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総有の本質について 一一入会権と相続財産に及ぶ

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(1)

1一一『奈良法学会雑誌』第10巻1号 (1997年6月) 〈 論 説 〉

総有の本質について

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入会権と相続財産に及よ

はしがき (一)ドイツ学説呂田島問

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( I ) 関 ・ 出 回 n E 6 5 ( H ) の ・ 回 四 回 色 町 吋 ( 皿 ) 0 ・ ︿ ・ の 山 市 門 } 内 巾 ( W ) ﹀・田町ロ回

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巾 ( 羽 ) 河 . ω o F S ( 刊 ) H N ・ 出 口

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ロ 巾 吋 (二)スイス学説 ( 二 一 ) 入 会 に お け る 持 分 (四)家産相続における総有 む す び

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第10巻1号 2 iJ~'

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き 総 有 ( 。 。 回 出 百 件 。 一

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は、ドイツにおいも、また、日本においてもの

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岳 山 岸 ( 実 在 ( 1 ) 的総合人)に帰属している。 ﹁総有は、:::管理権能は、もっぱら村落そのものに帰属し、村落共同体を規律する社会規範によって規律され、 ( 2 ) 収益権能だけが、各村落住民の

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に 分 属 し た 。 : : : ﹂ ﹁総有とは、数人の一つの物に対する共同所有ではありながら、共同所有者の持分が否定されるか、あるいは不明 その結果共同所有者は主として物の利用権を有するのみで、持分 ( 3 ) 処分の自由や分割請求の自由は否定されるところの所有形態をいう﹂。このような﹁総有なる概念は、ゲルマン社会の ( 4 ) 法現象について十七世紀以来ゲルマニストがっくりあげたところのもの﹂ 確なものとして潜在的なものにとどまるとみられ、 であり、﹁いうまでもなく﹃総有﹄なる現象 そのものは古くからゲルマン社会に存したのであり、またほかの民族においてもおそらくあまねく存したであろうと ( 5 ) ころの所有型態﹂と考えられる。 本稿は、ドイツ学説において総有に持分をみとめているかどうかを検討する。同町田円 F F O E -。 ・ ∞

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。 町 田 唱 何 回 忌 ロ 均 等 を と り あ げ る 。 つずいてスイス学説をみることにする。 日本の入会権は総有の範曙に属する。この入会権においても持分がみとめられる。これに関する判例を照会する。 日本民法八九八条は、﹁相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する。﹂と規定する。これに関して合 ( 6 ) 有説と共有説との対立がある。相続財産に対して、始源的には家産に対する総有が成立していることに言及する。

(3)

( 1 ) 我妻祭・有泉享補訂新訂物権法(一九八三年)二一一五頁 ( 2 ) 我妻・有泉享補訂前掲一三六頁 ( 3 ) 加藤雅信・総有論、合有論のミエ法人論的構造、日本民法学の形成と課題・上・星野英一先生古稀祝賀、(一九九六年) O 頁、川烏武宜編・注釈民法 ( 7 ) ( 一九六八年)三 O 二頁(川井健執筆) ( 4 ) 加藤・前掲、一七 O 頁、川島・前掲二 O 二 頁 。 ( 5 ) 加藤・前掲・一七 O 百 円 。 ( 6 ) 於保不二雄・共同相続における遺産の管理、家族法大系四相続

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昭和三七年)九六頁、中川善之助泉久雄・相続法[新版] ( 昭 和 五 五 年 ) 二 O 二 頁 、 注 ( 一 O ) 。 七 ( ー )

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I 州 内 . 司 . 何 日 。 } M Y O H . ロ 土 地 は 、 古 く か ら 、 目 。 ︹ 自 由 な 土 地 問 巾 門 司 包 件 。 一 ∞ 。 ︹ ︼

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を除き、自主法

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にもとづく規則にしたがっ マルクゲノッセンが共同に利用したのであって、所有権は総員に帰属し、個々のゲノッセンには観念的持分も帰 ( 1 ) 属しない。総員は思想人格

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山 田 与

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。ロとして所有権の主体となり、個々のゲノッセンはその独立的権能とし て 3-一一総有の本質について て所有権に含まれる諸々の権利を行使することになる。個々のゲノッセンはもちろん、所有権の主体と考えられて、 所有権

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目白色町

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を不分割的に占有するが、所有権行使の関与 ( 2 ) の仕方は夫々の所有権によって異なるので均等な関与包包岳山邑向。吋宵巳宮各自巾が特質ではない。 II

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め ] O 円は諸々のゲノッセンシャフトのうちマルクゲノッセンシャフトを社団法人としてとらへ総有概念を構成す

(4)

第10巻1号 4 る ﹁ : : : ロ

i

マ法においては、法人財産は法人という全体に帰属し、共有財産は各共有者に分割されている。ところ で、ゲルマン法において マルクゲノッセンシャフトは法人格を有しているがこの法人において個別権が存在しない という考えは誤りであり、また、個々のゲノッセンは法人の債務に対し連帯・補充的に責任を負うという特殊性があ る 。 ﹂ マルク・ゲノッセンシャフトの財産に対する所有権は全体の権利(総員権)と各構成員の個別権(一定の算術的持 分

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町 内 町 。 、 吋 町 内 山 町 に 分 割 さ れ 、 そ の 範 囲 と 内 容 は 社 団 の 組 織 、 ま た は 、 決 議 に よ っ て 規 律 さ れ 、 個 別権は総員権に対して独立しているので結合ぐ

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の解消によって消滅することなく、社団法人の解散によっ ( 3 ) てその財産が国庫に帰属することもない﹂。 ( 凹 ) 。 ・ 4 ・ の ぽ H・ W 巾 ﹁ こ の 総 員 [ 団 体 ] の め 印

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は個々の構成員に対しては、主人と従僕の関係と同じく、可視的感覚的な意思力 司巳自由町民円である。総員(団体) は裁判集会、軍事集会、犠牲集会において具体的な生活上の一者として決議し、 平和と権利をもち、全権ぐ。

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と品位を与え、共同財産を処分し全体のために個々の構成員の経済活動を制限し、 対外的には個々の構成員を代表する。だからして、個々人は総員(圏体) から離脱することもできず、また、離脱し て は な ら な い よ う に 、 その結合は、自然な、 かっ、倫理的な必然性を示しているので、個人意識と全体意識はひとし く 古 く 、 ひ と し く 完 全 に し て 、 ひ と し く 生 成 発 展 す る も の で あ る : : : ﹂ 。 ところで、の

SERE

岳 山 内 門 ( 仲 間 的 共 同 体 ) はすべての構成員の集会[という形態]において現象してくるのであ り、そうして抽象[という作用]を欠く[彼らの]意識はこの現象の段階にとどまっているのであるから、 そのよう

(5)

な全員の集会というものが個々の仲間[構成員]との対立において、団体の単一性ならびに、すべての団体法のにな い手となるのである。このような感覚的 H 具体的な個人性における集会者たる構成員という多数者は主君が権利主体 であると同じく権利主体であり、総体として、 ただ単一者であると同時に多数者であるという性質をもっところの総 体それだけとしては概念上はきわめてわずかしか分離されていないのである。:::個々の構成員が感覚的 H H 生ける本 質において権利主体そのものであると同じく、 全体という概念は単一性と多数性とが不可分におしこめられている総 員 権 の g 白 5 5 RZである。 このような総員の単一性と多数性との同一視はその当時の用語法にも現われている。もちろん一方では、盟七宮-52maF-rFupg門戸]目。門戸52官等のごとき単純な集合名詞のほかに、印即日目都下回gpまたはR5とか!E 括 ﹃ 等の接尾語を用いてつくられた単数形の集合名詞で、多数者が集合として単一者となっていることをまさしく適切に いいあらわす表現が用いられている。しかし、他方では、 総員の権利とか決議とか行為とかについては、複数形の名 詞が単数形のUEB22ぬということばとともに、法的に異ったことを表現しようという意図ないし意識を伴うことな く用いられているのである。 :・:最も重要な点においてマルク/共同体が種族に代るとき、権力、平和、権利および共同の財産は隣人、農民、 可ア 5一一総有の本質について ル ク 構 成 員 、 ヒ

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等 の 複 数 形 に 帰 属 す る と と も に 、 z h R F σ ω 門 出 岳 山 町 ? 昌 川 町 w q R F m w p

2 2 8 5 0 ・ 出 ロ σ ∞ 岳 山 内 ケ

2-ny?または冨gmσの単数形にも帰属することはなんら差異のないところである。 :・マルクや裁判所やの山口のごとき共同体においては、最も決定的に印刻された団体としての単一者の権利に関し て は 、 i n E ︹ 隣 人 ︺ 丘 ︿ g ︹ 市 民 ︺ 、 8 5 B R E E -s m 肖 岳 山 。 5 m -4 口 E D -E m 昨 日 ロ ケ BEmoEZ・25 ℃ 釦 m g m g -沼 田 m o g E W ES-ω225巾等の複数形がその主体として呼ばわれている。

(6)

第10巻1号 一-6 :・単数形と複数形とを︹区別しないで︺同一視する場合︹の例︺は、総員(団体)をそのもの複数形︹多数者︺ として強調して指示する文書上のことばが、総員権の

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︹団体としての︺と個人権

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門 ︹ 構 成 員 の ︺ とを技術的に対立させる場合に特に慣用される場合、に見られる。︹すなわち、︺非常にしばしば、。

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等が権利を有するとか、行為するとか、意思を有する、というように 表示される。しかし、︹これらのことばと︺全く同じ意味のものとして、山口タ

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また、時代がのちになれば号円

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-見出口

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広 巾 門 戸 山 口 門 宮 山 口 口 問 。 自 の 日 巳 山 岳 等 の こ と ば が 用 い ら 山 口 印

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寺 、 ラテン語の

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ということばはその技術的意味を失って不特定の多数(総員) ロ ロ

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早足早

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以上のことも以下のことも表わしていないのは無数の文書の冒頭が示すところである。 同様にして、ドイツ語の E の め

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: 前 巾 門 出

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は ゲ マ イ ン デ は 死 ぬ こ と が な い な め 宮 内 の め 同 ロ 巳 ロ 己 巾 丘 町 宮 口 片 宮 ョ と れている。とくに、 いう法格諺が一不す民族の法意識をむすびつけることはできない。 だから、このように、或るの

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山口のすべての権利は、総員権と個人権とに分けられ その多様な内容は 仲間︹構成員︺たちが

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口 早 に 、 印 山 口 ヨ 門 或 い は き ロ 骨 ヨ に 、

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肖 或 い は 門 出 三 田 百 に 、 ロ ロ 守

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肖に という呼称でいいあらわされていた:::。 権利をもっ したがって ︹総員が︺或る物を総体として上口(所)有しているのか個人として上口(所)有しているのかという ﹂ と は 権利の主体の差異なのではなくて、占(所)有のしかたの差異にすぎないのである。総員と個々の構成員と の関係は二重の可能性、すなわち、の

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岳民同とその構成員との関係及び構成員と構成員との関係とが考えられ

(7)

どちらが現実のものになるかは確固とした法原理が決定するのではなく折々の具体 ( 4 ) 的な法の発展段階が決定するのである。﹂ るが、この二つの可能性のうち、 そこで、共同地﹀ロ

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号に対する団体権(構成員に対する統制権および団体財産の処分権)は主体の多数性と ( 5 ) どのように規律されるかについて述べる。 単一性とにおいて、 ﹁:::古い時代においては、個人意思に対するつよい拘束ということから説明し得られるのであるが、総員 。

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個人との聞の矛盾││特に外部に対する関係での

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については、稀にしか言及されておらず、むし ろ総員の確認

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-ロロぬや決議を明文化するにあたっては総員の一致の同意が明示的に証明されるのが多くの場 A 口である。:::原初的には、個々︹の構成員︺は次の諸々の場合に異議権を持っていなかった。すなわち、。

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色 。 がその共同地の全部または一部から一時的に、もしくは継続して一般の︹構成員の︺利用を締めだすとき、。 0 5 0 宮 内 目 。 が共同地の全部または一部を贈与または譲渡することによって構成員の権利を失わしめたり、共同地に負担を設定す ることによって構成員の権利を減少させたりするとき、:::。しかし、こららの諸々の場合には、︹構成員の︺個人財 産の経営を可能ならしめ完遂させるという共同地の目的を顧慮すべきことは、全く当然のことと考えられていた。そ 、 っ し て はやくから、個々の構成員は つねに、自分の同意なしには、彼の仲間ないし彼と同階層の仲間よりも不利 益な取扱を共同体から受けることなく、また、あらかじめ判決又は法によって定められている場合以外には彼の共同 利用権を奪われることがない、 という内容の確固たる個人的要求権包ロ砂田宮田口ロ︻ご昆玄

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をもってい たのである。そうして、歴史的変化のなかで、共同地に対する私法的な個人権の側面が前面にあらわれる場合には、 つねに、個人権はいっそう独立性のつよいものになっていった。︹すなわち︺多くの場合に、まず、外来者をマルクの 共同利用権者とすることに対しては、構成員は誰でも異議を主張してそれを阻止することができる、 という法的観念

(8)

第10巻I号一- 8 が形成された。そうして、ここから出発して、新たに共同体参加者を承認するには構成員の全員一致を要求すること ができるようになった。また、しばしば、利用権の数を固定して新しい持分権﹀豆町丘町

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の設定を排除するよう になった。最後に、各︹構成員︺個人が内容および範囲の定まった利用に対する不可侵の要求権巳ロ

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その結果、従前の共同利用のしかたを変更するいかなる処分に対しても、 したが ﹀ ロ 門 ゅ の 宮 を 有 す る こ と が 確 定 さ れ 、 って、また、︹共同地の︺すべての譲渡に対して、また、すべての分割に対してさえ、各構成員は有効な異議権を有す ( 6 ) ることを承認せざるを得なくなった。﹂ そ し て 、 ( 7 ) ギ

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ルケの総員権と個人権とを分つ基準は実定法、すなわち、制定法と慣習法にもとづくのである。 右のギ

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ルケの学説を要約すると、次のようである。 団体としての入会集団は、内部関係においては、多数者構成員の相互関係にほかならず、 その相互関係は彼等の集 会において現実に形成されるのであり、 そうしてその集会は独立平等な仲間的構成員の全員の一致によって行われる のを原則とし、外部関係においては││特に、他の集団に対し入会地に対する権利を主張する場合ーーには、 入会集 団は一つの統一体として権利関係を主張するように見えるが、多数入会権者の共同の主張以外の法律関係を観念する 必 要 は な い 。 入会権は仲間的共同体の構成員が共同体という団体関係において共同して有する権利であるので共同体が団体とし ( 8 ) て有する入会権は存在せず、また、個々の構成員はその権利客体に対し物権的持分﹀三位]を有する。 大塚教授はこの関係を次のように述べられる。 ﹁ゲルマン的﹂形態のばあい、各村民

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家族経済)は慣習にしたがって﹁共同地﹂にたい

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-自己の﹁耕地﹂ の大きさに比例した一定の大きさの共同使用権をもっていたのであり、これがいわゆる﹁共同権﹂﹀ロ

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である。この﹁ゲルマン的﹂形態の﹁共同権﹂は時代を経るにつれてますます個別的な、いわゆる

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・ 昨 日 間 な 性格をまし:::こうして﹁共同地﹂もまた一定の大きさの共同権という﹁持分﹂の形で私的占取の対象となっている の で あ り 、 ﹁ 総 有 ﹂ の

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とよばれる所有関係にほかならない。:::各村民

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フエ(各村民 ー家長が私的に占取する土地、すなわち﹁宅地及び庭畑地﹂﹁耕地﹂﹁共同地持分﹂の総和) 一個を私的に占有するこ とによって慣習的に標準的な村民

(

1

共同体成員)たる資格を与えられたばかりでなく、:::一フ

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フ ェ : : : と 数 え ら れ る よ う な 特 定 の 大 き さ が : : : ﹁ 占 取 の 単 位 ﹂ 切

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フ エ ﹂ ず つ の ﹁ 土 地 ﹂ が﹁平等﹂に分配され:::他の諸形態(アジア的形態、古典古代的形態)のばあいのように各成員家族 ( H H 家族経済) の必要と能力という実質に応じて﹁土地﹂を私的に要求しまた与えられる﹁実質的平等﹂白色。ユ色

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邑丹という のではなくて、:::﹁形式的に﹂甘

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一定単位の﹁土地﹂すなわち﹁フ

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フエ﹂が成員たる各村民 ( H H 家長)に割 ( 9 ) り当てられる﹁形式的平等﹂守口出色

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という形をとっている、と。 ( 町 ) ﹀ ・ 問 。 ロ ∞

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ルケが総員。

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、すなわち、多数性と単一性との未分化を権利主体として持分承認説 ( 叩 ) をとなえたのに対して、多数性と単一性とを分離しの

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を権利主体として持分否認説をとなえている。 9一一総有の本質について ﹁ : : : ギ

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ルケが純粋な法人を承認することをさしひかえたと思われる主なる理由は︹の

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命 洋 に 法 人 格 を み とめれば︺所有権は総員に帰属するので個々の構成員は他人の物に対する権利を有することになる、 ということであ る 。 し か し 、 個 々 の 構 成 員 の 利 用 権 問 山 口 容 江 戸 仲 間 見

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己 ロ ぬ は 、 村 規 約

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ま た は 、 それに代る慎習 法によって規律されているので、その︹事実上の︺利用を妨害する者は、。

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骨であれ、または、個々の構成員で ( H ) あれ、その権利を侵害することになり、利用の妨害をしないように裁判所に訴えられでもさしっかえない。しかし、

(10)

第10巻1号一一10 。

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岳民同は個々の構成員の利用権

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ロ閥的自の宮に優先するので、合法的な方法によって、または、適法な規 約変更

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百件の自由な意思に依拠する権利である。そうだとすれば、マルク 仲間的共同体法人説の擁護者が利用を吉

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といってい る)と構成することに反対することになるが、構成員︹仲間︺が旨

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ロ与に直接に行う利用(牛の放牧・木材の伐採) は制限されるように、利用は仲間共同体の所有権と処分を制限するのでもなく、 それを支配するのでもなく、 それに 依拠するのでマルクに対する物的権利

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ではない。他人の物に対する権利は所有権の制限であり、構 成 員 ︹ 仲 間 ︺ の 利 用 は 所 有 権 の 流 出 で あ る 。 吉 田 町 ロ 括 色 目 。 口 問 は 所 有 権 の 行 使 に 異 議 を と な え 、 その行使を妨害し、ま たは、排除する法律関係から発生しているのであるが マルク仲間共同体の利用はマルクの所有権の課題と目的を補 充しているのである。:::︹したがって︺、すべての点において、構成員の利用は吉田山口月色町

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白 ! と は 異 な る 性 質 の ものである。利用は移転不可能であり、所有権の負担でもなく、所有権者の変更に服し、所有権の譲渡によって消滅 し、登記簿に記入されることなく、ときおり、登記簿が仲間共同体と呼んでいるのは﹀ロ

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仏の利用に関係する人々 の表示であり、また、利用関係の表示であり、仲間共同体はその﹀ロ日自己の譲渡によって構成員の利用を減少し、ま たは、消滅させる自由を有する。仲間構成員の同意がこれらのことのために必要であるとしても、同意なき譲渡は、 異議ある構成員が利用を保持する効果をもつのではなくて、譲渡を裁判により取消して無効と宣言させうる効果をも つにすぎない。すなわち、﹀

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与の規約違反田

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ロ 項 目 仏 丘 町 州 の 譲 渡 は 、 個 々 の 構 成 員 に そ の 利 用 を 譲 受 人 に 対 し 固 持する権利を与えるのではなくて法違反

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呈門玄関の決議∞

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の取消と解除に権利を与えているので、構成 員の利用は仲間共同体の所有権と無関係に時

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対立するのではなくてこの所有権から発生する享益。

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(11)

で あ る 。 ︹ し た が っ て ︺ 、 利 用 は

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色目自由ではなくて仲間共同体の規約によって設定され、その範囲を規律され、 また、いつでも規約にもとづく変更決議ええ

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によって変更・取消されるものであ る ﹂ 。 そして、﹁:::個々のマルク構成員はその土地の利用管理切ゆ老町宮岳山同 Z D m は強い共同体への顧慮。巾

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-同 門 的 呂 の } 内 印 山 口 芹 の も と に あ り 、 総 員 の 命 令 ﹀ 口 。 丘

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色丹を有しており、個々の構成員のさまざまな利益は構成員全体と 体 い で 7 あ 統 る五-'---的 と 岳 o iCρ し た カf -コ て る マルクゲノッセンシャフトは個々の構成員を機関とする現実の有機 そ れ ゆ え に 、 V 0 . ω 件 。

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宮は、。庁長 0 ・ 出

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T U 円と異なる。﹁一つの物の所有権が、あるいは己包括訪日常凶印に、あるいはその個々の構 成員に帰属して、 その対立が相互に併存することは不可能であるのでマルク・ゲノッセンシャフトの個々の構成員の 一一総有の本質について 権利は

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とみられるべきであり、 ( 日 ) 丘

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円宮である﹂との特異な説をのべる。 収益に対する権利は債権的社員権

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ム は 、 ホイスラ!の学説に対して次のように述べる。 ﹁:・:・マルク・ゲノッセンシャフトが独立した権利の主体となり、 土地を英の所有権の客体となし得た予﹂とを承認 す る に し て も 、 それは単に(機関を通して契約が締結される)処分能力を有するというに過ぎないので、其の意味に 於て土地が其の権利の客体たるに至ったまでである。だから、ゲノッセンシャフトは、処分能力

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江 口 ぬ 己 口 問 的 円 以

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第10巻1号一一 12 はあるが、財産享有能力

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ぬ)はないと謂わねばならぬ。然らば、土地所有権そのものは依然として多 数各個の団体員に帰属しているのであって、所有権の所属

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巳門)の内面的考察は、ゲノッセンシャフトが 決して支持者としての法人でなくて団体員全部の総有であることを示しているのである。何となれば、私法に於て団 体が法人たるのは、それが財産享有能力を有するが故であって、単に財産処分の意思能力あるだけでは法人となすを ( H ) 得ぬからである﹂、また、﹁:・:総有に於ては、持分と持分とは、財産権上の関係に止まらず、其の聞に身分上の拘束 ( 司

2

8

5

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ぴロロ号口町色丹)が横っていて、持分権者は自己の身分から引き離して持分だけを譲渡するを得ない。若し たとい譲渡しても、身分の転位の伴わない譲渡はそれ自体無効であり、持分は依然として其の身分者に密着している。 それ故に、持分は必ず身分と相伴っているのであって、持分の変更消滅は団体の決議以外に、当事者の意思で自由な 法律行為に因って為されるものでない。従って、若しも持分が身分と共に消滅すれば、他の持分者は必ずその持分の ﹁追増﹂を受け、持分者の権利は団体員の脱退と共に当然に拡張される。 成程共有に於ても、共有者の一人が其の持分を拠棄したるとき又は相続人なくして死亡したときは其の持分は他の 共有者に帰属する(日民二五五条参照)。けれども、総有に於ては持分を拠棄すると否と、相続人の有無を問わず、身 分の消滅は当然に他の持分の増加することを予想するものである。この関係は相互的持分追増(骨肉

2

8

﹀ ロ ポ 司

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ロ ロ ぬ ) と い わ れ る も の で あ る 。 そ れ に 反 し て ロ 1 1 マ法的共有の持分は﹁追増のない確定的持分﹂(な拝。﹀旦丘町) ( 日 ) であり、ゲルマン法的総有の持分は動揺的持分(宮司

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﹀ ロ

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-め ) と い わ れ る も の で あ る ﹂ 。 ﹁ : : : ゲ ノ ッ セ ン シ ヤ フトに於ては:::それが団体性の原理に立つことから、財産の管理は団体成員の何人にも、其の個人たる資格に於て は与えられていない。所有権の帰属それ自体は各団体員にあっても、其の権能のうちの処分権と或る種の収益権の如 きものは全︿総体。

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B

忌色丹に属していて マルク議会又はマルク内の高級部会。 σ 耳 目 町

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が団体固有の意思

(13)

を以て事務執行し、対外的に団体の総有財産に係る権能の行使を為すと同時に、 対内的にも団体成員の行動を拘束し 監督し指導する。畢克或種の権能の行使は団体成員の組織体に依って遂行せられる(︿句者包宮口

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B

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白 色 。 ロ ) 。 こ ( 日 ) の関係を約説すれば、所有権は各団体員に帰属するも、管理は全体としての団体に帰属する。﹂と。 VI 閉 山 . 回 口 ず ロ 日 ﹁マルクの所有権者は誰であったか。 マルクの所有権はゲノッセン全体に帰属した。この全体は個々のゲノッセン に対し法的に独立した無関係の第三者として対立するのではなくて、全体はゲノッセンから成りゲノッセンはその人 格の一部を全体のなかにもっているのである。:::ゲノッセン全体がマルクを処分しその用益のための経済計画を定 立した。ゲノッセンシャフトのマルクに対する総有が耕地﹀

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を含む全地域の、かつての問。ロ

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の残浮で あることは私的所有権に移行した﹀円

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につき或る最高権限の巾呈訟の。

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回 丘 話 巳 由 回 め が ゲ ノ ッ セ ン シ ヤ フトに残っていることをみればあきらかである。かようにして、個々のゲノッセンは耕区強制による耕地の経営にあ ったては、全体の決議に拘束されたので全体は荒廃した個所者ま斥

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を没収する権利と相続人のないフ

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フ エ の復帰権を有し、さらに事情によっては耕地の分割を行なうこともできた(問。各区ロ阿君。広島百三。だからして、全体 13一一一総有の本質について に 帰 属 し 、 全体によって行使される権限と個々のゲノッセンのマルクに対する権限は結びつき、個々のゲノッセンの マルクに対する権限は他人の財産司

55

2

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官ロに対する権利ではなくて個々のゲノッセンの全体に帰属する と同時に各々の個々のゲノッセンに帰属する総有権の

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評 判 ロ ロ

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の 流 出 に す ぎ ず 、 分割されていなくて、観 念 的 な 、 か っ 、 ゲノッセンシャフト的に拘束された総有権のぬ

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に対する要求権﹀ロ芯己巾のことである。全 体と個々のゲノッセンとの聞における権限の所有権的分配が

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岳 民 呂 岳

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と名づけられ ( げ ) る所以もここにある﹂

(14)

第10巻 1号一一 14 ﹁:::中世においてはゲノッセンに対し結合︿

2 σ

山口仏の独立化が進行していた。しかし、固有の権利主体としての、 すなわち、社団としてのゲノッセンの全体の承認は農村的ゲマインデにおいてではなく都市的ゲマインデにおいて行 なわれる。都市的ゲマインデの経済的・法的状態は、 元来、村落的ゲマインデ以外のものではなかったので、多くの 場 合 、 ﹀ ロ

B

g

号を持っていたが、そこでの農耕や家畜飼育は商工業の前に後退してその古い意味を失い、同時に、農 村的ゲマインデに特長的な目的の統一性も失われた。都市がその住民の税金からつくられている財産を持ち、住民の 用益に定められた財産を分解しないところの政治経済文化の多様な課題は都市をして個々の利益とは顕著な対照をな す固有の意志の中心たらしめ、 かくして、都市は固有の法人格をもっ社団に制度化された政治団体になり、個人はラ ントゲマインデにおいてゲノッセンシャフトと対立し、同時に村落ゲマインデは独立的な同 α 召

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に な る ﹂ ﹁ : : : 出 自 、 ま た は 、 外 来 者 の 加 入 承 認 ﹀ 丘 ロ 釦 町 田 σ によってゲノッセンシャフトに属する各々の独立したフ

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フェの 占有者はぐ。

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印閉めでありそれによってと

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5

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号の用益に関与した。小さな地所に固有の耕地経済をもつことな く 居 す わ る 土 地 占 有 な き 白 山 口 序 回 出 訟 の ロ ( 叶 出 向

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円 ) 、 他 人 の フ

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フェに定住した円 O Y D 号、マルクの外に居住する土地 占有者(﹀

55

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は ∞ 円 } 百 円

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として間接に、または、特別な恩恵により、マルクに対し﹀丘巴を有してい たので︿。

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は自身の権利の価値が彼等がその数を増大するにつれて減少することを防止するためにその閉 鎖性を強め、土地は放棄しても家政出

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己を維持して外来者の加入は承認しないか、または、高額の加入料とひ き換えに承認した。かくして村落共同体ロミぽ巾

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ゅのなかに、もっぱら用益権をもっ家族の人的ゲノッセンシヤ フ ト ℃ 巾 吋 由 。 口 問

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出印ぬ口出岳山内同が発生したが、しばしば、土地占有はそのその構成員であるための必要要件であり、司 法 権 の

22

耳石宮芹を賦与された古い宅地図。宮笠おの所有権、 一人前の農民フ

l

フ ェ 包 口 。 ︿ 。 ] ] 巾 回 山 口 巾 門 口 町 口 問 。 の 所 有

(15)

権が要求されている。

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と呼ばれる)。最後には、若干の地方

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において、マルクの用益権は独立し、相続可能な、譲渡可能な、分割可能な、増加した山口区民

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司 観 念 的 持 分 権

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色 町 門 め の 宮 に 変 化 す る ( こ こ に 閉 山

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め 白 色 ロ 門 凶 少 。 己

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己 の が つ く ら れ る ) ﹂ 。 ﹁:::かつてのゲマイネマルクが社団的ゲノッセンシャフトに移行しなつかた場合には、 その総有権は原則として、 独立した政治的ゲマインデに帰属し従来のゲマインデ構成員の用益権はそれに残存して、公共道路や公共広場に対す る権利と同一視される場合を除いては、他人のものに対する権利と見られ、と

-5

2

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の所有権はしばしば領土に移転 ( 日 ) したのである﹂ ﹁国家立法は 十八世紀の末葉からマルク共同体の残浮とその総有的諸関係の完全な廃止を企てた。 つ い に 、 部 はいわゆる統合化ぐ

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によって混在耕地制、および、耕区強制にまつわる制限は廃止され、 一部は土地に 随伴する法定用益権の廃止によって共同地のめ自民巳山口仏に対する個々人の用益権限は除去された。なかんづく、十九 世紀ドイツ各国で発布されたいわゆるの

2

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芦 田 ぢ ロ ロ ロ

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ロ己口問。口、たとへば一八一二年六月七日のプロイセンの 。 巾 門 出 命 日 ロ

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出 件 。 ロ ロ ロ 納 町 田

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ロ ロ 問 、 一八三二年のパ

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丘 ロ ロ ロ 肉 、 一 八 三 二 年 の ロ 宮 島 門 町 田 町 田

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15一一総有の本質について ロ

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ロ ロ ぬ め ロ ロ ロ 色 。 巾

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山 門 田 芯 己 ロ ロ ぬ 巾 口 、 一八三四年のり

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ロ 号 想 的

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等は土地の共同体的利 用を廃止し

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含ロを所有者の聞に成立しているさまざまな規準にしたがって個人的所有権

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に 分割した。かくして、とくに、北ドイツでは﹀ロ

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ロ 己

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の大部分が消滅したが、南ドイツ、西ドイツでは、﹀ロ

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は多くの場合公共団体の財産になり、広汎な譲渡制限に服しているので多くの古いマルクが保存されている。 ス イ ス でも同様である。現在は国民の経済観が変わってきて﹀口

B

B

骨ロを有用と考えて、とくに森林地の分割妨止を試みて ( 初 ) い ヲ h v o

(16)

第10巻 1号一一 16 ( ー ) スイス学説 スイス民法においては、総有の巾

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に 持 分 ﹀

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-ゆがみとめられているが、対外的には

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吾 。 話 。 ロ ( 幻 ) ( n ) 己 ロ 門 ご 丘 町 ロ 円 で あ る 。 と こ ろ で 、 ﹀ ロ

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門 紅 白 口 。 凹 印

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印 与 え ぽ ロ と

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邸 内 件 。 ロ と は カ ン ト 法 の 規 律 の も と に あ る ( 即 日

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の ロ ) 。 その意味において、これらは私法上の人的結合である。全体は持分権からなり持分権は

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ロ ロ

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芹であ り 、 ま た 、 君 。 立 心

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でもあり、したがって、独立した権利であり取引の対象となって、譲渡可能にして担保の目的 ( お ) と な る 。 持分権はマルクゲノッセンシャフトに由来し、マルクの利用が古い出。砂戸出色

B

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。 広 司 叶 包 関 口

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の所有権と結合 することによってマルクゲノッセンに確保され その結合が解消することによって利用権として独立化す の ち に は 、 る

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号ロ)。しかし、旨宮口が自由人のマルクに帰属している場合には、それは戸山口己・、叶同

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めの所有権の目的であったので、持分権をみとめることは例外であった(の

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口 口 骨 三 。 と こ ろ で 、 用益地は共同の所有権問。白色

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岳 山 吉 山 岳

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の目的であるので個々の持分所有者は所有権者と して利用する。だからして、 ゲノッセンシャフトは個々人の利用を目的とするので固有の目的を追求する法人とみる ことはできない

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ロ ロ 仏

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-巧山口戸一戸。巳

- g )

。 ゲノッセンシャフトは機関を通じて対外的対内的に行為する が財産処分能力は有せず、持分の譲渡、負担の設定は構成員の用益権を廃止し、 ま た は 、 その価値の減少を伴うので 構成員全員の共働百一言片付

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を必要とした。構成員の権利は不可侵

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芹とされゲノッセンシャフトグ ( お ) ( ロ

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。また、構成 ーツに対するとされ 分割請求権を有しない

(17)

員の権利の不可侵性は既得権として多数決原理に対して保護されている。 ( N 口 氏 。 F ・

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岳 山 内 出 回 釦

58

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午 ( お ) σ ロ ロ 己

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コ 目 印 ) 。 しかし スイス民法は独立的持分権を取引法のもとにおき、 かっ、継続的権 カントン法により、 その他の独立的、 利と同列におくことによって取引の対象とする(山岳町 N の思。すなわち、 ゲノッセンシャフトを社団関。召。

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片 山 。 ロ と 構成しゲノッセンの持分権﹀

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2

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の譲渡、担保・負担の設定は登記によって可能になり(巧包

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母 山 岳 ・ ω? 。 山 口 2 f の 門 知

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口 口 広 巾 ロ ) 、 その他のカントンでは

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旬以己片町内吋何ユ忠∞によって可能になっている(叶

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) 0 以上において、ドイツの総有学説およびスイスの総有学説を一督した。 一 方 に は 、 目 。 F F O E

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スイス法等のゲノッセンシャフトを一者としてとらえ多数者と区 別する学説があり、他方には、。ぽ件。出口

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等のゲノッセンシャフトにつき一者と多数者とを区別しない学 説が対立している。持分は、所有権あるいは利用権として前者でも、後者でもみとめている。 17一一総有の本質について ゲノッセンシャフトを一者としてとらえればゲノッセンの権利は吉田町月色ぽロ ω となるので今日では支持を得て ( お ) いない。そうだとすると、総有においてはゲノッセンの権利は自分のモノに対する権利となるので持分をみとめるこ とができるのではなかろうかと考えられる。しかし、ここでいう持分はゲノッセンの聞の均等な関与が特質ではない。 (

) 入会における持分 そこで、甲府地裁昭和四三年七月一九日判決(下民集一九・四一九、判例時報五四四号九頁)は、﹁:::本件土地は

(18)

第10巻1号 18 払い下げによって被告

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神社所有でも、代金拠出者らの共有になったものでもなく、従前と同様の性格たる実在的総 合人たる山中部落が所有するに至ったものと認めるべきである。そうすると山中部落民の有する入会権も、従前と同 様山中部落民が山中部落とともに主体性を有していること、 しかも、昭和一五、六年頃迄は、草、小柴、 や と い も や 、 転石の採取を継続していることからして、右利用行為に関する限りは従前と同様に部落民に固有な権利として存続し ていたものといわなければならない。ただ右入会権の基礎となる部落の有する利用権能が、所有権へと変化したこと によって、部落民の入会権は、いわゆる共有の性質を有する入会権になったものといわなければならない。﹂とし、さ らに、﹁:::そうすると、参加入らはいずれも山中部落民として、前記のところからして現在においては本件土地に対 する草、小柴、転石の採取を内容とする入会権(使用収益権)をもつことになるが、右権利は山中部落の有する所有 権の一内容としての性格をも兼ね備えていること、右権利は参加入ら各﹁個人﹂に分属した固有権ともいいうること、 また右権利は内容的には限定されているとはいえ、 その限りで本件土地全部にその効力を及ぼすと考えらること、以 上の諸点を併せ考えると、参加入らの有する入会権は、 その法的効力においてはいわば内容において限定をうけた持 分権もしくは地上権と同様の性質をもつものと解するのが相当である、﹂として、入会権者に持分権を承認している。 つぎに、岐阜地裁大垣支部昭和四四年一一月一七日判決(下民集二

0

・ 八 三

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、判例時報六

O

六号六一二頁以下名古 屋高裁昭和四六・一一・三

O

判例時報六五八号四二頁)は、﹁:::いわゆる実在的綜合人の性格を有する生活共同体と しての鷲巣村(部落)が:::慣行によって、薬師山山林について、地盤所有権を取得し(法的には入会部落の総有)、 同部落の構成員である部落民がそれに対して共有の性質を有する入会権を取得するに至ったものと認めうべく、 2 ι

(7) 後 も 、 少くとも薬師山山林に対する関係においては実在的綜合人としての鷲巣部落は存続し現在に至っているもので あって:・・:地盤は依然として同部落の総有に属しその構成員はそれについて共有の性質を有する入会権を有する・:

(19)

:・﹂といっているが、これは次に述べる大審院以来の判決と同趣旨である。 第一は、大判明二三年五月一八日判決(民録四・五・一二五)において、原審が入会称場のような村町駅の住民全体 の権利に関する契約もしくは訴訟のような法律行為はその町村駅の庄屋もしくは用掛において外部に対し住民全体を、 代表する権限があるとしたのに対し、これは法人たる町村もしくは駅(部落)に対する場合には適法であるが入会稼 場のように各個人の所有に属する不動産にはあてはまらない、として上告したが、大審院はその傍論において﹁:::入 会株場ナルモノハ:::ソノ性質各個住民ノ権利ニ属スヘキモノ:::﹂とし、第一一は、大判明治三三年六月二九日判決 (民録六・六・二ハ八)において、会権の主体は﹁部落﹂であるという理由で入会権者の入会権妨害排除請求を棄却 した原判決に対し、﹁元来我国ニ於ケル株山等ノ入会権ハ:::住民等個人カ其地上ニ対スル権利トシテ入会権ヲ有スル コトアルハ我国慣習トシテ認ムル所ナリ﹂という理由で破棄差戻し、第三は、大判明治三六年六月一九日判決(民録 九・七五九)において、原審は、 入会地に関し一村の住民全体を表示するのに村名を用うる慣例があるとしたのに対 し村は法人であるとして上告したが、大審院はその傍論において原審を違法でないとし、第四は、大判明治四

O

年 一 一一月八日判決(民録一三・一二一一了七)において、原審が入会権は部洛に属すると確認したのに対し、 入会権は部落 19一一→総有の本質について に属することなく部落民に属するとして上告したが、大審院は、﹁:::村駅ノ名ヲ以テ表示シヌハ村駅ノ用係カ契約シ タル入会権ハ総テ其村駅ノ住民ニ属スル入会権ナリト謂フコトヲ得ス何トナレハ村駅其モノカ入会権ヲ有スルコトハ 又古来ノ慣習ノ是認スル所ナレハナリ﹂、﹁然レトモ入会権ハ古来村其他二足ノ地域ノ住民カ之ヲ有スル慣例アルコト ハ本院判例ノ屡次認ムル所ナリト雌モ村又ハ村内ノ一部カ特別ニ一財産ヲ所有スルコトハ古来是認セラレタル慣行ニシ テ又入会権ニ限リ之ヲ有スルコトヲ禁シタル慣習若シクハ法規存スルコトナシ蓋シ村有ノ財産ハ全村ノ為メニ之ヲ管 理シ及ヒ共用スルモノニシテ其住民ハ之ヲ共用スルノ権利ヲ有スルモノナレハ村カ入会権ヲ有する場合ニ於テモ其住

(20)

第10巻1号一-20 民ノ生活上ノ必須ヲ充タサスト謂フヲ得ス﹂、﹁:::而シテ各共同入会権者カ其権利ヲ行使スル方法トシテハ入会地ノ 全部ニ付キ其持分ニ応スル収益ヲ為ス:::﹂として上告を棄却し、第五は、大判昭和三年一二月二五日判決(新聞二 九 四 八 ・ 一

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)

において、或る部落から他の部落に対し入会権確認を請求した事件において、 入会主体であった徳川 時代の村は、﹁其ノ住民ト全然分離シタル別個独立ノ人格ヲ有スルモノニ非スシテ:::従テ村又ハ部落ノ所有物ハ同時 ニ其ノ住民ノ共有物タルモノニ係リ:::故ニ原院カ一面ニ於テ本件係争地ノ地盤ハ被上告人上桑原部落ノ単独所有ナ リト認定シナカラ地ノ一面ニ於テ之ヲ上桑原住民ノ共有地ナリト判断シタルハ矛盾シタルモノニ非ス﹂と判一不し、第 六は、最判昭和田三年一一月一五日判決(判例時報五四四・二二二)において、 入会地について民法九四条二項の適用 を求めて上告した事案の傍論において、﹁・::右土地については古くから原判示の入会権が存在し、その地盤である右 土地は いわゆる村中入会の土地として大字御立の部落民全員の総有に属して現在にいたったのであるが、部落名義 の保存登記では登記権利者としての資格を欠如するため、当時の高橋村の所有名義にするか、あるいは部落民全員の 名義にするかの岐路に立たされ、 登記の必要上、当時の部落の区長ないし区長代理をしていた前記塚本文八ら三名の 代表者名義で本件共有登記を経由したというのである﹂としている。 ( m U ) 学説は右の判例の立場は不明確であるとするものと入会権の主体を住民個人とみるか、または、部落とみるかは入 ( 初 ) 会集団をそれぞれ別の面からみたにすぎず、実質的には同じであるとするものとがあるが、これらの判例では入会権 者の持分は承認されており(第一・第四の判例てまた、 承認され得るのではなかろうか (第一了第三了第五・第六の 判 例 及 び 本 件 ) 。 以上において﹁共有の性質﹂を有する入会権を例示した。これらに持分の存在をみとめるか否かは慣習の定めると ころである。しかし、この定めがなくても入会権者は各々の持分を有することは本質的に承認することができる。こ

(21)

の持分は均等を特質とするものではない。さらに入会権の経営管理に貢献した者にはより多くの持分を承認してもさ し っ か え な い 。

(

)

家 産 相 続 に お け る 総 有

( I

)

古代ローマ法 古代ロ!マの相続法は家族法であった。私権の荷い子は全体としての家族であり、家族員が死亡すれば私権の ヨ ﹄ } 同 己 門 戸 肉 の み が 諸 々 の 家 内 相 続 人 に 移 転 し た 。 一家族員の死亡は

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に対する荷い子の交替であっ た。出

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岳山口己は無期限に継続する。家内相続人が数人であれば家共同体は同権的常

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に分裂す ( 幻 ) る。最近宗族の所有権も同権にもとづく一個不可分の家産の上に唱口。

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が併存していた。 21一一ー総有の本質について 氏族と最近宗族に帰属する財産形態は閉鎖財産口器官

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ぐ 耳 目 。

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を構成していたということができ ( 制 ) る。だからして、氏族においても、最近宗族においてもりぽ胃守山門

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は存在していないので、相続は無遺言相 ( お ) ( お ) 続であり、遺言相続は発生する余地はなかった。各相続人の家産 h o ロ

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の分割請求権は家父の生存中は潜在的 ( 幻 ) 所有者として期待権を有する。家父死亡と同時に完全権︿。]]司

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と な る 。

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ゲルマン法 ( お ) ゲルマン法においては、﹁相続人は人これをきめず神これをきめる﹂という原則が支配した。相続の出発点は親族 ( ︿ 句 者 山 口 仏 門 出 口 町 田 一 件 ) の の ゆ 印 町 民 ロ

g

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であり、家産は家父の管理処分権によって統一されていたので遺言その他の ( 拘 ) は知るところでなかった。 自 由 相 続 ( 向 。 呈 巳

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(22)

第10巻 1号一一22 と こ ろ が 、 のちには、子なき場合に許与される﹀民間

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山 口 口 の ゲルマン古代には相続人を有しない場合、 その信託が行なわれた。これは家産の不帰属とジッぺ、部族、国王への ( 判 ) 家産の復帰を防止し、もって、家産の維持をはからんとしたものである。 制度が存在して、相続人の指定、あるいは、 ﹀ R E C 百 円 nは、時を経るにつれ、身分行為的要素を失って財産譲渡化し死因贈与となる。これは、 のちに、用益権 留保贈与と死後贈与

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門 芯 吉 田 件 。

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)

に 分 化 し 、 その後、物権法上の行為としての属性をすてて、相続法上の ( 剖 ) 行為に変化していった。相続契約(相続人指定契約)と遺言がそれである。 ﹂のような家父の生前処分の自由・死後処分の自由は ローマ法と教会法の影響に負っており、被相続人の処分は 家産の一定部分(自由分)に対してのみ許容された。その残余の部分は期待権を有する相続人、 一般には息子、息子 が不存在の場合には娘、 つまり、家共同体の所属員に帰属していた。自由分の額は、ランゴパルド、 ア バ イ エ ル ン 、 ラマン、テュ

l

リ ン グ 、 デンマークの諸法においては、期待権を有する相続人の頭分に従って算定さ フ

l

ゼン、西ゴ

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ト、ブルグントの諸法においては、家産、または、ある財 ( 位 ) 1 一 月 等 ) と 定 め ら れ て い た 。 ス ウ ェ ー デ ン 、 れ た が 、 ザ

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ル フ ラ ン ク 、 リ フ ア リ ア 、 物 ( の ロ 円 。 吋 ) の固定部分 ( 1 一 2 、 2 一 3 、 この期待権に反する処分行為の効力は必ずしも詳ではないが、 リブアリア法は一般に無効となしたようであり、 フ ルグンド法では、家父が家産分割をし息子にその所得分を引渡すことなくして家産を他人に譲渡した場合にはその譲 ( 必 ) 渡は無効であるといわれている。しかし、第三者の被相続人に対する債権は期待権に優先した。被相続人がその動産 をもって債務を弁済できなければ相続人の同意(町宮己主主なくして、承継財産(家産

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開 門 吉 ) を 履 ( U H ) 行に代えて譲渡したり、担保に供したり、第三者に売却してその代金により債務を弁済すること等が許されていた。 と こ ろ で 、 二世紀頃、 ザクセン法においては、家父の生前における土地の譲渡と負担の設定に関しては、家にあ

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る最近親 ││3 卑属・尊属・兄弟姉妹甥姪 l l l は同意権を有していたが、家の外にある遠い親族には同意権は与えられ ていない。期待権もまた、時を経るにつれ、同意権に移行した(フランケン、シュワ

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ベン、バイエルン)。この同意 ( 必 ) 権は、家父が共同相続人に財産分与して新しい家をつくらせ、その代償としてこれらの相続人から剥奪されている。 ( 必 ) 同意権は土地の取引の台頭によって財の分割と家族の分解を経済的に抑止せんとする役割をもっていた。 家にある最近親の同意なき処分行為は彼によって一年と一日のうちに取消される。すなわち、彼は、違法な処分に ( 灯 ) よって所有権に変化する物権的期待権により第三玉 ι 官にも追求することができた。 ローマ法・ゲルマン法の両者において相続財産の始源型態は総有である。しかも家内相続人の期待権・同意権によ って拘束されていた。 む ぴ す 総有には持分はない、 といわれた。しかしマルクゲノッセンシャフト、 日本の入会にも持分がみとめられる。相続 財産のプリミィティブな段階のおける期待権・同意権は持分的相続権に発展することを考察した。共同体所有は単独 23一一一総有の本質について 所有に移行する本質をそなえているのではなかろうかと思われる。 ( 1 ) 於 保 不 二 雄 債 権 総 論 ( 昭 和 三 四 年 ) 一 八 七 頁 、 同 ・ 債 権 総 論 ( 新 版 ) ( 昭 和 六 O 年 ) 一 二 O 頁 ( ﹁ 総 有 と は 、 法 人 格 の な い 団 体 に 財 産 が 一 体 と し て 帰 属 す る 共 同 所 有 の 法 形 態 で あ る 。 : : : 総 有 財 産 は 団 体 に 帰 属 し 、 団 体 の 構 成 員 に 持 分 的 に 分 属 し な い 。 ただ、財産の管理処分権能と使用収益権能とが質的に分離して、管理処分権能は団体に専属するが、使用収益権能は構成員各 自 に 固 有 的 に 分 属 す る こ と は あ る 。 総 有 財 産 の 管 理 処 分 は 、 団 体 の 構 成 規 範 に 基 き 団 体 の 総 意 に よ っ て 行 な わ れ る ﹂ ) 、 同 趣 ・ 我 妻 、 栄 ・ 物 権 法 ( 昭 和 二 七 年 ) 二 九 七 頁 以 下 、 石 田 文 次 郎 ・ 物 権 法 ( 昭 和 七 年 ) 五 一 二 百 九 以 下 、 末 川 博 ・ 物 権 法 ( 昭 和 一 二 年 ) 三 四 五 百 九 、 四 O 七 頁 ( 対 外 的 な 管 理 ・ 処 分 は 部 落 が 入 会 権 の 主 体 で あ り 収 益 権 は 個 々 の 住 民 に 属 す ﹂ ) 、 林 良 平 ・ 物 権 法 ( 昭 和

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第10巻 1号一一一24 二六年)二二二頁、松坂佐一・民法提要・物権法(昭和三 O 年)一五二頁、舟橋詰一・物権法(法律学全集)(昭和三五年)四 三 一 六 頁 以 下 、 四 五 O 頁、川島・潮見・渡辺・入会権の解体(昭和三四年)一五頁、川島武宜・所有権法の理論(昭和二四年) 二 O 二頁以下、浅井清信・物権法(一九五九年)一四四頁、末弘厳太郎・物権法・上巻(大正十年)四百七百(以下、同・物権 法・下巻(大正一一年)六七八頁、石田文次郎・我国法に於ける土地総有権・土地総有権史論所収(昭和二年)六 O 四頁、平 野義太郎・ゲル 7 ン法における団体及ぴ総有の観念││主としてゾ l ムの所説に就て││-民法におけるロ l マ思想とゲル 7 ン思想(大正二二年)所収・五 O 一 頁 等 。 ただし、末弘厳太郎・物権法・下巻(大正一一年)七 O 九百円に﹁入会権は入会権者の総有に属するが故に、各個の入会権者 は││﹁使用収益の割合﹂の意味に於ける﹁持分﹂を有するけれども││独立の持分権を有しない。従って入会権者相互間に 於ても﹁持分﹂の譲渡を為し得ず、又之を相続するを得ない。各入会権者は部落民たるの故を以て当然に各自共同収益を為し 得るだけのことである﹂といわれ、また、同・入会││準共有か債権的入会か││入会権者相互間の権利確認妨害排除訴訟は 必要的共同訴訟か?判例民法(大正一一年度一 O 事 件 ) 四 八 百 九 に お い て 、 ﹁ : : : 入 会 に 於 け る 各 権 利 者 の 所 謂 ﹁ 持 分 ﹂ も ・ : : 普 通の共有に於けるが如き持分はないけれども、思想的持分││数字的割合を以て一不され得る入会地の使用収益権は確かにある。 而して其持分は無論各入会権者個々の有する所なるが故に、他の入会権者に於て之を否認し又は侵害するに於ては、其者のみ を被告として権利の確認又は妨害排除を請求し得るは当然である﹂、といわれているのは注目される。 ( 2 ) 同 町 ・ 巴 円 毘 5 口 戸 田 口 ] 巾 同 門 戸 口 同 一 口 己 山 田 一 条 山 戸 注 目 門 町 巾 可 ロ ︿ 印 可 巾 円 } F H ∞ ω A Y ω 白 人 日 印 N R -( 3 ) の ・ ∞ 巾 田 町 ] 2 ・ ω M N 印 円 。 日 仏 巾 印 肉 巾 H H邑 ロ 巾 門 戸 円 山 2Z 円 } 同 町 ロ H V コ ︿ 同 門 ﹁ 巾 門 町 仲 田 温 何 日 Z K 戸 σ 門 町 巾 ロ ロ ロ 問 - H ∞ ∞ ? ω ω M E I N ∞ ω ∞ 九 日 日 ∞ ω ω ' ω N N U N 叶 ( 4 ) 。 件 。 ︿ O ロ 色 巾 叶 } 内 巾 - H ) 虫 色 巾 E R V 巾 の 巾 口 。 印 印 巾 ロ 印 門 ER 団 司 巾 門 広 - M -∞ 門 Y H ∞ 吋 ω -ω -ω ・当日号、川島武宜・﹁ゲルマン的共同体﹂における ﹁形式的平等性の原理﹂について、川島

1

松田編・国民経済の諸類類七八八頁以下参照。 ( 5 ) 。 円 ggDE25 一 円 立 与

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山 - M U G -川島前掲書・七九 O 頁 参 照 。 (6)O 円 円 。 4 0 ロ E R E -σ 広 唱 ω ω -N g l N ω N 0 2 0 5 ロ EqE

U 2 8 8 5 n F 阻 止 由 同 町 巾 O 江 巾 H U E -ω ・ ω N C 門 戸 川 島 前 掲 主 回 二 九 O 百 九 以 下 。 ( 7 ) 吋 ピ ︿ 巾 円 。 巾 ロ C ∞ 凹 凸 ロ 印 ロ 甘 え R D B 芹 吋 巴 町 巾 円 宮 巾 ロ ロ 白 門 町 田 門 町 当 包 N 巾 コ 凹 円 宮 巾 白 河 内 円 ﹃ グ 司 巾 田 仲 田 門 町 コ 仲 間 白 ユ 出 回 R H U 日 ? ω N m w H ( 8 ) 川島武宜編・注釈民法 ( 7 ) 物権 ( 2 ) 五 一 一 一 頁 以 下 、

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25一一総有の本質について なお、入会権に持分をみとめるものとして、川島武宜・民法 I 総論・物権(昭和三五年)二六 O 頁。同趣・平野義太郎・総 有・民法におけるロ!?思想とゲルマン思想(大正一三年)一八七百円、同・ゲル 7 ン法における団体及び総有の観念・前掲書 所収・四九二頁、その他一六七

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一七三頁及び一七八頁等参照、同趣・中田董⋮・明治初年における村の人格・村及ぴ入会の研 究 、 ( 昭 和 二 四 年 ) 所 収 ・ 一 O 一十自(には入会権者に持分をみとめているが分割請求券をみとめていない。戒能通孝・入会の研究 (昭和三コ一年)二二百九以下において、﹁山林・原野・牧場等の共同収益地に対する権利関係は団体自体による所有関係としてこ れをみるべきでなく、一の支配的・占有的、状態としてこれを見るのが妥当である:・・﹂また、同・四六七頁において﹁・・ このことは、明らかに入会の効力を入会の必要の限度に限っていることを一不すのであって、それ自体入会に関する争いが、訴 訟によって解決せられることよりも、和解によって解決せらるべき適格性を有していることを物語るのみでなく、他面入会に 附与された権利内容が、絶対的な所有権的機能に於てでなく、具体的な収益と離れ得ない﹁占有﹂的機能に於て止まることを 示すのである:::﹂と特殊な把握をしておられる。 川 島 ・ ﹁ ゲ ル 7 ン 的 共 同 体 ﹂ 七 九 二 百 九 以 下 に は 、 K ・ マ ル ク ス は 。 ・ 4 ・のぽ円宮と同様のことを次のように説明している。すな わち、﹁︹古典古代社会における︺都市︹という形態︺での結合にあっては、共同体はそれ自身一つの経済的実在であった。す なわち、都市そのものの存在ということは、多数の独立の家族の存在とは別のものであった。そこでは、全体はその部分によ って構成されるものとして存在するのではなく、一種の独立有機体である。ところが、ゲル 7 ン 人 に あ っ て は 、 : : ・ 共 同 体 は 、 外面的な観察だけで見ても、その構成員のその時々の集会によってのみ現実に存在するのである。もっとも、彼らの本来的な 統一﹀ロ包門町田巾円巾ロ常国昆邑丹は、血統・言語・共通の過去ないし歴史等の中にあるのではあるが。:::︹ゲルマン的︺共同体 が現実的存在となるためには、自由な土地所有者は集会をもたねばならない。・:・︹彼らにあっては︺個々人の所有が共同体 によって媒介されて現われるのではなくて、共同体の存在および共同体の所有の存在が︹個々人によって︺媒介されたものと して111すなわち、独立の諸主体問の関係として││現われるのでる。﹂﹁ゲルマン人にあっては、:::共同地は、むしろ、単 に個々人の所有の補充物として現われるのであり、そうして、それが、或る種族の共同所有として敵対的な種族に対抗して擁 護される場合には、単にそのかぎりでのみ、︹共同体の︺財産として観念されたにすぎない。﹂と。 ( 9 ) 大塚久雄・共同体の基礎理論(昭和三 O 年 ) 九 六 頁 以 下 。 (日)﹀国

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