『保元物語』における〈理〉と〈哀〉
─ 『平治物語』 『平家物語』と比較して ─
阿 部 日 菜 子
はじめに 保元元年(一一五六)の保元の乱を題材にした『保元物語』には、 「 理
ことわり」という言葉が目立つ。実際に数えてみると、 半 井 本『 保 元 物 語 』 文 中 に「 理
ことわり( 道 理 )」 と い う 言 葉 は 一 二 例 あ る
(注1)。 用 例 数 だ け を み れ ば、 そ れ ほ ど 多 く 出 現 し て い る わけではない。しかし、それでも『保元物語』の「理」が読者に強い印象をもって響いてくるのは、この言葉が物語に とって非常に重要な局面で用いられているからだと考えられる。たとえば、次のような場面がある。
①久寿二年七月廿三日、ハカラザルニ近衛院カクレサセ給ヌ。御歳十七、惜カルベキ事也。法皇・女院ノ御歎ナノメ ナラズ、申モ愚ナリ。新院、此ヲリヲヱテ、 「我身コソ位ニ不レ被レ付トモ、重仁親王ハ、今度ハ位ニハ遁ジ物ヲ」 ト待ウケサセ給ケリ。天下ノ諸人モカク思ケル所ニ、ヲモヒノ外ナル美福門院ノ御計デ、後白河院ノ四宮トテウチ コ メ ラ レ テ 渡 ラ セ 給 シ ヲ、 位 ニ 付 奉 セ 給。 高 キ モ 賤 モ、 誠 ノ 親 ナ ラ ヌ 御 隔 ニ テ、 女 院 角 被
二思 食
一ケ ル。 新 院 ト ハ 一ツ御腹ニテワタラセ給シカドモ、女院モテナシ奉リ、法皇ニモ内々コシラヘ申サセ給ケルトゾウケ給ル。 是ニヨ リ、新院御恨一入ゾマサラセ給ゾ理ナル 。 (上巻「後白河院御即位ノ事」六頁)
『保元物語』における〈理〉と〈哀〉
─『平治物語』 『平家物語』と比較して
─①は、崇徳院(新院)が恨みを募らせ、後に始まる保元の乱を予感させる場面である。この章段において崇徳院は二 つの恨みを抱えている。一つは崇徳院自身が半ば無理やり退位させられたこと、もう一つは息子の重仁親王が即位でき ず、崇徳院が政治の実権を握ることができなかった、ということである。引用部は特にその二つ目の恨みを抱く過程が 語られており、その評語として「理ナリ」が用いられている。そのため、語り手は崇徳院が恨みを抱いたことに関して は 同 情 的 で あ り、 恨 み を 持 つ こ と も も っ と も で あ る、 と 肯 定 し て い る。 『 保 元 物 語 』 の 展 開 と し て、 こ の 時 に 崇 徳 院 が 抱いた恨みが発端となって保元の乱が起こることになる。よって、この時点で語り手が崇徳院の恨みを「理」と認めて いるということは、 『保元物語』全体に関わっていく問題だといえる。
② ( 為 朝 が 頼 長 に 夜 討 ち を 提 案 す る が 却 下 さ れ て ) 御 前 ヲ 立 テ 歩 出 ト テ、 「 夜 ノ 明 ケ ン ヲ 待 セ 給 ハ ン 事、 御 方 ノ 軍 兵 ノ カ サヲ敵ニ見セサセ給ハンタメカ。軍セン事、如何アランズラン。義朝ハ合戦ノ道、奥義ヲ極タリ。明日マデノバサ バコソ、信実、玄実ヲモマタセ給ハメ。悲哉、只今敵ニヲソワレテ、御方ノ兵アワテ迷ハン事ヨ」トゾツブヤキテ ゾ 出 ケ ル。 京 中 ニ ハ、 貴 賤 上 下 皆 〳 〵 ノ ヽ シ リ テ、 「 今 夜、 合 戦 ア ル ベ シ。 如 何 ア ラ ン ズ ラ ン 」 ト、 サ ハ ギ 迷 ケ ル モ理ナリ 。 (上巻「新院御所各門々固メノ事
付軍評定ノ事」三三~三四頁)
②は崇徳院方の軍議の場面である。源為朝は、藤原頼長に戦の方法を問われて「夜討ち」を進言したものの却下され て憤慨する。その際の頼長の主張は、崇徳院方は人数で劣っているため、味方の僧兵が到着する明け方を待ってから戦 を仕掛けるべきだ、というものである。それと合わせて、天皇と上皇の戦いなのだから夜討ちという野蛮な方法はする べきではない、と為朝に発言している。つまり、開戦するのは早くても明朝、と頼長は考えている。だが、同じ頃に後 白河院方でも源義朝が夜討ちを提案していた。結果、そちらは実行して勝利を収めることになる。そのため、ここで為 朝が提案した夜討ちを実行しなかったことが、崇徳院方が敗北する大きな原因として語られていることがわかる。 日本文学ノート 第五十五号
② で「 理 ナ リ 」 と さ れ て い る 内 容 は、 市 中 の 人 々 が「 今 夜、 合 戦 ア ル ベ シ 」 と 騒 ぎ 合 い、 ど う し た ら い い か と 話 し 合っていることについてである。ここで注意したいのは、戦に直接的に関わっているわけではない市中の人々でさえも 「 今 夜 」 合 戦 が 行 わ れ る、 と 話 し て い る 点 で あ る。 こ の こ と に よ っ て、 様 々 な 理 由 か ら 夜 討 ち を す る べ き で は な い、 と いう判断を下した頼長一人が「明日」戦いが始まると思っていることが際立ってくる。その上で、語り手が「今夜」合 戦が行われるだろうという人々の予想(あるいは推測)を「理ナリ」と認めている。よって、結果として「夜討ちをし ない」という決断をした頼長一人に敗戦の責任が重くのしかかってくることになる。 さ て、 ① ② の「 理 」 を み る と、 ど ち ら も「 理 」 に「 ナ リ 」 が 下 接 し て い る が、 『 保 元 物 語 』 に み ら れ る「 理( 道 理 )」 の用例を分析した結果、その意味内容によって上述の一二例を二通りに分けることができる。
(一) 「生者必滅ノ理」等、 「~の理」として語句が成立するもの (二) 「理(道理) 」に「ナリ」が下接して形容動詞となるもの
(一)は、たとえば「生者必滅ノ理」 「有為ノ理」といった形で使われる。そのため、語り手の独自な、あるいは主体 的な解釈が入り込む余地が無い。どのような人々からみても「生者必滅ノ理」といった場合には大般涅槃経が示すこの 世 の 真 理 で あ る こ と が わ か り、 「 理 」 が 示 す 意 味 内 容 を 勝 手 に 変 え る こ と は で き な い か ら で あ る。 よ っ て、 「 生 者 必 滅 ノ 」「 有 為 ノ 」 と い う よ う な 言 葉 に 修 飾 さ れ た「 理 」 は 語 り 手 の 意 思 や 考 え が 含 ま れ た 言 葉 で あ る と は い え ず、 語 り 手 の主体性がみられない。 対して、先に引用した①②を含む(二)は「ナリ」が続くことで主張・陳述の意味が強まる。これにより、一連の場 面が「理ナリ」と結ばれることによって、その出来事や登場人物に対する語り手の「立場」や「視点」が明確になると 考えられる。このことから、語り手の言葉として「理ナリ」が出てきた場合、そこで主張されている「理」は語り手の 意思や考えによって判断されたもの、といえる。
『保元物語』における〈理〉と〈哀〉
─『平治物語』 『平家物語』と比較して
─( 二 ) の よ う に「 ナ リ 」 が 下 接 し た「 理 」 が 語 り 手 の 意 思 を 十 分 に 反 映 し た 言 葉 で あ る、 と い う 前 提 で 用 例 を み て い く と、 物 語 の 展 開 に 大 き く 関 わ る 場 面 で こ の 言 葉 が 用 い ら れ て い る の で は な い か、 と い う こ と が 浮 か び 上 が っ て く る。 そして、とある事柄に対して語り手が「理ナリ」と認めることは、語り手がその「理」の対象に寄り添った考えを示し て い る、 と い う こ と に な る。 し た が っ て、 「 理 ナ リ 」 と 語 り 手 が 表 現 し た 場 合、 そ の 内 容 は 語 り 手 の 主 観 を 少 な か ら ず 伴 い、 物 語 の 展 開 や 解 釈 に 大 き く 関 わ る、 と い う 仮 説 が 生 ま れ る。 つ ま り、 ( 二 ) の「 理 」 は『 保 元 物 語 』 の テ ー マ に 関わっていく重大な言葉だと考えられる。 たとえば、先程引用した①では崇徳院が恨みを募らせたことを「理ナリ」としていたが、このことによって崇徳院が 恨みを抱くという行為自体に正当性が生まれる。よって、乱の発端となった恨みを語り手が認める、ということは『保 元物語』の崇徳院自身に対して語り手が同情的に捉えている、ということに繋がる。 ②では、先述したように崇徳院方の敗戦原因が問題となってくる。虚構ではなく、確かな歴史的事実として今に伝え られる戦を題材にしている軍記物語にとって、 「勝敗」 、とりわけ「敗戦」の理由というものは非常に重要だと考えられ る。 実 際 に は 様 々 な 要 因 が 絡 み 合 っ て 崇 徳 院 方 の 敗 戦 を 招 い た こ と が 察 せ ら れ る が、 『 保 元 物 語 』 で は 頼 長 一 人 に 責 任 が 押 し 付 け ら れ て い る よ う に 思 わ れ る。 崇 徳 院 方 の「 判 断 」 と い う 面 に お い て は 頼 長 が 全 面 に 押 し 出 さ れ て い る、 と いってもよいだろう。少なくとも『保元物語』においては、頼長に敗戦責任がすべてのしかかっており、歴史的事実と して責任を負うべきはずの誰かが語り手によって意図的に隠されている。これは『保元物語』が物語である所以であり、 語り手の物語構想が絡んでいるように思われる。そのため、崇徳院方が負けたことの理由づけの一部として、 「理ナリ」 が用いられていることは決して見過ごすことができない点である。 こ の よ う に、 『 保 元 物 語 』 中 に お け る( 二 ) の「 理 」 は、 物 語 に と っ て 重 大 な 意 味 を 持 つ 言 葉 だ と 考 え ら れ る。 よ っ て、本稿では『保元物語』の「語り」における「理」について考察を行い、その特徴を明らかにしていきたい。 なお、 「理ナリ」より数は少ないものの、 「理 哉
4」、 「理 ヤ
4」というように「理」に詠嘆の意味を持つ助詞が接続する場 合がある。これらの言葉を用いる際、語り手は「理」と判断したことに対して何らかの強い感慨を持っていると思われ 日本文学ノート 第五十五号
るため、 「理ナリ」とほぼ同義であると考える。また、 「道理」という言葉も『保元物語』には数箇所みられるが、意味 と し て「 理 」 と 差 異 は そ れ ほ ど み ら れ な い た め、 「 也 」 が 接 続 し た 場 合 は「 道 理 」 も「 理 」 と 同 様 で あ る、 と 解 釈 し て おくこととする。 以 上、 本 稿 で 扱 う「 理 」 に つ い て ま と め る と、 ( 二 ) の 定 義 は、 「 理( 道 理 )」 に「 ナ リ 」 が 下 接 し て 形 容 動 詞 と な る も の( 哉
カナ、 ヤ 等 の 助 詞 が 接 続 す る も の を 含 む )、 と な る。 す な わ ち、 本 稿 の 考 察 対 象 と な る「 理( 道 理 )」 は 語 り 手 の 「主観」 「立場」 「視点」が明確であるもの、ということができる。よって、以後、本稿では(二)の「理ナリ」を〈理〉 と表記し、他の「理」と区別して扱っていくこととする。
と こ ろ で、 〈 理 〉 と 同 様 に『 保 元 物 語 』 の 評 語 と し て 扱 わ れ る 言 葉 と し て は「 哀 れ 」 が 挙 げ ら れ る。 一 見、 規 範 意 識 や 道 徳 意 識 を 指 す「 理 」 と、 何 ら か の 感 慨・ 感 情 を 表 す「 哀 れ 」 は 対 極 に あ る 言 葉 の よ う に 思 わ れ る。 し か し な が ら、 〈理〉がその対象とする人物に対して語り手の同情や共感を示す言葉であるとするならば、 「哀れ」と〈理〉は似た意味 を示している、という見方も可能なのではないだろうか。 文学作品における「理」及び「哀れ(あはれ) 」についての研究は、 『源氏物語』を扱った上地敏彦の論がある。上地 は「 『ことわり』は『道理』 『教理』 『法理』 『論理』等を表し、美的理念たる『もののあはれ』と対峙する教戒的・観念 的な内容を表す語とされている。それは善悪理非を必ずしも基準としない人間的感情・心情とは対極にあると見做すの が、殊に本居宣長以降の通念であ る
(注2)」とした上で、 「しかし果たして、 『ことわり』は『もののあはれ』の対義語として の 論 点 し か 見 出 せ な い も の な の だ ろ う か
(注3)」 と 疑 問 視 し て い る。 そ し て、 紅 葉 賀 巻 の「 こ と わ り 」 の 用 例 を 検 討 し、 「 こ のもっともだという理解は、言うまでもなく知的・観念的理解などではなく、親心というものへの人間的理解であって、 深い人間的共感ととらえることができ る
(注4)」と述べている。 上 地 は 結 論 と し て、 『 源 氏 物 語 』 の「 こ と わ り 」 は 言 葉 の 背 景 と 内 容 の 違 い に よ っ て 以 下 の 二 種 類 に 分 類 で き る と す る。
『保元物語』における〈理〉と〈哀〉
─『平治物語』 『平家物語』と比較して
─Ⅰ 教戒・観念的条理としての「ことわり」 「 道 理 」「 教 理 」「 法 理 」「 論 理 」 等 を 表 し、 通 常「 こ と わ り 」 の 典 型 と さ れ て、 「 も の の あ は れ 」 と 対 峙 的 に 取 り 沙 汰されるものである。
Ⅱ 人情・心情的条理としての「ことわり」 人情・心情の脈絡として当然そうだろう、無理もないという、心理的必然性を感じさせる内実を有するものである。 『 源 氏 物 語 』 に お い て 実 際 的 に 多 用 さ れ て お り、 小 論 に お い て 注 目 す る、 心 情 的 な 理 解 や 人 間 的 な 共 感 を 生 み 出 す 「ことわり」であり、 「もののあはれ」と親和性の強いものが厳存す る
(注5)。
私見によれば、ここで上地が主張している内容は『源氏物語』のみならず『保元物語』にもあてはまるものなのでは な い か、 と 思 わ れ る。 先 述 し た よ う に、 『 保 元 物 語 』 に お け る〈 理 〉 と「 哀 れ 」 は そ れ ぞ れ の 言 葉 を 述 べ た 対 象 に 同 情 や共感を示し、肯定する働きがあると考えられる。そこで、本稿では〈理〉と共に「哀れ」についても検討し、その特 徴をみていきたい。 「哀れ」は『保元物語』中に一四例あ り
(注6)、これも「理」と同様に二つに分けられる。
(一)感動詞(間投詞)として用いられる「哀れ」 (二)感動詞以外の「哀れ」
「哀れ」についてもまた、 「理」と同様の理由で(二)を扱う。 (二)の例としては以下が挙げられる。 日本文学ノート 第五十五号
①同年夏六月十二日、美福門院、成菩提院ノ御所ニテ御カザリヲオロシ、御カタチヲヤツサセマシマス。是ハ先帝モ 隠サセマシ〳〵ヌ、又、法皇モ御悩ヨクワタラセ給ハヌニヨリテ、御歎ノ余ニ思食立トゾキコヱシ。 哀ナリシ事也 。 御戒師ニハ三滝ノ上人観空ゾマイリケル。 (上巻「法皇崩御ノ事」八~九頁)
①は美福門院が出家した理由を語ったものである。美福門院は自分の息子である先帝(近衛院)に先立たれ、夫であ る鳥羽院の病状も思わしくないことが原因となって出家に至ったことがわかるが、語り手はそれに対して「哀ナリシ事 也」と感慨を述べている。語り手がこのように述べることによって、この場面は「哀れ」なものなのだ、という認識が 読者に生まれる。また、美福門院の出家に「哀れ」という語り手の感情が表現されていることによって、この場面(出 来 事 ) の 美 福 門 院 に 対 し て 語 り 手 が 同 情 を 示 し、 寄 り 添 っ て い る、 と い う こ と が わ か る。 そ の た め、 ① に お け る「 哀 れ」は語り手の意思が反映されている、ということができる。
② ( 源 為 義 が 敗 走 す る 場 面 に お い て ) 為 義、 サ ガ ス 処 ニ ハ 無 テ、 坂 本 三 河 尻 ノ 五 郎 大 夫 景 俊 ガ 許 ニ 隠 テ 居 タ リ ケ ル ガ、 十六日ニ、五十騎計ノ勢ニテ、三井寺ヲ通テ、東国ノ方ヘ趣キケルガ、運ノ極タル処ハ、為義、重病ヲ受テ、前後 不覚ニ成ニケリ。温病トゾ聞ヘシ。馬ニ舁乗テ行ニ、兵共出来テ打留トスル上ヘ、大将軍ノ重病ナルヲ見テ、郎等 等、皆ステテ逃失ヌ。子共六人ノ外、郎等四人ト雑色華沢一人残ケル。近江ノ蓑浦ニテ、船ニ乗ラントシケル所ニ、 敵 廿 騎 計 懸 出 タ リ。 戦 ニ 不
レ及、 四 方 ヘ 皆 逃 散 ヌ。 四 人 等 ガ 郎 等 モ 落 失 テ 無 リ ケ リ。 イ ト ヾ 心 細 ク ゾ 成 ニ ケ ル。 其 ヨリ東近江ヘ至ラントシケレ共、身ハ病ヲ受ツ、其上、鈴香、不破関塞リヌト聞ヘケレバ、東国ヘ遁下ラン事モ難
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