旅人・憶良についての一考察(3) : 「空し」を中心にして
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(2) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和45年7月. 旅 人 ・憶 良 につい ての一考察 (3) - 「空し」 を中心にして -. 土. 田. 知. 雄. 北海道教育大学旭川分校国文学研究室. i ChikaO TSUC日工DA : A study 。n Tab to and okuraー } 3. --Centering upon “ Munashi”--. 大伴旅人の宰府の地の作なる 大宰帥大伴卿報二 凶問-歌一首 ノ ニ ニ グ シ ク キ ラ リ ス ラ シリ ス 禍故重畳, 凶問累集. 永 懐二崩心之悲「 独 流二断腸之泣「 但依二両君 大助-. 煩命纏 継. 筆不し尽 言. 古今所 歎. 世の 中 は空 し き もの と 知 る 時 し い ょ ょます ま す 悲 しか りけ り 耳,. (5・793). )筆 者 も か つ て 論 じた こ と が あ るが, い ま さ らに 考察 を 深 め た い. さ て, の 「空 し」 に つ い て は, 1. この語の解釈については, 次の数種が行なわれている. ( a ) 無常の意とするもの 万葉集全釈 (鴻巣盛広) 万葉集講 義 (山田孝雄) 万葉集全註釈 (武. 田祐吉) 評釈万葉集 (佐佐木信綱) 万葉集評釈 (窪田空穂) 上代語辞典 (丸山林平) ) 仏典語の 「空」 の訳語とするもの ( b. 口訳万葉集 (折口信夫) 万葉集私注 (土屋文明) 創元. 社万葉集講座 (五島茂) こげ. ( c ) 「世間虚仮」 の意とするもの ) 無常・皆空の意 ( d e ( ) むなし い意. 憶良と旅人 <岩波講座. 日本文学史2> (高木市之助). 万葉秀歌 (斎藤茂吉). 万葉代匠記 (契沖) 万葉集注釈 (沢潟久孝). ( f ) むなしい意としながらも, 虚仮の意に関係があるのではなかろぅかとするもの. 日本古典. 文学大系 (高木・五味・大野). ◎. はかない意. 万葉集古義 (鹿持雅澄) 大日本国語辞典 (上 田・松井) 大辞典 (平凡社) 広. 辞苑 (新村出) h ( ) むな しく, はかない意. 万葉集孜証 (岸本由豆流). ( i ) 空虚の意. 時代別国語大辞典上代篇 (沢腐ら) )高木市之助氏が,( a )の意であるが,2 右のうち, もっ とも有力なのは( a )の意にとるならば, 集中 には 「常無し」 の用例が多いから, この意にとるのは, 文学論的には不十分であると説かれたの. は, さすがに慧眼と称すべき である. しかし, さればと言って, 直ちに( c )の意に赴くのは, どう であろうか. 筆者はためらわざるを得ない. 一方, 大系では, 維摩経 義疏・ 上宮聖徳法王帝説な - 1 -.
(3) . vo l ・21 NO .・. f Bducat i i i l 。f Hokka i do Un iver Journa ty o on (se ct on I A) s. l Ju y ,1970. f どに, しばしば 「虚仮」 の語が見えるとして,( )の意にとりながらも, 膳部の王を悲傷める歌一首 世間は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち闘けしける. (3・442). においては, 「世間虚仮の思想はすでに聖徳太子にあらわれており, 万葉集にも天平時代の歌に多 く 歌 わ れ て い る.」 と し て, し か も無 常 の 意 に解 し て い る,. この歌の作者は未詳であるが, おそらく長屋の王周辺の人であろう. 繁栄をきわめた長王一族 が 瞬時にし て滅亡した事件を目撃して, とても 「常なし」 では表出しきれない深い衝撃を, 一年 前に作 られた旅人の前掲歌にヒ ントを得て, 詠出したものであろう. それゆえ, 古歌集所出の み め ・ (7,12 70) こもりくの泊瀬の山に照る月は盈ち長けしけり人の常無き. と, 素材, 発想法の類似のゆえに, この歌にひかれて, 無常の意に解するのは理解しかねる. ま た, 義疏・帝説な どにしばしば 「虚仮」 の語が見えるというのも, 世間虚仮の思想が天平時代の 歌に多く歌われているという説にも, 筆者はそう安易に うなずくことができない.. )高木氏は旅人の 「空し」 については,( 3 c )説をとり, 聖徳太子の 「世間虚仮. 唯仏是真.」 に湖 4 ) 西郷信綱氏も 「仏説にいう世間虚仮の思想を匂わせな る貴族的な 「哀しみ」 であると説かれ,. がら一息にうたい流している」 と説かれている, もっ とも, 両氏と も必ずしも 「虚仮」 の意を明 かにしておられないが, 帝説に 「世間虚仮」 を 「よのな かはむなし」 と訓ん でいるので, 旅人の. 「世の中は空しきもの」 にこれを直ちに結びつけて 翻らせようとされたもの であろうか. )家永三郎氏が 「虚仮の語は無常と虚偽との両 義を兼ね」 とし, 集 この太子の遺語について, 5. 中 「空し」 を用いた前掲の442・793番, 「常なし」 を用いた家持の 「世間の常無きを厭ふ歌」 (38 6) 等に対して, 「その所感多く世 50) ・ 「世間の常無きを悲しむ歌」 (4160)・ 挽歌 (4214・421 間無常の域を出でず, 世間虚仮に比ぶれば浅く狭きもの」 と説かれたのは, 集中の 「空し」 「常 無し」 が, 「世間虚仮」 というが如き高次の仏教的理解に 遠く及 ばざることを指摘さ れたものと )西田正 好氏も, これらの歌について, 「一般に万葉歌人らの無常の意 して看過し難い. また, 6 青緒体験としての無常感であり, これを仮に世界観の形式として見ては, むしろ 識は, 飽くま で- あ ま り に も プリ ミ テ ィ ブ な も の で し か な か っ た」 と 説 か れ て い る の は 参 考 と な ろ う.. )家永氏は太子の遺語について, 「仏教古典に出典の見出されない, 太子の創作した さらに, 7 言葉のよ うである. (中略) これだけの短い語句の内に仏教の古典的哲 学の骨髄を簡明に表示し. ているの は, 太子の仏教への理解がきわめて高い段階に達していたことを証明している.」 と高く 評価し, 「『世間』 と 『仏』 とを, 一を否定さるべきもの, 他を肯定さるべ きものとして並列的に. 対置したのではなくして, 『世間』 を 『虚仮』 とする否定を通じてのみ, 『仏』 の 『真実』 が証せ られるという逆説的 関係 を示したもので, 否定の論理が前句後句に貫通していることを認めなけ. ればならないと思う.」 と説き, さらに 「現実の一般的な仏教受容の在り方からしても, 現実の支 配階級の政 治経営の在り方からも隔絶し, いわば密室内における純個人的な 思索から生み出され た」 この思想が, 当時はいうまでもなく, 日本仏教史中においても, まれに見る孤立的存在で, しかも 「支配階級の一員で あり最高の権力者である太子が, 自らの立っている社会的立脚地を自. らこと ごとく否定し去る, 痛烈な自己批判をあえて物語るものである.」 と説かれた. 果して然ら. ば, この遣語は決して貴族的な性格を有するものではなくして, むしろ反貴族的な性格を有する ものと言っ てよ かろう. よっ て, 旅人が単に貴族なるがゆえに, 太子の かか る孤高な思想に湖り. 得る根拠は少しもない, 旅人は後述の如く, それほど高次の仏教思想に達していたとは, とても 考えられない. - 2 -.
(4) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和45年7月. )維摩経・法華経の教旨を要約したものであるとするならば 9 太子の遣語が 8 , )稲葉円成氏の説. くが如く, 世間を虚仮としたがゆえに, これを棄ておくことができず, 虚仮の世界に真実を打ち こむために, これらを製疏の対象とされ, 単に貴族に, あるは僧侶にのみ- -乗の妙法が弘ま るこ とを目的とせず, 一切の人々が維摩居士や勝量夫人の如く, 在俗のまま で大乗精神に生きること. を目的とされたとも解釈できよう. そうすると, この遺語はむしろ, もっとも庶民的な性格さえ 帯びているとも言えなくはない, よ っ て, 旅人の 「哀し」 が, この遺語に見 られる思想と同一の. 系譜, 同一の次元のものであると考えることは, はなはだ無理である. いま, さ らに 「虚仮」 の意を義疏によ づて検するに, 維摩経 義疏 (この書については, 小倉豊. 女・福井康順氏らによって偽書説も唱えられているが, 論証必ずしも十分ではなく, 奈良時代に 1 キガ フ ・ ク レ は太子の製疏と信ぜられていたと思う.) 巻中二の 「故云二直心是 道場「 無二 虚仮-故也. 釈三信 ニシテ キラ. o ) 無二 虚仮一也,」 l ( 43) は, 正直にして謂曲なき心, すなわち直心 (清純な心) に対する キ ノ ノ ズ ニ ザル ニ ものであるから, 不実の義とすべきである. また, 同疏, 巻下一の 「如し我 是 病非し真 非し 有. 質直. ナルガ ニ ズ ニ. 非 有. 此 句勧下於二目上‐ くみ 応し著, 若 衆生 病亦非真非有者。 此 者. 仮 故 非 真. 即空 ム テ ニ 九ラ カラ ス ム ラ 、 句勧下於二他上-不も 応 著. 此二句勧二虚仮- .」(53) とあるは, 無執着, 無対立の無心のすがたを いうのであろう. この場合は, 実体なきを意味している. 右のように, 太子の 「虚仮」 の用例に 1 )大野達之助氏が 「虚仮とは真実の反対であるから, 世間虚仮は世の中の事象 即して解しても, 1. の絶えず移り変 っ て変らざるものがないという事実をありのままに述べたのである. 所謂, 世間 の無常を述 べたものである」 と解しておられるのに従うべきであろう. すると, 「常なし」 に代 えるに, 「世間虚仮」 を以っ てしても, この意味では, あまり変りはない. もっとも, 無執着, 無対立の境地は, 空観に基づくことは疑いないが, この境地は有無を止揚 した高次にして深奥な意 義を有している, これを旅人が, 果して 「空し」 と訳し得たか, この境 地に達することができていたか, はなはだ疑わしい.. ちなみに, 憶良が将来したとも称せられ, 旅人・憶良ともにこれを愛読して, これをしきりに ニ レシトキ セ ヘラク きよかナラン1 ・ 粉本に用いた遊仙窟には, 張郎に対する十娘の言として, 「向 見二 称揚→ 謂 言虚仮.」 と ある. これは, 仏典語と異なり, 単にいつわりの意である。 それゆえ,-「虚仮」 を 「空し」 と訳 することには, 旅人にも強い抵抗を感じたであろう.. かくて, 筆者は旅人が和歌制作の当初より, しばしば試みている漢語・仏典語の直訳の一種と みて, 旅人の 「空し」 は, 仏典語の 「空」 の直訳とみるのが, もっとも自然であり, 妥当性が多. いと考える. 彼は筑紫下向以前における唯一の作である芳野讃宮歌 (31 5) において, すでに 「天 1 ) 地」 を 「あ めつち」 」 を 「変らずあらむ」 と訳しており, 次 , 2「長久」 を 「長く久しく」 , 「不改- い で, そ の 反 歌 (316) に 至 っ て は, みし. みれば. 昔見之象の小河を今見者いよよさやけくなりにけるかも 9 )小島憲之氏指摘の如く, 漢詩の 「昔- 「今」 を対照的に布置する技法を取り来り それを と, 1 , - そ のま ま 訓 読 し て い る.. 旅人の前掲歌の初句の 「世の中」 は, 仏典語 「世間」 の訳語なるべく, この用例はすでに柿本. 0) に見えており, 旅人がこれをそのまま用いたのは, 彼の直訳趣味に合致した 人麻呂の挽歌 (21 4 )小島憲之氏の説の如く, からであろう. さらに, 讃酒歌 ( 338~350) にいたっては, 1. 心やる (遣悶・遣情・消悶) この世 (現世) 来む世 (来生) 濁れる酒 ○濁酒) いにしへの七 の賢しき人 (七賢人) 価なき宝 (無価宝珠)夜光る玉(夜光之壁) 生ける者遂に も死ぬる (浬 - 3 -. . ● . ● . . ● ● . ● . . ・ ● . ’ ・ . . ● . ● . . ・ ● , . ・ . ・ . ● ・ ・ ● ● . ・ ●. ● ・. ・. 1 . ● . ●. ● ’ , . ・ ● ● ● . ● ● . ・ ● . ● ● . ・ ● ・. ・ ● ● ● . . ・ . ・ . . ・ . . . ● . . ・ . . ・ . ● ● ● ・ ● ● . . ’ r 、 . ● ● ●. ● - . . ● . ● . ● . .. ・. . r ・. ・ ●. ‘ ●.
(5) . vo l ,l ,21 No. ido Un i ion 1 A) f Hokka i i lo journa ty of Educat t veI s on (Sec. Jul y ,1970. 繋経純陀品)・ そ の 例, す こ ぶ る 多 い. ま た, 他 の 作 を見 て も,. 雪の流れ来 (流雪) 雲に飛ぶ薬 (仙薬) いやしきあが身 (卑徴・膜客) 龍の馬 (龍馬). 右の如く, 用例が多い. それゆえ, 「空」 の直訳語として 「空し」 を考えることは, む しろ当然であ って, 何ら支障が 5 )折口信夫先生が, すでに口訳万葉集において, 制作事情については愚見と ない. この意味で, 1. 異なるものがあるが, 「仏法では, 凡て存在してゐる物質は, 同時に空だと説いてゐるが, 悲し い事に出あうて, はじめて此世界が何物も皆仮りの形で, 空しい事だと思ひ当った時は, 悟りが. ひ らけたのだから, 安心出来相なものだが, 何も考へてゐなかった時分よりも, 更に痛切に悲しみ 6 )私 を感じ ることだ.」 (下略) と解しておられるのは注目す べきである. また, 土屋文明氏も, 1 注において, 「五 窺空 とか色即是空とかいふ時の 『空』 に近いもので, 単に 『無常』 いとふより も広く, 形而上の意味で用ゐたものと思はれる.」 とし, 「此の 『空しきもの』 を 『常なきもの』 と置きかへて受け入れたのでは作意に達することは出来ない.」 と説かれたのには賛 成である. し. かし, 4 42番の 「空しきもの」 が, 旅人の作の浅薄なる模倣で あるがために, 「常なし」 に置き か えてもよいとさ れたのは, どうであろうか. この歌は, 長王 一族が瞬時にして潰滅して, 藤氏が 7 )折口先生 る. それゆえ, 1 かわ って袷頭して来た深い感慨を 「空し」 によ って表現したものであ. が, 「此世界は, 総て実体のない影の様なものとして在るのだと云ふ訳 か, 此照してゐる月は,. 盈ちたり欠けたりする事 だ.」 と解し, 「おちつき払うたよみぶりである, 歌は仏説に囚は れてゐ るが, 概 念 に 堕 し て は ゐ な い.」 と 評 し て お ら れ る の に 賛 意 を 表 し た い . ・. )説に近いが明確を )説は,( b e 次に, 斎藤氏の( d )説は, 余りに広すぎる解と言わ ざるを得ない. ( ( i ) 説の如く である )説は( a )説に近く明瞭でない. ⑮説はこれも広すぎる解 欠き,( g , 旅人の 「人 , 451 ) と同 義 とするのは, まったく無理で, もなき空 しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」 ( 賛成しかねる,. さて, 旅人の 「空し」 が 「空」 の直訳語であるとしても, 筆者は直ちに旅人が聖徳太子の 「世 間虚仮」 の如き孤高なる哲学的理解に 翻れる可能性はまっ たく見出し難い, 太子はすでに, 空, 無相等の大乗の根本思想が説かれている維摩経 を製疏の対象に選び, 義疏に 「此 経正 以二抑小揚. 大-為 宗.」 (20)と説いておられるのは, 小乗の有空対立 の相対的空観に対して, これらを止揚し た空にして有, 有にして空という相即不二の大乗的空観に達してお られることを証するものと言 えよう. これに対して, 旅人のそれはそれほど高次のものではなく, むしろ偶発的なものと言う. べきかもしれない. 当時の奈良仏教は三論宗・成実宗をはじめとして空観を説くもの多く, 法相 宗には般若皆空の精神を説いた般若心経の訳者, 玄英の系統をひく道昭・知通・知達らもいたこ とであるから, 旅人がこれらに接触する可能性は容易に考えられる. 亡妻の悲哀と, 親し い部下. の妻の言ト報に接し た空虚感, 無常感から, 彼が抵抗なく空観に接近して行ったこと は考えられる. 当時, 知識人ならば空観に対しても, ある程度の理解はあったろうから, 空観にし てからが, 単 に貴族的な哀しみと断ずることはできない. それゆえ, 筆者 は太子の遺語が現実の空相を強調する維摩経の思想に親縁あること は認 めなが. らも, 旅人の 「空し」 が, それに翻り得るものと は考えられない. また, 「虚仮」 の譜は, 高木 氏や古典大系の説のように, 果して当時の慣用語と称するほ ど多用さ れているであろうか. また, 天平時代の歌に多く歌われているであろ うか, 筆者 は 寡聞にして, これを知らない. これは, 前 掲の家永氏の説 からも, 疑わざるを得ない. 事実, 管見によれ ば, 維摩経には, 菩薩品に 「直心 - 4 -.
(6) . 北海道教育大学紀要 (第一部A) 北海道教育大学紀要(. 第 21 巻 第 1 号. ノ ラ. フ. 5年7月 昭和4 ナラ. ル. 是 道場. 無;虚仮-故也.」 と, 観衆生品に 「行二無談 慈→ 不二虚仮‐ 故.」 とあり, 同義疏には, 前掲の箇所に三語, 帝説に一語あるのみである。 遅禦経, 橋陳如品下に 「一切諸法皆是虚仮.」 と 8 )これ は太子が見 てれおられる かどうか明でない. ともかく も, 仏教の根本思想ともい あるが, 1 うべきものを 「世間虚仮. 唯仏是真,」 の八字に収め得た太子の高遠な仏教的理解と, 旅人の偶発 的 空 観 と を同 日 に 論 じ る の は, ま こ と に 当 を 得 て い な い,. 注 1 ) 拙稿 旅人・憶良についての一考察 (2) 一 「空し」 を中心として- (語学文学8) 2) 高木市之助 憶良と旅人 (岩波講座 日本文学史2) 3) 同氏 前掲書 4頁 4) 西郷信綱 万葉私記 第二部 20 7頁 66~1 6 5) 家永三郎 上宮聖徳法王帝説の研究 各論篇 1 6) 西田正好 無常観の系譜 21頁 7) 家永三郎 聖徳太子の仏教 (日本仏教史1 古代篇) 8 ) 同氏 上代仏教思想史研究 新訂版 12頁 7~198頁 9) 稲葉円成 聖徳太子 19 10) 義疏を引用 した場合の女の下の括弧内の数字は, 大正新崎大蔵経56巻の頁数を示す. 7頁 11) 大野達之助 日本仏教思想史 56~5 7号) 2) 清水克彦 旅人の宮廷儀礼歌 (万葉3 1 29~9 31頁 1 3)・1 4)小島憲之 上代日本文学と中国文学中 9 9頁 18~21 15) 折口信夫全集 巻四 2 1 6) 万葉集私注 巻五 5~6頁 39頁 1 7) 折口信夫全集 巻四 1 1頁 18) 家永三郎 上代仏教思想史研究 新訂版 1. いま, さ らに 「空し」 の意を明かにするために, 旅人の前掲歌を承けた憶良の日本挽歌の詩序 ′ ルガ マ シキニ ハ シ 命二 環 不。 息,」 とあるに注意したい, を見るに, まず 「四生 起減. 方二 夢 皆空→,三界 漂流. n L ク キコト ニ ツノ ニシテ ク キコト ク 無 力無 堅, 速 朽 之法, 不レ この句は, 維摩経, 方便品に 「諸 仁者, 是 身無常‘ 無 強 リ. ト ル. ト. ノ. キ. ノ. ル. ノ. ノ. ル マ. ノ. ク. ノ. 可 信 也, 為 苦 為J脳, 衆病 所一集. 諸 仁者, 如 此 身明智 者所 不 活, 是 身如二票沫-不 ノ ク シ ノ リ ズ ノ ク ノ ス 堅. 是 身如 泡 不 得二久 立「 是 身如 炎.従二渇愛一生. 是 身如二芭蕉-中 無 有 可二 撮摩- . ノ ノ ス リ ノ ノ シ ノ リ ズ ノ シ ノ ル リ ノ ク 是 身如し幻従二顛倒-起, 是 身如 夢. 為二虚妄 見「 是 身如 影. 従二業縁-現- . 是 身如し響 属= ノ. ーニ. ′. ク. ラ. ラ. ク. ノ. ニシテ. ス. ノ. ク. ノ. セ. 変滅. 是 身如 電 念念不 住.」 ぐ下略) とある 「是身如 夢. ゲテ ラ ス ト 為二虚 妄 見-.」 あ た り の 句 に よ っ た もの で あ ろ う. こ れ らに つ い て, 義 疏 に 「即 挙二 五 門-為 試. リ グ ラ リ メ ゲテ 初 挙二 無常門-詑二不 可 信-也. 従二為苦為悩‐以下. 挙二苦門-.(中略) 従二是身如票珠一以下. 諸 因縁コ 是 身如二浮雲→ 須奥. リ. チ チテ. ・ ス 1. ニ. ス. ラ. ニス. リ ノ. 挙二空門「 自 有二十晩-.即 分 為一二. 第一 前五輪明二内我所空-. 従二是 身如夢一以下五誓明; ノ テ スル ノ ラ ラ ニ ニス ノ ′ ・ フ ヲ 外我所空- , 後 五讐総 明二 内五陰空一也.」 (31) とあり, , 或 云. 初五讐. 別 明二 内 五陰空- 詩序の粉本とおぼしき部分 が, 無常門に入れられずに, 空門に入れられているのは注目に価する. そうじよう. もちろん、 この十輪については諸説あるが, 僧肇の説が穏当なる べく, 太子もこれによ っておら 、 えお ん れる.. ま た, 義 疏 に 一 説 とし て いる の は 慧 遠 の 説 で あ っ て, 空 を 説く もの と し て い る 点 で は 撲 を. 一にしている, すなわち, 僧肇は無常・苦・空・無我の四非常を説くうち, このrrn熟ま空を説く ものとし ている. かくの如く, 旅人の 「空し」 を承けた詩序の冒頭が空観を説くものであるとす れば, 逆に旅人の 「空し」 が 「空」 の直訳語であることの傍証とすることは可能であろう. リテ. ニ. 次いで, 憶良 は空観を詩序の基底に潜め, むしろ世間無常を説いており, 「維嘩大士在二 方丈-, ラ レ テ ラ ズ ニ ラ リ ク 有 懐二染疾之患-.」 は, 維摩経, 方便品の前掲女に先行する 「其 以二方便-現二身 有疾‐.」 の意を - 5 -.
(7) . vo l .21 NQ I. l d。 Uni i d Journalof 日0 i ion (Sec i くa t t ver s on I A) y of Bducat. l Ju y ,1970. かなり大胆に転用し ている。 これは, 旅人の悲哀を代弁し, 旅人を慰問する立場に立ち, その方 便の精神を活かしたものとみることは許されないだろうか. すなわち, 旅人の空観の低次なのに 応じて, 空観を説く部分は僅少に止め, 次に理解し易い無常観 を説く部分に転じ, それに照応し て, 文選の婦人の悼亡詩に発想を仰いだ部分の意を強調して いる. それゆえに, 序に続く七言の )中西進氏の如く, 「し いていえぼく 生を彼の浄利に託さむ>というのを 無題詩の浄土往生も, 1 , この世に生まれる べきで はなかった (浄利に生きたかった) という願いととれば理 解できるだろ う.」 と説かれたのはどうであろうか. 「す べ てくす べなし >というのが彼のいつもの結論なのだ か ら.」 と い っ て, 「術 な しJ を文字通りにとるならば, 憶良文学の価値は半減し, 彼の世間への. イ ン タ レス トの 意 義 は 失 な っ てし ま う で あ ろ う.. )稲 岡 耕 二 氏 が こ れ に つ い て は, 2 , 「空 し さ」. の解釈について は 筆者と異なるが, 「『術なし』 は 諦観ではなく, 願望と絶望との間に 揺れる心の 動的な表現に外ならない.」 と説き,「す べなさを歎く心は同時にすべを求める心でもある.」 と説. かれたのを注目したい, すなわち, 彼の 「す べなさ」 は, 後向きに絶望の淵に身を投ずるもので はなくし て, 前向きに 「すべなさ」 の中に新な 「すべ」 を求めるところに意義があるのである. )家永氏が言われた 「現世の延長としての後世の安楽が求められているにと どま そこで, 筆者 は3 り, 生を断絶した死の意味が考えられていたのではなかった.」 をここにも準用し, 憶良が旅人の 浄土観に応じて, 慰問したとみることができよう. ここに, 七言詩を提示したのは, 宇合らの新. 風に対応すべき ものとして, 詩形上注意される. このほかに, 詩序中の 「大士」 「方丈」 等 は, 0) にもあり, 釈迦・維摩の並置は, 集中にこの詩序と, やは り彼の 「悲二歎俗道仮 維摩経 義疏 (2. 合即難易 去難▽留詩」 とのみにあるのは, 彼と維摩経 義疏との関係の浅からざるを示 すものと言. 者悪 」とある ぇよぅ・ また, 沈痢目哀女には 「目 有 蜂 善之志- , 曽 無 作悪之心 - , 鰹 奏善菱電: の は, 箭明紀において, 聖徳太子が山背大兄の王に与えられた七仏通 戒偶の 「諸悪莫作. 諸善奉 ラ リ. テ. シ. 行.」 と一致し, ここにも太子の憶良への長い影響が認められる. さ らに 「四生」 は憲法.法華経 義 疏, 「三界」 は法華.維摩の両義疏に見え, 「三従」 も勝蛋経義疏に見えて, 彼が空観を通じ. て太子に 接近し て行った跡がうかがわれる, )小島憲之氏が日本挽歌の序について 中国における亡妻の悼亡詩にヒ ン それゆえに, 筆者は4 , トを得て, これらの用語・発想法を仰いでいること, 仏教語は文選の頭陀寺 碑文によっていると. いう卓説は不動のものとして認 めなが らも, 冒頭における空観思想と, これに続く部分の基底に 揺曳するそ れを否定することはできない.. いま, 玄奨の名訳 「色即是空. 空即是色.」 に即し て言うならば, 旅人の空観は, おそ らく前段 に止まり, 単にそ の段階での 「悲しかり」 の域を出ることなく, 後段には達しなかっ たであろう,. そし て, 前掲歌以後は, むしろ世間の現象に目をそむけて, 伝奇・神仙の世界に逃避し, 讃酒歌 の如きには, 仏教否定のポーズをさえ示しているものがある. これに対して, 憶良は旅人によ っ て点じられた空観を発展させて, <詩序+詩 >においては, 色即是空をもっ て承け, これに無常観, 浄土思想をもないまぜて, 旅人の仏教理解に応じて, 仏. )井村 典語を大胆に駆使し, 旅人の悲哀を慰問するが如き態度をとっ ている. ここには, すでに5 べ が思 哲夫氏 子等歌において指摘された非論理性, 用語の不正確さともいう きものが早くも認め. られる. これは彼の漢語使用に も若干見られるところで, 彼の啓意性というよりは, 主体性とし て認めたい.. そし て, 憶良はさ らに空即是色の後段の理解にも到達したものの如く, 日本挽歌のく長歌十短 )高木氏は 「 『妹 歌〉においては, これを基底にたたえて, 亡妻の悲しみを生々しく歌っている. 6 - 6 -.
(8) . . 第 21 巻 第 1 号. ‐ 北海道教育大学紀要 (第一部A). 5年,7月 昭和4. の死』 はとうてい 『唯仏是真』 などという仏の道な どへはつながり得ないほど現実的である.」 と 説かれたが, 憶良とても 「世間虚仮」 というような孤高, 深遠な仏教的理解に達するのはきわめ. て困難であったと思われるから, その否定を通じてのみ, 「唯仏是真」 も証せられるわけである 以上, これに通じないのは, むしろ当然である. しかし, 現実的なるがゆえに仏の道につなが ら. ないとするのは, どうであろうか. 彼は色即是空なるこ とを解し得たとともに, 空即是色 の理解 にも達し得たと思われる. そ うでなくては, 彼のあれほど強烈な現実への関心は考え られない.. すなわち, 空即是色の立場に たつならば, 現世は現世としてそれなりの価値を認 められるのであ るから, 借老同穴の契りを果し得なかった痛恨を, 彼は自己の体験を傾注し, 全身をふるわし て 歌い上げているので, , それだけに深刻な悲しみをたたえている. <詩序十 詩>において見られた. 仏教思想が, い かに日本的なく長歌十反歌 >になっ たとして, まったく影を隠してしま ったとは 考えられない. 空観に理 弊があったからと言ても, 女人たる彼が塊然として木石の如き態度 をと り得たであろうか. そこに筆者は空観の文学的に昇華された姿を認めるべきであると思う, かくて, 旅人の前掲歌と憶良の日本挽歌とは, 必ずしも対立, 反撒・ する関係にあるとは考えら. れない. そ れは, 前者が低次なる空観に止まったのに対して, 後者がそれを発展させ, 前者が凶 報に接して詠んだのに対して, 後者がまだ生々しい亡妻の悲しみを傾投して, 縦横に漢語 .仏典 語を駆使して, <序十七言詩 >を作り, これを承けた日本挽歌のく長歌十短歌〉においては, 空 )前稿におい 即是色を基底にして, 深刻な悲痛を歌いあげたちがいによる. これらについては, 7 て相当詳しく触れたから, 本稿では割愛することにする. そ して, 憶良に空観を迎うべき素地の存したことは, 彼の遣唐少録としての渡唐, 道慈との交. 渉, 在唐中の社会不安, 帰朝後の政界の動乱, 類票歌林編集中の古書との接触等から, 憶良の太 子の義疏・憲法に湖り得る可能性は十分に考えられる. かくて, 旅人の点火によっ て, 憶良の仏 教思想は前述の如く燃えたったのである. それは旅人の 「空し」 による点火であり, それは仏典 語の 「空」 の直訳語であっ たのである. そして, それはかかる仏典語を文学に昇華し得た宰府の. 文人たちの大いなる成果であったと言えよう. 注 1) 2) 3) 4) 5) 6) 7). 中西 進 憶良の大陸的思想 (講座日本文学の争点 上代篇) 稲岡耕二 大伴旅人・山上憶良 (講座日本文学2 上代編口) 家永三郎 聖徳太子の仏教 (日本仏教史工) 9~98 7 3頁 小島憲之 上代日本文学と中国文学中 9 井村哲夫 憶良 「思子等歌」 の論 (万葉48号) 高木市之助 憶良と旅人 (岩波講座 日本文学史2) 拙稿 旅人・憶良についての一考察2 (語学文学8). 次に, 憶良が日本挽歌と同日に, 嘉摩郡で撰定した令反或情歌 (8 00・801)・思子等歌 ( 802. 04・805) も, 日本挽歌の系譜をひく作品であって, 旅人の示唆なり懲悪 803).哀世間難住歌 (8 なりが考えられる, というのは, 形式的には日本挽歌よ りも, <歌序十和歌 >という形式は旅 人 の前掲歌に近 づき, 「撰定」 とあるのは, かく解せざるを得ない, けだし, 旅人によって 点じら れた空観によ っ て, 日本挽歌制作中にその深化が促され, 憶良の日 頃の腹案, 構想に点晴の効を 果 す こ と に な っ た も の で あ ろ う,. )清水克彦氏のいわゆる述志の文学と しての性格もあろぅが もちろん, そこには1 , 筆者はそ れ ばかりでなく, そこには仏教恩 想の伸 が認められ 長 、 , その過程における太子への接近による庶民 - 7 -. 、 ● ● ● . ● ● . ・ ● ● . ● . ・ ‘ . ● ● 」 ● . ・ ● ● . ● ● ● . ● ● . ・.
(9) . l Ju y ,1970. ion I A) i ion (Sect i do Uni ty of Educa t lof Hokka Journa vers. VO I .I .21 No. への慈悲心, 社会に対する正義感の深化が認 められるのである. かくて, 首都文 学に対して, 憶 良は宰府の地における新文学の制作に対して意欲を燃やしたものと考えられる. そ れゆえ, 筆者 )土屋文明氏が 「最も自然な想像は, 歌の好きな帥旅人に, 巡行中, その職務を歌にして見せ は2 たかったと言ふ程度であらうか.」 と説かれたのには賛意を表しかねる. )藤野岩友氏が文選, 王康鋸の反招隠詩との密接な関係につい まず, 令反或情歌については, 3. て論証し, 「その類似は 単なる語句の末に止まらず, 山林に隠 遁して登仙に慣れる者を戒めると いっ た内容に於て, また反といふ文学上の形式に於ても一致するものがある.」 と説かれたのは傾 )小島憲之氏は, 「『反招隠詩』 は 『招隠詩』 に対するもので, 『反』 は文 聴に価する. ただし, 4. 学上の形式であり, 憶良のこの歌の 『反』 (かへす) とは別のものとみるべきである.」 と厳密に 区別しておられる. しかし, 隠者に向って俗世間に帰り来 れという反招隠詩と, 惑える情を反え 一派相通ずるものがあるし, 憶良は用語に対し さしめようとするのは, 必ずしも異質ではなく, ‐ て, そ れほど厳格であるとは言えない から, 彼が反招隠詩にヒントを得たことは疑いないだろう. ただし, 筆者はそこに文学化の過程において, 彼の仏教思想の躍動を認 めざるを得ない. 彼は遣 唐使の一員として渡唐し, 長安に おける動乱の世相を見て帰り, その後天平初期の不安な政界を ナリ ト ′ チ 、 ラ ク ヘ ク 目撃して, 太子の憲法の 「二日 . 篤 敬二三宝→ 三宝 仏法僧也. 則 四生之終帰. 万国之極宗.. (中略) 其 不 帰二三宝→ 何 以 直 柾,」 に共鳴を感じ, 神仙に慣れ, 外道に赴く者の惑情を. 反 え そ う と し た の で は な か ろ う か.. )小島憲之氏は 「題詞の 『惑情』 の 『惑』 も碑文 (頭陀寺碑文の略. 筆者注) の 『存 まず, 5 ブ テパ チ ヲ 了 躯 者惑 理勝 則 惑亡』 の李善注に 『惑, 煩悩也』 とある如く, 仏語的な 『惑』 であり, これ によ って, 同 じ序の中の 『修行得道』 の語が生きてくる」と説かれたのは注意す べき である, 筆者 はむしろ, 維摩経, 弟子品における目蓮に対する晒を釈さ れて, 義疏に 「明二 能計 惑情尚空. 32) とあり, 能計・所計の対立を 「惑情」 と用いているのが, むしろ直接の出 況 其 所計- ,」( )中西進氏も, 「異俗 (倍俗) 先生」 が, 「続紀養老元年四月の詔に現 典ではな かろうかと思う. 6. われるような私度僧である,」 と説かれたのは, 筆者には魅力的であるが, 必ずしも私度僧とのみ 限定する要 もなかろう. 私度僧の出現には経済的理由も考えられるが, 形式にこだわ っ て, あえ シ ニ ・ て私度僧にまでなろうとするのは, 「法 無二衆生一 の立場に立てば, 確かに惑情と言えよう, し か し, こ こ は 形 式 に こ だ わ っ て, 徒 らに 登 仙 の 術 を 得 よ う と す る も の を 含 む と して も よ かろ う.. )小島氏が 「『山沢』 は 抱朴子と律の二重写しの語と云へる.」 と説かれたのは, 注目す さらに, 7 べきであるが, 筆者は仏教的色彩をも加えたい. ニ ミ. ラ. リテ. セヨ. ニ. ノ ラ. 太子はすでに法華経, 安楽行品の 「常 好二坐禅「 在二 於閑処「 修二摂 其 心-.」 とあるのに ラ ラパ チ ノ 丁リテ テテ ラ キ ノ ニ ニ ム 弘二通 此 経 世間- 対し, 義疏において, 「捨 此 就二彼 山間-常 好二坐禅- .」 .然 則 何 暇 ニ レ. セ. ニ ム. ラ. ノ. ニ. ニ. レ. セ. ノ. ニ. レ. と評し, 「十 不 親二近 常 好 坐 小乗 禅師‐ ‐」 と釈し, また, 「二 不 親二近 諸 外道→ 是 邪 ノ ナリ 見 縁.」(118) と釈され, その大乗的な信仰を示しておられる, 憶良が空観の深化を通じて太子 に接近したことは前にもふれたが, 然らば彼が, 妻子を捨てて, 登仙に慣れ, あるいは外道に赴. く人を見て, 黙視できない のは当然と言えよう. また, 維摩経, 弟子品において, 舎利弗が林中 ノ ニ ニ ノ ヘテ ノ の樹下に宴坐したのに対 して, 維摩に河られたことを, 義疏に 「真子既 為 二小乗-故. 患二 世 散. 乱-欲下隠二山林-以 摂中 身心ふ セン. 心-而 散 乱. 而. ゾ リチ. 浄名致 司者. 若 解二 万境即空-不 存二彼此‐者. 何 有二 身. 也.」 (32) と 釈 して お ら れ る の に も, 彼 は ふ れ て い る だ ろ う. こ の 意 味 で も, 彼 は 当. 時盛行した 仏教の大衆行動にも, 単に国司としての立場 ばかりでなく, 賛 成しかねたことである - 8 -.
(10) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和45年7月. う. そうすると, この 「倍俗先生」 の性格は, なかなか複雑であって, 儒仏に対する外道に 赴く 者と広く解するのが, むしろ当を得ているだろう. もちろん, この歌の表面は儒教思想によ っているが, 太子の憲法などに見られるように その , 基底に仏教思想を認めることは, 決して不当ではない。 従っ て, 筆者はこの歌の制作 動機に 憶 , 良の大乗的立場と, それに立脚する彼の 楓諌性, 正義感, ならびに倍俗先生の妻子に対する彼の 慈悲心の存在を指摘したい. かくて, 彼の国司としての立場からの儒教的紛飾を認 めるものであ る.. )土屋氏説の如く, 国司としての部内巡行の た そ れゆえ, 筆者は憶良が嘉摩郡にあっ たのは, 8 あ たことは認め めで っ , 戸令, 国司巡行の条の 「凡国司毎 年一巡二行属郡- . (中略) 敦輪二五教- . 勧二務農功1 部内有下好学・篤道・孝悌 ・忠信・清白・異行. 発二聞於郷間-者上 挙而進之 有 不 . , 下 孝悌・惇 礼・乱し常. 不 率二法令-者と . 礼而縄之.」 とあるのや, 僧尼令第五条との関係を否定す るものではないが, これを要因とは思わない. 大乗的空観は, おそらく旅人も解し得なかったで あろうから, 憶良は人を見て法を説き, 表面には三綱五常の儒教倫理をもってし, 仏教思想を基. 底に潜ませたのではないかと思われる, 次いで藤野氏は折口信夫先生の説を引用 して, この歌の制作の日を, 天平元年四月 三日に出た 異端・幻術の禁令以後とされた. それは, 折口先生が歌序の 「亡命山沢之民」 に対して9 ) 「戸口調 査が進歩して来た天 平時代には, 亡命民が著しく目について来た, 其が小角流の優 婆塞教に趨っ たとすれば, 為政者の心を悩したことは, 尋常一様ではなかったのであらう (中略) 此様に亡 . 命者の多かったことは, 仏教興隆の結 果でもあるが, ー方世間が, 段々せちがらなくなって来て , 大仏はまだ出来てゐなかったけれども, おひおひ迫って来た経済難に, 民衆が目覚めて来たか ら o でもある.」 と紙背に徹する高説を示 されたからである。 ちなみに,l )土屋文明氏は, 「或は又天. 平元年に載せる異端禁制の格は, 実は此の神亀五年に既に 発せられて居たのかも知れぬ 続紀に 。 はさうした錯誤は時に存する如くである.」 とさえ説かれている.. しかし, 「亡命山沢之民」 の出現は, 必ずしも天平期 (729~748) を待たずとも, すでに元明 天皇即位の宣命 (慶雲4年=707) 708) 中に 「亡命山沢」 の字面が見出され , 和銅改元の宣命 (. る. また, さらに湖って文武3年 (699) には役君小角の伊豆配流事件があり, 養老元年 ( 717) 4月23日には 「小僧行基」 らの活動を禁圧する詔があり, 同年11月1 7日の詔にも 「亡命山沢」 の. 語が見え, さらに6年7月には, 太政官は罪禍之因果を巧説し, 都裏の衆庶を許誘する徒の活動 を禁じ, 神亀3年 ( 726) 6月 に, 諸国の重病者に医薬を遣したのは, かかる新興勢力に対する, 一 種の防衛措置ともみられよう. かくて, 「文武百官及天下百姓」 に対して, 異端を学習 し 幻術 - , を蓄積するを禁圧する詔が出たのである. よ って, その前年, 神亀5年において, かかる風潮が. いかに盛んであっ たかは推測に難くない. それゆえ, 筆者は天平元年 (729 ) の禁制には, さほ ど 執する必要はないと思う. むしろ, 禁制発令以前において, 宰府文学の旗手ともいうべき憶良が , 新形式のく歌序十和歌>という文学によっ て, これを警告したところに, 宰府の地の文人たちの 首都文学の果し得なかった欠陥を衝いた喜びと誇 りがあったのだろう, ここで注意を要す ること は, ID土屋文明氏 が 「序と歌とを以て一つの綜合的効果を上げようとする, 憶良の新しい試であ らう.」 と説かれたことで, 筆者に言わしむれば, それは正鵠を得ていない すなわ ち, この歌序 。 はむしろ旅人のそれ (79 3) への復帰がみられるのである, 詩序や詩を棄てて, 歌序だけにしぼ. り, 歌序が和歌に対して従属的になり, 題詞的要素を多くしている. これは, 前作に比して, 大 いなる形式変化であるが, おそらく詩序において色即是空を表示し, 和歌群において空即是色を - 9 -.
(11) . VO ー .・ .21 NO. ion I A) i f Educa i t f Hok l id。 Univer t l。 ty o on (Sec Journa く a g. Jul y ,1970. 基底とした高次の 手法が, 空観の理解に浅い人々に, 必ずしも正当に 評価されなかったのではな かろうか. そのため, 旅人によっ てすでに提示さ れたく歌序十和歌>の形式に もどって, 作品の 緊密イヒを計ったものであろう.. 序中の 「倍俗先生」 は, もちろん仮託の人物であろうし, そのモデルに通説には旅人が擬せら れているが, この時点において, 果してこれほどまでに登仙に慢れていたかどうか疑問である. 憶良の頭に旅人の姿 がま ったく浮ばなかったとは言えないが, その 主たるものは旅人ではなかっ ナリ ニ. テ. ラ. ス. ト. たろう. 筆者は 「僕聖代之狂生, 直 以二風月-為 情.」(懐94) などとうそぶいていた首都の藤原 万里あたりが, その有力なモデルであるうと思う。 旅人は老荘・神仙 の説を妄信していたわけで. はなく, 梅花の歌の 「員外思故郷歌両首」 中には, をち わが盛りいたく降ち ぬ雲に飛ぶ薬はむともまた変 若めやも 雲に飛ぶ薬はむよは都見を いやしきあが身また変若ちぬべし. (5.847) (5・848). の ごとく, 望郷の念切にして, 「不老不死の知識的な 拠り所は崩 壊した」 作を残している. 讃酒 シ ノ キ チ シ ルガ 歌の中にも, 団 交選, 古詩十九首に「人生忽 如 寄. 寿無二金石 固-.万歳更相送. 聖賢莫二能 度-, 服食求二神仙「 多為 薬 所 誤. 不 如 飲二 美酒「 被二服 紗L与。素.」(第十三首) とあるに近い 338・349) す らある. もの ( それゆえ, 倍俗先生すなわち旅人ではな い. この作そのもの が, 旅人の示唆によるものではな いかとも考えられるのであるから, それはとても考えられない. そこに調諌性 は十分認められる としても, 主たる対象は旅人ではない. 4 )小島憲 歌序において注目す べきは, 日本挽歌の 「石木をも問ひ放け知らず」 あたりの句は, 1 リ ル. ニ. 断絶. 人理塊然. 与二木石-隣.」 に 之氏が抱朴子, 対俗篇 「委二棄 妻子- , 独 処二山沢「 遡然 ヒ ントを得たものであろうと説かれたが, 当面の歌序は同氏指摘の如く, これを粉本としている ことは疑いなく, 一層強くその影響を受けている. かくて, 当面歌 が前作と同一系譜にあること は明かである. ことに, 歌序中の 「倍俗先生」 に対する 「修 行得道之聖」 に, 縦摩詰の風貌を感 ずるのは, 単に筆者 だけであろうか. 前述のように, 憶良は日本挽歌において, 中国悼亡詩によ りながら, 仏教的要素は頭陀寺碑 文ならびに太子関係の経疏によ っ ているように, この歌におい. ては, 抱朴子によ っ て倍俗先生の風 貌を作りあげ, さ らに儒仏の経書によっ ていること が認めら れる, ことに, 太子 関係の経疏・憲法へも剃り得るのである, この歌に おいて, 日 本挽歌よりも歌 序と和歌が密着しているのは, この 形式による制作の進歩 を示すものである。 また, 歌形は三段式構成をとり, 段落ごとに7 音の単句をおいているのは, 5 )吉永登氏によれば遊仙窟の雑言体の詩の影響であろうが, 技法には確かに進歩が認め これまた1. られる. 長歌において注日す べきは, 第二段における抱朴子による発想, 第三段における詩経, シ ザル ニ シ ザル 小雅, 北山 「普天之下. 莫 非二 王土→ 率土之浜. 莫 非二 王臣‐,」 , 憲法の 「十二日, (上略) 国 非二二君1 民無二両主→ 率土兆民. 以 王 為し主.」(下略) 等を, 巧みに和歌的発想に活かし, 特に後段において, 古事記歌謡・祈年祭祝詞の語句を駆使しているあたり凡手ならざるものがあ る, 反歌の なり ひさ かたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業をしまさに. (5.801). 6 )小島氏は, 「同じ戸令の 『勧二務農功一』(義解 「史伝所し謂. 太守行し春, 勧二人 農 の業に つい, 1 . 者. 為二郡領 能- 桑-是 也.) や,『其 郡 境内. 田時 間. 産業 修. 礼教 設, 禁令行 ,』 などに なり 見える農功産業をもととした業の意ある.」 とされたが, 筆者は, ここでも太子の憲法の 「十六 一 10 -.
(12) . 第 21 巻 第 1 号 リ. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和45年7月. ル ニ. 日. (上略) 従 春至し秋. 桑農之節. 不 可 便 民 其 不 農 何 食 不 桑 何 服 」 に翻るこ , . . とにしたい. すなわち, そこに庶民に対する太 子の慈悲心の影響をみるのであ る , 注 1 ) 清水克彦 山上憶良(和歌文学講座5) 2) 3) 4) 5) 6) 7) 8) 9) 10 ) 11) 12) 13) 1 4) 15) 1 6) .. 土屋文明 万葉集私注 五巻 30頁 藤野岩友 令反或情歌と反招隠詩と (国学院雑誌34年3月号) 小島憲之 上代日本文学と中国女学中 98 6頁 同氏 前掲書 983頁 中西 進 憶良の大陸的思想 (講座日本文学の争点1 上代篇) 小島憲之 前掲書 98 4頁 土屋文明 前掲書 28頁 折口信夫全集 廿九巻 19 4頁 土屋女明 前掲書 29頁, 旅人と憶良 (創元選書)20 5頁 同氏 万葉集私注 五巻 28頁 武田祐吉 増訂万葉集全註釈 五 437頁 中西 進 万葉集の比較女学的研究 339頁 小島憲之 前掲書 98 3~98 4頁 吉永 登 万葉 文学と歴史のあいだ 232~242頁 小島憲之 前掲書 98 4~98 5頁. 次の 「思子等歌」 が, やはり旅人の提示 した新形式に追随していることは明か である この歌 . に序は, 必ずしも必要ではなかったであろう. しかるに, ここにこの序あるは 形式的には旅人 , への追随であり, 内容的には旅人によって点じられた仏教思想の展開 であっ て, よ ってもって首 都文学への反撒であ るからである.. まず, 序中の 「金口正説」 は, 従来成実論一の 「金口」 金光明最 勝王経, 妙憧菩薩讃歎品に , 「如来金口端厳」 を挙げるのを常とするが, 筆者は太子の法華経義疏に 「言 雄 真 羅漢 二 「 不 聞二如来在世 金 口正説- 7 6 ) 維摩経義疏に 「言 」( 如来既以 金口八饗妙音 , . 二 ‐為説二此 説- .」 (6 5) などを直接の出典としたい. これは, 憶良の太 子への接近から考えても可能性が 少なくない , シク 7コト ラ シ 次に 「等 思二衆生- )小島憲之氏は代匠記に始ま る従来の最勝王経 . 如二羅昨羅-.」 については, 1 シク ルコト. 説を排し, 合部金光明経, 寿量品に 「等 観二 衆生- 如二羅眼羅-」 とあ るを挙げ 「愛 無 . . , レ ギタル ニ 過し 子.」 については, 最勝王経, 捨身品に 「我愛 子」「我所 愛 子」「我最小所 愛 之子」 な どの 「愛子」 云々の記事によ っ て述作し, 釈迦の説としたものと説かれ, 大般浬薬経 寿命品に , シク ルコト 「等 視二 衆生→ 如ニ羅眠羅‐, 」 には, 金光明経系の仏典の流行の状態を考えると, これに従う べき積極的理由はないと説かれた. しかし, 筆者は護国三部経典の一として重視されていた当時 シ ノ. チ ル. ト. シ クノ. の状態から考えて, 法華経, 讐n 諭品に 「如来復如 是. 則 為二一切世間之父- , 「如来復如 是. .」 ル ′ ノ ト レ ノ 為二一切 衆生 父- 」 とあり, 「一切衆生. 皆是吾子.」 とあり, 「一切衆生. 皆是 吾子 」「其中 . . ク レ ノ シ 衆生. 悉 是 吾子.」 とあるのや, 長者の言として 「今此 幼童皆是吾 子 愛無=偏党-」 なども無 , . 視できないと思う. ことに 「蒼生」 の語に至っ ては, 維摩経義疏ヤ こ 「下化;蒼生Z」(21.22.2 7.. 30・33・44) と し て 多 用 さ れ て い る の は, こ の 歌 の 楓 諌 性 を示 唆 す る も の と 言 えよ う ,. か く て,. この歌序が太子と親縁ある経疏に関係のあることは疑いない ところで, 太子の影響も当然考えら れよう. トシ ニ ム トラ 長歌においては, 代匠記に陶淵明の貴子詩に 「通子垂二 九齢「 但覚二梨与。栗 」 とあるを挙げ . ノ モ クト ′ ヲ な ほ ているのは無視できないであろう。 法華経, 讐n 命品の傷に 「諸子是 時. 離 聞二 父 講→ 猶故楽 -1 1-. . ● . ・ . ・ J ・ . . ・ ・ ・ . ..
(13) . Vo l ,I ,21 No. l Ju y ,1970. i i f Educa i i do Uni t t on IA) f Hokka on (Sect lo vers Journa yo. 著. 嬉戯不 己.」 や 「諸子是 時. 歓喜踊躍。 乗二是 宝車- , 嬉戯快楽。 自在無機.」 . 遊二於四方- な どは, ともに長歌の発 想にヒ ントを与えているのではないかと思う, 原典のこのあたりについ 及。 己,」 (84) ては, 太子も義 疏に 「而諸子楽著嬉戯, 不 知二火出之所以- 亦不 知二焼 将 云 々 と 多 く の ス ペ ー ス を と っ て 釈 し て お ら れ る. ・こ の 火 宅n命に 「眼 交 に. もと な か か りて. 安眠. し寝さぬ」 のヒ ントを与えられ, 「何処より 来りしものぞ」 に対しては, 代匠記に 「宿世の因 縁に依りて 親とな,り子となるとは聞けども宿命知なければ知られぬ故なり」 とあるによれば, こ れはこれらの照応の 妙を示そうとしたもの かと思われる。 かくて, 憶良は陶詩の通子や法華 経の 火宅に嬉戯する諸子に示唆を得て, それらをないまぜて長歌を物したものであろう.. )土屋文明氏 が 「たまたま国司として前篇の如き教職の歌並に序を作 次に制作動機について, 2 ったので, 其の表 裏たる親の道徳を歌はずに居れな かっ たものであらう.」 とされたのに は筆者も 反対でなく, 歌序の 「蒼生」 が維摩経 義疏に頻出する 「下化蒼生」 によるものとすれば, 同氏の 説に積極的に賛 意を表したい. すなわち, 山沢に亡命 しようとする人々に対して, 子への愛情に. 訴 え よ う と し た も の で, 表 面 は儒 教 倫 理 に よ っ て い る こ と は 明 か で あ る, し か し, そ れ だ け では,. 文学としての昇華は望む べくもない ので, 彼壮年の日の体験に基 づき, 蘭虫目の虚構を設け, 発 愈を活かして, かなりリアルに描いているのは注目す べきである. 想に陶詩と火宅P この長 歌に次ぐ反歌. (5・803). 銀 も金 も 玉 も 何せ む に 勝 れ る 宝 子 に 及 か めや も. 富 財宝 は, 同経, 信解品の長者窮子輪によるところ少なくないであろう. すなわち, 「其 家大シテ ク リ 『 老朽 多 有二 無量. 金銀琉璃珊瑚貌拍頗梨珠. 其 諸 倉庫 悉皆盈溢.」 とある長者も, 「目念 負物「 金銀 珍宝倉庫 盈溢. 無 有二 子息- ,』 是以 感惣毎 . 一旦終没. 財物散失, 無し所二委付‐ ノ 三 二 快楽. 無. 復憂慮‐ 憶≧其 子 . 復作1思念 . 我若 得 寺 委 付 財物「 坦然 .」 としている. 倉庫に 充満する珍 宝・財物も.一子に及ばない意をそこ から汲みとることは容易であるから, これ に粉本を仰いだ可能性は少なくな い. すでに指摘さ れているように, この歌は観念的なき らいは. 一秀作たるを失なわな い, さ らに粉本としては, 同経, 五百弟子受記品の 「警 免れな いが, また. ノ テ ベキ了リデ ク リテ 行. 以二無価 宝珠‐繋二 其 衣裏-与し 如有 人. 至; 親友 家-酔 酒 而臥. 是 時親友官事当 之 去. 其 人酔 臥 不二覚知-.」 とある衣珠輪も挙げることができよう. 無知の衆生にとって, 無価の宝 珠も, 何ら価値なき 意を転用したものかとも思われる, 「無価の宝珠」 は, 前述のよう に旅人の讃酒歌中に も用いられているが, その 前後関係は明かでない. かくて, この思子等歌も, 旅人の讃酒歌や梅花の歌に反擬したものであるとも必ずしも断じ去 ることはでき まい. 旅人の示唆 の形跡あるとするならば, やはり首都文 学に反応して, それの果 し得な い分野において, 新文学を提示したものとすべきであろう,. 、 次の 哀世間難住歌も, <歌序十和歌>の形式をおそい, これは無常観を主としている. あるし フ. ノ ニ. スル. レドモ ノ. ニ. シテ. グ. 此 衆生皆己衰老 過二 は, 法華経, 随喜功徳品 の 「我己施二衆生娯楽之具- . 随二意 所。欲. 然 不 久, 我 当 以二仏 法-而 訓二導 之-」 あ た りに, ヒ ン トを 得 た も の で 八十「 髪白 面搬 将y 死 あろうか, 本朝月令 (年中行事秘抄 所引) の五節の歌, 古事記歌謡 (記2・3) を駆使した長歌 も出色 の作であるが, これら古謡の使用は, 類票歌林編集中の体験による ものであろう. この歌 のテーマは, その反歌 常 磐 な す 斯 く し もが もと 思 へ ど も世 の 事 な れ ば 留 み か ね つ も. (5・805). に尽き るのであるが, 彼は神仙 説の不老不死に対して, 人生の無常を具体的に描写しようとした 一 12 -.
(14) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和45年7月. ものである. これによっ て, 反招隠的態度 を示そうとしたものであろう,文選, 醜女帝の芙蓉池作 ズ タルラ ニ カ ク ン 寿命非二松 喬「 誰能 得二神仙「 遊遊 快二 心意「 保 己 終二 百年- . を 粉 本に し て い る か もし れ な い.. 嘆老の情が強く前面におし出されてはいるが, これも一種の令反或情的態度といえよう. この )稲岡耕二氏が 「すべなさを歎く心は同時にすべを求める心でもあ る 」 意味で, 前掲のように, 3 . と説かれたのは注目すべきである. 長歌冒頭の 「世間の 術なきものは 年月は 流るる如し」 も, 絶望の深淵に沈んでしまうものではなくて, あらたなる 「すベ 」 を求めようとす る憶良文学 . ) 4 の本質の片鱗を示すものと言えよう. それゆえ, 私注に 「どこまでも国司として接した老年者 に対する測隠 の清からである.」 とされたのは, どうであろうか, この歌も, 神仙説に対して, 無 常迅速の避けがたきを具体的に表示しようとしたもので, 憶良が首都文学を意識していることは. 否定できない. 歌序に 「以 撒二二毛之歎-.」 とあるのは, 文選, 港安仁の秋興賦によっ たもので あろうが, その制作動機は, 藤原宇合の 「悲二不遇-」 (懐91 ) と題する五言詩に, 「二毛雄二 己 メリト 万 富- 巻徒然 の浅薄を衝こうとはしていないだろうか 貧 」 , . . )家永三郎氏が 「仏教を 『世間虚仮』 の道を説く 『正法』 として信受したのは, 聖徳 ことに, 5. 大・ 子のような孤立した思想家に限定された例外的現象にすぎず, 支配階級の多数は, 伝統的信仰 がもっていなかった 壮麗な伽藍や端厳な仏像をそなえる新しい呪術として 仏教を受け入れたので あり」 か. る傾向は奈良朝に入 っても盛んになるとも衰えることはなかったと考えられるから, かかる浅薄な傾向に対する憶良の大乗的立場からの反機もあろう. 彼が帰京後においても, 「貧. 窮問答歌」 (892・89 3) を作 っ て某高官に謹上しているのは, 維摩経, 弟子品において, 富豪を 棄てて貧村に食を乞うた迦葉と, まず富豪である維摩を施主に選んだ 須菩薩が, ともに貧富を差 別的にみているとして維摩に珂られ, 空観に反することを指摘された故事の影響が考えられない で も な い.. すると, 旅人によって点じられた空観は, 終生憶良の胸に燃え続け, 太子への接近によ って, 仏教思想の成長が促されたと認められ, これが憶良文学の成立に大きな役割りを果していること. は, もはや疑いないところである. 以上, 撰定歌三篇を中心に見ても, 維摩・法華経への接触, 空即是色への理解が考えられ, そして彼の現実への関心, 「すべなさ」 の中に新たな 「すべ」 を. 見出そうとする態度も, 奈辺に基づくかが理解されよう. かくて, 旅人の 「空し」 は仏典語 「空」 の 直 訳 語 で あ るこ と も 明 か に な る だ ろ う. 注 1) 2) 3) 4) 5). 小島憲之 土屋文明 稲岡耕二 土屋文明 家永三郎. (昭和45年4月30日). 上代日本文学と中国文学中 98 7頁 6~98 万葉集私注 巻五 33頁 大伴旅人・山上憶良 (講座日本文学2 上代篇2) 4~45頁 前掲書 4 飛鳥・白鳳文化 (岩波講座 日本歴史2). -1 3-.
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