戦前のターミナル・デパート - 大鉄百貨店の創立 -
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(2) 第7巻. は. 第1号. じ. 近 代 日本 にお け る都 市 近 郊 の 私 鉄 は,い. め. に. くつ か の 兼 営 事 業 を 行 って いた 。 例 え ば,沿 線. の 宅 地 開 発,遊 園 地 な どの 娯 楽 施 設 や ター ミナ ル ・デ パ ー ト(百 貨 店)の 経 営,さ 電 力 事 業 な ど様 々で あ った(表1参. らに は. 照)。 当 時 は 私 鉄 間 競 争 の一 環 と して 兼 営 事 業 が 行 わ. れ て いた 。 中西 健 一 『日本 私 有 鉄 道 史 研 究 』 は,兼 営 事 業 の 特 徴 を 次 の よ う に と らえ て い る(1)。 「兼 業 が,電 力 供 給 を 別 とす れ ば,社 内副 業 と して本 業 で あ る鉄 軌 道 営 業 を前 提 と し,こ れ に よ って 培 養 され な が らこれ を 培 養 す る と い う相 互 依 存 関 係 にお いて 営 まれ る もの で あ る限 り,兼 業 の 発 展 は本 業 で あ る鉄 道 営 業 の 発 展 に よ って 規 定 され る… …(西 武,武 蔵 野 鉄 道 の ご と く)本 業 で あ る鉄 道 営 業 が 未 発 展 で あ った り,著 し く経 営 不 振 で あ った りす る 場 合 に は,兼 業 の 意 欲 は いか につ よ くて も,そ の 発 展 は大 き く制 約 され ざ るを 得 な いの で あ る。」 す な わ ち,兼 営 事 業 は本 業 の 鉄 道 営 業 の 発 展 に合 わ せ て 相 互 依 存 的 に営 まれ る と い う。 本 業 が 発 展 せ ず して,兼 営 事 業 だ けが 成 功 す る こ と はな い と い うの で あ る。 兼 営 事 業 を そ の よ うな もの と と らえ た 上 で,小 稿 で は,鉄 道 会 社 の 兼 営 事 業 の ひ とつ で あ る百 貨 店 事 業 に焦 点 を あて る。 鉄 道 会 社 の 百 貨 店 は,終 着 駅 一 ター ミナ ル に あ るた あ, 「タ ー ミナ ル ・デパ ー ト」 とか 「タ ー ミナ ル百 貨 店 」 とか 呼 ば れ る。 タ ー ミナ ル ・デ パ ー トの 成 功 は,私 鉄 の 本 業 の駆 動 力(エ. 表1在. 注)▲. 電車 電灯電力 自動車 遊園 ・土地建物 百貨店 計. に な る だ け で な く,「旅 客 輸 送 」 を. 阪4大 私 鉄 の 営 業 利 益 の 事 業 別 割 合(1934年. 南 本業 兼業. ン ジ ン)の1つ. 海. 阪. 急. 上 期). 阪. 神. 単 位:%. 大. 軌. 63.7. 48.5. 42.3. 85.0. 37.9. 8.4. 45.2. 13.0. 8.4. 12。4. 0.1. 57。6. 14.0. 0.9. ▲0.2 ▲1.4. 34.7 36.3. 51.5. は欠 損 を 示 す 。. 出 所:大 阪 社 会 労 働 運 動 史 編 纂 委 員 会 編 『大 阪 社 会 労 働 運 動 史 」 戦 前 編 ・下,第2巻,大 運 動 協 会,有 斐 閣 発 売,1989年,p1225。. 阪社会労働. (1)中 西 健 一 『日本 私 有 鉄 道 史 研 究(増 補 版)』 ミネ ル ヴ ァ書 房,1979年,p455-459。 な お,兼 営 事 業 も含 め て,戦 間 期 の 東 京 近 郊 私 鉄 の 成 長 戦 略 を 検 討 した もの と して,松 本 和 明 「東 京 近 郊 私 鉄 の 経 営 戦 略 と企 業 成 長 の研 究 一 戦 間 期 を 中心 に して 」(明 治 大 学 『経 営 論 集 』 第45巻2・3・ 4合 併 号,1998年3月)が あ る。 -250(250)一.
(3) 戦 前 の 夕 一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷. 中心 と した 都 市 交 通 の 形 成 過 程 の 一 端 を 担 い,さ. 内). らに は ター ミナ ル の 発 展 に寄 与 す る と い. う意 味 にお いて も重 要 で あ る と考 え て い る。 例 え ば,戦 前 大 阪 の 阪 急 百 貨 店 はそ れ を み ご と に 体 現 して い る か らで あ る(2)。. さて,戦 前 の ター ミナル 百 貨 店 研 究 を 見 て み る と,阪 急 を 中心 と した もの が 多 数 存 在 す る。 そ れ ら多 くは創 業 者 小 林 一 三 の事 業 構 想 の 一 環 と して 研 究 され た もの が 多 く,他 の ター ミナル 百 貨 店 の 事 例 研 究 は少 な い。 また ター ミナル 百 貨 店 す べ て が 成 功 した わ けで も な い。 中 に は業 績 不 振 で 撤 退 す るケ ー ス もあ った と い うが そ の 詳 細 な 理 由 は不 明 で あ る。 当 然 の ご と く,阪 急 百 貨 店 の 成 功 だ けで 戦 前 の ター ミナル 百 貨 店 を 説 明 す る こ と はで きな い 。 そ の 意 味 で,研. 究 の 蓄 積 が 求 め られ る(3)。. そ こで,小 稿 で は大 阪南 の玄 関 口,阿 倍 野 橋 に ター ミナル 駅 を も って いた 大 阪 鉄 道(現, 近 畿 日本 鉄 道)が 開 いた 大 鉄 百 貨 店(現,近. 鉄 百 貨 店 阿 倍 野 本 店)に つ いて 詳 し く見 て い. きた い。 当 時 の 新 聞 に よ る と,阿 倍 野 橋 ・天 王 寺 界 隈 は各 種 鉄 道 の 乗 り継 ぎ駅 と して 多 数 の 乗 降 客 を 抱 え て いた の で,「 大 阪 の新 宿 」 と呼 ば れ て い た。 『大 阪 朝 日新 聞 』 は次 の よ う に 伝 え て い る(4)。. (2)阪 急 につ い て の 研 究 は数 多 い。 さ しあ た り,総 論 的 な もの と して,前 田和 利 「小 林 一 三 一 消 費 者 指 向 の 第3次 産 業 企 業 集 団 の創 造 」 森 川 英 正 ・中 村 青 志 ・前 田 和 利 ・杉 山和 雄 ・石 川 健 次 郎 「日本 の 企 業 家(3)昭和 篇 』 有 斐 閣 新 書,1978年,津 金 沢 聰 廣 「宝 塚 戦 略 一 小 林 一・ 三の生活文化論」 講 談 社 現 代 新 書,1991年,岩 堀 安 三 『偉 才 小 林 一 三 の 商 法 阪 急 を 創 始 した 経 営 哲 学 」(改 訂 版) 評 言 社,1978年,な どが あ る。 特 に鉄 道 経 営 の 側 面 か らは,作 道 洋 太 郎 「阪 急 電 鉄 一 そ の 経 営 と 沿 線 文 化 の 発 達 」 宇 田 正 ・浅 香 勝 輔 ・武 知 京 三 編 『民 鉄 経 営 の 歴 史 と文 化 西 日本 編 』 古 今 書 院, 1995年,作 道 洋 太 郎 「 私 鉄 経 営 の 成 立 と そ の 展 開 一 箕 面 有 馬 電 鉄 の 場 合 を 中心 と して」 『大 阪 経 大 論 集 」 第117・118号,1977年7月,松 本 和 明 「戦 前 期 鉄 道 企 業 家 の 観 光 ・娯 楽 戦 略 小 林 一 三 を 中心 に」 『交 通 史 研 究 」 第62号,2007年4月 が あ る。 百 貨 店 事 業 に特 化 した もの と して は,末 田 智 樹 「立 地 展 開 の 分 析 か らみ た 創 設 期 阪 急 百 貨 店 の 経 営 一 昭 和 戦 前 期 にお け る百 貨 店 業 態 の 新 展 開 」 中 部 大 学 『人 文 学 部 研 究 論 集 」 第14号,2005年7月,木 村 吾 郎 「小 林 一 三 の 事 業 一 阪 急 百 貨 店 の 創 業 を 中心 と して 」 大 阪 商 業 大 学 商 業 史 研 究 所 「商 業 史 研 究 紀 要 」 第4号,1996年8月, な どが あ る。 大 型 店VS中 小小 売 商 問題 と して と らえ た もの に,谷 内 正 往 「昭 和 初 期 ・阪 急 百 貨 店 と小 売 商」 近 畿 大 学 通 信 教 育 部 『梅 信 」 第466号,2002年7月,が あ る。 他 に 私 鉄 を キ ー ワー ドに した もの と して,原 武 史 『「 民都」大 阪対 「 帝 都 」 東 京 思 想 と して の 関 西 私 鉄 」 講 談 社 選 書 メチ エ,1998年,が あ る。 (3)管 見 の 限 り,阪 急 百 貨 店 以 外 に,タ ー ミナ ル ・デ パ ー トにつ い て の ま と ま った 研 究 は 見 られ な い 。 多 くは小 売 業 研 究 にお い て 断 片 的 に紹 介 され て い るだ けで あ る(鈴 木 安 昭 『昭 和 初 期 の 小 売 商 問 題 」 日本 経 済 新 聞 社,1980年,p81-85.鳥. 羽 欽 一 郎 『日本 の流 通 革 新 」 日経 新 書,1979年,. p75-82,な ど)Q ター ミナ ル ・デ パ ー ト(百 貨 店)の 成 功 と成 長 を,鳥 羽 欽 一 郎 氏 は そ れ まで の 呉 服 系 百 貨 店 と 区 別 して 「第2の 革 新 」 と呼 ん で い る。 そ の 理 由 と して 第1に 革 新 の 主 体 が 電 鉄 経 営 者 で あ る こ と,第2に 郊 外 地 区 の 発 展 に着 目 し,大 都 市 中 心,横 へ の 拡 大 型 の 日本 の 市 場 圏 を 巧 み に利 用 し て,百 貨 店 の 土 着 化 に成 功 した 点,第3に この 革 新 が まず 大 阪 で 成 功 し,そ の パ ター ンが 東 京 な り名 古 屋 へ と東 上 した こ と,を あ げて お られ る(同 前,p78)。 (4)『 大 阪 朝 日新 聞 」1939(昭 和14)年7月20日 付,第6面 。 一251(251)一.
(4) 第7巻. 第1号. ●「大 阪 の新 宿 」 大大阪の南玄関. 阿 倍 野 橋 付 近 の 最 近 の 伸 展 は実 に物 凄 い。 こ \を 通 る もの は誰 で. も明 粧 され ゆ く市 街 や 建 築 美 に瞠 目す るで あ らう。 誰 が 言 い 由 した ふ 知 らな いが 此 処 を 肖大 阪 あ薪 宿]と1ま よ く表 境 した含 棄 澄 と忠 ぶ(・. ・は 引用 者,以 下 同 じ)。 現 在. は まだ 関 西 線 天 王 寺 駅 の 大 改 築 を 中心 と して 着 々 と し建 設 工 作 が 進 捗 しつ \あ るが, これ が 完 成 の 暁 に於 け る阿 倍 野 橋 附 近 の,心 斎 橋 或 は東 京 の 新 宿 を しの ぐの 一・ 大繁華 街 化 は十 分 に期 待 し得 る もの が あ る。 と言 ふ の は此 処 穆 交 適 細 が 集 約 し1惑 ら 之 白本 ⊥ と台 らで 造 台 で な い迄 所 謂 陵 ニ ミナル]が 典 型 的 た組 歳 され た 処 ほな いふ らで あ 為。 梅 田 チ ョイ と 出 りや 天 干 寺 の 地 下 鉄 が 梅 田. 天 干 寺 間 を 僅 か13分 で 突 走 り,大 和,. 河 内を 縦 貫 して 肇 国 の 聖 地 橿 原 神 宮 等 に至 る大 鉄 電 車,和 歌 山 に至 り紀 州 熊 野 方 面 と の 交 通 を 掌 握 す る 日本 一 の 快 速 阪 和 電 車,住 吉,平 野 方 面 と天 下 茶 屋 方 面 の 住 宅 街 に 至 る南 海 電 車 の 支 線 が あ り,更 に省 電 こ \か ら東 大 阪 を 通 つ て 梅 田 に至 り,関 西 線 が 天 干 寺 駅 の 改 築 完 成 を 期 して 湊 町 駅 を 廃 して こ \を 終 点 とせ ん と計 画 して お り,市 路 面 電 車 や バ スが 縦 横 に縫 つ て 走 る等 図(図1参. 出 所:『. 大 阪 朝 日新 聞 」1939(昭 図1阿. 部 野 橋(天. 照 一 引 用 者)に 示 す が 如 く交 通 脈 が 集. 和14)年7月20日 王 寺)夕. 一252(252)一. 付,第6面. 一 ミナ ル 周 辺. 。.
(5) 戦 前 の 夕 一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷. 内). 中 し,近 代 文 化 交 流 の 一 大 基 地 を な して ゐ る。 … … 発 展 して 行 く因 を な した もの は大 鉄 ・阪 和 ・南 海 の 各 郊 外 電 鉄 を 始 め 地 下 鉄 の 天 王 寺 開 通(更. に我 孫 子 まで 延 長 され る)大 鉄 百 貨 店 ・大 鉄 映 画 館 ・名 物 食 堂 ・雨 風. 食 堂 の 現 出,ア サ ヒ ・キ リ ン ビー ル の 進 出等 に努 力 した 株 式 会 社 恒 人 社 等 の 貢 献 を 看 過 し得 な い。 弦 に各 社 の 発 展 と阿 倍 野 橋 の 繁 栄 を 祈 る次 第 で あ る。. 当 時,阿 倍 野 橋 一「大 阪 の新 宿 」に唯 一 あ った 大 鉄 百 貨 店 につ いて の 詳 しい研 究 は存 在 し な い(5)。大 鉄 百 貨 店 は,昭 1934(昭. 和9)年. (昭 和12)年. 和 恐 慌 期 に 創 業 し た 阪 急 百 貨 店(1929年)に. に 大 阪 鉄 道(以. に 開 業 し た 。 当 時,大. 下,大. 鉄 と 略 す)が. 遅 れ る こ と5年,. 別 会 社 と して 創 立 し,3年. 後 の1937. 鉄 百 貨 店 は 南 の 玄 関 口 の 「顔 」 だ っ た 。. 一 体 どの よ うな い き さつ で 創 設 され た の か ,ま た 本 業 に どの よ うな 影 響 を 与 え た の か, 大 阪 の 阪 急 な ど他 の タ ー ミ ナ ル 百 貨 店 と の 関 係 が あ っ た の か ど う か(6),に つ い て も 検 討 し て い きた い。. (1)大 阪 鉄 道 の 兼 営 事 業 一 本 業 不 振 か ら 1-1.大. 阪 鉄 道 の 沿 革(7). 大 鉄 の 沿 革 を 『大 鉄 百 貨 店 史 』 は次 の よ う に記 述 して い る(8)。. 「大 阪 鉄 道 株 式 会 社 ハ 其 ノ前 身 河 南 鉄 道 トシテ 明 治 三 十 二(1899一. 引用 者,以. 下同. (5)大 鉄 百 貨 店 に関 す る資 料 と して,佐 竹 三 吾 監 修 「大 鉄 全 史 」 近 畿 日本 鉄 道 株 式 会 社,1952年, 株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店 『大 鉄 百 貨 店 史 」 同 店,1944年,株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店 創 立 事 務 所 『株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店(募 集 要 項 ・事 業 説 明 書 ・起 業 予 算 書 ・定 款)」1934年,『 大 鉄 百 貨 店 営 業 報 告 書 」 が あ る。 (6)前 掲,末 田論 文 は大 鉄 百 貨 店 と阪 急 百 貨 店 の 創 業 経 緯 の 類 似 性 を 指 摘 し,開 店 前 に大 鉄 百 貨 店 社 員 が 阪 急 百 貨 店 に販 売 実 習 に行 った こ とや 「素 人 」 の 経 営 を 標 榜 す る阪 急 百 貨 店 の 方 針 を 真 似 て い る こ とか ら,阪 急 百 貨 店 の 影 響 力 を 強 調 して い る。 さ ら に は,阪 急 社 長 の 小 林 一 三 が,東 京 (東 横 百 貨 店),大 阪(阪 急 百 貨 店),福 岡(岩 田屋)の3つ の 大 都 市 に お け る タ ー ミナ ル デ パ ー トの 連 携 構 想 を 実 行 し よ う と試 み た,と して い る。 ま た,株 式 会 社 近 鉄 百 貨 店 編 「40年の あ ゆ み 」 (同 社,1977年)に も,夕 一 ミナ ル百 貨 店 同士 の交 流 の 一 端 が 記 さ れ て い る。 社 員 の 回顧 座 談 会 にお い て,大 鉄 百 貨 店 の 場 合 は,阪 急,高 島 屋,そ ご うの 各 店 にお 願 い して 新 入 社 員 を1年 間 業 務 実 習 に行 か せ た,と あ る(同 書,p41)。(大 鉄 百 貨 店 よ り1年 前 に 創 業 した)大 軌 百 貨 店 の 場 合 は時 間 の 余 裕 が な く,五 島 慶 太 が 大 軌 の 監 査 役 で あ った 関 係 か ら東 横 百 貨 店 へ1週 間 ほ ど研 究 に行 っ た,と あ る(同 書,p,27-28)。 さ ら に,大 鉄 百 貨 店 の1944(昭 和19)年2月29日 現 在の 株 主 名 簿 には,阪 急 の取 締 役 社 長 佐 藤 博 夫(2,050株)の 名 前 が あ る。 千 株 以 上 の株 主 は15名,2 千 株 以 上 の 株 主 にな る と7名 しか いな い の で,か な り上 位 にあ り,大 鉄 百 貨 店 は阪 急 百 貨 店 と何 らか の 関係 が あ った もの と見 られ る(大 鉄 百 貨 店 『第15期 営 業 報 告 書 」 同店,1944年)。 大 鉄 の 兼営事業 である 「 大 鉄 映 画 劇 場 」(別 会 社)の 相 談 役 に小 林 一 三 が就 任 して いた こ と もつ け 加 え て お く(前 掲 「大 鉄 全 史 」p236)。 注 ⑳ も参 照 の こ と。 (7)大 阪 鉄 道 につ い て は,武 知 京 三 「都 市 近 郊 鉄 道 の 史 的 展 開 」 日本 経 済 評 論 社,1986年,第3章 5節 以 降 に詳 しい 。 以 下,こ とわ りの な い 限 り,大 阪 鉄 道 に関 す る史 実 は 同 書 に よ る。 (8)前 掲 『大 鉄 百 貨 店 史 」p2。 一253(253)一.
(6) 第7巻 じ)年. 創 立 セ ラ レ,漸. 一橿原神宮間 五(1930)年. ,所. 謂. 第1号. 次 其 ノ 路 線 ヲ 拡 張 シ 多 額 ノ 負 債 ヲ 忍 ビ,昭 「大 和 線 」 ノ 開 通 ヲ 見 ル ニ 至 リ タ ル ガ,遂. 和 四(1929)年. 古市. 二 経 営 難 二 陥 リ,昭. 和. 二 至 リ無 配 ヲ 決 行 シ 支 払 停 止 ノ 止 ム ナ キ ニ 至 レ リ。」. もと もと大 鉄 は(大 阪 南 に あ る)営 業 不 振 の河 陽鉄 道 を改 編 した河 南 鉄 道 を前 身 と して, 1923(大. 正12)年. に天 王 寺(後. に阿 倍 野 橋 と名 称 変 更)一 道 明 寺 の営 業 を 開 始 した 時 か ら. いわ ゆ る 「郊 外 電 車 」 とな った 。 さ らに1928(昭. 和3年)道. 明寺. 古 市 間 複 線 化,吉 野 線. へ の 乗 り入 れ を 開 始 して そ の 延 線 規 模 を どん どん 拡 大 して い く。 た だ し,昭 和 恐 慌 の 影 響 に よ り1930(昭 和5)年. 頃 に は欠 損 を 出 して いた 。 日々2万 人. 以 上 の 乗 降 客 が あ った と いわ れ る が(9),も と も と投 資 に対 す る収 益 性 は低 か った もの と見 られ る。 表2は. 大 阪 近 郊 の 電 鉄 比 較 表 で あ る が,大 鉄 は建 設 費 で は 他 の 私 鉄 と変 わ りな. か った もの の,そ の 収 入 面 で は 阪 和 電 鉄 を 除 く他 社 の3分 の1な. い し2分 の1に 過 ぎ な. か った の で あ る(1① 。. 1-2.大. 阪鉄道の経営状態. 大 鉄 の 営 業 成 績 等 は表3の 通 りで あ る。 武 知 京 三 『都 市 近 郊 鉄 道 の 史 的 展 開 』に よ る と, 同 社 は大 正 期 は別 と して,昭 和 恐 慌 期 以 降 の 不 振 が 目立 って い る。 大 阪 延 長 お よ び新 線 建 設,さ. らに兼 営 事 業 へ の 進 出な ど に よ って 資 産 内 容 を 膨 張 させ た が,反 面 社 債,借 入 金 の. 対 外 債 務 は著 し く増 大 し,そ の 利 払 い さえ もお ぽ つ か ず,収 益 が そ れ に見 合 わ ず 業 績 低 下 を 招 いたqD。. 社. 名. 表2大. 阪 近 郊 の 電 鉄 比 較 表(1931年. 1日1粁. 当 り収 入. 百分比. 度 鉄 道 省 監 督 局 調 査) 1粁 当 り建 設 費. 神急阪軌海 鉄 和. 阪阪京大南 大 阪. 円. 円. 24008. 307. 396000. 102. 23939. 307. 282000. 72. 19605. 251. 374000. 96. 18235. 233. 389000. 100. 15992. 205. 300000. 77.96. 100. 387,000. 100. 68.04. 87. 408,000. 105. 出 所:武 知 京 三 『都 市 近 郊 鉄 道 の 史 的 展 開」 日本 経 済 評 論 社,1986年,p387。 『大 鉄 全 史 」 近 畿 日本 鉄 道 株 式 会 社,1952年,p148-149。 (9)前 ⑩. 掲. 『大 鉄 全 史 』p185-186。. 武 知 京 三,前. (ll)同. 百分比. 掲 書,p385-387。. 前,p385。. 一254(254)一. 77. 原 典 は佐 竹 三 吾 監 修.
(7) 戦 前 の 夕一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷 内) 表3大. 阪 鉄 道 の 利 益 率 ・配 当 率 お よ び 株 価 変 動 率. 犬33茜 出所:武. 莫 芙;茎. 茜 美 芙 尊 四. 知 京三 『都市 近 郊鉄 道 の 史 的 展 開」 日本 経済 評論 社,1986年,p386。. 『大 鉄 全 史 』 に よ る と,1923(大. 正12)年. 大 阪線 開通 前 後 か ら,「 いわ ゆ る多 角 的 電 鉄 経. 営 の 方 式 を 取 入 れ,沿 線 の 土 地 住 宅 経 営,自 動 車,運 動 場,教 材 園,食 堂,廉 売 市 場 等 の 兼 営 事 業 に相 当 の設 備 を 施 し,従 つ て少 か らぬ 投 資 を 行 ひ来 つ た」 とい う⑫。 収 益 率 も低 く,多 角 化 投 資 が 不 況 時 の ダ メー ジを 大 き く して い る。 1931(昭 ん,さ. 和6)年. 前 半 期 に は,経 済 界 の 不 況 に よ り沿 線 の 各 種 工 場 が 閉 鎖 し,銀 行 破 た. らに は農 村 の 不 景 気 が 貨 客 移 動 の 減 退(5割4分9厘. を 前 年 同 期 よ り 「6分7厘. 減)を 招 き,同 社 の 営 業 収 入. 」 減 少 させ た と い う。 た だ し,野 球 の 試 合 そ の 他 の 催 事 は良 好. で あ った 。 社 長 が 越 井 醇 三 ⑱,森 平 蔵 と2人 交 代 した 後 に,1932(昭 ⑫ ⑬. 和7)年10月. 元 鉄 道 官 僚,大. 前 掲 『大 鉄 全 史 』p165。 越 井 の 奮 闘 につ いて は,小 川 功 「大 都 市 鉄 道 へ の 経 営 転 換 と資 金 調 達 一 阪 神 急 行 電 鉄,大 阪 鉄 道 の 対 比 を 中 心 と して」 『鉄 道 史 学 』 第8号,1990年9月,に 詳 しい 。 そ こで は,大 鉄 の株 主 構 造 が,そ の 成 長 に合 わ せ て 法 人 株 主 ・金 融 機 関 持 株 が 増 え る こ とな く,個 人 株 主 主 体 とな って い っ た 特 異 性 を 指 摘 し,越 井 の 過 大 投 資 を 批 判 す る向 き に対 して は,当 時 の 状 況 か ら考 え て,競 合 す る大 阪 電 気 軌 道 の 方 が 「役 者 が 一・ 枚 も二 枚 も上 と い う ほか な い 」 と して い る。 む し ろそ の 後 の 阿 倍 野 橋 ター ミナ ル の 発 展 を 見 る と き,越 井 の 名 は経 営 史 上 永 く記 憶 され て しか るべ きだ と い う。 -255(255)一.
(8) 第7巻. 第1号. 阪 市 電 気 局 長 等 を 歴 任 した 佐 竹 三 吾qのが 社 長 に迎 え られ,(1)負 債 の 整 理,(2)事 務 の 刷 新, (3)サー ヴ ィ ス の 改 善,(4)運. 賃 の 低 減,(5)沿. 線 の 開 発 の5重. 要 項 目 を 掲 げ,大. 鉄更生の道が. 模 索 され た 。. 『大 鉄 百 貨 店 史 』 は,「 佐 竹 社 長 ヲ 中心 トシテ 全 員 献 身 的 努 力 ヲ以 テ 復 活 二 専 心 シ タル 結 果,漸. ク 債 権 者 ノ 了 解 ヲ 得,7年. 計 画 ノ 整 理 案 成 立 ⑮」 した と い う 。. 詳 細 は 『大 鉄 全 史 』 等 に 詳 し い の だ が,こ 下 げ(平. 均24%),増. 90%,兼. 業10%の. 14)年. 便,ス. ピ ー ドア ッ プ,な. こ で は,1933(昭 ど の 対 策 以 降,収. 割 合 で 返 却 して い く こ と を 決 め. 和8)年4月1日 入 が 増 加 し,負. の運賃値 債 を本業. 「7年 計 画 」 の 最 終 年 で あ る1939(昭. 下 期 に 一 応 完 了 し た こ と ⑯,を 指 摘 す る こ と に と ど め て お く。 す な わ ち,景. 和. 気が良. くな り 「運 賃 値 下 げ」 が,か え って 本 業 収 入 を 増 加 させ る結 果 にな った の で あ る。 運 賃 値 下 げ につ いて,当 時,佐 竹 三 吾 社 長 は 「大 阪朝 日新 聞』⑰ にお いて 次 の よ う に語 っ て い る。. 「もつ と大 き な値 下 げ を や りた い の で す が,本 社 が今 瀕 死 の重 体 に あ る の で,大 切 開 手 術 は却 つ て 致 命 的 とな るの で,約3割. で 止 め ま した,定 期 券 は他 の 郊 外 電 車 に比 し. 一 番 安 い と の 自信 を もつ て ゐ ま す 。 本 社 の 負 債 整 理 は6力 年(実 際 は7力 年 者)を. 目標 と し,一 部 債 権 者 の 同 意 を まだ 得 て ゐ ませ ん が,と. 引用. りあえ ず 値 下 げす るの. で す か ら,苦 衷 を 買 つ て 頂 きた い,業 態 が 立 ち直 れ ば更 に第2回 の 値 下 げを 必 ず や り ま す 。」. q4)佐 竹 三 吾 は,1880(明 治13)年 岐 阜 県 生 まれ,1905(明 治38)年 東 京 帝 大 独 法 科 卒 業 し,直 ち に農 商 務 省 に入 り,翌1906(明 治39)法 制 局 参 事 官,1908(明 治41)∼1911(明 治44)年 ま で ド イ ツ留 学,1917(大 正6)年 法 学 士 の 学 位 を 授 与 され,以 後 鉄 道 省 監 督 局 長,大 阪 市 電 気 局 長, 法 制 局 長 官,鉄 道 政 務 次 官 等 を 歴 任 す る。1932(昭 和7)年 大 阪 鉄 道 株 式 会 社 社 長 に就 任 し,1934 (昭 和9)年7月 株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店 の 設 立 と と もに 同 社 社 長 を か ね て い た(『 大 鉄 百 貨 店 史 』 p20)。 途 中,1930(昭 和5)年12月20日,越 後 鉄 道 疑 獄 事 件 他2件 に関 係 し収 賄 容 疑 で 懲 役8ケ 月(執 行 猶 予2年)の 判 決 を 受 けて い る。 この う ち,参 宮 急 行 電 鉄 の 免 許 につ い て 大 阪 電 気 軌 道 社 長 金 森 又 一 郎 らの 収 賄 容 疑 は立 件 され な か った,と い う(中 西 健 一,前 掲 書,p223-225)。 な ぜ 佐 竹 が 大 鉄 再 建 に抜 擢 され た の か は 不 明 で あ るが,渡 哲 郎 氏 は,大 鉄 と競 合 す る 「大 軌 社 長 の 種 田虎 雄 が 佐 竹 を 直 接 大 鉄IIに 送 り込 み,そ の 再 建 にあ た らせ た の で あ る。 大 軌 に よ って 大 鉄IIに 送 り込 まれ た 破 産 管 財 人 。 これ が 佐 竹 社 長 の 正 体 だ った 」 とい う(渡 哲 郎 「1930年代 の 大 阪 鉄 道11」 『阪南 論 集 」(人 文 ・自然 科 学 編)第36巻 第3号,2001年1月,p110)。 こ こ に 「大 鉄 H」 と は 小 稿 の 対 象 とす る大 鉄(現,近 鉄 南 大 阪 線)で あ り,「 大 鉄1」 は 明 治 期 創 業 の 大 鉄 (現,JR関 西 本 線)を 指 す と見 られ る。 当 時 の新 聞 に も大軌 系 の 株 主 が佐 竹 を 待 望 す る報 道 が あ る。 「佐 竹 の 入 社 につ い て は,大 軌 側 及 び大 株 主 が これ を 熱 望 して,一 部 株 主 は 同 氏 の 入 社 方 につ き上 京 して,司 法,鉄 道 両 大 臣 に事 前 に諒 解 を 求 め,こ れ に対 して 債 権 者 た る三 井,住 友,鴻 池 等 も大 体 賛 意 を 表 して ゐ る」(「大 阪 朝 日新 聞 』1932<昭 和7>年9月27日 付,第9面)。 ⑮ 前 掲,「 大 鉄 百 貨 店 史 』p2。 ⑯ 前 掲 『大 鉄 全 史 』p194,291。 ⑰ 『大 阪 朝 日新 聞 」1933〈 昭 和8>年3月8日 付。 一256(256)一.
(9) 戦 前 の 夕 一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷. 内). こ う して,本 体 の 経 営 状 態 が 改 善 に向 い始 め る と,兼 営 事 業 の 構 想 が どん どん 沸 いて く る こ と にな る。 そ の1つ で あ る大 鉄 百 貨 店 につ いて,節 を 改 め て 見 て い くこ と にす る。. (2)大 鉄 百 貨 店 計 画 2-1.前. 史. 大 鉄 アー ケー ド. ー 般 に,百 貨 店 の 発 展 の 背 景 と して,① 整 備,③ 消 費 者 サ イ ドの 変 化,が. 巨大 都 市 の 出現,② 鉄 道 を 中心 とす る交 通 網 の. あ る とい わ れ る⑱。 大 阪 の場 合,①. 治22)年. の市 制 実 施 時 わ ず か47万 余 の 人 口が はや く も1904(明. 1925(大. 正14)年. (昭和15)年. に211万 とな り,1935(昭. 和10)年. に つ い て,1889(明. 治39)年. に100万 を 超 え,. に は299万 人 とな った 。 ピー クの1940. に は325万 の 巨大 過 密 都 市 と な っ て い た⑲。 ② につ いて は,阿 倍 野 橋 を は じめ,. 梅 田,難 波,上 本 町6丁. 目,天 満 な ど鉄 道 駅 タ ー ミナ ル が形 成 さ れ て い た。 ③ に つ い て は,. 「衣 食 住」 に お け る近 代 化,す. な わ ち着 物 か ら洋 服 へ,和 食 か ら洋 食 へ,都 心 か ら郊 外 へ. 住 居 を 移 転 す るな ど,の 変 化 が 見 られ た 。 さて,大 正 末 期,大 鉄 はそ の 多 角 経 営 期 に大 阪 阿 倍 野 橋 駅 舎 建 築 用 敷 地 と して 約1千 坪 の 土 地 を 買 収 して いた 。 た だ,す 2)年3月. ぐに は建 築 の 見 込 み が 立 た な か った た め に,1927(昭. 約275坪 の 平 屋 を 建 築 し 日用 品 市 場 を 開 き42店 舗 に貸 付 け,同 年4月23日. 和 「大. 鉄 アー ケ ー ド」 と して 華 々 し く開 業 した 。 付 近 の 住 民 は もち ろん 大 鉄 沿 線 居 住 者 の 非 常 な 歓 迎 を 受 けて 開 店 早 々盛 況 を きわ あ,数 年 に して 拡 張 の 必 要 に迫 られ て いた,と 「拡 張」 は,1932(昭. 和7)年. い う⑳。. 佐 竹 三 吾 社 長 就 任 で 「大 鉄 百 貨 店 」 と して 現 実 化 す る。 つ. ま り,佐 竹 は 「大 鉄 アー ケ ー ド」 の 将 来 性 を 見 込 ん で 百 貨 店 構 想 を 実 行 に移 した の で あ ろ う。 この 辺 りの 事 情 は,阪 急 が 百 貨 店 事 業 を 始 め る数 年 前 まで 実 験 的 に阪 急 マ ー ケ ッ トを 運 営 して いた こ と と良 く似 て い る。 事 前 準 備 を した 上 で ス ター トを 切 る慎 重 さ は,百 貨 店 事 業 が 実 は鉄 道 事 業 と同 じ く,多 くの 固 定 資 本 を 必 要 とす る 「装 置 産 業 」 で あ る こ とを 認 識 して いた か らで あ ろ う。 総 費 用 に 占め る固 定 費 用 の 割 合 が 高 い場 合,損 益 分 岐 点 が 上 昇 し,あ る程 度 の 売 上 を 見 込 め な けれ ば事 業 を 継 続 す る こ と は難 しい。 した が って,売 上 が 十 分 に見 込 め る算 段 が あ って 初 め て 百 貨 店 事 業 が 現 実 化 した の だ ろ う⑫1)。 (18)大 阪 社 会 労 働 運 動 史 編 集 委 員 会 編 『大 阪 社 会 労 働 運 動 史 」 第2巻(戦 前 篇 ・下)大 阪 社 会 労 働 運 動 協 会,有 斐 閣 発 売,1989年,p1216-1217。 (19)同 前 。 ⑳ 『大 鉄 百 貨 店 史 』p1。 た だ し,『大 鉄 全 史 』 に は 「大 正15年4月,阿 倍 野 橋 の南 に面 積162坪 の 平 屋 建 家 屋 を 立 て,此 処 に41の 各 種 店 舗 を 聚 合 して 『大 鉄 アー ケ ー ド』 を 開 設 した 」 とあ り,設 置 時 期(昭 和2年)と 面 積(275坪)に 食 い 違 い が あ る(同 書,p113-114)。 (21)佐 竹 が 社 長 に就 任 す る半 年 前 の1932(昭 和7)年3月 末 に は,新 規 融 資150万 円 の見 込 み が 付 い た の で そ の う ち 「30万円」 で 百 貨 店 計 画 を立 て て い た(「 大 阪 朝 日新 聞」1932<昭 和7>年3/ -257(257)一.
(10) 第7巻 2-2.戦. 第1号. 前 大 阪 の 百 貨 店,出 店 状 況. 戦 前 の 百 貨 店 出店 状 況 を 見 る と,表4の. とお りで あ る。 全 国 の 百 貨 店 の 店 舗 数 と営 業 面. 積 の 推 移 を6大 都 市 とそ れ 以 外 の 地 方 都 市 に分 けて 示 した もの で あ る。 平 野 隆 氏 は,1930 年 以 降,と. りわ け地 方 都 市 にお け る百 貨 店 の 新 ・増 設 が 伸 びて お り,地 方 百 貨 店 の 勃 興 期. と位 置 づ け て お られ る⑳。 全 国 的 に,百 貨 店 業 態 が地 方 に伝 播 して い く状 況 に あ った と思 わ れ る。 次 に これ を6大 都 市 の ひ と つ,大 阪 に 限 って み る と,表5の. よ うで あ っ た。 大 阪 で は. 1930年 代 以 降,増 床 ・出店 が 加 速 して い る。 これ は6大 都 市 の 中で も特 徴 的 で,百 貨 店 間 の 激 戦 の 様 相(=オ. ー バ ー ス トア状 態)を 示 して い る。 以 下,全 国 の 動 向 か ら大 阪 の 百 貨. 店 出店 状 況 に言 及 した1938〈 昭 和13>年10月28日. 付 の 新 聞 記 事 「明 るみ に 出 され た デ パ ー. トの 数 字 」 を 引 用 す る㈱。. 「わ が 国現 在 の百 貨 店 売 場 総 面 積 は123万 平 方 メー トル,坪 数 に して 約37万 坪,こ の う ち東 京 が 圧 倒 的 優 勢 で 全 国 面 積 の3割 余 を 占め,大 阪 が2割3分,名. 古 屋,京 都,. 神 戸 が 各5分 見 当 とな つ て ゐ る」。 「さ らに 角 度 を変 へ て都 市 別 人 口 当 りの 面 積 を 見 て み る と,夫 阪 市 途 断 然 ト 鼻テを 切 ら,総 人 口321万5千. 人 に 対 し,デ パ ー ト総 面 積 は28万3千. ら,入 白十 入 たら き舶 平 芳 ヌ ニーDレ,ま. 表4百. 地方都市. 六大都市. 月31日 付,第13面)。. 30 542 59 119 107 352 218 247. ∩﹂ 7. \ 月30日 付,第9面,同. 16 225. RJ -⊥ 5 -■ 2. 出 所:平 野 隆 「百 貨 店 の 地 方 進 出 と 中小 商 店 」 山 本 武 利 ・西 沢 社,1999年,p94。. 地方都市 -. ∩﹂ 民﹂. 1936. 六大都市. QO 民﹂. 1930. 平方. 営業面積(坪). ∩U QO 5 1 1⊥ 2. 1925. 数. 2. 1920. 舗. 戻﹂ ρU OO O -⊥ り乙 4. 1915. た東 京 ほ627万 人 に対 し,34万6千7百. 貨店店舗数および営業面積の推移 店. 年. 平 方 メ ー トル とあ るか. 000 500 747 180 712. 保編 『百貨店の文化史」世界思想. しか し,佐 竹 社 長 就 任 後 の 翌1933(昭. 和8)年5月. 中 旬 に は,「100万 円」 とな っ て い る(同 紙,1933(昭 和8)年5月13日 付,第11面)。 さ らに 大 鉄 百 貨 店 創 立 時 に は 「500万円 」 とな った 。 ⑳ 平 野 隆 「百 貨 店 の 地 方 進 出 と 中 小 商 店」 山 本 武 利 ・西 沢 保 編 『百 貨 店 の 文 化 史 」 世 界 思 想 社,1999年,p94。 ㈱ 「明 るみ に出 され た デ パ ー トの 数 字 」 『大 阪 朝 日新 聞 』1938<昭 和13>年10月28日 付,第11面 。 これ は,1937(昭 和12)年 の 百 貨 店 法 の 制 定 と同 時 に正 確 な 資 料 が 商 工 局 の 手 に よ って ま とめ ら れ た こ とか ら新 聞 報 道 され た もの と見 られ る。 -258(258)一.
(11) 戦 前 の 夕 一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷. 内). メー トル で あ るか ら,同 じ く入 白十 入 たら き訪 平 芳 ヌニ トノ レの 割 合 とな り,客 竜 鉄 沿 線 人 口 に恵 まれ る と は いへ,大 阪 の デ パ ー トの 売 場 面 積 が あ ま りに大 き いの は あ る意. 味で老れた けあ激練を物語 る もあ といぺわ ら。 最 後 に,百 貨 店 の 膨 張 発 展 な る もの を 年 度 的 に見 る と,百 貨 店 法 の 制 定(1937〈 和12>年. 昭. 引 用 者)に 伴 ふ 増 拡 張 とか 地 方 進 出の 禁 止 的 制 限 に先 手 を 打 つ て,そ の 発. 令 前,泥 縄 式 に新 増 設 を した もの が か な り多 い。 試 み に,昭 和9(1934引. 用 者)年 以 降 にお け る統 計 で,向. 面 穫ig方 ゼ キ 平 芳 ヌニ トル た対 し1数 字 酌 たi6方fキ. 甑隼夫 阪 あ ナ 六 ニート総. 平 芳 ヌニ トル と いふ 増 茄 を 見 息. そ 全 由 ⊥ を 畜 るゐく 三れ1ま土1生 薪 興 勢 力 あ 台 預 を 織 ら込 ん 澄 もあ セ あ」 る と い う。. 大 阪 は 東 京 に つ い で 百 貨 店 が 多 く全 体 の2割3分 積 を 見 る と,大. に あ た る 。 さ ら に 人 口 当 た りの 売 場 面. 阪 は 人 口 千 人 に つ き88平 方 メ ー トル あ り,こ. れ は 東 京 の55平 方 メ ー トル よ. り も多 くな っ て い る 。 ま さ に オ ー バ ー ス トア 状 態 で あ る 。 増 加 面 積 で は10万1千 で 全 国1位. で あ る 。 特 に,増 加 し た 「二,三. の 新 興 勢 力 」 の1つ. が,大. 鉄百貨店なので あっ. 1937(年. ♪. た。. 表5大. 阪市内主要百貨店の総床面積. ヨ大 鉄 ■大 軌 コ阪 急 圏松坂 屋 1白 木屋 田 そご う 墨大 丸 ]高 島屋南 海店 ]高 島屋長堀 店 ■三越. 1919. 1925. 1930. 1935. 出 所:田 崎 宣 儀 ・大 岡 聡 「消 費 社 会 の 展 開 と百 貨 店 」 山 本 武 利 ・西 沢 保 編 『百 貨 店 の 文 化 史 』世 界 思 想 社, 1999年,p49。 一259(259)一. メ ー トル.
(12) 第7巻 2-3.大. 鉄百貨店計画. 大 鉄 百 貨 店 は,1934(昭 和12)年. 第1号. 和9)年. に大 阪 鉄 道 が 別 会 社 と して 創 設 し,3年. 後 の1937(昭. に開 業 す るの だ が,ま ず そ の 前 後 の 様 子 を 見 て お こ う。. 前 述 した よ う に,大 鉄 百 貨 店 創 設 前 年 の1933(昭8)年4月. 以 降運 賃 値 下 げ が奏 功 して,. 大 口債 権 者 を 中心 に負 債 整 理 案 が ま と ま りつ つ あ る頃,大 鉄 百 貨 店 構想 が もち上 が る。 そ れ を 『大 鉄 百 貨 店 史 』 は次 の よ う に記 して い る⑫ の。. 「薙 二 於 テ カ嚢 二 「大 鉄 ア ー ケ ー ド』 拡 張 ノ議 起 ル ヤ更 二百 歩 ヲ進 メ百 貨 店 ノ建 設 二 着 目 シ実 行 二 移 サ ン トシ タル ニ,当 時 大 阪 鉄 道 ハ 未 ダ整 理 中ニ シテ 自己 ノ資 本 二 依 ル 見 込 ナ ク債 権 銀 行 ハ 又 自己 ノ債 権 保 全 ノ為 メ大 鉄 ヲ シテ 出資 セ シ メル コ トヲ欲 セ ズ 議 容 易 二 熟 セ ザ リシモ 百 貨 店 ノ実 現 ハ 沿 線 居 住 者 二 多 大 ノ利 便 ヲ與 へ 以 テ 沿 線 ノ開 発 二 資 スル 処 多 ク大 鉄 自膿 ノ整 理 更 生 二 貢 献 スル 所 以 ナ ル ヲ以 テ,此 処 二 意 ヲ決 シ新 会 社 ノ設 立 二 着 手 スル ニ 至 レ リ。」. つ ま り,大 鉄 ア ー ケ ー ドを 「百 歩 」進 め て百 貨 店 を建 設 しよ う,た だ し大 鉄 が 「整 理 中」 の た あ 出資 は無 理 だ が,大 鉄 沿 線 住 民 の利 便 と沿 線 開発,さ ら に は大 鉄 自体 の 「整 理 更 生 」 に貢 献 す る こ とな の で,新 会 社 と して 設 立 す る こ と に した の で あ る。 ま さ に 「培 養 」 を 目 的 と した 建 設 で あ った 。 そ の 頃 の 様 子 を 『大 阪 朝 日新 聞 』 は次 の よ う に伝 え て い る㈱。. 「更 生 途 上 の 大 鉄 電 車 で は,大 阪 阿 倍 野 橋 の 同 電 車 起 点 を 中 心 に繁 栄 策 を練 って い た が,い よ い よ,100万 円 を投 じて南 海,阪 急 の 向 ふ を 預 り百 貨 店 を 建 設 す る こ と に確 定 した 。 この 案 はか ね て よ り同 社 幹 部 の 間 に計 画 され て いた もの で あ るが,当 初 の 予 算 で は 工 費20万 円程 度 の 簡 単 な もの で あ った 。 と こ ろが 阿 倍 野 橋 畔 に は大 鉄 線 を は じめ,阪 和,南 海,上 町 ・天 下 茶 屋 両 線,城 東 省 電,関 西 本 線 が集 中 し,市 電 バ スを 除 いて も1日 平 均14,5万 南 大 阪 の 中心 を 形 成 して ゐ る上 に こ \両3年. 人 前 後 の乗 降客 あ り,. 中 に は市 高 速 鉄 道(大 阪 市 営 地 下 鉄 一 引. 用 者)も 開 通 し,一 層 繁 華 を 増 す の で,大 鉄 で は同 所 を 『大 阪 の 新 宿 』 と して 発 展 さ. ⑳. 前掲. ㈱. 『大 阪 朝 日 新 聞 」1933〈. 『大 鉄 百 貨 店 史 」p2-3。 昭 和8>年5月13日. 付,第11面. -260(260)一. 。.
(13) 戦前の 夕一 ミナル ・デパー ト(谷 内) す べ く巨費 の 捻 出を 決 意 す る に至 つ た もの 」 さ らに佐 竹 社 長 の 言 葉 が 続 く。 「阿倍 野 付 近 に は デパ ー トは1つ. もな い 上,沿 線 の 開 発 に は 白用 品 を安 ぐ売 る と と. 絶 対 た必 要 と考 ぺ ま した ふ ら;実 南 品 た主 力 を 注 ぎた い,本 社 の 土 地 を 市 に売 却 して 約30万 円浮 き ます の で そ れ を 基 金 に100万 円 を調 達 しま す か ら,売 上 げ年 最 低500万 円 を 見 込 ん で も運 輸 収 入 の 増 加 を 考 慮 に入 れ る と十 分 収 支 が とれ ます 。」. 翌 年3月16日. に は,創 立 に向 けて 有 力 株 主 約45人 を 大 阪 電 気 倶 楽 部 に招 いて,新 株 式 の. 引 き受 けを 依 頼 して い る。 また,そ. こで 次 の よ う に語 って い る⑳。. 「各 売 場 の ほ か,1,130坪 余 の催 場 を こ しらへ,客 極 あ興 行 もや りた い と思 つ て ゐ ま す,沿 線 の 果 実 疏 菜 な ど は こ ち らで 引 受 けて 沿 線 農 民 の 繁 栄 を はか る以 外 に,大 阪 市 に も 『連 鎖 店(チ. ェー ンス トア)』 を どん どん建 て る方 針 で す」. こ う した 佐 竹 社 長 の 「繁 栄 策 」 は どん な もの だ った の だ ろ うか 。 同 社 株 式 募 集 要 項 で あ る 『株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店(募 集 要 項 ・事 業 説 明 書 ・起 業 予 算 書 ・定 款)』(1934〈 昭 和9> 年)か. ら,同 社 の 創 業 計 画 を 探 って い こ う伽。. 同 冊 子 に よ る と,大 鉄 百 貨 店 の 資 本 金 は500万 円(1株50円 9)年6月1日. ×10万 株)で,1934(昭. 和. に第1回 払 込 を 予 定 して い る。 発 起 人 は,大 阪 鉄 道 会 社,佐 竹 三 吾(大 鉄. 社 長),岸 本 五 兵 衛,等. で,賛 成 人 と して金 森 又 一 郎(大. 阪電 気 軌 道 社 長),田. 村 駒 治 郎,. 広 海 二 三 郎,平 生 釧 三 郎,森 平 蔵,等 の 名 前 が あが って い る。 まず,第1に. 「創 業 の 理 由」 で あ る。. 「百 貨 店 営 業 ハ 豪 荘 ナ ル 建 築 ト優 秀 ナ ル設 備 ノ為 メニ 莫 大 ナ ル 資 金 ヲ 固定 セ シム ル ノ ミナ ラ ズ,経 営 上 多 数 ノ人 員 ヲ要 スル ヲ以 テ,人 件 費 著 シ ク膨 張 シ,加 フル ニ 同 業 者 ノ競 争 激 烈 ナル 為 メ,宣 伝 其 他 二 多 額 ノ経 費 ヲ要 シ,概 観 ノ華 々 シキ ニ 拘 ラ ズ裏 面. ⑫ ③ 『大 阪 朝 日新 聞 」1934〈 昭 和9>年3月17日 付,13面 。 ⑳ 以 下 の 記 述 は,特 に こ とわ りの な い 限 り,株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店 創 立 事 務 所 『株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店(募 集 要 項 ・事 業 説 明 書 ・起 業 予 算 書 ・定 款)」 同 事 務 所,1934〈 昭 和9>年,に よ る。 な お, 阿 倍 野 橋 の 表 記 につ い て,同 冊 子 は 「阿 部 野 橋 」 と 「部 」 を 使 って い る こ とを つ け加 え て お く。 そ も そ も歴 史 的 に は 「倍 」 「部 」 は ど ち ら も使 用 さ れ て お り,1943年(昭 和18)年4月1日 の市 域 編 入 に て 阿倍 野 区 が 生 まれ た 時 に,「 市 の 慣 用 及 び 町名 に倣 い 阿 倍 野 とす 」 と さ れ た(川 端 直 正 編 『阿 倍 野 区 史 』 阿 倍 野 区 市 域 編 入 三 十 周 年 記 念 事 業 委 員 会,1956年,p6)。 -261(261)一.
(14) 第7巻. 第1号. ノ苦 心 容 易 ナ ラザ ル モ ノ ア リ。 然 ル ニ,今. 日一 流 ノ大 百 貨 店 ガ 之 等 経 営 上 ノ困 難 アル. ニ モ 拘 ラ ズ,相 当 ノ成 績 ヲ挙 ゲ ツ ・アル ハ,能. ク経 営 ノ合 理 化 ヲ計 リ,大 量 ノ仕 入 二. 依 リテ 買 入 価 格 ヲ低 下 セ シ メ,所 謂 薄 利 多 売 主 義 二 依 リテ,資 本 ノ回 転 率 ヲ多 カ ラ シ ムル コ トヲ得 ル ヲ以 テ ナ リ。 而 シテ,百 貨 店 営 業 二 最 モ 大 切 ナル 要 件 ハ,其 設 置 スベ キ 位 置 ガ 交 通 ノ要 路 二 当 リ,容 易 二 多 数 ノ顧 客 ヲ得 ル コ トニ ア リ トス。」. つ ま り,百 貨 店 は豪 勢 な 大 規 模 建 築 と多 数 の店 員 を必 要 とす る た め 莫 大 な 資 金 が か か る。 しか し,今 日の 一 流 百 貨 店 は相 当 の 成 績 を あ げて い る。 そ れ は,経 営 の 合 理 化,す な わ ち大 量 仕 入 れ に よ る薄 利 多 売 主 義 を採 用 し,資 本 回転 率 を 高 め て い る こ と に あ る。 ま た,そ の 立 地 が 交 通 の 要 所 に あ り多 数 の 顧 客 を 集 め られ る こ と に あ る と い う。 第2に,「. 立 地,競 争 環 境 」 で あ る。 図2は 大 鉄 百 貨 店 の 新 設 予 定 地 と そ の付 近 の 主 要. 鉄 道 線 路 略 図 で あ る。 鉄 道 網 か ら見 て 阿 倍 野 橋 が 「南 の 玄 関 」 にな り,多 数 の 乗 降 客 が 集 ま る こ とを 表 した か った の で あ ろ う㈱。 阿 倍 野 橋 の1933(昭. 和8)年3月1日. ∼9年2月. 末 日の1日 平 均 乗 降 客 数 を 見 る と,次. の よ うで あ る。 ①. 省 線 天 王 寺 駅28,331人(う. ち 定 期 券 所 持 者14,372人). ②. 阪 和 線 天 王 寺 駅38,666人(同13,409人). ③. 大 鉄 線 阿 部 野 橋 駅24,021人(同12,190人). ④. 南 海 天 王 寺 支 線 天 王 寺 駅7,000人. ⑤. 南 海 上 町 線 阿 部 野 橋 停 留 所13,961人 (合 計)111,979人(う. 「今 後 三,. ち 定 期 券 所 持 者39,971人). 四 年 内 二 地 下 鉄 道 ガ 阿 部 野 橋 迄 延 長 セ ラ レ又 省 線 臨港 線 ガ ー 両 年 内 二 電 化 セ. ラル ・ヲ以 テ 其 暁 ニ ハ 阿 部 野 橋 ハ 眞 二 大 阪 南 部 二 於 ケ ル 交 通 ノ 中心 トナ リー 日拾 五 六 萬 人 ノ乗 降 客 ヲ見 ル ニ 至 ル ベ シ」 と予 測 して い る。 これ を 他 の ター ミナ ル(1931〈 ① ⑳. 昭 和6>年. 度)と 比 較 す れ ば,. 南 海 線 難 波 駅107,441人,. 佐 竹 は この 後 も阿 倍 野 橋 の 将 来 性 を 強 調 し続 け る。 例 え ば,大 鉄 百 貨 店 が 開 業 す る1937(昭 和 12)年 に は 「阿 倍 野 橋 の 再 認 識 」 と題 して地 下 鉄,臨 港 線,関 西 線,の 状 況 を説 明 し,自 社 グ ル ー プ の投 下 資 本 額,さ ら に は タ ー ミナ ル ホテ ル の必 要 性 ま で も指 摘 して い る(「大 大 阪 』 第13 巻 第5号,1937(昭 和12)年4月,p74-75)。 ま た,1938(昭 和13)年1月 の 「年 頭 所 感」 に お い て,大 鉄 沿 線 土 地 を 推 奨 して 次 の よ うに述 べ て い る。 「殊 に終 点 阿 部 野 橋 に讐 り立 つ大 鉄 百 貨 店 の 竣 工 と共 に大 鉄 沿 線 の 土 地 発 展 性 の た め,当 社 は そ の 開 発 と して 一 般 とそ の 紹 介 に努 力 して ゐ る。 投 資 家 諸 氏 の 来 るべ き新 時 代 に慮 す る土 地 住 宅 投 資 に対 し私 は 十 分 の 自信 と責 任 を 以 て こ の 大 鉄 沿 線 を 御 推 薦 す る」(『大 阪 朝 日新 聞 」1938〈 昭 和13>年1月3日 付 第4面)。 -262(262)一.
(15) 戦 前 の 夕 一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷. 新 京阪線. '. 東京. 噛 ー ,'. 大鉄百貨店新設豫定地 及附近主要鉄道線路略圖. 京. 天六. ` 覧、. 騰'. 弩 趣愁. 覧. 梅田. 封趨. 阪. 阪急 13,000坪. 線. げ天満橋. 越 僻 三 60. ● 乳. 麟. 汐 見橋. 湊町-. 櫻島. 線. 内). 讐1鮮 ・ 南海高 島屋. 上. 大軌 線. 難 ● 松坂 屋 ハ 波. 港 盲叩 臣. 築港. 恵美 須町 天王寺. 麟 鉄百貨店二至ル 漆勢. '蔽 趨. 線. 名. 地. 点. 距. 離 運轄時分. 10.7粁. 19分. 臨港 線 築. 港. 10.0・/. 18〃. 高. 田. 7.3〃. 12//. 速 梅. 燃. 阿部野橋. 関 西 線. 礒'緊. 平野. 城 東 線(省 線) 大阪駅. 木. 隊. 人鉄百貨店新設豫定地. 道. 線 我孫子. 市内百貨店所在地. 人阪鉄道線. 鉄道省線. 人阪市高速鉄道線. 川1・ ● 全未成線. 出所. 他社電鉄線. 南海鉄道線. 1. 至 柏御 長古 所 原 町野 野. 株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店 創 立 事 務 所 「株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店(募 集 要 項 ・事 業 説 明 書 ・起 業 予 算 書 ・ 定 款)」 同 事 務 所,1934<昭 和9>年,表 紙裏。. 図2大. 鉄百貨店新設予定地および付近主要鉄道線路略図 一263(263)一.
(16) 第7巻. ②. 阪急梅 田駅. ③. 大軌線上六駅. 61,350人,. ④. 省線大阪駅. 58,408人,. ⑤. 京阪線天満駅. 50,274人,. ⑥. 阪神線梅 田駅. 46,275人,と. 第1号. 103,986人,. な る。. 「即 チ 以 上 何 レ ノ 電 鉄 モ ー 線 トシ テ 乗 降 客 ハ 阿 部 野 橋 ヲ 中 心 トス ル 乗 降 客 ヨ リ少 ク,南 海 及 阪 急 ヲ 除 ケ バ 何 レモ ニ 分 ノ ー 以 下 二 過 ギ ザ ル ナ リ」 と 評 価 して い る。(し か し,② ④ ⑥ の 梅 田 〈大 阪 〉 駅 タ ー ミ ナ ル の 合 計 は,208,669人. で 阿 倍 野 橋 タ ー ミ ナ ル の ほ ぼ2倍. で ある. こ と に 注 意 が 必 要 で あ る)。 さ ら に,大. 鉄 百 貨 店 は,阿. の 居 住 者(34,948人)を ま た,競. 倍 野 橋 タ ー ミナ ル 乗 降 客(111,979人)と. 半 径7町. 以内の近隣. 顧 客 とす る。. 争 環 境 と して は,図2に. あ る 通 り,阿. 倍 野 橋 を 中 心 と して 半 径1哩(マ. イ ル). 以 内 に 百 貨 店 が 一 つ も存 在 しな い こ と が 指 摘 さ れ て い る 。 一 方 で,図2「. 主 要 地 点 ヨ リ大. 鉄 百 貨 店 二 至 ル 距 離 及 運 轄 時 分 」 か ら,大. 王 寺)駅. 城 東 線(省. 線,現JR環. 状 線 外 回 り)な. 阪(梅. 田)駅. ら ば19分,高. か ら阿 倍 野 橋(天. 速 鉄 道(現,大. ば12分 で 移 動 で き る こ と を 示 して い る 。 ア ク セ ス の 良 さ が,集. ま で,. 阪 市 営 地 下 鉄)な. ら. 客 に つ な が る と 予 測 して い. る。 第3に,「. 経 営 規 模 」 は ど う だ ろ う か 。 百 貨 店 と し て 営 業 す る か ら に は,「 良 品 廉 売 主 義. ノ ミニ テ ハ 繁 栄 ヲ 期 ス ル コ ト困 難 ニ シ テ 相 当 大 規 模 ノ 建 築 ト優 秀 ノ 施 設 ヲ 以 テ 顧 客 誘 致 ノ 魅 力 ヲ備 へ 且 ツ 商 品 ノ 品 種 ト数 量 ヲ 豊 富 ニ シ顧 客 ヲ シ テ 大 二 選 択 ノ 自 由 ヲ 得 セ シ ム ル コ ト」を 特 に 必 要 と す る。 そ こ で,そ た だ し,そ. の 店 舗 面 積 は 平 均 的 な 百 貨 店 の1万. れ は 最 終 目 標 で あ っ て,第1期. 計 画 は6,500坪. 坪 を予 定 して い る。. と して う ち 売 場 に4,000坪 を 使 用. す るの だ と い う。 表6は. 東 京,大. 阪 の 百 貨 店 の 店 舗 面 積 で あ る が,こ. こ と が 分 か る 。 ま た 表7か. ら,第1期. こ か ら 「1万 坪 」 を 標 準 と 見 て い る. 計 画 の 予 定 売 場 面 積4,000坪. 同 じ ぐ ら い の 規 模 で あ る こ と が 示 さ れ る 。 しか し,当 初 は 表8に. が,大. 阪の他の百貨店 と. あ る通 り,合 計6,500坪. の. 掲 載 さ れ て い る 。 「資 本 勘 定 」 に は,固. 定. 店 舗 面 積 で 開 店 を 目 指 して い る 。 第4に,「. 収 支 予 算 」 の 目論 見(も. 資 本342万5,000円 延 べ 坪6,500坪 転 率,年11回. と あ り,そ. く ろ み)が. の 内 訳 が,敷. 地 を 大 阪 鉄 道 の 現 物 出 資 に よ り50万 円,建. 〈単 価 平 均450円 〉 で292万5,000円 転 予 測)を. 予 定 して お り,合. で あ る 。 運 転 資 本 は67万5,000円(資. 計410万. -264(264)一. 円 と して い る。. 物総 本回.
(17) 戦 前 の 夕一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷 内) 表6東 (東. 三. 越. 本. 京,大 阪 の 百 貨 店 の 店 舗 面 積. 京). (大. 店. 15,000坪. 阪. 急. 12,906坪. 10,089坪. 大. 丸. 11,716坪. 白木 屋 本 店 松. 阪. 屋(上. 高. 島. 屋. 松. 野). 屋(浅. 松 伊. 勢. 阪. ほ. て. い. 美. 草). 9,574坪. 高. 8,887坪. 十. 8,200坪. 松. 島. 屋(南. 阪. 越. 支. 海). 10,039坪. 合(新 築 中). 10,000坪. 屋(新 築 中). 12,530坪. 屋(銀. 座). 7,500坪. 三. 丹(新. 宿). 5,597坪. 高. 島. 屋(長. 越(新. 宿). 4,498坪. 松. 阪. 屋. 2,619坪. 越(銀. 座). 2,913坪. 阪(天 満 橋). 1,215坪. 屋(銀. 座). 2,463坪. 屋(新. 宿). 2,437坪. 松(日. 々谷). 2,200坪. 京. 松. 阪). 店. 7,659坪. 堀). 4,329坪. 出 所:前 掲,「 株 式 会 社 大 鉄 百 貨 店(募 集 要 項 ・事 業 説 明 書 ・起 業 予 算 書 ・定 款)」p7-8よ 表7大. 阪. 急. 597. 大. 丸. 450. 普 通 呉 服. 書 籍 文 具. 422. 633. 229. 912. 202. 70. 1,200. 1,100. 200. 140. 170. 70. 洋品部. 852. 阪の百貨店. 庭品 家用. 日 用 雑 貨. 食料品. り作 成 。. 玩 具 電機器具. 食 堂. 計. 総坪数. 751. 4,668. 12,906. 700. 4,030. 11,718. 4,111. 10,039. 3,105. 7,659. 階 下795. 南 海 高島屋. 499. 三. 294. 1,096. 748. 雑貨部. 540. 雑貨部 家庭用品. 7階341 宴 会56. 越. 1,100. 200. 616. 雑貨部. 595. 雑貨部 家庭用品. 備 考:商 品 部 門 の 分 類 法 は 百 貨 店 にお いて 同 一 で な い た め,表 中 に適 宜,品. 7階200 8階100. 目, 坪数を算出 して計上. して あ る。 出 所:同. 前,p9。. 大鉄百貨店各階使用面積調. 表8. 内. 各階面積 (面坪). 上 計. 930 881 730 694 694 694 694. 停車場. 774 640 730. 316. 316坪 は貸 室 及 式 場 等. 378 378. 316 316. 316坪 は電 鉄 及 び百 貨 店 事 務 所 用 全 上. 694 77. 6,500. 5,155. 品 売 場 用2,838坪,催 前,p10。. 要. 694 378. 77. 出 所:同. 摘 412. 694. 備 考:商. 貸室. 6 1⊥ 反﹂ 4 1⊥ 2. 屋. 411. 室場 場 堂 関 全全全 全全 機売 催 食. 地 下2階 全 第1階 地 上 第1階 全 第2階 全 第3階 全 第4階 全 第5階 全 第6階 全 第7階. 百貨店. 訳. 場 用1,134坪. 屋 上 エ レベ ー ター 及 階 段 面 積 397 食 堂 用694坪. -265(265)一. 948 。.
(18) 第7巻 次 に 「収 益 勘 定 」 と し て,①. 第1号. 収 入 予 算 合 計 を221万9,000円. (イ)商品 売 買 差 益 金118万8,000円,(ロ)食. と見 積 も って い る。 これ は. 堂 売 上 高91万2,500円,の. 貸 室 料 金 収 入11万9,000円. の. 合 計 で あ る。 (イ)商品 売 買 差 益 金118万8,000円 310日 と し て,1日 万 円=660万. の 根 拠 と し て,次. 平 均 売 上 高 を2万. の 記 述 が あ る。1力. 円 と す る ⑳。 そ う す る と,年. 年 の 営 業 日数 を. 間 総 売 上 高 は310日. ×2. 円 とな る。. う ち 「問 屋 よ り 受 ク ル ロ 銭 」,つ ま り は 売 上 総 利 益 率(一 ば 売 買 差 益 金 は660万 円 ×0.18=118万8,000円 類 似 の 百 貨 店 と 比 較 す る た め に,阪. 粗 利 益 率)を18%と. 仮定 すれ. と な る。. 急 百 貨 店 が 公 表 す る 売 買 差 益 金 か ら逆 算 して 売 上 高. を 推 測 して い る 。(正 確 な 売 上 は 「商 売 ノ 秘 密 」 と し て 公 表 さ れ な い と い う)。 阪 急 を 選 ん だ 根 拠 は,阪. 急 が 一 店 の み の 数 値 を 公 表 して い る こ と と,大. 阪 市 内 に お け る 終 着 駅 に あ り,し. か も交 通 量 も近 似 して い る か らで あ る 。. 阪 急 百 貨 店 の デ ー タ は,第1期(1929〈 階 総 延 坪3,280坪,売 年12月)敷 10月)総. 上 高(年. 平 均3万. 昭 和4>年4月)敷. 間)688万. 円(1日. 延 坪6,191坪. 売 上 高(1日. 延 坪12,000坪. 売 上 高(1日. 平 均5万. 円 で は な く,2万. 急 の 第2期. さ ら に,売. 一方. ⑳. 和7年. 考 え て い る 。 た だ し,売 上 は1日 鉄 百 貨 店 は(1)新. 線 お よ び 付 近 の 生 活 程 度 や 購 買 力 に 相 違 あ る た あ,だ. 人 平 均25円. 規の開店. 員1人1日. と い う。. の 売 上 高 は20∼30円. の 使 用 人 に 対 して,1日. 急 には. にな る と. 平 均 約5万. に な る 。 大 鉄 は 約 千 人 の 使 用 人 を 予 定 して い る の で,一. 円 と す れ ば 一 人 平 均20円. 堂 経 費77万6,000円. 商 品 販 売 経 費77万2,000円. 昭 和6>. の10数 万 人 の 乗 降 客 は 数 線 の 分 を 合 わ せ た もの で,阪. 円の売 日の. とな る。. ,「 収 益 勘 定 」 の ② 支 出 予 算 合 計154万8,000円. 2,000円,食. 地 上8. な っ て い る 。 総 延 坪 か ら す る と,大. に 相 当 す る,と. 言 わ れ る。 阪 急 は 食 堂 関 係 者 を 除 き 約2,000人. 売 上 を2万. 平 均3万1,000円),第3期(昭. 円)と. 上 は 店 員 数 と 密 接 の 関 係 が あ り,店. 上 が あ る の で,一. 下2階. 円),第2期(1931〈. 円 と して い る 。 そ の 理 由 と して,大. で 得 意 先 を もた な い,(2)1日 及 ば な い,(3)沿. 地328坪,地. 平 均 約2万. 地628坪,総. 鉄 百 貨 店 は6,500坪 な の で,阪. 鉄 百 貨 店 と同 様 郊 外 電 鉄 の 大. の 内 訳 を 見 る と,商. 品 販 売 経 費77万. と な って い る 。. の 内 訳 は,人. 件 費46万3,100円(6割),そ. の 他 の 経 費31万8,800. 当 初 は1日2万 円 の 売 上 はな か った 。 当 時 を 回 顧 して 元 総 支 配 人 の 川 口四 郎 吉 は 次 の よ う に話 して い る。 「司会:開 業 当 初 の 売 り上 げ は,ど の くら い あ りま した か 。 川 口:開 業 当 日は 別 と し ま して,売 上 高 は,予 想 よ り は るか に少 な か った で す 。 当 時 の 一 日の 売 上 予 算 は,2万 円 ぐら い だ った の で す が,そ れ が な か な か 達 成 で きず,四 苦 八 苦 しま した 。 と こ ろが,翌 年 の 四 月 に,梅 田 ・天 王 寺 間 に 地 下 鉄 が 全 通 しま す と,阿 倍 野 橋 周 辺 の 様 相 が 一 変 し,業 績 も飛 躍 的 に伸 び て ホ ッ と し ま した 」(株 式 会 社 近 鉄 百 貨 店 編 『40年の あ ゆ み 」 同 社,1977年,p44)。 -266(266)一.
(19) 戦 前 の 夕一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷 内) 円(4割)と. な っ て い る 。 こ こ で も阪 急 百 貨 店 の 例 を 引 い て,同. 売 買 益(粗. 利 益)の63%で. 人 件 費 の6割. あ る が,大. 鉄 百 貨 店 の 場 合 は,余. 店 の 場 合,営. 裕 を 残 し65%で. 業 費 は商 品. 計 算 して あ る。. は 阪 急 百 貨 店 の 実 績 に な ら っ て い る 。 使 用 人 の 内 訳 は,使 用 人1,000人. 級 社 員 が50名(月. 給70円),普. 通 事 務 員100名(月. 給55円),女. 事 務 員850名(月. 中,高. 給35円)を. 予 定 して い る 。 食 堂 経 費77万6,000円 1,400円,人. の 内 訳 は,材. 件 費(15.5%)11万. 級 社 員5名(月. 給70円),普. 料 費(60%)46万5,600円,消. 耗 品 費(24.5%)19万. 円 と な っ て い る 。 使 用 人 の 内 訳 は 従 業 員250名 通 事 務 員30名(月. 給55円),女. 事 務 員215名(月. 中,う. ち高. 給35円)を. 予. 定 して い る 。 最 後 に,「 収 益 勘 定 」の ③ 年 間 純 益 を(収 入221万9,500円 円 と して い る 。 年 間 純 益67万1,500円 と な る 。 さ ら に,固. 一 支 出154万8,000円=)67万1,500. は 固 定 資 本 金314万5,000円. 定 資 本 お よ び 運 転 資 本 合 計 の412万. の で あ る 。 こ こ か ら法 定 積 立 金,諸. 税 公 課,相. に 対 し て 約19.6%の. 円 に 対 し て16.3%の. 利回 り. 利 回 り とな る. 当 の 減 価 償 却 を 行 っ て も株 主 へ の 年7%以. 上 配 当 は 容 易 に 行 え る 。 建 設 費 な ど 支 出 を 多 く見 積 も っ て い る の で,純. 益 は予 定 以 上 に増. 加 す る と 見 て い るG①。 以 上,同. 社 の 計 画 を 見 て き た わ け だ が,そ. の 特 徴 を 要 約 す る と,第1に. 業 内 容 に つ い て 詳 細 に 目 算 を 立 て て い る 。 特 に 収 支 計 画 に お い て,収 て,支. 立 地 状 況 か ら事. 入 を 少 な く見 積 も っ. 出 を 多 あ に 見 積 も っ て い る と こ ろ が 特 徴 的 で あ る 。 安 定 確 実 な 利 回 りを 約 束 す る こ. と で,株. 主 の 増 加 を 図 ろ う と した の で あ ろ う 。. 第2に,タ. ー ミナ ル 百 貨 店 と して は 先 発 の 阪 急 を 意 識 して,同. を 基 準 に計 画 を 立 て て い る。 佐 竹 社 長 の ふ ら1実. 社 の 経 営 手 法,経. 営数値. 「白用 品 を 安 ぐ売 る 三 と 組 対 た 必 要 と 考 ぺ ま した. 用 品 た 主 力 を 注 ぎ た い 」 と い う 意 向 は 阪 急 と 同 様,タ. 徴 で あ る 。 そ れ は 同 社 の 指 針 に な る の で あ る が,一. ー ミナル 百 貨 店 の 重 要 な 特. 方 で は 百 貨 店 で あ る か ぎ り 「良 品 廉 売. 主 義 ノ ミニ テ ハ 繁 栄 ヲ 期 ス ル コ ト困 難 ニ シ テ 相 当 大 規 模 ノ 建 築 ト優 秀 ノ 施 設 ヲ 以 テ 顧 客 誘 致 ノ 魅 力 ヲ 備 へ 且 ツ 商 品 ノ 品 種 ト数 量 ヲ 豊 富 ニ シ 顧 客 ヲ シ テ 大 二 選 択 ノ 自 由 ヲ 得 セ シ ム ル コ ト」 も考 慮 して,ワ. e①. 一 説 に は,さ. ま れ る 。 第2案. に 分 け て 掲 載 し て い る。 運 転 資 金67.5万 間 売 上 高396万 は,資. る 。 そ こ か ら 約42万 万 円(=9.77回. 所 で す べ て 購 入 で き る 買 い 物)だ. ら に 低 い 売 上 で も 利 益 が 出 る と す る 見 方 も あ っ た 。 『新 興 実 業 」 は 大 鉄 百 貨 店 の 収. 益 予 想 勘 定 を3案 5.86回 と 見 て,年. ン ス ト ッ プ ・シ ョ ッ ピ ン グ(1ケ. 円(=5.86回. 本 回 転 率 を7.33回. ×67.5万. と 見 て,年. 円 の 純 益 が 生 ま れ る 。 第3案. ×67.5万. 円)と. 円)と. 円 を 前 提 に,第1案. 間 売 上 高495万 は,資. す る 。 そ こ か ら約50万. 円(=7.33回. 本 回 転 率 を9.77回. 本 回転率を 円の純益が生. ×67.5万 円)と. と 見 て,年. す. 間 売 上 高660. 円 の 純 益 が 生 ま れ る(「 環 境 に 恵 ま れ た 大 鉄. 百 貨 店 の 全 貌 」 『新 興 実 業 』 第5巻9号,1934〈 昭 和9>年9月,p76-77)。 3案 以 上 の 約70万 前 後 の 純 益 が 生 ま れ て い る(第3節 参 照)。 -267(267)一. は,資. す る 。 そ こ か ら 約34万. 実 際 は 計 画 通 り,第.
(20) 第7巻. 第1号. けで な く,コ ンパ リゾ ン・シ ョ ッ ピ ング(比 較 購 買)の 両 方 を満 た す こ と も忘 れ て い な い。 第3に,商. 業 立 地 や 小 売 競 争 の 観 点 か ら見 る と,佐 竹 社 長 が1万 坪 規 模 の 売 場 面 積 を も. つ 大 型 百 貨 店 を 構 想 した こ と は 注 目 に値 す る。 た とえ 「阿部 野 橋 を 中 心 と して 半 径1哩 (マ イ ル)以 内 に百 貨 店 が一 つ も存 在 しな い」 と して も,大 阪 市 内 の 交 通 ア ク セ ス の 良 さ か ら見 て,大 型 百 貨 店 同 士 の 競 争 が 激 化 す るの は 目 に見 え て い るか らで あ る。 そ こで,店 舗 面 積 を 拡 大 して お くこ と は集 客 の た めの 重 要 な 競 争 手 段Gl)とな るの で あ る。 これ は商 業 立 地 研 究 の 「小 売 引 力 モ デ ル 」 が 教 え る と こ ろで もあ る⑳。 こ う して 同 社 は魅 力 的 な 目論 見 を 立 て た の で あ るが,実 際 の 株 式 募 集(資 金 調 達)に. は. 苦 労 した 。 『大 鉄 百 貨 店 史 』 は次 の通 り記 して い る㈱。. 「株 式 ノ募 集 二 付 テ ハ 当初 大 阪 鉄 道 株 式 会 社 ノ株 主 二 優 先 割 当 ヲ為 ス方 針 ナ リシモ 当 時 沿 線 所 在 銀 行 ノ破 綻 ト大 鉄 自膿 ノ無 配 等 ノ余 波 ハ 百 貨 店 ノ株 式 募 集 ニ モ 影 響 シ漸 クー 萬 二 三 千 円 ノ応 募 ヲ得 ル ニ 止 リ,一 方 大 鉄 自身 ノ現 金 出資 ハ 債 権 銀 行 ノ同 意 ヲ得 ル 能 ハ ザ リシ為 駅 前 ノ敷 地 一 千 坪 ヲ現 物 出資 トナ シ之 ヲ坪 五 百 円二 評 価 シ五 拾 円払 込 済 株 式 一 萬 株 ヲ割 当 ツル コ トニ 銀 行 側 ノ了 解 ヲ得 タル モ 両 者 ヲ合 セ 尚予 定 資 本 額 ノニ 割 余 二 過 ギ ズ 残 余 ノ八 萬 株 近 ク ヲ他 二 求 ムル ノ外 ナ キ 状 態 ニ ア リタル タ メ更 二 銀 行 側 二 交 渉 ノ結 果 大 鉄 ノ持 株 ヲニ 十 五 円払 込 済 株 式 二 萬 株 トシ且 未 払 込 株 金 ハ 当 分 ノ間 徴 収 セ ザ ル ノ条 件 ノ下 二 漸 ク了 解 ヲ得 ル ニ 至 レ リ。 傍 ツテ 不 足 ノ充 足 二 付 極 力 奔 走 シ タ ル 結 果 幸 ヒ竹 村 清 次 郎,岸 本 五 兵 衛 氏 等 ノ支 援 ヲ始 メ追 々有 力 者 ノ賛 成 ヲ得 テ 薙 二 漸 ク株 式 募 集 ノ完 了 ヲ見 ル ニ 至 タ リタ リ。. す な わ ち,資 本 金500万 円 に対 して,本 体 の 大 鉄 が 無 配 で あ るた め に信 用 が な く十 分 な 株 主 が 集 ま らな い。 そ こで 大 鉄 の 阿 倍 野 橋 駅 前 敷 地 を 現 物 出資 し合 わ せ て 全 体 の2割 余(約 100万 円)を 調 達 し,さ らに残 り8割 を大 鉄 株(25円 も らい(25円. ×2万 株=)50万. 払 込 済)2万. 株 を 銀 行 に 引 き 受 けて. 円調 達 し,残 りは竹 村,岸 本 氏 ら有 力 者 の 支 援 に求 め た の. eD当 時 大 阪 の 百 貨 店 は 顧 客 の 観 点(小 売 イ メー ジ)か ら見 る と,品 揃 え,接 客 サ ー ビス 等 で,そ れ ぞ れ差 別 化 さ れ て お り,「独 占的 競 争 」 が 行 わ れ て い た よ うに 思 わ れ る。(谷 内 正 往 「戦 前 大 阪 ・百 貨 店 の 小 売 イ メー ジ」 近 畿 大 学 通 信 教 育 部 「梅 信 」 第475号,2003年7月)。 ⑳ 谷 内 正 往 「小 売 商 業 の 空 間 的 構 造 」 増 田 大 三 編 著 『現 代 商 業 の 構 図 と戦 略 」 中 央 経 済 社,1995 年,p142-149。 例 え ば,パ フ モ デル は 「都 市 内 部 で の 消 費 構 造 の 変 化 や 競 争 構 造 の 変 化(た とえ ば,店 舗 の増 床 や新 規 出 店)に 伴 う 当該 市 場 領 域 の 構 造 変 化 を 予 測 す る こ と が で き る」(同 前, p149)も ので あ るが,簡 単 に言 う と店 舗 面 積 の 増 大 な ど に よ り比 例 して 売 上 が 増 大 す る こ とを 確 率 的 な 数 値 で 表 す モ デ ル で あ る。 ㈱ 『大 鉄 百 貨 店 史 」p3。 -268(268)一.
(21) 戦 前 の 夕 一 ミナ ル ・デ パ ー ト(谷. で あ る 。 結 局,創. 立 当 初,資. と も あ れ,こ. う して1934(昭. 内). 金 は150万 円 ほ ど し か 集 ま ら な か っ た の で あ るGの。 和9)年7月13日. 会 社 創 立 し,社. 長 に 佐 竹 三 吾,専. 務 に猪. 飼 九 兵 衛 ㈲ が 就 任 した 。 す ぐに建 物 設 計 に着 手 した が 設 計 変 更 が 重 な り㈲,1935(昭. 和10). 年7月 建 築 認 可 を 受 け10月 に着 工 した 。 しか し 「基 礎 地 盤 予 想 外 二 強 固 ナ リシ タ メ杭 打 工 事 二 於 テ 工 程 二 若 干 ノ相 違 ヲ来 シ,約 三 ケ 月 遅 延 」 した た あ,完 成 は2年 後 の1937(昭 12)年. にず れ 込 ん だ 。 図3に. 和. は阿 倍 野 橋 ター ミナル にお け る大 鉄 百 貨 店 の 位 置 が 示 され て. い る。. 工 事 と並 行 して,幹 部 社 員 養 成 の た め 従 業 員 募 集,他 の 百 貨 店 へ の 研 修 が 行 わ れ,1937 (昭 和12)年11月16日. 全 店 開店 す る運 び とな った。. 時 運 にめ ぐまれ た こ と と して,第1に(百. 貨 店 法 な ど各 種 法 規 制 が あ った た め)こ れ が. 百 貨 店 新 規 開 業 で き る最 後 の 機 会 で あ った こ と㈱,第2に,建 あ っ た こ と㈱,が ⑳. あ げ ら れ て い る 。 あ る 雑 誌 に は,大. 設 価 格 が1坪435円. 鉄 百 貨 店 の(土. で低廉で. 地 を 加 え た 場 合 の). 同 社 『第1回 営 業 報 告 書 」(1935<昭 和10>年3月)に よ る と,500万 円 中 未 払 込 株 金 が350万 円 とあ るか ら,実 際 は150万 円 しか 調 達 で きな か った こ と にな る。 以 後,払 込 済 資 本 金 は1937年2 月 末 に230万 円,1938年2月 末 に375万 円 と増 加 して い く。 株 主 名 簿 に は株 主494名(計10万 株)で, 1,000株 以 上 の株 主 が,大 阪 鉄 道 株 式 会 社 代 表 取 締 役 石 田義 太 郎(20,000株),岸 本 五 兵 衛(14,000. 株),竹 村 信一(3,200株),松 垣 勝 太 郎(3,000株),猪 飼 九 兵 衛(2,050株),蜷 川 忠 一(3,000株), 泉 吉 次 郎(1,000株),小 曾 根 貞 松(1,000株),竹 村 清 次 郎(1,000株),八 馬 兼 介(1,000株),宇 佐 見 金 次 郎(1,000株),久 保 治(1,000株),山 田 太 右 衛 門(1,000株),寺[H元 之 助(1,000株), 寺 田 吉 之 助(1,000株),塩 崎 與 吉(1,000株),岸 本 正 清(1,000株),平 生 釧 三 郎(1,000株),と 記 載 され て い る。 株 主 構 成 は,大 鉄 取 締 役 の20,000株 と岸 本 五兵 衛 の14,000株(1941年 に は17,370 株)を 中心 と して,大 阪 の 株 主 が7万7,000株 前 後 を 所 有 し,全 体 の77∼80%を 占 あ続 け た(1935, 1939,1940,1941の 各 年 「株 主 名 簿 」 に よ る)。 ㈱ そ れ 以 外 の 取 締 役 と して,岸 本 五 兵 衛,寺 田 元 之 助,松 垣 勝 太 郎,野 田吉 兵 衛,本 所 又 次,監 査 役 と して蜷 川 忠 一,竹 村 信 一,山 岡 倭 が い た(同 前)。 猪 飼 九 兵 衛 は大 阪 出身 で,1900(明 治 33)年 「 大 阪高 商 を 出 て か ら岸 本 財 閥 の経 営 危 機 に加 は り,壽 生 命 が 愛 国 に身 売 りす る まで この 専 務 で あ った 外,岸 本 家 の 中枢 事 業 で あ る摂 津 貯 蓄 及 び 神 国 火 災 の 取 締 役,そ れ か ら 日本 タ ン カ ー の 監 査 役 な ど に就 任 し,新 興 財 閥 岸 本 の 大 番 頭 と して 光 つ て ゐ る。 大 鉄 百 貨 店 の 専 務 とな り この 経 営 機 構 の 中 軸 とな れ るの は,岸 本 が 大 株 主 と して 資 本 的 にそ の 主 権 を 掌 握 せ る関 係 に よつ た もの で あ る」 とい う(「新 し き抱 負 を も って 百 貨 店 経 営 に遭 進 す る,大 鉄 百 貨 店 専 務 猪 飼 九 兵 衛 君 」 『新 興 実 業 』 第6巻4号,1934<昭 和9>年2月,p44)。 な お,実 際 の 経 営 は 当 時総 務 部 長 で あ った 小 松 茂 三 郎 が 切 り回 した とい う。 小 松 は,堺 市 外 金[H生 まれ,1914(大 正3)年 東大 法 科 卒 後,大 阪 市 役 所 財 務 主 任 心 得,2∼3ケ 月 で 明 治 生 命 へ 転 身 し,数 年 後 寺 田 元 之 助 の 懇 請 で 太 陽 貿 易 会 社 支 配 人,帝 国 信 託,と 転 職 し,1926年(大 正15)年2月 に大 鉄 社 長 越 井 醇 三 の 懇 望 で 大 鉄 入 り し,事 業 課 長,庶 務 部 長 を 経 て1932(昭 和7)年 支 配 人 に栄 進 し 「佐 竹 社 長 や 石 井 専 務 の 善 良 な 女 房 役 とな つ て,眞 に献 身 的 に大 鉄 更 生 の 為 に努 力 を 続 けて 来 た 」 とい う。 今 回 の 総 務 部 長 抜 擢 は,「 や が て 重 役 ク ラ スへ の ジ ャ ン プ を意 味 す る前 提 的 な もの で あ る」 とい う(前 掲 「環 境 に恵 まれ た 大 鉄 百 貨 店 の 全 貌 」p78-79)。 ⑳ 同 社 元 総 支 配 人 川 口四 郎 吉 の 回 顧 に よ る と 「猪 飼 九 兵 衛 専 務 が 凝 り性 な 方 で して,何 回 も設 計 を 変 更 され,そ の 打 ち合 わ せ も,大 阪 と東 京 で は,往 復 が 大 変 で した か ら,た い て い は 手 紙 で や り と り して い た もの で す 。 従 って,着 工 が ます ます 遅 れ て しま った わ けで す 」 とい う(前 掲 『40 年 の あ ゆ み 」p41)。 ⑳ 日中 戦 争 を 契 機 と して,諸 統 制 法 が 相 次 い で 行 わ れ,特 に1937(昭 和12)年8月13日 の百貨店 法,同 年9月9日 の 臨 時 資 金 調 整 法,同 年10月1日 鉄 鋼 工 作 物 築 造 許 可 規 則 等 に よ り,営 業,資 金,建 築 の 各部 面 に統 制 が行 われ新 規 の設立 開 業 は 困難 に な って い た(前 掲,「 大 鉄百 貨 店 史」p6)。 ㈱ 総 建 築 費 は 付帯 設 備 一 切 を加 え て319万 円 余 で,1坪 当 た り435円 で あ っ た。1937年 日中戦 争 以 後 は諸 物 価 高 騰 し,建 物 時 価 は 「優 に数 倍 に評 価 」 され る とい う。 さ ら に この 種 の 高 層 建 築 物 の/ 一269(269)一.
(22) 冒f.卜L.」. ■ 「.「'」. コ1嬬. 出所:佐 竹 三 吾 監 修 「大 鉄 全 史 』 近 畿 日本 鉄 道,1952年,p219。 図3大. 阪阿倍野橋駅平面図. 総 工 費 は坪 当 た り525円 で,こ れ は 阪急 百 貨 店 の700円 と比 較 して 非 常 に低 廉 で あ る鋤,と い う評 価 もあ った 。 次 に節 を 変 え て,大 鉄 百 貨 店 の 経 営 成 績 を 中心 に見 て お こ う。. (3)大. 鉄百貨店の業績. 3-1.経. 営方針㈹. ま ず,事. 業 の 目 的 と して 次 の15項. 目 が あ げ られ て い る(定 マ. 款 第2条)。. マ. 「1.百貨 店 陳 列 販 売 業(デ パ ー トメ ン トス トー ア)及 之 二 付 随 スル 製 造 業,2.土 ノ他 ノ賃 貸 借 及 売 買,3.商 容 及 飲 食 物 営 業,5.清. 行 為 ノ代 理 及 請 負 並 二 物 品 ノ輸 出輸 入 業 及 卸 売 業,4.写. 涼 飲 料 ノ製 造 販 売,6.医. 療 及 工 業 用 品 ノ製 造 販 売 業,7.薬. 地家屋 真,美 品 営 業,. 劇 薬 物 営 業,売 薬 請 売 営 業 並 二 売 薬 部 外 品 営 業,工 業 用 薬 品 ノ販 売 衛 生 材 料 一 切 ノ販 売, 8.化 粧 品 ノ製 造 販 売,9.診 各 種 興 行,12.乗. 療 所 ノ経 営,10.度 量 衡 器 及 軽 量 器 販 売 業,11.興. 車 券 並 二各 種 入 場 券 ノ取 次 販 売 業,13.古. 行 場 ノ設 置 及. 物 ノ売 買 交 換,14.有. 価 証 券 業,. 15.営 業 二 関係 ア ル事 業 二封 ス ル 出 資並 二前 各項 二 附帯 ス ルー 切 ノ行 為 」 創 立 当 初 か らこれ らを す べ て 営 業 して いた か ど うか は不 明 で あ るが,百 貨 店 と して 必 要 な 事 業 を 徐 々 に追 加 して い った もの と見 られ る。 次 に,「 経 営 方 針5か 条 」 が あ る。 1)計. 画 ノ始 メ ヨ リ終 始 「素 人 」 タル コ トヲ忘 却 セ ザ ル コ ト. \ 着 工 が 不 可 能 で あ った(同 前,p6-7)。 eg前 掲 「環 境 に恵 まれ た 大 鉄 百 貨 店 の 全 貌 」p76。 ㈹ この 項,特 に こ とわ りの な い限 り,前 掲 『大 鉄 百 貨 店 史 」 に よ る。 -270(270)一.
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