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ドキュメント内 棲神 第貳拾五號 (ページ 118-134)

次に本門戒壇は報恩紗等の諸御主同には口ハ名目を架げて内容を秘したまふ︑ただ御入減の前年弘安川年四月八日太町

AR吾殿に封する教舎のみに務一一日的に其要領を明して委細は秘してゐられる︒

戒壊とは王法伸法に其し︑伸法王法に

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王臣一向に本門の三大脳特の法を持ちて︑有徳王由党徳比丘の共放仔

を末法濁思の未来に移さん時︑救宣蛙に御敬脊を巾下して盛山洋土に似たらん最勝の地を零ねて戒壇を建立すべき

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脚本宗の受師鑑師︑日蓮宗の問控師等は三秘紗備作論者で王伸具合事情況建立を一笑に附するのであるが︑

既に三秘は宗祖の確設である以上︑如何に事未来に属する法円であっても︑名目のみで一向に内容を明されざる持は

たい︑御門弟なぞには弘安阿年を待たやして在島中既に語られたと想像する︒何となれば戒壇は既に小乗椛大衆註門

の戒壇が印度支那日本に建設せられてゐるから︑それ以上の使命と椛成を持する本門の宗教にそれが無用である舎は

たい︒よって私は三耐紗のあるととを幸とし之を亘書と信ぜんとするものである口そして本等は成伸の大事のための

信仰の釘象であり︑題臼は信仰それ自身であり︑戒壇は信仰木曾のん一京佐の閤結力と敬化カにょうて将来に官現すべき

一大理想境であると信守る︒

そして共の建立せらるべき時機は︑王法即も闘王を首脳とする闘民の思想が伸法の民理に一致するやうにたり︑俳

法の真理が世間の諸の法と冥

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するやうになり︑結局上は閤王より下は庶民に至るまで三大秘法の妙宗の信者となら

れた時に︑長れ多くも園王の軟宣の下に建立せらるL闘教的一大道場であるのである︒王帥.具合王伸一一来といっても

直ちに王法が共催働法といふのではない︒僻法は能化︑王法は所化である︒

そして共の場所の最勝の地とは大日本であるととは紳問主御堂円で察せられるが︑日本の中では仰れかといふと凸口問

士山説宮士山大石寺説︑富士山北山本門寺設と身延山読とがある︒私も一時間中知H皐氏に依り宮士山誌を採ったと

とがあるが.後に富士山は休火山でありと聞き︑叉大正年間登山して宮地を見分し山としては最肱なるも︑謀︑壇の

場所としては不誼営なるととを認めた︒然らば何所かといふと宗祖棲一紳の霊山身延ではなからうかと考へる︒

宗祖延山隠棲については事者種々の設を話すが︑私見にては近く新宗敬の中心締本山創立のためであり︑遠くは本

門戒昭一建立の潟であらろと拝察する︒弟子の教育のため︑聖黙然の化導のため等といふ如きは一義に過ぎないであら

ろ︒一二度諌めて容れられざれば山林に逃るとは一陣営面の理由に過ぎないととは勿論である︒

︑ 成 備 観 に 於 け る 安 心

本宗の所期︑三日脚の目的は人に約すれば即身成伸で︑闘に約すれば婆婆即寂光であるo

所信の本傘は唯一なるも︑能信の人の因行に利鈍上下等あるが故に即身成怖の結果も一ならない︑所前五品の階級

六即

J弐位位一寸がある往て分別功徳品と法師品と書量品御義と得受功徳法門紗等を往て見ょ︒婆婆即寂光亦準知すべ

きである︒但し末代の通機としては︑初随喜品の成伸︑名字即の成帥多数を山め.名字即単信無解の成俳より出琵せ

ねばならぬも︑決してそれで行止りではない︑視行却乃辛一究究即の大泉を矧せねばならぬ︒名字即の成仰は成仰の起

点にして妙完の成併は共の絡貼である︒故に三世諸帥総拘文妙にも﹁名字即より即身成仰す﹂とありて﹁名字即に限

る﹂とは無い︒故

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一日等能化を以て任じ向上進歩を期するものは︑少くとも初一二二品の小成に甘んぜやして後二日間の

大成に匙まねばならぬo組側大聖人は五日徒法来日蓮の徒の最高間範の行芥である然るに名字の日蓮︑珂即の如き日

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一一

O 蓮 一 X

Kと巾されしは一往末代の通機に代つての謙都のみ︑決して聖人の民面目では危い︑型人の本領は下山紗の﹁糟

隼より大事の日蓮﹂︑撰時砂の﹁閤浮第一の聖人﹂・顕僻未来詑の﹁仰の如き聖人﹂︑本尊紗の﹁高貴の大菩薩﹂︑諌暁

八幡紗の﹁日の如き聖人﹂︑高年救護の本隼の﹁上行の化身﹂等と云へる方が宗祖の本領である︒

悌設を以て組師を見るに末代に於ける後心の正行六度の行者は宗祖以上の人は無い︒宗組は宮に受持に於て日本一

であると同時に讃諦に於ても解読書寝に於ても第一であった︒更に布施慈悲に於て︑持戒道徳に於て︑忍辱忍耐に於

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勇猛

精進

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一心開定に於て︑相官慧皐聞に於ても最話第一の行者であった︒﹁法華経の行者日蓮﹂

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して名字却の如き低般の信者を意味するものではない︒

更に

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A口する所に貰現し︑要婆即寂光は

更に本門戒壇の建立せられたるとき質現するであらう︒但し今は事の戒壇でいふ︑若し理の戒壇若くは一分の事壇は

本傘に針して正し︿題目を唱ふる所即是道場の意味で現はれる︒若し夫れ戒法には組戒と別戒あり︒組戒は信心にし

て︑別戒は開顕の三景浮戒等なり﹃護法救世妙蓮明鑑﹄等往て見ょ︒

以上組山製院文飽宇部員の依頼に鷹じ.主として畢院生を封象として︑宗畢上より観たる敬法︑宇宙︑人間行法

成仰の五項に於ける私の現在の領解と安心を略述して諸子の参考に供した︒本経組判の依交を引くに容なるは筆者寺

務に多忙にして共の飴裕たきが震と原稿に制限があるためである︒願くは私の敢極の拙著の外︑特に大崎製報第七十

八蹴所載の三皐六度進退論︑同七十九蹴の立五主義信解行詮賢略要概説︵本化行皐論︶を参照されたい︒但し本稿と

多少の相違ある点は︑改めて合通又は何れかを訂正せねばならぬ︒若夫れ宗門営両の問題たる﹁皇道僻敬行道合﹂の

教義信僚に封する批判は材料集り次第私見を何等かの方法によって殻表しゃう︒円昭和十四年十一月十日鳥取芳ゆ寺に貯t

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賞 践 哲 率 三 し て の

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念三千

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屋 貫 数

日蓮聖人が﹃事の︸念三千﹄として唱導せる鹿のものを.今蕊に﹃賞践折け曲学としての一念三千﹄と題して究明せんと

欲するものであるが先づ第一にその質践哲皐の意味を明にするの必要がある︒アリストテレスが哲皐を両分して理

論的部門と宜践的部門とのこつと・たして以来此匝別は今日向人Kの踏襲する所であるが︑その理論的部門とは智識の

問題であり存在の問題であり︑貰践的部門とは人生の問題であり慣値の問題である︒日蓮聖人は天台智者大師の摩詞

止観所立の一念三千の法門を理の一念三千と名け.之と既別して自の所立を事の一念三千と名けられたのでるるが︑

その事の一念三千の中心生命は質践であり︑天台大師の理の一念三千を世曾的に宜現して︑いはど人生問題の解窓口と

するととに依って初めて事の一念三千と呼ばれたのであるから︑之を質践哲撃と名くるに於て敢て安営たらやとはい

へない︒勿論それが箆めに天台大師の一念三千を理論哲撃として片付けるわけでは友い︒唯雨者を比較するとき賓践

哲畠・は事の一念三千に冠せらるべきであるとするものである︒

一念三千の法門は.天台大帥が五十七歳の夏荊州の玉泉寺で摩詞止観を講じその第五径の直観章に至って初めて

明にされたもの︑所前大師の己心中所行法門といはるL所のものである︒共本櫨とは︑

貨践哲血中としての一念三千

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H疋縦︒若心一時合二切法一者此即日疋抗︒縦亦不可︒同帆亦不可︒祇心

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一切法是心︒故非ι縦非L

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止観にあっては︑十境を立てL閣法の封象となし︑その各々について能視の法として十一来観法を用ゐて修行才る︒硯

不思議境といふのは十乗組法の第一に位するもので︑凡ての観法の根本となるものである︒十境の内初めの陰収入と

は五日人現時の法であるが︑その五陰十二入十八回作向寅くして観境に趨しない︒それでその内の五陰を取り︑五陰の中

更に飴の四陰を措いて識陰を取る︒識陰とは心法であるから観念論的立場であると見て差支ない︒但し問洋背壌に在

つては論理的思惟がその方法であり︑伸敢にあっては詮悟をその日標とする︒そこで現前の一念の心性を取って︑所

視の境となし︑との心三千を具して不思議なり︑玄妙深絶識の識る所にあらや言の言ふ所にあらやと視やる︒是即ち

一念

三千

の観

法で

ある

法華経を以てその生命とせられた日蓮聖人は.先師として最も多く天台大師に傾倒せられた人であった︒聖人がそ

の同日紗に於て﹃されば日蓮が法華経の智解は天台侍救には千寓が一分も及ぶ事なけれ

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も︑難を

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び慈悲のすぐれ

たる事は弘がそれをもいだきぬぺし﹄︵縮刷遺文七七二︶といひ︑共遺文到る麗に天台倖救の雨大師を稿揚し︑法華宗

内詮伸法血脈︵同九二三﹀には外相承として天台大師を高岨となし顕悌未来記には﹃天台大師信=順樟迦一︑切一一法華

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