現代の生活綴方教育実践にみる親子関係の問題
一丹羽徳子先生の教育実践分析の試み一
片 岡 洋 子
1984年9月1・O日から10月4日までの4週間,私は岐阜 県中津川市立神坂小学校の丹羽徳子先生の5年生の教室 で子どもたちと机を並べさせてもらった.私はかねてよ
り丹羽徳子先生の教育実践に関心をはらい続けてきた.
その実践に直接学び,現代の生活綴方教育の課題につい て考えていきたいという私の申し入れに対して,丹羽徳 子先生はもとより校長先生をはじめとする神坂小学校,
幼稚園の先生方のご協力を得ることができた.あらため て先生方への感謝の意を表したい.これはその貴重な体 験で学ぽせていただいたことをもとにした,丹羽徳子先 生の生活綴方教育の分析の試みの一歩である.
なお,ここでとりあげる生活綴方の授業は,カリキュ ラムのうえでは道徳の時間を使って行なわれている.と いうのも,丹羽先生は,自分自身をみつめる生活綴方教 育が,子どもたちの道徳性の発達,いいかえれば自主的 な価値判断の能力の発達をうながすと考えるからであ る.したがって,生活綴方教育実践の分析とは,,見方を かえるならば,今日の子どもたちが,人間や社会につい ての諸価値をどのようにして選びとり,自らのものとし ていくことができるのかという道徳性の発達についての 考察をも含んでいる.
は じ め に
神坂小学校は島崎藤村で名高い馬籠に隣接した,全校 生徒100余名,各学年1学級ずつの山村の小さな学校で ある.同一一fa地内に神坂幼稚園があり,職員室も幼・小 が一緒になっている.またとなりには神坂中学校があ
り,この地域の子どもたちは幼稚園から中学校までほと んど同じ顔ぶれでクラスが持ち上がっていく.このよう に木曽の山々に囲まれた自然の中に神坂という地域はあ るのだが,市街地から孤立しているわけではない.中津 川市街へは車で30分足らず,観光地であるために人の往 来も多い.
このような神坂という地域,ひいては戦後一貫して生 活綴方教育とその精神による教育運動を展開してきた恵 那という地域の特殊性は十分考慮されなけれぽならな い.が,今回は地域的特性を明らかにしたうえで,分析
に入ることはできなかった.限られた資料ではあるがそ の分析の中で地域的特性を浮かびあがらせ,今後に課題 として残したい.
ここで私が中心的に論じようとするのは,子どもと家 族との関係についてである.家族の中でもとくに親子の 関係に的をしぼって,子どもたちの綴方をはじめとする 表現の中に,親子関係の認識・感情のゆれ動きがどのよ うにあらわれているか,どのような安定をもとめ,きず こうとしているかを見ていきたい.それを神坂小での丹 羽先生の実践分析へのとりかかりとするのは,次のよう な問題意識による.
(1)現代の思春期問題の一つとして,思春期にさしか かった5年生の子どもたちが親との間でどのような葛藤 の中にあるのか,親からの自立の親との結びつきを子ど もたちがどのようにもとめているのかを探りたい.
② 生活綴方教育はありのままの表現をとおして自分 をみつめ,自分をつくっていくものである.しかし,今 日,子どもにとってありのままとは,そう簡単にはとら えられないものである.生活のありのままの事実は綴っ ていても,それが本当に書きたいことなのか,いわば事 実ではあっても真実ではないということがおこりうる.
また書かれたことで,書かれていないことを同時に映し だすような,表現されるものと表現されないものとの緊 張関係が,現代の生活綴方実践の中でどうおこっている か,それを(1)の親子関係の問題をとおしてみていきた
い.
1.作品「牛の乳しぼりが私の仕事のな かにふえてうれしい」をめぐって 丹羽徳子先生の生活綴方教育の中で,作品研究は重要 な位置を占めている.綴方作品の読みとりである作品研 究は,子どもが生活の中で何をみつめていかなければな らないかを,子ども自身につかませるための一つの方法
である.
1975〜76年度の坂本小学校での実践記録r明日に向か
って』(『生活綴方恵那の子』別巻2,草土文化,1982
年)でも作品「しがみ顔のおじいちゃん」(今枝英子,
小5,石田和男指導,1950年)をとりあげ子どもたちと 話しあいをしている.そしてそれが何のために綴方を書 くのかを子どもたちがざらに深く考えていく一つの機会 となったことは,その後書かれた樫原美由紀の綴方など に表われている.
作品研究は「しがみ顔のおじいちゃん」など過去の秀 れた作品をとりあげることによってだけ行なわれるので はない.同じ学級の仲間の綴方についての話し合いもま た重視される.r明日に向かって』の中にも,仲間の綴 方で勉強したときの子どもたちの話し合い,また親の感 想が数多く示されている.これらもまた生活綴方教育実 践における作品研究の重要な部分である.
しかし,先のような過去あるいは現代の直接関わりを もたない作者によって書かれた綴方作品を教材とする場 合とは意味を異にする.後者の作品研究は,いわぽ生活 綴方教育の本質的部分である.生活綴方が,日記とは違 って,ある特定の人間関係の中で他者の目にふれること を意識して書かれるものだからである.もちろん問題に
よっては教師にだけ綴方が渡され,作者である子どもと 教師の間だけで処理される場合も起こりうる.しかし生 活綴方教育は個人の特定の問題を他者との関係の中に投 げかけ,その意味を作者だけでなく特定の他者である学 級の仲間たちにもつかませていくという側面をもってい ることは確かである.(その際,作者の承諾や学級の人 間関係の状態の見極めなど細かい配慮がとられているこ とは言うまでもない.)そこには一定の信頼関係の成立 が前提となるがそれによってまた,教師と子ども,子ど もたち同士の信頼関係の内実がつくられるのである.し たがって学級の子どもの綴方を教材とする学習は,生活 綴方教育の不可欠の部分なのである.
ここでとりあげる素材も,以上のような二つの意味で の作品研究が主なものとなる.前老の意味での作品研究 は,「お母さんの気持ちがわかるとはどういうことだろ う」(6年,磯辺智徳,丹羽徳子指導,1977年)であり,
後者の意味での作品研究は原久美子の「牛の乳しぼりが 私の仕事のなかにふえてうれしい」である.
丹羽先生は一学期に「題みつけノート」を子どもたち に与え,綴方に書きたいことを考えさせてきた.その中 で6月末に原久美子が「牛の乳しぼりができるようにな りたい」という綴方を書いてきた.久美子の家は酪農を 営んでおり,久美子は1年生のときから,牛のえさつく ち
りやこえだしの仕事をしていた.ところが父が仕事中に 指をいためたので,それらの仕事のほかに,しぼった乳 を運ぶことも久美子の仕事になった.久美子は指をいた
めてやりにくそうにあとしぼりをしている父を見て,自 分がやってやりたいと思うが,こつがあるので無理だと いわれた.乳しぼりができるようになって,もっと家の 仕事を手伝えるようになりたい,そんな気持ちを久美子 は綴ったのである.
そして2学期に入ってすぐ,夏休み中に乳しぼりが自 分の仕事になったことを綴った「牛の乳しぼりが私の仕 事のなかにふえてうれしい」を持ってきた.、乳しぼりを やらせてもらえるようになった経過は綴方の冒頭の部分 に次のように示されている.
6月のおわりごろ,私は「牛の乳しぼりができるよう になりたい」というつづり方をかきました.それをみん なに読んでもらってくわしくみて書く勉強をしました.
そのときお父さんに,
「お父さん,わたしのつづり方で勉強したよ.お父さん も読んでみて」
といって,つづり方をお父さんにわたしました.
お父さんは読みながら,顔はわらっているようにやさ しかったが,何にもいわなかった.お父さんは,いつも というぐらいあんまりものをいわないので,このときも 何もいわなかった.だけどお父さんはちゃんと何か思っ
てくれます.そのときにはいわないけれど,なんとなく わかります.でも,どう思ったかほんとはききたかった けど,よう聞きませんでした.
夏休みに入った日,朝起きて豆学校へ行ってきて7時 半ごろ,いつものように牛小屋へ仕事に行くと,お父さ んが私をみて「久美,ちょっときてみ,今日から久美に 乳しぼりの仕事をやってもらうで」
といいました.(後略)
父は久美子に乳しぼりを教えるために,長いゴム手袋 の指の先に竹の筒をつけ,水を入れて牛の乳房に見た て,何度もやってみせて久美子に練習させる.そうして 久美子にも乳しぼりができるようになり,機械をつける 前に捨てる乳をしぼりだす先しぼりが久美子の仕事に加 わる.久美子は夏休みのあいだ,朝と夜に乳しぼりをす るようになった.綴方には父が久美子に乳しぼりを教え ている様子やはじめて乳がでたときの久美子の喜びとと もに,年中不休で働かなけれぽならない様子などが以下 のように綴られている.
夏休みのうちは朝10時か10時半ごろ朝ごはんです.だ
けど朝おき会に行D て牛小屋に行く前にパンをやいてた
べてから行くのでそんなにはらはへりません.いつもは
私と妹だけで朝ごはんをたべて学校へくるのです.夏休
みのあいだは,家じゅうで朝ごはんを食べることができ ました.(中略)
8月22日のおひるごろに仕事をすませてから,おじい ちゃんとおぽあちゃんにるすぼんしてもらって,お父さ んの運転で犬山へ行きました.行って1時間ぐらいいた だけで,もう6時半にはかえってきました.
牛がいるのでどこにも行けんと思っていました.それ が,きびがりが早くすんだので,お父さんがつれていっ てくれました.
夏休みにどこかよそへ行ったのは,この日と,お母さ んの友だちが死んだので,おそうしきについて行っただ けでした.(後略一傍点引用者)
9月6日と10日に,この綴方をめぐる学級の話し合い がもたれた.まずこのときの話し合いで出された子ども たちの意見から見ていこう1).
子どもたちの感想はおよそ3つの箇所に集中してい る.1つには冒頭の久美子が以前綴方を父にみせたとき の場面,次に父が久美子に工夫しながら乳しぼりを教え てやった場面,そして夏休みの終わり頃犬山へ連れてい ったもらった場面である.
冒頭の部分は先に引用したが,久美子の表現に即しな がら子どもたちの感想をあげておく.
久美子が父に綴方を読ませたところ一「久美ちゃん はみんなで勉強したことをお父さんに伝えるですごいな ρ
あ」父が何も言わないけれど表情がやさしかったこと一
「お父さんは久美ちゃんのことを思っているんだな」
父が何も言わなくとも何か思ってくれていることがな んとなくわかったということ 「このときだけじゃな
くて,いままでにもわかってくれたときがあったんだ な.なんとなくわかるということがどうしてなのか知り
たい」
どう思ったか聞きたかったけど聞かなかったこと一
「めんどうくさくてきき出さなくてではなく,いっくら お父さんでもらくにきけんことある」
日頃無口な父がこのときも久美子にほとんどことぽを かけないのだが,久美子は父の表情などをじっと見てい る.そして綴方を読みながら「ちゃんと何かを思ってく れ」ているというそのときの久美子の願いは,夏休みに 父が乳しぼりを教えてくれたのであるから,綴方を書い た時点では確信となっていたであろう.この書きだしに よって,こ綴方が単に乳しぼりの作業について綴ったも のではなく,久美子と父の関係を綴ったものであること が暗示されてくる.
久美子と父の関係を,子どもたちは感想の中で,久美 子が父を「わかる」,父が久美子を「わかってくれる」
「思っている」ととらえている.そして,それが「どう してなのか知りたい」とか,「いっくらお父さんでもら
くにきけんことがある」などのように,久美子とその父 を見ながら,自分の父との関係の中にはすぐにはそれを 見出せないことをほのめかしている.
綴方の中段の父が実際乳しぼりを教えた場面では,子 どもたちの目は父と久美子の関係を具体的に示す部分に 注がれる.たとえば,久美子がはじめて牛の乳しぼりを 試みるとき,牛をおそれて「びくびくすわったらお父さ んが,rびくびくしずにやればへんなことしんぞ』とい いました」というところをとらえて,「ふつうなら『び くびくするとへんなことをするできおつけれ』というけ ど,久美っ子のお父さんはおどさんいいかたするでいい お父さんだ」と言っている.久美子の父がおどすのでは なく安心させていることに目がいく.また,やっと乳が でたときお父さんがにこっと笑って,rrそれでいい』と いいました」という部分について,「お父さんがよかっ たと思っていることがよくわかる」と言っている.ここ でも父と久美子の喜びを共有しあっている関係に目をむ けている.
父が乳しぼりを教え久美子がそれをやりとげるまでを 描いた中段部分には,久美子が父に教えてもらったとお
りに何度もやってみるところも描かれているのだが,そ れよりも父と久美子のやりとりなどに子どもたちの目は むいているようである.
犬山へいったときのことでは,久美子が「お父さんの 運転で」と書いていることがある子どもの目をひいた.
その子は「ぼくならr犬山へ行きました』ですますけ ど,久美っ子はお父さんといっしょに行けたことがうれ しかったもんでしぜんに『お父さんの運転で』と書いた んだな」と言った.ここは先に引用しておいたので参照 していただきたいが,久美子は比較的たんたんと事実を 書いており,うれしかったとか楽しかったなどそのとぎ の気持ちを直接には表現していない.しかしこの子は,
そのときの久美子の気持ちを「お父さんの運転で」と書 いたところに読みとっているのである.
子どもたちの感想のいくつかを紹介しながら久美子の 綴方をたどってきた.この子どもたちの感想と久美子の 作品をどう分析したらよいのだろうか.その分析を試み るまえに,この綴方の学習にみられる丹羽先生の指導に ついてふれておきたい.
丹羽先生は6日の授業では,自由に子どもたちに感想
をださせた.そのときに以上で紹介したような子どもた
ちの感想がでてきた.授業の最後に丹羽先生は,「久美 ちやんがお父さんを大好きなこと,お父さんも久美ちゃ んが大好きなこと,その弓とはわかるけれど,自分たち はお父さんやお母さんに対してなんとなくこんな気持ち になれないことをまたいつか考えてみよう」と子どもた ちに話している.私はこの授業が行なわれたあとに神坂 小を訪れた.そのとき丹羽先生は,久美ちゃんのお父さ んはいいなあでなく,自分もお父さんやお母さんをわか っていくところにもっていきたいと話してくれた.そし て私の授業参観の最初に,この綴方の読みとりをもう一一 度行なったのである.
その授業のはじめに丹羽先生は,「きょうは久美ちゃ んがお父さんをよく見てくわしく書いているなあと思う ところをみんなでみつけてみよう」と子どもたちに話し た.このときの授業では,前回子どもたちがだしあった 久美子と父の関係についての読みとりを確かめながら,
久美子の父への思い,父の久美子への思いがどのように わかるかを話しあった.その中で冒頭の久美子が綴方を みせた場面について,「お父さんに読んでもらっても,
ぼくなんか気にしとらん」「お父さんは綴方を読んで,
乳しぼりやらせたんだと思う」という意見がでた.また 犬山へ行ったことも,「お父さんはきびこりを早くすま せて久美ちゃんを連れていってやりたかったんだと思 う」など,久美子と父とのあいだには互いを思っていき かっている行為が日常にあることをつかんでいる.そし て授業の最後を丹羽先生は,「久美ちゃんみたいな目で お父さんを見てみたら,お父さんにこんなところがあっ たのか,何を思っているのかわかっていけるよ」という ことぽで結んだ.
この2度めの授業で丹羽先生が子どもたちに久美子と 父の関係をみつめさせながら自分の父あるいは母に目を むけさせていこうとしたのは,先に述べたように子ども たちが久美子の父との関係を自分の場合と対比的にとら えることへの気がかりに端を発していると思われる.し かし同時にもう一つの伏線があったようである.
それは直接丹羽先生にうかがったのだが,夏休み前に
「ぼくが読んでやる」という作品を子どもたちに読み聞 かせたときの反応である.「ぼくが読んでやる」(小5.
日下部和彦)は1975年に丹羽先生自身坂本小時代に指導 した作品である.戦中ろくに勉強できなかった母親があ まり字が読めないので,その母にかわって弟の保育園の 通信などを辞書をひきながら読んでやっているという内 容である.これを読んでやったときある子が「お母さん が字が読めないのはずかしいことだし,なかなか書けん ことだけど,それをかぽうように書いているところに,
お母さんを大事にしている気持ちがでている」という趣 旨のことを言った.そしてほかの子どもたちもそれに同 調した.そのとき丹羽先生は,坂本小の同じ5年生の子 どもたちとは関心のよせかたがちがっていると感じたそ うである.久美子の綴方の学習をしながらそのときのこ とを思いだしたと,丹羽先生は話してくれた.
丹羽先生はその生活綴方教育の中で,子どもたちに自 分の心にひっかかっていることをみつめさせ,それをと おして「自分自身をつくっていく」ことを促してきた.
したがって,現在の学級の子どもたちに見つめさせなけ ればならないものは何かを,たえず問いつづけているだ ろう.そして子どもたちが共通にかかえこんでいる問題 の1つに,自分の親が見えないという問題があることに 気づかれたのだろう.ここから丹羽先生は子どもたちに 親をみつめさせていくことに課題をしぼりこんでいっ た,その後,親をみつめさせることをどう展開したかは 後述することとして,久美子の綴方を子どもたちの感想 にもう一度もどってみる,
久美子の綴方の中心的部分は夏休みの初目の朝,父が 久美子に乳しぼりを教えてくれた場面であるが,はじめ に6月末の父の様子,そして最後に8月22日に犬山へ行 ったことを書き入れている.久美子は父との関係をこの 3か月間の3つの時点をつなぎながら書いているのであ る.「牛の乳しぼりができるようになりたい」という綴 方を読んで,やさしい表情をしながらも何も言わなかっ た父に対し,そのとき久美子は何か思ってくれていると 感じてはいても,それは期待であったろう.しかし綴方 を書いた時点では,あのとき父が何を思ったかを夏休み 初日の父の行為で理解できている.久美子の期待に父が 応えたことにより,6月の父の沈黙には意味が与えられ ているのである.また,牛をおいて外出するわけにはい かない家の事情を承知している久美子を,短かい時間だ が犬山へ連れていってくれた父の行為の意味を,久美子 は感じとっている.それは「お父さんはことぽではいわ ないけれど」という表現にあらわれていよう,
久美子の父の日頃から寡黙な人らしい.その父の姿,
父が自分に対してどう思ってくれているかを,久美子は
いくつかの場面をつなぎながら描き出している。久美子
は6月に綴方を見せたとき,「どう思ったかほんとはぎ
きたかったけれど,よう聞きませんでした」と書いてい
る.そして綴方の最後は「お父さんは,いらんことはし
ゃべらんけど,だいじなことは話してくれます」という
一文でしめくくっている.ここには,直接ことぽでは表
現しないけれど,久美子の父を思う気持ちを受け容れな
がら久美子を思っている父親の姿がひとつの嫁としてあ
らわれている.それは作者に父の像が見えているからこ そあらわれるのである.見方をかえれば,久美子に見え
る限りでの父の像であるとも言える.
このような久美子に見えている父の姿の中に,他の子 どもたちが自分の父を映してみることができるであろう か.先にあげた子どもたちの感想と丹羽先生の対応にみ
られるように子どもたちは自分の父と久美子の父を対比 させたり,久美子が父をわかるのはどうしてなのかとい
う疑問を発している.ある子は次のように言う.
「お父さんは何もいわんけどお父さんの気持ちがわかる
…… рヘぜったいわからんけど,お父さんやお母さんの 気持ちがわかるとはどういうことか知りたい」
私が参観させてもらった,2度めのこの綴方の授業 は,活発に子どもたちが発言するという状況ではなかっ た.久美子が父をよく見ているところにさらにつっこも うとするほど,子どもたちは「いげてしまう」(いやに なる.疲れる)ようにも感じられた.丹羽先生も,久美 子のようにお父さんやお母さんをみていくよう話しなが らも,この子たちが親との間でかかえこんでいる問題を 容易にひきだせないことを感じていたのではないだろう
か.
ところで,同じ地域に生活する久美子には他の子ども たちには見えない親の姿が見えるのは何故なのだろう.
その十分な考察は今後に課題として残さざるをえない が,いくつか考察の素材をあげておく.
久美子は1,2年生のときから,この学級の中でも比 較的よく綴方をかいてきた.「あおいぼくそうがちょぴ っとでとった」(1年)「まち(注一妹)にrスイミー』
をよんであげた」(2年)「あかちゃんが生まれるでうれ しくてしかたがない」(2年)などの作品は,いずれも 久美子の家業の手伝いや家族との関わりを綴ったもので ある.3人姉妹の長女である久美子は,小さいながらも 家業や家事の中に自分の仕事をつくりながら,その生活 をみつめ,意識化してきた.3,4年のときにはほとん ど綴方を書いていないが,低学年から自分の生活を意識 的につくりだそうとしてきたことは,あまり大きくくず れてはいないと思われる.父との関係をとりあげたのは 5年生になってからであるが,時間の系列の中で父の姿 をみつあ,家業の一端を担いながら父との生活をつくり だそうとする姿勢は,低学年時の生活姿勢と関わってい
よう.
もう一つは,他の子どもたちとくらべてみたときの久 美子の生活そのものの中に条件の違いがあるのかもしれ ない.神坂の地域は,兼業農家が多い.5年生の子ども たちも,何人かのサラリーマン家庭を加え,父母が勤め
に出ている家庭が多い.したがって一家総出で働いてい る久美子の家の状況が他の子どもたちにはあまりない.
もちろん他の子どもたちも,田植えや稲刈を日曜日に手 伝ったり,日頃家事の中に自分の仕事をもっている.し かし,久美子のようにほとんど毎日父の仕事を手伝いな がら,父との関わりをつくっている子は少なく,勤めに 出てしまった後の父や母は子どもたちの生活から遠ざか ってさえいる.そのことは次に見る明彦の文章にもあら われてくる.
久美子の綴方の学習をとおしてうかびあがってきたの は,綴方にあらわされた久美子と父のような見える関係 の中には,自分と親との関係を映しだせない子どもたち の姿であった.久美子とその父の関係とはちがったもの として対比的にしか感じとれない自らの親子関係をそれ ぞれの子どもたちがどのようにみつめていくのか,ある いはそれを見える関係につくりかえていくことが可能な のかどうか,それが次の課題となっていく.
2, 自分の親をみつめさせる
10月に入り,丹羽先生は「おとうさん,おかあさんを ありのままにみる」という課題を与えた.そこで明彦は 次のように書いている2).
ぼくのおとうさんは,朝ぼくがねとるあいだのしらん まに出て行って,夜は早くて八時おそいときは十時ごろ 帰ってきます.
前は土岐市だったけど,今は名古屋まで車で行っと る.前のときは電話線の工事の現場だったけど,今は名 古屋で会社のなかの仕事だといっている.
ぼくはどうしてかしらんけれど,いまのおとうさんよ りまえのおとうさんのほうがいい.なんでかというと,
まだ工事のみまわDやくの時のほうが早くかえってきた し,なんだかあかるかった.それでふくもきがえず田ん ぼの仕事もしとった,
でも今はせびろをきてネクタイをしていくかしらんけ ど,かえってくるとつかれたといっておこるし,すぐせ びろやネクタイをすてるようにしてぬぐので,おそがい
(こわい)気がする.
前は日曜日になると,魚つりやいなごとりもいっしょ にしたけど,いまは日曜日の朝は十時ごろまでねとる.
それでぼくは日曜日でもあんまりたのしくない.
明彦は,久美子の綴方の最後の「お父さんはいらんこ とはしゃべらんけど,だいじなことは話してくれます」
に対して,「ぼくのおとうさんはだいじなことはそうい
わんけど,いらんことをたくさんいうでこまる」と言っ
ていた子どもである.以前勤め先が近かったときには帰 宅後も田にいって働き,日曜には子どもと遊ぶこともあ った父親が,片道2時間p道のりをかけて勤めに行くよ
うになったことで変わってしまった.おそらく栄転と思 われる転勤によって,自分や家族から離れていく父を明 彦は好ましく思えないでいる.
他にも何人かの子どもたちが,今の親の姿を否定的な 感情をあらわしながらとらえていることを知った丹羽先 生は,10月末に「おかあさんの気持ちをわかるとはどう いうことだろう」3)(磯辺智徳,6年,1977年,丹羽徳子 指導)を子どもたちに投げかけた.
この作品は,新聞配達をしながら家計を助けている作 者が,精いっぱい働いている母親の姿をみつめながら も,その母親が酒宴の席ではめをはずしてしまう姿をう けいれられず,それでも母親の気持ちをわかりたいとい
う必死の思いを綴ったものである,恵那の地域では,同 地域の子どもの書いた綴方の学習が多く行なわれている が,この作品は扱かいかたが難しくまだ誰も試みていな かった.そのため,この作品を子どもたちがどう読む か,丹羽先生には不安も大きかったと言う.
この授業は研究授業として私たち都立大坂元ゼミの一 行をはじめ多くの参観者の中で,10月29日に行なわれ た.作品をプリソトして配ってやったときに先生が一度 読んでやったが,読み終わったとき教室の中は重苦しい 雰囲気で子どもたちは皆だまってしまったと言う.丹羽 先生は家でもう一度読んできてどんなことを思ったか言 えるように,線をひいたり思ったことを書いてきてもい いと言った.そして当日ほとんどの子がプリントの余白 をうめてきた.授業はそれを全員が読みあげるものだっ
た.
作者が描きだしている母の姿は,作者自身に恥ずかし い,わからないとうつるだけでなく,読みとる子どもた ちにも嫌悪の感を抱かせる.そしてなぜここまで思いき って書こうとするのかという重い気分を子どもたちにお こさせるのだろう.
ある子どもは次のように述べた.
「ぼくはこの綴方をよんで気分がちょっとおもくなっ た.どうしてというとしょうじきなことはかいているけ ど,自分ちのはじをかいとるみたいだと思う.どこの家 だってこういうことはあると思う.ぼくだってたるい ことがあるにしてもなかなかかけん.それはいっくら上 手にかいてもお母さんがみたらかなしがると思うから.
つ でもほんとうのことをかくというのは,なんか,すごく 勇気がいるし,かなしいおもいをせんなあと思った」
(仁士)
また他にも次のような感想が出された.(傍点引用者)
「自分の気持ちをほんとうに書くのってすごくむつかし いし,たるいなあと思った.だけどこれではっきりわか ったなんて思えるときあるのかなあとおもった.智徳君 はお母さんに『書いたらいかん』とまでいわれてもこん なに書いた.智徳君は,お母さんを本当の気持ちですき になりたいのやなあと思った」(久美子)
「智徳君はお母さんが本当にすきなのに,峠っきりとす きになれん気持ちがわかる」(千草)
「智徳君はお母さんが,心の中ではすきなんだけれど,
あらわれていることがおかしいもんで,なやんで,それ でも考えてあげているのですごいなと思った」(美穂)
「お母さんの気持ちをわかってやろうとすることは,今 よりもっとお母さんをだいじにしていこうと思っとるん だな」(真吾)
これらの感想はこの作品のもつ内実を深くつかんでい るとは言えないかもしれない.というのは,母の態度が 理解できないながらも,母の背負っている苦労のたけを 事実をとおしてリアルに見つめることで,母の気持ちを わかろうとしている作者の目に,子どもたちの注意が十 分だとは思えないからである.むしろ作者の母の姿その ものに目をうばわれてしまっている感想も多かった.そ れは先にのべた「ぼくが読んでやる」の感想にも共通し
ている.
しかし,どうしても理解できない,好きになれない母 の一面ではあってもそうせざるをえない母の気持ちをわ かって,もっと母を好きになりたいという智徳の感情に は,子どもたちは比較的容易に寄り添っていく.つま
り,智徳の中に母を本当に好きだという思いと,母の気 持ちがわからないという感情が葛藤していて,そのため のつらさを智徳がひきうけているという姿に同一化しよ
うとするのである.母をまるごとわかっていくことが,
目をそむけたくなる事実さえみつめることをとおして行 なわれなけれぽならないことを,子どもたちは直感して いるのではないだろうか.この作品をはじめて読んでや
ったときに,教室を満たしてしまった重たい空気とは,
そのような子どもたちの気分の反映だと思われる.
この授業が行なわれた数日後,明彦が「お母さんの長 電話」を書いてきた.
毎晩8時をすぎると母親が友だちと長電話をする.そ
の夜,明彦は兄と通話時間の賭けをする.結果は明彦の
方が近かったのに,兄が自分の勝ちだときめつけるの
で,兄弟げんかにな〆ってしまう.母にしかられた明彦は
母にむかってどなってしまう,
ぼくはこがわいてこがわいて(腹が立って)
「なんやよ,おかあさんのせいやに,おかあの非行,お かあの非行」とどなってやった.
おかあさんが「なにいっ,なんでえ」といった.
ぼくは泣きながら
「前にお父さんがいっとったぞ.長電話は非行のはじま りやっていっとったぞ」
といったら,おかあさんとにいちゃんが
「あははは」とわらった.
そうしたらぼくもおかしくなって「あははは」とわら った.また三人で「あははほ」とやっとうわらっとっ て,おこったのを忘れちゃった.
この綴方を丹羽先生が読んでやったとき,はじめ子ど もたちはひっくり返って笑いころげたが,そのうち「さ びしい」という声がでたそうである.
明彦が母親の長電話を「非行」ということで,帰宅の おそい父をまつ母子3人がおなじ状況の中にうつしださ れてしまう.それは一方では笑いを他方でさびしさを感
じさせる.
明彦の父のおかれた状況は,ある意味で今日のサラリ ーマソ家庭に共通している.家族を思えばこそ,その経 済的安定のためにはきびしい就労条件をもうけいれなけ ればならない,疲労が重なり,家庭はいきおい疲労回復 とストレス発散の場となり,家族との関係を省りみる余 裕すらもてなくなってしまう.子どもには父親のいらだ った姿ばかりが目につき,自分のことを考えてくれてい るだろうかとさえ不安になってくる.
それは父と子の関係にだけあらわれるのではない.父 と母の夫婦の関係,あるいは祖父母を含めた家族の相互 関係にもあらわれてくる.たとえばそれは後に紹介する
「書ける」題と「書けない」題の二重化の中にもあらわ れている.
明彦の綴方は,家庭の中でおこったささいなできごと を書いているにすぎないのだが,そんなことさえ明彦に はある安心をもたらしている.明彦はこの綴方を「ゆん べすごいおもしろかった」と書きだしている.3人で笑 ってしまって,何を怒っていたのか忘れてしまったとい うようなことが,その瞬間母と兄と明彦を結びつけるの である,しかもそれは「非行」という表現で3人の心情 をつないでいる.
久美子の綴方は,父親への信頼と安心に支えられて書 かれていると見ることができる.この明彦の綴方は,久 美子が安定した父親の像を描きだしているのとはちが うが,やはり母と兄と明彦の間におこった共感が安心を
ひきおこし,それに支えられて書かれている.久美子が 父親との信頼や安心によって結ぽれた関係を意識的につ くりだしてきたのとは違って,明彦の場合は偶然もたら されたものではある,が,久美子も明彦もある安心を支 えに綴ったとすれぽ,久美子の綴方には自分と親との関 係を映しだすことができなかったような,不安は表現さ れえないのだろうか.
もろうん「お母さんの長電話」には,安心を支えとし て書かれたと見たとしても,この兄弟や母の不安が描か れていないわけではない.不安が「非行」ということぽ で「安心」に一瞬転化したからこそ笑いがおこるのであ り,それでもなお持続する不安が感じられるからこそ,
子どもたちから「さびしい」という声がもれるのであろ う.しかし不安そのものが,たとえぽ安心との葛藤の中 で見つめられているわけではない.
また久美子の綴方には,時間的系列の中でつくりださ れた,より安定して父子の関係があらわれているのだ が,この子の生活全体がそのような安定した諸関係に満 たされているのだろうか.久美子の中にも,他の子ども たちと共通する不安や,見えない関係が存在するとすれ ば,それはどういうふうに表われてくるのだろうか.そ れは,ひとりひとりの子どもの中にある安心と不安が綴 方表現にどのような形をとってあらわれるのかという問 題である.
3.題の二重化一「書ける」題と
「書けない」題
丹羽先生の生活綴方教育の特徴の一つは,「書きいそ がせない」,「ほんとうにそのことがわかりたいときをま つ」など,子ども自身が自ら見るべきものに向きあって いくことを重視することである.しかし,先に述べたよ うに子どもたちが自分で見るべきものを見るようになっ ていくことは難かしくなってきている.そこで丹羽先生 は「題みつけ」の指導に力を入れてきた.そしてその中 で,子どもたちが今自分がもっとも悩んでいることが見 えたとしても,それが綴方には書けないでいることに気 がついた.子どもたちの中では,「書ける綴方」の題と
「いちぽん心にひっかかっている(が書けない)」題と がみごとに分かれているのである.
心にいちぽんひっかかっているが書けない綴方の題を いくつかあげてみよう.
おばあちゃんにつめたくするお母さんはいややなあ/
にくしみあっているとしかおもえないおとうさんとおじ
いちゃん/少しだけのお母さんの家出/かくれてお酒を
のむおじいちゃん/借金のことでけんかするおとうさん
とおかあさん/おかあさんのウソはゆるせない/いいか げんな弟は大きらい/山の木を切るとか売るでけんかす るおばあちゃんとおとうさん/中学生になって荒れだし 駆
たおにいちゃん
ここにあげたものは題から察するところ,ほとんど家 族の人間関係に関するもので,題としての表現からだけ でも,それぞれの問題についての否定的な感情がうかが える.それぞれの家族のあいだにおこっていることを題 からだけ想豫して一律に述べることは危険があるが,以 下のようには考えられないだろうか.
子どもたちをめぐる最も親密な関係にあるはずの家族 が,思春期を迎え家族としての父母,祖父母,兄弟の中 に自分の位置を見いだしながら,自立をはじめようとす る子どもたちにとっていわぽ共棲的状態にあった時期に は見えなかった関係の質をもって登場している。それは 思春期が親から本格的な自立をし始める時期であるとい うぽかりでなく,親自身が子どもと正面から向きあう関 係をつくりきれない状況におかれているからである.親 から精神的離乳をしようとしても,親が自分の方を向い ていないのではないかという不安は,自立をいっそう困 難にする.そのような不安がはっきりと意識されるの は,思春期が同時に,親をはじめとする家族のひとりひ とりを,自分という軸をとおし,他者としての洞察をは じめる時期でもあるためだろう.そこで立ちあらわれる 家族,とくに一家の経済を支える父母の姿は,家族共同 体を支える長というよりむしろ,物とお金に支配された 社会の一員としての姿である.家族を守ろうとすればす るほど,働き手としてその社会の物と金への欲望をつの らせざるをえない矛盾に生きる親たちの姿である.それ に直面して,親のおかれた状況を,また自分が生きてい る社会を認識するにいたっていないとき親子,家族の間 の安心をひき裂くかのようにあらわれる問題への嫌悪の 感情が子どもたちをとらえるのではないだろうか.それ は漠然として対象一できごとに対してであったりもす るが,その渦中にいる人物一父や母に対しての嫌悪感 としてあらわれる場合が多い.
しかしそれは社会認識が未熟だからそうした感情が生 まれるといいきれない.社会認識の形成を考える上で も,子どもたちにとっての社会とは,認識の対象として 整然とあらわれるのではなく,親密な他者一ここでは とくに親への感情的葛藤としてあらわれるということを 考慮する必要がある.例えば「パソコンを買ってやるで
といって勉強さぜたがるおかあさん」を心にひっかかっ ている題としてあげている子どもがいるが,子どもの成 長を願う母親の愛情が,「パソコンを買ってやる」とい
った物欲をかりたてる誘いにおおわれて,子どもに母と 自分との関係を見えなくさせてしまっている,おそらく この子自身はパソコンが欲しいのだろうが,パソコンへ の欲望と母親の愛情を直接感じたいと思う気持ちとがす りかわることへの不安が,同時におこってしまうのでは ないだろうか.
このような親に対する不安,さらには嫌悪は,親に愛 されている(したい)が親を愛している(たい)という 親子の愛情との対立の中で,いっそうはっきりと意識さ れよう.こうした親子間に生まれる感清的葛藤が「書け る」題と「書けない」題の二重化をつくりだしていると見 ることはできないだろうか.「書ける」題は子どもたち にある安心を導くものだが,「書けない」題は不安を増 幅させるものである.「おかあさんの気持ちをわかると はどういうことだろう」の読みとりの中で,ある子ども が,ほんとうのことを書くとお母さんに悲しい思いをさ せると述べていたが,子どもたちにとって今心にひっか かっていることを書くことは,それを心に秘めることで ようやくつくりだしている安心のある部分さえ,不安へ と転じてしまうのではないかという思いを抱かせる.
父と関係を安定したものとしてつくりだしている久美 子でさえも,「書けない」題をもっている.久美子は「書 ける」題に「牛のヘルパー問題をお父さんと話した」を あげ,「心にひっかかっている題」(「書けない」題)に は「おじいちゃんの弟がかえってきてくらくなったわた しの家」をあげている.
久美子の生活の中で,父や母の仕事を手伝い,一家の 一員として存在することが,久美子自身の成長をうなが していることはまちがいない.しかしそうやって家業を 支えながら生活,学習することを主としていたかつての 子どもたちとちがうのは,それが久美子の生活の中に安 定をもたらす部分ではあっても,それがすべてではなく なってきていることである.久美子と父の関係もまた,
現代の家族の抱える問題の中に投げだされている.そし て,だからこそ,自分の仕事がふえてもなお安定した父 との関係を求めてやまないのであろう.
こうしてみれぽ,久美子の「牛の乳しぼりがわたしの 仕事のなかにふえてうれしい」という綴方が,生活61)・中 で久美子が安心を得ることのできる部分をあらわしたも のであり,そこにあらわれている父との関係の質が久美 子の家族の関係すべてを満たしているわけではないこと がわかってくる.したがって,久美子の綴方の学習の中 にあらわれた他の子どもたちとの違いが,見方をかえれ ぽ同じものとして見えてくる.つまり明彦が不安の中に 一瞬安心を見いだしたのと同じように,久美子もまた不
一40一
「教育科学研究」第4号1985年7月 安に満ちた生活の中に安心を見いだそうとしているので
ある.
「お母さんの気持ちがわかるとはどういうことだろう」
の感想の中で.久美子は「だけどこれではっきりわかっ たなんて思えるときあるのかなあとおもった」と言って いる(2の傍点部分).この久美子のことばをどう考え
り e .
たらよいのだろうか.久美子は父の気持ちが「なんとな くわかる」(傍点一引用者)とも書いているが,久美子 と父との関係にさえ,不安と安心とが交錯しているので あり,「なんとなくわかる」という安心が不安の中に見 いだされるこそ,綴方の題にある「うれしい」というこ
とぽが実感にあふれているのであろう.
子どもが綴方をとおして自分をありのままにみつめよ うとするときにあらわれた題の二重化,いいかえれぽ子 どもにとってのありのままの二重化は,その統一の可能 性をもっているのだろうか.ここで性急な結論はひかえ なけれぽならないが,おそらくそれは「書けない」題の 中にある親,家族への嫌悪,あるいはそれらとの関係へ の不安のもっている意味を,子どもが実感するような感 情分析を行なうことを教育実践にもとめているだろ
う4).