す な い り
丘g
・砂 入 遺 跡
1 所 在 地 兵 庫 県 出 石郡 出 石 町袴 狭字 丸 谷 2 調査 期間
一九 九 三年
︵平 5︶ 一〇 月 i 一九 九 四年 月三 3 発 掘機 関 兵 庫 県 荻育 委 員会 4 調査 担当 者 大 平 茂
︒西 日圭 介
・藤 田 淳
・鈴 木敬 二 岡 秀昌 5 遺 跡 の種 類 集 落跡
・水 田跡
・祭 祀遺 跡 6 遺 跡 の年 代 縄 文時 代前 期を 中世 7 遺 跡 及び 木 簡 出土 遺 構 の概 要 砂 入遺 跡 豊は 岡盆 地 の東 端 に位 置 し︑ 西 流す る小 野 川 盆ハ 川方 の︶ 旧河 道
・氾 濫 原 に展 開 す る︒ 調査 は小 野 川放 水 路建 設 に 伴う も ので ︑ 一九 八 七年 度 以降
の数 次 の調 査 によ
てっ
︑ 多数 の木 製 祭 祀具
・農 具な ど の出 上︑ 祓 所遺 構 や道 路 石 遺状 構 の検 出 な ど の成 果を 硼 みて るい
︒ 今 回 の調 査 地点 は小 野川
右岸 側 で︑ 一 九 八七 年度
の全 面調 査地 点 3木 簡研 究﹄ 一〇 の︶ 対岸 に あ たる
︒ ま た︑ 一 九 八八 年 度 に祓 所遺 構や 道 路状 遺 構 を検 出 し た地 点 Q木 簡研 究﹄ 一一ご
は対 岸 の約
一〇
〇 m西 方 に位 置 す る︒ ま た禁 制 木 簡 が出 土し た袴 狭 遺跡
G木 簡研 究﹄ 一四
︶は 約 五O O m南 方 に位 置 し て いる
︒ 今 回 の調 査 では 四時 期 の遺 面構 と古 墳 時代 前期 の包 含 層 の調 査 を 行な
たっ
︒ 第 面一 平は 安 時代 後 半 から 鎌倉 時 代 第︑ 二面 は平 安時 代 中 頃 から 後 半 第︑ 面三 は奈 良 時代 末 から 平安 時代 初 頭︑ 第 面四 は縄 文時 代前 期 の時 期 が与 えら れ る︒ こ のう ち 第︑ 二面 で は水 田 道︒ 路状 空 間
・井 戸
・噴 を砂 検 出 し て いる
︒ 道 路状 空 間 は 部一 路肩 に板 材 によ る土 め留 を施 し て いる
︒ 井 戸 は横 板 組協 柱 ど め で︑ 地震 によ
てっ 倒壊 たし 状 況 で検 出 され た︒ 出 上し た木 簡 八点 及び 墨書 のな い木 簡 状木 製 品 一点 は全 て こ の第 二面 を被 覆 す る洪 水 砂内 より 出土 し て いる
︒ こ の他 人︑ 形
・馬 形
︒ 下田 駄
・井 戸材
︒曲 物 銅︑ 製 の帯 金 具 や刀 子︑ 墨書 土 器
・緑 釉 陶 器 など が出 土し て いる
︒ 第 三面 では 道 状路 空 間
・水 田
・溝
・柱 を穴 検 出 し た︒ 道 路状 空 間 は山 の斜 を面 カ トッ し 造て
たっ も ので 部︑ 分的 に溝 を伴 い︑ 約 一
・ 五 mの 幅 北で 北 東 へ走 行 し て いる
︒ 第 二面 にお いて 検 出し た道 路状 空 間 は 第︑ 三 面 のも のを 継続 し て使 用 たし も ので あ る︒ 溝 内 より 銅 製 品 一点 多が 量 の上 器 に混 じ てっ 出 上し て いる
︒
1993年出上の木簡
8 木簡の釈文︒内容
山 代 部 友 足 運江
︹刀
︺
□ 山 代 部 大
□ 手
︒﹁ 蘇< 民 将 来 公
□
︒﹁ 蘇< 民 将 来 蘇︹ 民
≧
□
□
□
□
□
︒﹁ イ ︲﹇日
︲ ︲︲ ︲
︲ ︱︲ ︱﹈
︹四 ヵ
︺
律
) 0)
③ 久
□
︵じ 夭 じ 溢 o盟
① ぞ0 は 墨痕 残が るが
⑥︑ i⑤ は 痕墨 消が 失 し てお り 表︑ 面 に残 る凹 凸 によ
てっ 判 読 を行 な たっ
︒
⑪ の
﹁山 代
﹂部 は砂 遺入 跡
︒袴 狭遺 跡 を通 じ て初 出 の氏 名 あで る︒
︵μ×∞い×∞ Φ∞岸中卜︶
︵﹈
∞Φ
︶×
∞Φ
× 卜 o∞ Φ
︵μ eμ x 中∞
× 卜 Φ∞ ド
︵ド
〇卜
︶×
﹈μ
×
∞ o岸 Φ
︵Φω︶×﹈∞×∞ ΦμΦ
︵∞ じ
×中μ
×卜 o μΦ
含 盆 十 路
︶× 導
× い o解
土□□在□□□在□
名
□
□
□ 三﹁ 月 十 六 日□ 子
□ 十﹁ 月一 十 三 日
︹一 ハヵ
︺
② は
﹁蘇 民将 来
﹂ 呪符 木 簡 であ るが
⑤︑ に つい ても そ の可 能 性が あ る︒
﹁蘇 民将 来
﹂公 の木 筒 は兵 庫 県 下 では 森 北 町遺 跡 会木 簡研 究﹄ 一二 に︶ 出土 例が あ る︒
④ は片 面 の左 行 の墨 が良 く残 る︒ 隷 書 風 の書 体 で文 字 自体 は鮮 明 であ るが 意︑ 味 は 不明 であ る︒ 以上 八点 の木 簡 以外 に︑ 書墨 のな い木 簡状 木 製 品 一点 長︵ さ 一五 六 飩幅 三八 噸厚 さ六 血︑
〇二 九型 式︶ が 出上 し て いる
︒ これ ら 九 点は 約 一五 m四 方 の範 囲内 から 出 上し た︒ 立地 的 には 小 野 川 へ向 か てっ 南 き向 に開 く谷 の肩 部 から の出 上 であ る︒ 木 簡 は小 野 川上 流 から 漂着 し た ので はな く 谷︑ の上 即部 ち調 地査 点 の北 ヽ し く は北 西 の︑ 恐ら く 至近 の場 所 から 流れ てき たも のと 推 測 され る︒ 釈 読 に つい て は奈 良 国 立文 化財 研 究所 の綾 村 氏宏
・館 野和 氏己
・ 寺崎 保広 氏 のご 教 示を 得 た︒ 9 関係 文献 兵 庫県 教育 委員 会
﹃ひ うょ ご の遺
﹄跡
一四 全 九九 四年
︵ ︶ 西口 圭介
︶