旅と異文化体験
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(2) 3 9. である。中世において﹁登山﹂は確か にあり得なかったかもしれない。. いう形で存在し得るのは、それだけ の資力と時間に余裕のできた段階. で派手な水しぶきを上げて宙に舞 う 理由と同じに、あるいは、魚群が. いや、有史以前の人たちは持って いたのかもしれない。大魚が大海原. あるいはひょっとしたら、現代人が 忘れてしまった必要を古代人は 、. 一一. あったとしてもそれは﹁必要に迫ら れた山越え﹂だった。だからこそ. 大洋を周遊し 、 鳥が何千キロを渡る のと同じく、餌を取るだけでない、. 旅と異文化体験井本 荊二. 中世には、山越えの辛苦を述べ立て た 記録はたくさん残されていても、. そこには我われの知り得ない別の理 虫 があるのかもしれない。モンゴ. ロイドが べ| リング海峡を渡った 理 由は 、おそらく現代人には説明で. 例えば山の頂から眺めた風景の美し さを称えた記録はないと三口われる。 果たしてそ う 言い切れるだろうか。. ビショッ プは移動本能の理由のひと つむ ﹁好奇心﹂に求める。彼は. きないであろう。. ﹁特にヒト は、探索傾向を青少年期 の発展段階のみに留めず、その. ﹁ダーレンは ヒトだけが好奇心をも ち、探索する動機を持っと主張し. 動物行動学者 N. ビショッ プはこう 述べる。 一00 万年前に. ホモ・ ェレクトゥスから始まった 空 間的な広がり、未知の不毛の地域. 苦心があって、探索する動機をもつ 、というのが正しい﹂と続ける。. たが、これはローレンツも批判して いる誤りである。ヒトは極度に好. まま高齢の青年期にまで持続させる 唯一の種である。. への移動という衝動は 、他のどの 霊 長類の発達 更 にも見られない:﹂ だのではなかった。いや、そも. 重大な要素であろう。その好奇心の 発達の理由までは本論とは関係な. 好奇心はもちろん人間の頭脳の発達 から生まれた、人間を特徴付ける. ヒト は必ずしも温暖な地にだけ住ん. そも、気温何度を メ って人間にとっ て温暖とするかは、定まらないだ. い。とにかく人間は好奇心を発達さ せるべく進化したのである。 逆 向きの 移. つまり、どんなに古い文明化. ろ う。民族の移動を論ずる時に﹁ 温暖 な地を求めて﹂が決まり文句の よ う に言われるが、あまり根拠のあ ることとは思えない。. 文明化に﹁始まり﹂がないのと同様. にも、それ以前の文明化があった と 同様、旅にもスポーツにも始まり. 動も限りなくあった。人間は新しい 環境に適応するのである。適応し たならば、その変化以前の環境は自 分 には適さないことになる。人口. 文 開化に始まりの時点がないことの. 一環なのではないか。 旅や スポーツ がどのようにして始まったか、 何. ツに 始まりの時点がないことも、. はないのではないか。いや、この場 ムロ、﹁同様﹂ではなく、 旅や スポー 逃れる、だけは理由になるだろう. 増加による食料不足を移動の理由に 挙げるのも、はるか遠方への移動 は 必ずしも説明できない。外敵から カ. い Ⅹ @。. 中世の旅は﹁必要に迫られた﹂辛い ものだったかもしれない。なし. も近代と中世などと大仰な比較をす る 必要はない。. もちろん、始めから﹁ 旅﹂が人間の 本能だったのではあるまい。しか. で済ませたいものだったかもしれな い。それでも巡礼、それも現代の. 移動は人間の本能のひとつであった 。人間を衝き動かす衝動だった。 として存在した。移動せねばなら. ヨーロッパにとって遥かな エルサレ ムを目指すものも、中世の初期か. し少なくとも移動欲求は人間の本能. ない已むにやまれぬ事情がなくても 人 びとは移動した。いや、必要以. もあった。いかに信仰心とはいえ、 いや、巡礼によって免罪が得られ. る、騎士に列せられる、そういう 現 性的な目的があったにせ よ、それ. 上に移動し た 。 しかし、この場合の﹁必要﹂も現代社 会から見ての必要であるから、.
(3) 92. 。. る. ぅ. 放生意人. す. 王化. る. 感. 」. 異. 旅 と. H. 同一. 水. そ. を ろいん やで ぅ. 献若 、. 長 い. ま. ど は. に. の. に. 一. の. 洗誕. は. え. 脳途. し. だけではとても説明できない 、困難な 、 遥かな旅であった。しかし、. 完. ﹁信仰の篤い人﹂が巡礼を信 心のためだ けにせよとどんなに主張しよ. と. ぅ とも、旅には必ず物見遊山 、好奇心、 教養的な欲求が伴った。つま. 果の えか完が. り、聖地に詣でるだけでなく 、何かを見 てやろう、体験してやろう、. ぅ. だ. さらには、自分なりに解釈し てやろうと いう気持ちは人間の本能と言. 展発. ぅ べきもので、巡礼の旅から も排除する ことはできなかった。. 見発で. い え. 傍出. キ芋. 生 っ 罷. る. 日. ん ふ. 。. 倒. し 海. い留. こ. っ. 外ぃ 苔た な 」 と. を. く. 封知. らな く. 信じ. 言わ. ら れ. い. 、 ぃ. と. そ感 れず. 人 が 始 の. るにどだ ずれ 脳五 なた場の. 味. 生 の. 。 信 な る じ 信 で て ら. ね. る. 日. ろ は う. 「 味. って. じ ら. なれ. あ ろ. 噌. 3. 件. か る か を と だ 。 飲. は. も. 感人かで だ. は の. 、. う. は. 域. 名. 詞. い覚.
(4) 1 9. 旅と異文化体験井本 洞二 い う中には、あんな﹁ 純 日本的な感 覚 ﹂が外国人に分かるわけがな い. という気持ちと同時に、日本人とし ての自分にも、実にいろんな味噌 いろんな納豆の味があるとの 気持ちがある。中には自分でも嫌 い それほどに、味覚も﹁生まれ育っ. 汁、 な味噌汁、嫌いな納豆の味がある。. 環境にない外国人にそういう微妙 ちは、無意識のうちにも湧いてく. た 環境﹂に関わっているのだ。その な味覚の分かるはずがないとの気持. るであろう 。. たとえばドイツの日常料理に欠かせ ない﹁ザウアークラウト﹂︵ キャ ベツ の千切りの酢漬けのようなもの ︶を日本人が始めて食べて、美味. ﹁香料﹂は、まさにドイツ独自のものである。日本人のどんな﹁ グ. し いと 感ずるはずがない。酢の味な 5 日本人でも知っているが、独特 の. ルメ﹂つまり美食家でも、始めから それを感得できるとは思えない。. その証明に調査も統計も必要ないで 経験を積む う ちにやっと﹁匂い﹂. チーズ﹂はドイツ人にさえ当初は耐 えられない﹁匂い﹂とのことであ る。まさに﹁腐った﹂ような匂い。. う. に 失. 申. っ. 黙. とは別の﹁ 味 ﹂に魅せられるよ う になる。ついには、最初は耐えられ なかった匂いも、その味に大いに関達 していることを知るようになる。 一度その味を知れば、つまり自分の 感覚で味わうことができるよ う に. な を て. め捉はで. 固. と. なれば、間違いなくそのとりこにな る。それだけのことである。. ガ. ﹁文化以前﹂の例を挙げよう。人間は ﹁ 茸 ﹂も重要な食料としてき. ち 」. た。これは地球上のほぼ全域に言え る よ う である。ところが茸には 人 間 にとって毒を持つものがある。 それを現在、我われが実際に自分の. 目で見て、さらに、たとえば植物群 興で見て、その多くが﹁けばけば. け. がそ徴れて. ヴ. う. 動ろ. ィ. 。. っ. しく﹂見える。理由はまったく分か らないが、何故かけばけばし いの だ。つまり、自分の視覚にとって ネガティヴに刺激的なのだ。これは. ネ. よ. 物た ネ、 な責 れと たい 科て果. ぅ. は. も. 析. そ. 万丈. や毒をたの. と. かい. る. 受. し ね. か知は. あ. 度. し. が感だ色. つ. そ. 識名 と. ュなて 。 かにあ にる l いでも 以 な ろ も 。 で 、. はた. ど. ろ に 間 と. を命 拷問. @@ 「 ユT ノ. 四.
(5) 0. 9. ホ. ス ト. 旅. は. う. た. 験め 経. 験 金 に っ. 言もでた 験ホ を 」 よ た例 わ の き 精 を l し の っ な え れでた一 話ムた 何て ら ば. る. い. 。. と. も え し ま は い 見て の な て っそ青 だ え は. た. 二. 「. あ. こ. 要. ぅ. 7l. レし. 井. @. つ. いが. た. 。 私. ば 経 分 、 験. し. 体ス. 目. に」. く. え. め た レ ま て r i り 「 料ジ. つ. ". 経会の. そ験. 」. 一. よ. っ 遭. ぅ. て. と. 、 大. 絶を素 付木精. っ. はた. に め. し " 人 た 例 は. ぐむ の 」. の 角. 、 え. 口. 国だ 精をそばを の け 一 住. し. て、. 処に. 回. 与確イ. 」. な. っ. しく. て た え か ト も 。 ら に で. 体. 、. 持. ち あ. ほ. っ. ノノ Ⅰ. 外. る. 国. る. は. 自. 。. て. ら. そ. さ. が. 三 遅 、. しれ る. 自 も. い. それ 体 貯の. た. け. 験. ば. ぅ. あ. で味べ味 確かそ. 経料 人あ. な発 びの. い験 あ と や る ぃ 体で. な. る. レ Ⅱ. ネ、. ず け ね っ こ も ろ け れ を て た と 始 う ば か 美食 く を め 。 し. 。. 高役文句何人台. た あ の. か部 る は の公 、 いだ 始ま. を恵. れ払 町家 な っ ぶ庭 で. ろ. な. 金 |. し. 代 介冑 ま え が 高れ ら 「 に た. ア っ. 外 だと二二ロ「 杯. の. と. て. 側. ・. ま. く. し. あ. し. た わ 認、. な. く. な. 恵. し通. る. た. 、. ガ テ. イ. ら. れ な. ヴ に. ろ. は に. 精験. く. はれれだて. 。 に し ィ可. 一 -. 国週. 人 間 は. い. こ. ろ. れ. と. ム. 至. "" f そめつ 、せ持. Ⅰ. ま. れそ の. の. を 人. 持. と. つ. め. て す べ る て と を. い. 知. こ. っ. ね た ほ よ 五. ど っ, は な. 国気. に. だ. う. い さ. 永れ. に. を だ を. る. す. で. と. さ.
(6) 89. 人 の. なて. と. で. い. ど め か. な な. つ. 。 ん. は本あ 「 われ. つ. るの. 人は. ラン. 新聞. レ. 、. むい も. な類. レ、。 」、 0 @、 レー. レ. れるでき. に言の と. 日. く. 分. ら. で も ど ノ. こ の 国. Ⅰ 刀 し. も. ん っ る. い っ. い. は は う 「 大 な ンイ. も. 間切. 人来 に が. 。 介 す. ど. が. よ る. 本数. か に り. ぅ. た前. し. 力. ら. 端. 限盛 た に. 「いん. た国での っ にはこ. 齢に も」. い大. 、 を お. ほ で で ら. ほ. で. 同一日. 合 で な で に あ い も. と. 、 わ も. そ 入 れ. 井 本 き. も. と. 場. 旅. わ 聞 叫 し る と. を. 外に 、 立. 際 こ. で 要 な た な ろ. 別人 て た 力 国. で個人に あ. そ控 る. 異 文. と. ィヒ. 体 験. ユ " / Ⅹ" ."@. ということである。だから、自分た ちで自分たち全体にレッテルを っ. もしれない。とりあえずレッテル. けることはめったにしない。しかし 、外国人についてレッテルを貼り. たくなるのは、﹁知る喜び﹂の表れか. を貼ることで、その国、その人たち を知ったと安心したくなるのでは ないか。. は 力 ルピニ ム. 古今東西、旅行記はたくさん存在し た。女装三蔵、マルコポーロ、. イブン・バットゥー タ だけでなく、 オドリコ、ルブルク、. ど地球的規模と言いたいほどの人脈 付記もあり、その多くが日本語に. も翻訳されている。コロンブスの 日 記はまだしも、距離から言えば 海. 路 が大部分であり、人間の住む地域 の ﹁踏破﹂という意味ではさした. るものではない。もちろん﹁距離﹂ だ けに意味があるわけではないが。. キリスト教修道士の旅の記録のすさ まじさはある意味で驚異的であ. る。日記、それよりはるかに多い 修 追金﹁木部﹂への報告。いったい. 何をしていたのだろう、本当に伝道 だけをしていたのだろうか、記録. する時間の方が長かったのではない かとさえ思える。伝導の旅は記録. してこそ、報告してこそ、それが 誰 かに読まれて評価されてこそ始め. て意味を持ったのではないか。記録 されない旅は無意味であった。 イ. グナ ティウス・ デ ・ロヨラの日記、吐速藤同作 によ る 日沈黙口を読んで、. そ う慨嘆せざるを得ない。記録され たからこそ後世の我々がその﹁ 一. 端﹂を知り得たことはもちろん間遠 いないが。. 大旅行記だけでなく、紀行文学も数 ぬれずある。日本の中世ともい. ぅ べき時期の﹁土佐日記﹂もあれば 、ドイツのゲーテは有名な﹁ ロ|. マ紀行﹂を残している。いずれも 広 い意味での旅行記であろう。旅で. の自らの経験を記録したものである 。その土地土地での自らの客観的. な行動だけでなく、自分にとっての ﹁初体験﹂をそれまでの自分の知. 外.
(7) 88. なり感覚なりと比較して、その違い を 書き記すことが多い。. そういう意味では、例えばルイス・フロイスの﹁日欧文化比較 は、 ェズス全土として一五六二年から 九 セ 年の死に至るまでの長期間、. 一0午滞. 本に滞在しての﹁文化比較﹂の記録 である。旅行記と滞在記の違い 詳細はまた別の機会に譲るとして、 ここでは先に述べた、. すれば、ある種、その国の人の観点 になるという契機を想起してお 一 も. たい。日本人が日本のすべてを知っているのではない。少なくとも、 本人の観点、日本人の考え方のすべ てを知っているのではない。 年滞在した外国人の方が知っている 日本もたくさんあるだろう。. ろん、どちらが﹁正しいか﹂ではな い。どちらも正しいのだ。あま. に当然のことではあるが、異文化体 験を論ずるときに、失念される. 外国人の見た印象記ではない、生活 の中での観察が綿々とっづられて いる。. 水. ヨーロッパは地続きでずっと 相争っ てきたから、いろんな民族が仲. くするのも喧嘩するのも始めから﹁ 国際的﹂だったと言われる。 そ. 言葉の裏には、日本のような島国で ないから、ヨーロッパ人はお 互. を知り尽くしていたとの前提がある 。果たしてそうであろうか。. F. ライヒェル ト はその﹁世界の体 験口 の中で、次のような考え方. 述べている。. 型のようなものがあった。それは、 自分たちのアイデンティティー. ﹁ヨーロッパの国民国家が形成されるずっと以前から、国民意識の. フロイスはほとんど箇条書きのよ う に ﹁日欧﹂文化の違いを具体的 る。 いや、その底に流れているのは ﹁判断﹂ではなく﹁描写﹂であ. 。日本人や日本文化を評価するのが フロイスの記録の目的ではなか た。日本はこういう点でヨーロッパ より劣っているという評価も皆. ・﹁われわれはすべてのもの. に近い。稀にあるとしても、それは ョーロッ。ハが日本より劣って い. という評価と対を成している。 例え. ついてのいく っかのステレオタイプ な イメージの寄せ集めと、よそ. 。それは部族や地域的な住民と対照 Ⅱを成していたが、民族全体、言. 的な共通性、実に﹁国民三こそを 敵 祝 するものでもあった。特に十. 軍、巡礼、大学はエスニックな偏見と ステレオタイプの﹁真の温床目. あることが明らかになった。 日く、 スペイン人は呑兵衛だ、イング. て大陸から伝わったとのこと。﹁ わ れわれの子供は始めに読むこと. 世紀に始まった慣習で、それまでは 手づかみ、日本の箸は古代にお. いて食べる。﹂訳注によると、 ョー ロ ッパ で フオークを用いるのは 一. な. れ頭. えているもの、例えば﹁日本人スポ |ツ 選手は国際試ムロでの本番に. ど、さらには、﹁自分たちのアイデ シティティー﹂として自分たちが. イギリス人は走る前に考える、フランス人は走ってから考える云々﹂ 「. ここでき 目ヒつ ﹁ワ ノテ ハレ イオタイプ﹂とはここに挙げられている以外に 、. ンド人は嘘つきで強欲 だ、ハンガリ 1人は粗野で未開だ。 ,﹂. い七円. う 井本. H. 同一. る。日本ではこれに反して大人も小児も決して怖れない﹂などなど、. 旅 と 異文化体験. い﹂とか﹁日本人は外国人に対して 自己主張ができない﹂とかも 入. 考 な. てよいだろう。そ う思っているのは 間違いなく﹁日本人﹂だけであ. セ. 、 後で読むことを学ぶ﹂、﹁われわれ の間では男も女も小児も夜を怖. 習い、その後で書くことを習 う。 日本の子供はまず書くことから 始. 手をつかって食べる。日本人は男も 女も、子供の時から二本の棒を. に 原. の. で手話た. 羅列している 2。人間を断定的に形 容 するような一般論は皆無 と言. 民族性の特徴と考えられている ものが創り出したものだっ. との多い 契 機 で あ る 。. 良. の. い. を. 識 イ 日. 在の き. 日. ち 0 り. こ. え に る. つ. 無 ろ. ね め を.
(8) 8. 7. っ が. し. と. け オ ま. 説. タ. る. る の の て. イ. 分ずそ. い フ 一. てだで. て. @. く. ンく. ぅ. ろの上. 異. 、 的. 怯も. ジ の 以ぅ. 「. る. そ. る. 0. , フ. 。. ヒ. 旅 と. ン. 国土」. に 井. @. 席. め意近 どの りと. 同じ. 言. がて. ク. 「. と. 特のでた. ど ァ 一. か で 「そ ら は 驚 ぅ. が て そ. 存湧. 成な 異ぃ往 る. い」. ぅ. し. く. 。. 「国人の 化 た設 l ッ ペ ン で 様 湿 そ」 ま 立 ロ 三 パイ ム お々 突梯にが 床 れがた さ ッっ内ンだ互な く. ぅ. し. う. し. い か. 現. 遊人々. で 」. あ ろ う. 。. つ集. ない はて. ず 無. だ如. と. ら 生. 、. き 言 を ま そ る と. こ. れパ 、. 目 に の. う う れの ョ お の イ た人 l い で ヒ は 学 ロ て. 「. での. の サ 「. 大国 学際 化. け い 民 で を 族. ン な如 か チ い り ら ャ 、 合成. ゴニ. 大. かきあ のむな問だ け. 象で. め. る. ラ. 、. ヨ.
(9) 86. ライヒェル ト が﹁ふつうなら何でも ない異文化体験﹂の例として. る フランス語もあれば、汚く発音 さ れるフランス語もあるだけのこと. である。. か. げている中にハ次のようなものがあ る。. 毒茸は﹁けばけばしい﹂と舌口った。 それは人間が毒茸を判別する 本. 否. フェリックス・フ ァブリの よ. Ⅰ: /. L. い る. ﹁ドイ ツ 語 が 問 題 に な り 得 る と は 、. 自. 見慣 れた﹂茸に比べてけばけばし い の 能 であったろ う 。﹁ふつり の﹂﹁. つ. な 世界旅行者が旅の途上で意識させ られたことである。彼はドイツ. である。﹁見た目の違 い﹂が自己防衛 に繋がったのだ。同じように、. て. は含蓄に富んでいて、概念的にも 簡 潔 だとして、それを誇りにして. 分の耳に慣れない発音は、あるいは イントネーションは時として﹁ 耳. 前. れゆえにこそ、また、有気音や. 月. た。しかし彼はまた、ドイッ語はそ. 障り﹂である。しかしここには、﹁ 毒 ﹂を見分ける 場 ムロのような﹁目的﹂. て. 重母音があるせいで野蛮だ 、非人 間的だと言われているのを耳に. はない。民族によって発音は異なる。だから、人間の言語である以上、. 口 つ. 十 @ ヒ 八 0﹂. 耳が 慣れてくればいつかは耳障りで なくなるし、それどころか、そこ. ら. ﹁有気音﹂とはドイツ語の国際発音 表 記で 示せば、 Xと釜で表さ. に美しささえ感じられるようになる だろう。. と. るものであろう。いささか趣きは 違 っても、中国語ならいくらでも. ﹁古典的な絵画﹂に対して、見るからに﹁けばけばしい絵画﹂があ. だ. 現する。いや、有気音と無気音は。へアで現われるほどに、ごくふつ. る。﹁見慣れぬ 目﹂にはまさにけ ば けば じく、反感さえ呼ぶ。しかし、. 理由は筆者には分からないが、その けばけばしい絵画が 、真に芸術作. 品 であるなら、いつかは美しく感じ られる よう になるのである。 けば. あった、それは、自分たちのアイ. と考えられているものが創り. ,か. の 発音であ る 。. C 大. けばしさに限らない、いわゆる 、時 代 により、様式により、次々に 新. つ. 石川啄木の歌を想起せざるを得ない. く. しい美しさが創造される中で、それ は旧来の美しさにとって、当初は. た. かなしきは小樽の町 よ 歌 う ことな き 人人の声の荒さよ. 発 立. 必ずや無視だけでな い 、違和感、反発 をメ って迎えられたはずである。. で あ. か 否か 、筆者には分からないし、判断. 美し. ライヒェル トが﹁ヨーロッパの国民 国家が形成されるずっと以前か. 見. 小樽の人 の 声 が ﹁ 荒 々 し い ﹂. 要 は. ら、国民意識の原型のようなものが. 偏 「. のしょうもない。しかし、判断はできなくても﹁想像﹂はっ く 。﹁そう. い. デンティティーについてのいくつか の ステレオタイプなイメージの 寄. ら. なのだろうな﹂と思わざるを得ない 。﹁小樽﹂について筆者が知って い. ぎ な. ぅ. れ. る何程のこともない。要は﹁そう 思 わせる﹂表現力である。. 過. せ 集めと、 ょその民族性の特徴. が. そもそも、国により土地により発音 の ﹁傾向﹂が違 う のに、それを. し. 出したものだった。﹂と言 う時 、それ でも、そういう﹁まやかしの民族. 三遅. 、. し Ⅰ. 性 ﹂を頭から否定しているわけでは ない。﹁世界の体験口を一貫して 流. と. ﹁野蛮﹂﹁非人間的﹂﹁荒々しい﹂と 評していったい何になるのだろう. 返. れている思想は、あくまでも個人に よる﹁体験﹂である。それは当然. な. あ. か。﹁エスニックな偏見﹂以外の何であろうか。他国の言語の発音傾向. %一 の 洞二. の. に 慣れぬ うちは、自分の母語の感覚 に合わないものが﹁耳障りな音﹂. の. し. 二. い語. なのである。最近こそあまり聞かれ なくなったが、かつて、フランス. 劣 等 感. ぅ. 出れ. 語 こそ世界で一番美しい発音である と、まさに、まことしやかに評論. の. する日本人が多かった。フランスの 文化に対する憧れが言わしめたも. そ. 放と異文化体験井本. で あ ろ ワ .F。.
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(11) 4. 8. 第. ツ. フ. かねばなら な い 。. ・. ﹁旅慣れている﹂とは、旅行の技術が 上手なことだけではあるまい。. ビ. 旅先でいっでも﹁できるだけ﹂何で も受け入れられる心身の持ち主の. / 、、 ぺ |、。. 圭三、 シ. 謂いである。異文化に対する五感の センサーの幅が広 いこと、そして. ﹁エディ プ ス の 謎 ﹂ 下 巻 、 セ 八 九. 著、井本・川原 訳、法政大学出版局. 洞二. ﹁ルイス・フロイス、日欧文化比較 ﹂、 日. 旅と異文化体験井本. 叢. I. 心は虚心坦懐でいられることであろ ぅ 。まさに至難の業である。. 1. こ. く. な 恨. ま. も. く. の旅. し. っ. かて. 、 「偏の場と体しい. そ. 分. ら. ば. の. こ. こ. 文. 」. 。 化. こ. を. し. の. こ. っ終間 れば. 。. ぅ. に. の. 、 は 距. 永見 「. え. 和 は 五 見. 心わ の. の. は大. ら 認、. 実. い. な は. 「. る. 準せ 識にな 備 な. いす 怪新. し た べ. し た. て ぬ お ほ. 」. かげな ら. 開. な様文具 が 化文蛤 は 化ま 異 終身を る い 々 。 な. 文験 近体」. 化. を 得. か 験 と ら す 言. 「 る. 始. を. る. っ. 。 ま の た. ,フ. ㌧". 毛 一. き九 Ⅰ. の ド. 0@. の 目. 0. 01。 ザ. z 。 ヴ Ⅱ 千. 。. ke o) 午、 お 第 g. 四. 目次. rt旧 に の. Ⅰ ず. の. @Ⅱ. オ帥. 日日 下臣. /. 臣 Ⅰ. 九 一. Ⅰ 枯ツ. ㎎。. 発行.
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ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配
であり、最終的にどのような被害に繋がるか(どのようなウイルスに追加で感染させられる
(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と
「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない
遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば
けることには問題はないであろう︒
2) ‘disorder’が「ordinary ではない / 不調 」を意味するのに対して、‘disability’には「able ではない」すなわち
筆記試験は与えられた課題に対して、時間 内に回答 しなければなりません。時間内に答 え を出すことは働 くことと 同様です。 だから分からな い問題は後回しでもいいので