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『日本禅宗における追善供養の展開』

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Academic year: 2022

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Press of Hawaii, 1971, p. 288︶︒

  以上のようなシャンカラ派の動向と南インドのバクティの動向などを考慮に入れれば︑インド思想史上にシャンカラを位置づけようとする従来のインドのダスグプタや欧米や日本の諸研究者が︑文献学的・解釈学的方法などで︑シャンカラに帰せられている﹃サウンダルヤ・ラハリー﹄などのバクティ讃詩を︑シャンカラ哲学研究の資料としては︑使用しないようにしてきているのであり︑批判されるべき事ではないのである︒シャンカラ派の思想と﹁信仰﹂を研究対象とする本研究の場合には讃詩が重要な史料となるのは当然であり︑方法論の議論もそれほど必要ではなかったかと思う︒

  今一点指摘したいことは︑本の題名が﹃シャンカラ派の思想と信仰﹄とあるが︑本書は著者自身が書いているように︑﹁シュリンゲーリ僧院を中心とした﹂研究であるから︑限定語を付した方がよかったように思われる︒このままであれば︑初代シャンカラによって南のシュリンゲーリのみならず︑東のプリー︵Purī︶︑西のドヴァーラカー︵Dvārakā︶︑北のバダリナータ︵Badarinātha︶に創立されたといわれる僧院の他︑やはり初代シャンカラに由来すると言われる南インドのカーンチー︵Kāñcī︶の僧院をも合わせた五つのシャンカラ派僧院全体の思想と信仰の研究のような印象を受ける可能性があるからである︒ 徳野崇行著

﹃ 日 本 禅 宗 に お け る 追 善 供 養 の 展 開 ﹄

国書刊行会  二〇一八年二月刊A5判 ⅰ+五一六+一九頁 一二〇〇〇円+税

伊  藤  良  久 一  葬儀や追善供養︵ここでは両者をまとめて﹁葬祭﹂と省略︶については︑日本禅宗にとって非常に重要な問題である︒葬祭儀礼は︑禅宗のみならず仏教諸宗派が教団として主宰している︒各宗派それぞれの特徴を持ちながら︑整備されて発展し︑社会に定着して︑何より教団の経済的な基盤となっている︒

  しかしながら︑この葬祭儀礼を仏教教理や︑禅学︵例えば曹洞宗学︶によって位置づけ︑意味づけることは非常に難しい︒葬祭が︑各宗派の教義で説明できるのかどうかという問題である︒実際︑禅思想を研究しても葬祭との関係性はあまり見えてこない︒葬祭は宗旨から逸脱したものではないかという指摘さえある︒このような事情もあり︑日本禅宗と葬祭の展開について積極的に︑また総合的に取り組んだ研究というのは︑それほど多くはなかったように思う︒葬祭儀礼は身近にあって当然のものでありつつ︑研究対象にはならなかったのである︒

  ただ︑関係する周辺の研究は非常に多い︒これらの多数の研

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は︑古代の奈良・平安仏教から中世の禅宗まで︑第二部では近世の禅宗について︑そして第三部では近代の禅宗についてというように︑時系列に分類して︑各時代の追善供養の展開について議論が進められる︒

第一部  奈良・平安仏教と中世禅宗における追善供養の展開第一章  奈良・平安仏教における追善供養の展開第二章 中世前期における禅宗の追善供養第三章 中世後期における禅宗の供養儀礼とその多様化第二部  近世禅宗における追善供養の展開第四章  近世檀家制度の成立と供養の物語第五章  近世の出版文化と供養儀礼第六章  近世加賀大乗寺における追善供養第七章  藩主家の菩提寺における供養儀礼第三部  近代禅宗における追善供養の展開第八章 近代禅宗における追善供養の展開とその再編

  第一部の第一章は︑追善供養の淵源を探るため︑仏教伝来期の飛鳥・白鳳時代の検討から始まる︒続く奈良・平安期については︑﹃日本書紀﹄や﹃続日本紀﹄等の六国史の記述︑空海撰﹃遍照発揮性霊集﹄︑菅原道真撰﹃菅家文草﹄︑﹃本朝文粋﹄所収の願文・表白文を用いて詳細な分析がなされる︒その上でこれらの資料にもとづいて︑いつ・誰が・誰のために・どのような形式の葬祭儀礼を行ったのか一覧表で紹介されている︒これらは天皇家や︑摂関家などの貴族層に対する事例である︒ 究成果は本書の細注を見れば伺うことができる︒本書での研究を進めるために最も重要な資料は清規である︒禅宗の清規は︑各地の叢林における日々の修行法に関する記述はもちろんのこと︑葬祭儀礼など各種儀礼に関わる作法や回向文も多数収録し︑これらをまとめた行法書である︒この清規の概略については小坂機融の成果があり︑他には禅林寺本﹃瑩山清規﹄をはじめとする多数の新出資料を紹介し︑かつ﹁施餓鬼﹂︵本書評では﹁施食会﹂と記す︶など諸々の法要についての意義をまとめた尾崎正善の成果がある︒これらは︑宗祖の思想や宗旨を学ぶためであり︑現在の僧堂行持について歴史的な意義や地域的な個別性を見いだしながら︑意義づけるということが目標であった︒葬祭儀礼のみに焦点を絞って︑それを明らかにするための研究ではない︒

  こうした成果に導かれつつ︑各種の研究の蓄積や数多くの資料を丹念に分析し︑古代から近代に至るまで網羅的に︑特に禅宗における追善供養の展開という視点から研究しまとめたものが本書である︒

  また︑葬祭儀礼は︑禅僧達と人々とを直接的につなぐものでもある︒この清規を主な資料として︑儀礼や実践の諸相を取り上げて︑追善供養の役割や意味を明らかにし︑さらには︑寺院・僧侶と在家者・民衆との接点を浮き彫りにすることも本書の大きな目的である︒

二  本書は︑次のように三部八章の構成となっている︒第一部で

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る︒   第三章は︑中世後期の検討である︒曹洞宗の禅語録に収録された法語類が分析され︑葬祭儀礼の形態が分類されている︒特に︑施食会や観音懺法は︑顕密仏教にはない禅宗の独自性を表す儀礼であり︑語録の検討によると︑一五世紀中葉に加えられた儀礼だという︒

  次に施食会や懺法の行持法を収録する清規の検討として︑大安寺︵長野市︶所蔵﹃回向并式法﹄︑正法寺︵岩手県奥州市︶所蔵﹃正法清規﹄︑静居寺︵静岡県島田市︶所蔵﹃年中行事清規﹄︑普済寺︵静岡県浜松市︶所蔵﹃広沢山普済寺日用清規﹄︑天倫楓隠撰﹃諸回向清規﹄といった清規を取り上げて時系列で比較し︑施食会や観音懺法といった禅宗の行法が導入され︑また選述された寺院により変更が加えられ︑儀礼が多様化の一途をたどる過程が明らかにされる︒

  第二部の第四章では︑まず檀家制度が確立され︑幕藩体制の一翼を担った仏教教団における追善仏事の位置づけが﹁宗門檀那請合之掟﹂などから検討されている︒檀家とは︑所属する寺院に葬祭儀礼を依頼し︑また当該寺院の盂蘭盆会などの諸行事に参詣するものだという︑当時の﹁正しい檀家像﹂が明らかにされ︑その一方で︑檀家以外の参詣者が参加できる行事を﹃諸国年中行事﹄﹃東都歳事記﹄をもとに抽出するなど追善供養の諸相について論じられている︒

  第五章では︑近世に刊行された行法書の一覧を作成して︑出版文化と供養儀礼との関連を述べ︑葬儀はもちろん施食会や観音懺法が単独の行法書として出版されてきた例が紹介されてい   次いで主に民衆層に対する実践としては︑﹃日本霊異記﹄に収録された供養の物語をもとに考察されている︒

  古代の仏事は︑仏教の伝来時点ですでに様々な作善行為が営まれていたようだ︒また︑七世紀の段階で︑すでに盂蘭盆会を通して父母への追善行事が営まれていた︑という推察は非常に興味深い︒

 第二章では︑中世前期の事例が検討されている︒武家の事例としては﹃吾妻鏡﹄の分析から︑前章と同様に︑いつ・誰が・誰のために・どのような仏事を行ったのか分析される︒源氏将軍家や北条執権家においては︑当初は顕密行法による仏事が営まれ︑次第に顕密と禅の行法が併修される様子が明らかにされている︒

  次に︑日本最古の清規で東福寺︵京都市東山区︶の﹃慧日山東福禅寺行令規法﹄の考察を通じて︑禅宗の檀那忌や祠堂諷経といった供養儀礼について論じられる︒

  そして︑曹洞宗の事例としては︑禅林寺︵福井市︶にて発見された禅林寺本﹃瑩山清規﹄や永光寺︵石川県羽咋市︶所蔵資料などから検討がなされる︒特に同清規は︑曹洞宗の年中行事や葬祭儀礼に関する行法︑現代の法要でも用いる様々な回向文が多数収録され︑今日の宗門儀礼の淵源である︒なお︑曹洞宗における施食会の初出も同清規であるという︒

 中世前期において︑はじめは顕密の行事による葬祭儀礼が営まれていたが︑北条執権家の葬祭儀礼が来朝禅僧によって営まれるようになると︑顕密と禅宗式の葬祭が併修される段階を経て︑次第に禅宗の特色が現れていくという流れが明らかにされ

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︵長野県松本市︶での供養儀礼の検討を行う︒各寺の清規を見ると︑やはり追善供養は行われており︑特に井伊家や戸田家など藩主家に対しては各別の配慮がなされていた︒

  そして大本山永平寺︵福井県吉田郡︶の供養儀礼の状況である︒修行を中心に述べる﹃永平小清規﹄には追善仏事に関する記述はやはり少ない︒ただ︑清規以外の資料には日牌や月牌の記録もあり追善供養は継続的に行われていたという︒

 第三部の第八章では︑明治維新後についての検討である︒当時︑寺請制度は廃止されていたが︑檀那札による戸籍管理が構想されたり︑壬申戸籍には菩提寺の記載が含まれていることから︑神葬祭への全面移行を進めた際に起こりうるキリスト教の伝播を防ぐ防壁として︑葬式仏教が温存されたことが論じられている︒

  また︑皇祖神の天照大神が国民の﹁大先祖﹂﹁総先祖﹂の象徴となり︑各家の先祖供養の延長線上に皇祖神が位置づけられるようになった︒明治期の先祖供養は体制的な皇祖神と結びついて展開し︑浸透したのである︒

  近代といえば︑戊辰戦争や西南戦争などの国内の戦争︑日清戦争から第二次世界大戦にいたるまでの国際的な戦争があり︑戦没者が多く生じてしまった︒そのため︑仏教諸宗派によって戦没者供養が行われ︑各宗派の特色がこの式次第に見られるという︒禅宗の場合は施食会だとする︒

 さらに近代以降の葬祭儀礼は再構築される︒曹洞宗の公式的な行法書は﹃行持軌範﹄であるが︑仏教関係の出版社が発刊した行法書が︑仏教儀礼の伝播や均一化に大きな影響力を持った る︒その上で︑出版にともなってこれらの儀礼が追善供養として定着したとする︒

  さらに︑当時の臨済宗と曹洞宗を代表するような学僧として︑無著道忠が選述した﹃小叢林略清規﹄と︑面山瑞方が選述した﹃洞上僧堂清規行法鈔﹄︵以下﹃行法鈔﹄︶についての考察がなされている︒特に︑﹃行法鈔﹄は開版されて曹洞宗寺院に普及した︒全国各地の寺院において︑それぞれの山法にて営まれていた様々な法式や儀礼を統一するものであり︑宗門全体が依拠するような行法書であった︒本章では︑﹃行法鈔﹄が明治期以降に刊行される﹃行持軌範﹄の先駆けとなるものだと位置づけられる︒

  第六章では︑近世禅宗寺院における追善供養の具体的な姿について大乗寺︵金沢市︶を事例として考察されている︒検討された資料は当時の宗統復古を牽引した卍山道白が選述した﹃椙樹林清規﹄︑大乗寺山内の財務記録である﹃副寺寮日鑑﹄である︒

  同清規からは施食会や観音懺法を営んだ例が紹介され︑同日鑑からは葬祭儀礼を重視していた山内の状況がうかがえる︒何より︑大乗寺での法要の内容や供物の分量が︑施主が準備する施財の金額によって︑一二段階に細分化されていたことが明らかになった︒この日鑑は︑当時の追善供養と施財との関係性を示す好資料である︒

 第七章は︑前章が本多家や前田家とゆかりの深い大乗寺についての考察であったが︑ここでは彦根藩主井伊家の菩提寺清凉寺︵滋賀県彦根市︶と︑信濃松本藩主戸田家の菩提寺全久院

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が﹁先祖﹂とは呼ばず︑あえて﹁死者﹂とする︒   なぜなら︑供養は︑特定の家名や氏名をともなう家制度にもとづく先祖代々精霊に対する作善行為だけではなく︑家制度をはなれた対象も含む場合もあり︑生者と死者には多様な関係があるからである︒また︑死者は︑先祖として子孫を守護する存在でもあれば︑非業の死を遂げた場合等は﹁恨み︑祟る死者﹂という災厄をもたらす存在にもなる︒その両方の意味を持たせる必要がある︒そして︑日本仏教における追善供養は﹁先祖﹂と称される死者群を対象とするよりも︑特定の死者個人に対するものが多い︒それは亡くなった父母であったり︑子供であったり様々であるが︑﹁先祖代々﹂を対象とするものだけではないのである︒このようなことから︑﹁死者供養﹂の語を用いて考察が進められてきた︒

 本書ではあえて﹁先祖供養﹂としていないが︑近代以前の追善仏事は︑先祖のための供養ではなく︑特定の死者個人に対する供養という意識があったからである︒回向の対象が個人のみならず︑先祖代々を含んでいくのは一八九〇年頃以降という︒今日の法事で先祖代々を対象に行う先亡累代諷経は︑この時期にはじめて成立したのである︒つまり﹁先祖代々﹂に供養を行う現行の追善仏事は比較的新しい形式の法要ということになる︒これは︑従来とは異なる著者によってなされた新しい指摘である︒

  以上︑三部八章の内容について簡単に紹介した︒ のではないかと指摘している︒

  例えば︑今日の寺院で営まれている追善供養は︑第一に本尊上供︵釈尊と道元禅師・瑩山禅師の﹁一仏両祖﹂︑及び一切の三宝に回向︶から始まり︑第二に法要の対象者︵死者故人︶へ回向する年回正当回向︑そして第三が死者の家の先祖代々の精霊を供養する先亡累代諷経であり︑三部構成で法要が営まれている︒この第三が先祖供養に当たる︒この供養の回向文は﹃明治校訂洞上行持軌範﹄︵明治二二年︶には収録されず︑﹃昭和修訂行持軌範﹄︵昭和六三年︶に致ってようやく収録されている︒この二つの﹃行持軌範﹄には明治から昭和まで︑出版にはかなりの間隔がある︒ただ︑それを埋め合わせるように︑明治期には様々な法要の指南書が多数刊行された︒この中には上記第三の先亡累代への回向を収録する書籍もあった︒この回向を収録する最も古い行法書は﹃諷経必携洞上行持四分要録﹄︵一八九〇年刊︶である︒国家の政治・社会思想が︑皇祖神を敬い祖先を崇拝するという流れになる時︑その具体的な実践が第三の先亡累代諷経であったと著者は推察する︒

  なお︑これらの供養で用いる回向文は︑﹃瑩山清規﹄やそれ以前から変わらず読誦されているもので︑伝統的な文言が多い︒歴史的な言葉を用いながらも︑曹洞宗における現行の三部構成の追善供養の形態は︑実は近代になってから︑それも﹃諷経必携洞上行持四分要録﹄が刊行された一八九〇年を淵源とする比較的新しい法要なのである︒

  ところで︑本書は﹁追善供養﹂を﹁死者供養﹂と称して考察を進めているが︑普通はそれを﹁先祖供養﹂と呼ぶことが多い

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する︒   一方で観音懺法は︑死者の罪業を観音菩薩に懺悔して滅することで救済する︑死者個人のみを対象とする供養法であるという︒本書は観音懺法の初出を﹃曇英慧応語録﹄と推測するが︑確かに観音懺法を曇英︵一四二四︱一五〇四︶に依頼した越後守護代の長尾氏は︑戦乱の時代に生きたということもあって︑領地を護りまた拡大するための戦いも多く︑敵味方を問わず不遇の死を遂げた者も多かったと思う︒その罪を滅するために懺法を行ったと考えれば分かりやすい︒観音懺法は死者個人が犯した罪業という人生の﹁深さ﹂に焦点を与えた供養法であるとする︒

  つまり﹁供養の広さ﹂を特色とする施食会と︑﹁供養の深さ﹂を特色とする観音懺法の何れもが禅宗の弔いとして重要視されていたというのである︒

  上記の二つの視点は大変示唆に富む指摘だと思う︒  次に本書の課題である︒結論にまとめられた課題は早急に解決して頂きたいと思う︒当研究で用いた資料が﹃曹洞宗全書﹄﹃続曹洞宗全書﹄︑その他の研究成果にて翻刻された活字の刊行物であって︑未翻刻の資料を活用できなかったことが悔やまれる点だと著者は述べる︒

  一方で本書には︑しばしば曹洞宗文化財調査委員会が調査して紹介した原資料への言及がある︒同委員会においては日鑑・清規・切紙・古文書類をはじめ︑数多くの写真資料を保管している︒ぜひ原資料に当たってもらいたいと思う︒

  また︑寺院側や僧侶側からの考察にとどまり︑在俗者の側か 三  本書を読み︑新たな視点を得ることができたり︑積年の疑問点が氷解した部分があった︒二点ほどある︒

  まず第一点目は︑回向文でよく用いられる常套句﹁七世の父母﹂の解釈である︵本書二二五頁他︶︒

  この語は一般には︑七世代前までの父母達︑つまり先祖を意味する言葉と理解されている︒しかし︑この他に︑先祖ではなく七度の生涯のそれぞれの父母を意味するという解釈もある︒﹃諸回向清規﹄には︑﹁現世生身父母﹂のように現世の父母に対する回向だとあえて限定する言葉や︑﹁多生父母﹂のように何度も生まれ変わったその時々の父母達を対象にするという記載もあるからである︒

  このように考えると︑﹁七世の父母﹂への回向は︑幾多の輪廻転生の中で父母となった人物達に供養するという意に捉えられる︒これは︑今日の曹洞宗など禅宗においてはあまり見られない忘れられた解釈ということになる︒現在は︑その家の七代前までさかのぼって︑その先祖達を供養するという解釈が主流だからである︒

  第二点目は︑本書では禅宗の特色を表す大切な法要と位置づけられる﹁施食会﹂と﹁観音懺法﹂についての意義付けである︵本書三一〇頁他︶︒

  施食会は餓鬼という浮かばれない数多くの他者に対して︑食事を与え︑甘露をそそぎ︑そして救済するという儀礼である︒﹁広く﹂浮かばれない他者を救済することで大きな功徳を得ることができるので︑その功徳を故人に回向するのが施食会だと

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ら供養についてを取り上げられなかったとしている︒これについては︑各地の寺院に残された古文書類や切紙を読み解くことによって︑当時の人々の目線や要望がうかがえるのではないかと思う︒

  ところで︑著者はこれまでの研究成果を見ると︑フィールドワークを中心に現在に生きた事例を研究するというスタイルを持つ宗教学・民俗学の研究者であるという印象を評者は持っていた︒実際に︑東北地方のシャーマニズムなど興味深い事例が紹介され︑多くの研究成果が公開されている︒しかし︑本書は現地への調査というよりも文献に基づいた研究である︒

  あとがきには︑宗教学や民俗学の世界を安居中の永平寺で感じ取って︑追善供養という領域から禅宗の歴史的な展開を論じるようになったという経緯は記されているが︑本書の内容は意外なものに感じられた︒

  しかしながら︑葬祭に関する研究では︑仏教学者や各宗の宗学者では気が付かなかったり︑もしくは気付いていてもあえて踏み込まなかった点もあると思う︒本書は︑葬祭史研究に︑宗教学や民俗学などを背景とした研究者からの︑これまでとは別の視点から一石を投じたものである︒波紋はこれから大きく広がって行くであろう︒日本の禅宗における追善供養の展開を研究する際の必読の書である︒ 間宮啓壬著

﹃ 日 蓮 に お け る 宗 教 的 自 覚 と 救 済

││﹁心み﹂の宗教││

東北大学出版会  二〇一七年一一月刊A5判 ⅹ+五二六頁 七〇〇〇円+税

佐  藤  弘  夫 一  本書は︑著者である間宮啓壬氏による日蓮論である︒日蓮はいうまでもなく日本を代表する宗教者とされてきた人物であり︑その思想と伝記をめぐっては膨大な研究の蓄積がある︒類書もすでに数多く出されている︒そうしたなかで︑私がみたところ本書の最大の特色は︑日蓮という対象にアプローチするにあたっての視座と方法をめぐる明確な自覚である︒したがって︑この書評もその点を中心に論じていくことになる︒

  間宮氏は本書を︑宗教研究としての日蓮研究であると規定する︒その上で︑﹁宗教﹂とは何かという問題について︑﹁人間を超えた何ものかに関わる営為﹂︵四頁︶であると論ずる︒しかし︑ここで疑問が生じる︒人間を超えた存在︵カミ︶は︑人間の認知能力の及ばない存在である︒人間によって十全に認知できる存在は︑もはやカミとはいわない︒完全な存在であるカミも︑不完全な人間によってしか把握され︑表現される以外ないのである︒

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