組織研究と時間
林 徹
Abstract
In this paper, we rethink the time so as to develop organization theory further. Firstly, we compare savage thinking(i.e.,not-time oriented)by L áevi-Strauss with cultivated thinking(time oriented). Secondly, we review such areas as art, literature, philosophy respective- ly, because the time in those areas seems to be not cultivated but thought savagely. After that, we illuminate the theoretical direction and introduce some theoretical issues in terms of organization and time, de- pending on recent development by Roe(2009).Especially, we discuss four theoretical issues: the four cells by chronos/kairos and resear- chers/actors, the chronometric research, the level of analysis, the relationship between subjective/objective and time/not-time.
Keywords:savage thinking, experienced time, chronometric research
目 次 1 序
2 非物理的時間
(1)野生の思考
(2)哲学・文学・芸術 3 ロー(Roe)の所説 4 考察と展望 5 結語
1 序
組織は時間の産物である。また,いかなる組織の概念も必ず何らかの人間 観を伴う。
均質な人間観ではなくて,多様な個性に基づく人間のライフ・サイクル
(
Levinson
,1978)の観点から,こうした多面性を持つ組織(Morgan
, 2006)と,直線的と円環的の両面性をもつ時間(阿部,2002,2007)に関し て,われわれは両者の関係を明らかにしようと試みた(林,2000)。その作業は,しかしながら,伝統的な管理論(
Taylor
,1911;Fayol
, 1916)が根ざしている直線的な時間観に対する批判が中心であって,いわば 問題提起的なレベルにすぎなかった。われわれの関心は,即興演奏家における以下のような現象をどう説明する かということにある。ただし,グループやリーダーといった用語については 他で整理しており(林,2005
a
),また,ロック・バンドにおけるメンバーの 離合集散についても,組織論の視角から試論している(林,2005b
,2006)。 グループの性格は,その時点でだれが「リーダー」になっているかによっ て決まる。ディスカッションや民主的方法によって決まるのではなく,リー ダーは心理上の連帯感や共謀意識の面で,その時点でだれが一番支配的な影 響力をおよぼしているかによって決まる。あるメンバーがリーダーになると,その持続期間はまちまちで,その間,メンバー同士の対立を抱えつつも,そ のリーダーの好みや演奏スタイルがグループに反映される。その責任の重圧 に疲れるとリーダーは交代して,それまでのリーダーは反逆側になる。表面 的には姿勢の対立がでてきても,全体の結果としては一貫性のある「結束し た」,グループの一体感がもたらされる。時間の流れとともにグループの性 格が変化しても,その一体感は持続する(
Bailey
,1980,邦訳,206頁)。このような問題意識から,本稿では,第1に,非物理的な時間に注目する。
すなわち,レヴィ=ストロース(L áevi
-Strauss
,1962)による野生の思考と,それと対照をなす栽培思考(または家畜化された思考)において,それぞれ 時間がいかに位置づけられているかを中心に比較・整理する。さらに,野生 の思考と深く関連していると考えられる芸術・文学・哲学の領域における時 間の位置づけについて紹介する。それらをふまえて第2に,ロー(
Roe
, 2009)の所説に拠りながら,組織と時間に関する研究の方向と理論的な問題 点を紹介する。第3に,非物理的な時間の観点からローの所説を批判的に考 察して,今後の課題を展望する。2 非物理的時間
(1)野生の思考
時間に関して,野生の思考と栽培思考は決定的に異なる。歴史観あるいは 世界観の違いと言い換えることもできる。その違いは,レヴィ=ストロース
(L áevi
-Strauss
,1962)によれば,次のように要約される。野生の思考の特性はその非時間性にある。それは世界を同時に共時的通時 的全体として把握しようとする。その世界認識は,向き合った壁面に取りつ けられ,厳密に平行ではないが互いに他を写す幾枚かの鏡に写った部屋の認 識に似ている。多数の像が同時に形成されるが,その像はどれ1つとして厳 密に同じものはない。よって像の1つ1つがもたらすのは装飾や家具の部分 的認識にすぎないが,それらを集めると,全体はいくつかの不変の属性で特 色づけられ,真実を表現する。この意味で,栽培思考と区別される。栽培思 考の歴史認識は,不連続的・類推的ではなく,連続的・間隙充填的である
(邦訳,317‑318頁)。
近代企業における定常的で循環的な管理過程は,物理的時間に基づく納期 こそが経済活動の秩序維持手段として把握される(栽培思考)。これに対し て,野生の思考に立脚すると,非定型的で脱循環的な活動,あるいは新製品 開発における密造(
bootlegging
)の根源に迫ることができると考えられる。そのような非定型的で脱循環的な活動と関連して,小田(2000)は,ブリコ ルール(
bricoleur
)によるブリコラージュ(bricolage
)を野生の思考の本 質として位置づけて,以下のように説明する。エンジニアが用いる概念は,現実に対して透明であり,資材の集合そのも のを更新することによって,事前の計画とでき上がりがつねに一致している。
それに対して,ブリコルールがまず行なう仕事は,雑多に集めておいた道具 と材料のもちあわせの全体との一種の対話を交わして,感性的なものと理性 的なものを切り離さずに,いま与えられている問題に対してこれらの資材が 出しうる可能な解答のすべてを並べ出すことである。したがって,でき上が りはつねに,手段の集合の構造と計画の構造の妥協として成り立つ。でき上 がったとき,計画は当初の意図(単なるスケッチ)とは不可避的にずれる。
計画をそのまま達成することはけっしてないが,ブリコルールはつねに自分 自身のなにがしかを作品の中にのこすのである(小田,2000,139‑140頁)。
(2)哲学・文学・芸術
この高度産業社会において,環境の変化は激動的であるとしばしば人口に 膾炙される。しかし,この世における「時代の変化」なるものは,実際には,
人間関係の本質に対してほとんど影響を与えていない。三隅(1966)は,そ れを次のように指摘している。
「たしかに,状況は刻々に変化する。しかし,知識の本質というものは,
この変化する状況のたたずまいをただ忠実に追いかけて理解することに見い だされるよりも,その変化する状態を未来に対して予測することによって,
その状況をコントロールすることにある。とすれば,変化する側面にいたず らに固執する態度から一歩引き下がることを学ぶことが重要であろう。(中 略)生活環境のめまぐるしい変化に比較して,人間それ自身がもっている人 間的条件はどれほど本質的に変化してきたであろうか。人間が,他の人間を 愛し,憎み,笑い,泣く,その人間関係にいったいどれほどの近代化の影響
による質的変革が生じたであろうか。ランプ,電燈そして原子力発電への変 革に比較できるような変革が,人間がもつ人間的条件に生じたとは考えられ ない。」(三隅,1966,113‑114頁)
ここで言う「一歩引き下がる」とはいかなる意味であろうか。よく知られ ているように,三隅は,集団の機能とリーダーシップの機能の関係を抽出す る方向へ向かった。これに対してわれわれは,人間関係の理解に対する時間 の影響に注目する。
しばしば耳にする言葉に次のようなものがある。「心配するな。嫌なこと は時が解決してくれる。」哲学の見地からその本質を衝いていると思われる のは,太田(2008)による次の説明である。
人生の折々に受けた感銘は追憶にとっての駅となる。このような駅を多く もつ人は心が豊かである。人は現実の行為によって心が癒されると思って行 動にとりかかる。しかし現実の行動が心の飢えを癒すことはめったにない。
これに対して追憶は,新たな栄養素を注ぎ込むことなしに心に充足を与える。
追憶によって新たなものは生まれないが,そこには成就があり,深い安堵が ある。山に登る人は山頂に達する喜びが苦労の甲斐と思いたがるものだが,
真の歓びは山を降り,いま踏んできた山頂を振りかえるときに訪れるものな のである(太田,2008,136頁)。
「一歩引き下がる」とは,このように過去を振り返ってみること,これに 他ならない。挑戦することそれ自体ではなく,リアル・タイムとは異なる視 点や心構えからその挑戦を事後的に意味付けることである。そうすることで 嫌なことも嬉しいことも忘却の彼方へ追いやられてゆくのである。
なるほど,「駅」の意味は物理的な時間の流れとともに変化する。そうで あるからこそ,嫌なことは忘れられる。他方,未練は変化しないからこそ,
あるいはそれが強化されるがゆえに,未練という。これはいったいどういう ことであろうか。この疑問に対しては,太田の言う「駅」が何であるかを明 らかにすること,それが導きの糸であるように思われる。
ひとたびその人の心に建立された(定着した),非時間的存在としてのそ のような「駅」は,ベルクソン(
Bergson
,1889)のいう純粋持続の概念と 符合するように思われる。浜田(2007)によると,「純粋持続」は次のよう に要約される。人間にとっての真の時間である「持続」は元来,測定には適さない質的な 変化のように感じられる。その真の姿はそう簡単に捉えられない。というの は,われわれの習性としての知性は,持続を常に空間に置き換えて分割して 考えてしまうからである。空間化された時間は日常の生活を円滑に行なうた めに必要である。これに対して,「持続」を表すのにもっとも適した比喩は メロディーである。
われわれは意識によってメロディーを感じることができる。メロディーに おいて,直前に聞いたいくつかの音を,その経過の順序に応じて意識のなか に留めておいたり,まだ聞こえていない音を予測できるのは,それ(または,
それに似た)メロディーを聞いたことがあるという「記憶」の働きがあるか らである。こうして「持続」は記憶を必ず含む。
通常,われわれは,過去に「今」が加算されたものを時間の経過と誤解し,
それを測定可能としがちである。しかし,持続は一連の連続した質的変化で ある。たとえば,ジャズ・ピアノは,演奏者による即興によって,自由に,
特定のメロディーを微妙に変化させながら変奏の妙を醸し出してゆく。そこ には,聞く者の予測から微妙にズレていくという自由自在さがある。ベルク ソンは,「持続」におけるこうした未来の予測不可能性を,広く「エラン・
ヴィタール(生命の飛躍)」という独自の言葉で表した。予測不可能性は,
同じ性質のままでありつづける物質の本質とは異なる,生命一般の本質であ る(浜田,2007,220‑227頁)。
ベルクソンによるエラン・ヴィタール(áelan
vital
)こそ,非定型的で脱 循環的な活動の根源の1つであると考えられる。非科学的であると非難され 続けてきた,ドリーシュ(Driesch
,1914)によるエンテレキー(entelechie
)もそれと同じである。
ベルクソンによる純粋持続の概念は,文学へも影響を与えた。たとえば,
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(
Woolf
,1927,The Light House)の中心 テーマは,時間の経過,老令と死である。ウルフは,時間の無常さにもてあ そばれる人間のはかなさ,悲哀といったものを抽きあげている。ウルフの心 中に常にあったのは,非可逆的な物理的時間と可逆的な心理的時間との葛藤,その言語的表象であったと推察される(永野,1994,12頁)。
最後に,浜田の説明におけるメロディーと関連して,西洋音楽と日本音楽 のリズムの違いに注目する。なぜなら,音楽は時間の芸術に他ならないから であり,またそれらの間の違いが,栽培思考と野生の思考の違いと並行して いるように思われるからである。
国安(1981)によれば,日本音楽のリズムは「アクセント段階拍子」に基 づいていない。つまり拍子リズムではない。西洋音楽にみられるような,空 虚な時間測定あるいは時間単位,つまり拍子というものを媒介しない。日本 音楽のリズムは,音の出現それ自体によって生じるリズムであり,音の発現 それ自体と一体となった一元的な時間構造を持つ。言い換えると,西洋音楽 のリズムが,音相互間の強弱,長短,高低,音色の関係によって生じるのに 対して,日本音楽のリズムは,音の発現それ自体に基づく。音が発現する,
続いて次の音が発現する。その空隙が「間」である。こうして音の発現によ って次々と「間」が作られてゆき,この「間」の緊張関係によってリズムが つくられる。これが日本音楽に独自のリズムである(国安,1981,223頁)。 また,佐藤(1987)は,邦楽(日本音楽)の特性を次のように表現する。
すなわち,西洋音楽においては時間に囲を設け,意志という錘をつけて質量 化するのに対して,邦楽では時を無化する方向へと自ずと働く,と(佐藤,
1987,256頁)。
日本語・日本文化に通底する「間」のリズムは,動的(時間的)なイメー ジが静的(空間的)なイメージにとけこんでいるという特質をよく表してい
る。それは,三味線における「サワリ」や相撲における「しきりなおし」な どに見られるように,「なる」という持続的な自然の時間感覚そのものの動 的な表現になっているからである(有馬,2001,138‑156頁)。
「間」は,太田が言う「駅」と通底しているように思われる。ただし,前 者がリアル・タイムに感じられるのに対して,後者は追憶によってはじめて その存在が確認される点で異なっている。しかし,両者が,ちょうど変態
(
metamorphosis
)における共時的・経時的な同型性,これと同じ性質をもつとみれば,理論的に整合的に理解することができる。ただし,そのばあい,
「間」と「駅」の間の通約可能性(
commensurability
)の問題は残る。3 ロー(
Roe
)の所説以下では,組織と時間に関する研究の方向と理論的な問題点について,ロー
(
Roe
,2009)に依拠しながら紹介する。ローは,時間や組織に対する研究者の心構えに注目して,3つの問題を指 摘している。第1に,時間に対する見方が多様であるために理論展開が滞っ ている。第2に,時間と事象を切断する傾向が強く,かつ時間が無視される 傾向が強い。第3に,時間を静的な変数と見るために事象と過程から動的な 特質が没却される。これらの問題に対応して,ローは,第1に,時間に対す る見方を分類し,第2に,それらを統合するために現象に注目することの意 義を説き,第3に,現象と分析レベルの関係について整理している。以下,
それらを要約する。
時間に対する見方は,これを大きく分けると,客観的,直線的,同質的,
測定可能な,ニュートン流のクロノス(
chronos
)と称されるものと,非直 線的,異質的,経験的,出来事といったカイロス(kairos
)と称されるもの がある。前者は,時計やカレンダーのような道具によって計測可能であり「測定時間」とも称される。出来事は,日記やスケジュールといった記述や
人工物によって,直接あるいは間接に,人々の経験によってのみ把握される。
したがって,「経験時間」と称される。
この区分は,時間を認識する研究者にもあてはまる。アパレル産業の人た ちの時間が季節や景気循環に規定されるのと同様に,研究者の時間は学事暦,
会議や学術誌編集のカレンダーの枠組みによって規定される。しかし,研究 者の役割と研究対象の組織とでは,経験時間,タイミング,概念上・操作上 の道具の使い方,これらが異なる。研究者は,したがって,研究対象にあわ せて学事暦や講義の予定を組んでいるのではなく,研究対象としての組織の 人たちを研究しながら自らの仕事をこなしている。参与観察に割く時間もあ れば,エスノグラフィー分析に従事する時間もある。
こうして,クロノスとカイロスは,それぞれ研究者と研究対象にあてはめ ると4つに区分される(表1)。
表1 当事者と研究者の時間の見方(出所:Roe,2009)
第1に,「いま」は,その人の考え方によって異なり,活動に影響を与え るが,研究者にとってはそれは重要ではない。研究者にとっては「いま」の 客観的な長さだけが問題となる。第2に,「リズム」は,バンゼル(
Bunzel
, 2002)によれば,外部観察者としての研究者が記録する客観的なものではな く,研究対象としてのホテル従業員の「ナマの経験」である。言い換えると,研究者が記述した意思決定過程のエピソードは,当事者の経験時間とはほと
んど関係がない。
時間または内容を捨象すると組織のダイナミクスを見誤る。そうならない ために,組織の出来事に関する時間を捉える一般的な方法として,変数では なく現象に焦点を当てる。ある出来事は,「一定の時間内に特定の対象にお いて生じる(あるいは一連の)事象」として定義される。少なくとも誰が,
何を,いつといったような,多くの参照点が,現象を特定するのに必要であ る。誰とは,個人やチームといった対象や当事者を指し,何とは,意思決定 や業務遂行といった内容を指し,いつとは,「時刻」として特定される。
現象の内容は「出来事」という言葉で説明できる。たとえば,リーダーシ ップやコミュニケーションを別にすれば,ダイナミックな過程を言葉で伝え ることができる。図1のように,現象は,時間制約的かつダイナミックなも のと考えられる。時間制約的とは,現象に始点と終点があって(期間),ダ イナミックとは終始の間で1つ以上変化がある,という意味である。ダイナ ミクスとは,変化のパターンを指すが,そこに1つ以上の変数が介している かもしれない。
図1 ある現象の時系列的特徴(出所:Roe,2005a)
現象という概念は,多くの方法で一般化されうる。あるチーム内における 信頼という1つの属性でもよいし,信頼と対立という2つの属性の集合でも よい。現象が繰り返して表面化したり,あるいは現象が中断されると,現象 は複数の集合レベルから同時に定義されうる。こうして,その日,週,月,
四半期,年などの成績を語ることができる。さらに,現象は単一の事象だけ でなく,意思決定,チームの成長や組織の変革というような,一連の事象に 対しても定義されうる。現象を制約された時間から見ることは,何かが始点 と終点の間に起こっているという意味と,それがライフサイクルとして考え られるという意味である。したがって,現象の研究の出発点は,それを記述 することと,始点,期間,展開を定義する媒介変数を設定することである。
現象の概念を導入すれば,次の3点から組織の出来事をダイナミックに捉 えられる。時間を無視したり固定したりせず,出来事に時間という感度を与 えられること。同期性,連続性,あるいは因果律といった単純な概念とは異 なる,時間との関連という別の見方を展開できること。長期歴史的な観点か ら普遍的な問題を知覚できること。
そのための枠組みとして,3つの分類が示される。
第1は,当事者の意識と直接関係がない「客観的な」現象と,当事者の考 えに基づくないしそれがなければありえない「主観的な」現象の区分である。
多くの研究者は組織を社会的に構成された主体と見ており,また出来事も社 会的に構成されていると見るが,組織は「理想」や「想像」に近い物的な存 在でもある。航空会社はヒトやモノを空輸し,建築会社はビルを建て,軍隊 はヒトを殺して略奪する。組織に関わる人々は元来,主観的な存在と見られ る。しかし,その手足が道具を使い,行動が調整されて,物的な外界を変え てしまう。言い換えると,組織や人々には客観的な側面がある。この主観と 客観の織りなす現象が,組織研究の1つのトピックとなる。客観的な現象の 例は,組立,構造,習慣,業績であり,主観的なそれは,正義,対立,時間 観である。
第2は,当事者が明示的に時間を扱う現象と,暗示的なそれである。組織 学習,時間管理,時間観などがその例である。
第3は,組織,部門ないしチーム,それに個人のレベルである。表2のよ うに,現象の範囲は3つのレベルで把握される。現象の例が個々のセルに示
される。
表2 2つの現象の時系列的分析の枠組み(出所:Roe,2006)
現 象 P
特 徴 始 点 期 間 ダイナミックス
現
象
Q
始 点 1 4 7
期 間 2 5 8
ダイナミクス 3 6 9
この表にまとめられたのは,いずれも名詞という意味で「伝統的」である。
時間に関する研究の第1段階として,これらの名詞は動詞に変換されねばな らない。たとえば,革新は革新の実施,創造性は創造,信頼は信頼獲得,リー ダーシップはリーダーシップの発揮,離職率は離職,というように。これは 重要である。たとえば,名詞は能動態が受動態の動詞へ,あるいはその両方 へ変換されるかもしれないし,そのことは研究上,まったく別の意味を持つ。
次に,個々の現象の終始。すなわち,時間の流れでのその現象の展開と同 様に,始点と終点を問う。具体的に考えてみると,ダイナミクスの多くが明 かでないことがわかる。現象の始点,展開の期間など,そのほとんどが知ら れていない。同調化,共通時間でのモデルや計画策定というような,時間が 問題でないところでも然りである。時間に基づく現象の記述は,ある程度の 経験的な実証が可能となる言葉で言い換えられるべきである。その一例が,
バンゼル(
Bunzel
,2002)によるリズムに基づく組織の研究である。時間を気にしすぎることの危険を考慮しても,時間を暗に意識した現象に 注意を払うことは重要である。当初は時間の枠組みに「馴染まない」ように みえる現象であっても,時間の面から解釈することができる。
区分された現象に関して時間の流れの中でのダイナミクスを記述すること が,組織研究の最終目標ではない。この分野の関心は,当事者の相互作用で あり,組織,集団,個人,物的な対象(人工物),これらの相互作用である。
現象間の関係に注意を向けることで,いくつかの興味深い問題が浮かぶ。
第1に,同じレベル(組織,集団,人工物,個人)における複数の現象間 の関係について多くの問題がある。たとえば,パワーの行使と組織風土,チー ムの協力と共通感情,時間の管理と業績,がそれである。時差,持続,安定,
成長,衰退といった側面にも注目すべきである。当初はなかった結びつきが 後にプラスかマイナスのそれになるかもしれない。たとえば,組織のリズム の発展が社会的な統合に繋がると考える(
Bunzel
,2002)なら,その影響 の有無,またその速さを知りたいはずである。表3 クロノメトリック研究のレベル間関係の例(出所:Roe,2009)
第2に,表3における矢印に示されるように,現象が異なるレベルにまた がるときに生じる問題がある。たとえば,組織研究者は,組織レベル,チー ムの間や人間関係上で生じる事象における因果関係を安易に想定する。また,
「上位階層」の人たちが組織に影響を与えると想定する。しかし,管理者が
時間をどう考えるか,幹部同士がどのように相互作用しているか,組織がい かに変動するか,といった異なるレベルにおいていったい何が生じているの か,また,それらの関係のありよう,すなわち,管理者の認知のどの面があ るいは幹部同士のどんな相互作用が組織変動と関わっているのか,といった ことを問うてみれば,依然としてはっきりしていないことが多い。たとえば,
管理者同士における「時間的切迫」という,迅速なコミュニケーションや,
ITの影響について,研究者は関心を寄せている(
Odih and Knights
,2002;Purser
,2002;Sabelis
,2002)。しかし,その現実と影響は未だ限定的であ るため,さらなる研究が必要である。そのように現象をみる方法から生じる 一般的なトピックは,組織の下で個人や集団がいかに時間に関する考え方や 規範を受け入れるかという「時間の社会化」とともに,管理者や他の当事者 が時間をいかに位置づけているか,である。第3に,「異質な」現象のレベル間相互の関係が研究者の関心を惹きつけ る。たとえば,組織のリズム,チームにおける計画策定,あるいは緊急事態 など,時間に関する現象が,組織の革新,チームの創造性,心理的契約とい うような非時間的な現象といかに関係しているのか。また,時間厳守,共通 する知覚,好調といった主観的な現象が,組織学習,集団の結束,個人の業 績といった客観的な現象といかに関係しているのか,その逆はどうか。こう いった関係の多くは実際,探求されている。たとえば,主観的に決められた 時間厳守は,他者にとっての同調因子となる。チーム内で生じることは比較 的記述しやすいが,何がいつ,いかにいつ,といったダイナミックな側面に ついてはその全体像はあまり明かにはならない。チーム構成員の考え方が何 を起源として,いつ,いかに形成されたか,それによってチームが実際に行 うことがどんな影響を受けているか,などはまったくわかっていない。これ らが伝統的な研究で見逃されてきたことであり,時間に関する研究方法で明 らかにされうる。
主観と客観,時間と非時間の現象は,様々なレベルにまたがる複雑な相互
作用である。オーケストラがその好例である。指揮者と他の演奏者の主観的 な考えが同時に投入され,練習と学習を経て,高度の同調化に繋がる。ミュー ジシャンの活動の同調化は,少なくとも演奏中は,組織全体レベルの客観的 な現象として現れる。それは聴衆にさえも波及する。偶然の咳払いは別とし て,聴衆はオーケストラの演奏に合わせて静聴する。オーケストラの例は,
主観と客観,時間とともに変わる情景の間の複雑な相互作用を示している。
こうして,作曲家は1週間かけて,主観的な曲を,具体的な小節から成る客 観的な楽譜にかえる。さらに,ミュージシャンは,3週間リハーサルをして,
客観的な楽譜を主観的な曲に変え,主観的な曲を客観的な音で表現する。こ うして,実際のその演奏はわずか5分で終わってしまう。
時間の中での組織現象を一般化するという課題は,これまで注目されてこ な かっ た。 歴史 指向 が強 く, 文脈 要因 や経 路依 存性 が強 調さ れて きた
(
Clegg, Hardy and Nord
,1996)。他方,実証的研究においては長期の傾向 が無視されてきた。時間に関する側面や現象の相関関係に関する研究は,元 来安定的と見られる変数やパターンがいかに実際に変化するか,という面を 強調する。文献は,長期的な安定と変化を調査し始める可能性を示唆してい る。一定のトピックへの研究を続ければ,一定の現象がいつ際立ち,また消 滅するかがわかるかもしれない。一定のモデルの有効性を長期的に評価する には,長期の趨勢を明らかにするために用いられるメタ分析手法(Schulze
, 2004)に訴えなければならない。しかし,本質的に非時間的なデータに依存 すると,あまり役に立たなくなる。組織現象と時間の流れの中でのその関係 がいかに変化するかを理解するには,現場の時間に関するナマの研究が必要 である。時間に関する研究への道は平坦ではない。同調化や時間的な濃さといった 時間に関する現象に注目したり,クロスセクションと時系列を入れ替えたり するだけでは不十分であろう。時間に関して敏感になって,現場で多くの面 を発見する必要はあるが,観察と分析に関与するためには,従来の研究のや
り方と考え方を変えてみる必要がある。当事者の観点から時間を理解する努 力をいくら注いでも,時間を測定し忘れてはいけない。最後に,時間を前景 に出すことは慎まねばならないし,時間を現象の場所に留めておかねばなら ない。
4 考察と展望
以下では,ローによる論点を整理して,主として非時間的な見方,すなわ ち野生の思考の観点から,それらを批判的に考察して,今後を展望する。
第1に,測定時間としてのクロノス(
chronos
)と経験時間としてのカイロス(
kairos
),それに当事者と研究者で4つのセルに分けられた表1について。
経験時間は経験に基づく,としている。しかし,それが回顧的意味づけを 伴う完了形としての経験(
Weick
,1979),太田の言う「駅」,あるいは国安 の言う「間」なのか,それとも客観的な出来事,すなわち単なる過去形とし ての経験なのか,はっきりしない。また,当事者と研究者で分ける意味があ るのか。相対的に考えることの重要性が確認されれば,それで足りるように 思われる。また,ローによる経験時間は,ベルクソンによる純粋持続と同じと言える であろうか。バンゼルによるホテル従業員の事例を引きながら,当事者の
「ナマの経験」が研究者からは理解しにくいという指摘はその通りである。
しかし,その「ナマの経験」と純粋持続あるいはそれに近い考え方の関係に ついて,また,それと非時間的な現象との関係について,ローは明確には論 じていない。
第2に,出来事(
event
)あるいは現象(phenomenon
)への注目につい て。始点と終点を措定すれば,ちょうど体系化された財務諸表分析と同じよう
に,記述は容易であるし,分析レベル間の関係を把握することもさほど困難 ではない。しかし,問題は,完了形としての経験を導入すると,たとえばク イズ番組における事前に告知されていなかった敗者復活戦や,現役大学入試 失敗後における浪人生活の選択などのように,始点はもはや始点ではなくな るし,終点も終点ではなくなる可能性がある。研究者と当事者の違いよりも むしろ,当事者であったはずの者が当事者でなくなってしまうといった,社 会科学固有の厄介な問題が横たわっている。その根拠を,エラン・ビタール やエンテレキーに求めてもかまわないし,単なる気紛れとして片付けること ももちろん可能である。
ところが,そのように方法的に「なんでもあり(
Anything goes
.)」(
Feyerabend
,1975)としてしまうと,何も説明していないことになってしまう。そのような方法上の困難に際して,次のような類推がその対処とし て便宜的と思われる。
ちょうど,ある昆虫が幼虫から蛹をへて成虫になるときのように,第1に,
節目としての変態(
metamorphoses
)をスナップショットで記述し,第2に,変態から変態への脱皮(
ecdyses
)を解明したうえで,第3に,両者を統合 すれば,個体としてのその昆虫の全体像が説明される。これに倣えば,第1 段階においては客観的な記述が中心であり,第2段階においては主観的な記 述が中心であり,第3段階においてはミクロとマクロを包括した総過程の記 述が求められる。ただし,われわれが明らかにしようとしているのは昆虫の 循環的な変態ではなく,手に取ることができない抽象的な存在,時間の産物,すなわち組織であることを忘れてはならない。
第3に,個人,人工物,集団,組織といったレベルについて。
同一レベルであるはずの対象が,時間の流れとともに異なるレベルの対象 になりうること,また,同一レベルにおける対象が,時間の流れとともにそ の特性に反転が生じうること,したがって,他の要素や他のレベルへの影響 が逆転しうること,などがある。
このような多変数間の時間的な流れにおける相互作用を,包括的にかつ十 全に説明することは,そもそも容易ではない。であるからこそ,人間社会は 無味乾燥ではなくて興味深いとも言える。そこで方法的に参考となるのが,
先述の昆虫の変態のモデルである。もっとも,ある昆虫はその昆虫以外には 変異しないのが原則である。これに対して,人間社会,組織は,構造も機能 も構成員も,何もかもが変わりうる。しかし,そのなかから何らかの歴史的・
普遍的な法則ないし原理を抽出して,これを説明すること,それが組織論者 の仕事である。
そこで,われわれは,個人,集団,組織,といった構成員の数,すなわち 規模によってレベルを分ける方法それ自体が,かえってそのような法則ない し原理を見えなくしているのではないか,という疑問を呈した(林,2005
a
)。第4に,主観と客観,時間と非時間の関係について。
ここでふたたび,第1の問題,すなわちクロノスとカイロスの関係に戻る。
ローは,オーケストラによる客観的に5分の演奏の背後関係を丁寧に分析し ている。しかし,さらに重要な問題がある。その演奏が,ある演奏者にとっ て,あるいはある聴衆にとって,永遠とでも言いうるような意味を与えるこ とが実際にある,ということである。ローは同調の面を強調している。けれ ども,反対に,回顧的な意味付け(
Weick
,1979)に基づく,固執や反目の 面にも注目するべきである。それは,「駅」や「間」との関係を明らかにす ることでもある。5 結 語
本稿においては,第1に,非物理的な時間,すなわち,レヴィ=ストロー ス(L áevi
-Strauss
,1962)による野生の思考と,それと対照をなす栽培思考(または家畜化された思考)において,それぞれ時間がいかに位置づけられ ているかを中心に比較・整理した。さらに,野生の思考と関連していると考
えられる芸術・文学・哲学の領域における時間の位置づけについて紹介し た。それらをふまえて第2に,ロー(
Roe
,2009)の所説に拠りながら,組 織と時間に関する研究の方向と理論的な問題点を紹介した。第3に,非物理的な時間の観点からローの所説のうち,以下について,批 判的に考察した。クロノスとカイロス,研究者と当事者の4つのセルで分け ることの意味について。出来事と現象への注目について。個人,人工物,集 団,組織というレベルについて。主観と客観,時間と非時間の関係について。
これら4つの理論的な課題である。
われわれの目的は,「組織の重心」なる概念の彫啄である。時間は,それ に関連するきわめて重要なトピックである。なぜなら,組織は,即興演奏と 同じように,時間の産物に他ならないからである。ベイリー(
Bailey
,1980)によれば,即興演奏は,あらゆる音楽活動のうちで,もっとも広範に実践さ れている一方でまた,認められ理解をしめされることが,もっとも少ないと いう,奇妙な特徴を有している。それは,けっしてとどまることなく,つね に変化し状況に合わせて姿を変えて,分析や精密な説明をするにはあまりに とらえどころがない。本質的に非アカデミックなのである(
Bailey
,1980,邦訳,8頁)。
組織と時間に関する理論的な展開についての本稿におけるレビューをふま えて,既存の試論(林,2000,2005
a
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