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児島功和・中村(新井)清二・乾 彰夫

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児島功和・中村(新井)清二・乾 彰夫

1 はじめに

 近年,新規大卒者に対する求人総数は増加し,求人倍率も上昇傾向にある1)。

求人倍率は2000年3月卒のいわゆる「就職氷河期」の時は1倍を切っていたが,

2007年3月卒では1.89倍となっている2)。その要因は二っあるとされている。

一っは景気が穏やかではあるが回復してきたことで求人需要が拡大したこと,

もう一っは団塊世代の定年退職を新規学卒者で補おうとする動きがあることで ある3)。マスメディアが近年の新規大卒労働市場を売り手市場と報じているの

も,この点だけを取ると間違いではないように思われる。しかしながら2007年 3月卒業者約56万人のうち約12%4),数にして約7万人が進学も就職(正規雇 用)もせず卒業している。正規雇用ではない「一時的な仕事に就いた者」まで 含めると,その数字は更に上昇する。1990年代前半に同カテゴリーの割合は約 5%であった。したがって新規大卒労働市場に明るい兆しは見えるものの,居 神ら(2005)が「大卒フリーター」を大きな社会問題として捉えているように,

大学生の〈学校から仕事へ〉という移行もまた不安定化しているといえよう5)。

 私たちは,2003年に都内のふたっの高校を卒業した若者たちの追跡調査を5 年間にわたって続けている6)。本稿は,その一環として,対象者のうち大学に 進学した者たちの多くが卒業を目前にした2007年3月におこなった,大学生の 卒業時における進路選択と就職活動等に関するインタビュー調査の結果である。

今回インタビューに応じてくれたのは,2007年3月に卒業した7人7)。彼ら彼

女らには,大学入学後に今回を含め3回インタビューをおこなっており,本稿

の分析にあたっては過去のインタビュー・データも参照している8)。なおこの

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調査は,上述のような長期的な追跡調査の一環であること,さらに対象とした 高校はふたっとも入学難易度中位以下ということから,対象者全体に占める大 学進学者の数も限定されていることなどにより,対象者数は決して多くはない。

だが以前に比べて不安定化し,大学の就職部からも「学生の就職活動状況が把 握できなくなった」9)との声があがっている現在,一時点の活動量の比較・検 討では見えてこない個々人の活動の様子を丁寧に追っていく意味は大きいだろ

う。

 7人全員に共通するのは,選抜性の低い大学の学生ということである。近年,

こうした大学の学生の就職活動に注目する研究が蓄積されっっあるが,なかで も労働政策研究・研修機構のものは重要であろう。労働政策研究・研修機構の 大規模な調査(2007)とそれを基にした小杉ら(2007)によれば,選抜性の低

い大学の学生は相対的に就職活動開始時期が遅く,活動量も少ない。しかしだ からといって,「早く」「たくさん」活動することが就職に結びっいているかと いえばそうではないという。この分析結果は,「早く」「たくさん」活動するこ とが就職に結びっくというマニュアル本や先行研究の多くが依拠し,導いてき た知見と大きく異なるものである。また選抜性の低い大学の学生の就職活動は 相対的に長期にわたり,内定獲得時期も分散化傾向にあるという。だが,こう した大学の学生がそれぞれ具体的にどのような軌道を辿りながら活動している のか,そしてそれがこれまで想定されてきた就職活動のあり方とどう異なって いるのかは,先の労働政策研究・研修機構の調査からもそれ以外の研究1°)から も明らかではない。

 本稿の課題は,7人へのインタビュー調査を基にして,この点を明らかにす ることである。以下の2節と3節では,民間企業での仕事と専門的職業(福祉 系と教員系)という卒業後の志望先によって大別し,彼ら彼女らの多様な,時

には揺れうごく活動の様子を明らかにする。このような区別をおこなった理由

は,民間企業への一般的といえる就職活動と専門的職業を目指しての就職活動

では,内容・過程に違いがあるからである11)。これはたとえば文系/理系といっ

たよく用いられてきた区別への捉えなおしということも意味している。終節と

なる4節では,それまでの議論を踏まえ,インタビュー調査から全体として何

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が見え,何が課題として浮かんできたのかを示したい。

2 民間企業に就職することを希望した者たち

 本節では,民問企業に就職することを希望した者たちの就職活動を見ていく。

注目すべきは,彼ら彼女らの動き方が「大学生の就職活動とはなにか」という 問いを立てた場合,一義的な回答を許さないほどにばらっきが見られるという 点である。

 1)電気設備の施工管理をする会社に就職が決まった原島智史

 原島は私立理工系大学の学生で,学校生活の中心になっていたのは自転車部 での活動だった。大学3年次のインタビューでは,「主将みたいなのになった」

と話していた。またその自転車部は関東地区の大学で構成される学生連盟組織 に属しており,彼はそこで一っの委員会の委員長を務めるなど目立った存在で あつたようだ。学校の成績は単位を落として再履修することもあり,決してよ いものではなかった。今回のインタビューでも「(3年次の)11月とか12月は,

周囲には(会社)説明会に行く人がいたんですけど,僕はそれどころか進級が 危なかったんで(笑)」と話している。進路希望にっいては,大学3年次のイ

ンタビューで「やっぱり工学に関連した会社に行くかな」と話していた。

 その後,原島は2006年(3年次)1月あたりに就職支援サイトに登録するな ど,マクロ調査などに示される大学生の平均的な就職活動テンポよりは少し遅 いスタートを切り12),サイトから情報を受けて5,6社の会社説明会に参加し た。しかしながら彼が就職を決めた会社は,その5,6社のうちにはない。1 月に電気設備の施工管理をする従業員数約700名の会社からダイレクトメール が家に来て,それに興味を持ち2月下旬に会社説明会に参加,筆記試験,一次・

二次面接を経て内定を得た。3月22日のことだった。1社のみ受けて内定,そ こで就職活動を終えたのである。1社内定で終えた理由にっいて原島は,次の ように話している。

「給与はどこも大体同じなのであまり気にせず,会社の雰囲気ですね。正直,

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こういう仕事がやりたいというのがないんですよ。なので,どういう感じかと かですね。(中略)大企業よりも中途半端のほうがいいなと思って。なんか,

ちょっと偉くなりたいというのがあって。大企業で下のほうで働いているより は,(中略)支店長とかになれるとかが。」

 会社訪問時に感じた雰囲気の良さだけでなく,彼なりの上昇志向がその会社 に決めた理由だった。労働政策研究・研修機i構の調査([2006:51])によれば,

会社説明会を経験する工学系の学生割合が50%を超えるのが3年次の2月,面 接を経験するのが3月末から4月にかけてである。これだけを見ると,原島は 工学系学生の一般的といえる時期にそれぞれの活動をしているといえるであろ

う。.だが目を引くのは,1社のみ受けて内定ということに加えて,3月下旬と いう内定時期である。この時期に内定を得た者は工学系学生の10%以下であり,

原島がいかに早く内定を得,就職活動を終えたのかがわかる。

 「やっぱり原島くんは(周りの人たちと比較しても)早かったよね?」とい う質問にも,「そうですね」と答えており,同じ大学の周囲の者にも「『もっと 真面目にやれ」と言われています」と話している。内定を早期に決めることが できた要因にっいて,原島自身は「内定決まらない人は,失礼な言い方なんで すが,面接ができるかどうかですね」と考えており,彼が面接で「武器」にし たのは,幹部まで務めた自転車部での活動だった。そして入社後は電気工事施 工管理士の資格を取得し,いずれは支店長になりたいという展望を話してくれ

た。

 2)フィットネスクラブを運営する会社に就職が決まった山ロ里沙

 山口は私立の体育大学の学生で,ハンドボール部に入部し,彼女の学校生活

もまた部活動が中心だった。入学当初の彼女は,部活動の肉体的・精神的厳し

さから本気で辞めることを考えていたが,大学3年次のインタビューでは,部

活動の面白みを話してくれるようになっていた。学年が上がったことによって

部内でのポジションが変わり,それにあわせるように活動自体の面白みに気づ

いたことが理由だった。一方,卒業後の展望は,大学入学以前から考えていた

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体育教員から民間企業で経営や営業に関わる仕事へと変わっていた。「体を動 かす仕事とかは考えてないかな?」という質問にも,「考えないです」と答え

ている。

 このように民間企業での経営や営業といった仕事での就職を望んでいた山口 だが,なかなか就職活動をおこなうことができなかった。部活動がその理由で ある。彼女が部活動を引退したのは2006年(4年次)の12月。この時期になっ てようやく就職支援サイトに登録し,希望する仕事も民間企業での事務にした。

山口は相談をするため大学の就職部に相談に行ったが,「今から始めるって言っ たらすごく怒られました」と話しており,そこで彼女は大学に頼れないと思っ たという。一方,部活動の仲間はというと,「私みたいにちゃんとスーッ着て 就活してみたいな子がいないんで,あ一こりゃ頼れないって」思い,大学外の 友人(別の私立大学で就職活動を既に終えた高校時代の友人。下記の引用で

「就職してる子」と話している友人のことである)に相談することにした。

 「就職に関して聞いてまわったんですよ,友達に。どうすればいいかわから なくて。うちの部活とか学校の子はほんとのんびりしてるんで,フリーターっ て子も多いし,この学校には頼れないと思って。他の就職してる子や前に部活 一緒だった子とかの家に行って,エントリーシートの書き方とか,そういう本 があるんですよ。」

 このように山口は友人のアドバイスを受けながら活動し,大学の掲示板で見 つけたフィットネスクラブを運営する会社から2007年2月下旬に内定を得,そ

こに就職することを決めた。ただし当初希望していた事務としてではなく,イ ンストラクターでの採用だった。山口は次のように話している。

 「ほんとは事務で応募してて。動きたくないんでおとなしく事務やっとこう と思ったら,そしたら器械体操(ができるって書いた)たぶん履歴書のやっを 見て,(中略)ジャージ持ってきてくださいって言われて行ったんですよ。そ

したら前転後転やらされて倒立前転とかいきなりやらされて,跳び箱とかやら

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されて,そこそこできるので,なんかじゃあ子どものほうに(という感じで)。」

 っまりは就職部に事務での募集というかたちで掲示がなされ,履歴書を送っ たが,会社が履歴書を見て彼女をインストラクターとしての採用に変更した,

ということのようだ。山口は他2社(新卒派遣の会社と居酒屋を経営する会社)

からも内定を得たが,前者は社員や一緒に試験を受けにいった人たちを見て自 分とは雰囲気があわないと感じたため辞退し,後者は「体育大学卒業して居酒 屋行くっていうのもなんか恥ずかしいよな」って思ったため辞退した。就職を 決めた会社での仕事は,当初の希望だった事務ではなく,「考えていなかった」

体を使った業務だが,彼女はとりあえず3年頑張るという決意を話してくれた。

 3)進路未定のまま卒業する窪田千秋13)

 窪田は,私立の理工系大学の生物工学系学部で「唯一学科」,そして最近設 立された・「新設学科」の一期生である14)。彼女は高校3年次には薬剤師になる ことを希望していたが,関連の大学が不合格となり,この大学に入学した。大 学3年次のインタビューで彼女は,進路について次のように話していた。

 「ちょっと(事務系)公務員を目指そうかなと。まあ遅いって話なんですけ ど(笑)。(中略)学校の就活ガイダンスで公務員の話が出て,それからちょっ と考えるようになった。一般企業行きたいところがなかったんで,とりあえず やってみようかなって。でもまだそれも決定じゃないんですけど。」

 「決定じゃないんですけど」と話しているように,民間企業への就職活動も 視野に入れていたが,いずれにしても不安材料として,卒業後の見通しを与え てくれる先輩やOBがいないことを窪田はあげていた。

 今回のインタビューで窪田は,公務員試験を受けたが不合格になったと話し

てくれた。一方で彼女は民間企業への就職活動もおこなっていた。就職支援サ

イトで見っけた情報から,会社説明会に参加しだしたのが2005年(3年次)12

月頃。数としては10社以下だったという。実際に試験を受けたのは,2006年

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(3年次)3月に着物販売会社,4年次になってからの5月か6月頃に針金な どを製造する会社,9月頃に物質の成分を調べるための測定器を製造する会社 である。確かに数として多くはないが,工学系の学生はそもそも社会科学系の 学生よりも接触企業の数が少なく,3社という数は極端に少ないわけではな

い15)。しかし彼女は一っも内定を得ることができなかった。こうした状況のな か,彼女は次のように思ったという。

 「なんかもう面倒くさくなっちゃって,〔けっこう疲れた?〕そうですね。

もう何をしていいかわからなくて(中略)あなたここでどんなことができます かって言われて,何ができるんだろうって。」

 所属するゼミの教員が就職先を紹介してくれることもあっ,たが,「製造業ばっ かな感じで,全部総合職で転勤とかある」ということを理由に,それを受ける

ことはなかった。そして窪田は就職活動を「降りる」。「世間では就職楽勝とかっ ていうけど」というこちらの質問に彼女は,次のように話している。

 「私自身はそんな感じって無かったんですけど,でもまわり見てるとやっぱ みんな結構早く決まってたので。ちゃんともう,やりたいこととか決まってる 子っていうのは早かったですね。」

 このように彼女は自分の「やりたいこと」のなさが「失敗」の原因になった と考えている。そして大学卒業後は,ゼミの教員に紹介された専門学校での実 験助手かゼミの教員の助手(いずれもアルバイト),もしくは在学中ずっとア ルバイトをしていた掃除会社で事務員兼作業員というかたちで正社員として働

くかもしれないという。

 4)進路変更して進学することを決めた川辺聡子

 川辺は,獣医資格の取得ができる大学を目指したが不合格となり,私立理系

大学の動物関連の「唯一学科」であり「新設学科」の二期生として入学した。

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動物に関わる仕事にっきたいという気持ちを持っていたこともあり,動物看護 師やドッグトレーナー,学芸員の資格取得の授業などにも積極的に参加してい た。大学3年次のインタビューで彼女は,卒業後に動物園か動物関連の研究所 に就職したいという希望を話していた。また川辺は,窪田と同じように卒業後 の見通しを与えてくれる先輩などがいないことの不安,そして動物に関わる職 業が少ないことの不安を話してもいた。

 今回のインタビューで川辺は,これまで在籍してきた大学の大学院(修士課 程)に進学することを決めていた。理系大学生の大学院進学自体は決して珍し くない。だが大学3年次インタビューで彼女は,「大学院に入らないといけな いとかあるかな?」という質問に「特にないです」と答えていた。就職支援サ イトの登録時期,会社説明会の参加時期などは確認できなかったが,エントリー

シートを最初に提出したのは2006年(3年次)の3月頃である。業種を絞るこ とはせず,事務職でエントリーしていた。その後,6社にエントリーシートを 提出したが,それ以降の選考に進むことはできなかった。彼女はその理由をエ

ントリーシートにおける自己PRの失敗と考えている。川辺は次のように話し

ている。

 「なんかインタビューシートで蹟いちゃうっていう感じで。(中略)6社の あとも出そうかなと思ったんですけど,書いてみてこれでいいのかなとか…。

(中略)ちょっと嫌な気分になっちゃった。〔じゃあ,また出そうっていう気持 ちにはあまりならなかった?〕そう。」

 そして川辺は,2006年(4年次)の7月頃に進路変更し,9月に入学試験を 受けて合格し,進学を決めた。彼女は進路変更の理由として卒業論文が面白く

なってきたことをあげているが,就職活動が決して順調ではなかったという背 景もあった。また川辺の姉は私立大学理系の大学院生であり,姉の存在が彼女

の進路変更を後押ししたこともあると思われる。進学を決断するときは学費の 話をする必要もあって両親に相談したが,民間企業への就職活動をしている時

は,両親を含めてほとんど周囲には相談しなかったという。

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 5)小括

 本節では,民間企業に就職することを希望した原島,山口,窪田,川辺の4 人の就職活動を,以前におこなったインタビューもまじえながら明らかにして

きた。

 まず,全体から見えてくるのは,一般的に想定されている就職活動スケジュー ル16)と大きく異なっており,個人差が大きいということである。原島は2006年

(3年次)1月あたりに就職活動を開始し,3月にダイレクトメールを送って きた会社から内定を得,3年次のうちに早々に就職活動を終了している。同じ 就職決定者であっても山口は2006年(4年次)12月に部活動を引退,年を明け てようやく活動を始め,2007年(4年次)の卒業直前に内定を得ている。また 内定を得ることができなかった者たちを見ても,窪田は会社説明会に参加しだ

したのが2005年(3年次)12月。そして彼女は2006年(4年次)9月まで活動 し,また4年生になってからは同時並行的に公務員試験も受験している。川辺 の就職支援サイトの登録時期,会社説明会の参加時期などは確認できながった が,エントリーシート提出が2006年(3月),その後6社にエントリーシート を提出したが次の選考に進むことができず,2006年(4年次)7月に進路変更,

9月に大学院試験を受けている。このような個人差の大きさは,一般的に想定 されている就職活動スケジュールとはなにかという問いを提起しているように も思われる。また就職決定者を見るかぎり,「早く」「たくさん」活動していた からこそ内定を得たとはいえない。

 もちろんこうした全体に関すること以外にも,指摘できる点がいくっかある。

まず原島と山口を見ていこう。原島は電気設備の施工管理をする会社に就職が

決まり,山口はフィットネスクラブを運営する会社に就職を決めた。二人が内

定を得たのは,原島が電気設備の施工管理をする会社の業務と直接的に関連す

る理工系大学学生であること,山口はフィットネスクラブを運営する会社の業

務と直接的に関連する体育大学の学生だということが,深く関係していると思

われる。だが山口はその会社に事務職として就職することを希望していたにも

かかわらず,インストラクターで採用された。彼女にとっては予想外のことで

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あった。しかし彼女がこの募集を大学の掲示板で知ったということを含め,こ れは体育大学からフィットネスクラブのインストラクターのような,身体技能 が必要とされる職種へという強い経路があることを示しているだろう。また二 人が体育系の部活動経験者であることも重要である。かねてから体育系部活動 経験者には特別のリクルーター制度やOB訪問制度といった独自の経路がある

ことは指摘されてきたが(安田[1999:91−2]),原島と山口はこうした独自経 路を経由して内定を得たわけではない。しかしながら企業側が新規大卒者採用 時に重視する評価基準として「熱意・意欲」「健康・体力」「協調性・バランス 感覚」をあげている現状を考えると(永野[2004:51]),原島や山口の就職決 定とこの評価基準がなんらかの連関を持っているように思われる。実際原島は 面接の様子を次のように話している。「もうそれ(部活動経験)が武器でした ね。それ中心に少し嘘を言ったり,大げさに言ったりしました(笑)。」

 次に理系という点から,原島窪田,そして川辺を見ていこう。これまで理 系は文系に比べて有利,端的には「就職に強い」とされてきた。これは大学の 研究室と企業の間に人的ネットワークがあり,大学教員が学生を推薦するといっ

た研究室経由の就職という経路が一定程度確保されていたためである。だが原 島や川辺の就職活動には,研究室経由の就職といった話がまったく出てこなかっ た。窪田だけは教員から推薦の打診を受けているが,彼女は断っている。窪田 はその理由を「製造業ばっかな感じで,全部総合職で転勤とかある」と話して いる。ここから浮かびあがるのは,理系の「就職に強い」研究室経由の就職と は,基本的に男性・総合職を想定したトラックではないのかということである。

 最後に内定を得ることができなかった窪田と川辺を見てみると,窪田の場合

は,先述したこと以外では民間企業への就職か公務員試験受験かを絞って活動

することができなかったことが,「苦戦」の背景にあったと思われる。一方川

辺の場合は,早い時期から動物園や動物関連の研究所で働きたいと「やりたい

こと」は明確であったが,動物関連の仕事は少なく,結果的に業種を絞らずに

事務職でエントリーしていた。だが内定を得ることができず,動物に関わりた

いという気持ちを大事にした結果,大学院進学へと進路希望を変更することに

なった。就職活動のマニュアル本などは「やりたいこと」の明確化を含む自己

(11)

分析の重要性を主張することが多い。だが川辺の場合は「やりたいこと」が明 確であり,それを大事にしたいという気持ちを持っていたことが就職活動の

「苦戦」と進路変更へと繋がったといえるであろう。

3 専門的職業への就職を希望した者たち

 本節では,専門的職業への就職を希望した者たちの就職活動を見ていく。民 間企業に就職することを希望した者たちとの大きな違いは,実習や資格試験,

採用試験が就職活動のなかで重要な位置を占めるという点であり,また職種と 関連した独自の入職経路や労働市場があるということである。本節で取りあげ るのは,教員免許状と精神保健福祉士という免許・資格を取得した上での就業 をめざしている者たちである。

 1)福祉施設に就職が決まった川本裕

 川本は私立大学の福祉系学科に進学した。大学生活では,一年生のときから

「子ども電話相談」のボランティアや「自閉症の子とかと遊ぶボランティア」,

大学祭の実行委員も担ってきた。また大学の教員が会長を務める学会へ参加し,

教員に名前をおぼえられるなど,学業も活発に過ごしてきた。入学当初におけ る将来展望は,「子ども関係」の仕事。しかし,川本がビッグイベントと位置 づけているある教員との出会いをきっかけに,当初は取るっもりのなかった精 神保健福祉士の資格取得を目指すことになった。また,精神保健福祉士の資格 取得のための単位にとどまらず,保育士資格試験を受験するのに必要な単位も 取得している。そして2007年(4年次)の2月には無事に精神保健福祉士の国 家試験に合格した。

 川本の所属する学科の学生の多くは,民間企業への就職も視野に入れていた

という。そのなかにあって福祉系の就職を志望していた川本は,「内心,やっ

ぱりみんなが就職活動してるので,ちょっと焦って」いたと話している。けれ

ども,「もともと4月から就職しなくてもいいのかな」といい,「焦り」を感じ

させない発言もあった。その背景には伯母が経営している印刷関係の仕事をこ

れまでもアルバイトで手伝ってきたことがあり,「そういうので食べていけな

(12)

くはないんですね」と話すように,必ず就職しなければならないという制約が 弱かったこともあり,とりあえずは実習と資格試験に集中することができた。

 まず実習が2006年(4年次)7月頃にあった。最初に病院に2週間,その後 精神科クリニックのデイケアで2週間,計4週間の実習だった。「一番嫌だっ

たなとか辛かったっていう実習先」は後者のクリニックのデイケアで,その実 習が「ほんとに辛かった」という。理由は,デイケアや自立支援施設では利用 者の症状やその悪化に直面するだけでなく,「家族の関係であったりとか,ご 本人の問題,例えば服薬の問題であったりとか,金銭面の問題」などに直面し,

それらへの距離の取り方など「どう対応していいのか」が分からなかったこと にあるという。そして実習先では,そのような「きっい時にどういう対応をす るのかなっていうようなのを,何ていうか,分からせるようなプログラム(中 略)を組んでやってくれた」という。そのプログラムが川本に非常によい経験

となったようで,その時の実習指導者とは実習後も良好な関係を築いている。

その後は,「だいたい実習が終わるとみんな放心状態が続くので,そうすると,

(就職活動は)3ヶ月ぐらい明けた後」にはじめたという。そして4年次の10 月にゼミの先輩の紹介を受けて,先輩が勤める実家近くの病院に見学へいった。

しかし,実際に動き出したのは1月末の「国家資格終わってから」だという。

このように年明けの国家試験終了後に本格的に動き出すという彼のスケジュー ルは,民間企業のみをめざす学生,あるいは資格取得と平行して就職活動する 学生とは大きく異なっている。

 今回のインタビュー時には卒業後に障害者自立支援施設で働くことが決まっ ていたが17),実際にこり就職先が決まったのは,2007年(4年次)の3月上旬,

私たちのインタビューの2週間前だった。最初からこの施設と決めていたわけ ではない。当初は先述の先輩が勤める病院でメディカル・ソーシャルワーカー

として働く予定だったが,病院の中で「いろいろあった」ことを理由に先輩が 病院を辞めてしまい,結果として彼の就職も無くなってしまったのである。3 月2日のことだった。すぐに川本はゼミの教員に報告しにいき,数日後にその 教員から「じゃあしばらく俺のとこに来い」と自分が理事を務める施設を紹介

され,わずか数日で別の就職先を得た。教員から就職先を紹介されたことにっ

(13)

いて彼は,次のように話している。

 「やっぱりうれしかったのは,先生がいい人がいれば取りますよってお話は ずっとされてたんですね。で,僕を入れて3人目だってお話なんですね,大学 から取った人は。(中略)うちの研究室から取ったのはちょうど僕を入れて2 人目だっていうお話なので,やっぱりそれだけでもちょっと嬉しかったってい

うのも(決めた理由として)確かにあった。」

 そこに就職を決あた理由は,紹介されたことの嬉しさにくわえて,先述した 通り施設は病院よりも「苦手だなと思ってた分野」だったので,それを「克服 したいなっていうのもある」という。このように川本の就職に決定的な役割を 果たしたのは,大学の就職部や就職支援サイトではなく,彼が大学生活のなか で信頼関係を築いてきた大学教員の存在であった。周囲の就職状況を見て彼も 次のように話している。

 「やっぱりみんな就職が今年決まらないことが多いんですね。(中略)僕が 知っているだけでも半分いってないのかな。ただ僕の場合はこう,なんかうま

く引っ張ってもらったので,お勤めが決まったんですけど。」

 2)非常勤講師をしながら教員をめざす木村ちはる

 木村は私立の体育大学に進学した。小学校からバスケットボールをはじめて,

中高,そして大学でバスケットボール部に所属し活動してきた。大学生活は部 活動を中心にすごしている。就きたい職業にっいては高校三年生のときから教 員などの体育関係の仕事をイメージしていた。大学3年次には高校の体育科教 員をめざす思いはほぼ固まっていた。また高校時代の体育教員や中学校時代の 担任,部活の顧問とたびたび会うなど,卒業後も良好な関係を築いている。

 大学入学後,教員への思いを支えていたのは,中高時代の教員や「体育大に 行ったからには,免許取って,教員になれるって。(だから)免許は絶対とれ」

という母親の存在,そして3年生になってから教職関係の授業が多くなったこ

(14)

とがある。3年次には,教員採用試験に「たぶん一発では受からない」かもし れず,「もし駄目なら,スポーッジムとかで,インストラクターとかやりなが

ら,勉強して,やっぱり,ちゃんと体育の先生になりたい」と,試験に受から ない場合も視野に入れた将来展望も話していた。

 4年次の春頃,中学校の担任で部活の顧問でもあった教員から「アルバイト みたいな感じで,教師になりたいならいい経験になるから」と声がかかり,身 障学級の補助員をはじめている。教育実習期間中を除き大学の授業がない日に 限って,週に2日ほど中学校に通っていた。11月に部活を引退したあとは週3

日ほどの頻度で通いっづけている。「補助教員なんですけど,先生って呼ばれ るんですよ,先生,先生って」と話しているように,この経験が教員という職 業に「いいな」という思いを強くさせたようだ。

 教育実習先は出身高校をえらんだ。その理由は「高校にすれば,母校に教育 実習に行けるので,中学だと,選べない」からだという。母校であるA高校の 体育教員とは大学入学後も良好な関係を保っており,そのことが実習先の選択

にも大きく作用していた。良好な関係だったことは,彼女が次のように「心配」

にっいて話すところからもわかる。「好きな先生だから怒られるのが心配です。

先輩に聞いたら,結構怒られたて言ってて,結構泣かされたって。それが怖い ですね。(中略)本当にそれが嫌なんです。すごいすごい,好きな先生だから一

(笑)。」5月の終わりから3週間の実習中は,毎日4時間「びっしり」で1年 生と2年生,そして3年生の選択の全クラスをみて,一時間毎が全部違う内容

で,保健の授業もやって,「次の日の指導案とかをその日に書かなくちゃいけ なかった」ので「ほんと緊張して,すごい大変」だったという。実習前には,

教員という将来展望にっいて「実習に行って,また変わるかもしれません」と 話していたが,実習後には次のように話している。

 「すごいやっぱ高校がいいと思いました。(中略)高校生はほんと年齢も近 いし,一番言ったことを吸収してすぐ,すぐ出てくる,返ってくるから,何か,

自分も教えがいがあるって感じで。(中略)大変だったけど,すごい一番いい

経験ができたかな。すごいよかったです。」

(15)

 周囲の就職活動の状況は,「全然体育と関係ないとことか就職したり,スポー ツジムとか,〔インストラクターとか?〕うん,あとフリースクールみたいな とことか,不登校の子とかが通う学校みたいな,でも株式会社みたいな,そう いうところ」を志望している人が多いという。その中で木村は,夏に教員採用 試験を受験したが合格することができず,卒業後すぐに正規採用の教員になる

という希望はかなわなかった。「友達とか周りがどんどん就職決まってって,

すごい焦ってき」たというが,補助員をする中学校で現職の教員たちから次の ように励まされてもいる。

 「(中学校に)行って来て,先生とかに,すごい先のことがぜんぜん不安な んですけど,とか言ったら,そしたらぜんぜん教員はあと2・3年後がまたど んどん辞めていくから,入りやすくなるからそんな慌てなくていいんだ,みた いな感じで言われて。」

 「一番良い道は,教採に受かること?

木村は次のように答えている。

それとも非常勤?」という問いに,

 「はい。私,先に非常勤の方が近道だと思うんです。非常勤とか時間講師と か,ずっと何年かしてると,教採の筆記が免除になるらしくて。そうなるとい きなり,いきなり教採受かって,すぐ先生になるよりも,そういう経験積んでっ て,しかも筆記試験もやんなくてよくなるのがいいかなって思うんですよね。

そっちの方がいいと思って。何時間かやると,あるらしくて。〔じゃあ,まず は非常勤?〕まずは非常勤。」

 彼女自身は,「あんまり自信ない」教員採用試験というハードルがあるもの の,母校の教員たちやアルバイト先の中学校の教員たちに励まされながら,

「(非常勤教員を)やりながらまた勉強して,何回か目で受かればいいな」とい

う展望を持っている18)。

(16)

 3)教員免許取得ができなかった下田洋平

 下田は私立大学の経済学部に推薦で入学した。彼の家庭は大学1年次までは 生活保護と医療保険でくらしていた。というのも,父親が12歳の時に脳梗塞で たおれ,働けない状態が続いていたことによる。その父親は1年次の12月に亡

くなっており,それ以後パートで働く母親と二人で暮らしている。学費は,

「大学に行けない経済状況があって,まあ奨学金で自分で払っていくのはあた りまえ」と考えていた。日本学生支援機構と自治体からの貸与奨学金をもとに 学生生活をおくっていた。このように経済状態が苦しい中で,社会科の「教職 免許を取りたい」と希望し進学した。彼にとってモデルとなったのは,中学時 代の社会科教員だという。入学してからは,学園祭で教育や平和の問題などに ついて調べて発表するサークルに参加し,3年次には副部長を務めた。彼は入 学以来一貫して中学の社会科教員になることを目指していた。3年次のインタ

ビューでは,「社会は倍率が高くて,今年は(中略),やっぱり地歴だと,修士 とか院生の人が多くて,専門家がほしいみたい」と厳しさを認識しており,今 後の大きな課題として教員採用試験を挙げ,次のように話している。

 「試験が山場です。去年(3年生)の4月ぐらいから,(採用試験の勉強を)

ちょっとずっやりはじめて。11月頃に本格的になって。今までもそうやってやっ てきてます。すこしといってもほんと30分くらいなんですが。論文とか一般教 養とか専門教養とか,社会科なら社会の専門知識とかが必要になってます。」

 下田は3年次春から試験準備を始めるほどに教職を明確に志望していたが,

教員採用試験以前に教育実習ができないというトラブルに見まわれていた。彼 の説明によれば,3年次7月に実習希望先の教育委員会に一回目の申請をした が受け入れてもらえず,二回目の申請を再度12月にした。そして年が明けた 2006年(4年次)の4月,大学から連絡があり,「許可が出なかった」という。

理由は「定員らしいんですけど,いっぱいですみたいな」。「最近教員志望の人

が多くなって,受けいれづらくなりっっあるという話」だった。

(17)

 下田は二回とも中学校での教育実習を希望しており,ともに彼が住む自治体 の教育委員会に申請をだしていた。というのも,中学校の教員をめざしていた 彼は,実習先も「できるだけ中学校じゃないと,まあ高校でもいけるみたいな んですけど,できるだけ中学校の方が」と考えてのことだった。また,教育委 員会に受けいれてもらうには「先生とか知ってれば何とかなったかもしれないっ て話があったんですけど,でもちょっと知ってる先生みんな(母校の中学校か

ら)いなくなってしまって,連絡先ちょっと押さえてなかったのがまずかった んですけど」と話している。モデルとして見ていた中学時代の教員への相談も

「連絡先ちょっと(わからなくなって),離れちゃったんで,できなかった」と

いう。

 その後,「他の私立の学校,高校とか中学とかにッテがないところにも当たっ たりとかもしたりして,(中略)それでもダメだった」という。4年次4月の 時点で再度教育実習にいくためには,「留年とかしてできるとは言われたんで すけど(中略)約90万ぐらい一年間でかかってしまうんで(中略)ちょっと経 済的に厳しくなってしま」うので留年を選ぶことはできなかった。

 「もうこれは打っ手ないなっていう感じ」で,5月の連休明けに「決意して」

民間企業への就職へ急遽方向転換をした。だが,一ヶ月後の6月には「やっぱ りしっくりこないっていうか,自分に嘘をっいているっていうような感じ」が して,「何かこう,近所の子どもたちとかにたまに勉強教える機会もあるんで すけども,やっぱこういうのがしっくりくるな,みたいなのがあったりして」

もう一度教員を目指すことを決意した。その時の見通しは,一度現在の大学を 卒業し,春から通信制の大学で科目等履修生として教育実習を申請し,2年ほ

どかけて教員免許を取るという計画だった。しかし,その後,卒業が近くなり ある大学の通信制の窓口に相談にいった際,「ちゃんと卒業してもらわないと,

みたいな感じで,なので3年から入ってくださいと普通に」言われ,そこでは じめて実習は正課生としての学籍がないとできないと知って「ちょっとショッ ク」だったという。この場合,学士で編入しても卒業のために60から70単位を 再度取得しなければならない。

 卒業後は塾講師のアルバイトをしながら,通信制なら「2年間で20万か30万

(18)

ぐらいなんで」,そこに学士入学し,教育実習を受ける予定だという。「モチベー

ションを保っためにどうする?」というこちらの問いに,彼は次のように答え

ている。

 「塾講もそれのためのもあるんですけども,できるだけ人に関わって,人と 接していくことが大事かなという。一番良いのは同じ進路を目指している人が 近くにいれば。」

 4)小活

 本節では,専門的職業への就職を希望する川本,木村,下田の3名の姿を見 てきた。3人に共通しているのは,強弱の差はあるが就業と結びっいた資格や 免許の取得が就職活動の前提になっているという点であった。

 精神保健福祉士は国家資格ではあるが業種独占ではなく名称独占資格である ため,医師や看護師などとは異なり,特定の労働市場との結びっきは弱いとい う特徴を持っている。そのため,資格を取得したとしても就業への見通しは一 定程度不透明とならざるをえない。川本の場合は先輩が勤める病院への就職が 突如無くなってしまったが,すぐに大学教員に相談することにより,新たな就 職先を見っけることができた。これは単に運不運の問題ではなく,川本が「す ごい」と尊敬する教員と信頼関係を築いていたから可能になったことであり,

このことが就職へと結びっいていた。

 一方,教員免許は明らかに特定の労働市場を持ち,結びっきは強いが,需要 供給バランスでは依然として買い手市場であり19),就職状況は厳しい。採用試 験に合格しない場合は卒業後に不安定な雇用形態におかれる若者も少なくない。

教員をめざしている木村と下田は,異なる理由ではあるが,ともに当初の希望

通りに進路を決めることはできなかった。木村の場合は依然として高い倍率の

教員採用試験に合格できなかった2°)。しかし,卒業後は不安定ではあるが周囲

の人間関係に支えられて将来の展望をどうにかきりひらこうとしている。彼女

の持っ展望は,中学校時代の教員や高校時代の教員との良好な関係から得た情

報をたよりに,まずは非常勤教員として働きながら,その非常勤の実績による

(19)

正規雇用の教員への登用というルートである。教員採用試験採用者のうち非正 規での教職経験がある者は多く,この意味で彼女が思いえがくルートは,正規 雇用の教員への一般的ルートともいえる。しかし,一般的ではあっても,非常 勤講師から正規雇用の教員への登用というルートが制度的に保障されているわ

けではなく不安定性・不確実性は否定できない21)。

 下田はそもそも教員免許取得自体ができなかった。中学校の社会科教員への 強い希望をもちながらも,モデルとして見ていた教員とも連絡がっかない状況 で,困難に遭遇した時に相談するなど頼りにできる関係を持っていなかった。

4年次の4月の時点で,留年という選択肢もあったが,厳しい経済状況の中で さらなる経済的負荷をさけるためにその選択肢はあきらめざるをえなかった。

そこで民間企業の就職へと一旦方向転換したものの,教員への夢をあきらめき れず,再度教職志望に回帰した。それは通信制大学で科目等履修生として経済 的負荷が比較的軽いかたちで教員免許を取得できると考えてのことだった。そ の際にもだれかに相談した様子はなかった。そして卒業直前になって,学士入 学しなければ免許を取得できないことが明らかになった。卒業後は通信制大学 へ学士入学し60単位ほどの履修をし教育実習へ行くつもりである。だが,この ように「教育実習」3単位が未取得の場合,その大学の卒業生22)であれば「教 育実習」を科目等履修生として履修することが可能な大学もあり,そうであれ ば下田のようなトラブルが発生したとしても彼のようなリスクの高いルートを 辿る必要はない。下田の大学では,一年間の学費を満額支払うか,支払わない のであれば他大学において学士入学し卒業所用単位すべてを取得しなければな いという選択肢しかなく,下田は大学の制度の不備に翻弄されたともいえよう。

 専門的職種の場合,しばしばその供給源が事務職・営業職等の民間一般職に

比べて限定されていることなどから,出身校の先輩後輩関係や教員などを通じ

た非公式の情報ルートやアドバイス等が重要な影響力を持っことが従来からあっ

た。それは我々のケースでも,確認された。川本にとっては尊敬する教員や実

習先の指導者であり,木村にとっては中高の教員たちであった。ともに,資格

取得から入職ルートに至るまでの具体的な情報やアドバイスを,それらの人び

とから個人的にえていた。だが下田の場合は逆に,志望のきっかけとなるモデ

(20)

ルであった中学校の教員とも連絡が取れず,また大学の教員職員などのアドバ イスも十分にえられた形跡がない。もとよりこのケースだけをもって,下田の 通う大学がそのような相談態勢を備えていなかったと即断することはできない。

しかし,通常であれば少なくとも教員免許取得までは大学教職課程のルーティ ンとして定式化されているはずのプロセスの一段階で,たまたま実習校が見っ けられなかったというちょっとしたトラブルに,対応すべき知識・経験もない ままに,一人で対処できずに立ち止まらざるをえなかったことが,その後の彼 の問題を深刻化させることになった。

4 おわりに

 本稿の課題は,大学生の就職活動,なかでも選抜性の低い大学の学生の就職 活動を,インタビュー調査をもとに明らかにすることであった。以下,これま での議論を整理し,今後の課題を示したい。

 まず明らかになったのは,「民間企業に就職することを希望した者たち」と

「専門的職業への就職を希望した者たち」では,就職活動のあり方や困難の現 れ方が大きく異なっているということである。前者には実習や試験といったス ケジュールを強く制約するものがないため,原島のように早々に活動を終わら せることも可能となり,山口のように卒業前ぎりぎりでの就職も可能になる。

だが一方で,窪田や川辺のように活動が思うように進まない者にとっては,な にを,いっまでに,どのようにすればいいのかが明確ではないため,思うよう に進んでいないことが自分のいたらなさとして意味づけられていた。一方,

「専門的職業への就職を希望した者たち」にとっては,資格や免許の取得が卒 業後に向けた活動の前提となっており,そのことがスケジュールに一定の見通 しを与え,活動を組織することに繋がっていた。困難の現れ方という点では,

精神保健福祉士の場合,名称独占資格のため,取得したとしても就業への見通 しが一定程度不透明になるということがある。業務独占資格である教員免許の 場合は,取得したとしても採用試験の倍率は高く,合格すること自体が困難で

あるという事情があった。マニュアル本や先行研究の多くは民間企業への就職

活動のみを想定しているが,このように専門的職業への活動はそれとは明らか

(21)

に異なったものである。もっとも先述したように,民間企業への就職活動のあ り方も個人差がきわめて大きい以上,3年次秋に就職支援サイトに登録し,秋 から冬に資料請求・企業説明会,次にエントリーシート提出,等々といった従 来の考え方を標準と見なすことがどの層を前提とし,それによっていかなる層 の動きが見えなくなっているかを再考する必要があるだろう。

 次に,大学における就職支援という実践的課題にっいて述べておきたい。7 人の活動過程からは,大学の就職部の姿がほとんど見えなかった。就職活動を

「降りた」窪田の話には就職部の話はまったく出てこない。彼女に必要だった 支援は,「なんかもう面倒くさくなっちゃって,(中略)もう何をしていいかわ からなくて(中略)あなたここでどんなことできますかって言われて」落ちこ んだ時ではなかったのだろうか。川辺と就職部との接触はただ「エントリーシー

トの書き方」を教わったときだけである。一方,就職を決めた原島の話にも出 てきていない。山口は就職部の掲示板にあった募集を見て応募し,結果的に就 職を決めたが,最初に相談に行ったとき,就職部職員に「すごく怒られました」

と話している。そして彼女は学外の友人に頼ることで就職活動に取り組むこと ができた。川本は大学教員の紹介によって就職することができたが,それはあ くまで彼と教員との個人的な信頼関係があったからである。在籍する大学の誰 もが原則的に利用できる資源ではないことに留意すべきだろう。木村にとって 支えとなっていたのは,中高時代の教員であった。また下田は教育実習のトラ

ブル時には実習先を自分で探し歩いている。そして結局あきらめて民間企業へ の就職活動をおこなうものの一ヵ月後にやめ,進路未定のまま卒業することに

なった。

 「就職氷河期」以降,各大学は積極的に就職支援をおこなってきたとされて いる23)。7人の通う大学もおそらく積極的に取り組んでいるのだろう。しかし,

それでも就職部の姿が見えてこないということは,大学側が用意する支援が彼

ら彼女らの就職活動の資源とはならないような構造的なずれがあるのかもしれ

ない。本稿の議論からいえるのは,こうした課題に応えるためには,先行研究

の多くが依拠し,導いてきた知見を問いなおすという先に指摘したことが重要

となるだろう。端的に述べるならば,〈学校から仕事へ〉の移行のあり方が多

(22)

様であることを前提にしたうえで,就職活動研究・支援をおこなう必要がある

のである24)。

 最後に,本稿執筆者は,2003年3月に高校を卒業した若者数十人を経年的に インタビュー調査してきている共同研究の一員である。調査は現在も継続して おり,本稿で取りあげた彼ら彼女らが卒業後にどのような道を歩んでいるのか を引き続き追っていく予定である。また2008年3月卒業予定の大学生も2人お

り,その者たちの動向を明らかにすることで,本稿でおこなった分析も異なっ た視点から捉えなおすことができるかもしれない。

文献

平沢和司・濱中義隆・大島真夫・小山治・苅谷剛彦,2005,「大学から職業へ」(『日本

  教育社会学会大会発表要旨集録』57)。

堀有喜衣,2005,「支援機関としての学校」(小杉礼子編著「フリーターとニート」勤草

  書房)。

居神浩・三宅義和・遠藤竜馬・松本恵美・中山一郎・畑秀和,2005,『大卒フリーター   問題を考える」ミネルヴァ書房。

乾彰夫・上間陽子・木戸口正宏・椎林美樹・杉田真衣・竹石聖子・西村貴之・宮島基・

  芳澤拓也・渡辺大輔,2003,「「世界都市」東京における若者の〈学校から雇用へ〉

  の移行過程に関する研究」(東京都立大学教育学研究室『教育科学研究』20)。

乾彰夫・新井清二・有川碧・杉田真衣・竹石聖子・西村貴之・藤井吉祥・宮島基・渡辺   大輔,2005,「 高校卒業1年目 を生きぬく若者たち」(東京都立大学人文学部

  『人文学報』359)。

乾彰夫編・東京都立大学「高卒者の進路動向に関する調査」グループ,2006,『18歳の

  今を生きぬく』大月書店。

乾彰夫・安達眸・有川碧・遠藤康裕・大岸正樹・児島功和・杉田真衣・西村貴之・藤井   吉祥・宮島基・渡辺大輔,2007,「明日を模索する若者たち:高卒3年目の分岐」

  (首都大学東京都市教養学部人文・社会系/東京都立大学人文学部教育学研究室『教

  育科学研究』22)。

小杉礼子編,2007,「大学生の就職とキャリア』勤草書房。

厚生労働省,2007,『平成18年人口動態統計月報年計(概数)の概況」。

文部科学省,2007,『平成19年度学校基本調査速報』。

文部科学省,2006,「平成18年度公立学校教員採用選考試験の実施状況にっいて(概要)」。

(23)

永野仁編著,2004,『大学生の就職と採用』中央経済社。

大久保幸夫編著,2002,『新卒無業」東洋経済新報社。

リクルートワークス研究所,2006,「第23回ワークス大卒求人倍率調査』。

労働政策研究・研修機構,2006,『大学生の就職・募集採用活動等実態調査結果H』。

労働政策研究・研修機構2007,『大学生と就職』。

東京都教育委員会,2006,『平成18年度東京都公立学校教員採用候補者選考の実施状況』。

安田雪,1999,『大学生の就職活動』中央公論新社。

1)「大学」「大学生」「大卒者」と書くとき,特に断らないかぎり4年制大学やその学   生,卒業者を表すこととする。

2)リクルートワークス研究所(2006)を参照。

3)リクルートワークス研究所(2006)を参照。

4)文部科学省(2007)より,卒業者559083人に対する「左記以外の者」69294人の割   合を計算。ただし「左記以外の者」には,「死亡・不詳の者」は含まれていないこ   とに留意する必要がある。「死亡・不詳の者」は12499人いるが,厚生労働省(2007)

  のデータによれば,大卒者年齢の最頻値と考えられる20〜24歳の死亡者数は3168人   であり,この点を考えると「死亡・不詳の者」の多くが「不詳の者」であろう。こ   のなかにもかなりの「左記以外の者」の該当者がいると思われる。

5) 〈学校から仕事へ〉という移行研究の多くが,高校生の〈学校から仕事へ〉を対象   としているように思われる。だが高卒者の約5割が大学に進学している現在,「ノ   ンエリート高等教育」(居神ら[2005])機関としての大学における移行問題を考え   ることは,重要な意味を持っのではないだろうか。

6)その成果は,乾・上間・木戸口・椎林・杉田・竹石・西村・宮島・芳澤・渡辺(2003),

  乾・新井・有川・杉田・竹石・西村・藤井・宮島・渡辺(2005),乾編・東京都立大   学「高卒者の進路動向に関する調査」グループ(2006),乾・安達・有川・遠藤・

  大岸・児島・杉田・西村・藤井・宮島・渡辺(2007)にまとめられている。

7)インタビューは本稿執筆者を含む,安達眸,杉田真衣,西堀涼子,西村貴之,藤井   吉祥,宮島基,渡辺大輔によっておこなわれた。なお私立大学の外国語学部に入学   した桑田泰宏にもインタビューをおこなったが,彼が就職活動をおこなわなかった   ため,今回は取りあげなかった。

8)1回目インタビューは大学1年次,2回目は大学3年次の時におこなった。分析結   果は2005年,2006年,2007年に発表したものに収あられており,1回目については,

  有川碧・杉田真衣・藤井吉祥「大学進学者の進路選択の背景とその構造」(2005),

  西村貴之「思わぬワンランクァップとしての大学進学」(2006),2回目にっいては,

  児島功和「大学進学者の学校生活とその構造」(2007)を参照。

(24)

9)労働政策研究・研修機構(2006)のp27を参照。

10)選抜性の低い大学の学生の就職活動を分析したものは多くないが,先述したもの以   外では平沢ら(2005)が重要であろう。

11)なお前述の労働政策研究・研修機構の調査報告では,学生の就職活動にっいては民   間企業に主として限定されており,教員や福祉職などの専門職系は分析から除かれ   ている。その意味で,これらの専門職系をカバーしている点も,本稿のもっ意義の

  一っといえる。

12)「少し遅い」とは,工学系学生の高い割合が2006年(3年次)1月以前に就職支援   サイトに登録しているということである。労働政策研究・研修機構(2006)のp51   を参照。

13)すぐ後で明らかにするように,窪田は公務員試験を受けており,民間企業への就職   だけを希望していたわけではない。だが卒業後に再び公務員を目指す気持ちがない   ことも考慮し,「民間企業への就職を希望した者たち」というカテゴリーに分類し

  た。

14)「唯一学科」とは,近年増加している「全国で唯一の学科」ということである。詳   細は,乾・新井・有川・杉田・竹石・西村・藤井・宮島・渡辺(2005)のp106−7   を参照。「新設学科」と括弧で括ったのは,「唯一学科」に進学した調査対象者が先   輩やOBの不在に悩んでいたことを強調するために,入学後2回目インタビュー分   析で用いたことを受けている。乾・安達・有川・遠藤・大岸・児島・杉田・西村・

  藤井・宮島・渡辺(2007)のp83−4とp88の注14を参照。

15)労働政策研究・研修機構(2006)のp52によれば,工学系の学生の場合,3社とい   う者は12%,0〜3社を合わせると約45%になる。

16)①就職支援サイトへの登録②資料請求③企業説明会への出席・エントリーシートの   提出,等など。労働政策研究・研修機構(2006)のp45によれば,①②③の月別に   見て最も多くの者がおこなった害1」合は,①が3年次10月,②が3年次10月から12月,

  ③が3年次2月である。

17)「今度の仕事とその資格は繋がっている?」という問いには,「はい,そうです」と   答えたが,「そういう資格持っていることが条件?」と更に聞くと,「いや,そうで   もないですね。なんか精神保健福祉士の領域っていうと,もともと持っていなくて   もなれるはなれるんですね。(中略)だけどやっぱり持ってた方が望ましいという   感じですよね」と答えている。精神保健福祉士は業務独占資格ではなく名称独占資   格である。したがって特定の職種と強くむすびっいているわけではない。しかし,

  障害者自立支援法では,「相談援助」する者を配置することが記されており,彼の   就職先は,精神保健福祉士・指導員・栄養士等の専門知識を持っスタッフが業務に   あたることをうたっており,資格と彼の就職先が全く関係がないとはいえない。

18)インタビューは卒業間近の3月上旬であったが,公立中学校などの非常勤講師は3

(25)

  月末から4月新学期開始前後にも少なくない募集・採用が例年あるため,彼女が卒   業直後から非常勤講師として教職に就ける可能性はまだ残されている。

19)中学校で1,1.7倍,高等学校で13.3倍。文部科学省「平成18年度公立学校教員採用選

  考試験の実施状況にっいて(概要)」(2006)を参照。

20)東京都の公立学校中高の保健体育の倍率は15.7倍だった。東京都教育委員会「平成   18年度東京都公立学校教員採用候補者選考の実施状況」(2006)を参照。

21)この数年間の「公立学校教員採用選考試験の実施状況にっいて」(文部科学省)を   みると,採用者に占める新規学卒者の比率は平成5年の50%台をピークに低下傾向   にあり,平成18年では26.0%となっている。また,採用者に占める非常勤講師や臨

  時採用などの教職経験者は53.1%となっている。

22)場合によってはそれに加え在学中に教職課程の少なくとも一部履修済みの者。

23)大久保(2002)の第3章に興味深いケースが載っている。近年の大学就職部による   就職支援の動向にっいては,労働政策研究・研修機構(2006)を参照。

24)この点で重要だと思われるのが,堀(2005)の論考である。また移行支援について

  のみ言及されているわけではないが,選抜性の低い大学のあり方にっいて包括的な

  議論と積極的な提言をおこなっているのが,居神ら(2005)である。

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