本仲峰︑順縁熟股の本隼であるc若し敬に約せば高世不易の本傘︑一切法界普遍安営の本傘である︒芳し叉伸叉は人に
約せば木伸心又は本伸自体でるり︒若し法に約せぽ根本法︑
一切
経の
心髄
︑
一部八巻の師趣である︒若し借に約せば
本化日蓮聖人其他聖哲の精神である︒尚是観之に南無妙法蓮華経木曾は一往は法本隼のやろだが阿佐は瓦玄具足の本
簿︑人法一体の本隼︑三賢一体の本隼である︒而して再々往は五玄では韓玄義︑人法では人︑三買にては伸賓を在意
とすぺきか︑何とたれば熱烈なる信心の封象たる本傘は大慈悲大智慧大神力主師親三倍の人格的本仰が尤も力強くあ
るか
らで
ある
︒
日蓮聖人の宗義に於て三大秘法は本化別一聞の宗要と稽せらるL
が︑
第一
の本
門本
傘は
報恩
紗三
大秘
法紗
とも
需品
事一
品
の教主樫算になってゐるのは此の重ではあるまいか︒
更に一義あり︑伸・法一休中︑間目紗︑三大秘法紗︑法華取要紗︑問主口薩浩立砂︑位一ザは怖を表として法を合ませ.
木伸尋問答紗︑日女御書︑大量茶雑等は法を表として悌を含ませられたものか︒更に一義あり︑帥滅後二千二百二
十飴年叉は三十齢年一闇市提の内未曾有の大受茶羅の表面を拝するに中心隼又は最高統括仲牲として中央に南無妙法蓮
華経と大書してある︑そして此絶封本隼体内の諸隼として十界の聖者が羅列してある中︑常に共の最上席に位するも
のは南無稽迦牟尼伸と定まってゐる最上首は共の界を代表するもの︑よって中央隼の題目か櫓の本円本写︑絶封的
本隼たるに封して︑本品抑樺隼は別の本門木等︑相封的本寧と分別する義である︒
更に大憂茶羅式と一掌四士去の交渉如何といふ氏︑二種一体の義に約せば
一一
等即
題円
であ
ると
同時
に樫
迦多
賓等
の伸界を合み︑四士を以て九回作隼を揺する︑二種は相具体同と拝せらる︒若し二種異休とせば.一律問士は第二義的
で.此の式には線写の意義が顕はれや︑伸界と九界と別傘のみの本等式と見るより外はない︒
向私見によれば営家の本第は大量茶羅で十分であるのに︑何故に別に一一第四士の形像式を立てられたるかといふと
文字塁陀羅では園語を異にする外人や小児たぞには認識されがたく信じられ難い︑よって誰人が見てもすぐ信敬せら
れ得る形像式を立てられたのではあるまいか︒例せば新聞雑誌書籍等の説明には文字で可なるも誼貨に檎室闘を挟むこ
とが請者を喜ばせるやうなものである︒
要するに法華経の本傘︑日蓮聖人の本骨争︑吾宗の本掌は南無妙法蓮華経を第一義の本尊とするととは動かぬ所と信
ヒ︑之に封して金剛の信仰献身的の信心を捧ぐるととが肝要であるoさて第二義の本隼としては勿論教主樺掌又は法
華経一部であらねばならで更に第三の本隼としては能弘の大導師宗組日蓮大聖人であらねばならや︒更に営分︐
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の本曾としては︑天体にては大日天子︑地上にては
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︑日本園紳としては天照大紳︑本宗の聖廟では岨廟︑本宗の
寺院では身延山︑府職市町村にては知事︑市長.宗門では管長︑ヰ寸では住職︑一家にては主人が本傘である等の義成
立し︑更に諸法融通の翻心に約せば五大本等︑法界本傘︑一樹衆生本隼己心本掌.自己本第等無量の本曾義が成立
するが宗敬宗旨の本等としては法に約すれば南無妙法蓮華経本隼.人に約すれば久遠質成禅迦牟尼悌本隼であっ
て共の様式は南無妙法蓮華経十界勧請式で表現するのが安営であると信やる︒而して他は悉く傍隼末隼といはねばな
らない︒然るに古来の日蓮本悌本隼義︑近時の
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義等は不相停の僻見であるととは勿論である︒
さて大長茶雑本隼に十界具足庚式と諸隼省略式と一遍首題要式とがある︒とれは行皐朝師の合通せらるL如く庚式
は妙解の本隼︑略式は妙行の本傘︑要式は妙詮の本館となるであらう︒詮りの本隼としては一週首題に自ら諸傘具足
せば︑別に煩はしく之を形式に現す必要がなく︑悟遣の上根者にとりでは要の一遍首題にて可なりであらう︒行の本
傘としては︑共の模範者としての四聖及闘神等を要して提婆龍王等の諸隼は必十しも用としないであらろとれは中根
予 の 安 心
立 命
。
予 の 安 心
宝E 命
。
の行者に親しいであらう︒妙解の木等として中等の内容を解説し中央締隼と傍列別得とを分明にし︑別待十回作を委
細に表現するの必要あり︑とれは下根の信者に親しいであらう︑末代の最大多数は下機下根である︒宗祖及先師の本
舎が多分庚式を周ひてゐられる意趣荒し是であらう︒
向妙解十界の本骨与に封する観念については種々の観点あらんも︑要するに仰で中央の南無妙法蓮華経を擬脱しては
市侃⁝は五日等の熱烈なる至誠金剛の信心︑妙法は天地の精宗法界の紳露たる本併の全体︑蓮は本仰の川市裕︑華は本仰の
悶行︑経は不動の結語︒要するに南無妙法蓮華経即ち三世常住法界周遍の一大本併に一心師命せば之と一体不ごとな
りて即身成仰するととを得と確信する︒弐に南無稽迦牟尼伸︑市加盟⁝天照大榊︑日蓮の文字等を拝しては︑即ち生ける
悌.一脚︑大拍車人・なりと確信し.共の冥加を祈るとともに︑共の一大量格に一如して︑日に夜にとの生活をなし・叉聖
の如く一耽舎岡家世界人類の岱に霊力せぎるべからやと念じ︑それには正しき信心を増進して吏に行事の二遣を励むペ
しと思想を迩すのである︒
山川本付帯義には排・ヂペき多くの問題義門が残ってゐるが之を略し︑最後に勤諸に閲する要件を一言するに止めゃう︒
本傘は一紳聖にして犯すべからざるもので︑共の勤諸法は尤も正格︑巌粛︑清浮無垢であらねばならぬo然るに寺院
の本傘を見るに︑多くは中央の題目の形小に失し諸傘の勧請宜しきを得てゐ・添い︒十杭円余の俳壇に至りでは見るに忍び
ざる非法のものが多数であるc五日等は本等伸捜の改革を叫ばねば左らぬ︒
次に正しく信行について言へば︑本宗の信心とは南無妙法蓮華粧の本傘を信じて︑
EH
等の心身が妙法蓮華経に一致
合体せんと欲求する心理欣態をいふ︒既に言へる如く南無とは信心なり︑妙法とは木怖それ自身の全体・なり︑蓮は本
併の川市徳なり︑車は俳の因行なり︑経は常住不動を意味する︒故に五日等が一心強盛に南無妙法蓮華経の題目を心念日
唱して本傘の南無妙法蓮華経封し︑之と一致合体せば越に即島芳成仰するのである︑信心成伸受持成悌とは是である︒
受持信心は成仰の正因にして成伸は其の結果である︒
本経に行法冒として五種の修行︵受持・讃・諦・解説・書寝︶と十種供養︿華・杏・抹香・塗香・焼香・理路・幡益・
伎繋・衣服・合掌︶と三曲学︵戒・定・慧︶六度︵布施・持戒・忍辱・精進・一心・智慧︶等が設かれであるととは既
に一言した︒受持の一行は直接妙法蓮華経の木崎却を信念する行にして成併の正固なるが故に上根下根を捧ば歩︑初心
後心供に修せざるべからざるも︑讃諦乃烹三風一大度等は正因の信心を培養し助長するための傍縁に外ならぢれば共の
用不用は時機の宜しきに従はざるべからや
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叉初心下根は一部議諦向堪へざる所︑況や三皐六度等に於てをや︒今本
経分別功徳品に依って本門の行者の階級蛇に行法等を固示せば弐の如くである︒
予 の 安 心
立 命
。
予 の 安 心 立 命
題.
法 諸
目
︵解読書潟ヲ袋耳︶ I 受