Author(s)
組原, 洋
Citation
沖縄大学法経学部紀要 = Okinawa University JOURNAL
OF LAW & ECONOMICS(14): 27-47
Issue Date
2010-11-30
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9573
【研究ノート】 沖縄大学法経学部紀要第14号
社会比較の有効性(3)
Effectivenesstocomparesocieties(3) 組 原 洋 HroshiKUMIHARA ま え が き 本稿は、筆者の担当している比較法文明論の講義で2009年度後期に取り上げた内容を中心にまと めたものである。 筆者は、2008年に引き続き、2009年8月もブラジルを旅行した。主な目的地はパラナ州クリチパ である。クリチバは計画都市として世界的に有名であり、現状況を実際に見てみたいということで あった。ブラジルから陥ってちょっとして衆議院議員選挙があり、政権交代が現実のものとなった。 そして、色々な問題が改めて議論しなおされだしたが、筆者としてはコミュニティ活性化が最重要 な課題ではないかと思い、授業でも、比較を意識しながらこの問題を集中的に考えてみた。 その結果、比較宗教論に首を突っ込んだ状態で現在に至っている。これはちょっと意外であった。 テーマがテーマだけに、いまだ十分に吟味できていない問題点が多く、本稿も中途報告のようなも のにならざるを得ないが、現時点でまとめられる範囲でまとめてみたい。不十分な点は今後補って いけるであろう。 そういうわけで、いつも以上に、読者からの忌慨のないご意見.ご感想をいただければと期待し ている。 [1]ブラジル 1 ク リ チ バ 筆者は、2009年8月10日に沖細を発ち、11日の夕方(日本より12時間遅れ)クリチバ市に着いた。 そして、同月17日まで1週間クリチバに滞在した。筆者が到着した3週間ほど前から筆者の娘の慎 子がここで、沖縄県系人調査を行っていて、娘と沖細県系人の山城弘義さん(1世)、ヤビクジョ ゼさん(2世)がバスターミナルで迎えてくれた。山城さんには2008年に、沖縄移民百年記念行事 の時にサンパウロで会っていた、というより、その時山城さんが誘ってくれたのがクリチバに来る ことになったきっかけの1つだった。クリチバはサンパウロからバスで6時間あまりである。着い た夜、山城さんはさっそく焼き肉屋(シュハスカリア)で歓迎会を開いてくれた。山城さんの奥さ んは風邪で欠席だったが、その他の家族は皆集まっていて、にぎやかだった。お開きの際には山城 さんが三線をひいてくれた。 山城さんには3人の娘がいるが、いずれも結婚していて(日系は長女の婿だけ)、そして娘夫婦 は皆山城さんと一緒にパステル屋をやっているという。子どもたちは大学も出ているのに、なぜパ − 2 7 −ステル屋なのか、その1時はよく分からなかった。翌朝、山城さんが迎えに来てくれて、山城さん宅 でパステルの準備をしているところを見学させてもらった。パステルというのは、10センチ四方ぐ らいの四角い揚げ菓子風スナックである。中にチーズが入っている。山城さんのところのものはお いしいということで大変評判がいいそうだ。クリチバではあちこちで露天市(フェイラ)が定期的 に│淵かれていて、われわれも土曜日に見に行ったが、材料を運んでいく車も本格的で大きく、立派 なものであった。雨の日でも開かれる。山城さんのところでは、料金計算が腕にはめた電子計算機 で直ちにできるようになっていて、これも自慢の1つのようだった。われわれが見たときはよく昭 れ上がり、人々も多数集まっていて、大変な活況だった。Il1城さんの店の前は人だかりで、なるほ どこれならばサラリーマンになるよりずっと儲かるということが納得できた。出店をやっている人 の中には日系人の人も結構いた。フェイラは落ち符いた感じで、買い物に来た人々もゆったり楽し んでいる風で、治安の心配もないように見えた。ヨーロッパで見かける露天市と区別がつかない。 そして、出店を出すについてクリチバ市は親切に指導・協力し、救えてくれたとのことで、山城さ んはこの町が心底気に入っている様子だった。移民がほとんどの町だから開放的なのであろう。ク リチバ市には公設市場もある。沖縄県系人も結構店を出していた。 12日の午後、クリチバ市の都市計画部局にいって、そこで住宅関係の部署をとりまとめているタ ミナトヒロトシ氏から話しを聞いた。タミナト氏は沖縄県系の2世である。経歴や家族のこと、そ れからクリチバ市の問題など長時間話を聞くことができた。昔の写真をコピーしてくれたり、とて も協力的だった。 13日に、クリチバ市を有名にしているパスに実際に乗ってみた。セントロからちょうど出発する ところだった赤い色の3重連接バスに乗った。焦げ茶色で半透明のカプセル状になっている屋根付 き待合いブースに入る前にまず料金(一律100円前後)を払い、それから乗るのである。列車と同 じで料金が先に支払い済みになっているためバスは人の乗り降りがすめば直ちに出発できる。バス とブースの間にはバスから踏み台が伸びてくるようになっていて乗りやすい。われわれの試乗した バスは南東の方に向かっていく路線で、専用道路を走ると言っても都心部は信号があるので結構停 止するが、だんだんとスピードが上がって本当に急行バスの感じだった。30分ぐらいで大きなター ミナル駅に着いた。そこから枝線等に乗り換えできるようになっていて、乗り換え無料である。車 体は大きく、快適であった。ボルボの車だった。 クリチバ市の中をバスはひんぱんに走っている。5分に1本以上の頻度で走らせるというのが誇 張ではないことが実感できた。クリチバ市は現在人口170万人ぐらいらしいが、このサイズで公共 交通機関として地下鉄がなくバスだけというのは驚異である。もともとはお金がないので地下鉄建 設を選択肢として選べなかったためだが、工夫を亜ねたバス路線は立派に機能している。意外に車 も少なくはない。われわれが会った沖縄県系人の方々は皆順を利用していた。しかし、市全体のト リップの75%がバス利用だそうであり、バス利用者の大部分はそのサービスに満足しているという。 クリチバ市のバス・システムは第3セクターであるクリチバ都市公社が管理し、株式の98%を市が 保有している。都市公社は10社あるバス巡営会社にバス路線の遮営権を与えている。利益に応じて ではなく、バス運行距離に応じて報酬を支払うのが味噌である。そしてそれで事業として採算が取 れている。 バスに乗ったついでに都心部の歩行者天国「花通り」も歩いてみた。平日であったので人だかり − 2 8 − .
沖細大学法経学部紀要館14号 するほどではなかったが、結構活気はあった。今でこそあちこちで見られる歩行者天国であるが、 1970年代初めに都心部を歩行者天国化したときは、まだ歩行者天国も歩行者専用道路もブラジルに はなかった。1971年に市長に就任したジヤイメ・レルネル氏は、商店街が連休で休業していた72時 間のうちに自動車通行禁止の看板を立て、舗装をはがし、花壇をあちこちに設置した。反対者たち は自動車で走る計画を立てた。市長たちはこの動きをあらかじめ察知し、反対者が来たときには、 大勢の子どもたちが道を覆うようにして敷かれた白紙の上で楽しそうに絵を描いていた。1ヶ月後 には商店の売り上げが増加した。子どもたちに感謝して、毎週土曜日には花通りに白紙を敷いて絵 を描かせるイベントが今日まで継続して行われているそうである。レルネル市長はこのプロジェク トに政治生命をかけ、ここから実質的にクリチパの輝かしい都市政策の歩みが始まったと言ってい い。 98年に花通りは延長されているが、この部分は右側歩道を4メートルから6メートルに拡幅した
だけで、完全な歩行者天国にはしていない。これは治安上の理由からだそうで、車も走っていた方
が安全ということである。やはりブラジルならではの心配がある。しかし2メートル拡幅しただけ でもずいぶん違う。 歩行者天国や歩行者専用道路は、周辺の建物も含めて色彩やデザインもしゃれていて、落ち着い た感じである。 市の中心部からちょっとのところに電波塔を兼ねた展望台がある。そこにのぼってみた。街並み の特徴が一目瞭然である。幹線道路に沿ってだけ高層ビルが建ち並んでいて、その周辺は住宅地や 公園になっている。「トライナリー・システム」という3本1組の配置になっている。真ん中に走 る道路はバス専用道路と、沿道の店舗、住宅へのアクセス専用の側道から成っている。その両側に 走る道路は一方通行で、高速走行が可能になっており、急行バスはこの一方通行道路を走るのであ る。 クリチパの都市政策については、ブラジルから帰ってから勉強を始めた。旅行者として見るだけ では分からなかったことが見えてきて、この町の都市政策に大きな感銘を受けた。参考にしたのは 主に、服部圭郎「人間都市クリチバー環境・交通・福祉・土地利用を統合したまちづくり」(文献 ①)である。レルネル氏はポーランド系の移民で、パリやサンフランシスコ郊外のバークレイでの 生活経験があり、パラナ大学の工学部土木工学科と同大学J建築学部建築都市計画学科を卒業した。 「都市の誠治療元クリチバ市長の都市再生術」という本が日本語訳されている(文献②)。この本 の訳者の1人である中村ひとし氏は、1世で、大阪府立大J学で造園学を学んでからブラジルに移住 してきた方で、面白いアイデアをたくさん提供してレルネル氏のまちづくりを支えた1人である。 最近、「人間の生活を中心に据えた都市計画環境都市クリチーバの取り組み」という論稿(文献 ③所収)を書いておられる他、動画(文献④)で活動の様子を見ることができた。 クリチバは1人あたりGDPはブラジル全体の2倍ぐらいであるが、最低賃金で働いている人も 多く、日本と比べればまだまだ貧しい。油断すれば、すぐに貧民街(ファベラ)ができてしまう。 5年間撤去命令がなく住み続けることができればその土地を所有することができるという法律がブ ラジルにはあり、一度不法占拠されれば追い出すために裁判をしても時間がかかってしまう。これ に対してクリチバでは、あえて不法占拠向きの区域を作った。そして、不法占拠住民に30年ローン で土地を賊入させた。住民登録もできる。 − 2 9 −環境関係の施策も、貧しい人々の処遇と関連している。 ごみではないごみプログラムは89年10月に始まった。当時の環境局長は中村氏であった。ごみ処 分場がもう一杯になるというせつば詰まった状況でごみ内容を調査するとリサイクルできるものが 多い。子どもを中心とする環境教育、ごみ教育の実践のため、まず学校の先生の研修から始めた。 6ヶ月間。成功した。その理由として中村氏は「再生可能かそうでないか」を分別基準としたこと を挙げる。日本のように「燃えるごみ」『燃えないごみ」では人々の環境意識が育たない。燃える か燃えないかは行政の仕事をしやすくするための基準である。 有名なごみ買いプログラムはごみではないごみプログラムと同時に手がつけられた。不法占拠さ れていたファベラは密集していてごみ収集車が入り込めない。一般に河川敷につくられており、場 所によっては水源地であったりするので、環境・衛生面でごみの不法投棄は何とかしなければなら ない。あるファベラ住民が陣痛でタクシーを呼ぼうとしたが治安上の理由で拒否されて母子ともに 死亡するという事件をきっかけにごみ問題から切り込んだ。最初はごみをバスチケットと交換した のだが、父親が売ってしまってお酒や麻薬にかえる。母親の心配は子どもたちの空腹だと分かって、 農地の余剰作物と交換することになった。道が整倫された現在でも継続しているそうである。 緑との交換プログラムは91年開始された。「ごみではないごみ」と「ごみ買い」の中間で、ファ ベラほどではないが低所得者層が多く居住する地区で、野菜とごみを交換する。重量でごみ4に対 して野菜1の割合である。63カ所で実施しているという。 環境敦育の重視で責任感の共有関係を構築する。ビア・アンビアンテール(環境に優しい子ども) というのは、ファペラ地区において寺子屋のようなものを設置し、野菜づくりや山羊の乳搾り、読 書、サッカー、絵描き、工芸品づくり、環境教育などを2歳から14歳までの子どもたちを対象に行 う。89年から実施している。環境教育の側面と、学校以外の1時間に親子とも安心して時間を過ごせ る空間を提供することによって犯罪から子どもたちを守るという社会的な目的がある。学校の補完 的な施設としても位侭づけられていた(ブラジルは学校が午前と午後に分かれている)。ビア・ア ンビアンテールでは食事も提供する。寺子屋の校長は必ずファベラの住民にやってもらう。そうで ないと住民の信用を勝ち取れない。当初、夜警をおくべきだと言われた。実際、すぐに泥棒が入っ て学校においてあった金目のものはすべて盗まれた。しかし住民たちのためのものなのに夜警をつ けるのはおかしい。泥棒の家族もこの学校に通っていたりする。コミュニティや家族に返してほし いと訴えた。そうしたらほとんど返ってきた。2002年8月現在、市内に34カ所ある。 クリチバ市は、緑が多いことでも有名である。全市域の18%が緑地である。1人あたり緑地面積 は街路樹も含めると51.5平方メートルで、ノルウェーのオスロに次いでいる。東京都は4平方メー トル以下である。クリチバ市も、70年には1平方メートル未満であった。つまり、ほとんどがこの 30年の間に戦略的な都市政策のもとで確保され保全された。河川沿いの洪水が起きやすい地区の開 発を規制し、洪水が生じても弊諜が生じないようにし、さらに平術時はレジャーやレクリエーショ ンに使える緑地に転換した。 71年に、緑地政策を含む環境政策は自らが法律を策定し符理してよいという約束を連邦政府との 間で結んだ。パラナ州からも緑地と環境問題を自ら管理する許可を得ていて、パラナ州がクリチバ 市で管轄しているのは上下水道のみである。 民有地における緑地保全制度の存在は大きい。66年にマスタープランが策定された時点から2万 − 3 0 − 〆
沖縄大学法経学部紀要第14号 5000平方メートルより広大な緑地はそれが民間の土地であっても保全すべきであるとの条例が制定 された。厳しい開発規制の代償として、土地所有者は容積率緩和と税金減額という2つのボーナス を受け取ることができる。これは、アメリカの都市でよく用いられるTDR(Transferof DevelopmentRight:開発権移転)の手法であるが、クリチバ市では、用途を歴史保全地区、緑 地保全、環境保全、社会住宅建設などに幅広く応用してこの手法を巧みにひんぱんに用いている。 予算が少ないため民間の力に頼ることが必要なのである。連邦予算に依存したりするとサスティナ ブルになることを放棄しているも同然である。 樹木の伐採禁止条例があり、市役所の許可なくしていかなる樹木も伐ることはできない。伐採は 85%ぐらい承認されるが、1本の樹木を伐採した場合新たに2本の樹木を植えなくてはならない。 パラナ松の場合は1本伐採すると4本のクリチバ自生の木を植えなくてはならない。無許可伐採の 場合、罰金を取られる. 緑地の管理についてはイグアス公園で羊にやらせて成功している。われわれも滞在中にいろんな 公園を見せてもらったが、いずれも自然とうまい具合に調和していた。 現在市民が最もたくさん訪れる植物閲については次のようなエピソードがある。植物園周辺にファ ベラがあった。できた当初、そこの子どもたちが夜になると忍び込んで温室のガラスを石を投げて 割るという事件が相次いだ。子どもたちを捕まえて質問すると、「我々は大変な生活をしているの に、市は金持ちのための公園ばかりつくって面白くないから石を投げた』と。中村氏が造園の仕事 を与えるから次の日朝7時に来なさいというと、氏の予想を裏切って何人もの子どもたちが来た。 そこで造園の仕事を教え、実際に雇うようになった。それ以後ガラスは割られなくなった。今では、 庭園の花を季節ごとに植える仕事を子どもたちに頼んでいる。 似たような話は他にも多数あり、強制ではない自発的な市民参加という考え方が徹底されている。 その結果、クリチバ市に誇りを感じると回答する人が98%という結果になっている●住民参加とい うと椛利主張ばかりされているきらいがあるが、クリチパでは住民参加を促してまちづくりを担っ てもらう試みがなされている。その1つとして、新たに道路を整備する際に道路建設の舗装工事を 沿道住民にやってもらった例がある。愛薪と責任感を持たせられる。 クリチバ市の都市計画が成功した要因を考えると、まず市長の強い政治的意志と、それに従って、 果敢に政策が継続して実行されたことがまず挙げられる。その政策は人間を中心に位置づけるとい う特徴で貫かれていて、だからこそ、自発的な市民参加が必要となった。計画の実行にあたって、 イブキIPPUCrlnstitutodePesquisaePlanejamentoUrbanodoCuritibaという都市計画専門 家集団が存在したことはきわめて大きい。この組織があってこそ計画が実行できたし、個々の政策 の統合も可能になった。 クリチパの成功は人為的なものであり、日本にも参考になる。クリチバは特殊解ではなく一般的 に応用がきく事例なのである. 今後のクリチバ市の課題は、広域化への対応であろう。周辺に郊外都市が多数できて2000年で 270万入超の大都市圏を形成するに至っているので、広域行政の砿要性が高まっている。サンパウ ロですでに見られるようになったゲイティッド・コミュニティが郊外自治体でつくられ始めている。 郊外で大型店が立地し始めたら収拾がつかなくなる。規制の緩さが気になるところである。 − 3 1 −
2 ブ ラ ジ ル と 日 本 の つ な ぎ 目 クリチバ滞在中は毎日のように沖縄県系人と会って話を聞いた。ヤビクさんは85歳で、時間があ るということでずいぶんお世話になったし、松尾ベルナルド=マリアさん夫妻も色々案内してくれ た。マリアさんは宜野座からの移民の2世で、2006年に沖細で開かれた第4回世界のウチナーンチュ 大会に参加したことから、今の沖縄についてもしっかりしたイメージを持っていた。ベルナルドさ んは長崎県系人である。 クリチバ市のまちづくりとの関係では松田信照さんの話が興味深かった。松田さんもすでに80代 であるが、学生時代に、当時の軍政権に対して反対運勤を行った。当時の学生運動は強い社会的な 影響力を持っていたという。そして、クリチバで最初の日系市会議員になった。クリチバに最初か ら住んでいたという人は少なくて、学生としてやってきてそのまま気に入って住みついた人が多い そうである。パラナ大学はブラジル最初の連邦大学である。われわれが滞在したハラパレスホテル の経営者も日系人としてクリチバの政界で活躍された方らしい。ホテル内でしょっちゅう様々な催 しが行われていた。 われわれがあった範囲では沖縄県系人の皆さんは専門職の方が多く、生活にもゆとりがあった。 沖縄県人会長の上江洲ジョージ氏も眼科医である。クリチバでは沖縄県系人が少ないこともあって、 県入会ができたのは比較的最近であり、登録家族は77だそうであるが、模合(頼母子)などはもう 何十年も続いている。しかし、2世、3世が主流になってきている中で、なぜまた沖縄県人会なの であろうか。この点は、日系人会の前会長だった石井ジョージさん(2世)も困惑したような表情 で、日系人会には加わらないで沖純県人会の方だけに加入する人がいると言っていた。日系人は多 くて、4000∼5000家族もいるそうで、実際日系人クラブは大変立派なものだった。松田さんの奥さ んなどの話では、以前は共通語が上手にしゃべれないというコンプレックスなどもあったらしいが、 今はもうポルトガル語だけの人の方が多くなってきている。沖縄ということでつながるにしても、 今後は場所性よりはNPO的なつながりによって深まっていくのではないだろうか。その場合、ク リチバという町の性格もまた大きく影響するであろうと思われる。とにかく皆さんがクリチパが好 きということでは共通していた。 これまで何度もブラジルを訪問してきたが、比鮫してみても日本や沖縄との接点が見いだせなく て、どうしても別の世界の話になってしまっていた。今回このように、クリチバ市で沖純県系人の 皆さんのお世話になりながらクリチパのまちづくりの状況を体験的に学んで、共通するものがある ことを強く感じた。つまり、ブラジルという大枠から考えるのではなく、コミュニティを構成して いる個人の方から見てみれば、ブラジルのことも沖純にいて考えていることと結構つながることに 気がついた。発展途上国と先進国という風に別の社会だと決めてしまうとうまくつながらない。こ れを個人の集まりのネットワークという形で積み上げて考えていけば、住み心地とか便利さだけで なく、幸福のかなりの部分も共通の土台で考えることができる。個人から考えて比較の視座をつく るというのが、社会学などとは区別される比較ネットワーク学の醍醐味ではないだろうか。 この旅でI司じように、沖縄にいて考えていることとの共通性を感じたのがシヤカラのことである。 シャカラというのは別荘のことである。8}m日から23日まで、カンピーナスの隣町ジヤガリウナ の小原哲夫さん宅に滞在したが、小原さんがちょうどシヤカラの売買契約を締結したところだった。 現在、ブラジルではシヤカラブームのようで、あちこちでその販売広告を見かけた.小原さんもネッ − 3 2 −
沖抑大学法経学部紀要第14号 卜を利用して直接取引をした結果500万円ほどだそうだった。小さいながらプールやサッカー場も ついている。立派なものである。小原さんはサッカーには興味はないそうで、サッカー場をつぶし て畑にして野菜でも作ろうかといった話をしていた。家から車で10分ぐらいで近い。ブラジルは大 農場経営なんだから、人間もそれ向きにできているかというと、実はそうでもないようだ。個人と してみればわれわれと別にかわらない。当たり前といえば当たり前だが。都市とか農村全体とか、 社会単位で見ると大きな違いが出るので、それに焦点を当ててしまうと、その構成員である個々人 は実は皆同じような生き物である人間であるということを忘れてしまう。忘れてしまうと、社会か らの色々な不自然な強制が加わっていることを忘れてしまい、つまり、心身とも病気になるのであ る。 普通の町では、経済状態がある程度以上の人がシヤカラを買ってこの欲求を満たすことになるわ けだが、クリチパではそれを市全体で実現しようとしたということであろう。公共性の高いまちづ くりをすれば参加意識が高まる結果あらゆる面で活性化が起こる。 [2]「コミュニティを問い直す」 1 視 座 ブラジルから8月26日に日本に帰った。同月30日に衆議院議員選挙が行われ、政権交代が実現し た。なぜ政権交代に至ったのかと考えると、基本的には、従来の公共事業主導型の運営が限界に来 て、国も地方も借金漬けになってしまったということである。民主党は「地域主権」ということを 言っていて、マニフェストに掲げた「ひもつき補助金の一括交付金化」を2011年度から段階的に実 施していくとしているが、現時点ではまだ具体的な形は見えない。しかし、2009年暮れの2010年度 政府予算案決定で徐々に重点政策は具体化されて行っている。その中で、子ども手当、高校の実質 無償化、農家の戸別補償等、生活に関連する分野での直接給付が目立っている。即効的に効果が出 るものは限られているため、今後地方分権化が本当に豊かな生活をもたらすのかという懐疑も芽生 えている。しかし、世界の大きな流れの中で地方分権化の流れは定着していっているし、地域を活 性化していくしか生き残る道はない。 地域活性化と関連したテーマで授業を進めていこうとしていて見つけた本が、広井良典「コミュ ニティを問い直す−つながり.都市・日本社会の未来」(文献⑤)である。 この本は、プロローグの後、視座(第1∼3章)、社会システム(第4∼5章)、原理(第6∼終 章)という3部構成になっている。 この本を筆者なりに要約したものを作成してから、関連するテーマを取り上げるというスタイル で授業を櫛成した。 この本の副題にある「つながり」について、プロローグで次のように述べられている。 戦後の日本は農村から都市への人口大移動の歴史で、都市に移った日本人は独立した個人と個人 のつながりという意味での都市的な関係性を築いていくかわりに、「カイシヤjと「家族」という 都市の中のムラ社会社会ともいうべき閉鎖性の強いコミュニティを作っていったが、経済成長期が 過ぎ去ってしまって、カイシヤや家族のあり方が大きく流動化・多様化する現在のような状況になっ たら、それはかえって個人の孤立を招き、生きづらい社会や関係性を生み出す基臓的な背景になっ ている。例えば自殺者が1998年以降毎年3万人を超えるようになったのもこういったことが影響し −33−
ているであろう。 そして第1章で、ヨーロッパなどの街と日本の街の比較がなされているが、ソフト面で、現在の 日本の都市、とりわけ東京などの大都市圏では、見知らぬ者同士が声をかけ合ったり挨拶をしたり 会話をしたりすることがほとんど見られないこと、道の譲り合いなどもないこと、ありがとうとい う言葉を他人同士で使うことがないこと、コミュニケーションとしてわずかにあるのは店員との間 でお金を介したやりとりぐらいであること、それも、店員側からの声かけが一方通行的になされて いることなどが列挙されている。饗するに、見知らぬ者同士の関係が希薄であること、それとは表 襲の関係で、身内に対しては過剰なまでの気遺いをすることが述べられている。 ハード面では、日本の都市、とりわけ大都市においては、個々の建物が文字通りバラバラに孤立 して存在している。これに対してヨーロッパでは、都市の中心部を少し離れただけですぐに畑や森 などの田園風景が広がる。人口規模ということもあるが、日本では中心部に中層の集合住宅が少な く、都市計画もなきに等しかったため。東京23区の人口密度はパリより低い。ヨーロッパ(中国も 基本的に同じ)では都市の外縁がハツキリしている。ヨーロッパの都市の城壁と日本の家の垣根が パラレルである。しかし、例えば、東南アジアなどの都市も頭に入れると一概に日本だけを特化し て論じられるか疑問も残るとし、急激な後発型の産業化や大都市人口集中という経済発展のパター ンに関する要因も視野に入れる必要があるだろうとする。 ヨーロッパの都市の城壁はコミュニティ感情を醸成した。ただ、ドイツやオランダなどと比べる と、イタリアの中世都市の場合は封建貴族と商人層が合体してできた不純なもので、専制君主が存 在している。 このようにして都市型コミュニティと農村型コミュニティという2つのタイプを提示し、つなが り方の違いを指摘し、都市型コミュニティの場合は個人をベースとする公共意識がつながりの原理 になっており、普遍的なルールもしくは原理・原則といったものが人と人とのつながりを支えてい て、つまりそのメンバーとしての資格が市民ということになるわけである。これに対して農村型コ ミュニティの場合は人と人とを結びつけるのは共同体的な一体感であり、それは場の共有から生ま れるとされる。そして、都市型コミュニティも農村型コミュニティも無際限に開かれているのでは なくその外部を持っているが、その境界線の引き方は異なるとされる。 第2章ではコミュニティの中心ということについて述べられている。北欧を旅すると地域の中心 部に必ず教会が位置している。プロテスタント国家ということもあって、国家と宗教の結びつきが 強く、中世において教会が行っていた福祉的な事業や税の徴収を国家が引き継いでいったという経 緯があった。それが高水準の福祉国家が生まれた背景になっている。「福祉」は「文化」と深く結 びついている。日本でも昔は神社やお寺が共同体の中心にあった。全国にあるお寺の数は約8万 6000.神社の数は8万1000だという。経済システムの進化とともに経済や教育領域が独立していき、 学校が国民国家形成に奉仕するようになった。しかし、現在、福祉、環境(自然)が新たに浮上し、 宗教的な機能はスビリチュアリティ(生と死を超えた次元に関するテーマへの関心)志向となって 展開し、神社、お寺などの空間が新たにケアや環境学習等の舞台として再発見されていっている。 知的な探求、あるいは知識や文化の創造ということが人々にとって主要な関心の柱の1つとなり、 大学の持つ意義が新たな重要性を帯びるようになる。 そして、例えば福祉といっても商齢者ケアのあり方は郊外ニュータウンと旧市街(下町)とでは − 3 4 − 、■
沖細大学法経学部紀要第14号 異なるので、福祉ということで一元化するのでなく、地理的、空間的な視点を鞠入することが必要 である。世界がすべて同じ方向に進んでいるという考え方から地理的、風土的多様性ということが 再認識され、新しい意味や価値を持って浮かび上がる。ローカルな知、NPO等の活動が活発にな る結果コミュニティの中心としての大学という視点が大きな意味を持つようになる。そういう意味 で、「時間化」から「空間化」の時代だと広井氏は言われる。ケアも、ケアする者一ケアされる者 という1対1モデルでは限界があり、コミュニティの視点を抜きにできない。場所や土地の特性、 社会資源の配置、交通手段、まちのあり方等を含めたハード面とも不剛分である.そういう意味で、 「空間化するケア」と言える。 地域の舞台でミッション型コミュニティと自治会・町内会等を含む地域コミュニティとのクロス・ オーバーないし懲合が大きな課題となる。調森結果を見ると、コミュニティづくりの主体について は、自治会、町内会と住民一般が群を抜いて多くほぼ並び、ついでやや少なくなるが、行政、 NPO・大都市ではNPOの比重は高い. 福祉関連施設がコミュニティの中心的な施設になっていくというのは、宗教関連施設などとはちょっ と意:味が違うと思うがもその重要性が商まること自体は誰も否定できないであろう。 第3章は、『ローカルからの出発一グローバル化とコミュニティ」となっている。 近代以前、人間の活動はおおむねローカルな領域に限定されていた。農村共同体などの「共」的 関係を基盤とする、お互いを知った者同士の関係である。経済的には「互酬性」の世界である。近 代以後、「公jである政府が主たる役割を果たすのはナショナルレベルである。政府の「再分配」 機能はローカルレベルの地域共同体間調整という中間的な空間領域をカバーする。さらに、「交換」 を基本原理とする「私」たる市場は本来的に国境を持たないので自ずと世界市場に行き着く。交換 は1回ごとの取引で完結するので、継続性や相互性ということを含まないので、共同体のあらゆる 境界を越えてグローバルに広がっていく。しかし、現実の歴史では共→公→私といった櫛図通りに は進展せず、共も公も私もすべてがナショナルレベル=国家に集約されるという事態が発生した。 なぜそうなったのか。産業化(工業化)がローカルな地域単位よりは広いが、グローバル(地球) よりは狭かったということであろう。現在は市場経済の最適な空間単位がグローバルレベルに移っ た。それに対応した共、公のあり方はまだ脆弱であるために、「すべてが「世界市場jに収散し、 それが世界的な存在となる」という状況が進みつつある。 今後の基本的な方向としては、①各レベルにおける公一共−私の分立とバランス、②ローカルレ ペルからの出発の2点が誼要になるであろう。なぜか?ポスト産業化時代においてはいわば「時間 の消費」と呼びうるような、コミュニティや自然等に関する現在充足的な志向を持った人々の欲求 が新たに大きく展開し、福祉、環境、医療、文化、スピリチュアリティ等に関する領域が発展して いくことになるが、これらは内容からしてローカルなコミュニティに基盤を置く性格のものである。 地球上の各地域の地理的・風土的な多様性や、間有の価値に人々の関心が向かう時代になってきて いると考えられる。 以上が、第1部の要旨であるが、ここで展開されているような比較論は、都会と田舎のあり方か ら持続可能な地域づくりのあり方を探って来ている筆者にはおなじみのパターンである(文献⑥参 照)。 ヨーロッパでは都市の中心部を少し離れただけですぐに畑や森などの田圃風景が広がる、という − 3 5 −
こととの関連では、2009年12月末に台湾を旅行したときに考えたことを記しておきたい。この台湾 旅行では台湾の新幹線に乗ってみるというのが目的の1つだったので、台北から高雄まで新幹線で 行き、その後東側に列車で出ようとしたところ、8月の台風で鉄橋が流されたとかでいまだに不通 で、台東までバスで行ってから、列車で台北まで戻ったのだが、東側の風景を見ていて、特に宜蘭 のあたりは家と農地とが本当に隣り合わせでごちゃごちゃである。二期作で田植えの準備中で、田 んぼは水をたたえていた。見ていて、昔の日本の風景だなと思った。つまり、現在日本の都会は家 ばかりがだだっ広く広がっていっているが、これはもとは農地だったところをつぶして宅地にした からである。だから、家ばかりなのが日本的ということではなく、簡単に宅地化できてしまったと いうことが日本的なのだと思う。そういう意味では無計画性こそが日本的なのであり、それでやっ てこれたのが良くも悪くも日本なのである。本当の意味で長期的な計画を作れない。見通しが立た ない。それで行Jき詰まる。こういう悪循環ではなかろうか。 台湾ではまた、旅行中話しかけられたりすることが結椛ある。何というか親切で.旅人のことを 色々心配してくれる感じなのである。それこそが台瀦の魅力ではないかと思うぐらいである。ゆと りと温かさを感じる。これも昔の日本の感じなのである。しかし、台湾もずいぶん都会化してきて いる。都市型コミュニティか、農村型コミュニティかというような分類ではちょっと割り切れない ものがある。 この点について、鳥越I告之「「サザエさん」的コミュニティの法則」(文献⑦)は非常に参考になっ た。この本は、著者の鳥越氏が台湾の霧社であった親切なおばさんの話から始まっている。そして、 見返りを求めないこのような親切行為は愛他的行為といわれ、「一般的互酬性」という分類になる が、このような行為がたくさんあるところが幸せなコミュニティなのだと蕊者も思う。確かにそう いったコミュニティは、3世代家族が減り、核家族さえも維持できなくなってきている日本の現状 では難しくなっている。それを可能にするのがコミュニティが担う「平凡教育」である。生みの親 より育ての親が大切なのであり、社会的な親が子どもに経験を伝えていければコミュニティは活性 化する。 平成の大合併の負の遺産の引き受け手としてコミュニティのあり方が注目されるようになった。 また、住民サービスの質(ソフト面)が問題にされるようにもなった。現在、コミュニティは連携 型へ向かっている。複数の自治会といくつかの地域組織をまとめて小学校区ぐらいの大きさにし、 それを『まちづくり協議会」などと呼ぶことが少なくない。このような協議会は機能的にNPOの 性格に近づきつつある。 2 社 会 シ ス テ ム 第4章『都市計画と福祉国家一土地/公共性とコミュニティ」では都市計画と福祉国家の国際比 較がなされているが、このテーマは、特にヨーロッパにおいて、都市計画を中心とする都市政策と 福祉国家に関する政策が通底する理念の下でパラレルに展開してきたということを主に指している。 日本の場合両者はほとんどタテワリで、違和感を感じられるかもしれない。両者をつなげることが 現在の日本で求められているというのが広井氏の意見なのである。 日本は、社会保障はドイツを見習って社会保険モデルであるが、社会保障の規模としてはアメリ カと同水準で低い。公有地割合、社会住宅割合も低い。近年市場中心という性格が強まっており、 − 3 6 −
沖抑大学法経学部紀要第14号 『共」的基盤(カイシヤとか家族)が弱体化し、それに代わる「新しいコミュニティjとも呼ぶべ き人と人との関係性や価値原理がなお未確立である。 時間軸に沿ってみてみると、ヨーロッパにおいて、20世紀後半を中心に土地・住宅・都市の「社 会化』が強化されていったのとは異なり、日本の場合、農地改革等の帰結として、また強い開発基 調の中での急激な都市化を背景として、公共性を欠落する形で、かえって土地所有の私的性格が強 まっていった。農地改革は、大地主制からの脱却がなされたという積極的な側面と、私的所有の対 象としてのL土地という観念が強化されたという負の側面との両面がある。 第5章「ストックをめぐる社会保障一資本主義/社会主砿とコミュニティ」では、格差の問題で 所得(フロー)を中心に論議されているが、より格差が大きいのは資産(ストック)であることを まず指摘し、①福祉国家が発展して社会保障の規摸が大きくなればなるほど、財源は個人や企業の 所得から差し引かれ、経済活動のインセンティブを損なうことと、②資産面を含む格差が拡大し、 個人の富由な競争という前提自体が大きく崩れていることから、戦前的な分配が必要ではないかと する。 背景に経済の成熟化、定常型社会への移行がある。人口減少、資源・環境制約顕在化に加え、人 間の需要が飽和しつつある。従来型景気刺激策では赤字を拡大させて将来世代にツケを回すだけで ある。労働面から見ても現在の先進諸国は生産性が上がりすぎ、櫛造的な生産過剰状態になってお り、失業が慢性化している。人手を食う介護・福祉や教育領域への積極的な投資が適合的になる。 しかし、日本の場合まだ「公」の役割が脆弱であり、ヨーロッパにおけるポスト福祉国家論的な 議論をそのまま日本に持ち込むことはミスリーディングである○だから、日本では、「新たな共」 的な発展(NPO、新しいコミュニティ、コモンズなど)とともに、公的部門の強化(政府による 再分配や規制、土地所有のあり方など)が必要であるとして、次のような政策提言をされている。 ①「人生前半の社会保障」の強化;90年代後半から「カイシヤ」と「家族」という見えない社会保 障が崩れリスクが人生前半にも及ぶようになったこと、及び、経済格差が大きくなって共通のスター トラインに立てるという状況が大きく揺らいでいる。②住宅の保障機能の強化:戦後日本では、戦 後ヨーロッパのようなソーシャル・ハウジングないし住宅の社会化という政策は進まなかったとこ ろに、小泉改革による民営化の流れの中で、縮減・廃棄の方向にあるため、社会住宅割合を10%程 度まで拡充することが考えられてしかるべきであろう。ハード面の整備だけでなく、コミュニティ という視点が重要になる。低所得者層の隔離segr、egationにならないように、さまざまな層の混在 も重視しなければならない。③福祉(社会保障)政策と都市政策の統合:自治体が保有する公有地 は増えているので、これを積極的に活用して、コミュニティの中心づくりをすること○世代間のバ ランスや世代間交流、環境保全活動、福祉・医療、生涯学習の活動場所として活かしていくこと等、 持続可能な地域社会づくりを目指すこと。④課税・財源のあり方:土地課税の強化を行ってストッ ク再配分を図ること。ただし、これに対しては、土地をそもそも経済的な取引対象とはせず、また、 枇代間の土地の継承性を重視するという観点から、土地保有税や相続に関する課税に反対する立場 がある。他方、自然(土地)から収益を得ているものは対価を支払うべきだという発想から、エコ ロジー的な理念を体現するという考えの下で(つまり自然資源の過剰な利用を抑制するため)土地 課税を強化すべきだという意見もある。 以上力端2部の要旨である。 − 3 7 −
社会住宅の問題などはそれだけでも1冊になるような大きな問題であり、実際、筆者は可能な限 り第2部で取り上げられている問題に関係する文献を読んで講義で使おうと考えていた。 ところが、2009年11月17日、沖縄県うるま市で中学2年の男子生徒が転落し死亡したとされる事 故があり、沖縄県瞥が司法解剖などをしたところ、遺体に殴られたような跡があったことが判明し、 20日、沖純県警うるま署は生徒に暴行を加えて死なせたとして、同級生の男子生徒5人(いずれも 14歳)を傷害致死容疑で逮揃、I司級生の男子生徒3人(いずれも13歳)を傷害致死の非行内容で補 導した。 この事件について学生に意見を求めたことから、こちらの方の対応に追われて精一杯という状態 になった。 この事件については、特に沖縄では地元の新聞も特集し、様々な意見が出ているが、個人情報保 護との関連で今ひとつ知りたいことが分からない。そんな中で、一・番納得できたのは、金持ちなら こんな事件は起こさなかったでしょうね、というものである。それで、講義では、阿部彩「子ども の貧困一日本の不公平を考える」(文献⑧)を紹介した。1年ぐらい前までは「格差」問題が大流 行だったのに,今は「貧困」かと、感慨深かった。2006年7月OECDは対日経済審査報告書で、日 本の相対的貧困率はOBCD諸国の中で米国に次いで2位であると報告した。『格差」という言葉に は慣れてきていた人々も「貧困」という言葉をあてはめて用いられたのはショックであった。 同報告書は子どもの貧困率について次のように指摘している:①徐々に上昇しており、2000年に は14%となった。②この数値はOECD平均に比べて商い。③母子世帯の比率が突出して高い。特に 母親が働いている母子世帯の貧困率が商い。 現代資本主義社会では「格差」は多かれ少なかれ存在する。その中で、「貧困」とは許容できな い基準以下ということである。OECDなどで使われる貧困基準は相対的貧困である。手取り世帯所 得を世帯人数で調整し、中央値の50%ラインを貧困基準とする。日本の所得中央値は254万円で、 貧困線は127万円である。相対的盆困線は生活保護基準に近い数値である。そして、相対的貧困は 格差とは違う。格差とはIll全体の形を考慮した指標である。貧困率は貧困線より右側の山の形は考 慮していない. 貧困率0%というのはないが、各国で差は大きい。先進諸国間でも数%から人口の1/4まで1編 がある。その国の経済状況や服用状況に加え、社会保障制度でどれだけ貧困を減らすことにコミッ トしているかによる。 日本の場合、母子世帯の貧困率が突出して高い。親と同居した3世代の母子世帯でも貧困率は30 %台と高い。子どもの年齢が大きくなると貧困率は商くなると同時に、0∼2歳の子どもの貧困率 が急増している。若い父親と年配の父親をもつ子どもの貧困リスクが高い。子どもをもつ男性の年 齢は2極化した。若い親たちが今後継済状況を改善できるであろうか? 日本の家族政策の多くは子どもの貧困削減を目的としていない。少子高齢化が急速に進んだこと により、家族政策=少子化対策という図式ができあがっている。 母子世幣はもはや珍しくない。子ども17人につき1人は母子世帯で育っている。母親の平均年齢 は40歳である。1/3は同居母子世帯である。日本の特異性は、母親の就労率が非常に高いのにも かかわらず経済状況が厳しく、政府や子どもの父親からの援助も少ない。 日本の母子世帯対策は不十分である。所得の低さは福祉依存に起因するものではなく、母親の就 − 3 8 − ●
沖縄大学法経学部紀要第14号 業機会が長時間仕事をしても賃金が低い仕事に限定されていることによる。「隊子世帯対策」では なく、その子どもが属する世帯のタイプに関係なく「子ども対策」が立ち上げられる必要がある。 鷲田清一・内田樹『大人のいない国」(文献⑨)も、筆者がまとめたものを学生に読んでもらっ た。この本は、今の日本には大人がいない、老人と子どもだけだと言っている。若い人はとにかく 年をとりたくないという。成熟した人間のロールモデルがいない。格差論やロストジェネレーショ ン論も、当事者資任があると思えば「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないはずだ。 責任者探しばかり。自分が弱者であり、被害者であるという名乗りと引き替えに未成年身分に釘づ けされる.生昼産者ではなく、消費者であるということ。逆に自己責任で攻める人もいるけど、そん なに自立できてる人な』んていないでしょう。みんなインターディペンデント(相互依存的)。その 仕組みを運用できるということがいい意味の自立である。交渉することがいけないことだと思って いる人がたくさんにる。「正しい意見」を通そうとする。自分にしかできない適職があるはずだと 思ってしまう。就職して、これが天職なのかと悩んでやめてしまう。飽きっぽいのではなく純粋。 学生もシラパス通りにやらないとクレームをつける。シラバスは学校サービスを教育サービスとし て商品化する仕掛け。 日本人が幼児化を始めたターニングポイントは1970年代から。日本は豊かで安全になったので、 大人がいなくても子どもだけで回せるシステムができた。核家族化も進んだ時期である。親子2世 代だけの核家族は子どもにとって一番つらい家族形態じゃないか。親子が対立したら親のいうこと を聞くか、ぶつかって家を出るかしかない。 レヴィーストロースが「親族の基本描造」で書いている親族の最低単位は男の子と両親と母方伯 叔父(おじ)の4人からなる。父とおじさんがロールモデルとして登場し、違う考え方を指示する ことで葛藤が生まれる。成長のためにはその葛藤が不可欠である。核家族でも両親が連帯するのが 最悪の構図で、学校に来るクレーマーのうち最悪パターンは両親が口をそろえて怒鳴り込んでくる。 昔は近所の人たちもおじさんの役割を果たしていた。 人は年取れば年取るほど「多戴人格化」していく。それなのに今の世の中ジャーナリズムも単次 元的な語り口で、善悪2元に分ける。しかし、逆に多様性ってことをことさら言うのもどうか。そ の多様なものが存在している全体の柵図についての責任は誰もとらない。多文化主義者って、マイ ノリティ内部での差異を認めないから、差別される側の中にいる「別にオレはこれでもいいけど」 みたいな発言を決して許さない。マイノリティに属する個人に対して「マイノリティらしく」振る 舞うことを強要する。 いわゆる愛国主義は「自分好き」に終わる。愛国心の原初形態は集団への帰属意識であるが、現 代国家は「均質的集団」にはなり得ない。純度を高めようとすれば必ず分裂する。共同体内部に進 んで分裂を導き入れることを自制することはできる。同国民である限りは自分とは違う価値観、美 意識、出自、人種、言語の人の公民としての権利を輔重するという社会契約に同意することはでき る。 韓非子に矛盾という話がある。レヴィーストロースが論じた父の親権とおじ権の対立も同型のも のであろう。外見的には対立するかに見える2つのシステムが実は機能的には同一である。メタ・ メッセージはおまえが今のままではこのメッセージは理解できない、おまえは今以上のものになら ねばならない、成熟せよと告げている。それは子ども自身のためであるとともに彼らを含む共同体 − 3 9 −
の安全のためでもある。矛と盾を並べて売ることで初めて無敵の武器=最終兵器の出現は回避され ている。 以上が『大人のいない国jのまとめの一部であるが、文献⑦などと共通する点が多いことに気が つかれるであろう。 また、無差別殺人との比較も学生にやってもらった。利用した文献は多数あるが、片田珠美「無 差別殺人の精神分析」(文献⑩)は特に参考になった。「誰でもよかった』:自らの「内なる悪」を 外部の他者に「投影」することによって、あるいは「特定の対象に対する憎しみ』を不特定の他者 に「侭き換える」ことによって憎悪と復讐の対象が無差別に広がった。なぜかくも多くの人々を殺 すのか:たくさん殺すほど憎悪を向けている社会や世間、もしくは特定の集団に仕返しができると 考えているから。なぜ自殺でなく他殺か:赤の他人を道連れにした拡大自殺。「内なる悪」を自分 自身で引き受けることに耐えられず、外部の不特定多数の他者に投げ捨て、抹殺しようとする。 秋葉原事件を格差社会の犠牲というのも単純すぎる。同様の状況でも圧倒的多数の人は犯罪に走 らない。いくつものリスク要因が積み篭なった結果である。 紙数の関係で詳細は略すが、一番印象に残っているのは、コロンバイン高校銃乱射事件(1999年 4月20日)の2人の犯人は各々の頭を打ち抜いて死に、ヴァージニアエ科大銃乱射事件(2007年4 月16日)の犯人も自殺しているのに対して、日本では秋葉原事件の容疑者など無抵抗で逮捕されて いることである。自殺できないので死刑になりたくて犯行に及んだというものもある。 また、うるま市の事件と直接には関係ないが、沖縄タイムス100109論壇「複式学級メリット多 くうるま4小中廃校に反対」(川上宏氏)も興味深く読んだ。筆者は、小学J校3,4年を島根大 学附属小学校の複式学級で学んだ。他の年次のことはほとんど忘れているのに、このときのことは 今も鮮明に記憶に残っている。3年の時には「おれえちゃん」がいていつもくっついていたし、4 年になったら立場が変わって、おにいちゃんになった。非常にいい経験をしたと思っている。 3 原 理 第6章「ケアとしての科学一科学とコミュニティ」では、今後科学、あるいは知的探求において コミュニティという主題が中核的な重要性をもつようになると考えられること、それはこれまでの 近代科学のあり方そのものを大きく問い直す意味を持つであろうし、文系、理系あるいは人文、社 会、自然科学といった境界を越えるようなものとなるであろうことが述べられている。 第7章「独我論を超えて』ではまず、独我論の定義がなされている。独我論というのは、他者の 意識の内容や存在は確証できないとする考え方であるが、強弱さまざまである:①他者の意識の存 在そのものは認めるが内容は確証できないとするもの。②他者の意識の存在そのものも確証できな いとするもの。③私が認識している世界以外はその存柾が証明できない。 広井氏は、この問題は西洋哲学の文脈では他者の問題より神の問題が中心でも神という存在の前 では自己と他者の問題などは背景に退く、と話題を転換しておられる。そして、これからすると、 独我論というのは意外に日本的性格を持った問題ではないかと言われる。欧米には個人と個人をつ なぐ普通的な原理があるのに対して、日本の規範は集団内で完結し、集団を超えた規範がない経済 成長期に農村から都市への大移動が起こり、そこでの単位はムラ的なものであったが、そのような 単位が縮小していって、個人になっていくと、あたかも個人一人ひとりが「閉じたムラ社会」のよ − 4 0 − ■ ■
沖縄大学法経学部紀要第14号 うになり、プロローグで見たような社会的孤立度の商い社会となり、独我論的な土壌を作っていっ たのではないかとされるのである。かくして、プロローグと第1章の農村型コミュニティと都市型 コミュニティということと基本的に重なってくるが、どちらかだけではダメで蕊要なのは両者のバ ランスであるとされるので:ある・ 広井氏は、独我論は意外に論駁するのが難しいとされているが、筆者の考えでは何しろ、死んで みないと分からない問題(死んでも分からないかもしれないが)であるので、この問題は「分から ないことは分からない」というしかないであろうと思っている。しかし、それでどうするというの は別の問題である。むしろ、そこから「生かされている」という感覚を持ち、それをありがたいと 感じられることが倫理の基盤となるであろうと考えている。受け身になることで前向きになれるよ うなセンスである。 終章「地球倫理の可能性一コミュニティと現代」では、ギリシャにおける哲学的思考、インドの 仏教思想、中国での諸子百家の思想、イスラエルにおける旧約の思想など、普遍的な価値原理の代 表的なものは地球上のいくつかの地亘域でBC5世紀前後に同時多発的に生じたことを指摘している。
キリスト教の場合は「超越者」原理、仏教の場合は「宇宙」原理、儒教の場合は『人間」原理と
いうような多様な価値原理の背景には風土的な相違や、多様性がある。その結果、普遍的思想のリー ジョナルな住み分け構造ができたのJだが、近代以降のグローバルな時代になって普遍性を志向する (自認する)思想の共存ができるのかという段階になっている。 なぜbc5世紀前後に普遍的な志向をもった思想や哲学が生まれたのかについて、伊東俊太郎は 騎馬民族の移勤皇を挙げる。定住的な農耕民族の大地母神的な静的な母権的な文化に対し、騎馬民族 特有の些天なる神を信ずる変動の多い、因習打破的な合理主義の父権的文化が進入した。広井氏もそ のような考えに賛同されるが、そのような異なるコミュニティ間の接触という「水平的な要因」か らする普遍性への志向と同時に、人間と自然の関係に関する『垂直的な要因」も働いていたと考え られるのである。すなiわち、BG5世紀前後を中心とする普遍的な価値原理志向の思想の生成は、 農業文明がある種の成熟化そして定常化を迎えつつあったときにそのことを基本的な背景として起 こったので『あり、普遍性への志向と同時に、物質的な拡大。成長から内面的な深化や、欲望の際限 なき拡大の抑制という方向性を共通してもっていたのではなかろうかと言われる。抑制ということ が、欲求に対する規範原理、あるいは自己規律ということに重なる。今のわれわれは農業というと 「自然との共生」というイメージを持っているが、狩猟.最終段階から見れば大規模・体系的な開 発ないしは自然の搾取の側面をもっていた。その結果、自然・資源制約にぶつかったり、あるいは 生産過剰に陥るという事態は十分にあり得る。こういう時期に物質的。量的な拡大から内的な深化 へという志向をもった思想が生成するのは自然なことである. 村上泰亮はキリスト教は能動的で突破を求める性向、ヒンズー教・仏教・儒教などの東方型宗教 は受動的に調和を求める性向を有するとし、農業社会段階前半期、産業J社会段階前半期はライトモ チーフが進歩であるのに対して磯業社会段階後半期のモチーフは多様性と恒常性であり、その時期 には人類の関心は生産拡大から文化の深化に向かうとして、東方型宗教に基づく中国やインド文明 は農業社会段階後半期の主役として再評価されることとなるだろうとする。 日本の場合仏教・儒教とローカルな自然信仰(後に神道と呼ばれるようになる)を混合させてい たが、明治になって西欧化し文明の乗り換えを行った。しかし、その基盤となる価値原理(キリス − 4 1 −ト教)は取り入れなかった。第2次大戦後ナショナリスティックな価値原理も否定されることとな り、価値原理の空白が生じたところに経済成長という目標がすっぽり入った。 現在われわれは3度目の定常化時代を迎えつつある。それはBC5世紀前後の時代状況とダブっ ている。だから再び何らかの根本的な思想の生成が待たれている。その内容は、①有限性:地球の 有限性認識が基本にある。②多様性:メタ普遍思想が必要。それは多様性ということを横極的に組 み込んでいるであろう。「ローカルからの出発」にもかなう。 人類史的文脈で見れば、狩猟段階・農耕段階・産業化段階の各前半期は「人間と自然」の関係が 大きく変わる時代、各後半期は資源制約の顕在化や生産過剰の結果として人々の関心が『人間と人 間」の関係あるいは「人」そのものに移り、個人や文化の内的な発展あるいは質的な深化とともに 「ケア」そしてコミュニティというテーマが前面に出る時代となる。ポスト資本主義的文脈では、 現在、市場経済を超える領域が大きく展開し、新しいコミュニティ創造ということが中心的な課題 となる。また、日本社会固有の次元では、後発型都市化や産業化を経てきた日本社会における関係 性の組み換え、あるいは独立した個人のつながりの確立という課題があるとされるのである。 以上が第3部の要旨であるが、広井氏の見解は都市型コミュニティ、あるいは、「独立した個人 のつながり」といったものの確立に期待しすぎている感じがする。そういった方向の?限界、ないし 負の側面の検討も必要なことを、次に述べるヨーロッパでの宗教紛争状況からさらに強く感じてい る。 [3]宗教の行方 2009年から10年にかけての冬休み中、『コミュニテイを問い直す」の第3部を頭に置きながら動 いていた。 前記のように、12月25日∼28日台湾を旅行した。夜東京から台北に着いたらちょうどクリスマス で、街にはデコレーションのあかりが輝いていた。長老派教会も見た.27日に台東から台北に向か う列車内でたくさんの尼さんを見かけた。たまたまかと思ったのだが、日本に戻ってから調べたら、 た ま た ま で は な い こ と が ハ ツ キ リ し た 。 例えば、西川澗「台湾にみる内発的発展」(文献⑪所収)によれば、台湾では今日仏教が隆盛を 誇っている。最近20数年間に台湾の仏教徒は500万から1000万以上へと急速に伸びた(台湾の人口 は現在2300万人).1970年代以降の社会.の急速な変化に人々が心の支えを切実に必要としたのであ る。従来の道教等では答を提供できなかった。大陸から1949年以降共産化を逃:れて台湾に渡った多 くの僧侶や信徒達が仏教リバイバルの引き金になった。1970年代以降の時期に仏教は『台湾化」し た。「人間(じんかん)仏教」として蘇った。大乗という起源もあり、とりわけ禅を軸として1970 年代以降に発達した。仏光山等台湾の五座山といわれる諸宗派はいずれも禅宗から出発している。 自らの救いが現世から逃れることによって得られるのではなく、人々の間に仏教の倫理を確立して 望ましい社会を目指すことにこそ救いがあるとする。そのため、慈善、教育、衛生、文化等の必要 性が説かれる。海外にも活動は及び、災害時にもNGOとして直ちに姿を現している。「社会参加」 仏教である.2万人と言われる台湾の比丘、比丘尼の4分の3は女性である。しかも学歴の高い女 性が多い。最大の仏教慈善組織である慈済会は台湾生まれの証厳法師(尼僧)のもとに約200人の 尼僧の委員会によって指導され、「慈善一教育一医療一文化」をセットとした社会奉仕を通じる生 − 4 2 −
沖純大学法経学部紀要第14号 活革新、NGO巡動であり、そこに出家や在家の女性が集まる。そういうことで、「主婦の宗教」と 称される。これら尼僧の大学弘誓学院が新竹県桃閲市の田圃の中にある。 台湾のことと同時に韓国のことが想起された。調以欽『宗教問題」(文献⑫所収)によれば、現 在韓国は多宗教社会となっていて、世界宗教が重掻的に積み蕊なっている。韓国の民族宗教は、 1860年東学運動後に雨後の錆のように現れた・シャーマニズムも健在である。蕊女業を営むムーダ ンはいかなる聖職者よりも多い。統計を見ると、儒教人口は予想よりもはるかに少ないが、旧正月 の民族大移動などの故郷訪問は儒毅の;倫理を反映している.キリスト教は現代韓国社会で最も強力 な社会組織Jであるが、韓国人の情緒、文化、価値観に対する相対的影響力が強いとは言えない。反 対に駆俗は社会的に蔑視。されているので社会組織としての力を発揮することはできないが、韓国の 伝統文化保存の機能を果:たしている。 1月3日∼4日は関西に行った。直接には3日に大阪の釜が崎で行われた沖縄そばの炊き出しの 手伝いのためでrある。昨年は1300食も作ったのだが、今年は900食ぐらいとのことだった.関西沖 純文庫の金城馨さん達がもう長い間毎年やっている。ついでに4日は、天理に行った。非常に大き かった。天理を見てからついでに橿原神宮にも行った。帰る途中、富田林でPL教団の建物も見え た。 天昌理に行く前に五一卜嵐敬喜「美しい都市と祈り」(文献⑬)を読んだ。日本では「政教分離の原 則jが確立していて、宗教が憲法問題として国民の目の前に登場するのは総理大臣が靖国に参拝す るときのみといった状亨況であるが、宗教の社会への浸透を最もよく見ることができるのは天理教で ある。宗教名が自治体の名称となった日本で初めての都市であり、正真正銘の宗教都市である。信 者数200万人。1838年、開祖中山みきによって始められた。神殿は神社よりも寺院に近いゅそこで 弾圧を避けるため、神社に由来する千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)が一体となった鬼瓦を採用 し国家神道のイデオロギーを表現した。「おやさとやかた計画」というものがあり、神殿から8町 (約870メートル)線上に正確に正方形に68棟の建物を建てる予定なのだという。1周365キロの城 塞都市である.建物には救済機能が集められる。教青、病院(よろず相談所憩いの家)、宿泊施設 (親里)、博物館など。現世のィ苦に対応する。神殿には誰でも、どこからでも、いつでも入れる(四 方正面)。拝観料を取らない。自給自足を目指している。「おぢば帰り」で信者が集まるとき1回で 18万人分の食事を作る準備ができているという。「ひのきしん」という信者のボランティア行為で 長い渡り廊下はピカビカに磨き上げられている。その長い廊下を歩いていたら足が凍るようだった. バルセロナのサグラダ。ファミリアは完成まであと200年かかると言われているが、おやさとやか たも完成するまでに相当の年月を要すると爵われている。自治体としての天理市との間には、当然 というべきか、距離がある。 正月に大臣が伊勢神宮に参拝しているテレビニュースを見ながら、なぜ伊勢神宮参拝は許される のか?と恩づた。公明党が政権担当できたのはなぜか?宗教関係の私;立学校への補助金支給はなぜ 違憲でないのか?日本における政教分離の基堆は何なのか。 そんなことを考えていたらまず、1月9日の朝日新聞に『ブル力蒋用、罰金10万円」という記事 が救った。フランス与党がそのような法案を準術しているのだという。ブルカというのはこの記事 によればアフガニスタンなどで藩用が広がっているベールだそうで、写真を見るとほとんど頭部全 体を覆っている。この問題は、2004年にスカーフ禁止法ができたときに講護で取り上げたことがあ − 4 3 −