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「体育原理」で取り扱う授業内容の検討

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「体育原理」で取り扱う授業内容の検討

髙橋  徹 ・ 森田  啓 *  ・ 松宮 智生 **

 本稿の目的は,教職課程関連科目の一つである「体育原理」で取り扱う授業内容について 検討することである。結論として,体育原理で取り扱う授業内容については,「

PPE

のよう な研究成果と実践とを橋渡しするための内容」,「体育の本質を追求し,『体育とは何か?』

を伝え・考えるための内容」,「より良い体育・スポーツの世界を創造していくために必要に なると考えられる批判的思考を育成するための内容」,「体育原理,および体育哲学という研 究分野それ自体の理解を深めるための内容」,以上4点にまとめられる。なお,本稿での議 論は各大学で開講されている授業の内容を全て一律にすべきという主張ではない。上記の4 点についても,授業内容を限定してしまう「枠」の設定ではなく,授業における学修内容と しての「軸」の提示を意図しており,将来に向けた拡張と選択の可能性に開かれたものであ る。

Keywords:体育原理,体育哲学,

Principles of physical education

,授業内容,学修内容 1.はじめに

 教員免許法施行規則の第四条(中学校教諭)およ び第五条(高等学校教諭)には,保健体育において 習得を要する科目として,「『体育原理,体育心理学,

体育経営管理学,体育社会学』及び運動学(運動方 法学を含む。)」が示されている。この規則に従い,

保健体育教員養成課程を設置している多くの大学で は教職課程関連科目の一つとして「体育原理」が開 講されているが,大学によっては別の科目名で開講 されている場合もあり,「体育哲学」や「スポーツ 原理」,もしくは「体育原理」であっても英語表記 が「

Philosophy of physical education

」という例も 見られる(深澤,2016,

p.

8)。しかし,いずれの名 称であれ,教員免許法施行規則に示された「体育原 理」の要件を満たす授業において,何を授業内容と して取り扱う必要があるのかについては各大学の授 業担当者間で認識の相違があり,統一的な見解が共

有されているとは言い難いのが実情である。

 なお,この課題は近年になり新たに取り上げられ たものではなく,すでに佐藤(1980)によって問題 点が指摘されている。佐藤(1980)は,当時すでに 発刊されていた「体育(の)原理」という書名が付 く書籍として,川村(1959),丹下(1961

a

;1961

b

),

福田(1962),石津(1969),前川(1970),および近 似する書名の『体育学原論』(高部,1962),『体育学 原論』(前川,1950;1958),『体育学原論』(出口,

1955),『体育原論』(丸,1957)を概観した上で,「わ が国にあっては『体育原理』がいったいどういうも のなのか,未だに一般的了解は得られておらず,こ うした傾向は『体育原理』という書名を冠した著作 にも顕著である」(佐藤,1980,

p.

44)と言及してい1)。同様に石川(2005)も,『体育原理講義』(中 村・高橋,1987)に対する見解として,「ある程度 共通に理解された体育原理の概念が反映されている が,全体としてみると,個々の執筆者の思想や見解 岡山大学大学院教育学研究科 生活・健康スポーツ系 700−8530 岡山市北区津島中3−1−1

*大阪体育大学体育学部 590−0496 泉南郡熊取町朝代台1−1

**清和大学法学部 292−8555 木更津市東太田3−4−5

Examination of Lesson Contents of “Principles of Physical Education”

Toru TAKAHASHI, Hiraku MORITA*, and Tomoki MATSUMIYA**

Division of Life, Health, and Sports Education, Graduate School of Education, Okayama University, 3-1-1 Tsushima- naka, Kita-ku, Okayama 700-8530

*School of Health and Sport Sciences, Osaka University of Health and Sport Sciences, 1-1 Asashirodai, Kumatori-cho, Sennan 590-0496

**Faculty of Law, Seiwa University, 3-4-5 Higashiohda, Kisarazu 292-8555

Ⅴ.小学校教員養成における教科教育と教科内容を 統合する授業内容の構築と今後の課題

 以上述べてきたように,家政教育講座で教科教育 と教科内容の統合を目的として授業内容を構築した

「初等家庭科授業研究」と「初等家庭科内容研究」

の授業を通して,平成26 ~平成30年度の受講生は,

「教科内容構成プロセス①の前提となる力:10項目」

に関しては,「自らの力が伸びた」と評価していた。

 しかし,「教科内容構成力(プロセス①+②):9 項目」に関しては,平成 27 年度と平成 29 年度の受 講生は「全項目が高まった」と評価していたのに対 し,平成 26 年度の受講生は項目 16,平成 28 年度と 平成30年度の受講生は,項目12と項目16の力が「高 まっていない」と評価していた。その原因としては,

平成28年度以降,教員志望度の低い受講生が増え,

特に平成 28 年度と平成 30 年度では,志望度の低い 受講生の自己評価得点が低下していたことが捉えら れた。

 以上から,家政教育講座で教科教育と教科内容の 統合を目的として構築した「初等家庭科授業研究」

と「初等家庭科内容研究」のカリキュラムを学ぶこ とで,学生は「自分の教科内容構成力が高まった」

と評価していたと言える。

 しかし,今後の課題は二つ考えられる。第一は,

初等家庭科授業研究と内容研究を受講することで

「教科内容構成力が高まった」と評価していた学生 がアンケートに記述していた「まだ自分で授業計画

を立て,授業を実践できるかどうかは自信がない」

という意見である。学生が授業で獲得した教科内容 構成力を実践的指導力としていくための3年次の

「教育実習Ⅲ」や4年次の「教職実践インターンシッ プ」での実践とその検証に取り組んでいく必要があ る。第二は,専修別に機械的に行っている授業のク ラス分けと,年々増える傾向にある教員志望度の低 い学生に対する授業研究と内容研究の授業内容を検 討していくことが課題となると考えられた。

注および引用文献

1)岡山大学教育学部将来計画委員会(2004),岡 山大学教育学部 学部・大学院将来計画委員会報 告書

2)岡山大学大学院教育学研究科・岡山大学教師教 育開発センター(2016),平成 23 ~ 27 年度文部 科学省特別経費事業「先進的教員養成プロジェク ト」教員の資質向上に寄与する「大学と学校・教 育委員会の協働」の実現−学校教育改善との連動 で教員養成教育を深化させる−最終報告書 3)佐藤園・篠原陽子(2012),教科教育・教科内容・

教育実習の統合を目指す中等学校教員養成家庭科 カリキュラム構築の試み−教員養成の課題として の「教科教育と教科専門を架橋する教育研究領域」

確立の視点から−,日本教科教育学会誌,35,

19

-

30

(2)

が各所に主張されており,体育原理に関する国内的 に統一的な見解にはまだ到達していない」(石川,

2005,

p.

301)と指摘している。

 もちろん,「体育原理」が大学の授業である以上 は各大学や各学部・学科のディプロマポリシー,お よびカリキュラムポリシーに則る形で授業が進めら れるものであり,授業内容についても担当者がその 責任を負っている。しかしながら,同じ「体育原理」

の要件を満たす授業である以上は授業内容について の一定の共通事項を見出すことも可能なはずであ り,その共通事項を元に内容を整理し,授業に対す る共通の認識を担当者間で共有することができれ ば,「体育原理」の授業において担保すべき内容を 明らかにすることも可能になると考えられる。

2.本稿の目的・議論の進め方

 本稿の目的は,体育原理に関連する出版物,およ び当該領域の発展の経緯を概観できる先行研究の検 討を通して,体育原理の授業において取り扱う内容 について検討することである。

 議論の進め方として,まずは上記の佐藤(1980),

および石川(2005)による研究以降に出版された体 育原理に関係する書籍を概観した上で,両者の指摘 がそれらの書籍にも当て嵌まるのかについて検討す る。

 次に学問領域としての体育原理が発展してきた経 緯,および当該領域が抱えてきた研究課題と学問上 の役割を整理する。なお,ここでの考察を先取りす ると,体育原理の授業で取り扱う内容の不透明さの 原因の一つが,学問領域としての体育原理が抱えて きた研究内容等の混迷状況にあるという点を指摘す る。

 そして最後に,体育原理を学ぶことの必要性を検 討した上で,議論を総括する形で体育原理の授業に おいて取り扱う内容について検討する。

3.体育原理に関する書籍の内容分析

 先述した通り,佐藤(1980),および石川(2005)

は体育原理に関する書籍を対象とした内容批判を通 して,体育原理についての共通了解が十分ではない ことを指摘したが,彼らの研究以降も体育原理に関 係する書籍は出版されている。そこで,本節では特 に 2000 年代以降に出版され,各大学の体育原理関 連授業の教科書や参考図書として使用されている友 添・岡出編著(2005),友添・岡出編著(2016),久 保(2010),大橋編著(2011),阿部(2018),近藤(2012),

髙橋編著(2018)を概観し,書籍のねらい,および 編者や著者自身が考える体育原理に対する見解を参 照することで,佐藤(1980)と石川(2005)の指摘 がこれらの書籍にも当て嵌まるのかについて検討し たい。

 一つ目は友添・岡出編著(2005)『教養としての 体育原理』,および友添・岡出編著(2016)『教養と しての体育原理 新版』である。この2冊の関係に ついて編者の一人である友添は「まえがき」の中で,

初版が公刊されてからの 10 年余りの歳月のうちに 日本のスポーツや学校体育をめぐる状況が大きく変 化したため,内容を大きく刷新し新版として公刊し たこと述べている。また体育原理についても,スポー ツや体育の現実を直視し,スポーツや体育の世界を 支配する様々な諸原理や諸原則を明確にし,それら を体系立て,批判的に検討する領域であると定義し ている。そして,このような考え方や原理・原則を 基盤に,あるべきスポーツや体育の理想的世界が構 築され創造されていかなければならず,原理・原則 が私たちの哲学に高められてはじめて,私たちに とって真のスポーツが創造され,あるべき体育が構 築されていくのだとしている(友添,2016,

p.

7)。

 次に久保(2010)『体育・スポーツの哲学的見方』

では,著者自身が対象とする読者について言及して おり,身体教育(体育)やスポーツを学ぼうとする 人たち,スポーツを別の角度から観てみたい人たち が対象になると述べている(久保,2010,

p.

ⅲ)。

そして,書籍全体を3つのレベルに分けた上で,レ ベルⅠが体育・スポーツを学ぶ人のための導入とし て書かれたもので,「体育哲学」「体育原論」「体育 原理」あるいは「スポーツ哲学」などの大学の授業 内 容 を 想 定 し た 内 容 で あ る と し て い る( 久 保,

2010,

p.

ⅳ)。なお,著者によれば,体育(スポーツ)

哲学とは「体育(あるいはスポーツ)を理解(物事 の道理をさとり知ること)し,その是非・善悪を弁 別(見分けること)する」(久保,2010,

p.

ⅴ)研 究領域であるとされる。

 三つ目は大橋編著(2011)『体育哲学原論』,およ び阿部(2018)『体育哲学』である。この2つの書 籍の関係については,「この書籍『体育哲学』は,『体 育哲学原論』の大幅な改訂によって上梓されたもの である」(阿部,2018,

p.

5)と述べられている。『体 育哲学』の著者である阿部は佐藤(1993

a

)に倣い つつ,体育哲学について,体育という事象を哲学的 方法によって研究する学問分野であり,体育原理論 の構築が主要な課題の一つであると述べている(阿 部,2018,

p.

74)。一方で,体育原理については,

体育の本質であり,体育の根源的な真理であると述

(3)

べた上で,「体育の原理は,体育がそれによって成 り立つところの根拠,体育の体育たる根拠,さらに は正しい体育のあり方を導くための根拠と言えよ う」(阿部,2018,

p.

66)と述べている。また体育 の原理論は,なによりも「体育とは何か?」という 原理論的問題設定に対する解に起点があるため,体 育哲学が体育の原理論を構築するためには,この「体 育とは何か?」という原理論的問題設定と誠実に取 り組まなくてはならないとも指摘する(阿部,2018,

p.

71)。

 近藤(2012)『スポーツ倫理』では,著者自身が 本書が欲張りな内容となっていることを指摘した上 で,その理由として体育・スポーツ系大学,教員養 成学部や大学院の「体育原理」「体育哲学」「体育・

スポーツ原論」「スポーツ倫理」「フェアプレイ論」

といった授業のテキスト,補助文献で使える本にし たいという願いがあることを述べている(近藤,

2012,

p.

3)。

 最後の髙橋編著(2018)『はじめて学ぶ体育・スポー ツ哲学』では,著者自身が体育やスポーツを新たに 学んでみたいという読者に向けた入門書としての内 容になっていることを指摘するとともに,体育・ス ポーツ哲学は体育やスポーツを哲学という立場から 論じる研究領域であり,「体育とは何か?スポーツ とは何か?」という本質的な課題を問い続けながら,

体育やスポーツの理想の姿を明らかにしようとする 分野であると述べている(髙橋,2018,

p.

3)

 さて,2000 年代以降に出版された書籍を概観し た上で明らかなことは,現在においても佐藤(1980)

の指摘と同様に,体育原理あるいは体育哲学につい ての一般的了解は不明瞭なままであるという課題で ある。そして石川(2005)の指摘と同様に,近年出 版された著作においても執筆者個々人の思想や見解 が主張されているという傾向に変化は見られないこ とが分かる。したがって,体育原理の授業担当者間 での統一的な見解が共有されていないという状況 は,近年出版された書籍の内容からも窺えるのであ る。

4.体育原理から体育哲学へ

4.1 .

日本国内における学問領域としての体育原理の

動向

 教員免許法施行規則に表記されている「体育原理」

の学術的背景に位置づくと考えられるのが,かつて 体育学の領域の一つとして存在していた「体育原理」

である。しかし,日本国内における体育・スポーツ 関連の最大規模の学会である一般社団法人日本体

育・スポーツ・健康学会(以下,日本体育学会と表 記)において,現在では「体育原理」という名称は 使用されておらず,当該分野に対しては「体育哲学」

という名称が使用されている。体育学会が 1949 年 に設立して以降,1961 年に学会内に体育原理専門 分科会が承認され,長らく「体育原理」という名称 が使用されたが,2005 年に体育哲学専門分科会へ の名称変更が承認されたことにより「体育原理」と いう名称が学会組織からは消滅している。また,関 連学会として 1978 年に設立した日本体育・スポー ツ哲学会があるものの,こちらは当初から「体育原 理」という表記ではない。このように国内の「体育 原理」に関連する学問名称や学会組織名称は,初め は原理として出立したものの,現在では哲学という 名称が充てられている状況にある。

 なお,この名称変更に関連する経緯を概観できる 資料として,佐藤(1980;1993

b

;1999;2000;2006),

石川(2005),高田(2007),久保(2017),畑(2018)

がある2)。この中でも特に,佐藤(1980;1993

b

1999;2000;2006)による一連の研究では 1949 年 の体育学会設立から始まり,1961 年の体育原理専 門分科会の承認を経て,2005 年の体育哲学専門分 科会への名称変更までの期間に議論されていた「体 育原理」から「体育哲学」へという領域全体の動向 が詳細にまとめられている。そこで次節以降では佐 藤による論考を主に参照しつつ,体育原理が体育哲 学へと変化してきた背景,および本来の体育原理の 学的役割を整理することとする。

4.2 .

アメリカの「

Principles of physical education

と日本の「体育原理」の相違

 日本における学問領域としての体育原理は,戦後 にアメリカの

Principles of physical education

(以 下,

PPE

と表記)をモデルとして出立したとされて いる(佐藤,1993

b

p.

69)。当時のアメリカにおけ る

PPE

は体育諸科学がすでに明らかにしている研 究成果を体育実践にできるだけ有効に役立てていく ため,利用・活用という見地からアプローチしてい く技術的な領域として位置づけられていたとされる

(佐藤,1993

b

p.

70)。しかし図1に示す通り,「

A

の箇所に存在する日本における体育原理は「

B

」の 箇所に存在する

PPE

とは異なり,体育諸科学の成 立基盤を批判的に検討することで,「体育とは何か」

という哲学的な問いを立てる領域として発展を遂げ てきた。深澤(2016)はこの状況について次のよう に述べている。

  かくして,日本における体育原理とは,体育の が各所に主張されており,体育原理に関する国内的

に統一的な見解にはまだ到達していない」(石川,

2005,

p.

301)と指摘している。

 もちろん,「体育原理」が大学の授業である以上 は各大学や各学部・学科のディプロマポリシー,お よびカリキュラムポリシーに則る形で授業が進めら れるものであり,授業内容についても担当者がその 責任を負っている。しかしながら,同じ「体育原理」

の要件を満たす授業である以上は授業内容について の一定の共通事項を見出すことも可能なはずであ り,その共通事項を元に内容を整理し,授業に対す る共通の認識を担当者間で共有することができれ ば,「体育原理」の授業において担保すべき内容を 明らかにすることも可能になると考えられる。

2.本稿の目的・議論の進め方

 本稿の目的は,体育原理に関連する出版物,およ び当該領域の発展の経緯を概観できる先行研究の検 討を通して,体育原理の授業において取り扱う内容 について検討することである。

 議論の進め方として,まずは上記の佐藤(1980),

および石川(2005)による研究以降に出版された体 育原理に関係する書籍を概観した上で,両者の指摘 がそれらの書籍にも当て嵌まるのかについて検討す る。

 次に学問領域としての体育原理が発展してきた経 緯,および当該領域が抱えてきた研究課題と学問上 の役割を整理する。なお,ここでの考察を先取りす ると,体育原理の授業で取り扱う内容の不透明さの 原因の一つが,学問領域としての体育原理が抱えて きた研究内容等の混迷状況にあるという点を指摘す る。

 そして最後に,体育原理を学ぶことの必要性を検 討した上で,議論を総括する形で体育原理の授業に おいて取り扱う内容について検討する。

3.体育原理に関する書籍の内容分析

 先述した通り,佐藤(1980),および石川(2005)

は体育原理に関する書籍を対象とした内容批判を通 して,体育原理についての共通了解が十分ではない ことを指摘したが,彼らの研究以降も体育原理に関 係する書籍は出版されている。そこで,本節では特 に 2000 年代以降に出版され,各大学の体育原理関 連授業の教科書や参考図書として使用されている友 添・岡出編著(2005),友添・岡出編著(2016),久 保(2010),大橋編著(2011),阿部(2018),近藤(2012),

髙橋編著(2018)を概観し,書籍のねらい,および 編者や著者自身が考える体育原理に対する見解を参 照することで,佐藤(1980)と石川(2005)の指摘 がこれらの書籍にも当て嵌まるのかについて検討し たい。

 一つ目は友添・岡出編著(2005)『教養としての 体育原理』,および友添・岡出編著(2016)『教養と しての体育原理 新版』である。この2冊の関係に ついて編者の一人である友添は「まえがき」の中で,

初版が公刊されてからの 10 年余りの歳月のうちに 日本のスポーツや学校体育をめぐる状況が大きく変 化したため,内容を大きく刷新し新版として公刊し たこと述べている。また体育原理についても,スポー ツや体育の現実を直視し,スポーツや体育の世界を 支配する様々な諸原理や諸原則を明確にし,それら を体系立て,批判的に検討する領域であると定義し ている。そして,このような考え方や原理・原則を 基盤に,あるべきスポーツや体育の理想的世界が構 築され創造されていかなければならず,原理・原則 が私たちの哲学に高められてはじめて,私たちに とって真のスポーツが創造され,あるべき体育が構 築されていくのだとしている(友添,2016,

p.

7)。

 次に久保(2010)『体育・スポーツの哲学的見方』

では,著者自身が対象とする読者について言及して おり,身体教育(体育)やスポーツを学ぼうとする 人たち,スポーツを別の角度から観てみたい人たち が対象になると述べている(久保,2010,

p.

ⅲ)。

そして,書籍全体を3つのレベルに分けた上で,レ ベルⅠが体育・スポーツを学ぶ人のための導入とし て書かれたもので,「体育哲学」「体育原論」「体育 原理」あるいは「スポーツ哲学」などの大学の授業 内 容 を 想 定 し た 内 容 で あ る と し て い る( 久 保,

2010,

p.

ⅳ)。なお,著者によれば,体育(スポーツ)

哲学とは「体育(あるいはスポーツ)を理解(物事 の道理をさとり知ること)し,その是非・善悪を弁 別(見分けること)する」(久保,2010,

p.

ⅴ)研 究領域であるとされる。

 三つ目は大橋編著(2011)『体育哲学原論』,およ び阿部(2018)『体育哲学』である。この2つの書 籍の関係については,「この書籍『体育哲学』は,『体 育哲学原論』の大幅な改訂によって上梓されたもの である」(阿部,2018,

p.

5)と述べられている。『体 育哲学』の著者である阿部は佐藤(1993

a

)に倣い つつ,体育哲学について,体育という事象を哲学的 方法によって研究する学問分野であり,体育原理論 の構築が主要な課題の一つであると述べている(阿 部,2018,

p.

74)。一方で,体育原理については,

体育の本質であり,体育の根源的な真理であると述

(4)

アルケー(始原),すなわち体育に関連する諸学 問領域の存在理由を示す領域として位置づけられ たといえる。いわば哲学としての位置づけが与え られたと解釈することができる(深澤,2016,

p.

9)。

 なお,体育哲学が追求する研究課題について言及 した佐藤(1993

b

)は,その課題として「体育を対 象とする原理論の構築」,および「体育に対する現 状批判・現状分析」の2点を挙げている。これはギ リシア以来の哲学の課題が「原理論の構築」と「現 状批判」にあったことが背景にある(佐藤,1993

b

p.

72)。また,佐藤(1993

b

)は特に,「体育に対する 現状批判・現状分析」に関しては「体育理論の現状 に対する批判・分析」,および「体育事象そのものの 現状に対する批判・分析」を行わなければならない とし,もしこうした批判,分析が有効になされるの であれば,体育哲学に対する一般的認知が飛躍的に 高まることになるとも述べている(佐藤,1993

b

p.

72)。

 他方で,佐藤と同様に体育哲学の立場から言及し た高田(2007)によれば,戦後の体育哲学の研究対 象については,「体育の本質究明」と「体育学の基礎 づけ」の2点にまとめられるとしている(高田,

2007,

p.

60)。そしてこの2点の研究課題のいずれも が体育に関する批判的検討が前提にあるとしている。

 したがって,この両者の指摘に見られるように,

体育の本質を問おうとしてきた従来の日本における

「体育原理」は「体育哲学」と名づけられてしかる べき領域であるとして名称変更へとつながったので ある(佐藤,1993

b

p.

70)3)

B A

体育原理⽇本の アメリカの PPE

図1.日本の体育原理とアメリカの PPE4)

4.3.

体育学の中での体育哲学の役割とその困難性  日本においては体育原理が体育哲学へと変化して きたものの,当該分野が元来,体育諸科学が明らか にした研究成果を体育実践の場へと有効に役立てて いくための統合的な役割を担う分野であったことを 鑑みるならば,体育哲学に名称が変更された現在で も同様の役割が期待されると考えることもできる。

この点については高田(2007)も,体育哲学に名称 変更はされたものの,

PPE

としての体育原理の役割

についても重要性が大きいため,その役割をどのよ うな形で果たす必要があるかなど,未だに体育哲学 領域としての課題が多いことを指摘している(高田,

2007,

p.

60)。

 そして,佐藤(2000)もまた,アメリカ的な体育 諸科学と体育実践とを取り結ぶ新たな「体育原理」

を,日本の状況に応じた形で具体化するように体育 哲学が先導していくべきであることを指摘している

(佐藤,2000,

p.

436)。しかし,その後に佐藤(2006)

は,アメリカ的な体育原理が日本の状況に応じた形 で成立すれば,体育諸科学における諸成果が有用性 という観点からではあるが一覧できることになり,

それらを実践の場で検討し鍛えていくことにも繋が るとしながらも,体育原理の構築は体育学全般に渡 るため一つの領域だけで担いきれるものではなく,

体育学全体の総力を結集して取り組むべき課題であ ることにも言及している(佐藤,2006,

pp.

7

-

9)。

 一方で樋口(2005)は,体育学が一定の発展を遂 げたことにより,体育学ならびにスポーツ科学の成 果を踏まえた実践のための体育原理の構成という未 解決の課題へと向かうことが考えられると述べてい る(樋口,2005,

p.

14)。そして,単なる体育哲学 的研究に留まるのではなくダイナミックな体育の原 理的研究を編み出していく方向性として,哲学とい う方法論に固執せずに,テーマに即して歴史的研究 や社会学的研究や教育学的研究などと融合しあう学 問のあり様を生み出す可能性があることも指摘して いる(樋口,2005,

p.

14)。

 ここに挙げた3名の見解は,いずれの指摘も体育 哲学分野が体育原理としての役割を担うことをも期 待するものである。しかし,体育学の成果を統合す るという原理としての課題は,学問の発展とともに 非常に困難な課題になる。なぜなら,そこには佐藤

(1980)が指摘する「可変性」と「膨張性」という 2つの学問上の性格が障壁となるからである。すな わち,体育学の諸成果を実践へと役立てようとする のであれば,時代や場所に対応する形で原理の内容 は変容する必要があるにも関わらず,基盤とすると ころの学問その他の知見は日々刻々増大するため,

これらの知見が増大すればするほどに必然的に体育 原理の内実も益々膨大なものにならざるを得ないの である(佐藤,1980,

p.

43)。社会の大きな変化と 併せて,現状すでに膨張化の一途を辿っている体育 学の研究成果について,研究者個々人が人文社会科 学,自然科学の双方の成果を把握し,統合するとい う作業はもはや不可能に近いと言っても過言ではな いのである。

 さて,前節までに概説してきた通り,学問領域と

(5)

しての日本の体育原理はアメリカの

PPE

をモデル として出立したにも関わらず,その後は元来の原理 としての役割である学問領域の取りまとめではな く,原理論の構築と現状批判・現状分析という哲学 の方向性へと発展を遂げてきた。なお,佐藤(1980)

によれば,すでに当時から体育原理分野での研究内 容が極めて多岐にわたり,多様というよりも混迷と いっていい状況にあったことも指摘されている(佐 藤,1980,

p.

32)。また,日進月歩で研究が進めら れている体育学の成果を実践へと役立てるために統 合するという作業は,もはや研究者個人の手には負 えない程に困難な課題となっている。したがって,

体育原理の授業内容に関する統一的な見解が不透明 であることの要因の一端も,日本の体育原理,およ び体育哲学という学問領域が特異な発展を遂げてき たことに起因していると考えることもできるのであ る。

5.体育原理を学ぶことの必要性

 前節までは学問領域としての体育原理の成り立ち とその役割を概観してきたが,本節ではあらためて,

なぜ体育原理を学ぶ必要があるのかについて検討し たい。体育原理を学ぶことの必要性については,す でに取り上げた深澤(2016),樋口(2005),友添(2016)

がそれぞれ次のように述べている。

  スポーツをはじめとする身体運動文化や体育を 対象として展開される諸学問領域がどのように相 互に関連しあっているのか,またそれぞれがどの ような意義や意味を持つかを検討することによ り,体育や身体運動文化にかかわる諸学問が真の 意味で学際的な領域となることが期待される。そ れらを取りまとめ,いわば理論と実践の橋渡しを する役割を体育原理は担うことになる(深澤,

2016,

p.

13)。

  体育の根本的な成立基盤を明らかにし,体育の 進むべき道やあるべき指針を理念的に見定めるた めの理論的基礎を与えるといった性格が,体育原 理には多かれ少なかれ期待されている(樋口,

2005,

p.

11)。

  私たちはスポーツと体育の諸問題に向き合い,

批判的な考察を重ねながら,あるべきスポーツや 体育の世界を創造していかなければならないた め,ここでは,そのための真摯な努力を支えてく れるのが体育原理であるということを理解する

(友添,2016,

p.

2)。

 これら三者の指摘から読み取れるのは,深澤

(2016)の指摘が

PPE

へと繋がる授業内容を指示し,

樋口(2005)の指摘が体育の本質を探求する体育哲 学へと繋がる内容を指示し,友添(2016)の指摘が 哲学的思考とでも言うべき批判的な思考力を育むた めの内容を指示しているということである。

 なお,友添(2016)が指摘するような批判的思考 力を育むための授業については,先行研究において いくつかの具体的な授業実践例が紹介されている。

例えば森田ほか(2019)は,「体育哲学」という科 目名の授業において,1992 年の全国高校野球選手 権で起こった松井秀喜選手に対する「5打席連続敬 遠」を具体的事例として取り上げた授業を紹介して いる。また,髙橋ほか(2020)では共著者の一人で ある松宮が,2010年のサッカーワールドカップ準々 決勝で起こった意図的なハンドの反則によって失点 を防いだ場面を事例に取り上げた授業を紹介してい る(髙橋ほか,2020,

pp.

36

-

38)。特に,松宮の紹 介した事例は「体育原理」の授業として展開された ものであり,そのねらいについても,「学生たちに とって『面白い』あるいは『役に立つ』内容を考案 するなかで,将来の自分,すなわち,小学校の教員 や小学生の指導者として指導する場面を想定し,当 事者意識をもって課題に取り組む内容が有効ではな いかと考えた」(髙橋ほか,2020,

pp.

36

-

37)と述 べている。そこではすなわち,「専門的な知識の獲 得よりも,言うなれば,哲学的な『営み』を通じて,

学生達の知的パフォーマンスを上げること」(髙橋 ほか,2020,

p.

38)が目指されているのである。こ のように,体育原理の授業においても

PPE

や体育の 本質を探究する哲学の立場からの授業とは異なり,

学生の批判的な思考力を向上させることを目的とし た授業実践が展開されるという事例も見られる。

6.体育原理で取り扱う授業内容

 ここまで,体育原理に関連する書籍の内容,学問 領域としての体育原理の成り立ちと役割,体育原理 を学ぶことの必要性について議論,考察してきたが,

これらを基にしつつ体育原理の授業において取り扱 うことが想定される内容を提示するならば,以下の 4点にまとめることができると考えられる。

 ①

PPE

のような研究成果と実践とを橋渡しする ための内容

アルケー(始原),すなわち体育に関連する諸学 問領域の存在理由を示す領域として位置づけられ たといえる。いわば哲学としての位置づけが与え られたと解釈することができる(深澤,2016,

p.

9)。

 なお,体育哲学が追求する研究課題について言及 した佐藤(1993

b

)は,その課題として「体育を対 象とする原理論の構築」,および「体育に対する現 状批判・現状分析」の2点を挙げている。これはギ リシア以来の哲学の課題が「原理論の構築」と「現 状批判」にあったことが背景にある(佐藤,1993

b

p.

72)。また,佐藤(1993

b

)は特に,「体育に対する 現状批判・現状分析」に関しては「体育理論の現状 に対する批判・分析」,および「体育事象そのものの 現状に対する批判・分析」を行わなければならない とし,もしこうした批判,分析が有効になされるの であれば,体育哲学に対する一般的認知が飛躍的に 高まることになるとも述べている(佐藤,1993

b

p.

72)。

 他方で,佐藤と同様に体育哲学の立場から言及し た高田(2007)によれば,戦後の体育哲学の研究対 象については,「体育の本質究明」と「体育学の基礎 づけ」の2点にまとめられるとしている(高田,

2007,

p.

60)。そしてこの2点の研究課題のいずれも が体育に関する批判的検討が前提にあるとしている。

 したがって,この両者の指摘に見られるように,

体育の本質を問おうとしてきた従来の日本における

「体育原理」は「体育哲学」と名づけられてしかる べき領域であるとして名称変更へとつながったので ある(佐藤,1993

b

p.

70)3)

B A

体育原理⽇本の アメリカの PPE

図1.日本の体育原理とアメリカの PPE4)

4.3.

体育学の中での体育哲学の役割とその困難性  日本においては体育原理が体育哲学へと変化して きたものの,当該分野が元来,体育諸科学が明らか にした研究成果を体育実践の場へと有効に役立てて いくための統合的な役割を担う分野であったことを 鑑みるならば,体育哲学に名称が変更された現在で も同様の役割が期待されると考えることもできる。

この点については高田(2007)も,体育哲学に名称 変更はされたものの,

PPE

としての体育原理の役割

についても重要性が大きいため,その役割をどのよ うな形で果たす必要があるかなど,未だに体育哲学 領域としての課題が多いことを指摘している(高田,

2007,

p.

60)。

 そして,佐藤(2000)もまた,アメリカ的な体育 諸科学と体育実践とを取り結ぶ新たな「体育原理」

を,日本の状況に応じた形で具体化するように体育 哲学が先導していくべきであることを指摘している

(佐藤,2000,

p.

436)。しかし,その後に佐藤(2006)

は,アメリカ的な体育原理が日本の状況に応じた形 で成立すれば,体育諸科学における諸成果が有用性 という観点からではあるが一覧できることになり,

それらを実践の場で検討し鍛えていくことにも繋が るとしながらも,体育原理の構築は体育学全般に渡 るため一つの領域だけで担いきれるものではなく,

体育学全体の総力を結集して取り組むべき課題であ ることにも言及している(佐藤,2006,

pp.

7

-

9)。

 一方で樋口(2005)は,体育学が一定の発展を遂 げたことにより,体育学ならびにスポーツ科学の成 果を踏まえた実践のための体育原理の構成という未 解決の課題へと向かうことが考えられると述べてい る(樋口,2005,

p.

14)。そして,単なる体育哲学 的研究に留まるのではなくダイナミックな体育の原 理的研究を編み出していく方向性として,哲学とい う方法論に固執せずに,テーマに即して歴史的研究 や社会学的研究や教育学的研究などと融合しあう学 問のあり様を生み出す可能性があることも指摘して いる(樋口,2005,

p.

14)。

 ここに挙げた3名の見解は,いずれの指摘も体育 哲学分野が体育原理としての役割を担うことをも期 待するものである。しかし,体育学の成果を統合す るという原理としての課題は,学問の発展とともに 非常に困難な課題になる。なぜなら,そこには佐藤

(1980)が指摘する「可変性」と「膨張性」という 2つの学問上の性格が障壁となるからである。すな わち,体育学の諸成果を実践へと役立てようとする のであれば,時代や場所に対応する形で原理の内容 は変容する必要があるにも関わらず,基盤とすると ころの学問その他の知見は日々刻々増大するため,

これらの知見が増大すればするほどに必然的に体育 原理の内実も益々膨大なものにならざるを得ないの である(佐藤,1980,

p.

43)。社会の大きな変化と 併せて,現状すでに膨張化の一途を辿っている体育 学の研究成果について,研究者個々人が人文社会科 学,自然科学の双方の成果を把握し,統合するとい う作業はもはや不可能に近いと言っても過言ではな いのである。

 さて,前節までに概説してきた通り,学問領域と

(6)

 ②体育の本質を追求し,「体育とは何か?」を伝え・

考えるための内容

 ③より良い体育・スポーツの世界を創造していく ために必要になると考えられる批判的思考を育 成するための内容

 ④体育原理,および体育哲学という研究分野それ 自体の理解を深めるための内容

 ①は体育学のカリキュラムツリーの幹や根として の役割を担う体育原理としての位置づけであり,初 学者にとって基礎・基本となる内容伝達の役割を果 たすことが期待される。②については哲学の研究課 題の第一である「原理論の構築」に則り,体育哲学 分野での研究成果を基にした授業展開が想定され る。③については暴力・体罰問題,ハラスメント,ドー ピング,ジェンダーなどの体育・スポーツを取り巻 く諸問題への考察を通して批判的思考力を養うこと が目的とされるものである。④については体育原理,

およびそこから発展的に変化した体育哲学という研 究分野で行われている研究内容に触れることで,当 該領域への興味関心を喚起することを目指すもので ある。

 さて,これら4点の授業内容は体育原理に関する 過去の議論や先行研究の中から抽出することのでき た共通事項としての内容である。繰り返しになるが,

体育原理が大学の授業である以上はそれぞれの大 学・学部・学科のポリシーに則る形で授業が進めら れるものであり,授業内容についても担当者がその 責任を負っている。したがって,担当者の専門性や 興味・関心等によっても上記の4点の中でも偏りが 見られるのは当然のことである。しかし,今回の考 察によって導き出すことができた要素を授業計画の 内の一部にでも取り入れることができるならば,授 業内容についてある程度の統一性を担保することが できるとともに,担当者間での共通認識を確認する 際の一つの指針にもなり得ると考えられる。

 なお,本稿ではここまで体育原理の授業に関する 統一的な見解の不透明さを課題に挙げつつ議論を展 開してきたが,それは各大学で開講されている授業 内容を全て一律にすべきという主張ではない。上記 の4点についても,授業内容を限定してしまう「枠」

の設定を意図するものではなく,授業における学修 内容としての「軸」の提示として捉えている。体育 原理で取り扱う授業内容の多様さは,翻せばその授 業を通して学修することのできる内容の多様さと深 遠さの裏返しであると捉えることもできるからであ

る。その意味でも授業内容はある時点で固定化され るものではなく,内容の拡張や選択の可能性に開か れたものであると考えている。もちろん本稿で示し た4点についても,現在までの体育原理の授業内容 から導き出すことのできた項目であり,将来に向け た拡張と選択の可能性を有している。

7.おわりに

 本稿の目的は,体育原理に関連する出版物,およ び当該領域の発展の経緯を概観できる先行研究の検 討を通して,体育原理の授業において取り扱う内容 について検討することであった。結論として,体育 原理で取り扱う授業内容については,「

PPE

のよう な研究成果と実践とを橋渡しするための内容」,「体 育の本質を追求し『体育とは何か?』を伝え・考え るための内容」,「より良い体育・スポーツの世界を 創造していくために必要になると考えられる批判的 思考を育成するための内容」,「体育原理,および体 育哲学という研究分野それ自体の理解を深めるため の内容」,以上4点にまとめることができた。

 なお,本稿では学問領域としての体育原理と体育 哲学について,それらが「体育学」に包含される領 域であることを前提に議論を進めてきたが,現在の ところ,「体育学」もまた「スポーツ科学」との関 係の中で大きな転換期を迎えている。それは言わば,

「体育学」から「スポーツ科学」へという学問の変 動として捉えることもできる。したがって,そのよ うな学問上の大きな動向が体育原理にどのような影 響をもたらすのか,またそれによって授業としての 体育原理に何らかの影響があるのかについても検討 すべき重要な課題と言える。この点については今後 の研究課題としたい。

付記

 本稿は日本体育学会(当時)体育哲学専門領域令 和元年度第1回定例研究会(2019 年6月開催)で の発表内容,および『体育哲学年報』第50号(2020 年3月発行)に掲載された「体育・スポーツ哲学の 授業実践」(髙橋徹・松宮智生・森田啓)の内容の 一部を加筆修正し再構成したものである。

1)佐藤(1980)は『体育教育の原理』(水野ほか,

1973)のみ未見で検討できなかったと述べている ことから,本稿の執筆にあたり筆者が改めて水野 ほか(1973)の内容を確認したが,体育原理につ いての一般的な了解は得られていないという佐藤

(7)

の指摘に相違はないと判断できる。

2)石川(2005)は『体育学研究第50巻記念特集:

体育原理』として著されたものであり,日本体育 学会に関連する刊行物,体育哲学および体育原理 に関連する機関誌・刊行物・著作,海外文献の翻 訳書を詳細に網羅したうえで,当該領域の抱える 課題と展望を論じている。また,高田(2007)は 1960 年前後から 1990 年代にかけての体育哲学に 焦点を当て,体育哲学に関連する研究の動向を論 じている。そして久保(2017)は,佐藤(1980)

と畑(2018)を除く全ての内容を踏まえた上で,「原 理」から「哲学」への流れを簡便に紹介している。

3)体育哲学への名称変更について言及した高田

(2007)は,1960年前後から1980年代にかけて体 育哲学やスポーツ哲学の論議が見られ,こうした 気運が「国際スポーツ哲学会」や「日本体育・ス ポーツ哲学会」の設立とともに研究の蓄積を生み,

体育哲学の公的な認知を促したことも理由として 挙げている(高田,2007,

p.

60)。

4)図1については佐藤(1993

b

p.

69),および深 澤(2016,

p.

10)が作成した図の一部を修正した ものである。

引用文献

阿部吾郎(2018)体育哲学―プロトレプティコス―.

不昧堂出版.

出口林次郎(1955)体育学原論.東洋館出版社.

深澤浩洋(2016)体育原理はどのような学問か.友 添秀則・岡出美則編著.教養としての体育原理  新版―現代の体育・スポーツを考えるために.大 修館書店.

pp.

8

-

13.

福田明正(1962)体育の原理.明玄書房.

畑孝幸(2018)体育・スポーツの哲学的研究40年の 歩み.体育・スポーツ哲学研究,40(1):1

-

12.

樋口聡(2005)体育原理とはどのような学問か.友 添秀則・岡出美則編著.教養としての体育原理―

現代の体育・スポーツを考えるために.大修館書 店.

pp.

8

-

14.

石津誠(1969)体育原理.道和書院.

石川旦(2005)体育原理研究 50 年の回顧と展望.

体育学研究,50:295

-

309.

川村英男(1959)体育原理.杏林書院.

久保正秋(2010)体育・スポーツの哲学的見方.東 海大学出版会.

久保正秋(2017)体育原理再考.日本体育学会体育 哲学専門領域会報,20(3):2

-

3.

近藤良享(2012)スポーツ倫理.不昧堂出版.

前川峯雄(1950)体育学原論.世界社.

前川峯雄(1958)体育学原論.中山書店.

前川峯雄(1970)現代保健体育学体系① 体育原理.

大修館書店.

丸三郎(1957)体育原論.森北出版.

水野忠文・猪飼道夫・江橋慎四郎(1973)体育教育 の原理.東京大学出版会.

森田啓・荒牧亜衣・植木陽治・深澤浩洋(2019)「批 判的思考力」育成をめざした体育・スポーツ哲学 の授業に関する研究:具体的事例(5打席連続敬遠)

から.体育学研究,64:303

-

313.

中村敏雄・高橋健夫編著(1987)体育原理講義.大 修館書店.

大橋道雄編著(2011)体育哲学原論―体育・スポー ツの理解に向けて―.不昧堂出版.

佐藤臣彦(1980)体育原理の批判的検討―スポーツ 哲学への予備的作業―.体育・スポーツ哲学研究,

2:32

-

55.

佐藤臣彦(1993

a

)身体教育を哲学する.北樹出版.

佐藤臣彦(1993

b

)体育哲学の可能性―形式的および 内容的アプローチ―.体育原理研究,24:67

-

72.

佐藤臣彦(1999)体育学の対象と学的基礎.体育学 研究,44:483

-

492.

佐藤臣彦(2000)体育学における哲学的研究の課題 と二十一世紀への展望.体育学研究,45:433

-

442.

佐藤臣彦(2006)体育哲学の課題.体育・スポーツ 哲学研究,28(1):1

-

10.

高部岩雄(1962)体育学原論.逍遥書院.

高田哲史(2007)日本における体育哲学の学的形成 に関する研究.広島大学大学院教育学研究科紀要,

第一部(56):59

-

66.

髙橋徹編著(2018)はじめて学ぶ体育・スポーツ哲 学.みらい.

髙橋徹・松宮智生・森田啓(2020)体育・スポーツ 哲学の授業実践.体育哲学年報,50:35

-

39.

丹下保夫(1961

a

)新体育学講座第18巻 体育原理

(上).逍遥書院.

丹下保夫(1961

b

)新体育学講座第19巻 体育原理

(下).逍遥書院.

友添秀則(2016)なぜ、体育原理を学ぶのか.友添 秀則・岡出美則編著.教養としての体育原理 新 版―現代の体育・スポーツを考えるために.大修 館書店.

pp.

2

-

7.

友添秀則・岡出美則編著(2005)教養としての体育 原理―現代の体育・スポーツを考えるために.大 修館書店.

友添秀則・岡出美則編著(2016)教養としての体育 原理 新版―現代の体育・スポーツを考えるため に.大修館書店.

 ②体育の本質を追求し,「体育とは何か?」を伝え・

考えるための内容

 ③より良い体育・スポーツの世界を創造していく ために必要になると考えられる批判的思考を育 成するための内容

 ④体育原理,および体育哲学という研究分野それ 自体の理解を深めるための内容

 ①は体育学のカリキュラムツリーの幹や根として の役割を担う体育原理としての位置づけであり,初 学者にとって基礎・基本となる内容伝達の役割を果 たすことが期待される。②については哲学の研究課 題の第一である「原理論の構築」に則り,体育哲学 分野での研究成果を基にした授業展開が想定され る。③については暴力・体罰問題,ハラスメント,ドー ピング,ジェンダーなどの体育・スポーツを取り巻 く諸問題への考察を通して批判的思考力を養うこと が目的とされるものである。④については体育原理,

およびそこから発展的に変化した体育哲学という研 究分野で行われている研究内容に触れることで,当 該領域への興味関心を喚起することを目指すもので ある。

 さて,これら4点の授業内容は体育原理に関する 過去の議論や先行研究の中から抽出することのでき た共通事項としての内容である。繰り返しになるが,

体育原理が大学の授業である以上はそれぞれの大 学・学部・学科のポリシーに則る形で授業が進めら れるものであり,授業内容についても担当者がその 責任を負っている。したがって,担当者の専門性や 興味・関心等によっても上記の4点の中でも偏りが 見られるのは当然のことである。しかし,今回の考 察によって導き出すことができた要素を授業計画の 内の一部にでも取り入れることができるならば,授 業内容についてある程度の統一性を担保することが できるとともに,担当者間での共通認識を確認する 際の一つの指針にもなり得ると考えられる。

 なお,本稿ではここまで体育原理の授業に関する 統一的な見解の不透明さを課題に挙げつつ議論を展 開してきたが,それは各大学で開講されている授業 内容を全て一律にすべきという主張ではない。上記 の4点についても,授業内容を限定してしまう「枠」

の設定を意図するものではなく,授業における学修 内容としての「軸」の提示として捉えている。体育 原理で取り扱う授業内容の多様さは,翻せばその授 業を通して学修することのできる内容の多様さと深 遠さの裏返しであると捉えることもできるからであ

る。その意味でも授業内容はある時点で固定化され るものではなく,内容の拡張や選択の可能性に開か れたものであると考えている。もちろん本稿で示し た4点についても,現在までの体育原理の授業内容 から導き出すことのできた項目であり,将来に向け た拡張と選択の可能性を有している。

7.おわりに

 本稿の目的は,体育原理に関連する出版物,およ び当該領域の発展の経緯を概観できる先行研究の検 討を通して,体育原理の授業において取り扱う内容 について検討することであった。結論として,体育 原理で取り扱う授業内容については,「

PPE

のよう な研究成果と実践とを橋渡しするための内容」,「体 育の本質を追求し『体育とは何か?』を伝え・考え るための内容」,「より良い体育・スポーツの世界を 創造していくために必要になると考えられる批判的 思考を育成するための内容」,「体育原理,および体 育哲学という研究分野それ自体の理解を深めるため の内容」,以上4点にまとめることができた。

 なお,本稿では学問領域としての体育原理と体育 哲学について,それらが「体育学」に包含される領 域であることを前提に議論を進めてきたが,現在の ところ,「体育学」もまた「スポーツ科学」との関 係の中で大きな転換期を迎えている。それは言わば,

「体育学」から「スポーツ科学」へという学問の変 動として捉えることもできる。したがって,そのよ うな学問上の大きな動向が体育原理にどのような影 響をもたらすのか,またそれによって授業としての 体育原理に何らかの影響があるのかについても検討 すべき重要な課題と言える。この点については今後 の研究課題としたい。

付記

 本稿は日本体育学会(当時)体育哲学専門領域令 和元年度第1回定例研究会(2019 年6月開催)で の発表内容,および『体育哲学年報』第50号(2020 年3月発行)に掲載された「体育・スポーツ哲学の 授業実践」(髙橋徹・松宮智生・森田啓)の内容の 一部を加筆修正し再構成したものである。

1)佐藤(1980)は『体育教育の原理』(水野ほか,

1973)のみ未見で検討できなかったと述べている ことから,本稿の執筆にあたり筆者が改めて水野 ほか(1973)の内容を確認したが,体育原理につ いての一般的な了解は得られていないという佐藤

参照

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