実践報告
スイス・ジュネープ・日本語補習校での平和教育実践
全 煩 徳 ( 長 崎 大 学 教 職 大 学 院 )
1 .はじめに
中 村 桂 子 ( 長 崎 大 学 核 兵 器 廃 絶 研 究 セ ン タ ー ) 下回杏奈(長崎大学教育学部)
日本の平和教育の源は 1919年 に 結 成 さ れ 1921年 に 改 称 さ れ た 日 本 教 職 員 組 合 啓 明 会 に よ る 国 際 教 育 運 動 か ら ス タ ー ト し た と 見 て い る 九 時 期 的 に 見 れ ば 、 「 永 続的な平和」を求めたヴェルサイユ条約から起因し、 1920年 1月に発足した「国 際 連 盟 」 と 深 い か か わ り を 持 つ 。 中 野 は 「 平 和 教 育 」 を 、 こ れ ら の 世 界 大 戦 の 歴 史的教訓│から曳き出し、デモクラシーと平和を求める力を育てるもの、と定義す る 九 更 に 、 宮 原 は 「 平 和 教 育 」 を 、 「 基 本 的 人 権 尊 重 の 教 育J
r
科 学 的 態 度 の 教 育Jr
共 動 的 活 動 の 教 育 」 の 三 点 を 提 示 し 3) 、 こ れ ら の 態 度 や 能 力 の 育 成 と む す び あ わ せ て 、 国 際 理 解 の 教 育 が 必 要 で あ る と 述 べ て い る 九日本は 1946年 11月に平和憲法である「日本国憲法」を公布し、 1947年 3月に 制定した「教育基本法」により、「…世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする
決意を示した。この理念の実現は、基本において教育のカにまつべきものであるJ
K記 述 し て い る 。 日 本 国 憲 法 と 教 育 基 本 法 は 、 平 和 的 な 国 家 及 び 社 会 の 形 成 に 貢 献 す る こ と を 要 求 し て い る 。 そ の 具 体 的 な 平 和 教 育 の 実 践 は 1950年から 1951年 頃 か ら 始 ま っ た と 見 て い る ペ
栗原は、広島・長崎の原爆を題材とした「平和教育」の源は、 1968年 の 長 崎 証 言 の 会 の 結 成 時 か ら で あ る と 論 ず る 6)0 1967年 11月 に 厚 生 省 か ら 発 表 し た 「 原 爆 被 爆 白 書 」 の 「 健 康 、 生 活 両 面 に お い て 一 般 国 民 と 被 爆 者 と の 聞 に は い ち じ る
し い 差 異 は 見 ら れ な い 」 と の 意 見 に 対 し 、 翌 年 に 結 集 し た 「 長 崎 証 言 の 会 」 が 原 爆被爆の証言と継承活動を始めたからである。その後、 1969年 3月(広島)と 1970 年 5月(長崎)に「被爆教師の会」が発足し、関連した平和教育活動が活発化する。
長 崎 大 学 に お い て 、 こ れ ら の 平 和 教 育 の 理 念 と 継 承 活 動 を 受 け 継 ぐ 大 学 生 を 主 と す る 団 体 と し て 「 ナ ガ サ キ ・ ユ ー ス 代 表 団 」 が 結 成 さ れ た の は 2013年 4月 4 日 の こ と で あ る ぺ 本 実 践 は 、 ス イ ス の ジ ュ ネ ー ブ に て 行 わ れ た 核 不 拡 散 条 約 第 2回 準 備 委 員 会 へ の 参 加 と 合 わ せ て 実 施 し た 、 ナ ガ サ キ ・ ユ ー ス 代 表 団 と し て の
「平和教育活動」の一部である。
2.実 践 肉 容 と ね ら い
2013年 4月下旬から 5月上旬にかけて、ナガサキ・ユース代表団のメンバーと し て 、 ス イ ス の ジ ュ ネ ー ブ に 派 遣 さ れ 、 平 和 教 育 活 動 を 実 践 し た の は 第 三 著 者 の
下 回 で あ る 。 著 者 等 は 平 和 教 育 の た め の 事 前 準 備 を し 、 ス イ ス 現 地 で 核 不 拡 散 条 約 や 世 界 の 核 の 現 状 に 関 す る 知 識 理 解 を 深 め る と と も に 、 核 廃 絶 に 向 け て の 活 動
をする中、スイスのジュネーブにて平和教育活動として教育実践を行った。
今 回 の 平 和 教 育 の 実 践 は 、 ジ ュ ネ ー プ 日 本 語 補 習 校 の 小 学 部 に て 実 施 さ れ 、 長 崎 原 爆 を 題 材 と す る 平 和 授 業 の 形 式 で 行 わ れ た 。 こ れ ま で 、 第 三 著 者 は 平 和 教 育 を 受 け た と い う 実 感 が な く 、 大 学 に 入 る ま で の 唯 一 、 原 爆 関 連 の 平 和 学 習 を し た のは小学6年 生 の 修 学 旅 行 時 に 訪 れ た 、 広 島 原 爆 資 料 館 の 見 学 だ け で あ っ た 。 そ の 時 の 印 象 と し て 強 く 残 っ て い る の は 、 ケ ロ イ ド の 写 真 や 被 爆 直 後 の 人 々 を 表 し た蝋人形などである。これらの経験からは、「平和教育=戦争」の恐ろしさを知る も の と い う 認 識 が あ り 、 大 学 生 に な る ま で 、 平 和 学 習 に 対 し て 強 い 拒 絶 感 ・ 拒 否 感を抱いていた。
上 述 し た 第 三 著 者 の 経 験 か ら も 明 ら か な よ う に 、 平 和 教 育 の 批 判 的 考 察 の 1つ に 「 原 爆 ・ 空 襲 ・ 疎 開 体 験 の 聞 き 取 り な ど の 多 彩 な 実 践 の 蓄 積 が 狭 義 の 平 和 教 育 と し て 現 場 に 定 着 し て き た が 、 こ れ ら の 平 和 教 育 は 明 ら か に 一 面 的 で あ り 、 世 界 平和を自分達の手でつくり出すという気構えに欠けていた」という指摘がある。
今回、実践の対象となる児童は、第三著者以上に平和教育に対する、いわば耐性・
免 疫 と い う も の が な い 。 し た が っ て 、 長 崎 の 平 和 教 育 を 長 年 受 け て き た 児 童 と 比 較 す る と 、 同 じ 事 実 を 同 じ 方 法 で 伝 え て も 受 け る 刺 激 の 強 さ が 大 き す ぎ る の で は ないか、という懸念があった。
そ こ で 本 実 践 で は 、 表 現 の 仕 方 に 創 意 工 夫 を 凝 ら し 、 日 本 語 補 習 校 の 児 童 に も
「戦争の恐ろしさを感じることにとどまらず、未来への平和の意志をもっ」こと へ と 繋 げ る こ と が で き る よ う に 配 慮 を 行 っ た 。 更 に 、 こ れ ま で の 日 本 の 平 和 教 育 の 一 面 性 を 聞 い 直 し 、 子 ど も 達 に 世 界 平 和 を 自 ら の 手 で つ く り 出 す と い う 姿 勢 を 育むことをねらいとして定めた。
3.実 践 し た 指 導 案
。 対 象 児 童 : ジ ュ ネ ー グ 日 本 語 補 習 校 の 5,6年 生 を 対 象 (17名)
0児 童 観 : ほ と ん ど が 国 連 職 員 等 の 子 息 で あ り 、 普 段 は 現 地 の 全 日 校 に 通 い 、 週 一 日 補 習 校 に 通 っ て い る 。 全 日 校 で の 使 用 言 語 は フ ラ ン ス 語 60世以上、約 40%
を 英 語 が 占 め る た め 、 日 本 語 の 語 糞 力 や 日 本 の 戦 争 被 害 や 核 問 題 に つ い て の 知 識はほぼ家庭または補習校のみで得るものとなる。
0授業の視点:戦後 68年が経過し、さらに海外に住む児童にとっては、平和につ い て 考 え る 機 会 は ほ と ん ど な く 核 兵 器 の 問 題 は 抽 象 的 な 問 題 と し て 捉 え ら れ る 傾 向 が あ る 。 そ こ で 、 今 回 は 実 際 の 被 害 状 況 の 写 真 や 被 ば く 者 の 体 験 談 を 題 材 と し た 紙 芝 居 、 さ ら に 「 ジ ュ ネ ー ブ 日 本 語 補 習 学 校 現 地 に 原 子 爆 弾 が 投 下 さ れた」ことを仮定した I C T教 材 を 作 成 し 、 核 兵 器 の 問 題 を 個 人 的 な 問 題 と し て 捉 え る よ う に 配 慮 し た 。 ま た 、 授 業 の 流 れ に 沿 い 、 「 過 去 → 現 在 → 未 来 」 の 時 間 軸 に 従 っ て 学 習 を 進 め て い く こ と で 、 児 童 一 人 一 人 の 考 え や 感 じ た こ と を
尊 重 し 、 各 々 が 平 和 な 未 来 へ の 思 い を 強 め て い く こ と 等 を 授 業 の 視 点 と 定 め た 。
O目 標 : 長 崎 の 原 爆 に よ る 被 害 を 知 る こ と を 通 し て 、 核 兵 器 の 恐 ろ し さ や 悲 惨 さ を 理 解 す る こ と に よ っ て 、 人 の 痛 み の 分 か る 豊 か な 心 を 培 い 、 二 度 と 核 兵 器 に よ る 悲 し い 過 去 を 繰 り 返 し て は な ら な い 、 と い う 強 い 意 志 と こ れ か ら の 希 望 あ る 未 来 の 形 成 者 と し て の 意 識 を も っ て 平 和 へ の 思 い を 深 め る こ と を 授 業 の 目 標とした。
0実 践 授 業 案 :
時間 生 徒 の 活 動 教 師 の 活 動 学 習 材
10分 1.第一活動 1.第一活動 ‑ハート。型の台紙
‑ハートの台紙に「私の ‑ ハ ー ト 型 の 台 紙 を 配 る ‑ベン 大 切 な も の 」 を 書 く ‑ 書 く も の に つ い て の 説 明
• Power point①
‑ 書 き 終 わ っ た ら 、 回 収
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
留 意 点
‑ 指 示 を す る と き は 「 大 切なもの」ではなく、「好 き な 食 べ 物J
r
好 き な 場 所Jr
好 き な 人 」 な ど 抽 象 的 な も の か ら よ り 体 的 な 表 現 に 児 童 が 考 え や す い よ う に 例 を 示 し な が ら 説 明をする10分 2. 長 崎 の 原 爆 ( 過 去 ) 2. 長 崎 の 原 爆 の 被 害 に つ い
• Powerpoint② の 被 害 状 況 に つ い て 理 解 を 深 め る
て 理 解 を 深 め る ‑現在の長崎の街の様子につ 〈 写 真 1 >
い て 紹 介 す る
0
観 光 地‑長崎の有名な食べ物や建物
0
町 並 み などを紹介し、最後に長崎につ い て 知 っ て い る こ と を 児
0
食 べ 物 童 に 問 い か け を し 、 そ の 際 に「原子爆弾投下」についての 事 実 は 児 童 の 発 言 か ら 出 さ せ る よ う に す る
0
写 真 か ら 当 時 の 被 害0
写 真 か ら 当 時 の 被 害 状 況 • Powerooint③ 状 況 に つ い て 知 る に つ い て 知 る く 写 真 2>0
原 爆 投 下 直 後 の キ ノ コ 雲 の 様 子10分
10
紙 芝 居 朗 読10分 3. 現 在 の 自 分 た ち に 置 き 換 え て 、 核 兵 器 の 脅 威 に つ い て 考 える
0長 崎 の 被 害 状 況 と 比 較しながら、ジュネー ブ に 原 爆 が 落 ち た こ と を 仮 定 し て 予 想 さ れ る 被 害 を 想 像 す る .ジュネーブ市内、首都
ベ ル ン ( 直 線 距 離 約 130キロ)、隣接国で あ る フ ラ ン ス の パ リ
(約 400キロ)からの 上 空 9000メ ート ル 高 の キ ノ コ 雲 の 様 子 か ら、大きさを実感する
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、
〈 留 意 点 >
・児童に刺激が強くなり す ぎ る こ と が な い よ う に 、 写 真 で は 建 物 や 風 景 に 焦 点 を 絞 り 、 当 時 の 被 害 状 況 や 原 子 爆 弾 の 脅 威 を 理 解 す る こ と が で き る ようにする
0紙 芝 居 朗 読 く 留 意 点 >
・当時被害を受けたのは建 物 だ け で な く 、 多 く の 人 々 が 被 害 を 受 け 苦 し ん で い た 事 実 に 焦 点 を 当 て る 。 ま た 、 原 爆 の 被 害 は 身 体 的 な 被 害 だ け で な く 、 差 別 や 偏 見 と い っ た そ の 後 も 続 く 精 神 的 な 苦 しみの部分も非常に大き か っ た と い う こ と に も 気 づ く よ う に す る
3. 現 在 の 自 分 た ち に 置 き 換 え て 、 核 兵 器 の 脅 威 に つ いて考える
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、
※ < 留 意 点 >
長 崎 の 爆 心 地 が 山 に 固 ま れた地理的な条件から、被 害が抑えられたこと、現在 の技術の進歩により、現在 の 核 兵 器 の 威 力 は よ り 強 力 な も の に な っ て い る こ
とを指摘する
• Powerpoint④
〈写真 3>
o
google earth 使 用 作 成 画 像 O原 爆 投 下 前と後の古写真 .浦上天主堂
・山王神社
‑城山国民学校
・大学病院
‑紙芝居
・紙芝居
「わたしたちの 被爆体験」
‑Powerpoint⑤ . google earth 使 用 作 成 ス
ラ イ ド (3D 再 現 キ ノ コ 雲 を 地 図 上 に 置 い た も の)
5分 4. ま と め 4. ま と め
• Powerpoint⑥ 0核兵器の問題は「過去
or
わ た し た ち の 大 切 な もく 写 真 >
の問題」ではなく、「現 の 」 提 示 、 贈 呈
在の私たちの問題」で ‑児童が授業の始めにそれぞ ‑平和式典
あ る こ と を 実 感 す る れ 書 い た ハ ー ト の 台 紙 を ‑平和集会
‑現在の長崎市の平和活 一 つ に ま と め 、 提 示 す る ‑千羽鶴 動 の 取 り 組 み を 紹 介
. r
核 兵 器 一 つ で 自 分 た ち のし、過去から明るい未 身 の 回 り の 大 切 な も の が
来 へ と つ な げ よ う と 一 瞬 に し て 失 わ れ て し ま
. r
わ た し た ち の す る 平 和 へ の イ メ ー う」とい考え方を共有する 大切なもの」とジ を 膨 ら ま せ る し て 一 枚 の 布
に ま と め た も の
最 後 0折 鶴 贈 呈
4.ア ン ケ ー ト 調 査 結 果
本 実 践 後 、 本 授 業 を 受 け た 児 童 を 対 象 に ア ン ケ ー ト 調 査 を 実 施 し た 。 ア ン ケ ー ト 調 査 結 果 か ら 以 下 の よ う な 結 呆 が 得 ら れ た 。 結 果 に つ い て 、 大 別 し て 「 効 果 的 な 視 覚 教 材 」 及 び 「 効 果 的 な 授 業 内 容 」 の 2点について述べる。
4. 1 効 果 的 な 視 覚 教 材 に つ い て
本 実 践 で 提 示 し た 視 覚 教 材 は 以 下 の 5点 で あ り 、 そ れ ぞ れ の 内 容 を 簡 単 に ま と め る と 、 次 の よ う に 三 つ の 項 目 に 大 別 す る こ と が で き る 。
表1 効 果 的 な 視 覚 教 材 の 提 示 例
写 真 資 料 資 料1: 原 爆 投 下 直 後 の キ ノ コ 雲 の 様 子 (図 1を(a)を参照)
実 際 の 長 崎 原 爆 の 状 資 料2: 被 爆 前 後 の 長 崎 の 全 景 を 比 較 し た 動 画 と 写 真 況 が う か が え る 写 真 (図 1を(b)(c) (d)を参照)
資 料3: 建 物 の 被 爆 前 後 の 様 子 を 比 較 し た 写 真 (浦上天主堂、山王神社等)
(図 1を(e)(f)を参照)
I C T教 材 資 料4 : Google Earthに よ っ て 作 成 し た 補 習 校 に 原 爆 が 落 ち た こ と を 仮 定 し た と き の 画 像
想 像 力 を 働 か せ る こ (図 1を(g)を参照)
と が で き る 、 パ ソ コ 資 料5 : Google Earthに よ っ て 作 成 し 、 ジ ュ ネ ー ブ を ン 上 に 実 現 し た 3Dの 爆 心 地 と し て 仮 定 し 、 キ ノ コ 雲 の 規 模 を 提 示 模 擬 画 像 資 料 し た 画 像 ( 図 1を(h)を参照)
(a)キノコ雲 (b)長 崎 原 爆 前 後 の 動 画
(c)長 崎 原 爆 前 (d)長 崎 原 爆 後
(e)浦 上 天 主 堂 (f)山 王 神 社
(g)ジ ュ ネ ー プ の 補 習 校 上 の キ ノ コ 雲 (h)γュネザ'のキノコ雲をパリ一見る 図1 提示した視覚教材の事例
5
4
3 得 点
2
1
。
資料1 資料2 資料3 資料4 資料5
図2 5点満点の評価から得た得点状況
予想段階においては、長崎は対象の児童にとって親しみのないはるか遠くの地 であるため、長崎原爆に関する実感を伴った学びが難しいのではないかと感じて いた。そのため、児童の長崎原爆に対する想像の補助になるように ICT教材を 活用した学習が効果的であると考えていた.しかし、結果より、 ICT教材を用 いて児童の身近な生活環境を題材として原爆被害を想像することよりも、長崎原 爆の被害状況を示した実際の写真など『本物』を提示することの有効性が明らか になった。
得点の一番低い点数となったのは「キノコ雲』の写真であった。身近な平和教 育を受けた人々かしてみれば『キノコ雲』は原爆を象徴する、平和を求める人々 のある意味シンボルのような存在である。しかし、海外の子どもたちのように『キ ノコ雲」の存在を初めて目にする人々からしてみれば、『キノコ雲』はただの雲の 一種類にすぎない。原爆についての爆発の様子を表す独特な『キノコ雲』の様子 は『キノコ雲」の背景や歴史的な意味の詳細を聞かない限り、ただの独特な形を
した雲の写真にすぎないと判断される。
同じ写真であっても、原爆が落とされた長崎の写真は得点が高かった。長崎か らはるか遠いジュネープで生活をする児童であるからこそ、被爆地としての長崎 の光景がより新鮮に刺激的に映ったのかもしれない。この結果より、長崎や広島 の被爆都市で平和教育に親しんできた児童より、その他の地域で暮らす、長崎や 広島で行われている平和教育を受けた経験のない児童に対しては、長崎や広島の
「本物の写真」の提示が有効であることが分る。
4. 1 捜案内容について
表2 本実践での主な授業活動
教師の活動 過 去 長崎の被爆 活動 1 :被爆関連の紙芝居の読み聞かせ 活動2:被爆前後の写真によって長崎の原
爆被害の様子を知る
現在 活動3:現在の長崎の平和継承活動を知る 未来 児童の生活 活動4:ジュネープに原爆が投下されたこ 環境に置き とを仮定した 3D画像によって、
換えて身近 原爆被害について想像を深める 児童の活動 なものとし 活 動 5 :
r
自分にとって大切なもの』を画ての理解を 用紙に書き、一枚の紙に貼り『私 深める 違にとっての大切なもの』として
『核兵器は大切なものを破壊す るもの』という考えを共有する。
未来に向け 活動6:平和の願いを込めた折り鶴づくり
5
4
3 得 点
2
1
。
活動1 活動2 活動3 活動4 活動5 活動6
図3 5点満点の評価から得た得点状況
本授業は大別して、表2に示されているように6つの活動で構成されている。
詳細は『紙芝居』、『写真」の提示、原爆継承活動の「座学Jなどが教師の活動で ある。これに対して児童の活動は r3D画像」による想像活動、「大切なもの」の 討論活動、『折り鶴作りJ等であった。授業の最後に、受けた授業の五段階評価を
してもらった。
図3からも明らかなように、授業活動の中で最も効果的であると考えられるの が、「活動2:被爆前後の写真によって長崎の原爆被害の様子を知る」である。こ
の 結 果 か ら も 、 長 崎 原 爆 の 被 害 の 様 子 を 示 し た 写 真 の 提 示 、 つ ま り 長 崎 原 爆 の 被 害 を よ り 『 本 物 』 に 近 い 状 態 で 見 て 感 じ る こ と が で き る 「 写 真 」 が 最 も 効 果 的 で あるということが分かる。
次に効果的であると考えられるのは同じ値を示す、「活動 1 :被爆体験を題材と す る 紙 芝 居 の 読 み 聞 か せ 」 と 「 活 動4:ジュネープに原爆が投下されたことを仮 定した画像によって、原爆被害について想像を深める」である。この結果から、
長 崎 の 原 爆 被 害 を よ り 「 本 物 」 に 近 い 状 態 で 知 り 、 そ れ を 自 分 の 想 像 力 に よ っ て 学 び を 深 め る こ と が ジ ュ ネ ー プ 日 本 語 補 習 校 の 児 童 に お い て は 最 も 効 果 的 な 授 業 方法であることが分かる。
得 点 の 一 番 低 い 点 数 を 得 た の は 「 活 動 3:現在の長崎の平和継承活動を知る」
で あ っ た 。 座 学 の 難 し さ を 思 い 知 ら さ れ る 結 果 で あ る 。 子 ど も た ち か ら し て み れ ば平和活動内容の知識より、写真や映像などがインパクト強かったようである。
以 上 の 結 果 か ら 、 教 材 と し て も 内 容 と し て も ICTは 「 補 助 的 に 」 用 い る の で あ り 、 主 と し て 用 い る の は こ れ ま で の 平 和 教 育 同 様 に 、 写 真 や 口 頭 な ど 古 典 的 な 方 法であり、「本物」をより「本物に近い状態」のまま、ありのまま伝えることに重 きを置くべきであるということが分かる。
5. まとめ
本 実 践 か ら 、 現 在 の 情 報 基 盤 社 会 を 生 き る 子 ど も 達 に お い て も 1C Tを用いた 架 空 、 あ る い は 仮 想 の も の よ り 、 実 際 の 「 本 物 」 に 近 い も 「 写 真 」 の 有 効 性 が 明 ら か に な っ た 。 さ ら に こ れ か ら の 平 和 教 育 に お い て も 新 し い も の を 追 い 求 め る だ けでなく、戦後 68年 経 っ て も 「 長 崎 の 本 物 の 被 爆 経 験 」 は 貴 重 な 平 和 教 育 の 題 材 であることを注目すべきである。
今 回 、 海 外 の 平 和 教 育 の 反 省 点 と し て は 、 単 発 の 授 業 で あ る が ゆ え 、 教 師 側 の 思 い 溢 れ 内 容 が 多 様 に な っ て し ま い 、 一 貫 性 の 感 じ ら れ な い も の と な っ た 部 分 で あ る 。 事 前 に 内 容 を よ く 選 別 し 、 一 貫 性 の あ る テ ー マ を 通 し た 授 業 実 践 が 必 要 で あ る こ と を 痛 感 し た 。 さ ら に 、 ジ ュ ネ ー プ 日 本 語 補 習 校 の 児 童 と い う 特 異 な 児 童 観 を う ま く と ら え ら れ て い な か っ た よ う に 感 じ た 。 日 本 語 の 語 葉 カ や 歴 史 に つ い ての知識等も事前準備として注意を払うべきだった。「原爆投下J
r
被爆地」など、なじみのない言葉が児童にとって「ゲンパクトウカJ
r
ヒパクチ」などの、意味理 解を伴わず音としてのみ伝わってしまったところもあったかもしれない。海 外 で 暮 ら す 日 本 の 子 供 た ち に 「 平 和 教 育 」 を す る 場 合 、 よ り 分 か り や す い 補 助 的 な 説 明 を 加 え 、 ま た 「 爆 心 地 」 を 「 原 子 爆 弾 が 落 と さ れ た 地 点 」 な ど 分 か り や す い 言 葉 で 言 い 換 え て 説 明 す る な ど の 工 夫 や 配 慮 を し て 授 業 を す す め て い く 必 要性を実感した、貴重な経験となった。
最 後 に 、 本 実 践 が で き る よ う に ご 配 慮 下 さ っ た ス イ ス ・ ジ ュ ネ ー プ 日 本 語 補 習 校 の 皆 様 、 子 ど も た ち に に は 大 変 お 世 話 に な っ た 。 こ こ に 記 し 、 感 謝 の 意 を 表 す 次第である。
参 考 文 献
1.村上登司文:戦後平和教育論の展開一社会学的考察一、広島平和科学 22、pp. 179‑200, 2000.
2.中野光:両大戦時期における日本の平和教育、教育学研究、Vo158,No.1, p. 173, 1991.
3.宮原誠一:平和のための教育、女性線、 Vol. 5, No.1, pp.34‑39, 1950. 4. 宮 原 誠 一 . 父 母 と 教 師 の 協 力 一 平 和 と 独 立 の た め の 教 育 の 歩 み 一 、 世 界
pp.179‑186, 1955.
5.宮原誠一.平和教育の動向、日本資本主義講座、 Vol. 9, p.433, 1954. 6.栗原貞子.核時代に生きるーヒロシマ・死の中の生一、三一書房、 pp. 170ー174,
1982.
7. http://www.recna.nagasaki‑u.ac.jp/