国鉄改革と整備新幹線(1)
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第57巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.57,No.2. 平成19年2月 February,2007. 国鉄改革と整備新幹線(1) 一. 曲. ′ ヽ. 北海道教育大学教育学部旭川枚社会学研究室. TheRenewalProcessofJapanNationalRailwaysandSeibi−ShinkansenProject(1) KADO Kazunori. DepartmentofSociology,AsahikawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 本稿は,整備新幹線建設の過程について,特に第一次オイルショック以降から,JRの誕生に至る国鉄改 革までの時期を対象としてまとめたものである.本稿の課題は主に二点である.ひとつは,国鉄改革の背景 にどのようなことがあり,それが整備新幹線建設とどのような関連性を有するかを推定するために,一連の 過程を整理することである.もうひとつは,ほぼ同時期に展開された名古屋新幹線公害訴訟と東京・埼玉に おける新幹線建設反対運動が,その後の新幹線建設にどのように影響したかを推定するために,一連の過程 を整理することである.. 前者については,改革の根本に,独立採算の原則を実現するために,政治からの自立性の確保や適止経営 規模などの観点から,分割民営化という方針が成立したことを概観した.後者については,東海道新幹線の 「成功」以降,国鉄の看板となった新幹線が,「夢の超特急」から「騒音・振動源」へと意味変容すること によって,建設に際してより多くのコストを要求されるようになっていくことが明らかとなった.. はじめに. する大きなハードルとなった. 本稿と次稿は,石油ショック以降の,整備新幹. 1973年,全国新幹線鉄道網の一部として,整備. 線の取り扱いをめぐる政策過程を詳述していく.. 新幹線計画が策定された.しかし,石油ショック. 国鉄改革と並行しながら,自民党議員を中心とす. に端を発した財政難により,整備新幹線計画は凍. る整備新幹線着工への努力が継続され,整備新幹. 結を余儀なくされる.それだけではなく,国民健. 線に慎重な勢力と,整備新幹線を推進しようとす. 康保険・食料管理会計(コメ)と並び3Kと称さ. る勢力との間での駆け引きの結果,後の整備新幹. れた国鉄の赤字増大は,整備新幹線建設の足かせ. 線建設の諸前提を形成していく過程について概観. となり,計画の存続自体が危ぶまれる一面もあっ. することを全体としての目的とする.. た.また,同じ時期に,東海道新幹線沿線におけ る騒音・振動が顕在化し,これも新幹線建設に対. まず,前半にあたる本稿では,60年代半ばから から徐々に深刻化していった国鉄経営を概観し,. 87.
(3) ᅗ㕪䟺㻭㻵䟻 ⮤ᐓ⏕⮤ິ㌬ Ằ㕪 ႜᴏ⏕⮤ິ㌬ ⮤ᐓ⏕䝔䜽 ⯢⯟ 㻔㻜 㻜㻓 ᖳ. 㻔㻜 㻛㻘 ᖳ. 㻔㻜 㻛㻓 ᖳ. 㻔㻜 㻚㻘 ᖳ. 㻔㻜 㻚㻓 ᖳ. 㻔㻜 㻙㻘 ᖳ. 㻔㻜 㻙㻓 ᖳ. 㻔㻜 㻘㻘 ᖳ. 㻔㻜 㻘㻓 ᖳ. ᗐ. ᗐ. ᗐ. ᗐ. ᗐ. ᗐ. ᗐ. ᗐ. ᗐ. 㻔㻓㻓㻈. 㻛㻓㻈. 㻗㻓㻈 㻙㻓㻈. 㻕㻓㻈. 㻓㻈. ႜᴏ⏕䝔䜽 ⯗✭.
(4) 国鉄改革と整備新幹線(1). 表1 国鉄の工事経費・損益・長期負債(単位:億円). 表2 新幹線の工事費比較. 工事経費 利益積立金 または 長期負債 補助金 経常収支 累計 繰越欠損金 1960年度 1961年度. 525. 1962年度. 1022. 1963年度 2834 1964年度 5348 1295. 1965年度 8585 田 1966年度 1967年度 1968年度 1969年度 1970年度. 11868 15375 19179 22946 26630. −536 −1477 −2821 −4137 −5654. 332. 3620 4230 5407 6890 8313 11102 13689 16435 19306 22491 122 1971年度 30594 −7996. 1972年度 1973年度 1974年度 1975年度 1976年度 1977年度 1978年度 1979年度 1980年度 1981年度 1982年度 1983年度 1984年度 1985年度 1986年度. 35642 42745 49591 56658 63289 71159 81454 91651 101721 111906 120792 128305 134798 139066 144397. −300 −1230 −601 −941 −1344 −1366. 延 長 工事費 1kmあたり費用 (km) (億円) (億円) 515 3300 東海道 山 陽(新大阪一岡山) 160.9 2200 山 陽(岡山一博多) 392.8 6900 東 北 496.5 26600 上 越 269.5 16300. 6.4 13.67 17.57 53.58 60.48. 出典:角本(1995). 1.2 運賃抑制 26307. −1517. 国鉄経営危機は,過剰投資の一方で,インフレー. 30と;71 303 −2342. −11411 1543 37191 405 −3415 −15955 3795 43679 942 −4344 −22463 7898 55381 1491 −6508 −31610 14245 67793 1979 −9147 −35146 20333 79986 3590 −9141 −43486 25474 94270 4410 −8339 −52353 30916 110023 5376 −8667 −60568 35396 126893 6130 −8216 −65009 41502 143991 6761 −10084 −75868 48173 161515 7334 −10659 −89646 56657 180456 7294 −13778 106250 67386 199832 7018 16604 −122754 78043 218269 6474 −16504 −141212 90629 235610 6001 −18478 −154822 97558 250652 3776 −13610. 出典:角本(1995),国土交通省HPより筆者作成. ションによる国民生活の混乱を危惧した政府の物 価抑制策に基づく国鉄の料金据え置き政策が,運 賃収入を相対的過小に追い込んだことにも起因す る.図3は,国鉄の初乗り運賃と消費者物価指数 の推移を比較したものである.高度経済成長末期 のインフレ傾向だけではなく,田中角栄内閣によ る日本列島改造論と第一次オイルショックの影響 で,1970年代前半は急速にインフレが進んだとい われるが,ちょうどその時期に国鉄の運賃が抑制 されている.仮に,図3の,初乗り運賃の棒グラ フと消費者物価指数の折れ線グラフとの開きが適. である.角本は,新幹線建設に対する投資が,国. 正運賃との禿離の度合いを表しているとすれば,. 鉄の工事経費増大の主要因であると指摘する.表. 轟離の激しくなった1970年代半ばに国鉄経営は急. 1をあらためてみると,特に,東北新幹線の建設. 速に悪化しており(表1参照),政府の公共料金. が本格化した1972年度以降,工事経費の増大が顕. 抑制政策が国鉄経営の破綻要因のひとつと考えら. 著である.また,難工事区間もあり,後述するよ. れるのである.1976年以降,連続して運賃改定が. うに騒音・振動対策を施す必要に迫られた新幹線. 行われているが,その頃はすでに,国鉄の年間経. 建設は,東海道・山陽新幹線建設に比べて格段に. 常赤字は9000億円を突破する額になっており,そ. コストの高い事業となってしまった.表2は,東. の後収支は若干の改善を見せるものの,総体的に. 海道・山陽・東北・上越新幹線の1kmあたりの. 評価すれば十分な効果があったとはいえない.. 建設単価を示したものであるが,東北・上越新幹 線の建設単価の「膨張」が際立っている.. この背景には,特殊会社=公社としての国鉄と. いう,制度上の問題があった.当時,鉄道運賃は. 建設費は,この数値には算入されていないが,そ. れを含めて,過大投資が国鉄破綻の主要因であっ たと判断されるわけである.. 点空車賓亜桝禁. が建設主体となった上越新幹線や青函トンネルの. 000︵U O O O▲‖−0 00〇一じ一U O O<u O..〇. うことが理解される.そして,日本鉄道建設公団. 98■/6■h︺4 32・■− ■‖−. 線は国鉄の身の丈にあった投資ではなかったとい. ︵巴︶世職コ状犀. しているが,上記のことから,明らかに東北新幹. 0 0 0 0 0 0 0 0 ▲﹁ 2 0 8 8 4 2. 角本は,山陽新幹線以降の新幹線建設を問題視. ■初乗り運賃◆消費者物価指数(基準年2000年). 図3 国鉄初乗り運賃と消費者物価指数の推移. 89.
(5) 角. 運輸省による認可制であったため,国鉄にとどま らず,私鉄各社も運賃の値上げに関する自由は小 さかった.国民感情を優先した公共料金抑制政策. 一 典. 500 480 300 200. の一環として,鉄道運賃も抑制傾向にあった.こ. 100. とに,さまざまな事柄について国会の議決を必要 とする国鉄の場合には,政治の介入が私鉄各社よ りも厳しかった.経営規模が跳びぬけて大きかっ. 0. 度 ■職員数. 442. 448. 462. 480. 430. 414. 277. 201. 図4 国鉄職員数(単位:千人). たことも,運賃抑制の影響をさらに大きくした.. また,国鉄再建法以降の改革によって線区別の. ために経営幹部が提案する諸施策は,ことごとく. 運賃が導入されるまで,国鉄の運賃は全国一律と. 労働組合にとって批判の対象となる.国鉄内部に. されていたことも問題とされなければならないだ. おける職場規律は,末期においてはかなり乱れて. ろう.乗車効率の比較的よい大都市圏交通と都市. いたというが,それは,管理者側と被管理者側と. 間交通に比べて地方ローカル線での高コスト体質. の対立が先鋭化したことと無関係ではない.. は顕著であった.にもかかわらず,運賃が全国一. 労働組合は,赤字ローカル線廃止に対しても反. 律とされていたのは,公社としての,公益企業と. 対した.自らの雇用を考えれば,赤字ローカル線. しての国鉄という建前によるところが大きい.. の維持は必要なこととなる.国鉄が公営企業であ りかつ公社であるということを前面に打ち出し,. 1.3 過剰人員と労使関係の悪化 投資の過剰だけではなく,人員の過剰も慢性的. 地域交通を守るという観点から,労働組合は赤字 ローカル線の維持を強く主張し続けた.. であった.戦後まもなく,朝鮮半島や台湾といっ. しかし,1975年に行われたスト権ストの事実上. た植民地を失った日本に大量の帰還者が戻ってき. の失敗以降2,国鉄関連の労働組合における力の. たが,国鉄も,旧南満州鉄道の従業員を雇用する. 低下が起こりはじめる.国鉄改革の議論が進展し. などの影響で,一時は60万人を超える人員を有し. ていく1980年代に入ると,一部の組合は国鉄経営. ていた時期もあった.そのような過渡的な余剰人. 者側の提案に応じるようになり,国鉄労働者の「団. 員は次第に整理されていったが,高度経済成長以. 結」は崩れていった.労組の力の低下は,職員数. 降も人員は40万人台が維持された(図4).これは,. にも影響を及ぼし,分割民営化までに職員数は. 国鉄にとって必要な人数であったというよりは,. 20.1万人まで減少している3.. むしろ,当時日本最強の労働組合といわれた国労 などの存在によるところが大きい面もある.労働 組合の存在意義のひとつは,組合員の雇用・賃 金・福利厚生の確保である.これらの要求は,経. 営の観点とは相対立するものであり,経営改善の. 2 匡Ⅰ鉄による経営改善計画 2.1 財政再建計画の挫折. 1968年度版以降,運輸白書において国鉄の財政. 2 スト権ストは,国家公務員法および地方公務員法によって禁止されているストライキの権利を認めさせるため,公労協が 行った大規模ストライキである.スト権ストでは,当時の国鉄の最大労組である国鉄労働組合(国労)と,運転手を中心に 結成された国鉄動力車労働組合(動労)が参加し,1975年の11月25日から12月4日まで,国鉄のほぼすべての列車がストッ プした.しかし,トラック輸送などによる代替が功を奏し,公労協が期待した国民生活への影響がほとんどなかったため, 事実上敗北と評価されている. 3 国鉄再建監理委員会は,赤字ローカル線を整理し,分割民営化を行った時点での,全体の適正人員を15.8ガ人と試算して いる.そして,これに各社Z割程度の増員と,バス会社等の1万人程度を加え,分割民営化時点で20万人の人員とするとい う計画を打ち出している(国鉄再建監理委員会編,1985:123).. 90.
(6) 国鉄改革と整備新幹線(1). 再建が鉄道政策における重要課題として記載され. 1969年5月9日,旅客運賃が平均15%値上げさ. るようになる.同様に,国鉄経常の改善は,時の. れるとともに,日本国有鉄道財政再建促進特例措. 政府にとって重要な政策課題と認識されるように. 置法が公布・施行され,これに基づき,1969年に. なったが,改革は遅々として進まない状況が続く. 第一次再建計画が策定された. この計画においては,①政府管掌債務の利子を. こととなる4. 1968年,国鉄諮問委員会は,輸送量の少ないロー. 事実上棚上げし,再建期間中に利子相当額の長期. カル線を廃止してバス転換するべきという趣旨の. 資金を貸し付ける,②1965∼75年度までの工事資. 意見書を碇出,①営業キロが100km以下で,鉄. 金について,新規調達資金の利子負担額の一部を. 道網全体から見た機能が低く,沿線人口が少ない,. 補助することなどが計画の骨子となった7.この. ②定期客の片道輸送量が3000人以内,貨物の1日. 計画において,政府が国鉄の財政再建の基本方針. 発着600t以内,③輸送量の伸びが対抗輸送機関. を閣議決定,国鉄はこの基本方針に基づき各種の. を下回り,旅客・貨物とも減少している,などの. 経営の合理化・近代化等を内容とする再建計画を. 基準をもとに,廃止・バス転換が安当な83線,約. 作成し,運輸大臣の承認を受けることも明記され. 2400kmを具体的に指摘しが.しかし,実際に. た8.これにしたがって,1969年9月12日,「日本. 廃止になったのは12線,116kmにとどまり(表. 国有鉄道の財政の再建に関する基本方針」を閣議. 3)6,委員会の意見書は事実上骨抜きにされた形. 決定,これは,1978年までの10年間の再建期間中. となった.皮肉なことに,この期間中新たにロー. に,国の施策と国鉄の徹底した合理化・近代化に. カル線9線128.1kmが開業している.. より,少なくとも最終年皮において償却後黒字を 表3 1968年意見書による廃止決定路線. 根 札 川 三 篠 宇. 線 名 北 線 沼 線 俣 線 国 線 山 線 品 線. 区 間 斜里一越川12.8km 桑園一石狩沼田111.4kmのうち,新十津川一石狩沼田間34.9kmのみ廃止 松川一岩代川俣12.2km 金津一芦原4.5km[1] 篠山口ー福住17.6km 広島一上大河2.4km. 鍛冶犀原線 板野一鍛冶犀原6.9kⅡ1. 唐 津 線 世知原線 臼ノ浦線 幸 袋 線 細 島 線. 山本一岸嶽4.1km 肥前吉井一世知原6.7km 佐々一日ノ浦3.8km 小竹一二瀬・幸袋一伊岐須(貨)10.1km 日向市一細島3.5km. 廃 止 年 1970年12月1日 1972年6月19日 1972年5月14日. 1972年3月1日 1972年3月1日 1972年4月1日 1972年1月16日 1971年8月20日 1971年12月26日 1971年12月26日 1969年12月8日 1972年2月1日[2]. [1]芦原一三同港間(5.2km当時は休止線)を含め廃止. [2]旅客営業を廃止した日.その後日豊本線の無名支線となり,1993年12月1日廃止.. 4 湯浅によれば,1957年以降に国鉄が策定した3つの長期計画は拡大路線であったという(船橋/角/湯浅/水沢,2001: 149).その流れが,危機的な状況を迎えていた国鉄の再建への力を削いだ可能性はある.かつて,国鉄のローカル線建設は, 政治家を中心とした利権の温床であっただけでなく,国鉄内部でも,特に技術系職員の間では,拡大を支持する傾向が強かっ た.. 5 この中には,標津線・深名線・会津線など総延長100kmを超える路線も含まれていた.結果的に,このとき廃止を免れ た路線の多くは,国鉄分割民営化の際に特定地方交通線に指定され,廃止・バス転換もしくは第三セクター化されている. ちなみに,第一次特定地方交通線28線,第二次地方特定交通線14線,第三次地方特定交通線6線,民営化後に廃止・第三セ クター化5線,現在もJR経営で存続18線となっている.. 6 これ以外に,名指しされなかった4線19kmが廃止されている. 7 また,これとは別に市町村納付金の軽減の措置がとられている. 8 近代化の対象となったのは,都市間旅客輸送・小長距離大量貨物輸送・大都市通勤通学輸送の3つだったが,政治的圧力 等の影響もあり,ローカル線建設も引き続き行われた.. 91.
(7) 角. 一 皿. 生ずるよう,財政再建を図ろうとするものである.. ローカル線の整理も地方の抵抗のために成果が上. 国鉄はこの基本方針に基づき,1970年2月16日,. がらなかった.結局,第二次再建計画も成果をあ. 「日本国有鉄道の財政の再建に関する経営の基本. げることなく1975年度で打ち切られることとなる.. 的な計画」を定め,同月19日運輸大臣の承認を受 けた.. しかし,第一次再建計画は実質的な効果を上げ. 2.2 匡l鉄再建対策要綱の成立と限界 1975年7月から運輸大臣主催の国鉄再建問題懇. ることなく1972年に打ち切られる.運輸自書は,. 談会が設置され,16回の会合を重ねた末の結論が,. 計画が破綻した理由について,自動車輸送に需要. 12月の「日本国有鉄道再建対策要綱」閣議了解と. を奪われたこと,特に貨物輸送においてトラック. して結実,新たな再建計画が進められることと. 輸送の伸張によって貨物の収支が悪化したこと,. なった.. 人件費の伸びが計画以上に大きかったこと,の2. 要綱の骨子は,累積赤字の一部である2兆5404. 点を指摘している.1972年,国鉄財政は,運賃収. 億円について国が20年元利均等償還ベースで利子. 入で人件費および物件費をまかなえない状態にま. 補給・償還額の無利子貸付け,1976年度に実収. で陥ってしまう.. 37%・名目50%増の運賃改定を行ったうえで,健. 国鉄は,1973年度から先の計画に代わる第二次. 全経営維持のための措置として,. 財政再建計画をスタートさせた.これも,1982年 度までの10年間を計画期間とし,最終年度までに 損益計算を黒字にするという目標の下に策定され. ①1980年度までに5万人の要員合理化を行う とともに要員増を抑制する.. た.内容としては,国の助成・国鉄の合理化・運. ② 赤字ローカル線については,地域住民の利. 賃改定の3つの在からなっており,国の助成は,. 便と自立経営上の負担の程度を勘案しつつ,. ①再建期間中の工事費の10分の1(1.5兆円)の. 国鉄がその取扱いを検討することとするが,. 出資および一部利子補給(国鉄の負担を3%とし,. 国においても積極的な支援を行う.. 残りを国が負担),②長期債務の利子相当分の貸. ③ 貨物輸送は,現在の輸送機能の維持を前提. 付および当該貸付利子の全額補給,③日本鉄道建. に,当面1980年度において固有経費を賄うよ. 設公団に対する助成を国鉄並みとし,これによっ. う所要の近代化・合理化等の施策を講ずる.. て国鉄へのリース科を軽減,の3つの施策,国鉄. ④ 資産の有効活用・適正処分・附帯事業の増. の合理化は,①経費節減・機構改革・資産処分・. 収を計画的に推進する.. 資産活用等による経営近代化・生産性向上,②赤. ⑤ 国鉄の自主経営能力を強化するため,運賃. 字ローカル線の整理を,地元の同意を得ながら積. 決定方式の弾力化について早急に検討する.. 極的に推進,③人員削減(1969年度から1978年度. ⑥ 設備投資は効率的に行うとともに,他交通. までのトータルで11万人)および人件費抑制の3. 投資とのバランスを勘案して,利子負担の軽. 点が謳われた.運賃については,1973年度・76年. 減を図るため工事費補助制度は継続する.. 度・79年度の3度,それぞれ実収約15%増,1982 年度に実収約10%増となるように,段階的に改定. などの内容が盛り込まれ,これを基礎として,第. していくとされた.. 三次再建計画が策定された.1976.77年度の2年. しかし,オイルショックの影響等による公共料. で収支均衡を図ることを目標とし9,都市間旅客. 金抑制によって運賃改定ができなくなり,労使関. 輸送・大都市圏旅客輸送・中長距離大量貨物輸送. 係の悪化で人員削減や人件費抑制も進まず,赤字. を基幹とし,地方ローカル線については国の支援. 9 1977年1月の閣議了解において1979年度までに収支均衡を図ることと改定された.. 92.
(8) 国鉄改革と整備新幹線(1). を受けながら取り扱いを決. 表4 国鉄再建の基本方針. 定し,独立採算性を指向し. l開の脚. た自立経営を行うことを目. ‡. 指すものとされた.具体的. 竜)餌托ある蹄常体封哺寵 ㊥ 誓言津野旅の.正常化. ㊥ 耳郷間・阿見lの嘲と略力.  ̄‘一■−■ ̄ ̄ ̄遡倒改虹■一…山一 ̄′1■■■■■ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄. l.収支の那化血路止.  ̄▲■‘▲層雲冨就㌍諾塁莞院主詣耶. な施策としては,貨物輸送 斬閉め封帝甘鯉 黙雷め裡苛 日英騨常碍門 崩∃何重般の鰻 舶朋紺沌 珊瑚l監禁漂 封印脛巾に. 等の近代化・合理化等を行 うことにより1980年度まで. 一弘卓1凋陀問瀾嘘偲闇憧 日脚阿脚代 錮献策鮎臨封印鮒た細井d. 際鍍の座骨努力 椚簡 松の効 の 罠許故酋) 補充揖. に要員増を含め1.5万人の 冊一己勤準推の低い郎門 形成すろため. 要員縮減,運賃決定の弾力. 国の助成措置(長期債務の 棚上げ)を行うこととした.. 相即行脚旺.との澤朗 こiごここざ二苫㌣. 日出鼎上のニ.可人. 熟 成狩贈 ち血 屯. 化,経営改善計画の策定,. を刊■」艦しつつ,洒明朋l〃陀採卵すろ嘔. l一三二 ̄ ̄:. り澗沌噛化な. f‘l苫11の軒蛇. 関空華環羞評押印. ). ’う亨 繋椚廓字め処理…収賀だ価帖揖弦でに翼罰きれる赤軍棚肌国鉄の僻督努力.間市棚上け噂により解約甘阿る.. これにしたがい,政府は 1976年度に債務棚上げ・工事費負担の軽減・地方. むしろ,1975年度首に6.7兆円だった長期債務は,. 交通線運営費の一部補助など,国鉄に対して総額. 79年度首に12.6兆円とほぼ倍増しており,第三次. 3594億円(前年度から911億円増)の補助を決定,. 計画も失敗に終わったことを物語っている.. さらに1977年度には,大都市交通施設整備費およ. び運営費補助・地方バス路線運営費補助等を新た. 国鉄と管理責任者である政府は,新たな対応を 迫られることとなったのである.. に加え,総額4457億円の助成が行われた.1978年 度はさらに防災事業費補助金等5項目追加が追加 され,補助金額は総額で5400億円に達した.. しかし,大幅な運賃値上げに対して批判の声は 強く,11月になってようやく値上げ法案が可決に 至ったが,結果としては半年以上計画が遅延する. 2.3 国鉄経営再建促進特別措置法 三度にわたる経営改善計画が実質的に失敗に帰 したため,政府はさらに抜本的な対応をとること が必要となった.. 1979年12月29日,政府は「日本国有鉄道の再建. こととなり,また,運賃改定の弾力化や投資範囲. について」を閣議了解,1980年2月20日,「日本. の拡大など,国鉄の自立経営を促進させようとす. 国有鉄道経営再建促進特別措置法」(以下国鉄再. る内容を含んだ法案審議も長期化した.ようやく. 建法)案を国会に碇出した.大平首相の死去によ. 1977年になり法案が議会を通過し,それを踏まえ. り衆議院が解散したため,法案は一時廃案となっ. て政府は12月29日に「国鉄再建の基本方針」(表4). たが,再度審議に付され,11月4日に衆議院を通. を閣議決定した.. 過,28日に参議院を通過して法案が成立,12月27. これにより,表面上は国鉄の自律性は高くなっ. 日に国鉄再建法が公布・施行された.. た.しかし,度重なる運賃改定によって,旅客で. 国鉄再建法は,1985年度までに国鉄の経営の健. は,主に都市圏輸送における国鉄離れが加速する. 全性を確保するための基盤を確立することを目標. とともに,中長距離においても航空機との比較優. として,国鉄の経営改善計画の作成,実施の義務. 位が低卜した.収支均衡実現のために投資を十分. 付けおよび監査委員の増員による経営改善の推. に行うことができず,近代化が遅れた貨物部門に. 進,1979年度末債務の一部(5兆599億円)につ. おける漸減傾向にも歯止めがかからなかったこと. いての棚上げ措置等,国による助成措置の強化の. もあり,増収策が十分な効果をあげることはな. 他,地方交通線対策が盛り込まれた.全国一律に. かった.人員削減については目標を達成すること. 扱われてきた国鉄の鉄道を,幹線系と地方交通線. ができたが,収支の改善に大きな効果はなかった.. 系に大きく分け,これまでの再建計画では曖昧な. 93.
(9) 角. 一 皿. 表現にとどまっていた地方ローカル線を整理する. に要する費用・特定地方交通線の廃止の円滑な実. という方向性が明確に打ち出されたのである.. 施を図るための費用や転換後のバス事業等の運営. 地方交通線対策は具体的な内容は以下のとおり. に要する費用に対する助成措置など所要の措置を. である.国鉄が運営の改善のための適切な措置を. 講ずることとした.. 講じたとしてもなお収支の均衡を確保することが. 1981年3月11日,地方交通線および特定地方交. 困難な路線である地方交通線に関して,徹底した. 通線の選定基準等を定めた経営再建法施行令が公. 合理化・特別運賃の設定を行うとともに,鉄道に. 布・施行された.これに基づき4月10日,地方交. よる輸送に代えてバス輸送を行うことが適切な路. 通線の選定(175線:10161.3km)について,9. 線である特定地方交通線については,路線ごとに. 月18日,第一次特定地方交通線の選定(40線:. 設けられる特定地方交通線対策協議会において,. 729.1km)について,それぞれ運輸大臣の承認が. 関係行政機関・関係地方公共団体の長等による協. なされた10.特定地方交通線の選定基準は,旅客. 議を行ったうえで,地域における輸送の確保に配. 輸送密度4000人未満とされたが11,第一次特定地. 慮しつつ,バス輸送等へ転換するための措置を講. 方交通線の場合は,営業キロが30km以下の枝線. ずることとした.また,日本鉄道建設公団に基本. で旅客輸送密度2000未満12,もしくは営業キロが. 計画を指示している国鉄新線についても,特定地. 50km以下で旅客輸送密度500未満の路線とされ. 方交通線の取り扱いとの整合性を図る措置を講ず. た(表5).. ることとした.加えて,国が,地方交通線の運営. また,国鉄は,経営の重点化・減量化など徹底. 表5 第一次特定地方交通線 線 名 営業キロ 輸送密度 転換日 線 名 営業キロ 輸送密度 転換日 783 1984.4.1 バス転換 相生線 36.8km 411 1985.4.1 バス転換 清水港線 8.3km 岩内線 14.9km 853 1985.7.1 バス転換 神岡線 20.3km 445 1984.10.1 三セク化 347 1985.7.1 バス転換 明知線 25.2km 1,623 1985.11.16 三セク化 興浜南線 19.9km 興浜北線 30.4km 190 1985.4.1 バス転換 樽見線 24.Okm 951 1984.10.16 三セク化 渚滑線 34.3km 398 1985.4.1 バス転換 信楽線 14.8km 1,574 1987.7.13 三セク化 白糠線 33.1km 123 1983.10.23 バス転換 高砂線 8.Okm 1,536 1984.12.1 バス転換 美幸線 21.2km 82 1985.9.17 バス転換 北条線 13.8km 1,609 1985.4.1 三セク化 万字線 23.8km 346 1985.4.1 バス転換 三木線 6.8km 1,384 1985.4.1 三セク化 大畑線 18.Okm 1,524 1985.7.1 三セク化 倉吉線 20.Okm 1,085 1985.4.1 バス転換 黒石線 6.6km 1,904 1984.11.1 三セク化 若桜線 19.2km 1,558 1987.10.14 三セク化 久慈線 26.Okm 762 1984.4.1 三セク化 小松島線 1.9km 1,587 1985.3.14 バス転換 盛 線 21.5km 971 1984.4.1 三セク化 甘木線 14.Okm 653 1986.4.1 三セク化 宮古線 12.8km 605 1984.4.1 三セク化 香月 線 3.5km 1,293 1985.4.1 バス転換 丸森線 17.4km 1,082 1986.7.1 三セク化 勝田線 13.8km 840 1985.4.1 バス転換 212 1985.4.1 バス転換 日 中線 11.6km 260 1984.4.1 バス転換 添田線 12.1km 角館線 19.2km 284 1986.11.1 三セク化 室木線 11.2km 607 1985.4.1 バス転換 矢島線 23.Okm 1,876 1985.10.1 三セク化 矢部線 19.7km 1,157 1985.4.1 バス転換 赤谷線 18.9km 850 1984.4.1 バス転換 宮原線 26.6km 164 1984.12.1 バス転換 魚沼線 12.6km 382 1984.4.1 バス転換 高森線 17.7km 1,093 1986.4.1 三セク化 木原線 26.9km 1,815 1988.3.24 三セク化 妻 線 19.3km 1,217 1984.12.1 バス転換 網掛け部分は1968年意見書に掲載されていなかった路線.. 10 この際,漆生線も申請されていたが,乗客の増加が見込めるという理由で対象からはずされた.しかし,第二次特定地方 交通線となり,バス転換されている. 11ただし,これには以下の4つの例外規定が設けられ,一つでも該当した場合には選定されなかった.①ピーク時輸送人員 (隣濱駅間)が,一方向・1時間当たり最大1000人以上の路線,(塾代替輸送道路の無い路線,(彰代替輸送道路が積雪のため 10日間以上不通となる路線,④旅客一人当たりの平均乗車キロが30km以上でかつ旅客輸送密度が1000人以上の路線,⑤将 来沿線に団地などの造成により利用客の増加が見込まれる路線. 12 これも,石炭輸送量が72万t以上の路線は除外された.. 94.
(10) 国鉄改革と整備新幹線(1). した経営改善措置を推進するための「経営改善計. てである.国鉄再建法によって,鉄道は,残す路. 画」(第4次)を策定,5月21日に運輸大臣の承. 線と経常分離する路線との明確な線引きがされる. 認がなされた.. こととなった.それまで,ローカル線の廃止を明. 経営改善計画は,①経営の重点化・減量化と能. 確にしないどころか,新たにローカル線を作り続. 率の向上,②収入の確保,③設備投資の抑制,④. けた政治の大きな方向転換であった.日本鉄道建. 労使関係の改善等からなり,収支改善の目標とし. 設公団が建設中のローカル線も含めて建設が凍結. て,1985年度までに一般営業損益においてできる. され,完成後の受け皿が決定した15線のみが工事. だけ多くの益金を出し,幹線の損益において収支. を再開することができた.これに加えて,ローカ. 均衡を達成するなど健全経営の基盤を確立すると. ル線の分離を促進するために,国鉄再建法の下で. ともに,1986年度以降については可及的速やかに. は1kmあたり3000万円の転換交付金や経営分離. 収支均衡の実現を図ることとしている.. 後5年間の赤字補填(バス転換は全額,鉄路存続. 都市間・大都市圏旅客輸送および大量・定型貨 物輸送に経営を重点化し,地方交通線については. の場合は半額)など,分離を促進する方策も整え られた.. 徹底した合理化を行い,国鉄経営の全体について. 1984年6月22日には,国鉄から申請のあった輸. 減量化施策を講ずることとし,加えて能率の向上. 送密度2000未満の33線のうち,27線,さらに1985. を図ることにより,1985年度に職員35万人体制と. 年8月2日,冬季の代替輸送が確保できたという. し,この他,1985年度までに関連事業で約5000億. ことで,北海道の長大4線が加わり,合計で,第. 円の収入を確保すること,資産処分については. 二次特定地方交通線は31線2089.2kmが対象と. 1985年度までに約5000億円の収入を確保すること. なった(表6)13.このときの路線は比較的営業. としている.. キロの長い区間が多く,距離の上では,特定地方. 国鉄再建法およびそれに基づき国鉄が策定した 経営改善計画での重要な変化は,国鉄経営の大き. 交通線として廃止されたうちの3分の2が該当し ている14.. な負荷となっていた地方交通線の取り扱いについ. さらに,輸送密度4000未満の基準で,1986年5. 表6 第二次特定地方交通線 線 名 営業キロ 輸送密度 転換日 線 名 営業キロ 輸送密度 転換日 士幌線 78.3km 493 1987.3.23 バス転換 足尾線 46.Okm 1,315 1989.3.29 三セク化 広尾線 84.Okm 1,098 1987.2.2 バス転換 真岡線 42.Okm 1,620 1988.4.11 三セク化 勇綱線 89.8km 267 1987.3.20 バス転換 二俣線 67.9km 1,518 1987.3.15 三セク化 羽幌線 141.Okm 789 1987.3.30 バス転換 越美南線 72.2km 1,392 1986.12.11 三セク化 歌志内線 14.5km 1,002 1988.4.25 バス転換 伊勢線 22.3km 1,508 1987.3.27 三セク化 幌内線 20.8kⅡ1 1,090 1987.7.13 バス転換 岩 目 線 32.7km 1,420 1987.7.25 三セク化 492 1986.4.1 バス転換 富内線 82.5km 378 1986.11.1 バス転換 漆生線 7.9km 胆振線 83.Okm 508 1986.11.1 バス転換 上山田線 25.9km 1,056 1988.9.1 バス転換 瀬棚線 48.4km 813 1987.3.16 バス転換 佐賀線 24.1km 1,796 1987.3.28 バス転換 松前線 50.8km 1,398 1988.2.1 バス転換 松浦線 93.9km 1,741 1988.4.1 三セク化 標津線 116.9km 590 1989.4.30 バス転換 高千穂線 50.1km 1,350 1989.4.28 三セク化 池北線 140.Okm 943 1989.6.4 三セク化 志布志線 38.6km 1,616 1987.3.28 バス転換 名寄線 143.Okm 894 1989.5.1 バス転換 大隈線 98.3km 1,108 1987.3.14 バス転換 843 1987.1.10 バス転換 天北線 148.9km 600 1989.5.1 バス転換 宮之城線 66.1km 994 1988.2.1 バス転換 会津線 57.4km 1,333 1987.7.16 バス転換 山野線 55.7km 阿仁合線 46.1km 1,524 1986.11.1 バス転換 網掛け部分は,1968年意見書に取り上げられた路線.. 13 宮城の岩泉線と愛知・三重の名松線は,代替輸送の確保が困難という理由で申請が撤回された. 14 第二次特定地方交通線の選定が大規模なものとなり,実行された背景には,後述する第二次臨調における議論がある.. 95.
(11) 角. 一. 血. 表7 第三次地方特定交通線. 線 名 営業キロ 輸送密度 転換日 線 名 営業キロ 輸送密度 転換日 岡多線 19.5km 2,757 1988.1.31 三セク化 大社線 7.5km 2,661 1990.4.1 バス転換 能登線 61.1km 2,045 1988.3.25 三セク化 伊田線 16.2km 2,871 1989.10.1 三セク化 中村線 43.4km 2,289 1988.4.1 三セク化 糸 田線 6.9km 1,488 1989.10.1 三セク化 長井線 30.6km 2,151 1988.10.25 三セク化 田川線 26.3km 2,132 1989.10.1 三セク化 宮津線 84.Okm 3,120 1990.4.1 三セク化 宮田線 5.3km 1,559 1989.12.23 バス転換 鍛冶屋線 13.2km 1,961 1990.4.1 バス転換 湯前線 24.9km 3,292 1989.10.1 三セク化 網掛け部分は,1968年意見書に取り上げられたもの.. 月27日に3線,10月28日に1線,1987年2月3日. を行った.第二次臨調は,7月30日に第三次答申. に8線,合計12線338.9kmが第三次特定地方交. を発表するが,国鉄改革に関する内容については. 通線として運輸省の承認を受けた(表7).. 第四部会のこの報告がベースになっている.. このようにして,国鉄改革の懸案のひとつで. 第三次答申の国鉄改革に関する部分は,経営状. あった地方ローカル線の整理および新規着工の抑. 況が危機的状況を通り越して破産状況にあるとの. 制は成功を収めた.しかし,国鉄改革はここにと. 認識の下に,公社制度を抜本的に改め,責任ある. どまることなく,新たな展開に向かうこととなる.. 効率的な経営を行い得る仕組みを早急に導入する ため,分割民営化が必要であるとの方針を打ち出. 3 第二次臨時行政調査会と整備新幹線 3.1 分割民営化方針の確立 1981年3月16日,鈴木善幸首相の「増碗なき財 政再建」路線を実現,行財政改革を遂行すべく, 第二次臨時行政調査会(第二次臨調)が設置され. した.その上で,赤字の増大を食い止め,借入金 の増加を抑制するための緊急措置として,(丑職場 規律の確立,②新規採用の原則停止,③設備投資. の抑制,④地方交通線の整理促進等の措置を緊急 に講ずる必要があるとしている.. 分割民営化については,①国鉄を7ブロック程. た.第二次臨調には当初,「基本的調査審議事項」. 度に分割,②各分割地域内においては自動車・船. と「当面の緊急課題」の二つが課題として設定さ. 舶・工場・病院等について極力分離等を図り,地. れ,「基本的調査審議事項」についてはひとつの. 方交通線については私鉄への譲渡を図る,③分割. 専門部会が,「当面の緊急課題」については2つ. は答申後5年以内に速やかに実施し,各分割体は,. の特別部会が設けられ,第二特別部会は国鉄・電. 当初は国鉄現物出資の特殊会社として,将来逐次. 電公社・専売公社のいわゆる三公社に関する議論. 持株を公開して完全民営化を図ることがアウトラ. の場として設けられた15.7月10日,第二次臨調. インとして示された.また,国鉄の長期債務を分. は緊急答申(第一次答申)を発表,第二次臨調の. 割会社にすべて承継させると健全経営の目途が立. 下に新たに4つの部会が設置され,第四部会が三. たないことから,長期債務は分割会社の合理化施. 公社五現業や特殊法人について議論することと. 策と採算性を検討した上で一定の範囲内で承継さ. なった16.. せ,分割会社が承継するもの以外の長期債務は国. 第四部会は9月に発足,以降関係者に対するヒ. 鉄に残置,元利払いは国が国鉄に補填すること等. アリングなどを積極的に行い,1982年5月17日,. により行うという方針も示された.さらに,破綻. 第二次臨調に対して,分割民営化を軸とした報告. が懸念されていた国鉄共済年金については,類似. 15 湯浅は,専門委貞に官僚が少ないことを第二特別部会の特徴として指摘している.第一部会が,専門委貞17名中9名が官. 僚OBだったのに対して,第二部会は12名中4名にとどまり,8名が民間人で占められていた(船橋/角/湯浅/水澤,2001 :151). 16 第四部会の正規委員7名のうち,5名が第二特別部会の委員であり,二つの部会の連続性は非常に高い.. 96.
(12) 国鉄改革と整備新幹線(1). 共済制度との統合を早急に図ることとされた.進. 行政委員会(三条機関)とし,再建のための諸政. 行中の大規模プロジェクト(青函トンネル・本州. 策の執行機関として位置づけられていたが,運輸. 四国連絡鉄道)については完成時点において分割. 省などから,強い権限が与えられると関係行政機. 会社の経営を圧迫しないよう国が措置することと. 関の業務を侵すとの反発があったため,基本答申. された.. ではやや後退した性格づけがなされた.すなわち,. 改革の推進体制については,内閣に国鉄再建関. 監理委員会は審議会(人条機関)として位置づけ. 係閣僚会議を,総理府に国鉄再建監理委員会を設. るが,「限りなく三条に近い八条」(中曽根行政管. 置することとなった.国鉄再建監理委員会の任. 理庁長官)と規定された.. 務・権限は,分割民営化のための再建基本計画の. 発足間もない1983年8月2日,国鉄再建監理委. 企画・審議・決定,基本計画に基づき国鉄が作成. 員会は「国鉄再建のための緊急措置について」を. する具体的再建計画の審査・決定等とされた.. 提言,「経営管理の適正化」「事業分野の整理」「営. この答申にしたがって,8月27日,国鉄再建監. 業収支の改善と債務増大の抑制」の3つを柱とし. 理委員会設置準備のため内閣に国鉄再建監理委員. て,「経営管理の適正化」では,組織全般にわた. 会設置準備室を置く旨の閣議了解を行った.9月. る簡素化・職場規律の確立等,「事業分野の整理」. 24日には,国鉄の経営再建を図るために当面緊急. では,ローカル線の廃止促進・ヤード系貨物輸送. に講じるべき対策について閣議決定,これにした. の全廃・荷物輸送の廃止,「営業収支の改善及び. がい,12月7日,内閣総理大臣を本部長,総務庁. 債務増大の抑制」では,要員削減・地域別運賃の. 長官・運輸大臣を副本部長とする国鉄再建対策推. 導入・設備投資抑制・資産売却などの提言を行っ. 進本部を内閣に設置した.1983年5月20日には,. た.これは,国鉄の策定した第4次経営改善計画. 国鉄再建推進に関する臨時措置法が成立,6月10. を促進するばかりか,それ以上を要求するもので. 日に国鉄再建監理委員会が発足した.. あった.. 1984年8月10日,国鉄再建監理委員会は,「国 3.2 匡l鉄再建監理委員会 国鉄再建管理委員会のメンバーは,会長に亀井. 鉄事業再建についての基本認識」と「当面緊急に 措置すべき事項」の二つからなる第二次提言を発. 正夫(住友電工会長)17,委員として吉瀬雅哉(日. 表した19.「国鉄事業再建についての基本認識」. 本開発銀行総裁),住田正二(運輸経済研究セン. では,公社制度のもとで全国一元的運営を行って. ター理事長),隅谷三喜男(東京女子大学学長),. きたことが経営破綻の原因と分析,分割民営化で. 加藤寛(慶応大学教授)18,以上の5氏が任命さ. 再建の具体策を検討する必要があると述べ,「当. れた.. 面緊急に措置すべき事項」では,要員の大幅縮減. 第二次臨調第四部会報告では,国鉄再建監理委 員会を,公正取引委員会や国家公安委員会と同様,. の必要性を説き,余剰人員対策推進のため,国鉄 に緊急対策本部を設置することを提言している.. 17 亀井正夫は,第二次臨調において,第一特別部会長および第三部会長を務めた. 18 加藤寛は,第二次臨調において,第二特別部会長および第四部会長を務めた.. 19 これに先立ち,1984年6月4日,国鉄再建監理委員会は,第二次碇言のなかに分割民営化の基本方針を盛り込むことを決 定,事前に公表している.分割民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなかにまだ根強い状況を踏まえて,早 めに基本的態度を打ち出して,分割民営化のための世論環境をととのえるという狙いがあったといわれている.6月21日, 仁杉国鉄稔裁が,基本的に分割民営化に賛成との見解を表明(7月6日に発言を修正),三塚博自民党国鉄再建小委員長は『国 鉄を再建する方法はこれしかない』を出版,国鉄再建は分割民営化が基本であると主張した.6月26日には,鉄労中央委員 会が,地域本社制と特殊法人への転換を主張し,国鉄自らの外圧によらない分割民営化を推進するよう]定言した.これらの 流れは,分割民営化の促進に効果があったと思われる.. 97.
(13) 角. 一 皿. さらに,国鉄用地の取り扱いについては,第一次. 幹線保有機構等に分割された.. 提言では売却推進を主張していたが,第二次提言. 3.3 匡l鉄改革をめぐる小指. では,将来の債務償還の財源に充てるべきだと主. 国鉄改革の評価はさまざまであるが,ここでは,. 張を変更している.政府は,上記の碇言を8月14. 整備新幹線を念頭に置きながら簡単なまとめを述. 日に閣議で了承し,最大限尊重することを決めた20.. べておこう.. 1985年1月10日,国鉄は,「経営改革のための. 分割民営化を終着点とする国鉄改革の中で強調. 基本方策」という独自再建案を発表した.この基. されたのは,改革後の新会社が自立可能な経営体. 本方策の骨子は,①1987年4月1日に民営化し,. を作り出すことであった.そのために,借金の大. 徹底した分権管理を前碇に全国一体運営を存続,. 幅な「棒引き」や不採算路線の大胆ともいえる整. ②要員規模を1990年度に18.8万人体制とする,③. 理が行われ,全国一律の巨大組織を分割,公社形. 余剰人員(6.7万人)対策などについて国の支援. 態を廃止して民営化した.改革を推し進めた人々. を求める,というものである.この基本方策の根. の中にあったのは,全国一律の公社という形態が,. 本には,全国一体運営を維持することに狙いが. 規模の不経済とともに政治介入を容易に生み出す. あった.国鉄再建監理委員会は,国鉄の再建案に. 温床であったという認識だったと思われる.それ. 対して批判的であった.1985年6月12日,中曽根. ゆえ,分割民営化により,規模の大きすぎる国鉄. 首相は,分割に批判的な仁杉巌総裁を更迭,後任. を適正な規模に分割するとともに,民営化するこ. に前運輸省事務次官の杉浦喬也を内定,25日の閣. とによって政治の介入を排除することが志向され. 議で正式決定した.杉浦新総裁は再建監理委員会. たわけである.. の方針に沿って政策を具体化する意思を表明,分. 整備新幹線との関連でいうならば,後者の民営. 割反対派の常務理事が一掃され,国鉄当局も分割. 化が重要である.これまでみてきたとおり,国鉄. 民営推進グループで固められた.. は多数のローカル線を「作らされ」,「経営させら. 1985年7月26日,国鉄再建監理委員会は最終答. れた」ばかりでなく21,運賃の決定権も持たず,. 申を中曽根首相に提出した.その骨子は,①1987. 国策の中で適正ではない価格でのサービス提供を. 年4月に,旅客部門を東日本・東海・西日本・北. 余儀なくされた.経営体として自立し,独立採算. 海道・四国・九州に6分割,②30.7万人の職員の. を実現するためには,民間企業として再生するよ. うち,9.3万の余剰人員が発生するが,約2万人. り他ないと,関係者は考えたわけである.. は民営移行前に希望退職を募り,約3.2万人は6. この論理からいけば,当然整備新幹線も,地方. つの旅客会社で抱え,残りの約4.1万人は「旧国鉄」. ローカル線と同じ観点に立った認識がされてしか. に所属させ,3年間で再就職をはかる,③約37.3. るべきである.国鉄改革の過程で,地方ローカル. 兆円にのぼる債務のうち,約20.6兆円は本州3社. 線の新規着工は原則停止され,赤字のはなはだし. の負担と土地売却などで処理し,残り16.7兆円は. い路線については廃止とされた.そして,新たに. 政府=国民負担とする,というものである.この. 路線を建設する際には,それぞれの会社が独自に. 答申は7月30日の閣議で「最大限尊重する」こと. 意思決定することとなったのである.しかし,整. とされ,1987年4月1日,国鉄は6つの旅客会社. 備新幹線の取り扱いについては,地方ローカル線. と1つの貨物会社,そして,国鉄清算事業団・新. とは若干異なった動きが起こっている.実際にど. 20 第二次碇言に対する野党の反応であるが,社会党・共産党は,第二次碇言を国鉄解体論だとして分割民営化に反対の見解 を示した.公明党・民社党は提言を評価し,安当な内容との談話を発表している. 21この点については,既述の事柄でもあるが,国鉄内部でも,建設に意欲を見せる技術者集団の存在ヤ,労働空間の確保の. 点から赤字を過小評価する労働組合の存在があったことも無視することはできない.. 98.
(14) 国鉄改革と整備新幹線(1). のような扱いを受けたかについては,次稿で詳し. 日には,沿線住民2000世帯が参加する「名古屋新. く述べる.. 幹線公害対策同盟連合会」へと発展し,名古屋に おける住民組織の基盤が形成された.. 4 新幹線公害 4.1 名古屋新幹線公害訴訟 1964年10月1日,東海道新幹線は華々しく開業. 住民組織は,国鉄・NHK・名古屋市などと繰 り返し協議を重ねたが,住民側の要求に対して関 係主体の対応は鈍く,場当たり的な対応にとど まった.政府も対応は基本的に同じであり,発足. を迎えたが,建設にあたりほとんどの地域で軌道. 間もない環境庁の新幹線公害対策への努力に対し. 幅分しか用地買収を行わなかった上に,構造も騒. て,運輸省と国鉄の対応は消極的であった.こう. 音・振動に対して無配慮な設計であったため,開. した力学関係は中央公害対策審議会の場にも持ち. 業直後から沿線住民は新幹線による騒音・振動被. 込まれ,1972年3月からはじまった新幹線騒音に. 害に悩まされることとなった22.騒音被害は,線. 関する暫定の環境基準制定の場では意見の集約に. 形を理由に徐行運転を行っていた東京近郊以外の. 手間取った.. こうした閉塞状況に直面し,抜本的な対策を求. 多くの地域で発生した.中でも,住宅密集地帯を. 分断する形となった名古屋市においては,騒音・. めるべく,住民の一部からは訴訟の道を選ぶべき. 振動被害が顕著な形で現れることとなった.. だとする声が上がりはじめる.そして,1974年3. 1965年6月15日,騒音・振動被害に悩む熱田区. 月30日,訴訟に賛同した575名が原告となり,名. の住民114名が名古屋市に対して新幹線騒音・振. 古屋地裁に訴訟を碇起,いわゆる名古屋新幹線公. 動公害の防止対策を陳情した.しかし,これといっ. 害訴訟がはじまったのである.. 住民側の主張は,一定基準以上の騒音・振動の. た対策はとられることなく,むしろ,列車本数の. 増加23・スピードアップ24・車両の増加25などに. 差し止めと損害賠償の2点に大きく集約される.. よって被害は拡大していくこととなる.1967年2. 騒音・振動については,昼間値と早朝・夜間値と. 月4日,名古屋市は市周辺における東海道新幹線. に分け,それぞれ65ホン以下・0.5mm/m以下,. 騒音実態調査を実施,調査結果をまとめた上で,. 55ホン以下・0.3mm/m以下とし,それ以上の騒. 7月28日,国鉄に対して対策を要望したが,それ. 音・振動を発する場合には走行を差し止めるよう. まで住民は,国鉄からも行政からも深刻な被害状. 求めた.1975年7月29日に,環境庁は新幹線騒音. 況の中に放置されたのである.. にかかる環境基準を,住居地域70ホン以下・商工. 状況の改善どころか,むしろ悪化の一途をたど. 業地域75ホン以下と定めたが,住民の請求はそれ. る新幹線公害に対して,1970年10月20日,後に住. を大きく上回るものであった.また,損害賠償に. 民組織のリーダーのひとりとなる森田愛作ら二人. ついては,一律100万円とした.. が「テレビ障害に抗議する会」を結成,1971年10. これに対して国鉄は,真っ向から対立する姿勢. 月10日には,南区・熱田区・中川区の住民が合流. を取った.その論拠となったのは「公共性」であ. し,「新幹線公害対策同盟」に改組,1972年8月20. る.端的に言ってしまえば,新幹線は多数の利用. 22 騒音・振動の他に,テレビ電波障害も各地で報告され,また,東海道新幹線は当初バラスト軌道だったために,新幹線が 跳ね飛ばした砂利で家屋の一部が破壊されるなどの被害も報告されている.. 23 開業時,一時間にひかりとこだまが各一,上下56本だった本数は,1965年11月1日には臨時も含めて100本と倍増,1969 年10月1日には184本,1973年10月1日には211本に達している. 24 開業時,東京一新大阪間は,ひかりが4時間,こだまが5時間だったが,1965年11月1日には,ひかり3時間10分,こだ ま4時間に短縮されている.. 25 開業時12両編成だったものが,1969年12月にひかりが,1972年3月にこだまが16両編成に変わっている.. 99.
(15) 角. 一 皿. 者があるため,その走行を差し止めることは,国. 差し止め請求については,新幹線の公共性を高く. 民生活や国民経済に多大の悪影響を及ぼす.仮に. 評価し,受忍限度の範囲内として棄却した.この. 騒音振動被害が存在したとしても26,全体の利益. 判決に対して,原告・被告は双方とも不服として. と比較考量した場合に,それは我慢の限度内にあ. 上告した.しかし,1985年4月12日の控訴審判決. る(受忍限度論)としたのである.. でも差し止め請求は棄却された上に,損害賠償に. また,この裁判で大きな争点となったのは,騒. ついても認定基準が厳しくなり,賠償金が大幅に. 音・振動レベルを抑えるために住民が要求した減. 減額された.判決を不服として,原告・被告双方. 速運転である.被害住民救済の一環として,国鉄. ともに上告したが,1986年4月28日,両者の間で. の労働組合(動労および国労)が行った減速運転. 和解が成立し,一応の決着をみている.. は,住民の主観上も,客観的な数値としても,騒 音・振動レベルを下げる効果があった.この訴訟 において減速運転が認められた場合には,名古屋. 4.2 東北・上越新幹線建設における反対運動 名古屋を代表とする新幹線公害の激化は,新た. 以外の地域においても同様の措置を取らなければ. な新幹線建設が行われる地域住民の不安を煽り,. ならなくなり(波及論・全線波及論),高速性とい. 山陽新幹線以降の新幹線建設では,各地で住民に. う新幹線の魅力が失われることとなるため,この. よる建設反対運動が発生した.その中で,東京都. 点からも公共性が損なわれると主張したのである.. 北区と埼玉県南部で展開した,東北・上越新幹線. 裁判の過程では,国鉄が騒音・振動についてほ とんど配慮をしていなかった事実が明らかとなっ ていった.実際,国鉄は東海道新幹線建設にあたっ. 建設反対運動は,住民だけにとどまらず,首長や 議会も巻き込んだ大規模なものとなった.. まず動きを見せたのは伊奈町である.国鉄と日. て線路幅以上の用地を確保することはなかった.. 本鉄道建設公団が工事実施計画の認可申請を行っ. 高架についても,基礎杭が6mしかなく,結果. た時点で,ようやく工事の概要が明らかになった. 的にこれが騒音・振動を助長した27.このような. が,伊奈町は東北新幹線と上越新幹線の分岐点と. 背景には,東海道新幹線工事における建設費膨張. されたのである(図5参照).1971年10月11日,. があった.当初の建設費用は,1957年度価格で1725. 伊奈町長を先頭に,国鉄に対して分岐通過反対の. 億円と見積もられていたが,地価の高騰に加え,. 陳情書を碇出するが,14日に運輸大臣が工事実施. 賃金・資材も高騰し,最終的には3800億円にまで. 計画を認可した.伊奈町議会は16日に分岐通過反. 建設費が高騰してしまった.この責任を取って,. 対を決議,対決姿勢をあらわにした.. 当時の十河総裁は辞任に追い込まれているが,当. 1971年11月より,各地で住民説明会が開催され. 時の国鉄においては,国会審議という縛りの下,. るようになると,騒音・振動被害に対する住民の. いかにして建設費用の圧縮を目指すかということ. 不安はいっそう強くなった.こうした住民感情に. が第一の経営課題となり,騒音・振動対策はその. 対して,一部の議会は敏感に対応している.11月. 陰に隠れてしまったのである.また,当時,騒音・. 20日には,白岡町議会が通過反対を決議,24日に. 振動に対する社会の認識がそれほど高くなかった. は,戸田市議会が工事実施計画への反対を決議,. ことも,対策への関心を鈍らせたものと思われる.. 1972年2月18日には,北区議会が現状の新幹線建. 1980年9月に出された地裁判決は,損害賠償に ついては認めたものの,住民側が切に願っていた. 設計画に反対の要請書を国鉄総裁に碇出,3月21 日には,板橋区議会が高架化反対・地下化推進の. 26 そもそも国鉄は,新幹線沿線における騒音・振動を,主観的なものであり,健康被害等との因果関係は認められないとし て,被害があることを否定していた. 27 これ以降,新幹線高架の基礎杭は30mとなっており,一定の防音・防振効果をあげている.. 100.
(16) 国鉄改革と整備新幹線(1). された背景には,名古屋をはじめとする騒音・振 動被害の実態が明らかになっていたということに 加えて,当該地域における重大な計画変更があっ たことも関わっている.1971年10月14日の工事実 施計画認可時点では,大宮一戸田間は地下化され る計画になっていた.しかし,1973年3月10日, 運輸省は,埼玉県と北区に対して,当該地域にお ける地盤沈下が激しいことを理由に計画をトンネ ルから高架に変更,高架を前提とした通勤新線(後 の埼京線)を併設する計画を碇示したのである.. 運輸省の碇案は,地域にとっては「アメとムチ」 の提案であったが,その後の結果は,騒音・振動 に対する住民の不安の方がはるかに大きかったこ とを示している.. 反対運動は広範囲にわたり展開されたが,1975 図5 大宮一上野間概略図(船橋他,1988). 年になると,新幹線駅が建設される大宮において は,経済上の利益をきっかけとして運動にほころ. 決議を行っている.新幹線の騒音・振動問題があ. びが見えはじめるようになる.6月11日,大宮市. る種の泥沼状況にあった当時,住民だけではなく,. 商店街連合会が新幹線誘致決議を行ったのをはじ. 首長や議会も相当の危惧を持っていたことがうか. まりとして,10月4日になると,大宮市議会にお. がわれる.. いて,新幹線の全車両大宮停車など8項目の決議. 首都圏の,東北・上越新幹線沿線の首長・議会. が行われ,議会も新幹線容認に転じた.11月18日. は基本的に建設に慎重な態度を示していたが,こ. には,大宮新幹線対策協議会も新幹線受け入れに. れは住民の意向を汲んだものということができ. 方針を転換,12月2日より国鉄による測量が開始. る.そして,住民も,問題を行政任せにすること. され,事実上建設がはじめられた.1976年になる. なく,運動を組織化して自己主張する道を選んで. と,革新系知事として住民運動に理解を示してい. いる.各地の議会でさまざまな決議等がなされて. た畑知事が,新幹線の受け入れに積極姿勢を見せ. いるのと同時期に,住民の組織化は進んでいった.. はじめる.6月9日,無投票で2期日の当選を果. 1971年12月2日,大宮市では,市長を会長とする. たした畑知事は,新幹線について,スピードダウ. 大宮市新幹線対策協議会が発足,1972年5月2日. ン・大宮での全列車停車・通勤新線の併設を条件. には,新幹線戸田通過反対市民同盟会が発足,ま. として新幹線を積極的に受け入れる姿勢を表明し. た,5月14日には,埼玉新幹線対策住民連絡協議. た.これに同調するように,6月24日には,伊奈. 会が結成された.さらに,1973年5月1日,与野. 町長が,新交通システムの建設を条件とする新幹. 市新幹線反対同盟協議会が発足,19日には浦和新. 線受け入れに方針転換する.さらに,1978年にな. 幹線対策住民連絡協議会が発足,7月29日には北. ると,戸出市長選において新幹線と通勤新線の条. 区新幹線対策連絡協議会が発足した.戸田・与. 件付き受け入れを掲げた斎藤純忠が再選され,県. 野・浦和の組織は1974年4月13日に新幹線反対県. 南三市の共闘にも影が見えはじめるようになる.. 南三市連合会を結成,北区と大宮市の組織ととも. 同じ年の6月29日,北区議会では新幹線の建設受. に住民運動の中核を形成することとなった.. け入れを決議,1979年12月7日には,浦和・戸田・. このような,地域あげての建設反対運動が展開. 与野の3市議会で新幹線建設受け入れの決議がな. 101.
(17) 角. 一 皿. され,議会レベルにおける新幹線受け入れ態勢が. 対策によっても環境基準を実現することが困難と. 整った.. された住居については移転も行われている.しか. 住民・議会・行政の三者による共闘としてはじ. し,環境庁が1975年に定めた新幹線騒音の環境基. まった新幹線建設反対運動の解体は,最終的に住. 準(住居地域70ホン以下・商工業地域75ホン以下). 民間の分裂をも引き起こすこととなる.1979年11. が依然として守られていない地域が多数あり,決. 月20日,与野新幹線反対同盟協議会の幹部が独断. して十分な状況ではないというのが現状である.. で受け入れの方針転換を表明,これをきっかけに. 東北・上越新幹線建設反対運動は,当初住民・. 組織内は条件闘争派と白紙撤回派とに分裂する.. 議会・行政の共闘として展開されたものの,次第. この事態を受けて,12月16日に新幹線反対県南三. に切り崩されていき,運動の目標であった新幹線. 市連合会は会合を開き,白紙撤回の方針を再確認. 建設の白紙撤回を実現することはできなかった.. するが,それぞれの組織内における分裂を止める. しかし,実質的に減速運転を獲得し,通勤新線建. ことは不可能だった.窮地に立った白紙撤回派の. 設などを実現させることによって,一定の成果も. 住民たちは裁判へ活路を見出そうとした.1980年. 得ている.運輸省・国鉄からみれば,地域住民と. 4月24日,埼玉県南三市の住民89名を原告として. 議会・行政が一体となって進められた反対運動に. 工事実施計画認可取り消しの行政訴訟を浦和地裁. よって,東北・上越新幹線の建設計画は大幅に狂. に提起,9月26日には,北区住民203名が,工事. わされ,東京一大宮間の開業を見送り,暫定開業. 差し止めと計画公表による精神的苦痛に対する損. を余儀なくされた.それだけではなく,騒音・振. 害賠償を求めて東京地裁に提訴した.前者は,1983. 動の軽減に努力することが求められ,防音・防振. 年11月28日,浦和地裁が,内部行為論28を論拠と. 対策を徹底させるだけでなく,大宮一上野間にお. して,実質審理に入ることなく訴えを却下,後者. ける事実上の減速運転を行うに至っている29.. は,1984年10月3日,騒音70ホン・振動70デジベ. このように,新幹線公害は,大きく二つの意味. ル・速度110km以下などの条件で和解が成立し. で,その後の新幹線建設への足かせとなった.ひ. ている.. とつはいうまでもなく,特に都市部において騒 音・振動に対する住民の抵抗を引き起こし,建設. 4.3 小指 ここであげた二つの事例について,簡単なまと めと補足をしておこう. まず,名古屋新幹線公害訴訟についてであるが,. が難航したことである.もうひとつは,それに付. 随した騒音・振動対策にかかる費用の問題であ る.表2に示したように,東北・上越新幹線の建 設費用は,東海道・山陽新幹線に比べて格段にコ. 結果として,住民の求めていた差し止め請求は認. スト高となった.物価・地価の上昇や,東京一上. められずに終わり,技術改良により新幹線はさら. 野間の地下化・長大トンネルの建設などの要因も. に高速化,そして本数も増加している.その一方. もちろんあるが,それに加えて騒音・振動を抑制. で,騒音・振動対策も進展しており,また,沿線. するための費用もかなり大きな要因となっている. における防音・防振工事も,一定の基準内におい. ものと考えられるのである.. て進められていったため,騒音・振動のレベルは 卜がっている.また,少数ではあるが,いかなる. (旭川校助教授). 28 運輸大臣から国鉄への認可は行政内部での行為に過ぎず,国民の権利義務に関わるものではないため,訴訟の対象になら ないという考え方. 29 国鉄およびJR東日本は,大宮一上野間における減速運転を「線形上の理由」としており,地域からの減速運転要求に応 じたものではないということを強調している.. 102.
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