世界秩序の変容と国家 : 『万国公法』の受容と中 華システム
著者 秋月 望
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
号 12
ページ 23‑28
発行年 2009‑12
URL http://hdl.handle.net/10723/517
「世界秩序の変容と国家――『万国公法』の受容と中華システム」
秋 月 望
本プロジェクトは、3 年目の今年度をまとめの年度として最終段階に入る。今回の中間報告では、
孫占坤氏が中国周縁部のチベットを中心とする研究の方向性について提示し、石田徹氏は、本プロジ ェクトの核心的フレームである「華夷秩序」と「万国公法の受容」についての研究現況の概観と、対 馬と沖縄(琉球)についての研究の展望についてまとめている。最終年度に一層の研究成果をあげる べく努力していきたい。
チベット問題の根底にあるもの
孫 占 坤
2年目の大まかな研究経過、所感
昨年3月のラサ「暴動」から本年3月までの1年間において、チベット問題をめぐる大きな動きと して以下のように挙げることが出来よう。(1)昨年8月の北京オリンピック開幕までに行われた中国 政府とダライ・ラマ「亡命政府」の一連の「交渉(talk)」、(2)昨年暮れに EU 当番国であるフラン ス大統領サルコジ氏とダライ・ラマのポーランド会談→それに対する抗議としての中国首相による第 11 回 EU・中国サミットへのボイコット→結果としてのサミット延期(未だに未開催)、(3)本年 3 月に中国政府による「農奴解放の日」の制定(今後毎年3月28日)。本共同研究は中国を中心とした 伝統的東アジア世界=中華システムが近代国際法の伝来によって、どのように「変容」していったの か、という大きな問題意識の中でチベットと中国の関係を当初から重要な検討対象としていたが、研 究を始めてから、チベット問題がこれほど国際関係のホットなイシューになるとは予想外であった。
過去 1 年間のかかる動きに直面して、筆者(孫)は、(1)数度共同研究の責任者である秋月 望氏 と意見交換を行った。エモーショナルな報道に埋没されないため、氏の歴史学者、外交史研究者とし ての知見が大変貴重であった。(2)プロジェクトの終了時にしっかりした成果を挙げるよう、色々な 機会を利用し、洋、中、和文献の収集に努めた。(3)昨年 12 月下旬、インドのダラムサーラ等を訪 問した。現地では資料収集(洋、中)と共に亡命チベット人またはその2世とのインタビューを行う ことができ、チベット問題を理解する上で大変有益であった。筆者はこれまで学部の校外実習の関係 で中国のチベット自治区を2度訪れることがあり、また同様の理由でネパールにも何度か足を運んだ ことがあり、そこでも色々な形で生活しているチベット人と交流をしてきたが、ヒマラヤの南側にあ るいわゆる「リトルラサ」であるダラムサーラを訪問することで、これまであまり考えていなかった
ことを知ることになり、チベット問題を理解する上で有益であった。
筆者はこれまでの研究を整理し、プロジェクトの終了時に「論文」の形で成果を公開したいと予定 している。ここでは、「論文」で詳しく取り上げる予定の問題について、核心となる「論点」のみを 記させて、「中間報告」に代えさせて頂きたい。
「主権」と「宗主権」の関係
チベット問題をめぐる応酬の中で、次の幾つかの表現はよく見かける。「外国占領」、「侵略」、「ジ ェノサイド」、「民族絶滅」、「人権侵害」、「文化絶滅」、「宗教弾圧」、「環境破壊」、「資源略奪」、「農奴
(奴隷)制度と帝国主義からの解放」、「和平的解放」、「内政干渉」、「主権」、「領土保全」、「自治」。
これらの表現に「エモーション」と「誇張」が少なからず含まれているが、チベット問題は個人(人 権)、集団(民族、国家)、文化(宗教含)、経済、生態等、いわば非常に多面的で、複合的「問題 群」であることは間違いない。正に多くの側面を持っているからこそ、色々な立場の人の関心を引き 寄せたともいえよう1。
これらの問題群の中で、チベットという存在の位置づけをどう考えるかは最も中心的な問題になる かと思われる。即ち、チベットは「元々一つの独立した主権国家だった」のか、それとも、「昔から 中国の(主権)支配下の一部分だった」のか。1959 年の「チベット反乱」→翌年のダライ・ラマ
「亡命政府」樹立以来、かかる論争が起き2、上記の色々な表現で言われる諸問題が全てここから始 まったと言って過言ではない。
対立の核心に「主権(sovereignty)」が据えられていることで、対立は「神学」的袋小路に陥った 気がする。というのは、中国、チベットを含めて、アジア諸「国」の関係はいつから「主権」の文脈 で論じることが可能なのか、というそもそもの問題が横たわっているからである。この問題について、
昨年10月29日に発表された中国政府とダライ・ラマ「亡命政府」の会談に関するイギリス外務大臣 デビド・ミリバンド(David Miliband)氏の書面声明が興味深い。そこで、氏は人権の尊重やより大 きな自治の保障がチベットの長期的安定につながると述べると共に、英国は長年時代錯誤的な概念で ある「宗主権(suzerainty)」に基づき、チベットに対する中国の「特別地位」を認めてきたが、我々 はチベットの独立を認めず、チベットは中国の一部であると明確に認める、とも述べていた3。この 声明に対して、メディアはすかさず「英国はチベットに関する長年の立場を放棄、中国の主権を承 認」と報道した。
この声明への評価はさておき、ここに出てきている「suzerainty」という概念は「グレート・ゲー ム」の結果として 1907 年の英露サンクト・ペテルブルグ条約に登場してから、長年イギリスのチベ ット政策の中心的概念でありつづけた。第2次世界大戦が終わるまで、イギリスがヒマラヤ地域に絶 大な影響力を擁していたという歴史的事実を考えると、チベット問題=チベットと中国の関係を「主 権」対「主権」の文脈ではなく、「主権」対「宗主権」という視点で緻密に分析することが必要かと 考える。その場合、イギリスがヒマラヤ地域で使われた「suzerainty」という概念は、中国の朝鮮半 島や琉球との関係で語られる「宗主権」の「借用」、「英訳」に過ぎないのか、それとも、大英帝国の グローバルな支配論理から展開した一例に過ぎないのか、慎重に考察する必要があろう。大変難しく、
しかし、ワクワクするテーマだと思う。責任者の秋月氏、共同研究者の石田氏との切磋琢磨を通じ、
良い最終成果を挙げたいと考えている(2009年4月19日)。
<注>
1 秋月氏が指摘するように、「特に日本や韓国では、チベットに名を借りた『反中国』意識の噴出という側面も否めない」(秋 月 望「国際法の受容と近代化・主権国家・在来秩序の変容/持続」明治学院大学国際学部付属研究所年報第11号(2008年)
53-54 頁、参照)。また、パリ、ロンドン、シドニー、長野等での聖火リレー妨害を見る限り、「チベット問題」は完全に
「中国問題」へ変質したようにも思われる。
2 厳密な意味では、この論争は清朝崩壊後の1912年あたりから、チベットと中国=中華民国側の間に既に起きていたといえよ う。
3 http://www.fco.gov.uk/en/newsroom/latest-news/?view=PressS&id=8299838 参照
対馬・琉球から見える近代移行期東アジア国際秩序
石 田 徹(早稲田大学政治経済学術院・助教)
1.はじめに
一九世紀中盤、中国を中心とする東アジア地域の国々は、西欧列強の進出を受け、それぞれ「不平 等条約」を結ばされ、いわゆる万国公法体制(国際法体制)の中へ編入される。この時まず問題とな るのは、東アジア地域の国々がどのように万国公法を受容していったのかという点である。そして、
これと同様に重要な問題が、そもそも中国を中心とする東アジア地域の国々はどのような外交秩序を 形成していたのか、その外交秩序と新たな万国公法秩序とをどのように整合させていったのかという 点である。
本稿では、この後者の問題、すなわち中国を中心とする東アジア地域にみられた外交秩序の内容を 検討する準備段階としてまず研究史を概観し、さらにそこに見られる問題点を、対馬・琉球という視 角から照射してみたい。やや先走って言えば、中国を中心とする東アジア地域に見られた外交秩序の 持つ多様性・重層性をどのように理解し、描くのかというところに、大きな課題がある。
2.研究史概観
「中国を中心とする東アジア地域にみられた外交秩序」とは、いわゆる「華夷秩序(体制)」のこ とである。簡単に説明すると、華夷秩序とは、中国の統治者である天子=皇帝を中心・頂点とする同 心円状・円錐状の世界秩序(世界観)であり、周辺国・周辺民族は中国の皇帝に朝貢を行い、中国の 皇帝はそれに対して冊封(国王への任命・承認=君臣関係の形成と暦の授与)と回賜(朝貢品への返 礼)を行うことで成立する。古代以来、中国を中心とするアジア一帯における世界秩序とは、この華 夷秩序に他ならなかった。
ここでは戦後の研究を中心に、時系列にそって、大づかみに整理する。なお、整理にあたっては、
川島真『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、二〇〇四年)が中国外交史の先行研究を網羅的
によくまとめているので、それを参考にした。
一九六〇年代初頭以来、日本では西嶋定生が「六-八世紀の東アジア」などで、この華夷秩序体制 を「冊封体制論」として提示し、漢代以降の東アジアを律する概念として「冊封」と「朝貢」に注目 した。同じく六〇年代末から七〇年代初頭には、J.K.フェアバンクが『The Chinese World Order』
(Cambridge: Harvard University Press, 1968)で近代東アジアの歴史を「Treaty System(条約体制)」と
「Tribute System(朝貢体制)」という二つの体制の対峙・衝突という図式で理解する見方を提示した。
同時期に日本では坂野正高の『近代中国外交史』(岩波書店、一九七〇年)、『近代中国政治外交史』
(東京大学出版会、一九七三年)によって、やはり「条約体制」と「朝貢体制」の対峙という図式が 示された。「条約体制」とは、要するに万国公法体制(国際法)体制のことであり、また「朝貢体 制」とは華夷秩序体制のことである。これらの研究は、時代的制約などいくつかの問題点があったと はいえ、今なお華夷秩序体制を研究する上での土台となるべき業績であり続けている。とりわけ坂野 の研究は「日本における中国外交史を確立」したものと評価されている(前掲川島『近代中国外交の 形成』)。
その後、華夷秩序体制に再び注目が集まったのは、一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけて日 本史研究において「鎖国」を再考するという気運が高まった時であった。荒野泰典『近世日本と東ア ジア』(東京大学出版会、一九八八年)やロナルド・トビ『近世日本の国家形成と外交』(創文社、
一九九〇年)は、華夷秩序体制は必ずしも中国のみを中心として成り立つものではなく、日本におい ては日本を中心として成立した「日本型華夷秩序」、いわゆる「大君外交体制」が形成されていたと いう見解を示した。
他方、ほぼ同じ時期に経済史の視角から、濱下武志(『近代中国の国際的契機』東京大学出版会、
一九九〇年)が朝貢体制を「朝貢貿易システム」という枠組で捉え直したことで、従来のウェスタ ン・インパクト偏重の見方を見直すことや、朝貢貿易システムに参入することになったヨーロッパが 受けた「アジアの衝撃」や、アジア内部での内在的な発展論に関心が集まった。この朝貢貿易システ ム論は、当初積極的に受け容れられたが、二〇〇〇年代に入る頃から、より批判的な検討が加えられ るようになる。すなわち、濱下の提起した朝貢貿易システム論に対して、岡本隆司(『近代中国と海 関』名古屋大学出版会、一九九九年・『属国と自主のあいだ』同、二〇〇四年)や本野英一(『伝統中 国商業秩序の崩壊』名古屋大学出版会、二〇〇四年)らは、「朝貢貿易システム」論の実証性の乏し さを厳しく批判したのである。
近年は、上で触れてきた川島、岡本、本野らの諸研究をはじめとして、琉球関係では豊見山和行
『琉球王国の外交と王権』(吉川弘文館、二〇〇四年)、西里喜行『清末中琉日関係史の研究』(京都 大学学術出版会、二〇〇五年)や、夫馬進編『中国東アジア外交交流史の研究』(京都大学学術出版 会、二〇〇七年)など、華夷秩序体制をめぐる研究が活発となってきている。
3.華夷秩序研究の課題
以上のような研究状況の中で、華夷秩序研究が抱えている問題は何か。それは、何よりも、岡本や 本野が指摘した「華夷秩序体制」や「朝貢貿易システム」といったモデルの「実証性の乏しさ」であ る。朝貢貿易システム論、ひいては華夷秩序体制論は、確かに前近代の東アジア国際関係を理解しや
すい形にした魅力的なモデルではある。しかしながら、「モデルまずありき」という方法は、歴史を 研究する上で最も気をつけなければいけないところでもある。岡本はこの点について「一つの史実が あると、その過程や背景に周到な考察をくわえないまま、ただちに全体の構図〔万国公法秩序と華夷 秩序との相克という構図―引用者注〕に位置づけてしまう。そのため構図そのものにはいまだ、史 料にもとづく論証と点検と批判がゆきとどいていない」と批判している(『属国と自主のあいだ』八 頁)。
また、もう一つ課題を付け加えるならば、華夷秩序体制の重層性をどこまで明らかにできるか、そ してその重層性ある華夷秩序体制の全体像をどのように描くのかという、より具体的な問題が挙げら れよう。前述した荒野・トビらの研究によって、日本においては日本を中心とした「日本型華夷秩序
(=大君外交体制)」があったことが明らかにされたが、同様に、朝鮮やベトナムにおいても自国を 中心とした外交秩序が構築されていたことがわかっている。つまり、華夷秩序体制は、中国を頂点と する一元的なシステムなのではなく、関係している国々それぞれが中心となる多元的・重層的なシス テムなのである。
ここではさしあたり日本の場合について述べるが、以上の点を明瞭に示すのが、対馬と琉球という 二つの地域の存在である。まず、対馬の場合、江戸時代、朝鮮国王と徳川将軍とが対等の関係(敵礼 交隣)にあり、通信使の往来によって曲がりなりにも交流を深めていたことは周知の通りだが、実は その他に、朝鮮国王と対馬島主(宗氏)との間の上下関係(覊縻交隣)があったということはあまり 知られていないように思われる。私たちは、前近代の日本と朝鮮との関係を見る際、何の考えもなく 普通に「日朝関係」と言ってしまうが、この時、朝鮮と対馬との間にあった上下関係は見事に捨象さ れてしまっている。
他方、琉球では、一五世紀前半の三山統一前から中国(明朝)への朝貢が行われており、三山統一 後、さらには王統が変わった後も中国へ朝貢する一王国であった。しかし、一六〇九年に島津家久に よる侵攻を受け、以降薩摩藩からの統制を受けるようになり、さらには徳川将軍家に対しても朝貢を 強いられることになった。つまり、琉球は中国(明朝滅亡後は清朝)と日本(徳川・島津)に対して 同時に朝貢を行う「日中両属」の国となったのである。なお、前に触れた豊見山和行は「日中両属」
という概念の曖昧さを批判し、「二重朝貢システム」という概念を用いて近世の琉球王国を「従属的 二重朝貢国家」と規定する見解を示し、琉球王国の主体性を論じている(前掲豊見山『琉球王国の外 交と王権』)。
このように、対馬と琉球を見ることで、華夷秩序体制の特徴が二つ浮かび上がってくる。一つは、
アクターが必ずしもその国家の中央政府だけに限られるわけではないという点であり、もう一つは、
一国家(ないし一封建領主)が異なる二つの国家に「両属」できるという点である。
しかし、これらの特徴は、万国公法体制の下では一瞬にして理解され得ないものに変貌する。すな わち、主権国家が主たるアクターとなる万国公法体制では、一国家内に中央政府以外に外交権がある 団体の存在を想定していないし、また、「朝貢」によって成立する国家間の君臣関係、すなわち宗主
-属国関係は、万国公法体制から見れば、宗主国-植民地の関係に映ってしまう。宗主国を二つ持つ 植民地はそうそう無いし、また主体的に行動できる植民地というのもなかなか無い。そして、万国公 法の論理では理解不能なものが、万国公法体制下での外交問題となったのである。
明治維新後の日本が万国公法体制下に入って直面した外交問題の一つが朝鮮問題であり、また外交 問題であると同時に内政問題としていたのが琉球処分問題であった。前者について言えば、宗氏から の外交権接収(いわゆる外交一元化問題)や、朝鮮国王と宗氏との覊縻交隣関係の清算が問題の核心 だったし、また、後者について言えば、まず何よりも日本と中国に「二重朝貢」していた琉球王国の 所属(ないし主権)が問題となった。日本と琉球では、琉球が「日本専属」なのか、「日中両属」な のかで意見が分かれた一方で、中国では「清国専属」の立場をとりつつも、日本によるいわゆる「琉 球処分」後になって「日中両属」論に理解を示すようになったという(前掲西里『清末中琉日関係史 の研究』)。なお、西里は一般に「琉球処分」と言われ、一八七〇年代一〇年間の問題とされているこ の琉球所属問題は、「アヘン戦争から日清戦争に至る東アジア国際秩序再編成期の中琉日関係史の重 要なテーマ」と位置づけている(同上書)。
4.むすびにかえて
上述した華夷秩序研究の課題を克服するためには、まず何よりも、地道な実証作業が必要となる。
すでに触れたように、幸いにして近年の研究動向はこの実証作業を着実に進める方向に動いている。
中国、日本(含む琉球)、朝鮮など東アジア諸国それぞれが中心となる華夷秩序体制の研究はより精 緻化され、華夷秩序体制の重層性や多様性の理解はこれまで以上に深まるものと確信している。
しかしながら、おそらくさらなる課題が残っている。すなわち、前にも触れたとおり、それぞれの 華夷秩序体制を追究した後、その結果をどのように統合して「前近代/近代東アジア国際秩序」の全 体像を描くのかである。従来の華夷秩序体制のモデルは、基本的に中国中心の一元的なものであった。
確かに、中国中心の、いわば「本家華夷秩序体制」の説明はそれで問題は無い。しかし、「本家華夷 秩序体制」と重なり合いながらも、はみ出た部分を持つ朝鮮、琉球の外交秩序や日本型華夷秩序をも 含めた、東アジア在来の外交秩序である華夷秩序体制の全体像、、、
は「本家華夷秩序体制」の内容とは異 なってくるだろう。ただ、そのとき、単に朝鮮、琉球、日本などの事例を羅列して事足れりとしてよ いものかどうか。それぞれの華夷秩序体制を束ねていく視点はどこに置けばよいのか。そして、はた していかなる全体像が描けるのか。正直、これは筆者の力に余る問題で、今、その答えを持ち合わせ てはいない。ただ一つ言えるのは、安易なモデル化への誘惑に負けずに地道な実証作業を重ねていく ことで、きっと何かが見えてくるだろうということである。
※本報告書は国際学部付属研究所共同研究「世界秩序の変容と国家―『万国公法』の受容と中華システ ム」の中間報告書である。