H・ギーゼッケの「教育の終焉」論に関する研究
79
0
0
全文
(2) 目次. 序章 研究目的………………・・………・・………・……・…1. 1 問題意識……1 2 研究の目的……3. 註……5 第一章 ドイツでの『教育の終焉』までの教育学動向・…………6. 第一節80年代までの(西)ドイツでの教育学動向. 1 ドイツ教育学の4つの危機……6 2 教育終焉論の登揚……8. 第二節反教育学論争 1 反教育学の理論背景……9. 2 反教育学理論……g. 3 教育学側の対応……12 第三節80年代(西)ドイツにおけるポストモダン論議 1教育学とポストモダン・…・・14. 2 アカデミズム教育学におけるボルトモダン論議……14. 註……19 第二章 ギーゼッケの「教育の終焉」論・. ・・・・・・…. 第一節 「教育」の終焉. 1 ギーゼッケの「教育」……23. 2 5つのテーゼ……24 第二節 教育(学)化. 1子どもの教育(学)化……27 2子どもの教育(学)化が内包するもの… 3 社会の教育(学)化……30. 4 世代関係の解消……33 第三節 新しいチャンスとしての家庭・学校. … 27. @。一一・・23.
(3) 1小さな大人としての子ども……36 2新しい家族・・ 3新しい学校・・. ・…. @36. 一・・. R8. 註……41 第三章 ギーゼッケの「教育の終焉」論に対する批判と反 批判……………・…・・…・……………・…・・…45 第一節 日本の先行研究における批判. 1 「小さな大人メを前提とした教育的関係への批判……45 2活宇文化・教育(学)化・「子どもの子どもらしさ」からの別. れへの批判……46 3 学校論批判……47 第二節 ドイツにおける「教育の終焉」論への批判……48 第三節 新版の序に書かれた、批判に対する回答. 1 第一の批判……51. 2第二の批判……53 3第三の批判……54 註……δ8 終章. 「教育の終焉」論から示唆される教育関係……61. 註・。・・。・68. 付録……………・…・…・……………・・………………・69. 1 ギーゼッケの略歴……69 2 『教育の終焉』の琶次……70. 参考文献一覧………………・・…………・……・………71 謝辞………・………・…・………・……・…………・……75. 録.
(4) 序章 研究目的 1 問題意識 現代の学校教育の悶題の中で、大きく取り上げられているのは、学級崩壊ま たは、学校崩壊である。授業が始まっても、席に着かなかったり、授業申にも かかわらず突発的に歩き出したり、私語を注意されてもやめようとしないなど、 授業力減り立たない現状がある。その原因として、教師の力量不足などがある。. このような問題は、単にこれが原因だと定義できるような狭い悶題ではなく、. さまざまな諸原因が影響を及ぼしあっている。現代は、教育関係そのものが崩 壊しつつある状況にある。. 教育関係とは、入間関係の中で特に「教育的」という欝葉で形成される関係. のことである1。つまり、教育という言葉を、どのように定義するかによって その関係は変容するものである。この関係は、教師と生徒閣係に限らず、子ど もの成長・四達に関わる大人と子どもの人間関係についても当てはまる。また 「教育関係」の概念は、教師と生徒や親と子どものfタテ」の関係や兄弟や仲. 問関係といった「ヨ判の関係だけでなく、子どもと老入、子どもと動物、子 どもと異界などの「タテ・ヨ羅」の関係に入りきらない多元的な関係も視野に いれた研究がある2。. 学級崩壊のような教師と子どもの教育関係の崩壊は、社会一般の大人と子ど も関係にも生じていることである。例えば、公共の場を自分の持ち物のように 扱う子どもに対して大人が注意をしても聞く耳を持たず、時には、注意した大 人に対して反発し、暴力が生じることもある。 大人と子どもの世代関係の起源:は、近代をはるかにさかのぼるものである。. しかし、教育関係の成立は、近代において教育という概念の形成とともに考え られる.近代教育は、共嗣体の中での先行世代から次世代へ生活様式の文化伝 達が再生産するという循環的な関係が機能しなくなった背景から生じた。近代 社会において三人は共同体によって自らの生を決定されるのではなく、その能 力に応じて自己の祉会集団を選択できるようになり、共同体の文化伝達の代わ りに先行世代の意図的な働きかけが必要となった。. このような背景から生じた教育関係は、学級崩壊などの問題が取り上げられ. 1.
(5) る前までは、当たり前のように成立していた。学校、教室という空間に子ども は年齢別に詰め込まれていたが、なぜこのような問題が生じてこなかったので あろうか。いつの時代にも、授業の時間がつらいと感じる子どもは存在してい たであろう。しかし、そこで子どもの衝動を柳制していたものがあったからこ そ、子どもは「がまん」することができたのであろう。. 坂越は、その要因として社会が学校の意味を保障していたことをあげている 3。子どもが教室を逃げだしても、社会が学校と岡じ方向で「学校へ行きなさ い」ギ先生の言うことを聞きなさい」と規制していた。この大人の規制が機能し. ていたのは、学校で「がまん」することのメリットが子ども自身に見えていた からであり、また子どもの両親にも見えていたからであろう。学校で「がまん」. すれば、社会に出て成功できるという将来がある程度保証されていたかであろ う。しかし今や、社会の複雑化により価値:がさまざまな方向に多元化した現状. がある。そのような社会では、今このときを「がまん」したからといって、将 来の幸せが保証されるわけではない。子どもたちは、先行きの見えない将来よ: り、今を楽しんだほうがよいという現在志向が強くなってきている。. この社会の未来志向から現在志向への転換という観点から、ヘルマン・ギー ゼッケ(Gie8ecke,H.1935・)は『教育の終鷺遍く1985)の中で、「教育」の終焉. を提示し、薪たな大人と子どもの関係を提趨している。. 80年代初頭(西)ドイツでは、教育改革の挫折後、保守的な巻き返しと同時 に、教育にたいしてきわめて否定的な見方をとる「反教育学」をきっかけとし て、近代教育の終わりとそのパラダイム転換を要求する「教育の終焉」(広い意. 味での)が議論され始めた4。教育について「教育(Er雇ehu㎎)→人間形成 (:Bi輩面灘g)」という大きな流れがあった。そしてこの仮教育学」の論争は、. 80年代末まで行われたが、実際は解明をみないまま終息した。それは議論がそ の核心において分析的でなく、道徳的であったためだといわれている。結局、. 両者の調和はなく、どちらかに賛成するしがなかったことが解決しなかった原 霞と思われる。. そのような流れの中で、ギーゼッケは『教育の終焉』(1985)の中で教育全 般の終爲ではなく、近代教育の終焉を論じた。そしてその中で、伝統的な「教 育」(Er2虚ehu難9)と「子どもの子どもらしさ」〈Ki鼓dhchkeit偽8 Ki難des)か. 2.
(6) らの別れを提唱し、子どもを再び小さいけれども絶えず成長しつづける大人と して取り扱ったほうがよいと主張した5。. 教育の終焉というテーゼは大きな歴史的変動のなかにすでに折り込みずみで あるという「社会変動の客観的事態の確認」として現れたこと、また子ども期 に別れを告げることは、再び子どもの特権を失うこと以上でも以下でもない。. そしてそれが「家族と学校にとっての新たなチャンス」になるというギーゼッ ケの主張から、現今、大きく教育の問題が取り上げられているわが国にとって の、これからの学校・家庭での大人一子ども関係について考えるきっかけにな るのではないだろうか。. 2 研究の昌的 ギーゼッケの「教育の終鴛」論について貝本での先行研究は、教育・家族・ 学校の視点からの研究として池谷壽夫、学校における教授・学習の視点からの 研究として牛田伸一、ギーゼッケの教育論の研究として玩家重信、ドイツ教育 学動向の視点からの研究として太田明、教育的関係の視点からの研究として助 ナ1幌洋、教育専門職論の視点から吉岡真佐樹の研究がある6。. ギーゼッケの「教育の終焉」論に関する碍本の先行研究は、吉岡については 徽育の終焉」論への批判に対する回答が加えられた漸版(1996)を取り扱っ たものであるが、教育専門職論が中心で教育終焉論を扱ってはいるが教育終焉 論に対する批判ではなく、ギーゼッケの教育専門職論を明らかにするために用 いている。他の論者は初版からの6版までを扱っており、批判に対するギーゼ ッケの回答は扱っていない。. 本研究では、新版に加えられた、批判への圓答も考察対象として扱い、ギー ゼッケが『教育の終焉』の中で、どのような教育が社会のどんな文化的歴史的 変化で終焉なのかを明らかにする。そしてギーゼッケが、薪たなチャンスの中 で述べる、大人と子どもの関係から、先行研究におけるギーゼッケの「教育の 終焉」論への批判を整理した上で、これからの親と子ども、教師と生徒の「教 育関係」について検討する。. 本研究の構成は以下の通りである。第一章では、80年代までのドイツの教育. 学動向を整理し、ギーゼッケのf教育の終焉2論の時代背景を表現する。第二. 3.
(7) 章では、ギーゼッケの「教育の終焉」論の概観を整理する。続いて、第三章で f教育の終焉」論に対する批判と新版にある代表的な諸批判に対するギーゼッ ケの回答を整理し批鞠の論点を明らかにする。最後に終章では、ギーゼッケの 論では、社:会の歴史的文化的変化により、大人一子どもの世代差が解消される. とあるが、これからの教育関係について、親一子ども関係、教師一生徒関係の 2つの視点から考察したい。. 尚、ギーゼッケの簡単な略歴と『教育の終焉』の日次を付録として記載して おく。. 4.
(8) 註 1渡邊隆信 「教育関係」教育思想寅学会編『教育思想事典』2000年 pp.141. −143 2高橋勝…、広瀬俊雄編 『教育関係論の現在』川島出版 2004年 3坂越正樹 「教師と子どもの人間関係」小笠原道雄編『教育の哲学』放送大 学教育振興会 2003年 p.184 4太田明fドイツにおける『教育の終焉』論とその周辺1」『教育』第41号1991. 年pp.100−109 5Giesecke評H:Das鷺獄dle der Erz沁hu鼓g;漉eue Chancen飾ぼFa曲疑簸(潅 Sc強u】睡. Stuもtgaft 1996, (1985) 表i紙より. 6池谷壽夫 ギ子どもと大人の関係をめぐる諸問題一レH・ギーゼッケ〈教 育の終焉〉論の検討」『高知大学教育学部研究報告、第一部』第. 46号1993年pp.167−186 「H:・ギーゼッケのく教育・家族・学校〉論」『高知大学教育学. 池谷壽夫. 部研究報告、第一部』第48号1994年pp。61−72 池谷壽夫 「教育終焉論と反教育学一H・ギーゼッケと猛・v・ブラウンミ ュールの諸説を中心に」『唯物論研究年誌』第2号 1997年. pp.367−393 牛田伸一 ギギーゼッケの『何のために学校はあるのか?』において結論 された学校における教育不要論に対する批判一ヒルベルト・マ イヤーの論拠とその深化」『編鐘教育研究護第11号 2◎02年. pp.87−100 氏家重信 「H・ギーゼッケの教育論一近代教育の終焉と新たな展望」『東. 北学院大学論集、人間・言語・情報』第128号2001年pp.1−. 46. 太田明 「ドイツにおける『教育の終焉毒論とその周辺1」『教育』第41. 号1991年pp.100−109 太田明. 「ドイツにおける『教育の終焉』論とその周辺2∼7」ガ教育』第 42号1992年 (a∼£1. 助川解明. 吉岡真佐樹. 「ギーゼッケの『教育終焉』に見る世代関係としての『教育的 関係盈の変容」『教育方法学研究』第24号1998年pp.57−65 ギヘルマン。ギーゼッケ(Hemialm Giesecke)の教育專門 職論」『京都府立大学学術報告、人文・社会』第49号1997 年ρp.35−53. 5.
(9) 第一章. ドイツでの『教育の終焉』までの教育学動向. 第一節 80年代までの(西)ドイツでの教育学動向. 1 ドイツ教育学の4っの危機 戦後のドイツ教育学の動向の概観を述べるにあたり、1993年に東京大学教育 学部で行われたレンツェン(LeRzen,n l947・)の講演に依拠して述べる。レン. ツェンによると、ドイツの教育科学は4つの危機を経てきたという1。. 。第一の危機…ファシズムの危機 ・第二の危機…実証主義論争 ・第三の危機…批判の危機 ・第四の危機…主体の危機 第一の危機は、第二次世界大戦中に起こったもので、精神科学的教育学の学 者たちが教授職を失うことであった。精神科学的教育学とは、19世紀末にディ ルタイ(D漉h鋤W:1833・1911)が提唱した精神科学という学問が土台となって できたものである。その学問は以下のような性格づけがされていた。. ・精神科学は自然科学と区別される ・人間と人間が生み出したものは歴史的である ・精神の創造物は了解という方法によって捉えられなければならない. ・了解の手段は解釈学である ・了解という方法を取ることによって、我々は解釈学的な循環に陥る。解 釈学的循環を構成するのは、体験と表出と了解である。体験は精神生活 の具象化として表出される。その表出は了解され、追体験されることに よって形をかえ、再び精神生活に影響を与える。こうして先行了解は徐々 に姿を変えていく2。. ディルタイの場合、精神科学という学問は、テキスト解釈の方法として構想. されていたが、それがノール(No1旦,E1879・1960)、プリットナー (F翫R鋤W1889−1990)、シュプランガー(Spr雛g磯E.18824963)及びリッ ト(L置tt,Th.1880・1926)らによって教育学に移入され、テキスト解釈ではな. く、教育現実の解釈が問題とされるようになった。こうして成立したのが精神 科学的教育学である。. 6.
(10) 当時ドイツでは、ヒトラー政権のナチ党くNationa三s◎頭al給tjsche Deuもsche. A由eiterpartei)により、子どもたちの教育の中心は学校ではなく、1936年 のHJ法によりヒトラーユーゲントにおいて行われた。その教育は、①身体、 ②精神、③学問という優先順位で行われ、その考えに沿わない教育は排斥され た。. 第二の危機は、精神科学的な構想が、60年代半ばに迎えた社会学から移入さ れた批判理論によってである。第二次大戦後、精神科学的教育学の代表者たち の教授職の復帰が行われた。彼らの弟子の第一世代がその後に続き、そしてそ. の後続世代のブランケルツ(:Blanke鴬z,H.1927・1983)、クラフキ (K:lafki,W:1927う、モレンハウアー(MoHenhaue葛K1928−1998)らが自己. 批判という形で精神科学的教育学に終止符を打った。その中で、モレンハウア ーがはじめて社会学の影響を取り入れた。その結果、60年代には戦後世代が父 親世代とその世代のファシズムとの間わりとの対決に取り掛かることになる。. とりわけ教育科学にとって、この対決は、いかにしてアウシュヴィッツが可能 となったのか、そしてそれを繰り返さないためにはどうしたらよいのかが議論 され、精神科学的教育学がファシズムのカに対抗できなかったのは、解釈学と いう手法自体に原因があったという結論に達した。そしてその後、批判的教育. 学という立場が登場し、精神科学的教育学にかわり70年代までドイツ教育学 の支配的モデルとなった。. 批判的教育学は、フランクブルト学派、特にハーバーマス(H:abemlas訊珍29. 一)の理論に依拠して、精神科学派の教育学の保守性・観念性を批判し、教育 学が解放的な認識関心に導かれるべきこと、教育が人間の解放を目指すべきこ とを主張した3。. そして批判的教育学は、旧来の精神科学の擁護者たちからでなく、経験的社 会研究の側から攻撃を受けた。その理由としてレンツェンは、第一に経験的社. 会研究は、第二次大戦後に合衆国からまとめてf輸入された」ものであり、そ れ以前には存在しなかったこと、第二に、経験科学的な社会学は、教育学との 関わりとは全く別の所で、フランクフルト学派と対立状態にあったということ と述べている4。この対立が、社会学史において「実証主義論争」と呼ばれてい るものである。. 7.
(11) 第三の危機は、批判的教育学の無力性の経験であった。批判的教育学と経験. 科学的教育学の構想は、70年代の問、和解することはなかった。70年代に西 ドイツでは栓会民主党がはじめて政権を取った。新政権にとって教育政策は最 も重要な活動の一つとなり、彼らは、学校制度の改革に乗り出し、三分割型の 学校体系の破棄を目指した。というのも、三分割型の学校体系は社会不平等を 固定化するものと考えられていたからである。そのかわ珍に、すべての子ども に岡じように教授を行う統一学校として総合学校(Gesa蹴sch犠1e)が登場した。. その際、政治家の側から彼らは学校改革のプランを作り上げることぶ求められ た。その要請に対する各人の対応は様々であったが、その結果、彼らが直面し た困難も様々であった。それは、理論的なアプローチと教育政策上の実践との 間に矛盾が生じ、批判的教育学の無力性を露呈することになった。. 第四の危機は、教育学の分化による主体の危機である。80年代には、現象学. 的教育学5やシステム理論的教育学6及び構造主義的教育学7がそれぞれポジシ ョンを獲得した。いわゆるポストモダンをめぐる議論の受容が始まった。そし てこの流れから、教育を廃絶すべきという反教育学が登場してきた。. 2 「教育の終焉」論の登場 80年代初頭の西ドイツでは、教育改革の挫折後、反教育学思潮の流れから、 近代教育の終わりとそのパラダイム転換を要求する「教育の終焉」が議論し始 められた。太雷によると、この論議は、ドイツの代表的な教育学者の一人ヘン ティッヒ(He且もig,H.V 1925一)のいう「終焉の雰囲気」(E職de㎞a)8を背 景に「教育の終焉」論は生じてきた9。「教育の終焉」を論じる論文や著作は1985. 年前後に登場し始めた。その典型的なものが、本論文で取り扱うギーゼッケ (G重esecke,H.)の著作『教育の終焉1◎』(198δ)、ヴュンシェ〈W肋8¢地,K). の論文「教育運動の有限性11」(1985)である。. 8.
(12) 第二節反教育学論争. 1反教育学の理論背景 反教育学(Anもip灘agogik)という流れは、大まかに見ると以下のような背 景から生じた。60年代の反権威主義的教育運動が教育の方法上・制度上の改革 を員指していたが、その挫折に対して、7◎年代西ドイツでの反教育学運動は生. じたといえる。だが、同時に、自分の受けた教育に否定的な自伝的エッセイの 出版に象徴される教育忌避の風潮や、原発や地球汚染聞題等を契機に拍車をか けられた文化批判的傾向が、反教育学受容の土壌を形成してきたともいわれる 120. 反教育学という名称はクプファー(K“pf醜K)の「反精神医学と反教育学」 〈A漁tip8ychia頴e u撮A痴p鯉agogik)に由来する13。代表的な文献としては、. ブラウンミュール(Bra膿搬“h1,Ev)の『反教育学(1975)』、ルーチュキィー 俄utsch輸K)の『闇教育学(1977遥、ミラー(M丑1鋤A.)の『魂の殺人く198◎)』 などがある。. 反教育学は、悪い教育から良い教育を何らかの形で区別して、教育を敏善」 することや代替案を見いだすことではなく、教育そのものを批判することを中 心とするものである。教育そのものが子どもや人間の本性をだめにしていると いうの淋反教育学の教育観である。しかしその主張は、反権威主義やオールタ ナティヴのような、何らかの形で教育に信頼を置き新たな教育の形式を見いだ しているものとは区別される。. 2反教育学理論 反教育学の論者の主張は先行研究によって詳しく論じられているので、ここで は、「精神分析的反教育学14」が「教育をどのように定義、理解して反教育学的 主張をおこなっているのか?」を中心に若干であるが述べる。. ブラウンミュールは、他の入間をかたにはめ込み、その基本構造において形 成すること、人生の送り方を子どもに強制し、人生において価値あるものを子 どもに押し付けることが、教育概念でもって特徴付けられるものであると述べ る15。そしてこの意図的な教育を「補完教育」(鍵g蝕ze磁e E戯ehu㎎)i6と「実 体的教育」〈subsもanzi磁e E晦ehu㎎)という2つの概念に下位区分している。. 9.
(13) 実態教育とは、「子どもをその実体において変えさせようとする行為」を意味し、. この教育こそ、反教育学は廃止しようとするものである17。ブラウンミュール. はこのような教育イデオロギーが再生産される理由として「教育学的野心」 (p銭dago琶isch2 Ambition)を掲げ、「教育学的野心」を一次的と二次的に分け る。. 「一次的教育学的野心」とは、過玄に教育を受けた大人が、無意識のうちに 子どもに対して教育と称して自分の受けた虐待を行うことであり、そして「二 次的教育学的野心」とは、f一次的教育学的野心」について自覚したとしても、 f大人たちは教育しなければならない」(親の教育の義務と権利)という教育イ. デオロギーの前で、自分が十分には教育してこなかったとして、教育的措置を. エスカレートさせていくところに生じるB。教育学的野心は、先行世代が過去 に受けた投影として、当時の教育者に向けられず、今βの子どもに向かう。. ブラウンミュールは、教育を、子どもの「教育欲求く必要性)」 (Erziehu】㎎8be磁rfbigkeit)に応ずるべく行われるものではなく、単に人がか. つて受けた仕打ちをその子どもに繰り返すことで報復を果たすという無意識の、. 深層心理学的な強迫行為であり、大人が子どもを犠牲にして自らの心的な機制 の安定化をはかろうとする神経症的な防衛機制の発現に過ぎないとする王9。そ. して、教育の悪循環を断ち切るために、①乳児の権威性、②正当防衛権利、③ 子どもとの友妊関係という「反教育学定理」を掲げている。. 次にミラーは、教育を、一般にそう揺じられているように、子どものために なされているものではなく、むしろ教育を行う大人たち自身のために存在する とし、子どもという存在を親たちの欝積した無意識の感情の「はけ口」として. の暴力行為を正当化するP実どしていると述べている20。ミラーの反教育学論 は、ブラウンミュールの論と復通っており、『魂の殺人』の中で、教育の一釦は. 悪として放棄することは、当然ながら子どもに対する親の「人間的な関与」の すべてを放棄することを意味しているものではないと述べている瓢。そして、 ブラウンミューールが「子どもとの友好関係」を提起したのに対して、ミラーは 「見守る」ことを提起した。. またシュネーベック(Schoe聡beck,}{.v.)によると、教育者は被教育者(子. ども)を「自由ではない人聞」と見なし、とくに子どもには指導と教育が必要. 10.
(14) であると始めから思い込んでいるが、実はその背後にあるのは「雰民主主義的 な、自由に反する思考」、確力要求」である。シュネーベックはその代わりに、 反教育学的実践として「子どもとの友女子関係」を築くこ.とを推奨する霊2。そし. て、科学的なプロジェクトにおいて新たな関係を基礎付けようとした23。 そして、ルーチュキーは、教育の中に潜む、「教育学的野心」で表現されるよ. うな近代教育学の攻撃性、破壊性、残忍さという性格を「闇教育」〈Schwafze P湿ag◎gik)鍛と名づけ次のように言い表している。教育は一般に市民社会の文. 明を覆っている衝動コントロールの作業に現われる不安から生O、子どもはそ の自然な衝動によって文明を挑発するだけでなく、大入たちの自分の衝動に対 するコントロールに疑問を投げかける。子どもは文明化された物を挑発し大人 に過宏に対する不安を感じさせるため、自我・超自我・エスの問の葛藤は萩た に管理されなければならないが、この管理は暴力的にしか行えない茄。つまり、. 教育は、現存する社会や文化が維持・発展するために行われるものであり、子 どもは未だ文明化されておらず、自然状態である。文明は作られたものである から、自然状態の子どもは、その文明に対して挑発するし、大人が文明側へ子 どもを引き入れようとすると子どもは反発する。子どもを文明へ引き入れるた めには、欲の源泉であるエスを掬圧し、超自我を形成させて、子ども自身がそ の葛藤を整理できるようにせねばばらない。しかし、子どもに文明を受け入れ るか否を選ぶ権利はなくそこで生きていくためには受け入れなければならず、 この一方向の関わりは暴力的なものとなる。. このような状況で反教育学は、教育的要求の放棄を提案、主張する。このよ うな大人側が過去に受けた自分の固定観念から解放されれば、子どもと大人の 問に連帯が生まれ、近代教育における:正当化からの子どもへの侵害も止み、新. しいパートナー関係が開かれる。このような関係は、ブラウンミュールが述べ るように、「同権性」(GleichbefechitigU轟g)と解釈され、そのモデルは、従来. の「教育的関係」ではなく、教育とは異なった領域で発展してきた精神医学に おける医者と患者の同権性と、民主主義社会の法的同権性に求められている26。 そして、反教育学は、子どもの根源:的な「主体性」(SU切ektivit銭£)がこのよう. な大人一子ども関係を保証することによって、達成されるものとし、子どもの 「主体性」を前提としている。それは、反教育学が教育学的な規定の「人間は. 11.
(15) 教育されねばならない存在である」(ホモ・エデュカンス)に対して、子どもは. 初めから自律的な能力を備えているがゆえに、教育されるべきものではないと 考える。そしてこのような反教育学は、主張の根撚づけ・入間の見方・歴史の 研究方法・実践的な提雷において、精神医学、精神分析学の主張によって導か れているので「精神分析的反教育学」と特徴づけられる2?。. 3 教育学側の対応 このような反教育学の潮流に対して教育学の側(大学)も手をこまねいてい たわけではなく、80年前後から反教育学批判の様々な論文・著書が続々と著さ れたり、対談がもたれたりもした。下地・太田は、比較的まとまった反論とし てエルカース1ルーマン(Oe磁e翌8,」ノ Le】㎞a疑筑,T.)、ブリットナー (Fht逓e葛A1922一)、ヴィンクラー(Wi蝿e葛M.)、モレンハウアーの4つを. 挙げ、そのうちのブリットナーを除いた3者についての反教育学批判をまとめ ている28。. これら3者の論は、教育更的方法により、文化伝達という観点から、文化の こちら側への通路は、こちら側からしか提示できない点を論じくモレンハウア. ー)、また、教育のヂ道具性仮説」伽s伽鵬e批a1漁tsamahme)を挙げ、反 教育学の主張にある、パートナーシャフト的関係や子どもの主体性に対して、. 子どもは反教育学的に育てられることを望むか、望まないかを自分では選択で きないし、その決定は子どもではなく大人は決定しているという観点から反教 育学の矛盾性を批判している(エルカース1ルーマン)、そして教育的行為論的 考察を深めることを論じたくヴィンクラー)露9。これらの観点から、教育の「不. 可避性」を弁証するというやり方が教育学側の反教育学対策の常套手段であっ た3◎。. この論に対し、反教育学から教育学との対話の可能性を模索する試みがなさ れた。しかし、教育学と反教育学は、互いに相手の論を視野にいれず、教育の 善の部分と悪の部分の言い合いとなり、両者は歩み寄ることはなかった。教育 という概念には二律背反が内在しており、教育学の側には、反教育学が述べる ような主体の喪失、「教育学的賜心3渉みられ、そして反教育学の側にも教育を 否定しながらも、教育的な要素がみられるのは必然的であるといえる。. 12.
(16) 下地・太田が述べるように、双方の評価とは別に、教育についての理論をめ ぐる議論の土壌は、批判・反批判のプロセスを経て、ようやく薪たに形成され ていったと書えるのではないだろうか31。. 13.
(17) 第三節 80年代の(西)ドイツ教育学におけるポストモダン論議. 1教育学とポストモダン 西ドイツでは、70年代後半の「教育悲観論」の時期以降、一時的ではあるが 「教育への勇気」におけるような反動的傾向も見られたが、もはや「改革多幸 症」の時期に見られたような教育に対する楽観主義は影を潜めている。. ポストモダン論議とは、過ぎ行く30世紀の自然及び社会の潰滅的状況の本 質的な原因を啓蒙の弁証法のうちに求めようとする議論である。つまり、近代 は啓蒙という倒錯したプロセスの帰結であり、それに続く時代は、ポストー近 代としか呼びようのないものとなる32。それゆえ、ポストモダン論は、論者に よって何を近代の教育と定義するかによって、ポストモダンの教育も異なって くる。ゆえにポストモダン論議一般を整理することは、論者の力量では不可能 である。ここでは、先行研究に依拠して、モレンハウアー、エルカース、ベン ナー!ゲステマイヤー及びレンツェンのポストモダン論議について若干ではあ るが検討する。. 2 アカデミズム教育学におけるポストモダン論議 アカデミズム教育学の側からのポストモダン的主張の対応は、『教育学雑誌灘 く2毎itsch雌魚r P認agog三k,33.Jg,,1987,N恐1)の特集「教育学とポストモダン」. において先にあげた論者によって試みられた。藤州は、教育と教育学のポスト モダンについて語られる場合、そこには「克服されるべき近代の教育ないし教 育学とは何か?」、あるいは少なくともf近代教育ないし近代教育学のいかなる. 点が克服されるべきか?」という問いが前提にされると述べている33。ここで は、それぞれの論者において近代の教育がいかにして捉えられているのかを中 心に論を進める。. モレンハウアーは、論文「陶冶概念の修正か?」34において、近代初期にお ける陶冶概念を問題に設定した。藤川によると、モレンハウアーは従来の陶冶 理論に見られたように、「現代の時代論」あるいはそれと社会・経済史との媒介 を先行させ、そこから何らかの一般理論的な立揚選択をおこなうわけではない。 むしろ、まず「〈陶冶〉概念によって考えられる対象」一「身体」、「労働」、「仮. 定への方向付け」、「信愚性」一の歴史を遡及し、そこから伝統的な陶冶概念に. 14.
(18) 対する挑発が、個々の点において受容可能なものかを検討している35。モレン ハウアーのポストモダン的主張は、二者択一的な対応のものではなく、近代的 な教育理念、陶冶理論の現代的条件下での有効性と無力性を測定しようとし、 そのバランスが重要であることを述べている。. 例えば「身体」について、モレンハウアーは、ディドロ〈Di虚e”ot,D 1713 −84)の「彼自身ほど彼にふさわしいもはない」という命題を取り上げている。. ディドロはその命題を「身体場面の問題」として説明した36。それは、当時「理 性のみが存在すべきであると同時に、正しい姿勢のみがく陶冶〉にふさわしい」 とされ始めたことに対し、「だらしない」部分も彼自身であると主張した。過言 すれば、「肉体の復帰まの問題である。その後、とりわけ、組織化された学習形. 式に基づいて嫉小化され実践化された陶冶理論の中では「身体」は居場所を与 えられず、陶冶過程の身体性はせいぜい幼児の遊戯の中でしか生き延びること はできなかった37。しかし、モレンハウアーはこの幼児期の身体性に注目し、. 今濤でもなお、子どもの遊戯において碗と身体との相互結合1(理性による物 質としての肉体の支配ではない)が見て取れると述べている認。過言すれば、「知. 識と能為くK6皿en)との相互作用」であり、両者のバランスが、その貝標で あり、どちらか一方が優位に立つものではない。. 次にエルカースは、「ポスト・モダンの再来一漸たな世紀末に関する教育学的 省察」39の中でポストモダンをめぐる最近の流行現象の評緬に関しては慎重:で. あり、過玄の似通った現象との対比によって今日の問題状況を把握しようと努 めている40。彼は、近代の「世紀末」に基準点をおいている。というのは、19 世紀末にはすでに今日のポストモダン論議の主な観点がほぼ提示されていたか らである41。. エルカースにとっての近代とは、市民社会の哲学であるドイツ観念論におけ る近代である42。つまりそれは、人間を普遍的な「善さ」に従って彼の最善を 目指して陶冶すること、陶冶された人聞とともに、未来社会を理性的に構想し えること、言語と現実との厳密な対応関係に基づいてあらゆる葛藤を解消する ことを求めてきた。しかし、「世紀末」の文学、芸術の領域に始まり、哲学的領 域のポストモダニズムにいたるまでの系列の中では様々な角度から「理性一般」 に対する批判が企てられてきた43。. 15.
(19) 他方、教育の領域では、「世紀末」の『学校批判鈎に対して教育に対する楽 観論と悲観論が混在したアンビバレントな対応が示された。その実例としてエ ルカースは以下の3っをあげている。①20年代の精神科学的文化教育の対応45、. ②プラグマティズムの進歩主義教育の対応4S、③「子どもからの教育学」の対 応4?である。これらの教育学の対応をエルカースは、これらの立場が、個々の. 主体とその主体独自の発達のために、ポストモダン的要求をそれぞれ榔分的 に」受容している点を評価している。しかし、これらの教育理論がいずれもそ の命題の歴史的・社会的制約性を顧慮せず、普遍的定式化を試みたことなどに. は否定的である弼。エルカースは、前近代の唯紀末」に行われた噺教育」 におけるポストモダン的主張から、近代の理念を完全に破棄してしまうような 現代のポストモダン的主張には否定的である。彼は、論文の最後で、アポリア. に陥るという代償を払ってでさえも教育学の命題に関して重要なのはfすべて の公理を破棄せずに薪たな公理を導入すること」と述べている娼。このことか らわかるように、その提案はアンビバレントであるが彼の立場を明確に表して いるものだといえる。. 次にベンナー1ゲステマイヤーは、ゼポスト・モダンの教育学一社:会変化の分. 析か、それともその是認か?」50の論文においてポストモダン的主張に対する 評価は、前者の二者に比べると批判的である。彼らによれば啓蒙主義は、入間 を超越した艮的論的秩序にではなく人聞の悟性に理性を基礎付けさせ、いかな る所与の秩序にも由来せず人問の悟性によって見いだされ、あるいは構成され た法則の下にすべてを置こうとした最初の近代的な試みとされる51。しかしこ の啓蒙主義の中で生起した近代教育学はルソー以降、「両義的」性格籏を示して. きたとされる。そこから、彼らによると、近代教育学は、人間の多面的な陶冶 可能性という観念と他律の段階を経て自己活動へと導く教育的作用の因果性に 関する構想とをもって、f啓蒙の弁証法」δ3に屈服し教育実践を自立的理性によ. る人間支配へと変質させることなしに、中世的・目的論的秩序に対する啓蒙主. 義以降の解体作業に加わろうとした54。しかしそこから3っのアポリアが生じ た。. ①法則を付与する自律的理性という啓蒙主義の理念と、子どもをこうした 法則付与の対象として管理することを禁ずるアポリア。. 16.
(20) ②経験と交際を拡張するために近代科学のみを承認する啓蒙主義と、すべ ての世界内容に関する科学主義的・一面的把握によっては得られない関心 の多様性を擁護する近代教育のアポリア。. ③すべての生活領域を科学化し、社会的に必要とされる学習過程を教育制 度に委託する啓蒙主義と、子どもを制度化された教授・学習過程の中で、. それ以来、実証領域を教育制度外に有するが、しかし教育制度外では獲得 できないような判断・行為能力を身につけさせようとする近代教育のアポ リアδ5。. 近代教育学は、自らの内部でこのようなアポリアを解消するのではなく、教 育的行為に固有の構造矛盾について社会的に承認を得るという戦略をとってき た。ベンナーノゲステマイヤーは、このアポリアがむしろ「啓蒙の弁証法」を回. 避するための必然的帰結であるとして肯定的に評価している。アポジアをアポ リアとして引き受け、実践を遂行する中で可能となる行為実践と理論的洞察と の相互反省作用にこそ、三三と教育学の可能性が認められるのである56。が、 ポストモダン哲学については否定的である。. 例えば、フーローの『言葉と物爵、リオタールの『ポストモダンの条件一知・ 祉会・言語ゲーム』及び:ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーショ ン』などである。ベンナータゲステマイヤーは、これらの主張に対し、いずれの. 構想も、人間が生み出したにもかかわらず今目ではもはや不可逆的と考えられ る科学・技衛文明の「事物からくる強制へのたんなる適応」にすぎず、「啓蒙の. 弁証法」を自ら実証しているとして批判し、こうしたポストモダン構想に追従 しているとみなされているレンツェン、ヴィンシェ、ギーゼッケをも批判して いる57。. 最後にレンツェンは、論文「神話、メタファー、そしてシミュレーションー ポストモダンの時代における体系的教育学の展望について」盤中で、とりわけ 教育学における理論離実践(経験)鴬問題に構造主義及びポスト構造主義の観 点から述べている59。構造主義的な見方60からレンツェンは、教育学が今冒直面. している現実喪失状況について「ハイパーリアジティー」61という語を用いて その可能あるいは不可能な打開策について考察している。しかし、このオール タナティヴの打開策はいずれも「ハイパーリアリティー」生産の連関に巻き込. 17.
(21) まれ、現実喪失の問題解決には役立たないとされる。それに対して、レンツェ ンは神話学的方法を対置する。しかし、この論では「疑似現実」という曖昧な 問題があるので割愛する。. 藤川によると、レンツェンのポストモダンの教育学構想は、他の論者の一つ の濯遍点を成していると述べられている。レンツェンの構想が「身体性」に着 目するという点ではモレンハウアーの陶冶概念の理解と共通し、他方、自らの 理解を子ども期をめぐる言説の歴吏のなかに漂わせようとしている点ではエル カースにおける一般理論の断念の提案とも共通している繊。. 以上4つの論を若干ではあるが見てきた。ポストモダン論議は近代教育の相 対化という部分では共通性があるが、それぞれ何をモダンとするかで、その結. 論や評価は異なってくる。今井が述べるように駒明なことはもはや何一つな いことが自明になった」という状況が到来した63。. 18.
(22) 註 1後藤卓也他 「ドイツにおける教育科学一理論・危機・現状」『東京大学教育. 学部 教育哲学・教育史研究室』19号 1993年 pp.45−53 2同上書 PP.45−46 3今井康雄「批判的教育学」『新教育学大事典』 第一法規出版 199◎年. 4後藤卓也他 1993年p.46 5 『現象学」とは、「物事を、偏見を持たず、ありのままに見るべし」という 格率を表すとされる。しかし、人は常に自らが自明としている「偏見」やギ先 入観」を通して物事をみているので、この格率はとても困難である。つまり、. 纏縫学」は、絶えず「自明性3を吟味することでしか実現しないものであ る。そして、「現象学」といってもその規定は多義的であり、「現象学者の数 だけ現象学がある」といわれている。 吉田によると、「現象学的教育学」とは、哲学的な「現象学」の方法や、研 究成果が、教育学における研究に導入されるときに成立するともいえる。つ まり、完全な還元などはなく、絶えず教育や教育事象に対して、「自明性」を 問い続けるのが、「現象学的教育学」である。(吉田章宏「現象学的教育学」 『新教育大事典』 :第一法規出版 1990年 ). 6 システム理論的教育学とは、1970年代初期の教育学を超えた批判的社会理 論とシステム論の論争、つまりハーバーマスとルーマンの論争を起源として、 .理論化されたものである。この立場によると、「システム」はその対象とその 属性の問の関係をひっくるめた一組の対象物と定義されるので、教育学も一 つのシステムとして理解される。したがって、教育学のある属性は意図によ って主体に属するようなものではなく、システムそれ自体のダイナミズムが 生み出すものであると理解される。(小笠原道雄『教育の哲学』放送大学教育 振興会 2003年 pp.57−58). 7 構造主義的教育学は、文化人類学や言語学などの研究において注目されて いる構造主義の理論的応用と考えられる。構造主義のポイントは、我々の属 の前に現われる現象、あるいは表面的な構造の基盤を形成すると考えられる 深層構造を再構成することである。(岡上書p.58) 8Ha望t田ut von Heutig.;Ende,Wa磁e1,0der Wk}derhersteUu㎎虚er. E戯eh猫琶?一癖r das V幡chw勧den der鑑r轍chseぬe総一;i獄:Neue Sa瓢mlu数g 251985, S.485.. 9太無明「ドイツにおける『教育終焉』論とその周辺2」1992年(a)p.102 10Her血an聡G三e8ecke, Die Ende de翌Erzieh粟mg, Neue Cha灘cea f霞r Fa血ihe. und Schule,1985,1996 11Ko肛認W掘scke, Die E逓d1漉keit aer pa違a暮09重s曲磁】3eweg撒9.,in; Neue Sa搬謡ung25,1985, S.434・449.. 12鳥光美緒子「反教育学」細谷俊夫(他)編『新教育学大事典』1990年. 19.
(23) pp。536−537. 13同上書 14 下地・熱闘によると、反教育学は、エルカース、ルーマンによって、精神 分析的反教育学・反教育学的りベラリズム・イデオロギー批判的反教育学の 3つに分類される。 15池谷壽夫「反教育学;その理論的基礎と原理」『高知大学頭衛研究報告、社 会科学』46号1997年 ρ.45 玉6 補完教育とは、「闇いに答えること、及び、子どもが大人にそうしてくれ るように要請するので、大人が行うすべてのこと2、呼どもがおそらく一入 では克服できないような状況にあるとき、大人の干渉が入ること」などのこ とである。同上書p.45 17同上書P.45 豆8嗣上書ρ.47. 亙9氏家重信徽育という名の暴カー反教育学の告発(1)」『東北学院大学論集、. 人間・言語・情報』120号 1998年 p.3 £o同上書ρ、22. 21岡上書p.30 £2太田明「ドイツにおける『教育終焉』論とその周辺2」『教育毒42号 1992 年(a)Pユ14. 23 このプロジェクトは、1976年から1978年の2年間において、3歳から 17歳までの子どもたちと一緒に、2600時間にわたる薪しい種類の共同生活 を体験したものであり、シュネーベックはこの科学的な研究によって、1980 年に心理学学位を授与されている。(池谷1997p.50) 露4R姐t8chky;KSchwarze P銭dagog三k,1977. %太田明1992年(a) pp.114−115 26同上書Pユ15 27下地秀樹、太田明「反教育学と教育学の〈あいだ〉」;80年代(西)ドイツ の場合」『東京大学教育学部紀要』30号 1991年p.5 艶8同上書pp。7−13 Juge嚢Oe至k鍵s/Thomas I、e㎞a駐a, A漁tip銭d3g◎gik−Heτau垂lbrd磁撒g疑n盛. Klitik−1983,199α A澱dereas F銭加e葛K◎蕊rad, sprach die Frau Mama…,1982.. Michael Winkle葛Stichwort zu■A紅tip甑ago9撒,一E罫eme臆teei逓er h捻to廊ch−sy8te鵬atj暗chen kriもik一,1982.. Klaus麗。鰻enhaue葛Vbτges§e丑e Zu8a憩me曲ange,M頑nchen,198a(今井康 雄訳『忘れられた連関』、みすず書房1987) 器 岡上書p]【》,7−13. 紛嗣上書p.13. 31同上書Pユ7 3窪後藤卓:自他1993年p.50. 2◎.
(24) 33藤川信夫「西ドイツ80年代における教育学の動向について一教育学におけ るポストモダン論議を中心にして一」『広島大学教育学部紀要』第一 部38号・1990年. p.2. 34MoHe漁aue鴫K:Korrektu罫e駐aヨn瑚aungsbegr避i夏:Zei鳶schrifむf掘 P銭dagogik,33.Jg.,1987, N凱1. 35藤川信夫1990年 p.2 36同上書p、3 37同上書P。3 認藤川信夫「第13モダン論議とわが国の教育学の課題」小笠原道雄編窪教職 科学講座1一教育哲学』福村出版 1991年 p.208 にごで、藤川は、この魂と身体との相互結合という点に着員した場 合、今目の「肉体の復帰」をめぐる議論、あるいはまた、この議論 の実践化ともいえる新教育運動の「労働」構想は、子ども期初期の みならず、成人をも含めた、魂と身体の相互結合の実現の可能性を 推し量る試金石といえるかもしれないという。)嗣上 390e監kers,」’,:Die Wie曲ke㎞de翌Po8t血odeme・Padago9捻che Rf塾exio識e烈 zu塒neuen Fin de siec茎e’. i鷺:Ze重尤sch㎡』f帳r P鼓dagogik,33 jgユ987, N■1. 鵡。藤川信夫「第13モダン論議とわが国の教育学の課題」小笠原道雄編『教職. 科学講座1一教育哲学避福村出版 1991年 pp205−228 41 エルカースが主張している「世紀末1のポストモダン的主張を藤川く1990 p4)の要約に従うと以下のことである。物理学におけるエントロピーの法則 によって、地球の終末が遠い未来のことではあるが、現実的のものとして裏 づけられた。文学、芸衛の領域においても「殉の主題化が慢性化した。〈雀 略). 覗藤川信夫1991年 p209 43 藤規があげているのは、①デカルト、ライプエッツ以降の哲学が想定して きた「主体」の死、②意識のカテゴリーとしての歴史性の解体、③社会的ユ ートピアの放棄などである。 44 学校批判とは、教育による解放の理論とその制度形成、すなわち産業社会 における国家の教育制度との同一視が疑悶視され、結局学校は国家の支配の 道具と見なされたこと。 妬 普遍的に妥当するような原理に従った連続的・直線的な歴史的変化を否定 しながらも、歴史の変化の中で、より長い継続のうちに未来を決定しうるよ うな構造が形成される考え、「客観的文化」の申への主体の導入を格律とした。 46 文化教育学におけるある種の形而上学の名残をも放棄し、科学的経験と民 主的社会の発展とを中心に据え、教育を「発達」として、つまり非目的論的 な、経験の絶えざる再構成として理解した。 47 創造的人格を教育の前提かつ霞標として定めるよりよき教育によって、組 織化された教育を革薪しょうとした。. 21.
(25) 48藤川信夫1991p.211 49同上書p.211 50Be織n鋤D.ノG6sもe斑ey鋤K−R:Postmodeme:Padag◎gik:Aualyse od鯉 A二軸ation曲es ge8eU8cha簸cheR Wandels? i翁:Zeitschr批翫 Pa(蒐agogik,33 Jg.,1987, N凱1. δ1藤川信夫1991年 P.211. 52 近代教育の発展は、啓蒙主義とともに始まるテクノロジー的秩序ないし秩 序構造なしには不可能であった。しかし他方で、人間の思考と行為を伝統的 な依存性から解放し、法則を付与する理性の自律性にのみ基礎付けさせよう とする啓蒙主義の理念は、学習し、言説、相互作用、行為の中で登達する存 在としての人間に対しては、それ以外の自然に対するのとは異なる仕方で配 置された。近代主義は機械論的に人間を規定してしまうと、その人聞の自律 性要求を否定してしまうとして、人間を「自動機械」として把握した。. 53 アドルノ(Ado髄。,TW)とホルクハイマー(Horkhei搬鋤M)は『啓蒙 の弁証法』(1990年)において、ファシズム、管理社会といった山回の「野 蛮」を批判すべき人間の理性こそが、「野蛮」をもたらした源であるとされる。. 理性による支配は、外的自然だけでなく内的自然も組み込み、合理性に依拠 する全面的支配が引き起こされた。. 54藤;川信夫1991年p.212 55嗣.一と書P212. 総小笠原道雄編『教育の哲学』放送大学出版2◎03年 p.117 ら7藤川信夫1991年 p214(ギーゼッケ批判の内容については第3章の註18 参照). 58Le脇e鷺}D。:Mytho8,M臼tap飯e葛uad Si⑳uIati◎丘・Zu deロAu88ichten Sy8te搬就拍cher:Padagogik in deどPo8伽odeme. i皿:Ze動8chr堆釦r Padagogik,33. Jg.,1987, N笈1. δ9藤川信夫1991年 p、214. 60 構造主義は、近代において記号が懊深い現実の不在」を隠蔽してきたも のとみなす。こうした観点から、レンツェンは、近代教育についても、教育 学の理論=実践(経験)認関係が、この学闘共同体の儀式である論議の中で 繰り返し想起される神話にすぎないとする。すなわち、カント以降の近代教 育学において生じたさまざまな危機は、理論と実践く経験)の不一致によっ て生じたのだが、しかし教育学は、この危機をこの学問の独自性とし、また、 逆説的ではあるが、この危機がなければ存命しえなかった。同上書p.214. 61 レンツェンによると、教育学は、実践(経験)を対象とするが、その対象 は現実そのものではなく、すでに教育学という記号の集合体によって生産さ れた、現実以上に現実的な現実の認ピー〈ハイパーリアリティー)にすぎな い。同上書ρ.215. 6窪藤川信夫1991年 pp219−220 s3今井康雄「ドイツ教育学の現在」森田編『教育学年報1一教育の現在一』世 織書房1992年 p.364. 22.
(26) 第二章ギーゼッケの「教育の終焉」論 第一節 「教育」の終焉 1 ギーゼッケの「教育」 第一章で見てきたように、ドイツの教育学は、教育改革の挫折後、教育に対 する悲観的な論が教育のf正当性」についての懐疑または否定をあらわにした。. このような時代の中で、ギーゼッケは『教育の終焉』(1985)と題する著書の 中でf教育」の終焉を論じた。. ギーゼッケは、自らの主張をこの著書の最初の部分において端的に以下のよ うにまとめている。. 私たちは一ごく幼い最初の時期を除いて一「子どもの子どもらしさ2 (K短dhchkeit撲es Kinde8)という考えから、それとともに「教育」 (E癒ehu滋g)の伝統的概念からも別れを告げなければならない、そして 子どもを再び、小さいけれども絶えず成長しつづける大人として、取り扱 ったほうがよい。佃人的に責任をもつ教育の持分は、とりわけマスメディ ア、嗣年齢集団を通して、匿名の社会化の過程に席を譲って減少する1。. ここで、なぜ伝統的な「教育」から別れを告げなければならないのであろう. か。ギーゼッケによると、一連の歴史的文化的変化に基づいて、伝統的にf教 育」と呼ばれているものの諸条件が広範囲に消滅した状態にあるとし、「教育の 終焉」とは、客観的事実としての結果を確認するに過ぎない。「教育の終焉」は、. 大人だけでなく子どもたちも一緒にその「生活世界」(Lebe観swelt)が多元イヒ した結果として生じ、子どもたちは、入学前からすでに、テレビ、同年齢集団、. そして世界観や価値観の消費市場との競合関係にあるという影響を受けており、. 子どもたちは、その中で、早い時期から自分の位置を手にいれなければならな. い2。では、伝統的に「教育」と呼ばれているものとはどのようなものであろ うか。. ギーゼッケの述べる「教育」とは、「子どもの人格発展にとって、長期間意味. をもつすべての作用」を意味するような包括的な概念ではない。彼は、伝統的. 23.
(27) な「教育」の概念を「両親または教師たちから、全体的に、そして統一的に管 理、コントロールされるかもしれない」というこれらすべての競合する諸要因 と結び付けている3。そしてギーゼッケは、「教育」が持つ臼常語の意味領域と して「特定の大人たち(両親、教師)が特定の未成年者(自分の子ども、生徒). に対して、彼らに長期にわたる望ましい行動様式(例、勤勉、秩序)を獲得な いし、保持させるという日的を持って作用を及ぼすこと」4という。つまり、 近代の申で生じた大人と子どもの文化的分離における、f大入側が子どもよりも 何が良いかを知っている」という前提に立った、「操作的な」〈鵬anip畷a伽〉「教 育」概念である。. ギーゼッケは、この「教育」の概念を行為概念ではなく、「正当化」の概念で あるという。ギーゼッケによると、我々は、教える、助言する、勇気づける、. 支援するなど、これらを「教育」と名づけるならば、我々は個々の我々の行為 について釈明する必要はなく、我々の行為について正当化しているだけである という5。また、ギーゼッケはドイツの「教育」という言葉について次のよう にいう。「我々が大人との関わりにおいて通常行っているもの(例えば、助言、. 指導など)のすべては、子どもとの関わりにおいてのみ特別な意味を得るに違 いない(大人との関わりにおいては、それを「教育」とは言わない)。そしてそ. のことは、まれにしかない危機的状況だけでなくノーマルな臼常も当てはま る。」6. 2 5つのテーゼ ギーゼッケは、「教育の終焉」論の主張における、一連の文化的歴史的変化に. ついて生じる徽育」の終焉を以下の5つのテーゼによって裏付けている。. ①市民社会の教育(臆rgerhcぬe Erziehu㎎)は、まず第一に子どもの将. 来に対する責任によって自らを正当化してきた。このような責任は、 教育者も社会もわずかに制限されてしか引き受けることができない。 子どもは徐々に自分の未来について責任を負うようになる。しかし、 この過程において子どもの欲求と関心に教育学的なまなざし(B輩ck). が増すにつれて、ますます現在(Gege益w頗)が時間カテゴリーとな. 24.
(28) ってくる。しかしこの時間的パースペクティヴは、教育を基礎付ける ものではなく、せいぜい子どもとの交際、それゆえ共同生活を基礎付 けるだけである。. ②子どもの教育(学)化(pa{絃gogisierung)は、子どものための経験空. 間を教育学的に形成することと考えられ、その中で子どもは学習し、 自己を形成しながら将来の準備をする。ところが、教育(学)化は子 どもの方へ向けられていたそのような制限から解放され、教育学的規. 制に従って全ての年齢層に影響を及ぼそうとする一般的な社会的傾向 と発展し、世代間の差異を取り去っていく。. ③近代の教育科学は、普遍的な教育(学)化を基礎付け促進するもので. あるから、もはや、教育学的行為・教育学的責任のパースペクティヴ のもとで、子どもの自律性や諸能力の発達一それゆえ生活記録的に一 という観点からではなく、機能的に考える。そのため、教育科学が記 述したり研究したりする対象は、教育過程ではなく社会化過程である。. ④世代間の関係、従って厳密には子どもと大人の関係、そこに想定され ている成熟・知識及び経験の違いは、従来、教育関係の決定的な前提 と見なされていた。しかし、この閣係は変化してきた。すなわち、世. 代間の教育的に重要な相互作用は、わずかにきわめて制限された形で しか存在しなくなった。その代わりに、同年齢集団の縫会化の影響が 大きな意味をもちはじめた。. ⑤この傾向は、次のことによって支持される。すなわち、子どもと成長 しつつある人々の支配的な社会化経験は余暇と消費の経験、それゆえ. 現在志向的な経験であり、これに対して「労働」という従来の生活の 中心は、主観的にも客観的にもその意義を失ったということによって である7。 このテーゼからわかるように、ギーゼッケは「教育」の終焉の理由を歴史的 文化的変化に伴う「子ども期の終焉」、「大人と子どもの世代関係の変化」に求. めている。大人は、これまで子どもの未来に対する責任によって自らの行為を 正当化してきたが、それは大人と子どもの世代的落差が根幹にあったからであ る。しかし、大人と子どもの落差的関係は、「労働」が生活の中心であったがゆ. 25.
(29) えに成り立っていたものであり、今や「余暇」、「消費」が生活の中心になった。 「余暇」、「消費」という現在思考的な経験の上では、大人と子どもは、購費者」. という意味では岡じレベルになってしまい、大人と子どもの世代差における大 人の子どもに及ぼす影響は減少する。そして、大人から子どもへの社会化より も、子どもは、同年齢集団による社会化の影響が増してくる。 ギーーゼッケは、著書の冒頭にアリエス〈A驚ies,Ph.1914−1984)の『〈子供〉. の誕生誰く1960)8からの引用が掲げられていることからもわかるように、アリ. エスが提起したような近代的なf子ども期」概念と「教育2概念の歴史的相対 性を議論の指針にしている9。そして、この「子ども期の終焉」を悲観的に取 っているポストマン(Po8伽a鶏N)とは異なって、ギーゼッケは、子どもの子 どもらしさの止揚をまったく肯定的に捉えており、その止揚が大人と子どもの 問の交際においての新たな可能性をも切り開いているという10。 ポストマンは、『子どもはもういない』(1982)11の中で、大人と子どもの文 化的な分離を「読み書き能力」によってつくられたとしたが、ギーゼッケは、 「子どもの大入からの分離は、まず第一に読み書き能力のゆえに発生したので. はなく、すくなくとも市民社会的一資本制的社会における労働組織のゆえにも 発生した」12という。その理由として、子どもたちは、文字文化により産業の 労働過程から分節化されたのではなく、ギ彼らが改良されたテクノロジーとそれ. に結びついた、テクノロジーとのやり取りにおけるより大きな責任に精神的に も肉体的にももはや耐えられなかったから」13ということをあげている。. ギーゼッケはこのような、ブルジョア的教育の前提が揺らぎ、そして大人と 子どもの文化的落差の関係が、「労働」に代わって「余暇」、「消費」が生活の中. 心になることによって、大人と子ども関係における落差が減少するこのような 歴史的文化的変化を肯定的に捉え、副題にもあるように「家庭と学校にとって 新たなチャンス」と見ている。では、それはどのようなチャンスなのか。以下 ではその問題を見る前に、傲育」の終焉の鍵概念となる「教育(学)化」につ いて見ていく。. 26.
(30) 第二節教育(学)化 1 子どもの教育(学)化 ギーゼッケは「教育(学)化」について、ギ子どもの教育(学)化」と「社会. の教育(学)化」に大きく分けて、この2つの概念が互いに対応しあっている という観点から論じている。. ギーゼッケによると、子どもの教育く学)化は、18世紀の啓蒙の時代に市民 社会の教育に照応して始まったとされる。この時代には、共同体の中での先行 世代から次世代への生活様式の文化伝達が再生産するという循環的な関係が機 能しなくなった。それにともない「出自原理」から、人間的な祉会的地位の上 昇も下降も個々人だけの能力に依存する「業績原理」への転換が起こった。. ギーゼッケは、子どもを大人から切り離す契機として、①ポストマンの『子 どもはもういない』で提起された「書物の文化」、②先にもあげた労働組織ゆえ. の子どもの精神的・肉体的の限界、③子どもと子どもの将来に対するブルジ3 ア的利害・関心の3つあげている。ブルジョア的利害・関心とは、「業績原軸 が徹底されるにつれ、市民の社会的上昇が可能となることによって、この時代 には子どもの教育に関心がもたれるようになることである。. これれら、3つの契機が共同して、子どもは充実した社会的生活及び他の世 代との交際から離され、一種のf教育州」〈Padagogishe P翌ovi登z)の中で、い. ずれにせよ固有の子ども世界の中で、本質的には同年齢の者達の間で、そして 生活現実と離れて抽象的な学習の要求をたて、個人業績のブルジョア的原理を 貫徹する学校の中で成長することになる14。つまりここでは、現実の生活から 切り離されて、抽象的な学習が要求され、偲人の業績という社会の一般の原理 が妥当しており、子どもの開かれた未来、教育可能性、陶冶可能性という美し い理念は、現実には学習によって自分の未来をつくり出すことを要求するのみ になった15。こうして「子どもの教育(学)化」が徹底されていくことになる。. 2 子どもの教育く学)化が内包するもの ギーゼッケは、こうした子ども観の転換を表現したものとしてルソー (Rousseau,」1712−1778)をあげている。ギーゼッケによると、ルソーは、. 子どもをただ単に小さな大人であるばかりでなく、固有の観念と感情を持った. 27.
(31) 独自の存在である、そしてそれゆえに子どもの現在の子どもらしい生活を単純 に大人の将来の犠牲にしてはならないということを主張した16。しかし、この 子どもの子どもらしさという考え方は二通りの意味を持っているという。すな わち、今や子どもの生活と体験に向けられた注意が一:方では教育行動において. より思いやりをもって公正に適切に振舞うという深い理解と開かれた可能性に 至るとともに、他方では、それによってルソーは教育学の専門家と科学との怪 しげな同盟を基礎付けた17。つまり、子どもの未来と同様に現在も大切にする こと、子どものしたいように教師の手の中で教育することは、子どもが何を必 要としているかについて、子ども自身ではなく、大人一しかも教育の専門家一 の方がよく心得ていることをしめしており、「教育(学)化」をさらに助長する. ことになる。こうして、子どもの発達にとって何が良いものであるかについて の決定は、教育の専門職に委ねられることになる三8。ギーゼッケによると、こ. の傾向を促進したのは、19世紀から20世紀にかけて展閑された新教育運動で あるという。. ギーゼッケは、教育(学)化を推進していた市民社会の教育の正当化基盤で あった子どもの未来にたいする配慮が薄らいできたことについて次のようにい う。昧来は現在や過去よりもよりよいものでありうるのみならず、よりよいも のでなければならないというのが、ブルジ藁ア的資本主義社会を考える不可避 の前提であった。この未来志向性は、より多く生産すること、よりよいものを つく撃出すこと、より多く稼ぐこと、なにかよりよいものになること、これら はみな今臼の杜会の核心にあり、個々人の行為の方向付けの決定的な基準にな っている。この社会の未来志向と佃人史的な未来志向がなければ、近代的な意 味での教育はない。その場合には子どもとの共同生活があるにすぎない撞。」. 未来志向において、現在進行している生活は通過段階に過ぎず、噺来のために 現在を犠牲にするな」というルソーの要請は実践において常に困難に出会う。. 新教育が子どもの直接的な関心と欲求を論じるほど、ますます将来展望はその 視野から落ち、それとともに、ブルジョア的教育の正当化もわずかなものにな った20。今や、中産階級の子どもにとって、未来は簡単にはとらえがたいもの になり、子どもの中に内面化されなくてはならないものになるに応じて、未来 は成熟の過程と同一視され、子どもに貞分の責任が委ねられ、大人の力から解. 28.
(32) 放されることになる21。. ギーゼッケは、このような変化から生じる2つ帰結を指摘する。一つは、子 どもの将来に対する親の影響力が実質的に減少し、将来展望が子どもの内に内 面化されざる得なくなるに応じ、子どもは家族の連関から切り離され、子ども の将来が家族から解放されたことである22。そして、それはブルジョア的な個 人化の原理を家族の中でも徹底化されると同時に、子どもは公共財として、社 会によって教育が保障されることになった23。かくして、子どもの将来に対し て親は二重の意味で無力になった。親はもはや子どもの未来を自由に扱うこと はできなくなり、それとともに、子どもには親の意志から独立した社会的な未 来に対する権利が認められることとなった24。. もう一つの帰結は、心理学的な帰結であるという。未来のパースペクティヴ が不鮮明になるにつれて、どのような職業にチャンスがあるかが流動的になり、. 学校での経験をどう方向付け、その経験が将来の仕事にとってどのような役に 立つのかが分からなくなる。その結果、現実に志向した生活プランではなくて、. 自分の内面性に内省α瞭ospection)する傾向が強まり、あるいはナルシズム 的な自己像に陶酔するというようなギ心理学化」が生じる25。 ここで、学校がわずかにしか子どもの将来を保障し得なくなればなるほど、. f子どもの保護機能」をより多く負担しなければならなくなる。つまりf一定 時間子どもを預かり、この時間だけは、親の仕事を代替する」という機能であ る。そしてゼ学校はますます子どもの未来ではなく、現在に関心を持つように なり、学校はこうしてほとんど子どもの未来のために教育しているのではなく、. 子どもたちをその社会的な可能性の枠内で社会化している」26とギーゼッケは いう。そして家庭では、未来パースペクティヴが失われ、子どもそのものに定 位しなければならなくなるに応じて、子どもに対するつながりはいつそう「情 緒化」他notめ無alisiere丑)される。ギーゼッケによると、子どもにいつくしみ. を与えたり与えなかったりといった「情緒性」〈E撮otiona翫蕊t)は、事実上す. でに失効した子どもの未来にたいする親の経済的な権力の「代替権九として 発展する。その結果、次のようなパラドキシカル状況に至るという。槻が一役 三分揖の拡大の結果、特に母親が一子どもの学校経験や学校での課題、子ども の将来に強く口出しする機会が多くなったが、子どもの現在を固定化し、子ど. 29.
関連したドキュメント
はじめに 第一節 研究の背景 第二節 研究の目的・意義 第二章 介護業界の特徴及び先行研究 第一節 介護業界の特徴
緒 言 第圏節 第二節 第四章 第一節 第二節 第五章 第口節 第二節第六章第七章
第2章 検査材料及方法 第3童 橡査成績及考按 第1節 出現年齢 第2節 出現頻度 第3節 年齢及性別頻度
第I節 腹腔内接種實験 第2節 度下接種實験 第3節 経口的接種實験 第4節 結膜感染實験 第4章 総括及ピ考案
第二節 運動速度ノ温度ニコル影響 第三節 名菌松ノ平均逃度
第1節計測法 第2節 計測成績 第3節 年齢的差異・a就テ 第4節 性的差異二就テ 第5節 小 括 第5章 纏括並二結論
小学校学習指導要領総則第1の3において、「学校における体育・健康に関する指導は、児
第1章 総論 第1節 目的 第2節 計画の位置付け.. 第1章