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国家の国際法人格(1) -国家の国際法人格と承認の関係に関する従来の理論及びその検討-: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

国家の国際法人格(1) −国家の国際法人格と承認の関係に

関する従来の理論及びその検討−

Author(s)

東風平, 玄純

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 13(1): 83-121

Issue Date

1973-06-30

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11051

(2)

「国家の国際法人格J (1)

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頁。

(3)

噌行

87 dcs vol kerrecht, 1924, des volkerrecht, 1924, 8, 317 8. 317.

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6 A.

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1. L, A.

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I.L., 91 4 8. 64

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3 P. 178-179, P. 1.78-:-179. 92 4 A. Hold, Ferneck, A. Hold; Ferneck,

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4 volkerrechts 1930. 8.180 v品lkerrechts,1930. 8.180.

"

9 とのべている。(Brierlyop. とのべている (Brierly,op. cit., p. 130) cit., p. 130)。 92 10 1899. 8.84 1899, 8. 84. 92 13 1937.8. 113 1937, 8. 113. 92 19 Rechtsf誌higheit Rechtsf詰higkeit 94 下11 8. 125 8.125.

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下10 PP. 19-20 PP. 19-20.

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下8 8. 231 8. 231.

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下6 PP. 76-77. PP76-77.

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下3 op. cit.P. 77 op. ci t., P. 77.

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下2 88. 104-105 88. 104-105.

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下 l 88. 129-131 88. 129ー131. 95 88. 18-19 88. 18-19.

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2 88. 8 -19 88. 8 -19. 98 下7 PP. 608-609 PP. 606-609.

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下6 8. 113 8. 113.

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下5 Mcnair McNair

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下5 PP. 345-348 PP. 345-348.

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下3 118頁 118頁。

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下2 88. 228-241 88. 228-241.

(4)

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27~28. P. 605 I . P. 605. iIbid

PP. 608-609

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Ibid,PP. 60 Ibid,

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Ibid., PP. 606-607. PP.606-607 13 14 Ibid

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P. 605 P. 108 39頁 同上、21頁 同上、 80頁 Ibid., P. 605. P. 108. 15 39頁。 向上、 21貰。 向上、 80頁。 (series.

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No. 1 , P. 25) (series A. No 1

P. 25)

注(14)参照 注(14)参照。 PP. 375-377. P.64. P.99. PP. 375-377 P.64 P.99 Haokworth Hackworth 17 P.94 P.96 PP. 351-352 PP.224-225 P.94. P.96. PP. 351-352. PP. 224-225.

(5)

国 家 の 国 際 法 人 格 (

1

)

一一国家の国際法人格と承認の関係

に関する従来の理論友びその検討一一

一、はしがき 二 、 創 設 的 効 果 説 (1) 創設的効果説の理論構造 (2) 創 設 的 効 果 説 の 批 判 三 、 宣 言 的 効 果 説 (1) 宣言的効果説の理論精造

(

2

)

宣 言 的 効 果 説 の 批 判 四、折衷説とその批判

東 風 平 玄 純

(1) 国際法団体内における国家の成立と国際法団体外における国家の成立とに よって承認の効果を区別する見解

(

2

)

承認を政治的承認と法律的承認に区別する見解

(

3

)

i

国家性」について争う余地が存するか否かによって、承認の効果を区別 す る 見 解 (4)

i

デ・ファクトー承認」の新しい理論構造によって、伝統的理論を止揚し ょうとする試み (以上本号)

一一法問題としての国家の成立ー一

一 、 第2次大戦前における国家の成立及び承認の実際 (1)総説 ~~〆〆〆 (2) 第 I次世界大戦前における国家の成立とその承認 (3) 第 1次世界大戦と国家の成立およびその承認 (4) 第2次世界大戦と国家の成立およびその承認 二 、 第2次世界以後の国家の成立

(

1

)

総 説

(6)

(2) 国 家 成 立 に 関 す る 国 際 法 一 人 民 ( 民 族 ) 自 決 権

(

3

)

国際連合と自決権の規範化

(

4

)

自決権にもとずく国家の成立 (イ)信託統治地域における国家の成立 (ロ) 非自治地域における国家の成立 (以上次号)

ー は し が き

国際法上の国家について考える場合、国家は、成立と同時に国際法人格(国際法 主体性)を認められるかどうかということが問題となる。何故なら、たとえば、国 の権利及び義務に関する条約(米州)第三条において、 「国家の政治的存在は、他 国の承認とは無関係である。国家は承認前でも、自己の保全と独立を守り、自己の 保存と繁栄を図り、適当と思うところに従って自己を組織し、自己の利益に関する 立法を行ない、自己に役立つ行政を行ない、自己の裁判所の管轄権を定めうる権利 がある」 と規定され、他方では、国家の国際法人格は、既存国家による「承認」 によって与えられるとする主張も有力に行なわれており、国家の国際法人格と承認 の関係をめぐる争いは、現実国際法上の困難な問題のーっとされているからである。 この問題に関してなされる種々の主張は、結局のところ、国家は、成立すると同 時に国際法主体となるとする宣言的効果説と、新国家は、他国の承認によってはじ めて国際法主体となるとする創設的効果説とに大別できる。もっとも最近では、純 粋な形での主張は後退し、折衷主義的傾向が強くみられる。しかし、 「承認」に何 らかの法的意義を認めようとするものであるかぎり、それはむしろ創設的効果説の 変形とみるべきである。 以下において、従来の諸学説について検討するが、いずれの立場においても、今 日の国際社会における国家成立の現象を、充分に説明しえないことが明らかにされ るであろう。

二 、 創 設 的 効 果 説

(7)

-84-(1)創設的効果説の理論構造

創設的効果説は、一般に、国家の国際法上の人格を既存国家の承認にか、らしめ、 「承認」をもって、国家の国際人格をミ創設ミする行為であるとし、承認前の国家 については、その国際法上の地位を否定する立場である。たとえば、創設的効果説 について、国際法学においてはじめて現代的理論構成を行なったといわれるイエリ ネックは、上級法秩序に服しない二個の実体聞の法律的櫨利義務の形における法律 関係は、法人格の相互承認の結果としてのみ生ずるとなし、象認に無関係な自然的 国家と、承認に依存し、一切の権利義務の淵源となる完全国際法人格者とを区別し て、組織化された人類の一部である国家、すなわち自然的国家が一般国際社会に事 実上入ることは認めるが、法的国際社会の部分を構成するためには、 「承認

J

が必 (1) (2) 要であると主張した。この理論は、後にリスト、オッベンハイムなどに影響を与え 彼らによって発展せしめられた。たとえば、オッベンハイムは次のようにのべてい る。

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国家の存在そのものが承認とは別のものであるということは疑いない。国際 法は国家が承認されないかぎり存在しないとは決していっていないj。しかし国家 は、 「承認される以前においては国際法によって何ら顧慮されることのないもので あり……ただ承認によってのみはじめて国際法上の人格を有し、国際法主体とな る

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国家はそれによってはじめて自国を承認した固と外交関係を結び、また条約 (3)(4) を締結する能力を取得するのである」。 (5) ところで、 トリーベルは、承認を以て「協定 ( Verei nbarung) の一部」とのベ (6) た。彼の考えは、アンチロッチ、クヌッベン等によって受け継がれた。たとえば、 アンチロッチは、次のように論じている。

r

国際法規範は合意によって形成される。 したがって国際法秩序の主体は、原初的合意がなされる時に存在を開始する。即ち、 実にこの時から、合意に関係したところの実体は、各相互に合意の結果たる規範の 受範者となり、而してその結果として、これらの規範が構成する法秩序の主体とな るのである。

J

r

すべての国際法主体の基礎には主体の合意が存する。この合意は、 かなり不適当ではあるが、従来普通に使われている言葉では『承認』といっている (7) ものである

J

。 これに対して、シュトルツプは、承認を与える国の側の一方的行為による創設的 ~ ~ 効果説を主張した。これは、わが国の多数説とされている。 ごのように、創設的効果説の論旨は、国家は承認されるまでは、国際法主体とし

(8)

-85-て の 地 位 を も っ 国 家 で は な く 、 単 に 政 治 的 共 同 体 と し -85-て の 事 実 的 存 在 に す ぎ ず 、 他 国 に よ っ て 承 認 さ れ る こ と に よ っ て 、 は じ め て 国 際 法 上 の 人 格 と な る と な し 、 国 家 の国際法上の存在を、 「承認」にかからしめるところにある。ケルゼンやローター パ ク ト も 言 っ て い る よ う に 、 そ の 当 然 の コ ロ ラ リ ー と し て 、 承 認 前 の 国 家 は 、 法 の 領 域 に お い て は 単 な る 自 然 的 事 実 に す ぎ な い 。 そ し て 創 設 的 効 果 説 を 主 張 す る 根 拠 と し て 、 ロ ー タ ー パ ク ト は 、 国 際 社 会 に 新 国 家 の 存 在 を 承 認 す る 権 限 を 有 す る 国 際 的 権 威 が な い 事 実 、 即 ち 国 際 社 会 組 織 の 不 完 全 性 を 言 い 、 ケ ル ゼ ン も 、 一 般 国 際 法 の 未 発 達 、 非 中 央 集 権 性 お よ び 国 家 の 人 格 を 認 定 す る 特 別 機 関 の 欠 如 に 言 及 し 、 結 局 、 国 際 法 の 中 に 国 家 の 成 立 に 関 す る 法 規 ( 国 家 成 立 の 手 続 き 、 或 い は 人 格 の 認 定 機 関 、 開 始 の 時 期 等 に 関 す る も の を 含 む ) は 存 在 し な い か ら 、 国 家 の 国 際 人 格 は 、 各 国 の 認 定 ( 承 認 ) に ま か さ れ て い る と 主 張 し 、 承 認 前 の 国 家 の 国 際 法 人 格 を 否 定 す る 。 言 い か え れ ば 、 国 際 法 が 国 家 の 国 際 人 格 の 認 定 権 を 各 国 家 に 与 え て い る こ と ( 1骨 を言忍めるのである。 こ の よ う な 創 設 的 効 果 説 に 対 し て は 、 従 来 、 種 々 の 批 判 が な さ れ て い る が 、 次 の 法 理 的 方 面 よ り な さ れ る 批 判 は 、 現 実 に お い て な お そ の 正 当 性 を 失 な わ な い も の と 考えるのである。 (1) Jellinek, Die rechtliche Nature der Staatenvertr証ge,1880, S . 48 (2) Liszt, Das Volkerrecht, 1925, S.91

(3) L. Oppenheim, International law vol.1, 1944, P. 121 (4) わが国の多数説とみられる。立博士は次のようにのべられる。

r

国家は他の国家の承認を須 須ちて始めて成立するものではなく」、「荷も一定の土地及ぴ人民を包含する政治団体が存在し、かっ 之を基底とする、統治主体が存し!団体及統治主体が永続的性質を傭うるに至るときは、主権 を行う統治主体即ち国家の成立するに至れるや否やは、其の場合の実際の事実の考慮に依り決 定すべき事実上の問題」であるが、 「己に成立せる国家が国際法団体の一員として国際法上の 権利義務を有する為には、他の国家に依り所謂国家の承認を受けなければならない

J

(立作太 郎「平時国際法論

J

121頁ー122頁。他に、松原一雄「国家の承認ーその理論と実際

J

(中央大 学50周年記念論文集」法律之部、昭和10年、 7-8頁。繍回喜三郎「国際法学」上巻271-273 頁、高野雄一「国際法概論」上、昭和40年、 83頁など。

(5) Triepel, Volkerrecht and Landesrecht, 1889, S. 102 (6) Anzi lotti, 前 掲 容177-178頁

(9)

(7) K nubben, D i e subj ekte des Vol kerreehts, 1924, S, 317 (8) S trupp, G rundzUge des posi ti ven V ol kerreeht, 1933, P P. 75ー78.

(9)立作太郎「現実国際法諸問題」昭和14年、 37-38頁。松原一雄、 「国際法における『承認

JJ

(法学志林第34巻1号)、 51頁。

(1同 H. Lauterpaeht, Recognition in International Law 1948, P. 45. H. Kelsen, Reco・ gnition in International Law, Theoretical Observation, A. J. I. L, Vol.35, 1941,

PP. 606-607.

(

2

)

創設的効果説の批判

(イ) まず、創設的効果説に対する批判は、 「承認」を既存国家と新国家との「合 意(協約)

J

とすることに対して、なされなければならない。それは、端的にいえ ば、法的存在でないものが、どうして法律行為である合意をなしうるかということ (1) である。理論的には、ある実体が法律行為をなしうるためには、それ以前に法行為 をなしうる資格者でなければならない。何故なら、法律行為をなしえない、いわば 法 的 Nichls が、法理上なしえない法行為を行なったことによって、そのときよ り法的存在となるということは、あたかも圏内法において、一定の行為をなしえな い未青年者が、その行為を行ったとたん、その時より一切の法行為をなしうる成人 となる、ということに等しいからである。つまりそれは、結果であることを前提と するような矛盾をおかすことなしには不可能だからである。 もっとも、アンチロッチは、合意の法的価値したがって法的強制性は、 iPacta sunt servandaJという規範的仮説から与えられるとなし、 「合意の法的強制性は、 合意を存在せしめるに至った実体の意思からは生ぜずして、実はこの意思表示に一 定 の 効 果 を 与 え る 規 範 一Pacta sunt servandaーから生ずる」、「それ故未承認国家 (2) が法的に関係ある意思を表示し得るかどうかという問題を考えることは無用であるj

とのべている。結局、アンチロッチの見解は、iPacta Sunt Servanda

J

にもとずく 合意をば未承認の国家でもなし得ること、合意がそれ自体のうちに法規範を形成す

るカを内蔵していることを認め、 「専ら国家聞の合意により定立される j 国 際 法 規 範に対する服従を意味する法人格は、 「最初の合意

J

=

i

承 認

J

がなされた時に開 始するというものである。しかし、法人格でないものの意思に、法規範を定立する

(10)

力を付与する法規範なるものを考えることはできない。 この説は、国際法上存在しないものの意思によって、何故に国際法の基礎とされ る「合意

J

が形成されるかを説明することはできないのである。 (ロ)次に、承認を新国家と既存国家との聞の協定となす創設的効果説が理論的に 不可能であるとすれば、新国家の承認は、既存国家が構成する社会においては、新 潟成員を承認する既存国家の一方的仔為であるとする見解に、当然に導かれるであ ろうか。 フエドッチは、現実の経験では、承認の過程には全く相互性は存在しない。承認 (3) する国は対価を求めることなく思恵を与える、といっている。たしかに、承認は、 宣言の形で、一方的になされる場合も多い。しかし、その結果、承認国と被承認国 (4) との聞に特別法関係が形成されなければならないという必然性は存在しない。この 場合、承認によってもたらされる承認固と被承認国との聞の法律関係はどんなもの であろうか。結局、一般国際法上の基本的権利・義務の関係だけであるとするほか はないだろう。しかしそうすると、既存国家の一方的裁量行為によって、法的不存 在である未承認国を、一般国際法上の基本的権利・義務の主体にまで引き上げるこ とになり、理論的に無理がある。それでは、承認が、宣言の形で一方的になされ、 一切の外交関係は未だ設定されていない場合における「一般国際法上の権利・義務」 というのは、承認固と被象認固との聞にのみ適用される黙示的了解としての「特別 法関係の内容」として言われるのであろうか。しかし、そうだとすると、これも結 局は、一般国際法を前提としない特別国際法を認めることとなり、後述の如く、現 実と著しく矛盾することとなるのである。また、承認前の国家の法的地位を認めな い創設的効果説においては、現実の国際法関係を説明するためには、黙示的承認 (未承認国との条約の締結、外交関係の設定)をいわざるを得ないから、承認を常に (5) 一方的行為として論ずることは困難である。 このように、創設的効果説に対しでは、承認を一方的行為と解するにせよ、合意 と解するにせよ、解決され得ない重大な理論上の欠陥を認めざるを得ないのである。 川 創 設 的 効 果 説 は 、 一 般 国 際 法 上 の 国 家 の 成 立 に 関 す る 法 規 の 不 存 在 を 、 意 織 的にせよ無意織的にせよ、前提としているということができる。しかも国際法は、 その主体の何たるやを決定しなければならない。このデイレンマの中から承認制度 は生まれてきた。思うに、現実の国際社会は、各国家に権力が多元的に分裂してい

(11)

るという特殊な構造をなしている。したがって、国家の国際法人格の決定に関しで も、各権力国家がこれをなし得るという発想は、むしろ自然であり、その方法とし て「承認Jという慣行が生まれたのは当然でもあった。そして承認は、それぞれの 国家によって、個別的に行なわれるという関係から、たとえばフェアネックが 「新国家はすべての国家に対して国際法主体であるのでなく、ただそれを承認した国 (6) 家との聞においてのみ国際法主体となる」といい、あるいは、松原博士が、 「新国 家は承認固との聞では権利主体、即ち国際人格者であるが……未承認固との間では (7) 国際人格者ではない」といい、さらにアンチロッチが、 「国際慣例に従ってここに 略述した承認の観念は、同一の国家(この用語を社会学的に用いて)は、種々異な る時期において、諸国家に対して人格者となることができ、従って、ある所与の時 においては、ある国家に対しては人格者であるが、他の国家に対しては、そうでな いということが可能である、という論理的帰結を生ずるのである。このことは、国 際関係の実際に於て起ることと正確に対応し、且つ、この秩序の固有の性質に一致 (8) する」というように、承認の効果も承認を与えた国家に対してしか発生しない相対 的なものであるという帰結にいたるのである。しかし、承認の効果が、承認固と被 承認国との閣にのみ限定される相対的なものであるとするならば、国家の国際法人 格は、一般国際法上の人格とはなりえず、承認固と被承認国との聞においてのみ通 (9) 用する人格にすぎなしミ。そうだとすれば、創設的効果説は、結局は一般国際法その ものの否定の上に成り立っているというほかはないのである。またその存在が認め (10) られるとしても、たとえば、 トリーベルのように「特殊性の共通の要素BestandteilJ として認める他はないのである。しかし、一般国際法をもって、すべてに妥当する 統一的・一般的秩序として理解するならば、国際法人格の相対性を認める創設的効 果説は直ちに矛盾に直面する。何故なら、承認の効果が相

E

的・相対的なもの(い わゆる集合的承認の場合にも、その効果は、承認に参加した諸国聞においてのみ人 格者たり得る)でしかないならば、そこには承認国・被承認国閣の相互関係の、 「数Jに応じた2国間(又は多数国間)の特殊法秩序のみが存在し、すべてに妥当す (11) る統一的・一般国際法秩序は認められないことになるからである。フェアドロスが 批判するように、国家は「相互に国際法主体として承認した国家に対してのみ妥当 ( 1却 する単なる契約団体」としてしか認められないのである。否、特別国際法は、一般 国際法を前提としてのみ可能(したがって、国家の国際法人格も相互的・特殊的で

(12)

ある前に、先ず一般国際法上の人格でなければならない)であるから、承認の効果 (13) としての特殊関係は、特別国際法関係でさえもないのである。創設的効果説におい ては、一般国際法と称されるものは、トリーベルの

μ

うように、 「特殊性の共通の 『要素.1 BestandteiIjとして理解するほかはないが、しかしそのような理解は、す べてに妥当する統一的・一般的秩序としての一般国際法に対する認織を誤るものと いわなければならない。 このように、承認が、それぞれの国家によって個別的に行なわれ、相互的な効果 を発生せしめるという創設的効果説のもとでは、国家が一般国際法上の人格となる ことは不可能であるというだけでなく、一般国際法自体が否定される結果となる。 しかし、このような考えかたは、現実の法経験と矛盾するものである。一般国際法 (14) は現実に存在する。一般国際法が存在するならば、国家の国際法人格も一般国際法 自身によって決定されなければならない。承認の効果の相対性、したがって国際法 人格の相対性に帰着する創設的効果説においては、一般国際法による一般国際法上 の人格決定ということは理論的に不可能で、あるが、このことは国際法を統一的秩序 として理解し、国家の国際法人格をそのような秩序の主体として理解する上で、致 命的な難点、を含むものである。 与) 最後に、黙示的承認観念の非理論性についてのべなければならない。前述の ように、創設的効果説は、黙示的承認を認めることなしには不可能であるが、しか し法理上ある実体が法律行為をなし得るためには、それ以前に法律行為をなし得る 資格者でなければならない。国際法によって、あらかじめ行為能力を与えられてい なければ、基本条約その他の法律行為を有効に行なうことは不可能だからである。 ところが、承認を承認固と被承認固との合意とする立場からは、本質上国家行為と して認められる行為、たとえば基本条約の締結、外交使節の交換等があった場合に は、何らの言及がされなくとも、新国家の承認ー黙示的承認があったものとされて (1司 い る 。 し か し 、 く り か え し い う が 、 法 律 行 為 を な し 得 な い 、 い わ ば 法 上 の 不 存 在 が、法理的になし得ない法律行為を行ったことによって、その行為が無効とされな いばかりか、その時より一切の法行為をなし得る法的存在となるということは、ど う考えても理屈に合わない。法的に存在しないものは、どのような意味においても 法律行為を有効に行なうことはできない筈である。法的に不可能なのだ。 思うに、新国家が既存の国家によって明示的に承認されることなく、条約を締結

(13)

し、或は外交使節の交換をなし得るのは、これらの法行為を行う以前に既に外交能 白骨 カを認められているからである。したがって承認と国家の国際法人格とは、全く別 のものであるということにならなければならない。創設的効果説は、承認前の国家 を国際法上不存在としながら、承認前の国家が何故に国際法上の基本条約を締結し 得るかという問に対しではミ黙示的承認ミを以って答える。論理的前提を問うてい るのに対し、結果からの無原則な推定を許すことによって、問題を回避する。確か に現実の国際関係を説明し得るためには、創設的効果説は、黙示の承認を認めるこ となしには不可能である。そしてそれを認めると同時に破綻するのである。 他方、創設的効果説において、承認をばこれを行なう国の単独行為としながら、 黙示的承認を認めることにも理論的矛盾が存する。承認が明示的に行なわれなくて も、承認前の国家との間に一定の条約の締結や外交使節の交換があった場合は、承 認が黙示的になされたものとされているが、しかし、すでにのべたように、 「黙示 的 承 認

J

=

i

条約の締結」は双方行為だからである。同じことは、条約に承認が明 示される場合にも言える。しかしこの場合も一方行為(単独行為)の立場をとるも のは、それを一方行為となし、たとえば次のようにのベる、 「此の場合の承認は、 条約の締結を須ちて始めて生ずると言わんよりは、承認国が新国家に条約締結能力 を認めて、之と決定的に条約締結の手続きに入りたる際より、己に承認が行なわれ たと言うを正しとすべき場合が多いのであるJ。しかし、このような説明にも拘ら ず、未だ充分な解決を与えているとは思えない。何故なら、ここで述べられているI ことは、 「新国家の条約締結能力を認めてJ、それから「条約締結の手続き」に入 るというふうに解され、国家の行為能力が国家行為(条約締結)の論理的前提とな ることは否定しえないからである。 このように創設的効果説は、根本的な矛盾性を内包していると言えるのである。

(1) H. Kelsen, Das problem des 50uveranitat und die Theorie des Volkerrechte",1920,

5. 226旦J.Kunz, Die Anerkennung der 5t魯atenim Volkerrecht, Handbuch des Volker. rechts, Bd,

n

, T. 3, 1928, S. 64

(2) Anzilotti, 前 掲 書 P. 178-179,

(3)ー又正雄、 「国際法における高尚喜理論の展開とその分析

J

25巻、第2冊) 1949年、 58頁。 “)承認はされたが外交関係は設定きれなかった例として、サルヴアドルの満州国承認 (1934

(14)

3

3)、イスラエル共和国の中共承認 (1950

1

9)などがある。

(5)ケルゼンは、承認は一方的行為(宣言)でも、また双方的行為でもよく、条件付または無条 件的でもありうる事を認める。 (Kelsen,Recognition. PP, 609, 611-612)

(6) A. Hold, Ferneck, Lehrebuch de"s Volkerrechts 1930. S. 180 (7)松原一雄、 「国際問題及国際法諸問題

J

6頁。

(7)Anzi lotti. 前掲書、 184頁。

(9)プライアリーは、創設的効果説のこの様な帰結に対しで、 fA固に対しては同時に『国際人 格者』であり、 B国に対しでは『国際人格者』でない国家の地位は、まさに法的不可思議であ る」とのべている。 (Brierlyop. cit., P. 130)

(10) H. Triepel, V邑Ikerrechtund Landesrecht, 1899. S. 84

(11) 田畑茂二郎、 「国際法における承認の理論

J

(第法律学体系

J

第2部、法学理論篇159.昭和 30)年、 29頁。 (12) Verdross, Volkerrecht, 1937. S. 113 (13) コjレテは一般国際法と特別国際法との関係を次のように鋭明してお州、妥当な見解である。 「全体としての法秩序が考えられるとき、それは、それに所属する構成員相互間の関係 (Ko・ ardinationの関係)、ならびに構成員と法団体それ自体との関係 (Subordinationの関係)、 に対する団体的秩序として把握きれなければならない

J

0 Koardination の 関 係 がSubordin. ationの関係を前提とするように、具体的な法律関係の存在は、抽象的な法規範の存在に依存 している

J

0 (H. Korte, Grundfragen der Volkerrechtlichen Rechtsfahigheit und Hand.

lungsfahigkeit der staaten, 1934, S. 19, 25)0 Koardinationの関係とは、平列的な国家 聞の関係、即ち特別国際法関係のことであり、 Subordinationの関係とは、一般国際法に対す る特別国際法の関係である。 (14)国選憲章も一般国際法の存夜を予定している(憲章前文「条約その他の国際法の源泉

J

)。 ( 1骨黙示的承認の観念は、承認の創設住を認めるすべての教科書中に見出すことができる。 同 一 例 を あ げ れ ば 、 1920年2月12目、イギリスとソヴイエト政府との聞に捕虜交換に関する取 引がなされた際、イギリス外務省は、裁判所に送った通告の中で、これが決してソヴイエト政 権の公式の承認を意味するものでないことを明らかにした。その後、事実上の承認は1921年の ロンドン貿易協定の締結によって、法律上の承認は1924年文書によって行われた。最近では、 東ドイツの完全承認要求に対して、西ドキツのプラント首相は、両ドイツの関係は特別の条約 によって規定されるべきであると提案したが、完全な外交的承認‘を与えることは拒否した

(15)

(1970隼S月19日発田ロイター)。これらのことは条約の締結と承混とは金〈別の問題である ことを怠味していると曾ってよい。 間立作太郎「現実国際泌総問題

J

38頁.

三 宣 言 的 効 果 説

(

1

)宜雷的効果説の理論構造

従来の宣言的効果離は、具体的内容は学者によって一様ではないが、一般には、 国家は他国の承認、とは関係なく、成立と同時に国際法人格を取得し、国際法主体と なるとする点では大体の一致をみている、といってよい。例えばウルマン

(

U

l

l

m

a

n

)

は、 「承認、は、新しい国際法主体が成立するための前提としての意味を有しない。 (1) 国際法主体の存在は、むしろ国家的に組融された団体の出現によってもたらされる」 とのべ、またホール

(

H

a

l

l

)も「国家は国際法によって支配される人格であるから、 あるコミュニテイが国際法の定める国家の標織を有する時から、そして、単にその (2) 時以来、国家として成立するに至る」とのベ、更に、初期のケルゼンも「国際法規 範によって規定された事実が存在するならば、国際法の観察者にとって、国際法的 意味における国家・国際法の権利義務の主体が存在するのである。……尚、それに 対して旧国家の意思表示による承認は、ただ宣言的な意味しか有しない。すなわち (3) 法的意味は全〈有しない」と説いた。また、チエン

(

T

. C

.

Chen

)も宣言的効果 説の立場から、次のようにのべている。

r

国家l主事実上存在すれば、そのとき直ち に国際法によって拘束される。そしてこのことは、外国の窓恩や行為とは無関係で ある。したがって外国の承認行為は、国家的成立という察実の存在を宣言するだけ (4) であり、国家の法人格を創設する意味をもたない」と。 このように宣言的効果鋭においては、あるコミュニテイが国家の標織を備えるに 至れば、そのコミュニテイは、それによって国際法上の国家としての人格を認めら れるとなすのである。しかし、宣言的効果鋭においても、国家の成立をどのような ものとしでみるかについては、見解は分れる。多数説の立場は、国家の成立は法問 (5) 題ではなく、単なる事実問題にすぎないとする。 他方、国家の成立を単なる事実問題とする立場に対して、同じ宣言的効果説の立 場より、これを法問題とする見解が示されている。この立場から、国家の成立が法

(16)

-93-i問題であることをはりめて主張したのは、初期のケルゼンである。ケルゼンは、次 のようにのべている。

r

国際法は、どのような条件の下で、国家が国家として国際 法的に存在するか、即ち国際法上の権利義務の主体となるかを規定しており、それ は国際法のBestandtei1として認められなければならない。

J

となし、そのような (6) 法規として「実効的な支配権力の繕立

J

をあげている。ケルゼンの他に、国家の成 立を法問題であるとし、 「実効的な支配権カの確立

J

を国家成立に関する国際法規 (7) (8) 定と解する学者は、フェアドロス、クンツである。 ところが、国家の成立を法問題となす立場にも、およそ二つの立場カ唱する。一 つは、国家の成立を国際法団体領域内外に分け、国際法団体領域内において成立し た場合にのみ、これを法問題とする立場(すでにのべたように、全体としてみれば むしろ創設的効果説)であり、二つは、国家の成立を国際法団体内外に区別しない で、一般的に国家の成立を法問題とする立場である。前者に属するのは、後にのベ (9) るクンツであり、ハイルポルンもこれに属する。後者は、いうまでもなく、初期の ケルゼンである。 このように、宣言的効果説は、国家の国際法人格と承認とを区別し、国家は承認 とは関係なく、存在の開始とともに国際法人格を取得し、国際法主体となるとする 点では一致しているが、国家の成立を法問題とみるか、あるいは法以前の自然的事 実とみるかについては、見解が分れるのである。以下に、この点に関して、従来の 宣言的効果説に対する理論的点検を試みるであろう。 (1)E. UlI園田1,V奇lkerreeht,1908, S. 125 (2)W. E. Hall, A Treaties on International Law, Higgi回 ed., 1飽4,PP. 19-20 (3)H. Kelsen, Das problem der Souverllnitlit und die Theorie des Vlllkerreehts, 1920,

S. 231

(4)T. C. Chen, The International Law of Recognition, 1951, P. 41, Brierly, The Law of Nations, 1 ted., PP. 76-77 (5) Bluntschi, D回 moderneVlllkerreeht der Zivilisierten Staaten, 1879, S.71.Gareis, Institution des Vlllkerreehts, 1901, S.64~ UlIman, Vlllkerreeht, 1908, S. 123. Brierly, op. cit. P. 77 (6) H. Kelse,nop. eit., P. 231;AlIgemeine StBatslehre, 1925, SS. 104-105 (7) Verdross, Verfassung., SS. 129-131

(17)

-94-(8) Kunz, op.cit., SS. 18ー19

(9) P. Heilborn, Die Anerkennung neuer staaten, 1931, SS. 8 -19

(

2

)

宣言的効果説の批判

(

1

)

従来の宣言的効果説における多数説の立場は、国家の成立は、国際法の見地 からは、法問題としてではなく、単に事実問題としてのみ現われる、と主張する。 しかし法の領域においては、事実そのものが法的効果を伴うということはあり得な い。そのためには、或る事実に対して一定の法的効果を付与する法規の存在が必要 である。国際法においても、或事実(国家の存在)が法律効果(国際法人格)を付 与されるためには、そのことが国際法によって明確に規定されていなければならな い。この点に関して、ケルゼンは「国際法は、何が国家であるかを自ら決定するこ となしには、絶対にありえない

J

(国家の成立を法問題とする宣言的効果説の見地 より)となし、或いは、後にのべるように、 「事実は、それ自体としては法的効果 をもたないJ (後にのベる創設的効果説の立場より)と主張している。また、ロー (1) ターパクトも「法人格は法の創造であり、自然の産物ではないJとのベ、国家は存 符という事実によって、自動的に国際法人格、国際法主体となるとする宣言的効果 説に対して、批判を行はっている。このような批判に対する抗弁は、外国の裁判所 にあ、いて、未承認国の法律、判決及び行為が適用されているという事実をもって、 行なうことはできない。未承認国の法律や判決及び行為が適用された事実としてよ くひかれる例は、たとえば、新しく成立した国家の主権は「承認条約に先行し、そ れとは独立している」ことを認め、未承認国は、何人がその国家の国籍を所有しう るかを決定することができるとした、

1

8

0

8

年 の 米 国 の 連 邦 最 高 裁 判 所 の 見 解 、 な らびに「国際法的に未だ認められない、いわゆる正当性を欠く国家権力が存在する 場合においても……かh る国家権力の囲内法的行為は、国際法上合法に存在する政 府の行為と同様に評価されるべきである

Jとした

1

9

0

5

年のスイス連邦裁判所の判例 (2) などである。しかし他方では、反対の先例一決定も多く存在することも見逃がして (3) はならない。だから、むしろそれは、特殊的なもので、事実は、すべての国の裁判 (4) 所は一般的には、未承認国の行為の有効性を認めていないともいわれている。結局、 未承認国の法律、判決及び行為等をどのように取り扱うかは、それを考慮に入れる (5) ことを命ずる圏内規範に専ら依存する問題であるということである。それ故、外国

(18)

(の裁判所)の決定を根拠として、国家の国際法人格について諮ることはできない のである。国家の成立を「事実問題」とする宣言的効果説は、法理上の基礎的な問 題についての認織を誤っているといえよう。

(

2

)

国家の成立を事実問題とする立場に対して、国家の成立を一般的に法問題で あるとなし、未承認国の国際法上の一般的地位を認め、承認と国際法人格を区別す る見解が初期のケルゼンによって主張された。すなわち、ケルゼンは、国際法は国 際法自ら「国際法的意味における国家」概念を規定している。したがって、国家は、 国際法に規定された「国際法的意味における国家」たることによって、イプソュー レに一般国際法上の地位を与えられる、となし次のようにのベる。

i

最も重要なこ とは……国家が『国際法的意味において』決定されるべきことJであって、 「国際 法は何が国家であるかを、自ら決定することなくしては、絶対にありえない」。即ち 「法規による一般的『承認』の可能なこと」が、これまで承認の法論理的意義の考 察において看過されていた。しかし国際法は、 「如何なる条件の下に、国家が国家 として国際法的に存在するか、すなわち、国際法上の権利・義務の主体となるかを、 規定している」のである。

i

そのような法規は、国際法のBestandteitとして承認 されなければならない

J

。それはあたかも「圏内法秩序において縫がその権利・義務 の主体であるか、誰の行為がその規範の内容をなすかを、圏内法自ら充分に決定し なければならないと同様に、国際法規範組織においても、何がその権利義務の主体 であるかを、自ら決定しなければならない」 円列えば、圏内法秩序において、会社内 組合等の成立が法の規定する法問題であると同様に、ある団体が国際法上の権利・ 義務を有する国家であるかどうかは、即ち一般に国際法的意味における国家性は、 国際法自身がこれを規定していなければならないムそして、「実際に、一つの団体が 何時国際法的意味における国家として成立するかという問題については、多くの国 際法教科書の中にその答を見出すことができる」となし、その典型的な場合として リストの説をあげ、 「国際法的意味における国家は、一定の地域内に居住する人民 (6) の支配権力か稽立された時ここに存する

Jと述べている。要するにケルゼンにおい

ては、国際法によって規定されたタートペスタント(一定の領域・人民・実効的支 配権力)が存在する時、「国際法的意味における国家」が成立し、それは、第三国の 承認とは関係なく、イプソューレに一般国際法上の権利・義務の主体となるのであ る。

(19)

しかし「一定の領域・人民・実効的支配権力」は、通常、国家の三要素と呼ばれ、 既存国家の標識あるいは徴表を示すものであって、それを直ちにミ国際法によって 規定された新国家の成立要件(法内容概念)とみることはできない。一般法学概念 上の「タートペスタント」は、法律効果に対する前提条件としていわれるもので、 そのタートベスタントを法律効果と結びつける明確な法規定によって指示されてい なければならない。すなわち、 「タートベスタント」がいわれるためには、その存 在が必然的不可避的に一定の法律効果、即ち国家の「国際法人格」を結果する国際 法規定の存夜が示されなければならない。ところが、ケルゼンのいうタートベスタ ントは、創設的効果説の立場からは、国家成立のための前提要件としてではなく、 「承認」の前提たる事実要件にすぎないものとされている。したがって「タートペ スタント」を言うだけでは、それが「承認Jの前提要件であるか、あるいは「法内 容概念

J

(国際法的意味における国家概念)であるかは、一般国際法上確立してい (7) るとはいえないのである。ところが、ケルゼンは、 「国際法的意味における国家」 の成立について、単に、 「タートベスタント」の存在をいうのみでなく、 そ れ を 「国際法過程」としてのべているのである。即ちケルゼンは、 「国家の成立は、常 に国際法の立場においてのみ、法的に認織され、国際法によってのみ、したがって、 国際法過程としてのみ可能である。それはあたかも、個別国家の法秩序の内におい て、例えば株式会社の成立が、それを規定する圏内法たる商法の立場によってのみ 始めて法的に認識され、その商法の規定によって、したがって、商法過程としての (8) み可能であるのと同様であるムつまり株式会社が、商法規定に従い一定の条件を具 備した時、商法規定によって法人格を取得するのと同様、国家の成立も、法過程を 意味する国際法規定の存在を前提としてのみ可能で、あるということになるのである。 このように、ケルゼンは、 「国際法的意味における国家Jの成立を、単にタート ベスタントの存在を言うだけでなく、 「国際法過程」として説明するのである。も し、ケルゼンの主張が、現実の実定的一般国際法を根拠として論証されたならば、 従来争われてきたような国家の国際人格に関する問題は、ここに解決を見るに至る であろう。ところが、ケルゼン自身明確にのべているように、 「国際法過程は、株 式会社からのアナロギーによっていわれているにすぎない。国際社会における国家 の成立を、圏内社会における株式会社からのアナロギーによってのみ論ずることは、 明らかに飛躍であろう。だから「国際法過程」をいうためには、株式会社からのア

(20)

ナロギーによってではなく、それが現実に一般国際法によって規定されているとい うこと、したがってその具体的な規定が京され、それによって、国家は「国際法的 意味における国家」として成立することが論証されなければならない。しかるに、 ケルゼンにおいては、 「国際法過程」を示す一般国際法は何ら示されていないので ある。それ故ケルゼンにおいては、 「国際法的意味における国家」は、法的認識論 の域を出ていないのである。何故なら、彼は「国際法的意味における国家」のター トベスタントに関する規定乃至「国際法過程Jを示す規定を、現実の一般国際法の 中に見出すことはできなかったからである。既にのべたように、ケルゼンが後に創 設 的 効 果 説 に 転 じ た の は 一 全 面 的 に で は な い が 一 自 己 の 認 識 論 的 な 国 際 法 理 論 に 対 する反省の結果によるものといえるであろう。 以上によって明らかなように、従来の宣言的効果説は、その主張の正当性を認め ら れ る た め に は 当 然 み た さ れ な け れ ば な ら な い 次 の 条 件 に つ い て 、 実 定 国 際 法 を 根 拠 と し て 、 充 分 に 論 証 す る こ と は で き な か っ た 。 即 ち 、 ケ ル ゼ ン 自 身 が 認 め た 如 く、国際法上の国家であるためには、国際法自ら、 「タートベスタント」乃至「国 際法過程」について規定しなければならないということ、言いかえると、他のあら ゆる法秩序と同線、国際法も一定の事実要件(国家の成立

J

に一定の法効果(国際 法人格)を与えるためには、 「条件たる事実は、いかなる態様で、Eつ何人によって 穣lJ.されるべきかを国際法自ら規定していなければならない」が、その国際法規定 を示し得なかったのである。そこに、ケルゼンの宣言的効果説の法論理的欠陥が存 し、そしてそのことが同時に、創設的効果説に反証の根拠を提供する結果ともなっ たのである。

(1) Lauterpacht, op. cit., P. 450 Kelsen, Recognition in International Law,A. J.1. L.,

PP. 606-609

(2) Verdross, Volkerrecht, 1937. S.113

(3) A.D. Mcnair, The law of Treaties, 1928, PP. 345-348 (4) Strupp, アカデミー競演集、 1934年, 434頁。

(5) Anzilotti, 前 掲 害 181頁

(6) Kelsen, Souverani t昌t,SS. 228-241

(7)田畑茂二郎、 「国家承認と国家の『国際法団体への加入

JJ

(国際法外交雑誌第40巻、第3号、

(21)

-98-昭和16年)..38-39賞。承認に関して全〈 相反する見解が行われていることについて、プライ アリーの指摘は興味深い。

r

法の現状は、諸国家が閉じ事態に対する訟の適用について、異な る見解に基づいて行動することを可能ならしめているということは真実であるが、このことは 諸国家の異なる解釈がすべて同時に正しいことを意味するのでははく、現状は何れが正しいか 正しくないかを決定する手続が存しないことを意味するにすぎない(Brierly,op. cit, P.131) (81 Kelsen, Th邑orie (!enerale du droit International Public Recueil des Cours, 1932,

N, PP. 260-264.

四 折 衷 説 と そ の 批 判

伝 統 的 創 設 的 効 果 説 の 破 綻 の 原 因 は 、 既 に の べ た よ う に 、 国 家 承 認 が そ れ ぞ れ の 国 家 に よ っ て 個 別 的 に 行 わ れ る ( し た が っ て そ の 効 果 も 相 対 的 で 、 承 認 を 与 え た 国 家 と の 関 係 に お い て は 国 際 法 主 体 で あ る が 、 そ の 他 の 関 係 に お い て は 国 際 法 上 の 不 存 花 ) と い う こ と と 、 一 般 国 際 法 が 一 般 的 ・ 統 一 的 規 範 秩 序 で あ り 、 国 家 が 個 々 の 国家の承認によって、一般的・統一的秩序のメムパーになるという現象との関係を 論 証 す る こ と が で き な い 、 と い う 点 に あ っ た 。 そ れ は 、 結 局 、 一 般 国 際 法 そ の も の の否定につながる、という点に帰着するものであった。 他 方 、 従 来 の 宣 言 的 効 果 説 ( 国 家 の 成 立 を 事 実 問 題 と す る 伝 統 的 立 場 は 論 外 ) の 破 綻 の 原 因 は 、 国 家 の 成 立 を 法 問 題 と な し 、 成 立 と 同 時 に 国 際 法 主 体 と な る と し な がらも、その実定国際法上の規定を示しえず、したがってそれは、法学的認識論の 問 題 と し で い わ れ て い た に す ぎ な い 、 と い う 点 に あ っ た 。 こ の 意 味 に お い て 、 宣 言 的効果説は自然法的な考え方に属するという批判をまぬがれ得なかった。 以 上 の よ う に 、 従 来 は 、 承 認 の 効 果 に つ い て 、 創 設 的 効 果 説 と 宣 言 的 効 果 説 に 分 かれ、両者の対立が決定的で、あった。この絶対的対立に対して、最近では多くの疑 問 が 提 起 さ れ 、 同 時 に 、 種 々 の ア プ ロ ー チ が 試 み ら れ て い る 。 こ れ ら の 試 み は 、 折 衷 説 と も 呼 ば れ る 。 す な わ ち 或 る 場 合 に は 創 設 的 効 果 説 の 妥 当 を 認 め 、 他 の 場 合 に は宣言的効果説の妥当を認める見解である。次に、これらの諸見解のうちで、注目 すべきいくつかの見解について検討してみたい。

(

1

)

国家の成立を国際法団体内における成立と国際法団体外におけ

る成立とに区別する見解

n u n

(22)

これはクンツによって代表される見解である。以下に1928年に世に出たHandbuch des Volkerrechts の中の fDieAnerkennung im Staaten der Volkerrecht

J

従って、彼の学説を検討してみたい。

彼は、一般的実定的国際法規範(DieAllgeneine, Positiv Volkerrecht)の存在

が是認されるならば、それに対応する一般的実定的国際法団体 (DieAllgemeine

Positivrechtliche Volkerrechts gemeinshaft )が存在しなければならないという 前提から出発する。そして、一般的実定法的国際法団体は、一般的実定国際法の妥 当をうけて相

E

に結ひ・つけられた法団体を包括し、実定国際法は、国際法団体所属 の国家に対してのみそのま‘一般的に妥当する。国際法秩序を、アプリオリに全地 球をおう法秩序とすることは、典型的な自然法的考え方であるとなす。だから国際 法が国際法的意味における国家を規定するとしても、 「国際法は国際法団体所属の 国家にのみ妥当するのであるから、このような規定もまた、従来の国際法団体領域 において新しく成立した国家にのみそのま、妥当するムこの結果として、国際法団 体領域内に国家が新しく成立したとき、その国家は、単に事実的な存在ではなく、 法的に、国際法的に存在するものであり、そして法上当然に、

E

っその同意なくし て国際法団体のメムパーとなる。これに対して、国際法団体外に既に存立する国家 又は新しく成立した国家は、 (a)その国家が「国際法的意味における国家」としての 要件を備え、 (bト般国際法上の義務を履行する意思と能力を有することを条件とし て国際法団体に受容されて、はじめて国際法団体のメムパーとなり、一般国際法の 妥当を受けるにすぎない。この際、国際法団体への受容と国家承認とは明確に区別 されなければならない。何故なら、国際法団体外に存在する法団体も、それが「国 際法的意味における国家」の要件を充す時は、国際法団体に受容されることなしに 承認されうることは明らかだからである。しかし、そのような承認ーいわゆる「部 分的承認

J

は、その国家と承認国家との聞の、国際法的ではあるが、しかし特別国 際法上の関係を形成するにすぎ、ないものであって、それは特別国際法的承認として (1) のみ呼ばれるべきものである、と説かれている。 ことようなクンツの見解は、承認前の国家は国際法上の存在ではなく、承認によ って、はじめて国際法上の存在となるという創設的効果説、並びに国家はその存在 の開始とともに、他国の承認とは無関係に、国際法主体となるとする宣言的効果説 に対する批判を含んでいる。というのは、国際法団体領域内に成立した国家に対し

(23)

-100-ては、創設的効果説の妥当を排除し、国際法団体領域外に成立した国家に対しでは 宣言的効果説の妥当を排除しようとするものだからである。クンツは、国家の成立 を国際法団体内外に区別しない立場は、国際法秩序をもって世界のすべての存在国 家をア・プリオリに包含すべきものとする自然法的な考え方である、というのであ る。 ところで、国家の成立を国際法団体内外に区別する考え方は正しいであろうか。 クンツは、一般に法規範が存在するならば、それに基礎ずけられ、対応する法団体 が存在しなければならない、という認織から出発し、たとえば、国際連盟において 原連盟国と後に加入した国家とが区別されるように、一般国際法団体においても、 本来の構成メムパー(UrsprUnglicher Mitglieder) と後に受容された構成メムパー ( Spater凹 fgenommeneMitglieder) とが区別される。そして本来の構成メムパー は、キリスト教的ヨーロッパ諸国家であったが、その後、まず、非ヨーロッパ的世 界から、アメリカ大陸国家が国際法団体に加入し、つづいてトルコが

1

8

5

6

年のパリ 条約にもとずいて国際法団体に受容され、更にシナ、日本、ペルシャ、シャムその (2) 他の諸国家が加入を認められた、とのべている。結局、 L 般国際法団体構成メムパ ーとは、無条件にキリスト教的ヨーロッパ諸国家であり、非キリスト教的非ヨーロ ッパ諸国の場合は、既存の構成メムパーによる国際法団体への受容又は加入によっ て、はビめて一般国際法の妥当する一般国際法団体員となることができるというの がクンツの主張である。つまり、原別として非キリスト教的ヨーロッパ諸国は、一 般国際法の妥当しない一般国際法団体外の存夜でしかないというのであるが、この ことは、当時の国際法が「ヨーロッパ国際法」としての性質を強〈保持していたこ とを考えれば、充分理由のあることだといわなければならない。しかし、今日にお いては、一般国際法の妥当しない領域というものを考えることはできないから、ク ンツの考え方は、もはや現実への妥当性を有しないといわねばならない。また、非 キリスト教的・非ヨーロッパ諸国は、国際法団体への受容又は加入によって、一般 国際法の妥当を受ける一般国際法団体の構成メムパーになるといっても、国際法団 体への受容又は加入とは知何なる現象であるか、きわめて不明確である。クンツは、 明示的に国際法団体に受容された例として、

1

8

5

6

年のパリ条約

7

条において、 「ト ルコはヨーロッパ公法並びに協調の利益に参加することを許されるjとされたこと をあげ、その他のアジア諸国の場合は、黙示的に、すなわち、或るものは

1

8

9

9

年、

-

1

0

1

(24)

1

9

0

7

年のハーグ平和会議への参加によって或るものは国際連盟への加入によってな (2) された、とのべている。しかし、言うまでもなく、 「ヨーロッパ協調」といい、或 は「国際連盟」といえども、特別国際法団体にすき「ない。すなわち、たとえばトル コの国際法団体への加入というのは、 「ヨーロッパ協調」という「特別国際法団体 への加入」が、パリ条約によって認められたことを意味するのであって、 「一般国 際法団体への加入

J

を意味するものではない。しかも特別国際法は、一般国際法を 前提としてのみ可能であるとすれば、特別国際法団体たるヨーロッパ協調への加入 すなわちパリ条約への加入は、トルコの一般国際上の一般的な人格を前提としての み可能なはずである。それ故、 トルコは、パリ条約加入以前に一般的な国際法的地 (3) 位を有していた、ということにならなければならない。しかるに、特別国際法団体 への受容又は加入が、一般国際法の妥当する一般国際法団体への受容・加入をもた らすかの如き論法は明らかに矛盾である。それはちょうど創設的効果説が、被承認 国は個別国家の承認によって、すべての国家との関係において一般国際法上の主体 となるのではなく、承認を与えた国家との関係においてのみ国際法主体性を認めら れざるをえなかったと同様、特別国際法団体への受容・加入も、特別国際法団体構 成 員 相

E

の関係においてのみ国際法主体性を認められるとするほかはないのである このように、一般国際法規範の妥当すべき一般国際法団体が存在するとしても、 クンツにおいては、 「一般国際法団体

J

は、或は「特別国際法団体」と混同されて (4) いた。それは「加入」は、すでに一般的な人格を前提としてのみ可能であることを 看過するものである。しかし見逃してならないことは、クンツが、キリスト教的ヨ ーロッパ諸国以外の国家の中で、一般国際法団体への受容・加入を認められない国 家は、一般国際法の妥当を受けない、たんなる事実的な存在にすぎないといい、そ のような事実的な存在にすぎない国家も、国際法団体へ受容されることなしに承認 されうることを認め、このような承認、いわゆる「部分承認

J

は、その国家と承認 を与えた国家との聞の、国際法的ではあるが、しかし特別国際法関係を形滅する、 とのべていることである。この一般国際法の妥当しない領域においてなされる下部 分 承 認

J

は、アンチロッチがのべたような、仮設規範としてのPactasunt Serva-ndaを前提としてのみ可能な「原初的合意

J=

承認と同じようなものと考えるほか (5) はないであろう。したがってこの点に関しては、クンツがアンチロッチを批判した その批判によって、自らも批判きれなければならない。

r

何故に承認前には国際法

(25)

-102-上存在しない自然的事実(W esenhei t)が、いわば法上のNichts が、…… Pacta sunt servanda なる基本規範の適用をうける基本的条約を締結しうるか

J

を説明てる きない (Kunz

op. cit

S. 90) 以上のように、国家の成立を国際法団体内外に区別する考え方は、ヨーロッパ中 心の思想に強く影響された古びた理論であって、今日の国際関係を説明することは 全く不可能である。また、国際法団体内において成立した国家は、成立と同時に当 然国際法主体となるとする主張も、初期のケルゼンの場合と同様、創設的効果説よ りなされる批判にたえることはできない。何故なら、 「法人格は、法の創造であり、 自然の産物ではない」からである。 (1) K unz, op. cit., 55. 21, 27, 30-31, 88, 109 (2) Ibid.,55. 27-28 (3) 田畑茂二郎、 「国家承認と国家の『国際法団体への加入

JJ

(

r

国 際 法 外 交 雑 誌 」 、 第40巻、 第3号 、 昭 和16年、 31頁 (4)

r

国 際 法 団 体 」 の 観 念 は 従 来 し ば し ば 主 張 さ れ て い る と こ ろ で あ る 。 し か し 国 際 法 団 体 へ の 加 入 は 、 国 家 の 成 立 に よ っ て 自 動 的 に も た ら さ れ る と も ( た と え ばUllman,op. cit., P.125)、 承認行為を介して行われるとも(たとえば立作太郎、現実国際法諮問題、 36頁.横田喜三郎、 国 際 法 上 巻 五 版48頁)主張されている。一般国際法がその主体の成立に関して明稽に規定して い る 在 ら ぱ 、 一 般 国 際 法 に も と ず い て 主 体 と し て の 地 位 を 得 た 国 家 は 、 す べ て イ プ ソ ュ ー レ に 一 般 国 際 法 の 妥 当 す る 国 際 社 会 の 構 成 メ ム パ ー と な る 。 逆 に 、 国 際 法 主 体 と し て の 国 家 の 成 立 に関して規定している国際法の存在を前提としてのみ、統一的国際社会について考えることも で き る 。 要 す る に 、 一 般 国 際 法 の 妥 当 す る 社 会 、 一 般 国 際 法 主 体 の 構 成 す る 社 会 は 、 国 際 社 会 で あ る 。 こ の よ う な 社 会 は 、 統 ー の な い 単 な る 「 多 数 の 国 家 の 単 純 な 集 合

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(横田喜三郎、前 掲 魯11頁 ) で は な い 。 統 ー の あ る 社 会 で あ る 。 な ぜ な ら 、 そ こ に は 一 般 的 ・ 共 通 の 国 際 法 規 範 (一般国際法)が妥当しているからである。以上のことから、殊更に「国際法団体」をいうこ とは、妥当とは言えないだろう。 (5) 田 畑 茂 二 郎 、 前 掲 容 53頁.

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)

承認を政治的承認と法律的承認に区別する見解

政治的承認と法律的承認の区別は、ケルゼンの主張するところである。すでにの

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べたように、ケルゼンはこれまでは宣言的効果説の有力な主唱者であったが、

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ecognition in International Law, Theoretical observations )A.J. 1.L., 1941)J

において、従来の立場(これについては宣言的効果説のところでのベた)と訣別し て、新しい理論展開をなすに至ったのである。 ケルゼンは、 「承認」には法律的承認 (legal Recogni tion) と政治的承認(Poli. ti cal Recogni ti on) との二つの場合が存するが、これまで国家承認に関する考え方 が混乱しているのは、両者の区別が明確にされていなかったことに基因している、 と主張する。即ち、 「国家及び政府の政治的承認行為は、承認国が被承認国及び政 府と政治的並びにその他の関係、国家家族(Family of Nations)の構成員との聞に 通常存在するような関係に入る意思を表明すること」であるが、しかしこれは政治 的には重要な意味をもつものであっても、それ自体としてはかならずしも法的効果 (1) はもっていない。したがって、政治的承認は、宣言的性質をもっ行為である、とさ れる。 これに対して、 「法的承認行為は事実を確認する行為であり」、 「その効果は、承 認されたコミュニテイが、承認を与えた国家との関係において、国家となるとい うことである。すなわち、一般国際法によって規定された権利義務の主体となると いうことである.,J

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承認前は、未承認のコミュニテイは、承認を与えない国家との 関係においては、法的には存寝しない、承認行為によってのみ、承認を与えた国家 との関係において、法的存在となる.,j

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その結果として、国際法的意味における国 家の法的存在は相対的性質のものである。国家は、他国との関係においてのみ法的 に存夜する。絶対的な存在というようなものは存在しない.,j

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法的存在の相対性は、 もはや矛盾的事柄ではない。法的承認行為によって、承認されたコミュニテイは、 承認を与えた国家との関係において、法的存在となる。そして、それによって、国 際法は、これらの国家との聞の関係に対して適用されるようになるのである。この (2) 故に、法的承認行為は、特に、創設的性質を有する

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。 またケルゼンは、承認の創設性を認める理由について次のようにのべている。 「他のすべての法秩序と同様、国際法も或る事実に対して、或る結果を与える

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「法の部門(Province) においては、絶対的なもの、直接に明白な事実、それ自体 における事実というものはなく、ただ、法秩序によって定められた手続きにしたが って、権限のある機関によって確認される事実のみがある.,J

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国際法は、国家に義

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務を諜し権利を与える

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国際法は、国家法が何人がそれによって定められた権利 .義務の主体となるかを決定しなければならないように、(たとえば人類や自由人だ けが法の主体となり、動物や奴隷は法の主体ではない)その主体を決定しなければ ならない

J i

一般国際法は、一般的規範から成るから、それは抽象的な意味に台け る法的事実たると国家ミを決定できるのみである

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国際法は……法によって決定 される具体的事実の存在を、法的手続にしたがって確認する権限ある特別な機関を 設置していない。一般国際法は、関係国にこの機能を委任している

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一 定 の 場 合 に、国際法的意味における国家が存在するという事実の確認は、一般国際法に従っ (3) て関係国家の権限の範囲に属する。この確認は、法的承認行為である」。 右の結果、国家として承認されることによって、新国家は、承認固との関係にお いて法的に存在することになる。このように、ケルゼンは、従来の宣言的効果説の 立場を改めるに至ったのである。 ケルゼンが当初とは異った見地から、はじめて唱えた学説において、まず注意を ひくのは、政治的承認と法律的承認の二つの区別を認めて、承認の効果は、前者に おいては宣言的、後者においては創設的であるとしている点である。更に論を進め ていくとこうなるのであろう。即ち、政治的承認においては、承認の効果は法的性 質をもたず、宣言的なものにすぎないから、被承認国の国際法人格は、承認とは関 (4) 係なく、それ以前に認められている、ということになる。他方、法律的承認におい ては、承認の効果は承認を与えた国家と被承認固との聞にのみ発生するから、新国 家の国際法人格は、承認前においては完全に否定されることになる。だから、国家 の成立を事実問題として、事実はそれ自体として法的効果を持たず、事実の存在を 確認する行為を伴ってはじめて法的効果を与えられるということは、当然、法律的 承認の場合にのみあてはまることになる。しかしながら、承認を政治的承認と法律 的承認に区別し、前者の場合には承認は創設的意味を有しないということは、 「事 実はそれ自体として治的効果を持たない

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、すなわち、事実の存在を確認する行為 を伴ってはじめて法的効果を与えられるという主張とは矛盾する。何故なら政治的 承認の場合には、 「事実はそれ自体として法的効果をもっ」ことを認めることにな るからである。その理由はなんら示されていない。それに、当該承認が法律的承認 であるか、政治的承認であるかを決定する客観的なメルクマールが示されぬ以上、 両者を区別することは容易ではない。

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