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日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想(3)-西南戦争までの戦時会計経理制度-

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(1)Title. 日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想(3)-西南戦争までの戦 時会計経理制度-. Author(s). 遠藤, 芳信. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 56(1): 17-32. Issue Date. 2005-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/803. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育人学紀要(人文科学・社会科学編)第56巻 第1弓 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.56,No.1. 平成17年8月 August,2005. 日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想(3) 西南戦争までの戦時会計経理制度. 遠 藤 芳 信 北海道教育人学函館校社会科教育研究室. Wartime Organization and Thought of the Mobilization Plan. beforetheRusso−JapaneseWar(3) ENDO Yoshinobu. DepartmentofSocialEducationHakodateCampus,HokkaidoUniversityofEducation Hakodate O40−8567. 概 要 戦時編制と陸軍動員計画を支えるものに戦時財政とその会計経理がある。前稿では1875年の『軍制綱領』 を検討した。『軍制綱領』は,陸軍省は「陸軍兵馬」に関するすべての事務を統轄し,その事務は諸兵編制 配置と陸軍会計経理にあるとした。つまり,常備軍を維持する軍事費(陸軍経費)の管理が陸軍省の最重要 な省務の一つになる。軍事費は,およそ,平時の常備軍自体を維持する軍備費(平時経費,経常費)と,戦 時の費用(戦時費用,戦争費),その他(別途費・臨時費,非常費等)に区分される。本稿では軍事費の中 で特に戦時費用の管理区分や戦時会計経理制度が戦時業務との関係でどのように成立したかを考察するもの である.. 6 陸軍会計経理制度の成立 まず,平時における陸軍会計制度の成立から考察する.1875年の『軍制綱領』は「定額金ハ毎年陸軍省二 於テ調査シタル諸経費ノ予算二基キ決定セラルル所ノモノニシテ,各月之ヲ大蔵省ヨリ受領シ」云々と記述. している.(1)ここでの「定額金」が平時の常備軍自体を財政的に維持する軍備費に相当するものである. (1)陸軍省定額金の比率の考え方. 定額(金)の考え方は,まず,兵部省時代の1870年9月29日の太政官の「現米三十万石並諸藩上納之海軍 資金年々其省へ御渡可相成侯問海陸軍諸般之用度二可充侯」という達文に記載されている.それまでの新政 府の軍資金は,各藩の石高に応じて上納させていた.これに対して,上記の30万石算出の根拠は,必ずしも 明確ではないが,前年12月の広沢真臣参議の記録が参考になる.すなわち,府県藩の管轄高を合算した全国 歳入(800万石)中から華族・士族等の家禄・賞典終身下賜等を除いた残高(600万石)らの貢米150万石を. 17.

(3) 遠 藤 芳 信. 政府収納高と算出し,その政府収納高の「五分の一を以て海陸軍一切兵事に関する費用の定額とす」という. 広沢算出記録の30万石に合敦している.(2)この場合,国家予算に占める軍備費の比率は,当時,「兵権を 朝廷に収むる初めに,欧州の別に倣ひ,歳入の四分の一を以て軍備充実を謀らんことを期せり」(3)とされ るが,そもそも,その欧州を基準にした「歳入の四分の一」の根拠は明確ではない.ただし,谷干城は1870 年6月に上京した時に,フランス人将校のジュ・ブスケ(幕末に来日.フランス公使館付通訳官になり1870 年11月から兵部省顧問になる)から,フランスでは「国人四分の一文は五分の一当時国の制なり」という話 を聞いたと紹介している.(4)当時,日本の人口にほほ近かったフランスの国家予算に占める軍備費の比率 を参考にしたことも考えられる.また,上記の30万石は,それまでの各藩等の兵制が不統一であったことに 対して,10月2日の太政官布告による陸軍のフランス式の統一採用(海軍はイギリス式)にもとづき,「兵. 士ノ教育訓練其他兵器ノ製造等」の事業に充用されたとされている.(5)定額金決定は,陸軍建制期におけ る常備軍としての兵制の統一をめざす政策のもとに策定されたものである.なお,1870年9月の太政官達は 「戦争費用之外臨時諸費」は支給しないと指示した.つぎに,翌1871年7月の廃藩置県後の9月28日の太政 官達は,従前の陸軍定額金と海軍資金等を廃止し,当分は800万両を陸軍の「常額」とし,50万両を海軍資 金と定め,さらに,これらの定額の外に,陸軍の臨時費用のために25万両が確保されていると兵部省に通知 した.兵部省全体では875万両になるが,上記の広沢真臣算出の600万石を1石8両相場とした場合(600万 石×8両=4,800万両)の基準から見れば,約18%を占めることになる. (2)近代国家予算会計制度の開始と陸軍省. 近代日本の国家予算会計制度の最初とされているのが,1873年6月9日太政官連番外の「明治六年歳入出 見込会計表」である.この「明治六年歳入出見込会計表」の成立過程における各省定額をめぐっては,前年 から大蔵省と各省(特に,文部省,司法省)との問で種々の確執等があったことは周知の通りであるが,「一. 時八釜しかった陸海軍の要求額は,その後略ぼ妥協成立し」たとされている.(6) ところで,山県有朋陸軍大輔は前年の1872年壬申11月8日付で正院に対して,来年の陸軍省定額金の見積 書を大隈重信参議に提出し,「大蔵省へ条約吾之箇条改定ノ廉モ有之侯」として,作成中の同「条約吾」の. 関連事項も含めて定額金からの支弁区分方針を評決してほしいと申進していた.(7) ここで,まず,陸軍省と大蔵省との問の「条約書」とは前々稿で示したもので,それまで陸軍省管轄になっ ていた全国旧城郭と軍事に関渉する地所・建物等を「存城」(陸軍必用の分)と「廃城」(陸軍不要の分)に. 区分し,陸軍に必要なもの以外をすべて(附属物も含む)大蔵省に引き渡すという内容であった.陸軍省は 本条約締結を1873年1月9日の全国鎮台配置改正等と合わせて検討していた.すなわち,同じ前年の壬申11 月24日の山県有朋陸軍大輔の正院宛申進吾は,将来の陸軍省入用分は無代で引き渡してほしいことは当然で あり,「現今差向鎮台差置度箇所」は引き渡してほしいことを申し漆えた.また,陸軍省作成の「条約書」(案) では,「全国防禦線決定ノ日二至り砲=垂壁等建築ノ地所ハ陸軍省ニテ選択シ其代金ハ大蔵省ヨリ弁ス可キ. 事」と起案されていた.(8)これに対して,正院から照会された大蔵省(大蔵大輔井上馨)は,陸軍省案の 「存城」の分の評決・指令には同意しつつも,「廃城」の分は県から開墾等の用途の申請が出てくるので, 受付等に関する指令を早く出してほしいことを1873年1月13日付で回答した.以上の陸軍省と大蔵省との「条 約書」は正院において了承され,1873年1月14日に太政官から両省に速された. さて,上記壬申11月8日付の山県有朋申進吾は,定額金の支弁区分方針として,①「供奉」の時は平日支 給すべき分のみを定額から給与することを申し出ていたが,その他の入費もすべて繰り合わせて定額内から 支弁すること,②「暴動非常」の場合には,どの程度の入費になるかは測りがたいので,定額内から支弁す ることを決定することは難しいこと,⑨「非常天災」による大破損に対しては,定額内での修繕調節が難し い時には,臨時に適宜に評議されるべく伺い出ること,④武庫(兵器の貯蔵と出納等の管理所)あるいは陣. 18.

(4) 口露戦争前における戦時編制と陸軍動員計両一思想(3). 営建築等の時には,地所をさらに大蔵省から受け取ること,⑤地税はすべて差し出さないこと,⑥今般の定 額減少があっても,陣営等新築を是非しなければ計画と「不協箇所」が出てくるので,その時には別に入費 を申し出るが,定額外に渡されたいこと,を述べた.. これに対して,正院はただちに同11月8日付で大蔵省に対して,陸軍省上申に対する意見を求めた.大蔵 省は同11月(日付欠く)中に検討し,井上馨大蔵大輔が,①については,陸軍省の見込みに任せること,② 「暴動」であっても「行軍用兵ノ挙動」対象にならないものは定額内でとり賄う方針であり,「一揆騒擾等 ノ類」に対する出兵の場合は定額外が然るべきこと,⑨については,陣営等の破損修繕は定額内より処置し,. 「非常天災」による大破損が格別である場合には,臨時に評議することは当然であること,④については武 庫や陣営等の建築地所やその他の陸軍省入用地は,現在進められている陸軍省との条約締結の趣旨にもづき,. 場所交付の支障有無を調査した上で許可したいこと,⑤については,地税は税制一般の方針ができるまでに 聞き置かれてよいこと,⑥については,陣営等新築は⑨に準じて先ず定額内から支弁する覚悟がなければ,「歳. 出入限内」での使途方針がなくってしまう,という意見を提出した.他方,正院は,1873年1月の全国旧城 郭等の管理にかんする陸軍省と大蔵省との「条約書」承認及び税制確定をふまえ,さらに陸軍省申進に対す る大蔵省の意見を聴取したものと考えられる.すなわち,正院からの意見聴取に対する井上大蔵大輔の1873 年2月3日付の正院宛回答書が残されている.その井上の回答書は,特に,上記②⑨に対しては定額外とし て「納定取極置侯」とし,上記⑥に対しては前年11月の意見とほぼ同趣旨を述べつつも,その扱いかたは② ⑨と同様に「共時々御臨議相成侯様致度」と述べた.これに対して,正院は井上回答書に対する陸軍省の意 見をさらに求めた.山県陸軍人輔の3月4日付正院宛申進吾はほほ井上回答書に賛意を示したが,上記②に ついては「御臨議二相成侯迄モ之無勿論額外二御決定有之度」と強調した.つまり,山県有朋は「暴動非常」 対応費額を定額外としつつも,その裁定は内閣での臨時評議対象からはずすことを求めたのである.しかし,. 正院は3月9日に,2月3日付の井上大蔵大輔回答書にそって,②⑨⑥については「臨時御評議可有之事」 という指令を陸軍省に下した.山県有朋申進吾の②の意見は退けられたのである.. 日本の近代国家予算制度成立期は,軍制史上は鎮台配備計画期と徴兵制の導入期と重なり合っている.そ の場合,軍備配置方針としての「全国防禦線」を確定することなく,陸軍省予算費額の定額が決定され,か つ,国家予算に占める海軍省予算を含む軍備定額比率としての約五分の一の指標のみが先行したことになる.. すなわち,1873年6月9日太政官連番外の「明治六年歳入出見込会計表」においては,歳出総計4,659万5,600 円(同年6月17日訂正による)の中に,陸軍省歳出費額は800万円,海軍省歳出費額は180万円とされた.こ れは,陸軍省歳出費額だけでは歳出総計の約17%を占め,陸軍省と海軍省の歳出費額合計分の980万円は約 21%を占めることになる.つまり,国家予算の中に軍備費は約五分の一を占めるに至り,建軍期早々におい て,歳出比率では当時の欧州国家と同率になった.なお,同年5月2日の太政官職制章程における正院事務 章程では,正院専掌事務条=として「第四= 歳入ノ事」と「第五= 歳出ノ事」が加わり,第五=には「諸 官省各局各地方官公費ノ額ヲ定ムル事」等が規定され,大隈重信によれば,正院は「財政策の枢軸を握り,. 各省の要求を調節=梅して,与ふべきは与へ,拒むべきは拒む事に」するとされた.(9)また,第五=には 「臨時諸費ノ制限ヲ定ムル事」「非常ノ軍費及国費ヲ裁定スル事」も規定され,非常時軍費の裁定等は内閣 の職権になった.なお,当時の会計年度は1872年11月の改暦により,1月から12月が会計期限とされた.さ らに,会計年度は1875年からは7月1日から翌年6月30日までと変更され,1886年度からは4月1日から翌 年3月31日までとされた.. その後,1874年5月13日太政官達第62号の「明治七年歳入出見込会計表」の「歳出之部」においては前年 と同様に陸軍省歳肘費額は800万円とされた.これは,前稿で述べた台湾事件の最中に布達されたものである.. 他方,山県有朋陸軍卿は同年7月10日付で「本年当省定額金之儀二付伺」を太政大臣に掟出した.山県有朋. 19.

(5) 遠 藤 芳 信. の伺書は,まず,①当初,1874年の陸軍経費の調査にもとづき約920万円余を上申したが,800万円の定額に 決定されたので「省略」すべきところを再調査した結果,別計算の870万円になり(「本年経費金再調帳」),. 70万円の不足になること,②今後種々の差し繰りをしたとしても,すべて不可欠の用途であるので,この上 さらに「省略」することは困難であること,⑨各鎮台及び諸寮司等における多少の残余によって不足分を補 充しても,870万円を補うことはできないこと,④今春以降の大坂鎮台への召集歩兵1大隊並びに砲兵1座 及び仙台と熊本の鎮台召募の歩兵の入費は別計算(870万円)に参入していないのでさらに若干の不足が生 じることになると述べた.そのため,歳末に至り決算を立てるに際しての不足分は,上申していた通りに定 額外としてお渡し願いたいと伺い出た.. (10)これに対して,7月27日の太政官正院においては,まず,「抑. 各庁之費額ヲ定ムルヤ其金員ヲ計テ其事務ヲ整理シ必ス制限ヲ捻ユヘカラサルハ論ヲ竣ス故二額金ハ有余ヲ 収メテ不足ヲ給セス如シ其レ事務ノ順序二因り額金ノ支へ難キヲ見込侯ハハ先其事務ノ弛張ヲ棄議スヘキハ 至当之義二可有之卜被存侯」と,各省庁の定額内での厳格な支出管理に関する原則的な考え方を示した.し かるに,①陸軍省の場合は,昨年には多少の「残嵐」があったが,今年は(削減することなく昨年同様に) 据え置きになった,②その「残嵐」の残金は(本来国庫に)納付すべきものであるが,未だに済まされてい ないと,陸軍省を批判した.さらに,陸軍省に対する上記昨年3月9日の正院指令及び1873年1月の太政官 達(全国旧城郭等の管理に関する陸軍省と大蔵省との「条約書」)を示し,「非常並別段建築等之入費」につ いては別途に申請すれば臨時評議することもあり,以後半年間に何ほどかの差し繰りも可能であり,かつ, 他に影響を与えることにもなるので,「聴許無之方可然」と判断した.そして,正院は8月29日に「精々差. 操ヲ以取賄侯様可致事」と陸軍省に指令を発し,陸軍省の伺いを退けた.(11) 近代国家予算会計制度は,「予算ノ法ハ量為ノ方ヲ定メ国用ヲ制スルノ基礎ニシテ理財上最モ緊要ノ務卜. 為ス」とされるように,(12)国家財政支出の制御を基盤にして,国家・社会の展望等を左右するものであっ た.これに対して,山県有朋陸軍卿の伺いは,軍事優先の考え方のもとに,経費の「必要」を強調すればた だちに認められるべきであるという,他官省を顧みない自省中心的な思想を示したことはいうまでもない. なお,ここで,1868年(明治元年)から1875年6月までの実際の陸軍省・海軍省管轄関係の軍備費支出合 計をみておこう.1879年12月27日の大蔵省の太政大臣宛提出の「自明治元年一月至同人年六月 決算報告書」. には「第二号 明治元年ヨリ同人年六月二至ル八期間ノ歳出決算統計表」が記載されている.(13)歳出区 分全十六=のうち第一=から第九=までが通常歳出とされ(合計242,801,605円),第十=から第十六=まで が例外歳出である(合計116,645,077円).通常歳出としての陸軍省・海軍省管轄関係の軍備費支出は第二= に含まれ,その人期間の合計は47,820,674円である(陸海軍費 〈軍防事務局,軍務官,兵部省,陸軍省〉, 陸軍兵器買入代,陣営建築費,徴兵費,神奈川港兵営費,海軍費 〈海軍省〉,軍艦買入代〈軍艦諸費〉,海軍 兵器買入代).すなわち,通常歳出合計に占める陸軍省・海軍省管轄関係の軍事費支出合計比率は約19.7% であり,まさに,実際的にも国家予算の五分の一の比率を占有してきたことになる.. 7 戦時の陸軍会計制度の成立 一戦時費用区分概則の制定と兵端概念の端緒的形成一 戦時の陸軍会計制度の成立過程は必ずしも明確ではない.戦時における財政や会計制度に直結した規定と. しては,建軍期においては,主に給与関係にかかわる規則がある.たとえば,前々稿で紹介した1871年7月 陸軍士官兵卒給俸諸定則である.同定則は,賑他金にかかわって「創痍戦死等ハ勿論在職年数二係ラス賜金 有之」と規定し,「出征巡遊」における支度金・荷物量量・旅中賄費の基準を規定した.ここで,「戦死」や 「肘征」の用語が記載され,「戦時」や「戦闘」が想定されていることを窺うことができるが,そもそも,. 戦死・出征をめぐる定義やカテゴリーは明確ではない.その後,1873年3月27日陸軍省達陸軍給与表は,平. 20.

(6) 口露戦争前における戦時編制と陸軍動員計両一思想(3). 時を基準にした給与表を規定したもので,戦時の給与関係を記載していない.ただし,同年4月10日陸軍省 から第五局及び近衛局への達「行軍並二陣営転移給与概則」(行軍・陣営転移時における旅中俸給の増加等. を規定)が,後述のように出征時の給与基準に準用されたとみてよい.(14) 戦時の陸軍会計制度の明確化は,そもそも,「戦時」とは何か,「戦時」と称する期間をどのように国内法. (国際法との対応を含む)として規定するか,等々の,政府・国家としての高度な認識・判断を基盤にして 行なわれるものである.本稿では,陸軍おける「戦時期間」の認識の形成も含めて,戦時の陸軍会計制度の 成立を考察する.まず,陸軍会計制度における平時と戦時の経費・費目区分の考え方から検討する. (1)1874年陸軍省費用区分概則の制定と1875年陸軍給与規則改正 上記の大蔵省編纂の「第二号 明治元年ヨリ同人年六月二至ル八期間ノ歳出決算統計表」の通常歳出中に. 含まれた陸軍費の経費内訳の主な区分基準になったものは,1874年11月25日陸軍省達布第423号陸軍省費用 区分概則である.これは,前年1873年12月27日太政官達第428号の金穀出納順序に示された経費内訳表にも とづき費目区分したとされている.本来は,太政官達の金穀出納順序は1874年1月から施行することになっ ていたが,陸軍省では整理がつかず,約1年間延ばされて規定された.本概則は,第一に,「費目」として, 官員俸給,等外俸給宅科家具科,旅費,賜僕科,諸賄科,隊外食科,免職死亡賜金,扶助手当金,外国人給 料,同旅費,同接待費,同諸費,留学生資金,雇月給,諸傭給,人足費,運送費,庁中備品,′ト買物,書籍 費,郵便税,電信機通信料,陣営備付雑具,被服費,兵器費,弾薬費,製作並修復費,建築費,営繕費,地 所並家屋費,厩費,馬匹料,患傷費,薬剤費,囚獄費,徒刑費,探偵捕亡費,諸雑費が掲げられ,第二に,「兵 隊並生徒費目」として,俸給,官宅科,賄科,食米科,馬飼料,消耗品科,雑具永続科,修理費が掲げられ た.経費区分が多岐にわたっているが,本概則は1875年1月1日より施行するとされた. なお,1875年12月25日の陸軍給与概則(1876年3月13日陸軍省達第38号による正誤改刻)は,以上の1874 年陸軍省費用区分概則を主たる基準にして規定された.また,上記の1875年の『軍制綱領』における陸軍会 計経理と給与関係の費目も同様に1874年陸軍省費用区分概則及び1875年陸軍給与概則改正を参照して編集さ れたとみてよい.ただし,『軍制綱領』は,「戦時出征」時における給与(被服装具等,文官も含めた手当支. 給,幕僚・参謀等への乗馬支給)も説明し,さらに,「戦時停虜トナルトキハ本俸三分ニヲ減シ,増俸ハ給. セス」と記述していることは注目される.(15)前稿で指摘したように,1873年3月陸軍省条例においては 陸軍省第一局第四課(軍法・葬祭を管掌)が「戦時停虜」の取締りと経理を規定していた.翌1874年10月の 陸軍省条例改正においても同規定は継承されたが,『軍制綱領』は戦時に停虜・捕虜として処置されること を給与関係上から公認していることは注目される.. さらに,1875年11月8日陸軍省達第112号によって,後備軍召集条例が制定された.後備軍服役兵員の召 集規則を規定することは,「平時戦時」にともに速やかに召集し,隊伍への編成を容易にし,支障ないよう にするためである(第1条).ただし,本後備軍召集条例は,おおむね,平時の復習に向けての召集手続き を規定したものである.また,同1875年11月17日陸軍省達第122号によって後備軍官員服務概則が制定された.. これは,鎮台司令長官のもとで鎮台管轄管内の後備軍服役中の下士兵卒にかかわる事務・事件等を管理する 官員(司令,副官,書記,府県駐在曹長)の服務を規定したものである.すなわち,後備軍召集条例の制定 に対応した措置である.後備軍召集条例が制定されたことは,戦時における兵力(戦時定員)の充足・編成・. 動員の手続きの端緒的な規定化に至ったことを意味する. (2)台湾事件と平時戦時区分の明確化問題. さて,以上の陸軍省費用区分概則が制定された1874年は,佐賀事件,台湾事件が発生した時期である.こ の中で,特に台湾事件にかかわって平時と戦時の区分を積極的に明確化しようとしていたのは海軍省であっ た.すなわち,台湾事件にかかわって,海軍大輔川村純義は1875年1月28日付で太政大臣に「番地御処分中. 21.

(7) 遠 藤 芳 信. 平戦区分之義二付吏二伺」を提出している.(16)これによれば,まず,海軍省はさきに台湾事件にかかわ る平時と戦時の区分の明確化を伺い出たが,太政官から1月25日付で,陸軍省との協議の上で「両省一同可 伺出旨」の指令を受けたとされている.しかし,同伺い以前にすでに陸軍省との打ち合わせをした結果,「同. 省定見之無段回答有之」という次第なので,太政官からさらに指令を出してほしいという内容であった.こ れに対して,太政官は,同年3月12日付で,「伺之趣ハ長崎発艦ノ日ヨリ北京訂約ノ報ヲ得シ日迄ヲ以テ戦 時卜者倣処分可致事」という指令を海軍省に発した.また,海軍省への同指令を同日付で陸軍省にも達した. すなわち,人政官は台湾事件における戦時を,「長崎発艦」の1874年4月27日から同年10月31日の「北京訂約」. の報告受理日までと規定したのである.ここで,海軍省と陸軍省との問で戦時区分をめぐって協議がなされ たとされるが,その内容は不明である.ただし,陸軍省は台湾事件をめぐる戦時区分に関しては,「定見之無」. という立場であった.陸軍省が台湾事件における出兵に対して,平時戦時区分の認識や判断をあえて示さな かったのはなぜだろうか.. 第一に,陸軍省側から見た台湾事件処理に関する政府官制上の管轄権問題があったと考えられる.台湾事 件に対する政府官制上の管轄は,1874年4月4日に台湾番地事務都督に任命された西郷従道と翌5日に太政 官正院に設置された台湾番地事務局(長官は参議大蔵卿大隈重信)にあった.台湾番地事務都督及び台湾番 地事務局は法律的には臨時に特設された文官職の一般行政官庁である.しかし,実質的には,松下芳男も指 摘するように,西郷従道の台湾番地事務都督は「台湾征討総督」または「台湾征討軍司令官」のような武官. 官職であり,大隈の台湾番地事務局は「台湾占領地総督」という名称が適合していた.(17)この場合,西 郷台湾番地事務都督のもとに「台湾征討軍」として編成されたのは,熊本鎮台歩兵第19人隊,東京鎮台第3. 砲兵隊,鹿児島県下で臨時募集に応じた士族臥(18)その他であり,合計3,600余名であった.また,海軍 は日進,孟春,竜嬢,東,筑波の5軍艦が出動した.以上の西郷台湾番地事務都督のもとに編成された「台 湾征討軍」は,実質的には戦闘力行使の特設軍隊としての性格をもっている.そして,特設軍隊としての側 面が強調されることは,太政官制度下において,一時的には軍政・軍令上において,陸軍卿管轄の軍隊と台 湾番地事務都督管轄の軍隊が,いわば二重構造的に存在していることになる.問題は,陸軍省・陸軍卿が同 特設軍隊の戦闘力行使にどれだけ法律的に関与・関知できたかということになる.前稿で指摘したように, 当時の陸軍卿山県有朋は,台湾出兵には反対であり,かつ,「平戦ノ権ハ陸軍卿ノ檀ニスル所ニアラス」と 述べていたように,法律上は,陸軍卿には戦争の開始・終了時期の判断等に関する権限等はないと認識して いた.この当時の山県有朋の認識に基づくならば,まして,二重構造的に存在した(法律的には関与・関知 できない)特設軍隊の戦闘力行使としての行動(平時戦時の区分)に対する判断等はなしえないという立場 になり,「定見之無」という立場になることは当然であると考えられる.. 第二に,平時戦時の区分明確化を求める理由の問題がある.当時,海軍省所有の上記の日進等の5軍艦(排 水量合計7691トン)は全艦艇兵力の約62%に相当していた.海軍省側からみれば,自己兵力の過半数に及ぶ 出動軍艦等の勤務に対して,軍艦としての実際の戦闘行動はなかったとしても,「戦時期間」としての勤務 が適用されることは,たとえば,給与関係等の実務処理上においても特段の複雑さはなく,勤務者にとって も利益があると受けとめられる.これに対して,陸軍省側は,台湾事件に対応した部隊兵力は陸軍全体のご くわずかであり,「台湾征討」という戦時対応として編成された特設軍隊の行動費用は非常軍費として支出 されれば事が足りるという認識があったと考えられ,平時戦時区分の明確化には執着しなかったのであろう. (3)戦時費用区分概則の制定をめぐって. 陸軍省費用区分概則は1876年1月13日陸軍省達第2号によって改正された.それによれば,給与,庁中費, 厩費,営繕費,内国生徒費,外国生徒費,外国人諸費,兵器費,弾薬費,患者費,徒刑費,囚獄費,陣営備 付費,行軍費,後備軍費,徴兵費,各兵隊費の大科目に区別され,さらに,大項目はいくつかの小科目に区. 22.

(8) 口露戦争前における戦時編制と陸軍動員計両一思想(3). 分された.′ト科目はさらに細目に分別された.本概則は2月1日より施行するとされた.. ところで,陸軍省費用区分概則が改正された1876年1月は,前年9月の朝鮮沿岸における日本海軍の示威 航海や挑発を契機に勃発した江華島事件の処理に追われていた時期であった.日本政府は江華島事件処理に 向けて,参議中将黒田清隆を特命全権弁理大臣に任命して朝鮮国に赴かせた.陸軍省内では,「朝鮮征討軍」. の編成・派遣が検討され,その軍司令官への「詔命案」が起草され,山県有朋陸軍卿は「朝鮮征討師団司令 長官被 仰付侯 陸軍少将 大山 巌」等の辞令書を起案し,1月16日付で太政大臣に上申しようとしてい た. (19)また,陸軍卿山県有朋を下関に派遣し出師諸準備に従事させた.同時に,陸軍省においては戦時. 費用区分概則の制定が検討されていた.すなわち,陸軍卿代理鳥尾′ト弥太は1876年1月29日付で「戦時費用 区分概則之儀二付伺」を提出した.それによれば,①上記の陸軍省費用区分概則改正の費用区分の′ト科目自. 体の分別は平時においても手数が多く,区分が錯雑で訂正を要するために決算が遷延し,②戦時においては 急遽事態に対応し,臨機処分すべき費用が幾多あり,上記の′ト科目への分別は実際には実行しがたいので,「戦. 時ハ平時卜分別相立簡易之法相設ケ錯誤ノ弊害無ク到底速二決算可相立敦度」として,現行施行の費用区分. を約略した戦時費用区分概則をあらかじめ制定しておきたいと記載されている.(20)これは,江華畠事件 処理においては,上記の「朝鮮征討軍」の編成・派遣には至らなかったが,陸軍省では出師を予想した相応 の準備の必要性を認識していたことを反映している.. 陸軍省が起案した戦時費用区分概則はまず「凡例」として下記の5項目を示している.すなわち,①現行 の費用区分を約略し,大′ト科目の区別をなくし,15の科目を設ける,②実際には,以上の15の科目の要領説 明にもとづき,該費用の原由・種属・当否を検討し,編入する,⑨各費目に不適当な一種特別なものや区分 の判然が困難な費用はすべて諸雑費に編入し,新たな科目を設けない,④戦時の経費は即臨時費になるので,. さらに分別することはない,⑤「軍器費」や「需用費」(本営各部各課の日用の諸器械・書籍・図誌・消耗 品等に属する諸費)の中には平時の経費で購入・儲蓄して戦時に充用する等のこともあるが,同費用の金員 は平時の決算となし,「臨時ノ費用卜混同ス可カラス戦時ノ費用ヲ綜核シテ」,内訳明細簿に附録をつくりす. べての費用を整頓する,と示した.つぎに,戦時費用の具体的な区分としては,「俸給」(隊付隊外将校同相 当官以下軍属並びに文官判任以上及び等外吏を含めてすべて従軍する軍人軍属に支給する日俸月俸及び増俸 〈職務あるいは某職心得に対する増金,出征に対する増俸や平時特別の増給分を含む〉.御用掛や無等出仕 あるいは雇砲等の名義で出仕させる者,15等以上の月俸の者,外国人を従軍させる時の給料も含む),「諸傭 給」(馬丁役夫等の雇人で等外の名義なき者や諸職工人等の賃金),「旅費」(軍人軍属及び従軍者の旅費日当・. 旅寵料あるいは汽船汽車渡船賃航海賄料宿駕寵人夫賃の軍事行旅に関する費用,外国人使用時の旅費も含 む),「糧食費」,「被服人具費」(兵隊並びに被服が官給される下士以下傭工等の被服装具,患者囚虜の被服. 寝具並びに天幕軍幕・陣営需要の物具等の諸費),「軍器費」(銃=弾薬や攻守要具及びこれらの製造修理等 の費用),「需用費」,「郵便電信費」,「運送費」(海陸運搬に属する人夫・舟帝・牛馬の賃金,諸雑費等の費用), 「経営費」(舎営築造や塞砦攻防その他土工需用の木石代科工科等すべての修繕費用を含む),「厩費」,「傷 病費」,「賜金」(「出征手当金」,特別の慰労金・酒肴料・賜僕科,傭役諸職工等死傷に対する手当金等の弔 意賜金,外国人使用の手当金・謝金・功労賜金,職工等死傷に対する定規外の賜金を含む),「囚虜費」(囚人・. 停虜に属する費用,探偵・捕獲等の諸費),「諸雑費」(諜報費,宿営の手当金・茶代,借家科,埋葬科,埋 葬に関する諸費,戦地における遺失や盗まれた金,その他費目区分に適当しないもの),の15科目に区分した. 以上の戦時費用の科目区分にもとづき戦時経費を推計する場合,あらかじめ想定できる軍人(将校・下士・. 兵卒)と軍属その他を基本にした人員の算出が最も重要である.軍人の場合は,その数は膨大になるが,戦 時における軍隊の編成と諸組織・機関等を規定した戦時編制に組み込まれて動員されるので,その戦時編制 に規定された人員(あるいは戦時定員・人員の考え方)を基準にして推計・算出できる.問題は,「軍属そ. 23.

(9) 遠 藤 芳 信. の他」の「その他」の人員である.すなわち,たとえば,戦時費用区分では「運送費」に含まれる海陸運搬 に属する人夫等の経費が相当する.戦時の運送にかかわる人夫等の算出については,陸軍省が1874年1月15. 日に制定した各種兵携帯銃器等当分別表(達布第16号)が参考になる.(21)それによれば,「六管鎮台各兵 ′ト銃弾薬運輸人馬表」(第五表)が規定され,戦時における各鎮台管轄下の諸兵(歩兵,騎兵,山・野砲兵, 工兵,蛸垂兵)の携帯′ト銃用弾薬運輸に必要な人馬等が算出されている(五兵の弾薬をエンピール銃弾にみ. なして重量を算定,1発量を11匁余とする).たとえば,第1胃管では,歩兵3個連隊の戦時人員6,540人に 対する備付弾薬で蛸垂隊が運輸すべき弾数は1,635,000発とされ(1個連隊の下士以下戦時人員は2,180人,. 3個連隊で6,540人.備付弾薬は一人につき300発であるが,内50発は胴乱に収入され,合計6,540人×250発), その他四兵合計戦時人員1,815人に対する備付弾薬で蛸垂隊が運輸すべき弾数は113,704発とされ,歩兵弾薬 数との合計は1,748,704発とされている.同弾薬を人夫で輸送する時の人員は4,048人が必要とされ,運送車 (4頭を繋駕)による輸送の場合は139帝,繋駕馬は556頭と算出されている.つまり,戦時人員に対する6 割強の人夫が小銃弾薬運送者として必要になるという算出である.その他に山・野砲の弾薬等の運輸がある ので,膨大な運送用人員・帝・馬匹等が必要になる.さらに,同戦時人員の糧食等の補給を加えるならば, 莫大な運送用人員・帝・馬匹等が必要になることはいうまでもない.. 以上の陸軍省の伺いに対して,太政官は2月3日付で大蔵省に陸軍省の戦時費用区分概則案に関する意見 を求めたが,大蔵省の回答は遅れた.そのため,陸軍卿代理鳥尾′ト弥太は2月18日付で太政大臣に対して「末. 夕何等之御指令無之目下之景況ニヨリ何時出師之程モ難計若其節二至り侯ハハ差支之儀モ不砂侯」と早急な 指令を催促した.陸軍省の催促は江華畠事件処理における緊張が続いているような認識をもっていた.その 後,大蔵省は2月28日付で太政大臣宛に陸軍省の伺い通りに裁可してもよいという回答を発した.大蔵省回 答は同2月27日の日朝修好条規調印の翌日であった.太政官では3月4日の閣議で陸軍省伺いに関しては, 戦時の費用区分は平時の費用区分のように精細には立てかねることもあるので,「実際不得止次第」である という判断のもとに決定した.そして,翌5日付で陸軍省に伺い通りの指令を発し,さらに大蔵省に対して は,陸軍省に戦時費用区分決定の指令を発したことを心得ておくように達した.太政官としては陸軍省の戦 時費用区分に対しては積極的な措置として判断したのでなく,上記のようにやむを得ないという認識が含ま れていた.上述のように,1873年太政官職制章程の正院事務章程は「非常ノ軍費」を歳出にかかわる裁定事 項としていた.その後,1875年4月制定の正院職制章程は歳出にかかわる細部の裁定事項等を規定しなかっ たが,戦時費用区分を含む「非常ノ軍費」の内容等に関する内閣としての認識・判断等の権限が完全に消失 したとは考えにくいだろう.したがって,内閣における「実際不得止次第」という判断は,「非常ノ軍費」 は歳出にかかわる裁定事項であることを踏まえた上で行なわれたものとみなすことができる.. 他方,陸軍省としては,戦時費用区分概則の制定をただちに部内に達したのではない.上記の陸軍卿代理 鳥尾′ト弥太の2月18日付の太政大臣宛催促文は,あたかも緊急事態発生に対処すべきものとして同概則制定 の早急な指令を求めていた.しかるに,陸軍省が戦時費用区分概則制定を陸軍部内に達したのは,翌年の西 南戦争勃発に際しての2月20日であった(陸軍省達乙第52号).かつ,上記の陸軍省伺いにおける概則の「凡 例」の全5項目(①∼⑤)を全5ケ条の条文に修正し,費用科目を含む一部の文言を修正した(5項目目の 「臨時ノ費用卜混同ス叶カラス戦時ノ費用ヲ綜核シテ」を「臨時ノ費用ヲ綜核シテ」と修正,「賜金」中の「出. 征手当金」を「出師支度科」と修正).すなわち,陸軍省は戦時費用区分概則の早急な制定を求めていたに もかかわらず,なぜ,ただちに制定して陸軍部内に達することをしなかったのか.この理由は,以下に検討 する海外出師会計事務概則等の制定との関係で明らかにされるだろう.. 24.

(10) 口露戦争前における戦時編制と陸軍動員計両一思想(3). (4)海外出師会計事務概則の制定と兵端概念の端緒的形成. 内閣記録局編『法規分類大全』は「海外出師会計事務概則九年月日閥」を収録している.(22)本概則の制 定趣旨は,江華島事件の処理の時期に,軍隊を海外・外国に出役させて戦争する可能性を想定し,その場合 の会計経理等の事務手続き等の規定化の必要があったものと考えられる.本概則は,陸軍運輸局を設置し, 下関にその支局を置き(「内地運輸」の集合所),さらに「便宜二依り対州ノー港二出張シ物品ヲ輸致貯蓄シ. テ是ヨリ発遣スルコトアルヘシ」と対馬への出張を規定しているので,海外出師先は江華島事件処理におけ る朝鮮半島であることは明確である.本概則の制定日付は『法規分類大全』編集者によって「九年月日闘」 とされているが,本文内容等をみれば,上記の鳥尾陸軍卿代理による戦時費用区分概則の太政大臣への伺い の1月29日前後から同決定の太政官指令がなされた1876年3月以降間もない時期であることは推定される. まず,本概則の章構成は,第一章 経理計算,第二章 費用区分,第三章 俸給支度科,第四章 旅費, 第五草 食科林菊,第六章 需要諸品,. 第七草 被服及陣営具,第八草 患者,第九章 牒簿,第十章 俸. 給牒,附録 混成師団属会計部 陸軍運輸局概則 陣中駅適任概則,とされている.この中で,第二章の費 用区分の条項は1876年1月伺いの戦時費用区分概則(すなわち一部文言が修正されて上記の1877年2月制定 の戦時費用区分概則になる)とまったく同一である.そもそも,戦時費用区分概則自体は戦時の会計経理に かかわる全体的な諸手続きと一体化されてこそ機能するものであった.そして,陸軍省の考え方としては, まず海外出師会計事務概則の全体を組み立てた上で,戦時費用区分の部分に関しては太政官の了解を得ると いう制定手続きをとったものと考えられる.その場合,規則効力上は,本概則自体はまったくの内部的な事 務規則として位置づけられ,かつ,布達・公示等を必要としない規則文書として扱われ,そのまま『法規分 類大全』の編集時期までに残存されたということになろう.ただし,西南戦争勃発に際しては,実際に戦時 に突入したので,太政官の了解済みの戦時費用区分概則(海外出師会計事務概則の第二章を抜き出したこと になるが)のみを単独で陸軍内部に公達したのであろう.. つぎに,本概則を規則効力上における「内部的な事務規則」と記述したが,その内容は戦時における諸給 与の内容と支給手続き等の考え方において非常に注月されるので,若干指摘しておく.. 第一に,第一章の経理計算においては,「戦時費用ハ凡該役二就テ臨時購求スル諸品ノ代科及臨時設立セ ル官麻ノ費用出師中本俸増俸其他一般ノ給与遊二事物二付テノ総費用等ヲ通計シ右ノ内戦時期限中常額費ヨ リ支給スヘキ金員及其剰余セル物品ノ代価トヲ減却シタルモノヲ全ク該戦役中ノ費用トス」(第1条)と戦 時費用に関する経理計算対象を規定した.また,会計経理計算や給与手続きにかかわる軍隊内の組織・機関 は,戦時に編成される師団,師団に置かれる会計本部,1873年在外会計部大綱条例で規定された司契課,監 督課,糧食課,被服課,病院課の他に囚獄課,陸軍運輸局が置かれることになっている.第三章の俸給支度 科においては,海外出師にかかわる増俸増給や支度科支給の手続きを規定した.また,「出師中敵ノ停虜ト ナリ戎行衛知レサル者十日以上復帰セサルトキハ本俸三分ニヲ減シ増俸ハ給スルコトナシ但シ其帰投ノ後ハ 回帰ノ時ヲ以テ再ヒ本俸増俸トモ旧二複スヘシ」(第12条)と,停虜になった者の俸給減俸や帰投者回帰の 場合の本俸・増俸回復を実務的に規定している.第五章の食料林菊においては,出師の際の「米穀薪炭抽醤 油塩草林等」はすべて「現品支給」とされ,出師該地の景況によって市街買弁できる時際は在外会計大綱条 例にもとづき現金支給があると規定された(第2条,定則の馬飼料も現品支給).第七草の被服及陣営具にお いては,①臨時支給の予備のものとしては,各兵・使役兵に対しては「略帽衣袴外套橋祥靴脚肝靴下袴下腹 巻長靴拍車正帽背嚢及属具患者服厚毛布等」を用意し,10月から4月の期間に寒地に出師するときは防寒の ために「綿毯無神橋祥遊袴下一組手袋一個」までを支給する(第6,7条),②戦地の景況や足痛等により 靴が履けない場合には,司令長官の命令或いは医官の診断によって,臨時に「足袋草鞋」の支給があること (第8条,ただし職工工夫には靴を支給せず足袋・草鞋を支給する),⑨一時雇役の職工工夫には帽・法被・. 25.

(11) 遠 藤 芳 信. 股引・雨衣を各1個支給する(第9条),④下士以下には出師中に「ブリツキ南柏遊水飲陣中嚢各一個」ま でを臨時支給する(第13条),⑤諸物品は,初度は本国で準備するが,海外において欠乏を生じ該地で買弁 困難な時は下関運輸支局に報告する(第16条),と規定された.第九章の牒簿においては,会計本部におい ては会計経理関係等の牒簿調製の他に,「雑誌」の調製(「出師中晴曇風雨気候ヨリシテ行軍航海戦闘布陣及. 外地風俗物産生業等日々官吏見聞ノ実況ヲ登録スヘシ」)が規定された(第4条).これによれば,会計本部 は一種の参謀業務や諜報業務まで広範囲な戦時業務を担うことになっている.. 第二に,附録の陸軍運輸局概則をみよう.陸軍運輸局の編制によれば,本局は陸軍省内,支局は神戸と下 関に置かれ,出投写需用の糧食弾薬その他運漕全般を管掌し,その買弁輸送等のためには時宜に応じて大阪 ′ト倉博多長崎対馬等の地方に僚官を派遣することがあるとした.運輸支局の主務は,官用船舶の管轄,船隻 の買入・雇上げ,人員糧食器械等必要物品の分配漕運の管理,船舶の名称・長短・積荷トン数・船身・汽鍾 の良否・製造年月・馬力・運転速度・船長以下乗組人名等を詳密に調査し,海運事業を精確適実ならしめる ことにあるとされた.運輸は「内地」と「海外」の二項に区別され,各々,各種兵隊の運輸,銃砲弾薬その 他砲廠工兵の諸具と会計病院相室廠の諸品の運輸,糧食薪炭草林その他日用全般の軍需の運輸の三件に区分 された.内地運輸における銃砲弾薬等の武器全体の運輸は,各所管で荷造りした後に件数を定め,時日を期 して運輸支局に交付し,さらに看守の人員を附して海外の指定地まで到着させるとされた.内地運輸におい ては,特に在外会計部大綱条例では規定されなかった地方行政機関との関係が規定されたことが特色になっ ている.すなわち,①米穀買集や損精品購求の際には当該府県に通報して同官員の補助を求めることがあり,. ②海外への発達の湊港における物品貯蔵庫や納屋の類の借上げの時に,「人民不当ノ価格ヲ貧」る場合や倉 庫が乏しい場合には当該府県庁に照会し,相当の代価を定めて払い渡し,又は倉庫の借入れを依頼すべきこ と,と規定された.海外運輸は,「新程蟻発」と「継行発運」の二項に区別された.後者の「継行発運」は「海. 外足留ノ地ヲ占メ」ている場合の運輸である.これは海外で一定の本拠地を確保・占拠している場合に,そ の本営と運輸支局との問で文書往復などによって時日船程等を期して発遺するので使易であるとされてい. る.他方,前者の「新程蟻発」は「上陸ノ地位確定セス」という場合の運輸である.これは非常に困難であ るとされ,およそ出役各隊の種類によって船舶に積載される人員糧食器械の準備が適切に行なわれることが 必要であるとされた.すなわち,参謀・歩兵・騎兵・砲兵・工兵・蛸垂兵各隊の船舶には,およそ2週間の 糧食草林飲水を備え,各若干の弾薬と器械を積載するとされた.. すなわち,海外出師会計事務概則は戦時給与を中心にした会計経理計算の事務規則とともに後年の兵端勤 務関係規則に相当するものを一体化させた性格をもっている.特に,附録の陸軍運輸局概則と陣中駅逓使概 則等は,後年の兵砧勤務令の前身に相当するものとして注目してよい.兵砧とは,軍隊の戦闘力行使を維持 し,作戦を継続的に支援するための糧食・飼料・兵器弾薬・材料器具等の補給・整備・運輸・交通・通信・ 衛生・建設等の機能を系統的に設定・確保することであるが,江華島事件処理にかかわって,特に会計経理 と運輸等の計画・管理の側面から兵端の端緒的概念が成立し始めたことに注目すべきである.なお,上記の 『法規分類大全』には,「海外出師会計部各課心得書九年月日閥」が収録されている.これは,海外出師会計. 事務概則が制定されたことをふまえて,会計部中の糧食薪炭課・被服陣営課・病院課における庖厨炊飯や病. 院勤務等の細部の給与事務手続きや諸品・諸具等の取扱いのマニュアルを規定したものである.(23) (5)戦地参謀長及憲兵司令服務綱領の制定 さらに,上記『法規分類大全』には,「戦地参謀長及憲兵司令服務綱領九年月日閥」が収録されている.こ. れは,同様に海外出師会計事務概則制定の同時期に,海外出師に際して,外国での戦地・戦場や占拠地城に. おける参謀長や憲兵司令の服務の概要を規定したものである.(24)っまり,一種の占領地行政や戦時国際 法の適用にかかわる諸マニュアルを規定したものである.特に軍隊の軍紀・軍律・軍法の取り締まり,敵地. 26.

(12) 口露戦争前における戦時編制と陸軍動員計両一思想(3). 村落の村長等に出投写の「王師進入ノ故ヲ告諭シ百姓二冠スル者二非ルノ故」を知らしめること,諸州全域 に対しては「撤文」を発し「敵国政府関係事件二就テ不条理ナルコトヲ十分二陳述シ如何ニモ自国ノ理由ナ ルヲ認メシメ次二王師ノ己ムヲ得ス征討二従事スル由縁ヲ説キ次二王師ハ敵国政府二向テ其服不服ヲ求ムル ニ在テ決シテ人民二敵スル者二非サレハ民政官吏ハ其侭ニテ事務二服シ管轄下ノ鎮撫ヲ主トスヘキ旨趣ヲ諭 告シ而シテ最後二王師ハ百姓二冠スル者二非スト雄トモ万一寸鉄ニテモ王師二抗スル者アレハ必ス殺戟シテ 宥スコトナク却テー人一夫ノ不所存ヨリシテ禍ヲ全邑全州二被ラシムルコトアルヘキヲ以テ人民各自二予メ 能々念頭二記スへク此言ヲ各州各邑ノ民政官吏ヨリシテ厚ク管下二告諭シ婦女児童モ悉ク此意ヲ体セシメヨ ト成丈其国ノ文体ニテ之ヲ認ムヘシ」という出役理由の説明文作成と諭告文提示,攻城や市街戦における付 近居民との関係,敵国・占領地の人民や地方行政(民政官吏)機関との関係・秩序維持,運漕船・乗車・荷 車・駄馬等の運輸手段の数量調査,村落における水車や牛羊鶏豚等の数量調査,海外現地における糧食褒章 等の欠乏対策,等々が注目される.. ここで,第一に,出役理由の説明文作成と諭告文提示においては,海外他国での出師・征討が政府間での 戦争であることを明確化しつつも,対人民との関係では,一部人民の抵抗者の存在・活動を制止するという 「理由」のもとに,人民の全体地域を武力によって攻撃・制圧する構えを示している.これは,政府軍の敗 退後等に,なおかつ,人民の抵抗が発生する可能性を認識・想定したものであるが,人民の抵抗発生の理由・. 原因・論理等に関しては明確化していない.同時に,人民の抵抗を抑止することの困難さの認識があり,人 民抵抗の発生自体の想定は,海外における出師・征討が海外他国当該人民の支持を受けない侵略性を内包・ 反映しているものと言わざるをえない.第二に,海外他国現地における糧食菊芋等の欠乏対策に対しては,「成. 丈ハ徴求請求等ノ方略ヲ行フ可ラス」としたが,「自然策麦二出テサルヲ得サル時ハ先仮借二従事シ次二請 求二従事シ次二徴求二従事スヘシ」という三段階の「現地調達方法」を規定している.この場合,「請求」 とは当該邑村の供給量を考慮したものであるが,その後に用語として成熟した「徴発」に相当するような扱 いによるものであり,「徴求」とは徴税のような扱いによって調達するものであったと考えられ,「仮借ハ分 量ヲ定メ戦捷ノ後合致償完スルヲ許ス者ナリ請求ハ邑村ノ都合ニテ穀幾百萄幾万束ヲ請求スルナリ徴求ハ今. 年ノ田租等ヲ調へ公納ノ分ヲ我二枚ルナリ」と規定されている.前稿において,1873年在外会計部大綱条例 には「現地調達」の端緒的思想が含まれていると指摘したが,江華島事件処理時期に海外出師会計事務大綱 とともに制定された戦地参謀長及憲兵司令服務綱領は,海外出師との関係で「現地調達」の方法・手段にま で踏み込んで規定したことが特色になっている.. 8 出征会計事務概則の制定と西南戦争 (1)1877年出征会計事務概則の制定. 上述のように,陸軍省が戦時費用区分概則制定を陸軍部内に達したのは,西南戦争勃発に際しての1877年. 2月20日であった(陸軍省達乙第52号).(25)その後,さらに陸軍省は2月23日に陸軍省達乙第59号により 出征会計事務概則を制定した. 1877年出征会計事務概則は,第一章 経理計算,第二章 俸給手当金,第三章 旅費計算,第国章 食料 林萄,第五章 需用諸品計算,第六章 被服及陣営具,第七草 患者,の章構成等に見られるように,ほぼ 1876年海外出師会計事務大綱を基本にして起案されたとみてよい.すなわち,1877年出征会計事務概則は, まず,1876年海外出師会計事務概則からその「第二章 費用区分」が抜き出され(単独で2月20日に陸軍省 達乙第52号戦時費用区分概則として制定される),国内での戦争・戦役であるが故に,「肘師」を「肘征」に 修正した.また,会計部の編成・所在は国内の鎮台の本営・営所に適合させた.さらに,陸軍運輸局関係の. 27.

(13) 遠 藤 芳 信. 規定を削除した.ただし,第一章第1条などには「出師」の用語が残っているので,急遽,起案・制定した ことが窺われる.したがって,各章の条項は1876年海外出師会計事務大綱の内容とほぼ同一のものが多い.. その中で特に注目されるものは,第一に,第二章第8条において,出征中に敵の停虜になった場合の本俸 減俸が海外出師会計事務大綱と同様に規定され,さらに但し書きとして「会議二因り停虜中ノ俸給増俸トモ 全額支給ヲ給スルコトアルヘシ」と規定されたことである.つまり,停虜になっても,その原因・理由等の 内容・事情によっては評議の結果にもとづき,まったく通常の戦時勤務と変わらない俸給増俸の全額が支給 されることもありうるとされたのである.ここには,戦争・戟陸別こおいては停虜が必然的に発生するという. 認識が含まれ,停虜・捕虜に対する忌避認識等はない.第二に,第四章において,出征中の将校以下軍人軍 属従僕馬丁には食料を官給するとされた(第1条).しかし,各兵隊の食料は「現金ヲ配与支給スルヲ以テ 各自二買弁給与スヘシ然レトモ実況ニヨリ其買弁ノ便ナキトキハ米穀薪炭抽醤塩=草林等総テ現品ヲ以テ支 給スヘシ」(第2条)と現金支給による賄いが基本とされ,買弁できない時は現品支給とされた.各隊の馬 飼料も現金支給が基本とされた.海外出師会計事務大綱では現品支給が基本であったが,国内での戦争・戦 役においては,各兵隊では員弁可能と判断したのであろう.ただし,参謀・伝令将校・歩兵工兵諸官の馬食 麦林藁は現品支給とされた.ちなみに,賄科は一人一日で金22銭以下金14銭までが目途とされた(海外出師 会計事務大綱では,金25銭以下金14銭5厘以上). (2)西南戦争の戦費決算と征討費総理事務局の設置. 西南戦争は約7ケ月間余にわたって展開された維新後の最大かつ最後の内戦であった.西南戦争における 西郷隆盛軍の兵力は約13,000名とされている.他方,政府軍の陸軍兵力は,第1旅団,第2旅団,第3旅団, 第4旅団,熊本鎮台,別働第1旅団,別働第2旅団,別働第3旅団,別働第3旅団,新撰旅団から編成され ていた.政府軍の10旅団・1鎮台の兵力編成は,熊本鎮台の本営・歩兵第13連隊・歩兵第14連隊を除き,前 稿で述べた1875年の「六管鎮台表」とその「六管鎮台兵額表」を基準にして編成されたものではない.以上 の兵力は,西郷軍との戦陸別こおいて兵力不足等を補強するために,「六管鎮台表」規定の各々の軍管・鎮台・. 師管・営所・常備諸兵毎の系列・配備を崩し,某鎮台の某大隊あるいは某中隊・小隊等を急遽抽出して適宜 に編人・転属させ,さらに,臨時に壮兵(士族を基本にした志願兵.特に別働第3旅臥 新撰旅団に採用) 等を採用して編成されたものであり,個々の旅団の単位としてもいわば徴兵と混合した特設的な編成になっ ていた.すなわち,執銃戦巨削こ従事した兵員数は約45,800名とされているが,兵種の内訳では歩兵が圧倒的. 多数の約43,500名で,内約17,900名が壮兵とされている.なお,1877年2月現在の熊本鎮台の兵力編成の内 訳は,本営(参謀部,会計部,後備軍本部,衛戊本部,病院,武庫主管,裁判所)が合計146名,歩兵第13 連隊が1,904名,歩兵第14連隊が2,034名,砲兵第6大隊が230名,予備砲兵第3大隊が98名,工兵第6小隊 が106名で総計4,372名であった.後述のように,11月22日に太政官に設置された征討費総理事務局の報告書 によれば,海軍兵員約2,100余名,陸軍兵員約52,200余名,屯田兵600余名,巡査隊約11,000余名で合計約66,000. 名の兵数に達した.(26)っまり,海軍兵員を除いても,1875年の「六管鎮台表」が規定した戦時人員計画 の46,050名をはるかに越えて召集・採用・編入されたのである.その場合,戦時人員を支える膨大な兵端も 設定されなければならないので,戦費がさらに膨張するのは当然であった.. 兵端については,たとえば,同年5月に陸軍会計監督出中光顕は西郷従道に「兵器糧食ノ運搬タルヤ戦地 二接近スルニ応シテ其費額ノ多キヲ要スルニ其己二賊地タルニ際シテハ之ヲ奈何ソ吏二其多カラザルヲ得ン ヤ」「戦線ノ進ムト道路ノ遠キトヲ加ル毎二軍費ノ多キヲ要ス」「抑モ軍費中二於テ最モ巨額ヲ消耗スル者ハ. 人夫ノ傭賃ヨリ甚シキハナシ此傭賃タルヤー定ノ制限ナク却テ各自相対ノ額ヲ以テ傭役セシムルニ由り険ヲ 冒シ難ヲ忍ヒテ我力投二服スル者ハ悉ク此ノ時ヲ以テ利ヲ射ルノ好機ナリトシテ概ネ平時二倍=スルノ傭賃 ヲ貧り求ム」と述べ,戦線が深くなることに対応して海路から隔絶されて運搬確保の困難さが増大し,かつ. 28.

(14) 口露戦争前における戦時編制と陸軍動員計両一思想(3). 運搬人夫の傭賃が平時の2倍になることも受け入れざる得ない状況を強調した.(27)また,銀銅貨は戦地 での携帯が不便であることを訴えた.これを受けて西郷従道は6月1日に太政大臣に,運輸関係及び臨時壮 兵召募や兵器弾薬の購求製造等を含んだ「征討費額ノ議二付上申」を提出した(合計金1,245万円).これに 対して,太政官と大蔵省等は非常に苦慮し,第15国立銀行からの借入1,500万円と12月における新紙幣2,700 万円の発行等によって征討費概完全計約4,200万円を定めた.. さて,西南戦争における戦費総額(「征討費決算総額」)は,41,567,726円とされている.(2R)この戦費は, 当時の1877年度(1877年7月より1878年6月まで)の歳出総計48,428.324円(経常45,344,215円,臨時. 3,084,108円)と比較するならば,歳出総計の85.8%に匹敵し,経常歳出の91.6%に匹敵している.同戦費 の膨大さは,太政官が後述の征討費総理事務局発足に際して11月22日に規定した「薩匪征討費決算規程」第. 1条によって「巨額ノ金円ニシテ事多端二属スル」と称されている.(29)その内訳で特に注目されるのは, 上記田中光顕の上申書に強調されている戦地傭役と運搬にかかわる費用である.すなわち,戦巨削こかかわる 全費用としての戦闘費総計35,295,580円は上記戦費総額の84.9%を占め,その中で傭役人夫の傭給8,020,934 円と運送費7,564,273円の合計15,585,207円は戦闘費総計の44%に達した.備役人夫全体は20,350,924人(延 べ)に達した.その総額費用は13,060,178円とされている. その後,大蔵省は西南戦争終盤の8月13日付で太政官に対して,征討にかかわる「非常臨時費決算方」は 常法にもとづき整理し難く,また非常の費途の整理が延び延びになれば錯雑さを生じるので,大蔵省内に征 討費決算整理の一局を設け,各庁から主任を出頭させ,「万般調成」するようにしたいという伺い書を提出. した.(30)人蔵省の伺い書は別紙として「決算規定」を涼付しているがその内容は不明である.また,同 伺い書は,府県関係においては軽重もあるが熊本県等の西南諸県のように大いに関係あるものに対しては, 伺い書のように取り計らう方針であり,その遠方は大蔵省から達すべきであると申し漆えた.つまり,大蔵 省は,以上の膨大な戦費決算を大蔵省の主管業務として行なう方針を立てたのである.これに対して,太政 官はただちに指令を出さなかった.太政官は10月16日に太政官達第76号によって官院省使府県に対して,征 討費の「費途区分」の方針(征討関係諸費は同年10月までに属する分をもって打ち切り別途に交付し,その 後に属する分はすべて通常経費で支出する,等々)を達したことがあっただけである.その後,太政官では, 西南戦争終結後の11月13日にようやく法制局が,大蔵省の伺い書の趣旨を酌み入れつつも,「太政官中二一局」 を設けるのが適切であるという審査結果を閣議に報告した.法制局の審査報告は閣議で決定されたが,ただ ちに達することはなかった.おそらく,陸軍省の考えも調整しようとしていたかもしれない. 他方,西南戦争終結後,陸軍省も以上の膨大な戦費決算を陸軍省のみ(あるいは陸軍省主導)で実施しよ うとしていた.すなわち,陸軍省は戦費決算にかかわる「征討費決算概則」を起案し(日付不明),大蔵省 に照会した.. (31)これに対して,大蔵卿大隈重信は1877年11月20日付で陸軍卿代理西郷従道宛に「今般太. 政官中二該費決算整理ノー局ヲ被設侯」と回答し,上記の太政官法制局の方針を紹介し,ひとまず陸軍省起 案の「征討費決算概則」を返却した.大隈は,戦時費用区分を含む「非常ノ軍費」の内容等に関する内閣と しての認識・判断等の権限を重視したのであろう.また,西南戦争の膨大な戦費は,陸軍省・海軍省のみで なく,各省使県等にまたがって支出されていた(上記11月22日「薩匪征討費決算規程」第1条参照).大隈 と大蔵省は,内閣の権限と判断による「非常ノ軍費」の決算方針等に従い,「征討費決算」を太政官の責任 で実施する方針を支持したものと考えられる.この結果,太政官は陸軍省の考え方もわかり,11月22日の達 第86号によって,征討費の決算整理のために太政官中に臨時の一局を設け,各庁主任者を出頭させて協議整 頓する,と官院省使に達したのである.以上の経緯で太政官の一局として設けられたのが征討費総理事務局 であり,太政官は参議兼大蔵卿大隈重信が同局長に任命されたことを同年12月12Rに各府県に通牒した.. 29.

(15) 遠 藤 芳 信. (3)征討費総理事務局の戦費決算報告. ところで,征討費総理事務局は太政官の臨時の一局として設置されたとしても,実際の事務は大蔵省管掌 に属するものであった.そのため,大蔵省は太政官に対して,11月22日の太政官達第86号の後(11月中 〈日 闘〉)に「賊徒征討費整理規程」を起草・上程し,至急,征討費総理事務局に達してもらいたいと上申した.. 大蔵省上程の賊徒征討費整理規程は,上記の「薩匪征討費決算規程」に代わるもので,第一に,征討費の総 額を定義し,「征討費ハ実際支払ヲ為シタル金高ノ内通常経費ヨリ支償スヘキ金高及ヒ残余物品ヲ売却シタ ル金高ヲ減刑シ剰余ノ金額ヲ以テ征討ノ正費トス」(第1条)と規定した.これは上記陸軍省起案の「征討 費決算概算」を参考にしたことが窺われる.第二に,征討費として各庁で受領・支出した残金はすべて征討 費総理事務局に受け渡し,将来さらに各庁で支出を要する場合は仕訳書の提出・検査にもとづき同金員を交 付するとした.なお,「分捕金」は別途上納し,米穀その他は差継払いにするとした.第三に,征討費の勘 定帳は通常経費と混同させないために別途に編成し,勘定帳自体は既定書式に準じるが,内訳明細表のよう なものは便宜に従って領収証書で代用させるとした.第四に,費途区分は10月の太政官達第76号及び陸軍省 と海軍省(注(25)参照)の戦時費用区分概則にもとづき,開拓使及び警視局その他戦線関係の諸県も上記に 準拠するとした.第五に,年度区分は常法にもとづくが実際に合わせて適宜区域を定めてもよいこと.第六 に,仮渡し金円はそのまま決算することを許可しないが,兵員の俸給・旅費等で概額支給の金額はそのまま 直ちに決算に編入させてよいこと,等である.以上の大蔵省上申は太政官で了承され,12月12日に征討費総 理事務局に達され,翌年2月までに整理すべきことが指令された.. その後,さらに,征討費総理事務局は翌12月13日に「征討費整理順序」を制定し,征討費整理・決算の手 続きに関する局内の細部の庶務順序を定めた.これは,詳細な庶務順次が規定されているが,征討費の整理・ 決算の手続きにおいて,特に大蔵卿と本局の基本的な管理責任を規定したものとして注目される.たとえば,. 第一に,征討費は各庁主任の協議によって整理するが,その勘定帳は常法の通りに各庁長官から大蔵卿に提 出し,その決算証書も大蔵卿の名によって行ない(第1条),第二に,征討費関係の金員収支伝票は各長官 より直に大蔵卿に提出することにするが,大蔵省では本局検閲の証明を得た上で整理順序終了にする(第2 条),第三に,「代用証書」の作成を陸軍省起案(注(31))のものと異なり詳しく規定したことである.. すなわち,「代用証書」の作成手続きと役割は下記のように規定された.①まず,現実支払い済みの金員 領収証書によって明細表の代用をするものは各科目に区分し,一週又は一箇月分を一綴し,毎月その「合計 書」を付して提出するとした.各主任と大蔵省検査官は領収証書を一冊毎に正算し,違算ない場合は「正算 済」の印を捺印し,検査掛に回付するとした.②検査掛は同科目分の中で一冊ないし二三冊を引き抜き検閲 審査し,整正確実な場合にはすべてを可であることを認め(全部を検査しない),同「合計書」に「征討費 総理事務局検閲」の印を捺印するとした(正実を欠くものはすべて当該主任に返戻し,再整理して提出させ る).⑨その後,検査済の領収証書の冊子を主管庁に返付し,当該主管庁は各科目の費額を合計した「証書」. を作成し,同「証書」を「代用証書」と称することにした.④当該主管庁は「代用証書」に上記「合計書」 を漆付して検査官に提出し,検査官は「代用証書」と「合計書」を対照し,差違がなければ署名検印して「合. 計書」とともに再び当該主管庁に返付するとした.⑤当該主管庁はその後の勘定菩提出の際にこれらの「代 用証書」によって大蔵卿の決算を要求するとされた.つまり,陸軍省における征討費決算の基本が「代用証 書」作成中心であったのに対して,征討費総理事務局は「代用証書」作成を精密にすすめるとともに,勘定 帳・勘定書の作成と提出をふまえた上での決算の手続きをとるものであった.なお,征討費総理事務局は同 12月13日に「戦時費区分概則」を制定した.これは,上記の陸軍省と海軍省の戦時費用区分概則に準拠しつ つ,戦時費区分を一般化し,俸給・傭給・旅費・糧食費・被服陣具費・軍器費・需用費・郵便電信費・運送 費・経営費・厩費・傷病費・賜金・囚虜費・諸雑費に「賑他」と「巡査兵員徴募費」(警視局と府県に限定). 30.

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