政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト
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(2) 政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト. 49. 思想との関連において,その本領でもある文化. は,自由主義者としてのそれを明確に示すもの. 史家としての側面を簡単に見ておこう。. である[下村1983:484;リッター1953:217]。. ブルクハルトは,国家,宗教,文化という三. まり,ブルクハルトの文化史の根底には,自由. つのポテンツが互いに制約・被制約の関係にあ. 主義にとって切実な問題であるといえる「自由. ると捉えることによって歴史を考察する。. その. つ. と権力」ないし「自由と強制」の緊張関係につ. 際,文化史家である彼は,文化について,「物質. いての認識があったのである。. 彼は,青年時代. 的生活の促進のために,また,精神的,心情的. から晩年に至るまで,文化の形成者としての個. ‑道徳的生活の表現として自発的に成立した一. 人の価値や尊厳を深く信じ,個人の自由を擁護. 切のもの,一切の社交,一切の技術,芸術,詩,. したのであり,従って,「価値ある個々人に対し. 学問,特に一切の哲学」[Burckhardt1982:173]. て加えられる,その思考と行動における自由な. 即ち,「自発的に起こり決して普遍的な承認,あ. 発展を妨げる国家による強制は,できうる限り. るいは強制的承認を要求しない精神の発展の総. 少なくあるべきである。 一一個性の自律的であ り最高度のものを供するような発展こそが,真. 和」[Burckhardt1955:57‑1981:62]であると そして文化は,国家及び宗教の形式 規定する。 に対して常に変形・分解作用を及ぼすと同時. の文化,真の教養‑と通じる唯一のものであ る」[Marx1955:281]と考えたのである。. に,それらを批判する役割を果たすとされる. ようなブルクハルトの立場は,19世紀の(ドイ. [ibid.:57‑62]。 ここでブルクハルトがいわん. ツ)歴史学界においては極めて稀なことであっ. とすることは,「文化の自由と国家・宗教(教. なぜならば,当時の歴史学界の志向は,ナ た。. 会)の権力との角逐」であった。. ショナリズムに立脚した国民国家や国家権力の. つまり,文化. は自発的精神の所産として,普遍的妥当性を要. 倫理的精神的な実体化を意図するものであった. 求しないがゆえに自由であるが,一方,国家と. からである[下村1983:550]。. 宗教(教会)は,そこに属する者に普遍的妥当. 初頭,ブルクハルトの師でもあるランケとその. 性を強制し,権力によって′自己保持を図ろうと. 一派やジーベルが歴史を考察する際には,その. 文化は国家・宗教と対立関係にあり,前 する。. 視野を国家的政治的なものへと狭めてしまっ. 者は後者を批判するのである[下村1983:484]。. 従って,19世紀の歴史学において主流を占 た。. 従って,ブルクハルトのいう文化の自由とは,. めるものは政治史になってしまったからなので. 「国家目的にも教会目的にも仕えるものとなっ. ある[Marx1955:280ff.. てはならない」[ケ‑ギ1990:1041のである。. 彼. つまり,19世紀. ]。 例えば,彼の同時代. 人であるドイツの政治史家で,ビスマルクの支. は,国家からも宗教からも自由な領域として,. 持者でもあったH・フォン・トライチュケは,. 文化の自律性を説いているのである。. 国家の本質を権力そのものであると認識する点. このこと. この. は,あらゆる政治的熱狂や宗教的熱狂からは縁. においてブルクハルトと共通するが,しかし,. 遠い「静謡な文化史的観照」を生み出すこと. 次の点で大いに異なるのである。. [林1985:665]にもつながったといえよう。. チュケは,ヘーゲル的な「人倫国家」の実現を. 以上のような文化史家ブルクハルトの立場. 願って強力なドイツ国家を望むが,自由主義者. 即ち,トライ.
(3) 50. であるブルクハルトは,このような国家を,自 議論に基づいて,ブルクハルトの自由主義思想 由と文化にとって有害なものであると看倣した 史上の位置づけを試みよう。 ハイエクは,実際, のである[Dietze1979:19]。 従って,政治史が. ブルクハルトについて触れたことは極めて少な. 隆盛を極める当時においては,自由主義者ブル いのであるが,「歴史家たちとヨーロッパの将 クハルトの文化史をもって「はじめて,歴史は 来」("HistoriansandtheFutureofEurope"). という論考において,まさにハイエクの桐眼と ‑‑全体としての人間とその発現形態の学問と. もいうべきであるが,自由主義者という語は用 なる」[Marx1955:281]ことが可能となったと. つまり,ブル いていないにもかかわらず,ブルクハルトをそ いっても過言ではないのである。 クハルトこそが,歴史を考察するに際して,国 のように看倣していると理解して差し支えない 家(宗教)権力に対する真の文化の形成者とし ハイエクは,自身 と思われる議論をしている。. ての個人の自由を重視した歴史家であったとい が幾度となく自由主義者として高く評価したア えるのである。. クトン,トクヴィルとともにブルクハルトにつ. 以上,簡単ではあるが,ブルクハルトの文化 そこでは,まず,ア いて触れているのである。. 史家としての側面を見たが,ここでいえること クトンに触れた後,ブルクハルトの名前を登場 は,彼を政治史ではなく文化史‑と向かわせた させ,次のように述べる。 「ブルクハルトはその. のは,彼がそもそも自由主義者としての立場に 深いペシミズムによってアクトンとは異なるけ 立っていたからであり,従って,その政治思想 れども,彼と共通する多くのものを持ってい もまた自由主義的なものであったと当然に想像 特に共通するのは,権力は根源的に悪であ る。 されるということである。. ることを常に繰り返し強調すること,中央集権. 主義に反対すること,小規模かつ多民族の国家 2 に共感することである(3)」[Hayek2002:210], ブルクハルトはいかなる自由主義者であった そして,この後には,アクトンとブルクハ と。. 彼をアクトン,トクヴィルと並ぶ自由 ろうか。 ルトの二人に共通する歴史家として,トクヴィ 主義者として看倣す論者に,アクトンの政治思 また,別の論考にお ルの名前が来るのである。 想の研究者として知られるG・ヒンメルフアー いては,第二次大戦後,社会主義の攻撃から自. ブ[野田1994:78],Mオークショット[Oake由を守るべく,世界の多くの自由主義者が結集 殊に,後者は,この shott1991:385]がいる。. したモンベルラン・ソサエティーの設立に際し. 三人が権力の分散を主要な関心事とするて,ハイエクは,当初,アクトン,トクヴィル ^ 「ウイッグ的自由主義」の伝統に属すると看倣 の名前を冠することを提唱したが,この二人に したというが[Podoksik2003:165],ここでは, ブルクハルトを加えるべきであるとの提案が :247]。 20世紀を代表する自由主義者であり,古典自由 従って,ハ あったとも述べている[ibid.. 主義の議論を現代に適応させるべく「最も体系 イエクがブルクハルトをアクトン,トクヴィル. とともに自由主義者と看倣すことは,ブルクハ 的且つ説得的な社会理論を築いた」[古賀2003:. ルトがハイエクの考える自由主義の伝統に属す 1]思想家といえるF‑Aフォン・ハイエクの.
(4) 政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト. 51. る思想家であるということを示していると思わ. のである。. れるのである(4)。. ブルクハルトもまた,以上のようなハイエク. それではハイエクが考える自由主義の伝統は. の考えるアクトンやトクヴィルを含む自由主義. いかなるものであるか。 ハイエクによれば,自. のイギリス的伝統(20世紀においては,ハイエ. 由主義には「イギリス的伝統」と「フランス的. クのみならずW・レプケ,I.. 伝統」があり[HayekI960:56‑1997I:83],. オークショットなども含む)のなかに含まれる. 彼は前者を自身の考える自由主義のそれである. のであり(5)事実,後に見るように,その自由観. という。即ち,17世紀後半の旧ウイッグの時代. や国家観,社会観から自由主義者と看倣すこと. から19世紀末のグラッドストーンの時代にかけ. ができると思われるのである。 それでは以下に. てのイギリスにおいて発展を見た「法の下にお. 見ていくことにしよう。. バーリン,M・. ける個人の自由」という概念を特徴とし,イギ リスのビューム,スミス,バーク,マコ‑レ‑, アクトン,フランスのコンスタン,トクヴィル,. フランスの代表的な自由主義者のB・コンス. ドイツのカント,シラー,フンボルト,アメリ. タンが,その『古代人の自由と近代人の自由』. カのマデイソンといった思想家たちに代表され. という講義において,両者の相違を明確に区別. る伝統である。この自由主義の「イギリス的伝. したことはよく知られている。. 統」は,本質的に謙虚な考え方が基礎にあり,. 「集団的自由」であり,後者は「個人的自由」. 人間理性の限界を認め,伝統を重んじ,あらゆ. である。前者は,「集団権力への積極的で且つ不. る文化現象を発展論的に解釈しようとする. 断の参加からなる自由」[Constant1988:316]. それに対して「フランス [Hayek1984:363ff. ]。. であるが,コンスタンは次のように述べる。. 的伝統」は,人間理性の限界を認めず,あらゆ. ら〔引用者注:古代人〕は,この集団的自由と両. る文化現象は理性による周到な計画の産物であ. 立しうるとして,共同体の権威への個人の完全. るかのように考える「設計主義的合理主義」の. な従属を承認した。 ・‑‑すべての私的な行為は. 精神に基づくとされる。 ハイエクは次のように. 厳重な監視に従わされたのである。. 述べる。「だからこそ政府権力の限界は問題と. は,意見についても,職業についても,特に宗. されず,逆に,多数に支えられた無限な権力を. 教についても全く重視されることはなかったの. 是認するようになってしまった。. これが,ヴオ. 即ち,前者は. 個人の独立. だ」[ibid.:311],と。 一方,後者については,. ルテール,ルソー,コンドルセの思想並びにフ. 「個人の独立は近代人の第一の要求」[ibid.. ランス革命の伝統となり,近代社会主義思想の. 321]であり,近代人の「自由は平和の享受と私. もとになった」[ibid. :364],と。 つまり,本来,. 的独立から成り立なければならない」[ibid.. 自由主義にとって「政府の権力をいかに制限す. 「個人の自由こそが真の近代的自由なの 316]。. るか」ということが問題であるとすれば[ibid.. 「彼. :. である」[ibid. :323],と。 このようなコンスタ. 364],正しい意味での自由主義は「フランス的. ンの自由観は,L・ゴスマンも指摘しているが. 伝統」ではなくて「イギリス的伝統」のそれな. [Gossman2000:301;321;323],ブルクハルトの. :. :.
(5) 52. それと類似するものではないかと思われるので に分けて考えていたわけだが,それでは,この ある。. 古代人の自由から区別された近代人の自由,つ. ブルクハルトはその『ギリシア文化史』におまり「個人的自由」,バーリンのいうような「消 「近代においては いて次のように述べている。. 極的自由」(国家からの自由)をブルクハルトは. ‑一国家を要請するのは本質的には個人,個体どのように捉えていたか。 ブルクハルトは「消極的自由」を明示的に示 であり,またその国家も,個人が必要とするよ 個体が国家から要求するのは しているわけではない。 しかし,それを窺わせ うな国家である。 実のところ安全だけなのであり,それを得ると る一文があるので引用しよう。 ある書簡におい き,おのが力を自由に発揮させることができる 「国家は私のよ て,彼は次のように述べている。 ‑‑これに反してギリシアのポリス のである。. うな人物によっては建設されない‑‑私は,善. は最初から全体を出発点としている。」[ブルク 良な私的個人として生きるつもりである」 ]「ポリスの内部においては, [Burckhardt2001:78],と。 これは,前述のコ ハルト1998:169ff. 個人が完全にポリスの一部に同化していないと ンスタンの認識を想起させるような表現であ き,たちまちポリスはその個人にとってこの上 り,「消極的自由」の概念を捉えていたことを示 一一このような国家 なく恐ろしいものとなる。. A・カーンも,これを す例であると思われる。. の絶大な力は,あらゆる面において個人の自由 例として,「ブルクハルトが,自由(Freiheit) の欠如と共に手を相携えてゆくことになる。という語を,厳密に個人的な諸関心のために, ‑一国家は同時にまた,涜神の告訴を起こす権また,拘束力や偏見から自由であるという意味 利を授けられている教会でもある。 このような. において,つまり消極的自由として,比較的多. 合併された権力には個人はまったく抗しえなく用いる傾向があった」[Kahn2001:101;203] ‑‑個人のこのような国家への隷属はあら い。. と指摘するのである。 また,前述のように,ブ. ゆる国利のもとに存在しつづけるのである。ルクハルトの本領である文化史の根底には, ・‑‑民主制のもとでは,ポリスはこの上なく重 「自由と権力」の緊張関係についての認識があ 圧的存在にすぎなかったであろう」[前掲書:り,彼は文化の形成者としての個人の自由,つ ]tブルクハルトはここで,近代人と古代 まり国家(宗教)権力からの自由を擁護した。 176ff. 人の国家に対する関係を比較しながら眺めてい このことからも,ブルクハルトが自由主義者と るわけだが,ゴスマンによれば,その際,彼は,して「消極的自由」の概念を捉えていたことが ギリシア文化を,新人文主義者のゲーテ,シ 分かるといえよう。 ラー,フンボルトのように理想化することな 以上がブルクハルトにおける「消極的自由」 (「個人的自由」)であるが,いわゆる「政治的自 く,ギリシアのポリスが高度な文化を達成した 由」についてはどうであったか。 コンスタンは, にもかかわらず,それは個人の自由の犠牲にお 自己の内部において享受されるべき「個人的自 いてであったということを認識していたといえ ]。 従って,コ 由」を守るために「政治的自由」が必要である るのである[Gossman2000:301ff. と説いたが[Constant1988:323],ブルクハル ンスタンと同様,近代人と古代人の自由を明確.
(6) 政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト. トにおいても同様のことがいえる。. カーンによ. 53. として,国家の規模,政府の権力の規模はでき. れば,ブルクハルトが「政治的自由」について. うる限り制限されるのが望ましいと考えるので. 語るときには,法(Recht)と法治国家(Recht. 彼は次のように述べる。 ある。. staat)について語っているとされる[Kahn また,ゴスマンによれば,ブルクハ 2001:101]。 ルトにとって,「法の支配」つまり「法治国家」. 「もし国家が常に. 必要最低限の機構としての本性を(恐らくそれ ばかりでなく本質的起源をさえも)自覚してお れば,国家は何よりも健全であることを失わな. は,専制君主やデマゴーグの窓意的支配に対抗. いであろう」[ibid. :38‑42],と。. して,個人の自由を守る保護的役割を果たすも. ルクハルトの国家観は自由主義者のそれであ. のであり,ブルクハルトは次のように述べたと 「自由と法への敬意は密接不可分のもの いう。 であり,前者は後者を欠くならば幻想に過ぎな. る。. い」[Gossman2000:129],と。. るので見ておく必要がある。. このようにブルクハルトの自由観を見てみる. 国家の起源に関するよく知られた二つノの見解を. と,彼が「法の下における個人の自由」を特徴. 否定するo第‑に,契約説は荒唐無稽であると. とするイギリス的な自由主義者の一人であった. して否定する。 「いまだにどんな国家も真の契. ことが分かるのである。 従って,ブルクハルト. 約,即ちあらゆる面から自由意志による契約. の国家観,社会観は当然に自由主義者のそれで. intervolentes)によって成立したことはない」. あると思われるが,どのようなものであろう. :30‑33]cこれは,同じ自由主義者のD・ [ibid.. か。. ヒュ‑ムが,「原始契約について」においてハッ. このようにブ. ところで,ブルクハルトは国家の起源をめぐ る議論もしている。 これは彼の権力観とも関わ ブルクハルトは,. キリと契約説を否定する議論にも類するものと 4. 思われる[Hume1985:465ff.. ]。 第二に,極めて. ブルクハルトは,ヘーゲルの「人倫国家」に. 自由主義的な見解と思われるようなもの,つま. 対する批判を込めて(6)「もし国家が社会だけが. り,「社会が最初で国家はそれを護るためにそ. なしえ,またなすことを許される倫理的なもの. の消極的な防衛的な側面として発生し,従って. を直接実現しようと意図するならば,それは一. 国家と刑法とは同一の起源を持つというこの魅. つの堕落であり街学的官僚主義的な不遜にはか. 力的な楽天的見解」[Burckhardt1955:31. ならない」[Burckhardt1955:38‑1981:42]と それでは国家の役割は何かといえば, 述べる。 「法の番人」[仲手川1977:262]のようなもので. 1981:34]を否定する。 これは,ドイツの代表的 な自由主義者のW・フォン・フンボルトが,そ の青年時代に,『国家活動の限界を決定するた. ある。 つまり,「個々の個人は自己の上に法律を. めの試論』において示した著名な見解でもあ. 持づととも右手強制権のある裁判官を持ち,それ. つまり,国家の役割が市民の安全を保証す る。. が個人間に結ばれた私的責任や一般的な必要条. ることに限定されれば,市民は干渉を受けるこ. 件を擁護する」[Burckhardt1955:39‑1981:42]. となく自由な活動に従事することによって,そ. のである。従って,ブルクハルトは自由主義者. の人格を発展させることが可能であるとの見解.
(7) 54. である[Sigurdson2004:167ff. ]。 そこで問題と. である。 それではブルクハルトの考える国家の. なるのは,この自由主義的見解をなぜ否定した 起源はいかなるものであろうか0 結局,次のよ ブルクハルトを自由主義者として看 うなものであり,二通りある。 かである。 第一は,暴力 倣すとすれば,矛盾することのように思われる (Gewalt)である。 「国家は暴力の組織化以外の からである。 しかし必ずしもそうではないので 何物でもなかった」[Burckhardt1955:32 ある。 ブルクハルトはこの見解を斥けた少し後1981:35]。 第二は,「極度に強暴な過程」,「混合 で,アクトンの「権力は腐敗する傾向がある。 の過程」という分かりにくい表現をしている 絶対的権力は絶対的に腐敗する」[Dietze1979: が,つまり,「ある電光が多数のものを一つの新 16]という金言に類し,本来はシュロツサーなしい金属に融合する。 例えば二つの強者と一つ る人物の言葉である「権力それ自体悪である」 の弱者とかあるいはその逆とかの融合である」 :32‑35],と。 を引きながら,「どのような宗教をも無視して, [ibid. 個人には否定される利己主義の権利が国家には さて,ここまでブルクハルトの自由主義的国 肯定されることは明らかである」[Burckhardt 家観を見てきたが,この国家観に基づいて,彼 これは 1955:36‑1981:39]と述べるのである。. は,前述のハイエクの指摘にもあったように,. G・デイ‑ツェによれば,「あらゆる国家は,そ国家の中央集権化に反対し,また,小国家に共 れが個人の自由を保護するために企図されたも 感したのである。 のですら,悪魔的権力の隠れ家となる」. ブルクハルトが中央集権化に反対する際に念. [Dietze1979:18]ということを,また,G・リッ頭にあるのは,その民主主義についての認識で ターによれば,ブルクハルトが国家と権力を考 あった。 彼は,アクトン,トクヴィルと同様, 察する際,両者は「原則上なんの差異もなかっ 民主主義を否定しなかったが,その暗い側面に たので,権力の担い手としての国家といえど ついての洞察を示したのであった(7)。 彼は,民 も,‑‑・直ちに悪しきもの」[リッター1953: 主主義を,フランス革命の理念と近代の改革要 つま 217]と看倣したことを意味するのである。. 求の一般表現であるとするが[ibid. :197. り,ブルクハルトが青年フンボルトのような楽 206],それは次のような一節から明らかにな 天的な自由主義的見解を否定するのは,このよ 「フランス革命によって登場した決定的な る。 うな「国家」‑「権力」がそれ自体悪であると 新しさは,公共福祉の目的をもって変革するこ とが許されること,また変革しようと欲するこ いう極めてリアリスティックな認識を持ってい この新しさは平等から発生するもの たからであり,この認識こそ,W・レプケも評 とである。 するように,真に自由主義的なものである. であって,平等はここでは普通選挙権,あるい. [Roepke1947:16‑1949:98]。 ブルクハルトは,. は少なくとも非常に広汎な選挙権というものの. 基本的には自由主義的国家を望ましいと考えた 手中に変革に関する決定権を与える。 そこから しかし,国家は自由主義的であろう であろう。. 生ずるものとしては,新しい内容が動きだす. となかろうと権力そのものであって,それ自体 と,たちまち一切の形態が変革されるという事 が悪であることに変わりはないと固く信じるの 実である」Burckhardt1957:276‑1971146:.
(8) 政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト. 55. つまりここでブルクハルトは,フランス 。 革命の理念の一つである平等と民主主義(普通. る」[Burckhardt1955:97‑1981:101]<つまり,. 選挙権)に注目し,自らの考える民主主義とは. どんなに大きくても決して大き過ぎるというこ. 異なる型のそれを批判的に眺めるのである0. とはなく,従ってそれは国家と社会とを隔てる. デイ‑ツェはこれを「平等主義的民主主義」. 境界を抹殺し,社会が恐らくしないであろう一. (egalitariandemocracy)と呼び,ブルクハルト. 切のことを国家に要求する」[ibid.. 「民主主義にとっては個人に及ぶ国家の権力は. 「フラ. が次のような認識に立っていたとする。. :197‑207]. 「国家は普遍的厚生政策と称するもののために, この全能. ンス革命に引き続く平等主義的な傾向並びに人. ‑‑・未曾有の充実権力を必要とする。. 間の様々な生来の才能やメリットが,常に不平. 国家を野心家は掌握指導したい」[Burckhardt. 等を呼び戻すという事実を考慮すれば,平等の. 1957:281‑1971147:40]のである。. ための新たな基準が,不可避的に日々,必要と. 権化の過程が意味するのは,結局,国家による. なろう。たとえ,革命のスローガンである『自. 「完全な後見制度に次第に習慣づけられること. 由,平等,博愛』が自由を平等の前に置くとし. によってあらゆる自発的なものが死滅する。. ても,平等は絶え間ない自由の征服において存. はすべてを国家から期待し,‑‑すべてを国家. 在し,法を通じた平等が法の前の平等に取って. から望みすべてを国家に負わせる」[Burck. アクト. 代わるであろう」[Dietzel979:21],と。. この中央集. 人. hardt1955:96‑1981:100ということなのであ. ンは「フランス革命を自由にとってかくも災い. では,この国家の中央集権化の後に待ち受 る。. たらしめた最も深い原因は,その平等論であっ. けるものは何であろうか。 ブルクハルトは社会. た」[Hayek1984:152ff.. ‑1998:40]と述べた. 主義の到来を予感する。 「社会主義が現れ,一連 社会主義は国家を. が,ブルクハルトも同様だったのである。. の社会主義体系が生まれる。. 以上のような認識に立って,ブルクハルトが. 掌握しようと努める。 同時に国家は社会的実験. (平等主義的)民主主義の進展を眺めたとき,彼. に携わる」[Burckhardt1957:282‑1971147:. の目に映ったものは何か。 それは国家権力の増. 41],と。 ハイエクは,社会主義(集産主義)体. 大,つまり中央集権化の過程であった。 念は個人の権利放棄に転化する。. 「平等概. ‑‑・権利と福. 制下においては「なぜ最悪な者が指導者となる のか」[Hayek2000:100‑1999:173]と問うた. 祉政策とが国家によって独占される状態に人々. が,これに触れながらデイ‑ツェは次のように. が慣れると,権力を分散しようとする意志もも. 述べている。 「ブルクハルトは堕落した出世主. はや役立たない。 政府は,州,都市及びその他. 義者が新たなカエサルへと変わることを恐れ. の諸単位に,もはや,いかなる真の権力問題を. た。 社会福祉のために増大する国家権力と新た. も委譲せず」Burckhardt1957:263‑1971145:. なカエサルの発生は,社会が奴隷状態に至るま. 20],「従ってまずあらゆる中央集権の排除,地. でに,ますます個人の自由を小さくするであろ. 域生活や文化生活のためになるあらゆる自発的. う」[Dietzel979:22],と。. な権力の制限等は望みがない。. 中央の意志はど. んなに強く持っても強すぎることはないのであ. 従って,ブルクハ. ルトが,小国スイスの出身であることも多分に 影響しているのだが[ケ‑ギ1979:209ff.. ],巨.
(9) 56. 大国家を嫌い小国家を好むのは当然のことで ると確信したからであった」[Coll2001:xiv], あった。 次にその小国家について触れておこ と。 う。. これまでブルクハルトの自由主義的国家観を. ブルクハルトは小国家について次のように述 見ることで分かることは,彼が国家に対しては 「小国家が存在するのは,国家に所属する べる。 あくまでも消極的な意義を認めているに過ぎな 者の最大多数の部分が完全な意味での市民であ ブルクハルトは,前述の いということである。 るような一地域がこの地上にあるためであり, ように,社会がなしうることを国家が行おうと することに対して批判的であり,国家権力の増 一一小国家というものは一般に現実の事実上の 大は国家と社会の境界を抹殺してしまうとまで 自由以外の何物も有しないのであって,このこ 考える。 これは国家と社会を厳格に区別してい とによって小国家は大国家の持つ有力な長所, ることを示していると思われるが,それではブ さらには大国家の権力にさえ理念的には完全に ルクハルトの捉える社会とはどのようなもので 括抗しうるからである」[Burckhardt1955:34ff. ],と。 つまり「小国家は,巨大な ‑1981:37ff.. あろうか。. 中央集権的な競争者に比べて権力手段において ブルクハルトの社会観として読み取ることが 欠いているものを,人間的・文化的そして純粋 できるものは国家観に比べてはるかに少ないの に政治的な価値という分野で百倍にも取り返す であるが,数少ない記述によれば,次のような という」[ケ‑ギ1979:212]ことをブルクハルものである。 ブルクハルトは,社会を「なんら トは説いているのであり,こうした小国家の例 かの形において自由な,自覚的相互依存性に基 として彼がイメージするものは,古代ギリシア づく結合」[Burckhardt1955:32‑1981:34]で のアテネ,近代においてはイタリアのフィレン あり,国家,宗教(教会)の権力と対立すると 同時に,両者から自由なもの,つまり,自発的 ツェに代表されるような小規模な都市国家で このようにブルクハ あった[Coll1999:xxii]。. な精神の所産としての「文化の外的な形式全. ルトが小国家を好むのは,国家を含むあらゆる :57‑62]であるとする。 体」[ibid. このような 巨大化したものへの嫌悪感に基づくといえる。 ブルクハルトの社会観は極めて自由主義的なも A・コールは次のように述べる。 「ブルクハルト. 彼は,ハイエクと同様, のであるといえよう。. は,その性質上,非人間化と個人の自由の敵で 社会においてこそ人々の自発的な協力が可能で あるものとしてのあらゆる種類の巨大な制度機 あり,また,その範囲が最大限になるような枠 構を信用しなかった。 ・‑‑ブルクハルトは,多. 組みを与えることに国家は専念すべきであると. 元主義と自由を育むものとして,小都市,小共 考えたのである。 和国,緩やかな私的結社を好んだ。 彼をして多. ところで,ハイエクによれば,社会において. 元主義を好むに至らしめたのは,本質的な美と は,知的設計の結果ではない伝統や慣習を重視 多様性についての驚嘆の念を審美的に認識し, し,小共同体や集団の共同努力を肯定し,自発 自由は画一性におけるよりも,多様性と分権化 的結合を信頼すべきであるとされる[Hayek された土壌においての方が,より容易に成長す 1984:146‑1998:28]。 これはハイエクの自由主.
(10) 政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト. 57. 義的社会観に保守的な色彩を与えていると見え. [ibid.:133]。第二に,社会は伝統,慣習,価値. るのであるが8),ブルクハルトの場合もやはり. 槻,生活様式といった共通の文化によって結び. 同様の側面があると思われる。. ただ,より保守. ついている。このような社会的杵は国家のそれ. 的であるといえる。 R・シガードソンも,その. とは異なり,力によって外から課されるもので. ブルクハルトの政治思想に関する最新の研究書. はなく,全体として人々の精神文化を反映する. において,このような点を指摘しているので少. ものである。但し,このことは,ドイツにおい. し見ておこう。彼は,そもそもブルクハルトの. て文化国家を唱道する国家主義者のように,国. 政治思想の構成要素の一つとして,「有機体主. 家民族の同質性を押し付けることを意味するの. 義」.organicismjという,やや誤解を招くよう. では決してない。 ブルクハルトは,政治的共同. な概念を提出しているのだが,これをもってブ. 体の観念について,当時のドイツの国家主義者. ルクハルトの社会観を捉えようと試みている。. とは異なる国際主義者であり,西欧文化の最高. ブルクハルトにおける社会に関する「有機体主. 度の水準を維持しようという使命感を抱く汎. 義」とはいかなるものかOシガードソンは,こ. ヨーロッパ主義の立場であった[ibid.. の「有機体主義」が,ドイツの保守主義者の説. 三に,社会は壮大な青写真に基づく外的な力に. くような国家有機体説などではなく,あくまで. よって設計されることはありえず,合理的な計. も社会に関するそれであることを断った上で,. 画の産物というよりもむしろ漸進的な歴史的発. 次のように述べる。 「社会は,その内部におい. 展のそれである。 従って,社会は状況の変化を. て,諸個人が,過去からの遺産,文化,伝統と. 緩やかに受け入れることで,内部から徐々に発. いう社会的杵によって関係づけられた複合的な. 展しなければならない[ibid.. 全体である=社会は,国民の文化理想の保管 場所として,国家を連想させない,自然的且つ 有機的本質を有する」[Sigurdson2004:132], そして,このような社会の有機的理解から, と。 ブルクハルトが思い描くあるべき社会について の規範的な原理ともいうべきものが導き出され. :133]c第. :133ff.]。. 以上,自由主義者ブルクハルトの自由観,国 家観,社会観を見てきたが,その根底にあると 思われる懐疑主義について最後に触れておこ う・。 5. それは,次のように三つに要約され るという。 第一に,社会は人々が物質的利益をめぐっ る。. ブルクハルトの思想家としてのイメージをあ. て互いに競争する場というよりもむしろ協同す. ルトは自分の塔に閉じこもるモンテーニュのよ. る場であり,ブルクハルトにおいて重要なの. うに,まったく独立に仕事をする,そして彼が. は,個人の利益の追求の代わりに,人々は他者. 語るときは,人はあたかもなじみ深い景色を,. との相互の関わりを通して,その個性を発展さ. はじめて,より高い見地から眺めるごとくであ. せることである。. 従って,各個人がその個性を. 全体のなかで追求しつつも,社会の内部に一定 の相互依存が存在することを仮定している. る論者は次のように描いたという。. 「ブルクハ. り,すべての距離が,地上で考えたものとは異 なっていることに気づくにも似ているのであ ここで注 る」[Kaegi1962:85‑1990:193],と。.
(11) OS. 日すべきは「モンテーニュのように」という喰 に努めたのである。 このように歴史を懐疑主義 えである。 よく知られるように,モンテーニュ 的に考察するブルクハルトの自由主義的政治思 は懐疑主義者であるといえるが,そのような性 想の根底には,やはり,懐疑主義があったので 格を,M・オークショットは,ブルクハルトに ある。 それは,前述のように,ハイエクが自ら も認めている[Oakeshottl954:72]cまた,いわ 考える自由主義,つまりイギリス的自由主義 ゆる政治的懐疑主義の議論においては,西欧の が,人間理性の限界を弁えた謙虚な考え方であ 懐疑主義の伝統のなかに,ビューム,バーク, り,その伝統にブルクハルトが属していると思 トクヴィル,アクトンなどとともに含めている われる理由であるともいえるのである。 ここで のである[Oakeshott1996:129]cそれでは,ブ は,シガードソンの議論をもとに,ブルクハル トの政治思想における懐疑主義について見てみ ルクハルトはいかなる懐疑主義者であったろう か。. よう。. そもそも歴史家であるブルクハルトは,歴史 シガードソンは,懐疑主義こそが,ブルクハ を考察する際に,歴史に起源や終末を設定する ルトの政治(社会)思想の中心的特徴であると ようなヘーゲルの歴史哲学も,アウグステイヌ し,その(政治的)懐疑主義は,ブルクハルト スの歴史神学も斥けて,次のように述べたので が人間知性の限界について認識していたことに 「真の懐疑主義は,起源も終末も解らず中 ある。 基づくとしている。 シガードソンは次のように 間が不動に動いている世界ではその占めるべき 述べている。 「人間知性は,生来,限られたもの 位置がある。」「この世はまやかしの懐疑主義で であるから,しばしば孤立した抽象的な思想家 一杯であるが,真正の懐疑主義ならば,どんな によって夢想されるような計画に従事するため に必要とされる理論的知識を身につけることは にあっても十分すぎることはあるまいと思われ 特に,ブルクハルトが懐疑的で つ 困難である。 る」[Burckhardt1955:10‑1981:12],と。 まりブルクハルトは,目的論的思考,神学的 あったのは,何世紀にもわたる複合的発展を経 (キリスト教的)形而上学的思考から自由で て存在する生きた社会を把握するための人間の あったのである。 このように懐疑主義の立場に知力の許容範囲についてであった。 ブルクハル 立つ彼は,歴史の考察の出発点を「ただ一つの トは,人間界の謎を理解しようとするいかなる 恒常的な我々にとって可能な中心,即ち,現に 試みにも,ある種の謙遜が必要とされると思っ 存在し,常に存在していたし,またこれからも たのである」[Sigurdson2004:131ff. ],と。 この 存在するであろうような,忍苦し,努力し,行 ように人間知性の限界を謙虚に認めるブルクハ 動する人間以外にない」[ibid. :5ft‑6]とする。. ルトは,歴史を考察する際の出発点にも置かれ. そして,このあるがままの人間から出発するこ ていたように,人間をありのままに捉えようと とによって,「あれこれと願望に耽ることでは 従って,性善説に していたといえるのである。 なくて,できるだけ愚かな喜びや恐れから解放 は批判的であり,ルソーのように「人間本性は, されて,何よりも史的発展の認識に身を捧げ それから拘束を除きさえすれば,善であるとい る」[Burckhardt1957:278‑1971146:19]こと う見方」[Burckhardt1957:292‑1972148:48].
(12) 政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト. 59. つまり,「人間を本質的に善と看倣す」[Burck. 従って,現代においても,政治の過剰を好 る。. hardt1955:67‑1981:72]ことはしないのであ. まず,政治を冷静な感覚をもって眺め,政治に. それでは性悪説に与するのか。 る。. 対する過度の期待や幻想を抱くことのない者に. そうではな. いのである。ブルクハルトは,人間本性を本質. とって,こうしたブルクハルトの政治思想は,. 的に善でもなく悪でもないと看倣すのであり,. 必ずしも縁遠いものであるとはいえないと思わ. それは「善と悪の混合物」であると述べたので. れるのである。. あった[Sigurdson2004:135]。. これは,モン. 〔投稿受理日2005. ll. 25/掲載決定日2005. 12.1〕. テーニュと並ぶ著名な懐疑主義者のパスカル が,『パンセ』において述べた次のような人間観 を想起させる。 「人間は天使でもなければ野獣. 注 (l)Roepke,W.. (1949)Chivitashumana,Eugen. でもない。そして不幸なことには,まさに天使. RentschVlg.. (‑喜多村活訳(1967)『ヒューマニ ズムの経済学』勤草書房。 )また,レプケの「大. を創ろうとするものは,野獣を創ることになる. 衆社会論」については,古賀勝次郎(1985). のである」[Roepke1947:16ff.. ‑1949:99]。 事. 実,W・レプケは,しばしばこれを引きながら,. 「W・レプケの現代福祉国家批判」『ハイエク経済 学の周辺』行入札を参照。. 尚,最近,ドイツで,. レプケについて,次のような優れた研究書が刊行. 自由主義の人間観の基礎には「パスカルの懐. されたHennecke,H.. 疑」が置かれるべきだと説いたのである[ibidJ. LebeninderBrandling,Schaeffer‑PoeschelVlg... 17‑99]。 自由主義者は,パスカルと同様,人間. (2)我が国における研究書では,仲手川1977が,ブ. 本性の両義性を認めなくてはならないのであ. J.(2005)WilhelmRoepke:Ein. ルクハルトの国家観,自由観などについて触れて. ブルクハルトの人間観の基礎は,まさに自 る。. おり,彼の政治思想を考察する際に有益である。 しかし,ブルクハルトを政治思想家として正面か. 由主義者のそれであったといえよう。. ら抜かったものは,管見の限りでは存在しない。. 以上,本稿では,歴史家ブルクハルトを自由 主義者と看倣し,その政治思想家としての側面 を極めて不十分であるが考察した。. ブルクハル. トが西欧の自由主義的な政治思想家の一人であ ることが,幾分なりとも明らかになったかもし. しかし,海外に日を転じてみると,少数ながら Kahn2001,Sigurdson2004のような優れた英語 圏の研究書がある。 また,文学者によるものでは あるが,Gossman2000は,ブルクハルトの政治思 想に関する点にも触れており貴重である。 研究論 文では,政治思想について論じるものはやはり少 なく[Kahn2001:221ft;Sigurdson2004:261ff.. ],. れないが,今後,彼の政治思想が,アクトン,. それらもまた英語圏のものである。 ブルクハルト. トクヴィルなどとともに,特にアクトンもブル. の母国語であるドイツ語圏においては,研究書は. クハルトと同様,我が国においては研究が少な. おろか論文もわずかの例外を除いて殆ど見当たら ないのが現状である。 以上が,ブルクハルトの政. いのであるが,より注目されることが望まれ. 治思想についての研究事情であるが,彼の著作の. また,その自由主義者としてのブルクハル る。. 出版事情についても触れておこう。 ブルクハルト. トの基礎にある懐疑主義は,人間本性への鋭い. の著作のうち,我が国において,その文化史に関. 洞察を生み出したが,それに基づく政治思想. するものは大概が日本語に移され,容易に読むこ とが可能である。 しかし,その政治思想を知る上. は,極めて謙虚であると同時にあらゆる政治的. で重要ともいえるものは,『世界史的諸考察』のみ. 熱狂とは無縁のものであるとの印象を強く受け. が完訳であり,『歴史の断章』は部分訳,『書簡集』.
(13) 60. に至っては翻訳されていない。 海外においては事. ハイエクの保守主義批判に基づけば,ブルクハル 情は異なり,これらの完全な英訳(但し『書簡集』 トは自由主義者と看倣されうるのである。 尚,保 は選集である)が存在することで,ブルクハルト 特に,アメリカはイ の政治思想に近づきやすい。. 守主義がナショナリズムに結びつきやすいという. ンディアナポリスにある,自由主義思想の普及に. ショナリズムに対する態度が,同時代のドイツの. 努め,ビューム,スミス,バーク,アクトン,ハ イエク,オークショットといった古典から現代に. 保守主義者ばかりか,自由主義者とも大きく異な そもそもカ るということについて触れておこう。. 至る自由主義者の政治,経済,社会思想の著作を. ント,フンボルト,シラーといった優れた思想家. 多数刊行しているLibertyFund(自由基金)から. も含まれるドイ. ツの自由主義であるが,1830年代. は,ブルクハルトの文化史以外の上記の三冊が出. に,その運動は広汎な展開を見たにもかかわら. ている(このことは,欧米においてブルクハルト. ず,当初からドイツの統一を目標とするナショナ. 批判に関連して,自由主義者ブルクハルトのナ. が政治思想家として認識されていることを窺わせ リズムと結びついており,そのことが,ドイツに これらのいずれに おける健全な自由主義の発展を阻害することに る実例であるとも思われる)0 も,編者による優れた序論が付されているが,特 ]。 ブルクハルトはスイ なった[Hayek1979:55ff. にDietze1979は優れており,本稿の執筆に際し. ス人であるが,ドイツ語圏に属する者として,ド. イツには親近感を持ち,ベルリンにおいてランケ ても大いに参考となった。 (3)この引用文にある,ブルクハルトが「権力を根 に師事したわけだが,彼自身,ドイツの統一には 源的に悪と看倣す」という点に関して,ハイエク 懐疑的であった。 ドイツの自由主義者としては例 は他に,『自由の条件』[Hayek1960:134‑1997. 外的に,K・フォン・ロテックは「自由のない統. Ⅱ:6],『隷属への道』[Hayek2000:107‑1999: いずれも,やはり, 187]においても触れている。. 一よりも,統一のない自由を好む」と述べたが,. ブルクハルトも同様に考えたのである[Dietze アクトンと共通する思想家としてブルクハルトを 1979:18]。 また,A・カーンによれば,むしろスイ 看倣していたことを示している(前者では,他に, ス人ブルクハルトにとっては,ドイツの自由主義 特に後者で 者が陥った自由か統一かの選択を迫られるような ミルトン,バークの名前も見られる)0 は,二人を「19世紀の偉大な個人主義的社会哲学. デイレンマには直面する必要がなかったともいえ 者」とも呼んでいるのである。 るのである[Kahn2001:7]。 (4)ブルクハルトを自由主義者と看倣す根拠を,ハ (5)ブルクハルトが自由主義のイギリス的伝統に属 イエクの「私はなぜ保守主義者ではないか」. するとすれば,自由主義の故国イギリスをどのよ. ("Why工AmNotaConservative")という小論か. うに評価したか。 ケーギによれば,ブルクノ)ルト. ハイエクは自 らも示すことができると思われる。 由主義者の立場から保守主義者を批判するが,そ. は「イギリス革命の精神的基盤を完全に肯定し. 例 の際,保守主義者の特徴を幾つか挙げている。 えば,保守主義者は社会主義者と同様,民主主義. クハルトの次のような一文を引きながら,彼が,. た」[Kaegi1962:55‑1990:160]とされる。 ブル. 1688年の名誉革命を,「宗教的自由」をもたらした が問題とする「誰が政府の権力を振るか」に多く 出来事として評価したと指摘するのである。 「獲 得されたものは,宗教的自由,即ち国教会に属し の関心を持つが,自由主義が問題とする「政府の 権力がいかに制限されるべきか」にはあまり関心 ない自由,しかもそれは,はじめのプロテスタン を持たない,また,保守主義者は国際主義に対し て敵意を持ち,ナショナリズムに容易に結びつく ‑1997m:197fl〔. ], ことになる[Hayek1960:402ff. と。これらは,事実,本稿の議論からも分かるよ うに,ブルクハルトもまた批判するところなので. 奪還された ティズムの原則に反して獲得された。 ものは,16世紀のプロテスタント国教会によって 一部破壊された市民的諸自由,これがいまは拡大 :56ff. ‑161ff. Lまた,ブルクハル された」[ibid. トの民主主義観を知る上で興味深い指摘である. ある。従って,論者によってはブルクハルトを保. が,イギリスの議会支配が貴族主義的な民主主義. 守主義者として看倣すが[Sigurdson1992:488],. であったことに,彼は親近感を持ったに違いない.
(14) 政治思想家としてのヤコブ・ブルクハルト. 61. とされる。 このようにブルクハルトのイギリス観. ある[Kaegi1950:381]cブルクハルトは,フラン. は肯定的なものであったといえるが,イギリスと. ス革命の平等理念に導かれた民主主義への嫌悪感. フランスを比較した興味深い記述においても,こ のことが窺える。 それは,同じ自由主義者トク. を隠さなかったが,それは決して反民主主義とい. ヴィルの記述に類するようなものである。. [仲手川1977:339]には肯定的であったのである。 (8)このハイエクの保守的側面について,J・グレ. う立場ではなく,「保守的で漸進的な民主主義」. トク. ヴィルは『アンシャンレジームと革命』において, 英仏の貴族を比較して,前者の優れた点を評価し ],ブルクハルトも たが[トクヴィル1997:226ff.. イは次のように述べている。 「ハイエクにとって,. 次のように述べている。 「イギリスの上層階級は,. 保守的哲学の洞察‑特に,人間個人は,自然的所. 極めて高度に二つの特質‑フランス貴族に欠けて. 与ではなく,寧ろ,社会的成果であり,他方,人. いた特質‑を持っていた。 即ちそれは二党派に分. 間の理性も同様に,文化発展における一要素と看. かれて王国を統治し得たばかりでなく,また同時. 倣されねばならず,文化発展を導くものと看倣さ. に司法,行政,軍事の各分野で全く無給でその諸. れるべきでない,という洞察‑と,古典自由主義. 州を治めたのであった」[Burckhardt1957:289. の中心的関心とを総合しているのである。 彼は,. 1971147:45],と。 (6)この点は,やはり,ブルクハルトが傾倒したと. フランスの哲学者に見られるものより,ずっと謙. いうA・ショーペンハウア‑[伸手川1977:53ff. の影響を受けたと思われる。 ヘーゲルを徹底的に. 人間の個性は,伝統の果実であって,‑‑彼は,. 虚で,懐疑的で,また穏当な形態の自由主義をわ ]. れわれに提供している。 それは,倣慢な合理主義. 批判するショーペンハウア‑は,その『意志と表. の悪夢から免れている自由主義である」[グレイ 1989:231ff. ],と。尚,ハイエクを,いわゆる「保. 象としての世界』において,国家を「万人のエゴ. 守的自由主義」(conservativeliberalism)の伝統. イズムに奉仕するためにのみ存在する」と看倣. において捉えようとする議論がある。 そこには,. し,「国家はエゴイズムのもたらす有害な諸結果. ハイエクの他に,ビューム,スミス,バーク,コ. にだけ反対する」が,それは「個人の幸福を守る. ンスタン,トクヴィル,アクトン,メンガーが含 まれるとしている[Gissurarson1987:8]。 この伝. という目的のためである」とする[ショーペンハ ウア‑1982:610]。 これは極めて自由主義的な国. 統は,ハイエクのいう自由主義の「イギリス的伝. 家観といえる。. 統」そのものであって,ブルクハルトを含めても. (7)ブルクハルトが望ましく思う民主主義のイメー. 差し支えないと思われる。. ジは,次のような故郷バーゼルの民主主義であっ たといえる。 バーゼルはそもそも,フランス革命. 参考文献. が勃発した際,その影響を当然受けたが,「そこで. Burckhardt,J. (1955)WeltgeschichtlicheBetrachtun. は一般的に,人文主義的キリスト教気風が保た. gen,hrsg. v. R. Marx,AlfredKroenerVlg.. (‑藤田 健治訳(1981)『世界史的諸考察』二玄社。 ). れ,また進んで改革〔引用者注:民主的改革〕を行 いながらも,革命には同調しない保守的な自由主 義が支配的であった」[仲手川1977! 84]。ケ‑ギ. (1957)HistorischeFragmente,K.. によれば,バーゼルの政治体制は民主主義であっ. ) 代1‑4」『みすず』No. 145‑148。. たが,それは当地の歴史,伝統に根ざすもので. Ganz ‑(1982)UeberdasStudiumderGeschichte,P. hrsg.,Vlg. C. H. Beck. (2001)TheLettersofJacobBurckhardt,A. Drusel.,. あった。 つまり,ブルクハルトの少年時代のバー ゼル憲法(1833)は,当時のスイスの諸都市のな かでも最も自由なそれであって,代議制民主主義 を保証するものであり,青年時代のそれ(1847) は,より自由主義的原理を取り入れたものであっ. F. KohlerVie... (‑坂井直芳訳(1971‑72)「歴史の断章革命の時. ed. andtrans.,LibertyFund. Coll,A.(1999)"Foreword",inJudgementsonHistory. たが,そこには,ギルド(Zunft)体制に基づく中. andHistorians,LibertyFund. (2001)"ForewordtotheLibertyFundEdition. 世以来の古い形態の民主主義が保たれていたので. inTheLettersofJacobBurckhardt,LibertyFund..
(15) 62. (1988)politicalWritings,B. Constant,B. Fontana. (1996)ThePoliticsofFaithandthePoliticsofSeep. trans,anded.,CambridgeUniversityPress. ticばm,YaleUniversityPress. Dietze,G. (1979)"Introduction",inReflectionsonHis (2003)InDefenceofModernity,Imprint Podoksik,E. Academic. tory,LibertyFund. Gissurarson,H. H.(1987)Hayek'sConservativeLiber Roepke,W. (1947)DasKulturidealdesLiberalismus, (‑喜多村浩訳(1949) Vlg.G.Schult‑Bulmuke. alism,GarlandPublisher. (2000)BaselintheAgeofBurckhardt,The 『現代経済の危機』青也書店。 ) Gossman,L. UniversityofChicagoPress.. Sigurdson,R. (1992)"JacobBurckhardt'sLiberal. Hayek,F. A.(1960)TheConstitutionofLiberty. The. ConservatisminHistoryofPoliticalThought,. UniversityofChicagoPress. (‑気賀健三・古賀. Vol.XIII.. 勝次郎訳(1997)『自由の条件IⅡⅢ』春秋社。 ) ‑(2004)JacobBurckhardt'sSocialandPolitical (1979)Liberalismus,WalterEuekenInst. Vor C且Mohr(Paul traegeuudAufsaetze72,J. Siebeck). ‑(1984)TheEssenceofHayek,C. Nishiyamaand. Thought,UniversityofTorontoPress. J・ブルクハルト(1998)『ギリシア文化史1』(新井 慎一訳,ちくま学芸文庫)o W・ケ‑ギ(1979)『小国家の理念一歴史的省察‑』. K. L.Leubeeds.,HooverInstitutionPressStan(坂井直芳訳,中央公論社)0 fordUniversity. (‑田中真晴・田中秀夫訳(1998) ‑(1990)『世界年代記』(坂井直芳訳,みすず書 『市場・知識. 自由一自由主義の経済思想‑』ミ 房)0 G・リッター(1953)『権力思想史』(西村貞二訳, ネルヴァ書房。 ) (‑西山 ‑(2000)TheRoadtoSerfdom,Routledge. 千明訳(1999)『隷属への道』春秋社。 ). みすず書房)0 A・ショーペンハウア‑(1982)『意志と表象として. の世界』(西尾幹二訳,『世界の名著45ショーペン ‑(2002)"HistoriansandtheFutureofEurope",in A. Hayek,VolumeIV,P. G. ハウア‑』中央公論社)。 TheCollectedWorksofF. A‑deトクヴィル(1997)『アンシャンレジームと Kleined.,reprint,Routledge. 革命』(井伊玄太郎訳,講談社学術文庫)0 ‑(2002)"OpeningAddresstoaConferenceat MontPelerin,inTheCollectedWorksofF. A.Hayek,. J・グレイ(1989)『増補ハイエクの自由論』(照屋佳. VolumeIV,P. G.Kleined.,reprint,Routledge. 男・古賀勝次郎訳,行A社)0 仲手川良雄(1977)『ブルクハルト史学と現代』創文 (1985)EssaysMoral,Political,andLiterary, Hume,D. E. Millered.,LibertyFund.. 社。. 下村寅太郎(1983)『ブルクハルトの世界』岩波書 Kahn,A. S.(2001)AristocraticLiberalism,withanew 店。 afterwordbytheauthor,TransctionPub.. 林健太郎・津田昭夫(1985)『原典による歴史学入 (1950)JacobBurckhardt:EineBiographie, Kaegi,W. 門』講談社学術文庫。 Bd. 2,BennoSchwabeundCo.. (1962)EuropaeischeHorizo甲teimDenkenJacob西村貞二(1991)『ブルクハルト』清水書院。 古賀勝次郎(2003)「D・ヒュ‑ムと現代政治哲学 Burckhardts,BennoScwabeundCo.. (‑坂井直芳 (二)‑ビュームとハイエク(1)‑」『ソシオサ 訳(1990)『ブルクハルトとヨーロッパ像』みすず イエンス』Vol. 9。 書房。 ) 野田裕久(1994)「アクトン文書とその政治思想 (1955)"Nachwort"inWeltgeschichtiiche Marx,R. (‑)」『愛媛法学会雑誌』第21巻第1号。 Betrachtungen,AlfredKroenerVlg.. (1954)"TheDetachedVision",in Oakeshott,M. Encounter,IINo. 6. (1991)Rationalisminpoliticsandotheressays,Lib ertyFund..
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