<研究ノート>
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Notes on Research
>北グリーンランド、チューレ地区で使用されている
グリーンランドイヌイットの
毛皮衣類と毛皮を利用した狩猟道具の素材と機能
Materials and Functions of Fur Clothing and Fur Based
Hunting Equipment Used by Greenland Inuit
in the Thule Region, Northern Greenland
日下 稜*, 原田亜紀**, 杉山 慎*
KUSAKA Ryo*, HARADA Aki**, and SUGIYAMA Shin*
The Thule region of northern Greenland is located at the highest latitude on earth as a region where humans have settled for a long time. Villages in the Thule area are all natural settlements. It is said that people began to live in the Thule area about 4,500 years ago when they crossed the frozen sea from Canada (Fleischer 2003: 5). In 1818, a British expedition party led by John Ross "discovered" people who have continued their traditional life in the region (Ross 1819: 79-82). As for clothing, it is possible to buy down jackets and other modern winter clothing as in Japan and Western countries, but people still wear old-fashioned fur clothing for hunting for a few days or a longer period. It is their identity to hunting and clothing made from animal fur are identity of the people living in northern Greenland. However, people wear fur clothing not only for the identity, but also for its functionality such as durability, insulation and breathability.
*北海道大学低温科学研究所(InstituteofLowTemperatureScience,HokkaidoUniversity) **NPO北海道自然エネルギー研究会(NaturalEnergyResearchAssociationinHokkaido)
キーワード グリーンランドイヌイット、チューレ地区、毛皮衣類、
はじめに
北グリーンランドのチューレ地区は人類が古くから居住する地域としては地球上でもっ とも高緯度に位置している。近年になって作られた人工集落の中には、鉱山街として発展
した、ノルウェー領スヴァルバール諸島(
Svalbard Islands
)のロングイヤービエン(
Longyearbyen
)やバレンツブルグ(Barentsburg
)、カナダ軍の基地があるヌナブト準州エルズミア島(
Ellesmere Island
)のアラート(Alert
)、南極に点在する各国の観測基地などチューレ地区よりさらに高緯度に存在するものもある。しかしチューレ地区の村々は、 いずれもいわゆる「自然集落」であり、現在においても食料をある程度自給することが可 能ある。このような村は、この地より高緯度には存在しない。チューレ地区には、最大の
集落であるカナック(
Qaanaaq
)の他、チューレ地区最北の村で、今回の主な調査地であるシオラパルク(
Siorapaluk
)およびケケッタッ(Qeqertat
)とサビシビック(Savissivik
) の 3 つの小さな村がある(図1)。また近年、人口減少に伴って、いくつかの村が消滅した。カナックのおよそ100
km
南には、米軍の基地であるチューレ空軍基地(Thule Air Base
)もある。 最新の統計によると,2020年 6 月 1 日現在のチューレ地区の人口は768人(チューレ空軍 基地は除く)であり、その内627人がカナックに住んでいる(
StatBank Greenland/
Website
)。グリーンランドの他の地域と同様に,集落と集落の間は陸路でつながっていな い。そのため集落間の移動に利用する主な交通手段は、夏は船、冬は凍った海の上を走る 犬ぞりである。天候条件に左右されやすいがヘリコプターの定期便もある。グリーンラン 図1. チューレ地区地図ドではいずれの居住地も沿岸に位置しており、チューレ地区の村々も例外ではない。グリー ンランドの西側には暖流が流れているため、調査地であるシオラパルク(77°47’
N
、70° 38’W
)は、高緯度の割には気温が高い。それでも夏の最高気温は10℃、冬の最低気温は -30℃程度である。また、夏の間は太陽が一日中沈まず太陽高度が低いまま地平線近くを回 り続ける。冬は逆に太陽が昇らないため 1 日の気温差は小さく、日中でも気温が上がりに くい。 チューレ地区に人が住み始めたのは、約4,
500年前でカナダから凍った海を渡ってきたと されている(Fleischer
2003: 5 )。その後グリーンランドを南下し、西グリーンランドまで 到達したグループもあったが、一部の人々は北グリーンランドに残った。これらの人々の 子孫が現在のチューレ地区の人と思われていたが(日下 2004)、近年の研究により直系の 子孫ではないことが分かった(Raghavan
2014)。1,
000年ほど前には、カナダから 3 度目の 人口流入が起こり、現在のグリーンランド人の祖先とされる人びとが、北グリーンランド からグリーンランド全域に広がった。その後、北グリーンランドのグループは、居住地が 他の地域から隔絶されてしまったため、一度忘れ去られてしまった。1818年になって、ジョ ン・ロス(John Ross
)率いるイギリス船により、伝統的な暮らしを守り続けている人々 が「発見」された(Ross
1819:79-82)。発見された当時のチューレ地区の人口は150人ほ どだったという。 外部との交流が活発になると、狩猟に使っていた槍がライフル銃に置き換わり、獲物を 追った移住生活が頑丈な住宅での定住生活に変化した。しかし、食に関しては、牛や豚の ような家畜の肉が輸入されるようになった現在でも、彼らが好んで食べるのはアザラシ類 の肉であり、セイウチの肉である。また、狩猟の際の移動手段も、冬期は犬ぞりが中心で ある。スノーモービルや 4 輪バギーは、移動速度が速く、大量の荷物を運搬するのには適 しているが、エンジン音や地面に残ったガソリンの臭いで獲物が近寄らなくなる可能性が あるため、狩猟に使うことはグリーンランドの法律により禁止されている(スチュアート 2008:28)。このため、エンジン付きの乗り物を使用するのは基本的にゴミ収集や村の間の 移動だけである。ただし北グリーンランドではカナック周辺のフィヨルド内に限り、カラ スガレイの運搬など用途の届けに基づいてスノーモービル等の利用が認められている。エ ンジン付きの乗り物は遠出をすれば、それだけ燃料が必要であり、故障の心配もあること もスノーモービル等を利用しない理由の一つとされている(武田2009:76-77)。衣類に関 しては、商店ではダウンジャケットなど日本や欧米諸国と変わらない防寒着を購入するこ とも可能であるが、特に長期間猟に出る人々は、今でも昔ながらの毛皮の衣類を着用して いる。主に衣類に使用される動物はホッキョクグマ(Ursus maritimus)、ワモンアザラシ (Pusa hispida)、アゴヒゲアザラシ(Erignathus barbatus)、野生トナカイ(Rangifer tarandus)、 ホッキョクギツネ(Vulpes lagopus)、ホッキョクウサギ(Lepus arcticus)、イヌ(グリーンラを使用することが、彼らのアイデンティティであることが、今でも伝統的な衣類を使用し 続ける理由の一つと考えられる。このことは、例えば男性の正装の際のズボンは、ホッキョ クグマの毛皮で作られていることからもうかがい知れる。しかし、毛皮の衣類を着用する 理由として、アイデンティティのみならず、強度や保温性、透湿性など、機能的な側面も 無視できないと考える。ダウンジャケットに使用される薄手のナイロンと比較して、ホッ キョクグマや野生トナカイ等大型哺乳類の毛皮は、かぎ裂きなどに強いのはもちろんのこ と、透湿性に関してもはるかに優れている(日下ほか 2020)。著者は北海道立北方民族博 物館の依頼を受けて、2015年 1 月に、グリーンランド、チューレ地区シオラパルク村在住 のオオシマヒロシ氏より、12歳前後の男の子の衣類を収集した。本稿は、収集した衣類の 素材、製法及び使用方法について、オオシマヒロシ氏の両親である大島育雄、アンナ夫妻 に行った聞き取り調査の結果報告である。収集はしていないが、収集資料との比較で重要 と思われる資料については、聞き取り調査の結果のみを記した(ニオガヤッ、カミッパッ、 カミック(女性用)、コリッタッ、アンノガーッハーッの各資料)。また、北方民族博物館 に収蔵した資料については、写真に博物館の資料番号を記している。本稿の最後に記した 狩猟の際に身を隠すための道具であるカムタッシュッは、一部にホッキョクグマの毛皮が 使用されており、この地の特徴的な道具であるため紹介した。 大島育雄氏は、1972年以降シオラパルクに永住しており、1974年に隣村出身のアンナ氏 と結婚している(大島 1989)。大島氏によると、北グリーンランドでは、伝統的な衣類が 比較的昔と変わらずに日常生活に用いられており、1970年代から大きく変わったことは、 防寒靴の保温材が干し草からフェルトになったことと、縫い糸がシロイルカ(Delphinapterus leucas)の腱から市販のポリエステル製の糸やデンタルフロスになったこと位であるという。 衣類の素材と機能 カミック
kamik
主にアザラシのなめし革で作られる防寒長靴。市販の防寒靴に比べて、非常に軽くて暖 かい。外靴と内靴に分かれる。外靴には側面にワモンアザラシの革、靴底にはこの地で獲 れる革の中で最も丈夫な、アゴヒゲアザラシの革を使う。アザラシ類もしくはホッキョク グマの脂を塗ることにより防水性を持たせてあるため、一時的に水に浸かっても浸水しな いという。また、保温性を高めるため、外靴にワモンアザラシ等の毛皮を使うこともある が、この場合は別の呼び名がある(後述)。 保温性を保つための内靴には、現地で獲れるホッキョクウサギ、ホッキョクギツネなど の毛皮の他、市販品のムートンを使うこともある。ウサギやキツネ等、中型哺乳類の毛皮 は、保温性は高いが薄くて破れやすいので、上半分は補強のための化繊布を当てる。底に は丈夫なフェルトやムートンを使用する。雪や風の吹き込みを防ぐため、上縁には比較的毛足が長く丈夫なホッキョクグマやイヌの毛皮を 縫い付ける。 内靴と外靴の間には、中敷のフェルトを入れ、底 からの冷えを防ぐ。アキレス腱の後ろ辺りにもフェ ルトを入れるが、これは靴ひもで縛ったときに毛皮 がつぶれて保温性が落ちるのを防ぐためである。 1970年代頃までは保温材には、フェルトではなく、 干し草が使われていた。干し草は 1 日使用すると潰 れてしまうので、長期で狩猟に出かける時は、犬ぞ りに大量の干し草を敷き詰めていたという。靴ひも には、ワモンアザラシやアゴヒゲアザラシの革を細 長く切ったものが使われることが多いが現在は市 販の紐も使用される。滑り止めのため靴ひもを靴底 に回して縛るが、氷の上では滑りやすい(写真 1 )。 ニオガヤッ
niorijaq
カミックの外靴になめし革ではなく、ワモンアザ ラシの毛皮を使用したもの。内靴と外靴で 2 重に断 熱されるため、カミックに比べて保温性が高く、冬 期に使用される。デザイン性にも優れる。カミック のように油脂での防水加工が施されていないため 水濡れには弱く防水性が必要とされない極低温下 でのみ使用される。 カミッパッkamippaq
カミックの外靴に、ニオガヤッで用いられるワモ ンアザラシよりさらに毛足の長いトナカイなどの毛皮を使ったもの。ホッキョクグマの前 足やトナカイの足等の毛皮を用いる。防寒靴の中で最も保温性が高く、厳冬期のみに使用 される。ニオガヤッ同様外側に毛皮を用いているため、デザイン性にも優れるが、水濡れ には弱い(写真 2 )。 カミック(女性用) 女性用の長靴。長さは膝丈程度か股下までの長いものも存在する。ワモンアザラシの皮 をなめした後、屋外で凍結乾燥させて、漂白したものを用いて作られる。なめし時の洗浄 および凍結乾燥時の日光(紫外線)による脱色作用により真っ白な革が作られる。日常的 写真1. カミック(H26.1.4) 写真2. ニオガヤッ(左)とカミッパッ(右)に使用されるが、凍結乾燥によって細孔が出来て防水性が低下するため狩猟には適さない。 結婚式などの女性の正装にも、このカミックが用いられる(
NHK
取材班1990:44-45)。 ビーズや刺繍などで装飾が施されることもある(岸上2014:73)。 カパタッkaptak
ホッキョクギツネの毛皮を使った防寒 着。軽くて柔らかく、防寒着の中でも、最 も保温性が高い。 1 着に10頭程度のホッ キョクギツネの毛皮が必要になる(今回収 集した子供服の場合)。袖口には毛足が丈夫 なホッキョクグマの毛皮を縫い付ける。手 袋(アッカチッ)の手首にも同様に毛皮が 取り付けられており、この二つが組み合わ さることで、裾から入り込む冷気や雪を防 ぐことができる。ホッキョクギツネの毛皮は薄く比較的破れやすいため、裏地としてポリ エステルなどの化繊布を使用して補強する。この裏地は着脱の際に、衣服との滑りを良く する働きもある。フードの縁には、ホッキョクギツネの尻尾( 1 つのフードに尻尾 2 本分 使用)、もしくは毛皮を縫い付ける(写真 3 )。 コリッタッqulittaq
トナカイの毛皮を使った防寒着。上着の中でカパタッに次いで保温性が高い。カパタッ に比べると、比較的重くてゴワゴワしているが丈夫である。 1 着のコリッタッを作るのに 2 、 3 頭のトナカイが必要。トナカイを利用した同様の上着は、カナダやグリーンランド の他地域でも一般的に防寒着として使われている。 アンノガーッハーッannoraarraaq
化繊布に市販の化繊中綿を詰めた防寒着。日常的に着用されている。フードにはキツネ の毛皮を縫い付ける。尻尾の毛が保温性に優れるため好まれるが、背中の毛皮も使用され る。グリーンランド語では、語尾の「ハー」は大きいの意味をもつ。したがってアンノ ガーッハーッとはアンノガーッの大きい(この場合は保温性が高い)物という意味である。 写真3. カパタッ(H26.1.1)アンノガーッ(アノラック)
annoraaq
ポリエステルなどで作られた前が開かないフード 付きの上着。日本でもフード付きのアウターウェア のことをアノラックと呼ぶが、語源はこのイヌイッ トの衣類である。日本では保温性を高めるため中綿 を入れた物もアノラックと呼ぶことがあるが、グ リーンランドではアンノガーッといえば保温材の 入っていない一枚地のものを指す。白いものは、正 装として結婚式や洗礼にも用いられる(Gearheard
et al.
2013)(写真 4 )。 ナノッnanoq
(nanut
) ホッキョクグマの毛皮を使ったズボ ン。上部、腰から上にはワモンアザラ シの毛皮を縫い付ける。動物としての、 ホッキョクグマそのものもナノッと呼 ばれる。ズボンにホッキョクグマを使 うのは、北グリーンランド、チューレ 地区の特徴である。西グリーンランド や東グリーンランドではズボンの材料 には主にアザラシ類の毛皮が使用され る。また、北方民族博物館に残されて いる資料には、1940 ~ 1950年頃に収集されたワモンアザラシのズボン(H
9.
158.
2)があ り、このズボンはチューレ地区で作られて使用されていたと記録されている。現在では北 グリーンランドにおいてはワモンアザラシのズボンは作られていないが、いつ頃から作ら れなくなったのかは不明である。 男性の正装の際着用されることからも分かるように、チューレ地区のグリーンランド人 にとってナノッは非常に大切な衣類の 1 つである。また、ホッキョクグマはシオラパルク の村で年間 8 頭しか獲ることができないため、その毛皮を使用したナノッも非常に貴重で ある(写真 5 )。 アッカチッaeqqatit
ミトンの手袋。ワモンアザラシやトナカイの革で作られる。保温性を高めるためにワモ ンアザラシ等の毛皮を用いるものもある。手の甲部分だけ毛皮を用いるものと、全体に毛 皮を用いるものと 2 種類ある。一般的には革の自然の色のままで作製するが、着色するこ 写真4. アンノガーッ(H26.1.2) 写真5. ナノッ(H26.1.3)ともある。ものを握りやすいように、 手の甲の側にくる革にしわを寄せるよ うにして立体的に仕上げる。手首の部 分には犬やホッキョクグマの毛皮を縫 い付ける。これは防寒着の袖の毛皮と 共に冷気が入るのを防ぐ役割と、顔が 冷えた時に顔に着けて暖める役割があ る。アッカチッの中には毛糸のミトン を着用する(写真 6 )。 イヴァロッ
ivaloq
縫い糸のこと。現在は、ワックス付きのデンタル フロスやポリエステルなどの縫い糸が使用されて いる。1970年代までは、シロイルカの背中の腱を水 中でほぐして乾燥させたものを糸として使用して いたという(写真 7 )。 カムタッシュッ(北部方言:カムタッホッ)qamtassuk
海氷上でライフル銃による狩猟を行う際に、一面 真っ白な氷原の中で自分の身を隠すための道具。主 に氷の上で寝ているアザラシ類を狩るときに使用す る。小型のそりのような形をしており、スキー状の滑 走面には消音のため、ホッキョクグマの毛皮を張り付 ける(木製のカムタッシュを氷の上に置 いたり引きずる時に音が出るのを防 ぐ)。氷上で目立たなくするため本体は 白く塗る。実際に使用する際は、白い布 をスクリーン状に張り、布の中央に開け た穴からライフルを出して獲物を狙う。 カムタッシュッとライフルをひもで縛っ て固定しておき、アザラシがこちらを向 いていないときに前進し、辺りを見渡し たら、素早くスクリーンに身を隠す。用 心深いアザラシを狩る場合はハンターが身を隠したまま匍匐前進することもある(写真 8 )。 写真7. シロイルカの腱を使用したイヴァ ロッ(D27.2.1) 写真8. カムタッシュッ(H27.1) 写真6. アッカチッ(H26.1.5)肌着 肌着に関しては、現在ではデンマーク本国と全く変わらないものを使用しているため、 今回の収集の対象外とした。大島氏によると、1970年代にはすでに市販品が使用されてい たが、海鳥の一種であるアッパリアス(ヒメウミスズメ,Alle alle)の革で肌着を作る技術 が残されていたという。現在では、この伝統的な肌着を作成できる人はいない。また、現 存する物も無い。 考察 近代化は最北の村でも例外なく進んでいるものの、伝統的な毛皮の衣類に使用される素 材は、大島氏が居住した1970年代以降大きくは変化していない。糸の素材がシロイルカの 腱から市販の縫い糸になったり、靴の保温材が干し草からフェルトに変わったりしたよう に、部分部分については便利な市販品が用いられる傾向にあるが、ホッキョクグマのズボ ンや野生トナカイのジャケット、ワモンアザラシの手袋などのように、衣類を構成する主 要な素材は昔のままの毛皮である。これは、先にも述べたように毛皮の衣類を着用するこ とがイヌイットとしてのアイデンティティであるだけではなく、機能的にも現代的な衣類 が追い付いていないことも理由の一つと考えられる。北グリーンランドに比べて温暖な、 西グリーンランドなどでは、アザラシなどの肉を食べるという食文化は比較的良く残って いるものの、衣類に関してはかなり現代的なものに置き換わっていることからも、このこ とが伺える。同等の保温性を持つホッキョクギツネの毛皮とダウンジャケットについて著 者の行った実験では、-20℃の環境下で、毛皮がダウンジャケットの 3 倍もの透湿性を示し た(日下ほか2020)。これは、ダウンジャケットが内部で結露し中綿が吸水するのに対し、 毛皮は水蒸気をそのまま大気中に放出することに加え、毛の吸水性が低いことが理由と思 われる。さらに、フードに取り付けられたキツネの毛皮や手袋に縫い付けられたイヌなど の毛皮は、顔を凍傷から守る際にも役立つ。毛皮の毛の間に蓄えられた空気を皮膚に押し 付けることで、空気塊の高い断熱性によって顔面を凍傷から守ることができる。 また、靴の保温材としてのフェルトは、一度汗などで濡れると乾燥が困難である。短期 間の狩猟や、灯油ストーブで比較的簡単に暖をとれる環境では問題にならないが、アザラ シ類の脂が主要な燃料であった時代には、取り換えるだけで保温性を回復できる干し草が より優れていたと思われる。 このように伝統的な文化が比較的残されているチューレ地区ではあるが、カナックへの 人口集中と、小さな村での人口減少に伴い、狩猟で生計を立てる人の数も減ってきている。 また、犬ぞりを使用した狩猟は、海氷の状況に影響を受けやすく、気候変動が進むと、将 来にわたってチューレ地区の狩猟文化と、その獲物を利用した毛皮の衣類が残り続ける保 証はない。かつて著者はこの地の人々に非常にお世話になった。その恩返しとして、この
文化の保全と記録のお手伝いを今後とも続ける所存である。 謝辞 私(日下)が最初にシオラパルクの村を訪れたのは2002年 7 月である。外国人の高校生 がふらっとやってきたにもかかわらず、子供から大人まで生活の色々なことを教えてくれ た。生活力などこの地に暮らす小学生にもとてもかなわなかったが、皆親切にしてくれ、 毎日が非常に楽しかった。今回は 3 度目の訪問である。大島育雄・アンナ夫妻や家族には 最初に訪れた時から、感謝しきれないほどお世話になった。また、日本では食べることの ない、アザラシやセイウチ、ヒメウミスズメやホッキョクイワナにカラスガレイ、ホッキョ クウサギ、ジャコウウシ、シロイルカ、イッカクなど、非常に貴重な食の体験もさせても らえた。2018年12月、大島さんより、タテゴトアザラシの毛皮が送られてきた。私の趣味 の 1 つが山スキーであり、滑り止め用のシールに加工して使えるようにと送ってくれたの だ。その手紙に妻のアンナさんが 3 月に亡くなったと記してあった。アンナさんは、私が 狩猟に同行する際に、冬の犬ぞりの寒さにも耐えられるようにと手袋(アッカチッ)を作っ てくれたり、顔が凍傷にならないようにとホッキョクキツネのしっぽを帽子に縫い付けて くれたりと、我が子の様に可愛がってくれた。私が村に溶け込めるようにと、村でイベン トや誕生日のお祝いがあると、必ず連れ出してくれたのもアンナさんである。今回の調査 もアンナさんの協力無しには、成しえなかった。この場を借りて、感謝申し上げたい。大 島氏の長女トク、長男ヒロシ他家族の皆様にも合わせてお礼申し上げたい。また 2 名の査 読者には改稿に際し非常に有益なコメントを頂戴した。北海道立北方民族博物館にはイ ヴァロッの写真をお借りした他、中田篤氏、笹倉いる美氏には、今回の調査および報告の きっかけを頂いた。以上の方々に感謝申し上げる。 参考文献
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