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ほ ほ 離 待 ムダ

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Academic year: 2021

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金を

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思え

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紹介

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05 はじめに

  1週間の食費に300円しか使えなかったら、どうする?   コンビニで何か買ったら、あっという間に消えるよね。安売りスーパーに行っ て、インスタント麺や食パンを買ってもいいけど、1週間もたせようとすると、 1日1食がやっとだな。   1か月分でお米を買うという手もあるけど、お米だけで生活するには少ないか ら、とうてい1か月はもたない。   だから僕は、小麦粉を買った。そして、水で練って 茹 ゆ でて食べた。   味付けは塩だけ。これが意外においしいんだ。いつもニコニコして食べてたの を覚えてるよ。   小麦粉しか食べられなかったけど、当時は毎日楽しくて仕方なかった。 「当時」というのは、僕が来日してまもなく、 25歳のころ。   そのころは笑っちゃうくらい貧乏でね。どのくらい笑っちゃうかというと、1 週間の食費はまさに300円だし、水道代やガス代が払えなくて、しょっちゅう 止められてた。

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はじめに   でもとにかく、それは「結果」であって、僕の目的ではなかったんだ。   じゃあ、僕の目的は何だったのかって?   それは、自分の能力を試すこと。どこまで自分ができるのか、チャレンジする ことなんだ。   いつもバカなことをやってるボビーっぽくない !?   そうだよなあ。ちょっと照れるよな。   まあ、でもたまには僕も真面目なことをしゃぶって……じゃない、しゃべって もいいだろう !?   それにお金って、儲けようと思うと儲からないものなんだよ。   お金は好きになるものじゃなくて、好かれるものだから。   それで出版社の人に、そう言ったわけ。 「僕は、お金を儲けようと思ったことはないんです。お金を追いかけるより、自 分 の 力 を 使 っ て、 お 金 に 好 か れ る 生 き 方 を す る こ と が ず っ と 大 事 な ん じ ゃ ね え のって思います」って。   すると、出版社の人は「そうなんですか!   面白いですね。では、そのお金に 好かれる生き方について書いてください!」と言った。なんか軽いよなあ。   暖房器具は、小さな電気ヒーターがひとつ。ナイジェリア生まれだから、冬は つらくてさ。布団をかぶって電気ヒーターにしがみつきながら、ブルブル震えて た な。 そ れ で も、 憧 れ の 日 本 で 生 活 で き て た ん だ か ら さ。 も う 毎 日 が 夢 の よ う だった。   そんな超貧乏だった僕が、お金の本を書くことになったんだから、もう自分で もビックリだよ。 「お金の本を書きませんか?」という話が来たとき、正直、僕は戸惑ったんだ。   だって、お金を 儲 もう けようと思ったことは、今まで一度もないからさ。   え?「またまた〜、ボビーお金儲けてるんでしょ」って?   出版社の人も、そう言ってたな。 「え、失礼ですけど、すごく稼いでるって話じゃないですか。年収は億を超えて ると言うし、埼玉と都内に家がふたつあって、千葉に200坪の別荘もあるって、 聞きましたよ!」   よく調べてるなあ。確かに、それは事実なんだよ。   正確には、家はもう1軒あるし、千葉の別荘は建物が200坪で、敷地は10 00坪なんだけど。そして年収は、 「牛300頭分」ぐらい(笑) 。

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09 08 はじめに なぜなんだろうと思って、その理由を考えてみたんだ。そしたら 43個くらい理由 を思いついた。   え?   多いって?   そんなの気にしない気にしない。   この本ではその 43個の理由を書こうと思うんだけど、僕が伝えたいことはすご くシンプルだよ。   お金が欲しいと思えば思うほど、お金に嫌われる。お金に好きになってもらわ ないと、いくら追いかけてもムダなんだってこと。   そして、お金に好かれる人になるには、自分が毎日どんなふうに生きていくか が大事になってくる。   でも、そのコツさえわかれば、お金は必ず向こうからやってくるようになる。 どうしたらお金が寄ってきてくれる人になれるか、今まで学んできたことのすべ てを、この本に書くよ。   僕が今までどんなふうにお金を使ってきたか。   お金を稼ぐアイデアは、どうやったら生まれるのか。   お金に好かれるには、毎日どうやって生きればいいか。   せっかく、お金と時間を使ってこの本を読んでもらうわけだろ !?   だったら、投資してくれたものを、何千倍、何万倍にもしてあげないと、申し   だ け ど、 そ う い う 話 だ っ た ら こ ん な 僕 で も 書 き た い こ と は い っ ぱ い あ る ぜ!   というわけで、この本を書くことになったんだ。   僕が日本でお金の本を書いたと知ったら、故郷の人たちは驚くと思う。   僕の育った家は、隣まで何㎞もある超田舎。今は違うけど、昔は電気が2日間 来ないなんて普通でさ。水道が止まったら、子どもの僕たちが水をくみに行かな きゃならないんだ。   そ ん な 環 境 で、 小 さ な こ ろ か ら 日 本 に 憧 れ て 育 っ た。 ナ イ ジ ェ リ ア と 習 慣 が まったく違う日本では、戸惑うこともたくさんあったけど、この国で自分の夢を つかむためにがんばりたいって思いでいっぱいだった。   くわしくは本の中で書くけれど、街頭インタビューがきっかけでテレビに出る ようになって、それから芸能界で仕事をするようになった。そして、自分で少し ずつビジネスや投資も始めた。   そうしたら、いつの間にか別荘を買えるまでになっていたんだ。こんなに人生 が変わるなんて、自分でも驚いてるよ。     1週間の食費が300円だった僕が200坪の別荘を買えるようになったのは

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訳ないじゃん !!   お金に好かれる方法って、ぜんぜんむずかしくないんだよ。毎日が楽しくなる ことばかりなんだ。ホントだぜ!   お金と仲良くなって、楽しく生きれば、貧乏だったボビーでも夢が叶う。だか ら、たとえ年収200万円だとしても、きっと夢が叶うってことを伝えたいんだ。   こ の 本 で そ の 方 法 を 知 っ て も ら っ た ら、 お 金 が や っ て く る だ け じ ゃ な く て、 きっと未来がパッと明るくなると思う。   そうなるといいな。……いや、絶対そうなるようにがんばって書くからさ。明 日に希望を持って読んでくれよ !!   2016年1月  ボビー・オロゴン 1週 3 0 0円 2 0 0坪  

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ブックデザイン 河南祐介(ファンタグラフ) 構成 江藤ちふみ 写真 金田邦男 スタイリング カナヤマヒロミ 編集協力 株式会社鷗来堂 編集 小野佑仁(サンマーク出版)

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21 「ロマン」を追いかけたらお金がついてきた。

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  僕は子どものころから、たくさんのお金を数えて育ってきたんだ。って 言うと「すげえ、金持ち!」と誤解されるけど、自分のお金じゃなくて、 父親の会社のお金ね。   僕の父は貿易会社を経営してて、僕がまだ 7、8歳のころから、土曜に なると会社に連れていかれ、お金を数える手伝いをさせられたんだ。 それ だけじゃない。売買が成立した後、売上から経費を引いて、利益がいくら 出たかまで計算させられた。まだ小さかったけど、ちゃんと計算できたよ。   商談で人の出入りの多い会社だったから、お金も動く。一日中計算して はお金を数え、銀行に持っていく。それが、小学生の僕の仕事だったわけ。   ナイジェリアは古いお札が多くて、子どもが数えるのは大変だったけど、 僕はその手伝いが大好きだった。大人に交じって働くのは面白かったし、 お金を数えるのが楽しかった。そのころからお金が好きだったんだな。   ところが、父は子どもにお小遣いをほとんど与えない人でね。 どんなに がんばって働いても、お金をもらったことはなかったなあ。 お金よりも お金の手に入れ方のほうに価値があるんだ

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「ロマン」を追いかけたらお金がついてきた。

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  一度、それで泣いたことがあってさ。社員にはお金を渡してるのに、僕 にはくれないから悲しくて。すると、こう言われたんだ。 「魚の釣り方を教えてあげるから、自分で釣りなさい。そうしたら、お父 さんより大きい魚が釣れるかもしれないよ」   自分で稼ぎなさいってことだと理解はできたけど、やっぱりお金は欲し か っ た。 「 な ん で、 僕 は 数 え る ば っ か り な ん だ よ 〜。 こ の お 金 が 自 分 の も のにならないかな」って、子どもながらに思ったのを覚えてる。

  それで、めずらしくお小遣いをもらったときに、僕はある買い物をした んだ。それは、ハムスター。日本だとハムスターはペットだよね。かわい いしね。でも向こうでは食用だから、ハムスターを繁殖させて売ったんだ。   そのお金で次に買ったのが、ニワトリ。これも増やして市場で売って、 次はウサギを買って、その次はヤギ。そうやって次々に買って増やして売 り、最後は、高校生のとき牛を買ったよ。   牛を飼うって、ナイジェリアではすごいステイタスなんだ。日本で言え ばベンツを持ってるのと同じくらいかな。 大学受験で世話ができなくなっ たから売ったけど、ハムスターが牛になったんだから、ものすごく効率の いい投資だった。今思えば、それが僕のはじめてのビジネス体験だね。   さすがに動物を繁殖させて売る子はいなかったけど、ナイジェリアの子 どもたちは、みんな働き者。家の 掃 そう 除 じ や炊事、井戸の水くみなどは当たり 前で、男の子だったら、8、9歳くらいからタイヤ交換なんかもやるよ。   もちろん僕もひと通りやったし、8歳過ぎてからは、ご飯も自分で作っ てた。驚くかもしれないけど、アフリカには子どもたちが家の仕事をする 文化があるんだよ。   その上うちは父が教育熱心で、家庭教師までつけられてたから、毎日す ごく忙しかった。まず朝、家庭教師が来て9時〜 10時まで勉強した後に、 2時間歩いて学校に行くんだ。裸足でだよ!   地面が熱くて苦労したよ。   向こうは昼から夕方まで授業だったから、6時に終わって家に帰ってか ら、また家庭教師と1時間勉強。その後、ご飯を食べて家の手伝いをして 寝る、そんな毎日。お腹は空くし疲れるし、もう大変。   でも楽しかったし、ハードだったからこそタフになれた。友だちと遊ぶ 時間もあったしね。

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  父には、心から感謝してるんだ。それは「魚の釣り方」をちゃんと教え てくれたから。   父には7人の奥さんがいて、僕も含めて 34人の子どもがいるよ。すごい でしょ。これだけ多いのは、ナイジェリアでもめずらしいかな。   僕は上から3番目だけど、特に、ビジネスについていろんなことを教え てもらったな。こいつは見込みがあるって、思ってもらってたのかも。   車、糸、コンクリート、タイヤチューブ……。会社では、いろんな商品 を扱っていたけど、 「次に売れるのは何か」と父は常に考えてたね。 「これ はいける!」と、インスピレーションを感じたらすぐに動く人だったから、 あんなに成功できたのだと思う。   昔、他の町でコンクリートの家を見た父は、すぐに自分でも扱い始めた。 うちの町には土の家しかなかったから、ぜひ売りたいと思ったんだって。 今でもコンクリートの卸では父の会社が地域ナンバーワンなんだ。   こんなふうに、父の頭はいつもビジネスのことでいっぱいだった。世界 人生に必要なのは冷静さと 判断力、そしてリスク対応だよ

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中を飛び回っていて、現地で見聞きしたことをいつも僕たちに話してくれ た。 家 族 で 父 の ま わ り に 集 ま っ て、 知 ら な い 国 の 話 を 聞 く 時 間 が 楽 し み だったなあ。そのおかげで「男は冒険して一人前だぜ!」って思うように なったのかな。僕も今では、 50か国近く行ってるしね。   でも 僕のおじいちゃんも、それまで物々交換だったカカオを、はじめて ビジネスとして本格的に扱い始めた人だったし、ひいおじいちゃんも中東 まで数年かけて徒歩で旅して、貿易の仕事をしてた。   オロゴン家には、ビジネスマンと冒険家の血が代々流れてるんだ。

  父に教えてもらったことはすべて、今僕の中で生きている。その中で、 「お父さん、すげえ」って思った出来事を、ひとつだけ話しておこうか。   あるとき、父がヨーロッパで買い付けた車が、新しくできた法律で輸入 できなくなった。それは「左ハンドルの車は輸入禁止」という法律。   そんな法律、急に作るなよと思うけどね。でもそれがわかったとき、す でにたくさんの車を船で輸送中。これって相当やばい。一緒に仕事をして いた僕はもうパニックになった。でも、父はこう言ったんだ。 「ボビー、なぜそんなに心配するんだ。 もし空が落ちてきたとしても、地 球の上にいるのは、自分だけじゃないだろう 」って。   つまり、法律が変わって困ってるのは自分だけじゃないから、冷静にな りなさいってこと。なるほどと思ったね。   それからどうなったと思う?   父はすぐ、荷揚げ先を隣国のベナンに変 更するよう指示した。それで、ハンドル交換ができる職人を 10人ほど、ベ ナンに送り込んだ。そこで1か月寝泊まりさせて、すべての車を右ハンド ルに変えて事なきを得た。もちろん、その分経費はかかったけど、それで も利益を出すことができたよ。   僕 は、 「 あ あ、 冷 静 さ と 判 断 力 っ て と て も 大 事 な ん だ な 」 っ て、 こ の と き学んだ。そして同時に、人生にはリスクがつきものなんだと。   たとえばビジネスの場合、リスクがなかったらみんなそのビジネスをや るから、競争は激しくなるし、利益も薄くなるよね。   だから、ある程度のリスクは考慮して、転んだときに傷が浅くて済むよ うリスクヘッジしながら勝負する。これが大事なんだ。

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  父が話してくれた世界中の国で、断然輝いていた国。それが、日本

。   とくに、新幹線や関西空港の話に、少年ボビーはワクワクした。だから、 大人になって初めての来日で関空に着いたときは、超うれしかったよ。   実は、大学の経済学部を卒業したときは、銀行に入ろうと思ったんだ。 そうしてたら、日本に来ることもなかっただろうな。ボビーが銀行員なん て 今 考 え る と 笑 っ ち ゃ う け ど、 当 時 は マ ジ だ ぜ。 お 金 を 数 え る の が 好 き だったから、ずっと数えていたいと思ったんだ。   でも、父から 「人間は、自分の頭を使うべきだ。でも、人から使われる のではなく、自分自身で使ったほうがいい」 と言われて父の会社に入るよ うに勧められたわけ。それに、 人のお金ばかり数えてても、自分のお金は 増えない なと思ったし。   それから、父と海外を回りながら、たくさん勉強した。   物の目利き、交渉術、人の見抜き方……。唯一の不満は、お給料がちゃ んともらえなかったことくらいかな。 「謙遜」に「自信」が加われば 無敵だよ

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「ビジネスを教えてやっているのだから、給料をもらうのはおかしいだろ う」ってのが、父の考え。だから、給料代わりに分けてくれた商品を自分 で売って利益を得ていたんだ。

  で、 話 を 元 に 戻 す と、 父 は と に か く 日 本 を ほ め て た。 は、 っ て。 そ れ で、 95年 に「 糸 を 買 い 付 け て こ い」と父に言われ、やる気満々で憧れの国日本に1人でやってきたんだ。   が!   そのとき、事件は起きた。 リムジンバスの中に、買付資金500 万円とパスポートを忘れたんだ。 あり得ないだろう !?   ほんと、焦ったぜ。   もし、ナイジェリアだったら、財布を落として戻ってくる確率は1割く らいかな。500万円も落としたら、残念だけどあきらめるしかない。   ところがなんと、 拾った人が交番に届けてくれて、無事そのまま戻って よ!   「 な ん て す ば ら し い 国 だ ろ う。 お 父 さ ん の 言 っ て た こ と は 本当だった」と感激したね。   日本に来て驚いたことは、まだあった。それは、バス乗り場でみんなが きちんと並んでいること(笑) 。 向こうだったら、 「自分が先に」って思う から、毎回殴り合いだよ。 じゃあ、女性は大丈夫?   と思うかもしれない けど、アフリカでは女の人のほうが怖いよ。格闘家も真っ青だぜ!   日本では、落とし物は返ってくるし、バス停ではちゃんと並ぶし、それ だけでも世界に誇れると思う。   さらに、謙遜文化というものがあるよね? 「自分はあとでいいから、あなたがお先にどうぞ」と人に譲る文化。こん な文化、世界中のどこにある !?   少なくとも、今まで僕が見てきた他の国 にはなかった。 僕も今、日本人としてこの国にいる以上、この美しい習慣 を守れたらいいなと思う。なかなかできなくて、悔しいときも多いけどね。   でも正直に言えば、ビジネスをやる上では、この謙遜文化は不利なんだ。   ビジネスは、スピードとアピール力、そしてアタック力が大切だから、 自信を持って自分たちのよさをプレゼンしないと、どんどん追い越されて しまう。実際アフリカでも、日本の存在感は以前に比べたら薄くなってる。   そ れ で も、 「 メ イ ド イ ン ジ ャ パ ン 」 は、 今 も み ん な の 憧 れ だ よ。 だ か ら、 日本人はもっと自信を持って、世界に出ていっていいと思う。日本人の国 民性に自信がプラスされたら、絶対、無敵だからさ。

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  1度目の来日ですっかり日本を気に入った僕が、2度目にこの国を訪れ たのは、3年後。今度は、タイヤのチューブを買付に来たんだ。   でも、そのとき知り合った人に 「パチンコやると儲かるよ」って言われ て、やってみたら面白くてね。気がついたら、買付資金を全部使ってた。   父はもちろん、 「今すぐ帰ってこい!」と怒った。でも、 「わかった、帰 る、帰る」と言いながら、結局そのまま残ることにしたんだ。   だって、日本が楽しかったんだよ!   ゲームセンター、カラオケ、六本 木、それからいろんなスポーツ……。父が僕たちに話してくれたみたいに、 日本でできることをすべて楽しんで、向こうに帰ってみんなに話したいと 思ったんだ。何十日でも話せるくらい、ネタを仕込まなきゃって。   それで、日本で知り合った仲間と部屋を借りて、働き始めたの。製紙工 場、ティッシュ配り、レストラン……。いろんなところで働いたなあ。   その中で一番大変だったのは、英会話教材の電話営業かな。   日本語は片言でいいって言うから始めたけど、本当に売れなかった。 「じゃあ、やってやる!」と思えたら 必ず成功できるよ

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ら、 ン。 ……」 と、 も「 す。 ン!」 心 が 折 れたね。

  それでも、当時は若くて何も考えてなかったから、毎日楽しむことだけ が大切だった。怖いものなんてない。なんでもやってやるぜって思ってた。   職場では自由奔放すぎて、嫌われてはいないけど、あきれられてたかも しれないな。次に何をするかわからないところもあったし、仲間から「ボ ビーは、日本では絶対成功できない」と言われたこともあったよ。   でも、やっぱり自分としては、ストレスなく生きていたいと思ってたか ら、何を言われてもあんまり気にしなかったなあ。   そのころはわからなかったけど、自由なときが一番頭が働くと思うんだ。   そして、やってることを楽しんでたら、無理しなくても、自然に成長で き る ん だ よ。 だ か ら、 「 成 長 し よ う 」 と か「 成 績 を 上 げ よ う 」 と 思 っ て、 自分に嫌なプレッシャーをかけたことは、当時から一度もない。   でもね、さすがに英会話教材の営業は大変だった。売れないからお給料 も少なくて、2着のスーツを着回して靴もボロボロ。   さすがに2着しかないと恥ずかしいから、 当時つきあい始めてた今の奥 る。 ら、 ケットを手にかけて出社したよ。そうすると、自分の服に見えるだろう !?   で、そのうち後輩のほうが売れ始めたりするわけ。すると、なんだかな あって、さらにつらくなった。 それである日、会社まで行って「また今日 も𠮟られるな」と思うと、どうしても足が進まなくなって、玄関の前で座 り込んでしまった。 会社の人には申し訳ないことをしたけど、その日にや めたんだ。結局、その会社には9か月お世話になった。   日 本 人 だ っ た ら、 こ う い う と き、 深 刻 に 悩 む か も し れ な い よ ね。 「 オ レ、 何やってるんだろう」って。でも、ナイジェリア人の国民性もあると思う けど、僕は悩まないの。   成 功 で き な い と 言 わ れ て も、 い い 成 績 を 出 せ な く て 会 社 を や め て も、 「 人 生 の 主 役 は 誰?」 っ て 考 え た ら、 自 分 自 身 で し ょ。 自 分 の 人 生 を 生 き る ん だ か ら、 僕 が 自 信 を 持 た な き ゃ 誰 が 持 つ の?   「 オ レ は 自 分 の 人 生 の スーパースターだ」っていつも思ってたし、今も思ってるよ。

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  僕にいいところがあるとすれば、どんな状況でもポジティブでいられる ことだと思う。 「はじめに」にも書いたけど、日本に来たころはすごく貧乏で、1週間の 食 費 が 3 0 0 円 だ っ た。 今 と 違 っ て ガ リ ガ リ に や せ て た け ど、 毎 日 楽 し かったから、ぜんぜん気にならなかったね。   だって、憧れの国日本で生活してるんだから、仕事がつらくても、朝起 き た だ け で、 「 あ ぁ、 オ レ は 幸 せ だ な あ 」 っ て 思 え た わ け。 せ っ か く 日 本 に来られたのだから、このチャンスをムダにしたくないと思ってた。   当時は 6畳の部屋に4人で住んでた から、寝るのも命がけだったよ。 事の都合に合わせて交代で寝るんだけど、油断すると、出勤していくヤツ に踏まれる。 だから、いつも隅っこにいたな。 4人そろうと居場所がない から、夜中に何時間も散歩に行くこともあった。   そ れ で も、 「 未 来 は 明 る い な あ。 き っ と い い こ と あ る 」 っ て い つ も 思 っ てた。もちろん、今もそう思ってるよ。 お金は貧乏を楽しめる人の ところにやってくるんだ

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「貧乏生活は苦しかったでしょ」って言われるけど、お金がないからって 下を向いていたことは、人生で一度もないんだ。   確かに貧乏だったけど、自分が食事できるだけですごくありがたかった。   本当に苦しい人っていうのは、ご飯を口に入れても受け付けないんだ。   食事がもう喉を通らないから、食べたくても食べられなくなるの。   そうすると、どんなに助けてあげたくても、どうしようもない。もし日 本の人たちがあの光景を見たら、きっと泣くと思うよ。   僕は、そんな大人や子どもをアフリカでたくさん見てきた。   アフリカには、1日数時間しか電気が来ない場所や、何時間も歩いて水 くみに行かないと、一滴の水も飲めない場所がまだたくさんある。   だから、来日したとき、日本はなんて恵まれている国なんだって、すご く感激したね。そして、そんな日本で生活できるだけで、ただうれしかっ た。 「この国で自分の夢をつかむんだ」って思うと、希望が湧いてきた。   た と え 1 億 円 持 っ て て も、 自 分 が 満 足 で き な け れ ば、 そ の 人 は い つ も 「お金が足りない、どうしよう」って思わなきゃいけないよね。   幸せを感じられるかどうかは、持ってるお金の額じゃなくて、気持ち次 第なんだ。当時の僕は、お財布に300円入ってるだけで、自分はすごい お金持ちだと思えた。   アフリカに、こんな言葉がある。 「もっとも幸せな人は、最高のものをすべて持っているわけではない。彼 らは、すべてのものを最高にしているだけだ」   欲しいものをすべて持ってるから、それで幸せになるとは限らなくて、 今持っているもので満足してうれしくなれる人が、ハッピーだってこと。   だから、たとえ今の状況が客観的に見て苦しかったとしても、それでく さったり、自分を見失ったりせずに、自分の持ってるもので幸せになるに はどうすればいいかってことを、考えるべきじゃないかな。   でも、お金が欲しいと思うこと自体は、決して悪くない。日本には、自 分の能力を使って稼ぐ道がたくさんあるし、チャンスにあふれている。   それって、すごいことだよ。そんな最高の国に住んでるんだから、みん なポジティブに生きようぜって思うんだ。お金は、楽しく前向きに生きて るとついてくるからさ。

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  日本にずっと住もうと決めたのは、奥さんと出会ったことがきっかけ。 僕が「もうナイジェリアに帰る」と言ったとき、当時彼女だった奥さんが 「いつ帰ってくるの?」と聞くから、 「わからない」って正直に答えたの。 すると奥さんが「じゃあ、私も行く」と言ったわけ。   そ の と き、 「 あ、 こ れ は も う 一 度 日 本 に 戻 っ て き て、 結 婚 し な き ゃ」 と はじめて思ったんだ。   で、 その後結婚して子どももできた。幸せだったんだけど、問題はお金 がないことだった。貯金はゼロ。お給料が安いから、貯まりもしない。   奥さんは子育てで働けないし、おむつ代がないこともあった。   そんなとき、街で偶然取材を受けたことがきっかけで、TBSの「さん まのスーパーからくりTV」に出るようになったんだ。   あ の と き は、 取 材 に 答 え た ら 5 0 0 0 円 く れ る っ て 言 う か ら、 「 ホ ン ト に !?」って3回も確認したよ。だって、当時の僕にとって、5000円は 大金だもの。 ピンチのときほど チャンスをつかみやすいんだよ

参照

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