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        識字実践を中心に

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(1)

        識字実践を中心に

宮田 幸枝

はじめに

 「中国残留婦人」は,戦前植民地的支配という国策のもと「渡満」し,日本 政府の戦後処理の遅れから長年中国に残されてきた人々である。彼女たちは,

日本への帰国・定着,日本での自立の問題を抱えている。彼女たちの発生背景 を考えると,これらの問題は,戦後補償(1),戦後処理の問題であり,日本社会 が早急に解決しなければならない必須の課題といえよう。

 これまで「中国残留婦人」が抱える問題の解決に向けては,行政機関により 様々な支援活動が行われてきた。その活動としては,帰国援護,帰国後の生活

の保障,住民の援護,就職の促進,教育活動などがあげられる。その中でも教 育活動は,彼女たちの自立を支援する上で欠かせない。「中国残留婦人」の中 には,帰国後言葉や情報入手に不安を抱え,社会的に不利な状況におかれてい る人もいる。そのため,日本語学習などの教育活動の実施が求められてくる。

教育活動を前提として,彼女たちは単なる受け身の措置の対象ではなく,日本 社会の一員として自立し主体的に社会参加することが可能になるのである。

 しかし,これまで彼女たちへの教育活動は,「中国残留孤児」(2)へのそれがある 程度行われてきたとは対照的に遅れてきた。このことは,日本政府が,年齢の 差で「中国残留孤児」と「中国残留婦人」を区別し,事実関係を確認せず彼女 たちを「自分たちの意志で中国に残った」と判断してきたことに関連する。だ が,彼女たちは,決して自らの意思で残った訳ではない。彼女たちは,日本政 府の戦後処理の遅れから中国残留を余儀なくされたのである。その意味では,

日本政府がとってきた施策は,十分に説得性を備えた根拠があったとは言い難

(2)

い。

 そして,今日に至ってようやく,「中国残留婦人」12人の「強行帰国」(1993 年9月)を境に,受入れ拡大方針(1993年12月)が打ち出され,生活自立の支 援を国の「責務」で行うことを明記した「中国残留邦人等帰国促進・自立支援 法案」(1994年)が成立した。国の「責務」で行うとは,業務として生じた問 題に対応する形で支援を行うことである。この法案により,教育活動などの支 援活動が円滑に行われることになった。しかし,法案では,戦後補償として彼 女たちの発生背景に理解を寄せ,活動を行うことは示されていない。政府は,

いまだ彼女たちを国が置き去りにした人達ではなく,帰ってくるのが遅かった

「引き揚げ者」とみなしているのである。そして,「中国残留婦人」への対応を

「終戦直後の引き揚げ援護施策の延長線上」と位置づけている。しかし,「中国 残留婦人」問題は,戦後処理,戦後補償の側面から考え解決すべき問題である。

そのため彼女たちのもっ特別な事情を十分に酌んで支援していくべきである。

 では,教育活動としては,そのことに向け実践的にどのような課題を抱えて いるのか。本論では,その実践的課題を活動の現状を明らかにしながら考えて いきたい。日本の教育研究においては,「中国残留婦人」への教育活動の実態 は詳細に明らかにされてこなかった。彼女たちは,教育の対象,あるいは学習 の主体として十分位置づけられていない。今日,「中国残留婦人」問題の早急 な解決が求められているにもかかわらず,教育研究において,その問題はほと んど切り捨てられてきたのである。戦後処理,戦後補償の問題に十分取り組ん でこなかった教育研究の在り方が問い直される。以上のことから,ここでは,

まず「中国残留婦人」の発生経緯帰国状況を明らかにしたい。その次に,教 育活動が社会教育活動としてどのように行われているのかを明らかにし,その 問題点と課題について検討する。国・自治体による活動は,資料1が示すよう

に,帰国・受入援護→定着自立援護の順で行われている。資料1を見る限り,

「中国残留婦人」の教育・学習のたあの公的な専門機関はある程度整備されて いる。彼女たちの学習を学校教育が十分保障しえない現状にあっては,こうし た社会教育施設での学習は重要な意味を持っている。

 なお,教育活動の検討にあたっては,活動全体を見渡しっっ,識字実践を中

(3)

  資料1 「中国残留婦人」に対する教育・援護活動のフロチャート        帰国・受入援護       定着自立援護

[帰国輸送等の援護]     [受入援護]

特別引受入のあっせん

@帰国旅費等の支給

中国帰国者定着促進

@ センター

中国帰国者自立研修センター

@8ヵ月間の通所研修

「中国残留婦人」

2ヵ月間の基礎的な研修

搏坙{語,生活習慣等

攝カ活相談

◎日本語教室 搶A労相談指導

搆 流事業

定着自立

●自立指導員の派遣 恷ゥ立支援通訳の派遣 恟ч 健康相談

他省庁の施策

厚生省社会・援護局援護企画課中国残留孤児対策室編

『中国残留孤児及び中国残留邦人に対する援護のフロチャート』

建設省

公営住宅への優先入居 労働省

雇用対策法による就職の促進 1993年より宮田作成

心に検討していきたい。というのは,それが教育活動の中で最も盛んに行われ,

彼女たちの自立に向け重視される活動だからである。これまで社会教育におけ る識字実践においては,「中国残留婦人」は実践の対象として十分に位置づけ られてこなかった。彼女たちは,戦前青年期に至るまで日本で生活していたこ とから日本語能力をある程度有しているとみなされ十分位置づけられてこなかっ たのである。しかし,彼女たちは日本で本当に日本語に不自由していないので あろうか。「中国残留婦人」問題に対する認識不足から,彼女たちの日本語能 力の実態を十分把握せずそうとらえていることはないか。そのことを上述の作 業を通じて確認したい。そして,戦後処理,戦後補償の問題でもある「中国残 留婦人」問題が,教育とりわけ識字教育に提起している課題にっいて考えたい。

1 「中国残留婦人」について

  「中国残留婦人」とは,敗戦当時13才以上で中国に残留した女性たちのこと

である。「中国残留婦人」の内訳としては,「満洲移民」・「青少年義勇軍」の配

偶者となった元「大陸の花嫁」,「満洲国」で教員,看護婦,寮母などの職業に

(4)

従事していた女性,あるいは南満洲鉄道株式会社等,同地で勤務した男性の家 族などが考えられる。なお,「中国残留孤児」とは,敗戦当時13才未満で,中 国に残留した人たちのことである。「中国残留婦人」が「中国残留孤児」と異 なる点は,自己の身元を知っていること,一般に年齢が「中国残留孤児」より 高いことである(3)。これより以下,「中国残留婦人」にっいて,彼女たちの発 生の歴史的経緯,その後の帰国状況にっいて述べていきたい。

 戦前日本の対外侵略・植民地支配政策のもと,「中国残留婦人」たちは中国 大陸に渡った。そして,1945年8月の「満洲国」崩壊に伴い,敗戦直前の現地 招集によって男子を欠く中,彼女たちは,日本への引き揚げを開始した。しか

し,この引き揚げは,ソ連軍や中国人による襲撃もあり思うようにいかなかっ た。この間,関東軍は,彼女たちの保護・引き揚げ等にっいては有効な手立て をとらなかった。そのため,生き延びた多くの「中国残留婦人」は,日本への 引き揚げを果たせず中国に残留することになった。「満洲国」があった中国東 北地区からの日本への引き揚げは,1946年5月に開始されたが,日本人約155 万人のうち,1949年までの第一次引き揚げで日本に引き揚げることができたの

は,約105万人である(4)。そして,中国に残留した彼女たちは,自分たちの生 命を守るためにも中国人と結婚した。その当時,中国人と結婚した「中国残留

婦人」は,約4000人といわれる(5)。

 その後,「中国残留婦人」の帰国者数は,EI中国交が正常化した1972年以降,

厚生省によって把握され始める。そして,1994年5月まで,日本に国費で永住 帰国した「中国残留婦人」の世帯数は約2700,人員は約7400人とされている(6)。

しかし,その人数はあくまで国費帰国者の人数であって,自費帰国者を含める と日本に帰国した「中国残留婦人」の数はさらに多くなると考えられる。そし て,今なお,中国には黒龍江省を中心として厚生省の推定によると,約1800人 の「中国残留婦人」が在住している。

 帰国後「中国残留婦人」は,戦前日本に本籍があったことが証明できれば日 本国籍取得が可能である。また,彼女たちは帰国後,子ども夫婦,孫などを順 次呼び寄せることが多い。その場合「中国残留婦人」1人にっき平均約20人位

の家族が日本に来る(7)。「中国残留婦人」の家族は,日本へのあこがれ,日本

(5)

で働きたいという希望があって,あるいは老齢である親の老後の面倒をみるた め日本に来るケースが多い。      ・  では,実際彼女たちに対してどのように教育活動が行われているのか,まず 帰国・受入援護についてみていきたい。

2 帰国・受入援護

 (1)帰国・受入援護の現状一中国帰国者定着促進センターの実態

 国レベルで行われる帰国・受入援護は,国費帰国する「中国残留婦人」に対 し,次の順で行われる。援護の流れにっいては,資料1(8)を参照していただき たい。なお,担当省庁は,厚生省である。

①特別身元引受人の斡旋(親族がいない,または親族がいたとしても彼らが受 入を拒否した場合,帰国後日常生活上の相談を行う人の斡旋)

②帰国のための旅費等の支給・一時帰国者への滞在費支給

③中国帰国者定着促進センターでの研修

 ここでは,これより以下,定住生活に向けた準備教育を行う③の中国帰国者 定着促進センターでの研修について明らかにしたい。

 中国帰国者定着促進センター(1984年開所)は,全国に3ヵ所(所沢・大阪・

福岡)ある。そのうち所沢のセンターの管理・運営(中国帰国者に対する日本 語研修・生活指導等)を,国は事業内容をあらかじめ定めて財団法人の中国残 留孤児援護基金に委託している。所沢のセンターは国費で運営されている。同 センターは,従来「中国残留孤児」を対象としたものであったが,1993年に

「帰国婦人コース」が開設された。そのコースでは,「基本的日本語」・「基本的 生活習慣」の会得に向けた研修や,定住生活に向けた相談を2ヵ月間実施して

いる。ただし,65歳以上または障害を有する「中国残留婦人」を扶養する成年 の子一世帯が同伴入所する場合は,4ヵ月間実施される。

 日本語の研修は,「中国残留婦人」・「中国残留孤児」の家族の場合日本語能

力習得に向け行われるが,「中国残留婦人」の場合は日本語能力回復に向けて

行われる。そして,「日常生活で最低限必要な日本語能力の回復」を目指す。

(6)

センター入所前には,彼女たちに対し日本語能力やこれまでの学習経験などの 調査を行い,その結果を踏まえ日本語研修の対象者を決定していく。1993年に

「強行帰国」しセンターに入所した「中国残留婦人」12人の中では,日本語が 不自由であった2人がこの研修を受けた。彼女たちは,文字や日常会話の練習 を行った。教材としては,ひらがな練習長(財団法人 中国残留孤児援護基金 発行),単語と文字を練習するドリルなどが使われた。なお,「帰国婦人コース」

では,「言語の回復を助ける意味からも,研修中に可能な限り地域社会に足を 踏み入れ,一般市民として地域の人とのコミュニケーション体験」(9)をはかる ことが予定されている。この体験学習は,地域との人々の交流を図り,地域社 会のイメージをとらえていく上でも大切である。

 生活習慣の研修においては,「中国残留婦人」は,社会生活を営む上で必要 な習慣・風俗等に関する基本的な知識を学ぶ。彼女たちは,交通機関や郵便局,

銀行の利用の仕方,電話のかけ方,日用品の使い方,買い物の仕方を実際にそ れを体験する形で学ぶ(1°)。こうした形で行う研修は,学んだ日本語を実際の生 活場面で使う練習にもなる。また,この研修は,研修前彼女たちに,現在日本 で何に不便を感じ何を知りたいのか聞いた上で行われる。生活習慣の研修にお いて,生活習慣等を頭で覚えるのではなく体で覚えること,自分たちの学習要 求に応じて学んでいくことは,主体的に学びその学習を実生活に生かす上で大

切である。

 所沢センターでの研修の特色としては,学習者である「中国残留婦人」が,

戦前日本での生活経験を持っていること,高齢者(そのほとんどが60代以上)

であることを留意して研修を実施していることがある。生活習慣の研修におい ては,彼女たちに戦後の習慣と戦後のそれとを比較してもらい,現在EI本で何 を知りたいのか聞いている。この点で,彼女たちの研修は,日本の生活習慣を ほとんど知らない「中国残留孤児」・「中国残留婦人」の家族の研修とは異なる。

また,センターでは,高齢者である彼女たちの健康状態を踏まえてカラキュラ ムを立てている。センターに入所する彼女たちの中には,足腰を痛めていたり,

病気にかかっている人が少なくない。そのため,単に学習機会を提供するだけ

でなく,高齢者の学習という視点から彼女たちが学習しやすいような体制をっ

(7)

くることは重要である。

 (2)帰国・受入援護の問題点と課題

 以上,帰国・受入援護の現状をみてきたが,ここでその問題点と課題を指摘

したい。

 第一点として,「中国残留婦人」の定着促進センターへの入所が「中国残留 孤児」に比べ遅れ,彼女たちの受け入れが十分行われていない点があげられる。

実際1993年12月まで「中国残留孤児」は929人入所しているのに対し,「中国 残留婦人」はわずか22人しか入所していない(11)。入所が遅れた大きな要因は,

これまで「中国残留婦人」を,定住生活を行う上で最低限必要な日本語能力や 知識を身にっけていると判断してきたことにある。しかし,長年中国での残留

を余儀なくされた彼女たちの中には,帰国直後言葉や生活習慣等に関して少な からず不安を抱えている人もいる。現に,センターで行うEl本語能力の調査で は,日本語能力が後退し,日本語研修の必要ありとみなされた「中国残留婦人」

もいるのである。今後,上述のような判断を見直し,「日常生活で最低限必要 な日本語能力の回復」していない人など,センターへの入所が必要だと考えら れる人をもっと受け入れることが課題となる。また,彼女たちの入所が遅れて きた要因としては,彼女たちへの帰国援護が進んでいないこともあげられる。

現在,親族か特別身元引受人がいなければ彼女たちの帰国援護が行えず,帰国 が進まない。今後,両者の存在がなくとも国費帰国できる体制を整備していく

ことも課題となる。

 第二点として,日本語研修の期間設定について指摘したい。日本語研修にお いて,「中国残留婦人」は,戦前青年期に至るまで日本で生活していたことか

ら「中国残留孤児」に比べ日本語の回復が早いと考えられている。そのたあ,

彼女たちの研修期問は,同伴家族がいる人を除き基本的には「中国残留孤児」

(研修期間は4ヵ月間)より短く2ヵ月である。しかし,研修期間が2ヵ月間

である「婦人」の中には、日本語能力が後退し,その期間では定住生活を送る

上で必要な日本語能力を十分回復できない人がでる可能性もある。その人の場

合,研修後必要な書類への記入が十分できない,チラシが思うように読めない

(8)

などの不利益を被る恐れがある。こう考えると,期間設定において,日本語能 力が後退し2ヵ月以上の研修が必要だと考えられる人への配慮を明確化するこ

とが課題となる。

3 定着自立援護

 次に,各地域に定住した「中国残留婦人」に対する教育活動として,定着自 立援護にっいて検討していきたい。その際,ここでは,国レベル,自治体(都 道府県)レベルに分けて検討し,後者の事例としては広島県を取り上げたい。

それは,広島県が,戦前「移民先進県」であったからである(12)。同県には,現 在,全国15ヵ所ある自立研修センター(13)のうちの一っがある。

 (1)国レベル

 彼女たちが各地域に定住していく際,厚生省が担当して行う援護援護として は,自立支援通訳の派遣,自立指導員の派遣,日本語回復のための語学教材

(テープレコーダー,カセットテープ)の支給,巡回健康相談の事業の実施な どがあげられる(14)。自立支援通訳は,正確な会話が必要とされる場合,例えば,

「巾国残留婦人」などが医療機関や行政機関で指導を受けたり,子どもの小学 校,中学校,高等学校で相談を受ける場合派遣される。また,自立指導員(15)と

は,日常生活の指導,日本語回復の援助等を行う人たちのことである。こうし た訪問サービスは,身辺自立が充分でない「中国残留婦人」に対する活動の方 策として大切である。厚生省が担当して行う援護が,日本語(学習)に関する 個人的な援護に重点が置かれているのは,日本語が不自由であることが定住生 活そのものを不自由にしかねないからではないか。また,他の省庁も,彼女た

ちが各地域に定住していく際,公営住宅への優先入居の措置(建設省),雇用 対策法による就職の促進(労働省),中国引揚者地域交流事業(文部省)など

を行っている。

 以上みてきたように国レベルで行う定着自立援護では,定住生活に際し「中

国残留婦人」が直面する様々な障壁への対応が図られている。そして,その援

(9)

護は,教育施設における研修・指導とともに彼女たちの自立を図る上で重要だ

と考えられる。

 (2)自治体レベルー広島県の場合

 次に,「中国残留婦人」が各地域に定住した後,自治体レベルで彼女たちへ の定着自立援護がどのように行われているのか,広島県の例にみていきたい。

広島県の場合,1982年度から県内への中国帰国者数が把握され始める。1992年 度まで,広島県へ永住帰国(国費,私費ともに含む)した「中国残留婦人」を 含めた中国帰国者の世帯数は約270,人員は約820人である(16)。なお,広島市内

に在住している「中国残留婦人」は,約20数人いる。広島県における「中国残 留婦人」への教育活動の概要は,広島県県庁福祉保険部福祉保険課援護係で取 り決められている。広島県における彼女たちに対する教育活動としては,①広 島県中国帰国者自立研修センター,②観音中学校夜間学級,③中国帰国者教室 での指導・研修などがある。以下,①②③での研修・指導にっいて,順に述べ

ていきたい。

 ①広島県中国帰国者自立研修センター

 まず,①は,中国帰国者の教育のための公的な専門機関で,彼らの「早期自 立を図る」(17)ことを目的として8ヵ月間(18)の通所研修を行っている。国は,同

センターの運営を,運営内容をあらかじめ定めて広島県に委託している。そし て,広島県は,その運営を社会福祉法人広島県社会福祉協議会に委託している。

同センターは国費で運営されているが,若干県費でもまかなわれている。セン ターのスタッフには,相談兼通訳,就労相談員,中国語が堪能な日本語講師が いる。なお,定着センターでの研修を終えていなくても,中国帰国者はこのセ

ンターに入所できる。

 自立研修センターでは,「日本語教育」を中心に「生活・就労相談事業」,

「大学準備教育」,「交流事業」,「日本事情の説明」を行っている。まず,「日本 語教育」は,初級・中級に分かれて,月曜日から金曜日までの午前中3時間行

われている。「日本語教育」の教材としては,『日本語の基礎1』,話し言葉に

必要な文型や語彙をのせた『日本語の基礎H』(財団法人 海外技術者研修協

(10)

会発行)を使う(19)。そして,月1回,日本語発表会を開く。また,「生活・就 労相談」においては,相談事業のみならず,工場,職業訓練校などの見学を行 う。「交流事業」では,年に数回,遠足,茶会の催しを行い,そこで地域の学 校,女性団体との交流をはかる。「日本事情の説明」では,週に1回,広島県 が中国語と日本語で発行した『日本の生活〜中国帰国者のための手引き〜」を 参考に,年金,生活保護,社会保険などの説明を行う。また,これらの教育事 業以外に,センター修了時の自立(就労)を目標としたプログラムの作成・管 理が,センターの就労相談員,福祉事務所のケースワーカー,自立指導員らに

よって月1回実施されている。以上みてきたように,研修センターでは地域で の自立に向け「日本語教育」などが実施され,地域の人々との関係を築くため 交流事業も展開されている。

 ②観音中学校夜間学級

 ②では,「日本で自立するための義務教育内容を学習する準備として,日本 語学習」(2°)などを行っている。この夜間学級は,長欠児対策の一環として1953 年に開設された。そして,1980年以降は中国からの引き揚げが急増したため,

日本語学習を特別授業として実施している。実際,1980年代前半「中国残留婦 人」の人数が増え,1982年には6人(中国帰国者45人のうち),翌年には5人

(中国帰国者43人のうち)在級していた(21)。夜間学級は,地域における「中国 残留婦人」の学習の場であったといえる。同学級は,広島に中国帰国者自立研 修センターが設立される1988年まで,中国帰国者の中で日本における義務教育 末修了者として入校を希望する人を受け入れていた。センター設置後は,セン

ター修了者で高等教育希望者の受入れだけを予定している。

 「中国残留婦人」が在級していた時期,夜間学級では日本語学習の際,学習 グループを日本語理解度や進路に応じておよそ3っの段階に分けていた(22)。各 段階の学習内容と教材は以下の通りである。

 第1段階 基本的な日本語の習得段階 平仮名,カタカナ表記の練習をする       教材は,『日本語の基礎1』

 第2段階 日常会話の習得段階 会話練習や自己紹介の文章表記を行う

       教材は,『日本語の基es ll』

(11)

第3段階 日本語学習(外来語の練習など)と一部教科学習(英語・公民)

      「基本的生活習慣」(銀行・郵便局での貯金の仕方       など)会得に向けた指導

 この夜間学級では,生徒の状況によって学習グループ編成や所属生徒を年度 途中で変更することもあった。また,日本語学習の教材は年度初めにグループ ごとに教師が相談して,生徒の学習状況に応じて最も適当だと考えられるもの に決定した。同学級では,生徒の学習到達度,進路を考慮した学習グループ設 定,教材選びが行われていたといえる。

 なお,夜間中学で学ぶ「中国残留婦人」の中には,日本語で話せるが,読み 書きが出来ない人がいた(23)。実際,ある「中国残留婦人」によると,彼女の周 囲にも自分の名前しか書けない人が幾人か存在していた(24)。その背景には,長 年にわたる中国生活の中で日本人と日本語で会話する機会があっても,読み書

きをする機会がほとんどなかったことがある。しかし,彼女たちは,日本で日 本語学習を行っていない。

 ③中国帰国者教室

 ③では,県が独自に予算を組んで,「中国残留婦人」を含めた中国帰国者を 対象とし日本学習などを実施している(25)。この教室は,週に1回,県内3ヵ所

(広島市・尾道市・東広島市)の公民館などで開設されている。そのうち,広 島市の三篠公民館では,県が,県内に定着した中国帰国者で組織するボランティ ア団体(広島市中国帰国者友好協会)に委託する形で,日本語教室が開設され

ている㈱。

 日本語教室では中国語が堪能なボランティアが日本語を教えている。また,

この教室では,生活相談・指導も行い,研修センター同様中国帰国者が抱える 様々な生活上の問題に取り組んでいる。住居・医療・職業等生活上の問題を抱

えている人々が通う日本語教室において,「日本語に関わりながら彼らの生活 全般にも関わろうとする姿勢は重要」(27)である。「中国残留婦人」を含めた中国 帰国者自身,日本語教室においてこうした実践を求めているのである。日本語 教室以外に,公民館が主催し中国帰国者を対象に行う交流会・事業などもある。

この事業には,地域住民も参加する。

(12)

 以上あげた公的な教育施設・機関では,日本語学習を中心に現代日本の社会 事情に関する知識提供,生活相談などが実施されている。定着自立援護の特徴 として,彼女たちが地域において様々な生活課題を抱えていることもあり,帰 国・受入援護に比べ学習内容,形態などが多様化していることがある。県内で

は,今まであげてきた施設・機関以外,地方自治体(市)や民間ボランティア などによる日本語教室で日本語学習が行われている。

 (3)定着自立援護の問題点と課題

 以上,「中国残留婦人」に対する定着自立援護の現状にっいてみてきた。こ こで,定着自立援護の問題点と課題を提示していきたい。その際教育施設全 体にわたっての研修・指導上の問題点と課題にっいて言及し,個々の施設に関

わる言及はここでは控えたい。

 問題点としては,第一に,現在,「中国残留婦人」が日本語に不自由してい ないとみなされ,識字(日本語学習)の実践対象として十分位置づけられてい ないことがある。そのため,教育施設において,現在彼女たちはほとんど日本 語学習を行っていない。中国帰国者の識字実践に関わる人々にとって,その実 践対象となるのは,日本語に接する機会がそれまでほとんどなく日本語能力を 習得していないと思われる「中国残留孤児」やその子ども,あるいは「中国残 留婦人」の子ども・孫である。(「中国残留孤児」は戦前日本で日本語に接した

ものの,その期間が,日本語能力を中国で維持するには短すぎる場合が多い。)

確かに「中国残留婦人」は,彼らに比べ日本語に不自由を感じる人は少ない。

 しかし,「中国残留婦人」の日本語能力は,その実態に目を向けてみるなら 彼女たちの中国での生活暦や学習経験とあいまって各自多様である。彼女たち の中には,①日本語の会話能力,読み書き能力ともに回復していない人,②日 本語の会話能力は回復しているが,読み書き能力が回復していない人,③読み 書き能力や会話能力をある程度回復していても,その回復が十分でない人など がいる。①の場合,戦前開拓団に学校が存在しないため小学校教育を十分受け ていなかったり,中国で働き続けたため机にっく習慣がなかった人が多い㈱。

また,②③の場合,中国での日本人との接触により,日本で生活する上で最低

(13)

限必要な会話能力は保持してきた人が多い。①②③の帰国前の住所や学歴を見 てみると,中国の農村部に住んでいて,小学校教育を十分受けていない人,あ るいは小学校か小学校高等科卒業者が多い。「中国残留婦人」の中には①②③ の人より日本語能力が高い人もいるが,彼女たちは言語学習の場が多くある都 市出身者や高等女学校卒業者が多いと考えられる(29)。

 ①②③のように日本語能力を回復していないと,日常生活において必要な情 報を手に入れたり,公的手続き,病院での診療などに際し必要な書類を自分で 書くことが難しくなる。また,地域の人々との関係を築いていくことも難しい。

このことは,結果として「中国残留婦人」が,日本社会で自立し主体的に生き ていくことを困難にしてしまう。以上のようにみてくると,「中国残留婦人」

問題に対する認識不足から日本語能力の実態に十分目を向けず,彼女たちを日 本語に不自由していないと判断して,実践対象として十分位置づけなかったこ とが問い直される。そして,このことは,定着自立援護における識字(日本語 学習)実践のみならず識字実践全体にいえるのではないか。 内なる 識字問 題の克服が識字実践の課題となっているが,その場合彼女たちの存在をどこま で視野に入れているのか検討する必要があろう。そして,今後の課題として,

日本語能力を十分回復していない「中国残留婦人」を学習の場に参加させるこ とと,彼女たちの日本語能力を留意した学習内容・方法論の研究・深化があげ られる。特に,学習経験が乏しい①に対しては,文法の詰め込みではなく,実 生活の密接した基礎的な語彙の回復が求められ,その回復に向けた学習方法・

内容論の研究が必要となる。

 また,留意しておきたいのは,「中国残留婦人」自身,日本語を学ぶことを 望みその機会があれば意欲的に学ぼうとしていることである。ある「中国残留 婦人」は,長年にわたる中国生活の中で日本語の読み書き能力が後退し,自分 の名前しか書けなくなってしまった。そのため,彼女は「もっと文章が書ける ようになりたい」と考え,夜間中学で日本語学習を始めた。彼女は,「勉強を するのが私は本当に嬉しく思い」(3°)ながら学習し,学習後は「日本語を学び文 章が書けるようになって,自分が生き生きしてきた」(31)と語る。彼女は,学習

の場に参加し読み書き能力を回復することによって,自己を解放していったの

(14)

である。今後,「中国残留婦人」たちの「文章が書けるようになりたい」「もっ と会話がうまくなりたい」などという学習要求をくみとり,識字の実践を行っ ていく必要がある。

 研修を実施する教育施設(自立研修センター,夜間中学,公民館)は,「中 国残留婦人」の学習権の実現を助ける上で重要な存在である。だが,これらの 施設を整備すればそれでよいという訳ではない。単に慈善的事業として行うな

らば,彼女たちを日本社会に依存させてしまうことになりかねない。教育施設 は,彼女たちへの慈善としてではなく,戦後補償として自立支援することに向 け不可欠なのである。そう考えることで,教育施設を彼女たちの自立に向けもっ と活用していくための方策が見出されないか。全体的に見て,「中国残留婦人」

は教育施設をあまり利用していない(32)。そのため,施設で行われる識字実践へ の参加促進を積極的に行う共に,その識字実践により彼女たちが自立し,自己 を解放していけるよう実践の在り方の問い直しが求められる。また,自立に向 けては,自立研修センターなどで,社会参加したり生きがいを見出したい「中 国残留婦人」に対し,その促進に向けたプログラムの作成や,促進のための相 談事業実施も求められる。中国で身にっけた中国語を生かし,自立指導員とし て活躍する「中国残留婦人」も地域にいるが,生活保護を受けていることや高 齢ということもあり,社会参加する人は少ないのが現状なのである㈱。

 第二の問題点としては,学習者である「中国残留婦人」が日本人としてのア イデンティティーを確立していることを,研修の際留意しているのかというこ とがある。彼女たちは,中国での生活体験を持っているものの,青年期に至る まで日本で生活していたことから他の中国帰国者(「中国残留孤児」・「中国残 留婦人」の家族)や「在日外国人」と違い,日本人としてのアイデンティティー

を確立している。そして,周りの人間に 日本人 として認めて欲しいと考え ている(跳そのため,彼女たちを他の帰国者(「中国残留孤児・「中国残留婦人」

の家族)と同様にはとらえられない。しかし,教育施設の教師や講師がそのこ とをどこまで踏まえ指導しているかは検討する必要があろう。また,地域の人々 が彼女たちに接する場合も同様のことがいえる。ある「中国残留婦人」は,

「日本語が出来ないのは,中国から来たせいだ」と地域の住民に言われ,傷っ

(15)

いた経験を持っ㈲。彼女たちを「中国の人」とみなして指導したり接しては,

彼女たちの自尊心を傷っけてしまうことになりかねない。

 彼女たちに対する指導上の留意点として,平城真規子氏は次のように指摘す

る。

 「帰国婦人が自己を日本人として意識している点を考えれば,指導者はじめ  周囲の人は日常的にもこれを念頭においた接し方を心掛けたい。周囲のちょ  とした言動によっても日本人としての不全感を抱かせる畏れはないのか,ま  た自尊心を損なうおそれはないのか,各人の心のあり方が不明であるだけに

 慎重な態度で臨みたい。」(36)

このことは,彼女たちを指導していく上で重要なことである。ただ,このよう な指導や接し方を心掛けるには,なぜ「中国残留婦人」が日本人としてのアイ デンティティーを確立しているのかを理解しておく必要がある。それを理解す るには,戦前の植民地支配政策や「中国残留婦人」発生の背景にっいての歴史 認識を深めなければならない。そのため,公民館などの社会教育施設で彼女た

ちとの具体的な「出会い」をもっと創出し,その「出会い」の中で彼女たちの これまでの生活史を知り歴史認識を深める必要がある。また,地域で「中国残 留婦人」問題の学習などに取り組み,彼女たちが,植民地的支配という国策の

もと戦前中国に渡り戦後処理の遅れから中国残留者となったことを十分認識す る必要があろう。その学習は,日本のアジア諸国に対する加害者責任を追求し ていく上でも重要である。

おわりに

 「中国残留婦人」問題は,彼女たちの発生背景を考えると戦後処理戦後補 償の側面から考え,解決すべき問題である。では,その解決に向け教育活動は,

どのような実践的課題を抱えているのか。そのことを検討するため,その活動

(帰国・受入援護と定着自立援護)の実態を明らかにしてきた。「中国残留婦人」

が,日本で抱える生活課題を解決し自立する上で教育活動(帰国・受入援護,

定着自立援護)の果たす役割は大きい。ここで,二っの援護にっいて少し整理

(16)

しておきたい。

 援護における特徴としては,第一に,研修内容に関して,様々な教育活動が 展開されっっも,社会的自立の鍵となる日本語能力回復に向けた学習が重視さ

れている点,第二に,施設設備に関して,「中国残留婦人」の教育のための公 的な専門機関がある程度確立されている点,第三に,学習者に関して,彼女た ちが他の中国帰国者(「中国残留孤児」・「中国残留婦人」の家族)と比べ,高 齢者である点,戦前日本での生活経験をある程度持っている点,日本人として

のアイデンティティーを確立している点があげられる。特に,第三の特徴の後 者二点は,戦後補償として彼女たちの意識や発生背景,置かれてきた状況に理 解を寄せ,教育活動を行っていく上で留意すべき点である。彼女たちへの教育 活動は,社会的に不利な状況におかれている人々への対応という点で「在日外 国人」㈹への活動と同じであっても,こうした点で異なる。しかし,社会教育 が「在日外国人」の自立支援という課題に取り組む上で,学習内容,形態,施 設整備などの面において「中国残留婦人」への教育活動に学ぶところは少なか

らずあるのではないか。

 以上,「中国残留婦人」への教育活動を少し整理してきたが,その活動は全 体を通して次のような課題を抱えている。彼女たちへの活動は,福祉行政とし て進めれてきた傾向が強く,教育行政,とりわけ識字の問題などに関わってき た公的社会教育の取り組みは弱い。今後,福祉行政のみならず教育行政とりわ け公的社会教育も,福祉行政との違いを踏まえ,独自の特色を生かしながら彼 女たちへの活動に積極的に取り組むことが課題となる。また,教育活動の中で

は識字実践が重視され,その実践のための施設が整備されているが,彼女たち が実践対象として十分位置づけられていない問題がある。そのため,彼女たち の日本語能力の実態を正確に調査し実践の対象として十分位置づけることや,

各自の日本語能力を留意した学習期間の設定や学習内容の編成を行うことが課 題となる。識字実践が「中国残留婦人」の立場に立って行われているのかどう か,その在り方を検証してみる必要があろう。

 以上,「中国残留婦人」への教育活動の課題について述べてきたが,彼女た

ちの家族に対する活動の活性化も今後の課題となる。日本政府は,基本的には

(17)

「援護は第一世代まで」と考えている。しかし,彼女たちは,口本人としての アイデンティティーを確立している一方で,中国生活の中で得た家族との関係 を維持している存在でもある。そのため,呼び寄せ家族の問題も含めて「中国 残留婦人」問題に積極的に対応していくことが行政に期待される。

(注)

(1)「中国残留婦人」に対して戦後補償を行おうとする場合,彼女たち全員に対して  補償が行われなければならない。そのため,帰国希望者や帰国者だけでなく,中国  残留希望者に対しても経済的な補償などを行う必要がある。

(2)「中国残留孤児」に対する援護や教育活動の状況は,以下の諸文献を参照。厚生  省援護局編『中国残留孤児 これまでの足跡とこれからの道のり」ぎょうせい 19  87年。大場かをり・橋本進編『母と子でみる中国残留日本孤児」草の根出版会 19

 91年。仲蓬啓示・下野寿子著「中国残留孤児は広島に定着したのか」第1・2回。

 仲蓬啓示・下川亮子著「広島は中国帰国者をどう受け入れているか?」第1〜3回  『ビジネスセミナー」8・9・10月号掲載 展望社 1991年。井出孫六「終わりな

 き旅 「中国残留孤児」の歴史と現在』岩波書店 1991年など。

(3)平城真規子「カラキュラム開発のための状況分析調査一「帰国婦人コース」開設

 に向けて一」『中国帰国孤児定着促進センター紀要』第2号 財団法人 中国残留

 孤児援護基金 1994年 p.49。

(4>厚生省i暖護局編『中国残留孤児』 ぎょうせい 1987年 p.11。

(5)同上,p.5。

(6)厚生省社会・援護局援護企画課中国孤児等対策室編「中国帰国者の年度別帰国状  況(日中国交正常化後)』 1994年5月31日。

(7)広島県県庁福祉保険部福祉保険課援護係係長K.O氏へのインタビュー(聞き手

  宮田幸枝 1993年3月22日)。

(8)1994年には,資料1における中国帰国者定着促進センターでの研修期間は,65歳  以上または障害を有する「中国残留婦人」を扶養する成年の子一世帯が同伴入所す  る場合は,4ヵ月となった。

(9)前掲3),p.63。

(1① 「中国残留婦人」K.T氏へのインタビュー(聞き手宮田幸枝 1993年10月14日)。

(11)中国帰国者定着促進センター編「中国帰国者定着促進センター入退者統計(1993  年12月末現在)」『中国帰国孤児定着促進センター紀要』第2号 1994年 p.278。

⑫ 広島県においては,開拓団約8003人,義勇開拓団訓練生約4414人が送出され,そ  のうち開拓団殉難者は約3032人に及んだとされている。

(18)

(13)自立研修センターが設置されている地域は,大都市をもっ東京,大阪や,戦前  「移民先進県」であった山形,長野,広島などである。

(10厚生省社会・援護局援護企画課中国孤児等対策室編『定着促進対策の概要」 19

 92年。

(15)自立指導員には,中国語が堪能で中国帰国者に理解を示す人が求められている。

 彼らの募集は,厚生省が都道府県に委託し,都道府県が市町村に働きかけて行われ  る。市町村では,広報紙で呼びかけたり,中国帰国者で組織する団体への斡旋依頼  などを行う。

(16)広島県県庁福祉保険部福祉保険課援護係編『中国帰国者の現状』1992年12月

(IT広島県県庁福祉保険部福祉保険課援護係編「中国帰国者に対する援護対策」199

 2年。

(18)8ヵ月間という研修期間は,彼女たちの自立状況,予算の状況などを総合的に検  討した上で設定された。

(19)広島県中国帰国者自立研修センター相談員・通訳 Y.0氏へのインタビュー  (聞き手宮田幸枝1993年3月22日)。

⑳ 前掲17)。

⑳ 元広島市立観音中学校夜間学級専任教諭K.M氏へのインタビュー(聞き手 宮  田幸枝 1993年11月19日)。

⑳ 同上。

⑳ 同上。

②4)「中国残留婦人」F.N氏へのインタビュー(聞き手 宮田幸枝 1993年3月24

 日)。

⑳ 前掲17)。

㈱三篠公民館館長T.M氏へのインタビュー(聞き手 宮田幸枝 1993年11月24日)

⑳榎井緑・阿久澤真理子「「内なる国際化』の新たな課題一地域で暮らす『外国人』

 たちと識字の問題一」日本社会教育学会編「国際識字10年と日本の識字問題」1991

 年 p.80。

⑳東京都中国帰国者自立研修センター生活相談コーナー相談員 S.N氏ヘインタ  ビュー(聞き手宮田幸枝1994年4月18日)。

⑳ 同上。

BO)「中国残留婦人」1. H「この学校に入学して」江戸川区立小松川第二中学校夜  間部編「第17回卒業記念誌』1988年 p.56。

Bl)「中国残留婦人」1. H氏へのインタビュー(聞き手宮田幸枝 1994年4月28

 日)。

G2)前掲24)。

(19)

B3)前掲24)。

B4)「中国残留婦人」F. N氏へのインタビュー(聞き手宮田幸枝 1994年2月19

 日)。

B5)「中国残留婦人」F. N氏へのインタビュー(聞き手宮田幸枝 1994年9月17

 日)。

B6)前掲3), p.62。

B7)「在日外国人」への教育活動については,以下の諸文献を参照。「現代的人権と社  会教育」(日本の社会教育第34集 1990年)と『国際識字10年と日本の識字問題』

 (日本の社会教育第35集 1991年)における笹川,永井,岡島・岩槻小林・森山,

 榎井・阿久澤論文。神奈川県外国人問題研究会「多文化・多民族社会化の進行と外  国人受け入れの現状」(神奈川県外国人問題研究会気付)1992年。月刊社会教育編  集部「日本で暮らす外国人の学習権』1993年など。

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