福 田 赳 夫 研 究
│
│ 一 九七
〇 年 代 を 中 心 に
若 月 秀 和
一 定ま ら ぬ 政治 家 像 二 佐藤 後 継 をめ ぐ る 自民 党 総 裁選 三 田中 首 相 の経 済 運 営に 対 す る懸 念 四 三度 目 の 蔵相 就 任 へ︱
︱ 石 油危 機 後 の経 済 混 乱に あ た る 五 蔵相 辞 任 から 倒 閣 運動 へ 六 党分 裂 含 みの な か での
﹁ 椎 名裁 定
﹂ 七 弱体 政 権 の﹁ 経 済 総理
﹂ と して 八
﹁ 三 木お ろ し
﹂の 表 面 化
︱︱ 三 木 離れ す る 福田 九
﹁ 大 福密 約
﹂ 成る
︱
︱ 近 づく 総 理 の座 一
〇 福 田 政 権の 発 足
︱︱ 厳 し い船 出 一 一
﹁ 大福 提 携
﹂に よ る 国 内政 治 の 安定 一 二
﹁ 全方 位 平 和外 交
﹂ の 展開 一 三 曲 が り 角に 来 た
﹁大 福 体 制﹂ 一 四 対 外 経 済関 係 の 調整
一 五 日 中 平 和友 好 条 約の 締 結
︱︱ 外 交 的得 点 を 重ね る 福 田 一 六 不 完 全 燃焼 感 に 包ま れ た 退陣 一 七 エ ピ ロ ーグ と 総 括 一
定 まら ぬ 政 治 家 像 福 田赳 夫 は
、 一九
〇 五 年 に 群馬 県 に 生 まれ
、 旧 制 一 高︱ 東 京 帝 国大 学 卒 業 後
、大 蔵 省 に 入省 し た
。 同 省で は 主 計 局 畑 の本 流 を 歩 む。 一 九 五 二 年に 政 界 に 転じ た 後 は 自 由民 主 党 の 岸信 介 の 派 閥 に属 し
、 岸 政権 で 党 幹 事 長、 農 相
、 佐 藤 栄作 政 権 で も蔵 相
、 幹 事 長、 外 相 を 歴任 し て
、 佐 藤後 継 の 最 有力 候 補 に 登 り詰 め る
。 その 佐 藤 後 継 を争 う 一 九 七 二 年の 自 民 党 総裁 選 で は
、 年少 な が ら 急 速 に 頭 角 を 現 し て き た 田中 角 栄 に 敗 れて 総 理 総 裁の 座 を 逃 す も、 田 中 政 権 で 蔵 相
、 次 の 三 木 武 夫 政 権 で も 副 総 理 兼 経 済 企 画 庁 長 官 を 務 め た 後
、 つ い に 一 九 七 六 年 末 の 三 木 首 相 退 陣 を 受 け
、念 願 の 首 相 に 就 任 し た
。 そ の 首 相 を 二 年 間 務 め た 後 も
、 自 分 の 派 閥 を 率 い 続 け
、﹁ 昭 和 の 黄 門
﹂ と し て 政 界 に 発 言 権 を 保 つ
。 一九 九
〇 年 の総 選 挙 で 選 挙 地盤 を 長 男 の 康夫
︵ 後の 首 相
︶ に 譲り
、 九 五年 に 九
〇 歳 で 死去 す る
。 右 の経 歴 か ら 見れ ば
、 福 田 は、 戦 後 の 日本 の 歴 代 首 相の 中 で も 突出 し た エ リ ー ト官 僚 政 治家 で あ る
。 常に 優 等 生 で 頭 が 良く
、 官 僚の 出 世 街 道 をま っ し ぐ らに 登 り 詰 め
、政 界 で も 早く か ら 頭 角 を 現 し て
、 政権 政 党 の ク ラ ウン
・ プ リ ン スと 言 わ れ るよ う に な っ た。 し か し
、﹁ 頭 が 良い
﹂、
﹁ エ リ ー ト 官 僚 出 身
﹂と い う 経 歴 は、 万 事 に ソ ツが な い が
、 頭 が 高 く
、 人 間 味 に 欠 け る
、 と もす る と 陰 険 で 冷た い と いう 印象 に つ なが り や す い。 ま た
、 小 柄で 痩 せ ぎ す の福 田 の 風 貌と ラ イ バ ル
・田 中 角 栄 の 庶民 派
・ 人 情 家 イメ ー ジ との 対 比 に よ って
、 こ う した 印象 を 一 層か き 立 て る 面も あ っ た
。
と ころ が
、 経 歴か ら 生 じ る イ メー ジ と は 異な り
、 実 際の 福 田 は 飄 々と し た 庶 民的 で 飾 り 気の な い 人 柄 であ っ た よ う だ
。長 い 政 治 生 活の 中 で
、 物、 金
、 エ ゴむ き 出 し の 社 会風 潮 を 常に 批 判 し 続 け て き た 福 田は
、 自 ら の 私生 活 の う え で も そ の 信 条 を 忠 実 に 守 っ て い た
。 確 か に
、 福 田 は 別 荘 を 持 っ た こ と が な く、 日 常 生 活 も い た っ て 質 素 で あ っ た
。 閨閥 作 り に も 無関 心 で
、 他の 実 力 者 た ちが 子 女 の 結 婚相 手 を い わゆ る 名 門 家 系か ら 迎 え、 華 麗 な 人 脈作 り に 努 め て い る の に 対 し
、福 田 の 子 供 た ち
︵ 三 男 二 女
︶は い ず れ も 平 凡 な 結 婚 を し て い る
。福 田 の 周 囲に は
、 彼 の 質 素 で 恬 淡と し た 人 柄 に ひか れ て 集ま った 者 が
( )
多い
。
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ま た
、岸 直 系の 政 治 的 系 譜に あ る 福 田 は
、﹁ タ カ 派
﹂ あ る い は 親 台 湾 派
、 親 韓国 派 と 目 され て い る。 実 際
、 彼 が 率 い る 派 閥 に は、 一 九 七
〇 年 代 に 反 共 主 義
︵ 反中 国
︶ を 旗 印 に 結 成 さ れた
﹁ 青 嵐 会
﹂ の 猛 者 が 多く 集 った し
、 一 九 八 六 年に 韓 国 併 合を 正 当 化 す る発 言 を し て 文相 を 罷 免 され た 藤 尾 正 行も そ の
﹁ 青 嵐会
﹂ の メ ンバ ー の 一 人で あ り
、 福 田 の最 側 近 の 一 人で あ っ た
。福 田 自 身 も 時に 大 上 段 に 天下 国 家 を 語る な ど
、 その 言 動 に は 古風 か つ 生 硬な ナ ショ ナ リ ズ ムが 感 じ られ る
。 し かし
、 首 相 就任 時 の 一 九 七 六 年 一 二 月二 三 日 の 会 見の 席 で
、 記 者か ら
﹁ 総 裁の 周 囲 に は、 右 寄 り グ ルー プ が 多 か っ た と い う 評 価 が あ る
…
…﹂ と い う 質 問 が 出 る や
、 福 田 は や や ム キ に な って
、﹁ わ た し が タ カ 派 に 見 え ま す か
。 ハ ト もい い と こ でし ょ う
。
…
… 時に 臨 み 強い 姿 勢 を と る こと が タ カと い う こ と なら ば
、 タ カで 結 構 だ
。 物事 に と ら わ れ て 柔軟 性 が ない
、 棒 を の み 込ん だ よ うな 態 度
、 そ うい う 意 味 なら 私 は タ カ では な い
﹂ と発 言 し
、 確 たる 定 義 づ け も なく 政 治 家 を﹁ タ カ 派
﹂、
﹁ ハト 派
﹂ と安 易 に 色 分 け す る マ ス コ ミの 姿 勢 に 反発 を 見 せ て
( )
い る
。
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実 際に
、 一 九 七 六 年 か ら 七 八年 ま で の 二年 間 に わ た り首 相 を 務 め、 外 交 政 策 では
﹁ 全 方 位平 和 外 交
﹂ を 掲げ た 福 田 は
、七 七 年 八 月の 東 南 ア ジ ア歴 訪 で 福 田 ドク ト リ ン とい う 日 本 の東 南 ア ジ ア 政 策の 基 本 方 針を 表 明 し
、 翌七 八 年 八 月 には 中 国 と の 間 に 平 和 友 好条 約 を 締 結す る な ど
、 日本 の 平 和 主 義的 な 立 場 を 前面 に 出 し つ つ
、 ア ジ ア 諸国 と の
関 係 強 化 に 尽 力 し て い る
。福 田 政 権 時 代 に 外 務 省 ア ジ ア 局 長 で あ っ た 中 江 要 介 は
、﹁ 福 田 赳 夫 と い う 人 は
、 本 当 に 戦 争 のな い
、 軍 事力 の な い 世 界 秩序 と い うも の を 考 え てい た の で はな い か と い う 気が し ま す﹂ と 回 想
( )
す る。 ま た
、
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首 相 やそ れ 以 前 の重 要 閣 僚 で あ った 時 代 を 通 じ て
、 近 隣 諸国 を 刺 激 す る 失 言 を 行う こ と も なか っ た し
、 岸と は 異 な り 声 高に 憲 法 改 正を 唱 え る こ とも な か っ た。
﹁ エ リー ト 官 僚
﹂で あ る の に﹁ 庶 民 的 で 飾り 気 の な い 人柄
﹂ で あ り、 ま た
、﹁ タ カ派
﹂ の 指 導 者 と 思 い き や、 国 際 社 会 に 向 け て 平 和国 家 日 本 を 発信 す る
﹁ ハ ト派
﹂ で も ある と い う よう に
、 福 田 には こ う し た二 面 性 が つ き ま と う
。 学 生 時代 に
﹁ ウ ナ ギ
﹂ と い う 渾 名 が 付 い たと も 言 わ れ てい る が
、 ど こか つ か み ど ころ の な い 人物 で あ る
。 そ のた め か
、 福田 は 一 九 七
〇年 代 を 中 心に 戦 後 の 日 本政 治 に 大 き な 足 跡 を 残 した 政 治 家 であ る に も か か わら ず
、 福 田 ド クト リ ン な ど彼 の 個 別 の外 交 政 策 に関 す る 研 究 に 止 ま り
、 彼自 身 に つ い ては こ れ ま で 十 分 な 研 究 対 象と な っ て い なか
( )
っ た
。 福田 と 同 時 代 に 活躍 し た 大平 正 芳 に つ いて は 研 究 が 進 み
、 彼 の 著 作 集 の 編 纂 も 行 わ れ
、 目 下静 か な
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﹁ 大 平 ブ ー ム
﹂ と さ えな っ て
( )
いる
。 一 方
、﹁ 角 福 戦 争
﹂ で覇 を 競 っ た田 中 角 栄 に つ い て は
、 学 術 的 研 究 は いま だ 十 分
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で は な い も の の
、田 中 を 主 題 に し た 書 籍 の 数 は 膨 大 で
( )
あ る
。 他方
、 長 き に わ た っ て 同 じ 群 馬 県 第 三 区
︵中 選 挙 区 制
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下 で︶ 福 田 と 鎬 を 削 って き た 中 曾 根 康弘 は
、 一 九 八〇 年 代 に 約 五 年 の長 期 政 権 を 張 り、 今 も 健 在 で 各 方 面 で 積 極 的 に 自 らの 主 張 を 発信 し て い る
。し た が っ て、 田 中 や 大 平、 中 曾 根 に 比し て
、 福 田は い さ さ か 印象 の 薄 い 存 在 に な っ て い る感 は 否 め ない
。 そ こで
、 本 稿 では
、 従 来 焦 点が 当 て ら れる こ と が 少 なか っ た 福 田と い う 政 治 家に つ い て
、田 中 や 大 平
、三 木
、 中 曾 根 とい っ た 同 時代 の 政 治 リ ーダ ー た ち との 関 係 性 を 織 り 交 ぜ な がら
、 彼 が 政 治の 第 一 線 の 頂 点 に 立 っ た一 九 七
〇 年 代 の日 本 政 治 のな か で
、 彼 が如 何 な る 役 割 を 果 た し
、後 世 に 何 を 残 し た の か 検 証 し て い き た い
。
二 佐 藤後 継 を め ぐ る 自 民 党総 裁 選 一 九七 二 年 六 月一 七 日
、 佐 藤首 相 は
、 前月 一 五 日 の 沖 縄 の 本 土 復 帰 を 花 道 に 退陣 表 明 を 行 った
。 そ し て、 七 年 八 カ 月 にお よ ぶ 長 期 政 権 の 幕 引 き を 待 っ て いた か の よ う に、 次 の 総 理総 裁 の 座 を めぐ る 熾 烈 な争 い が 起 き る。 ポ ス ト 佐 藤 に名 乗 り を 上 げた 顔 ぶ れ には
、 田 中 角栄
、 福 田 赳 夫、 大 平 正 芳
、 三 木 武 夫 が揃 い 踏 み した
。 し か し なが ら
、 今 回 の 自 民 党 総 裁 選 挙 は
、 田 中
・ 福 田 の 両 者 の 対 立 に 収 斂 し て い く と い う 意 味 で そ の 後 一
〇 年 あ ま り 続 く
﹁角 福 戦 争
﹂の 始 ま り で あ った
。 六 月 二
〇 日
、 赤 坂 プ リ ン ス
・ ホ テ ル で の 選 挙 事 務 所 開 き を 行 っ た 福 田 は
、 記 者 会 見 で 政 権 構 想
﹁ 平 和 大 国 の 設 計
﹂を 発 表 す る
。 この 総 裁 選で の 主 要 な 争点 が 日 中 国交 正常 化 問 題 で あ っ た こと
、 ま た 当 時福 田 自 身 が外 相 の 任 に あ った た め か
、 外交 問 題 に 力点 を 置 い た 構 想で あ っ た。 同 構 想 に お い て、 福 田 は ま ず、
﹁ 国 民 生 活 に 定 着 し て い る 戦 後 民 主 主 義 の 諸 原 則
、す な わ ち自 由
、 人 権 尊 重
、 平 和 主 義の 堅 持
、 さら に 非 核 三 原 則 こ そ は
、 戦後 の 日 本が 貴 重 な 犠 牲 を 払 っ て 獲 得 し 維 持 し て き た 成 果 であ り
、 今 後 の 日本 の 進 む べ き 指 針 と な す べ き
﹂ と し たう え で
、 次 の よ う に 続 け る
。 わが
国 は
、終 戦 の 廃 墟 か ら 立 ち 上が っ て 祖 国の 復 興 と 再 建 を 決 意 した 国 民 の 皆 さま の 努 力に よ っ て、 世 界 で も 押 し も 押 され も せ ぬ 経済 的 な 力 を つ け る に い たっ た
。 この 経 済 的 な力 を ど う 使 い
、 ど う 配 分 し て い くか に
、 わが 国 民 の 幸 福 が か か り、 人 類 の 平和 が か か って い る
。 歴史 的 に 見 れ ば、 か つ ての 経 済 大 国は 常 に 軍 事大 国 の 道 を歩 ん だ
。 私は
、 こ うし た 歴 史 に かか わ ら ず、 わ が 日 本は 断 じ て 軍事 大 国 へ の 道を 歩 む べ き で な い と 確信 す る
。科 学 技 術 およ び 経 済力 は 核 兵 器 を も 保 持 し うる 力 が あ りな が ら
、あ え て そ れを 持 た ず
、平 和 に 徹 する 姿 勢 を とり つ づ け て こそ
、 わ が国 は 世 界 の 軍縮 や
、平 和 の 維