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平成26年度文学部フォーラム「それでも天は転る―熊本におけるもう1つの近代―」報告

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Academic year: 2021

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平成26年度文学部フォーラム

「それでも天は転

まわ

る―熊本におけるもう1つの近代―」報告

大島 明秀  2014年11月22日、熊本県立大学中ホールにおいて、平成26年度文学部フォーラ ム「それでも天は転まわる―熊本におけるもう1つの近代―」を開催しました。  本フォーラムは、西洋型の社会システムを導入していく幕末近代移行期に、西洋 化ではない「もう1つの近代」を構想した人物を取り上げながら、「日本の近代化」 をめぐる理解を問い直すことを狙いとして企画されました。当日のプログラムは以 下の通り。 《次第》 12:30 開  場 13:00 開会の辞 津曲 隆(熊本県立大学副学長) 13:20 基調講演 春名 徹 氏(歴史研究者・作家)          「佐田介石と不満なる近代―天動説と開化批判―」 14:30 パネルディスカッション「熊本におけるもう1つの近代」 コーディネーター 半藤英明       (熊本県立大学学術情報メディアセンター長) パネリスト    春名 徹 氏          平岡隆二(熊本県立大学文学部准教授)          「江戸の天文学と梵暦運動」          大島明秀(熊本県立大学文学部准教授)          「菊鹿の僧侶・原口針水の近代」 16:00 講  談 旭堂南海 師       「『講談・佐田介石物語』―時代遅れと笑えるか?―」 16:30 閉会の辞 砂野幸稔(熊本県立大学文学部長)  〈近代化〉を再検討する上で、話題の一つの中心となったのは、幕末・近代に反 欧化運動を巻き起こしたことで知られる熊本正泉寺の僧侶・佐田介石でした。

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 はじめに、『細川三代』(藤原書店)などのノンフィクション作家として高名であ りながら、一方で漂流記など歴史学研究の方面でも数々の研究成果を挙げられてい る春名徹氏をお迎えし、「佐田介石と不満なる近代―天動説と開化批判―」と銘打っ た基調講演を行っていただきました。講演では、最新の研究成果を踏まえながら、 従来の介石像を打ち破る新たな人物像と評価が提示されました。  引き続き行われた、パネルディスカッション「熊本におけるもう1つの近代」で は、まず前述の春名氏の講演に応答して、日本思想史(科学史)を専門とされる平 岡隆二准教授から、科学という研究視座から、佐田介石が拠りどころとしていた梵 暦運動に着目し、この運動が反欧化主義の一つの原動力となったことを紹介されま した。続いて歴史学(洋学)の大島からは、佐田介石と同じ真宗僧ながら対照的な 生涯を送った菊鹿の僧侶・原口針水の事歴を発信し、両者の比較からその評価を行 い ま し た。 発 表 後、 近 年本学文学部が主催し てきた、L. L. ジェーン ズや徳富蘇峰シンポジ ウムの仕掛人である半 藤英明学術情報メディ アセンター長の司会の 下、活発なディスカッ ションが行われ、会場 からの応答も相俟って 議論が深められました。  最後に、大阪から旭 堂南海師をお迎えして、 本フォーラムにおいて 一 つ の 主 題 的 人 物 と なった佐田介石を題材 として創作いただいた 創作講談「『講談・佐田 介石物語』―時代遅れ と 笑 え る か? ―」 を 会 場にお届けしました。 図1 ポスター

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 当日は、学外の一般参加者 と学生・教員合わせて180名 の参加者を得て、盛会のうち に終えることができました。  以下、春名徹氏の講演、な らびに平岡准教授、大島の発 表要旨を掲載します。 春名徹《佐田介石と不満なる近代》  熊本の浄土真宗の僧侶・佐田介石(1818-1882)は存在そのものが、ひとつの 矛盾である。黒船来航以来の政治的、文化的な価値の転換は、すべて彼の気に入ら なかったが、それだけでは単なる伝統主義者にすぎないだろう。  彼の特色は西欧的な論理を取り入れて、相手の内側で、その価値体系と切り結ぼ うとしたことである。だから彼は仏教的な宇宙の証明に西欧的な機械仕掛けを用い (視実等像儀の制作)、明治十年の博覧会のころからは、国産品の愛用を唱えて舶来 品を排斥し、代用品を推奨した(「ランプ亡国論」、菜種油による「観光燈」の製作)。  これとともに彼は考えの実現のために、政策提言(建白)型の〈上から〉の方法 から、直接、民衆に訴える説法という〈下からの〉変革へと方向を転換したことに も注目せねばならない。その運動が一定の支持者を得たことに、彼のなげかけた近 代への大きな疑問とその意味を考えないわけにはいかないのである。 平岡隆二《江戸の天文学と梵暦運動》  釈円通(1754-1834)に端を発する、江戸後期から明治期にかけての梵暦運動は、 かつては〈近代〉に対する〈伝統〉の対抗運動として評価されるのが一般的であっ たが、近年はテクスト論や史料論の観点からの再評価が進んでいる(岡田正彦『忘 れられた仏教天文学』2010年、等)。本発表では、そうした研究動向を踏まえつつ、 円通の主著『佛国暦象編』(文化7・1810年初版)テクストの思想史的な再評価を 試みた。  具体的には、円通が行った、仏典中の基礎データの整理・標準化の作業や、観測 事象や暦数による須弥山説の証明(あるいは説得)の技法を取り上げ、その議論の 図2 当日の様子

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枠組みが、単純な伝統主義的反動ではなく、むしろこの時期日本に浸透しつつあっ た近代科学的な方法や証明スタイルを色濃く反映したものであったことを論じる。 それにより、円通を初めとする19世紀日本の梵暦テクスト(儀器も含む)を、仏 教世界像の新しい記述スタイルを確立しようとする試み、として読む視点を提示・ 紹介した。 大島明秀《菊鹿の僧侶・原口針水の近代》  菊鹿の浄土真宗の僧侶・原口針水(1808-1893)は、幕末維新期に浄土真宗の 排耶運動をリードしたことで知られ、明治24年には大学林の総理事務取扱となり、 仏教者としての高みに上り詰めた。  加えて、西本願寺派第22世法主・大谷光瑞の学事長をつとめ、「日本型政教分離」 をもたらしたことで後世評価される島地黙雷を弟子に持つなど、教育者としても手 腕を発揮した針水の目指した近代は、社会の変革ではなく、「真宗(仏教)の近代化」 であった。  針水の仕事は、あくまで政府が構築した枠組みの中で、どうやって真宗(仏教) が存続できるのかを模索したものと言える。この点において、維新期頃から真宗と 袂を分かち、仏教者としての出世街道をはずれながらも、社会変革を構想して政治 活動を行った佐田介石とは対照的であった。  また、本フォーラムと連動する形で、熊本県立大学学術情報メディアンセンター 図書館で、企画展「熊本におけるもう1つの近代」を開催しました。会期は11月 17日から29日、題名にかかわる14点の和本、洋書、巻物、掛軸を出品し、展示パ ンフレットを作成しました。  少しでもたくさんの方々の御高覧に供するため、以下、内容を転載したいと思い ます。なお、実際のパンフレットでは、熊本市立熊本博物館の許可を得て、当該館 が所蔵する器物「視実等象儀」を表紙に掲載しましたが、ここでは省略します。  なお、展示キャプションは、歴史学研究室の教員(大島明秀)とゼミ生(成富な つみ、池田佳奈美、前田悠希、松田来美、吉田千夏、鷲﨑有紀、森上みやび)とで 作りました。  その際、版本は版、写本は写、活字資料は活と略し、また、熊本県立大学図書館 蔵本は(図)、日本語学研究室蔵本は(語)、歴史学研究室蔵本は(歴)と示してい ます。

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【付記 パンフレットの訂正・補足】 資料(10)『視実等象儀詳説』 ・1巻1冊→2巻1冊 ・巻之上は北極だが、巻の下では須弥山を日月行度の中心として視実両象を論じて いる。 資料(13)『須弥山儀図幅』 ・岡田正彦氏によって、円通が須弥山儀を製作していた可能性が指摘されている。 ただし、その場合でも掛軸の製作年代より後のことである。 ※以上は、梅林誠爾名誉教授の御教示による。

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