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裟 褒 遺 行 寸 紙 筆 年 所 書 見 文 書 止 法 貨 鏡 系 在 三重勝桑名町偉馬町 佐渡以前ノ御筆 仮 名 古 究 唖 ’ 清 息 文 楕紙 竪 九 寸 六 分 巾 五 寸 一 分 五 行 六 十 二 字 御遺文集二本ダ見賞号ズ 昭 和 七 年 宗 質 調 査 之 酬 明 寛文八年本掘調段目允師ノ裏書ァ, 。 康 問 教 融 誌 ︼ 嘩骨量品寸66K434
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婆婆即寂光即身成仰を五口が宗の本旨とするととは、古来周知の定設でるる。然るに吾が岨の御遺文を拝する時は. 師弟供に霊山浮土を期すると一五ふが如き御言葉に援し、忽繭として本宗も亦霊山往生にあらざる左きやを疑はしむる に至る‘是れ門下として大に考ふぺき重要の依止臨で−あると思ふ。試に組文の二三を抄せんか、松野殿御返事︵一五 三 一 ︶ に は 、 悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、謹山博土の悦びとそ’宜の悦びた札と町山召し合せて叉南無妙法蓮華経と H昌 〆\ 九郎太郎殿御返事︵一五一一一︶には 霊山浮土へまひらせ給ひたらん時御手ねあるべし 南保股女房御返事︵一七二八︶には 御所持の人の臨絡正念、霊山浮土疑ひなかるぺし疑ひなかるべし 叉太出版女房御返事︵一八O
九︶には 後生には霊山浄土へまいらせ給ふぺし 震 山 浮 土 観霊 山 望書 土 現 等︵光日房書二
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六五︶と、何れも未来を期する趣きに拝せられる、随て未来往生の博士思想と類似の行方が想像 せられるのである、加之草木園土までも悉皆成備と説く吾宗の教義と甚だ懸隔ある文言にして、宗徒の安心を惑蹴せ しむる憂友しとしたい。乃ち霊山海土とは如何なる鹿か、又如何様に領解すぺきか、正所依の法華経と他の御遺文と の真意を窺ひ、以て安心の確貰を期したいと思ふ。同じ偉遣の師にして‘甲は現在の受持即成を主張し、乙は未来の 往生成怖を説明するとせんか、聴衆甚だ迷はざるを得たい。雨者の何れを正として之に就くべきか、私は嘗て斯かる 質疑に答ふべき責任を感じ、且つ平生の信懐を開いて解決の鍵を奥へたととがある c 今の問題はとの鍵によって聞か れた法臓の一隅にもしか友いであらう。= 、
先づ法華経本門書量品を聞いて自我偶の文に至れば 一心欲見伽不自惜身命時和及家借倶山山静静山和時語衆生A
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霊、稽
山、せ浮、ら
土、れ の 、 樺 叉 迦 本 牟 門 尼 戒 如 開 来 紗 〆 ヘ ノ、 八 に は と云ふ、日廷は仮令後人の備撰に属すとするも、前の血肱紗だけで充分である。 上に悲げたる自我備の文には、明に霊山洋土とあれE
も、長行に之を寺ぬるときは霊山及び崎市土の文なく、反て久 遠以来 ζ の婆婆世界に在って説法救化すと宜ふが故に寧ろ本時の同居土と云ふべきである、但し亦飴慮に於ても衆生 を事利すとあるをば飴の三土︵方便宜報忠光︶と見ることが出来る‘是をば偏碩に至って常に此に住して法を説くと 連ぺ、又常に霊鷲山︿裟婆世界︶及び飴の諸の住底︵長行の鈴鹿︶に在りと領して居る、裟婆の同居土と難も.本よ り菩薩の行を満じたる報身伸の在底と見れば、との霊鷲山を質報土とすべき︵天台の所見︶であるが、本伸常在の本 土と見れば常寂光土ハ遺文九一七︶とすべきが本営である。との常住不鐙の本土とそ、三災四劫に障へられざる安穏 不盟の浮土でなければならぬ。是が叉本悌の知見に映じたる世界観・なのである、目疋を長行には如来如宜知見三界之相 等と六句の知見の謬りなきを明にし、単に婆婆を生滅無常の横土と見る衆生の見解の正しからざるを簡んで居る。墨・ 寛裟婆枇凶作の霊鷲山を共偉寂光浮土とするととは、本怖の知見と本併の所在と本悌所説の妙法とによりで、婆婆即寂 光の真相が顕はれ、通一僻土の妙用が示現せらる L 道理である。本等紗︵九三九︶に今本時ノ婆婆世界 n 離 ユ 三 災 寸 出 せ 四 劫 ↓ 常 住 ノ 滞 土 す と 仰 せ あ る も の 即 ち 日 疋 れ で あ る 。 上来法華顕設の害時量品に依て、霊山浮土の良相を略述したが、法華経を設かれたる塁鷲山を、此の婆婆世界に於け 蜜 山 干 事 土 現霊 山 主昇 土 翻 四 る寂光洋土に指定せられた様である、然し伸殺の頚れたる印度の現欣より観るときは、二十何世紀かを隔てたる、品等 い悌陀の露蹟、市かも営時の︷一不敬的文化を偲ぶべ︿、齢りに荒れはてた山上の風物として、明かその名践を
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むるに 過ぎぬでるらろ。共れでも悌敬徒の経典を信やる心より、迭に之を想像し親しく認に参拝する訟らぽ、悌蹟としての 民慣に相違はなく、等ろ勿障なき感さへ起るであらう、日疋が常牲にして減せざる自然の風光とも云ふべきものである。 それは隼い聖者の行蹟として、物質的には破壊賢改をよぎなくせらる L ととがあっても、精神的には何うするととも 出来たい永遠不滅のものが天地自然と共に残るであらう、共鹿に法華行道者の憧憶があり、霊山洋土の理想境がある と 田 山 ふ 。 若しこの経設と思想とに謬りなしとせんか、吾人も亦た西方の極端掃を願ふ様に、殺の印度の霊山往生を期すペ暑が 如くに思はれる、然し是は鯉隼出世の宜際的救化の舎躍に限られた話で、所謂近情の謂ひに比すべきである、吾人は 印度出現の樺迦併に即して久遠の本併を仰ぐ様に、王合城外の霊山に即して法界の寂光を期ぜねばならぬ。書量品は 如来の嗣本を正意とするが故に、如来の如貰の知見に約L
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三 ︶ 、 随 て 其 中 に 生 活 す る 五 日 等 も 、 生活の資料 も乃至一草一木一微塵に至るまで、悉く樟隼の御所領であり財産である︵一の谷入道御堂円一一七八、妙法尼一七七四︶ と見るべきである、即ち十方世界を備の身賠とすれば、主口々衆生も久遠以来伸の愛子としてλ
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三九︶始絡 伸陀の懐に抱かれてゐる道理であり、やがて生長して悌となる確貰性を有ってゐるので、五日 k の活動は伸の一指一毛 の動きであるかも知れぬ、乃至吹く風流る L 水 の 一 耳 目 ま で も 併 の 党 一 回 日 聾 で あ る か も 知 れ ぬ 。 東 投 の 所 謂 漢 聾 便 日 疋 買 長 吉 山色宣非清博身と云ふが如きもので、是は一詩人の主視に過ぎないにしても‘悌の知見行者信仰の眼より翻て叉営然 の こ と L 思はれる、況んや支那にでも日本にでも、特に法華経を弘通し之を護持したる聖者のあとは、彼の印度の露 山洋土に具らざるものがあると思ふ、但し法華経以外の経論をも A 口 せ 惇 へ た り と せ ば 、 共 は 全 然 謹 山 に 同 じ と は 一 広 へ たいであらう、斯くて全世界を本の如く霊山洋土化することが法華本門書量品の伸意でなければならない。 五 吾蝿はか L る本門書量品に立脚して、開敢以来法華色請の賠験中乞重ね、遂に本化上行の白完を確め、専ら霊山別付 の 妙 法 五 字 を 弘 め 、 一切衆生成悌三千世界呼化の基礎を身延山に築かれたのである、是れ即ち救主耀隼の霊山洋土と も一掃すべきもの︵南保七郎殿御返事二O
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六 ︶ 、 吹く風もゆるぐ木草も流る L 水の昔までも此の山には妙法を唱へ・?と云ふととたし︿波木井書一二二ニ︶等と仰せあるもの、全く信守るもの L 前には自然の背白で ある、質際の風景である。況んや五口組碍身の御舎利と不滅の法身とを遣し給へる霊境なるに於てをや‘本営に真のほ謹 山事の寂光土とも稀すぺき妙境である。 然らぽ五口組の霊山浄土とは、正しく此の底を指すべきか、品会れとは此の底に参るべきか、然り此底は其の根本を指 し共の中心を示したもので勤すぺからざるととは明かである。日蓮が弟子間那等は思ひを此鹿に致して‘正に信行を 励むならば、何由胞に居つでも営庭常寂光の賓土であり‘坐らにして身延の霊山に来り、 一歩も行か守して印度の霊山 を見るととが出来るのでるる︵最蓮房御返事八四一︶。 されば底々に見へる霊山浄土一五云の御言葉は‘鹿に約して成 備を論し給へるものと拝すべきであり、叉吾等の精神界裡悌租に面奉すべき法院の心境を物語ったものとも思はれる。 若し五口組にして法華経の潟め大難に値はせ給ふた底は、龍の口であれ佐渡であれ‘書量本悌の誰悟に住した寂光博土 と云ふべきである︿同僚書六八九︶否五口組足跡の到る庭、門下如法修行の慮、皆霊山であり浮士でなければならぬ、 ︵営瞳義紗九九二倍頂紗一
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二九︶、随てとの心から樟隼と法華経等に供養する人は、必歩霊山に参り成悌疑ひたし、 即ち霊山往詣と即身成備とを同様に御使用の底もある所以である。︵松野書一七二五.南俊書一七二八︶ 婆之天竺の霊山は‘その土日世界に於ける浮土の根本であり、身延の霊山は現在に於ける世界浮土の中心である。悌 組は此の現賓の世界を離れて、別に浮土を求め給は守、恰も伸組の霊山は法海に投じたる一石、共の波動の至らぬ隈 −泣きが如く、全世界を霊山浮土化するにるる、是を妙法貰布四海時妙の賓現とも、本悌因土の建設とも稀するのであ る。全障が一悌園一貫土となって、上に本悌の如き智悲固滴なる精神的正導を仰ぐならば、決して是れ以上の安心は 無いと信歩る︿立正安岡論三九一、如説修行紗九六八︶。 ー 昭 和 一 問 、 一O
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震 山 fl 土 観 七本 事 現 史 門
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日 守 S H F B事
u~ ~~ 一 線 論 二 事 翻 史 前 期 事 理 未 分 時 代 第 一 期 事 調 融 通 時 代 一 地 符 不 二 の 事 観 設 二 天 良 湖 朗 の 事 親 設 第二期事四四分権時代 一 明 題 事 行 の 事 親 設 二 事 理 不 二 の 事 叡 設 三 事 親 分 離 の 事 観 設第
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と構し、偉殺が道遼相承の五種妙行具足の受持一行で‘正し く 一 脚 力 別 付 の 末 法 の 行 法 で る る 。 今 と れ を 内 一 市 組 の 一 代 の 弘 通 に 見 れ ば 、 開 市 一 京 営 初 よ り の 題 目 は 正 し く こ れ で あ る が 、 そ の 解 阻 停 に 就 て は 佐 前 佐 後 の 進 退があって、佐前には或は棋に利鈍を分って上根には止視の親解を許す謹もあるが、佐後は題目を以て利鈍順逆一同 の行法と説き、剰へ ﹃ 末 法 に は 余 経 も 法 華 ・ 経 も 詮 な し 、 但 南 無 妙 法 蓮 華 経 な り ﹄ ︵ 一 抗 ︶ と も 、 ﹃ 題 目 を は た れ て 成 俳 あ り といふ人は、僻説なりとも用ゆべからや﹄︵勾︶とも判じて、題目受持の一行を以一て末法の妙行とせられたのである。而 して此の妙法受持の一行を以て末法の事観となし、天台の理観を以て像法過時の去謄咋食の法左りと判ぜられたので ある。即ち﹁治病紗﹂に 一 念 三 千 の 視 法 に 二 あ り 、 一には理、こには事なり。天台侍救の御時には理也。今は事也。胡念すでに勝る L 故 に 大難又色まさる。彼は遮門の一念三子、此は本門の一念三千也。天地はるかに殊也 0 ︵ 主 ︶ と述べられた此の事理の別乞以て、天台の一念三千の理観に封して‘︷一京岨の唱題の妙行乞以て末法一同の事観と解す るのが通誕の意である。然らば今の事組と﹁本隼紗﹂に所謂 本 門 事 叡 吏 九本
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事 観 史。
像 法 中 末 観 音 薬 玉 、 一 不 一 一 現 南 岳 天 台 一 出 現 、 以 = 謹 門 一 得 レ 表 、 以 = 本 門 一 得 レ 裏 、 百 界 千 如 一 念 三 千 謹 ニ 共 義 − 。 但 論 コ 理 具一事行南無妙法蓮華経五字、並本門木等未=慣行− L 之 、 所 詮 有 = 闘 機 一 無 = 固 時 4故 也 。 ︵ 杭 問 ︶ とある今の事行との同異如何といへば、此の交に依れぽ事行、とは、正しく三踏の二法の中本門の本傘に封する題目を 指して居る如く、三副の中口唱の題目を以て、三柑具足の妙行たる事視に封して事行といふのも‘とれ且らく問単なる 口唱の題目を以て、蛙嶋蛸・喋に比した一往の分別である。占ハ組が﹁輔行﹂に 椛 便 殻 心 不 = 員 貫 一 者 、 縁 = 於 正 境 ↓ 功 徳 猪 多 、 故 知 若 非 = 正 境 ↓ 、 縦 無 = 妥 協 − 亦 不 レ 成 レ 種 ︿ 一 ノ 四 FJ といへる如く、的の無き矢、目的のなき行は徒勢に師するからである。かくの如く能信の因と所信の境のなき題目は 行法とはなら歩、勿論成悌の因たるE
行を成ぜぬからである。而し乍ら末法に於ける唱題の行は、若し﹁四信五口叩紗﹂ に依れば﹁以信代慧の妙行﹂であり、﹁営休義紗﹂に﹃信=法華経 4唱=南無妙法蓮華経一﹄の信唱の行であり、叉﹁本隼 紗﹂に﹃受持謹輿﹄の妙行に外ならぬのである。併し乍ら事観の展胡史に見れば‘聖減四百年頃に至って,次第に口唱 の事行の外に接解的事観を認めて、車なる口唱の事行と簡ぽんとした故に、事観と理観と矛混同するに至った様であ る。勿論事視の製解的説明は重要であるが、此の方面の説明はとれ哲接的事翻であり、宗教的行法即ち末法一同の法 華の行法に封しては事観の根操ではあるが、有智無智一同の行法たる所謂事観の妙行とは別に研究すべきである。随 って庚く営家の事観には事観の哲皐’ t 宗教との雨面があるべきであるが、通詮に従へぽ末法一同の妙行たる宗教事観 を以て営家の事観とすべきであらう。今日庫一・界に問題になりつ L ある道元哲島?なるものは、他の皐解的本莞の方面を 指したものであらう。 随って宗皐の設展の上にも自ら此の二商が錯綜して居る故に、最密には雨者分って研究すべきである。此のととは﹁ 諸 法 貨 相 紗 ﹂ に は 行由宇の二道をはげみ候ペし。行撃たへなば僻法はあるべから歩、我もいたし人をも敬化候へ。行撃は信心よりをと るべく候。力るらば一文一句なりともかたらせ給ペし
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と宗凪自ら宗義にも行と畢との二途のある乙とを明し.信心 bL 以 て そ の 根 本 と し 、 一同は他事を捨て主唱題即観の行 を修すべきであるが、カあらば皐解の事翻も研むべきことを勧奨されて居るに依ても知ることが出来る。宗岨の弘通 も行の事観 b L中心とせられて居る故に、今も行の事翻を中心として述べ、由宇の事観をも平行して述べたいと思ふが、 史的叙越の性質上混靖的記越は菟れないであらう。更に遺文に於ても前越の如く位前にあっては、上根に理観を許容 せる、例へぽ﹁持法華問答紗﹂の 一切衆生皆成伸遣の敬・なれば、上根上機は観念観法も然るペし、下根下機は唯信心肝要也。GJ
の文、並に﹁十章紗﹂の 毘貰に園の行に順じて‘常に口宇さみにすべき事は南無妙法蓮華経なれ。心に存すべき事は一念三千の観法たり。 とれは智者の行解たり。日本園の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととたへさすペし。会J
等の如く、上根智者は観念観法とある文に依て、末法に於ても上根観念の意あるより・古来上越の事観ならざる理観 も亦末法の行法・なりとの設をたし、就中上掲の二文に依てとれを主張した先師も多 k あったのである。故に宗祖弘通 の事観とは﹁報恩砂﹂等に﹃一同に他事を捨て L 南無妙法蓮華経と唱ふペし﹄︵信︶等といへる、末法一同の行法とし ての信心唱題即ち受持一行を以て事観とすべきである。随って﹁本隼紗﹂に所謂事行も右の意を得れば末法一向。事 観の意と解すべきであり、﹁治病紗﹂の事観と今の事行と同義とも解すべきである。若し末法に一同の妙行事観以上に 本 門 事 観 史本 門 事 観 史 態解の事観ありとすれば‘且らく三副の一般的妙解たる信以上の根本的の皐解事視と一般的信唱妙行の事組とに分つ べきであって、今且らく前者を妙解といへば妙併は撃の事翻・妙行は行の事視で、此の妙行事問は事行即事視でとれ を天台の理視に釘して末法一同の事視とし、末法弘通の行法とするのである。併し事視に就て皐解と信唱の二種事制 を分つことは、﹁得受職人功徳法門﹂に 於 ニ 今 経 受 職 濯 頂 之 人 二 一 人 、 一 道 一 俗 、 於 ι道復一二正修事解了之受職、二只信行之受職也。於 b 俗 又 二 例 レ 道 司 レ 知 ︵ 一 一 J の文に依て、道俗各皐解信行の二人ある中、正しく道の墜解を以て今の皐解事観人 Eだ な し 、 俗 の 車 十 解 も 勿 論 こ れ を 許 す べ き で あ る 。 かくの如く遺文に於ける事視の所明は一様ではない。併し往土日に於ては今日の如く容易に遺交が題視し得られなか った故に、聖減二三百年頃までは勤もすれば、或一文に執して全体を解樫せんとしたる視がある。且つ聖減二百年頃 までは一般に法華宗といへば‘天台宗のことで本宗の如きも天台の一抵の如く見倣されたのであった。且つ折伏とい へば何時も四筒格言を振姐して、営るべからざるものがあったにしても、その宗義に於ては比較的幼稚で、恰かも天 台
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延長の如き観があったのである。随って事翻 bL 解するに境智不二、事理不二、天民猫朗等の語を使用し時に事共 の妙朗、事行の三千等の語を以でしたのであるが、輝師が天台の理観を解するに、所前無相不可見の語を以でしたる に封し.営家の事視は∼ハ組の有相不可見の見解を出でぬが如き視があったのである。市して漸くその説明をなすに至 って﹁本傘妙﹂の事行の請を以て営家の事視を解賭せんとするに至ったのである。されば事担の民相を明らにするに 至ったのは、全く近世の事に属するのである。且つ前越の如く事視の解に墜解、妙行の雨様の別を分ち得る内容を有する故に、自ら雨解が錯綜して多種多様の解を見、蘭菊の美も菅ならぬものがあったのである。 右犠の前提の下に今事観の展開史を謹ぷるに営って、且く大別して事理未分と、事観確立の前後二期に分つととに する。而して聖減六百五十八年の今日迄の聞を二分して、聖減後四百年国までを前期の事理未分時代、その後今日迄 を後期の事翻確立時代とする。今斯く翠滅後を雨期に分つ所以の根本の理由として‘我等は遺文刊行の事を以てすべ きである。遺文の最初に刊行せられたのは、天和八年聖減三百四十一年の功徳通師の﹁録内﹂四十巻で、その後寛永 年間に於ける録内の三版を粧て、聖誠三百八十一年即ち寛文二年に於ける﹁録外﹂二十五巻の刊行を見るに至ったの である。更に同年銭外の再版並に録内の第四版の刊行を見、此に録内外整来して公刊せらる L に至ったのである。此 にその封象を得て、宗撃の研究も始めてその本筋に入ったといふべきであらう。此に於てか妙解事組の命題ともいふ ペき﹁事がま L ﹂の語を以て事翻を就いたのが、聖減四百三十五年に入寂した翻如透帥であった。師は録内四十巻を 研鎖すること貨に前後四回、遺文に依て宗撃の中心問題を研討し、従来の所謂六十容時首の官官套を枕した、後期に於 ける事翻確立の素地は、全く遺文刊行の結果といふも過言ではない。 斯の如く遺文の刊行を劃して宗属一主に前後二期を劃すのであるが、更に使宜上之を各二期に八刀って、事脱皮を述べ んとするものである。前期事理未分時代の四百年を且く第一第二の二期に分ち、最初の二百年聞を第一期事現融通時 代、後の二百年を第二期事理分離時代とする。第一期は六老借を始めとして、照本の什師に至る約二百年間で、宗祖 を台岨に簡んで本門大師と呼び、第三法門、三大秘法、事行の一念三千、事行の南無妙法蓮華経等の語を附ゐて居る が、事制を説くに天真調朗、境知 H の妙法、九識の元意.本地果分の内誰等の台家附順の語を用ゆるのみならや、事理 融通に立ち有相不可見の意を出でぬ故に、思想的にも天台踏襲時代といふべきである。 本 門 事 観 史
本 門 事 貌 史 四 若し第二期の事理分離時代に至つては、﹁治病紗﹂に依て事理二視を分たんとした時代で、八品の隆師の如きは事制 とは本畳の信行、易行間心等と述べ、唱表問一裏の信唱事行設を・なした。然るに日疋等の勝劣抵の主張に封し、 一 般 抵 の 日耀等は事理の別は不二の翻心の上の越本、罷折、心色等の別と解し、全く前期の融通思想を脆し得なかったのであ る。更に此の時代には右の思想と相平行し、﹁問答紗﹂の上観下唱、﹁十章紗﹂の智者解行、在家唱題の佐前営分の詑に 支哩せられて、事理不二の上に上根は三島一具足の翻心、下根は一同信唱の妙行と解し、叉砕蒙講師等は﹁五品紗﹂に 依り、再往末法一同下根信唱と判じ、事問事行而二不二の解を見たのである。故に本期を且く事理分離時代と稿した の で あ る 。 若し後期事観確立時代の二百六十年間の中、前の約百年間を第三期事観分離時代、後の百六十年の初期を第四期事 観確立時代とする。而して第三期分離時代の幕は、全く草山の即心之色の語に開かれ、観如透帥の﹁事がま L ﹂の主 張に依て、漸く堂家の事観の調自性を見るに至り、唱題非観、修観共許等の問題が提供されたが、未だ﹁問答紗﹂の 拘束を院し得なかった時代である。然るに富士の日寛は受持事観設を左し、合掌日受は口唱は信心を増谷すてふ但信 事観設 b 1見たるを第三期の事親分離時代とする。 然るに嘗時中村檀林の皐徒に宗阜大成の聯盟を見、就中上最日義は末法に信法二行を分って、信唱皐解二種事観の 別 を 主 張 し 、 一妙日導は佐前後法門の異相を判じて信唱事観設を力説した。若し本妙日臨は事観に事理を分って日義 の二種設を分明ならしめ、且つ法具事観設をなし、智朗日賢、桓容日知日は共に臨師設に立ちて信解二種事観読を究め 絡に優陀那日輝の唱題事観の口唱事観設を以て‘且らく本門事観の最後第四期事観確立時代とする。かくて明治に至 つては泰西の科壊輪入に依り、宗庫一も再吟味の時代に入ったが事観も亦同一一過程に−あるといふべきである。
第
事
観
史
前
期
事
理
未
分
時
代
第一期
事
理
融
通
時
代
一、境知日不二 の 事 観 読 事理融通時代とは事視理観の融通を意味し、強ていへぽ理観の中に事観を立てんとした時代である。若し事観の上 から見れば事観確立の前提を在す未分時代で.聖減二百年頃までをいふのである。との時代に在ては境智不二、事理 不二、天真調朗の上に立って、題目を以て事具の妙観、事行の一一一千等の語を以て表し、随って事視といふも六組の有 相不可見の意を出でなかったのである。故に事観といふも天台の理観の延長の如きもので、斯の如き時代を事理融通 時代と稀するのである。 此の時代に在ては六老借を初として、但宗祖弘通の妙法元字を以て直ちに末法の要法とたし、その解に至つては、 諸門流中中山門流の日常、目前・ 日排の如きは、本地難思の境智を以て事視と判じ、宮士門流の日興、日順、日浦、 日叡等の如きは、天真濁朗の事行を説き、且く境智不二、天員猫朗の上に事観を説かんとしたものである。 宗岨御入減営時に於ては、干ハ老借等を初めとして一般に宗祖所弘の妙法五字を以て、末法底時の攻法と解して、準ん で敬皐的に解四押せんとする要を認めなかったのである。されば六老借中日朗︵文隈元年七十六歳寂宗一−3
の如きは弘 安八年の﹁巾欣﹂に、﹃天台沙門﹄と補して営時の権一一貫雑乱を札明し、後五百歳の金言を仰いで妙法五字を弘通するを 以て、その使命とせられた公示会主︶のである。叉身延第二組日向︵正和三年六十二歳寂事一一訓﹀も、嘉暦四年の﹁申 本 門 事 観 史 一 五本 門 事 観 史 一 六 欣 ﹂ に 安 閣 諭 に 依 り 、 妙 法 流 布 を 以 て 所 期 と た し ︵ ︷ 一 不 全 一 日 持 \ 叉 日 頂 ︵ 嘉 牌 三 年 干 一 定 引 七 十 七 歳 寂 ︶ は ﹁ 本 傘 紗 得 意 紗 副 香 し に 本門事行が要中之要.下種之市
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艇 な り 。 ︵ 宗 全 町 時 ︶ と越ぺ、中山の日高︵正和三年五十八歳寂︶も、亦﹁安岡論﹂の主張に依り妙法弘通を以て‘その行事としたととは つ巾蹴﹂に附かなる如く、円疋等の諸師は妙法の弘通を以て弘通の眼目とし、此の妙法以外に事視は・なかったのである。 とれ聖減四五十年間の紋態である。 併し乍ら右の如き箪訟る擁質論に立つ漫然たる正法主義では、全く事制の何物かを解するととは出来ぬ。若し宮木 日常は弘安六年の﹁翻心木等紗私見聞﹂に於て 抑天台宗並法華宗諸人廃立‘繭前掛一円本門翻心立=間保五重勝劣二本語有=浅深三木分翻心 H E 也 一 E 々。営家相承正意 不 L爾、繭前救相也。本数三五塵点敬相也。此上即妙O
経翻心也。然題名外求=翻心二破二代敬ア破=翻心一。若別 零=親心二連麿偏観.車心檀那親心なるペし。本地難思境智妙O
経 之 置 = 事 観 二 別 尋 = 求 親 心 − 者 育 目 者 以 レ 杖 指 レ 月 、 犬の木玉の音に吠るに似たり云 k 。 ハ 円 示 会 誌 哨 ﹀ と越べて、本地難忠境智の妙法たる題目を以て事視の法としたのである。若し中山第三阻耐師︵臨安七年主詰七十 七歳寂﹀はその著と稀する﹁重住記﹂︵啓蒙十六一むには誼門は記四に﹃位撮理性﹄とも、畿六に﹃ユ一千布理同名無明﹄ とある如く・方便品の﹃是法住法位、世間相常住﹄の交に依る、理性の三千なれぽ無明の謹域也。然るに本門は畿六 に﹃三千並常倶体供用﹄とある如く、書量品の﹃我此土安穏、天人常充満﹄の園土世間常住の文に依る、世間を体とし 理性を用とする倶体倶用の常住の三千也。故に彼は凡心所具の三千観たれば理観、此は九識本法の三千観・なれば事観︵取意︶と説くも、六組の有相不可見三千常住観を出てぬもので、旦らく原始的の妙解事観の意と解すべきである。 若し上掲耐師より前曾て熱原牒泉寺の島一・徒たりし、越後阿闇梨日輪開︵臆長元年主主七十三歳寂︶は先に日興、後に 日乗と共に日頂に師事し、その著﹁固極貧義紗﹂下に於て宗祖を本門大師と践し、その所弘を第三法門たる本門の三 大秘法となし、天台の理視に封し本門書量の肝心たる妙法五字を事具三千の妙観とたし‘その修行に二種を分ち 修 行 有 ︼ 一 二 意 \ 一匪ニ行住坐臥川戚憐\不 L嫌 = 故 心 一 奉 ι唱 コ 題 名 一 、 是有相行也、有相安繁行 H 疋 也 ‘ 妙 禦 散 心 諦 ニ 法 華 一 不 レ 入 = 締 三 味 二 山 川 ↓ 一 立 行 一 心 念 ニ 法 華 文 字 \ 行 若 成 就 即 見 ニ 普 賢 身 一 等 一 五 々 。 二 有 = 解 義 − 入 、 口 奉 レ 唱 ニ 妙
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経 二 山 。 。 直視二念三千妙理二是川県相行也、無相安禁日疋也。所以不 L簡 ニ 有 智 無 知 H ・ 貴 賎 上 下 、 破 戒 無 戒 二 賭 レ 得 = 散 心 一 念 = 諦 題H
五 宇 一 、 行 若 成 就 者 即 見 ニ 普 賢 身 、 若 有 = 智 解 ↓ 者 就 = 妙O
経 五 円 十 一 、 凝 = 三 千 妙 観 一 、 妙 視 成 就 者 又 即 見 = 普 賢 身 一 、 雄 レ 分 = 二 行 一 互 通 同 五 ニ 伸 巣 一 、 故 其 妙 誰 之 時 捨 息 者 敗 。 ︵ ︷ 一 子 会 川 型 ︶ と述べ、事共の三千妙観たる唱題に就て、末法一同の散心念請の題目たる有相行と.智者の三千妙観たる無想行とを 立て、二行は五通して仰果に五り z r e 説くも、共に念諦題目、三千妙視の安禁行となし、且つ普賢身視と説くに及んで は仮令五字を以て末法の行法となすも.上掲二師の如く本地難思の境智読を出でぬのである。若し﹁問答紗﹂に依らざ る知日者妙観訟は、原始的事視の皐解説と見るべきである。然れども今の三説は共に天台の﹃妙。経本地甚深之班、義也﹄ 等と説ける.本控不二の境智有相不可見の糟意を山内でねのである。 − 一 、 天 真 調 朗 の 事 規 説 克に何時代に日興門流に於ける宗祖の御作と得する﹁本因妙抄﹂には 本 門 理 野 観 史 ー じ本 門 事 観 史 F
、
信 心 強 盛 唯 無 = 余 念 一 奉 レ 唱 = 南O
経 一 凡 身 即 伸 身 也 。 日 疋 名 目 一 天 真 猫 朗 之 即 身 成 伸 一 。 公 一 不 全 現 時 ︶ と越ぺ、唱題の行を以て﹃直建止規﹄、﹃事行一念三千南O
経 ﹄ ‘ ﹃ 自 性 不 思 議 体 、 我 内 詮 書 量 品 ﹄ 位 一 す と 樟 し て 居 る が 、 その思想は全く止観の天真猫朗の意で‘随って先の木地難思の境知日にあらざれば、中古天台の本魔法門の別語である。 而して此の意を敷街したのが、興門流の組日興︵疋度三年苧一信=一八十八歳寂︸の﹁五重囲記﹂である。同記に依れば樫 ︿昔︶、述、本、親心、元意の五重の翻心を詑き、﹁開目紗﹂﹁十法界抄﹂等に依て本門間顕の固を倶宜の本固とし、観 心の国立不には惑檀の異議があり、即ち遮門の理聞、本門の事国の不同友りとし。最後元意の固は五大院安然の所立 であるが、とれに封し前四重の聞は機情昇進並に周頓の固で、之を根本法華の固とするも、本遺未分、模資未分、敬 外別偉不立文字の蹄天魔の邪法と破し、常家は斯の如き本遺未分の翻心の上に更に一犬台が本地甚深の奥義と樟せる本 地の固を以て元意と立て、 とれを上行所停の妙法本因妙所修の法休となし 営 流 は 親 心 の 上 立 = 一 冗 意 二 夫 者 上 行 所 倖 妙 法 本 門 自 行 要 法 日 疋 也 。 樟 一 民 此 妙O
経本地甚深之奥義也。本地者元意と同 事也。本国妙所修法体也。故上本地問者在世本門一品二学也。本門観心園者事一念三千固也。本門一冗意同者事行妙O
経是也。今営家固宗者事行妙O
経宗也 D 本地自行唯興レ固 A 口国是也。固と合とのこ字事三千事行妙法二重不問、唯 授 一 人 口 倖 有 レ 之 。 ︿ ︷ 一 不 全 靖 集 ︶ と本門翻心の事閣の上に更に元意の事行を立て、先の本門観心の事観を唯興の園、今の事行を合の固とたし、とれを 以て上行所停の題目としたのである。併し乍ら既に天台の本地甚探の奥義を以て題目の内容とする故に、今の元意は 翻心の上に立つといふも、本因妙抄所明の天真調朗の意と同義と解ずべきである。 叉三位日順︵文和三年辛苦六十一歳寂︶の﹁本因妙口決﹂も妙法五字を以て具臆本種の正法、体玄義に於ける内詮観心の行事と名づけ、乙れを天台倖敬未弘上行所停の法体となし.﹁立正翻紗﹂﹁三秘紗﹂等に依り 妙 法 蓮 華 経 ,.−ーー」ーーーー、 本 建 門 門 ____,.__ー「 F・_,、ー『 事 下 理 院 行 種 具 徒 一 唯 一 唯 念 本 念 控 三 法 三 法 千 華 千 華 .、ーー...−−− 、恒国『{』J 内 外 詮 用 止 JI: 観 観
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賞 天 家 台 、『-、~ーー〆 天 真 満 開 ﹁ 本 因 妙 口 決 ﹂ ︵ 宗 会 理 J 叫 ﹀ と右の如く五字に就て二意を分ち、 一念三千に事理を分つも、とれ四重興麿に依り背控本三款の上の不思議賞理たる 観心に本迩事理を分つものである。とれ正しく興師の観心中の本門の事観と元意の事行と同じく、︷一京岨所弘の題目は 事行の一念三千と稿するも、その法体 b L 天民猫朗の内詮止観とするものである。若し佐渡阿闇梨日浦︿正文五年駐日叩 七十七歳寂︶は、その著﹁日満紗﹂に誼本二門を色心宜相、事理三千、不費随縁、従因至果、従果向因等に配し、且 つ宗祖所弘の三大秘法は天台の口倖法門七箇の大事の中虞停四簡の第四法華深義の下に立つる、蓮華因果、固敬三身. 常寂光土義の所謂略倖三箇の旨を相侍して共上に得意すべき事と友し。公一子会開か一長︶三秘と時停三簡との思想的類似を ほのめかし、﹁行者値難事迫巾﹂の 本門本隼興=四菩薩二戒壇、南無O
経五字也、云 k 、︵お︶此三大事故、敢難 ι及 = 短 底 二 然 而 粗 於 ニ 前 後 一 有 = 此 義 一 思 惟 立 レ 知 也 。 ︵ ︷ 一 万 全 暗 号 と述べ、先づ本門の本等を説くに逃本翻の三重に約し、謹門は不麗虞如理融通上建立の三身、本門は随縁真如理融通 上建立の三身。観心の三身は所詮随縁不麿未分の一心法界上に浮ぷ所の三身なりと詑き 線十回作三千高法亙取柄無鹿也。夫随ニ機得様一従因至果厄従果向因記設也。然者我等一念心九識固備自体‘無作常位、 本 門 事 親 史 九本 門 事 審理 史
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境智不二、自受用身体也。本控取柄付事向六識重也 0 ・ ぇ 識 民 如 霊 能 観 所 観 境 無 之 . 調 一 法 界 自 受 用 身 自 体 也 習 也 。 乃 至 天 昆 調 朗 誰 不 レ 由 レ 他 也 。 ︿ 向 上 問 。 J と述ペて、題目、戒壇の説明を献くが、一二秘はムハ識本越の所設でたく、観心九識真如の重の所詮とするも、天国県潤朗 無作常住の法体と解する点は、前の諸説と同工異曲である。叉同門流の日向開山日叡︵臨安三年 F M M 竺 ハ 十 一 歳 寂 ︶ の ﹁後信紗﹂には、矢張本越を不費随縁、事到一二翻の別と判じ.妙法五字を以て慶事ハ五度﹀存理︿受持︶本門受持の理 善 根 な り と 解 し 、 ︵ 宗 金 忠 明 ﹀ 五度の事善根に釣して、妙法受持を理善根、叉題目を以て天真調副本有の止観たる本兜 の避と解せるは、彼白理規に劃して且く事行の題目を以て事翻と解したのみである。 上越の如き諸帥の解樺は或は天台の理視に封して事行の唱題を以て事翻と解し、或は境智不二‘天真調朗等の境智 未分の親心を以て事観と解したのでるるが、とれ隼舜の﹁止観見聞﹂ 一 の 中 に 法繭天然云=天民二自受用本魔法体云=調朗九叉一念不生本源云=天国民一、念 K 縁 起 自 受 用 照 了 一 疋 = 濁 朗 二 天 民 本 法 理 体 、 猫 朗 三 千 智 用 。 ︵ 悌 金 二 九 肯 O ︶ と 稗 せ る 、 一体の境智、或は境智未分の本莞の理に体建する易行翻心を以て題目の事行と解したかの観がある。斯の 如く聖滅後約一百五十年頃までは、概ね境智不二、天民調朗の法体たる本地法然の事理に体建する所以の易行翻心‘ 棋言すれば天台の六識陰安の理観以上の、天由民猫朗の本莞観心を以て事観と解したものである。随って事理融通の上 に立つ妙解を以て事観と解し‘とれに封して唱題の妙行たる事行を易行翻心と糟せんとするが如き気分が見られぬの ではたいが、大旨は事理融通の本質翻心を以て事観と解する故に、とれ等の諸師を概括して前期の第一期事理融通時 代と稀した所以である。第二期
事
行
分
離
時
代
一 、 唱 題 事 行 の 事 観 説 前の事理融通時代の後を受けて、営家の行法は天台の理観に封して、末法時機相臆の唱題の事行なりと解したのが 即ち事行分離時代である。此の時代は正しく﹁治病紗﹂の事理二観に立脚して、唱題を以て末法跨節の行法たる事行 の法と解したのである。此の時代は日建の事理遠近棒、八品の隆師の信心唱題に依る易行観心設に起り、中頃勝劣祇 の 本 勝 設 に 反 動 し て ‘ 一致抵の日耀‘日重等の台営不二の事翻読に堕し‘後に日生日講に至って﹁同窓口抄﹂に依る上 観、下唱解行折衷誌に依る、事理正助末法一同信唱の読を見たのである。との聖減百五十年より四百年頃に亘る、約 二百五十年聞を事行分離時代と呼んだのである。 此の時代の先駆と見るぺきは、﹁昏蒙﹂十六ハ所引の日建︵﹁章琉目録﹂さに日蓮宗日建、康正一二年缶詰著﹁本建勝劣 問 答 記 録 ﹂ 一巻?︶の﹁古抄﹂に見ゆる三詑である。その第一の或設は﹁治病抄﹂に依て台営を事理二固に分ち 本門事者諸法事々の営体を共佳本有常住と談やるは、陰生土の三世間が常住なる事也。如レ此本門の事闘を聖人は本 傘と顕して不レ斥ニ有智無智一、向=本傘一題目を唱させ巾は自然と題目の功徳として、共事の三千が一心の具徳と顕 は る L を 、 事 の 一 念 三 千 と 習 也 。 ︿ ﹁ 啓 蒙 ﹂ 一 六 九 所 引 ︶ と述べてこれ信唱事行に依る、妙解事観詮入の解行融調設である。第二の日源︵﹁章疏目録﹂2
妙畳寺日蹴﹁本隼抄御 談﹂二巻?︶相停の設も 理は冥伏して共休還し、営家事迭の本隼は共固形手に取る如にして近し。其能親身心如=止観行者\経=解行一切瑳 琢磨する修視には非十。但合掌して本隼に向て題目を奉レ唱底が能観の姿也。︵﹁啓蒙﹂二ハ一。所引︶ 本 門 事 事 見 史本 門 事 現 史 と謹ペ、智愚一同に唱題に依て事遣の三千が行者一心に頴はるを、事行とも事の一念三千ともいひ、或設と粗ぽ同一 義である。日建は此の南義に依り天台の理観に劃して依正二報に豆つての、唱題の事行を以て一向事具の三千観ハ﹁昏
警
二ハ二︶と述べ、唱題の妙行即ち事行は事観詮入の行と解したのである。 以上の事観設に次でその意を更に明にしたのが‘八品即ち本門法華宗の阻日隆ハ寛正五年出話八十一歳寂﹀で三千 帖の述作中、﹁四帖紗﹂四巻﹁私新紗﹂十三巻等に見ゆる、所謂易行観心設がそれである。﹁私新紗﹂第十には 一 念 三 千 の 止 観 修 行 は 智 者 善 人 の 行 儀 た る 故 に 、 未 代 営 時 の 非 = 所 行 − 。 高 租 出 世 の 本 意 は 事 行 の 一 一 一 千 ・ 口 唱 の 南O
経是也。日本因の在家の者には一向に南O
経と唱へさすぺし。名は必十自然に理具の体理に至る功徳ありと云へり。 口唱の営体は唯事行にして意業の止観は不レ寄 b思事也。故に知自営宗の本意は経王の議=他力二口唱題目計りにし て 、 一念三千の観門を不 L矯=正意−、患者多き世たれば一念三千の観門を不レ矯レ前と云へり。是れ蓮師出世の大綱 也。乃至逆縁は題目、順縁者三業相醸の三千理具翻心也。是れ傍正表裏の不同左るぺし。︵宗−全当 J m 叫 部 ︶ と述べて、正行は事行の妙O
経、助行は理具の三千観と事行理観を以て正助、傍正、表裏、顕密と判じ‘且つ宗祖一代 の弘通を身延前後の二十年と九年とに大別して、その弘通の前後を判歩るに題目、理観。折伏、罷受。逆縁、順縁。 化他、自行。要法、貴略。事、理。身口、意業、等十二僚に分って越ペて居るが、要するに事正理傍の事理並行に立 ち‘末法は逆縁下種の時なる故に、唱題の事行を修して任運に理体と詮得すと注し、﹁本掌紗﹂の舎理師事樺相とは逝 に合事師理白轄をなし理体事用の揮を−なしたのである。併し乍ら﹁四帖紗﹂第四には本門の観心を説いて 末代相臆本門翻心者.観心本掌抄翻心是也、此観心者如=天台止観−非=自力観二唯是経力信力翻心也。︵刊行本店J
と謹べ、更に﹃天台の止観は始畳の観心.営宗の信心は本門信行﹄︵向上信J
と判ヒ‘﹃此信者以二念信心二南O
経唱 即 本 魔 親 心 也 ﹄ ︵ 向 上 回 口 ﹀ ﹃ 日 蓮 所 立 本 門 宗 易 行 翻 心 者 唯 是 信 心 也 ﹄ ︵ 向 上 一 一 。 ﹀ 等 と 信 心 を 以 て 末 法 の 易 行 観 心 と な し、事行の唱題を正行、理観を助行と述べつ L 、理勝事劣、理本事末で事行の唱題は全く理親を成就する所以の信心 に依る易行規心の舎事師理の事行唱題読に外ならぬのである。とれ恐らく﹁問答紗﹂の上根理問下根信心と同義とい はんより﹁十章抄﹂の智者解行、在家唱題の文意に依る事理の判で、隆師は一向唱題の事行を以て、末法に於ける在 家一同の易行翻心となし、とれを三秘の妙行とし、妙解の事観を天ム口の理観と一同視した事理不封の末法解行観と見 るべきである。此の点より見れば日建等の妙解事観詮入設に 1 封し一歩退歩せる観がある。併し乍ら信唱の事行を以て 木畳翻心即ち事観の妙行と強調した点は注意すべきである。 更 に 同 時 代 の 陳 門 即 ち 本 成 寺 仮 の 待 従 日 現 ︵ 永 正 十 年 生 ∼ 一 訓 五 十 六 歳 寂 ︶ は 、 ﹁ 本 述 高 償 義 曾 樺 抜 書 ﹂ に 矢 張 ﹁ 十 章 紗 ﹂ に以て、出家智者と在家患者を分つ文となし 譜 代 信 者 等 一 向 不 レ 排 ニ 是 非 一 者 、 既 従 = 往 古 二 へ = 本 門 正 路 一 致 = 信 心 − 故 、 任 蓮 可 = 成 伸 一 也 。 ︵ 宗 全 花 一 一
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と判やるも以上の諸師と粗ぼ同・義 E C 解すべきである。又明障の頃︵出品?︶頂妙寺玉日院に居って﹁木等抄宏記﹂︵﹁勝 蒙 ﹂ 一 六 六 所 引 ﹁ 古 抄 ﹂ 訓3
を出した日宏の、事視は天台六識理観より一重超過すとなし 末 法 臨 時 行 者 起 不 起 不 = 取 ム 口 一 、 只 事 行 南O
経を唱れば貴賎傘卑共に即身成伸で.下種を得る鹿が即営家の立行是観 心 云 也 。 故 に 虞 宣 流 布 と 云 も 題 目 の 五 字 を 弘 む る ま で 也 。 ︵ ﹁ 昏 蒙 ﹂ 二 ハ ム ハ 所 引 ﹀ 百r ,越ぷるに依れば、亦前の諸師と同義と見るべきである。土地の諸師の解には多少一左右の別はないではないが大体に 於て事行分離の読といふべきである。 本 門 事 華E 史本 Fヲ 事 叡 史 三 四 三 、 事 理 不 の 事 組 詑 以上の諸説の中にも隆師の如きは‘理体乞以て事行の蹄紡と見た様であるが、同時代に於ける一致振の諸師は、本 述事理不二の上に一設を主張した故に、事視をも同様に不一一の上に説いたのである。先づ此の読の先駆と見るべきは 宗岨の再来と稀せられた、身延十一世行墜日朝︵川底九年出芯七十七歳寂︶である。﹁木傘抄見聞 L 第八の﹃事行の南
O
経﹄の下に於て‘天台の止視は越両本裏の瑚湖、要法の題目は本門書量の所詮’そなし、﹁立正問砂﹂に依り南岳天台 も霊山の内詮は今と同であるが、像法の時なれば止視と名を替へて弘通すと箆し、﹁顕本紗﹂︵治病紗︶に依てとれを事 理二視に分ち 然則天台宗以=誼門理一念三千\本控不二法体巴心所行法門と成也。事一念三千者妙法五字末法相障の修行なるぺ し 。 此 御 抄 は 題 名 よ り 以 = 五 宇 一 得 ニ 観 心 一 。 ︵ ﹁ 木 等 紗 見 聞 ﹂ ・ ︷ 一 不 全 二 一 一 年 ︶ と本建不二の上の事理二視となし、更に三業の上に就て理観は意業、事行唱題は口業と事理を判じ、口唱の事行を以 て如詑修行の行となし。叉﹁三秘紗﹂に依て題目に事理を分ち﹃事行と云ふに二意可レ有し之殿、口業の透と化他の謹 な る べ し ﹄ ︵ 同 上 回J
と口業化他を以て事行の内容とするが、合営共に本述不二の内設と談やるは、恐らく一致設に立 つ矯めである。延山上古三塁の他の意倖二師等も粗ぽ同義と解すべきである。 叉同時代に弘粧品寸日健.立本寺日蹄‘妙顕寺日能等と共に京都に御堂百を講じ︵﹁健紗考﹂宗金本下巻初参照︶﹁御堂司 紗﹂二十五巻を残した中山門流の常寂日耀︵大永二年包店八十一歳寂︶は、永正十七年の﹁本傘紗見聞﹂︵二容﹁御堂百 抄﹂第八所牧、奥書の大永七年は後博寓の時の加筆か︶に依れば、﹁治病紗﹂に依て台営の翻心と本語事理、像末、睡 折 等 ︵ ﹁ 御 堂 同 紗 ﹂ 八 同 宗 会 サ ︶ の 別 と 判 じ て 後天 台 は 控 化 後 身 な れ ば 此 分 約 レ 理 約 レ 如 、 談 − − 不 思 議 不 可 得 法 体 司 、 日 疋 一
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−観不思議境−、妙禦結成理観消理画。営家本 化意約レ事約レ相談レ之、去聞彼迩門理観‘日疋本門事翻包。営家台家不二中事観正。是又明三千、色三千とも、事一 念 三 千 一 耳 也 。 ︵ 八 売 、 宗 全 日 J と述べて‘営家の事観 b L 以て事理不一一の中の事視といふが、とれ師の﹁本語一致封論用紗﹂の不一二致設と合致する 不二の事制設と見るぺきである。その後約五十年日昭門流の本国寺日栖︵天正十一年トむ豆八十三歳寂︶はその著﹁本 遮問答紗﹂に矢張﹁治病紗﹂に依て台営を本遮事理に分ち、末法の事観を唱題の義となし 本 化 は 五 字 を 持 て の 上 の 謹 門 な れ ば 、 本 越 共 に 成 伸 也 。 ︿ ﹁ 啓 蒙 ﹂ 一 三 二 三 一 所 引 ﹀ と判じて、矢張本控不二の上の五宇と躍して居る。若し同じく不二の上に立って慧の事翻に封して信唱事行の設をな したのが、本隆寺祇即ち本門法華宗の組承慧日修︿文藤三年包諸六十三歳寂︶である。師は﹁民流正偉抄﹂九巻を出 し‘更に﹁宗要活套築﹂に於て﹁治病抄﹂に依て、昔越本の翻心を以てとれを法行規と名づけ、之を﹃彼は理也﹄と 判 ・ ? と ・ な し 、 , 弐 に 理 者 逃 門 十 如 理 母 レ 本 、 本 門 上 迄 一 疋 レ 理 者 、 河 一 喝 = 遮 門 十 如 一 借 地 一 疋 = 理 三 千 − 也 。 扱 本 門 意 此 三 千 理 令 = 理 極 事 控 二 事 瑚 不 二中本門事顕本正意故、成=事三千三牛門上翻心也。是蓮師轄下天台倖散時現也、今日蓮時事也、 彼 述 門 一 念 三 千 . 是本門一念三千天地造妹也上。此上営流意向口停事有レ之。言=事三千−者本門事行迄翻心引材併行也。然観行五日間位 中 第 二 品 己 下 、 事 三 千 行 者 也 如 = 分 別 日 間 一 。 乃 至 末 法 営 時 云 = 予 門 弟 順 紘 一 時 、 共 事 三 千 向 不 = 相 出 一 故 、 円 正 牧 = 総 名 妙 法 ↓ 口 ハ 一 向 令 L 唱 = 妙 法 一 、 日 蓮 一 門 弘 通 也 。 是 蓮 帥 判 下 一 念 三 千 如 意 珠 裏 = 妙 法 五 字 袋 一 、 令 レ 懸 巾 末 法 幼 稚 頭 上 。 一 ’ 念 一 ニ 千如意珠者事三千事也。然此事三千向智者分費、智者解行故末法幼稚我等不=相催、是判=以レ信代t
慧。信者末法 本 門 事 視 史 一 五本 門 事 観 史 一 一 六 幼稚妙法口唱事也。慧者事三千事也随分義也可レ信云々。以ニ此信行制一捨=官向上視一陣二信心一弘、末代下種翻心理 得 意 也 。 ︵ ︷ 一 不 全 立 引 き ム﹂趨ぺ、但信口唱は事行、本門事頴本たる事の三千視は慧の事視なるも、これ末法不相躍の行なる故に、穂名の丘学 を口唱せしむるを末法一同の事行と判じたのである。かくの如く本門事期本の妙解を事硯、妙行を事行と.なすことは 匂皐勧奨の安一判に一致するものであるが、今は﹃事理不二中本門事顕本﹄といへば、とれは本門の顕本をも誼理と同 やる故に、今は本門顕本の事の三千を事硯といふではなく、掛一門理中の事を以て不二本門の事視の慧と・なしたるもの で、随って今の事の三千とは畢寛天台理視に外ならぬのである。故に今の詑も事理不二の天台理械に封して、唱題を 事行とする事行分離設に外左らぬ。 更に同時代にあって事理並用の事行分離設をなしたのは一致誠に属する諸師の解である。即ち堺の三光無師舎の舎 下より山川でたる身延二十世一如日重︵元和九年ヒ主七十五歳寂︶の﹁思案記﹂二十四巻に見るに、第一容には﹁問答紗﹂ の﹃上根観法﹄、﹁唱題砂﹂の﹃共志有者習撃して﹄等の交に依り事理並用設をなし、第三巻には﹁治病紗﹂を引て 事理といへばとて一念三千に替る事は無也。唯観念様が不同なる計也。事の一念三千で観念が勝る L 故に、臨絡に 障碍が多からんほ
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に、用心せよと御救誠殊勝也。臨絡の際難を防がん秘術は唯南O
経 な る ぺ し 。 ︵ 三 七 ︶ と二観は﹃替るととなき﹄事理不二の一念三千となし且つ唱題を以て﹁修蹄寺決﹂の臨終の一念三千観と轄するに至 つては、全く敬光の﹁山家墜則﹂に﹃修蹄寺の相偉によりて、日蓮の一一概も分祇せりと見ゆ﹄へ﹁回交東方併殺叢書﹂ 時 培 部 ︶ といへると問ぷ所はない。叉師に弐で同一義を唱へたのは、恐らく小間正法寺の慈眼目慧︵元藤十二年綜立六 十八歳寂﹀である。師はその著﹁本隼抄慧抄﹂︵﹁啓蒙﹂二ハ三所引︶に台営の十異を分ち‘天台一は遮門六識理具の三千、営家は本門九識事共の三千、 唱題の事行を以て立行となすも、 勤もすれば﹃二門難思の一部﹄﹃本語一念の受茶 羅﹄等の設ハ向上一ちをなすに至つては以て知るべきである。以上の如き諸師を以て、且く事理不二の上に立つ事行 分離の誌となすのである。 三 、 事 理 分 離 の 事 観 設 叉同時にるって若し機棋に就ては或は上下利鈍の説をなすも、理観に封して事行を以て正しく末法一同の妙行とな し、且つ理視に封して、妙解事視を立てたのは次の諸帥である。即ち重帥と何時代の先輩に京都立本寺に救蔵日生︵文 椋 四 年 民 主 四 十 三 歳 寂 ︶ あ り 、 ﹁ 啓 蒙 ﹂ 二 七 所 引 の ﹁ 敬 誠 の 書 札 ﹂ ︵ ﹁ 章 疏 目 録 ﹂ 九 三 一 に ﹁ 典 佐 屋 常 光 書 ﹂ ? ︶ に は 、 先 づ ﹁ 持 法 華 問 答 抄 ﹂ の 御 文 一 マ 一 日 未 代 に 二 機 有 り 、 上 棋 は 可 ニ 観 念 一 、 下 根 は 信 心 と 被 し 立 様 供 。 此 の 観 念 と 一 五 は 戒 定 慧 の三皐整束して各行する事にて候。さて﹁四信五品抄﹂の心は一重引下して.戒定二法を制止して慧の一分を専に すと遊して、慧計を定め夫より下したる機には、慧も不レ堪間以レ信代レ慧被レ遊候。日疋は打同ける屈は末法にも、二 機有様に候へ
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も、高血の御意は上機無し、只下機計りと思召し定められたる様に畳候。諸御堂日可レ有=御覧↓候。 ︵ ﹁ 砕 蒙 ﹂ 二 七 芸 、 二 九 三 一 所 引 ︶ と述べて﹁問答抄﹂には上下二機を分つも﹁五品抄﹂に依って、末法一同の下根と持されたととは諸御堂百に徴して明 かである o 故に理視に簡んで以信代芸の唱題の妙行たる事行を以て末法の行法としたのである。此に始めて末法の妙 行の確立を見たのであるが‘とれ全く﹁報思抄﹂に所詣﹃有知日無智一同の妙行﹄とせる躍に合致するものである。斯 の如く事行を以て末法一同の妙行となすに封しては‘重師の如く上根理硯北ハ許説に立ちて、正しく理視に封して別に 本 門 事 観 史 七本 r~ 事 現 史 二八 妙鮮事制を立てたのは.重仰に弐で延山の法灯を共いだ、鷹峰談林の組寂即日乾︵寛永十二年生自七十五歳寂︶の﹁宗 円綱格﹂の事問説である。即ち同書は末法の上根に現視を許し、円以後の行者用心に於て 常 仰 ニ 例 詑 一 唯 信 ニ 山 河 太 地 自 他 親 疎 一 皆 H U 妙 法 而 非 一 − 他 物 一 、 起 店 勤 時 恒 川 町 一 一 妙 題 二 閥 下 乗 ニ 此 功 力 ↓ 自 他 共 到 中 寂 光 L 川 、 日 疋 最初心者の用心也。︵二五