ゲアマゾン”について
ーアヴノアード制と開発計画i
西
藤
雅
夫
かつては﹁綜の地獄﹂ ︵ぱh霞きく。鼠①︶と呼ばれた大アマゾンは ﹁綜の極楽﹂ ︵唱覧9ぎく。aΦ︶となろうとしている。しかも、それ が、日本移民によってなされようとしているのは、注.目すべきこと である。この日本移民に対する理解と関心とは、ブラジルに於てき わめて強く、当の日本は、むしろ、これに追随した形であった。こ の間に於ける先覚者辻小太郎氏の努力と.抱負とは、.まことに高く評 価せらるべきものである。 いま、ここにとりあげる泉・斉藤両氏の﹁アマゾン﹂は、人文地 理に関する詳細なモノグラフである。一九五四年十月の刊行である が、アマゾン地域経済開発法による綜合計画が、よ5やくその緒に つこうとしている今日、これを紹介することは、意字のないことで はなかろう。もっとも、我々の問題としては、経済学的な二・三の 点に限られる。 二 アマゾニヤ︵b巨9NOロ一㊤︶と呼ばれるものは、アマゾン本流の河口 クアマゾン”について を要として、西方に扇状にひらき㌔多くの麦流が、川中島や大小の 湖沼を伴いつつ、赤.道から南緯五度にかけて拡がる、広大な原始林 の地域である。その面積は六五〇万平方粁、ブラジル全土の二分の 一に近い。この地域は、地形的に見て、ヴァルゼア ︵<弩N$︶と、 テープ・フィルメ︵けΦ国弓ρ 団一弓bPΦ︶の二つの地帯に大別せられる。そ して、 この区別は、 同時にアマゾニヤの産業を特長づけるのであ る。 、 この河流は、毎年定期的に洪水をもたらす。転,ルゼアというの は、洪水期︵四∼六月︶に浸水する地帯である。それは、減水期に は陸地となり、最も新しい堆積層を形づくる。いわば、甚だ浮動性 に富んだ陸地である。この洪水は、きわめて大規模で、本流の河巾 を、仮りに、減水期に於て一五粁とすれば、増水期には、一〇〇粁 またはそれ以上に拡がることがある。水深もまた大きい。 テ丁ラ・フィルメというのは、洪水を受けない地域である。丈量 通りには、確固たる土地、つまり﹁陸地﹂である。もももと、アマ ゾニや住民の生活は、たえず浸水によって利益を与えられ、また浸 水によって脅威を受けるので、水を離れて成り立たない。そこで、 絶対に浸水しない土地に対して、この呼称が与えられる。 アマゾ一一やの産業は、農・漁・牧などに亘るが、いずれも原始的 な段階に、とどまっている。そして、自然採集︵箕○鮎層ざΦ蓉影二二︶ の方法が、 黒埜も山丈配的である。 自然蛇旅集は、ゴム、パラー栗︵oPの貯団討9謡O℃9猷一カスタ了こや︶ を始めとして、樹脂・樹液・果実・種子・薬用植物など多種類に及 六三クアマゾン”について び、各種木材の伐採も行われる。動物の採集も、皮草を目的とする ジャカレー︵輝。卿弓印︶を始めとして、蛇や猪の類に亘るが、ジャカレ ーについては、著しく減少したので、養殖の必要があるとさえいわ れている。 農業のうちでも、栽培によるやや進歩したものがある。すなわち ジュート︵冒象り黄麻︶、ココア︵o寒山。︶グァラナ︵σq瓢貿帥b妙︶ピメン タ・ド・レイノ︵窟塞口言魁。臣β黒胡椒︶、マンヂョヵ︵白重象○鍵︶ フェイジヤーウン︵h①言p豆︶、米、甘蕪などである。 いずれも、 きわめて粗放的で、ただ、河口附近、特に後に述べるトメ・アスー ︵目。彗Ob急︶地区に於てのみ、正しい意昧での農耕が行われるにす ぎない。 この農耕についても、ヴァルゼアに於けると、 テープ・フィルメ に於けるとでは、全くその趣きを異匝する。ヴァルゼアでの作業は、 減水期に限られるので、翌年の増水期までに牧穫できるものでなけ ればならない。しかも、この地帯は、増水期に、肥沃な有機物質を 洗澱せしめるのである。 テープ・フィルメは、これに反して、肥料 を施さぬ限り、地昧は減退する。そこで、移動農法が行われる。 テーラ・フィルメに於ける現住民fその主たるものは、カボク ロ︵o㊤σooHo︶一と呼ばれるは、踏肥を全く知らない。除草も粗雑で ある。彼らは、森林を伐採し、焼払って、作物を植付けると、二年 ばかりは、無肥料のままこの耕地を用いるが、やがて新しい森林を 拓いて、移動する。 つまり、 コィヴァラー農法︵8一毒贔噛火田式農 法︶である。 六四 牧畜については、ベレン︵ウご。鼠臣︶やマナウス︵冨き螢易︶などの 都市に近い、 マラジォー ︵寓鴛εひ︶ 畠や、 リオ・ブランコ ︵騨ざ 国壁8︶地域に行われる。ヴァルゼァ地帯は、禾本科の雑草に宮み 牧畜に適するが、それは減水期にのみ可能で、増水期には家番の処 理が問題である。そこで、これを近接したテープ・フィルメに移動 せしめるが、これが不可能の地域では、水上に床を組立て、ここに 牧話する。この場合には、牧草の刈取、運搬などに、困難な操作を 伴う。 三 このような、未開の現住民による農牧に対して、特に日本移民に よる農耕は、ヴァルゼアに於けるとテープ・フィルメに於けるとを 問わず、アマゾニァを開発した原動力であった。こ.れについ︵は、 まず、コンセッサーウン︵8毫。。・罫3土地無償払下︶の制度から述 べねばならない。 アマゾニヤに於て、外国資本に対しする大規模なコンセンサーウ ンの契約は、 一九二四年、パラー︵剛誓い︶ 州がフォード財団のゴム 園に与えたものを、その一矢とする。わが国もまた、一九二八年末 南米拓植株式会社が、パラー州政府との間に、河口附近に︼〇三万 ヘクタールの契約を結び、 翌一九二九年より、 その経営を開始し た。同社は、他の地域に毛、大小のコンセッサーウンを契約し、大 規模な補 昆﹁計画をたてたが、一九三〇年の革命の結果、コンセッサ ーウン無効の宣告を受けて、霧消するに至った。
これと前後して、 ↓九三〇年、 日本資本により、 アマゾナス ︵卜.葺僧NOβ夢の︶州バリンテンス︵℃鴛ぼ試鵠︶附近に、ヴィラ・アマゾ ニヤ︵<一一9 ﹂P巳PgNO冨一撃︶を開拓して、アマゾニや産業研究所が設立せ られ、その五年後には、これを土台として、アマゾニや産業株式会 祉が軸山立せられた。 このム凝集は、ジュートの栽培を興し、專らイン ドよりの輸入に依存していた当時のこの産業を、国内で自給せしめ ることを目指したもので、その計画と経営とは、すべて辻氏によっ たのである。そこで、州議会は、この会社に対して、地権の無償譲 渡を決議し、州統領は、連邦上院に対して、 その認可申講を行っ た。 しかるに、この申請は、 一九三⊥墨流、ついに不許可に終った。当 時ブラジルにあっては、エスタ了ド・ノーヴォ︵国。。$魁。口。<o︶運動 すなわちナショナリズム運動が擁頭しており、特に、外国人に対す るコンセッサーウンの契約に対しては、甚だ敏感となっていた。さ きのフォードのゴム園の経営も、後に述べるように失敗に帰したが、 アマゾ一一やに於けるコンセッサーウンの開設は、かくして、 一つと して成..功を見なかった。 このことがあったにかかわらず、パラー州政府は、きわめて積極 的で、同社に諸種の便宜を与え、サンタレ.ーン︵の暫9鷺α臼︶郊外に 試作揚を設立せしめ、ジュートの大量生産計画をたぐしめた。これ に刺戟されたアマゾナス州政府も、同年、伺社に対して同様の契約 を結び、ここにアマゾン下.洗に於けるジュート産業は、軌道に乗っ たのである。 クアマゾン”について この間にあっ︵、日本内地では、この關叫拓者養成のため、高等拓 植学,校が設立せられ、その出身者がi現地では高拓生と呼ばれる 一年々ここに送り込まれた。彼らの栽培の努力は、まことに苦難 に満ちたもので、品種や技術の不備のためと、右の政治状勢の不安 のため、彼らの多くは、既にその頃までに、ヴァルゼア地帯を離れ て、テーラ・フィルメの農耕に転出したのである。 そこで、アマヅニや産業は、その再出発に当り、第︼には、テー プ・フィルメの高拓生をヴァルぜアに引きおろし、ジュート栽培に 従事せしめ、 第二には、 集荷と販売の組織を確立する計.画をたて た。この二点は、比較的に容易であった。けだし、会祉と高拓生と の問には、当時なお、生活必需品の供給組織が存在していたし、彼 らは、言口に負債を持つ︵いたので、会社のこの計画に従わざるを得 なかった。のみならず、テープ・フメ、ルメの向後の生活に対して、 彼らは非常な不安を抱いていたからである。かくして、生活必需品 の供給組織は、転じて、そのまま、集荷組織となり得る態勢にあっ た。 しかし、計画の第三.点、すなわち、アマゾニヤに於けるジュート の集中的な集荷についての利権と、 資金の獲得とは、 容易ではな い。そこで、同社は、アマゾナス州当局に対して、ジュートの格付 権の付与を要求し、州議会は、 一九三丁年、これに関する法案を通 過せしめた。同社は、ここに、法的に、独占集荷者となったのであ. る。 その後数年の経過は、比較的順調であったが、太平洋戦争のため 六五
クアマゾン”について 同祉は一九四二年に解散した。十二年の歴史に於て、その大半は苦 難の道であった。しかし、同社の解散後も、ジュートの栽培そのこ と.は、インドよりの輸入の危険のため、いちじるしく増大した。こ のことは、後に至って、ブラジル朝野の認識の基礎となり、一九五 二年以後の日本移民の再開に、強く貢献したのである。
四
右に、テーラ㌧フィルメに於ける自然採集と、ヴァルゼアに於け るカボクロの原始農業及び日本移民を中心とするジュートの栽培に ついて、その大要を紹介した。ところが、このような産業に対して. アヴィアτド︵餌ぐ寅創。︶と名付けられる一つの仕組みが、働きかけ ている。 このアヴィアードは、アマゾニや特有の制度であり、現在、ブラ ジルの他の地方で見ることのできぬ、植民地的な、 一面に於て封建 的なカラクリを持っている。その著しいものは、まず、ゴムの採集 に見ら.れる。そこで、しばらくこれを眺めたいと思5。 ゴム擦集現場の中心は、バラヵーウン︵び匹目当帥O診O︶と呼ばれる木造 建築で、親方.︵O㊤貯3、9パトラーウン︶の住所と売店や倉庫を兼ねて いる。このバラヵーウンは、商品の仕入や生ゴムの出荷のため、船 舶の発着できる大河べりに臨んで位置している。 ゴム採集者、すなわちセリンゲイp︵ひワO居=Pσq口Φ戸尾O︶は、その生活 と取引とに於て、全面的に親方に依存する.。もともと、彼らと親方 と獄、いわば商人と顧客の間柄であり、また同時に、主人と使用人 六六 との開係である。両者の聞には、貨幣的観念は存在するが、貨幣で 決済されることは稀である。彼らは、親方から、採集用具や食霧品 を前借し︵、請負のゴム採集に.従事する。この場合、親方と気が合 おぬからとて、他の場所に移転したり、逃亡したりすることは、大 森林の奥地にあっ︵は、まず不可能のことに属する。親方とセリン ゲイPとの間には、一種の主従関係が発生する。これが.、アヴィア ードの仕組みなのである。 アヴィアードというのは、前貸するという意昧の﹁アヴィアする﹂ ということから来るといわれる。いま、ブラジル語で騨訟鴛とい5 のは、b胃Φ娼鴛塑戯Ω塁℃餌。ご鷲︵℃門。賢鷺ρ島﹃b暮魯︶などの立思咲 を抽狩っ ているから、それが転じたのではないかと考えられる︵これは、筆 者個人の鯉川経げであることを、断っておく︶。 紺規方とセリンゲイロの 場合、親方がアヴィァする方、つまりアヴィァドール︵毬︸覧。弓︶で あり、セリンゲイロがアヴィアされる方、つまりアヴィアードであ る。 ところが、親方自身が、また、都市の商社と、アヴィアードの関 係に置かれる。すなわち、親方がセリンゲイロに供給する物資は、 これらの商社からアヴィァされたものであり、親方は、その代りに 自己のバラヵーウンに属するセリンゲイPたちが採集したゴムを、 全部商祉に売渡す。進んでいえば、この商社も、決し︵、自己資本 で経営しているのではなく、さらに大きな貿揚商からの金融を受け るのである。なお、親方と商社との問に、いま一つの毅階、すなわ ちレが上弓ウン︵話αq暮ぎ︶一商品を船に積んだ移動商店一が介在ずることがあり、また、セリンゲイロのあるものは、下請臨に㍉ アヴィアードを持つこともある。これらの関係は、次のように示ざ れる。
⋮ゲ・凸親為馨商量叢話寡給選
この仕組みのもとでは、人闇肋関係は、中枢部︵貿易商︶に近づく ほど近代的、資本主義的となり、末端︵セリンゲイロ︶に近づくほ ど、これから遠ざかる。ところが、寒冬と貿易商との問は、純然た る商行為である。つまり、アヴィアード制は、右の連繋のこの部分 に、大きな断層を含んでいるのである。 親方は、セリンゲイロに向って.主従的な身分の拘束ができるが. これに対して、 たとい生産の成績が挙らなくと毛、 前貸をつづけ る。この貸借には期限がない。同様のことは、親方と商社との問に も存在する。然るに、商社と貿易商との問はそうでなく、決済は正 確になされる。アヴィアードの仕組みは、価格の安定期には安全で あるが、 一たん暴落すれば、破綻に当面するのである。 商祉から供.給される物資は、セリンゲイロの手に渡るときには、 ほぼ四倍の価絡になるという。逆に、産物がセリンゲイpの手を離 れて、貿易商に近づくほど、何倍かになるであろう。このような開 きは、必ずしも暴利とはいえないので、危険の負担のためには、や むを二七ところである。 そこで、この状態を巧みに利用して、近年、主としてトルコ商人 によるバヅテラーウン︵び碧Φ昼。︶が横行する。これは、親方にかく れて、セリンゲイロの問を行商する小舟であって、彼らとの問に、 クアマゾン”について ゴムと日算品とを交換†る。一種の買抜け、抜け売りである。親方 の威信が、セリンゲイロをつなぎとめ得なくなると、この縄張り荒 しは、もはや避けがたいと考えられる。 さて、ゴム採集に於︵発達したアヴィアードの制度は、現在では、 他の自然採集はもとより、農耕の方面に竜及んでいる。鰐皮、カス ターニャなどについてもそ5であるし、支流の一部に於ては、貝殻 採集にも、これが行われる。ところが、さらに進んで、ジュτトの 栽培についてム、行われる・ようになった。次には、これを見よう。 五 ジュートの栽培に於ては、wての経営者はジュティP︵冒9マ。︶と 呼ばれ、そのもとに働く労働者は、コpーノ︵8一〇昌。︶と呼ばれる。 ジ.ート栽培の初期には、日本人ジュテイPは、資金的に、アマゾ ニや産業ム巴草の支援のもとにあった。つまり、ム試社は、ジュテイP に生活必需品を前渡しで、ジュートによって決済し、残額は現金で 麦払った。. その後、太平洋戦争に11色り同社が解散すると、これに代つ.て、あ る製麻資本が登場した。ところで、この頃のジュテイロとコPーノ とのm開宴を見ると、現金による労賃の支払は、行われ︵いなかった ようである。すなわち、ジュテイロは、みずから親方として、現地 では自給できぬ必需晶ーモリャード︵諺。︸悶帥働。︶一・の前貸を行う。 それによって、彼らは、この商品利潤を織込んで、実質賃銀を一〇 ∼三〇%引下げ得﹃たのである。 六七クアマゾン”について その後、ジュートの需要が増大し。相場が上昇ずるにつれて、ジェ テイロの経営面積は拡大されたが、他方、アヅィァードの危険・も大 きくなった。そこで、一部のジュテイpは.コpーノを独立せしめ. 彼らにアジィァして、ジュートを集荷するようになった。カボクロ にとっても、コローノとして鋤くより、アヴィアを受けて、自己の 責任のもとに経営することを、むしろ好んだのである。かくして、 日本人ジュテイロのみならず、ブラジル入やユダヤ商人も、ジュー ト栽培に対して、アヴィアドールとなったのである。 脱農覇莱者から小商業者に転じた日山A人ジュテイPは、モリャードのみ ならず、各種の商品を取扱い、また、ジュートの他にも、鰐皮・ゴ ム・ココア・ヵスターニャなどの地方産物の一切を集荷する.アヴィ アドールとなった者が少くない。これは、さきに述べた高拓生のほ とんどすべてが、農民出身でくな、都市の中産階級出身であったこ とに因るところが大きい。彼らのうちのある者は、進んで都市の商 ,人となり、またレガターウンとなった。 まことに、日本人ジュテイロは、二転三転の変化のうちに、巨富 を獲た大パトラーウンから、ヵボクp社会に転落した者まで、ひろ く散らばった。彼らのアヴィァドール化は、ジュティp社会の階層 化をもたらしたのである。なお、商人となったジュテイPの中には 牧畜や、多角農業にも進出し、または、比較的小規模の工場を経営 する.者も存在する。 一1., ノ、 六八 眼を転じて、テープ・ブィルメの農業のうち、特に注目すべき.も のとして、トメ・アスーの場合を見よう。このトメ・アスーは、ア カラ河︵國一〇 bO9胃い︶の左岸.ベレンを遡る一二〇粁にある植民地で、 既に述べた南米拓植が、コンセッサーウンa一部として、一九二九 年開拓した地域である。その後、衛生状態の不良と、ココア栽培の 失敗から、入植者の大部分が退耕した。 この問にあって、ピメンタの栽培が、一部篤農家によってつづけ られ、漸次見るべき成果を挙げた。たまたま、戦時.甲の価格高騰に り 刺戟せられ、このピメンタ並等は急激に発遠して、ヴァルゼアのジュ ートとともに、 ︼般の注視を浴びたのである。しかし.それが、ジュ τトの場合と異って、アヴィアード制によらず、産業組合の自主的 運営によった点で、きわめて注目すべきものがある。 さて、トメ・アスーの産業組合は.一九三一年の野菜組合に始る。 これは、ベレンへの出荷を目的としたものであったが、その後、南 米拓植の物資配給所を引ついで、販売、購入両面を持つ組合となっ た。元来、トメ.アスーは、地理的に見て、そのための好条件を具 備している。すなわち、道路のない原始林でとり囲まれ、如何なる 方面への町並も、すべて、トメ・アスー埠頭を経由して、舟でアカラ 河を往復せねばならない。森林の孤島ともいうべき環境では、すべ て脇同の堅目四によらなければ、不利である。もっとも、戦時中は、 組合の上に監督官が置かれて、変態的な不自由を味つたが、ともか く、その運営はつづげられた。 職争ぶ終るや、一九四六年、組合は改組せられ、手持の資金をす
べて組合員に貸付けて、ピメンタの増産を図った。相場の高騰がこ れに幸いして、組合員の経済的地位は、異常な向上を示した。そし て、一九四九年には、この組合は、法的に産業組合として成立した のである。 − ところで、ピメンタは、七∼九月の問を牧獲期とする。その採集 には、大ぎな労働量が必要となる。入植世帯わずかに七十のこの地 に、約二千の労働者を集め得るというのは、非常なことがらである。 これを可能ならしめる求引力こそは、 賃銀の現金麦払に他ならな い。すなわち、各地からのセリンゲイロは、ここに集り、組合から 購入する物資で自炊生活を営み、日本人農業者の指導のもとに働い た後、多額の現金を懐中して、帰郷するのである。このようなこと は、アマゾン旨意では見られない。トメ・アスーに於けるピメンタ の好況は、ここ数年のところでは、独占的地位を占めるであろう。 もとより、トメ・アスー以外の各地でも、競争的に試作されている が、その成果は充分でない。熱帯作物の栽培条件は微妙で、同一品 種が、必ずしも最適とはいえないのである。 このことは、既にジュ ート栽培の苦難が、明白に物語っている。 七 右に於︵、泉・、一斉藤両氏の調査のうち、アヴィアードの制度に恥開 運して、アマゾニヤの産業の大要を紹介した。いま泓は、そこから 起るべき二・三の問題について、考察を進めたいと思う。 いったいアヴィアード制というのは、どのような環境のもとに成 クアマゾン”について 立するであろ5か日まず自然的環境について。既にゴムの採集で睨 かなように、セリンゲイロたるカボクロの’作業は、すべてバラカー ウンに中心を置くが、このバラヵーウンが縄張りとする面積は、大 変なものである。各セリンゲイpの受持区域も、またきわめて広い。 親方の命令によって、受持区域が定められると、彼らは、その区域 現場の小川ベリに小屋を建てて、そこに住む。バラヵーウンからの 物ザ資も、バラヵーウンへの隠州畠物望も、すべてカヌーで運⋮微せられる からである。 セリンゲイロの生活は、果てしない森林のここかしこに、離れ離 れになって営まれる。彼らが、親方や、他の同僚と顔を合わすのは 採集物を持つ︵、バラカーウンに現れる時に限られる。彼らにとっ ては、聚落の生活はあり得ないのである。このよ5な自然環境に於 ては、おのずから、これに応じた社会関係が生れる。すなわち、セ リンゲイPの親方への結びつきは、アヴィァードとして、主従のつ ながりであっても、彼らが、横のつ・ながりに於て、社会を意識する ことは、きわめて乏しいといわねばならない。アヴィアード制は、 実は、この祉会意識の欠如の上に成り立つのである。いまこれを封 建的制度と見ても、それは、決して、血縁や地縁の意識に麦えられ たものではない。 既に述べたよ5に、アヴィアードの仕組みには、経済的な、強い 搾取と麦配の醐係がある。しかし、それは、階級意識として現われ る開係ではない。むしろ、個々の、人間的な勢力関係と見るべく、 経済的には被搾取者であり、、被支配者であるセリソゲイロの相互の 六九
クァマゾン”について 問には、素朴な社会的紐帯に乏しい。少くとも、そう想像して差支 之ないであろう。 このような環境は、単に、ゴムの採集に限らない。その他の自然 採集についても、そうであるし、さらに進んでいえば、ジュートの 栽培に於ても、多かれ少かれ同様である。アマゾニヤの産業は、テ ープ・フィルメに於けるとヴァルぜアに於けるとを問わず、このこ との存.する限り、それを土台として、アヴィアードの仕組みを育て る、乏考えられる。 さて、搾取者であり支配者である親方は、]方都市の商人に対し て、逆に被搾取者、被支配者の立場に置かれる。ところが、この方 向をもう一つ遡って、貿易商に達すると、質的に異った資本主義的 な商取引につき当る。商祉と貿易商一との間のこの断層一は、つねに、 前者に弱く、後者に強い障壁となる。 商社は、内に託ってカボクpの方に、一遮の力を及ぼして行くが、 他方この断層の前で、外から貿易商の圧力を受ける。彼らは、取引 上の危険をみずからの手にくいとめ、これを負担する。さぎに、ア ヴィアード制の植民地的性格が指摘されたが、それは、たとえば、 中国に於ける買弁︵。o巨鷲¢幽亀︶の場合と異ろ。買弁は、外国資本に 利用されつつ、逆にこれを利用して、国内の小農民に対するので、 危険負担は、内に向って、農民に転嫁せられるのである。 八 およそこういう事情は、トメ・アスーに於ては、根本的に異る。 七〇 それは、既に述べた自然的環境からのみではない。農民は、もとも と南米拓殖の入植者であるから、彼らの問には、共同意識が洗れて おり、それが、外部からの支醜の余地を与えなかった。組合の成立 を容易ならしめたのも、会杜の施設を受けついだとはいえ、この意 識に由来すること、疑いをいれない。 トメ・アス、に於ては、賃銀が、短期間につき、現金で麦払われ ることも、セリンゲイロに対してアヴィアード制度が成り立たない 大きな理・田で・もある。これについては、フォードのゴム園の失敗が 興味ある霊肉を派出する。 フォードのゴム園では、労働の長期の確保のため、異常な高賃銀 と、完備した福利施設が与えられた。ところが、生来勤勉でないセ リンゲイロたちは、その結果、一日を働き数日を遊んだ。何を好ん でアクセク働き、何のために球を弄ばねばなら澱か、という態度で あった。民度の高い労働施策は、そのままに当てはまらない。 さて、入植者の共同意識という点では、日本人ジュテイpにも、 同様のことが認められる。アマゾニや産業の場合では、高拓生潜心識 がみなぎっており、ム珂社の施靹奴と相まって、アヴィアードの制度は 見られなかった。会祉の解散後、ジュテイpは、パラー、アマゾナ ス両州に散在し、相互に甚だしくへだたったが、多少とも、その意 識が残され︵いる。ジュート栽培に於けるアヴィアード化が、主と してカボクpに見られ、日本人ジュテイpが、むしろ小商業化した ことは、多分にここに.由来すると考えられる。 これによって知られるように、アヴ,アードの制度は、きおめ︵
前近代的であり、前資本主義的である。これを直ちに、封建的植民 地的と見るべきかは、まだ検討の余地があるにしても、それが成立 する地域に於ては、生産技術が、幼稚とい5よりは、むしろ原始的 である。そこでは、機械力は全く利用せられない。最近、ヴァルゼ アでもテープ・フィルメでも、一部に軽度の機械力がとり入れられ ︵来たが、その場合には、アヴィアード制はない。その著しい例を トメ・アス︺に臼拍るので壷のる。 九 ヴテルゼアに撃ても、テーラ・フィルメに於︵も、B本人の進ん だ農法は、アマゾニヤの開発にとって、きわめて重要である。再開 された移民、も、この点で期待せられるところが大きい。ところで、 最近、ここに二つのメ上底が現われた。次にこれに触れよう。 その第一は、赤土地帯すなおちテーラ・ロソシヤ︵叶霧轟ぎ鑓︶の 発見である。この地質は、きわめて肥沃であって、農耕に最適とせ られるが、南ブラジルに於ける、綿花やコーヒーその他の栽培で開 拓せられた沃土は、すべてこれに属する。この沃土は、今日では、 ほとんど拓ぎつくされて、もはや、新しいテーラ・ロヅシャは見出 されなかったのである。 然るに、それが、あたかもアマゾニヤの広大な森林の下に展開さ れており、 南ブラジルに比してすぐれて旨いことが、 確認せられ た。︸九五四年七月、奇しくも、在ベレン日本領事館で見出された 地質地図によつ︵、それが示されるのである。もとより、それの実 クァマゾンクについて 地踏査は、今後に待たねばならないが、おそらくは千万を超ゆる人 口を包容し得る、農業の飛躍的発展が期待せられるのである。 もっとも、断片的踏査ではあるが、インディアンたちが、ところ どころに耕作している土地によつ︵、これが証明せられる。テープ ・フィルメのコイヴァラー農法につい︵は、既に述べたが、右の耕 地では、永住的な連作が行われ︵いる。その地質が、このテーラ・ ロヅシヤと見られるのである。 その第二は、アマゾニや綜含開発の国家計画である。アマゾニや 開発に対する連邦の注的措置は、既に一九四六年の憲法に規定ぜら れているが、その具体的施策は、大統領の署名を完了し︵、いよい よ笑施せられることとなった。それによれば、アマゾニや開発のた めの国[家機関︵S・P・V・E・A︶が設けられ、連邦の他に、ア マゾニや関係の州、直轄領及び郡の予算のそれぞれ三96を以て、二 十年の.期間に於て、これが実行に.当る。 その実施部門は単に、農業に限られない。鉱工業をはじめ、交通、 衛生に至るまでの、広範囲の計画を含んでいる。それは、国土計画 として、きわめて注目すべきものである。これについては、別の機 会を得たいと思う。 このような新しい事態のもとでは、開発のために、きわめで大き い労働入臼を必要とする。外国移民の受入れが、まず考えられるで あろう。目下の日本移民は僚とんどが、ジュートとピメンタの栽培 のための農民一計画移民一であるが、かりに、農業のみについ て見︵も、右のテーラ・ロッシヤの牧容力は、莫大である。開発計 七一
O クアマゾン4につい︵ 画の実施の暁には、その他の産業部門についても、その所要量は大 きい。 いま、そ5いう宏大な構想のもとに、小規模ながらも、一つ一つ の具体的計画が、実行に移されようとしている。すなわち、機械設 備の輸入や、資金の調達などについても、連邦や州政府の、直接二 葉の措置によって、計画が進められつつある。たとえば、ジュTト 栽培の中心たるサンタレーンにあっては、既に辻氏の手によって、 三万コントス︵三億円︶の資本金で、製麻工場の建設が急がれてい る。その他の産業部門でも、同氏の手許で、いくつか立案せられて いるという︵たとえばセメント工業︶。 とまれ、そ5い5場合には、各種の技術者を始めとし︵、比較的 教養の高い労働力が要求せられ、そういう八々の祉会の構成が、望 まれるのである。もとよの、原始的労働者が、におかに不要とい5 わけではない。場合によっては、その必要が増すであろう。それが ため、インディアンたちは直ちに望み得ないにし︵も、人口の限ら れたカボクロを、如何にしてここに迎え入れるか。新しい問題は発 生するのである。 さ︵、めぐまれない自然環境と、近代的な祉会意識の欠如の上に 成立した、アマゾニや特有のアヴィアードの仕組みは、ある場合に は、依然とし︵残存し、ときとし︵は、これを巧みにとり入れる必 要が、全くなしとせぬであろう。アマゾ一[アは広大である。幼稚な がらも、アマゾニヤの産業を育︵、、逆にこれによって支えられたア ヴィアード制は、その歴塑はまだ浅く、封建的植民地的とはいうも 七二 のの、東洋に於けるように、抜きがたい基盤を持っているとは考え がたい。それにもかかわらず、広大なアマゾニヤに於ては、なおこ れを育てる余地なしとしないであろう。 しかしながら、改めていうまでもなく、他面、近代的な按術と組 織を持つ企業の経営が、とり入れられなければならない。そうでな ければ、先進諸国の経済的発達から、アマゾニヤは取残されるであ ろう。しかも他方に於︵、後進的とい5よりは、むしろ低度の仕組 みとしての右のアヴイアード制⋮が、これと調和しなければならない のである。そのような、全体としての経済社会の構造が、﹁緑の極 楽﹂の建設、アマゾニヤの開発について、考え得られよう。われわ れに与えられた今後の問題である。 ︵一九五四・一二・三〇︶