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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

言語起源の問題

豊田, 實

https://doi.org/10.15017/2556578

出版情報:文學研究. 29, pp.1-9, 1941-08-31. The Kyushu Literary Society バージョン:

権利関係:

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0

糾聯應憶照淵'十噸(塵計'《""熱に)

言語起源の問題

≦ 、

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一英語史「第一部概観」の緒論一

豐‐田

言語の歴史を老へる際當然念頭に浮ぶ一つの問題は、言語の起源如何といふことである。即ち原始人類の言語、名 人種の言語の大もとはどんなものであったかを一應考へて見たくなるのである。但し下流中流を究め歩して一躍源を 探らうとするのば、勿論無法な行き方であるが、各國語の歴史的研究が可なりに進んだ今日では、大きな僻書の或る

頁蓬開いただけでも語源に關する興味ある或る程度の知識が得られないでもない。 「火」の語源などはその一例であ らう。火はPrometheusの傅読を俟つまでもなく、人類が有史以前から利用して來た顯著なものの一つであらうが、

この「火」に鴬る語が、妙に世界各國語において一致した、少なくとも類似した許をもってゐるのである。英語史の 立場から手近い所に先づ例を求むれば、 fireに對するドイツ語はFeuer,オランダ語はVuur) フランス語はfeuで

加圭裂篭9置裂 (111頁隅1)

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憾 惑 崖 韻 鑑1 1+呉彗 11 (1 1巨脚1)

あり、時代を測ると古朔英語ffr(sir."cM#.),古期サクソン謙fiur,古期商地ドイツ識fiur, fiiir (中期高地ドイツ 語、・iur, fiwer)である。またアイスランド語では火はfiil‑‑r(sIr. 7Jz(vsc.), f re(sIr. "c"f.)であるが、 スウェーデン詔及

〈』) 1

ぴデンマーク語ではfyrは燈姦或は燈姦の光を意味する。なほ古期チュー1、ン詔装ffiir‑(co"8. s【御",)はギリシャ語pd‑ir, pirrに對するものであり、、ウンブリア識ではpir,アルメニア語ではhnr,梵語の火はpTi, pavakaである。以上の例 で見ると「火」に営る語はf,v又はpを主要の子音としてゐる。 ラテンのignisは例外のやうに見えるが、それよ

りも古い根源から出たと思はれるVulgarLatinでは火はfocusである。以上は後で説│リ]するインド・ヨーロッパ謙 族からの例であるが、印度以東のちがった語系からの例を少し翠げると、馬來諦api,朝鮮識・ pul,アイヌ語abe,api,

(2) (2)

(I)uchi,huchi,叉日本語のhi,9iは、恐らくもとは(1'i (方言には今もこの吾が盛ってゐる)で、太古はpiであつナこであ らう。即ち「火」に當る各陞l語はh) f) v, (1), p等類似の喬を主要昔とし、ギリシャ語や舷も古い梵語などを参照し て老へると、 「火」に封する世界の原始語はl)面といったやうなものであったらしく、われわれは趣に人類原始語の 一つを發見したやうに恩はれぬでもない。然し蔀って老へれば、 「火」に對するかかる名稲の起源は、恐らく火注吹一

き起したり叉は吹き消したりする時の口つきや‑酢蝉から來た擬蕊(onomatopoea) らしく、擬諜となれば他にも類例 は極々あり、人間の口の繩弛が一致してゐる限り、諸種族の間に「火」に對して別々にかかる類似の詔が出來たと考

(1)古語の前に器があるのは、その語は文献にはないが、類推によって造られたものであることを示す。

(2)剛際昔凝裂協會では、 もとEで表はした無嘩の雨屑香に封し、近年もつと象徴的なギリシャ文字I)を使用することに なった。なぼ§はドイツ語ichのchのやうな吾を示す。

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巡、 0

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へられないでもない。然しともかく火の語源を擬盤とすれば、吾人は弦に言研の起源に關する一説としての擬鑿説即 ち俗名わんわん論(bowwowtheory)の一例を見るわけである。その他言語起源の臆説としてはPooh‑pooh theory と椰楡されてゐる間投詞説や、やつこらさ説(Yo‑he‑hotheory)等もあるが、何れも多数の學者の支持を得てゐな い。勿論、人間の言語中に擬謹、間投詞、掛謹等から來た鯛語のあることは認められるが、以上の諸説の何れもが原 始言語の説明として不充分なことは、言語の摂本的素因であるべき意志感情の疎通偉進といふことが殆んど考噛され てゐない鮎からも明かであらう。なほ言誘の起源に開しては、以上の蒜免とは全然方向を異にする二つの説がある。

その一つは言諦i'II授読、他は生得論叉は本能識とも稲さオi得るものである。刺1授読は言語を以て刺Iが夙に人間にのみ、

與へ給うた超自然的の賜であると見倣すものである。生得説は一方において寓物皆それぞれの饗をもつことを豫想し、

また他方において原始人特有の本能を假定し、外部からrの刺戦は原始人にあっては、之に應する内部からの吾馨によ って發表されるといふ一種の刺1秘溌であるが、是は超自然的の祁授説と同じく、言語の發生を或る程度の知性の發展

と人間の集囲生活に結び附けて老へようとする近代的の行き方とは寧ろ逆行するものである。

それでは人間の言語の大本といふやうなものは、われわれの智慧で棚って老へるには餘りに困難な問題であらう か。是に開しヴァンドリエス(Vendryes)はその箸Zα"g"αggの冒頭(PaulRadin英課p. 8)において、 originof

languageとoriginof lrmguagesとを職然と腿WIして老へる必要のあることを述べてゐる。語られ且書かるL諸言

語莚研究し、各その現存の最古の文献まで測って發展を跡づけ、或はそれ以前の形をも他との比較によって想像する こと、是は言語學粁のなす可きことであり、又現に行はれてゐるのであるが、世界の流言語は何虚まで糊っても、言語

加潅裂髪S重圏 : 1 : (1}:亘轤111)

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憾. 惑 崖 韻 壗11+畏菫一 亘 (111三肘亘〕

學者の測り得る範園においては、既に可なりの發展を遂げた複稚なものであって、頻始のまAの言詔ではない。即ち 人類のoriginal languageの發見、即ちoriginoflanguageの探究は言詔學の領域ではない、 といふのがヴァンドリ エスの主張である。但しこの問題を多少ともつきつめて老へようとすれば−さうして是は決して興味のない│川題 ではない−イェスペルセン (Jesperse,')が試みてゐるやうに三方面から是に迫ることが、最も穂営な道であらう。

イェスペルセンは①兒童の言語、②野溌民族の言語、⑧言語の歴史の研究を通し−そのなかでも第三に肢も重き

1白

を世き−出來得る限り言語の原始状態を究めようとしてゐる。尤も是等の方法を以てしても、人類原始言語の姿を

明かに示すことは不可能であるけれども、その性質に開する或る緊要な暗示を與へることはできるやうである。兒堂

は叫整期(Schreiperiode)、哺語期(Lallperiode)、小兒性反諜言語位相(PhasederkindlichenEcholalie)を經て、

言語發達の第一期(約一歳乃至−−歳半)に達するのであるが、現代の兒童は原始人の生活とはちがった環境に育つの であるから、その言語習得の道程を原始人の場合と同一硯し得ないのは勿論である。殊に文化人の子供が言語を智ふ のは、恰もピアノの練習において、樂器、樂曲、教師があって之をなすやうなもので、原始的の状態からは甚だ連い ものであるが、是等兒童の言語の観察においては、言葉を教へられる以前の自然の發謹や、幼兒としては全然新らし ーい語を自ら造る過程に重きを笹いて槻察す可きである。また野溌民族の言語は、たとひ幼糀であっても、既に長い年

月を經て現今のNf態に達したものであるので、決して原始人そのまムの言語ではない。然し野溌民族の言語の調査 は、他の方法で達し得た結果の傍證としては大なる役日と務め得るものである。なほ言語の歴史的研究が洲り得る限

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1

=.且一 .‑戸 一・

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度は、 さきに一言した通りであって、いかに測っても班純な言語には到達し得す、梵語(Sanskrit)JPZend等古い

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言語には長い語が多く、言語が古ければ古い程所謂sesquipedalia (wordsafootandahalf long)が多い。か上る

次第であるから、 原始言語の探索においてイースペルセンが最も亜んずる歴史的渕源の結果と兒童及び謹人の言語と

の間には、なぼ大なる溝渠あることを認めなくてはならぬのであるが、然しイェスペルセンの前記の三方法に依るそ れぞれの結果を比較考察すれば、そこに言語の源泉への方向を暗示するものが認められないではない。さうしてそれ

はイェスペルセンのいふsentence‑wordといふ語で概括し得る共通の様相である。例へぱラテン語のやうな古代語で は、 tense,mood,voice, person,numbel・のちがひが主として語尾の愛化によって表はされるので、英語などで文章又

はそれに近い単語の集合で言ひ表はされる動作や心の働きが、単語で表現される場合がある。例へぱamo (IIove);

amant(theylove);amantur(theyareloved);amabamus(weloved);amabis<thoushaltlove); amabimini (youshall beloved); amaveramus(wehadloved); amaverit(heshallbeloved)等、以上は直接法のなかの例であるが、叙想 法ではまたちがった語尾鍵化とする。それで例へぱamavisset‑には六つの観念‑(D <love', (apluperfect,。sub‑

junctive, (4jactive, (athirdperson, (6) singular‑が綜括されてゐる。かうした整然たるシセロ時代のラテン語と 兒童や謹人の言語との間には、當然天壌の差が想像されるのであるが. その間には叉一脈相迩ずるものがあるので

f

あって、それは即ち前述のsentence‑wordといふ語で表はし得ぺき特徴である。先づ未開人の言語の例を塞ぐれぱ、

Cherokee(Iroquoianlndiallsの−−大種族の言語)では、同

インディアンの言語の一種 じ動作でもそれ

アメリカンo

③Avestan即ちAvesta (ゾロアスタ教徒の聖讐)の言語。

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(111亘制}#)

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農1 1十畏彗 . 1< (1!凰隅・i<)

が加被さオLる目的物が異ればちがった語で表現され、しかもsentence‑wordであることはラテン語と共通である次の やうな例がある kutuwo(Iwashmyself);kulestura(Iwashmyhead); tsetula(Iwashtheheadofsomebodyelse);

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kukuswo(Iwashmyface); etc.次に幼兒の言語においでもやはり sentence‑w()1・dが一特徴をなして居る。即ち幼兒 のいふ「おっぱい」は名詞ではなく、普通「お乳が欲しい」といふ意味であり、 また幼兒が母祝の乳腸に手で鯛れた り、之を見つめて「おっぱい」といふ時は、 「是は乳房だ」の意であることもあらう。叉子供のいふ「ばつちい」は形、

容詞ではなく、 「進はきたない(ものだ)」の意であり、 「いや」は「私はそれは嫌だ」、 「さうする ことはいやだ」

などの意味である。

イェスペルセンは以上三方向からの考察の結果として、Wemust imagineprimiti1‑elanguageasconsisting(chief‑

lyat least)ofverylongwords, fullofdifficultsollnds, andsungrather thanspoken (Zα"g"age, p. 421)と言 ひ、原始的の言語には菅の種類も多かったやうに思はれる例として、英語でtutで表はされるsuction‑stop即ぢ「舌 打ち」など、南アフリカの或る幾つかの原始的言語では、今も軍語苛の正規の要素となってゐることを梁げ、また抑 揚も原姑的淵言語では非常に大切なものであり、從って謹人の言語は概して喬樂的であることを述べ(必認., p.419)、

Theevolutionof languageshowsaprogressivetendencyfl‑ominseparableirl・egularconglomerations tofreel,?and

regularlycombinableshortelements('"LZ.,p. 429)と結んでゐる。

④なほ動物の〔廣義の〕言語、例へぱ小鳥の鴫嘩、蜂の空中ダンスの意味、 、蟻の信號襟の考察も非常に興味深v、問題で

あらうと思はれる。

4

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仏 4

▲マ

なぼイェスペルセンによれば、 sentence‑wordとしての言語の起源は、原始溌族の無意味の歌にまで測って考へる ことが最も自然であるとされてゐる。例へぱ或る鐡族の一部藩が弧敵を発し、その屍禮を焼って.「やれとれ・えい.

一夕

と・な−」と繰り返し歌ひつム踊ったとすれば、やがてその時の節まはしのこの一通の苛は例ぺば「河向ふから來た 強敵をやつムけたぞ」といった意味をもつに至るであらう。 さうして辻は、母祝が「おっぱい」と言って現代の子供 に乳を飲ませることから、幼兒がこの‑日暑の繼列に乳關係の意味を附けるのと同様の作用である・・ この場合、母親は

「おっぱい」に初めから「乳」といふ意味をもたせ、鍍人の歌は初め無意味であったことは、重要な差別ではない。

子供に取っては、「おっぱい」に初めから意味があったのでなく、母親が之を繰り返してゐる間に、処に意味を附ける に至るのは原始民族の場合と同様である。且溌人の前記のやうな歌は、場合によっては「もう一人弧いのがゐるぞ、

彼奴もやっつけろ」といった意味にもなるであらうし、又類似の場合の幾つかの類似の歌が融合した結果、 その一部 分が遊離するやうになれば、つまり軍語に似たものが派立することになり、言語發展の緒が開けることにもなるであ

らう。

蓋し言語起源の問題は、殊にそれを一源に蹄しようとすれば、人類そのものの起源の問題と密接に開聯することと なり、容易に解決し難い事柄であるのみならず、元來言語の性臨そのものを明かにしようとする言語學に取って、起

源の問題は必ずしも重要でないとする考へ方もないではない。蒜しこの庇くもない地球上に同居する諸民族の岨先が 共同の生活をなし、同一の言語を語った時代を遥かの有史以前に夢みることも、無意義ではないであらう。且言語起 源の問題は、 もし言語學が、原始藝術の研究や比較1i'l]話學などと提携して進むにおいては、或は暗夜に一道の光明を

加崖製監s匡鬮 ¥ (I I :亘梼竿〕

(9)

停俣勾抽 一一一I

ャ〈 ̲s1 1+暑這 (111亘肘氏〕

認むに至らすとも│災らぬであらう。

それはともあれ、 ()riginoflanguageの問題から百歩、千歩を退き、 もし範園をol・iginoflanguagesに限ると すれば、古い文献の老磁、文法の比較研究等によって、一膳的確な學問的と稲し得る成果が得られてゐないわけでは ない。例へぱ次の二連の例の如きは、、言語學を専門としない人糞にも大きな暗示を與へるであらう−

(1)英語father (古期英語f"der), オランダ語vader, ドイツ諾Vater7 ゴート語fadal・,古期ノルウェイ語fagir,ギリ シャ語patery ラテン語pater,梵語pitar‑,古期アイルランド語athir(是は正しく初めの子晋が脱落したのであるo)

(2)英語brothel‑, J・ランダ語broeder) ドイツ語bruder, ギリシャ語phl・fiter,梵語bhratar‑, 古期スラブ語bratu,

アイルランド語brathair.

以上の例を一見すれば、是等の軍語を有する言語は、恐らく一つの祝言語から派立したものであらうと當然想像さ れるであらう。のみならず次のやうな例を少し〈詳かに観察すれば、そのうち何れの言語から何れが出たかの順序さ へも推断され得るであらう。即ちソシュ,‑ル(FerdinanddeSaussure)の段後出版の一般言語學講義(co"γs〃

""g"、r"9"ege""α/e)の初めには次のやうな適例が學げられてをる−

ラテン語の範例:genlls7 generis) genere7 genera, generum, etc.

ギリシャ語の範例:g6nos) geneos, gener)genea,gen60n, etc.

梵語の範例:ganas,ganasas,ganasi,ganassu,ganasam, etc.

さうして著者ソシュールは次のやうに説明してゐる−「ギリシャ語とラテン語との範例の間にある關係をさとるに

・ご

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4 4

は,之を一瞥ずるだけでよい。金V,ま,説明の便宜のために,誤め§anasが原始状態を示すものと假定するならば,

ギリシャ語gene(s)os, etc.の語形において' Sは二個の母苛に挾まれるたびごとに,脱藩したに相違ない, といふ 結論をうる.次いで, 、同じ條件下において, ラテン語ではsがrになった, といふ結論をうる. なぼまた,文法 的見地からみるに,サンスクリットの範例は語幹の概念を明確にする,即ちこの言語の語幹は,完全に決定すること のできる固定軍位(ganas‑)を示してゐるのである.」〔小林英夫氏深〕

是は特に説明に都合のよい例を畢げたのであるが、 インド・ヨーロッパ語族の比較研究は近世において成し遂げら れた學間上の最も大きな業紘の一つであって、それによって英語の、或は英詔の前身の古い歴史も可なりよく知られ るに至ったのである。

以上を緒論として、この英語史の第一部たる概観に移るのであるが、元來言語の歴史において最もわれわれの興味

を唆り、且有意義である一面は、之を通してその民族の生活.文化の歴史を辿ることであらう。それで次には、英人

の祀先が英闘の烏に渡る以前大陸においてなした生活の様逓、その言語を通して跡づけようと恩ふ。

極寵呈1鴬Q霊園 ('11亘隅員〕

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Compte-rendu de Louis Lavelle. La présence totale. «La réalité et son ombre», dans Les Temps Modernes, Vol. «Le dossier de la soutenance de thèse d’Emmanuel Levinas»,