著者 崎原 麗霞
出版者 法政大学沖縄文化研究所
雑誌名 沖縄文化研究
巻 37
ページ 267‑301
発行年 2011‑03‑31
URL http://doi.org/10.15002/00007283
(1) 本稿は「音楽し」舞踊、韻文の台詞で構成された沖縄独特の伝統楽劇」である組踊の「賢母一一一遷の巻」(作者不詳)に儒学思想の「忠」「孝」「徳」がどのように反映されているかについて考察を行う。一テキストは『宜野座村乃文化財(七)上刊「宜野座村字松田(古知屋)の組踊集』(翻刻本とに収録された「賢母三遷の巻」を用いる(以下同筆者)。松田部落は沖縄本島国頭郡宜野座村の行政区で、戦前まで「古知屋」と呼ばれ、敗戦直後に「松田」と改称された。一九八三年に発見された松田区の組踊本は嘉慶一一十一一一年(’八一八)に書かれたもの
組踊「賢母三遷の巻」にみる儒学思想
はじめにで、その組踊本から、「本部大主」一冊、「高那敵討」三冊、「糸納の按司」|冊、「賢母三遷の巻」|(3) 冊、「黄金の羽釜里川の子」|冊、〈ロ計七冊の組踊本が確認されたという。翻刻本中の「賢母一一一遷の巻」に関しては、池宮正治氏による現代語訳、圭西釈、素材に関する考察及び概評が施されている。ただ、「賢母三遷の巻」の台詞・詞章に儒学思想がいかに織り込まれたかに関する具体的な指摘がなされていないため、本稿ではその補足を試みる。考察方法として、「賢母三遷の巻」にみる「儒学的な」詞章・台詞(歌を含む)を抽出し、番号をふり、頁数、発話者、身分、具体な詞章・台詞(歌を含む)、詞章・台詞にみる儒学の徳目といった項目を立て、儒学思想いわば「忠」「孝」「徳」がどのように盛り込まれているかを纏め、作品の構造とその特徴の分析を試みる。
組踊に関する先行研究は多くの成果を生み出した。研究者として、伊波普猷氏、池宮正治氏、矢野輝雄氏、當問一郎氏らが数えられる。その先行研究成果を以下に簡単に紹介する。組踊は「音楽と舞踊、韻文の台詞で構成された沖縄独特の伝統楽劇。琉球国劇ともいう。沖縄に伝わる音楽と舞踊を総合的に取り入れ、|つの物語を形成した戯曲であるので、}」の名称がある」という。組踊を創作したのは玉城朝薫であった。一七一九年、尚敬王への冊封のため、琉球国が徐葆光を冊 儒学思想と組踊
封副使(正使は海宝)として中国から迎えた。その年の冊封使を歓待する重陽の宴に、組踊が初めて上演され、以後、組踊は冊封使を歓迎する宴席で演じられるようになったという。また、「球陽』尚敬七年の記事には、「初めて本国の故事を以て戯を作らしむ」という項が記されている。当時、踊奉行に任命された玉城朝薫が、「執心鐘入」「銘苅子」「女物狂」「二童敵討(護佐丸敵
討)」「孝行の巻」という五番を、平敷屋朝敏(一七○○~一七三四)が「手水の縁」を、さらに、一七五六年の尚穆王冊封の踊奉行を務めた田里朝直(’七○三~’七七一一一)は四番「万歳敵討」「義臣物語(国吉比屋)「大城崩」「北山崩」を創作した。その後、高宮城朝常が「花売の縁」を、摩文仁安祥が「二山和睦」を、久手堅親雲上が「大川敵討」(忠孝婦人)を、平織親雲上が「巡見官」を、辺士名親雲上が「忠士身替の巻」を、徳嶺親雲上が「束辺名夜討」を創作したと伝えられている。組踊の中心思想は「忠孝節義が強くうち出されており、当時の儒教道徳思想が組踊のなかにももりこまれ(9) ている」という。
組踊が成立した時代背景として、当時の首里王府には明(中国)に対し、「独立国として礼楽をも(、)って統治する儒学国家の体面を形作る一息識があったと考えられる」という。「琉球国が儒教に基づく(、)礼楽の国である}」とを誇示する基本姿勢が貫かれて」いると、矢野輝雄氏が指摘されている。そもそも、組踊に儒学思想が反映されているという指摘は池宮正治氏が最初に行った。氏は「組踊の論理」に以下のように述べている。
ところで冊封の諸宴で組踊が演ぜられだのは一七一九年(康煕五十八)の尚敬王の冊封から、’八六六年(同治五)の尚泰王の冊封までの合計六回である。冊封諸宴で演出された作品総数は以下の二十五作品。「銘苅子」「執心鐘入」「護佐丸敵討(二童敵討)」「孝行の巻」「女物狂」「万歳敵討」「義臣物語(国吉比屋)」「大城崩」「北山崩」「忠孝婦人(大川敵討)」「巡見官」「忠士身替の巻」「束辺名夜討」「辺土之大主」「我数之子」「孝女布晒」「姉妹敵討」「花売の縁」「天願若按司敵討」「本部大主」(E) 「瀬長按司」「一一山和睦」「伊祖の子」「伏山敵討」「手水の縁」であるという。しかし、上述のように、組踊の展開、つまり物語の主要テーマに儒学思想が組み込まれているという指摘はあるものの、その登場人物が発する詞章・台詞には、儒学思想のどの徳目が、具体的にどのように組み込まれ、どのような効果があるのかに関する考察はまだ少ない。本稿は組踊「賢母三遷の巻」を一つの例に考察を行いたい。その目的は、考察を通して琉球国劇の組踊における儒学思想の受容実態の一側面をつかみ、「賢 このように見て来ると「執心鐘入」は後の仇討物とは趣を異にするが、女の挑発をふりきって王府に奉仕する忠義心を言っていることになり、「孝行の巻」の主人公はその至孝故に王子妃となり、「二童敵討」は親の仇を討つ子の義務としてlいわば孝道を描こうとしたようである.つまり五組は封建社会の最も基本的な徳自である「忠」や「孝」をテーマとし、他の物語も首里(吃)王府が介入し幸運をさずけるものとして強調されている。後略。
安川の子(士族)に先立たれた未亡人(千代松の母親)は、生活のため人の布を織ったりして生計を立てている。|方、無邪気の千代松は、村に住むと畑仕事のまね、市に住むと商人のまねをしたりして、環境に左右されている。子供が幼いうちに夫に先立たれ人様の布織などをしながら貧困の中で必死に子供の出世(首里加那志みやだいり)を願う母親は、わが子が環境に左右されていると悟り、少しでもいい環境を求めて子供と高嶺の村の学校所の側に移転していく。そこに落ち着く千代松は母親の苦心を察知して、生計の手伝いをしながら毎晩学問に励んでいる。 「賢母三遷の巻」は作者不詳とされているが、一九八三年に発見された松田区の組踊本は嘉慶二十一一一年(一八一八尚顧十五)に書かれたものなので、物語の時代は一八一一八年以前に想定できる。琉球国は尚敬、尚穆、尚温、尚成王を経て尚議王にわたっている。 母三遷の巻」にみる儒学の様相を通して、組踊にみる儒学の様相の一側面の解明及び他の組踊演目との異同の究明を試みることにある。
二.「賢母三遷の巻」の詞章・台詞に関する検討
Dあらすじ
そこへ按司の身分に感謝と責務を感じ、慎みや慈悲の心で天下を治めようと、身分を隠ししのびで島めぐりをする島尻の世の主の豊世松按司が登場する。夜中に聞こえた千代松の読書の声に惹かれ、隣の下人(間の物)から親子の経緯を聞いた按司が親子二人の「親がなしの思子御教訓、また思子の親がなしの御孝行」に感動し、褒美として千代松に高嶺村の地頭所を与える。|方、夜中に畑仕事をしている下人(間の物)も、大変な親孝行者である。病気の親を養生させるため、身売りをして、昼は主人奉公して、夜は一所懸命に畑を耕して親を養っている。夜中畑仕事に励む下人(間の物)から事情を聞出した豊世松按司は身請け金を出して助けてやるという展開である。
「賢母三遷の巻」における最も重要なテーマの一つは、物語の展開に従い領土を治める側に立つ按司が下人にまでまなざしを注ぎ、徳政を行った理想的な統治者として描き上げられたことであろうと
常に我が子の生活、学習環境に気を配り、子の出世とそれに伴って先祖の名が上げられることを願う母(安川の子の未亡人)。
田舎の畑と市では無邪気に遊んでいたが、転居後は母親の苦心を察知し、生計を手伝い、母親を励ましながら奮起して苦学する千代松(安川の子の遺児)。 思われる。
。主要登場人物
主)。 病気の親を抱えながら、昔の孝行伝説に励まされ、身売りをして昼間は主人奉公、夜は畑仕事に精を出す下人(間の物)。姿を変えて民情視察に出かけ、好ましい風習を取り立てる徳政を展開する豊世松按司(島尻の世の
①番(二詞章・台詞
(前略筆者以下同)玉金一人子、思頼て朝夕取素立しゅすが、わらびてらものや見るかたど習て、原人のしわざ色々のたわぶりに、なれ染ていけば、なし子ためならぬ、去年にしや市方に引きこしや 詞章・台詞より儒学を想定される具体的な例を抽出し、番号をふり、頁数及び発話者を記入し、さらにその身分に関しては物語の流れに沿って分類し、儒学との関連を以下にまとめる。①番(二○|頁)発話者は母。身分は士族の未亡人。
ひきやれば、またんあきんどのまねよしきあすで、あわれこの丈になれはてシをてん、(A)士の家 按司の徳政を伝える岩崎のひやと富田大主(豊世松按司の臣下)。
刃詞章・台詞にみる忠孝徳の実例(傍線と括弧内の英字は筆者。以下同)
役
ワヨュhトレ
つじの宅もち
肝つくき民の治方さねば、天の道たがておとるしやよあれば、諸臣下の内も器量見合しやり、役職に居して、嶋国の仕うち、百姓の治め、授けやりあすが、若か行たらぬことのあてからや、罪科や第一ひちゆへ身にあれば、慎みの上につ芦(しみ)よ重ね、顔や雨笠に按司の名よかくち、嶋国を廻て員 ②番(||詞章・台詞前略あジ てやり、高嶺の村の、学校所側にやどゆ求めたん、後略キーワードは「士の家」「物習」「首里ぎやなし」「按司がなし」「人勝り」「与所まされ」「過し親ふじの名」。徳目は忠孝。Aは主君への忠。士族生まれだから首里への奉公、按司への奉公が求められる。Bは先祖への孝。親の名を上げることは孝行の一つ。②番(’’○’’’’二○四頁)発話者は豊世松の按司。身分は主(君)。
やすてシ」。③番(二詞章・台詞 分の上に、よ司利Ⅲ1後略
キーワードは「難有やこの身」「慎みや慈悲の肝つくぎ民の治方」「よたしやすやあげて、わるさすすて葛」。徳目は徳。治国の道。主君の振る舞い。徳政の執行。役人の裁量任用。天の道を守る。⑤番(二○四’二○五頁)発話者は□説。 あ寡難有やこの身嶋国の中に、君と立ちれて生れやれをれば、我が身から責て、慎みや慈悲の よたしやすやあげてわろさすやすて宮、難有やこの身嶋国の主に、誠生れたる道よ立ら ■■「I
キーワードは「民の治を授けられ、天のみよんぎを身に守て、道をたがわん踏まんてやり」「引ゆ導きも楽も苫も、やゑ、民と共にし幾千代も、天のこづろぞ仰ごなり」。徳目は徳。治国の道。里、島めぐり。善し悪しを見極める。善しを取り立てる。天の心を仰ぐ。④番(二○六頁)発話者は主(君)。 後略島めぐり。
④番二一詞章・台詞
よしは取立あしきをば、引ゆ導きも楽も苫も、やゑ、民と共にし幾千代も、天のこシろぞ仰ごなり、
司露
前略わんどもとから難儀こんじしち、弐人の親やしなゆすが、あシ、まあだ運のたらぬ、こぞにしや、 詞章・台詞 あばら屋の内に、ねぶる目もねらぬ、志立てはまる思菫ベ、これやたづならぬものどやゆる、後略儒学を想定させる具体的な詞章・台詞はないものの、ヒントは「ねぶる目もねらぬ」読書に励む声。読書(学問)することによって役人に採用され、その結果、自己実現を図る。読書(学問)によって自己救済を実現させることは儒学の学問を勧める教えと合致する。⑤番(二○六頁)発話者は問の物。身分は百姓。 やつれ姿に立出て、里のさとシシ嶋々よ、め蘂ぐれシシて難波の、よしとあしをみわかしやい、 国のあるじに立られて、民の治を授けられ、天のみよんきを身に守て、道をたがわん踏まんて
ん、親のことや、なシかいん胴売ていしよんでの、むかしいことばに心はぢまち、夜昼ん働ん、後略キーワードは「昼や主人の奉公きばて、夜々や自分のはたけたがやち」「夜昼ん働ん」。徳巨は孝行。七回も身を売って親を養う伝説に励まされ、昼は主人の奉公に務め、夜は自分の畠を耕し、二人の親
を養う。⑤番(二
詞章・台詞 男の親の病気されて、養生の手段ならん、なくなくも人の内になて養些や幸いなこと、昼や主人の奉公きばて夜々や自分のはたけたがやち、
人の親を養う。⑦番(二○「 やしなてをやくいん、後略
キーワードは「ひるや主人の奉公気張て、夜々や自分の畠け耕ち」。⑤番と重複しているが、徳目は孝行。病気である親の養生のため身売りをする。昼は主人の奉公に務め、夜は自分の皇を耕し、二 前略わんどもとから難儀こんじしち、弐人の親やしなやくいすが、まあだ運がたらぬ、去年にしや、男の親の病気されて、養生の手段なやびらん、なこなくぬ人の内になて、養生しやれば、快気されて、これや幸いなことやシくいん、ひるや主人の奉公気張て、夜々や自分の畠け耕ち、とやかく弐人の親 (二○八頁)発話者は百姓。
(二○八頁)発話者は按司。身分は主(君)。 なくなくも人の内になて養生しやれば、快気されて、これ
とやかく弐人の親やしなてを
は人の道。⑧番(二
詞章・台詞 や、おのづから元の御助けのあもの、怠らぬごとによるひろんきばれキーワードは「人に生れやり人のみちてすや、親に孝行の外やまたあらん」。徳目は孝行。親孝行は人の道。孝行すれば自ら御助けがあるという。⑧番(二○九’’’’○頁)発話者は間の物。身分は百姓。 あ蛍、人に生れやり人のみちてすや、親に孝行の外やまたあらん、おのこ二ろふかく思めつくすもの 詞章・台詞
前略原屋どりをて、おの思子素立めしやいたぴいげさやびいすが、原人のしわざ、いろいろのたわぶりになれ染ていけば、こまをてや素立方ならんぬでいち、おれから市端に引越きやごと、またまた、商売のまねしやれば、こまおてぬ済んぬでいち、七八年先、なまの所に移ていひまひんしやうぎやごと、おれから、手墨学問にしゆめ嵐しやいくたれば、誠にこまど思子素立い所ぬで、よるこでいまひんしやうやびん、中略親がなしいや人の布織り、苧つなぎやい、また思子千代松の前や野山に出て、
成行、豊世松の按司のおんにゆかれば、御取立のあらはつんで、いづれ取沙汰しやぴいん、後略キーワードは「稽古物や怠らぬ、毎夜あの通りだやくる」「親がなしの思子御教訓、また思子の親 薪木とての渡世だやくる、やすが、稽古物や怠らぬ、毎夜あの通りだやくる、あんし、親がなしの恩子御教訓、また思子の親がなしの御孝行、いこと葉にん、いきもつくされやびらぬ、この人のきやの
がなしの御孝行」。徳目は孝行。農家の真似事、商売人の真似事は士の子に相応しくない。学校のそばで手墨学問を真似ることこそ、士の子に相応しいという価値観。母親は生計を立てながら、わが子への教訓を優先させる。子は家計を助けながら勉学に励む孝行息子。親子の曰々の営みは按司に取り立てられると信じる百姓。⑨番(二一一頁)発話者は問の物。身分は百姓。⑨番(二
詞章・台詞
され、豊世松の按司や、至極御慈悲な御主だやくる、御臣下や子のごと御かなしや、先ひいさしゅす
⑩番(二詞章・台詞 にぎんこすい、やあしやしゆすにもの呉りぬでの御肝や、ひやいと御放しめしやうらぬあれば、誠に
キーワードは「御取立のあれば、我れ増ゑいことにこシろざち、罪科かシたんでいきや、これまで、まあだきちやびらん」。徳目は徳。按司は至極御慈悲ある主君。臣下をわが子のように慈しみ、臣下は主君をわが親のように仰ぐ。また、取立てがあるから百姓はこれにこころざし、犯罪がなくなるという社会風俗。
⑩番(二一|頁)発話者は問の物。身分は百姓。 4一コくう勺07ノワP目f0勺nMソ顔、牌pH『|hllnwゾユオヨ4.▽
前略いやが孝心親弐人がとしや、頼むさよ思て助けぶしやあもの、仕合にわ身のかね持ひをれぱ、 ⑪番(||詞章・台詞 孝行ひとつ、兄弟和睦、どし朋輩に誠や一統のそくだやびるキーワードは「親に孝行ひとつ、兄弟和睦、どし朋輩に誠や一統のそくだやびる」。徳自は徳。優れた主に恵まれ、百姓は親に孝行、兄弟に和睦、朋輩に誠をもって付き合う。⑪番(二一一一頁)発話者は按司。身分は主(君)。 おれ程の御主おやひめしやうれば、御役々末々迄い、御肝や壱シだやくる、我々のものまでも、親に
ゆろ、後略 ん主あんまあに孝行しやるゆへに、かんにやる御助けにあふて、あシ、うれしさの余り泪だ袖どしぶ は取り上げ」
@番(二詞章・台詞前略あシ、
んで、あな掘ゆる時、こがれほり出ち、果報をつきやんで、ものがたれど、間々をたる、(B)わね このかねゆ呉らば、身請しぎ宿に、帰て行ち親に孝行よ尽ち、後略キーワードは「孝心」「身請」。徳目は徳。百姓の孝行に感動しては取り上げ」る約束の具体例。@番(二一四頁)発話者は問の物。身分は百姓。
(A)むかし困窮なもんの、子抱ちをしや、親の善ひならぬでいち、親の為に子おぞま 身請の金を渡した按司。「よし
親のためにしぎやるこジろからさらみ、かにやる百果報のつきやることやキーワードは「親のため」「百果報」。徳目は孝行。親孝行は報われる。⑭番(二一五頁)発話者は千代松。身分は子(安川の子の遺児)。 ⑬番(二詞章・台詞
⑭番二一詞章・台詞 キーワードは「果報」「孝行三御助け」。徳自は孝行。Aは「黄金の釜」の伝説。Bは身に起きた現実。両者とも親孝行へのご褒美。孝行すれば御助けがあるという因果応報の実現。⑬番三一四頁)発話者は歌。
前略苦のあとや楽もしゅんてやり、むかしいことばにわがこシろ舅み、いとなみん懸て(A)墨な
願の遂て母親よ、こうろやすやすとやしなゆることや、神仏け揃て貝守やり給れてやい、あよもあしごとい肝の願んしゆよん、後略キーワードは「墨ならて」「御主加那志み(や)だり」「いつか我か願の遂て母親よ、こシろやすやすと」。徳巨は忠・孝行。Aは手墨(学問を)習って、御主奉公という忠の志向。Bは主君奉公という願いが叶えば母親を楽させる孝行志向。⑬番(二一七’’’’八頁)発話者は岩崎のひや。身分は臣下。 らてからに、御主加那志み(や)だり、がらめかんともて、母よす夢みゆん、中略(B)いつか我か
弥増しに御徳かづやきやりをすが、按司ぎやなし天の御心や若か、嶋国の様子、風俗のよしあし、御見分めしやうき、高嶺の村の安川が母子行や気立、人に立替て勝りやりをれぱ、御取立めしやる御心のあとて、安川の母子ふたり御用に行いキーワードは「御惠の露に民草も栄えて」「朝夕願よすや按司がなし御果報」「君と御臣下の道直に治む、御徳化や与所の国迄も及で」。徳目は徳。主君の恵みに民はやすやすと栄えて、百姓は主君の末永い治国を願う。その結果、主君と臣下の道を治める、主君の徳化は広がっていくという徳政によ
る治国を評価する。⑯番(二一八頁)発話者は岩崎のひや。身分は臣下。 暮き、御万人の問切こ鴬ろおち合ち、朝夕巨御掛ぼさいみし(やう)ろ神願よしちゆて、 詞章・台詞前略あえ
前略これほどの御慈悲深さある御代に、生りたる民の百々のうれしやキーワードは「御慈悲深さある御代」「民の百々のうれしや」。徳巨は徳。御慈悲深さある御代に生
まれた民は幸運である。 ⑯番(二詞章・台詞 有難や主人、按司ぎやなし天の、御恵の露に民草も栄えて、朝夕願よすや按司がなし御果報、君と御臣下の道直に治む、御徳化や与所の国迄も及で、 礫子の石の大瀬なるまでぬ、
前略母と千代松が行や気立、人に立替て、人に立ぬけて、すごりとる次第、まされとる次第、間よ定めてど、間よほくらしやの、褒美さんとも呼ちあよるキーワードは「行や気立」「人に立ぬけて」。徳目は徳。親子二人は人に勝る行いをしたため主君からご褒美が与えられ評価されている。
⑬番(’’’’’’’’二一一頁)発話者は按司。主(君)。⑬番(二詞章・台詞 ⑰番(二詞章・台詞
キーワードは「士の本意うしなはん」「なし子引進め奉公よしめて」「過し親ふじのなもあげらてやり」「千代松が朝夕母の下知守て」「手墨学問ん励ぢまちやるこシろざし」。徳目は孝行、貞淑。女手一つで士の志を忘れずにわが子を奉公させ、先祖の名を上げた母親。親の心を察し、手墨学問に励む ごとに、呉よん 前略夫よ先立て、助びんをらん女身の習の、おの難儀しちん、おのあわれしちん、誠と士の本意うまた、千代松が朝夕母の下知守て、手墨学問ん励ぢまちやるこ夢ろざし、 (一三一頁)発話者は按司。主(君)。只ならぬ母子、まシならん親子、世の中の手本、嶋国のかづみ、 眉里しび.吃宅方
あシむかしものがたり間る
価て、おの褒美高嶺の地頭
やあ、千代松、けふからやこうろ、やすやすと暮ち、手墨学問ひとかたにならて、嶋国のためになよ ⑲番(二詞章・台詞 キーワードは「手墨学問ひとかたにならて、嶋国のためになよるごとに」。徳巨は忠。士の遺児に島国の為に学問に励むことを勧める主君。⑳番(二一一四頁)発話者は富田大主。身分は臣下。 るごとに後略
前略御恩たうとさや、肝に思染て、胸に思留て、手墨学問おの外の事も、誠に嶋国のためになよる 子。この二人は世の中の手本、島国の鏡になる(評価し高嶺の地頭を与える)。⑲番(二一一一一一頁)発話者は按司。主(君)。
めしえるごと胸に、深く思め染めて、朝夕稽古方きも心つくち、お臣下に生れたる、道よ立てやくら ものや、忠節よ尽ち、いやましに御徳四方の国までも、輝かすごとに心つくせキーワードは「忠節よ尽ち」。徳巨は忠。主君の恩を忘れずに手墨学問に励み、島国のために忠節を尽くすことを士の遺児に激励。⑪番(’’二四頁)発話者は千代松。身分は子(安川の子の遺児)。 詞章・台詞
⑪番(||詞章・台詞
キーワードは「お臣下に生れたる、道よ-ユてやくら」。徳目は忠。主君の恩を胸に秘めて朝夕稽古して心を尽くし、臣下に生れたる、臣下の道を歩むことを約束した士の遺児。
上記に述べたように、儒学の忠孝徳の徳目が見られる詞章・台詞の実例は二十一数える。以下は「賢母三遷の巻」の詞章・台詞にみる主君の徳治、臣下の忠誠、親への孝行及び士の未亡人の貞淑について具体的に考察を行う。
儒学の大きな特徴は君子に徳治、つまり人民に慈悲を含めた恩徳を施す政治を勧めていることにあ
り、これは君子たる者の責務とも言われる。このような徳治を勧める詞章・台詞は「賢母三遷の巻」にも確認でき、以下のように纏める。②番豊世松の按司の台詞分析で王君に立てられて生まれている運命ではあるが、我が身から戒め慎みや慈悲の心を尽して民の治めをしなければ天の道に背くことになると、主君の決意が述べられている。治国の道として、主君の慈悲ある振る舞い、徳政の執行、役人の裁量任用、天の道を守ることがあげられている。それを実現させるため、顔と身分を隠し、国を巡見し、行いの良きものを褒賞し、 三.「賢母三遷の巻」にみる徳治思想
悪いものを戒める行動を取る。
③番口説の詞章分析》天命を授け主君になってこそ、天の意向に従い道を間違えないようにしっかりと踏むという主君の自覚。里、島めぐりして善し悪しを見極めながら、善きを取り立て、天の心を
仰ぐという治国の道を自覚している主君の姿が読み取れる。⑨番間の物の詞章分析》寒がっている者には着物を、飢えた者には食物を与えるという慈悲心を主君が持って治国にあたれば、百姓は主君をわが親のように敬い、罪科に走ることはないという理想の世が描かれている。臣下をわが子のように慈しみ、臣下は主君をわが親のように仰ぐ。また、取立てがあるから百姓はこれにこころざし、犯罪がなくなるという社会風俗が形成できるという。
⑩番問の物の詞章分析》賢明な主君が治国しているからお役々や末々まで心は一つになり、万民が孝行一筋、和気藷々と暮らしている和睦の世。主君が徳治のお手本を民に示すことによってそれに感
化した民も親に孝行一筋、兄弟和睦、朋輩には真心をもって付き合うという。これが「徳治」の道で
⑪番は間の物の孝行を取り上げる徳治の具体例であり、徳治を行う主君を頌歌するものである。
⑮番岩崎のひやの詞章分析》賢明な主君の惠で民も栄えている。君と臣下の道が守られ、主君の徳化は遠くまで輝いている。主君の恵みに民はやすやすと栄えて、百姓は小石が大きな石になるまでのご在位を朝夕に願い、主君の末永い治国を願う。その結果、主君の徳化は広がっていくという徳治に ある。
よる治国が評価されるという。一方、按司加那志は島国の様子や風俗の良し悪しを御見分されて取り立てる御心がある。
⑯番岩崎のひやの台詞分析》慈悲ある世に生まれた民は幸せである。主君が徳政を行う結果、民が幸せに暮らすという微笑ましい結論につながる。⑰番台詞は士の未亡人の貞淑及び母親に感化され家事を手伝いながら学問に励む士の遺児の行いを世に中のお手本として「よしを取り上げる」徳治を示す具体例であり、主君の頌歌につながる好例で
ある。上記八例の詞章・台詞から「易姓革命」を連想する。「易姓革命」とは、「中国古来の政治思想。天子は天命を受けて天下を治めるが、もしその家(姓)に不徳の者が出れば、別の有徳者が天命を受け(Ⅵ) て新しい王朝を開くという}」と」をいう。「易姓革命」に関しては『中国思想辞典」においては以下のように述べてある。
王朝の交代することをいう。易姓とは姓を易(か)えるということで中国では古来国家をもって一姓の業とし、王姓の世襲と国すなわち王朝の存続とは同義であったから、王姓の変更はそのま
ま王朝の交代を意味したのである。革命とは、天命が革(あらた)まるということで、中国では、古来帝王は天命を受けて天に代って天下を統治するのであるが、それは本来有徳者なるゆえをも
要するに、以上の詞章・台詞から、賢明な主君に恵まれる臣下と民は幸せ者であり、賢明な主君が治まる世の中は泰平である。主君自ら徳治を行えば、下にいる民も自ら賢明な主君に従うという儒学の徳治思想が勧められていることが確認できる。ここでこれを「仁愛型徳治」と名づける。このような徳治を実現させる一つの重要手段として「賢母三遷の巻」においては主君の「微行」が描かれている。「微行」は「(身分の高い人が)こっそりと外出・他行する一」と。しのびあるき。御忍び」をいう。琉球の国劇組踊に「微行」を取り上げる演目は「賢母三遷の巻」の他に、「巡見宮三孝女布晒」「伊祖の子」 うにしっかりと治国の道を踏む、という、主君の自覚を促す意図が読み取れる。「賢母三遷の巻」には、主君が慈悲を持って治国にあたれば、百姓は主君を敬い、罪科に走ることはないという理想郷が描かれている。臣下をわが子のように慈しみ、臣下は主君をわが親のように仰ぐ。また、取立てがあるから百姓はこれにこころざし、犯罪がなくなるという社会風俗が形成できる い。とぐ
うま○ユか
つまり、「易姓革命」から、天命を授けられ、王君になってこそ、天の意向に従い道を間違えないよ ってのことであるから、もしも帝王の徳が衰えて天子たる実を失い、したがって民心も離反するようになれば、もはや天命はその人を去って、別の有徳者があらたに天命を受けて天子になると(巧)いうのであって、かく天命が革まり代る}」とを革〈叩という。後略。
「賢母三遷の巻」のタイトルを眺めると、中国のかの有名な、戦国時代の儒家を代表する人物孟子の母にまつわる伝説「孟母三遷」を連想する。「孟母三選」は、「[劉向、列女伝]孟子の母が、最初は墓所の近くにあった住居を、次に市場の近くに、さらに学校の近くにと一二度遷しかえて、孟子の教育のためによい環境を得ようとはかった故事」である。賢い孟子の母は子供の教育に適した環境を選んで居所を三度引っ越したという故事として、儒学の影響を受けた国々に伝わり、広く知られるようになった。詳しい年代は確定できないが琉球国に伝わったと思われる「孟母三遷」は、嘉慶二十三年(一八一八尚議十五)に書かれた松田区の組踊本には「賢母三遷の巻」として登場する。親子の会話も儒学の忠孝(貞淑を含む)を連想する内容にアレンジされた。安川(士族)の妻(千代松の母親)が夫(士)の遺児の千代松の教育に苦心する賢母として登場する。千代松が田舎の百姓の村に住むと村人に交わり、町に住むと商い人に交わり、学問には精進しないあり様に心痛め、学問所の近くに居を求めて旅 がある。御忍びを通して「良き行いは取り上げ、悪いものは罰される」という徳治を行う主君を頌歌する組踊である。
四.「賢母三遷の巻」にみる孝行
立つのが幕開けである。具体的な内容を以下にまとめる。①番母の台詞分析》子供は見たままをまねしてしまう。畑する人のしぐさやいろいろの戯れごとに
も慣れ親しんでいくと子のためにならないので、市のほうに引っ越したが、子供は商人のまねをして遊んでいる。今は貧しくても、侍の家に生れた子なので、生計を掛け持ちながら物習いを勧めて、首里加那志、按司加那志へのご奉公を、人より他所より勝れてさせて、亡くなった父祖先の名も揚げようと母親は期待している。そこで、好ましくない環境に左右されるわが子のため、島尻の高嶺の学校所の側に宿を求めた。
士の子には物習いをしてから主君への奉公を通して出世していき、なくなった父親やご先祖の名をあげる役割が待っている。しかし、幼い子供はそれには気づかないでいる。母親として、さらに士の未亡人としては子供にそれを気付かせる役割を背負っている。それが、士の名を守る未亡人の貞淑でもあると悟った母親は、子供に少しでも物習いに良い環境を与えようと、学校所に引っ越していく。
この幕開けの詞章・台詞から士の子が物習いを通して主君への奉公を果たすという臣下から主君への忠誠がうかがわれる。もう一方、孤児が奉公を通して出世し、亡くなった父祖先の名も揚げることに
よってご先祖への孝行が実現できるという二重の目的を求めて賢い母親は懸命に行動している。⑤番間の物の詞章分析》苦労して二人の親を養っているが、運が悪く父親が病気して養生をする術もない間の物の百姓が泣く泣く人の内となって養生したので、病気が治った。身売りをして使用人に
なった百姓は、昼は主人の奉公を気張り、夜は夜中まで自分の畑を耕してどうにか二人の親を養って
いるという。孝行のため七回も身売りしたという昔の伝説に励まされ、病弱な親の養生のため、身売りをし、昼間は奉公に励み、夜は畑を耕す親孝行に徹する百姓が描かれている。なお、物語には「なシゆひのはたけの伝説」が唱えられている。「なシゆひ」は「ナナュフィーバカご昌旦弓三一冨百の略。ナナユフィーニ冒巳二三一は七度身請けする意。親のため七度身を売り、身請けしたという伝説のあ(旧)る孝子の墓。その付近の地をナネーファー]四コの⑦ゴミ四という」。この伝説に関しては池宮正治編著『宜(旧)野座村乃文化財(七)上刊『宜野座村松田(古知屋)の組踊集』翻刻本」に詳しい。「賢母一二遷の巻」に登場する百姓は昔から伝わった、貧しい中、身売りをして親を養う「なシゆひのはたけ」伝説に励まされ、親孝行を実行する。⑥番間の物の詞章分析》苦労して親孝行に励む百姓の姿。病気である親の養生のため身売りをする。昼は主人の奉公に務め、夜は自分の皇を耕し、二人の親を養う。⑦番按司の台詞分析》親孝行は人の道。孝行すればおのずからお助けがあるという。
⑧番間の物の詞章分析》農家の真似事、商売人の真似事は士の子に相応しくない。学校のそばで手墨学問を真似ることこそ、士の子に相応しいという価値観。子供が学問を通して先祖の名をあげるこ
とに期待する未亡人の母親は少しでも子に良い環境を与えようと三遷して学校所の側に落ち着いた。苦しい生活を営みながら、母親は子への教訓を忘れない。|方、子は親孝行の立場に立ち、家計を助
けながらお稽古事を怠らず、あばら家の内で、草木が眠る夜中まで読書している。親子の曰々の営みは按司に取り立てられると信じる百姓。興味深いことに、按司の巡見は百姓に知られていることからこのような試みは初めてではないと思われることに注目したい。⑪番按司の詞章分析函百姓の孝心に感動した主君は身請けのお金を出して助けてあげた。まさに「よしは取り上げ」る約束の具体化といえる。親孝行の果報。⑫番間の物の詞章分析四Aは「黄金の羽釜」の伝説。Bは身に起きた事実。両者とも親孝行へのご褒美。孝行すれば自ら御助けがあるという因果応報の実現。⑬番歌分析》親孝行すれば果報がついてくるという勧善懲悪的な琉歌。⑭番千代松の詞章分析》生計を掛け持ちして勉強して、按司加那志へのご奉公を執り行おうと、苦しい生活を送りながら希望をもって母を舅めている子。⑰番按司の詞章分析》親子二人は人に勝る行いをしたため褒美が与えられた(主君からの評価)。⑬番按司の詞章分析》貧しい中、士の本分を失わず、子供の教育に苦心する母親と朝夕母の言いつけを守り勉学に励む子。平凡でない母子は世の中のお手本であり、島国の鏡であるからご褒美と職位が与えられたという。良し悪しを見極め、良いものは取上げる実践といえよう。
ところで、①、⑤、⑥、⑦、⑧、⑪、⑫、⑬、⑭、⑰、⑬番の詞章・台詞が語っている士の遺児の孝行物語及び百姓(間の物)の孝行物語は以下の二つのパターンに纏められる。
百姓の孝行の実例として、物語に登場する百姓は昔から伝わった「黄金の羽釜」伝説と「な夢ゆひのはたけ」伝説に励まされ、身売りして局一間は主人奉公、夜は夜中まで畑仕事に精を出し、二人の親を養う。このような親孝行のパターンを「世話型孝行」と名づける。この営みが微行している按司の目に留まり、感動した按司は百姓の身請け金を支払い、問の物(百姓)を自由の身にさせ、親への「世話型孝行」に専念させる。このように微行を通して「徳治」を行う主君を頌歌することに「賢母三遷の巻」の特徴がひそめていると思われる。なお、士族の遺児の孝行の実例として、賢い母親の指導に従い、家事を手伝いながら勉学する士の遺児の子が登場する。さらに④番の台詞においては、あばら家から草木が眠る夜中まで読書に励む声が聞こえるという。読書で自己救済し、主君奉公という願いが叶えば母親を楽にさせようとする孝行志向が描かれている。このような親孝行のパターンを「出世型孝行」と名づける。
前述の『中国思想辞典』によると、「忠は、本来、まこと。まごころという一般的規範であったが、戦国時代後期に臣下の君上に対する忠誠となった。これは宗法的な世襲による君臣関係が崩れ、さまざまな才能による禄仕の君臣関係に移行する過程で、職務に対する忠実さという規範から、しだいに 五.「賢母三遷の巻」にみる忠誠
⑲番按司の詞章分析当手墨学問ひとかたにならて、嶋国のためになよるごとに」と、学問に精をだして島国に役立つようと、取り上げられた士の遺児千代松を励ます按司。主君の臣下に対する期待が述べられている。 (ね)職務の根源である主君への忠誠へし」転じていったものである」し」いう。「賢母一一一遷の巻」にも、職務に対する忠実は職務の根源である主君への忠誠につながる詞章・台詞が見られ、以下にまとめる。
@番千代松の台詞分析当お臣下に生れたる、道よ立てやくら」と、ご恩を胸に深く刻んで、朝夕
勉学して心を尽して、主君の臣下に生れた道(運命)を守る。主君に対する報恩の約束を誓うシーン
要するに、生活の営みと士の遺児の教育に精を出している母親とお手伝いしながら草木が眠る夜中
まであばら家で勉学に励み、出世して親孝行を夢見る子に、民情調査に微行した按司が出会い、この親子を国の鏡、世の中の手本として評価し、褒美を与えた上、子を高嶺の地頭に登用すると命じた。これを受けてこの恩恵は忘れずに心に刻んで勉学して奉公して主君に忠誠を尽すと約束した士の遺児 ⑳番富田大主の詞章分析当手墨学問おの外の事も、誠に嶋国のためになよるものや、忠節よ尽ち」と、主君のご恩のありがたさを心に刻んで、学問以外のことも、島国のためになるならば、忠節を尽し、主君の恩徳が四方の国迄輝かすように心を尽せよと、取り上げられた千代松に主君のご褒美を伝える按司の臣下の富田大主が、千代松に向かって臣下として主君に報恩する義務を述べている。である。
の千代松。恩恵を与える主君とこれに対して忠誠をもって奉公すると報恩を誓う臣下。親孝行及び物習いを通して生まれた才能が主君に認められ、按司の取り上げによる禄仕の君臣関係が成立した。いわば、主君による下賜(徳)と臣下による報恩(忠)の垂直関係が確認できる詞章といえよう。ここでこのパターンの忠誠を「奉公型忠誠」と名づける。
中国をはじめとする儒学文化圏においては「孟母三遷」という伝説が伝わり、孟母は子供を育てる環境に気を配る賢い母親のお手本として知られている。もう一方、組踊「賢母三遷の巻」は「孟母三遷」から題材を得たと思われるが、物語の底流には、儒学思想の「徳治」「孝行」「忠誠」が織り込まれている。それを反映する詞章・台詞について考察を行った結果、「賢母三遷の巻」にみられる徳治は「仁愛型徳治」である結論が導かれている。孝行に関しては、百姓には「世話型孝行」が、士の遺児には「出世型孝行」が描かれ、忠誠に関しては「奉公型忠誠」が理想図として描かれている。ところで、徳治とは、主君による支配は力で抑えるのではなく、徳のある統治者がその持ち前の徳をもって人民を治めるべきであるという政治理念である。即ち、真っ直ぐな心をもって相手に恩恵を与えることで自らも恩恵を得ることが出来るというものである。『書経』や「詩経』では、こうした 結びに
徳は天から与えられる内面的な道徳であり、自ら研讃して実行を積み重ねて内外に恩恵を与えることが出来る人に限り天命を受け天子(主君)になることが出来ると考えられていた。さらに、孔子は『論語」の中で「導之以政、齊之以刑、民免而無恥。導之以徳、齊之以禮、有恥有格」と訴えている。政
治を以て治め、刑罰を以てととのえれば、民は免れて恥じ知らずになる。徳を以て治め、礼節を以て秩序を保とうと努めれば、民は差恥心を持つようになり、不正を働かなくなると述べている。「賢母三遷の巻」に登場する按司(主君)には「仁愛型徳治」が求められる。それを自覚した按司(主君)は微行して、里々、島々を巡り、良し悪しを見分して、良きは取り入れ、楽も苦も民と共にしながら幾千代も天の心(意向)を仰ぐというのは主君の責務である。その責務を果たした良き手段の一つは「微行」であり、「微行」の目的は、「良し悪しを見分し」、「良きは取り入れ」る。その結果、臣下は主君をわが親のように仰ぐ。また、取立てがあるから百姓はこれにこころざし、犯罪がなくなるという社会風俗が形成できるという。また一方、士の未亡人には先祖への孝が求められる。先祖の名を上げることは孝行の一つとしてみ
なされる。それを実現させるため、夫に先に立たれ助けもない女の身でありながら、士の未亡人の貞淑を守り難儀しても貧しくても士の本分を失わず、わが子をすすめて奉公させて、先祖の名を揚げようと、住む場所を選んで育児に心掛ける母親が描かれている。また、子は士の遺児として、家計のお手伝いをしながら勉学に励み、出世して親孝行を夢見る。親子二人は、徳治の政治を行う手段の一つ
として、顔や身分を隠しながら微行して国中を巡見した按司に取り上げられ、世の中のお手本、島国
の鏡としてご褒美と職位が与えられたという。さらに、百姓は昔から伝わった「黄金の羽釜」伝説と「なシゆひのはたけ」伝説に励まされ、身売りして届一間は主人奉公、夜は畑仕事に精を出し、二人の親を養う。そもそも近世において中国をはじ
めとするアジア諸国では儒学の孝行を唱える「’’十四孝」が広く流布していた。「二十四孝」の一つに、二度と巡り合えない老母のため、食事を食べる口を減らそうと、涙を抑えながら幼いわが子を埋めようと、士を掘っている郭巨という孝子の前に、黄金の釜が現れ、その釜には、「天賜孝子郭巨、官不
得奪、民不得取」(天が孝子の郭巨に賜るものであり、宮が奪ってはならず、他人が取ってはならない)という文字がある云々という物語がある。「黄金の羽釜」伝説はこれに由来すると思われる。なお、近世琉球に親孝行する者には必ず《」褒美が賜れるという念仏歌の「仲順流れ」が広く歌われている。
この二つの素材をもとに「黄金の羽釜」伝説が作られていると思われる。貧しい百姓はこの伝説に励まされ、親孝行する者は必ず報われると信じ、夜中まで畑作業に励む。その結果、百姓の孝心に感動し、巡見している主君は身請けのお金を出して助けてあげた。「黄金の羽釜」の伝説が百姓(間の物)の身に起きた真実となった。孝行すれば自ら御助けがあるという因果応報が現実となり、まさに「よしは取り上げ」る約束の具体化といえる。このように、組踊「賢母三遷の巻」は、忠孝と勤勉さが報いられるという人間の楽観的な明るさと、
明るい展望も曰々の忠誠や生きる努力の賜物であることを切実に訴えかけている。物語に登場する島
国は、主君から百姓に至るまで銘々身分にふさわしい行動が伴われている理想郷として描かれている。まさに程順則の「六諭桁義」の第一条の「孝敬父母」、第五条の「教訓子孫」、第六条「各安生理」の実現、若しくは理想が描かれているといえよう。なお、「賢母三遷の巻」は琉球国時代では上演され(ヱ)た記録はないとされているが、影印本をみる限り、(□本は近世に抄写されたものかと思われる。「賢
母三遷の巻」のように、「徳治」「孝行」「忠誠」といった三大儒学の実践徳目を一つの組踊に織り込むのは珍しい。また、組踊に敵討を主要テーマとする演目が多く存在する。敵討を取る扱う組踊には、主君が闇打ちにされた後、生き残った家臣が主君の仇を取る「敵討型忠誠」及び主君や士族の遺児が親を闇打ちにした敵を討ちとる「敵討型孝行」が語られている。しかし、「賢母三遷の巻」にみる「忠
誠」は「歯には歯を、目には目を」といった敵討型のものではなく、「手墨学問」を通して主君への「奉
公型忠誠」が、士族の遺児による親への孝行は「手墨学問」を通して「出世型孝行」が、百姓による孝行は「世話型孝行」が奨励されている点に敵討を取り扱う他の組踊との相異がみられる。さらに、主君による微行に関しては、「巡見官」「孝女布晒」「伊祖の子」にも巡見(微行)がみられるが、「善し悪し」を取り上げる対象は士族の子や士族に留まり、百姓にまで目線が届かないのに対して、「賢母三遷の巻」に登場した、微行による「仁愛型徳治」を実行する按司は、士族の親子に留まらず、問の物(百姓)にまで、「徳治」を広めるのはこの組踊の大きな特徴だと思われる。なお、儒学の視点
参考文献池宮正治霜踊の論理l朝薫の「五組」を中心にl]『琉球文学論』沖縄タイムス社一九七六年
矢野輝雄『組踊を聴く』瑞木書房一一○○三年
球陽研究会『球陽読み下し編』角川書店昭和四九年
曰原利国編『中国思想辞典』研文出版一九八四年
『宜野座村乃文化財(七)上刊『宜野座村字松田(古知屋)の組踊集』(翻刻本)』沖縄県宜野座村教育委員会 からみる他の組踊の台詞の分析及び儒学との関係については今後の課題とする。
當間一郎「組踊概説と解題」『沖縄県資料前近代Ⅱ芸能Ⅱ』沖縄県教育委員会一九九八年)
国立国語研究所編『沖縄語辞典』昭和五八年沖縄一一一一口語研究センター『首里・那覇方一一一一口音声データベース『芒ごこ‐一目、⑤一言こ‐『くこごこ・四C一つ』沖縄県宜野座村教育委員会「黄金の羽釜・里川の子」『宜野座村乃文化財(七)上刊『宜野座村字松田(古知屋)
の組踊集』(翻刻本と’九八九年
振鷺亭貞居『實語教童子教證注全』玉巌堂一八一六年県立図書館蔵書
『広辞苑』第五版岩波書店一九九八、二○○三年電子辞書 九八九年
〆 ̄、〆■、戸
、=〆巡回/ ̄21注 金谷治訳注『論語』岩波文庫二○○六年 『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社一九八三年
当間一郎「組踊」『沖縄大百科事典』上沖縄タイムス社一九八三年九七一一頁
「忠」「孝」「徳」は儒学の重要徳目になっており、特に「忠」と「孝」は常に「忠孝」という言葉で表現さ
れている。さらに、「忠孝」と「徳」に関しては「中国思想辞典』は以下のように述べている。「忠孝儒学
における実践上の二大徳目。孝は、子の親に対する規範。家族主義に基づく宗法制を背景とする儒学思想の
根本となる徳目で、具体的には親の生時には敬愛と扶養とを尽くし、死後には葬祭をあつくすることである。
忠は、本来、まこと。まごころという一般的規範であったが、戦国時代後期に臣下の君上に対する忠誠とな
った。これは宗法的な世襲による君臣関係が崩れ、さまざまな才能による禄仕の君臣関係に移行する過程で、
職務に対する忠実さという規範から、しだいに職務の根源である主君への忠誠へと転じていったものである。
さらに、私的な家族秩序と公的な国家社会秩序とは連続するとみる儒学の基本立場から、相対的君臣関係の
強化のために、血縁による絶対的な親子関係への擬制化がなされ、「忠臣孝子」(『筍子巳と並称されるよう
になった。以後、忠孝は中国の封建社会を公私一貫して支配する道徳原理となった。」(浜口富士雄「忠孝」『中
国思想辞典』日原利国編研文出版一九八四年二九五’二九六頁)
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(3) 儒家的政治思想で「徳治」という場合には、武力や刑罰などの外的手段を用いずに、相手を心服させて統治することをいう。そういう形で影響力を相手に及ぼす為政者の道徳性が「徳」とよばれた。後略(筆者)。(小倉芳彦「徳」『中国思想辞典』日原利国編研文出版一九八四年一一一一一一五’三一一一六頁)
即ち、「忠」は臣下に忠誠を求めるのに対して、「徳」は為政者の道徳性が求められている政治の根本原則
であるといわれているため、主君による「徳」(与える)と臣下による「忠」(捧げる)の垂直関係が成立つ
と考えられる。(井上順理「徳治主義」『中国思想辞典』日原利国編研文出版一九八四年一一一三六頁)
『宜野座村乃文化財(七)上刊『宜野座村字松田(古知屋)の組踊集』(翻刻本と沖縄県宜野座村教育委
員会一九八九年一頁
前掲(注3)参照
当問一郎「組踊」『沖縄大百科事典』上沖縄タイムス社一九八三年九七二頁
前掲(注5)参照九七二頁
球陽研究会『球陽読み下し編』角川書店一九七四年二五八頁
前掲(注5)参照九七二頁
前掲(注5)参照九七二頁
矢野輝雄「組踊を聴く』瑞木書房一一○○三年二○九頁
前掲書二一○頁
グー、〆■、〆自、/=、グー、/~、/ ̄、
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(皿)池宮正治「組踊の論理l朝薫の「五組」を中心にI」「琉球文学論』沖縄タイムス社一九七六年二
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、‐〆、-ノ
(皿) 鈴木耕太「冊封の舞台に供された組踊」『沖縄文化』第妬巻2号一一○○九年三四頁『広辞苑第五版』’九九八、二○○三年岩波書店(電子辞書)日原利国編『中国思想辞典』研文出版一九八四年一六頁『広辞苑第五版』’九九八、二○○三年岩波書店(電子辞書)『広辞苑第五版』一九九八、二○○三年岩波書店(電子辞書)国立国語研究所編『沖縄語辞典』’九八三年四○九頁池宮正治編著『宜野座村乃文化財(七)上刊『宜野座村松田(古知屋)の組踊集』翻刻本』沖縄県宜野座村教育委員会一九八九年一一三四’一一一一一五頁(注2)参照池宮正治編著『宜野座村乃文化財(七)上刊『宜野座村松田(古知屋)の組踊集』翻刻本』沖縄県宜野座村教育委員会一九八九年一九二’一九五頁
『沖縄大百科事典」中沖縄タイムス社一九八三年四二頁 五七頁