、六条柳町の遊里は、京都の 代表的な、かぶき時代を象徴するような遊所として繁栄し、慶長末期から寛永初期までの遊女歌舞 伎の全盛期を支えたのだった。それはまさに特徴的な衿が描かれた時期と重なっている。

 奇しくも、公許の遊里が六条に移された年と同年である慶長 7 年(1603)、京都、北野天満宮の 社頭で出雲の巫女と称する阿国による歌舞伎踊りの興行が行われた。阿国が「異風なる男」すなわ ちかぶき者の姿を真似たパフォーマンス、これが始まりであるとされている。「かぶき」の語源は

「傾く(かぶく)」であるとされ、放縦な振る舞いをすること、ある種異様な身なりとする、人の目 につく衣裳を身につけるなどの意味がある。その扮装と舞踊はセンセーショナルであり、世間の注 目を浴びた。阿国の成功により、歌舞伎踊りはたちまち模倣され、遊女を主役とした女歌舞伎など に追随され一層華やかに発展していったのである。

 そのような人の目をひく扮装をしている人たちを「かぶき者」「だて者」などと呼び、当時のモー ド感覚は彼らによって増幅された。遊女やかぶき者たちは服装に敏感であり、遊里における衣服は

「とかくはやるにまかせて用ゆ

3)

」(『色道大鏡』巻二)を旨とした。例えば、「彦根屏風」の双六に 興じている横向きの若衆は、黒地に朱と銀の梅小紋を施し、袖口から覗く内衣の朱と脇に差してい る刀の鞘の朱が表に着装している小袖の黒地を引き立てている(図 1)。「伝本多平八郎姿絵屏風」

の若衆と小袖の扱いが類似しており、寛永期のおしゃれな若衆、すなわちかぶき者に人気の小袖だっ

たのではないかと想像される。「彦根屏風」に描かれたそれぞれの遊女は、非常にカラフルで大胆

かつ繊細な模様の小袖姿をしている(図 1 - 1)。その姿は、現代になお革新的な美意識を強く感

(6)

図1- 1 風俗画(彦根屏風)彦根博物館

(徳川美術館 . かぶく美の世界-絵は語る異端と享楽の浮き世 . 1997)より引用

じさせる程で、遊女、かぶき者達の風俗は、ニュー・モードであり、当時のファッションの先駆け、

発信源であった。

 つまり、これらの絵画に描かれている人物について考えると、「二つに折るか、または巻き込ん で」着用されたと言われる現存する小袖の所有者や室町末期から桃山時代の絵画に描かれているの は、上層階級の人であるのに対し、近世初期の絵画にこの 「特徴的な衿」 を着装して描かれている のは、遊女やかぶき者たちである。恐らく、この「特徴的な衿」は、流行に極めて敏感だったとさ れる彼らの着装法を描き出したものであったと言えよう。

3.描かれた服装とマフラー状の別布の可能性

 ところで、この絵画における 「特徴的な衿」 はその大きな膨らみから、必ずしも内衣(現在の長 襦袢)の衿ではなく、マフラーのように別の生地を衿に入れ込んでいるかのようにも見受けられる。

しかし、服装史・裁縫史・風俗画史などの文献では、このような衿の着装法に関する記述、及び、

マフラーの存在を暗示するような記述は見当たらない。

 再び絵画を詳細に観察してみよう。絵画中の内衣に関する情報は、衿、袖口、及び振りの部分か ら得られるのみであるが、「彦根屏風」の口元を隠す女性の振り部分は前方の人で隠れ、確認でき ない(図 1)。同屏風中、双六に興じる女性の内衣の衿の色も袖口から除く色とは違うが、袖の振 りに見える内衣の袖の色は同じで、内衣の衿から続くものと思われる。そして、振りに見られる内 衣の裏地の色は、袖口に見える色と同じである。右 2 隻目の犬を連れた女性も、内衣の衿と振りに 見える柄が一致し、振りで確認できる内衣の裏地の色が袖口に見える(図 1 - 2)。よって、口元 を隠す女性の赤い衿が、袖口に見えるものと異色であっても、内衣の裏地がその色である可能性が 高く、口元を隠す女性の赤い衿がマフラー状の別布であるとは言いにくい。

 さらに、「賀茂競馬・遊楽図屏風」の右端に直立する女性についても、タートルネックかマフラー

のように見える特徴的な衿の色と(図 2 - 1)、振りから見える内衣の袖の色が同じであり、「阿国

歌舞伎草子」の観客席に座る垂れ髪の女の子の特徴的な赤い衿も、振りに見える内衣の袖と同色で

(7)

図1-2 彦根屏風 部分

(彦根城美術館 . よみがえった国宝・

彦根屏風 . 2005)より引用

ある(図 3)。

 こうした事例から、マフラー状の別布が存在する可能性は 低く、「特徴的な衿」は、何らかの特殊な条件を備えた内衣 の衿と見る方が適切と考えられる。

4.南蛮文化からの影響

 「特徴的な衿」について言及しているわずかな例である高 田倭男著『服装の歴史』の中に、「遊女は あでやかに染め られた柔らかい下着の襟を深く合わせるように引出して、あ たかもマフラーを纒っているようにしている。これもこの頃 流行した着装法と思われる。これについて南蛮服の影響と考 える人もいる。」という一文を発見し、

4)

南蛮服について調査 することにした。

 天文 18 年(1549)ザビエル来航以来、多くの西洋人が布 教や交易のために日本を訪ねた。日本人は、ポルトガル人な どを「南蛮人」と呼び、彼らの携えてきた南蛮渡来の品々に 関心を持った。1581 年に京都から発信したルイス・フロイ

スによる書簡には、ヴァリアーノというイタリア人宣教師が、1580 年に織田信長を本能寺に訪ね た時に、進物として鋳金の燭台と深紅のビロード 1 反などを携えて行き、信長から非常に歓待され たと記録されている。

5)

そしてその頃の風俗画の中には、煙草や洋犬、三味線などの南蛮渡来品が 随所に描かれ、「彦根屏風」も例外ではない。ジュバンやビロード、ボタンなど、ポルトガル語に 由来する衣服関係の言葉は今も多数残っており、また、羽織の外側に折る衿は、南蛮服の影響であ ることが、丹野氏によって指摘されている。

6)

こうした状況から、この「特長的な衿」を南蛮服か らの影響の結果と見ることはできないだろうか。

 南蛮服飾の遺品は極めて少ないが、彼らを主題にした南蛮屏風は多数残されており、そこに描か れた細密な絵によって、南蛮風俗伝来の様相をある程度察知することができる。南蛮屏風に描かれ ている南蛮人たちはラフを筆頭に、様々な衿をつけている。下船した多くの南蛮人たちが黒人奴隷 たちを伴って列をなして上陸しているところを表した狩野内膳筆「南蛮屏風」の中には、その様子 を興味深そうに見物する日本人たちも描かれており、当時の人々の関心の深さを示している(図 8)。

「阿国歌舞伎図巻」には、南蛮人と思われる人が歌舞伎を観覧しており、「南蛮人渡来図屏風」のよ うに、また南蛮人の衣服を部分的に導入したと思われる服装をしている日本人の描かれた絵画も少 なくない(図 9)。しかし、「特徴的な衿」と直接的に関わると思われる南蛮服の衿が描かれた絵画 は発見できなかった。

 南蛮服について言及した文字資料としては、ルイス・フロイス著『日本史』(1583)

7)

やフィッセ

ル著『日本風俗備考』(1833)

8)

などが著名であるが、ここからも小袖の衿に関する情報は得られず、

(8)

図8 南蛮屏風 部分 南蛮文化館 「名宝日本の美術 25 洛中洛外図と南蛮屏風」

(奥中俊六 , 小学館 , 1991)より引用

図9 南蛮渡来図屏風 部分 宮内庁

「日本服飾史カラースライド No.73」

(北村哲郎編 , 衣生活研究会 , 1985)より引用

南蛮服から受けた影響を論じている近年の論文

9)

にも「特徴的な衿」に関する記述は見られなかっ た。

5.高月氏製作のレプリカによる衿の着装実験

 3. で述べたように、「特徴的な衿」は内衣の衿であること、また 4. では南蛮服などの関連でも、

文献的には説明されていないことが分かった。そこで、絵画の中の「特徴的な衿」が、現実に存在 したのか、また存在したとしたら、どのような状態を表現したものかを明らかにするため、当時の 寸法で製作された小袖を使って着装実験を試みた。モデルとして、「特徴的な衿」が明瞭に描き出 された「彦根屏風」中の柔らかそうな赤い衿で口元を覆う、左 2 隻中央で双六を観戦している女性 を選んだ(図 1 - 1)。

 高月智子著『「桜狩遊楽図屏風」に描かれた小袖の形態及び着付け方に関する研究』

10)

のために 製作された小袖のうち、彦根屏風の推定制作年代と同時代の寸法で製作された小袖 2 着(A、B)

を使用した。A はポリエステル 100%で、B は正絹綸子で製作されたものである。A を上着として、

B は内衣として使用する。衿の折り方は、A は首まわりで半分に 2 つ折り、腰紐部で衿を広げ、B は後ろ中心では半分に 2 つ折りし、首に近い鎖骨付近より衿を広げ始め、下部に行くに従い徐々に 広げる事とする。

(1) 上着と内衣の衿の合わせ方

 「彦根屏風」とほぼ同時代の「賀茂競馬・遊楽図屏風」の一女性の衿を再現するため、衿の合わ

せ方に変化を付けた着装を試みたところ、深く打ち合わせた時に、表面に内衣の衿が現れ衿の柔ら

(9)

かさが見えた。

(2) 内衣の衿を折りたたむ強さ

 上着と内衣の衿、両方を深く打ち合わせた上で、内衣の衿がより表に現れるように、そして内衣 の衿をより首元に近づけるために、内衣の衿の折り方に変化を付けた着装を試みた。

 a.内衣の衿にしっかり折り目を付ける。

 b.内衣の衿を軽く柔らかく折る。

結果、a はぎこちなくマフラーのようには見えないが、b は空気が入ってふくらんだように見え、

a よりは目指す衿に近かった。しかしある程度の張り感がでるため、目指す衿のよう丸く柔らかい 感じはでなかった。

(3) まとめ

 現代の着装法の場合と比較すると、上記 b の状態では柔らかい感じが得られた。これは衿芯を 入れなかったことと、衿を軽く柔らかく折ったことによる。しかし、目指す絵画の描写には十分に 近づけることができなかった。恐らく、使用した綸子の風合いや生地としての特徴などのよるもの と推測される。

 また実験中に口元を隠す女性姿に近づけるため、内衣の衿を引き出すポーズを試みたところ、右 手で内衣の右衿を出すことが難しかった。なぜ、容易に出せる左衿でなく右衿を出した形で描かれ ているか、また、引き出した後の衿は出したままにしておくのか、再び入れ込むのであろうかと言 う疑問が生じる。

6.異素材による内衣のレプリカ製作と着装実験

(1) 目的

 素材を変えることで絵画の表現に近づく可能性が推測されるため、内衣のレプリカを何種類かの 生地で製作し、実験的な着装を試みることにした。また、彦根屏風の口元を隠す女性のポーズを一 度すると、衿が外に出たままになることから、引き出した衿の後の状況を検証することも合わせて 目的とする。

(2) 製作方法

 「柔らかさ」のためには、特にドレープ性が必要と考え、内衣の小袖を製作した。下記 6 種類の 白絹地を使用し、彦根屏風の推定制作年と同時代の寸法を用いた。

11)

1) 生地の種類

 A.16 匁デシン B.30 匁クレープ C.18 匁ジョーゼット D.30 匁ジョーゼット

 E.14 匁羽二重 F.13 匁シャンタン

(10)

(3) 実験内容

1) 着装時の衿の状態(図 10)

 上着は、衿は首後ろでは半分に折り、衿先で衿を広げた状態。内衣は以下 4 つの状態で着装した。

 イ.衿を半分に折る

 ロ.首後ろでは半分に折り、鎖骨付近から広げる  ハ.首後ろでは半分に折り、耳下付近から広げる  ニ.広げたまま

2) 観察点

 a.直立         b.着座         c.彦根屏風の口元を隠す女性の姿勢

 d.c 後、引き出した衿から手を離した後の衿の状態    e.鏡を見ずに衿を戻す事の可能性   

(4) 結果

 イ、ロ、ハにおいて、「特徴的な衿」に関係する類似性は、全種類の生地にほとんど見られなかっ た。しかし、ニでは「特徴的な衿」に近づく。従って内衣の衿は一切折らずに、広げたままが適当 であると言える。

  クレープ 1.492 0.418 0.357 0.33

緯 63 0.050 74.14 C.  18 匁

  ジ ョ ー ゼ ッ ト 0.771 0.285 0.271  経 72  0.023 35.69 緯 60 0.038 57.97 0.22 D.  30 匁

ジ ョ ー ゼ ッ ト 1.276 0.429 0.297 経 122 0.027 43.78 緯 65 0.037 54.63 0.45 E.  14 匁

  羽二重 0.647 0.162 0.399 経 38 0.035 57.53

緯 54 0.038 66.73 0.62 F.  13 匁

  シャンタン 0.512 0.131 0.391 経 45 0.018 30.31

緯 32 0.048 84.79 0.49

(11)

図 10 着装時の衿の状態 イ、 ロ、 ハ、 ニ ~ C. 18 匁ジョーゼットの場合~

イ.衿を半分に折る

ハ.後ろ中心では半分に折り 耳下付近から広げる

ロ.後ろ中心では半分に折り、

鎖骨付近から広げる

ニ.広げたまま

この衿の着装実験に於ける各生地の評価を簡潔にするために、観察点 a ~ e の結果(b は省略)を 良い○= 1 点、やや良い△= 0.5 点、不適×= 0 点、合計 4 点とポイント化し、総合的な印象とと もに評価した(表 2)。

表2 6種類の生地の評価          観察点

生地名 a. c. d. e. 合計点

 A.16 匁デシン × × ○ ○ 2

 B.30 匁クレープ △ ○ △ ○ 3

 C.18 匁ジョーゼット ○ △ × △ 2

 D.30 匁ジョーゼット △ ○ △ ○ 3

 E.14 匁羽二重 △ △ ○ △ 2.5

 F.13 匁シャンタン ○ ○ ○ ○ 4

(12)

図 11 着装時の衿の状態 ~ F. 13 匁シャンタン~

a.直立 c.彦根屏風の口元を隠す女性の姿勢

d.c後、引き出した衿を 離した後の衿の状態

e.鏡を水に衿を戻すことの可能性 図 12 観察点 a, c, d, e  ~ F. 13 匁シャンタン~ * d、e は、着座の状態

(13)

 この結果からは、一番高得点であるシャンタンが、6 種類の生地の中で「特徴的な衿」に最も近 くなる生地であると言える。(図 11、12)

7.復元された紗綾と綸子に関する調査

 他方、江戸時代初期に、小袖の材料として人気があった生地について、検討してみたい。

近世初期の生地については、現存する初期小袖には「練緯」が最も多く使用され、「次に節織(節 糸で織った平絹)、紬織(紬糸で織った平絹)、綾、紗綾の順序かと思います。」とし、時代が下が ると共に女物小袖の大半は綸子になり江戸中期から縮緬が現れると、神谷氏は述べている。

12)

 「練緯」は生経練緯とも言われ、経糸に精錬していない生糸、緯糸には精錬した練糸を用いた、

平織の絹地である。布全体の張りと独特の光沢が特徴とされている。この地質が広く活用されたの は室町末期から桃山時代で、現存する辻が花染めや刺繍箔の小袖の大部分はこれによるものである。

しかし、桃山時代が過ぎ江戸時代に入る頃には、張って膨らんだ服装様式から離れて、堅苦しい格 調高い表現よりも、自然に身体を包み込む姿が美しいと感じる風潮になった。「練緯」の風合いの 特徴である張りは格調を表すためには良いが、身体の輪郭線を自然に優しく表すためには適当では ない。そこで、中国から輸入されたり、自国で作られ始められたりした練絹地で、柔らかい紗綾や 綸子などの素材を用いて小袖が仕立てられるようになった。

(1) 紗綾

 平織地に文様を 4 枚綾で織り表した、平地綾文組織の絹織物である。経糸緯糸共に生糸を使用し、

織ってから練った、緻密でさらりとした柔らかさを持つ生地である。

 この織物は天正期(1573 ~ 1591)には織り始められたと言われ、武家の間で好まれてきた強装 束風の硬い素材や張りを強くした絹が、礼装を除いて徐々に使われなくなった江戸時代初期には、

需要が多く、生産もかなり盛んであったようだ。文献上では、寛永 16 年(1639)に権大納言局が 帰洛するに際し、千代姫から大宮へ紗綾 20 巻を贈っている記録があり、当時紗綾は最も喜ばれた 品の一つであると言えよう。その後、綸子、縮緬類の需要が多くなるに従って次第に衰え、幕末以 降には全く姿を消してしまっている。   

 慶安 3 年(1651 年)刊行の『女鏡秘伝』には「小袖の地のこと」とし、羽二重・唐織・綸子・

縮緬とともに紗綾が載せられている。「羽二重は地の薄きはあしく、しわよりて後のていよろしか らず、…(中略)紗綾はいやしきものなり、さりながら染めの模様によりてよろし、綸子しなやか にしかもひかりありて一よろしきものなり。(中略)縮緬もしなやかにふりのよろしきものなり、

これもしわよらず、染めやうにさまざまあるべし…

13)

」と述べられており、女性の愛好は綸子・縮 緬より劣っていたようだ。しかし、長崎商館仕訳表(Negotie Journal)によると、正保元年(1644)、

オランダ船が長崎で販売した絹織物の中で紗綾は、縮緬の 7 倍上、綸子の 2 倍以上

14)

であり、そ

の需要は非常に多かったとみられる。

(14)

見ゆるものなり

15)

」とあり、女物小袖地としては綸子が第一とされていたようだ。そして『類従 近世風俗志』(原名:守貞漫稿)では、『女鏡秘伝』を引用した後、「市中の女は間着下着或正白り んず等也(中略)緋りんずの顔に映ずるを好とすること古の人心素朴なり今世の人の心は如レ此事 を未熟とす縮緬は武士市中とも今専用也

16)

」とし、綸子に替わり縮緬の人気を表している。

(3) 復元された紗綾と綸子の物性

 研究中、関西学院大学アート・インスティチュートで実施されている「江戸時代の小袖に関する 復元的研究」というプロジェクトの一環として製作された生地である紗綾と綸子の小片を、同大学 院博士課程の高木香奈子氏より御提供頂けることができた。(以降、それぞれを「復元紗綾」「復元 綸子」と呼ぶ。)同プロジェクトでは、生地の風合いは重要であり、絹糸の質から吟味しなければ ならないという考えで進められている。そして、同時期の遺品と思われる染織品を参考に、織物の 専門家に依頼した生地で、愛媛県野村地方で養蚕された「曙」という品種の繭からとれた糸を使用 している。近年復元された「曙」は江戸時代のものに比べると大きいが、現在出回っている他の品 種に比べると小さい。手さわりが非常に柔らかいのは、糸の細さと織りの密度が粗であるためだと いう。

 この紗綾と綸子も 6.の (2)の2)と同様の特性を調査した(表 3)。しかし、それら小片には 大きさに限りがあるため、同じく硬軟性を比較することのできるハートループ法を試みた(表 4)。

表3 復元紗綾と復元綸子の構成因子        生地名

構成因子 復元紗綾 復元綸子

質量(g/㎝2) 0.662 0.777

厚さ(㎜) 0.167 0.173

布密度(g/㎝3) 0.396 0.449

糸密度(本 /㎝) 経 45 / 緯 30 経 85 / 緯 37

糸の重さ(g) 経 0.052 / 緯 0.027 経 0.032 / 緯 0.026

糸の太さ(D) 経 89.83 / 緯 45.98 経 55.65 / 緯 45.13

(15)

(4) シャンタンとの類似性

 経緯を逆にした場合、着装実験で 1 番目的の衿に近くなる「シャンタン」と最も類似性が見られ るものは、「復元紗綾」であった(表 5)。

 表 3 で「復元紗綾」と「復元綸子」を見ると、経糸に比べ緯糸が細くなっている。しかし現代の 織物は、一般的には経糸の方が細いものが多い。結果を踏まえ、仮に「シャンタン」と「復元紗綾」

の経緯の糸の太さ(デニール)を逆にし、糸の太さを同質量になるように計算をする。すると、糸 の太さはおおよそ同値になる。それは、「シャンタン」と「復元紗綾」を組織する糸の性質は似て いるということで、糸の性質が似ているということは、生地の風合いの類似性にも影響すると言え よう。また、生地の硬軟性についても、「シャンタン」と「復元紗綾」は、経と緯とを逆にすると 類似した数値になり、柔らかさも似ていると思われる。

 つまり、 「復元紗綾」は、着装実験で目指す衿に 1 番近づいた「シャンタン」と布の性質が似ている。

ゆえに、「復元紗綾」を用いて製作された内衣は、恐らく、着目している近世絵画に描かれた特徴 的な衿に近い着装が出来ると推測される。しかしこの生地は現段階では入手不可能であり、遺憾な がらこのことの確認はできない。

表4 ハートループ法による硬軟性の結果(㎝)

         生地の方向

  生地名 経 緯 斜

    A. 16 匁デシン 2.75 3.3 3.3

    B. 30 匁クレープ 2.95 2.9 3.5

    C. 18 匁ジョーゼット 3.2 3.1 3.7

    D. 30 匁ジョーゼット 2.6 2.6 2.85

    E. 14 匁羽二重 2.45 2.45 2.65

    F. 13 匁シャンタン 3.2 2.0 2.9

    復元紗綾 2.0 3.5 3.0

    復元綸子 2.3 3.1 3.2

表5 シャンタンと復元紗綾との比較         生地名

 構成因子 シャンタン 復元紗綾

布密度(g/㎝3) 0.391 0.396

糸密度(本 /㎝) 経 45 /緯 32 経 45 /緯 30

糸の太さ(D) 経 30.31 /緯 84.79 経 89.83 /緯 45.98

ハートループ

(経 / 緯 / 斜) 3.2 / 2.0 / 2.9 2.0 / 3.5 / 3.0

(16)

 生地は実験で用いた6種類の中ではシャンタンが最適であった。「特徴的な衿」は柔らかそうで あるため、当初、ドレープ性が重要だと考えていたが、ドレープ性の高い 18 匁ジョーゼットは不 適で、ドレープ性の低い 14 匁羽二重もまた不適であることから、この実験では 0.33 以上 0.49 以下 が適当であるという結果であり、ある程度の保形性も必要であることが分かった。

 また、復元紗綾は、縦緯を逆にした場合、上記のシャンタンとの硬軟性、布密度、糸密度、糸の 太さが近似している。近世初期の小袖が多く紗綾で仕立てられたことから、紗綾に近似した性質を 持つシャンタンから良い評価を得たとことは、この実験結果の妥当性を裏付けられるものと言えよ う。近世初期の絵画に描かれたこの「特徴的な衿」は 17 世紀半ばまでに絵画から消え、一方その頃、

綸子の人気が高まるにつれ、紗綾もまた衰退していく。ここから「特徴的な衿」と紗綾との密接な 関係が伺われる。

 更に、以上の結果から、「特徴的な衿」の描写は、空想的な絵画表現ではなく、実在した姿の写 実的な表現である可能性が高いことを指摘したい。

謝辞

本論は平成 19 年度本学大学院家政学研究科被服造形学専攻修士論文を踏まえ、新たな資料と考察 を加えて執筆しなおしたものです。

 研究に対する真摯な姿勢や進め方、論文の作成まで終始丁寧にご指導くださった本学教授の能澤

慧子先生には心より感謝申し上げます。また、布地の構成因子の実験についてご指導を賜りました

本学服飾美術学科助教の趙栄淑先生、着装実験のモデルを務めて下さいました本学大学院修了生の

渡部弘美さん、同菅野ももこさん(現環境情報学科助教)、小袖レプリカを快く貸与下さいました

本学非常勤講師の高月智子先生、貴重な復元紗綾をご提供下さいました関西学院大学大学院博士課

程の高木香奈子さんに、末筆ながら深く御礼申し上げます。

(17)

1)堀越すみ . 資料 日本衣服裁縫史 . 雄山閣 , 1974 , 211p.

2)喜田川守貞 . 類従近世風俗志(守貞漫稿). 1853, 時代は下がるが、1853 年に書かれた随筆『類従近 世風俗志』(原名:『守貞漫稿』)には、 「今世江戸の婦女襟の頸邊に一所 或いは三所黒大糸を以て 上下に刺縫如くし、両端を結び止め…(中略)着すに臨て二つに折し之」と、衿の内側の端に糸を 付けて二つ折りにすることを記している。その頃の絵画資料を見てもわかるように、江戸後期に衿 を二つ折りにして着装することは一般的であったと言えよう。

3) 奥平俊六 . 彦根屏風 無言劇の演出 . 平凡社 , 1996, 89p.

4) 高田倭男 . 服装の歴史 . 中央公論新社 , 2005, 286p.

5) 松田毅一 . 日本文化史4 大航海と日本 . 講談社 , 1973

6) 丹野郁 . 南蛮服飾の研究―西洋衣服の日本衣服に与えた影響―. 雄山閣 , 1993, 48p.

7) ルイス・フロイス . 完訳フロイス日本史 4. 松田毅一、川崎桃太訳 . 中央公論社 , 2002. 62p.

8) フィッセル . 日本風俗備考 2. 庄司三男、沼田次郎訳 . 平凡社 , 1995.

9) 野上俊子 . “中世末期における外来風俗の研究その1-南蛮服飾とその影響について-” 京都光華大 学研究紀要 Vol.8. 1970. 景平一惠 . “南蛮服飾の研究-衿と袖の構成に関して-” 共立女子大学家政 学部紀要 通号 25. 1979. 中井長子 . “近世初期風俗画にみるカルサン(軽衫)の服飾的課題” 山口女 子大学家政学部研究報告 通号 19. 1993. 水谷由美子 . “宣教師が見た日本における南蛮服飾の受容に ついて- 16 世紀後半から 17 世紀初頭を中心に-”国際服飾学会編 .. 国際服飾学会誌 No.21. 2002.

10) 高月智子 . “「桜狩遊楽図屏風」に描かれた小袖の形態及び着付け方に関する研究” 東京家政大学平 成 11 年度修士論文 . 1999.

11) 神谷栄子 . 日本の美術 12 No.67 小袖 . 至文堂 , 1971. 30p.

12) 神谷栄子 . 日本の美術 12 No.67 小袖 . 至文堂 , 1971. 66p.

13) 著者不明 . 女鏡秘伝 . 1650(慶安3年), 20p.

14) 山脇悌二郎 . 絹と木綿の江戸時代 . 吉川弘文館 , 2002, 4~5p.

15) 著者不明 . 女鏡秘伝 . 1650(慶安3年). 20p

16) 喜田川守貞 . 類従近世風俗志(守貞漫稿). 1853, 523p.

図 1 彦根屏風 部分 (彦根城美術館 . よみがえった国宝・彦根屏風 . 2005)より引用 図 2 - 1 賀茂競馬・遊楽図屏風 部分 金剛寺 (徳川美術館 . かぶく美の世界 -絵は語る異端と享楽の浮き世
図 10  着装時の衿の状態 イ、 ロ、 ハ、 ニ ~ C. 18 匁ジョーゼットの場合~イ.衿を半分に折るハ.後ろ中心では半分に折り耳下付近から広げる ロ.後ろ中心では半分に折り、鎖骨付近から広げるニ.広げたまま この衿の着装実験に於ける各生地の評価を簡潔にするために、観察点 a ~ e の結果(b は省略)を 良い○= 1 点、やや良い△= 0.5 点、不適×= 0 点、合計 4 点とポイント化し、総合的な印象とと もに評価した(表 2)。 表2 6種類の生地の評価          観察点 生地名 a
図 11  着装時の衿の状態 ~ F. 13 匁シャンタン~

参照

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