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日本の木塔における地垂木の支持構造について

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(1)

日本の木塔 における地垂木 の支持構造 について

卓   京   柏

1.序

論 用語 の定義 地垂 木の支持構造 地垂木 の支持構造 の変化 韓 国木塔 との比 較 結

 

 

  

本稿では、多宝塔 を除いた 日本の現存す る木塔128基の うち、白鳳〜南北朝時代の木塔24基

(五重塔6基、三重塔18基)と、韓回の木塔2基を対象 として、地垂木の支持構造について検討 した。

地垂木の支持構造 について、支 えの位置 (支持点)と支 えに用い られる部材 について考察 を加 え、韓 国 の木塔 との関連性 について言及 した。 まず、支 えの位置 を地垂木の下面 と上面に分けて検討 した。 白鳳 時代 の木塔では、傾斜 をつけて架け られる地垂木の落下 を防 ぐために、下面 3ケ 所、上面 lヶ 所 とい う 最小 限の支持点で地垂木 を支 えていることを確 認 した。奈良時代 に入 ると、上面の支持点の数が増加 し、平安時代 には下面の支持点の数 も増加す るようにな り、平安時代 に最 も多 くの支持点が準備 され る ことを確認 した。 しか し、同時に一部の木塔では、地垂木尻を固定する部材がない現象が認め られる。

鎌倉時代以後 になると、桔木の設置 に伴い、地垂木の支持点が上・下面それぞれ2、

 3ケ

所 とな り、そ の位置に対応関係が認め られ、地垂木の支持構造の定型化が進む様相 も確認 した。地垂木の支持 に用 い られる部材 について、新たな部材が採用 される際には複雑 な支持構造が見 られるが、再び単純化 し、 よ り効率的に安定させてい く傾向を見ることがで きる。地垂木の下面 を支える部材 としては10種類が確認 で きる。その うち軒桁 と四天枠の2種類が多 く用 い られ、上面では5種類確認で き、その うち2重目側 柱 の柱盤が最 も多 く用い られる。 これは、地垂木の支持 には地垂木の下面で 2ヶ 所、上面で lヶ 所が必 要であ り、 また適切 な位置にある部材 を支持材 として用いる必要があったことを示 している。 この よう な検討結果 を韓国の木塔 と比較すると、屋根構造の違いか ら荷重 を受 ける方式が異なっているため、地 垂木上面の支持点の位置や部材 に違いが認め られる。ただ、地垂木下面の支持法については、平安時代 の木塔 と類似 している。 日本の木塔 における地垂木の支持構造は、白鳳、奈良時代 にやや多様性が認め られるが、平安時代 に入 ると定型化が進み、それが鎌倉、南北朝時代 まで連綿 と続いてい く様相が うか が える。韓日の木塔 について も、地垂木下面の支持法 については、類似す る様相を確認 した。

キーワー ド

  

日本

 

木塔

 

地垂木

 

尾垂木

 

桔木

υυ

国立文化財研 究所

(2)

卓 京 柏

1.序

ユー

1.研

究 の意 義 と 目的

原始 よ り建物 内部の環境 を維持す るものは壁 と屋根 であ り、 また、壁 と屋根 を繋 ぎ支 え る柱 とそれに付随す る様 々な構成部材であった。無論、時代 を遡れば、その構成は単純 な ものにす ぎなか ったが、徐 々にその機能や用途 に合 わせ た構造や格式が生みだされていっ た1。 竪穴 を掘 る半地下の生活 もまた、徐 々に環境 などの様 々な要因か ら、地上式への生活 へ と発展 していった。そ して、軍事的な目的や様 々な生活 における必要性か ら、望楼や楼 閣な ど、高台 に建物 を設けた り、多層建物が築かれるようになってい く。以後、仏教が中 国へ伝 わる と、仏教の教理やそれに基づ く生活 に合 うような建築物が具現化 されるように な り、少な くとも2〜3世紀には、本造の多層建物である木塔が築かれるようになった2。 中 国か ら始 まる木塔 は韓国を経て 日本 に伝播 し、東 アジア独特 の建物 として今 に残 されてい る。

特 に、 日本 にお い て は、最古 の木塔 で あ る法 隆寺 五 重塔 の み な らず、 時代 ご とに多様 な 木塔 が現存 してお り、 木塔 研 究 の大 きな助 け とな って い る。 一方 、韓 国 で は残 念 な こ とで はあ るが、朝鮮 時代 に築造 された と推定 され る法住寺捌 相殿 と、火災 に よる焼 失の後 に復 元 され た雙 峰寺 大雄殿 が、現存す るのみであ る。 ただ、王興 寺址 や弥勒寺l■、 皇龍寺址 な どに残 され た木塔 跡 の発掘調査 を通 して、 当時の上 部構 造 につ いての推 定復元 のLJF究が持 続 的 に行 われてい る3。 近年、百済歴 史再現 団地 内 にお け る百済陵山里寺址 の建物復元や王 興 寺址 の継 続 的 な発 掘調査 、 さ らには弥勒 寺址 西石 塔 の整 備 工事 とそれ に伴 う百済 時代 舎 利容 器 の発 見 に よって、百済時代 の建 築遺構 につ い ての論議 は、 よ リー層活発 な もの とな って い る4。

この ような論議の中心 となるのは、木造建築の粋 ともいえる木塔 の復元研究である。基 壇、組物、屋根 の構造、各層の連結 など、塔の復元 には多様 な課題があるが、現存す る塔 が非常 に少ない韓国においては、復元研究は非常に難 しい。

幸 いに も、 日本 には百済の文化 と技術が伝来 し、その影響 を多 く受けた仏教文化財が残 っている。その中で も、飛鳥寺や四天王寺 な どは、百済の建築技術の影響 を色濃 く受けた ものであった ことは周知の事実であ り、直接的あるいは間接 的に関連がある もの と判断 さ れる5。 ょって、 これまで百済の木塔 について議論す る際、常 に言及 されていたのは日本の 木塔であった。 しか し、それは飛鳥 。白鳳 。奈良時代 の木塔 に限定 されていた。議論の俎 上 に挙 げ られた木塔が、百済の木塔 と技術 的に関係がある とい う点 は疑いないが、奈良時 代以降、平安京 に遷都 した後 も木塔 は建て られ、少数ではあるが現存 している。その後、

鎌倉 。南北朝・室町・桃 山 。江戸時代 にかけて多 くの木塔 が建 て られ、現存す るもの も多

(3)

日本 の木塔 にお ける地垂木の支持構造 につ いて

い。時代 ごとにその構造や形態 に様 々な特徴があった もの と推測 されるが、 これ まで韓国 に紹介 された事例は少ない6。

本稿 では、百済木塔研究の一環 として、 日本の木塔の様 々な構成要素の中で、初重 の地 垂木の支持 について検討 しようと思 う。地垂木 は屋根の傾斜 に沿って棟木、母屋、桁 の上 に架 け られる建築部材で、その上 に木舞 を敷 くな どして屋根が構成 される7。 原始の建物 においては、その まま屋根 を構成す る構造的な部材であったが、徐 々に棟木、母屋、梁、

桁そ して組物 な どを備 えた構造へ発達 してい くにつれて、構造材 というよ りも、装飾材 と しての性格 に変化 してい く①特 に、組物 の変化 によって壁 よ りも外俣‖へ突出するようにな り、その突出の長 さによって軒の出や屋根 の深 さが決定 され、 また屋根の四隅にある隅木 との結合 の仕方で、屋根 の形態が決定 される。 日本の木塔 においては、上部構造の漸層的 な構成が可能なように、上層の荷重 を受 ける役割 も担 った。 こうした点を考慮す る時、初 重の地垂木が担 う構造的な役割 と機能 を検討す ることは、当時の木組みが どの ような もの であったのか を推測す るための糸口になると判断 される。 この ような、地垂木の構成 につ いての考察 を通 して、初期 に百済の影響 を受 けた 日本木塔の技術 的な変遷 と、 日本 におい て 自生 した技術的な特徴 を読み取 ることがで きるであろう。そ して、 日本の木塔 の原形 と なった百済木塔の地垂本の構成な どについての探求 も可能 となろ うし、ひいては、塔 の復 元研究 も一歩推 し進めることになると判断する。

l‑2.研

究 の対 象

現存す る日本の木塔 は、五重塔が23基 、三重塔が105基確認 されている8。 時代別 にみる と9、1表の ようになる。特 に、室町時代 と江戸時代の木塔が多 く残 っていることがわか る。

検討対象 とす る時代的な範囲は、朝鮮半島 との交流が活発 な時代 を中心 とす る。 日本 に おいては、鎌倉時代か ら幕府 による政治が行 なわれるようにな り、その段 階ではまだ高麗 と友好 的な関係 を維持 していた。 ただ し、交流 の頻度はそれ以前 よ りは少 な くなってい た。その後、高麗が元の支配を受けるようになる と、元 と高麗の連合軍が 日本 を攻撃 しよ うとした ことや高麗後期 に増加 した倭寇 によって、相互の交流 はほ とん ど行われな くなっ て しまうようである。以後、1393年に朝鮮半島においては朝鮮王朝の幕が開 き、 日本では 南北朝の時期が終焉 を迎 える。 よって、本稿 では、 日本の南北朝期以前の資料 を検討対象

第 1表

 

時代別にみた日本の木塔 白鳳

(645‑709)

奈 良

(710‐783) 平安 (7841185)

鎌 倉 (H861333)

南 北 朝 (13341392)

室 町 (13931572)

桃 山

(1573‐

1614)

江戸 (16151867)

五重塔 1

1 1

1

4

1

12

三重 塔 l 8 5 3 58 105

(4)

卓 京 相

第2表

 

研 究対 象 目録

時 代 造営 時期 所 在 地

白鳳 法隆寺 五重塔 8世 紀 前 奈 良県

法起寺 三重塔 706 奈良県

奈良

薬師寺 東三重塔 730 奈良県

当麻寺 東三重塔 8世 紀 中 奈良県

室生寺 五重塔 781‑805 奈良県

平 安

当麻寺 西三重塔 8世 紀 末 奈良県

醍醐寺 五重塔 京都府

一乗寺 三重塔 兵庫県

浄瑠璃 寺 三重塔 1178 京都府

鎌倉

興福寺 三重塔 12世紀 奈良県

海住 山寺 五重塔 京都府

明通寺 三重塔 1270 福井県

霊 山寺 三重塔 奈良県

長福寺 三重塔 1285 岡 山県

西明寺 三重塔 13世 紀 滋賀県

石手寺 三重塔 1317⌒1318 愛媛 県

大法寺 二重塔 長野県

百済寺 三重塔 14世 紀 奈良県

南北朝

明王院 五重塔 1348 広 島県

安楽寺 八角三重塔 14世紀 長野県

園城寺 三重塔 14世 紀 滋賀県

羽黒 山 五重塔 1372 山形県

宝福寺 三重塔 1376 岡 山県

如意寺 三重塔 1385 兵庫県

に定 めた。南北 朝期 以前 の木塔 は、五重塔 が

6基

、 三重塔 が19基で あ るが、 その中で実際 に現 地へ 赴 き、 図面 を確保 しその内部構 造 の把握が可 能 な資料 に限定 して検 討 を加 えるこ とに した。 よって、残念 で はあ るが、南北朝期 の天寧寺 三重塔 は検討対象 か ら除外 し、計 24基 の塔 につ いての分析 を行 った10。

2.用 語の定義

韓 国 と 日本 の木 造 建 築物 は一 見類 似 して い るが 、細 か い木組 み や部材 の使 用 方法 は大 き く異 な ってお り、 同 じ機 能 を有す る部材 で あ って も、 名称 に違 いが あ る。 また、 同 じ漢字 を使用 した名称 であ って も、その読み方 は異 なる。

日本の木造建築は、

6世

紀中葉頃に仏教を受容 しなが ら百済の影響、また高句麗や新羅の

影響 も受けつつ発展 したようである

11。

奈良時代 に入ってか らは、唐 との直接的な交流を

重ねなが ら、徐々に自らの木造建築文化を形成するようになる。その後、鎌倉時代に至る

と、中国の様式を受容することで、禅宗様 と大仏様が確立 し、それ以前の伝統的な様式は

和様 として区分 されるようになった。このように、多様な建築文化を吸収 しつつ成立 した

(5)

日本の木塔 における地垂木の支持構造 について

日本 の木造建築 を理解 す るため には、 その部材 の用 語 を的確 に理解 す る必要があ るの は当 然 の こ とで あ る。

ここでは、 日本の木塔 に使用 される部材 の中で、分析の際 に言及す る部材 に焦点 を当て て説 明 しようと思 うψ

。 なお、本稿では、 日本 の木塔 について説明す る際に、部材名 をな るべ く漢字で記述す ることとし、「漢宇 (日本語の発音 をハ ングル表記

)」

のように併記 し た。漢字で表記で きない部材 は「 ひ らが な (日本語 の発音 をハ ングル表記

)」 )の

ように併 記 した。

2‑1.柱

現存す る 日本の木塔 の初重 は、全 て方

3間

で構 成 されている。法隆寺五重塔や薬師寺東 塔 は方5間の ように見 えるが、実際は方

3間

で、その外側 に裳階おが設け られている。 よっ て、 日本 の木塔 における柱 は、韓国の外陣柱 に相 当す る側柱 と心柱、心柱 の周辺 に設置 さ れる四天柱 によって構成 される。 また、 日本 の木塔 の場合、通常二重 目か らは、地垂木の 上 に柱盤14が設置 され、上層の柱 を受ける役割 を担 っている。柱盤は必ず地垂木の上に設置 され るわけではないが、本稿 の分析姑象の資料で は、全て地垂木の上 に柱盤が独立 した状 態で設置 されている。

2‑2.組

韓 国の「包作 (工升)」 に該当する組物 は、軒 の出を大 きくす るための構造物である。

韓 国の「柱頭 (千千)」 にあたる大半、大斗の上 に置かれる肘木は桁行・梁行方向に伸 び て桁 を支 え15、 ょリタト側へ突出させ る際には、巻斗や方斗 を用いて肘木を重ねあげて配置す る。 この ように、壁体か ら外側へ突出させ る度合 いやその方法、 また各部材の連結方法 に よって、組物 を出組、二手先、三手先などと区分 している 。 ここでひとつ重要な点は、韓 国の伝統建築物 においては、上記の肘木 を何 回か重 ねあげることで外側へ突出させ ている 半面、 日本の木塔の場合、韓国の「下仰 (辞せ)」 にあたる尾垂木 を用いて、 これを解決 し

二 手 先 (亭E「日 大「9)      三 手 先(□ 日 大「ラ│)

第1図

 

組物 の事例

型溶=訳『日本建築史』世進社、1995年、p55を 再構成)

■叫キツ

I(に

4()

三 手 先

(□

日 大ワ

│)

出 組 (日

│♀

)

(西和夫 。私積和夫/。1千

415

(6)

卓 京 柏

てい る。 この ような部材 の採用 は、韓 国 よ りも屋根 の軽量化 が 図 られ ていたため に可能 な 方法 で あ った と判 断 され る。現 存 す る木塔 の 中で最 古 で あ る法 隆寺 五 重塔 の場 合 、大斗 の 上 に、外側 を雲形 に仕 上 げ、室 内恨Jの端 部 下半 に到 り込 み を入 れ た雲肘 木 を置 き、 その上 に直線 的な力肘 木17が置 か れ る。 この力肘 木が尾垂 木 を受 け るので あ る。尾垂 木 の先 の上 に さ らに方斗 と雲肘 木 を置 き、軒 の出 をさ らに大 き くし、屋根 も深 くす る。 また、尾垂木 の 内側 には通肘 木 を置 き、 その上 に地垂 木 を配置す る こ とで、屋根 の荷 重 に対応 で きる よう に してい る。 この よ うな方法 は、 出三斗 の変形 した方式 で あ り、壁 と直交す る肘 木が尾垂 木 に変形 した もの と判 断 され る。 以後 、薬 師寺 東塔 にみ られ る三 手 先 の方 式 が 一般 的 に採 用 され る。 三 手 先 は、組物 が壁 か らタト側 に

3段

突 出す る もの で 、 最 後 の組 物 は尾垂 木 の上 部 に設置 され る。 この時 、力肘 木 が 内部へ伸 び、 反対 側 にあ る組 物 に連 結 す るが、 これ を 枠肘 木繋 ぎと呼ぶ。 これ は軒 を支 えるための井桁 式 の交差構造 の よ うに見 えるお

。対応す る の側柱 の間や、 隅肘 木 も互 い に連結 してお り、 これ に よって上 部 の格 天丼 の骨組が築 かれ る。最上 部 の組 物 と軒 との空 間 を塞 ぐため に軒 天丼 が設 け られ るが 、 これ は後 の支輪 の原 形 と思 われ る。1400年に建 て られた常楽寺 三重塔 で は、下 か ら

3番

目の組 物 の巻斗

3つ

の 幅 と地垂 木

6本

の 幅 が 同 じになる ように、地垂木が配置 され てい る。 この ような方法 は六 枝掛 と呼 ばれ、 以後 、組物 と地垂 木 の配列 に影響 を与 える ようにな る。

2‑3.桁

。梁

桁 と梁 の 区分 は、 一 般 的 に棟 木 に並 行 す る もの を桁 、 直交 す る もの を梁 とす るが、 その 構造 原理 や 目的 は 同一 と判 断 され るЮ。 木塔 の場合、棟 木 となる部材 は存在せず、 また どの 面 を正 面 とす るか は決 定 で きないので、 日本 で は梁 とい う用語 はほ とん ど用 い られていな い。 ただ、後代 の木塔 において は丸桁 を出桁 とも呼 び、初重 の 四天柱 上部 に心柱 を支 える ため に設置 された もの を、心柱 受梁 と呼ぶ。

桁 は、 韓 国 の伝 統 建 築 にお け る「 道 里 (二 司 )」 に該 当す る部 材 で、 そ の位 置 に よっ て、軒桁20、 出桁 、柱 心 道里 に該 当す る側桁 、九桁 、 中道里 に該 当す る中桁 、母屋 桁 、 そ し て宗道里 に該 当す る棟桁 、棟 木 な どに分類 され る。 ただ、木塔 にお いて は、 中道里 や宗道 里 に該 当す る部材 は存在せず、側柱 と四天柱 の間で尾垂 木上 部 に通肘 木が設置 され、その 上 に軒桁 や 出桁 に姑応 す る入側桁が設置 され、地垂木 を受 けるこ ともある。

九桁 はお お む ね 断面 円形 に仕 上 げ られ てお り、 そ の形 に よる分 類 名 とみ る こ と もで きる が、実際 の塔 にお い て は、断面方形 の場合 も九桁 と呼 ばれてい る。 また、柱心 道里 が ない 場合 に も用 い られ てい るので、柱 心 道里 と しての機 能 が よ り強 か った もの とみ られ る閉

。す なわ ち、側桁 が ない場 合 には、丸桁 が側桁 にな り得 た。 日本 の木塔 は平面正方形 なので、

桁 と梁 の 区別 は難 し く、 すべ て桁 と呼 ばれ て い る。 また、側桁 の上 に地垂 木が 置 か れ、 さ らそ の上 に桔 木 が設 置 され る こ とが あるが、 その場合 は地垂木 と桔 木 の間 に土居桁 が置か

(7)

日本の木塔 における地垂木の支持構造 について

れ、荷重 を分散 している。 また、時期が下 るにつれて、組物の最上部 に置かれた側桁のす ぐ下 に、 まるで側桁 の ように見 える部材が配置 されるが、 これは組物押 さえである。母屋 桁 は、母屋 の空間の上部 に設置 され る桁であ り、韓国の伝統建築 における中道里 とは、機 能に違いがあ り、野垂木 を受 ける部材 にも使用 される名称で もある。そ して、 中世の木塔 では、九桁桔が設置 されることもある。

2‑4.垂

22

韓国の伝統建築 において、「 ソ ッカレ (河分司

)Jと

呼ばれる部材が垂木 である。 この 垂木 も位置 と構造 によって呼び分 け られている。最 も基本的な垂木は地垂木 であ り、その 上段 に韓国の「婦稼 (千起)」 に当たる飛権垂木が設置 される。地垂木の上面 には化粧裏 板が敷かれる。その上 には、軒 の出をよ り大 きくす るために桔木が置かれ、桔 木の上 に屋 根材料 を設置す るための野垂木 と野地板が置かれる。韓国の「春舌 (千引)」 は、 日本の 隅木にあたる。

地垂木のみ設置 される場合 は、一軒、飛権垂木が敷設 される場合 は二軒 と呼 ばれる。飛 捨垂木 と地垂木を固定するために互いが接する箇所に木負が渡 される。

桔木は法隆寺五重塔 の五重 目の小屋組 において確認 され、中世以降になる と、各層 に設 置 されるようになる。桔木 によって屋根 の荷重が相当に分散 されるようにな り、多様 な屋 根部分 の木組みが現 れ る ようになる。棺 木 と地垂木、あるいは野垂 木の 間の部材 として は、東、飼物、母屋桁が用 い られ、軒先 には、野垂木 との間を塞 ぐ茅負や野垂 木の端面を

D円│ヲ

(三

手先,薬師寺 二 重塔,7311)

第2図

 

垂木 の事例

(西和夫・穂積和夫/。l千到・赳拇壬訳 『日本建築史』世進社、1995年p.56を再構成)

う刺ビド

│′

(1モ

怜 師

1()

4+ど1(,I Fj)

‖マJ(∠)

霊ビ│キ

│(111,(,

DE軒

大トヲ

(三

手先,醍醐 寺

EI生

(二

,法隆寺 東院Fg堂,1231再 建)

引ギ

!(∠

)

□旧 八ヮ

(二

手先,常築 寺 二 重塔,i400)

(8)

車 京 相

塞 ぐ布裏 甲、切裏 甲な どが置かれ る。

三手 先 の場合 、地垂 木 の一部や飛権垂 木 を外側 に露 出 させ る こ とが あ るが、 これ を特 に 化粧 垂 木 と呼ぶ。

3.地 垂 木 の支持構 造

3‑1.白 鳳時代

現 存 す る 白鳳 時 代 の木塔 は、法 起 寺 三重塔 や法 隆寺 五重 塔 で、最古 の事 例 で あ る。 特 に、法 隆寺 の木塔 は、 いわゆ る「再建 ・非再建 論争 」 を経 て、 その創建年代 につ いて は諸 説 あ るが23、

̲般

的 には

8世

紀初 め頃 には建 て られ た とみ られ る。

法 隆寺 五重 塔 の地垂 木 は、側柱 中心 線 上 にあ る組 物 上 端 の側桁 、尾垂 木先 端 にあ る通 肘 木 が受 け て い る軒桁 、 そ して建物 内部 にお い て、尾 垂 木 の上 部 に置 か れ た小 屋 束 が 受 け て い る入側桁 のそれぞれ と結合 してい る。

側柱 の 中心 か ら軒桁 までの長 さは、入側桁 までの長 さの約

2倍

で あ る。一方 で、 四天柱 上 部 に設 置 された四天枠 と地垂 木 は連結 して い ない。 これ は平行垂木 として構 成 され た地 垂 木が 隅木 に差 し込 まれてお り、そ の隅木が 四天枠 の上 に位置す る柱盤 よ りも上方 に配 置 され た こ と と関連が あ る と考 え られ る。建物 内部 の小屋 東 と初重 の側柱 の間に、二重 目の 側柱 を置 くための柱 盤が設置 されてお り、 これ も地垂木 が滑 り落 ちるの を防止 してい る と 判 断 され る。

法 起 寺 二重塔 も、法 隆寺五 重塔 と類 似 した構 造 で あ るが、 二重 日の 四天柱 柱 盤 の下 で 隅 木 が 組 み合 う点 や 、二重 日の側柱 柱 盤 が 初 重 の入側桁 上 に置 か れ る点 に違 いが認 め られ る。 た だ し、法 隆寺五 重塔 の場 合 は、 三 重 目の柱 盤 が初 重 の入側桁 上 に位 置 して い るの

第3図

 

法 隆寺五重塔 と法起 寺二 重塔 の初重地垂木支持

(『日本建築史基礎資料集成十一塔婆I』 図面

p l14、

p173を 再構成)

(9)

日本の木塔における地垂木の支持構造について

で、法 隆寺五重塔 と法起寺 三重塔 の全 体 の意 匠 を見 る と、互 い に類似す る感覚 を覚 える。

また、側柱 の 中心線上 か ら外側へ 突 出す る尾垂 木 の長 さが、倒柱 と四天柱 の 間の距 離 に類 似 して い る。 これ を法 隆寺 五 重 塔 と比 較 す る と、尾 垂 木 の外側へ の突 出が建物 全 体 の比率 か ら見 る と短 くなってい る こ とが わか る。以上 の点 か ら、現存す る白鳳時代 木塔 にお ける 初重 の地垂 木 は、下面 の軒 桁 ―側 桁 ―入 側桁 の3ヶ所 で、上 面 は二重 目の側 柱 柱 盤 の1ケ 所 (法起寺 の場合

)で

結合 されて い る こ とが わか る。

3‑2.奈

良 時 代

現 存 す る奈 良時代 の木塔 と して は、 薬 師寺 東塔 (三重塔)、 当麻 寺東塔 (三重塔)、 室生 寺五 重塔 の

3基

が あ る。薬 師寺 東塔 にお いて最初 に三手先が採用 され、 白鳳 時代 木塔 には なか った尾垂 木 と地垂 木 の 間 を塞 ぐための若千 の傾斜 を もった格 天丼 (軒小 天 丼

)が

設置 され、 内部 には内側 に傾 きを もつ 四天柱 が設置 され た。薬 師寺東塔 は672〜684年頃 に造営 が 着手 され た藤原京 に位置 す る本薬 師寺 にあ った木塔 を移建 した とも推定 され て い る。 た だ、本薬 師寺 の造営 が、680年に天武 天皇 の発 願 に よって始 まった こ とを考 慮 す る と、法 隆寺 や法起寺 の木塔 とは、 そ の構 造 に相 当の違 いが あ る。 この違 い は、平城 京 が 造 営 され る頃の 中国 との直接 的 な交流 を通 して、 木造建築物 の構 造 的な技術 ・情報 を受容 した結果 の よ うに見受 け られ る。薬 師寺東塔 の構 造 的 な特異性 は この ような変化 の反 映 と判 断 され る。

初 重 の地 垂 木 の構 成 は、 上 部 に化粧 裏板 が あ り、端 部付 近 に飛捨 垂 木 が 設 置 され てい る。 また、 内部 に

4つ

の飼物 を設置 して野垂 木が結合 されている。恨I柱中心 線 上 に位 置 す る組物上端 の側桁 、そ して尾垂 木端 部 に渡 され た軒桁 が地垂木 を受 けてい る。 自鳳 時代 の 木塔 と比 較 す る と、尾 垂 木 の長 さが短 くな り、 ほぼ先端 に軒桁 が位 置 し、 や や不 安 定 な感 を受 ける。塔 内部 において は、初重 の四天柱 の上 に造 られた四天枠 の上端 に尾垂 木 の端 が

第4図

 

薬師寺東塔初重地垂木支持

(F日本建築史基礎資料集成十一塔婆I』

図面 p179を 再構成)

第 5図

 

薬師寺東塔西面

(10)

卓 京 柏

結合 され 、 そ の上 に二 重 目の 四天枠 が構 成 され て い る。 この 四天枠 が地垂 木尻 を受 けて い る。地垂 木上面 に設置 された部材 と して は、俣I桁 の 中心 線 よ りも若干 内側 に入 り二重 目の 裳 階 を受 け る腰組 盤 と、二重 目の側柱 を受 け る柱 盤 が あ り、地垂 木尻 の上面 には二重 目の 内側 に傾 く四天柱 を受 け るための 四天柱 盤 が 設 置 され て い る。 したが って、 地垂木 は、 下 面 にお い て は軒 桁 一側 桁 一四天 枠 の

3ヶ

所 、 上 面 にお い て は一 つ の腰 組 盤 と二つ の柱 盤 (側板 と四天柱

)に

よって結合 されてい る。前 代 の木塔 よ りもは るか に多 くの個所 で結合 されて い る こ とが わか る。

8世

紀 中 頃 に建 て られ た当麻 寺 東塔 は、 1932〜33年にか けて解体4雰理 が実施 され、4多理 前 の構 造 と現 在 の構 造 には若 千 の違 いが あ る。 修 理 前 に は、尾垂 木 を支 える韓 国の 「活 柱 (暑千 )」 の よ うな部材 が認 め られ、二 重 目よ り上 の 四天柱 も傾 斜 を持 たず ほぼ垂 直 に仲 びて い る。 地垂 木 を受 ける様相 に もやや違 いが あ り、本稿 で は修 理前 の構造 を説明 しよ う と思 う。

初重の屋根部分には、やや細長ではあるが桔木が認められる。野屋根の構造の中に隠さ れた尾垂木のように見え、実際の機能 としては屋根構造の荷重を分散させ、軒の出を大 き くすることにある

24。

しか し、修理前の当麻寺の桔木は細長で、桔木尻 も二重日の側柱柱盤

と相接 して い る。 この ような構 造 は、初 重 の

屋 根 に設 け られ た桔 木 の初期 的 な もの と推 定 され る。

そ して、 当麻 寺 の段 階で本格 的 な支輪 が認 め られ る よ うにな る。薬 師寺東塔 で確 認 され たやや傾斜 を もった軒小 天丼 は、 当麻 寺 で は 完全 に水 平 面 に造 られ て支 輪 と連 結 し、 地 垂 木 の下 部 を塞 いで い る。地垂 木 の下面 にお け る支持 法 は、側柱 よ りも外 側 で尾垂 木 の先端 にわ た され た軒桁 と、建物 内側 で側柱 の 中心 線 上 に置 か れ た小 屋 束 の上 に渡 され た母 屋 桁 が担 って い る。 そ して、 四天柱 の上部 に設置 され た 四 天枠 の上 に、尾垂 木尻 が まず架 け ら れ、 そ の上 に再 度 四天枠が設 け られ、 そ の四 天枠 に地垂 木尻 が架 け られ てい る。 地垂 木 の 上 面 は、飛権 垂 木尻 に桔 木 を受 け るため の比 較 的 細 長 い 土 居 桁 が 丸 桁 の 中心 線 上 に置 か れ、 二 重 目の側柱柱 盤 が初 重側柱 と四天柱 筋

第6図

 

当麻寺東塔 断面 図

(飛鳥資料館 FAOの 記憶』p3)

︱ 立 軒

(11)

日本の木塔 における地垂木の支持構造 につ いて

上 よ り若干 内側 に位置 して押 さえてい る。 地垂 木尻 を支持 す る部材 はない。 したが って、

地垂 木 の支持 点 は、下面 で は軒桁 ―母屋桁 一四天枠 の

3ヶ

所 で認 め られ、上 面 で は土 居 桁 十二重 目の側柱柱盤の2ヶ所 で のみ結合 して い る。

奈 良 時代 か ら平安 時代 に移 る頃 に建 て られ た と推 定 され る室 生寺 五重塔 は、 そ れ 以 前 の 木塔 とは異 な り、比 較 的小 規 模 で あ る。 屋 根 の材 料 も檜 皮 で25、 比 較 的軽 量 で あ っ た と推 定 され る。 地垂 木 の下面 は、側 柱 筋 上 に置 か れ た小屋 束 の上 の母屋桁 、尾 垂 木先 端 に置 か れ た軒桁 、側柱 と四天柱 の 間 にあ る母屋桁 、 そ して四天柱 上 に設 け られた四天枠 で支 え ら れ て い る。屋 根全体 の荷重 が軽 く、塔 が全体 的 に小規模 であ るため に、建物 内部 に桔 木 は ない。 上面 は、外 部 に露 出 した一 番 目の力 肘 木 の上 の巻 キ の線 上 で野垂 木 を受 け る土 居 桁 と、初 重狽I柱筋 上 よ り少 し内側 に設 置 され た二重 目の側 柱 柱 盤 が押 さえてお り、最 後 に初 重 四天柱 筋上 に設置 された二重 目柱 盤 が 、尾垂 木、地垂 木、 隅木の尻 をすべ て押 さえ てい る。 す なわ ち、地垂 木の下面 を軒桁 一母屋桁 一母屋 桁 一四天枠 の

4ケ

所 が、 地 垂 木 の 上 面 を土 居桁 一二重 目の側柱柱 盤 一四天柱 柱 盤 の

3ヶ

所 が そ れ ぞ れ支 えてい る状 況 が 見 て取 れ る。

第7図

 

室生寺五重塔初重地 垂木 支持

(F日本建築史基礎資料集成十一塔婆I』

図面 p130を 再構成)

第8図

 

室生寺五重塔南側全景

(12)

卓 京 柏

3‑3.平

安 時 代

平 安 時代 に は中国か ら密教が伝 わ り、 山岳伽藍 を中心 と した密教建 築 が始 まる。 また、

遣唐 使 が廃 止 され、 日本 固有 の文化が発展 し貴族 的 な文化 が主流 をな してい く。 これ によ って、既存 の法 隆寺 式 や四天王寺式 の伽藍 配置 の ように伽 藍 の 中心軸線 を意識 した木塔 の 配置 か ら、地形 に合 った よ り自然 な配置が 見 られ る よ うになる。 また、 日本独特 の塔型式 である多宝塔 が 出現す るの もこの時期か らであ る。

これ まで奈 良時代 の建築物 と見 られていた当麻寺西 塔 (三重塔

)は

、最近 の研究 に よっ て平安 時代 の木塔 と認識 されてい る26。 1911〜 13年 に大規模 な修理が実施 されている。上述 の東塔 と同様 に修理以前 の意 匠 を説 明 しよう と思 う。 地垂 木の支持点 につ いては、東塔 と 類似 す るが、桔 木が二重 、三重 において側柱 内側 に入 り込 んで置かれ てお り、桔木 の支持 位 置 につ い て の模 索 が 若 干行 なわれ て い た と判 断 され る。 地垂 木 の下 面 は、尾垂 木先 端 に 渡 され た軒桁 、狽1柱上 の小屋束上 に渡 され た母屋桁 が支 えてい る。 また、 四天柱上 に通肘 木 と小 屋 束 が 置 か れ、 そ の上 部 に四天枠 が 設 け られ るが 、 この 四天枠 が尾 垂 木 と地垂 木 の

第9図

 

当麻寺西塔初 重地垂木支持

(『日本建築史基礎資料集成十一塔婆I』

解説p101挿図を再構成)

尻 を受 けて い る。 そのす ぐ内側 には、四天柱 柱 盤 を受 け る また別 の小屋 東が用意 され てい る。地垂 木 の上面 につ いて は、飛捨垂木尻 に 桔 木 を支 え るため に置 か れ た土居桁 、初 重 の 側柱 筋上 のやや内側 に置 かれた二重 目の側柱 柱 盤 、 そ して垂 木尻 につ いて は四天柱柱 盤が 組 み合 って い る。す なわ ち、地垂 木の下面 を 軒桁 ―母屋 桁 一四天枠 の3ヶ所 が、上 面 を上

E桁

一二重 日の側柱柱盤 一二重 目の四天柱柱 盤 の3ケ所 が、 それぞ れ支 えてい る状 況 を見 て取 れ る。

952年に建 て られた醍醐 寺五重塔 は、金堂 の 中軸線 よ りも金堂 に向か って右側 に偏 って 配 置 されてい る。 この塔 で は奈良時代 の木塔 で認 め られ る構造が、基本的 に継続 して認め られ る。 地垂 木の下面 は、尾垂 木の先端 に渡 され た軒桁 、三手先 にお ける二手 目の巻斗上 に渡 された母屋桁 によって支 え られてい る。

母 屋 桁 に よる支 えの位 置 は、 側柱 よ りも外 側 とな る。 それ以前 の碁 と異 なる点 は、側柱

(13)

日本 の木塔 にお ける地垂木 の支持構 造 につ いて

筋 上 に地垂 木 を受 ける部材 が存在 しない点であ る。 また、側柱 と四天柱 の間に渡 された力 肘 木上 の小屋 束 に母屋桁 が か け られ、 これ も地垂 木 の下面 を支 えてい る。 さ らに初重 の四 天柱 上 に設置 され た四天枠 が地垂 木尻 を支 えてい る。 この四天枠 は尾垂 木 を も押 さえてい る。 次 に、地垂木上面 の支持点 につ いてみ る。屋根 は桔 木が存在 しない構造 で、地垂木上 にその まま野垂木が渡 され、 また、飛権垂木上 に設置 された2つ の飼物 と二重 日の高欄 を受 け る腰 組 盤 が 、地垂 木上 面 を押 さえてい る。 その位置 は、初重 の側柱外側 に渡 され た母屋 桁 の上 部 にあた る。以前 の木塔 で は二重 目の側柱柱 盤が地垂 木上 に設置 されたの に対 し、

醍 醐 寺 五重塔 で は、各層 において上層 の側柱柱盤が尾垂木上 に置かれ た小屋 束 に よって受 けてい る。一方 で、地垂 木尻 については 四天柱柱盤が押 さえてお り、事実上、 この地垂木 尻 のみが荷重 を支 えてい るこ とになる。 ちなみ に、初重 と二重 目にお いて側柱 と四天柱 の 間 に設 置 され、 地垂 木 の下面 を受 けて い た母屋桁 は、三〜五重 目にお いて は側柱 筋上 に移 動 して い る。初 重 と二重 目の規模 が大 き く、側柱 の前後 で分 けて支 えていた部材 を三重 目 以 降は一つ の部材 として ま とめてい る。以上 の ように、地垂 木 の下面 を軒桁 ―母屋桁 ―母 屋桁 一四天枠 の4ヶ所 が 、上面 を野垂 木 の飼物2つ 一腰組盤 一二重 目の 四天柱柱 盤が支 えて い る状況 を見て取 れ る。

12世 紀 に入 る と、再 び木塔 に新 た な構 造が確認 され る ようになる。 それ まで木塔 の心柱 の設置 には礎石 が用 い られ、 その礎石 は地下式か ら徐 々に地上式へ と変 わ ってい ったが、

この時期 にな る と、木塔 の内部空 間 を確 保す るための方策27の結 果 と して、心柱 が 初重 の 内部空 間か ら姿 を消 す。 そ の代 わ りに、初重 の側柱上 に置かれた組物 の肘木が通肘 木 とな って互 い に組 み合 い、 四天柱 上部 の位置 にお いて この通肘 木の上 に心柱 受梁 を設置 し、 そ の上 に心柱 を立てるという構造 を取 る。 この ような様相 は、醍醐寺五重塔の二番 目の肘木 か ら見 られは じめ、それ以後の木塔 においては全ての肘木は建物内部へ と伸 び、相互 に連 結す る構造 を見せ る。心柱受梁か ら丸桁桔が伸 びてお り、 これによって一部の地垂木、軒

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醍醐寺五重塔初重地垂木支持

(F日本建築史基礎資料集成十一塔蜘 』 図面 p137を 再構成)

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第11図

 

醍醐寺五重塔西面初重屋根

423

(14)

卓 京 相

桁 、支輪 が互 い に連結 され てい る。尾垂 木尻 は、 四天柱柱 盤 や 四天枠 に よって支 え られて い る。 また、初重 の外側 を取 り巻 く縁 が設 け られ る点 も、 内部空 間 を確保 しようとい う意 図 に よる もの と思 われ る。

1171年 に建 立 された一乗寺二重塔 は、上述 の特徴 を見せ て くれ る木塔 であ る。地垂 木下 面 は、尾 垂 木上 部 に設 置 され た軒桁 、 一部 に丸桁 桔 、側柱 筋上 に設置 され た小 屋 束 の上 に 渡 され た母屋桁 な どが受 けてい る。 また、初重 の側柱 上 の組 物 を連結 す る通肘 木上 に小屋 束、尾垂 木 が置 か れ、 そ の上 部 の母屋桁 も地垂 木 を受 けてい る。 この母屋 桁 は、若千傾斜 をつ けて配置 されてお り、独特 であ る。建物 内側 において は、 四天柱 上 の小屋束 が四天枠 を受 け、その上 に地垂 木尻 が架 け られてい る。屋根 の構 造 を見 る と、構 木尻 が′ふ柱 のす ぐ 近 くに設置 されてい る。尾垂 木上部 には軒桁 、飛権垂 木尻 、桔 木 を受 ける土居桁 と設置 さ れ るが、 この土居桁 が地垂木 を押 さえてい る。 また、 内部 にお いて は二重 目の恨I柱柱 盤 が 地垂 木 を押 さえてい るが、垂 木尻 を支 える部材 は存在 しない。全体 的 にみ る と、地垂木 の 下面 は、軒桁 ― (丸桁 桔

)一

母屋桁 ―母屋桁 一四天枠 の5ケ所 にお い て、上 面 は土居桁 一 二重 目の側柱柱盤 の2ヶ所 にお いて支 え られてい る。

一乗寺二重塔 とほぼ同時期 の1178年 に建 て られた浄瑠璃寺二重塔 は小 型 の塔 であ り、そ の 内部構 造 も比較 的簡潔 であ る。地垂 木の下面 は、尾垂 木 の先端 に渡 された軒桁 、一部 に つ いて は丸桁桔 が支持 してい る。丸桁桔 は四天柱 上部 には及 んでお らず、長大 な部材 で な くて も、効 率 的 に利 用 して い た可 能性 が あ る。側柱 中心 線 上 で は、丸桁 桔 の上 に置 か れ た 母屋桁 が、地垂 木 を支 えてお り、尾垂 木尻 に渡 され た母屋桁 も地垂 木 を受 けてい る。屋根 構 造 を見 る と、 や は り桔 木 が あ る。飛槍 垂 木尻 に置 か れ て桔 木 を受 け る土居 桁 が、 丸桁 の 中心 線上 に置 か れ、 これが 地垂 木 の上 面 を押 さえて い る。 また、二重 日の側柱 柱 盤 も地垂 木上面 を押 さえてい る。土居桁 は丸桁 よ りもはるか に太 い部材 とな ってお り、桔 木 を ささ える構造物 の ように見 える。 よって、外側 か ら見 る と、地垂木 は水平 の部材 の上 に差 し込 まれているような感 を受ける。地垂木尻 に結合する部材 は存在 しない。 したがって、一乗 寺三重塔 よりもさらに単純 に地垂木が支持 されるが、その下面は軒桁 ― (丸桁桔

)一

母屋 桁 一母屋桁 の

4ヶ

所 において、上面は土居桁 一二重 目の側柱柱盤の

2ヶ

所 において支 え ら れていることがわかる。

3‑4.鎌

倉 時代

鎌倉時代 は、鎌倉 に幕府が成立 し、鎌倉が天皇の居 る京都 とともに政治の中心 となる時 期である。特 に、武士 と庶民のために、理解が容易 な文化が生みだ され、経済 も安定する 時期である。仏教 において も、誰 もが極楽 に往生で きるとい う浄土宗が大 きな支持 を受け た。建築様式 において も、中国か ら伝 わった禅宗様 と東大寺復興のために採用 された大仏 様 という様式が新たに導入 された。

(15)

日本の木塔 における地垂木の支持構造 について

鎌倉時代 に建 て られた興福寺三重塔 の組物 は、尾垂木 を用いない出組型式であ り、支輪 が採用 され、心柱 は初重の屋根 よ り高い位置か ら伸 びている。桔木尻 がJふ柱受梁 を受 け、

そこに心柱が立て られ、以前の木塔 とは異 なる構造 となってい る。地垂木の下面 は、側柱 上に組 まれた出組の上部 に渡 された丸桁28が支 えている。 また、側柱 と四天柱 の間に渡 され

第12図

 

―乗 寺二重塔初 重地垂木支持

(『日本建築史基礎資料集成十二塔婆

I』

図面p.131を再構成)

第14図

 

浄瑠 璃寺二 重塔初 重地垂木 支持

(『日本建築史基礎資料集成十二碁婆Ⅱ』

図面p137を再構成)

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第15図

 

浄瑠璃寺二重塔初重東面 第13図

 

一乗寺二重塔初重東面

(16)

卓 京 相

第16図

 

興福寺二重塔初重地垂木 支持

(『日本建築史基礎資料集成十二塔婆 Ⅱ』

図面 p142を 再構成)

第17図

 

興福寺二重塔初重屋根内の地垂木支持

た通肘 木 の上 に小屋 東、母屋桁 が置 か れ、 この母屋桁 も地垂木 を支 える。 そ して、 四天柱 の上部 に小屋束、四天枠が設 け られ、地垂木尻が この四天枠 に架 け られている。

地垂 木 の上面 につ いて は、九桁 状 の桔 木 を受 けかつ飛権 垂木 を支 える土居桁 と、 中 間付 近 の二 重 目の側柱柱 盤が それぞ れ押 さえてい る。桔 木 は隅木 を支 える四天枠 に架 け られて お り、 その上 に また四天枠 が置 か れ、 さ らに心柱 受梁が設 け られ る とい う構 造 で あ る。 し たが って、地垂 木の下面 を丸桁 一母屋桁 一四天枠 の3ケ所 にお いて、上面 を上居 桁

‑2重

目の側柱柱 盤の2ヶ所 において支 えて い る状 況が見 て取 れ る。

1214年 に建 て られた海住 山寺 の木塔 は、平面が方

3mと

小型 で あ るが五 重塔 で あ る。初 重 には縁 が設 け られ、裳 階が あ り、心柱 は、初重組物上部 の四天枠上 に置 かれ た心 柱 受梁 に立て られている。組物 は、尾垂木 を用いた二手先である。 この ような組物の方式 は、同 時代の他 の塔 には求め られず、試行 的な要素 とも考 えられる。地垂木の下面 は、尾垂木上 に渡 された丸桁、側柱の中心線上 に設置 された母屋桁が支 えている。 また、四天柱上部の 四天枠 に尾垂木が架け られ、その上 にさらに幅広の角材で構成 された四天枠が設 け られ、

そ こに地垂木尻が架け られている。 この四天枠 は二重 目の側柱柱盤 にまで伸 びてお り、韓 回伝統建築の「外機 (引アキ)」 と類似す る構造のように見える。

韓国伝統建築 において、外機 とは屋根 を構成す る枠組みのことである。両脇 間へ と張 り 出 した中 ドリ (母屋桁

)の

両端 に、梁行方向の別の部材 を留め接いで枠組みを構 成す る。

下部の繋梁が これを支 えることで、 よ り安定 した構造体 を造 り出す ことがで きる。梁行方 向の部材 には建物側面の地垂木が架 け られ、梁 と桁が留め接 ぎされる隅部分 には隅木が架 け られる。 また、中 ドリの突出の度合いが、破風の位置を決める重要な要因 となる29。

海住 山寺五重塔 においては、尾垂本が受けている上の四天枠が四方へ と延 びてい る。四 天枠 を構成す る部材が最初 に組 み合 う部分 (内側

)に

おいて地垂木尻 を受 け、外側 の組み

(17)

日本の木塔 における地垂木の支持構造について

第18図

 

海住 山寺五重塔初重地垂本支持

(『日本建築史基礎資料集成十二塔婆I』

図面 p144を 再構成)

第19図

 

海住山寺五重塔東面

合 う部分 において二重 目の側柱 を受 けている。 この時、尾垂木が まるで繋梁 の ような役割 を担 ってお り、最初 の組 み合 う部分 と外側 の組 み合 う部分 が、外機 の ような構 成 になって い る。屋根構 造 を見 る と、桔 木 は用 い られてい ないが、二重 目の側柱柱 盤が長 く外側 に仲 びて野垂木 を支 えてい る構造 であ り、実 質的 に桔 木の役 割 も兼 ねていた と判 断で きる。地 垂 木上面 には飛権垂 木が置かれ、丸桁 の位 置 よ りも外側 に、野垂木 を支 えるための小型 の 土居桁 が東 の上 に渡 されてお り、 これが地垂 木 の上面 を押 さえてい る。 また、上述 の二重 目側柱柱 盤 も地垂木 の上面 を押 さえてい る。 この側柱柱 盤 は初重側柱 の中心線上 よ りもや や 内側 に入 り込 んでい る。地垂木 の全体 的 な支持 点 は、下面 において は丸桁 一母屋桁 一四 天枠 の3ケ所 、上面 において は土居桁 一二重 目側柱柱 盤 の2ヶ所 となる。

明通 寺 三重塔 は1270年 に建 て られ た木塔 で、1957年 に行 われた修理 の過程 で瓦葺屋根 か ら檜 皮葺屋 根へ と変更 され た。組物 の方式 は三手先が採用 されてい る。修理前後 の全体 的 な構 造 は同 じで あ るが、屋根 内部 に桔 木が新 た につ け加 え られてい る。 ここで は、修理以 前 の構 造 につ いて説 明す る。地垂 木下面 は尾垂木上部 の軒桁 、初重側柱 の中心線上 の小屋 束 に渡 され た通肘 木 に よって支 え られ て い る。 また、初 重 四天柱 上 部 に設 置 され た 四天枠 に尾 垂 木が架 け られ、 その上 に さ らに四天枠

が 設 け られ、 これ も地垂 木尻 を支 えてい る。

地垂 木 の上 面 につ いて は、飛権 垂 木尻 に野垂 木 を支 持 す るた め の 、 土居桁 一小屋 束 一母屋 桁 と重 ね て配 置 され 、 これが 支 えて い る。 ま た、二重 目の側柱 と四天柱 を設置す るため の 柱 盤 も地垂 木 の上 面 を押 さえて い る。 海住 山 寺 五重塔 で見 られた外機 に類似 した構成 の よう

20図  

外機 概念 図

(瑠

暑君『せノl引

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4千手。1料 4』 p179)

427

(18)

卓 京 相

に、 四天枠 が外側へ と伸 び、二重 目の側柱柱 盤が設 け られてい る。全体 的 にみれ ば、地垂 木 の下 面 が軒桁 ―母屋桁 一四天枠 の3ヶ所 で支 え られ てお り、上面 につ いて は、2ヶ所 の 土居桁 と2ヶ所 の二重 目柱 盤 の計4ヶ所 で結合 されてい る。

1283年に建 て られ た霊 山寺 三重塔 は、「人」字状 の補 強部材 が二重 目側柱柱 盤 か ら心柱 にか けて設置 されてい る。 これ は、上述 の醍醐寺五重塔 で も確 認 で きる。全体 の構 造 は簡 潔 で あ るが 、屋 根 に桔 木 が設置 され てい る。 この桔 本 が二重 日の四天柱 柱 盤 の下 部 と連結 し、 これ を支 えてい る。地垂 木の下面 は、尾垂木上 の軒桁 、初重 の四天柱 上部 に設 け られ た

3つ

の四天枠 の内の中間の ものによって支 え られている。最下部の四天枠 には尾垂木が、

最 上部 の 四天枠 には桔 木が取 り付 き、 そ の上 に二重 目の 四天柱 を支 え るた めの柱 盤 が設置 され てい る。地垂 木 の上面 につ いては、 まず軒桁 の上 に取 り付 け られ た土居桁 が支 えてい る。 この土居桁 は飛権垂木 も押 さえてお り、 同時 に桔 木 を も受 けてい る。 また、 四天枠 よ りもややタト側 に置 か れ た二 重 目側柱 を受 け るため の柱 盤 も、地垂 木 の上面 を押 さえ る。地 垂 木尻 につ いて は、上述 の ように、二重 目の四天柱柱 盤 か ら桔 木 一四天枠 の順序 で支 えて い る。 ま とめ る と、地垂 木 の下面 につ いて は軒桁 一四天枠 の2ヶ所 にお いて支 え、上 面 は 土居桁 一二重 目側柱柱盤 一四天枠 (二重 目四天柱柱盤

)の

3ヶ所 にお いて支 えてい る。

1285年 に建 て られた長福 寺三重塔 は、 岡山県下 にお ける最古 の木造建築物 で、1928年 に 現在 の位 置 に移 され、 1951年 に解体 修 理 が行 なわれ た。修 理 の際 に、側柱 上 に母屋 桁 が設 置 され、桔 木 を よ り太 い もの にす るな ど一部 に変更が あった。二、三重 目に確 認 で きる柱 の上下 を支 える「X」 字形 の補 強部材 は、「八 」字 形 の補 強部材 よ りも堅牢 な印象 を与 え る。 この ような補 強部材 の使用 は、木塔 の内部構 造 を よ り簡潔 な もの に しよう とい う意図 か らであった と推定 され るが、実際 には内部構造 に大 きな変化 は認め られ ない。

地垂 木 の支 えにつ いて も簡素 な ものの ように見受 け られ る。 まず、地垂 木 の下面 は尾垂 木上 の軒桁 が支 えて い る。 また、尾垂 木尻 を支 える四天枠 が四方へ と伸 ば され、外側 の枠 組 みが形 成 され てお り、 この部分が地垂木尻 を支 えてい る。 この四天枠 の構 造 は、上述 の 海住 山寺 五重塔 と類 似 す るが、尾 垂 木 と地垂 木が 同一平面上 で支 え られてい る点 にお いて 異 な る。 地 垂 木 の上面 につ いて は、軒桁 上 部 に置 か れ比較 的細 長 の構 木 を受 け る土居桁 と、 四天枠 の上部 におかれた二重 目側柱柱盤が押 えてい る。す なわち、地垂 木 の上面 と下 面 で、 それぞれ2ヶ所 ずつ の支持点が認 め られ る。

14世 紀 に建 て られ た と推 定 され る西 明寺 三重塔 は、琵 琶湖 を見 渡 す よ うに位 置 して い る。屋根 に桔 木が二重 に配置 され てい る点 を除 けば、比較 的簡潔 な構 造 であ る。地垂木 の 下面 は尾垂 木上 に渡 され た軒桁 が支持 してい る。 また、地垂木尻 は比較 的太 い部材 で作 ら れ た四天枠 の上 に架 け られてい る。飛権垂 木 を固定 し桔 木 を受 ける

2ヶ

所 の上 居桁 が、地 垂 木 の上面 を支 えてい る。 図面上 で は初重組物上 の力肘 木 に土居桁 ―小屋 束が置 かれ、地

(19)

21図  

明通寺二重塔初 重地垂木支持

(『国宝明通寺本堂・二重塔修理工事報告書』

19図を再構成)

Js、

23図  

霊 山寺二重塔初重地垂木支持

(『国宝・重要文化財(建造物)実測図集』

奈良250を再構成)

25図  

長福寺三重塔初重地垂木支持

(『長福寺三重塔修理工事報告書』

11を再構成)

日本の木塔 における地垂木の支持構造について

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22図  

明通寺二重塔初重北面

24図  

霊山寺二重塔初重北面

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第26図

 

長福 寺二重塔初重西面

429

(20)

卓 京 柏

27図  

西 明寺 二重塔初重地垂木支持

(『日本建築史基礎資料集成十二塔婆

I』

図面p151を再構成)

28図  

西明寺二重塔初重西面

垂木 と共 に二重 目側柱柱盤 を受けている。地垂木尻 を支 える部材 はないが、尾垂木 一四天 枠 ―地垂木 ―隅木 をまとめて固定す る補強部材が用 い られてい ると判断 され る。 まとめる と、地垂木の下面 を軒桁 一四天枠 の 2ヶ 所で支 え、地垂木の上面 を

2ヶ

所の土居桁 一二重 日側柱柱盤によって固定 している。地垂木尻 については、四天枠上の部材 をまとめて固定 し補強 してお り、特徴的である。

1317〜18年に建て られた とされる石手寺三重塔 は、初重の四天柱上 に四天柱程の太 さの 束が置かれ、初重組物 の力肘木 と連結 し、四天柱郭の上部構造 を構成 してい る (四天柱の 積木構造)。 この束が、尾垂木 と地垂木の尻 を支 えている。 さらに細長い束がたて られ、

上層組物 の力肘木 と連結 している。後世 に修理が一度行われ、 この時に桔木 とともに桔木 を支 えるための四天枠が別途設置 されている。地垂木の下面 は、尾垂木上 に設置 された軒 桁、側柱筋上の小屋束 に渡 された母屋桁が支える。四天柱上の束 に四天枠が連結 し、 これ は地垂木尻 を受 けている。 また、尾垂木 を受けるための別の四天枠 に、地垂木尻が当たっ ている。地垂木の上面 については、軒桁上部で桔木 を受 ける土居桁 と、二重 目側柱柱盤が 押 えている。 まとめる と、地垂木の下面 を軒桁 一母屋桁 一四天枠 の

3ヶ

所で支 え、上面 を 土居桁 一二重 目側柱柱盤の 2ヶ 所で支えている。

1333年 に建 て られた大法寺二重塔 は1920年に解体惨理が行 なわれたが、特 に構造上の変 更点はなかった ようである30。 組物は尾垂木を備 えた二手先で、地垂木の下面 は、尾垂木上 の丸桁 と、側柱 中心線上の小屋束 に渡 された通肘木が支 えている。 この木塔 の心柱受梁は 非常 に大型で、初重側柱筋上 にまで及んでお り訊、尾垂木が架け られている。尾垂木を受け

る横架材は心柱受梁の側面に差 し込まれ、小屋束によって支えられているようである。こ

の尾垂木の上にも母屋桁が渡 され、地垂木尻を受けている。地垂木の上面は、桔木を受け

る土居桁 と二重 目側柱柱盤によって押 さえられている。まとめると、地垂木の下面を九桁

(21)

日本の木塔 における地垂木の支持構造 について

―母屋 桁 ―母屋桁 の

3ヶ

所 で支 え、上面 を桔 木 と関係 の あ る土居桁 一二 重 目側柱柱 盤 の

2

ヶ所 で押 えてい る。

鎌 倉 時 代 末 期 に建 て られ た百 済寺 三重 塔 で は、構 造 的 に はや や異 な るが、薬 師寺 東塔 で も認 め られ たやや 内側 に傾斜 す る四天柱 が二、三重 目に設置 されて い る。 ただ し、 四天柱

29図  

石手寺二重塔初重地垂木支持 (F国宝・重要文化財(建造物)実測図集』愛媛県73)

31図  

大法寺二重塔初重地垂本支持

(『日本建築史基礎資料集成十二塔婆Ⅱ』

図面p157を再構成)

駒 歯 鶴 諄 心4■工A■

― と望 ̀が塩 ぶIⅢ

30図  

石手寺二重塔初重西面… 第

32図  

大法寺二重塔初重南面

(22)

卓 京 猫

柱盤 は備 えてお らず、通肘木上 に直接立て られている点 において、前代の構造 とは相異が ある。四天柱上 に設置 された四天枠 は二重で、下段 は尾垂木 を、上段 は地垂木 を受 けてい る。注 目されるのは、比較的細長の桔木尻 を支 える部材が存在せず、尻が単 に架け られて いるだけ とい う点である。む しろ、地垂木が屋根構造全体 の土台 となっている と見 ること がで きる。 この ような構造 は、初期 の木塔 の屋根構造 と類似す るが、四天柱 に貫通 させて 隅 木 と尾 垂 木 を固定 してい る点 は、 以前 の木 塔 には確 認 で きない新 しい要素 で あ る。

地垂 木 の下面 は、尾垂 木上部 に渡 された軒 桁 、側柱 筋 上 の小 屋 束 に渡 され た母屋 桁 が支 えてい る。 また、 四天柱 の柱 間 よ りも広 め に 設 置 され た 四天枠 上 に、尾垂 木尻 が 架 け られ て い る。屋根 は桔 木 を有す る構造 であ る。地 垂 木 の上面 につ いて は、軒桁 よ りも大 き く突 出 させ て設 置 され た桔 木 を支 えるための土居 桁 と、二 重 目側柱 柱 盤 が押 さえて い る。二重 目側柱柱 盤 は初重 の母屋桁 間 に位 置 し、 それ よ りも上 部 に設置 され てい る。地垂 木 の下面 を、軒桁 ―母屋桁 一四天枠 の

3ケ

所 で支 え、

上面 を土居桁 一二重 目側柱柱 盤 の

2ヶ

所 で支 えてい る。

3‑5。 南 北 朝 時 代

1333年 に鎌 倉幕府 が減亡 し、南 北朝 時代 が 始 まる。 この時代 は室 町時代 の前 半期 と見 る こ ともあ るが、 日本 にお いて南北 朝 時代が終 わ りを迎 えた1392年に、朝鮮半 島で は朝鮮 王 朝 が成 立 して い る こ と もあ り、両 者 の 関係性 か ら本稿 で は一つ の時代 と して把 握す る。南 北朝 時代 は、鎌 倉 時代 か らの庶民 的 な文化 が

さ らに発展 した時代 である。

1348年 に建 て られ た明王 院五重塔 は、上述 の大法寺 三重塔 と基本 的 に同 じ構 造 で心柱 を 立 てて い る。 また、二重 日以上 の柱 間 を連結 す る胴 差 を、 各 層 ご とに90°ず つ ず ら しなが 第

33図  

百済寺三重塔初重地 垂木支持

(『回宝・重要文化財(建造物)実測図集』

奈良743を再構成)

ユ曇捏ば麟

34図  

百済寺二重塔初重東面

(23)

日本の木塔における地垂木の支持構造について

ら配置 して い る。地垂 木の下面 は、尾垂 木先端付 近 の上 部 に渡 された軒桁 、支輪 な どと連 結 した細 長 の九 桁 桔 に よって支 え られ て い る。 さ らに、 尾 垂 木尻 近 くに渡 され た母屋 桁 に よって も支 え られ てい る。尾垂 木 は四天枠 で受 けてお り、 その上 に二重 目の四天柱 を支 え る胴差 が渡 され てい る点が特徴 的であ る。 以前 まで、 そ れぞれの柱 は柱 盤 に よって支 え ら れて い たが 、 加 えて胴 差 に よって支 え られて い る点 は構 造 的 な変化 と して認 め られ る。地 垂木の上面 は、飛権垂木 を押 さえ桔木 を受 ける

土居桁 や、二重 目側柱 を受 ける柱盤 に よって押 さえ られ て い る。土居桁 を受 け る部材 は丸桁 よ りもや や 外 側 に配 置 され て い る。 以 上 の よ う に、地垂 木 の下 面 は軒桁 (丸桁 桔)一母屋 桁 の 2ヶ所 に よって支 え られ、上面 は土居桁 一二重 目側 柱 柱 盤 の

2ヶ

所 に よっ て押 さえ られ て い る。一つ特異 な点 は、 これ までの木塔 において は、二重 日以 降の地垂木の支持構造 は初重 とほ ぼ同 じであ ったが、明王院五重塔 においては、

下層 の側柱 位 置 よ りもやや 内側 か ら上層 の側柱 柱 盤 の直 下 まで束 を伸 ば し、地垂 木 と交差す る 位 置 に通肘 木 を渡 し、地垂 木 を支 える構 造 を取 ってい る。す なわち、二重 日以 降は地垂木の下 面 の支 えが

3ヶ

所 に増 えてい る。

14世 紀 に建 て られた安楽寺八角三重塔 は、 日 本 に現存 す る唯― の人角木塔 であ る。現在 は、

初重 の周 辺 をめ ぐる屋根構 造 を裳 階 と判 断 し、

三重碁 と分類 されてい る32。 初 重 は、裳階 の内 側 に設置 されてい る側柱 が、下側 の長柱 と上側 の短柱 の間 を尾垂木の ない二手先で連結 し、実 際 の初 重側柱 の組物 は、短柱 の上 にあ る擬似 尾 垂 木 を もつ三手先である。 この擬似尾垂木 は一 見 、韓 国伝 統 建 築 の多 包 系 建 築 物 に見 られ る

「 ス ウェ ソ (引

 

牛舌)」 と類似 す る よ うに 見 えるが 、建物 内部 にお いては通肘 木 に よって 対応 す る もの 同士 が相互 に連結 してい る。心柱 は、比較 的太めの短柱 の頭貫 と連結す る心柱受

35図  

明王 院五 重塔 初重 地垂木 支持

(『日本建築史基礎資料集成十一塔婆I』

図面p149を再構成)

JI

36図  

明王院五重塔初重北面

(24)

卓 京 柏

梁 に よって受 け られ てい る。地垂 木 の下面 は、尾垂木 の上 部 に渡 され た軒桁 と、初重組物 か ら伸 びる通肘 木上 の小屋 束 に渡 された母屋桁 が支持 して い る。上面 は桔本 を受 け るため の土居桁 、二重 目側柱柱 盤 が押 さえてい る。土居桁 は軒桁 の直上 に渡 され、二重 目恨I柱柱 盤 は軒桁 と地垂 木下面 を支 える母屋桁 の 中間 に配置 されて い る。地垂 木 の下面、上面 はそ れぞれ 2ヶ所 の位 置 で のみ支 え られ てい る こ とになる。

37図  

安楽寺 八角二重塔初重地垂木支持

(『日本建築史基礎資料集成十二碁婆Ⅱ』

図面p■62を再構成)

38図  

安楽寺八角二重塔初重屋根

園城寺二重塔初重東面

39図  

園城 寺二重塔初重地垂木支持

(『国宝・重要文化財(建造物)実測図集』

滋賀■7を再構成)

41図  

比曾寺東塔跡

 

南西方向か ら

(25)

日本の木塔 における地垂木の支持構造について

園城寺三重塔 は、現在の三井寺 に位置 してお り、寺域 内の大部分の建物 は豊臣秀吉 と徳 川家康の助力 に よって再建 された り、移建 された とい う。木碁 について も比 曽寺東塔 (奈 良県吉野町

)を

移建 した ものである。比曽寺の東塔 は聖徳太子が建てた と伝 え られている が、1597年 に豊 臣秀吉が伏見城へ移建 し、その後1601年 に徳川家康が再度現在の三井寺ヘ 移建 した とされ る。そのため、本来の姿は古式であった と考 え られるが、三度 にわたる移 建 に よって、その構 造 は相 当に変容 し、現在 の木塔 の意匠 は14世 紀頃の もの と推定 され る。地垂木の下面 は、地垂木 と金物で連結 された尾垂木上の軒桁、初重側柱筋上の小屋東 に渡 された母屋桁 が支 えている。 また、四天柱上部 に設置 された四天枠 に尾垂木尻が架け られ、その上面 にさらに細長の部材 を用いて四天枠が設置 され、 これが地垂木尻 を受けて いる。心柱 については、四天枠 よりも低い位置の初重組物 を連結す る通肘木の上 に心柱受 梁 を設 け、そ こに立て られている。地垂木の上面 は、軒桁 中心線上の土居桁 と、初重側柱 筋 よ りもやや内側 に位置す る二重 目側柱柱盤 によって、押 さえ られている。地垂木尻の上 面 を押 さえる部材 は特 に準備 されていない。 したがって、地垂木の下面 は軒桁 一初重側柱 筋上の母屋桁 一四天枠 の

3ヶ

所 で、上面は土居桁 一二重 目側柱柱盤の

2ヶ

所で支 え られて いることになる。

1372年 に建 て られた出羽神社33羽黒 山五重塔 は、1608年 に大修理が行 なわれた。上述の 明王院五重塔 とは異 な り、地垂木は各層 において同 じ構造で支 え られている。桔木 と同様 の役割 を担 う部材が塔 内部 に水平方向に渡 されてお り、その先端 は屋根の傾斜 に合わせて 切 り出され、屋根構造 を支 えている。 このような屋根構造 においては、他 の部材が、屋根 を構成す るための必須 の部材ではな くなって しまったことを示 している。地垂木の下面 に ついては、 まず尾垂木上部の軒桁が支 えている。 また、側柱筋上 に位置す る組物の通肘木 上部 に小屋束が置かれ、そ こに母屋桁が渡 されるが、 この母屋桁 も地垂木の下面 を支えて

42図  

羽黒 山五重塔初 重地垂本支持

(『日本建築史基礎資料集成十一塔婆I』

図面p154を再構成)

43図  

羽黒山五重培初重 (避賢貞提供)

435

参照

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