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世界認識としての文学の授業とテクスト : 『川とノリオ』の授業と学生の意識

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Academic year: 2021

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(1)Title. 世界認識としての文学の授業とテクスト : 『川とノリオ』の授業と学生 の意識. Author(s). 鈴木, 信義. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 36(1): 107-121. Issue Date. 1985-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4987. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 世界認識としての文学 の授業 とテクス ト -『川 とノリオ』 の授業 と学生の意識 -. 鈴. は. じ. め. 木. 信. 義. に. 960(昭 私はこれま での論稿で, 小学校国語教科書 における文学教材の流れを 追い, それが, 1 ) 年代における日本児童文学の隆盛を背景 にして, 国語教育界の種々の事情に突き動 かされ 3 5~44 1 注 ) なに )年代において著しい変貌を遂げたことを明らかにしたつもりである( て, 1 970(昭45~54 , よりもそれは, 児童読者の心に迫るすぐれた児童文学を, あくまで芸術作品として原作を尊重しつ 2年版から明瞭 つ利用 して行こうとする姿勢 が顕著である. こうして成就された文学教材は, 昭和5 な姿を現わすが, それは, ①時代o社会への眼を開かせる反戦平和教材 といわれる作品の登場, ②. 民話的素材の再話・創作を多様に取り入れようとする傾向, ③ファ ンタジーを中心とする新しい児 童文学作品の大幅な進出, の三点 が特徴的であり, 注目される, しかし,に うした新文学教材を教室現場で取り扱うには,に れまでのものとはいささか異質の感を 伴う がゆ えに, 様々 な困惑も見られると思う. これに対 して, 私 は, 自分の立場からそのあるべき 取 り扱いについて,教育出版 『小学国語 二年』所載の 『かさこじぞう』『かわいそうなぞう』『アレ クサソダとぜ んまいねずみ』 という上述三分野の典型を取り上 げ, 学生の意識を手 がかり に論じて ) 今回は 小学校での一応 の到達点となるべき六年生の教材 『川 と きた{郷 ・ノリオ』 を頭 におき, 文 , , 方について検討してみたい 学作品とその授業のあり ,. 1 テクストとしての教材と世界認識 1. 文学教材とテクスト 国語教育の 「現在」 を, 常に生新な理論で照射し続 けているのは田近胸一氏である が, 氏 は月刊 『教育科学 国語教育』 昭和5 8年度連載講座 「読み手を育てる」 において, 様々 にアクチュ アルな 『文学作品とその読み-読み手と,記号としての文学』㈱)は, 示 問題を取り上げ論 じている. 中でも, 唆に富む. そこでは, 「読みの成立o深化とともに, 触発され, 変容o深化する」 読みの重要さを説 き,「作品構造と作品世界への認識を確 かにすること, 作品の表現機構をふま えて新しし・意味世界を 生み出すこと」が問題 なのだとする, ここには,「読みを生む装置としての文学作品」がクローズアッ プ さ れ る,. 田近 氏 によれ ば, 文学研究の世界では, この十年ほど, いわば読者論と記号論との接点 に作品論 の方法を見いだそ うとするような傾向, たとえば, ロラン・バ ルトのように文学作品を 「記号表現 107.

(3) . 鈴 木 信 義. の織物」 としてとらえ, 記号論を武器に, 読者の創造的営為として, 「テクス ト」 とする試み が見ら れるようになっ て来たという, そして, 現在氏の考 えている文学の読みの学習とは 「読み手が 言 , , 語記号を手がかり に, 新しい意味世界 の成立の可能性をさぐっ ていくことだ」 とする, ここでいう 「意味」 と は, 「記号を媒材として主体の内に生まれるイメー ジや思想などの認識内容」 であり そ , れは単 に客観的な指示内容ではなく,「ことばとし・う装置 によ って喚起された主体の経験 の総体であ り, 経験を基礎とした思考活動・想像活動の結果, 主体 の内に形成された思想内容である.」とする, 文学教材は, 読者である生徒達に感 動を呼 び起こすようなすぐれた児童文学作品であることが望 ましいし, 昭和50年代に成就された教材選択の基準も, この観点 に立っ ていること は確かである . しかし, それと同時 に, 教室現場において, 生徒達の活 発な言語活動を促すという教材の本来的な. 意味を考 える時, それは単 なる 「作品」 にとどま っ ていてはならず, いわゆる 「テクスト」 として の 資 格 を も っ て い な く て は な る まし・ . 田 近 氏 も 拠 っ た ロ ラ ン・バ ル ト は, 『作 品 か らテ ク ス ト へ』 な. る文章をものし, 第一に心すべきこととして, 「作品」 は物質の断片であっ て(たとえばある図書館 の) 書物の空間 の一部を占めるのに対 して, 「テクス ト」 はといえば, 「方法論的な場」 であるとし , 作 品 は手 の な か に あ る が, テ ク ス ト は 「言 語 活 動」 の う ち に あ る と して い る. 即 ち 「『テ ク ス ト」 ,. 4 ) 注 は, ある作業、 ある生産行為 のなかでしか経験されない」 のである{ , いずれにせよ. 現在の文学教材が, すぐれた児童文学作品であると同時に 現実の児童の心理 に , 迫り, その創造的営為を可能 にするに足るような言語表現として の 「織物」 即ち「テクスト」 とし , ての機能も十分 に備えていることを我々 は知っ ている. したがって 教室現場においても バ ルト , , のいうテクストとしての 「ある作業, ある生産行為のなかでしか経験 されない」 ものを十分に与え うる し, 又, 与 えて い か な く て は なる ま い.. 2, イメージと認識, そして共通感覚 上述の如く, 今我々 が考 えるべきことは, すぐれた文学教材を, ロラン・バ ルトのいうような意 味での 「テクス ト」 として教室 現場において生かす方法であるが, その際, 先 に見た田近淘一氏の 言がヒントを与 えてくれる. 即ち, 文学の読みの学習 と は, 「読み手が 言語記号を手がかりに 新 , , しい意味世界 の成立の可能性をさぐっ ていくこと」 であり, それ は 「記号を媒材として主体 の内に. 生まれるイメージや思想 などの認識内容」 を求めて行くことだとする見方がそれである, 5 注 }が その中で 文学体 田近氏 は, 別に, 「文学教育として の読みの指導」なる文章を書いている( , , 験を成立せしめる力として, { 1 )視座転換 の力,( 2 }像的認識の力, { )関係認識の力,( 3 4 )自己相対化の 力, をあげている, そして, これらをいわゆる 「想像力・認識力」 といわれ るものであるとし 感 , 受性に支 えられたこれらの力 の総和を, 「文学的認識力」としている. 中でも { )の「像的認識 の力」 , 2 を取り上げ, それはものをイメー ジとしてと らえる力であり, 文学の言語 は像 (イメージ) として. とらえねばならず, また, そのことがものを像 (イメージ) としてとらえて いく力を育てると思わ れるとし,「文学の学習は,言語のイメージ生成の側面を学び,像的認識力を高めること にあるのだ,」 としている点, 全く妥当であり, 私の論を展開 して行く上でも, 注意 しておかねばならないもので ある.. ところで, イメージとことばとの関係を, 哲学者中村雄二郎氏 は 「共通感覚」という面からとら , え直 し, 注目すべき論を展開 している, 即ち, これまでの分析的な理 性によ って一義化され概念化 されたことば, イメ ージを奪われたことば に対する反省から、 イメージを含 み 多義性をそなえた , ことばを正当 に回復し, 駆使することの必要性であり, それは失われた 「共通感覚」 をとりもどす ことにつながる. 「共通感覚」 にとっ て問題 になるのは五感 (諸感覚) の統合であり これを中村氏 , 108.

(4) . 世界認識としての文学の授業とテクスト. は 「体性感覚」 的統合としてとらえる, そして, ことばにおける体性感覚の回復とは, なによりも イメージのもつ積極的な意義を見直 し, イメー ジ性をとりも どすことであるとする. なぜ なら,「イ メー ジは世界にかかわるとともに, まさにその点において想像的であり, 身体的であるからだ,」と 氏はいう㈱) . こうして, 我々 は, 単なる文学的認識だけでなく, 現代の危機的な状況にある 「人間 知」 の回復, 健全な世界認識の回復にとっても, イメージのもつはたらきは重要であり, それを十 分に訓練し育成することこそまことに教育的な意味をもつものであることを知る. 3, 形象と文芸の認識‐ 西郷竹彦氏の 「形象相関」 の論 - 早くから 「文芸 の教育」 をめざし, 自ら文芸教育研究協議会を率いて, その理論形成と授業実践 を続 けてきたのは西 郷竹彦氏であるが,氏のイメージと認識についての論にも見るべきものがある.. 西郷氏 は, 対象を概念によ ってとらえ法則化をめ ざすのが科学的認識であるのに対して, 芸術 (文 芸)的認識とは, 「対象をイメー ジでとらえ, その典型化を志向して形象する認識のあり方」 として 7 ) しかも その場合の 「対象」 とは 「対象 (事物) のあいだの関係と 事物と自己 (主体) 注 いる( , , , , との関係を概念でとらえ, あるいは形象によってとらえる」 というようないい方をするところに, 西 郷 氏 独 特 の 見 方 が あ る,. イデー. 氏によれ ば, 文芸 の場合には, もともと概念をもっ た 「ことば」 によって, ある観念を形象化す るものであり, 作家 は, 対象のはらむ「関係」 を自己との緊張関係においてイメージとしてとらえ, それを 「ことば」 という概念をもっ た媒材によっ て形象するところに形象創造のメカニズムがある とする. 文芸の読み方・読ませ方の面 から考 えると, それは形象の 「表象化」 といっ てよく, 創造 とは逆に, ひとつひとつの語句の概念を否定し, あるひとつの形象へと統合 止揚されて行くメカニ ズムということになる. そして, 文芸を読むとは 「形象の相関性 (もの ごとのからみあい)」 をまず. とらえることであるとする, 文芸 においては, 人物形象は, 他の人物形象とのあいだ に相関関係をも ちつつ, 自然や物の形象 とのあいだにも不可分な相関関係をも ち, これらの形象の相関性 が人物の欲求と行動 によ って突き. 動かされ, その相関関係 は変化o発展させられて行く. これを 「場面・筋の展開」 といい, こうし てすべての形象は, 作品という小宇宙において全一 的なひとまとまりの体 系を つくりだし, これを 「形象の全一性」 と名 づ ける, こうして, 「文芸 は人間の本質を 『形象の相関・全一 性』 において表 現する」 とするの が西郷氏の論である.. 4, 認識と表現- 西郷竹彦氏の 「国語教育全体像」-- 西郷竹彦氏は, 形象相関の論を中心にして, そのュニークな文芸教育理論を著作集全20巻にまと ) めあげ(昭56 , それが次第に教科書 , 10 , 一方, その理論 に見合うすく れた文芸教材を発掘実践し. にも採用 されて行くという経過をとっ た. さらに, 昭和50年代になって教科書の編集企画 に自ら携 わり, その経験から, 単に文芸教材のみならず, 説明文教材, 作文教材等 にも 生かす,「認識と表現」 ) において公 にするに の関連系統化とい う「国語教育の全体像」 なるものを著作集別巻1(昭57 ,1 上 示唆を与 える. えを進める に多大な イメージと認識について考 到っ た. こうした氏の論は,. 西郷氏が 「認識と表現」 という観点から国語教育の全体像を考 えるようになっ た理由を述べるの 育にす に㈱) , 第一 には,「民間教育団体の戦後三十数年 にわたる粘り強い闘いの結 果として, 国語教 く れた文芸教材が採用されるようになってき」て, 「文部省自ら『原典に忠実に作品を教材化 せよ,』 と通達せざるを得ない状況」になっ たにもかかわらず,その扱いが未だ指導要領に準拠 し,「教材の本 質をはずれた観点からの指導がなされている」 のを批判する形で提案したものとしている,. 109.

(5) . 鈴 木 信 義. 第二 には, 本来自立 してし・る筈のすぐれた作品を, 教育の必要性から 「教材群」 として選び 系 , 統的に配列する, そうした時にはじめて子 どもの力 (認識・表現の諸能力) を高めて行くことがで きる. それは, 「前とひびき合わせながら階段を-歩一歩 あがる系統性」 であり 文芸教材・説明教 , 材・作文教材・言語文法教 材等各同一分野の系統性 はもちろんこのと それぞれの分野の相互の関 , 係 (つながり, ひびきあい) をもたせるよう にするものだとし・う, 第三 に, あくまでそれぞれのすぐれた作品の独自性を生かし それをまるごと鑑賞するうちに , , 主題を理解 し, 同時に「説明の論法」を学んで行く, こうした意味で その教材の特異性 をふまえ , , 「その教材でどんな力 を育てるのか」を問うのであり そのうち に系統指導のらせん状に高まって行 , く構造が明 らかになるという,. こうして見ると, 西郷氏の考 える関連系統化と は, その中心に文芸文があり す ぐれた作品をま , るごと鑑賞す るのが先 であって, 教材の本質 にそって学習するうちに 「ものの見方・考 え方」(認識. の方法) と「あらわし方」(表現の方法) が身 につき, 他の分野 にも及 び らせん状に高まっ て行く , ことが可能であると受 けとれ, 未だ仮説の段階であると はいえ 魅力的な説 である ただ し その , , , 認識・表現の方法を, 従来 は 「虚構 の方法」 といい 新たに 「説得の論法」 などともいうが 氏独 , , 得のいい方で今一 つ理解しにくい点がある, 西郷氏のあげる, 子どもの発達段階に即した具体的な系統化の項目を見ると その初期 には 一 , , 年=反復, 二年=対比, 三年=表現方法を一通 り, 四年=構想 五年=表現効果 六年=虚 構の方 , , ) その後 機関誌 『文芸教育40号』(昭58 8 法 となっていた低9 , , , ) 誌上で, 「認識・表現の力を育 てる系統指導案」 を掲げ, 特に学年を指定することなく ◎観 点 (目的意識 問題意識)- 価値意 , , 識 (真・善・美・用) ◎比較 ( 分析・総合 ) ◎順序 ( 展開・変化・発展 ) , , , ◎理由, ◎予想 (仮定・ 仮説) , ◎類別 (分類・区別・特徴) , ◎構造 (関係・機能) , ◎選択 (効果・工夫) , ◎関連 (相関・ 類推) ◎総合 ( 全面的・多面的・多 ) 元的 をあげているが いささか煩雑にすぎ る, なお同誌上で , , は, 現場での実践を考 えて, 一年 =比較する力, 二年二順序・理由づ ける力 三年=類別する力 , , 四年=構造的 にとらえる力, 五年=工夫 して表現する力 六年=関連 づ け 類推する力 をあげて , , いるが, この方がわかりやすい. なお, 同誌41~43号では この系統指導案に基づいて現場で実践 , した例を掲載 しており, 注目 に値する, 西郷氏の関連系統化 の論 は, 初期の文芸文を中心 に考 えた簡潔明快 な用語 に比べ 『文芸教育40 , 号』 での案 は著 しく複雑多岐 にしたもののように見 える. しかし たとえば小学-・二年次相当の , 「比較」 の内容を表わす小項目として 「類似性÷類 比 (反復)」 と 「相違性-対比」 をあげており , これはそれまでの「一年 =反復」 「二年=対比」 と実質 的に変わりな い ただ 概念用語を厳密多岐 , にし, 文芸文 の枠をはずして, 一層精微に理論づ けようとしていることはよくわかる この傾向 は , , 初期 には最終的な目標を 「六年=虚構 の方法」 としていたも のを 「関連 (相関・類推)」 「総合 (全 , 面的・多面的・多元的)」 とすること になる, 西郷氏 は, 『文芸教育40号』 において, それまで「虚構 の方法」 といっていたのは文芸的 に認識・ 表現する方法であって, 「国語」 科教育全体を考 えるから には 「認識・表現の方法」 とすべきこと , をいっている. しかし, 同誌中の浮橋康彦氏との対談で 「虚構 の方法」 について語り 「人間及び , , もの ごと, つまり人間及び人間をとりまく世界の本質を追求する」もの 「本質を認識 し 表現する , , 方法」 として, 依然として高 い意味づけをして いる, そして その内実として は 最終学年で 「関 , , 連 (相関・類 推)」 「総合 (全面的・多面的・多元的)」 として対比させているところ に その到達し , た姿を見ることができる, これを, 実際に現場でどのようにとり上げるか 『文芸教育』誌上での六 , 年生実践レポー トで見ると,. 110.

(6) . 世界認識としての文学の授業とテクスト. ( 1 ) 作品 (文芸・説明文) の中での関連. ①形象 (事実) と形象 (事実) の関連=形象の相関関係 ②文 (段落) と文 (段落) の関連. ( 2 ) 教材と教材の関連 { 3 ) 国語科 と他教科などとの関連 1 0 ) それは 西郷氏 が口をきわめていう如く まず作品の独自性をふま えて「せりあ 往 と整理される( , , , がる授業」 を心 が けることが大事であり, そのためにも, 一 つの作品 における 「形象の相関関係」. を押さえ, 十分なイメージ化によって認識を深め, そこで得られたものを他の作品や教科での認識 と照らし合わせ, 共通性や差異性を発見 しながら, 自分達をとりまく世界の一層深 い確かな認識へ と向かい, 同時に各自の表現へと誘うことであろう.. 1 1 『川とノリオ』 の授業をめく っ て 1, 『川とノリオ』 , 作品とテクスト, 作者 前章での検討をまとめてみると, 文字の教育とは, 生徒をしてすぐれた作品 に出会わ せ, その言 語表現を通 して, 生徒の一人一人がイメ ージ生成を豊かに遂行し, 作品中の形象の相関関係を把握. することによっ て世界の本質を認識して行く, あるいはその認識を自己の表現へと生かして行くこ とであろう, そしてそれは, 自己の経験の総体をかけたある作業, ある生産行為のなかでしか経験. さ れ な い と い う, ロ ラ ン ・ バ ル ト の 「作 品 か ら テク ス トへ」 と い う 言 語 行 動 の 中 で の み 全 う さ れ る. ことと考 えられる,. 上記のようなテクスト経験 が, 実際の教材を使 っ ていかにして可能であろうか, 今, 教育出版『小 学国語』 六年所載の 『川 とノリオ』 を取り上げ, テクストとして言語行動 に導くも と になる ところ. の作品の書誌的検討, 作者の意図, 作品の構造分析, そして, 学生の意識を手 がかりに授業のあり 方へと考察を進め たい. まず, 書誌的に見ると, いぬい とみこ作 『川 とノリオ』 は, その所載する書誌は次の A を初出 とし, 本文の異同によっ て下記のように分類できる.. ) 952(昭27 A, 『児童文学研究6号』1 ,I ) I ご 「 963(昭38 ) 三十書房, 1 」 B, 『空からの歌 え』( 日本少年文学選集3 ,1 ) 967(昭42 C. ① 『空からの歌 ごえ』 理論社, 1 .6 ②. ) 97 8(昭53 『いさましいァリのポソス』 講談社文庫, 1 ,3. ) 982(昭57 ③ 『川 とノリオ』 理論社 (名作の愛蔵版) ,8 ,1 ) 2(昭57 ④ 『川とノリオ』 理論社 (フォア文庫) .9 , 198. D. ①. 文芸読本 『はぐるま. ) 小学校高学年用』(西郷竹彦他編) 部落問題研究所, 1969(昭44 .. 文芸読本 『ぶんげい. ) 97 7(昭52 第8巻』(文芸教育研究協議会編) 明治図書, 1 .8. 8. ②. ,. A は未見である が, 作者 が単 行本として出版したのはB が最初であり, 民間教育団体の教材 とし て西郷竹彦氏を中心にして編集されたD は, Bの本文を元 にして一部改変したものと思われる, 大 事 な違し・は, B に は な い章 題 の 「秋」 が, D に はつ け られ て い る こ とで あ る,. 単行本 は, BからC群に受 け継 がれて行くが, BとC①との違いは, 行間に「*」(アステリスク) 111.

(7) . 鈴 木 信 義. 印を入れて微妙なニュ アンスを出したこと, 「栗のゲタ」 → 「クリのげた」 のように漢字や仮名を若 干直 したこと, 読点を入れかえたり, 傍点をふっ たり, 「……」を入れたりしたこと等である. これ. はC③④も同じであり, 恐らく作者が決定稿としたものと思われる. C②は 成人向き文庫本であ , るためか, 漢字が他本よ り多く使われている, 教科書には, 昭和55年版から教育出版と日本書籍 の. 六年 に採用されているが, いずれもC① に基 づ いている. 但し, 教育出版のも のは漢字を多少直 し ているほか, ほとんど原文通りであるが, 日本書籍のものは, 読点や段落等まで改変 している,. 作者いぬい とみこは, 19 24(大正13 ) 年東京に生まれ育ち, 日本女子大を中退, 京都平安女学 院保育科を卒業 した. 昭和20年の春,21歳の時, 父親の転勤先である山口県柳井町の戦時保育園に 保母として勤め ることになっ たが, C①付載の「作品ノオト」 には 『川 とノリオ』 はこの終戦の年 , 八月 の「体験記録」 であると書いている, また, 「戦争のいみなども知らされず 無心におなかをす , かせきっ ていた幼児たち, かれらがひろねをして いる姿 は 飢 え死にしかけたひなどりのようでし ,. た. この時期私にしみついた何かが, 私を児童文学へと駆 りたてた要素の一つになっ たようです.」 , 「そ してふたたび, 日本や他国の子どもたちに あのような悲惨な経験をさせまい という願いをも , , ちつづ けたいと思っ ています,」とも述べて いる が, ここに この作品が生み出された秘密 が隠され , て いる と い えよ う,. 1 1 注 } 「柳井といえば 敗戦を迎 えた土地であり 勤め先のホマレ保育園の廊 作者 は, 別の文章で( , , , 下で, 八月 六日の朝, 青空を貫くよう に走 っ たあの広島 の閃光を園児たちと目撃 した土地であっ た」 と述べ, また, 保育園 の「裏を流れる柳井川 が夏 には園児の遊び場」であり 「広島にいっ た母を亡 , くした幼い子とその川の流れとの思い出をこめて」この作品を書いたのだとも述べている, そして , 「その 『 ノ=』 は私にとっ て, 柳井町の代名詞のように心に残っていた,」 という時, 作者が 歴史的 , 瞬間を目撃 した土地と, 「 」 1 1 」 で表されるもの への心の傾斜がいかに深いかを我々 は知るのである. いぬいは, その後, 昭和24年3月 に帰京 し,25年9月 より岩波少年文庫のスタ ッ フとして岩波書 店 に入社, 同時に児童文学者協会新人会 に加わり, その機関誌 『児童文学研究』 に 『 ー 1とノリオ』 ノ を発表することになる, 彼女にとって柳井は, 「疎開同然」 に移っ た土地にすぎず 「仮りの土地 , , 流れものめいた感じをひしと味わ」いなが らも, 「柳井こそわたしのふるさとではなかっ たかと な , 1 2 注 }として その後も長く彼女 の心に残るに至っ た 更に つかしさがいっ ぱいになる」思い出の土地{ , . 後年, 『川 とノリオ』 の現実的時代背景と, 心理的な背景とを 長編 『光の消 えた日』( 197 8 , , 11 , 岩波書店) において書くまでになる, こうして見 ると, 東京育ちのい ぬい. とみこにとっ て,21歳の柳井での体験--戦争のいみを知 らされない無心な園 児たちと, 広島の閃光, 日本の敗戦, そして流れ続 ける」 =……等のイメージは, 強烈な印象として残 り, 子ども達 に二度とあのような経験をさせてはいけないとの思いととも に , 美 しいふるさとを恋うような気持ちに誘し・ ー ノ 1とノリオ』 とその後の児童文学を書 , それが彼女に 『 く に到 ら せ た と して よ い.. 2. 『川とノリオ』 の構造 現在多くの教室で, 『川 とノリオ』 がテクストとして活用・実践されるのは 前節で見たC D群 , , のものである, D群 は, 早くから, 西郷竹彦氏が率いる文芸教育研究協議会がテキス トとして利用. し, 広 く 知 られ る よ う に な っ た. こ れ は, B の三 十 書 房 版 に な ら っ て いる せし・か 行 間 に 「*」 E P ,. を付さず, ま た, 作者 が直接タ ッ チしている単行本 には一 切ない「秋」 という章題を 「早春」 の章 , の後半につけているのを特色とする, 確かに, その方が, 後の「また秋」との対照からいってもすっ きりするようだが, 作者が決定稿とした のは, 既述の通り あくまでもC群であると考 えられる , ,. 112.

(8) 世界認識としての文学の授業とテクスト. 林 鋭和 彦氏 ′ ′ -林和彦氏は 詳細な内容構造の表を作成し C群では首尾一貫 しないとする立場からこの問題点 ・ J , く指 , 1 3 注 ) 私は 氏の表 にならい 私自身の表を作成することによっ て 自分の立場 を鋭く指摘している( . , , , 別表1 「 九」. △ 行 * アキ V. 「 八 「 七」 」. コハ 「 五」「 四」 「 三 」 」 へ ま また 秋 (お八 一 八 ま * た * 冬 * 月ほ 行ア * * 月 夏 た 、 十ん 六 阜春 八 月 五の キV 日 の 日) 夜 六 日 が来. コご. 段 落. 阜. 見 出 し・ 行間. 春. る ④. ◎ ◎ ○ ⑩ ◎ ○. ○. ◎. ○. @. ◎. ③ の ◎. ◎. ④ ◎ ②. 節. , ノリオ 日 子 あ 川 タカこおりつくよう あ 母 仏 ヒ 夜 朝の黒 敵 母 三月す 若 の どもの の 底 ら ち 壇 い 機 ち ロ に す いや 光 日 か オ し ゃ に シ な う ゴ の ゃ の き を は 、 ら が がすん 新 マ っ ち ムぐ来襲ん 冷たい の な 照 手 ガラ母 拾 父 がもどらな し は 穂 ぎが へ て 、 り を ち っ ち ぎ い盆 行 も ド つ と 日 波 返 引いてい スを投 ゃ たびん 、 ゃ っ 母 ド 、 穴 に 銀色に 銀 し んは んと自 な すす じ ま 倉の防 日 たとち ーンとひびいた 送 色に な 鉛 に の ら ょ ゃ っ がら げ ヒ の 色 き い う さ い ん や 水 れ 芽ぷ く 、 ロ シマで死 か 転 の が ノ ちんがう はもどらな ら 空こう つ が 、 車で 川で 銀 リ けらを 、 女 川 母 れ 呼 馬 く川 の 川 の 岸 色 オ 麦わ 内 ち たがび た 通 、 の の 下 は縮人 で 草を 。 、 ちの っ ゃ 通して 。 る 元 旗 家 が ん 何 ら せ 、 そ ぷ れ 音 に 。 気 を 。 り 。 い か ほうみのノ れ かいは ち 続 を 刈る 、 川 に ふる自分 、 大人た 。 の リオと 。 け 増 町 見た っ 泳ぐノリオ へ せわ音 し 声 たわむれあ る す 。 にはりんぷちの 中 の い 。 、 は は の っ 。 川 母 を 子にけ 、 ち し 夕ぐれ 黒 や 金色 す たかい母 の ち ノリ が 、 の く出 い み えた かれ草 戦地な に ひび ゃ 話 パ 、 の るノ ん の火が幾晩 オ の が 入 の ン 川の光 っ の に き やき のうす 家 からたノリオ よ 続 り まぶツ 容 に リ おいの 。 で の も 背 包 オ う き す 背で またか を に 、 二 帰 し 、 た まれ 。 と 、 る 人々 青い 春 羽 っ 呼ぶ 顔がゆがむ じ 川 共 、 さのみ け も をまのあた を ん がはた と に 春 い まをような 青 世界 父ち 世 幸 ノ 去 の ち の 中 な く 話 つ ひろ ゃ ささ 、 ながっ せ リ っ 川 使いだ 燃 。 ノ ん 遊びつ きりと な オ た のにお ゃ す やきえ リ 。 ん るじじ 二 と 父 は やき し てい オ 空 は 才 、 ち いち 夜 て す っ 。 っ 小 いち お 声 かれし 闘 の お ゃ い ノ 子 た 風 さ ま える神様た そ 。 し ん を ゃ リ と と の な ゃ ん くで お 。 か 、 っ 中 はこた オ 取 い ん 。 高また 。 き 母 ぐノ を 。 か ー ーつ う ノ っ を ち 組 。 工 け る リオ た し ゃ リオ 母 み 燭 つ 川 てい 。 ようと ん ち 合 に た 誓 。 と 。 通 。 に だ ゃ う 橋 っ ん ノ す の上で う た 、 が 帰れリオ じいち 。 母 母 る母 の ち 。 。 手 ゃ ち 見 を んは来な ゃ ゃ た ん ん 夕 ま 。 の 焼空 つ 追 ノ いか 。 リ い オ 。 け 。 っ こ 。 ^ 年 終 三 二歳 ー歳 小 学 二 年 競 o歳i 齢 ワ ・ ) 113.

(9) . 鈴 木 信 義. から作品構造を明らかにしたし・と思う, (以下, 別表1を参照のこと.) 別表1から明らかなことは, 段落 「一」 の序章, 「二」 の 「早春」 の章,「九」 の 「また, 八月 の六 日 が来る」 の章を切り離すと, 「三」 から「八」 までは時間的に連続 した部分となることである, し. たがって, 私はこの作品を, 大きく11 lu l lvの部分 に分 けるのが妥 当と考 える, そしてこの作品の 中心をなすのは, 当然のこと, ノリオの二歳の年の春から冬にか けてのでき ごとである, こうして 見ると, 「二」 段落の 「早春」 の章 は, 1 1の部分として-まとま りになり, 「*」 から後 は内容上で. は確かに秋の描写であるが, 「人生の早春」 という意味をこめて1 1の部分にくくられるのであつて, 作品全体として はうまく斉合的な構成になっ ていると思われる. さらに, 皿の部分, 「三」から「八」 までの段落では, 通時的・統辞的に, 「あの日」 八月 六日の事件を中心に, 春・夏・秋・冬と語 っ た トポス 後, IVでは, 共時的・範列的に, 「 l j l 」 という場所とのかかわりで, 「あの日」 の意味と 「現在」 を 認識 しようとしているとみなしてよい。IVの部分 「また, 八月 の六日 が来 る」 の段落 は五節に分か れ, ⑯ は現実, ⑰ は 「あの日」 の回顧, ⑱で再び現実 にも どり, ⑩では, 亡くなっ た母の姿が道を. 行く母子像に重なり, 心の叫びをあげるところ, 「あの日」 と「現在」 の統合とも見とれる. これら 各節が 「*」 印によ って区切 られ, 起承転結の構成をとっ て, 最終節⑳ は, こうしたノリオにかか わる一切 の世界と対置されるかのように 「 j=」 の描写で終わっ てし・る, この意味で, この部分を全. 文の終章として独立させることも可能であろう,. 3. 『川とノリオ』 とイメージ一 学生の意識を中心に - 『川 とノリオ』は, 秀れた描写, 巧みな構成, 的確かつ豊 かな文章表現で, 珠玉の散文詩とでもい うべき作品である. これを一読した後, 読者である生徒はどのようにその作品構造を読みとり, イ. メ ー ジ 化 して 行 く も の で あ ろ う か. ま た, 授 業 で は, い わ ゆ る 「テ ク ス ト」 と して, ど の よ う に「作. 業化」 し, 「生産行為」 となし, 新しい意味の発見, 世界認識へと誘うべきであろうか, 以下, 教師 をめ ざしなが ら未だ自由で, 容易に大人と子 どもとの間を行き来できる存在である教育大生の意識. を探ることによっ て, その間の問題を考 えてみよう. 意識調査の報告 は, 本稿末尾に付 したが, 昭 和59年11月, 北海道教育大学函館分校 「小学国語」 受講生100人を対象とし, 短文箇条書で記述 させたものを私がまとめた. 意識調査1 『 ー ノ 1とノリオ』 の中で, 「特に印象深いことばとして受 けとり, 生徒達と問題にした いもの」 を三点あげさせてみた, 結果 は, 「(ノリオは小さい神様だっ た,) 金色の光に包まれた幸せな二歳の神様だ った.」 が最も. 多 く, 40 人 に達 して い る, こ れ につ ぐ の か, 「父 ち ゃ ん は, 小 さ な はこ だ っ た,」の 26 人, 「(サ ク ッ, サ ク ッ, サ ク ッ,)母 ち ゃ ん帰 れ, (サ ク ッ, サ ク ッ, サ ク ッ,)母 ち ゃ ん 帰 れ よ う.」の 15 人 で あ る.. これらは, この物語のテーマに直接 かかわり, 特に 「二歳の神様」 の表現は, 戦争で父も母も失う ことになる悲劇の中で, 何も知らされていない純粋な子 どもの姿をありありとイメー ジ化 し, 暗闇. に浮 かぶ失われた燭光 のようなその姿 が読者 の感動を誘うというこの作品のありようを示 してい る. 二番目に, 父の死を 「小さなはこ」 と象徴的 に表現すること ば, 三番目には, 死んだ母を呼ぶ. ノリオの直接的 な心の叫びがあげられている.その母への思いも,これも指摘されて いる通り,「あっ た か い母 ち ゃ ん の 背 中 の 中 で, ノ リ オ は母 の に お い を か い だ,」「な にも か も, よ く して く れ る 母 ち ゃ. んのあの手,」等の描写との関連で, イメージが漸層的に高め られ, 切実 になるという効果をあげて いる, もちろん, 「ヒロ シマ」は, こうした悲劇の一切を象徴することばとして注 意しなけれ ばなら なし・ .. 114.

(10) . 世界認識としての文学の授業とテクスト. 次に,主人公ノリオの悲しみをとらえるのに,学生が指摘するように,「ノリオの世界はうす青 かっ. た,」 「黒 い ゴ ム ぐつ は帰 っ て こ な い. ~」「ノ リ オ は じ い ち ゃ ん の子 に な っ た,」「なま り 色 の中 の 生. きた二点」 「ノリオは, 川 っぷちのかれ草の中で, もうじき来る春を待っている,」 等のこと ばが印 象深く, これらを手 がかりにイメージ化して行くべきであろう, それには, 青・黒・なまり色・か れ草の色等, 色彩の使用が注意される, ー 1の形象が読者 に深い印象を与 え, 学生 第三に, 当然予想されたことだ が, この作品では美 しいノ. ー 1の声を--」 「川 は日の光を照り返しな の指摘も多い. 上位から, 「なつかしい, むかしながらのノ ー 1の声を聞いた,」 がら, いっ ときも休まず流れ続 ける,」「春にも夏にも, 冬の日にも, ノリオはこのノ 「 光のチロチロゆれる川底 「その川 はすずしい音を たてて, さらさらと休まず流れている,」 日の 」「川 の水 がノリオを呼んでいる. 白じらと波だって笑いながら.」の順 で指摘する,川のさま ざまな様態o 形象をいかに確かなものとしてイメー ジ化するかが, この作品を味わう上で大切である. その際,. 忘 れ て な ら な い の は, 「お い で, お い で, つ かま えて ご ら ん, わ た し はだ あ れ にも つ かま ら なし・よ,」. という呼びかけが示すような, 人を誘い込み呑み込んでしまうような川の不気味な存在であり, そ れが人間の運命と川のかかわりをも暗示 しているかのようである. イメージ イメージ i 4 ) 「形象としての 『 注 ノ ー 1 』 と形象としての 『ノリオ』 とは 西郷竹彦氏 は, かつてこの作品を論じ( ,. 不可分密接 な相関関係をもっ て終始展開 している.」 とし, それは 「話者」 の視点からの形象として ノ =」 と 「ノリオ」 であるとしている. そして, ノリオの運命と川 の流れは 相互に関連 づ けられた 「 「 二重奏のようなもので, それぞれ『独立』 していながら相互に不可分にひびきあって, それぞれを 超 えた高い次元の美をつくりだしている,」といっ ているが, まさに至言であろう, これこそ, 氏が 日 ごろ主張する 「形象の相関関係」 であり, 「形象の全一性」 を保っ て 「虚構としての文学」 が見事 な完成の姿を見せているとしてよい. 一方, 読者 は, これらの形象を自分の立場から意識の中で重. ね合わせ, 結 びつ けてみようとする, 西郷氏がこの作品を論じていうように,「虚構としての文学の 世界は自立した閉 ざされた世界ではなく読者 にむかって開かれている世界」なのであっ て, 「読者の 参加によっ て虚構の世界 は現前する.」 のである. ー 1 意識調査2 「この作品で, 『 ノ 』は重要な意味をもっと思われる が, 冒頭の一文(『町外れを行く,. ) いなかびたひと筋の流れだ けれ ど, その川 はすずしい音をたてて, さらさらと休まず流れている,』. から, 君自身の経験をふま えて, 想像されることをあげよ,」 をみよう. 読者 は各自, 自己の先行経験を手がかりにして, 作品中のことばに反応し, 虚構の世界をイメー ジ化して行くものと思われる, この問いに対 しても, 最も多いのは,「魚を取っ たり, 水遊 びをした. りした, 子 ども時代の思い出と結びつく場所」で41名があげている, この傾向は,「緑の自然とマ ッ チした風景で, 遠足の思い出等と結びつく,」「ノリオは, 自分と共に生きてきたもののように思え, 心の故郷のようななつかしさを感じている,」 「青い空, 赤とんぼ, 川原のすすき, 水面 にキラキラ する光等を思い浮かべる.」 等にもうかがえると思う. 第二に見られる特徴的なものとして,「水が澄み, 魚等の生物が住み, 夏にも涼しい風 が吹くよう トポス. な場所」 「静かでのどかな, 平和そのものといっ た感じ」 等, この物語の起こる場所 に思いをはせ, 虚構の空間を定立し, イメージをつくり上げようとする指摘が多い, 同類は,「きれいで流れが速い が, 簡単 に渡ることができる・ ような小川」「田園に囲まれ た里のイメージ」 , 少し異なっ て,「流れ が. ゆるやかで, .おだやかな, 心をな ごませる町の郊外の光景」 「住民と密着した生活の場」 「町の人 と の出会いの場であり, 生きるあかしとして大切にすべき場所」と鋭い指摘が続く. あるいは, 「人の 心をいやし, 自然の中にあることの安 ど感をもたせる,」「四季の移り変わりを巧みに演出 するもの」 115.

(11) . 鈴 木 信 義. 等の指摘もここに入るだろう, 第三に, 人間に対置される自然として川 をイメージ化するもので,「身の回りは変わっても, それ. とかかわりなく, 今も昔も変わらず流れ続 けている,」 「様々 な時代を切り抜 け, 人間の喜怒哀楽を 包みこんで流れ続 けるもの」がこれに当たる, 第四には,「子 どもの成長を助 け, 見守 ってし・る存在」. 「母とのふれあいの場であり, また, 母そのもののような存在」 のようにとる者, 第五には, 「外見 の静寂さo優しさと同時に, 不気味な魔性をもち, 好奇心をかきたてるもの」 “=は生きており, 生. 命感にあふれたもの」ととらえる貴重な指摘もある. いずれにしても, 西郷竹彦氏のいう如く, 「読 、共示義 、 、 者 の参加 によっ て虚構の世界 は現前する」のであり, 文学のことばはさま ざま な、 、 、 多義性、 、 を も つ こ と は心 して お かね ば な る ま い.. 4. nl l 」 と 「ノリオ」 と 「戦争」 -認識の関連・系統化論と学生の意識 - 西郷竹彦氏と文芸教育研究協議会では, 「認識と表現」 の関連・系統化を考 え, そのうち, 小学六 年では, 「関連 づ け, 類推する力を育てる」としたのは, 既 に見た通りである. 更に, 西郷氏によれ 5 ) 『川 とノリオ』 を頭 ば, 五・六年でねらうのは 「美的認識・表現一文体効果」 であるともいう鰹1 , に入れて考 える時, これらの方法 は妥当とされね ばなるまい. 『文芸教育43号』 誌上で, 上西信夫氏が六年 『川 とノリオ』 の実践報告をしている. その中で,. こ の 教 材 で 育 て る力 と して,. ( 1 ) 川 に代表 される自然形象と, 人物・状況を 〈関連〉 づ ける力を育てる. (形象の相関関係). ( 2 } 視 点をふま えた文体効果がわかる. (比喰・声輪・擬人法や反復・対比・倒置法・名詞止めなど) ( 3 ) 『川 とノリオ』 の体験をもとに, 日本の戦争の歴史, 人類初の被爆の悲劇, 日本と世界の現実, 人間の平和への悲願 など社会科教育との関連を考 える, とあげているが, 最終学年で扱うことを考 える時, これも全く妥当とされるだ ろう. ところで, 上記「意識調査1 」で, この作品を読んで最も印象に残る箇所 は, 戦争の意味について 何も知らされていない幼いノリオの 「小さな神様」 と表現される場面であっ た, この 「また早春」. の章 は, 直接戦争にかかわる場面 に比べ, 各種実践報告でとり上げられることが少ないが, 虚心 に この作品を味わおうとする時, また, 真に 「美的認識・表現」 の力を育てようと考 える時, 忘れて ならない重要 な個所である, ここには, ノリオに呼びかける水の声の反復, 擬人法, 倒置法, 名詞. 止, 巧みな声職等の様々 な表現技法が効果的に駆使されている, 次に, この章をとり上げ, 学生の 意識を中心に, 形象のあり方を論じてみよ う.. 学生の意識3 「また早春」 の章で, 「川と、 ノリオと, 母ちゃ んの, こんなひと続きの 『追いか. け っ こ』 は, 戦 い の 日 の 間 続 い て い た.」 と あ る が, こ の こ と ば か ら感 じ る こ と を あ げ させ て み た,. 第一 に, 指摘が多く注意されるのは, 「戦争から離れて, 自然の中で, 母と子とがたわむれている つかのまの平和なひととき」 , 「戦争も母の気苦労も知 らず, 無邪気でやんちゃ なノリオの姿」 であ. り, 数に差があるがこれに続いて 「戦争中ではあっ たが, 特別何事もなく, 幸せな日々」 も同類の 指摘といえよう. これらは, この前の部分の早春のノ ー 1と戯れるノリオとその母 の像 が,「戦いの日の 間」 という一言で逆 照射され, 戦争との関連・対比の中で, 美 しい自然・子どもの無邪気さ・母 の 、虚構の方法 を明らかにして 愛情・ ひとときの平和の尊さ等 への愛情 が深まるというこの作品の 、 、 、 い る. 更 に, 類 推 して, 「母 が, 戦 い の 間, 父 の 分 ま で 必 死 に ノ リ オ を 守 っ て い る つ ら さ・き び し さ・. 116.

(12) . 世界認識としての文学の授業とテクスト. たくましさ」 ,「戦争中の苦しさを忘れようと必死の母 にとって,ノリオの無邪気さがわずかな救いo 明るさであっ たろう」と母の心を思いやっ たり, 「母と子の愛情の深さ, また, 平和な生活が続くこ. とへの願い」を読みとっ たりする, それも, 「この後に, 決定的な悲劇 が訪れる不気味な予感・不安」 を感じとり,「親子の静かな生活を奪っ た戦争の恐 しさと悲哀」を予想すればこそ, 一層, 現在の「や つれた母と無邪気なノリオが対照的」 に浮かび上がっ て来るのである. こうして, 作品を 「関連」. (相関・類推) という点から見て活発な言語活動をする時, テクストとして生きたものになしうるの であろう。 、現在 から 歴史的事実として客観的にこの 次に, 学生の指摘 として注意されるのは, 戦後の 、 、 、 , 場面を見ようとするもので, あるいは 「遠い過去となっ た戦争中の, 唯一 の楽しかっ た思し・出」 と し, あるいは「戦争中, 残された者たちの, 人間らしい心あたたまるひととき」 として, 「このよう な母子関係とは全く別世界の平和な現代を考 えると 『歴史』 を感ずる,」 と指摘する. また, 「父 が いず, 友だちもなく, ノリオと母だ けの単調でさびしい生活」であることを見たり, 「戦争 が終わる. まで長く続いていることを示している,」と看破する. こうして, 日本人 が体験した戦争の日の生活 を, 現在と比較対照 してとらえることは, 子 どもにとっても意義あることに違いない,. 第三に, これこそ十分 に味わいたいものだが, 上に見たように複雑 な思いを与 えるのに, 様々 な 1 」 1 」 の形象を見事に作り上げ 文体上の技巧を駆使し, ノリオと母にはたらきかけるものとしての 「 ているのであって, その形象相関をいかに読みとるかにかかわる指摘 が注意される, 学生は,「戦争 中でも変 らず, やさしく, ある時はいたずらっ ぼく, 流れ続 ける川の声」に感じ入り, 「川 には, 恐 ろしいような, 不思議 な魅力がある,」 とも指摘している.. そも そ も, こ の 「ま た早 春」 の 章 で は, 「お いで, お い で. つ かま えて ご らん, わ た し は, だ あ れ. にも つ かま え ら れ な い よ,」の リ フ レイ ン によ っ て, 川 はノ リ オ に誘 い か け, あ る 時 はそ の 生 を も 呑. みこもうとする かのように, またある時は, 一切を洗い清め, 幼児の幸福 な姿を掌に取り戻 し再生 l i j させてくれるかのようだ, 考 えてみると, これは我々の誰も が「 」に対 して抱く原風景的なイメー. ジであり, この作品では, こうした川のイメージを通 して日本人 が等しく経験 した戦争体験を知る というしくみになっ ている, これは, 中村雄二郎氏 がいう「共通感覚」 としての 「体性感覚的空間」 トポス を認識することであり, 我々 にとっ て 「根拠的な場所」 と関係をも っということを意味していると. も考 えられる, 氏によると, 「語り」 として捉えられるものにおいては, 「記憶・時間・場所」 とい 1 6 )が この物語 においても そのような構造 になっ て 注 う互いに関連するものが意味をも っ とされる( , , い る と見 て よ い.. 5, 『川とノリオ』 最終章の授業- 学習課題と学生の意識 - この作品の最終章 「また, 八月 の六日 が来る」は,作品構造を論じた際にも見たが, 前の場面より 四・五年後の 「小学二年」 の現在であり, それまでは 「あの日」 を中心に一続きの季節を追うとい う通時的・統辞的な構成であっ たとすれば, ここでは, 同じ日・同じ場所 に立って, 共時的・範列 ノ =」 の描写を要所に挟みなが ら, 現実-回想 的に語 っ て行くという構成であるといえる. 各節 は 「. -現実÷統合と漸層的に高ま って行く, 生徒は, この場面をテクス トとして学習することによっ て, トポス j l l 主人公ノリオに同化や異化体験をしながら, 「 」 という場所において, 自己と時代・世界を共通感. 覚として体感 し, イメージ化を試み, それぞれの認識を確かなものにして行くことが可能であろう, 9 たまたま, 第39回北海道国語教育研究大会函館大会 (昭5 ,9 , 26 於函館上湯川小学校) が開. 催され, 刀爾武久教諭 (上湯川小学校) による 『川とノリオ』 最終章の授業を参観する機会を得た, そこでは, 生徒の一次感想をもとにこの場面の学習課題をたて,「かまをまた使い出すノリオは, ど 117.

(13) . 鈴 木 信 義. んな思いでいるだ ろう,」を課題に授業がなされた, 大切なことばを押 えて主題 に迫るとし・うことか ら, 「青いガラスのか けら」→「八月 六日」の母ちゃ んがいつまでも帰ってこなかっ た日の様子→「青. いガラスのかけら」 を投げ, 過去の思し・を断ち切る→ 「やぎっ子と, 取 っ組 み合う」 ノリオの気持. ち→ 「子 ども の手 を 引 い た女 の 人」 へ の 思 い→ 「サ ク ッ サク ッ サク ッ 母 ち ゃ ん帰 れ サク ッ , , , , , サ ク ッ, サ ク ッ, 母 ち ゃ ん 帰 れ よ う,」と い う ノ リ オ の 叫 び か ら課 題 の 解 決 を す る と い う順 で 授 業 ,. が進 み, なによりも, 生徒が自分達の考 えを活発・適確 に発言して行く姿には感動した . 確かに, この教材のこの場面 は, 筋の流れから見ると, ノリオが母を求めてあげる心の叫びの部. 分に収赦 し, そこが最も生徒 の共感を誘うところであって, ここに焦点をあてて学習課題を設定し たのは成功 したかのようだっ た. しかし, 参集した教師達は, ノリオに同化 し余りにスムーズに流 、ゆさぶり を期 れすぎた授業 に対 してどこかも の足りなさを感じ, も っとこの作品の本質に迫る 、 、 、 待した批評が出たのも事実 である, それに応 えるには, 単にあらすじから来る主題を押 えるだ けで なく, 文章表現による形象と作品構造 に対する深い理解 いわ ば 西郷竹彦氏のいう 「認識」 の方 , , 法を把握することが必要であろう. このことを, 例によって学生の意識を手 がかりにして考えてみ よ う.. .. 意識調査4 「また, 八月 の六日が来る」の章に関 して この章を一時間で授業するとして この , , 時間の 「学習課題」 をどのように設定するかをきいてみた. 現場の用語でいうならば この場合 , , 「学習課題」 というよ り, むしろ「学習目標」 というべきかも知 れないが いずれにしろ 一 時間の , , 授業を生徒 の意欲 に訴 えながらいかに焦点化 するかが問題になる, 第一 に学生の指摘が多いのは, 「川の表情とノリオの状況や変化」であるが これまで見て来た通 , り, この作品 においては川 と人物 の相関関係を把 えることが重要 であるので当然の指摘である 類 , を同じくするも のとして, 「自然 ( l j i ) とふれあい, 悲 しみから立ち直るノリオの姿を読みとる.」 がある が, こちらの方が具体的な内容にふれていて一層有効 であると思われる また いささか漠 , , 然 と し て い る が, 「ノ リ オ に と っ て 川 と は ど う い う 存 在 か,」 も 同 類 と して よ い ,. 第二の類として, 八月 六日のヒロシマ被爆という歴史的な事件 に焦点をおくものがあり 「『八月 , 六日』 と母を失っ たノリオの気持ちの変化」 に指摘 が比較的多く集ま っており 上記研究会 での授 ,. 業も, これを一層 具体化 したものと見てよ い, 同類のものとして 「戦争がひきおこした悲劇 につい , て考 える.」 , 「戦争の悲惨さと母を失 っ たノリオの気持 ちについて考 える.」 , 「戦争がノリオの世界 をどう変えたか.」 , 「死と生, 戦争と平和について知り, 生の尊厳を考 える.」 等があり, いずれも この話 のあらすじから見て主題 にかかわるものであるが ともすると観念的 になり 作品の全一性 , , を見失う恐れなしとしないので注意 しなければなるまい. 第三 に, 作品の構成に重きをおくものとして,「各段落やノリオの行動を通 して気持ちの動きを読. み とる.」 をはじめとして, 「場面の情景をとらえ, 隠れた意味を知 る,」 等が指摘されている. これ らは, 平板に陥るのを警戒 し, 作品構造に深く思いを到せばおも しるし・授業も可能であろう 第四 . に, 表現技法を問題 にするものとして,「比ゆや抽 象的な表現を味わう,」「ノリオの世界はなぜ青し・ か.」等が指摘され, これはこれとして大事なことだが 主課題と はなりにくく 副次的な課題とし , , て大切に取り扱うべきがあろう. いずれにしろ, この教材は筋の展開からしても生徒 に訴 えるものがあり 特 に孤児となっ たノリ ,. オ の 「サ ク ッ, サ ク ッ, サ ク ッ, 母 ち ゃ ん帰 れ.」 「母 ち ゃ ん 帰 れ よ う 」 と い う心 の 叫 び は 容 易 に , ,. 同化作用を促し, 活発な言語活動へと誘うところがある, しかし, 単に感情的な同化 で終わること 118.

(14) . 世界認識としての文学の授業とテクスト. なく, 真にテクストとしての生産性をもたらすよう なあり方を探 っ ていかねばならない, それには, ー i ノ ノリオの姿 と 「 」 の形象とを相関させてイメー ジ化し, それを通 して作品 とその世界をいかに深 く認識するかが問題となる, いくら母を求めてもか なわず, ただ, 「サクッ, サクッ, サクッ」と勢 いよくかま を使っ てまぎらすよりほかないノリオ, 戦争という子 どもの力ではどうすることもでき ぬ非情な運命にもてあそばれるノリオの目に,「日の光を照り返 しながら, いっ ときもやすまず流れ ノ =」 の形象を, 脈々として流れやま 続 ける川」 がどのように映るかである, 西郷竹彦氏は, この 「. ぬ「生命」 を象徴しているとし, 「この作品が切ないほどの悲劇的な人間の運命を描きながらも, し かも, 暗いめいるよう な救いのなさを感じさせるどころか, 愛を求め, 平和を希求する人間の 生命 l j - 』 の形象による ところ大である,」 と述べ の明る さと救いのようなものを感 じさせるのは, この 『. 1 7 ) まさにこの点 こそしっ かりと理解させ そのことを通 して生徒自身による生き生きと 注 ている が( , , した表現活動へと誘うべきであろう.. 「川とノリォ」の題賊凋査. 別 表 2-1. 9 a E I I月 北海道教育大学函館分校「小学国語」受贈者/00人 昭和5 1、 「川とノリオ」の中で、君が特に印鏡深いことばとして受けとり、生徒達と間圏にしてみたいものを三点あげよ。 ○(ノリオは小さい神様だった。)金色の光に包まれた幸せな二才の神銀だった。仏0 0 父ちゃんは小さなはこたった。之6 0( サクツ、サクッ、サクツ、)母ちゃん帰れ。 {サクツ、サクッ、サクツ、)母ちゃん帰れよう。/; ○ あったかい母ちゃんの背中の中で、ノリオは川のにおいをかいた。/J O なつかしい、むかしながらの川の声を--//. ○′ ”は臼の光を照り返しながら、いっときも体まず流れ網ける。9 0 警にも更にも、冬の日にも、ノリオはこの川の声を聞いたog 0 ノリオの世界はうす青かった。青 0 おいで、おいで。つかまえてごらん。わたしは・たあれにもつかまらないよ。7 0 黒いゴムぐつは帰ってこない。麦わらほうしも帰ってこない。黒いパンツも・行ったきり… ”.7 0 ノリオは、じいちゃんの子になった。7 0 なまり色の中の生きた;点。7. ぴしゃりとおしりをぷつ、あったかいあの手 … …)6 0 なにもかも、よくしてくれる母ちゃんのあの手。 ( 0 ヒロシマ 6 0 その川はすずしい音をたてて、さらさらと体まず流れている。i 0 日の光のチロチロゆれる川底 ぶ ○ ” …の水がノリオを呼んでいる。臼じらと波たって笑いながら。よ ○ ノリオは、川っぷちのかれ草の中で、もうじき来る春を持っている。. 以下省略. 2、この作品で、 「 i i i 」は重要な意味をもつと思われるが、冒頭の「町外れを行く、いなかびたひと筋の流れたけれと、その 川はすずしい音をたてて、さらさらと体まず流れている。」から、君自身の経験をふまえて想像されることを、三点あげよ。 ○ 魚を取ったり、水遊びをしたりした、子ども時代の思い出と鰭びつく紛所 掌/ ○ 水が澱み、魚等の生物が住み、更にも涼しい風が吹くような場所 io 0 静かでのとかな、平和そのものといった感じ J/ ○ 身の回りは変わっても、それとかかわりなく、今も昔も変わらず縮れ続けている。之0 0 きれいで、流れは速いが、簡単に渡ることのできるような小川 /? ○ 住民と粥簡した生活の場 /β ○ 緑の自然とマッチした風景で、遠足の思い出等と結びつく。/ず ○ ノリオは、自分と共に生きてきたもののように思え、心の故郷のようななつかしさを感じている。/” ○ 偉大で美しい自然の力であり、時の永遠さを示すものである。/J O 田畑に囲まれた里のイメージ /之 ○ 様々な時代を切り抜け、人間の喜怒哀楽を包みこんで流れ続けるもの //. ○ 流れがゆるやかで、おだやかな、心をなごませる町の郊外の光景 /0 0 青い空、赤とんぼ、川原のすすき、水面にキラキラする光等を思い浮べる。/0 0 人の心をいやし、自然の中にあることの安ど廠をもたせる。/0. 119.

(15) . 鈴 木 信 義 別表2-2 0 子どもの成長を助け、見守っている存在 β ○ 外見の限寂さ優しさと同時に、不気味な属性をもち 好奇心をかきたてるもの 、 ○ 母とのふれあいの場であり、また、母そのもののような存在 6 0 四季の移り変わりを巧みに演出するもの よ ○ 町の人との出会いの場であり、生きるあかしとして大切にすべき所 掌. ○ 川は生きており、生命感にあふれているもの 掌. 3、 「また卓春」の直で、 「川と、ノリオと、母ちゃんの、こんなひと耀きの「追いかけっこ」は 戦いの日の間続、 、 レてした。J 、 とあるが、このことばから感じることをあげよ。 {三点まで) 戦争から離れて、自然の中で、母と子とがたわむれてし 、るつかのまの平和なひととき 学J O 戦争も母の気苦労も知らす、無邪気でやんちゃなノリオの姿 掌/ ○ 戦争中ではあったが、特別何事もなく、幸せな日々 之/ ○ 母親が我子を、何も心配なく遊ばせてやりたいとする思いやり・気苦労・悲しみ等の気持ちがうかがえる /? 。 0 母が、戦いの間、父の分まで必死にノリオを守っているつらさ・きびしさ・たくましさ /『 ○ 戦争中の苦しさを忘れようと必死の母にとつて、ノリオの無邪気さがわずかな救い・明るさであ たろう /‘ っ 。 ○ 母と子の愛情の深さ、また、平和な生活が続くことへの願い /‘. ○ この後に、決定的な悲劇が訪れる不気妹な予感・不安 /J O 親子の静かな生活を奪った戦争の恐ろしさと悲哀 // ○ 戦争中でも変らずに、やさしく、ある時はいたずらつぼく、溺れ続ける川の声 // ○ 幼い子どもの、わんぱくで単純な遊びごころ 7 0 違い過去となった戦争中の、唯一の薬しかった思い出 7. 0 戦争中、残された者たちの、人間らしい心あたたまるひととき i 0 父がいず、友だちもなく、ノリオと母だけの単姻でさびしい生活 よ. ○ やつれた母と無邪気なノリオが対照的 ぶ ○ 戦争が終わるまで長く続いていることを示している。 ぶ ○ このような母子関係とは全く別世界の平和な現代を考えると、 「歴史」を感ずる J 。 O 川には、恐ろしいような、不思議な魅力がある。 J 4、 「また、八月六日が来る」の意に関して、この意を÷拷問で授藁するとして、君なら、この時間の「学習課題」をとのように 設定するか。 ○ 川の表情とノリオの状況や気持ちの変化 /6 0 「八月六日」と母を失ったノリオの気持ちの変化 /‘ 0 各段落やノリオの行勘を通して気持ちの動きを読みとる。 /学 ○ 戦争をひきおこした悲弱について考える。 // ○ 戦争の悲惨さと母を失ったノリオの気持ちについて考える。 //. ○ 自然 o i l )とふれあい、悲しみから立ち直るノリオの姿を読みとる。. ○ 戦争がノリオの世界をどう変えたか。 6 0 ノリオにとって川とはどういう存在か。 J. O 比ゆや抽象的表現を味わう。 J O 場面の情景をとらえ、隠れた激味を知る。 J. O 死と生、戦争と平和について知り、生の尊厳を考えるo i 0 ノリオの世界はなせ青かったのか。 / ○ 作者は何をいいたいのか。 /. 120.

(16) . 世界認識とじての文学の授業とテクスト. 〈注〉 1 97 0年代における変貌の相を見据えて-」(北海道教育大学函館人文学 , 拙稿「文学の教育と小学校教科書教材-1 会 『人文論究 第43号』 昭58 ) .3 拙稿 「小学校教科書教材における文学の教育をめぐって」(北海道教育大学語学文学会 『語学文学 第2 1号』 ) 昭58 ,3 2 , 拙稿 「小学校文学教材の扱いと学生の意識-二年・『かさこじぞう』 を中心に-」(北海道教育大学語学文学会 『語学文学 第2 2号』 昭5 9 ) ,3 拙稿 「読者論から見た文学教材の扱いと学生の意識-小学二年・『かわいそうなぞう』 を中心に- -」(北海道教 育大学 『北海道教育大学紀要 第一部C教育科学編 第35巻第1号』 昭5 ) 9 .9 拙稿 「成長の過程としての 『読み』 の指導と学生の意識-小学二年・ 『アレクサソダとぜんまいねずみ』 を中 心に--」(北海道教育大学 『北海道教育大学紀要 第一部C教育科学編 第3 0 6巻第1号』 昭6 ) .3 3 1』昭5 8 , 田近淘一「文学作品とその読み-読み手と, 記号としての文学」(月刊『教育科学 国語教育 No ,32 . 9 明治図書 ) , 4 )「作品からテクストへ」 4 , ロラン・バルト (花輪光訳)『物語の構造分析』(みすず書房, 昭5 5 )「文学教育としての読みの指導」 P 7 1 .287~29 , 田近淘一 『現代国語教育への視角』(教育出版, 昭5 ,8 6 4 )P 36 86 .1 .2 , 中村雄二郎 『共通感覚論』(岩波書店, 昭5 ,5 ,P 7 』(明治図書, 昭5 5 )「文芸とは何か-文体の本質」 , 西郷竹彦 『西郷竹彦文嚢教育著作集17 ,9 8 )「 2 4 7 , 西郷竹彦『西郷竹彦文嚢教育著作集別巻1』(明治図書, 昭5 ,1 , 国語科教育の未来像」 . 文芸・説明 ,「 文教材の系統指導」 9 5 . 同上書 「 , 作文の系統指導」 1 0 3号』 明治図書, 昭59 ) , 福山文芸研 「『小学校六年の国語の授業』 を読んで」(季刊 『文芸教育4 ,7 1 1 2 )「私の作品について」 ,・いぬい とみこ 『子どもと本をむすぶもの』(晶文社, 昭54 ,1 1 2 , 同上書 「ふるさとへの片思い」 1 3 , 小林和彦 「いぬい とみこ作 『川とノリオ』 小考」(北海道教育大学札幌分校国語国文学科)『国語国文学科研 究論文集第27集』(昭5 ) 7 ,3 1 4 西郷竹彦 『 西郷竹彦文馨教育著作集2 0 』(明治図書, 昭5 3 )「虚構・主題・象徴とリアリズム一人物と自然の形 , 象相関-」 1 5 0号』 明治図書, 昭和5 8 ) , 鈴木秀一vs西郷竹彦 「対談 関連・系統指導を検討する」(季刊 『文芸教育4 ,8 16 4 )「 I V 記憶・時間・場所」 , 中村雄二郎 『共通感覚論』(岩波書店, 昭5 .5 17 , 注 14 に同 じ. (本学 助 教授. 函 館 分 校). 121.

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