国家機構における新幹線公害問題の放置のメカニズ ム
著者 舩橋 晴俊
出版者 法政大学社会学部学会
雑誌名 社会労働研究
巻 30
号 3・4
ページ 1‑25
発行年 1984‑03‑20
URL http://doi.org/10.15002/00006423
一九六四年十月の東海道新幹線の開業以来、全国の新幹線の沿線では、騒音、振動、テレビ矼波受信障害、日照阻害等の被害が生じ、それらの相乗的効果により生活妨害、睡眠妨害、精神的被害、健康への悪影響を数多くの沿線住
民が被ってきた。このような新幹線公害問題の中でも、名古屋市熱田区、南区、中川区の人、密集地帯約七キロにおける公害被害は、その代表格とも言うべきものであった。この地域の沿線住民は、名古屋新幹線公惑対簸同盟述合会を組織し、一九七一年以来、大規模な公啓反対運動を腿附し、一九七四年三月以降は、国鉄を被告にして、慰謝料と騒音・振動の差し止めを求めて訴訟をおこすに至った。この訴訟の節一審判決(一九八○年九月十一日)において (1)することである。 本稿の課題は、名古屋新幹線公害問題の根本的な解決を阻んでいる意志決定システムのメヵーーズムがいかなるものであるかということを行政、立法、司法の諸組織の榊成する国家機櫛レベルの意志決定システムの分析を通して探究 はじめに
国家機構における 新幹線公害問題の放置のメカニズム
国家機櫛における新幹線公濟悶幽の放侭のメカニズム
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名古屋新幹線公害問題の被害状況、事実経過と全体像、その社会問題としての意義及びその裁判における法律学的(7])な問題点等についての考察は、他の諸文献と他の機会に譲ることとし、本稿は問題を次のように限定することにしたい。新幹線公害の発生以来ほぼ二○年になるというのに、被害者も納得できるような根本的な公害解決策がまだ樹立されないのはなぜだろうか。深刻な公害が生起しているにもかかわらず、政府も国会も裁判所も有効な解決策を確立しえず、被害が長期間にわたって放置されるのは、それらの主体の意志決定過程にどのような欠陥や問題点があるからであろうか。つまり、国家機構における公害問題解決能力の不足を、それらの政策決定や意志決定のメヵーーズムに即して社会学的に分析しようというのが本稿の課題である。この本稿の課題設定の前提となっているのは、新幹線公害の根本的・恒久的解決のためには、国鉄がこれまで実行してきた発生源対策と第二次の「騒音・振動障害防止対策処理要綱」(一九七六年)では、不十分である、という認識である。これらの対策だけでは、住民の敷地内に侵入す
る騒音・振動を原告住民の請求する値以下にすることは不可能であるのはもとより、第一審の判決によっても、現行の対策の欠陥がさまざまに指摘され、より一層の対策の充実が要求されている。また、東北・上越新幹線で採用された公害対策と比べると、東海道での対策は数等劣るものとなっている。しかし、一審判決以後、東海道新幹線におけ
る対策は、本質的には少しも改善されていない。 国家機構における新幹線公害問題の放置のメヵーーズムー‐一
かしは、騒幸曰、振動を中心とする公害の被害は認定され、新幹線には暇疵ありと判断され、過去分の慰謝料の支払いに限っては被害者住民の要求(総額約五億円)がほぼ全額認められた。だが、住民のもっとも望んだ減速による騒音・振動の差止めは棄却された。その後、原告(住民)側も被告(国鉄)側も控訴し、現在第二審が名古屋高裁で争われて
いる。
「国鉄組織レベルの意志決定システム」において、さまざまな要素主体のそれぞれの行為原則の組承あわせから、どのようにして公害被害に対する「冷淡さ」や制度革新に対する「硬直性」が創発的に生まれてくるかは、すでに別(4) 柵で検討してきた。木一価での課題は、「国家機樅レベルの意志決定システム」において、公害問題の解決にとっての障害となる諸特性、すなわち、受苦に対する「冷淡さ」や「政筑形成能力の不足」が、それぞれの要素主体の行為原則の組象あわせからどのように刺発的に生じてくるのか、ということの探究である。つまり水稲は、政治社会学的ならびに組織社会学的視点に立脚しつつ、国家機撤し、ヘルの意志決定システムの内部をブラックボックスとするのではなく、それらのどのような内部的過程が外而に現われてくる一定の意志決定を帰結しているのかを分析する。すなわ
国家機柵における新弊線公害問題の放職のメカーズム一一一 新幹線公害問題に関与する主な主体の布腫巡閲は、館一図のごとくである。この図に示したように、この公害問題の解決にかかわる意志決定システムとしては、「国鉄組織レベルの意志決定システム」と「国家機械レベルの意志決定システム」の二つの水準のものがある。この二つの意志決定システムにおける意志決定は、それぞれを椛成する多数の要素的な主体(組織、部局、個人)の意志決定とか行為とかが積柔重なり、合成された結果として出てくるものである。そのようにして生詮出されるシステムの意志決定や作動過程は、一般に要素的な諸主体の行為原則とは異な 政、立法、司法(という点である。 (3) 次に、木稲における問題意識、課越の限定及び鍵概念について、既になされてきた作業を要約するかたちで、より具体的に説明をしておこう。本稿の問題意識は、ある公害問題が長期にわたって解決されずに放樋されている時、行政、立法、司法の話組織のいかなる内部的過程が、これらの紅織における問題解決能力の不足や欠如を生んでいるかである。》てのようにしてルった創発的な特性を示す。
第1図意志決定システムの水準
灘
口家機構漣おける新幹線公瞥問題の放置のメヵーーズ人旧家機構レベルの通志決定システム ち、各主体にとっての「行為の規定要因」と「可能な行為のしかた」がどのようなものであるのか、さらにそれらがどのように組みあわさって上位システムの意志決定メカニズムが生まれてくるのか、に注目する。
では、どのような諸要因が意志決定過程を規定しているであろうか。別稿で検討してきたところによると、新幹線公害問題
をめぐる意志決定過狸を規定し
ている諸要因としては、「争点内在的要因」群と「組織過限的
要因」群の二つの要因群を指摘(5) することができる。
「争点内在的要因」として犬
几
切なのは、次の四つである。第一に、「技術的制約」(新幹線システムが持つ公害防止についての技術上の難点)。第二に、「高速性信仰」(高速性こそが輸送システムの優劣を左右する決定的基準だという信念)。第三に、「公共性」(公害防止のための減速は新幹線の「公共性」を犠牲にするから承認できない、という国鉄側の主張)。第四に、「費用負担」(公害防止のための諸方法が、国鉄あるいは政府に対して課す経我上の負担、あるいは他の次元でのコスト負担)。次に、「組織過程的要因」群とは、意志決定にかかわる組織の作動過程に内在し、意志決定内容を制約している要因のことであり、「権限の範囲と限界」、「情報処理能力の限界」、「緊急性」、「要素主体自身の利害防衛」という四要
凶が大切である。
「権限の範剛と限界Lとは、各主体にとって形式的に制度化ざれ保障されている権限と、各主体が実質的に保持している権限がどのようなものなのか、どういう点には権限が及ばないのか、という要因である。
「桁報処理能力の限界」とは、それぞれの組織の中でそれぞれの役削を担っているどの個人も、生身の一個人とし
て災際に持ちうる知識の地と愉服処理能力には一定の限界があるということである。「緊急性」とは、ある主体にとって一定の問題をもはや放置することができず、何らかの新しい対処の仕方を迫ら
れている樫度のことを言う。「要素主体自身の利害防衛」要因とは、組織内の部局や個人という要素主体のさまざまな「私的な利害」を防衛するという動機が、組織全体の意志決定を左右する要因となることを言う。以下の本稿の分析では、これらの要因に注目して行きたい。
国家機構漣おける新幹線公害問題の放置のメカニズム
五
Ⅲ環境庁環境庁がこれまでに来たしてきた主要な役割は次のようなものである。第一に、環境庁長愉は、環境庁設低法飾六条にもとづいて、一九七二年十二月に新幹線騒音に関する緊急術針を、一九七六年一一一月に新幹線振動に関する緊急指針を、それぞれ迦輸大厄に勧告した。第二に、環境庁は、公害対箙雑木法第九条にもとづいて、新幹線騒斉に係わる環境基準を定めた(一九七五年七月)。これをふまえて、七六年三月五日に国鉄と迦輸省が準備した「新幹線鉄道騒音対箙要綱」が閣議了解された。これらは、国鉄の現在までの障害防止対簸の法規上の根拠になっている。鮒三に、
環境庁は、環境韮準が期限どおりに達成されているかをチェックするための騒音測定をこれまで何回か行い、達成されていない場合には、迎輸樹を通して、国鉄に対して改善を要請してきた。では、環境庁の関与のしかたにはどのような限界があるであろうか。飾一に、新幹線公害問題に関して環境庁の持つ法律上の権限は、大気汚染防止や、他の工場騒音等の場合と比べてはるかに弱いものにとどまっている。つまり環 国家機柵レベルにおける意志決定システムにおいて、新幹線公害問題はどのように扱われてきたであろうか。なぜ根本的解決箙が樹立されないのだろうか。一つ一つの主体の行為のしかたを検討してみよう。
まず行政分野の諸主体、すなわち環境庁、運輸行、名古屋市が、どのように問題に関与してきたのかを検討して承
よう。 第一節国家レベル機構における意志決定過程とその問題点 国家機構における新幹線公害間題の放置のメヵーーズム C、ニノ
境庁は、発生源に対して直接的な、また罰則によって担保された形での敵い規制椛限を新幹線公害に対しては持っていないのである(権限の限界)。環境庁の規制努力は、新幹線公害の場合、原則としてすべて運輸省を経由して国鉄に伝えられるのであり、リンクッションおいた形となっている。第二に、現在の環境庁の主要な規制根拠である「新幹線鉄道騒音に係る環境基準」そのものが、屋外値(七五ホン、七○ホン)で達成できない場合は、屋内値(六○ホン)で達成すればよいというきまりになっている点において、また目標期間も絶対的なものでなく、遅れる場合も想定している点において、規範性が弱いものとなっている。第三に、環境庁は、環境雅地達成のための共体的方法の選択を国鉄にまかせてしまっており、方法の選択について国鉄をコントロールする意向も力も持っていない。その理由の一つは、技術的知識やデータが環境庁に欠けていることである(情報処理能力の限界)。そのため加害主体にとっては高コストであるが公害防止には効果が大きいというような方法(例、減速)が、環塊庁から加害主体に対して、選択肢として提起されることがなく、その紡采、加害主体はコスト上負担が容易な(したがって板木的というよりも禰縫的
対箙の)範川でしか公害防止対箙の選択をしない。鋪四に、環境庁の新幹線公害に対する対処は、一般的総準の提示というしかたになっており、個別的な地域に即した規制努力や改善要請を行ってはいない。東海道沿線でもっとも深刻な紛争が銃いている名古臓の公害についても、その固右性、共休性に即した政簸的介入はしておらず、一般性の中の一事例として扣対化してしまい、距離をとった態度に終始している。このような環境庁の新幹線公害に対する消極性の大きな根拠となっているのは、政権党及びそれに属する政治家が、一般に公害規制全般に対して低い優先順位しか与えていないこと、またこれらの主体が新幹線の建設には熱心であるが、新幹線公害の防止をまともにとりあげようとばしてこなかったことである。
阿家機櫛における新幹線公桝側題の放股のメヵーヌム七
仏過輔稚新幹線公害との関係でみると、迎輸杓は、一方で新幹線雌設計図の認可(東海道・山陽)あるいは作成(東北・上越)を行ったのであるから「準加害主体」であり、他力で環境庁からの要請を受けて公害対簾を促進するよう国鉄に榔三指示しているから「準規制主体」という二重の性格を持っている。新幹線公害問題に対する運輸省の関与のしかたの特徴は、第一に、他のより重要な問題に比して副次的関心しか払っていないことである。現時点で運輸省から国鉄全体を見た時、最大の問題は経営の再建問題であり、新幹線全体を見た時の中心問題は整備五線の建設問題である。第二に、運輸省の国鉄に対する指導・監督は、外延上は広範囲にわたるが、「情報処理能力の限界」に制約されるゆえに、個別の問題の細目にまで立ち入ったものではない。個☆の計
画については巨視的な目標変数と考え方をチェックすることと、予算の管理をすることが中心である。新幹線の公害規制に関しても環境庁からの要請を国鉄に伝達することと、国鉄が作った具体的対策案を承認することが、運輸省の中心的関与のしかたである。ではこのような迎輸省の関与のしかたの問題点あるいは限界は何であろうか。第一に、運輸省は公害対箙の基準値あるいは目標値という枠を国鉄に示すだけであり、共体的な対策内容の指導は自らは行わず国鉄にまかせてしまって
いる。そのため述輸省の対処は形式主義的なものにとどまりがちであり、被害者の救済に実効ある具体案が巡輸省のイーーシァテイブで川てくる可能性は非常に低い。運輸省が独自に制度革新的な動きを見せたものとしては、一九七四年三月から七五年七月にかけて騒音料の制度化が検討されたことがあるが、現在に至るまで、実現されていない。第二に、争点となっている減速問題についていえば、運輸省はそれを自分の課題と率なして真剣に検討することを 運輸省 国家機構における新幹線公害問題の放置のメヵーーズム
八
③n治体(名古屋市)では、住民にとって身近な行政主体である自治体(名古屋市)が果たした役割は、どのようなものであったろうか。名古屋市がこれまで果たしてきた主なことは次のようなものである。第一に、市は新幹線公害の騒音や振動の測定、並びに他康被害調庇というかたちでデータを収架してきた。また、班災経過を記録した.ハソプレットも作成してきた。第二に、名古屋市は、住民からの要請をうけて、国鉄側に新幹線公害防止のための対策をとるよう何回か要望してきた(一九七一年九月、七二年七月、七三年五月等)。名古屋市は、環境庁とは異なり、名古屋地域という個別
性に即した要諦のしかたをしており、公害低減のための其体簸についても、スピード制限、緩衝地帯の設悩、深夜運行の禁止等の要望を既に七二年九月の段階で出している。また名古屋市議会も七二年七月に政府及び国鉄に対して、
国家機構における新幹線公害問題の放置のメカニズム九 していない。もし政府が、国鉄の固執する新幹線の使椛性という見地と仇氏の公恕防止要求との両謝を考噸しながら、社会的に見た新幹線の最適速度を決定しようとするのであれば、その決定の中心的な担い手は運輸省であるはずである。あるいは運輸省と環境庁との交渉の場が、そのような決定をする場所となるはずである。けれども運輸省の中には、便益性と公惑の両方を視野に入れた上で新幹線のスピードの岐適伽をいかに決定するのかという問題をたて、それを真剣に検討する場所が存在しない。言いかえれば、その問題についての決定をしようという機運が熟す場所が存在しない。運輸省が国家意志を体現した主体として減速の選択を国鉄に対して積極的に禁止しているわけではない。述杣竹から見れば、減速の採否は脚鉄の成批すべき那柄なのであり、自らは決断の寅征を回避しようとしているのである。
個家機構における新幹線公害川題の放世のメカニズム一○
「効采的拙肚がなされるまでのスピードグウン」といった主張をも含む意見識を拠出している。ではこのような名古屋巾の果たしてきた役削には、どのような限界があったろうか。館一に、名古腫市の行動のしかたは、住民運動の高揚の従属変数という色彩が強く、市独自に新幹線公害問題の解決のしかたについて一職した理念や政簸をもって、国鉄はじめ関係主体に対して自己主張するものではない。住民運動が市を通して国鉄や政府に働きかけようという意欲を持っている間は、現象的には市は「スピード制限」等の思いきった主張をするが、住民運動の主要な努力が裁判に向けられて、市への働きかけが弱まり、市にとっての「緊急性」が低下すると市の動き自身も消極化し、要求スローガンは雌礼化してしまう。節二に、名古腿巾が一時期、国鉄に対して要望した「スピード制限」とか「緩衝地帯の設憧」という課題は、もしそれを本気で実現しようとするならば、既存の制度的枠組をいくつも再編成しなければならないという意味で、テクノクラート的な政策形成努力が必要な課題である。けれども、実際には提訴以後、名古屋市は、新幹線公害に対してはほとんどビューロークラシーの末端でしか関与していない。その側子のしかたも駁青などの測定データを染めるというルーティーソ業務にとどまっており、利害調整のからむ政簸形成まで蹄みこんでいない。たしかに巾の行ってきたデータ測定は、それなりに被害の把握に布川なものでばあるが、それ以上の本質的な述滞関係を市と化民運動の間に見川すことはできない。名古屋市長自身が、初期においては、スピード制限等を国鉄に要望し、名古屋市公害対簸局が二四○名もの人員を擁する大きな組織であるにもかかわらず、市が果たしてきた役割が、このように消極的なものにとどまったのは、なぜなのだろうか。その理由として次のものが考えられる。第一に、自治体は新幹線公害に対する法的な規制力を持っていない(椛限の限界)。跡二に、名古麟市は、人Ⅲ二百五・万人(一九八二年)の大都市であるために、新幹線被害者
㈹国会以上のように行政分野の諸主体がいずれも問題解決に決め手を欠く中で、立法府たる国会は、新幹線公害問題解決のためにどのような役割をはたしてきたであろうか。第一に、法律の整備という国会本来の課題において、国会の新
幹線公害への対応は他の公害と比べて一歩立ち遅れたものとなっている。具体的には、今に至るまで新幹線公害を騒
音規制法の対象の中に含めるというような法改正措悩も、新幹線公害を特に対象とした特別立法もなされていない。自動車交通に由来する騒音は騒音規制法の対象にされており、空港については「公共川飛行場周辺における飛行機騒音による障害の防止等に関する法律」C九六七年制定、七四年と七八年に改正)、「特定空港周辺航空機騒音対錐特
別措置法」(一九七八年)といった法律が作られていることと対比すると、新幹線公害及び他の鉄道公害に対する法
国家機構における新幹線公害問題の放置のメヵーーズム一一 の市政全体に対するウェイトがわずかであり、トップレベルが恒常的関心を必らずしもこの問題に向けていない。つまり、トップにとっての「緊急性」が弱い。第三に、市が活動する余地がある具体的解決紫としては、緩衝地帯設置問題があるが、この問題についての当聯者(住民と国鉄)間の合意がない状況下で、しかも巾にとって財政的負担が予想される問題を、あえて積極的に提起しようという気迎にならないこと。第四に、名古屋ほどの大都市であれば、市自身が道路等の建設にあたっては開発主体となることもあり、公害防止という観点が市政において岐優先課題とされるわけではないこと。第五に、七四年の提訴以後は、利害調整の主要な場が法廷となり、巾行政として解決のイニシアティブをとらねばならないという気運(「緊急性」)が後退したこと。以上の五つの要因が相乗して、名古屋市当局の新幹線公害問題に対する消極的姿勢を生み出していると考えられる。
では、このような委員会の活動は十分であったろうか。これらの審議においては、特に野党議員から国鉄、運輸
省、環境庁を叱責するような主張と共に州当突込んだ質問がなされている。啓介に立った環境庁長官や運輸樹幹部、説明に立った国鉄幹部も、国会の場においては低姿勢で「最大限の努力をするL「できるだけの措置をする」といった説明を再三くりかえしている。そのような態度は、やがて有効な対策が実行されるだろうという期待を抱かせるほどのものである。だがこれまでの経過を見るかぎり、委員会審議の問題改善に対する影響力は一過的であったと言わなければならない。委員会において、個為の議員から傾聴すべき意見は数多く出されているのだが、委員会は具体的な決定はなしえておらず、個別意見に含まれている貴重な論点も、その後は複雑な立法・行政機構の中に拡散してい
ってしまっている。またその後、国鉄が現実に採ってきた応訴の態度や対策や現地交渉での態度は、国会での低姿勢とは大きな乖離を示している。委員会審議がこのような限界を示す原因としては、他にも多数の審議すべき議題があ い、同年三月十矛行なわれている。 第二に、法律の整備という本来の役割が果たせない中で、国会が新幹線公害問題に対して果たした機能は、委員会レベルの審議において新幹線公害問題を政治的、行政的な懸案として開示し、加害者たる国鉄とこの問題に関係する環境庁及び運輸省に対して、解決のために努力をせよという一定の圧力をかけたということであった。たとえば一九七四年三月九日、衆議院の「公害対簾並びに環境保全特別委員会」の議員六名が詔古屋新幹線公害の現地視察を行い、同年三月十五日と、翌一九七五年五月十六Hには、同上委員会において、新幹線問題の終川にわたる集中辮議が 久除しているのである。 国家機構における新幹線公害問題の放置のメカニズム一一・一
的規制は著しく遅れている。このため環境庁や自治体が加害者を規制する点で新幹線公害問題には強力な法的根拠が
り一つの問題の承に集中できないこと(「情報処理能力の限界上、ある問題が議題として設定されるためには住民運動の盛り上がり等の形での社会的争点化(「緊急性」の増大)を条件とすること、議員は長期的には入れかわっていくため継続的な監視か困難であること、議員といえども個別問題の細部については専門家の知識に依存せざるをえず(「情報処理能力の限界」)、決定的なイニシアティブをとれないこと等がある。以上のように国会の果たすべき立法機能及び審理による行政努力促進機能は、ともに不十分なものにとどまっている。結局、国会は立法準倣について煙行政側のイニシアティブにゆだねてしまっているし、現行の不完全な法体系のもとでの公害対錐の細部の共休的な災行については、川諜者である脚鉄の努力を待つという形になってしまっている。このことは、現代の鉛線した行政・立法機枇の意志決定過程の中で承ると、特異な事例ではなく、むしろ今日の複雑化した社会問題と政簸決定機構の中で、国会が露呈する限界の典型的な姿を示しているように思われる。政権党に内発的な立法への動機づけがない場合、立法化が可能となるには個☆の議員の良識や熱意だけでは不十分で、行政や司法からの強力な働きかけや、社会迎動の大きな嘘り上がりを条件とするのである。
⑥司法組織
では司法組織は新幹線公害問題の解決に対して、これまでどのような役割を果たし、どのような限界を示したであろうか。司法組織の果たしてきた役割は、「裁判過程それ自体の問題解決機能」と、「判決の問題解決機能Lという二つの文脈においてそれぞれ捉える必要がある。まず裁判過程それ自体の問題解決機能という点では、名古屋新幹線公害訴訟の第一審(一九七四年三月提訴、一九
国家機櫛における新幹線公害問題の放腫のメヵーーズム
国家機構における新幹線公害問題の放置のメカニズム一四
八○年九月判決)の公判は、新幹線公害問題の「社会的開示」、「情報の収集と公開」、「被害者側への一定の対抗力の保障」という三つの作川を通して、加諜主体(囚鉄)にイン.ハクトを与え、被害職減努力の「緊急性」を耐ぬ、実際に被害の一定の緩和を促進した。住民から熱れば、裁判をおこしたこと日体が、さまざまな形での要求独得のチャンスを増大した。国鉄側から承れば、提訴されたことによって、裁判所がやがて下すであろう判決をたえず意識しながら行為しなければならないという圧力が加わった。そのため判決を不利化するような態度、たとえば、騒音・振動公害をまったく放置し続けるというような態度ぱとれなくなった。
災際、現在までになされた主要な新幹線公害対箙はほとんどすべて、この第一審の辮理期間中に突現されたものである。たとえば、国鉄の弟一次の「障害防止処理要綱」の制定(一九七四年六月三Ⅱ)、環境庁の新幹線騒背の醗境基準の告示(七五年七月二九日)、「新紳線鉄道騒音対箙要綱」の閣議了解(七六年三月五Ⅱ)、環境庁の新幹線振勤
対簸についての勧告(七六年三月十一一日)、国鉄の第二次の「騒音・振動障害防止対簸処理要綱」の制定(七六年十一几三○Ⅱ)、国鉄本社への環境保全部の設肚(七六年二几)、名古屋巾七キロメートル地椛におけるテレビ障害剛題の完全解決(七七年八月三一日)等は、いずれもその時期に行われたのである。では、一群の判決は問題の解決に対してどのように機能したであろうか。原告(仇氏)側の諦求は、節一に過去及び将来の損害賠償の諭求であり、鮒二に、騒音・振動を一定値以下にせよというまし止め諦求であった。差し止めを即時に実現する具体的な方法として、原告(住民)側は新幹線の名古屋地域での減速を要求していた。これに対し、一(6)審判決は過去の損害賠償についてはほぼ全額を認めたものの、将来の損害賠償の談叩求及び差し止め請求は棄却した。この判決は、被害そのものの即時の救済をもたらすものではなかった。では判決の長期的な効果はどうであったか。
節一瀞判決は、「公共性」の名において「減速」という即効的な対簸の要求を棄却したものの、判決時点での国鉄の対莱によって、住民が十分救済されると裁判向が考えていたわけでない。減速の棄却は無条件にではなく、同時に、国鉄が減速以外の公害防止対錐の開発、拡大、充実に早急に努むくき義務ありという指摘とともに出されたものであ(7)った。具体的には裁判官は、国鉄が減速以外の防幸口壁等の発生源対簸と移転等の障害防止対簸を、共に従来より内容を改善することによって、被害者が救済されることを期待している。けれども長期的に(判決から三年を経過した時
点から)見ると、一審判決に記されているような期待は空振りにおわった。国鉄は、皇瀞判決以後、本質的に新しい対簸を何も行っていないQ八一年三月から始まった七五ホン対筑の防音工事も、それ以前からの既定方針であった。つまり一群判決は、国鉄が公害対鞭をさらに蔵極的に改善するような動機づけとしてば作川しなかった。ではなぜ被害の救済に短期的にも、長期的にも、結果として効果のない判決しか、司法組織は下さなかったのであ
ろうか。その理由を明示的、顕在的な法律学的論争の平面ではなく、意志決定過程の社会学的分析という視角から検討してみよう。ここで重要なものとして注目したいのは、司法組織の抱く「樅限の限界についての意識」と、「加害組織や行政組織の作動過程に対する過度の楽観的期待」という二つの要因である。第一に松浦懸氏が鋭く指摘しているように、一審判決は「言外に、減速を決定することは司法梅の限界をこえるものであり、したがってその点に立入
(8)
って判決することは許されないとの認識を》肌捉にしている」と考えられるのである。司法櫨の守伽範川をどう設定するかという問題に関して、それを制限的、自己抑制的に考えるという立場が一霧判決の基底に見川される。だが、新幹線公害問題解決においては、そのような立場の選択はきわめて消極的な効果しか生まなかった。というのは、司法
組織が期待しているような形では、現突の行政組織や立法組織や加害組織は行為しなかったからである。これらの組
国家機構における新幹線公害問題の放置のメカニズム一五
国家機櫛における新胖線公害間題の放磁のメカ一一ズムーユハ
職において武任の所在が拡散していること、すなわちこれらの主体は減速問題をはじめさまざまな政策的イニシアティブを相互に回避しあっていること、外部から「緊急性」を付与されなければ、利害再編のからむ抜本的な公害対策にとりくもうとしないこと、それゆえ「緊急性」がない限り何らかの制度革新的な決定の機運がいつまでも熟さないこと、といった特徴が見出される。けれども、一審裁判官はこれらの組織のこのような作動過程上の限界を必ずしも的雌に樋識しておらず、これらの組織の自発的問題解決能力に過大な楽観的な期待を抱いていたように思われる。結励、司法組織もnらの「椛限の限界についての意識」と「加害組織や行政組織の作動過狸に対する過度の梨観的期待」という要因に制約されながら、国家機構レベルの意志決定システムにおけるイニシアティブの不在という忍循環
を構成する一項となってしまったと言わざるをえない。
第二節差し止め判決が及ぼす効果
(9)以上のような水稲での考察と既に別の機会に記した川鉄組織の意志決定プロセスの分析をふま・えると、仮りに新幹線公轡訴訟において差し止め判決が川された場合、その効采はいかなるものと予測できるであろうか。訴状において原告は、騒音・振動の一定値に関して、居住敷地内への侵入を差し止めるよう判決を求めている。その具体的な方法として審理の中で原告側が求めたのは、名古屋市七キロ地帯における時速七○キロ程度もしくは時速二○キロ程度の減速走行である。第一審の審理においては、国鉄は仮りに差し止め要求を判決が認めれば、減速が新幹線の全線に波及し、新幹線の機能が全く損なわれると主張した。果たして、減速を認めるという形での差し止め判決が川された場合、減速は全線に波及するであろうか。
と同時に、差し止め判決が輸送の便益を削減するという側面だけでなく、差し止め判決が、短期的及び長期的にどのような被害救済機能を果たすか、という点も問われねばならない。差し止め判決の短期的、直接的な被害救済機能
は、名古屋市七キロメートル地帯における公害被害の軽減である。ではそれは、長期的にはどのような被害救済機能を果たすであろうか。社会問題としての公害の解決の道を考える時、この問題文脈での検討が大切であろう。
まず減速の全線波及の可能性について検討してみよう。(皿)国鉄は、全線波及の必然性をどのように主張しているだろうか。第一審での国鉄の主張によれば、名古屋市セキ■区間と同様に騒音・振動を規制しなければならない地域が少なくとも五一ヶ所、延災約二○○キ面メートル存在し、それらの地域で同一事怖を理由に減速を求められる場合に、これを拒絶する事由がない。これらの地域で時速七○キロに減速すると、東京・新大阪間の到達時分は、ひかりが六時間五○分、こだまが七時間五○分となり、新幹線鉄道
としての機能が全く失われてしまう。(u)では、一群判決は減速の他地域への波及をどのように考塵えたであろうか。一霧判決は、木件七キロ区間で時速七○
キロに減速すれば、「直ちに、東京・新大阪間の到清時分が大帆に延長する絲果を招来することになるとは断じ難い」
と言い、国鉄の主張するような形での全線波及論を直ちには孫川してはいない。判決は各狐証拠より、名古臓市七キロ区間以外にも騒音八○ホン以上、あるいは振動が七一デシベル以上で、障害防止対簾の対象になっている家屋が多(吃)数あり、さまざまな地区で七キロ区間の原告住民らと同様の被墾口をこうむっている人がいると判断している。その上で「新幹線沿線の各汚染地域における防止対簸は、現実的にさして多様な選択、組糸合わせが成立するわけではなく……〔中略〕……被害の大きい沿線各地域の住民に対する即効的対簸としていかなる地域においても減速という運行
国家機構における新幹線公害問題の放置のメカニズム
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国家機構における新幹線公書問題の放櫛のメカニズム一八(旧)対紫の鉱が、一律に、現前し来るおそれのあることが十分に予想される」としている。そして、名古屋以外に‘も少なくとも八つの市で、住民から減速要求が川ていること・も柑猫した上で「以上認定の各淋尖を彼此対応するとへ騒音・振動防止対策として本件七キロ区間を減速することは、おそらくや前記他地区における減速につながることが予想さ(M)れろのであり、かくては、本件七キロ区間の象の減速へ列車の遅延にとどまらなくなることは必定である」と減速の他地域への波及を予測している。では、このような形での全綿蹴哩及論は正しいであろうか。全鱒畷収及論を考える場合、「規範的命題」として考えるのか、「社会過穆の予測」として論ずるのかによって論議の仕方はかわってくる。「規範的命題」として論ずることは、他の地域でも同一の被害がある場合には、平等に同嫌の減速救済描松を誠ずべきであるのか、ないのかという価値判断的な文脈での論議である。他方、「社会過程の予測Lとして論ずる場合には、現実のさまざまな主体の要求、交渉、決定等を通じて、減速が他地域へ波及していくのだろうか、いかないのだろうかという認知的な文脈での論議である。剛炊の全線波及論は、地域間に鑑別をつけず同一の救済措悩を識じなければならないという「規範的命題」を前提にし、そのうえで全線への減速の波及が「社会過程としても予測」されるという主張をしている。一群判決は、同一の被害には同一の救済措世をとるべきであるかどうかという規範的問題に関しては、態度をあいまいにしたまま、「社会過程の予測」としては他の地域への減速波及が必ず生ずるであろうとしている。|多」の二つの全線波及論庭対しては、次のような批判が可能である。まず第二群において住民側は、減速全線波及論を次のような形で批判した。第一に、名古屋に準ずるような人口密染地区は、璽凪l大阪間でたかだか十二ヶ所程に過ぎず、第一審で国鉄が五一ヶ所のべ二○○キロメートルと主狼し
ているのは過大であること。弟二に、たとえ上記の名古屋に準ずる人口街築地区十二ヶ所のすべてで減速をしたとしてもその全体的な影灘はき(応)わめて少なく、新幹線の機能を大きく損なうものではないこと。具体的には、一一○キロメートル程度の減速にすれ(町)ぱ、一二ヶ所で遅れの合計は「ひかり」で三○分程度、「こだま」で二○分弱と試算される。この住民側の主張は、何様の被害を受けている人川糟錐地帯では、M等の減速をすべきであるとの規範的判断を前提とした場合にでも、波
及の彫瀞が軽微であるとの社会過程の上での予測をしたものである。この主張は、減速の他地域への波及を理由にした減速否定論に対して、州当打効な反論となっているものと言えよう。では、考慮に入れる要因をもっと増やして減速の波及の予測をしたらどうなるであろうか。以上の三つの論議、すなわち一審での国鉄の主張、一審判決、二審での住民側の反論はいずれも、差し止め判決の効果の予測において重視されねばならない一つの要因を捨象している点において、また差し止め判決の社会的効果を、減速の他地域への波及
可能性というただ一つの文脈でしか考察しない点において、かなり単純化された予測となっている。これらの予測において抜け落ちているのは、「国鉄の主体的な減速阿避努力」という重要な要因である。一定地区での減速命令がど
のような効果を持ち、果たしてまたどの程度まで、他地域に波及するかは、国鉄の減速回避努力を孝血することなしには予測できない。さらにより根本的に言えば、差し止め判決のおこしうる効果を、減速の他地域への波及いかんと
いう文脈のみで考慮するのは、適切であろうか。むしろまし止め判決が、国鉄の主体的な減速回避努力を媒介にして、いかなる災期的な制度形成機能を発揮するのかが問われねばなるまい。
差し止め判決が出された場合、いったい国鉄はどのような態度をとるであろうか。その場合の国鉄の態度は、他地
国家機柵における新幹線公害問題の放値のメヵーーズム
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九
その数年間の国鉄の行動はどのようなものとなるだろうか。もし減速が国鉄にとって絶対容認できないものであるならば、鮒この政速命令判決が川ないうちに、減速以外の他の公譜防止手段の発案と尖行に全力をあげて取り組むはずである。つまり、仮に名古肢という一つの地区において滅速命令が川されたとすると、それは国鉄にとって公害対策の「緊急性」を一段と高め、公害防止技術の開発と閲述する制度の改革の両面にわたって、より根木的な対簸の実施への勁機づけとなるはずである。公瞥防止技術の町でいえば、東北新幹線の一部地域で設悩される逆L型防音壁とか猟性まくら木二砿締結装世を、 N家機構における新幹線公需問題の放置のメカニズム二○
域の化凡から減速要求が川たとしても即座にそれを認めて減速の拡大をすることはせず、減速の波及を防ぐために、従来より公瞥対簸を一段と改善するためにさまざまな工夫をこらすというものになるであろう。国鉄の今までの行動.ハクーソから予測すると、仮りに名古屋で減速を命ずる判決が川たという前提の上で、他の地域の化氏から減速要求が川た場合に、広らにそれに応じ池の地域にも減速を拡げるというようには行動しないであろう。なぜなら、国鉄は形式的にも突蘭的にも公寄対策に関しての全国各地域間の平等化を厳滞に志向しているわけではない。たしかに、第一次及び第二次の障害防止対策処理要綱は全国的に統一した基準で作られた。しかし、東北新幹線と東海道新幹線の公害対策のさまざまな格差を見ればわかるように、東北新幹線でより改善された公害対策を採(Ⅳ)川したからとい.って、それを平等に東海道・山陽にまで適用しようとするわけではない。国鉄が既設線の他の地域でも減速に踏象切る場合があるとすればそれは、その地域を対象とした別の訴訟が起こされ、その判決で減速命令が川た場合に限られるであろう。仮りに、そのような第二の差し止め訴訟がおきたとしても、その一審の判決まで数年は
かかるはずである。
束海道でも設世することとか、全秘防音壁や独立防背雌の採川に踏み切るとかの対簸が考えられる。社会制度の耐でいえば、騒音料の制度化による公害対箙の財源の捻出とか、近路や空港の場合に琳ずるような形で、周辺に緩衝地帯を作りうるような制度の創設とかが考えられる。そのような緊急性の高まった状況で、最終的にどのような対簸手段の組承合わせを選択するかは、国鉄及び運輸省の側でのコスト計算によって決定されるであろう。一般的にいえば、人川密集地区は減速が低コストであり、人川が稀薄なところでは、減速以外の発生源対簸や障害防止対簸の改韓の力が低コストとなるであろう。まとめていえば、司法による差し止め命令のもたらす社会的効果は、減速の単純な連鎖的波及ではなく、さまざまな手段の動員により公害対策が総合的にもう一段強化されることである、と予測される。もちろん、公害対筑の一千段として、他地区でも減速が採用されることはありうるが、それは国鉄にとってもその地区での減速が他の手段に比べて低コストであると考えられる場合に限られるであろう。
岐後に、本稿及び別筋での考察の要点を再確認しながら、新幹線公害問題の解決の可能性は誰が撮っているのか、
Ⅲ題が解決されるためには、意志決定過鯉の上でどういう条件が実現されねばならないかについて検討してみよう。中途半端な対簸しかなされないまま、新紳線公害がこれまで長期にわたり放腔されてきた理由は、意志決定過程の文脈で見れば、国家機織レペル及び国鉄組織レペルにおいて、ともに、「イニシアティブ回避の悪術環」と「累秋された事なかれ主義」があるからである。本稿で見てきたように、国家機勝レベルの意志決定過程において、行政組織
幽家機構腫おける新幹線公讐側題の放匠のメヵーヌム一一一 結び
国家機構における新幹線公害間題の放侭のメカニズム一一一一
(環境庁、運輸省、日治体)は法規的裏づけが弱いため、「権限の限界」に制約されて、加害主体(国鉄)に対して面接的で強力な規制努力を行っていない。立法組織(国会)は「情報処理能力の限界」があるうえ、「緊急性」が高まっていないため、断片的な形で審議をしても、自ら法規範を革新するようなイニシアティブをとらない。その可能性はむしろ行政組織にある。だが、行政組織(環境庁、運輸省)は、新幹線公害Ⅲ題の場合、他の公害問題に比べて組織に加えられる「緊急性」圧力が相対的に低いため、規制のための規範を中途半端なかたちでしか作ろうとしない。さらに司法組織は「権限の限界」についての意識に制約されて、また「加害組織や行政組織の作動過程に対する過度の楽観的期待」(怖報処理能力の限界の一形態)に制約されて、根木的な公害対錐を行うようにという強い「緊急性」をもった圧力を加害組織や行政』籾繊に加えていない。(旧)また、別稿で検討したように、加害組織(国鉄)においては、トップレベルの主体(総裁、理事会)は形式的権限は大きいけれども、「傭報処理能力の限界」のため個別問題の実質的な政簸形成についてはミドルレペルの主体に依存している。下層レベルの主体(岐阜工事局新幹線環境対策室、新幹線総局名古屋環境管理室、名古屋磁気所)は住民と直接に接触しているけれども、ルーテイーソ業務をこなすことが中心で、政簸形成を直接には担わない。ミドルレペルの主体(環境保全部、法務課、弁護団)にこそ政策形成のイニシアティブの可能性はあるが、外部からの「緊急性」圧力があまり聞くない状態の下では、組織全体にとっての譲歩的決定を提起しようという動機づけば、「要素主体自身の利害防衛」という要因によって働かない。加害組織に対する「緊急性」圧力が弱いかぎり、被害者を救済し社会的合意形成に逆をⅢくような雌水的な公害対策は、:問題を担当する要素主体(環境保全部)自身の利害防衛に背反するために、加害組織内部で提起されえない。
積極的な判例の創造によって司法組織がそのような「緊急性」を加害主体に加え、問題解決を促進しようとした例
としては、たとえば大阪国際空港公害訴訟第二審で大阪高裁が示したような差し止め認容の判決や、同訴訟の最高裁(四)判決において団藤判小の一不した少数意見を挙げることができる。それらと比べると、名古屋新幹線公害訴訟の第一審の判決は、減速の波及について、国鉄自身の波及回避努力の展開という重要な要因を捨象して、あまりにも単純な形
国家機構における新幹線公害問題の放置のメカニズム一・一‐一一一 環境保全部にとって、根本的な公害対策の樹立という譲歩的解決策の提起は、充分その機が熟してから行わないかぎり、国鉄内部での説得性を欠き批判を招かざるをえないものであり、提起するリスクが大きすぎるものである。しかし環境保全部をはじめとするさまざまな要素主体が、「組織内部において無難なものとして受け入れられる選択肢」をとり続ける限り、つまりミク豚レベルでの消極主義や聯なかれ主義が続く限り、その累蔵的帰結として、公害問題解決のためのマクロ的な制度改革はいつまでも停滞して実行されないのである。以上のような意志決定過程についての社会学的な分析をふまえると、問題解決の鍵について次のような示唆が得られる。被害者にとっての例題の「重大性」が、加害主体にとっての問題解決の「緊急性」に転換されることが、根木的な公害対策確立の鍵である。そのようなイニシアティブをとりうる主体は、現状では司法組織以外になく、司法による国鉄に対する「緊急性」の付与こそが、現時点において新幹線公害の被害が根本的に救済されるほとんど唯一の可能性のある道だと考えられるのである。仮りに加害組織の中に公害を解決しようとする良心的な個人がいた場合でも、外部からの緊急性圧力が高まらない限り、より根木的な対簸を樹立するための積極的な努力を展開することは困難である。そして司法組織がそのような機能を果たさない場合、公害被害のこれ以上の救済は不可能となるである う0
川家機櫛爬おける新幹線公諜側題の放肚のメヵーーズムニ四
で波及を予測をしている。これは社会過程の予測の面でも、問題解決に果たすべき司法の役割の自覚という点でも、
疑問の多い予測である。その予測を前提としてなされた第一審の判決は、差し止め判決の持つ加害組織への「緊急性」付与機能と焚期的な問題解決機能を無視したものとなっており、現在の意志決定メヵーーズムにおいて問題解決の
イニシアティブをとりうる主体が司法組織しか存在しないという水稲の認識からすれば、過度に消極的にすぎたよう
に思えるのである。
(2)調古凪新幹線公害間題の覗突経過と争点について詳しくば、以下の諸文献を参照されたい。可判例時報臨時墹刊東海道新幹線騒青・振勅差止・損害賠倣訴訟第一群判決』九七六号、一九八○年。『法徽時報』六三八号、一九八○年十一月、八’二六頁に所収の「特集Ⅱ名古屋新幹線訴訟判決」。『ジュリスト』七二八号、一九八○年十一月。本間義人『新幹線汝判』一九八○年、現代評論社。『衆識院公害対鞭並び漣環境雌全特別委側会談録』(とくに節七二回国会(一九七四年)、第七五回国会(一九七五年)の部分)。日本弁護士連合会公害対策委員会『新幹線公害実態調査報告書』一九七三年。猪古屋新幹線 主8J(1)木脇は飛潜の所属する「社会側脳研究会Lが』」の故年来とりくんでいる、各地の新枠線の述枇と公譜をめぐる餓側町についての共同研究の一環として執筆されたものである。とりわけ本稿は、同研究会が、法政大学社会学部船橋ゼミナールの学生十一名と協力しながら、一九八二年七月’十一Ⅱ脛かけて行った側係潤へのヒアリング調在(のぺ約六○N)に多くを依拠している。それぞれの立場から率直な意見をお肌かせいただいた関係者の力奇にお礼中しあげると共に、調査を共に行った研究会メソパー(長谷川公一、凪巾宗一、勝川附英の各氏)とゼミの学生諸識に感謝の恋を表わしておきたい。また木稿は、川諭「新幹線公害の社会学的考察l囚鋏組織における放価のメヵニズムー」(『公榔研究』ぐ・]・厨・Z・・二二九八四年、瑞波書店、所収)の姉妹綱と言うべき論文であり、この別稿で確認してきた論点を前提漣し、その続稿として書かれたものである。
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1918LノLノ
(、)名古屋新幹線公害訴訟弁護団からのヒャリソグ(一九八一一一年五月十三日)による。(Ⅳ)たとえば東北新幹線では、東海道に比べて、高架の柱が深く、太く作られ、東海道にはない逆L型防音壁が設置されてい 公害対簸同肌述合会『静かさへの斗い(ニュース)』z・・牌19.一九七一年’八一一一年。国鉄動力車労働組合新幹線地力木部『名古屋反公害闘争史』一九八二年。木稿もこれらの諸文献にさまざまな点で依拠している。(3)船橋、前掲別稿「新幹線公害の社会学的考察l国鉄組織における放置のメヵーーズムー」、一九八四年、を参照。(4)船橋、同上論文を参照。(5)これらの要因群について詳しくは、同上論文の「はじめに」を参照。(6)原告住民側の請求と一審判決についてば、前掲『判例時報臨時増刊東海道新幹線騒音・振動差止・損害賠償訴訟第一瀞判決』九七六号、一九八○年、菰○頁を参照。(7)同上課四一七頁。只体的には「被告技術陣としてば他のすぺてを犠牲にしても、先ず右対策の技術開発・進捗に総力をあげるべきことは当然といわねばならない」とまで一群判決は主張している。(8)松柵軽「民事訴訟による新幹線公害紛争解決」『法榊時柵』六一一一八号、一九八○年十一月、二二頁より。(9)船橋、前掲別稿、一九八四年、を参照。⑯)前掲『判例時報臨時増刊』九七六号、八七頁。(、)同上書、三八○頁。(⑫)同上書、三八一頁。(、)同上書、三八二頁。(M)同上書、三八二瓦。(応)名古屋新幹線公瞥対策向Ⅲ迎合会『肺かさへの斗い(ニュース)』潔。・3.一九八三年、八月による。動労迦犠北の証言に 遅よれれ
るぱ0、
る。船橋、前掲論文、一九八四年。大阪国際空港公害訴訟の第一審、第二審及び最高裁判決庭ついては、『ジュリスト』七六一号、一九八二年を参照。
国家機構における新幹線公害問題の放世のメカニズム二五 同上書、三八二頁。同上書、三八二瓦。名古屋新幹線公瞥対策向Ⅲ迎合会『肺かさへの斗い(ニュース)』潔。・3.一九八三年、八月による。動労遮転士の証言にれぱ、名古屋市七キロ区間で時速二○キロ以下に減速すると、縛通走行に比べて下りで一分四七秒、上りで一分五六秒