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日本電気における原価管理システム進化の考察 *

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(1)

日本電気 における原価管理 システム進化の考察

*

前 田 陽

1. は じ め に

前稿 で は,二段 式標準 原価 計算制 度の誕生過程 につ いて まで明 らか に した

1)

。 しか し, なぜ ,それが誕生 ・存続 し得 たのか。 そ して,その制度 と しての限界 につ いて まで は論及で きなか った。二段 式標準 原価計算制度 は

1970

年代 に入 り, 経営環境 の変化 に よ り,その原価管理 と しての有用性 を失 った とい う2 ) 0

そ こで,本稿 で は,二段 式標準原価計算制度が生み 出 された理 由 を, 日本電 気 の経営環境 とい う視点か ら論及 し,そ して, なぜ二段 式標準原価計算制度 に よる原価 管理 の有用性 が失 われて しまったのか を明 らか に しようと考 える。 そ の二段 式標準原価計算制度 の限界 を探 ってい く過程 の中で,それが存続 しえた 理 由 も自ず と判 明す る と思 われ る。

*本稿は,一橋大学大学院商学研究科 を中核拠点 とした

,21

世紀

COE

プログラム 「 知 識 ・企業 ・イノベーションのダイナ ミクス」のプロジェク ト

21

世紀型組織 モデル と経営 システム」 ( 担当 リーダー :贋本敏郎教授)の支援 を受けて進め られた研究 成果の一部である。同プロジェク トにこの場 を借 り,厚 く御礼申し上げたい。また,

日本電気 システム建設㈱の専務取締役 を務め られた安部彰一氏か ら貴重なア ドバイ スを頂戴 した。併せてここに感謝の意を記す。

1)詳細については,前田

(2007)

および前田

(2008)

を参照。

2

)小池

(1991)

,1970

年代に入って経営環境が変化 したため,その意義が薄 らい だとしている

(pp.160‑165)

。また,日本電気 ・相模原事業場 を訪れた贋本

(1986)

も,三田工場の伝統 を引 き継いだ相模原事業場でも,その当時,二段式標準原価 計算制度は転換期を迎えていたという。

187〕

(2)

188

商 学 討 究 第

59

巻 第

1

2.

二段 式標 準原価 計算 制度誕 生 以前 の 日本 電気

本論 に入 る前 に, まず明確 に しておかなければな らないことがある。それは 前稿 まで筆者 は,草創期か ら二段式標準原価計算制度 を生み出 した1

950‑60

年 代 までの 日本電気 を電話機器製造会社 として描いて きたことである。だが,二 段式標準原価計算制度が生 まれた1

950

年代で さえ,既 に 日本電気 は電話機器製 造事業だけの会社 とは言 えな くなっていた。すなわち,創業か ら半世紀が経過

し, 日本電気の事業領域 も広が りを見せていたのである。

こうした点 も明 らかにしておかなければ,本研究 も同社の一事業領域 につい てのみの言及 に終始 して しまう。そこで,二段式標準原価計算制度 を誕生 させ た当時の 日本電気の概観 を表わすため,本節で説明を加 えてお く。

2‑ 1

戦前 ・戦中における通信機器分野への事業拡大

草創期か ら戦前 におけるまでの 日本電気の躍進は,電話網整備が続いた上, 顧客 である政府や軍部が要求す る品質や納期 の製品 を生産 していたことに よ る。顧客 と緊密 な関係 を築いた結果, 日本電気 は官需や軍需 に応 えて新たな製 品を生み出 し,事業領域 を拡大 させてい くことになった。

1932

年 に

ISEか ら住友 に経営権が移行 された後 も, 日本電気 は満州事変発

生 を契機 とする軍需や,満州国建設 に伴 う通信網の整備 を背景 として業績 を拡 大 させた。広大 な満州では,有線ではな く無線が主 な通信手段 であった。その 需要に応 えるべ く,同社 は通信機器分野へ と事業 を拡大 させた。その結果,放 送機,無線通信機,電子管 などをも扱 うようになった。それに合 わせて三田工 場 も拡張 された。 さらに,同社 は無線機器の大規模生産のため,1

936

年 に玉川 向工場 を建設 した

3)

さらに太平洋戦争が勃発すると, 日本電気 には陸 ・海軍か ら受注が相次 ぎ,

3

)日本電気 編

(1972)によれば,同社は1942

年6 月に 「 工場」を 「 製造所」 とい

うように呼び名を改めた

(p.192)

。なお,玉川向製造所は,1

949

年に 「 玉川事

業部」 と改称されている。

(3)

大幅な増産 に迫 られた。だが,資材が不足 してお り,増産のために新 たな工場 を建設 しように も,それが容易 な情勢ではなかった。そ こで,「日本電気 とし ては,大垣の 日本紡の工場,それか ら岡山の鐘紡工場,それ と大津の東洋 レー ヨン工場, この三つ を買収 し」

4)

,非軍需工場 を軍需工場へ と転換 して,そ う した需要に応 えた。 また,不足 しがちな材料 ・部品の安定供給のために,多 く の原材料供給会社 も買収 した。

戦時中は,軍部が製造原価 に所要利益 を加 えた価格で必ず買い続 けたため, 日本電気 は安定 した収入 を確保 し,その間,業績 は増加の一途 をた どった。軍 部 と緊密 な関係 を築 いた同社 は,終戦時において,「 全国生産額の うち無線装 置で25%,真空管で30%,有線機器で45%,音響機器では60%,搬送機器 に至 っ ては70%の比率 を占め」5 )るほ ど,圧倒的な地位 を確立 していた。 だが,軍部 が工場 を監督 し, 長年築 き上げて きた経営 システムを禁 じたことで,同社が培 っ て きた生産管理の技術 は失われ,生産効率 は著 しく低下 した。そ して,軍部の 要請に応 じて生産能力の増強を図ろうと,買収 を通 じて多 くの過剰設備 を保有 し,余剰人員 を受け入れ続 けた。その結果,それが重荷 となって,終戦直後の 日本電気の経営 に重 く圧 し掛かることになった。

2‑ 2

三田事業部 と玉川事業部

戦時下,買収に買収 を重ね,日本電気 は1

0

余 りの工場 ( 製造所)を保有 した。

それ らの工場で軍需物資の生産が行 なわれたが,終戦 と同時に生産は停止 され た。多 くの工場が戦災 に遭い,保有する工場すべてが即座 に生産可能な状態で はなかった。そ こで, 日本電気では三田製造所,玉川向製造所,大垣製造所, 大津製造所 といった被害が軽微であった

4

製造所 を中心 に,軍需生産か ら民需 生産へ と切 り替 え,生産 を再 開させ ることに した

6)

。そ して,各地に散 らばっ

4

)戦時下,日本電気の社長を務めた梶井

(1968)によれば,このように他社の工場

を買収 し,多 くの軍需に応えたのだという

(p.225)

5

) 日本電気 編

(1972)p.2280 6

) 日本電気 編

(1972)p.2260

(4)

190

商 学 討 究 第5

9

巻 第

1

ていた工場か ら,作業者,使用可能な機械 ・工具などをこれ ら4 製造所 に結集 し

,1946

1

月に政府の許可が下 りた後,生産 を始めた。

戦時中に蓄積 された既存技術 を活用 して民需 を開拓す ることは,戦後,多 く の企業で用い られた企業再建の手段であった。戦前,官需お よび軍需 を担 って いた ものの, 日本電気の場合 は,生産す る製品が通信機器であったことか ら, 直接, 兵器製造に携 わっていた企業 と比べて, 民生機器生産への転換が容易だっ た。

戦後,連合国軍最高司令官総司令部 ( 以後

,GHQ:GeneralHeadquarters)

によって厳 しい電波管理がなされ,電波 を発射する無線機器 などには様 々な制 約が設け られていた。そのため, 日本電気 は電波の発射 を必要 としない製品に 力 を入れ,電話機 ・交換機や,魚群探知機, ラジオなどで企業 としての復興 を 図ることに した。

しか し,生産 を再開させて も,なかなか業績 を回復 させ ることがで きなかっ た。それは,軍部 との密接 な関係が続いたことで軍需依存度の強い経営体質 と 化 して しまったこと,「 通信機の総需要が戦後の数年 間伸 びなかった こと,汰

に製品の価格改訂がイ ンフレの昂進 に追いつかず,つねに ̀ ̀ 材料高の製品安"

の傾 向が続 いた こと,そ して人員過剰 による原価高

7 )な どによる。 こうした 理由に起因 して業績が伸 び悩 んだ上, さらに戦時中,多 くの工場 を買収 したこ とに伴 って発生 した負債が経営 に重 く圧 し掛か り,やがて 日本電気 は危機 に瀕 するようになった。

1949

年時点において, 日本電気の資金繰 りは深刻 な状態で,経常 は危機的な 状況にあった。その解決のため,同年, 日本電気 は企業再建計画 を立案 した。

その内容 は,( 丑経営規模 の縮小 ( 大垣製造所 な どの閉鎖),②会社全体の人員 の縮小 ( 3, 600 人の人員整理),③大津製造所のラジオ事業部 としての独立採算

7)′ ト森

(1981)pp.177‑178

。戦後,経理部長 として日本電気の経営再建に携わっ

た小森によれば,当時は軍需会社が平和産業に転換 といっても,「 民間需要の喚

起などが簡単にできる情勢でも

」 (p.173)

なかったという。

(5)

化 とい うものであった

8)

日本電気の経営陣 と労働組合 との協議が成立 し, この計画は直ちに実行に移 された。その結果

,1946

年時点で約1

1,500

人いた従業員が

,1949

年 には約

6,800

人にまで削減 された

9)

。 また,大垣製造所 などに置かれていた有線関係部門は 三田製造所 に,真空管関連部門は玉川向製造所 に移 された。 これによ り,製造 所 ごとに生産す る製品の区別が明確 になった。そ して

, 1949

年に有線関係機器 の生産 を中心 とする三田製造所 を三田事業部 と,無線関係機器の生産を中心 と する玉川向製造所 を玉川事業部 と,そ して大津事業所 をラジオ事業部 とす る組 織形態‑ と改組 された ( 図表 1 参照)0

図表

1

日本電気の組織図

(1949

年)

R本電気 編

(2001)p.150

を一部修正して作成。

なお,ここでは 「 三田事業部」,「 玉川事業部」 とい う名称が用 い られている が, これ らの 「 事業部」 は販売職能 を持 ってお らず分権的組織ではない。単 に

8)

日本電気 編

(1972)p.2420

9

) 日本電気 編

(1972)p.244

の第

2

表より。

(6)

192

商 学 討 究 第

59

巻 第

1

三田製造所,玉川向製造所の経営 を行 なう組織 に 「 事業部」 とい う名称が与 え られているに過 ぎない。 しか し,「ラジオ事業部」 に関 しては,企業再建計画 によって独立採算組織 とされたことか ら,製販一貫 した職能 を有 していたOそ して, ラジオに対する需要急増 に応 えるため

,1953

年 に同事業部 は 「 新 日本電 気株式会社」 として分離独立 した

10)0

すなわち,二段式標準原価計算制度が誕生 した

1950

年代, 日本電気 は有線関 係機器,無線関係機器, ラジオ とい う3 事業 を事業領域 とし,有線関係機器 と 無線関係機器の

2

つの事業 を日本電気が 自ら行 なっていた。 この うち,有線関 係機器 を作 り出 していたのが三田事業部であ り,真空管 などの無線関係機器 を 生産 していたのが玉川事業部であった。両事業部の関係 は,次の ように表現 さ れていた。

戦後復興期までの日本電気は,三田と玉川の二つの事業所からなる比較的単純 な組織構成 となっていた。そして

,

『 有線』 と 『 玉 川 』の 2 種類の社内報が併存 し たことに示されるように,それぞれの事業所が自立的に運営 されるという,組織 運営上の特徴をもっていた

11)

0

つ ま り,三田事業部 と玉川事業部は,互いに自立 してお り,い くら三田事業 部で独創的な二段式標準原価計算制度 を生み出 して も, 自動的に全社一律 に適 用 されるとい うわけではな く,玉川事業部にとって,それが有用 なものである と認め られなければ,同事業部に導入 させ ることなどで きなかった と考 え られ るのである。

10)

日本電気 編

(1972)p.259

。なお,新 日本電気は

1983

年に 「日本電気ホームエ レク トロニクス」と 「 関西日本電気」 とに分社されている。

ll)

日本電気 編

(2001)p.3670

(7)

3.

二段 式標 準原価 計算制 度 を誕 生 させ た要素

二段式標準原価計算制度 を日本電気で誕生 させた要素は様 々であ り,簡単 に 言い尽 くす ことので きるものではない。 しか し,絶対 に欠かす ことので きない 要素 とは,標準原価計算制度の実施 を可能 とするような経営 システムが,戦後 間 もな くの 日本電気 に存在 していた とい うことである

戦争 によ り, 日本電気 は

WE

流の生産管理 システムを失 った。 だが,二段 式標準原価計算制度 を生み出 した

1950

年代前半 までに, 日本電気 は下記の

3

つ の経路 を通 じて米国流の経営 システムを再 び導入 した。それが二段式標準原価 計算制度 を誕生 させ る基礎 となった。

(

丑 CCS

による統計的品質管理

CCS

経営講座 による科学的管理

ISE

による技術指導

3‑ 1 ccS

による統計的品質管理の導入

戦後

,GHQ

お よびその部局 であ る民 間通信 局 ( 以後

,CCS:CivilCom‑

municationsSection)

は 日本政府 に対 し,占領政策 を徹底 させ るため通信網の 復 旧を強 く求めた。 しか し,「 当時の通信事情 は,い までは考 え られないほ ど の劣悪 さであ り,東京 ・大阪間の電話が一 日の うち平均九時間 しか通 じない状 況であった。最優先 の駐留軍用 の回線 を維持す るため に

,CCS

は東京 ・大阪 間のすべての接点 をハ ンダ付 けす るよう命 じたのである。それで も回線が断絶 したのは,真空管が悪かったか らである。 どこに不都合があるか分か らず,真 空管が悪 いことだけが確 か

」12)

な状況であった。通信網復興のためには通信用 真空管の円滑 な供給が不可欠だが, 日本の工場で生産 される真空管の品質は非 常 に粗悪なものだった。そ して,それは全数検査で使 えるものを選別 しなけれ

12)後藤 (1999)p.4250

(8)

194

商 学 討 究 第

59

巻 第

1

ば な らない こ とを意 味 した。 そ こで, この事 態 を改 善 す るため, 1

946

10

,CCS

のス タッフであったマギール

(W.S.Magi

l l ) は 日本電気 に統計的品 質管理 ( 以後

,SQC:StatisticalQualityContro

l ) を採 り入れるよう勧 めた。

かつて,WEの支配下 にあった関係か ら

,1920

年代 , 日本電気 は 「 技 師 を

1

名派遣 して統計的手法の品質への癒用の仕方 について学 ばせ たが実 を結 ばず, 組織 的 に

QC

を採 り入 れ るには至 らなか った

」13

)それ は,当時

,SQC

を どの ように実施すればいいのか,米国において も, まだ試行錯誤の段 階であったか らであ る。 なお,米 国で

SQC

が経営手法 として広 まったの は, 1

940

年代 の こ とである。

当時,真空管 を製造 していた玉川向製造所 で副所長 を務めていた小林

(1988)

は,マギールの勧告 について, この ように述べ ている。

GHQ

W.S.

マギールという人がいた。米国ウェスタン ・エ レク トリックの品 質管理技師で,私 も戦前にウェスタンの本社を訪問 した時に会ったことがある。

マギール氏が私を

GHQ

に呼び出 し,こう切 り出した。「日本は通信設備が よく 整っていないので治安が余 り良 くない。その一番の原因は市外電話回線に使って いる真空管の不良。真空管を供給 している日本電気は真空管の製造工程 を品質管 理の手法で再整備すべ きだ」。言葉 をついで提案 した。「 やる気があるならば自分 が指導 してやろう」 。

私は品質管理のことは入社時に聞いて知ってはいたが余 り関心はなかった。 し か し,即座に指導をお願い した

14)

マギールお よびサ ラソ ン

(H.M.Sarasohn)

の指導 に よって,1

947

2

月 に 玉川向製造所 に品質管理課が発足 した。 この ように短期 間で品質管理が導入 さ れた背景 について,小林 とともにマギールに師事 し,初代 品質管理課長 を務め

13)

小暮

(1952)p.290 14)

小林

(1988)p.750

(9)

た西尾

(1981)

は 「日本電気 には創業以来," ベ ター ・プロダクツ,ベ ター ・サー ビス"の精神があ り,製造部品の基準があって,わが国では最 も進んだ手法の 製品検査が実施 されていたこと,‑‑‑ ( 中略)‑I ‑こうした土壌があったか ら こそ, 日本電気 の戦後 の品質管理 は速か に根 をおろす ことがで きた と思 い ま す

」15)

と述べている。そ して ,SQC による効果 を次の ように示 している

内容が充実するとともに通信管の品質管理 も著 しく向上 して,約一年後には

C

Z一 五〇四一 Dの推定寿命は一万時間を超すようになりました。マギール氏の指導 から学んだことは,真空管のような電子部品の製造においては,品質管理は完成 品を検査 しただけでは,本当の品質を確認することは不可能であ り,製造の各工 程の作業が正 しく行なわれることと,それを確認 して初めて高品質の製品が得 ら れるということでした

16)

0

SQC は玉川向製造所のみ な らず

,1950

年 には三 田事業部 に も導入 された。

その結果,三田事業部では,それまで総製作数の

10%

近かった不良率が数% に まで減少 した とい う

17)

日本電気 に SQC が導入 されたキ ッカケが,玉川事業部で生産す る真空管や トランジス タなどの品質が安定 しなかったことに因ること。玉川事業部の方が 三田事業部 よ りも早 く SQC を導入 していること。 これ らの点か ら, 日本電気 の SQC は,三田事業部 よ りも玉川事業部 との関わ りが強調 されるが ,SQC の 導入 自体 は,玉川事業部 よ りもむ しろ三田事業部の方が容易 だったのではない だろ うか。 なぜ な ら ,SQC は経済性 を配慮 した上で,統計的に品質のバ ラつ きを抑 えるとい うもので,生産す る製品お よび部品が少品種大量生産であれば あるほ ど適 した手法だったか らである。

当時,三田事業部では,電電公社 向けの電話機 ・交換機 を製造 してお り, こ

15)

西尾

(1981)p.197

16)

西尾

(1981)p.1950 17)

日本電気 編

(1972)p.2650

(10)

196

商 学 討 究 第

59

巻 第

1

れ らの製品は電電公社の仕様 に基づいて標準化 され, ライフサイクルが比較的 長い製品であった。そのため,標準時 間や作業標準 を設定 しやす く

,SQCを

通 じて品質の管理が Lやすい ものであった。一方,玉川事業部で生産する半導 体 は,技術 開発による進歩で経済的陳腐化の早い, ライフサ イクルが短い製品 だったのである。その結果,後述の二段式標準原価計算制度 と同様,玉川事業 部におけるその運用 はかな り困難 をきわめた ものであった と考 えられる。

3‑ 2 ccS経営講座 による科学的管理の再導入

戦後直後 の通信事情 の悪 さは,CCSが科学的管理の導入 を多 くの 日本企業 に働 きかけるキ ッカケ となった。CCSは1

949

年の初 めか ら

6ケ月間かけて,

日本電気 をは じめ とす る通信機器会社

6

社 に入 り込み,「 工場 の作業,各種曹 理のや り方,事務の執 り方は勿論,社長始め各級の管理者,監督者お よび工員 と直接面会 して,経営方針 ・組織機構 ・管理方針 ・指導方法その他 につ き詳細 に調査 した

」18)

。その結果, 日本の経営者 は企業経営の基本 を知 らず,従来の 慣習や 自己流 によって経営 しているため, どんなに努力 して もこの ままでは企 業 は一向に良 くな らない。そ して, これを是正するには,米国の科学的管理 を 日本の経営者が身に付 ける以外 に方法はない とい う結論 を得 た。そこで,CCS は1

949

9

月か ら1

950

1

月にかけ, 日本の主要通信機器メーカーの経営幹部 を対象 に,CCSス タッフを講師 とした経営講座 を開講 した。

CCSの経営講座 は内容 の良 さと 「

お役 目でな く,心か ら日本の通信工業の 立直 しのために熱心 に講義 を し,討議 を指導

」19)

したことか ら好評であった。

そ して,受講者 は自らの得た経営管理に関す る知識 を自社 に持 ち帰 り,それを 広めていった。その結果,各社で科学的管理が浸透 し, さらに自ら進んで新 た な科学的管理法 を学 び取 っていかなければな らない とい う進取の気概が生 まれ るようになった。 日本電気で も,従業員への 「 科学的管理」の考 えの徹底,品

18)

滝本

(1952)p.20 19)

滝本

(1952)p.3

0

(11)

質管理,生産管理,管理 ・監督者訓練 などの教育が実施 された。 ここで得た知 識が,その後, 日本電気が組織構造 を変遷 させてい く上での礎 となった。

これ ら科学的管理手法 によ り, 日本電気 においては,( 丑合理的な在庫管理,

②仕損 ・不良の低減,③検査方式の改善,④生産計画 ・作業計画の改善が図 ら れた

20)

。その結果, また もや 日本電気 は競合す る他社 に先駆 けて生産性 を高 めることに成功 し

,1950

年代後半に始 まる高度経済成長の波に上手 く乗 り,莱 績 を拡大 させていったのである。

戦争 による混乱か ら復興 を果た した 日本電気 ・三田製造所 は

,1949

年,電話 機生産にベル トコンベアを導入 し,それまでのバ ッチ生産か ら流れ生産‑ と生 産方式 を改めた。「 ベル トコンベアを動かす 「タク ト」時間を基準 に して標準 時間を設定

」21)

し,その標準時間を基 に して,各作業者の作業標準が規定 され た。例 えば,「4 号電話機」 とい う製品の場合,最初 に

1

1

分 とい うタク ト が設定 され, これに合 わせて, ダイヤル組立,送話器組立,受話器組立,総組 立 とい う各工程の作業者 の標準時間お よび作業標準が定め られた

22)

。 こうし たことが可能 となったの も科学的管理が再導入 されたか らである

そ して,中山氏 らがス トーブス氏の手 を借 りなが らも,短期 間の うちに二段 式標準原価計算制度 を開発 し,それを三田事業部に導入す ることがで きたの も, こうした

CCS

経営講座 による科学的管理の恩恵があったか らである0

ただ,一つ強調 しておかなければならないのは,日本電気が他社 に先駆 けて, 短期 間の うちにそれ らを吸収 し,いち早 く生産効率 を高めることに成功 したの は,戦前 に科学的管理 を実施 してお り,それを受容 しやすい土壌が形成 されて いたためであった とい うことである

3‑ 3 1 SEによる技術指導

終戦直後か ら, 日本電気 では

ISE

との資本提携 を復活 させ るために種 々の

000999490323

ppp

2 1 1 7 0 0 9 0 0 1

22

気 気 気 電 電 電 本 本 本 日 一H H 日

012222

(12)

198

商 学 討 究 第

59

巻 第

1

対策 を講 じて きた。 1

951

年 に

ISE

が再 び大株 主 としての地位 を回復 し

,ISE

との提携 関係が復活 した

23)

。 この資本 関係 を復活 させ る過程で,両社 間の技 術提携が 「 復活するや否や,当社 〔日本電気〕 は直ちに戦時中の遅れを取 り戻 すため,同社

ISE

〕 に技術 資料やサ ンプルの供与 を依頼 した

」24)

。 この とき 入手 した技術 によ り, 日本電気 は短期間の うちに技術力 を回復で き,その後の 業績向上に結びついた。

この技術提携 には,「日本電気の社 員 を

ISE社 で訓練す る」25)

とい う規定が あった。そのため, 日本電気 は技術者 を

ISE

に派遣 し,標準時間設定のため の

WF (WorkFactor)

法や

MTM (MethodsTimeMeasurement)

法 な ど の生産管理技法 を吸収 させ ることがで きた。そ して,I

SE

との提携関係 を再開 させ る中で戦前 における生産管理体制 を復興 させ ようとい う動 きが強 まった。

これが誘因 とな り,三田事業部の経理課は標準原価計算制度の導入 を始め よう としたのである

3‑4

小 指

こうして導入 された二段式標準原価計算制度に対 し,小池

(199

1 ) は,その 成果 として,次の

7

点 を挙げている

26)

① 計数的,科学的な工場操業の施策が採 ることがで きるようになった。す なわち, これによって,科学的生産管理 を進めることが可能 となった。

② 管理標準原価 を利用 し,その結果が原価会議の場で討議 されることで, 作業者の適正 な配置が可能になった。

③ 戦後の荒廃 した規律が厳正 に保たれるようになった。

23)

この時,I

SE社の出資比率は戦争前の32.796%に回復 したが,その後,1950

年代 か ら

60

年代にかけて,I

SE社は出資比率を下げていき,1978

年にはI

SE社保有

の株式はゼロとなった。

24)日本電気 編 (1972)p.248

25)

日本電気 編

(2001)p.3000 26)

小池

(1991)pp.158‑159

0

(13)

( 彰 全従業員における能率向上に対す る意識,意欲が格段 に上昇 した。 これ によって,原価能率の改善モ ラルが全社 に浸透 した。

⑤ 適正 な製造予算 を編成で きるようになった。標準原価 は,仕切お よび管 理標準の二段 に設定 されてお り,実際原価 と両者の原価差異が明瞭に分離 されて把握 された。原価能率の傾向,推移が把握 されたため,過去の実績 原価 か らで はな く,実現可能 な 目標性 を もった予算 を設定で きるように なった。

⑥ この制度によって品質管理運動

,ZD

運動

,VE

活動,生産性向上運動等, 後 に日本独特 といわれる小集団活動実施の基礎 になった。

⑦ 品質管理への貢献があった。

4.

二段 式標 準原価 計算制 度 の限界

4‑1

小池

(199

1)の所説

二段式標準原価計算制度の誕生に深 く関与 した小池

(199

1 )は,二段式標準 原価計算制度の意義が薄れて,変貌 していったのは

,1970

年代 に入 って経営環 境 の変化 が生 じたか らとい う。 その主 な理 由 と して下記 の 4 つ を挙 げてい

27)0

( D 先端技術開発競争時代への突入

1960

年頃まで三田工場では電話機 ・交換機,玉川工場では伝送装置,無線装 置,真空管,放送装置の生産が主流であった。 これ らの大部分の製品は,電電 公社 に納入 され,それ らは電電公社の定めた 「 標準仕様書」 に基づいて生産 さ れる標準品であるため,標準原価計算制度 を適用 しやすかった。

しか し

,1960

年以降の 日本電気 は,半導体 を利用 した通信技術や コンピュー タなど多種多様 な製品を扱 うようになった。 これ らの製品群では,息 をつ く暇

27)

小池

(1991)pp.160165

0

(14)

200

商 学 討 究 第

59

巻 第

1

もないほ ど新製品が登場 した。そのため,それ らすべての作業標準お よび原価 標準 を設定することは不可能である し, もし設定 したとして も,既 にその製品

自体が陳腐化 していた とい う事態に陥るようになって しまった。

② 生産拠点の地方分散,海外市場への進展

日本電気では,生産量の拡大に対応 して,1

965

年頃か ら地方 に工場 を建設 し, そこで開発試作の終 えた製品を量産 させていった。そ して, これ らの工場 を別 会社 とい う形で分離独立 させていった。つ ま り,管理標準原価 を適用で きる標 準品が社外生産‑ と移管 されて しまったのである。その結果, これ まで二段式 標準原価計算 を推進 して きた経理部にとっては,そ うした子会社 とのや り取 り が仕切原価で行なわれるため,管理標準原価ではな く仕切原価で管理 を行なう ようになって しまった。

( 彰 能率管理活動の分化

日本電気では,1

960

年前後か ら事業部制が強調 されるようになった。その結 莱,原価管理 は,経理部ではな く事業部長が中心的な役割 を果たす ようになっ た。 また,各事業部では

,QC

サークルや

VE

活動 な どで原価低減活動 を行 な うことのほうが重要 になって きていた。 なぜ な ら,戦後, 日本電気が製造する ようになった半導体 などの民生品は,価格競争が激 しい もので, これまでの コ ス トプラスの価格決定では上手 くいかず,マーケ ッ トイ ンの価格決定を しなけ ればな らない ものだか らである。

( 彰 連結原価管理制度の進展

日本電気では別会社 とした地方工場 に量産品の生産 を委ねたことか ら,連結 子会社 を含めたグループとしての総合管理 にまで進展 していった。

日本電気の仕切原価 と地方工場 との仕切原価 ( 価格) は同一であ り,年度の

初めに十分 に打 ち合わせ をし,製品種類 ごとに一品ごとに設定 してい く。 この

ように綿密 に行 なわれるのは,それが子会社 にとって, 自らの売上 を形成する

(15)

最 も重要な要素だか らであ り,購入側の 日本電気 にとって も仕入額 を大 きく左 右す るものだか らである。そ して, この価格 は厳 しい市場環境 に耐え られるも のでなければならないため,そこに 目標が入 る。その結果,その場で決定 され る仕切原価 は,1

950

年代 に二段式標準原価計算 を導入 した当時の仕切原価 よ り ち,はるかに厳 しい水準 にな らざるを得 な くなって しまった。

4‑2

二段式標準原価計算制度の問題点

小池

(1991)

が指摘 した,( ∋先端技術 開発競争時代‑の突入 は

, 「(a)

標準 を 設定 しなければな らない新製品が数多 く目まぐる しく生み出されるために,逮 一,その標準の設定 を行 なうことが難 しく,標準原価計算 による原価管理の有 用性が薄 らいだこと」 を意味する

また,②生産拠点の地方分散,海外市場への進展 は , 「 ( b) 原価管理の担い手 が 日本電気か ら地方子会社 に移 って しまったため, 日本電気 自体が原価管理 を 行 なわな くなったこと」 を映 し出 している。

③ 能率管理活動の分化 は, 「

(C)

標準で設定 した以上 に厳 しい原価が市場か ら 求め られるようになったことか ら,仕切原価の方が管理標準原価 よ りも厳 しく なって しまい,生産現場 にとって達成すべ き目標が標準原価計算の システムか らは得 られな くなって しまったこと」 を示 している。

最後の④連結原価管理制度の進展 は , 「 ( d) 棚卸資産評価 目的に用 い られるは ずであった仕切原価が地方子会社の 目標 となって しまったために,極めて厳 し い水準 に設定 されるようになって しまったこと」 を表わ している

この うち ,( C ) と

(d)

は二段式標準原価計算制度固有の問題で ,( a) と

(b)

は二段式 標準原価計算制度固有の問題 とい うよ りも,標準原価計算制度に係 る問題であ る。ただ,(

a)〜(d)

は,その問題発生 に至 るまでの経路がそれぞれ異 なっている。

すなわち

,(a)

は標準原価計算制度の運用の問題である

。 (b)

は標準原価計算制度 による原価管理 を不要 とす る状況の問題である。( C

)

は二段式標準原価計算制度 の運用の問題

,(d)

は二段式標準原価計算制度の構造その ものの問題である

(a)〜(d)

の どれ もが,二段式標準原価計算制度の有用性 を損 ない うる重大 な間

(16)

i)()i)

59

巻 第

1

題である。では,それ らの問題が,なぜ 日本電気 において生 じたのか, ここで 探 ってい く。

(a)

標準原価計算制度の運用の問題

1950‑60

年代 にかけ, 日本電気 は従来の電電公社一辺倒か ら,その依存度 を 低下 させ るため,民需 にも積極的に応 えていこうとしていた ( 図表

2

参照) 。

図表

2

得意先別 売上高の推移

1954

年度

1964

年度

金 額 比 率 金 額 比 率

電 電 公 社

5,033

百万 円

61.6% 34,1

0

6

百万 円

47.8%

防 衛 庁

686

百万円

8

. 4 %

2,657

百万円

3.7%

その他官庁

214

百万円

2.6% 1,509

百万円

2.1%

国 鉄

181

百万円

2.2% 1,130

百万円

1.6%

輸出 .特需

124

百万 円

1.5% 6,674

百万 円

9

. 4 % 民 需

1,932

百万 円

23.7% 25,300

百万 円

35

. 4 %

8,170

百万 円

100.0% 71,376

百万 円

100.0%

日本電気 編

(2001)p.409

を一部修正。

それは,①電電公社の需要が官公需の一環であったため,政府の経済道営の 影響 に大 きく左右 されて しまうこと。( 彰電電公社があま りにも巨大 な買い手で あるため,「 強す ぎる交渉力」 を行使 し,納入価格 の引 き下 げ要請 も受 け入れ なければな らなかったことによる

28)。

電電公社 に納める製品は,電電公社が作成 した標準 に準拠 した,製品ライフ サイクルの比較的長い製品であった0‑万,民需に応 える製品 とは半導体製品 などで,それは製品ライフサイクルの短い ものであった。 また,民需 を追求す

28)

日本電気 編

(2001)pp.4094100

(17)

るには,多種多様 な顧客の様々なニーズに応 えなければな らず,その結果,多 種多様 な民生品を扱 うことになった。その結果,そ うした製品のすべてに原価 標準 を設定することが困難なもの となった。

( b) 標準原価計算制度 による原価管理 を不要 とする状況の問題

日本電気 は1

969

年か ら地方 に生産子会社 を設立す るようになった。当時,那 市圏では労働力が不足 してお り,その解消 を目的 として,各地方 に生産子会社 を設立 したのである。そ して,当時,社長 を務めていた小林

(1988)が,「

地 方工場 は原則 として独立法人に した。 自主的に運用 させた方が効率がいい。不 便 なところに立地 しているので,本社 にち ょくち ょく顔 を出 してお伺いをたて るわけにはいかない

」29)

とい うように,地方子会社 には生産機能の大部分が任 されていた。その結果,原価管理は生産子会社が行 ない, 日本電気本社が関与 する部分が限 られて しまった。

( C) 二段式標準原価計算制度の運用の問題

元々,二段式標準原価計算制度の導入の経緯 は,電電公社 に納入する製品の 価格決定に役立てるとい うところか らきている。つ ま り,元 々,経理部 として は仕切原価の方が重要 なのである。それが二段式標準原価計算制度 とい うこと で管理標準原価 も扱 えるために,作業現場の原価管理に経理部門が積極的に乗

り出 していったのだ とも見 ることがで きる。

しか し,戦後, 日本電気 は多種多様 な民生品を扱 うようになったことか ら, そのすべてに原価標準 を設定することが難 しくなった。 また,標準原価計算 に 適 していた標準品が地方の生産子会社で生産 されるようになった。その上,市 場環境が厳 しくな り, 原価管理の中身が原価維持か ら原価低減‑ と移行すると, これまで二段式標準原価計算制度による原価管理の中心 に位置 した経理部の関 与が薄 らぐようになった。そ うした事柄が理由とな り,徐 々に二段式標準原価

29)

小林

(1988)pp.120‑121

0

(18)

204

商 学 討 究 第5

9

巻 第

1

号 計算制度による原価管理 は消 え失せていったのである

そ して,技術ベースの管理標準原価ではな く,市場ベースの仕切原価 に着 目 して,原価の管理が行 なわれるようになったのである。

(d)

二段式標準原価計算制度の構造 そのものの問題

二段式標準原価計算制度の下では,仕切原価 と管理標準原価 とい う2 つの標 準原価が置かれた。 しか し,標準品が減少 したことで,従来の管理標準原価 を 適用 させ る場面が減少 し,やがて仕切原価 に原価管理機能を兼ねさせ るように なった。そのため,仕切原価 は,期待 される原価であると同時に,他社 との競 争 において も優位 に立てる厳 しい 目標性の高い ものになった。その結莱,市場 環境が厳 しい と,管理標準原価 よ りも低い水準の仕切原価 も設定せ ざるを得 な

くな り,二段式標準原価計算制度の有用性 は失せて しまった。

5.

ま と め

これまでに明 らかに したように,二段式標準原価計算制度は, ライフサイク ルの長い製品を求める電電公社が,主たる顧客であったか らこそ機能 しえた。

そ して,そ うした経営環境であったか らこそ,二段式標準原価計算制度は,諺 生 ・存続 しえたのであった。

だが,電電公社か ら多種多様 なニーズを求める民需 に, 日本電気が向 き合 っ た時,それまでの二段式標準原価計算制度による原価管理は上手 く機能 しな く なって しまった。

その最大かつ第一の理由は,仕切原価 と管理標準原価 を持つ二段式標準原価

計算 は,やは り電電公社 向けの製品に対 してのみ,その強み を発揮するのであ

り,それ以外の場面ではそ うとは言 えないこと。そ して,第二の理由は, 日本

電気の製品が経済的陳腐化が早い半導体 などに移行 したこと。第三の理由は,

地方工場 に生産 を移管 させたことで, 日本電気本社経理部が原価管理 に対する

責任 を負 うことが少 な くなったこと。 こうした経営環境の変化 に,二段式標準

(19)

原価計算制度による原価管理は上手 く対応で きなかったのである。 ここに見 ら

れるように,多種多様 なニーズに向 き合 う際に,二段式標準原価計算制度や標

準原価計算制度はその原価管理 に対する有用性 を失 って しまい うる。では, ど

の ようなシステムが原価管理機能を担 うのであろうか,次稿で論議する。

(20)

206

商 学 討 究 第5

9

巻 第

1

参 考 文 献 梶井 剛,1

968

5

,

『 わが半生』,私家本。

小林 宏治,1

988

3

,

『 私の履歴書』, 日本経済新聞社。

小池 明,1

991

5

,

『日本電気の利益管理方式 増補版』,中央経済社。

/ ト暮 正夫,1

952

年1

0

,

r 奨遷 した品質管理組織 ‑ 日本電気玉川事業部

」,

『 品質管理』, 第

3

巻第1

0

号。

後藤 俊夫,1

999

3

,

『 忘れ去 られた経営の原点』,生産性 出版。

小森 茂,1

981

年1

0

,

「 再建整備期の経理部」 日本電気株式会社 編

,

『 続 日本電気 も のがた り』, 日本電気。

滝本 浩,1

952

年1

2

,「CC

S経営講座その後の発展 経営者再度の総出発点」

,

『 マネ ジメン ト』,第1 1 巻第1

2

号。

日本電気株式会社 社史編纂室 編,1

97

2年

7

,

『日本電気株式会社七十年史』, 日本 電気株式会社。

日本電気株式会社 社史編纂室 編,20

01

年1

2

,

『日本電気株式会社百年史』, 日本電 気株式会社。

西尾 秀彦,1

981

年1

0

,

「品質管理の導入」, 日本電気株式会社 編, 『 続 日本電気 も のがた り』, 日本電気株式会社。

鹿本 敏郎,1

986

3

,

「 わが国製造企業の管理会計

‑ 1

つの覚書」

,

『ビジネス ・ レビュー』,第3

3

巻第

4

号。

前田 陽,2

007

年1

2

,

「日本電気 における原価管理 システム進化の考察(

1

) 」

,

『 商学討 究』,第5

8

巻第

2・3

号。

前田 陽,2

008

3

,

「日本電気 における原価管理 システム進化の考察(

2)

,

『 商学討

究』,第5

8

巻第

4

号。

参照

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